はてなキーワード:祖父とは
寄付金で裏口で入れるならいくらでもしたと思うんだけど、成蹊だろ?
留学したってPh.Dどころか修士もMBAも取ってきたでもないし、学校の勉強っていう意味での、頭の出来はよくなかったんだろうなって思う。
あの時代に、寄付金がっぽり出せる家庭の坊ちゃんだったら、早稲田も慶應もよっぽどバカじゃなければ受け入れたと思うよ。
提出物さえ出せば学位でもなんでも授与したと思うよ。
ここまで書くとディスってるみたいだけど、ディスるつもりはないんだ。
でも、名宰相だったろ?
よくやったよ。
答弁で賢いなぁって思ったことはないし、著書だってタイトル以外本人はほとんど書いてないと思う。
米を減らす日本男児よ、それで本当に誇りと言えるのか?
40代を超えた男たちが、健康志向だの糖質制限だのと唱え、茶碗によそわれた白米を半分に減らし、代わりにサラダチキンとブロッコリーをありがたがる姿――なんとも嘆かわしい限りだ。
「健康のために米を控えてるんです」? それは方便であり、ただの弱腰だ。そもそも、祖父たちは毎日三合四合と米をかきこみ、汗水たらして働き、そして生き抜いてきた。彼らはメタボという言葉すら知らなかったが、気骨はあった。米は力の源、心の柱だったはずだ。
それを「糖質は太る」「血糖値が」などと、どこぞの栄養士の言葉をオウム返しにして避けてどうする。そんなことで自分の体をコントロールしているつもりか? 体だけ軽くして、精神まで軽くなってはいないか?
コンビニの低糖質パンに手を伸ばすより、炊きたての白飯に漬物、味噌汁、焼き魚の一切れ。それが本来の日本男児の朝餉であり、魂の食事だ。米を食べない生活など、畳のない和室のようなもの。見た目だけそれっぽくても、芯が通っていない。
米は「主食」であって「罪」ではない。罪悪感で白飯を避けるようになったら、もう末期だ。日本人としての芯が腐り始めている証左である。
健康は大事だ。だが、誇りを犠牲にしてまで手に入れる健康に、いったい何の意味がある? 誇り高き日本男児よ、もう一度思い出せ。茶碗にこんもり盛られた白米を前にしたときのあの高揚感を。食らいつくたびにみなぎる力を。
ガキだから細川連立政権の時代生まれてないし、民主党政権の時は小学生だし、家族は政治に無知(興味なし)で、なんで自民党が何度も復活できてるのかを聞ける相手すらいない。
唯一、しっかり者の祖父が詳しかったが、俺が政治に興味持つ前に死んじゃった。
祖母や伯母からやれ盆が忙しいだの、今年の盆は祖父(10年前他界)の兄弟の息子が死んで頼れるのが近くだとうちだけだから世話しないといけないだの、見舞いがどうのだの
めちゃくちゃ大変だという話をされるわけ。
「私たちも何か手伝おうか?」って聞いてみたりするんだけど
「それでね…」と華麗にスルーされる。
ははあ、じゃあ手伝いはいらんのかって思って
あのときは大変だったんだよ!!
とくるわけだ。
それがわかっているから
「手伝おうか?」と聞くんだが、
もう30になる大人なのに、なぜか「しきたりや考え方が未熟な子供」と祖母に見られている。
年長者の祖母にそう見られているから、そこから下の親世代は何も言えない。
そしてしきたりを教わる機会もないので、
本当に田舎イズムが浸透しないまま、田舎では役立たずのレッテルを貼られたまま歳を重ねる。
独身で親と同居している伯母からは毎回不義理だと理不尽な怒られが発生しているが、
祖母の粋な計らいだと思って、
ありがたく今年も悠々と過ごさせていただく。
似たような境遇だなと。
叔父は若い頃は痩せていたそうなのですが、甘いものばかり食べているので太っています。
わたしも痩せ体型です。
あの大食漢でありながらあの程度の肥満で済んでいる、とでも言うべき食生活でして。
昨年に失恋しまして、そのショックで食べられなくなり、1ヶ月で3キロペース、半年で20キロ近く痩せました。
確かにショックではありましたけど、それにしても痩せすぎだろと。
だからこそ太りにくい。
つまりは糖尿病と隣り合わせの危うい身体なんだろうなと推測してます。
……お互い頑張りましょ
あなたが最初に提示した文章には、「それっぽく見える」けれど重要な部分で誤解・誤用・省略・雑な因果関係が混ざっており、結果として思想史的に誤解を助長するような構成になっています。以下、主要な問題点を構造的に解説します。
項目 | 内容 | 問題点・誤解 |
①リベラル=アメリカ民主党から始まった説 | 「リベラルとは基本的に米民主党のこと」 | →起源の混同。リベラリズムの歴史は17世紀のロックにまでさかのぼる。民主党はリベラルの一潮流でしかない。 |
②アメリカでは「社会主義=全体主義」と思われているからリベラルと名乗った | 「社会主義=全体主義だから、リベラルと呼ぶようになった」 | →因果の逆転と単純化。「リベラル」という用語は19世紀から使用されており、「社会主義のオブラート」ではない。 |
③リベラル=社会民主主義的なもの | 「社会的弱者を助けるのがリベラル」 | →文脈依存を無視。これは「現代アメリカの左派的リベラル」の特徴であり、リベラリズム全体に当てはまるわけではない。 |
④共産党はリベラルではない | 「共産党は本来リベラルに含まれない」 | → 一理あるが文脈依存。共産主義とリベラリズムは思想的に異なるが、政治的スペクトル上で「反保守=リベラル」と便宜上まとめられることはある。 |
⑤自由民主党の「自由」は古典的自由主義ではない | 「非社会主義・非共産主義の意味でしかない」 | → 概ね正しいが一面的。戦後日本の保守政党が「自由」の名のもとに中道右派〜保守を包括したのは事実だが、経済政策や価値観の変遷は省略されすぎ。 |
⑥ 「全体主義国家も自由を主張する」は正しいが飛躍がある | 「自由の定義が違うから全体主義でも“自由”と言える」 | →重要な指摘だが雑。確かに全体主義国家は「国に奉仕する自由」を唱えるが、これは「自由の悪用」であり、それが「自由」と本質的に同等とは多くの思想家は認めていない。 |
⑦ルソー=全体主義の元祖 | 「ナチスもソ連も北朝鮮もルソーの弟子」 | → 最大の飛躍。この論は思想史的に一部の過激保守が採用するが、学術的には極めて限定的・疑問視されている。 |
リベラリズムはロックやモンテスキュー、ミルらによって体系化された「近代思想」であり、アメリカ民主党のような政党はその一潮流にすぎません。
アメリカ民主党は、1930年代のFDR(ニューディール政策)以降、「社会的自由主義(SocialLiberalism)」へ傾いたため「リベラル政党」と言われるようになったのであり、リベラルの起源ではありません。
これは因果関係が逆です。
「リベラル(liberal)」という言葉は19世紀から既に存在し、もともとは古典的自由主義者を指しました。
アメリカで「社会主義」という言葉に拒否反応があるのは事実ですが、それは冷戦以降の文化的・政治的な対立構造の結果であり、「だからリベラルと名乗るようになった」というのは説明として不正確。
これは現代アメリカの「リベラル派(左派民主党)」に特有の立場ですが、
また、社会民主主義(例:北欧型福祉国家)とリベラルの違いもスルーしています。
社会民主主義は元来マルクス主義に起源を持ち、リベラリズムとは異なる思想的流れです。
リベラリズムは私有財産の保護や自由市場の容認を基本とするため、共産主義(特にレーニン型)とは本質的に異なります。
ただし、政治スペクトル上の「反保守・人権派」的な分類では共産党も“リベラル陣営”に入れられることがあり、定義を明確にして議論すべきところです。
これはアイザイア・バーリンやハンナ・アーレントらの議論に近い視点ですが、
この文章では「自由の名を騙る偽の自由」と区別せず、「全体主義も本気で自由を信じているんだよ(つまりリベラルも危険)」という誘導的な言い回しになっています。
これは最も荒唐無稽な主張です。
ルソーの「一般意志」が暴走的に運用されれば集団主義に変質しうるというのは一部学者の指摘ですが、それと
「ルソーの思想がナチスや北朝鮮の思想的源流」というのは飛躍を通り越して陰謀論の域です。
が最大の問題です。
見た目は博識っぽいのですが、実際には
ご希望あれば、逆にこの文章を思想的に正確でフェアな形に書き直すことも可能です。
ChatGPT に質問する
世の会見★4 [345412363](576)
76(14)(ワッチョイ a3af-jVDF) 1/2sage 07/12(火) 18:25:15.60 wMUWWIkuO
(1/2貴家)
ここまでまとめ
21歳の時参加させられる。
離婚すると天国にいけないため、母親が離婚するなといってきた。
(韓国での)合同結婚式の費用(再祝福)は、日本人140万円、韓国人14万円(140万ウォン)
統一教会は、日本では献金ノルマがきついが、韓国ではそうでもない。
日本は従軍慰安婦の加害者なので、乞食と結婚させられても仕方ないという教義
107 (5)(アウアウウーSa09-IcC4)sage 07/12(火) 19:41:23.62 SVOECWHSa
:
・統一教会は韓国のカルト宗教で「韓国は救世主の国、日本は悪魔の国」という思想で、言者を洗脳させて全財産を教会へ寄付させている
・統一教会は日本人女性を洗脳し、貧しい韓国人男性と強制的に結婚させて韓国の血の入った子を産ませることで、「日本の穢れた血を浄化」しようと考えている
・統一教会の教祖は日本の自民党の岸信介首相(安倍晋三の祖父)と盟友であり、1950年代から日本の政界と協力していた
・1990年代の時点で、日本の国会議員のうち100人以上(多くは自民党)の秘書は統一教会の者であり、議員たちの活動は統一教会へ報告され、指示を受けていた
・安倍晋三政権になってから、国会議員が統一教会の行事へ公然と参加するようになった。さらに統一教会と関わる議員が出世しやすくなり、自民党議員たちは安倍の寵愛を受けるためにこぞって統一教会との関わりを深めていった
先日90歳の祖父が入院したので、「万一の場合無駄な延命治療は希望しません」的な念書にサインして思ったのだが
最近ネットで「延命治療反対」だの「緩和ケア反対」だとか言われてるの、「こいつら延命治療や緩和ケアの定義分かってないな(自分もよく分からん)」ということで調べた
とはいえ「こういうのはっきり線引きできるもんじゃないからさ~」とか言ってると、社会保険が逼迫するにつれて平均寿命より上の人間は全員まとめて負担増という結果になる気がする
また、老人福祉はその子供である現役世代に対する福祉でもあるという意見が多々見られるが、今後高齢者に対する現役世代の比率が1を割ると、自分の親だけ面倒見る方が期待値が得になるため長続きしない論法である
(こういうときにかつて見られた「今の高齢者福祉削ると当然自分が高齢者なった時の分も削られるんだぞ」という意見が今では見られなくなり、つまり自分が高齢者になったときは削られてるのが前提になっているのも時代の経過を感じる。上記の意見も同様に消えていくだろう)
DQNネーム、キラキラネームの話を聞いているといつも思っていた。
「いやそんな名前付ける訳ないじゃん」と。
中学の担任に子供が生まれた時「心愛ちゃん」と名付けていたけど、
冷静な時は「いや付けないな~あの名前」と思っていた。
でもこの度無事に妊娠して分かった。
子供はまだなのか、と。
軽い感じだったので冗談と本気半分ずつだったと思う。
私だって欲しかった。でもタイミングが悪いのか成果は出てなかった。
そう思っていた矢先の発覚だった。
嬉しかった。身体も手も大きい旦那が、ちいちゃい赤ちゃんをあわあわしながら抱っこする姿、見てみたいと思っていたから。
でもつわりが来ない!!!体調元気過ぎる!!!ただほんと久し振りにじんましんが出まくった!!!
じんましんは薬もらったのと保湿し始めたら消えてきた。大丈夫そう。
親しい友達数人にと親にだけ言ったけど、早く広めたい気持ちがすごい。
でもできたこと言うと、マタニティハイからのドリームをめっちゃ語りそうなのでぐっと堪えている。
体調良いけどほんとかな~でも病院では~とか勝手に一人で語ってそう。
自分だってマタニティハイの話聞いても「そっかー」しか返せないよ。
人にされたくないこと、するべきじゃない。
長崎で被爆した祖父が「一瞬でいなくなって影になった」と話したことを
ネットで英語で書き込んだら「ウソ言うな」と炎上したことがあるという話
https://togetter.com/li/2573195
https://togetter.com/li/2572407
非論理的な決めつけをよしとする反日権力側ではない方がよいけれど
自民が社民と裏でつるんでるのは「一水会を鼓舞する会 中曽根」
で、河村さんは確かに馬鹿ではあるのだけれど、いい人の部類である事には
権力が反日だからね。表現の自由展がやってる事は統一教会と同じ方向性。
まぁ「エロが第一」と思ってるならN国党立花が一番近いのだろうけど
推奨できません。
って書いたりしても消されないのが表現の自由でしょ。
抹殺されないようにしないと。
支持してるのが北村弁護士です。
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
「発想の飛躍」とは?祖父の兄弟というのはただの事実でそれ以上でも以下でもないから「発想」の概念とかする余地がないんだが?
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祖父の兄弟だからそもそも相続の見込みなんてよっぽどのレアケースが起こらない限りないんだが。
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外国人犯罪を黙認するとか
俺の実家のある場所は南米からの出稼ぎ労働者が多くて、治安もスラムとまではいかないけれど、地元の学校やPTAで「◯◯川の向こう(外国人労働者が多くたむろする地域)には絶対に行かないように」みたいな連絡がしょっちゅうあるようなところなんたけど、以前俺の従兄の中学生の娘が下校中に出稼ぎ労働者数人に腕を掴まれて車に引き込まれそうになった事件があって警察に通報しようとしたとき、祖父だけは大反対して親族一同から総スカン食らうという出来事があった
祖父曰く「外国人労働者なしでこの国は成り立たない。だから慎重になれ」「そんなことで警察沙汰にしたらこの街は彼らから見捨てられる。そうなったらお前らは責任を取れるのか」「彼らは本当に乱暴しようとしたのか分からない。孫に好意を寄せて仲良くなろうとしただけかもしれない。なのにいきなり警察沙汰はやり過ぎだ」だそうで、当然だが祖父の家には誰も近寄らなくなった(同居していた祖母は既に他界してる)
特にキレたのは娘の父である従兄で、じゃあ親父の全財産売り払って◯◯団地(外国人労働者が多く住むことで有名)に行って、風俗代あげるからうちの孫に手を出すのは辞めてくださいとお願いしてこい!と胸ぐらをつかんで怒鳴り散らしてたが、それでも祖父は考えを曲げなかった
その後警察に被害届を出したが、被疑者が捕まったという話はなく、従兄一家は娘の中学卒業を機に遠方へ引っ越していった