
はてなキーワード:精神疾患とは
出会い系(マッチングアプリとは違うと思う)を始めてみて思ったことを書いていく
同世代の女性(氷河期)を探しているのだがマトモな相手が本当にいない。
大体は「割り切り」目当て。しかもかなり吹っかけてくる。それでも買う人がいるんだろうけど強気。
それ以外は投資詐欺みたいなものも多い。金持ってないから出会い系やってるのが多数派だと思うので引っかからないだろうけど、と感じる。
無事それらをすり抜けてLINEの交換をすると今度は貧困女子率が異様に高い。精神疾患持ちで生活保護受給率も高い。しかもポッチャリを通り越した牛みたいな体形も経験上多い。ポッチャリは嫌いではないがエンゲル係数高そうだ。
そんな感じなので発言の一言一言に気を使う。そして傾聴に徹するしかない。
お金が無いからなのかどうなのか分からないが、皆声を揃えて「ケチな男は嫌」と言う。奢っても感謝の言葉も無いしメニューも勝手に注文する。
この前小銭が無く50円出してもらおうとしたけれども激しく拒否され怒って帰っていった。
余裕がなければ心も荒むのか、その逆も真なのかは知らないけれども舌を出すのも嫌なんだろう。
そんな感じで出会い系を続けてきたけれども限界が見えてきた。話し相手を探してただけなのに住む領域が違いすぎる。これならスナックの店員と話したほうがまだ建設的だわ。
逆にうまく出会い系を使えている人ってどうしているのだろうか?
療養して回復したら大学受験しようと思っていたが、さっぱり良くならないまま何年も経ち、受験は諦めた。
通信制大学に入ってみても、基礎学力不足とメンタル不安定のせいで、休んだり自習の繰り返しで、なかなか卒業できそうにない。
自覚なかったけど実家の環境がヤバかったらしく、20代半ばでいわゆる「理解のある彼くん」と結婚してから、ゆっくりではあるけど心身の回復が進み、ここ数年は「専業主婦」と呼べるくらい家事はできるようになってきた。
しかし妊娠出産育児に耐えられると思えるほどには回復しないままアラフォーになってしまったため、子どもはいない。
心身の状態が良くなるにつれて、いつか働きたいと思うようになってきたが、自分の経歴に絶望している。
高校中退、職歴ゼロ、アラフォー主婦なのに育児していたわけでもない。
精神障害者として作業所通いでもするのが妥当なのだろうが、現状、週3以上外出するのもきついから厳しいし、できたところで大して稼げやしない。
大学で専攻したかったことに近い分野のボランティア活動には参加してて、一緒にやってた人の中には独自性を出したりクオリティを上げて稼げるようになった人もいるから、その道を目指すのが手っ取り早そうだとは考えてる。
でも、今後もし働けるくらい調子が良くなったとしても、何も無い経歴が足を引っ張って、仕事なんかさせてもらえないんじゃないか。
この何も無い経歴を覆そうと思ったら、そこらの健常者より圧倒的に有能にならないと駄目なんじゃないか。
どうしたらこの社会に価値を認めてもらえる人間になれるんだろうか?
「理解あるの彼くんに養ってもらえてるならいいだろ」って言う奴もいると思うけど、配偶者以外の誰にも、社会的にも金銭的にも価値を認められずに生きているのが、苦しくてどうにもならない。
ICU、人生で5度目だろうか、入院自体、これで25年の人生のうち15回くらいはしているだろうか。
今回のICUは事故だった。ODのやりすぎで、少量なのに意識を失ったのだった。気が付いたら「痛い痛い」「つらいつらい」と呻いてのたうち回っていたのだった。親に見られているのが分かったけど、眼を開けることはできなかった。ただ「薬いっぱい飲みすぎで、もうどうにもならなくなってんの。脳のどっかも、身体のあちこちも、おかしくなってんの」と言われたのが、心外だった。自分だって理解している。
頭の処理が遅いし、認知も変になっていて、喋ると喋っている間に自分が何を考えているか忘れてしまうのだ。おもしろいことに、こうして文を書いているときは、すらすら文字が出てくるし、書こうとしていることも明確だったりする。ただ、私の頭が多少ヘンになっていることは、そうだろう。このことに後悔はない。仮に、年齢ではなく「本当に」ODの勢以でヘンになっていたとして、こうなるとわかっていたとしても、かこの自分がODをやめることは無いだろう。
そもそも、私は死にたいのだった。死を目的としたOD,飛び込み、飛び降り、首吊りなど、自殺企図はかれこれ、ちょくせつ死が近くに来るそれは、この通りにすべて複数回している。
私にとって、私が死にたいのは、あまりにも当然だ。死んじゃいけない理由も把握しているが、それと死にかけている私を助ける理由と、けっきょく生かされて残り続ける苦痛は、つり合いが取れない。合理的に。ただただ私の苦しみが増え続けるだけ。
ネットには死にたい人が沢山いる。おおかた、苦しいからこれを終わらせたくて死にたいと言う。私はそういう、死んだら救われるような考えは、死にたくなった高校から、あまり考えないように、と気を付けていた。死にたいなら、理由をつけずにただ死ぬ、自殺すること自体を目的にする。
さていまの自分はどうだろう。なんで生きているのがつらくて、早く死にたいのか? それは、なにもかもどうでもいいからだ。私の死にたい気持ちは〈あらゆる可能性を捨てる〉決心をもって、それらの了解から導き出される、感情的にも、意識的にも、論理をある程度だけ適応した、ヒューマニックな解答なのだ。つまり、さっきの「どうでもいい」は「どうなろうが知らん」というよりか、とにかく「考えたくない」ということだ。もう解答は出ている、100点は確実なのに答案が配られない。
〈あらゆる可能性を捨てる〉というのは、私の想定では『ジョニーは戦場へ行った』だ。
私には才能がある。というか、この言葉にちょっかいを出したい人というのは、どうして自分に才能がないと言い切れるだろう? 肯定することより厳密に否定することの方が難しいのに。
それで、評価はされている。だが、自分の才能に対して「お前はもっとできるだろう」という考えがずっとある。そして同時に、よりよくその才能が生かされたとして、それが私の生きる理由にはならないだろうことは確かだ。私は私にだけ、強く重い根性論をぶつけている。自分を追い込んでいる。
なにも作れなかったら、生きていてもどうしようもないのだ。命に価値がない(この言葉は嫌いだ)、いや、限りなく生きていないのに、ただしかし自分だけが「頑張れなかった私」を、この生命の一切が終わる、その意識が途切れるまで(これ自体を)抱えなきゃいけない。なにげなく、文章や小説を書き出したのは、明確に死にたいと思うようになった、高校生の時分からだった。
何かを作るのは、「もし生き続けるのなら」そういうことをやらないと、自分が無意味そのものだと感じるからだ。無意味というのは、死体ということだ。
私は本当なら、何も作りたくはない。作っていなかったときの方が、毎日がイキイキと鮮明だった。
自己表現、という言葉のすべては、自己表現を純粋に示せない。それを示そうとすること自体が、自己表現になりえるからだ。なにかを作るのにおいて、公に(正式な場所から)何かを出すときも、自己表現なんてものは頭に一寸もよぎらなかった。私の作るものには、私が伝えたいことなど、一つもない。喋りもうまくできなくなったのだ、私が誰かに何かを伝えること「さえも」そのものに意味があるとは思えない。もし、私が望む何かを達成できるAIがあるのであれば、私はそっちに乗り移って、無思考かつ無感情でその主体を獲得したい。
とはいえ、私にもいろいろな意見がある。それのほとんどが、人間なんてどうしようもない、正直、なにかを作ったとして、何にもどうにもならなく、仮に何かにどうにかなっても、私はきっとそれになにも満足しないだろう、それは人間はどうしようもなくて、ただ死ねないから生きていて、生きることを根本から見つめることもできないくせ、感情だの倫理だのと、どっかから聞いてきたような適当な理由を、無遠慮に誰かや私にぶつけてくる、害そのもの、あるいは機械、または可変的なルールでしかない、という、不満だ。人間は愚かなのではない、賢いのではない、〈何かに理由があることを疑えない〉のだ。いつしか規範が作られ、会話できるようになって、そんなことできないのに他人の気持ちとかをくみ取ろうとする。
私たちは、他人の気持ちなんて、分かろうとするのは恋愛だけでいいし、とにかく「気を配ること」に厳密になればいいだけなのだ。「気を配ること」。他人の意思を尊重することと、倫理は基本的に一致しない。むしろ、倫理なんていう規範を飛び越えて他人に触れることが、よりよく意思を尊重することになる。これが「気を配ること」である。そして「気を配ること」は、なにも、社会だのSNSだの、でっかい母数を相手にしなくていい。周辺だけ、触れ合う他人にだけでいい。
主張をしまくること。
主張をしまくり、その主張は何かを否定していたとして、否定側の意見をいつも検討価値のあるものとすること。
では「私は死にたい。以上の自殺企図、入院歴がある。私は〈理念〉として自殺することを肯定している。私の邪魔をしないでくれ」。
では「そう。で? それが何? 何それ?」
さあ、〈どんな顔をどのように何をすればいい?〉
毎日増田に張り付いてるだけで、世界にいる99.999999%の人よりストレスフリーの生活してる割には精神疾患抱えてるお前が身をもって反証してくれてるんでここから後は自分と殴りあっててくれ、ふぁいとー
男よりも女の方に精神疾患すなわち「メンヘラ」が多いのは、女がそれだけ過酷な状況に置かれているからだと考えるのが自然だよ。
公平を期してGoogleAIの要約貼るならこうだ
情緒不安定で周囲に依存や過度な心配を求める人を示すネットスラング。
な。
香風智乃@chino_ey
男にももちろんメンヘラ基質のあるやつは居るが、よほど顔が良いとかでもない限り「誰にも相手をされない」ので、自分でメンヘラを克服せざるを得ない
こいつの言ってるメンヘラとAIが提示するメンヘラの定義は概ね一致してるように見える。
異性に構ってもらえるかとかは一切関係ないし、
寧ろ誰にも助けてもらえなくて追い詰められた結果精神疾患を発症する人の方が多いだろうに。
克服する必要がないも何も、克服したいと思って出来たら誰も苦労しない。
お前は一体何を力説しているの?
香風智乃の考える「メンヘラ」の特徴と
一致してないのは当たり前じゃね?
いやただの差別用語だと思ってるなら
こういう事を言う人って、「メンヘラ」の意味分かって言ってるのかな
異性に構ってもらえるかとかは一切関係ないし、寧ろ誰にも助けてもらえなくて追い詰められた結果精神疾患を発症する人の方が多いだろうに。
克服する必要がないも何も、克服したいと思って出来たら誰も苦労しない。
いつまでこの、差別用語としての「メンヘラ」使用を続けるつもりなんだよ
香風智乃
@chino_ey
男にももちろんメンヘラ基質のあるやつは居るが、よほど顔が良いとかでもない限り「誰にも相手をされない」ので、自分でメンヘラを克服せざるを得ない
なんでこれが駄目なんだろ
少なくとも「発達障害はありません!」については、発達障害の定義のいい加減さを調べれば調べる程に正しいと思うし、
精神疾患の多くが、単に日本人の大多数に当て嵌まっているだけなのも事実。日本人なら大体そうだと分かれば、そんなものを疾患扱いする事自体が馬鹿馬鹿しくなる。
最後のは自閉症の定義がどう見てもバーナム効果なのを見たら、家庭教育の程度で決まるってのもそんなに間違ってはいないんじゃないの。ウィングの定義を見るに、教育熱心で人権意識の強い親に育てられた子供はみんな自閉症にされそうだもの。
まぁ育てるのが母親である必要はないが、実際には多くの家庭で母親が育児を担っているのは事実なんだし。
いまだだいすけ
@QSeSlEN6j1YAKO
参政党
「発達障害はありません!」
■はじめに
新卒就活をしていたとき、勝ち方はなんとなく分かっていた。でも、これは自分には無理な気がする、とも思っていた。
就活とはゲームで、どんな経験が評価され、どう語れば通るかも分かっていた。ただ、語るための「素材」が自分の人生にはなかった。
それを努力不足だとは、今でも思っていない。これはそういう前提で世界を見ている人間の、救いのない壁打ち思考ログです。
■スペックと現状
この投稿に、NNTの学生を救える話や、内定を取るためのノウハウはない。
正解を提示するつもりもない。
ただ、最後まで読んでくれた人がいたら、同意でも反論でも体験談でもいいので、意見を聞いてみたい。
就活はゲームだという言い方はよくされる。面接は「ギルドへの入団試験」だ。
志望動機やガクチカは、自分の「武器」をプレゼンするためのもの。ギルド側は、志願者の持つ武器が自分たちの挑むダンジョン攻略に役立つかどうかを見ている。
ただ、武器を作るには素材が必要で、その素材にあたるのが原体験や人生経験だ。RPGとリアルな就活の違いはここにある。現実では、欲しい武器があるからといって、対応する素材を狙って集めにいくことはできない。しかも素材には武器に適したものだけでなく、持ってても使えないカス素材もあるのだ。この点が、このゲームがクソゲーたる所以だ。
しかし私には「ダンジョンを攻略したい」という動機が決定的に欠落している。その背景には、成育歴による重い呪いがある。
私は中学受験の頃から、両親に成果だけでなくその「過程」まで監視され、評価され続けてきた。毎日続く説教。良い点を取っても「次も同じように頑張りなさい」で終わり。
両親が言った「私たちは結果だけでなく過程も重視する」という言葉。それは私にとって、「24時間365日、お前の時間の使い道はすべて私たちの監視下にある」という宣告だった。
「勉強しないお前は将来風俗嬢だ」「こんなんじゃ社会じゃやっていけない」。
そう言われ続けて育った私にとって、労働の現場は「成果と過程を要求され、監視される恐怖の場」の延長線上でしかない。
■私の手元にあるのは、使い道のない「生存記録」だけ
こうした背景があるから、私の手元には「自分の意思で手に入れた経験」がほとんどない。
就活では、0をプラスにした経験は武器に変換しやすい。努力して成果を出した話、成功体験。それらは分かりやすく強い武器として評価される。
一方で、マイナスを0に戻した経験は、強い武器として変換できない。生き延びるために必死だったことや、環境に適応するために消耗した経験は、「何を成し遂げたか」という物語にしにくいからだ。
これが先述した素材の差だ。
ここで私の人生を振り返ってみる。
大学進学や学部選びは、両親に逆らえなかった結果に過ぎない。卒業研究も、中退が現実的でない家庭環境の中で、ただ死なないためにやらざるを得なかった。
唯一、大学の部活では自分の意思で運営に携わり試行錯誤を重ねた。成功談とは言えないが一次面接ではこれが唯一、武器に近い形をしてくれた。
だがアルバイトでは数値で示せるような成果もなかった。
こうした素材は生活としては確かに意味があったが、就活というゲームの中では、強い武器には変換されにくいものだった。
■束の間の「救い」と、その後の絶望
こんなどん詰まり就活生だったが、たまたま逆スカウト型の求人サイト経由で受けた企業から内定をもらうことができた。
勝因は志望動機をほとんど求められなかったことにある。ガクチカは手持ちで一番強い部活の話だけで済み、最終面接も「欲しいサービスのプレゼン」という、人生の原体験を使わない内容だった。
そこは素材(過去)を競う場ではなく、純粋に論理的思考力と表現力という「能力」だけで勝負できる場所だった。それが私にとって、唯一の救いだった。自分のボロボロな中身をさらけ出さずに済んだから。
まあ、その会社も入社3ヶ月で辞めることになるので、結局その救いすら絶望に塗りつぶされるのだが。
働き始めてからも、労働に対する感覚は大きく変わらなかった。私にとって労働とは、単なる「消耗」でしかない。
働けば生活は安定する。給料も出る。それでも私にとって給料は、何かを達成したことへの報酬ではない。あの恐怖の空間に、自分を削って身を置き続けたことへの「慰謝料」だ。会社という名のギルドを何回か変えてみたが、それは変わらなかった。
自己効力感はほとんどない。同じ時間、苦痛に耐えるのなら、少しでも慰謝料(給料)や福利厚生の多い環境の方がよかったのではないか。そんなことを考えてしまう。
これほど労働を忌避しながら、なぜフルタイムでの就労に固執するのか。それは、私に唯一の「聖域」があるからだ。
中学の頃から続けている、多人数での楽器演奏。それが私の生きる意味のすべてだ。
音楽は両親が詳しくない分野だった。だからこそ、そこだけは「過程」を監視されず、成果を求められない、唯一の逃げ場だった。
かつて演奏会の予定を母親に黙っていたことがある。自分の聖域が汚されるのが耐え難かったからだ。結局バレて激怒されたが、あの時の「奪われたくない」という感覚は今も鮮明に残っている。
この趣味は、私にとって削れた心を元に戻すための不可欠な「回復アイテム」だ。だが、この聖域を維持するには、残酷なほどコストがかかる。
楽器の維持費や活動費、そして何より、団体競技であるがゆえに「土日祝休み」という拘束条件がつく。そうなると、現在の社会構造ではフルタイム就労以外の選択肢がほぼ消える。
聖域を守るために、最も恐れている「監視と消耗の場」にフルタイムで身を捧げなければならない。この矛盾が、私をさらに追い詰める。
■削られない「平凡」への渇望
ここで言う「幸せ」は、充実感や達成感のことじゃない。恐怖や消耗を前提にしなくても生きられる状態、それだけの意味だ。
聖域でなんとか命を繋ぎ、また平日に慰謝料を稼ぎに行く。その繰り返しだけで時間が過ぎていく。そこには、余裕が積み上がる感覚も、人生が前に進んでいる感覚も生まれにくい。
「社会でやっていけない」という親の呪い通り、私は今もボロボロの素材を抱えて、聖域を守るための慰謝料を稼ぎ続けている。
こんな素材しか持てなかった私が、この先、恐怖以外の動機で動ける日は来るのだろうか。
これ以上自分を削らずに、ただ平凡な日常を送れる日は来るのだろうか。
でも、現代の育児は親が精神疾患になるレベルで苦痛な行為になってしまった
2010年代あたりと
東村アキコのママはテンパリストの漫画にママ友に「しつけのために子供のお尻を噛む」という方法を教えてもらって、東村アキコも息子のおしりを噛むシーンがあるが
令和ではありえない
2010年代でも、まだ会話もできない2〜3歳児にしつけのために手をあげる親というのは存在している
平成初期〜中期でも、親は子供をなぐっても蹴っても怒鳴っても良かったのである
正直、子供に親が言葉を使って論理的にしつけをすることなく拳でなぐって
しつけをしたことになると言うのなら
それは親にとって楽過ぎると思う
昔の親は、2〜3歳くらいの子を親の監視なしで外で遊ばせたり、5歳児におつかいを頼んだり
昔の親というのは、あんまり子供に気をつかわなくてもよかったし
とにかく我が子の幸せのために親が尽くさなければいけなくて大変なのである
親の時間も親のお金も、親の精神力も、我が子のために使う時代である
ぶっちゃけ世の中、子供を作ってはみたけれど、自分の子供のこと好きじゃないですという親はたくさんいる
我が子のことが好きじゃないタイプの親は18年間、親も、子供の方も色々耐えなきゃいけないのでお互いに苦痛である
昔の親は子供が親の気に入らないことをすれば、ボコボコ子供を殴ることでなんとかやってきた
でも、現代の親はそうはできない。我が子のためにひたすら親は消耗する生活をさせられる。精神疾患になるレベルで
結局、我が子を愛することができれば、育児が苦痛でも18年経てば終わるので親は幸せになれるが
我が子を愛することができなかった親は、現代の精神疾患になるレベルのつらい育児の苦痛をとことん味わい、地獄に落ちるのである
自分がいるジャンルの専門メディアを見ていると、国内の対談やインタビューが、中年を越えて「老人会」のように見えてくることがある。
病気や貧困、SNSの負の側面を知的に語っている論者たちも、結局は
「精神疾患を抱え、貧困で、SNSしか居場所のない中年が、自分自身に重ね合わせられる話題」
「自分も異性愛規範に乗れず、キモい趣味でいじめられてきたから当事者だ」
という自己投影的な共感に留まり、それ以上外へ踏み出していないように見える。
中年世代同士が、過去のいじめられ経験を慰め合って完結しているだけなら、まだ害は少ない。
しかし、こうした人々に限って、若者が何かを楽しんでいると、有害な形で関与してくる。
昔からある
「最近の若いものは、こんな軟派なものを好んでいてけしからん」
という態度だ。
しかも現代的なのは、PV目的の記事タイトルだけを見て憤慨し、内容も確かめずに断罪する雑さである。
そこに、若者や新しい文化を尊重しようという姿勢がないことは明白だ。
また、かつて「ディープでマニアであること」を誇りにしていた世代ほど、若者のカジュアルな楽しみ方を攻撃しがちでもある。
過去にマニアであることや異端であることでいじめられ、その反論をトラウマのフラッシュバックのように繰り返しているのかもしれない。
だが、赤の他人である若者からすれば、それは妬みや逆恨みにしか見えない。
SNS空間では、こうした年上から年下へのハラスメントは可視化されにくい。
「異性との交流が苦手で、精神疾患を抱え、貧困で、SNSしか居場所のないおっさん・おばさん」は、同性であっても付き合いづらい存在なのにもかかわらず、SNSでは多数派なのでどこに行ってもいるからだ。
新しい知識を仕入れないため話題は過去ばかりで、聞く側は疲弊させられる。
さらに厄介なのは、そうしたおっさん・おばさん同士が共犯関係になり、コミュニティを形成することだ。
彼らは「異性を理解している自分」という自己認識に酔っているが、外から見れば
「はぐれ者同士が、共通の思い出にしがみついているだけ」
にしか見えない。
自分は理解されたい一方で、自分とは違う人間を理解しようとする余裕はない。
「自分はいじめられてきた」という認識が強く、しかも人を攻撃することには慣れている中年が跋扈する空間は、どうしようもなく悲惨だ。
かつて年功序列を嫌っていた若者も、アラフォーになれば、年功序列で圧力をかける側に回っている。
それでも若者を批判する際、自分が20歳近く年下を見ているという自覚はなく、若い頃の自己認識のままで語っているように見えることがある。
結局のところ、「弱者だった人間が、そのまま歳をとっただけ」とも言える。
軽度知的障害と精神疾患で手帳(2級)をもらって生きている、いわゆる「こどおば」だ。
風呂に入るのも3日に1回。
万年床の湿気た匂いの中で、ただ天井を眺めるだけの人生だった。
そんな私が最後の一攫千金を夢見て手を出したのが、AIによるアダルトCG集の販売だった。
でも、私には決定的な欠陥があった。
「本物のエロ」が、怖くて描けないのだ。
デブスで恋愛経験もない私には、過激な表現の生々しさが理解できない。
結局、捨てきれない中古のプライドが邪魔をして、当たり障りのない「綺麗売り」でお茶を濁してしまった。
壁の薄い実家。隣の部屋で親がテレビを見ている音を聞きながら、35歳の独身女がマイクに向かって「お師匠様……大好きです」と声を絞り出す。
録音した自分の声を聞き返して、あまりの虚しさに死にたくなった。
画面の中の透き通るような美少女と、鏡に映る自分の肉塊とのギャップに、何度も吐きそうになった。
でも、自分自身が許せなくて食卓につけず、昨日から水道水でお腹を膨らませながら、動かない売上カウンターを眺めている。
結果は、売上0円だった。
笑ってほしい。
35歳にもなって、親の脛をかじりながら、一人でエロい声を録って、1円も稼げなかったこの滑稽な人生を。
もし、この悲惨なドキュメンタリーに「牛丼一杯分」くらいの価値を感じてくれる物好きな人がいたら、私の「爆死の結晶」を覗いてみてほしい。
これが、風呂にも入っていないデブスな女が、必死に偽造した「理想の清楚」だ。
(https://www.dlsite.com/aix/work/=/product_id/RJ01555337.html )
安倍元首相暗殺の件で比較されてた長崎市長銃殺と石井紘基議員刺殺って、どっちも加害者は暴力団員で前科ありなんだよな。
長崎市長射殺事件(ながさきしちょうしゃさつじけん)は、2007年(平成19年)4月17日に当時長崎市長の伊藤一長がJR九州長崎駅近くの歩道で山口組系暴力団幹部の男に銃撃され、死亡した事件[1]。
石井紘基刺殺事件(いしいこうきしさつじけん)とは2002年10月に右翼団体幹部が民主党所属の衆議院議員・石井紘基を刺殺した殺人事件[1]。
あと、戦後に殺害された現職の国会議員は石井紘基議員以前にも三人いるようで、うち一人は加害者が未成年、もう二人は心神喪失で不処罰のようだから、やはり山上のモデルケースとしては不適切だな。
浅沼稲次郎暗殺事件(あさぬまいねじろうあんさつじけん)は、1960年(昭和35年)10月12日(水曜日)に東京都千代田区の日比谷公会堂で開催された自民党・社会党・民社党3党首立会での演説中の浅沼稲次郎日本社会党中央執行委員会委員長(日本社会党党首)が17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺された事件である。「浅沼社会党委員長暗殺事件」と称されることもある[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E6%96%B0%E6%B2%BB%E9%83%8E_(11%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
1992年、自民党訪朝団団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えた4月12日、自宅において精神疾患を患っていた24歳の次女に出刃包丁で刺されて殺害された[1]。58歳没。当時健在であった新治郎の母の目前での惨劇であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/丹羽兵助
丹羽 兵助(にわ ひょうすけ、1911年5月15日 -1990年11月2日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(12期)。愛知県議会議員(2期)。名古屋市内の陸上自衛隊駐屯地で、統合失調症で入院から一時退院中だった男に首を刺され、翌月に亡くなった[1][2]。弟は丹羽久章元衆議院議員。孫に丹羽秀樹衆議院議員がいる。
精神疾患なので、抗うつ薬やら精神安定剤やら睡眠薬を毎日飲んでいる。毎日ちゃんと飲むと状態も安定して普通に生活できる
ただ知り合いとそういう話になるとだいたいの人が「いつか薬無くても生活できるようになるといいね」って言ってくる。いやわかるけど。そりゃああるよりは無い方が健康的なんだろうけど。でもメガネとか補聴器とか杖とかはそんな事言われないじゃん。身体的サポートはノータッチで精神のサポートだけなんか言われるのちょっと嫌だなと思う。自分は一生飲み続けるだろうけどそれでいいと思ってるし。ただそんな事を言い返すのもあれなので、適当に笑って誤魔化している。
Permalink |記事への反応(26) | 16:34
特定の精神疾患名がそのまま当てはまる、というより「認知のゆがみ+被害的・陰謀的思考パターン」です。
医学的に一発で「この病名」とはなりません。
ただし、臨床心理・精神医学ではかなりはっきり分類されています。
という敵味方二分法。
根拠が極端に弱い
本人は「洞察しているつもり」
これは妄想というより
👉妄想“様”思考(delusion-like belief) に近い。
※統合失調症ほど体系化されていない軽症型。
●妄想性障害(delusional disorder)※軽度の場合
ただし条件がある:
それ以外は普通に会話できる
病気未満で非常に多い。
理解より“分類”を優先
⚠️大事な点
こういう人たちは
ではない。
むしろ多いのは:
不安が強い
世界が複雑すぎて耐えられない
「わかった気になる構図」が必要
というタイプ。
自分は字書きだが、以前同じ字書きにゆるパクされて当時は若かったし相手にものすごーく腹が立った
私という小説の作者くらいしか「ゆるパクだ」と感じないレベルだったから凸はしなかった
私がA B C D E F Gのネタを書いたら、相手はBとEとGのネタを拝借して、別の小説を書いてきた
これも作者である私くらいしか「あなた、パクったでしょ」と気づけない程度
赤の他人が私の小説とゆるパクした小説を読んでもゆるパクには気づかない
完全なるパクリにはならない
コピペレベルで文章を真似するとか、赤の他人が読んでも明らかにパクってるなと感じるレベルでなければ、相手を責められない
色々ゆるパクについて調べた結果、ゆるパクされてもとにかく気づかないふりをして、ゆるパク作者は新作を書き続けるのがベスト!!
本当に他人が見ても明らかにわかるレベルじゃないのなら相手を責められないから
同人業界、大手サークルが出した同人誌の内容が複数のサークル主に影響することもあるし
私は弱小字書きだが
まぁ、ゆるパクしてくる人によくも悪くも影響を与えたんだな、私が書いたものはインパクトあったんだな、ということで
相手がゆるパクしたシーンは、相手が私の作品を読んで感動したんだなと解釈する
とにかくゆるパクされても、相手を責められないくらいのささいなパクリ方だったら
私はもう私の小説をゆるパクしてきたサークルのことは一切無視して、
ゆるパクについて調べたら
ラレが筆を折ったり
ラレがシタ側に凸して、シタ側は素直に謝るタイプじゃないから強く当たられて、ラレ側がめっちゃダメージ受けたり、
ろくなことにならない展開が多い
趣味である同人活動で病んで精神疾患になるってむちゃくちゃだと思う
ゆるパクでめっちゃ病むんだよね
ゆるパク凸しても、明らかなパクではないので相手も「パクってない」とキレることが多いみたい
そうなると凸側もむちゃくちゃ傷つくし、めっちゃエネルギー使うし、ラレ側のメンタルがボコボコになる
向こうは平気で人のネタをパクる民度だから、素直に謝られるなんて稀
ほっといたら、自分以外の人の作品のネタもパクってそのうち私以外の作家に凸されて痛い目見るかもしれない
私のネタをパクった人、私のネタは一連の流れがあって、活きるものだから、部分部分をぶつ切りでパクってて、なんか元作品と比べたらビミョーだったし
相手に凸するよりはもう、自分の創作スキルアップに専念して、とにかく上を目指す方がいい
それから、同人以外の趣味を持って、同人への依存を薄くするほうがいい
とにかくプラスのことをやった方がいい
自分のことだけに専念できる
昔はTwitterでたくさんたくさん人と交流して、良いこともあったけど
私には今、子どもがいるから、Xで赤の他人と交流する時間より、自分の子どものほうに自分の手間をかけなければならない
とにかくゆるパクは無視が一番
楽しいことを考えよう