Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「神格化」を含む日記RSS

はてなキーワード:神格化とは

次の25件>

2025-10-27

女が女のセックス神格化してきてるのって

妊娠出産の代わりなんだよね

 

女の最後の聖域と言えば妊娠出産生理だったけど

妊娠する女が減ってきた

というか女の中でも子ありと無産の分断が進んできた

無産の女が妊娠出産で男にマウント取ってると子あり女から刺される 「でもお前、産んでないじゃん」って

からその代わりにセックス神格化、あるいは被害者性を強く打ち出し、「女のセックス」を女の聖域にしようと頑張っている

Permalink |記事への反応(0) | 16:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-23

anond:20251023152528

松本零士先生のように女性神格化して描くのもいいじゃんいいじゃん。

解決方法の一つに、男性女性で分けることなく、1人の人間として描くって方法がある。

漫画なんだし。

Permalink |記事への反応(0) | 18:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-19

引き寄せの法則」に対しユダヤ教はなんと応じますか?

引き寄せの法則」や「思考現実を作る」という考え方は、近代的なスピリチュアル思想でよく語られますが、根本的な違いも明確です。以下に整理して説明します。

1.ユダヤ教における人間思考現実関係

ユダヤ教では、人間思考言葉には霊的な力があると考えます

箴言ミシュレ)18:21にはこうあります

「死と生は舌の力にあり。」

まり、人の言葉思考現実を動かす潜在力を持ちます

ただし、それは「自分宇宙を動かす」意味ではなく、人の思考言葉を通じて、神が世界に影響を与えるという考え方です。

2. 「引き寄せ」ではなく「祈り」と「信頼」

ユダヤ教では、「引き寄せる」というよりも、「祈る」という行為が中心です。

祈り目的は「自分思考現実を変える」ことではなく、自分自身を神の意志に整えることです。

ラビ・シュネウル・ザルマン(ハバド思想創始者)はタニヤでこう述べています

「人の思考現実を形づくる力を持つが、それは神の意志に一致しているときにのみ力を発揮する。」

まりユダヤ視点では:

という位置づけです。

3. 「思考現実を作る」の危険

ユダヤ教は、人間神格化することを避けます

自分思考現実を創る」という考え方が強くなりすぎると、偶像崇拝(アヴォダ・ザラ)の一歩手前になってしまう恐れがあります

なぜなら、それは「自分意志宇宙の中心」とする発想だからです。

申命記 8:17–18にこうあります

あなたが心の中で『私の力と手の強さがこの富を得た』と言ってはならない。あなたの神、主を覚えなさい。」

まり成功や変化の根源は自分思考や力ではなく、神の導きであるということです。

4.ユダヤ的「思考の力」:ビトホン(信頼)とアハヴァ(愛)

一方で、ユダヤ教は「信頼」の力を非常に重視します。

人が神に全き信頼を置くとき、神の祝福がその人を通して現れる。これも一種の「霊的な引き寄せ」です。

詩篇37:3–5にこう書かれています

「主に信頼し、善を行え。…主を喜べ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」

ここでいう「願いが叶う」とは、自分欲望を叶えるというより、神との調和の中で自分の願いが浄化され、現実化されるという意味です。

まとめ

観点引き寄せの法則ユダヤ教の考え
力の源自分思考
目的現実を思い通りに変える自分を神の意志に整える
方法イメージ自己暗示祈り、信頼、トーラー実践
結果自己実現 神との関係の深化と祝福

もしあなたが「ユダヤ的な引き寄せ」を実践したいなら、それは「神を信頼し、良い思考言葉を持ち、善行を積むこと」です。

それが最も強力な「霊的引き寄せ」の形といえるでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 12:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251018222320

神格化神聖視して穢したくない、みたいな話はたまにネットで見かけるね

Permalink |記事への反応(1) | 05:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-11

anond:20251009141417

ありがとうございます

とても現実的に親としての自分と、子どものことの両方を考えていらっしゃるのだと感じました。

私はそのあたりの考えが足りないのかもしれないと思いました。

よりリアル自分が親になれるのか、その生命責任が持てるのか、考え直したいと思います

大人になった今の時点で記憶にある最初の方(幼稚園くらいから)の自我がある頃から

いろんな物事自分で考えて、生きてきたような感触がありますが、

それは親がしっかりと導いてサポートしてくれていたかなのだと感じました。

自分という子どもを育ててくれた親の子どもであるから自分にも同じように子ども

育てられるのではないかという意見を見たことがあり、それも確かにとは思いました。

今考えてみると、かなり理不尽に怒られたこともありますが、それは親も一人の人間だということで、

親をあまりにも神格化しすぎるを、ますます自分の将来に自信が持てなくなるような気もしています

比較はできませんし安直に言えることでもありませんが、自分も生きづらさは感じています

性格がどれくらい遺伝するのかはわかりませんが、子どもを一人の人として、

なるべく自分と対等な存在として、リスペクトができるような親になりたいです。

Permalink |記事への反応(0) | 22:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-10

anond:20251010162534

初手で好きになるって相手のわからないところを都合のいい妄想で埋めて神格化してるってことだからね〜

Permalink |記事への反応(0) | 17:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-07

anond:20251007153711

今の有権者ボリューム層って氷河期世代前後冷笑世代になる。

ここは10から20代の頃にインターネットに触れて楽しんでた層。

当時は麻生太郎に絶大な人気があり、特に2ちゃんねるニコニコ動画ではアイドル以上に神格化されていた。

人間1020代の頃に好きだったものを一生好きでいる性質があるから、この世代死ぬまでは麻生太郎はめちゃくちゃ人気あると思うよ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251007151803

ちゃん恋愛をして人並みに性交渉があるなら全然キモくない。

童貞こじらせて風俗にもいかず女を神格化してるのはキモい。

Permalink |記事への反応(1) | 15:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251006183941

非モテほど結婚神格化やすいという不都合な事実・・・

Permalink |記事への反応(0) | 11:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-06

江口寿史トレースイラストならぶっちゃけ誰でも描けるレベル

江口寿史トレース騒動ネットが騒がしいけどさ。

ぶっちゃけトレースならあのぐらい誰でも描けるよな。

ルミネ荻窪イラスト金井球の写真を無断トレースしてた件、絵柄自体シンプルで線画と色塗りだけ。

ちょっと練習すれば同人サークル新人でも追いつけるクオリティじゃん。

サブカルオタクに刺さって「江口ガールブーム信者増えたけど、あの雰囲気は80-90年代のノリとノスタルジー頼み。

オリジナリティ微妙で、外野から見ると「たかだか絵描き天才性見出すのしんどい…」って感じ。

トレースは昔からあったけど、SNSでバレて倫理観が変わった今、Zoffデニーズまで巻き込んで大炎上

結局、江口神格化ファン心理時代背景の産物かも。

Permalink |記事への反応(2) | 22:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-26

anond:20250926215245

英語教員ラッパー見たいに気高くない

何を神格化しているんだ

Permalink |記事への反応(0) | 21:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-25

anond:20250925141209

神格化から悪魔化に移行しそう

Permalink |記事への反応(2) | 14:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250925140250

藤沢数奇の本を読んで即座に好みの女と付き合うのはそりゃ無理だよ

恋愛工学ってそういうんじゃなくて

要するにとりあえず色んな女とセックスする事で、童貞神格化してる女じゃなくてちゃん現実の女を見れるようになろうって話だから

女を神格化した童貞よりも余裕持ってちゃんと地に足付いた状態の男の方がその意中の女とやらを落とせる確率が高いのはわかるよね?

Permalink |記事への反応(1) | 14:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-21

anond:20250921145248

演者が好きで行ってるならそりゃ一緒に盛り上げたいって思うやろ

身内ノリが神格化したら宗教になるんじゃない?

Permalink |記事への反応(0) | 14:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-19

スマ一般人には意味不明から書き直してほしい

https://anond.hatelabo.jp/20250919154643

結局何が言いたかったのかわからない。

一般人にはわからない専門用語を「誰もがご存知」みたいに多様しすぎでわけわからん

例えば

はじまり1期生から

当時キャラクター性の強い3DVTuberの正解であり、少なくとも企業であればそうあるべきだとされていた

1期生デビューは、2D、一気に8人のデビュー動画メインの当時異例の配信メイン、圧倒的女VTuber環境ユニコーンが多い中で男V

まず一般人ユニコーンとか言われてもわからないし、全体的に文章がわかりづらすぎる。

女性Vtuber一般的だった時代に男女混合が売りで登場したのがにじさんじです。異性とコラボが嫌がられる時代にこれはインパクトがあった。

とかでよくない?まずこれを説明してくれないとそれ以降の文章が全部意味不明だし。

あとこれとか

SEEDs1期生デビュー

よく聞く話だと思う

その通りで、それ以上の話はないんだけど

1.2期生神格化してた層からめちゃくちゃ叩かれた

当時は配信主体といえど、ファン自体は主流の動画から流れてきているので1時間でまとめること

配信動画のようにきれいに収めることを重視されていたと記憶している

一部のリスナー間では、ゲームは甘え、雑談正義とされていたので時間を決めずグダグダエンタメにしようというSEEDs方向性が違いすぎたので生態系を荒らす外来種に思えたんだろう

私自身は批判派ではなかったが、急にハンドルを切られたような衝撃を覚えた記憶がある

これは

SEEDs1期生デビュー

配信は1時間できっちり収めるのが常識だった時代グダグダエンタメにするグループデビューした。

でよくない?なんか全体的に誰に向けた文章なのかよくわからない。にじさんじ詳しくない人に向けたのかにじさんじオタクに対して伝えたいことがあったのかよくわからない。

もっと頭の中を整理して書き直さないと誰にも伝わらない。

あと後半唐突に出てくる委員長も誰を指してるのか意味不明です。

まだ中高生女の子が書いてるとかならごめん。

Permalink |記事への反応(0) | 20:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

にじさんじアイドル化しているのか

批判的な意味で言われるアイドル化はしてないと思う

新人デビューしますね(めでたい)

めでたい事なのに、ちょっと不穏な雰囲気を感じたのでこれをきっかけにちょっと昔の話をしようと思いました

私はだいたい2期生デビューした頃からリスナー

VTuber自体2017年末頃から

古参マウントがしたいわけじゃなく、一応これだけ見てた1オタク視点の話をしますという前置き

嘘は何も書いてないけど、流石に8年分は間違いがないとは言えなし、あくまで私の見てきたことだからこういう見え方もあったんだなくらいの内容

過去批判された事象を語るのでライバーに対する酷い言葉が見受けられますが、事象を語るためであり私の言葉ではないです

また、それを語るに当たって多少のメタネタがあります

1.方向性変更はないと思う理由

ここ数年囁かれている方向性変更の話、私は断固否定したい

というか、いつを境目に方向性と言われているかよく分からない

だってにじさんじは出来た時から方向性批判をされてきた箱だから

かいことを言うととんでもなくあるけど、私の記憶にある中で目立ったものを書いていくね

はじまり1期生から

当時キャラクター性の強い3DVTuberの正解であり、少なくとも企業であればそうあるべきだとされていた

1期生デビューは、2D、一気に8人のデビュー動画メインの当時異例の配信メイン、圧倒的女VTuber環境ユニコーンが多い中で男V

どこを取っても異例すぎたので、四天王の作っていたVTuber文化破壊者として叩かれていた

よく言われていたのは、「ただのニコ生主」

ニコニコからバズっていた当時の時代背景を感じる批判ですよね

もちろんそれ以上に支持されていたし、ファンも多く批判は裏腹にVTuberイベントや他VTuberとのコラボにもよく呼ばれていた

SEEDs1期生デビュー

よく聞く話だと思う

その通りで、それ以上の話はないんだけど

1.2期生神格化してた層からめちゃくちゃ叩かれた

当時は配信主体といえど、ファン自体は主流の動画から流れてきているので1時間でまとめること

配信動画のようにきれいに収めることを重視されていたと記憶している

一部のリスナー間では、ゲームは甘え、雑談正義とされていたので時間を決めずグダグダエンタメにしようというSEEDs方向性が違いすぎたので生態系を荒らす外来種に思えたんだろう

私自身は批判派ではなかったが、急にハンドルを切られたような衝撃を覚えた記憶がある

その分めちゃくちゃ新規が増えた

にじさんじファンというよりはSEEDsファンという感じだった

にじさんじ自体は知らないがSEEDsが好きという人たち

─────メタ注意─────


2019年前世ネタで叩かれていた

正直、私自身はそのような話に興味はないし、いわゆる前世に当たるような配信サイトなどに縁のない人生だったでそれが正しいのかどうかも分からない

なので、そう言われていたという話

同じ配信サイト出身が多すぎると批判されていた

素人がいないと次の委員長は見つからない、コネなんじゃないか

実際、その前世が本当かどうかはわからないけど、批判されていた人数は両手で足りるほどで2019年デビューラッシュの人数から考えれば気にするほどの人数ではないし普通に偶然だろうと思う内容だった

2019年のこの批判にはもう一つ原因があると思う

オーディション経験限定という発表があった

オーディションの前に真堂雷斗の契約解除が出たからだろう

オーディションの条件変更の理由なんて発表されるわけないので分からないけれど、タイミング契約解除の数カ月後だったからたぶんそう

経験限定と言っても4つほど枠があり、一つは自由枠だったので、実際言ったもん勝ちだろうと個人的には思っていたが、素人信仰の強い人たちがもう面白くなくなると嘆いていた

これも2019年のはじめの方なので、その後が分かる現在から考えればいか意味のない批判だったのか分かるね


────────────

同じく2019年にあったのは、初配信性癖暴露みたいなノリがあった

ちょっと特殊とか癖ある性癖を言ってたんだけど、わざとらしい!ヤバイ奴ぶるなと叩かれてた

未だにそれが嘘だって感じはないし、当たり屋みたいな批判だよね

Apex ストリーマー売り

正直一番よくわからん

ストリーマー売りをしていると叩かれていた

Apexが流行ったのでApexをやってる人が増えた

とはいえにじさんじには100人くらいいるので、Apexをプレイしてる人は半数くらいで、50人くらいは触れてすらいない

操作したことある50人の中でもApexをメインコンテンツにしてる人なんて数えるほどだった

でも、Apexだけのつまらない箱になったと批判されていた

箱のApex大会が決まったときに異様に叩かれていたはたぶんこの影響

そして、いつ頃から言われていたかからないけど、Apexの影響で大会が増えストリーマーと関わる機会が増えたのをきっかけに言われるようになったストリーマー売り

なにを境目とするかは分からないけど、ストリーマーと仲良くてゲーマー気質でストリーマー寄りの配信スタイル(?)なのが条件のように感じる

これで叩かれてた人たちは、今アイドル売り批判をする時に都合よく持ち上げられる人たちが多い

女向け売り批判

徐々に女リスナーが増え、勢いのある男性ライバーが増えつつあった中で、これからは女向けコンテンツになるんだと嘆いていた人たちがいた中でデビューしたVΔLZ

とはいえ、女が増えると言っても元々VTuberリスナーは9割くらい男だったし、黎明期なんて基本ユニコーンだったので、男は増えようがないし、そんな状況で女が増えたところでせいぜいトントン

ほぼ0なのだから、1 でも増えたら大きな変化に見えるというだけだと思う

初の男同期だったのでかなりザワついた

ザワついただけならいいんだが、悪い意味でのザワつきもかなりあった

2018年まで多人数同期でデビューしていたが、そのせいで埋もれた人がいたことを考慮して2019年以降は少人数を連打していくようになったのではないかと思っていたので、個人的には男同期が生まれたからといって、その前後も含めて同期のようなものだろうと感じていたか過剰反応だと思っていた

デビューしてからも、女に媚びて面白くないだの、コメント欄が女ばかりだの、リスナーと話が合わなくて可哀想とか(これは可哀想の前にコメントしたらと思う)

とにかく私が配信を見て感じるものとは違う、容姿からくる偏見批判だった

かにリスナーは多かったけど、批判されなきゃいけないような状況だなんて思わなかったよ

今では3人ともそんなこと言われても思われてもないので、いかにこれが適当だった分かるよね

イケメンから女向けなのだろうか?

1.2期生の男もイケメンだろう

こんな感じで偏見で叩かれると、1.2期生の彼らも今デビューしてたらイケメンだ!!女向けやめろと言われていたんじゃないかと思う

1.2期生に限らず、それまでもデビューしてきた男もそう思う

もちろん全員綺麗ではあるが、特に美麗系の絵柄の人たち

にじさんじ=おじさんという偏見があるが、'19年までに限っても美麗イケメンのほうが多い

おじさんがいるのが魅力なのは共感するが、おじさん=にじさんじではない 

おじさんもいるよくらいが良さなんじゃないの

逆におじさんばかりになったらおじさんに味を占めて多様性を失ったなとなるんじゃない?

おじさんこそにじさんじで、イケメンアイドル売りでにじさんじらしくないと言うなら、1.2期生の漢組もクロノワもにじさんじではなくなる

逆にかわいい女の子たちもいっぱい居るけど、女の子デビューした時かわいいなんてユニコーン売りだと叩かれるようなものだけど、納得できる?

上場批判

上場したので面白くなくなると批判された

正直、私もろくな社会性がないので、これには不安を感じていたので強いことは言えない

センシティブコンテンツが若干消えたりしたので上場のせいだと言われたが普通にYouTubeのせいだ

周りを見れば、他のVTuberも消していたり、YouTuberの動画も昔より過激なことはBANされるようになっていってる

とはいえ自分推し以外興味がないというのはしょうがないこと

知らないと勘違いするのも仕方ない

でも、知らないことは分かるだろうからその状態批判はやめたほうがいいと思う

VTA批判

上場の影響だと言われていた

でも、憶測だけど、VTAができるちょっと前、金魚坂めいろの契約解除が出た

前の契約解除とは比べ物にならない箱を巻き込んだ炎上契約解除

前の契約解除の後にもオーディション条件が変わったことを考えるとたぶんこの影響である可能性が高いんじゃないかと思う

今も続く批判だけど、VTAは型に嵌まった人間を作る工場だと言われていた

これ成人が言ってるのか本当に心配なんだが、

学校=ロボット製造と思いこんでいる、人生冒険みたいな人達学校というワードに反応して批判していると感じていた

何も分からないのに決めつけが酷いと思った

あと、よくある養成詐欺みたいなのと同一視して叩かれていた

よくあるやつは、曖昧な成果に対して高額を払わせるから疑問視されているので無料のVTAには関係ないんだけど、学校なら同じだと思われていた

最近ちょっと変わったけど、VTAの配信雑談のみ

私は前述した雑談崇拝されていた時代を思い出して、VTA1期生が昔の1.2期生しかいなかった時代を思わせてくれてエモいと嬉しいかった

だが、世間的にはにじさんじらしくないとされていて、古のにじさんじという認識の差を感じた

世間的に広まっている古はSEEDsなんだろうな

特に1期生、たぶん2期のことは入らない

2025年から考えれば古ではあるけど、2018年VTuber界隈は体感5年くらいあるので同一視すると共通認識が難しいくらい違う

どちらも古き良きでいいと思うけど、1期生からVTuber界隈で普通に目立ってたのにSEEDsのみを指して言われるとそれ以前の活躍がなかったものにされたみたいだ

例えば、ホロライブみたいに、3期生から大きくバズって方向性を変えた場合

3期生を指針にするのは分かる

されてるか分からないけど

にじさんじ1期生からバズっていたんだから、それを無視するのは歴史改変ぽくて嫌だな

アイドル売り

分からん

何を指しているのだろか

歌っているか

ユニットデビューしているか

見た目がイケメンから

今に始まったことではないだろう

普通にアイドルを志すライバーや、アイドルとしてデビューするライバーを指しているわけでないと思う

もし、それを指すなら箱がアイドル化したとはいえないし普通に職業差別やばい

VTuberにおいてアイドル売りとはユニコーン売りの隠語で、皮肉でもある

そして、職業としてのアイドル

この認識齟齬から

アイドルユニコーン)売り=批判される

歌っている=アイドル

アイドル=批判 となっているのではないか

そもそもユニコーン売り自体別に悪くはない

ただ、昔からにじさんじリスナーの一部には性欲で見てないおもしれーものを見ている自分に酔っている選民意識があるので職業としてのアイドルような事しているだけで、アイドルっぽいという事は、ユニコーン売りと誤認しているんじゃないか

歌であれば、切り抜きもいくつもあると思うけど、歌が苦手な新人はいくらでもいる

でも、同期やファンを思って努力しているのだと話している

それをアイドル売りで批判するのはあまりにも早計で、実際にファンからしたら効く煽りでもなく何この人とドン引きされてもおかしくないほど的外れ

昔は気軽に歌えなかったこともあって、権利関係わかんなかったからかアカペラ歌枠もあったくらいだと記憶しているよ

昔は任天堂オープンレック個人でサブスクみたいなやつ入らないと配信できなかったけど、今は権利関係を明確にできたように、歌も同じく権利確認方法確立されたから歌も気軽になっただけじゃないだろうか

2D進化し、3D進化し、ゲーム方面進化し、イベント進化し、その他色々できる事が増えているのに歌だけ進歩してなかったらそれはそれで問題じゃないか

歌が好きで入った人はここ数年だけではないことは分かると思う

その人たちが歌方面が整ってない時、CDを出したくても出せないこと、CD以前に音源配信もままならなくて、ソロライブの夢も現実味なくて

そういう状況から、それを叶えられるようになった

叶えられるようになった環境デビューたか新人は初めからできる事が多いので注力してるように感じるというだけ

総合的に見れば活動自体は変わらないし、その恩恵を受けいてるのは女ライバーも変わらない

からいるライバーの中で初期は歌をメインにしてなかった人がアイドル衣装を手に入れたり、歌ったり踊ったりしていることもある

ツアーなどで踊ったこと事ある人も多い

でも、踊ったか面白くなくなった人はいないでしょ

順番が逆なだけで、新人も同じ

順番が逆なのも歌しか取り柄がないわけじゃなくて、アピールできる環境の有無だけだろう

きっと古参ライバーだってデビューした時から今の環境ならもっとやれてたって人もいるんじゃないか

それに昔から追ってると、ライブで一緒になった、歌が得意なライバーダンスが得意なライバーステージグが得意なライバーに影響を受けて頑張ろうと思ったというエピソードはよく聞いたよ

それを踏まえて、今ある歌の環境はただのアイドル売りと切り捨てれるものではないと思う

同期ユニット自体2019年からの流れそのもの何の変哲もない

アカウントがあるのは、にじさんじのサブ垢を作るようになったのがここ数年のことだからだと思う

サブ垢を作るようになってから、昔からユニット活動して人もアカウントを作ったように、新人からではなく、できるようになったからやったのだと感じるよね

デビューからユニットアカウントがない同期もいるけど、結局本人達意志ユニットアカウントが出来たりするし、一方で、作らないところは今もない

それは、ユニット押し付けではなくライバー意志によるアカウントなんだなと思える

見た目がイケメンから

さっきも書いたが今に始まったことじゃない

VTuberなんて基本イケメン美少女だろ

意味を見出す必要がない

にじさんじに奇抜な見た目が必要だというが、奇抜な見た目だけで異端アピールキツイと思う

奇抜な見た目に勝てる魂が必要で、そうじゃないと本当に出落ちで誰も幸せにならないと思う

からイケメンというVTuber普通の見た目をベースにしているだけなんじゃないだろうか

そう言うと、奇抜な魂になれる人は受からないんだと怒りそうだが

普通にうそういないだろう

落ちてるんじゃなくて、かなり限られると思う

配信者適正のみの話ではないか

ガワありオーディションの時、イラストレーターからしたらたまったもんじゃないだろうが、いい魂がいないと器そのまま未デビューや、同じオーディションからかなり遅れてデビューする人がいることがかなり信頼できると思っている

運営やばいと褒められることに酔って見た目だけ用意して、その場に来た妥協点の魂を入れることは容易なのに、そんな事せず、ちゃんと適正を考えているんだろうと思ったか

アイドルと言われるのにはVTAの影響もあるんだろう

歌、ダンス配信 みたいな項目を授業内容として発表してたか

でも、VTA卒業生でも、歌やダンスに苦手意識がある人は普通にいるし、練習はその項目にしか使えないわけではないと思う

歌で言えば、

時間配信をして喉を壊す人も多い中で発声練習ができれば喉を守る方法が知れるんじゃないか

ダンスなら、

3Dになるとリアルな動きはリアルより小さく反映されると言われている

体の動かし方を学べれば、3Dになったときより多くの表現につながるかもしれない

から、VTAをアイドル養成所だとは思わない

でも、アイドル養成所でもいい

多様性ならアイドルがいても、女向けがいたっていい

FANTASIAで男女ステージになった時にめちゃくちゃ批判されたのなにが多様性だよと思った

毎回男女で別れてたら面白くないのはわかるけど、男女の回があってもいいだろう

同期も同じく、男女でデビューしても、男のみでも、女のみでも結局箱で男女絡みあるんだしいいんじゃない

男には興味ないけど男女箱を推してる自分が好き古のオタクがよく言ってる男はおまけであってほしい、人気出るなってことなのか

それは多様性ではないよ

そういう意見があってもいいけど、その本音を隠すために多様性とか言うのはやめてほしいな

長すぎた、読んでくれる人は続き

anond:20250919160248

Permalink |記事への反応(3) | 15:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-17

anond:20250917111502

100万再生って別にそこまで神格化するほどではないだろ

音楽CDで100万枚売れてる駄曲なんてたくさんあった

Permalink |記事への反応(1) | 11:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-16

anond:20250916123921

話芸って別に一般人でも出来るしな。一般人と違うんだぞって言わないと価値付けできないからな。

 

あんだけ神格化されてた松本人志島田紳助がいなくても影響がない。

Permalink |記事への反応(0) | 13:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-07

秒速5センチメートルに腹を立て続けている

ネタバレを含む

もう語り尽くされている話だとは思うが、秒速5センチメートル、それを異常に好きな信者に非常に腹を立てている。

数年前に観た当初から違和感不快感はあったものの、ここ一週間くらいで急に思い出して腹を立て続けている。もうなぜか考え出すと止まらないのだ。なぜ今なのか。やめてほしい。増田で供養して平穏を取り戻したい。腹を立てていることが前提にあるので、ものすごく主観的解釈である。元々この映画雰囲気で成り立っているからなんでもありなのである

この映画はまず、秒速5センチメートルというのは桜の花の落ちるスピードのことだというやり取りから始まる。桜の花の落ちるスピード、と美しく表現しているが、この時点でもう、秒速5センチメートルというのは「あの頃の美しい恋の思い出でシコるスピード」のことだ、と言っておけばこの映画は5分もかからずに完結する。5秒かもしれない。これで全てを語ることが出来る。

だが新海誠はこれをせずに感傷シコりストーリーを始めだしてしまう。これから「シコる」という表現が頻出するが、本当はシコらない方が重度である。この映画が異常に好きな信者は、美しい恋の思い出に対する感情デカすぎるのである。つまり神格化しすぎてシコれないほどかなりの重度で、その場合はシコることを強くおすすめしたい。その思い出への感情は美しいものなどではなくただの感傷シコり性癖なのだ自覚を持つことから挽回できるかもしれない。挽回したくないのならお前は終わりです。

あらすじでは、主人公は好きな女と遠距離になってからというものの、ひたすら周りの女に対してインポであり、ひたすら感傷シコりモンスターだ。周りの女に無関心になっているということは性欲の対象があの頃の思い出の女に全振りなのだ。実際にあの頃の思い出シコりはしているかもしれないし、重度すぎてしていないのかもしれない。ただ精神的には自覚なしでもシコりまくっているというのは確実であるしかもここで恐怖を感じるのは、女に連絡できるのにしないのである

その後主人公社会人になり彼女ができるも、「ずっと私を見ていない」という理由で振られてしまう。それでも特に主人公はなにも感じていないようである社会人になってもなお感傷シコり病が完治しておらず、生活に影響が出るまでに悪化しているというのは、それこそ新海誠の境地である。似たような作品を量産するほどに感極まっているのだ。

ラストでは、あの頃の思い出の女と踏切の前でたまたま再会するも、走る電車で長い時間お互いが見えなくなり、電車が過ぎ去った後にはもう女の姿はなく、主人公がどこか晴れやかな表情をする。

女の姿がなぜなくなったのかは諸説あるだろうがどうでもよく、それによって主人公が晴れやかな表情をするのはなぜか。要は主人公過去の美しい思い出でしかシコれないのであり、その現在の思い出の女などには興味がないのだとやっと自覚したのである。終わりである。始まりでもあるかもしれない。晴れやかな表情から考えると、自覚はしてもなお美しい思い出なのである。この人は大丈夫なんだろうかという印象で映画が終わり、もやもやが残る一方で、なぜか信者号泣するらしい。お前らはなんなんだ。

このような過去の恋の思い出を美しいほどに神格化するストーリー共感する、というのが全く理解できない。だから腹が立つのである感傷でシコることは心の健康に関わる。目の前を見てくれ。過去の失敗した恋を引きずるのをやめろ。あなたがたは動くことはしない、だからこそ共感する。感傷に浸るくらいなら行動に移してほしい。そのほうが健全である

Permalink |記事への反応(2) | 15:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-03

anond:20250903132218

それで言えば信仰というか神格化してるのは女の方だろ

腹が減ったから飯食う、眠いから寝ると一緒だから

Permalink |記事への反応(0) | 19:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-25

anond:20250825131316

増田共感するもののあえて逆を言うなら、教育神格化しすぎている気がする。

特に漁師町でしっかり稼ぐ手段があるなら体が動く若いうちに資産を築いて早めに隠居するのは決して悪くない。

その場合金融投資知識だけはしっかり持っておきたいところではある。

Permalink |記事への反応(0) | 14:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-21

じゃあ高校野球はどう改革すればいいのか

 弱小校の高校硬式野球やってた俺が、適当妄想を垂れ流す。

【前提:高校野球の過剰な神格化はもうやめないか?】

 いろいろなスキャンダラス問題の根源は、この神格化を総出でやっちゃってることだと思うんだ。他の部活と同じような露出度になってしまっていい。

 「一発勝負で終わる最後の夏」「全国大会開催地甲子園で固定」などのエッセンスは弱めていいのかなと思います

 弱小校出身自分としては甲子園への憧れという感覚がよくわからないし、他の部活みたいにもう少し最後大会が早く終わって受験勉強へ移行できたほうがよかったなあという、個人的な思い出。

 少し話は脱線するけど、全国大会を本気で目指す気がない高校生が大人たちの草野球に参加するという選択肢は、もっと選ばれてもいいなあって思ってます

改革案

公式戦はもう基本的トーナメントではなくリーグ戦でよくない?

 他のスポーツでもリーグ戦を取り入れてるケースもあるし、野球もそれでいいじゃないか

 そもそも野球面白さってプロ試合を見てもわかるとおり数試合単位での投手運用とか、そういう一発勝負じゃ楽しめない部分もあるんすよね。

 公式戦の試合数は増えるだろうけど、そもそも高校野球練習試合が多すぎるという問題もあったりするからトントンになるんじゃないんすかね。

(ただ、問題としては、公式戦を増やすことで審判負担が増えるということ。ただでさえ審判のなり手がいない時代なんですよ今。)

大会の流れの改変

・秋大会→春大会→夏大会とあるわけだけど、春大会は夏大会前哨戦という位置づけを今以上に濃くしよう。

 具体的な例に言えば、春大会までに好成績を残したチームは夏はAリーグに進んで全国大会へつながるリーグ戦を戦って、そうではないチームはBリーグに進んで高校最後野球を楽しむリーグ戦をする、みたいな。

 そんでこのAリーグBリーグは季節ごとに入れ替え戦をやる、的なね。

全国大会開催地甲子園じゃなくていいだろ

 高校総体みたいに持ち回り開催でよくない?

④大所帯の高校複数チームの公式戦出場を解禁する

 これは単純に、能力のある選手が沢山の数3年間一度も公式戦に出られないのはもったいなさすぎるという思いから。今は少子化かつ競技人口減の時代なのに。

 すでに連合チームが強豪校から選手を借りるという事例はあるけど、さらにゆるくしちゃおうよ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-20

アイドルビジネスカルト宗教共通点

Permalink |記事への反応(1) | 06:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-08

結婚メリット」をみんな勘違いしている

結婚交際)したほうがいいかしないほうがいいかメリットデメリットの話は定期的にどこでも行われている。

差はあれどだいたい似たようなことを言っている。

結婚メリット:大切な人と老後まで過ごせる(寂しくない)。世帯年収の増加

結婚デメリット自由時間や金が減る。家族が増える、繋がりが増えることの社会的精神負担

こんなのはどうでもいい表面的なことだ。結婚にはもっと大きい明確なメリットがある。

「無条件で人から愛される」ことができる点だ。

これは愛という曖昧抽象的な概念を持ち出して結婚神格化したいわけではない。

「愛される」という状態は親を除くとほぼほぼ人間意図的に手に入れることができない。(親からも愛されなかった、という人が読んでいたら謝っておく)

愛されることは自己肯定感の上昇やそもそも生きることへの動機など多くのメリットがある。結婚メリット本質無駄結婚というもの神格化しなくとも、その1点で十分である

もっと言うなら必ずしも自分は愛さなくてもいい。むしろお互いに「フリ」でもいい。そのへんは各自うまくやればよい。

からも愛されなくてもいい、という人は結婚交際メリットはない。ひとりで、または友達といることで生きる意味を見出せば良い。

人間は誰からも愛されなければ死んでしまう。

結婚交際はこれを意図的に手に入れる数少ない手段であり、逆に言えば大切な人だろうが運命の人だろうが、たかがその手段の一つにすぎない。

Permalink |記事への反応(2) | 13:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp