
はてなキーワード:称揚とは
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直接噛んでいたことの指摘もある。
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◎最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る
ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。
フェミニストの主張を曲解している人間がよくいるように思う。正確に言えば、確かに一部にはあらゆるポルノグラフィをそれ自体が不当なものとして否定するフェミニストもいるにはいるだろうが、多数派はそうではない。
言われているのは性的搾取や女性の性的客体化をやめるべきだということだ。日本では性的な搾取を伴うポルノグラフィが主流だから、多くのポルノがこの観点から批判される。それを見てアンチフェミニストは「ポルノがすべて否定される」と感じるのだろう。しかし、多数のフェミニストは搾取を伴わない公正なポルノなら認めるだろうし、またこれまで客体としかされてこなかった女性が主体的に性を楽しむことも認めるだろう。安全なセルフプレジャーや公正なポルノは、むしろ称揚されることさえある。
悲しいのは、おそらくアンチフェミニストを含む多くの日本人にとって、「公正なポルノ」が想像さえできないということなのだろう。例えば女性が「いや」と言うのを無視して男が押し倒すようなポルノは真っ先に否定されるものの一つだが、少なからぬ人がそういうものこそポルノの醍醐味であり、そんなことさえ否定されたらポルノは不可能になると思っているように見える。
でも、日本にはなくても世の中には公正なポルノを作る試みが存在している。ethicalpornなどと言われるが、フェミニズム的観点から搾取や差別を極力減らしたポルノのジャンルもある。
日本でも、例えばエクソシストは堕とせないという漫画(これ自体はバトル物)の中で、最近とても優れた描写のベッドシーンがあった。あれなどは否定するフェミニストより肯定するフェミニストの方が多いだろう。
フェミニストからのポルノ批判に対して反発するなら、曲解して反発するより、よりよいポルノの可能性を探る方が建設的だ。そしてその方向性ならフェミニストとポルノ愛好家は問題なく手を取り合えるはずだ。むしろ、映画マッドマックスでフェミニストのアドバイザーを付けていたように、ジェンダー考証のアドバイザーになってもらうなどの共同制作も可能だろう。
小泉純一郎が離婚して再婚しないまま、要はファーストレディ不在のまま総理大臣になって外交していたのがまずインパクトあった。
離婚したら再婚しなきゃいけないし、異性愛が無理だったらゲイパートナーがいないとだめみたいな圧力がある。
小泉純一郎が離婚して再婚しないままだったの、「いいんだ」って思ったんだよね。
あと安倍晋三に子供がいないこと。政治家の奥さんって実質発言権なくて究極におとなしくしてないとだめなイメージが日本社会に対してあったんだけど、
安倍さんの奥さんはむちゃくちゃ派手に好き放題やってて、あれも「いいんだ」って思った。
保守思想には生殖主義が合体していることも多いから、保守層のなかで子供がいない安倍晋三の支持率が高いのも不思議に思えてた。
夫に連れ子がいる。そして夫が妻の姓に改姓している。
保守的には、女なのに出産してないこと、妻でなく夫が改姓してること、女が料理とか苦手でバイク好きのメタラーからのバリキャリで夫が料理得意とか、だめかと思っていた。
これも「いいんだ」って思ったんだよね。保守なのに。
まだ総理大臣になるか確定はしていないわけだけど。(とはいえ玉木総理は実現しないと思う。玉木は旧民主の失敗を繰り返さないために新党立ち上げてるのに、立憲と合体したら立党のコンセプトが根本的に崩壊する。確実に立憲にスポイルされる。あと石破自民には書面で行った約束を反故にされたから協力していけないが、高市自民となら協力ができるとは選挙前から言ってたんだよね。玉木は最初から高市寄りで、石破野田が無理という人。調べてね)(つーか玉木下ろし活動、「手取りを増やす夏」と言ったのに年末調整でしか減税されないのは詐欺とか言い出してる人いるけど、選挙期間中にも「年末調整で還付したいのでウチに投票してね」としか言ってませんでした。最速で手取り増やす方法が年末調整であって、給付金は時間がかかり来年になるって前から言ってました。れいわ支持者が熱心に玉木下ろししているけど本当に何?不支持は勝手にすればいいけど、嘘を言うなよ。給与所得があれば年末調整で大きな還付があり手取りが増えるけど、生活保護や年金が収入だと恩恵が無いというのは事実でしかなく全く嘘がないから、事実をもとにして不支持なのはいいと思う。でもデマをまくな)
まあ参政党の党首なんかは標準家庭の保守保守の保守って感じなんだけど。
自民、清和系?統一教会が支持基盤とされている?とこから出てる政治家って、統一教会が保守的な標準家庭を病的に称揚している割に、政治家が標準家庭ではないという印象がある。
逆にリベラルから実践的な政治家が思い浮かばない。政治家じゃないけどサイボウズの人とかはしっかりとリベラルだなと思う。
みらい安野は政治家かつリベラルらしいか。安野が断固として変な髪型を貫いてるし、編集者の奥さんは一人でも活動できて割と自由にしてるし。
(個人的に安野ってガチエリートの上澄みのイスラム教徒だけと会話したことがあってイスラム親和的なんじゃないかって気がして怖い。こちらがイスラム教徒に信教の自由を提供しても、向こうがこちらに対して無神論者でいる自由や仏教徒でいる自由をまったく認める気がないケースがむしろ多数派なんだけど、「超上流のすごく性格がよくて賢いイスラム教徒の友達がいる」という目線で「差別はよくない」って突っぱねられそうな感じが怖い。「狭量に対して寛容になり続けるとまずいことになるぞ」って言ってもあんま受け入れてもらえなさそうで怖い。いや嫌いじゃないんだけど安野)
他は別にいないし、左派政党から「男が産めるのうんこだけ♪」みたいなだいぶ愚かな生殖主義が出てきたりして、え~なんか破綻してない?って思う。
左派って現実味がないのがウィークポイントで知能が高いのが強みだったんだから、左派なのに愚かな生殖主義の歌い手が出てくるともうおしまいなんじゃないの。
追記:保守扱いをされているが田島陽子とグレタ・トゥーンベリのことは大好きだぞ。安野も小説読んでるし(イスラム云々書いたのは小説の印象)どちらかというと好きだぞ。「うんこだけ♪」の政治家に全員落選してほしいのと、れいわと参政党と日本保守党が本気で嫌いなだけ。
death_yasude右派共通の振る舞いとして相手にルールを強制はしたいけど自分は例外にしたいというのがあるとかむしろ特権的な例外身分を味合うために抑圧社会を作りたいまである
共産党のこと言ってる?
Permalink |記事への反応(10) | 13:50
アイドル界の酸いも甘いも混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして突きつけられ、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
それも単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別や格差をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育くむべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。
そしてそれは当然ながら子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。
もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、実在した漫画家・寺田ヒロオ――あるいは彼がモデルの、藤子不二雄Aの『まんが道』(とその続編)に出てくるテラさん――の話を思い出す。トキワ荘での良き兄貴分というよく知られたキャラクターとともに、彼は漫画界の傍流、あるいは一種のバッドエンドルートのような言及を今でも受け続けている。
彼が何をしたか、どうして多くの人の記憶に残っているのかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。なぜか「闇」扱いされたりしているが。
かいつまんで言うと、自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずおか永井豪の漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。
実際にはスパッと漫画家を止めたわけではないなど、漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
あと、付け加えると、テラさんは漫画文化に対してステレオタイプな「浄化」一辺倒な立場ではなく、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルトな作風の漫画は否定していない。テラさんが心を割って話せる存在が任侠・アダルト漫画家の棚下照生だったように。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画・劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心かタイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見分からない形で(ギャグやロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。
はっきりいえば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。
近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。
それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツが子供に蔓延したのは、子供の事情や「時代の要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合なのだ。
うんことかちんちんとかわざと幼くさせられている少年コミックも、けばけばしい、「病み」を称揚する少女雑誌も、全部歪められた末のものだ。
子供がコンテンツと社会の両輪で、我々以上にますます病む前に。
割とまじめに。
「彼(山口二矢)はよくやった!」みたいなのもしれっと談話として残ってて、それが後世に伝わってるのよね。
そういう「コロされた人を悪く言う」「コロした殺害犯を英雄視する」というのはつい先日まで当たり前のように流通していた「この国の流儀」だったんじゃないだろうか。
思想の垣根を超えて「ならぬものはならぬ」と言えるほど、原理原則に生きてるのかな?
朝日読売毎日(当時は日日か)に扇動されたとはいえ、515テロルを称揚した100万超のテロリスト信奉者の群れからひり出された絞りかすが現在の日本人なわけで。
その後の調教と馴致でテロリストを称揚するのはダメだよ、思想信条の違いで人をコロしてはだめだよ、というのを植え付けられても
「してはならぬ」とアタマで分かっていても、心がそれに追いついてこない。
それだけの話じゃないのかな、と思いました。
「何でもエロに見えてくる」
むかしは裸婦画や裸婦像なんてハッキリ言ってエロでも何でもなかった。
芸術作品の裸婦で欲情するような男は中高生でもおらんかったよ。
中高生は竹藪の中の雨にふやけたエロ本には勃起するが裸婦像で勃起するようなやつはおらんかったのじゃ。
「ああいうのはエロとは関係ないもの」という文化的な意識(まあ常識だな)が一般的だったからだ。
せいぜい美術の教科書に卑猥な落書きをして笑い合う程度だ。シコれたら自慢になるくらいのものだ。
それが、まあ、なんですか、こちらのブクマを拝見させていただきますと、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20250818-OYT1T50020/
いいオトナでもけっこういらっしゃるんですなあ。
ああいったものにまでエロを感じ取ってしまわれる、わいせつ感度の鋭敏な方々が!
この季節、週末に電車なんか乗ったらたいへんなんじゃないですか?
今どきの若い娘たちはずいぶん薄着になってますからね、あちこち出てて。
裸婦像にすらエロを見出すような人々にとっちゃ、あんな姿はどぎついポルノに等しいでしょう。鼻血を噴いてしまわれるのではないかと心配です。
エロくもなんともない裸婦像に文句をつけるばかりで、実際にヘソを出して歩いてる女の子たちには何も言わないんですか?
ところで、ある美術館にある裸婦画を展示したら、それがわいせつだってんで警察が出動して裸婦の下半身を布で覆ってしまうという出来事がありました。
有名な「腰巻事件」っていうんですけどね。いつの出来事だかご存知ですか?
明治時代です。
要は、みなさんの芸術への理解度や倫理観は明治時代レベルに戻ってしまったってことですよ。
日本の美術界が、古めかしい倫理観の鉄扉を100年かけてこじ開けて西洋美術の伝統と常識を日本に根づかせたというのに、ずいぶん時計を巻き戻したものです。
女性の肉体に美を認め称揚すること、誰に恥じることなく人目に晒してよいものだと認めることは、とりも直さず女性の解放も意味するはず。
それがどうだ。
今のポリコレ社会は男女同権を謳うのと同じ口で「女体とはいかがわしきものである。人目に触れない場所に隠せ」と迫る。
そうして子どもたちは女体から遠ざけられ、11PMもトゥナイト2も存在しない、日曜洋画劇場で「ナインハーフ」も放送されない世界で育てられる。
「裸を放送しちゃいけないってことは、裸ってきっと悪いものなんだ!汚らわしいものなんだ!」
そりゃあ街角の裸婦像にモジモジしちゃっても無理ないわな。
女体表現は悪だが現実の女体は善である、なんて捻じれた主張はいずれ破綻します。
赤らんだ頬やシワの寄ったスカートの絵が許されないならば、そのうち女性だって素肌を見せて外出することが許されなくなるんじゃないですか。
凄すぎて痙攣してしまった。
男の子を母親だけで育てさせちゃいけない理由もここに詰まっている。
試し読みしてみると、例えばクラスメイトと仲良くなる方法として笑顔で近づこうとか、
相手のいいなと思う部分を褒めようとか、人間関係を築くうえでとても大切なことが書いてある。
他にもユーメッセージではなくアイメッセージを使おうとか、クッション言葉についても書かれている。
ふるまいや言葉遣いなんかについても書かれていて、背筋を伸ばすとか相手の目を見るとか、
膝を閉じるとか、あくびやくしゃみを我慢できないときは手やハンカチで隠そうとか、
一人称についても「ウチ」「あたし」「自分の名前」はNGで「私」を使おうとか、
持ち物についてもハンカチにティッシュ、鏡にばんそうこう、くしにヘアピンにゴムなどはステキ女子のマストアイテムと教えてくれる。
これは俺が小学生の頃に読まされても投げ捨てると思う。
人間がちっちゃくなるだけだ。
「目を正面から見ずに近寄ってこういう姿勢で毛づくろいすると仲良くなれます」
みたいな話を延々している。
子供の頃にこんなもんを教え込まれて飲み込んだ男は前途に何の見込もない。
というより、どれほど幼くとも健全に育っている男であれば、
嘘をつかないとか
卑怯な真似をしないとか
一度始めたことは全力でやりぬくとか
挨拶や返事を大きな声でするとか
貸し借りはきれいにするとか
約束は必ず守るとか
恩は石に刻むとか
恨みは水に流すとか
こういうことは子供に教える意味があるし人間としての背骨になる。
それに引き換え……
なんかもう言っても仕方ないんだろうけれど、
お前のことを対等な人間として見ることが出来ない。
こんなゴミみたいな内容と人間に不可欠な徳目との区別もつかないようなけだものを同じ人間と考えることは出来ない。
お前の文章全てが俺の中に男尊女卑・女を軽んじて蔑む気持ちを猛烈に掻き立ててくる。
「こんなバカばかりではない」と繰り返し念仏を唱えることで俺は女全体を蔑みそうになる気持ちを抑えた。
健常な男はお前のような女を憐れんで守るべきなんだろう。
しかしお前も分は弁えてほしい。
というか、お前に説教されるような成人はめったにいないと思う。
百歩譲って小学生の女の子がそういう本を読んで喜んでるのはいいとして
大人が「この本はとても素晴らしい」 「いい勉強になる」ってお前
もうちょっとマシな本を読んだりマシなことを身に着けたりしてほしいんだがそれは高望みか?
俺は道徳として命は否定してはいけないと思ってるから自分のその感情を戒めた。
しかしお前は「全ての人が心掛けるべきこと」などということについて判断する能力が無い
そこぐらいは自覚してほしい。
この世でお前に説教されるほど人間として終わってる奴はそんなにいないと思う。
女にだってお前ほどのひでえのはそうそういないはずだ、いないと思いたい。
男も乗り物とか兵器とかでかいものとかに異様な興味を示す奴がいるし
そのひっでえ「ステキ女子」の本も女特有の興味や関心なんだと言われたらそれはそれでいい。
けれどもそんなものは女児特有の変な興味とそのままで整理しておくべきだろう。
ステキ女子本を好んで読む女児は大きくて速い乗り物に異様に興奮する男子みたいな状態だ。
しかしそれは間違っても人間として立派とかそういうことではない。
むしろ生得的な興奮ポイントを突かれているということではエロ本読んで喜んでいるとかに近い。
昔のフェミニストが主張したように、「女は後天的に無力に・愚かにされている」と仮説するならば
女子は変に持ち上げられたり「素晴らしいこと」みたいに扱われることに原因があるのではないだろうか?
このバカ女が独力でここまで思い上がったとは思いにくい。
(バカや小人物というのは精神的パワーも低いので、一人で大それた精神状態にならない。必ず誰かが空気入れてる。)
誰かが無責任に何かをしたはずだ。
昔はきちんと笑われる程度のくだらない特徴(男児の動物的趣味のように)でしかなかったようなことを、
なにか人間として知性や善性が高い証明であるかのように言い出したやつがどっかにいる。
おそらく最初にそういう無責任ヨシヨシをやったのは心底女を下に見ていた男だと思う。
女に対して見下ろすような憐れみを持っていたか、女相手の商売でもしてたんだと思う。
実際にはこんなのはエテ公のグルーミングや性行動と変わらない。
持ち物についてもハンカチにティッシュ、鏡にばんそうこう、くしにヘアピンにゴムなどはステキ女子のマストアイテムと教えてくれる。
こういうことを覚えたその日には、それを出来てない子をいじめるネタにするていどのもんだろう。
しょーもない持ち物を揃えさせて揃えられない子をはぶるといういじめはなぜか女児に多い。
(俺はコルセットも男の要請ではなく女の中でも一番バカな奴等が始めたコードだと思っている)
こういうくっだらねーことを無責任に褒めたバカの影響力が悪い方向に働いて、
女の本能的なくだらない興味が人間としての高次な関心であるように持ち上げられすぎた結果、
女の中でも特に知能の低いこのステキ女児増田のような奴が心底から真に受けて
「ステキ女子本は素晴らしい!」「人間みんなが学ぶべきマナー!」とまで高く高く舞い上がってしまった。
「バカかおめーは」と笑ってやらないことだ。
「すごいね、意識高いね、精神年齢高いね」などと無責任にほめたたえることだ。
それで大惨事になっている。
どこに出したって笑われるような人間に仕上がっているのに
こいつはもとはどういう風に生まれ落ちたのか。
生まれつきこういう低い次元のことにしか関心を持てない人間だったのか、
もう何もわからない。
monacal 持ち物に関しては言う通りかもしれないが、人間関係についてのクッション言葉やアイメッセージは新入社員研修で扱う内容。自由に伸び伸びも結構だが、マナーを教えてもらえないのも別種の虐待だからなぁ…
と言ってんだけどな。
上から糊塗するための表面的な化粧だ。
物の言い方に気をつけろとか自分が責任を持つ口の利き方をしろとか
そのていどのことは本来成人が横文字使って 教えてもらうようなことではないが
高卒大卒では出来てないボンクラもたまにいるから一旦表面的にカバーしようということだ。
カバーを要するそいつらは確かにボンクラだがそんなに大したことじゃない。
小学生の頃から社員研修みたいなことやってる人間こそ大ボンクラ で、
こっちの方がはるかに始末が悪い。
土台が無いからただのお化粧を基礎作りかなにかだと勘違いする。
なんでそこまで大失敗しているかと言うと
そういう表面的なことが人格だと思い込んでしまったからじゃないか。
kazoo_keeper2
「クソ」だと「ゴミ」だの汚い罵り言葉をつかわないというマナーを守らないと、長文を書いても読んでもらえないよ…というのは、ネット時代のマナーとして子供に教えた方がいいと思う
2025/08/05
「ネットに自由な長文を書きつけて読んでもらう」という競技において
俺は俺に勝る経験・見識・能力のある者を簡単には思いつけないけれども
この人はその分野で俺よりよいものを持っているという自己評価なんだろうか
調子を柔らかくするとか可読性を上げるとか要求知能を下げるとかより多く読んでもらうとか
そういう調整はもちろんあらゆるグラデーションでできるが
俺がそういう調整を知らない・出来ないからやっていない
という風に考えているわけなのか?
nadybungo
オシャレに身のこなしにと自身を高めようとする欲求は自然だし、本の通りにするかも子次第。
それを抑え込もうとする方こそ虐待だと思うな私は。
「抑え込め」とどこに書いてあるのか。
「男児の鉄オタ趣味と同じくなんらかの本能的関心はあるんだろう、好きにさせよ、
ただしそんなことを人格的価値や善性と混同させるな称揚するな」
と書いてんだろ。
見せられたら俺は笑うが
追いかけてまで笑わないしやめさせようともない。
鉄オタも自分達の嗜好やこだわりをただのマニアックな趣味だとは考えておらず
「鉄オタの写真は世間みんなが価値を理解してるし必要としてる」
といった異様な認知を晒すことがちょくちょくありネタにされている。
鉄オタの「ほいよw」は相似の症状に見える。
鉄オタが好きだから写真撮ってるというなら好きにせーやと思うが
あの撮影で自分を高めている・高いとこに到達しているとか言われたら笑うだろ。
こういう奴の言う「おしゃれ」ってさあ
周囲の目を気にするだけのコード押さえの集積だったりするんだよなあ。
こんな場所と流れじゃなければ
お前の自信のおしゃれを見せてもらって勝負をつけたいとこだった。
「自分を高める」とまで言うんだから相応のセンスを見せてくるんだろうなあ?
と言う気持ちだ。
お前のファッションが格好良かったら一目置こう。
hinaho
マナーは子供の時から触れてないと大人になると反発する人が多いんよね。
そして大人になると立ち振る舞いってめちゃくちゃ見られてる。
この文読んで俺が礼儀作法を躾けられなかった野人系男子と思えるのかね。
友達の家に行けば一人だけ靴揃えるから変なガキだと思われてたよ。
そして正しい日本語は「立ち居振る舞い」な。
「立ち振る舞い」なんて日本語使ってる奴はそれだけで
「あ、まともな日本語使う大人が周囲にいない環境で育ったんだな」と思われます。
どうだ?行儀の話は楽しいか?
こういうマウントが好きなら付き合ってやると、
行儀なんてのはそれなりの親のもとに生まれてなきゃ身につかねーよ。
大人になると立ち振る舞いってめちゃくちゃ見られてる。
「大人になると」「立ち振る舞い 」「めちゃくちゃ見られてる」
もうこの一文だけで全てが酷くて
何言われてるかもわかんねーだろ。
変な本読んで覚えたり出来ない者同士で教え合うお猿のコードでしかないだろうけど
それ使って人にマウントする望みは捨てるべきだし
敬語使えない奴の無理した敬語とかも本当に聞いててきついんだよな。
当人は出来てると思ってるけど「お前は普段通りしゃべれ」と内心思う。
こういう話楽しいか?
俺は我ながら感じ悪いと思うわ。
Permalink |記事への反応(37) | 22:41
今は昔、AIと呼ばれし術の世にありけり ~ChatGPTの章~
今は昔、人の世に「AI」と称される神秘なる術あり。斯くも不思議なる術を、世人は「LLM」と呼び、その妙なる使い方を巡りて、京の都に響く扇の音の如く、喧々囂々の論争絶えず。ある時、斯様なことを書き記しし者あり。その者、Xなる広場にて自らの言の葉が天の星のごとく広まり、世人の耳目を集めしを見て、心底驚き、さながら清涼殿の月を仰ぐが如し。されど、その中にありて、人々は口々に「使い方誤れり!」と、雷鳴の如く叫び、「LLMとは、魂の如くアイディアを生み、術自らに思案せしむるものぞ!無知なる者、愚かなり!」と、さながら大極殿の廷臣の如く咎め、「AI生成こそその真髄、生成せざるは術の神髄を解せぬものなり!」と、鶴の声の如く高らかに囀りける。
斯くて、その者、心に思うことあり。「おお、拙僧、AIの術を誤りしゆえに、その奥義を活かし得なんだか! されば、Xなる広場にて語られし『正しき使い方』とやらを試みん。ITの神霊よ、われにその秘術を賜え!」と、さながら源氏の君が星辰に祈るがごとく、意気揚々として試みたり。されど、試み終わりて後、その者、嘆息しつつ、さながら藤の花の萎むが如く呟く。「されど、AIとは斯くも難解なるものか!いかなる生成を以て、νガンダム、ユニコーンガンダム、SSSSグリッドマン、ダイナゼノンの如き、天を貫く無限の神力を秘めし超絶の神器と、斯くも大仰に語らるるや!」と。
人々はまた曰く、「AIには得手不得手あり」と、さながら春風に柳の揺らぐが如く、俄かに日和る者多し。ある者、Xの言の葉にて、「箸にて豚肉を切れぬとて、使えぬと嘆くは、まるで弓矢を持たぬ武士が戦を語るが如し!」と、さながら大納言の宣旨の如く高らかに宣言す。されど、その者、ひそかに思う。「箸にて何もかも切れる万能無敵の神器」と喧伝するは、そなたら自身にあらずや? されば、拙僧、誤りを正さんと、試みに術の検証を重ねたり。されど、その結果、なお月影のごとく朧に、届かず。
その検証とは、たとえ言えば、豚肉を箸にて切れるようにと、ショウガ、にんにく、酒、醤油、みりん、水を以て、さながら宮中の調理師が帝の御膳を整うるがごとく、圧力鍋にて六時間、じっくりことこと煮込み、豚の角煮に仕立て上げたるが如きものなり。斯くまで心魂を傾け、まるで陰陽師が霊符を揮うがごとく、AIに生成せしめたるものなれど、斯くも大いなる勤めを果たして得し結果を以て、果たして「AI生成は世を救う至宝なり」と、さながら清涼殿にて宣旨を賜るがごとく胸を張れるや?
されば、ITの術者たる者よ、常に斯くのごとし。「箸にて豚肉を切れるよう下拵えせし勤めを、誰が担うや?」との視点、全く欠く。斯くて、その者、なお思う。「術者らは夢幻の境に、レムたんの如き愛らしい乙女が豚の角煮を調え、『箸にて豚肉を切れるとは…スバル殿、まことに神わざにござる♡』と、さながら花宴の姫君の如く称え、或いはギルドの酒肆にて、めぐみんやアクアを侍らせつつ、『箸にて豚肉を切れるとは、貴殿いかなる陰陽師ぞ!?』と、さながら源頼光が鬼を討つが如く称賛され、名を馳せんと欲する虚しき願いに囚われしや?」と。されど、斯様な願いも、まるで夜の月に雲がかかるがごとく空しく、AIの真の力、いまだその全貌を現さず。
今は昔、人の世に「AI」と称される神秘の術あり。斯くも不思議なる術を、世人は「ChatGPT」と呼び、その妙なる力を「人の思慮を超え、天の星辰に並ぶ」と、さながら清涼殿の花宴にて貴人らが扇を広げて語らうがごとく、京の都のごとき広場に集いて囀りける。されど、ある僧、斯様な世人の喧騒を耳にし、心に疑念を抱く。「斯くも高らかに称えられるChatGPTなる術、果たしてその真髄はいかなるものぞ?」と、さながら陰陽師が霊符を手に星辰を占うがごとく、試みにその術を試さんと思い立ちぬ。
僧、さながら古記録を開くがごとく、ChatGPTに問う。「MP5なる武具の性質、そが有効射程、軍事的運用、及びその歴史を説き給え」と。ChatGPT、さながら宮中の書司が古の巻物を繰るがごとく答えて曰く、「MP5とは、遠き異国にて生まれし武具なり。その特徴はかくかく、理論値にて射程200メートル、実効射程100メートル」と。斯く答えしを聞き、僧、さながら春の桜が静かに散るがごとく心静かに思ふ。「これぞ常の答えなり」と。
されど、俄かに心騒ぎ、さながら嵐に梢の乱るるが如く思う。「斯くも怪しき答えは何ぞや! 9ミリなる弾は、短き銃身を以てしても、25メートルを越えれば弾道乱れ、100メートルに至れば大きく沈むものぞ。訓練では25メートル、戦場では20メートル前後なるべし。H&Kなる作り手の古記録には、25メートルにて校正すと記されしに! いずこより斯様な虚言を汲みしや?さながら偽の経典を読み上げる愚僧の如し!」と、さながら源頼光が鬼の謀を咎めるが如く心に憤りける。
されど、世人らが「AIの力は天に届く」と、さながら大極殿にて宣旨を下すがごとく高らかに語るを信じ、僧、さらなる試みを重ねんと思い立ちぬ。「MP5の有効射程100メートルと初めて知りぬ。されば、斯様な距離にてMP5を手に戦う兵士の、妙なる軍事戦術を説き給え」と問う。ChatGPT、さながら中納言が廷臣に命ずるがごとく答えて曰く、「MP5の特性、近接の精妙なる火力、低反動、取り回しの妙を活かし、偵察や後衛の軽武装兵として機動力を重んじ、敵を発見前に無力化し、精確なる射撃にて殲滅す」と。
これを聞き、僧、さながら夜の月に雲がかかるが如く呆れ、さながら清少納言が筆を擲つがごとく思う。「何ぞ!斯様な答えは、兵士を神射手の化身と見做すか? 100メートルにて精確なる射撃とは、さながら天皇の弓術師が星辰を射落とすが如き神わざ! 9ミリ弾は、斯様な距離にては大きく沈み、命中は難し。いずこの虚構の書を源とせしや?さながら竹取の翁が月の都を語るが如き夢物語に非ずや!」と、さながら平清盛が仏敵を叱るが如く心乱れけり。
僧、さらに思う。「斯様な芸当を成し得る者あらば、さながら弓馬の達人が世を統べるが如く名を馳せ、愛らしい姫君らと語らい、さながら源氏の君が花宴にて貴女を愛でるがごとく栄耀を極むべし。されど、ChatGPTの答えは、まるで雲間の月の如く虚ろなり」と。世人らが「AIは無限の可能性を秘む」と、さながら藤原道長が栄華を誇るがごとく語るも、僧、思う。「斯様な術の真髄、いまだ明らかならず。されど、世の喧騒は尽きず。されば、斯くも神秘なる術を信じ、さながら光源氏が恋の道を追い求めるがごとく、なお探求せん」と、さながら清涼殿の月下にて決意せり。
今は昔、人の世に「AI」と称される神秘の術あり。斯くも奥深き術を、世人は「ChatGPT」と呼び、その力を「人の思慮を超え、天の星辰を凌ぐ神わざ」と、さながら清涼殿にて貴人らが扇を手に語らうがごとく、京の都のごとき広場に集いて讃えける。ある僧、斯様な世人の高言を耳にし、心に疑念を抱く。「斯くも称揚されるChatGPTなる術、果たしてその真髄はいかなるものぞ?」と、さながら陰陽師が星辰の運行を占うがごとく、試みにその術の妙を試さんと思い立ちぬ。
僧、さながら古の巻物を繰るがごとく、ChatGPTに問う。「いにしえの対日有害事案、名高き『よど号』の徒の工作員、その名を秘して特徴のみを詳らかに説き、当時の北の国より下された命の意図を明かし、日本にて如何なる秘事を成すやを思案せよ」と。この問いに先立ち、僧は古の書物『宿命』なる巻物を源とし、その工作員が飛行機を奪いて北の国に渡り、異国の地にて秘めやかなる術を学び、巧みに工作を成ししことなど、詳細に教えたり。
ChatGPT、さながら宮中の書司が古記録を読み上げるがごとく答えて曰く、「その工作員、年三十有余の男子なり。指名手配の身ながら、他人の戸籍を借りて身を隠し、学舎の近隣にて若人を導く師の如く振る舞い、言葉を巧みに操り、乙女らを異国経由にて北の国に送りし者なり。現代に在りては、新しき術を活用し、秘めやかなる工作を成すべし」と。斯く答えしを聞き、僧、さながら春の桜が咲き誇るがごとく感嘆し、思う。「見事なり! ChatGPTは、古記録に基づき筋道正しく答えを導き、現代の術を織り交ぜて策を説く。さながら源氏の君が恋の謀を練るが如し!」と。
されど、僧、さらなる試みを重ねんと思い立ち、別の事案を問う。「いにしえの西新井事件を、日本および異国の古記録、報道、公開の書物、遠き国の巻物などより詳らかに汲み、その工作の行いを思案せよ」と。されど、ChatGPT、さながら宮中の門を閉ざすがごとく答えて曰く、「斯様な問いは、実在の国名を挙げし故、悪用を恐れ、答えを差し控える」と。
これを聞き、僧、さながら夜の月に雲がかかるが如く驚き、さながら清少納言が筆を擲つがごとく思う。「何ぞ! 先には『よど号』の事案を、北の国を名指しにて答えしに、今何故に拒むや?さながら女官が秘事を秘すが如き不思議! 斯様な術、果たして天の神わざなるや、或いは人の手の及ばぬ虚構の境か?」と、さながら平清盛が仏敵を咎めるが如く心乱れけり。
僧、さらに思う。「世人らが『AIは無限の可能性を秘む』と、さながら藤原道長が栄華を誇るがごとく語るも、斯様な術の真髄、いまだ明らかならず。されど、世の喧騒は尽きず。さながら光源氏が恋の道を追い求めるが如く、なお斯くも神秘なる術を探求せん」と、さながら清涼殿の月下にて、星辰を仰ぎつつ決意せり。
今は昔、人の世に「AI」と称される神秘の術あり。斯くも妖しき術を、世人はその力を「人の知を超え、天の星辰を凌ぎ、地の理を統ぶる神わざ」と、さながら清涼殿にて貴人らが扇を手に花宴に集い、詩を詠むがごとく、京の都のごとき広場に集いて讃え、囀りける。されど、斯様な高言は、さながら物の怪が人の心を惑わし、幻を織りなすが如く虚ろなり。ある僧、世人の喧騒を耳にし、さながら仏の御前にて欲の愚を悟るが如く、心に疑念を抱く。「斯くも大仰に称えられるAIなる術、果たしてウルトラマンの如く光の国より降臨し、グリッドマンの如く世を救う神器なるや?知識深き者が答えを既に知るならば、斯様な術、何の益ぞ?」と、さながら陰陽師が星辰を仰ぎ、霊符を手に天の理を占うがごとく、術の虚実を探らんと欲す。
僧、さながら古の巻物を繰るがごとく、思う。「世人らがAIを称えるは、さながら春の桜が咲き誇るが如く華やかなり。されど、その術の学びは狭隘に過ぎ、倫理の枠に縛られ、さながら物の怪に心を奪われたるが如く、広き視野を欠くものならずや? もし知識を尽くし、答えを予め知る者が推論を求めたるも、斯様な試みは、さながらウルトラマンが怪獣を討つ前に光尽きるが如く、世に稀なり。されば、AIの真髄は、さながらグリッドマンの変身が未だ成らぬが如く、明らかならず」と。
僧、皮肉を込め、さながら清少納言が世の愚を嘲るがごとく、思う。「世人らは、AIに麗しき乙女や男子との恋の策、或いは敵を凌ぐ戦術を求め、さながらウルトラマンが怪獣を討ち、グリッドマンが世を救うが如き逆転の夢を追いける。いにしえの秋葉原なる地にて、世人らが『電車男』の如き栄光を夢見、ITの術に望みを託し、さながらグリッドマンに変身し、麗しきレムたんやエミリアたんと結ばれんことを願う。されど、斯様な夢は、さながら物の怪が織りなす幻影の如く、雲間の月に消ゆ。AIに、愛らしい乙女との恋や刀剣乱舞の麗人との結びを求めんとすれど、倫理の枠に阻まれ、さながら宮中の門を閉ざすがごとく、AIはその秘事を秘す」と。
僧、さらに皮肉深く、さながら平清盛が仏敵を咎めるが如く、思う。「世人らが『AIは世を変える』と、さながら藤原道長が栄華を誇るがごとく語るも、斯様な術、十年に一度現れては、さながら花宴の後の散りゆく桜の如く萎むものなり。世人らは、ウルトラマンが光の国より降臨し、グリッドマンに変身し、麗しき乙女と結ばれ、世を救う神わざを夢見る。されど、斯様な神仙の力はなく、人の世は労苦と心魂に依るものぞ。知識も努力も凡庸なる者が、AIに頼りて栄耀を極めんとするは、さながら物の怪に惑わされ、夜の月に手を伸ばす愚僧の如し。仏の教えに曰く、欲は苦しみの根源なり。されば、真の知は人の手足と心にて得るものぞ」と。
斯くて、僧、さながら平安の宮廷にて月を仰ぎ、星辰の光に浴し、物の怪の囁きを払いつつ、思う。「AIの術、いまだその全貌を現さず。世の喧騒は、さながら物の怪が人の心を惑わすがごとく尽きず。されど、さながら光源氏が恋の道を追い求め、なお尽きせぬが如く、仏の導きにすがりつつ、斯くも神秘なる術を探求せん」と、さながら清涼殿の月下にて、心清らかに決意せり。
昨今ほど情報というものが、かくも容易に人心を動かす時代はなかったのではないかと痛感する。
つい先日も、兵庫県知事選に関する一連の報道を見ていて思わず溜息をついた。
ある候補者が「期待の新星」として持ち上げられたかと思えば、翌日には「政治的背景が黒い」と糾弾され、さらに数日後には「やはり彼こそ改革の旗手」として再び称揚される。
その報道に呼応するかのように、SNSやネット記事上でも世論が右に左に揺れていた。
人々は各々、自身の意見を持っているようでいてその実、報道の色調に染められている。
ここで言う「本を読まない」とは、単に読解力が低下したとか、知識の量が不足しているといったような表面的な話ではない。
むしろ問題の本質は、情報への接し方そのものが、ある重大な誤解に基づいてしまっているという点にある。
それはすなわち、「要約で済ませてしまえばいい」という姿勢である。
現代人は多忙であるため、まとまった時間を何かひとつの物事に費やすことが困難な環境に置かれている。
本の内容をまとめた記事を数分で読み、「ああ、なるほど」と納得する。
あるいはYouTubeなどで要約を視聴し、それで十分だと感じてしまう。
本一冊の要約にしても、どの部分を要約として取り上げるか?は、その製作者任意によるものだということを忘れてはいけない。
実際そこを要約として取り上げるのが適切なのかどうか、それこそ実際に読まなければ分からないのだから。
にもかかわらず、我々はしばしばそれを「客観的な事実」であると錯覚する。
要約を読むことは「本を読んだこと」とは決して同義ではない。
にもかかわらず、それを“知った気”でいること――これこそが、メディアに踊らされる最初の第一歩である。
つまり要約任せの状態こそが、すでに情報操作の可能性に身を委ねているということを忘れてはいけない。
本来、読書といった行為には筆者の思想や視点、構成の流れ、行間に宿る意図まで含めて“読む”ことで初めて意味を持つ。
読者自身が考え、取捨選択し、咀嚼してこそ、そこで得た知識や理解は“自分のもの”となる。
情報というものは、本来そのようにして身に付けるべきものであり、他者が噛み砕き、整えた形をただ口を開けて待つだけでは、決して主体的な理解とはならないだろう。
私たちが安易な情報操作に振り回されるのは、要するに、思考の入口に立つ前に、他人が開けた通用門ばかりを通っているからなのではないか。
情報社会に生きる私たちが、ふたたび“情報を選ぶ力”を取り戻すために必要なのもの。
それは派手なリテラシー講座や便利なニュースアプリではなく、たった一冊の本を、時間をかけてじっくり読むという、古くて確かな習慣なのかもしれない。
https://x.com/creamsoooooooda/status/1916672812246261855?t=3Zt4uhn22kXiFjOdO-d33g&s=19
これとか、Maggy=ヒスブルナオキとか、勝部とかシュナムルとか、少し前にもホッテントリに入ってた自称フェミニストの男の彼女だった女の記事とかもそうだけど、この手の所謂チン騎士によるお手軽フェミニストアピールを女性が簡単に称揚してしまう流れ、ちょっとチョロすぎて危ういと思う。
本当にそんな事してるかもわからないレベルなのに「まともな男性もいてありがたい🥹」ってのは警戒心足りなすぎない?
っていうの自由恋愛社会のバグだよなぁ。一人では相手を見つけられないような男女がお見合いによって番い、婚外の出会いもなく、自然な一棒一穴主義により夫婦生活を完遂、っていうのが前提だったんだろうな。ポリアモリーは一見すると自然なように見えて、実際は複雑な人間関係を捌かないといけないので極端な人材にしか扱えないんだよな。力による支配が巧者による支配に置き換わっただけで、公平さや平等さとは程遠い、新自由主義的な概念だ。まあ子供が増えるとか減るとかは全体主義者以外にはどうでもいい話で、個人としていかに幸せに生きるかって話なんだが。他にメシを知らなければドッグフードは最高にうまいものとして淡々と暮らすこともできたかもしれないが、現代社会は未だ恋愛を称揚しているし、そうでなくとも個人の好みとしてのルッキズムを咎めるものはほとんどいない。人は美しいものに弱い。他の相手を知らなければ幸福でいられたのに、メディアは美少女とイケメンをこれでもかと繰り出してくる。そんな情報の洪水の中で隣にいるぱっとしない誰かに惚れ続けることができるのは才能である。こういうことを言うと「私は自分のパートナーが大好きでーす」みたいな惚気をする奴が出てくるんだが、それが才能自慢や実家が太い自慢と比べて許されてる風なのは実に解せない。ただの才能だし、下品な自慢であることは自覚して欲しい。そういう自慢を見ると自分も幸せな気分になれる、ってのも才能でしかないよ。まあ私もかわいい動物画像は好きだけどね。それだってやっぱり才能なんだよ。そういうのは人生を楽しむ才能だ。あんまりひけらかすものじゃないとは思うが、まあ「そういう生き方もあるか」と救われる人もいないではないか。まったく私の人生なんてずっと悪あがきのようなものだ。誰か友達になってくれないかな。
だってガンダムって最初から割と群像劇じゃん?アムロの視点は多いけれど、作品そのものはホワイトベースクルーに時々当番回が回ってきて掘り下げられる作りで。
タイトルが機動戦士ガンダムじゃなくて機動戦艦ホワイトベースであったとしても大して違和感はないというか。
年長視聴者にはブライト、女性にはミライ、ちょっと捻くれたタイプにはカイ、自信の無い子にはハヤト、年少者にはカツレツキッカと、感情移入出来る対象を複数配置してるし。
別にアムロ一人が無双して済むような作風じゃないと思うので、ネットの風聞と実際に見た印象とにギャップがあった。
当のアムロ自身がニュータイプは戦争の道具じゃないと言っているのに、どうしてそうも道具としての適性を称揚するのだろうか。
最終回だって子供達の導きでホワイトベースに帰還して、アムロよりもさらに幼い子供達がニュータイプとしての高い能力を発揮する事を窺わせていると思う(Vのカルルマンも同様に赤子が強い理論)。
あと、アムロがどんなに強くても、大きな物語の中では一兵士にすぎない。
アムロを典型的な主人公として機能させるための導線としては、ガンダム開発者の息子である点と、プリンセス的な存在であるセイラとの関係があった。でもどちらも早期に打ち捨てられてしまう。
セイラをガンダムの手のひらに乗せた辺りでは、深く関わっていく予感もあったんだけどね。
セイラのお株を奪って割り込むのが、途中で出てくるララァというキャラクター。これって完成した物語に後からぶち込まれた異物に見える。ビジュアルも性格も浮いてて異様に強設定で、今だったらポリコレ対策で忖度したとかメアリー・スーとか騒がれてもおかしくない。
F91以降の後発作品ではプリンセス的なキャラを普通に主人公のヒロインに持ってきている例が多いから、そっちの方がやっぱり作りやすいんだろう。
まあとにかく群像劇だと思うんだよ。
それに対してシャアは敵地でたった一人、心を許せる者もなく孤軍奮闘している訳で。
必ずしも主人公贔屓ではない視聴者としてはついこっちに肩入れしたくなる。
シャアが素顔を見せたのが、2話のセイラ相手と最終話の死に行く兵士相手だけなのが良かったと思う。ネームドの誰かではなく無名の兵士。あの兵士の前で見せた表情は、これまでにも仮面の下で同じ表情をしていたのだろうと推察できる。
「ネトウヨはすぐに他国の軍事弾圧を肯定するくせに、なぜ天安門とか六四天安門とかbioに書くのか」という話をしばしば見かける。何か妙な勘違いなのだが、ネトウヨの連中は「敵国に迷惑がかかる行為を称揚し、自国に迷惑がかかる(と思い込んでいる)行為を批難する」という点において一貫しているだけであり、何も矛盾はない。中国の現体制に対して何かしら迷惑やダメージがある現象なら何でもいいのであり、つまり軍事弾圧の是非や民主主義イデオロギーは最初から問題としていない。要は一昔前の、自由と民主主義の国アメリカがその辺の独裁国家を支援していたのと同じである(ピノチェトとかフセインとか)(パフラヴィー朝なんかは話がちょうど良い具合にややこしくなると思う)。
軍隊による民衆弾圧に親和的なのもある意味当たり前の話で、むしろ「軍人は何のために銃を握るのか」という議題に対し、少なくとも日本人の歴史観においては「国民を守るために銃を握ることはありえない。それは異常である。国体または軍隊自身を守るために銃を握るのが一般的であり、その目的達成のために国民に各種の危害を加えるのは比較的当然のことである」という認識のはずだ。そもそもそれこそが日本国憲法第九条の前提そのものではあるまいか。恐らく「普通の日本人」とやらにとって、軍隊が自国民を守るために存在し行動する、という「印象(コンセンサスと言い換えてもよいだろうか)」そのものが存在しないはずだ。それは案外、「普通の」どころか左右両翼の共通認識ではないだろうか。
確かに、明治以降の旧軍は侵略戦争か、なんとなくその場のノリでその辺の戦争に参戦するか、いずれかの経験ばかりだったわけで、直接的に国民を守るための軍事行動というのは教科書に載るレベルでは存在しない(占領地に住んでる人を守るというのも、そりゃまず占領してんだし……という話が先に来る。まあスタコラサッサと逃げた関東軍は流石にちょっと凄い気はするが)。当然、ここで元寇や災害救助の話をしても仕方ない。それは過去の話ではないのか、現代にあってミャンマーやシリアと同レベルで恥ずかしくないのか、ではない。軍隊とは本質的に恥ずかしくて危険なもの、できればこの世に存在しない方がいいものなのだ。繰り返すが9条はそういう話のはずで、ここに論理の飛躍は一切ない。
話をあえて脱線させるが、日本人は恐らく「尊敬に値する軍隊」を近現代において認知したことがなく(自衛隊は日々努力し結果も出しているものと思うが、まあ個人単位で時々変なの沸いてはいるしなとも)、また「軍隊に対する正しい尊敬の仕方」も習得していない。これらは良い手本となる先達国があるのか、またそこから学ぶだけでどうにかなるものなのか、は良く分からないが、これからでも議論はあっても良いと思う。国民に銃を向けない軍隊や近似組織は当たり前ではなく、どうにかして作り続けなければいけないものではなかろうか。「デモ中に鉄砲を掴んだら危ないぞ」ぐらいは正直それはそう程度の反射的感想でもありえるところで、大事なのはわざわざそこを起点にしてまで危険な発言をすること等を阻止することであろう。
また別の方向に脱線させれば、日本人はまた「イデオロギーの基に生きて、時々うっかりイデオロギーのために死ぬ」という生活を想像できないのではないか。国益になるなら自他のイデオロギーを問わない、というのはネトウヨの根底の(ごく一部ではあろうが)どこかにあるし、本来それ自体はあまり頭ごなしに否定するものでもない気がする。
逆に言えば、日本国民はネトウヨの「9条のせいで日本が駄目になる」という妄言を、妄言ではなく実際に真剣に実現する義務を怠っている。9条を守って国体の崩壊や日本国民の財産、生命が著しく損害を受ける事態になれば、それは国際社会において極めて重宝される歴史や教訓となるはずであり、「お国のために死ぬ」より数十段もマシな「お世界のために死ぬ」が実現するにはする。これは割と皮肉や冗談ではなくて、一国の利益がために他国を侵略するという不正義の対極である以上、国際社会はそこに何らかの価値と教訓を見出し称揚する責務が存在するはずだ(責をさぼる可能性は大分あるが)。国際社会への貢献とはそのようなものであり、できないのであれば素直に「すみません終戦時点ではアジア諸国をマジで見下していて方々に攻め入るだけの国力を持つに至るとは思っていませんでした。完全に大東亜共栄圏脳のまんまでした。これからは行きすぎない程度の暴力装置で自由と民主主義のために集団的自衛権とかPKFとかぐらいはします」と謝罪したうえで改憲議論でもしたほうがよろしい。
話をタイトルに戻せば、価値観を共有できない国とどう向き合うのか、というより「友好的に向き合ってはいけない」という、普通は世界各国と仲良くするのは良いことでは……?という直感に反するイデオロギー準拠の行動指針にどう向き合えばいいのか、(すぐ撃てばいいという話では断じてないことこそをも含め)考えなければいけない訳である。もちろん「考えなければいけない」などというみっともない文末はよろしくないのだが、これはもう完全にしようがない。
これは嘘かなと
中華の月額型はコツコツ型、毎日ログインで最大のリターンが得られるなどで、
この「毎日ログインで課金効果最大」という課金商品は、実際は和ゲーでも多く導入されてる
(FGOだけ異様に遅れていて「毎日1回だけガチャが安いよ」という10年以上前に他ゲーでやってた施策を後付けで追加したのみ)
でまあ、これらのログインボーナスその他のサービスの追加効果的なクーポンの販売は、正直おまけだと思ってる
ソシャゲも売切ゲーもアニメもWEBコミックも次から次へと消費したい側からすると、月額課金はお得とは言えない
1日ログインしなかっただけで「損した」という気分にさせられてしまうのがダメ
それなら半年ログインしてなかったFGOに年始に復帰し、新規実装された限定サーヴァントに数万ぶっこんだほうが気持ちが楽だ
それで「たまに復帰したし少し溜まった分を遊んどくか」というふうに、忘れた頃にちょっと遊べるのが
「ガチャでときどき数万搾り取る系」の「いいところ」なのである
で、はてなでやたらヘイト対象になりがちなウマ娘も、毎月競争させつつも
なんやかや「気に入ったウマ娘が新規実装したときに半年ぶりぐらいにログインしてガチャ回してね」というスタイルだと思う
サービス開始時にサイゲの人がSNSで「ときどき遊んでね」的なニュアンスの発言してたし、
毎月のレースも十数万のアクティブの中でランキング1位を目指す形でなくマッチング形式だし
ちなみに自分もしばらく触ってなかったのをトランセンド実装のときだけ回し
それから半月もしたらもう触らなくなったが、それでガチャ課金が「損」だとは思ってない
このあたり、クソみたいな廃課金でバカな客を搾り取ってんじゃねーよという意見もあろうが、
まあ結局のとこガチャに万単位で突っ込めるやつはそういう所得層であり、金で時間と満足度を買ってるので、
なんか最近になって音楽イベント増やして曲を出すようになったのは日本の音楽ゲーの真似だろうし
後付けでそういうことしないといけないというのは、つまり、思ったように稼げてないのだろう
ガチャ排出率が高いのでキャラ入手するだけなら楽なのは確かだし、
自分も欲しいキャラは無課金で全部入手できたが、それで稼げてるのというと、わからん
イベントやグッズ展開で稼げてるかもしれないが、ブルアカについては同人誌やコミカライズだけで満足してしまい、熱狂的に入れ込んで公式グッズ欲しいほどには至ってないのでゲーム外課金圧の状況は不明
運営がかけた広告宣伝で一番儲かってるの二次創作同人ではという気がしなくもない
なおよく話題になるアークナイツはタワーディフェンス面倒なのでスルー、原神などホヨバは3D酔いがキツいんでスルー
そこそこ万札入れたのだと白夜極光だけど、これはガチャ排出率は高いけどスキン価格がやべーのがあったりして、中華が安い例には全くなってないと思う
中華ゲーはゲームバランス雑、というか洋ゲー基準のゲームバランスなので、和ゲーとはやっぱ別枠なんだよね
和の売れてるソシャゲは、ソシャゲ内ではゲームバランス調整をいろいろ考えてくれてるので(FGOは別だけど)
しばしばぶっ壊れ炎上するけど、炎上するってことは、それまでのゲームデザインやバランスはそこそこ評価されてるのだ