
はてなキーワード:神経衰弱とは
この石板集めきっついな。
難しいというより、キツい。
正確には、クリアするまで気力が続かない。
とにかく、とりこぼしがあるとどこまで遡って探さなければならないのかが判らない。
これまで攻略サイトに頼ったのが3か所。ふきだまりの町の銀行の宝箱と、世界樹のところの解決後の農夫と、武器屋の裏口から入ると取れる宝箱。
一つ目は「最初に見つけた時は開けられなかった宝箱がどこにあったか」」を覚えてないと見つけられないし、
二つ目は「一度話しかけたモブの町人でも、シナリオが進んだらまた話しかける」を総当たりでやらないと手に入らない。
三つ目は「そこの宝箱をまだ開けてない」という事を覚えてないとスルーしてしまう。
しかも、次に開放するべき石板が、必ずしも直前のシナリオで訪れる場所のどこかにあるという保証があるわけでも無い。いくつか前のシナリオの舞台にあった可能性もある。
とにかく、総当たりに次ぐ総当たりで、とんでもない数の無駄足を踏みながら進めないといけない。
しかも、現代と過去とで町やダンジョンの形が基本的に同じだから、「あの宝箱は取った」という記憶が必ずしも当てにならない。上記の「三つ目」は、現代では取っていたが過去では取っていなかった、という点の認識漏れがあったせいで、探そうとも思わなかった場所だった。
更に困難さを増しているのが、現代の世界はルーラで行けるけど、過去の世界はルーラでは行けないし、ルーラで帰れない事。
謎の神殿内の台座群も、順不同で解放していくから、「あの世界はどの台座だっけ?」を思い出すのが大変でストレスがたまる。
旅の扉をくぐってフィールドの形を見てから「あ、この台座じゃなかったか」が起こる。まるで神経衰弱だ。
過去世界は世界地図のような一覧性が無いし、進むにつれて増えて行くから、頭の中に地図が出来ないのだ。
現代の世界も世界地図がどんどん変わっていくが、これも途中から「一体どこが増えたんだ・・・」という間違い探しになってくる。
視点を回さないと見えない扉や見えない壺や見えない宝箱もあるから、「あそこは全部探したから絶対に取りこぼしはない」が通用しない。
「もしかしてあのダンジョンのどこかに見つけてない宝箱があったのかも・・・」とか思ったら、既にクリアしたダンジョンを再び総当たりで踏破する羽目になる。
転職は現代のダーマ神殿のオッサンじゃなくて絶対にフォズにお願いしたいから、毎回過去に行ってフィールド歩いてスライムナイト叩き切りながら通わなければならない。
とにかくしんどい。
今のプリクラはわからないんだけど、昔はプリ印刷待ってる間に神経衰弱できたり、プリDLできるメアド入れたりする画面があって暇つぶしみたいなことができた
暇つぶし機能のひとつに、そのプリ機で撮ったプリをランダムで表示してくれて他の人のプリ画を見ることが出来るものがあったんだけど、プリコーナー男性禁止では無いところでプリ撮ると必ずひとつは全裸のおっさんのプリとか、勃起プリとか、服着てるけど卑猥な落書きしてある男性一人で撮ってるプリが表示されてたんだよね
もちろん勝手に流されるんじゃなくて、他の人に印刷待ち時間にプリ表示させますか?で同意して更に流すプリ選ぶことできるので完全に自分の意思でやってた
男性禁止じゃないプリコーナーは大型のゲーセンもあったけど学校近い大型スーパーのちゃちいゲーセンだったりもした
多くの男性はそんな事しないってのはわかるけど、でもゲーセンそれぞれにひとりは全裸でプリ撮って皆に見られるようにするみたいな、人が嫌がるような事なのに自分の欲求に逆らえないもしくはだからこそやる人がいるのは本当になんで?と思う
タイトル通り。
元々ソシャゲとして始まったゲームがサ終→ファンサイトに移行し、そっちも今月末でサ終が決まっている。
そもそも凄まじい短命の気配がしていたからサービス終了の告知に全く驚かなかったものの、「ゲームではなく公式ファンコミュニティを開設してそっちでストーリーの続きをやっていくよ!」というやり方には当初普通に驚いたし嬉しかったけど、結局コンテンツのやり方に嫌気が射してしまい、こうしてお気持ち表明をするまでに至ってしまった。
これは、一人のオタクが愛想を尽かすまでの記録であり、個人のお気持ちの記憶でもある。
オープン初日、ファン活動の投稿以外に出来ることは、使い道のよくわからないバーチャルカードが引けるガチャを回すことと神経衰弱。
神経衰弱って何?って感じだけど、本当に神経衰弱だからそれ以外に書きようがない、まあ別に正直どうでもよかった。害は無いし。衰弱したけど。
少し後になってゲーム内立ち絵を使ったリアルグッズのガチャ(所謂無在庫のオンラインくじ)が出た辺りから本格的に雲行きが怪しくなり始めたように思える。
すでにあるものでなんとかしようとする姿勢自体が褒めていいのか、怒った方がいいのか微妙なラインだとは思うけどそれより一回千円というオンラインくじの中でもまあまあ強気の価格設定の足元を見ていく、という姿勢を隠せていない方が気になった。微笑ましいね。
ところで、10月とかに引いたやつが最近やっと来た(アクリル類はさらに遅れて届いて勘弁してほしかった)んだけど、マグカップの印刷がひどすぎて絶句したので恐らくまともにグッズを作れる知識がある人間がいないのだと思われる。
そして10月に引いたもの以降に出たオンラインくじは来る気配もない。まあそれもいい。
だが、肝心要のストーリーの続きが完全に畳みに行くだけの打ち切りエンドへと舵を切っていたのが本当につらかった。
サ終が決まってからゲームの方も俊足でストーリーを終わらせていたものの、ソシャゲはソシャゲで終わりを描かなければいけないという事情が察せられることもあり無理やり納得していたのだが…。
一体続きが見られるというのはなんだったのか。
回収していない伏線も、明かされないキャラの背景や事情も全部無視して裏設定の答え合わせだけに終始する内容が本当に続きなのだろうか。
物語なんて最後に「おわり」を出せば完結なんですよとばかりの全てを放り投げたエンドを見た時の虚脱感。
これがライターの意向でないことを願うばかりだけど実際のところはわからない。
しかもこれを元旦に公開する運営の豪胆ぶりはもはや才能なのかもしれない。
あとはサ終前にリアイベのゲーム音楽のコンサートと一緒にやった朗読劇の台本が遅れに遅れたり、賞品付きのファンアートコンテストの大賞を同じ人が連続で取って微妙に燻った人間が出たり、年末年始に同時視聴とは言いながらそれぞれにせーのでYouTubeの再生ボタンを押させて成立させているメインストーリー同時視聴イベントと珍事は枚挙に暇は無いが、もはや些細な問題である。
そんな状況でも、コンテンツ名で検索したりファンサイトを見れば「運営ありがとう!」「新グッズありがとう!」「続編期待しています!」という声ばかりが目に入る。
恋は盲目という言葉もあるが昨今は推し活にも適応されるんじゃないかと思う。もしかしたら他に娯楽を知らないのかもしれない。
単に自分のような想いを抱えている方が異端でヤバいと思った人は早々に見切りをつけているだけなんだろうけど、こんな未来も何もないコンテンツにここまで盲目的に称賛を贈れるのはすごいを通り越して単純に引いてしまう。
運営の諸々の信頼を損なうような瑕疵も理由の一つだけど、ここまで辟易としたのはこうやって手放しに称賛し続けるオタクをファンコミュニティとして見せ続けられるという所にあるかもしれない。
コミュニティの中心として振舞う、という承認欲求を満たして溜めこむ場所としてあまりにも優秀なのか、コンテンツに依存しているというより、コミュニティで発生するチヤホヤに依存している人間もそれなりにいそうな雰囲気があった。
マイナーで閉じているコミュニティという性質と相性がよかったんだろう。誰しも学級委員長になりたいのはオタクの性だから仕方ないと思う。合う合わないがあるだけで。
まあそんな感じのことをお気持ち表明したかったのだが、書くとこないから増田に書いちゃった。とりとめが無くてごめんね。
そんなファンサイトはコンテンツのライセンス切れを理由に別の名前のファンサイトへとまた移行するらしい。
移行とはいえ立ち絵を含めたキャラクターを使えない都合、ストーリー更新も無いし、オンラインくじの販売もない。
実質サ終、そして公式公認二次創作という玉虫色の立ち位置を持つ、真のファンサイトだ。
大方、配送されていないオンラインくじや受注販売のグッズが全て発送なりされたところでまた畳まれるんじゃないかと思うんだけど。
まあとにかく続くらしい。続くことはいいことだ。
少なくとも、このコンテンツが好きな人はそう思っていることだろう。
じゃあな、トワツガイ。もう戻って来るんじゃないぞ。
嘘でしょ?
有り無し判定の時に「ありよりの森有礼」とか言わないってこと?
溌剌な時は「元気モリモリ森鴎外」って思わないの?
皆本当は思ってるんでしょ?
そうだよね?
コメントありがとう!皆わざわざ言葉にしないだけで沢山考えてくれてるみたいで増田は嬉しいよ、仲間がこんなにいっぱいだよ
ちなみにこんな感じで生きてるので昔両親が喧嘩してた時は「あいつら多忙 俺たちゃ無謀平穏な願望」って歌ってたよ ちなみに基本仲良ぴだから大丈夫よ
増田はこんな感じで「音」とか「意味」が少し、もしくはぴたっとハマる感覚が好きで、ラップの韻を踏んだりダジャレだったりが好きだよ。Creepy Nutsの助演男優賞なんか凄いと思う。
例えばさ、和歌なんかもそうだと思うのね。掛詞ってあるじゃない。「眺め」と「長め」がかかってたりするじゃない。ああいう「音」は同じで意味は違うもの、その狭間に対して私達ってワクワクしたり言葉にできない感情を委ねたりできるじゃない。あれって凄く良いと思うの。
ありよりのありと森有礼の距離遠いけどちょっと繋げたらなんかエモいじゃん?
でも胃袋つめつめ夏目漱石はさ、あの人神経衰弱なるくらいだからそんな食べさせたら可哀想じゃん?そんな感じなの楽しいよね
ちなみに増田フランク三浦のことは知らなかったな、また新しく知れて嬉しいよ!でも裁判沙汰は凄いな!
Permalink |記事への反応(26) | 08:58
とある人気バラエティ番組内のミニゲームの景品としてよく登場した。
その番組は今も放送中だが、ミニゲームじたいはもう行われていない。コーナーがなくなったのである。
そのミニゲームは、トランプの神経衰弱の要領で、伏せられたパネル(景品写真が隠されている)の中から任意の2枚を開き、同じパネルを引き当てるとその景品を獲得できるという趣向だった。
海外旅行や家電、日用品などさまざまなものが景品として供されたが、そのうちのひとつがYES/NO枕だった。
旅行や家電などに比べれば安価なので、ゲーム内では「スカ」に近い扱いだったと思う。
私は子供の頃、このYES/NO枕のデザインの本当の意味をまったく理解していなかった。
YES/NOは単なるデザインで、それはIN/OUTでもUP/DOWNでもONE/TWOでも別に構わない程度のものだと考えていた。
しかし結婚した今、私はYES/NO枕の意味をはっきりと悟った。
もちろんこれを読んでいる人々も全員わかっていることだろう。夜の営みの可否を意思表示するためのYES/NOであることを。
が、可否の意思表示がこれほど微妙で切実なものだとは、結婚するまで理解していなかった。表層的には理解していても、深い理解に達していなかったのである。
結婚する前はそれぞれ違う家に住み、営むのはデートの時だけだ。というか、デートする日は必ず営むし、むしろそのためにデートしていた。日中のデートは夜の営みに向けた長く穏やかな前戯と言えた。
しかし、結婚して毎日毎晩同じベッドで眠るようになると、営みはあの渇望や高まりとは無縁のものになる。日常になるのだ。
だが、妊活しているのでもなければ、そう毎日がんばって行うようなものでもない。
むしろ、インターバルを空けて互いに渇望感を高め、互いに気力体力ともに充実したタイミングで行いたい。そう思うようになった。
するとこれがなかなかうまくいかないのだ。
まず、ふたりのタイミングがなかなか一致しない。両者ともにしたくてたまらない状態で臨みたいのに、なかなかその条件が訪れない。
そして意思表示もまた難しい。
どうしても照れや遠慮があるし、なにより勇気を出して意思表示したのに相手にその気がなかった時の空振り感はダメージが大きく、積極的な意思表示をためらわせてしまう。
なので、意思表示をよりカジュアルに日常的に行えるようにしてくれるYES/NO枕はとても重宝なのだ、というのが結婚してからの気づき。
20代後半。女。
世の中の人間みんな元気で羨ましい。
私の日常は家から車で10分の職場で働き、土日どちらかに外出の予定があるともう1日は体力回復のために寝て過ごす。たいへん無駄だがそうでもしないとすぐ体調を崩す。
調子に乗って食べつけないものを食べるとすぐ胃がムカムカして気持ち悪くなる。遠出するとすぐ筋肉痛になる。予定が立て込んで寝る時間がずれると眠れない。職場で他人と喋ると気力を使い果たしてドッと疲れる。
日々のルーティーンをこなしている間は(一番体調がベターな選択肢を取っているので)わりと平気なのだが、少しでもイレギュラーなことが発生するとすぐ具合がおかしくなる。いっそのこと発熱や腹痛などわかりやすい体調不良になればいいのだが、「なんとなく気持ち悪い」「なんとなくだるい」みたいなのがジワジワ続く。
自分の親族が神経衰弱の家系なので遺伝なんだろうと思うが、根本的な解決もないまま名状し難い不快感と共に生きている。
当たり前だがこんな様子だとちょっと夜遊びに行こうとかちょっとハメはずして遠出しようとかもあまりできない。(できなくはないが元気の前借りをすることになるため後ほど多大な犠牲を払うこととなる)
周りの友人はしっかり仕事のキャリアアップや結婚や出産などをして人生を謳歌している。さまざまなことの反動で1日家で横たわっているのは自分だけだ。丈夫な肉体が羨ましい。
自炊10年目、現在共働き夫婦調理担当をしているものだけど、料理するとき気をつけてること定番常識既出のもあるけど書き出してみる
例:鍋を使う時は茹でる→焼く→揚げる
野菜だけ切ったまな板も茹でただけの鍋もそんなに汚れないので軽く洗うだけでいい
野菜も葉物→根菜→トマトとか水分の多いものの順に切るとやりやすい
・野菜はまとめて下ごしらえしておく
休日に作り置きもいいけど、ネギやレタスを切っておく、ほうれん草やブロッコリーを茹でておく、ミニトマトのヘタをとって(トマトはヘタに雑菌がつく)洗っておくだけでも平日楽になる
レタスはフリルレタスをちぎって50度のお湯に2分くらいつけてから水切って保存しておくと変色しにくい
人参を千切りスライサー(貝印のスライサーはいいぞ)で千切りにしとくだけで1日目はサラダ、2日目はツナと炒めてにんじんしりしり、3日目は豚汁に入れるみたいに展開できる
ゆでたほうれん草だったら1日目おひたし、2日目卵焼きに入れる、3日目味噌汁の具みたいな感じ
作り置きだと飽きる人におすすめ
保存するときタッパーのメーカーがバラバラだと蓋と本体の神経衰弱が発生するのでどこのでもいいので統一したほうが楽
自分は野菜はジップロックコンテナ、匂いうつりがしやすい作り置きはiwakiの耐熱ガラス容器を使ってる
揚げ物とかムニエルとかで食材に粉をつける時は材料を調理用ポリ袋に入れてつけると洗い物が楽になる
肉や魚に下味をつける時にもいい
ただパン粉はつけにくいので肉が入ってた食品トレーを軽く洗ってバットの代わりにしてパン粉入れてやるとつけやすいよ 食品トレーは切った肉魚の一時置き場にも便利
他増田でジップロック使ってたけどポリ袋に入れてからジップロックに入れるとジップロックが汚れなくて使いまわしやすい(出しにくいけど)
100均にある大さじ3まで測れる小さい計量カップを2つ買って交互に使ってる
和風のレシピって醤油、みりん、酒大さじ1ずつみたいな感じなので、ミニ計量カップでまとめて測ると楽
計量スプーンはそれぞれ大さじ1ずつしか測れなくて大さじ4とか測るの大変だからね
慣れてきたりもっと量が多くなった時はデジタルスケールを使うといい
ケチャップとか油とかも測りやすいし、ちゃんと測るとおいしくできる
大さじ1=醤油18g、砂糖9gみたいなのを表にして冷蔵庫に貼っておいて大さじ表記レシピも変換できるようにしておくとよいよ
最初のころ、メイン→汁物→サラダの順に作ってできる頃にはメインは冷めてるみたいなことが多かったんだけど、ある日「これ順番逆にすればいいんじゃね?」と気づいて手順書き出すようになった
鍋に味噌汁用の湯を沸かす、サラダの野菜を切って冷蔵庫に入れておく、味噌汁の具材を切って鍋に入れる、ポリ袋に小麦粉と卵と水と塩胡椒を入れてもみもみしてバッター液を作る、豚肉の筋を切ってバッター液の袋に入れてもみこむ→パン粉をつける、揚げ物用鍋に豚肉と油を入れて火にかける(冷たい油からあげたほうが失敗が少ない)、揚がるの待ってる間に鍋に味噌を入れて味噌汁完成、とんかつ揚がったらサラダと盛り付けて完成
慣れると書き出さなくても勝手に動けるようになってくるし、次はこうすればもっと洗い物減るなとか考えやすいし、料理のやる気が起きないときに読み返すとやる気が出てくる(こともある)
・レシピ本「syunkonカフェごはん めんどくさくない献立」山本ゆり
山本ゆりのレシピは定番調味料だけでできるから最高なんだけど、この本は材料が使う順に書いてあるのがめちゃくちゃいい
あと献立を考えるときに「鯖の味噌煮と味噌汁」とか「鶏の照り焼きとほうれん草のおひたし」みたいな味被りしちゃうことが多かったけど、これはそのまま作ればいいので楽 副菜に迷ったときによく読む
「計量カップを使うときに醤油→みりん→酒→水の順で使うと計量カップが洗われて調味料も無駄にならない」とか「一汁三菜のうち2品はノンオイルのものにすると献立が重くならない」とか参考になるテクニックが多い
平日に揚げ物してたり食費がやたら安かったりするけど、食漫画の中ではかなり現実寄り
話が嫌いじゃなければおすすめ
・白ごはん.com
手順がわかりやすい、なんでそうするのかちゃんと根拠が書いてある、美味しい
初心者のうちは色々手広く作るより、好きな定番料理を何度も作って慣れてったほうがいいので、ここから好みのいくつか作ってみるのおすすめ
・みんなのきょうの料理
ここで作って美味しい、作りやすいレシピの料理人の他のレシピ探すとレパートリーが広がっていい
YouTuberでもブロガーでもバズレシピでも自分の味覚のと感覚合う料理研究家を見つけるといいよ 美味しいけど手がかかりすぎてたり簡単だけど自分には味が濃すぎたり人気のある人でも合わなかったりするから
ちょっと濃いめでガッツリしたレシピが好きならケンタロウがよい
あとテクニックじゃないけど、大きい楕円皿(オーバルリムプレート)がワンプレートにもパスタとかカレーにも使いやすく適当に盛り付けてもなんかオシャレっぽくなるし場所もとりにくいのでおすすめ
いまだにレシピ見ないでできるのは数品だけだけど、慣れると調味料の分量確認するくらいで大体作れるようになるよ
自分は野菜の好き嫌いが多いんだけど、自炊は好きな野菜だけいっぱい食べられるのがいい
えたいの知れない不吉な塊が私の腹を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――飯を食ったあとに宿酔があるように、飯を毎日食っていると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した裂肛や神経衰弱がいけないのではない。また胃を焼くような粗餐などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は厠から厠を浮浪し続けていた。
(中略)
ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿の雪隠を転々として暮らしていたのだが――不浄が大壺へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして厠から厠へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな厠であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の香しさが最も露骨に感ぜられた。(中略)
その日私はいつになくその店で弄便をした。というのはその店で麗しい”檸檬”が出たのだ。(中略)いったい私はあの”檸檬”が好きだ。オリーブブラウンの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つかみだけ拾うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の腹を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。(中略)
私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというインテスティンが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
実際あんな単純な温覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街をした詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、
その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての旨いものすべての美味しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。
どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。
(中略)
「あ、そうだそうだ」その時私は腹の中の”檸檬”を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この”檸檬”で試してみたら。「そうだ」
私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な樋箱が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その樋箱の底に恐る恐る”檸檬”を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
見下ろすと、その”檸檬”の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、プーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その”檸檬”の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄土色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
初公判が注目されてるけど
正直ツルネをパクられたぁ!と言われてもアニメで確認した限りじゃ逆にどこ?って位青葉の言う所のパクリ部分が見当たらなかった
動機はどうあれ犯行当時は精神が錯乱してたとか神経衰弱だったとか、逃げ道を塞ぐ計画性の高さから見ても責任能力はあったよね
弁護士が無理くり無罪を主張せざるを得ない程99.9%有罪かつ死刑以外ないんだけどね。
かつて光市母子殺害事件の真犯人の供述でドラえもんが生き返らせてくれるとか意味不明な事言っててそれを根拠に無罪とか減刑を求めた弁護士がいたけど
弁護士は基本的に依頼者の証言を全面的に信じる立場にある訳でいくら確実にコイツは有罪だと思っても無罪を取らないといけない、そういう職務なので
今回の京アニ放火殺人事件だって青葉の無理筋な供述を正当化しようとしてる訳じゃなくてコイツの妄想でも職務上無罪で勝負しなければならない環境下にあるからね。
ふざけた弁護士だ!と橋下徹みたいに懲戒請求を呼び掛けるのはナンセンス。橋下徹だってその当時武富士問題で企業側弁護士をやってたから本当は無罪主張側の弁護士の気持ちは分かってたはず
とにかくこの件で弁護士を叩いてる人がいたら間違いだから容赦してあげて欲しい
悪いのは青葉真司なんだよ