
はてなキーワード:節度とは
暴言や中傷は、放った本人には些細な冗談のようでも、受け取る側には深い傷を残します。タルムードでは、他人を恥ずかしめることは「血を流すこと」と同等の罪とさえ語られます(Bava Metzia 58b)。
言葉で人の顔色が変わる、それはまるで血の気が引くようだからです。
暴言が飛び交う場では、反論したくなるのが人の性ですが、タルムード的には沈黙がしばしば最も強い答えとされます。沈黙は敗北ではなく、魂を守る智慧です。
3. 「争いを平らげる者」になる。
タナハの言葉にあるように、
「柔らかな答えは憤りを鎮める。」(箴言15:1)
このように、暴言が飛び交う場こそ、タルムード的には人間の品位と知恵が試される場なのです。
飼える住環境だったり、適性がある人のところに猫が送り込まれてくるとかいう都市伝説、NNN。信じていない。猫のことをやれ構成員とか諜報員、エージェントって呼んだり、ニンゲンは常に見られているとか、こんなのぎりぎり陰謀論じゃない?
少し前に生後4ヶ月いかないくらいの子猫を拾った。(拾ったていうか、通勤で何回か見かけていた子猫を餌やり好きな近所の人が捕獲して、通りすがった自分のところに回ってきた…という流れだから正確には少し違うんだけど)
たまたま、自分の住んでいるワンルーム賃貸はペット可で、猫じゃらしやら洗いたてのシステムトイレやら、成猫用ではあるけどフードやおやつもある。そこで今は3段ケージで家猫修行中のキジトラが自分の一挙一動を監視している。しかもきょうだい2匹。
猫がいない生活って思いつきで旅行に行けるし、早起きも強制されないし、残業もやり放題で、ここら辺で少し稼いで貯めつつ適度に楽しく使って…なんて穏やかなものだった。2ヶ月弱しか続かなかったけど。
四十九日を過ぎたばかりで新しい、しかも若い猫を連れ込むなんて、君は呆れるだろうか。光源氏でももう少し節度があったんじゃないか?先代って呼ぶにはまだ距離が近過ぎて、冗談に包んだ「〇〇大明神」とか「〇〇大権現」なんて言わないと次のことばが出なくなる。ここ五十幾日は人生迷走していて、家賃を払った記憶が丸ごと抜けていて焦ったり、冷凍庫に記憶に無いパンが入っていたり、挙句の果てには航空券のチケットの姓名を逆で予約したりしていたよ。ここで幼猫2匹抱えてもう一回地に足を着けて生きていけって言われているみたい。この滅茶苦茶が避妊去勢の準備とか、ばりばりのカーペットとか、カーテンは登らないで!に変わるんだろうか。
最近まで一緒に暮らしていたのは、こっちは正真正銘自分で拾った猫で、ずいぶん賢くてニンゲンの言葉を理解し、小さな顔に長い手足としっぽが際立った綺麗な白黒だった。
それが某区猫スラングを使い、寝るとか食べるとかの生活動作以外は「うなる」コマンドで済まそうとする、区中の縞猫を集めたら見分けがつかなそうな柄×2だ。可愛い顔をしてはいると思うけど、保護猫の譲渡会に行くことがあったとしたら、きっと選ばなかった2匹だろうから、何があるかわからない。
こんな調子で本当に「NNN」なる組織があるというなら、一生であと何匹の猫に捕まるんだろう。今回と前回はただ偶然の、星5を連続で引いた事象であり再現困難であって欲しい。思えば自分の親も猫を複数回拾った人だった。末代まで祟るって、もしかして子々孫々纏わりつき倒すって意味だったんだろうか。
そろそろ家を買うのもありだななんて思って不動産探しをしていたところだから、複数飼育可の細則で、猫用ドアの設置も検討する必要が出てきた。嘘みたいなタイミング。こうして人は陰謀論者になるのかも。
元気かどうかは日によるけど、後輩どもを何とか立派な家猫にしてやるから、見守っていてくれよ。万が一の次の話だけど、君の生まれ変わり以外を送り込むのは、どうかご海容ください。
建久六年九月二十三日、晴。都の東、秋葉と称する地に、かつて群集せし者どもの事。かれら、若き日に「我こそは世の主役たらん」と声を揃へ、電脳の祭壇に集ひ、奇異なる装ひにて舞を舞ひ、「麻生を讃へん」「オタクは麗し」と叫び、虚飾と欲に心奪はれし者なり。街路には色鮮やかなる絵巻の幟立ち並び、怪しき音曲響き合い、かれらは夢幻の世に醉ふが如く、夜を徹して彷徨ひけり。
されど、年月無情にも流れ、四十路に及び、髪は薄れ、かつての志は色褪せ、心は虚し。秋葉の地にて、かれら、紙に描かれし美姫を求め、電脳の網に縋り、名声と女人の歓心を欲せしが、何一つの技も身につけず、ただ見栄と欲に溺れしのみ。或る者は、情報工学の道に踏み入りしが、心底志なく、ただ金銭と誉れを追い求め、知識は錆びつき、口にするは虚しき自慢話。「我、塔の館に住む」「財を成せり」と語るも、里人は顧みず、嘲笑を浴す。
同日、秋葉の街路にて、かつての祭りの残響を追い、色褪せし者ども、なおも怪しき絵巻の前に佇み、過ぎし日の栄光を求めんとす。されど、若き女たちはかれを見て恐怖を抱き、遠ざかる。里人、かれらを評して曰く、「斯様な者は社会の塵にすぎず、秋葉の祭壇に迷ひし亡魂のごとし」と。かつて高らかに「我は凡夫にあらず」と叫びし者、今や巷の嘲笑の種となり、電脳の闇に怨嗟を吐き、世を呪うのみ。
斯の如く、秋葉の地に集ひし者ども、欲に溺れ、己を省みざるが故に、終に世の底に沈む。されど、里人、かれらをただ嘲るのみならず、憐れみの心も持つ。忠義と節度を重んじ、志を磨くべし、と語り合ふ。されば、秋葉の祭りは、人の心の盛衰を映す鏡なり、とぞ。
『ぼざろ』『虎に翼』の脚本家吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性”
https://kai-you.net/article/93374
https://x.com/MIKITO_777/status/1967529258131374508
・吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは「キャラが性的に消費されること」だ
・公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです
・アニメの表現だからってなんでもありじゃない。“絵だけど、未成年だぞ”って考え方は大事にしています
・水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました
・そういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです
・「現実ではそんな会話しない」
・“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”など
・制作の段階からこれなら覇権が取れるって思える作品なのに、そうしたノイズがあると多くの人に見てもらえなくなってしまいます
・ギターを弾きながら胸が不自然に揺れ続けるみたいなことはない
・そういう描写があったら私は幼い息子にその作品を見せるのを躊躇する
・自分の子どもに見せられるかどうか、というのは大事にしている
・作品ごとの必然性や適切な表現にこだわるのは、アニメに対する危機感にも似た特別な思いがあるから
・1%の過激な人が何かをしてしまうことで、アニメ文化が途絶える恐怖を感じている
・過激な作品やR18まで振り切ったものがあってもいいですし、やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わることもある
・主人公の体型(スタイルが良い)設定がカット(または表現してないだけ説もある)
・↑と併せて、バンド仲間が「主人公のスタイルが良い」と気づくシーンをカット
(他にもあるかも)
批判側の論拠
3.原作改変の理由が、性的搾取、暴力性、加害性といった考えであったこと(脚本家がフェミニストであったことも影響)
4.原作改変の理由が、「自分の子どもに見せられない(4歳)」であったこと(息子に思想教育していたことも影響)
5.原作改変の理由に、「覇権を取るため」という表現したこと、転じて「改変したから覇権取れたと思ってるのか?」という批判
擁護側の論拠も含めて、一つずつ整理する
擁護側の反論:「それを売りにしている作品でない」からカットで妥当
批判側の意見:原作者が本音で話してるとは限らないというのをセクシー田中さんで学ばなかったのか?
批判側の意見:「女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写」などない
批判側の意見:原作でも「ギターを弾きながら胸が不自然に揺れ続ける」みたいなことはない
批判側の意見:「現実ではそんな会話しない」は原作否定、上から目線に見える
批判側の意見:「幼い息子にその作品を見せるのを躊躇する」に対し、幼い息子は本作品のターゲットではない
批判側の意見:「やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わることもある」に対し、きらら系を誤解している、私物化との意見
批判側の意見:Tiger&Bunnyでは男性を露出させている、ダブスタだ
擁護側の意見:ぼざろは成功したんだから、脚本家の功績もあったのは間違いない
批判側の反論:ぼざろがウケたのは脚本以外の部分だ、手柄を横取りするな
吉田氏の過去の経歴から、強いフェミニスト思想があることがわかっています
批判側の意見:性的搾取(搾取)という言葉は国際的に定義されていて、そういう意味ではないので安易に使わないでほしい(性的な目的のために相手の脆弱性、権力格差、または信頼関係を濫用する行為、あるいはそれらの試み)
批判側の意見:原作は性搾取してるっていうこと?読者は性加害者っていうこと?
批判側の意見:ぼざろはそもそも4歳男児が見るようなものではない
批判側の意見:その改変があったから成功したと思っているのか?
https://x.com/ondarion/status/1967783597097750981
https://x.com/kafunsyokougun/status/1967781017974157366
→ 私は詳しくないので割愛
→ 私は詳しくないので割愛
個人的にはフリーレンの方がより老若男女+世界中で見られていると思います
総合すると、これらの判断はともかく言い出しっぺは吉田氏だったのだろうと推察されます
・「覇権のため」について
→ 制作陣が覇権を目指していたというのは聞いたことがないんですよね
良いもの作ろうとした結果つらい現場になったという話はあった(【緊急】「ぼっち・ざ・らじお!」【特別編】)
あとの話を見るに、吉田氏の野心から来ていたものと推察されます
「覇権のための改変」というコンセンサスは無かったんじゃないでしょうか?
→ 主人公の胸がナーフされたあと、Twitterに露出の高い主人公の絵を投稿した件について言及してる人が居ますね
個人的には原作読者をなだめるとかそういう意図だと思いましたが
→ ぼざろ2期決定Tweet=37万いいね に対して、「ノイズは一線を超えている」Tweet=11万いいね
なので1%ではないかと
その他、頓珍漢な意見は除く
とりあえず2期はスタッフガラッと変わるらしいし、適材適所ってことでいいんじゃないでしょうか?
今回、Xを見て思ったんですが、はてなよりXの方がマシですね、いつもは逆なんですが何でだろ?
お前の普通が見せパン履いてたら中見られたり撮られたりしてもしかたなしって阿呆なのはよくわかった。
見せパン履いてるのは自衛なの、下着、最悪局部をさらすことがないように防御してんの。
囲みで許可取るのは現実的じゃないから何でもしていいわけじゃないから。
知らん奴はやらせてくれたからお前もいいだろ?にはならんだろ。
誰も良心に訴えてないじゃん、レイヤーももっと意識上げて自衛なりする、カメコはルールと節度を持った一般社会人に戻る、
運営は問題提議を改めて行って改善するためのルール作りをする。
さて、昨今、職業作家の方々によるSNS等インターネット上での発信が、予期せぬ炎上やトラブルに発展する事例が相次いでおり、業界内でも深刻な問題として取り上げられております。弊社といたしましても、この状況を重く受け止めております。
SNS等を通じた情報発信は、作家様ご自身の表現活動の一環であり、原則としてご本人の責任において自由に行われるべきものであると考えております。しかしながら、その影響力の大きさゆえに、些細な投稿が思わぬ波紋を呼ぶ可能性がある点について、今一度ご認識いただきたく存じます。
つきましては、特に以下の3点につきまして、一般的に問題視される傾向がございますため、慎重にご対応くださいますようお願い申し上げます。
・読者からの感想・レビューに対する、個人的判断による通報や削除要請
上記のような行為につきましては、読者や関係各所に誤解や不安を与え、結果として作家様ご自身や弊社の信頼に影響を及ぼす可能性がございます。
また、これらに該当する行為が継続的に行われ、弊社からのご指摘にもかかわらず改善が見られない場合には、誠に遺憾ながら、事前の予告なく出版契約を解除させていただく場合がございます。何卒ご了承ください。
なお、上記に限らず、SNS等でのご発信にあたっては、法令および社会的倫理を意識した節度あるご対応を、今後ともお願い申し上げます。
https://anond.hatelabo.jp/20250731222125
穢れやスティグマ思想が嫌いって、言わんとしてることは分かるし個人的な思想は良いと思いますよ。
でも、おまえは自分が何の商売をしてて、どういう売り物を扱ってるのか、理解が浅いんじゃないか?
私も都内のブライダルの現場で、制作関連の仕事をしてます。主に映像や写真といったクリエイティブ関連を取り扱ってます。
たとえば式で流すムービーを制作するため、新郎新婦の思い出の場所でカメラを回してきたり、インタビューを撮ったり。
新郎新婦の要望から前撮り後取り等ウエディングフォトを撮影するプランを立てて実行したり。
特殊なケースだと配布するオリジナルグッズを手がけたり。式場で扱う音楽や映像の権利関係の申請や交渉なんかもする事がある。
この増田は実に高潔な装いでスティグマだの職業差別だのと理屈をこねてるが、個人の意見ならともかく、ブライダルの現場にいるプロとしての意見ならば看過しがたい。
私たちは家電やスマホみたいなスペックを売ってるのではなく、“幸福のイメージ・象徴” を作り上げるのであって、イメージやブランドが損なったり変わったら商売にならんのですよ。
そういう意味では、三上悠亜および貸衣装屋の投稿は、ブランドというかトンマナを変えるインパクトがあるものだ。
あれはラーメン注文して寿司が出てくるレベルでおかしい。お客様が求めてるブランドを一貫させるのが、プロとしての誠意でしょう。
そもそも、こと恋愛や結婚において、すべての人は差別的である。
身長がXcm以上じゃないといやだ、家事ができる人じゃないといやだ、部屋がきたない人はいやだ、大学を出ていないといやだ、処女/童貞じゃないといやだ、精神疾患をかかえてるひとはいやだ、育った土地が近くじゃないといやだ、年収がX以上じゃないといやだ、借金があるひとはいやだ、、、etc.
あらゆる条件でふるいにかけられた結果、人と人は添い遂げることが成り立つ。
その集大成というか、人生の区切りとして、結婚式という一大イベントがあるわけ。
新郎新婦が考える「いやだ」を極力排除して、幸福のイメージを作り上げた先に、式の成約がある。これから先、何十年と生きる人生の節目として作り上げた結婚式の思い出に、「いやなこと」が入り込む隙があらば、破談となる。
「元AV女優が着た衣装と同じものはいやだ」と言われたら、それまでなのよ。
そこで衣装屋が「契約違反です、キャンセル料払ってください」って言う事もできただろうが、そもそもそんな事をしたらそれこそブランドが終わる。
……と思うが、三上悠亜のファンが衣装を借りる可能性もあるので、経営的な意味では天秤かなとは思います。ただブランドの方向性は変えてプロデュースする必要がある。
なお私はトラブルを起こした貸衣装屋については「プロ意識が足りないな」とは思うけれど、ああいう投稿をするという方針自体は理解できます。認知度ほしいもんね。
ただし既存のお客様との住み分けを考えてデザインする必要があるでしょうね。
そもそも恋愛と結婚は、あらゆる差別を内包している。だから差別だのスティグマだのどうこう言っても、前提が「あらゆる人を差別して選んだ特定のパートナーに生涯を誓う」って時点で、もうね、最初からゴリゴリの選別の上に成り立ってるですよ。
まぁ、はてなの人たちは男性が多いのか、「職業差別は良くない」みたいな事書いてるけれど、はっきり言って机上の空論も甚だしい。だが、素人なのでしゃーないかなとは思う。
どうかあなたは分け隔てなく、あらゆる人と接してください。
だがプロのブライダルの営業名乗るやつがスティグマだの何だの言うのは欺瞞でしかないですね。
百歩譲って同意しうるのは「このような発言をXに書き込むのがいけない」「黙ってキャンセルすべき」って意見は、まぁ節度ある社会人として分かる話ではある。
ただその発言に対する批判を甘んじて受け入れる覚悟で、投稿・表現することは、そのお客様の自由でしょう。以上です。
(なお元の増田の投稿は、私はブライダル業界の人かあやしいよなとはぶっちゃけ思ってます。ただ色んな人がいるから、こういう人もいるのかもね)
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500以上のブクマが集まった。いろいろな意見ありがとうございます、どれも興味深く読ませていただきました。
私の投稿は元増田である元AV女優がウェディングフォト用ドレスを着て忌避される件についてブライダルの現場からへの反論として記した。なぜなら、この文章を何度読み返してもブライダルの現場で働いているタイプには思えなかったからだ。個人の体験・経験からそういう思想に至る人がいてもおかしくはないが、この仕事をする人間が共通して持つべき価値観とは離れている。祭事の世界で飯食ってる人間としては、かなり違和感を感じる。
これは同業じゃないと理解しがたい感覚だと思う。たとえば「痩せる薬、副作用ナシ!」の広告を薬剤師が見て「そんなわけないやろ」と即断したり、「革命です!これからの時代はホニャララAIですべてが変わる!」って断言するXの驚き屋を見たITエンジニアが「う~ん。そういうこともあるかもしれないけど、まぁ言い過ぎじゃね?」みたいな冷めた反応するでしょ。あれに近い。
とはいえこれは文章の重箱の隅をつついて「ここはこういう表現しないだろw」みたいな指摘しても、周りには全く伝わらないし、確たる証拠にもならん。
しかしながら、ブライダル業界人名乗るやつがこんな文章を書くわけねーだろ、嘘つき。釣り師。と強く思ったことは、ここに記しておきたい。
一方、はてぶのコメントを下さった素人の方々の意見などは、どれも何度も読み返させていただいた。ありがとう。
AV女優とブライダルの組み合わせがサンポールとキッチンハイター混ぜるレベルで食い合わせが悪いって感覚は、きっとブライダルから縁遠い人には分からないだろうな、とは思った。勘違いブクマが多いが、これは「AV女優は結婚式に来るな」という話ではなく、ブランドの方向性の話であり、広く言うなら宗教と文化の話だ。TPOと文脈(コンテキスト)の問題とも言える。
当然ながらAV女優であろうと誰であろうと、結婚式を催すことを断るわけがない。だが広告表現においては適切なコミュニケーションデザインが必要だという話。(ここまで書いても伝わらない人には伝わらないのだろうか……?)
私たちは新郎新婦と参列者の方々が納得する式を作る必要があるし、催事の写真が50年後100年後に見られたときでも、堅固なる象徴として形作る必要がある。いくら差別的と言われようと、その象徴(虚像ともいえるかもしれないw)に性産業者が入る隙間は、ないのですよ。
くだんの衣装屋は、最初から「三上悠亜プロデュース」として衣装を売って通常のウエディング用ドレスではないブランドにするか、
あるいは衣装は同じでもティアラなりチョーカーなりを組み合わせたセットを作って「三上悠亜専用モデルです。これは今まで貸し出していたドレスとは違うモデルです」って形にしてブランドを分離する必要があったと思う。
ブライダルの現場では、新郎新婦こそが差別を受けレッテルを貼られる対象であり、その"しこり”を和らげ、装飾する必要がある。だからブランドには一貫性が必要であり、途中からイメージを変えることは許されない。途中から元AV女優を前面に出した広報は明らかにイメージに変化を与えるものだと思う。
そういう視点が多くの素人には欠けてるし、男性はなおさら理解しがたいかもしれない。でも、元増田は「格好良くないですか?フェミニンで、セクシーで、きちんとドレッシーじゃないですか。プロが仕事をして、きちんと仕上がってるんです。」なんて書いてるが、おまえはどういう思考でその文章に至ったとは小一時間問い詰めたい。その写真は誰に向けたモノとして作った・発信した想定なんですか?
てか、誰も指摘してないけど。三上悠亜と衣装屋が投稿したフォトは、凡庸ですよ。単品で見てもクォリティが優れた写真ではないですよ。
おそらくイベントの休憩時間によさげなシチュエーション探して、螺旋階段が一番マシだったからそこで撮ったんでしょう。左下の小物片づけてないし、ライトも持ってきてないよね。あの薄汚れた床と背景は何なんだ?背景の余白は何の意味があってそうなってるの?トリミングやレタッチしてごまかすことすらしていないよね?結論、プロが準備した写真ではまったくない。いったいどこが優れてると思ったんだ?この一点だけ指摘してもおかしいレベルで、元増田は素人ですよ。
皆さん、耳障りのよい釣り師に騙されないでくれ……。
最後に改めて、重ね重ねコメントを下さった皆様には感謝したい。
いろいろな人が自分なりの意見を表明するのは承知だし、その言葉にはそれぞれの信念がある。
私の投稿が伝わらない人には、きっと伝わらないだろうが、それはそれだ。
これもまた社会であり文化だと思う。その意見を、私は感謝し、愛おしいと思っている。
君は君、我は我なり、されど仲良き。
皆様に幸あれ。
Permalink |記事への反応(30) | 13:55
モラル・ハザード(英: moralhazard)には、以下の3つの異なる意味がある。ただし、3.の意味は英語の「moralhazard」にはなく日本独自のものであり、誤用とされることが多い。また、論者によって意味が大きく異なり、扱いの難しい用語である。
プリンシパル=エージェント理論。経済学のプリンシパル=エージェント関係(「使用者と被用者の関係」など)において、情報の非対称性によりエージェントの行動についてプリンシパルが知りえない情報や専門知識がある(片方の側のみ情報と専門知識を有する)ことから、エージェントの行動に歪みが生じ効率的な資源配分が妨げられる現象。「隠された行動」によって起きる。
保険におけるモラル・ハザード。保険に加入していることにより、リスクをともなう行動が生じること。広義には、1.に含まれる。
倫理の欠如。倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的な責任を果たさないこと(「バレなければよい」という考えが醸成されるなど)。
心ある人は君をゲエジとしか見ないよ
正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。
もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。
こちらも可能な範囲で言葉を尽くすので、「腐女子の功罪」について共に今後も考えて欲しい。
もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。
0.著者は何者だ?
自分は世紀末〜平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマの描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。
世紀末のアニメや漫画はキッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。
続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。
このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。
ライブ感優位の物語が摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。
時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式/非公式問わず)カップリングさせ、恋愛やエッチなことをさせたいと思う女性」とする。
確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。
自分はテニプリの個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉の黎明期だったのではないか?と見ている。
ボーイズラブ(BL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。
公式コミックだと思って購入したマンガが18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?
人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式で恋愛関係、結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。
とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。
3.腐女子って変化してんの?
平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。
また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼、聖闘士星矢などが晴海の同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。
で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。
腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。
だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしか生まれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばしてしまう。
そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。
男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマ、ニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク=犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。
自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性の表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。
教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。
彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクにだって居場所はあるのだと。
前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。
どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。
ある。
というか、「腐女子」という言葉が生まれてから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。
少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトのジャンル変容を添えて教えて欲しい)
わかる、めっちゃわかる。
だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。
当然である。
それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタクは!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ。
引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。
『腐女子』という言葉の発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。
腐女子を名乗れば、強くなれる!
自分は腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。
平成初期、まだ昭和の価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然と蔓延っていたのがオタク世界のインターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクのオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。
そもそも「PCという高額商品とインターネットに月額課金」という特殊な環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。
人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?
そんな時代にオフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。
(参加した事ないけど一緒にtalk!時代のガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)
ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性にしかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。
上澄はとことん品位があったものの、底辺はマジで救いようがなかった。
中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代のインターネッツだ。
こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。
下ネタで絡まれ、マウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。
ポイピクなどで見られる「パスワード」機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタク達から身を守るために必要とした防衛機能の名残である。
誰かと繋がりたい。
でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。
当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラや人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。
ただイラストを描いただけなのに。
ただ感想を書いただけなのに。
女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタや嫌がらせのコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。
ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。
「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?
わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw
あ、文字読めねぇのかwwww」
こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉なアイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。
というか、この『腐女子』という言葉のインパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。
それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。
そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。
同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク=腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれてしまったのも痛かった。
ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラルに勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。
女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。
多少は本命の女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…
これが平成初期女児向けコンテンツのスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。
筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。
ディズニー黄金期のリトル・マーメイド、美女と野獣、アラジンの3コンボと派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナはウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラとかめっちゃ捏造して遊んでた。
そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代の存在を否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクターや女性読者との関係を否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子は原作の敵」に見えてしまうのである。
そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。
それが省略されて夢。
男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分の名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットとホームページ制作ツールの進化によって可能になった。
それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラやゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクがじわじわとケータイサイトを中心に姿を現し始めた。
同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様系女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。
しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。
筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様系女子は間違いなく存在した。
そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である。
かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。
ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。
これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。
しかも夢女子は腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである。
夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子の名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。
ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想や公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。
「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである。
で、その視点から見ていて夢女子も腐女子も「推しキャラ」という存在にめっちゃ入れ込むタイプのオタクという点では似てるよなぁと感じている。
たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。
キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味ないかなとは思う。
思うのは仕方ないし、内心の自由だし。
ただ個人的には、BLだろうと18禁要素や肌色多めのコンテンツが年齢制限なしに買えてしまう状態はどうかなと思っている。
Q.
ある政治家が対立する政治家について「(内面も)醜く奇妙な生き物」と評価したことが議論を呼んでいます。発言した政治家は「外見のことを言ったのではない。行動が醜く奇妙だと評価しており、政治家への批判として妥当な表現だ」と補足したのですが、この主張についてどう思いますか?
A.
この政治家の発言とそれに伴う主張について、いくつかの観点から考察します。発言そのものの問題点まず、「醜く奇妙な生き物」という表現自体が、たとえ内面を指していると弁明したとしても、多くの問題を含んでいます。非人間化(Dehumanization)のリスク:相手を「生き物」と表現することは、相手から人間性を剥奪し、議論の対象ではなく破壊や排斥の対象と見なす非人間化のレトリックに繋がりかねません。これは、健全な民主主義の基盤である、相手を対等な議論のパートナーとして尊重する姿勢とは相容れないものです。歴史上、このような言葉が深刻な対立や暴力を助長した例は少なくありません。言葉の多義性と意図: 「醜い」という言葉は、外見と内面の両方を指しうる多義的な言葉です。発言者が「内面のことだ」と限定しても、聞き手が外見への侮辱と受け取る可能性を排除できません。特に「(内面も)」という補足は、「外見が醜いのは当然として、内面もそうだ」という含意だと解釈される余地を大きく残しています。本当に内面だけを批判したいのであれば、誤解を招くこのような表現を避けるべきでした。「政治家への批判として妥当」という主張について次に、発言者が「政治家への批判として妥当な表現だ」と主張している点について考察します。批判の自由と品位:民主主義社会において、政治家の行動、政策、資質に対する厳しい批判は、国民の知る権利に応えるものであり、広く認められるべきです。しかし、その批判が単なる人格攻撃や罵詈雑言に終始する場合、それは建設的な議論とは言えません。公人である政治家には、その影響力の大きさに鑑み、一定の品位と節度が求められます。議論の質の低下: このような感情的で侮蔑的な表現は、政策や理念といった本来議論されるべき本質から人々の目をそらし、不毛な人格攻撃の応酬に終始させる危険性があります。これは、政治不信を助長し、社会全体の議論の質を低下させることに繋がります。結論として発言者が「内面の行動を評価したものだ」と主張したとしても、「醜く奇妙な生き物」という表現は、以下の理由から政治家への批判として妥当とは言いがたいと考えられます。相手の人間性を否定する表現であり、健全な議論の前提を破壊する危険性があること。外見への侮辱と受け取られる可能性が極めて高く、意図がどうであれ、結果として人格攻撃になっていること。建設的な政策論争を阻害し、社会に不必要な分断や対立を煽る可能性があること。政治家への批判は、その行動や政策に対して、具体的かつ論理的に行うべきです。今回の表現は、たとえ発言者にそのつもりがなかったとしても、表現の選択として著しく不適切であり、批判の妥当性を大きく損なうものと言えるでしょう。
某趣味の界隈で
「自分でもここまで夢中になるなんて思わなかった、自制効かなくならない方法ある?」
という相談を受けた
という答えしかできなかった。
上手く要約して直接伝えられなかったから、思考整理も兼ねてここにたれ流す。
ここで「気にせず突っ走れ」「何とかなるさ」って言われて
それでそれを信じて何も考えずに突っ走るようなバカが自滅したとして
なら最初から突き放した方が幾分かマシで、それは単純にこっちの都合だよ
女の愚痴と同じで相づち打って聞き流してればいい程度でしかない
自制できないような人間は節度も守れなくていつかトラブルになる
それがニュースになってその趣味自体のイメージが悪くなるくらいなら
いっそ趣味としても性癖としても足洗ってくれた方がぜんぜん助かる
こればっかりはもう本人には何言ってもムダで、周囲の友達とか親になんとかしてもらうのを期待するしかない
ネット越しの知らない相手ならこっちからできることが無い以上は単純に交渉術にしかならない
まともな大人ならこれくらいまでは考えてるよ
「趣味の範囲」ってやつを逸脱しなければある程度は目をつぶり合えるのが日本人だ
害がなければ許容する、悪だと判断されればストレス解消も兼ねてフルボッコされる
少なくともここは多数派の社会であって、少数派が堂々と生きられる場所ではない
むしろ譲歩の姿勢を見せてるのに叩かれれば、こっちにちゃんと同情してもらえる
(それを分かってやるぶんには)どこまでも好きにしていい
ただそれだけの話だよ
というか、この言葉の意味と重さを理解して初めて大人なんだと思ってる
自立を意識しないで生きていけてるって言うのは幸せなことだけど
保護者の言うことは聞かなきゃいけない
『黙認』は『許容』ではない、『様子見』られているだけ
何かあればすぐ動けるように準備と根回しはされているだろうし
全部自分でやるって意外と難しいし、たとえば40過ぎても知らなかった事なんてのもいくらでもある
普通そこまでちゃんと考えられるなら自分の感情論だけで突っ走ったりなんか間違ってもできないよ
MAGAがヤベーのは世界最強のキチガイ国家の舵をうっかり握ってしまったからである。
反知性主義とか代表の放言癖などのイメージを重ねて参政党をMAGA同様に危険視する向きがあるが、本質的には別物だと思う。
参政党はウケーカや大陰謀論時代の申し子なのか?そういう面もあろうが、より正確には政治空間の多極化のいち断面である。
なぜ政治空間は多極化したのか?わかりきった話で、ネットのせいだ。既存メディアの地位が下がり個人が強くなったから。あとアメリカが弱くなったから。この2点しかない。
政権与党とは国の利権のごっついとこ握って、握りつつも貪りすぎない節度を持つ(ボンボンだからがっつかない)エライ人たちである
…というのが旧来のイメージであり、いまだに自民が唱えてる「責任政党」とかいうフレーズの意味するところもそういうことだ。
エスタブリッシュメントに盲判で権力を預ける時代なんか終わりに決まってるじゃないか。
そして変な党が出ては消える時代に入る。連立は必然だろう。不断の離合集散の始まり。それはつまり民意を反映する政治の解像度が上がったということでもある。
まだ同じグループの他メンバーを推しているので、その人の情報はかなりしっかり入ってくる。
今思えば、昔から危うい人ではあった。
他人からの誘いを断らなさすぎることを、他のメンバーに「ちゃんと断った方がいい」と怒られていた。
ファンの1人からでも文句が出るくらいなら、全員から褒められない方がまだマシ。
「俺なんか」が口癖。
また、気がつくと他のメンバーの言った言葉を、自分の言葉のように使っていたりする。
それも、自分が他人にはみ出すのではなく、自分が他人に侵食される形でズレているのだ。
他のオタクが言っていた「鏡のような人。相手の願望を汲み取って、変幻自在に求められる姿を映す」という言葉が頭に残っている。
学歴でどうこう言うつもりはないが、それ相応だった。飛び抜けてアホでもないが、少なくとも賢くはない。
文章を読むのは好きなようだが、言葉の使い方が間違っていることもよくある。
そんな少し抜けていて、自己犠牲的で、自信のない推しが可愛かった。
そういうところを可愛いなんて言葉で消費したオタクが悪かったのかもしれない。
やけに自信を持つように変わったのは、いつからだろう。
全曜日レギュラーを制覇した時か、メンバー脱退の時か、経済番組を始めた時か、サラリーマンになった時か、出資を始めた時か。
自信を持つことは悪いことじゃない。
最初はそう思っていた。
多分、もてはやされすぎたのだ。
自信のない少しおバカな男の子が、そのまま40になって、芸能界屈指の地位と名誉、そしてお金を手に入れてしまった。
そういうことだったんだと思う。
彼の初めの出資先の一つは、かなり怪しい寄付プロジェクトだった。わりと炎上した。
これについては不快で耳に入れていなかったので詳しい部分は説明できないから、勝手に語るのはやめておく。
また、気がつくとAI開発にも手を出していた。彼のソロプロジェクトで、やけに特定の会社(しかも1ミリも聞いたことのないベンチャー企業)のサービスが使われるようになった。どうやらその会社に出資しているらしいというのが分かったのは、後からだった。
こちらも最初はそこまで違和感なかったのだが、今かなり怪しい動きをしている。
具体的に言うと、
・チケット申込サイトも独自に作成(なぜかGoogleフォーム)
・申込フォームがほぼ手入力、かつ画面側での入力値チェックがほとんどないという、ヒューマンエラーを想定していない仕様(まぁGoogleフォームだからな)
・予想通り、ヒューマンエラーによる申込失敗、確認のための問い合わせが増加
・問い合わせが増加したことに対し、「良識と節度ある問い合わせを」とか言い出す(この辺でうっすらヤバいなと思い始めた)
・購入に関しても、ヒューマンエラーによる失敗が多数発生。問い合わせが殺到したことに対し、注意喚起のような高圧的な文面で一斉メール(「ここまでご案内した対処方法を実施された多くの方が、無事に購入を完了されております。 」と、普通にやれば出来るだろアピール)
・上記の購入失敗事例を一斉メールしたことで、間違えて複数回購入してしまった人が発生し、それに対して他人後のような文面(明らかにお前の注意喚起のせいだろ。ちなみに謝罪なし)
・一連の申込フローに対するクレームが増加したことに対し、再度「マナー」という文言を件名につけて再度一斉メール(クレームが多いことへのクレームってすごい、しかも結構自業自得なのに)
前の事務所なんて、高校生の世間知らずな私が間違えて二重振込みをしてしまった時に、向こうから電話をかけてきて、親切丁寧に返金を受け取れるように説明してくれた。それを標準的にやれとは言わないが、あまりにもギャップが大きかった。
とにかく一貫して、間違う方が悪い、言う通りにすればできるだろ、という態度が滲み出ているのだ。
チケット購入までの作りがどう考えても、一般向けじゃない。不親切。
B to CのサイトをSEのデジタルリテラシー基準で考えるな。利用者は間違うものだ。
しかも推しのファンの年齢層的に、結構IT弱めの層がいることは、少しでも調査すれば想像がつく。
ていうかそもそも、ドーム公演やってるアイドルだぞ。たとえファン全員が20代だったとしても、それだけの人数がいれば、申込サイトの使い方を理解するのが下手な人なんて確実にいるだろ。
注意喚起しなければいけないほどヒューマンエラーが多発しているのであれば、それはシステムの設計が悪い。
ヒューマンエラーがごく少数なのであれば、全体への注意喚起メールなんて送らなくていい。
どちらにしても、対応が悪すぎる。
客をなんだと思っているんだ?
しかも、クレームが上がっている旨を推し本人に伝えているらしく、本人から「公演内容以外の部分は温かい目で見てほしい」というようなメッセージがあった。
いやいや、むしろ公演内容こそ実験的なものでも推しさえ出てれば温かい目で見守るけど、チケットサイトで客使ってテストすなよ。本番やぞ。
せめてまず実験するとしても、チケットの受け取り方法だけNFTを導入して、販売は通常通りぴあに委託しますとかだろ。リソースや経験がないなら段階を踏みなさい。
そのレベルのチケットサイトすら作れないなら、自前で開発しようとすんな。
とにかく、普通なら「あれ?」と違和感を感じるような会社(あるいは人?)に対し、出資するという判断をしてしまう推しの判断力のなさ。
あるいは騙されたのかもしれないが、騙されたことを見抜けない推しの愚かさ。
別に推しの判断力のなさも愚かさも今に始まった事ではないが、恐らく不相応に富や名声を持ちすぎたのだ。
出資というと聞こえはいいが、上手く騙されて乗せられて金を吸い取られてしまって、社長とかいうハリボテの立場だけを得たのではないかと思う。
そう考えると、やけに毎回出資先のオタクへの態度が高圧的なのも理解できる。きっと推しも同じように押し切られたのだろう。
まぁここまでなら、ただ単にクソみたいなチケッティングでしたという、オタクの愚痴あるあるなのだが、他にもうっすら気になっていることがある。
なんなら、こっちの方が雲行きが怪しい。
というのも、推しが最近、小麦アレルギーだと診断されたと話している。
公表していなかったところを公表したとかではない。そもそも、彼はうどんやパスタが好きで、それらを食べているシーンもたくさんあった。
そばも十割蕎麦などではなく、立ち食い屋さんで食べるような、恐らく蕎麦粉の割合が5割以下の普通の蕎麦だ。
いや、麦焼酎はギリいけて、小麦製品はダメなんですとかなら分かる。少しでも麦が入ってたら口にできませんも分かる。
どら焼きがいけて麦焼酎が無理はどう考えてもおかしいだろ。しかも40超えて急に。
しかも、話ぶり的に、検査をして初めて分かったというような感じのだ。
恐らく血液検査なのだと思うが、症状の出てないものに対してアレルギー検査をするのも、その結果だけを踏まえて対処するのも、微妙に引っかかる。
また、病院のことを「クリニック」と呼んでいて、しかも、どうにも普通の診療とは思えない生活面の細かいところまでアドバイスを受けているようなのだ。
一つ一つは取るに足りないことだが、全体的に様子がおかしい。この感じ、伝わるのだろうか?
考えすぎかもしれないが、「先生」とやらが、推しを周りから孤立させるために、アルコールや小麦製品を控えさせる方向に扇動しているのかもしれないと思っている。
特にメンバーがお酒(中でも麦焼酎)が好きなので、メンバーから距離を離す意図があったのではないか?と。
この出資とアレルギー、2つの件が繋がってるのかは分からないが、とにかく、膨大な資産と共に社会に無防備に放り出された推しが、魑魅魍魎に絡め取られようとしているような気がするのだ。
オタクは無力だ。
救う必要がないなら、それでいい。
杞憂ならそれでいいんだけど。
SNSで絵を見てると「えっこれ全年齢なんだ…?」ってなるやつ多すぎない?
服は一応着てるけど肌色面積9割とか、輪チラとか、構図がもう完全にアレとか、明らかにR18ギリギリのやつ。
でもタグ見ると「全年齢」とか「健全」って書いてあるし、作者も「これはセーフ」って顔して出してる。
いやいやいや、それ全裸じゃないからセーフって、小学生の言い訳じゃんって話なんだけど。
そういう絵が「全裸じゃないからセーフです」「乳首見えてないから全年齢です」みたいな顔して堂々と出てくるの、正直キツい。
あのさ、それって見た目がセーフならなんでも通るって思ってるってことだよね。
逆に聞くけど、性的な意図がバリバリ伝わってくる絵が、肌色面積や局部の非露出だけで本当に全年齢って言えるの?
X(旧Twitter)で垢凍結
PatreonとかFantiaでのチェック厳格化
App Store/Google Playの規約に引っかかってアプリ停止
原因の多くが「ゾーニングがちゃんとされてない」「見えるとこにエロ出しすぎ」ってやつ。
つまり、「全年齢の場にそれ出す?」って問題が積もり積もって、今界隈ごと締め付けられてるわけ。
「表現の自由がー!」って言う人もいるけど、そもそも自由って無制限じゃないんだよ。
自由ってのは、「自分で線を引ける能力」がある前提で成り立つもので、
なんでもかんでも「これはギリセーフだから」って言い張ってたら、そりゃ外からでかい線引かれるに決まってる。
つまりさ、「ゾーニング」とか「R18タグ」とかって、自分たちを守るための仕組みなんだよね。
でもそれを全年齢タグで出すのは違うでしょってだけ。
自主規制とかゾーニングって、ダサいって思われがちだけど、実際は自由を維持するための武器なんだよ。
見た人が「これは健全です」って錯覚しちゃうようなギリギリ絵が増えれば増えるほど、「じゃあもう全部規制しろ」って声がデカくなる。
本気で自由守りたいなら、こっちから線引いて「これはR18です、こっちは全年齢です」って堂々と分けていくほうがよっぽどかっこいい。
でもギリギリを攻めるってことは、「これはギリR18寄りかもな」って認識も持っておくべき。
それを「これはR18じゃないです!全年齢で見てね!」ってタグつけて出すのは、責任放棄以外の何者でもない。
そしてそれが積み重なると、界隈全体に規制のブーメランが返ってくる。
ほんと、自分の絵が「どこまで見せていいものか」を考える習慣がないなら、
ぜんぶOK。でも、線を引けない人たちが暴れた結果、その自由ごと消される未来が見えてる。
だったら、自分のためにも界隈のためにも、ちょっとの節度持とうぜって話。
駅前の小さな小屋か倉庫のような喫煙所が清掃中だったんだが、そこに9人も並んでいた。
煙草ってそこまで良いものなのかなといつも思う。かく言う私も、そんなに良い物なら試してみようと思って手を出してみたことはある。2、3箱分ぐらい吸ってみたのだが、結論として何が良いのかさっぱり分からなかった。
一度吸い出したらやめられないと子供の頃学校の保健の授業で習った気がするが、別に吸いたいと思うこともなく、吸わないとイライラするとかも一度もなく、普通にもういいやってやめた。
美味しくもないし、酒のように楽しくなる訳でもない。となると金はかかるし、中毒になれば吸わないとならない身体になるそうだし、ニオイなどで周りからは嫌われるし、煙草は悪いところばかりで良い部分が見つけられなかった。
別に節度を守る限りは煙草を吸うのは個人の自由だと思ってるけど、何が良くて吸っているのだろうというのは純粋に疑問だ。
酒は好きなのでそういう身体に良いわけではない嗜好品を嗜む事に特に心理的ハードルは無いのだけど……私が楽しめなかったことはある意味良かったのだろうが、そのわからない事に対してはちょっと寂しさもある。