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はてなキーワード:社会権とは

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2025-08-20

クズすぎん?

日本人絶対に守りたくない人権

日本人が死んでも守り抜く自由

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2025-08-01

anond:20250620063320

子供を育てるということは命の大切さを日々何より痛感し、人間として成長し続けるということ。

子供のいない人間は命の価値など一生理解できないし、いつまでたっても自分勝手下劣人格のまま留まる。

人間としてまったく格が違う。

同じ人権が与えられるのはあまり不正義、不公平

子なしは少なくとも生存権社会権参政権制限するべき。

Permalink |記事への反応(0) | 18:26

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2025-07-28

綺麗事じゃ飯は食えない」とかい馬鹿

貴族でもないお前が毎日飯を食えるのは『綺麗事』が社会権最低賃金を守ってくれてるおかげだ

Permalink |記事への反応(0) | 04:16

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2025-06-19

お前らにロシアイスラエル批判する資格はない

なぜならお前らはロシアイスラエル選挙投票していないからだ

日本批判する資格があるのは日本選挙に行った人だけなのと同じ話だ

法治国家では権利と義務はセットであり権利行使するには義務を果たさなければならない

義務教育を受けてさえいれば国民の三大義務が納税労働投票である理解しているはずだ

納税という義務を果たした者への対価として社会権保障され

労働という義務を果たした者への対価として労働権が保障され

投票という義務を果たした者への対価として参政権保障される

兵庫県民は投票してない他県民に県政を批判されて気の毒だったが

もうすぐある都議会選挙においても小池都政批判する資格があるのは都議会選挙投票した都民だけである地方民はよく覚えておくように

Permalink |記事への反応(2) | 23:48

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2025-05-18

https://anond.hatelabo.jp/20250518161228

第四章 国まもり

(目的)

第十五条 国は、直接間接の侵略や危難を未然に防ぎ、国民安全及び自国産業を守り、国家独立を保ち、子孫に引き継ぐことを目的に、国まもりの総合的な方針を定める (25) 。

(情報及び防諜)

第十六条 国は、海外情報も含め、広く国民に多様な情報を知らせる義務を負う。

2報道機関は、偏ることなく、国の政策につき、公正に報道する義務 (26) を負う。

3報道及び情報通信に関わる業務 (27) は、国営または自国資本で行わなければならない。

4 国は、外国による諜報活動を防ぐ機関 (28) を設置し、必要措置を講じる。

5公務員は、職務上知り得た情報漏洩してはならない。

(経済安全保障)

第十七条 国は、国まもりのため、国内産業を育成し、国産技術及び研究開発を促進する。

2 国は、国内知的財産を守り、創作者を保護する責任を負う。

(資源)

第十八条資源は、国内における採掘と開発を第一に (29) 行わなければならない。

2国内で賄うことのできない資源は、一国に偏らず分散して (30)調達するよう努める。

3電気、ガス、水道その他エネルギー供給は、国営または自国資本で行わなければならない。

(外国人と外国資本)

十九条外国人の入国及び在留条件は、国が主権に基づき、自由に決定することができる (31) 。

2土地公共財産であり、外国人または外国資本譲渡 (32) してはならない。

3外国人または外国資本保有する不動産法人及び重要資産に係る権限 (33) は、情報が公開され、法律で定める手続により没収 (34) し、または正当な補償のもと、国が買い戻すことができる。

4外国人の参政権は、これを認めない。帰化した者は、三世代を経ない限り (35) 、公務に就くことができない。帰化の条件は、国柄理解及び公共安全基準に、法律で定める。

(自衛軍)

第二十条 国は、自衛のための軍隊 (36) (以下「自衛軍」という)を保持する。

2自衛軍の最高指揮権は、内閣総理大臣が有する。

3自衛権の発動と解除は、国会承認必要とする。ただし、緊急やむを得ない場合は、事後にこれを得るものとする。

4自衛軍及び軍人に関する事項は、法律でこれを定める。

5軍事裁判所 (37) を設置し、その構成法律で定める。ただし、最高裁判所に上訴する機会は保障される。

(領土等の保全)

二十一条 国は、領土領海領空その他主権の及ぶ領域保全する。

2外国軍隊は、国内に常駐 (38) させてはならない。

3外国軍隊基地軍事及び警察施設は、国内に設置してはならない (39) 。

第五章統治組織

(統治原理)

第二十二条統治は、國體尊重し、全国民のため、和の精神をもって行う。

2立法権国会に属し、行政権内閣司法権裁判所に属する。

3 すべて公務員は、日本国民である (40) ことを要する。

(政党)

二十三政党は、加入する国民意思によって運営され、その要件法律で定める。

2政党資金は、国または国民のみ拠出することができる。

3 国は、政党活動を公平に援助し、国民政党情報提供しなければならない。

(国会)

第二十四条国会は、衆議院参議院から組織され、内閣総理大臣指名法律の制定、条約承認予算及び決算承認、国政の調査権限とする。

2国会議員任期は、衆議院四年、参議院六年とし、参議院は三年ごとに半数を改選する。

3国会議決は、各院の総議員の三分の一以上が出席し、各院の過半数の賛成を要する。

4内閣は、国会召集し、毎年一回国会を開催する。ただし、各議院の総議員の四分の一以上の要求があるときは、三十日以内に (41)国会召集する。

5国会に関するその他の制度は、法律により定める。

(内閣)

第二十五条内閣は、総理大臣及び国務大臣構成され、国政全般を統括し、法律及び予算執行する。

2内閣総理大臣は、国会議員の中から選出され、国務大臣の任免、最高裁判所長官の指名自衛軍指揮権を有する。ただし、衆議院解散は、第四項の場合に限るものとする。

3内閣は、国家安全に支障ある場合を除き、国会及び国民の求めに応じ、国政に関する情報提供する。

4衆議院で不信任の議決があったときは、内閣総辞職するとともに、その判断により、衆議院解散することができる。衆議院解散中に、緊急の必要があるときは、参議院法律で定める特別権限を有する。

5内閣に関するその他の制度は、法律により定める。

(裁判所)

第二十六条裁判所は、法律上の紛争解決し、法律条約命令条例について憲法適合性の判断を行う。

2裁判官は、法と良心に基づき、公正に職務執行する。

3裁判所は、裁判手続及び内部規律について規則を定める権限を有する。

4裁判官は、次の各号のいずれかに該当した場合、その地位を失う。

一 定年に達し、または心身の故障のために職務を執ることができない場合

国会の弾劾または法律に定める国民審査により罷免された場合

(評価委員会)

第二十七条 国は、制定した法律実施した政策、歳出及び選挙の公正について、その評価を行って国民公表する委員会(以下「評価委員会」という。)を設ける。

2評価委員会は、公益の確保を目的として、内閣に助言及勧告を行うことができる。

3評価委員会に関する構成員の選任その他の事項は、法律でこれを定める。

(国民投票)

二十八法案の審議につき、いずれかの議院において総議員の三分の一以上の要求があったとき、または内閣必要判断したときは、内閣は、国民投票実施することができる。国会は、その結果をふまえ、採決を行うものとする。

2 成立した法案につき、一定の期間内有権者一定数以上の同意を得た請願が提出されたときは、内閣は、国民投票実施することができる。国民投票過半数の賛成があったときは、国会は、当該法案につき再審議を行わなければならない。

第六章財政

(通貨発行権)

第二十九条 国は、円を単位とする通貨を発行する権限を有する。

2紙幣の発行は、法律に基づき、国が監督する中央銀行に委ねることができる。

3 国は、通貨発行及び金融政策が、外国または国際機関干渉を受けないよう措置を講ずる。

(財政)

第三十条財政は、経世済民目的とし、通貨発行により資金調達することを原則とする。

2予算は、内閣作成し、国会承認を得る。決算は、会計検査院による検査及び評価委員会による評価を毎年公開し、国会承認を得る。

3 国の財務状態は、すべての会計につき、簡潔明瞭に (42)国民に示さなければならない。

4皇室財政は、皇室の総意により決定された方針に従って内閣予算を編成する。

5地方自治体財政は、原則税収をもって賄い、不足する場合は国の予算より充当する。

6地方自治体は、日本の伝統文化の存続普及のための予算を設けなければならない。

(税制)

第三十一条 税は唯一の財源ではない。税及び社会保険料の設定変更は、国民生活配慮し、法律に基づくことを要する。

2 税及び社会保険料国民所得に占める割合国民負担率)は、特段の事情がない限り、国民所得の四割 (43) を超えてはならない。

第七章 重大事

(最高法規)

第三十二条憲法は国の最高法規であり、日本国柄を示すものであって、これに反する法律条約 (44) 、命令条例その他の行為は効力を有しない。

2国際機関の決定や勧告は、憲法または日本固有の慣習に反する場合、効力を有しない。

(改正)

三十三条 この憲法改正は、各議院の総議員過半数の賛成で発議し、法律で定める国民投票において、有効投票過半数承認を得て行う。

2改正した憲法は、天皇公布する。

以上

(1)憲法制定を言祝ぎ、国歌掲載した。

(2)しらすとは、国民の実情を広く知って日本を治める意味古語である

(3) 君民一体とは、天皇国民が一体となって国を治める意味をいう。

(4)大嘗祭新嘗祭などは国の公式祭祀となる。

(5)神聖君主属性でもあり、皇祖皇宗の神霊と一体として詔勅を発し、祭祀主宰する事実による。

(6)詔勅は、国民権利義務を生じさせず、法的拘束力を有しないが、公共利益のために発せられる。

(7) 裁可とは君主裁量許可すること。これにより生じる君主拒否権のことを veto(ベトー)という。再度の奏請の規定により拒否は一度に限られる。

(8)摂政は、天皇未成年、御不予(御病気)等の理由による臨時役職であり、天皇権限を代行する。

(9) 暦は、明治六年から導入された太陽暦や、それ以前の太陰暦などをいう。

(10)国民の国政参加機会の拡充(参政権の年齢引下げ、国民投票など)からくる要請である

(11)規範要件だが、我が国に対する害意がないことをもって足りると解すべきである

(12) 国まもりの参加協力の努力義務と解すべきである

(13)権利を「権理」と記したのは、right の翻訳として、「理に適った」という趣旨を含む用語として適切だからである福沢諭吉翻訳として二つの用語を用いていた)。

(14) 国が国民の権理とともに、公益の最低限度を確保すべきことを定める条文である

(15)私益より公益が優先することは、権利自由公共の福祉のもと認められることと同じ趣旨である。本憲法において、公共利益公益)をより具体化して定めている。

(16)包括的自由権との解釈である

(17)尊厳をもって生存する社会権も含めた包括的基本的権利をいう。

(18)日本憲法では権利自由は、原則として公共の福祉(公益)による制約があるとされた。本憲法においても、権利自由は、本憲法に定める公益と適合する範囲に限られ、濫用禁止する趣旨である

(19) 将来の政治参加に向けて、国民情報を適切に判断し、問題解決する主体性をもった教育をいう。

(20)フリースクールなど義務教育課程における様々な選択肢を設ける趣旨である

(21)自給率パーセント以上をいう。

(22)新型コロナウイルス予防接種全国的事実強制され差別されたことへの教訓と反省による。

(23)政治に参加する義務は、直接に投票義務政党加入などを義務付けるものではなく、日本憲法における勤労の義務と同様、その能力や機会に応じた行動に努めるものである

(24)外国人の帰化を通じた政治介入を予防する趣旨である

(25) 今や情報経済産業等の諸分野が、国まもりに関係しており、全体像の取りまとめが必要である

(26)現在放送法規制はあるが、新聞インターネット上の報道には規制がない。

(27)新聞テレビラジオ衛星放送郵便電話インターネットSNSクラウドに関わる業務を言う。

(28)防諜機関は、外国の諜報・宣伝・謀略等の工作活動を阻止することを任務とする国の組織である

(29)石油石炭レアメタルなど重要鉱物国内調達やその可能性を優先すべき訓示規定である

(30)大東亜戦争時に石油特定の一国に依存したことへの教訓と反省による。

(31)マクリーン事件最高裁判決に同趣旨

(32)無償及び有償譲渡を含む。外国人及び外国資本による土地買収を規制する趣旨である

(33)国内土地建物国内企業の株式国内法人の持分・出資社員権などの権利をいう。

(34)没収は、犯罪不正の取得など例外的場合に限られる。

(35)三世代とは、日本国籍でない者が帰化し、その者を一代として、曽孫において初めて公務就任権が認められる。外国人の帰化による政治介入を防止する趣旨である

(36)軍隊とは、交戦権を有し武力行使任務とする国家軍事組織をいう。通常、陸海空軍に分かれる。自衛隊は交戦権がなく、必要最小限度の防衛任務とする点で異なる。本憲法軍隊は、自衛権の行使任務とする。

(37)軍事裁判所軍隊及び軍人に関する事項を審理するが、最高裁判所が終審裁判所となる。

(38) 常駐とは、意に反して又は合意に基づく恒常的な駐留をいう。一時的な訓練や寄港のための滞在は含まない。

(39) 本条二項三項が本来状態であるが、その実現のためには、本憲法に基づく国まもりの施策実施し、段階を踏む必要があると考えている。

(40)帰化場合十九条第四項により三世代を経ることを要する。公益従事義務情報漏洩禁止

(41)日本憲法にない具体的な期限を明示した。

(42)国民政治参加要請による。

(43)国民の平均的な所得の四割を超えない趣旨である財務省の統計では、戦後平成二十五年に初めて四割を超えた。なお、党の政策では三割五分の実現を目指している。

(44)日本憲法では明確でない条約憲法審査権を明記した。

Permalink |記事への反応(0) | 16:19

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2025-05-13

https://archive.md/bytFx :https://archive.md/flipqhttps://archive.md/Qjp8Mhttps://archive.md/tN4Lv

本邦で社会権論者が左派と一緒になって語るときは「住民基本台帳への片寄せ」「相続フォロー必要制度住民基本台帳制度に載せなさい」というOrderになる。

韓国他国もそのベクトルの先の事象のはず。

旅券と混ぜて語るのは、どう見ても右派妄想に基づく偽問題

Permalink |記事への反応(0) | 03:53

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2024-09-04

anond:20240904013359

リスクに応じた応分負担を課すのは違反してないんでしょ?

なら、明らかに労働力としては男の方が必要にされてるんだから、女からはその分社会権を制約するのは理に適ってるよな?

Permalink |記事への反応(0) | 01:38

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anond:20240904013122

だったらリスクに応じた応分負担として、労働に役に立たない女からは、それに応じて社会権を制約して当然でしょ。

おまえみたいな性差別主義者ゴミオバに人権なんて与えたからこうなってんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:35

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2024-07-23

anond:20240723204204

日本国憲法には、他の先進国のさまざまな要素が取り入れられています。以下にその要素をもう少し詳細にまとめます

 

アメリカの影響:

基本的人権の尊重:アメリカ合衆国憲法の「権利章典」に影響を受け、日本国憲法基本的人権の尊重を強調しています

三権分立:立法行政司法三権分立の仕組みは、アメリカ合衆国憲法からの影響です。これにより権力の集中を防ぎ、チェックアンドバランスを維持しています

 

イギリスの影響:

象徴天皇制:天皇を「日本国および日本国統合象徴」とする象徴天皇制は、イギリス立憲君主制を参考にしていますが、日本独自歴史文化に根ざした形です。

二院制衆議院参議院):日本議会制度は、イギリス議会制度(庶民院貴族院)に似ています二院制により、多様な意見が反映されやすくなっています

 

フランスの影響:

個人尊重:フランス人権宣言に触発され、日本国憲法個人尊重を強調しています特に個人自由平等に対する尊重規定されています

 

ドイツの影響:

社会権保障:ドイツワイマール憲法から影響を受けて、生存権教育を受ける権利などの社会権日本国憲法に盛り込まれています(第25条、26条)。

 

スイスの影響:

地方自治:地方自治の強調は、スイスカントン制度に似た要素が見られます日本国憲法地方公共団体自治保障し、住民自治原則を取り入れています

 

国際連合の影響:

国際平和理念:日本国憲法の前文では、国際連合理念に基づき、国際平和のために積極的に貢献することが謳われています戦争放棄と戦力の不保持を規定する第9条もこの理念に基づいています

 

カナダの影響:

地方分権の推進:カナダ憲法には連邦制の要素がありますが、日本国憲法はこれを参考にしつつ、日本地方自治体に適した形で地方分権を進めるための規定を設けています

 

これらの要素を取り入れることで、日本国憲法他国の優れた点を反映しつつ、日本歴史文化戦後の状況に合わせた独自現代的な憲法として制定されました。

Permalink |記事への反応(0) | 20:47

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2024-04-15

anond:20240414090650

氷河期ど真ん中世代としては、新自由主義政策を決定したのは当時の社会権力者層(バブル世代の更に上)なので、気付いたときにはどうしようもなかった。

けど、自分自身でそういった流れに迎合していたのも事実かなと思う。選挙でも与党投票する氷河期世代は多かったはず。

社会人なりたての頃は、政治家には企業経営者のようなセンスと実行力が必要だなんて言っちゃったりしてた。今思うと恥ずかしい。

自分派遣大企業の末端営業になったときも、これから正社員というのはどんどん減って、各業務領域プロである派遣と、少数の経営者による組織体制が増えていくのだろうと想像した。そして派遣給与スキルや成果によって上がっていくものだと。

今思うと企業経営感覚政治やられたらたまらないし(企業が「市場ではない」と切り捨てる取すてるところまでフォローするのが政治だ)、竹中平蔵綺麗事のような未来は来るはずもなかった。新自由主義なんて結局、エリート主義の言い換えにしかならなかったんだなと思う。

誰も自分たちの境遇が悪いものだとは思いたくないから、その立場正当化するための言説に流れてしまう。あらゆるものが貧しくなり気候変動も酷いのに「日本には四季がある」と誇っちゃうのと同じ。

Permalink |記事への反応(2) | 07:25

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2024-02-27

anond:20240227130031

じゃあ平等権社会権自由権

Permalink |記事への反応(1) | 13:41

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anond:20240227115854

生存権労働権は社会権内包されてる

Permalink |記事への反応(1) | 13:00

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2023-03-01

anond:20230301125513

あいうのは咄嗟の言い換えが必要なんやでな

からその場ではオーッってさせたらその場では勝ちなんや

だけど次に会う時にお互いがその内容を覚えててやり返されることもホンマはあるんや、今は色々めんどくさがってるからやり返さへん人もおるけどな

 

権利的には社会権の中の生存権健康で文化的な最低限度の生活をいとなむ権利』にも該当するんちゃうか。

Permalink |記事への反応(1) | 13:06

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2023-02-07

日本共産党綱領にみる変革主体についてのメモ

一、 戦前日本社会日本共産党

(中略)党は、この状況を打破して、まず平和民主的日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。

二、 現在日本社会特質

 (四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。

(中略)第二は、日本政治制度における、天皇絶対専制政治から主権在民原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本憲法である。この憲法は、主権在民戦争放棄国民基本的人権国権の最高機関としての国会地位地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。

 この変化によって、日本政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。

三、 二一世紀の世界

(中略)国民主権民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治原則となり、世界政治の主流となりつつある。人権問題では、自由権とともに、社会権の豊かな発展のもとで、国際的人権保障基準がつくられてきた。人権擁護し発展させることは国際的課題となっている。

最初社会主義への道に踏み出したソ連では、(中略)レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界平和社会進歩運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。

(中略)

いかなる覇権主義にも反対し、平和国際秩序を守る闘争核兵器の廃絶をめざす闘争軍事同盟に反対する闘争諸民族自決権を徹底して尊重しその侵害を許さな闘争民主主義人権擁護し発展させる闘争、各国の経済主権尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争気候変動を抑制地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。

(中略)

(一一)この情勢のなかで、いかなる覇権主義にも反対し、平和国際秩序を守る闘争核兵器の廃絶をめざす闘争軍事同盟に反対する闘争諸民族自決権を徹底して尊重しその侵害を許さな闘争民主主義人権擁護し発展させる闘争、各国の経済主権尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争気候変動を抑制地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。

(中略)

日本共産党は、労働者階級をはじめ、独立平和民主主義社会進歩のためにたたか世界のすべての人民連帯し、人類進歩のための闘争を支持する。

四、 民主主義革命民主連合政府

一二現在日本社会必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属大企業財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治経済社会民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能民主的改革であるが、日本独占資本主義対米従属体制代表する勢力から日本国民利益代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立民主平和日本に道を開くものである

(一三)現在日本社会必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである

〔国の独立安全保障外交の分野で〕(中略)

憲法民主主義の分野で〕

1 現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和民主的条項の完全実施をめざす。

 2 国会名実ともに最高機関とする議会制民主主義体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権担当する政権交代制は、当然堅持する。

 3 選挙制度行政機構司法制度などは、憲法主権在民平和精神にたって、改革を進める。

 4 地方政治では「住民主人公」を貫き、住民利益への奉仕を最優先の課題とする地方自治確立する。

 5 国民基本的人権制限・抑圧するあらゆる企てを排除し、社会経済的諸条件の変化に対応する人権の充実をはかる。労働基本権全面的擁護する。企業の内部を含め、社会生活の各分野で、思想信条の違いによる差別を一掃する。

 6 ジェンダー平等社会をつくる。男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性独立した人格尊重し、女性社会的、法的な地位を高める。女性社会進出・貢献を妨げている障害を取り除く。性的指向性自認理由とする差別をなくす。

 7 教育では、憲法平和民主主義理念を生かした教育制度行政改革をおこない、各段階での教育諸条件の向上と教育内容の充実につとめる。

 8 文化各分野の積極的伝統を受けつぎ、科学技術文化芸術スポーツなどの多面的な発展をはかる。学問研究文化活動自由まもる

 9 信教の自由擁護し、政教分離原則の徹底をはかる。

 10 汚職・腐敗・利権政治を根絶するために、企業団体献金禁止する。

 11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇政治利用をはじめ、憲法条項精神からの逸脱を是正する。

(一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民中小企業家、知識人女性青年学生など、独立民主主義平和生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。


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2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世にPermalink |記事への反応(0) | 18:41

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日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世にPermalink |記事への反応(0) | 18:41

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日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世にPermalink |記事への反応(0) | 18:41

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2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivilresistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivilresistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civilresistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

Permalink |記事への反応(2) | 02:40

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2022-07-31

anond:20220731091708

公共の福祉検索かければ出てくるな。

他の権利との衝突や矛盾は調整されるからどんな権利も無制限ではない。他の権利と衝突する権利制限される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E3%81%AE%E7%A6%8F%E7%A5%89

公共の福祉人権相互矛盾を調整するために認められる実質的公平の原理と解する。この意味での「公共の福祉」とは、憲法規定にかかわらず、すべての人権論理必然的に内在しているとする。この「公共の福祉原理は、自由権を各人に公平に保証するための制約を根拠付けるためには"必要最小限度の規制"のみを認め(自由国家的公共の福祉)、社会権実質的保証するために社会国家公共の福祉として機能する、とする[1]。

Permalink |記事への反応(1) | 09:19

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2022-07-03

続・表現の自由についてのメモanond:20220702054142追記

anond:20220702054142追記。基本引用元は元記事ブコメhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。

1.表現の自由私人間で問題となる場合はどんなものがあるか

frothmouth公権力でないか規制でない、ってのも今の時代実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒

 ここで問題にしているのは一般人の抗議運動ボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである公権力でないか規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。

 2022年現在公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマー問題だろう。我々の言論はあまりにも出版放送通信インフラ依存している。たとえばツイッターフェイスブック、「マンガアニメ」の類を配信しているプラットフォームpixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォーム言論依存しているので、もはや作者の書く自由擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマー恣意的管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版自由を有するから、「持ち込まれ言論絶対出版しなければならない」義務政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチ禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。

ピクシブ株式会社サービス利用規約14条

23 極端な思想反社会的行為を賛美・助長する表現投稿または編集する行為

24人種信条職業性別宗教などの差別を賛美・助長する表現投稿または編集する行為

言論流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマー私人はいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーもつ出版自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題ますますなっていくだろう。

 なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシー名誉毀損にあたる言論裁判所差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者営業自由は、もともと社会権保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシー名誉毀損営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーもつ表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由称揚すればするほど、プラットフォーマー地位が向上していき、利用者立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自ポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版拒否する。表現の自由称揚し、表現の自由地位を向上させればさせるほど、出版拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。

 なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業やらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか

2.規制とはなにか

minominofx66 まずは宇崎ちゃんしろたわわにしろ萌え絵アニメ規制されるべき「エロ」なのか、健全表現範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。

 第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由擁護する上でどうでもいいことである重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメマンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力刑罰をもって発売頒布禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。

 第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力法律条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布禁止されなくても、流通過程制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍広告を出したり、街頭モニタービデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。

 第三に、宇崎ちゃん欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全表現規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。

 とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。

3. 雑多に。

(1)

daydollarbotch用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由考慮され得る。判決引用部分では特にわいせつ表現表現の自由保護範囲外とは読み取れない(2階へ

①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしあなたが考えているところのあるべき「わいせつ概念ではなく、最高裁判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である

ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物存在の面を明瞭に意識させるから羞恥感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心麻痺させ、理性による制限度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務教育宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条猥褻文書頒布販売犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである

チャタレイ夫人の恋人事件最大判

②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由考慮するかが問題である。抗議者の言動裁判所差止めれば、それこそが表現の自由制限となるから裁判所差止権限行使するにあたっては、表現の自由趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである

嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。

関連して。

type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つもの表現言論自由保護を受け、他の権利との綱引き規制されている。

 確かに刑法175条はわいせつ文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売頒布禁止される。警察刑法175条の取締り方針を変更して、性器露出したり、性行為描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護レベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v.Georgia, 394 U.S. 557 (1969)判決がそう言っているが)。

(2)

CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由戦士たちを知らない・・・

 「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。

(3)

hom_functor これだけ長文書いても表現規制する合理的理由絶対説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論やすブコメチェリーピッキングするだけ

 「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコット理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかし問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。

(4)

sirobu表現不自由展に対する街宣カーも自由制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?

 あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用許可しかり、公権力規制に乗り出していることを考えれば、表現不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ規制」が問題だった。公権力嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長愛知県知事リコール運動)。

(5)

thesecret3憲法法律ではないので専門家判決がどうでも各自独自解釈で主張してもいいと思う。自由保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。

 それは畢竟独自見解ですね。

 なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。

Permalink |記事への反応(0) | 03:40

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2021-04-04

anond:20210404210145

日本全国どこでも110で拳銃武装ポリスが来るんだから社会権力が強い方が強者

腕力なんて役に立たない

柔道金メダルを取っても警察が来たら負ける

Permalink |記事への反応(2) | 21:17

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2021-02-23

[増田統計]2021年2月22日月曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
0021828358130.145
011581405589.044
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Permalink |記事への反応(0) | 00:05

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2021-02-22

anond:20210222151750

人権保障しないが社会権保障する

とか

社会権保障するが殺処分をする

とか

矛盾してるって気づけよって思うけど、独自定義するやつは独自定義で乗り切るから会話に意味がない

Permalink |記事への反応(1) | 15:25

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anond:20210222151408

はいはい

自律してない人間人権保障しないが、自律してない人間社会権保障する

自律してない無能殺処分するべきだが、自律してない人間は即殺処分とは言ってない

なぜ俺の言ってることがわからないんだ

読解力がないな

なんて、一生言ってるといい

Permalink |記事への反応(1) | 15:16

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anond:20210222150622

社会権自分の力で自律できない人に保障される権利

元増田によると、自律できない人に人権保障されないんでしょうが。だから殺処分とか言ってるんでしょうが

Permalink |記事への反応(1) | 15:07

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