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はてなキーワード:社会制度とは

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2025-10-25

anond:20251025105839

思想はともかく、国民皆保険だったり終身雇用だったり最長寿の国だったり社会制度という点では左翼理想郷でしょ(今後も維持できるかは激しく微妙だが)

ソ連から世界で最も成功した社会主義国と称賛されたこともあるし

Permalink |記事への反応(0) | 11:18

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2025-10-24

チェスタトンフェンス

エンジニアリング上の限定的意味ではなく

社会制度について保守的な考えを正当化する(というかアンタッチャブルに仕向ける)ために使い出すと途端に臭くなる

Permalink |記事への反応(0) | 22:08

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2025-10-15

anond:20251015211741

例えばですが、性加害(デートDV経済DVなど)におびえて暮らす状況から逃れたいというのはマズロー欲求五段階説では二段階目の「安全欲求」です。

一方で恋愛したい、結婚したいというのは同じくマズロー欲求でいけばそれよりももう一段階上の「社会的欲求」や「承認欲求」となります

ですので私が思う「普通に暮らしたい」はその「安全欲求」までが守られている状態なので、結婚恋愛については社会制度で賄える段階を超えているのではないかと思うわけです。

もし恋愛結婚を「安全」と同じレベルで求めるというなら、それは社会福祉としてあまりにも個人踏み込みすぎなのではないでしょうか。

ということを思いつき、もしかしたらそこまでのケア男性(の一部)は真剣自分権利として捉えているのだろうかと疑問に思いここに書き込んでみた次第です。

Permalink |記事への反応(1) | 21:25

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anond:20251015094015

社会制度フリーライダーの人たちは別に悪いとは言わないし好きにしてていいけどさー、フリーライダーの人たちまでも頭数に入れる必要なんてないんじゃあないの?

Permalink |記事への反応(1) | 09:54

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2025-10-11

BL性的消費でありフェミダブスタ、という議論バグる理由

最近SNS上では「BL性的消費なのにフェミ男性性的表現を叩くのはダブスタじゃないか?」というスレッドトレンド入りしていた。

だがこの議論、よく見るとアーキテクチャの層が違う。つまり、話しているプロトコルが合っていない。

レイヤーのずれ:同じAPIを叩いていない

オタク文化圏では、「女性が描くBL」と「男性が描く女性向け性表現」を同一のAPIとして扱う傾向がある。

しかし実際には、両者は別レイヤーで動いているアプリケーションだ。

フェミニズムの文脈で語られる「性的表象問題」は、主に「社会的リソースの不均衡」や「ジェンダー権力構造」についての議論であって、単なる「表現内容」の良し悪しを審査しているわけではない。

まりBLを「性的に描いてるからフェミ的にアウト」と言うのは、仕様書を読まずにバグ報告を出すようなものなのだ

フェミニズムは中立設計じゃない。バイアスを前提にしたパッチ

フェミニズムのコアは「中立化」ではなく「補正」だ。

歴史的男性中心に最適化されてきた社会システムに、女性視点パッチをあてて再コンパイルする運動と言える。

から、「男性女性を同じように扱うべき」という一般論をそのまま適用しようとすると、互換エラーが出る。

フェミ思想の中では、非対称性バグではなく仕様だ。

たとえば「女性性的表象抑制されるべきだが、BLOK」とされるのは、「権力構造上の対称性存在しない」という前提で最適化されているからだ。

「まともな女」神話というフィッシングサイト

一方、「普通女性フェミと違う」「まともな女はそんな主張しない」という定番フレーズが出てくる。

だがそれは多くの場合ユーザーの気分を和らげるためのUX演出にすぎない。

実際、ほとんどの人間制度優遇レディースデー女性専用車両、離婚時の親権バイアスなど)という「プリインストールされた特権OS」の上で動いている。

たとえ本人が「私はフェミじゃない」と言っても、使っているAPIがすでにフェミ思想ベース動作しているのだ。

まり、「私は違う」という自己申告は、ただのUIレイヤー上の装飾にすぎない。

本当に平等実装できるか?

平等を掲げるなら、優遇措置をアンインストールする覚悟必要になる。

だが現実には、多くの人が「平等という概念を口では支持しつつ、既得権キャッシュを維持」している。

これはエンジニアリング的に言えば、「レガシーコードリファクタリングすると言いながら結局コメントアウトで誤魔化している状態」だ。

男女平等を“動作保証付き”で実装しようとするなら、既存社会制度ルート権限で書き換える必要がある。

だが、ほとんどの人はroot権限を持つどころか、ユーザーレベルの設定すらいじる気がない。

社会システム全体が女性優遇アルゴリズムで動いている

もっと根本的に言えば、日本社会の多くの仕組みは、女性優遇デフォルト設定としてビルドされている。

その構造はあまりにも自然化されていて、誰もコードレビューをしようとしない。

アンチフェミ自称する男性すら、「女性は守るべき対象」という社会的テンプレート内面化していることが多く、それが構造永続化を促している。

結果として、「BL性的消費」「フェミダブスタ」という批判は、異なるフレームワーク間の非互換問題にすぎない。

BLは「個人妄想自由」をレンダリングするローカルアプリだが、フェミニズムは「社会構造更新」を目指すサーバーサイドのシステム

同じメソッド名を呼んでいるように見えても、実行される関数意味がまったく違う。

結論議論の土台が違えば、永遠にコンパイルエラーになる

まり、「BL性的消費」「フェミダブスタ」という批判構造は、コードバージョンが違うままマージしようとしている状態に近い。

根本的にAPI設計思想が違うのだからいくら議論を積み重ねても互換性は取れない。

必要なのは、「どの層で話しているのか」「どの権力構造を前提にしているのか」を明示することだ。

議論を前に進めるには、感情論ではなく、社会構造のものデバッグが求められている。

Permalink |記事への反応(1) | 12:01

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2025-10-09

anond:20251009020953

結婚なんてただの社会制度なんだから損得で結婚しちゃえばいいんすよ

相手のことを嫌いじゃないなら上々

そういう人を選びましょう 選べる立場ならね

Permalink |記事への反応(0) | 03:34

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2025-10-06

先進国主要都市における生活やすさの人種総合ランキング

日本人場合は、母国である東京では非常に生活やすく、他国では少数派としての適応必要になるため順位が下がります

黒人

トロント >アムステルダムロンドン >ニューヨーク >ベルリン >東京最下位

白人

トロントアムステルダムロンドン東京 >ベルリンニューヨーク

アジア人日本人以外)

トロントアムステルダムロンドン >ベルリンニューヨーク >東京

日本人

東京 >トロントアムステルダムロンドン >ベルリンニューヨーク

💡ポイント

東京日本人にとって最上

母国であり、文化言語社会制度すべてが最適化されている

黒人にとって東京最下位

身体安全はあるが、孤立感・差別感が非常に強く精神負担

白人アジア人日本以外)は中間〜上位

多文化都市での受容度が高く、東京一定安全生活快適さがあるため上位に入る

Permalink |記事への反応(0) | 18:47

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2025-10-04

司法社会保障の現状、これから生き方

今後も日本司法は、犯罪者擁護に偏りがちな判決を下し続ける。軽すぎる量刑、甘い執行被害者軽視の傾向は変わらない。被害者が正当な償いを求めても、裁判所加害者保護を優先するだろう。

同時に、社会保障高齢者人口の増加に伴って圧迫され、年金医療などの給付は縮小せざるを得ない。現役世代負担は増え、豊かな老後を国家に頼って確保することは難しくなる。

こうした状況下では、個人が自らの安全生活の質を守るためには、自助や共助を強化するしかない。信頼できる友人や家族ネットワークを広げ、必要に応じて犯罪者に対して自ら正当な償いを実行する――いわゆる私刑的な抑止や責任追及も現実的手段となり得る。社会制度司法依存していては、理不尽被害生活不安から逃れられない。

結論として、これから時代は「国家制度任せ」ではなく、「自分の手で守る」時代になる。友人や家族を増やし、互いに支え合い、自らの生活権利を守ることが、生き残るための現実的戦略となる。

Permalink |記事への反応(0) | 20:10

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2025-10-03

リベラル意味を誤解している奴が多過ぎる

リベラルって本来自由主義のことで、法に触れない限りは自由にしてもいいよね?といった思想のことを指していた。

からいってしまえば日本エロ産業はだいぶリベラルで、けっこうコアな表現とかしてるんけど規制する法律がない限りはいいだろうってことで成り立ってる。

リベラル反政府的な意味においても用いられることが多く、そのためか現代SNS等では反政府…というより、ただアナーキー発言者に対するラベリング使用されていることが多い。

からリベラルおかしな奴みたいな構図が出来上がってしまっているけど本来全然違っていて、定められた社会制度の中で新たな試みを実行しようとする者たちのことを指すのだと認識を改めてもらいたい。

そういった意味では創作に携わる者はリベラルであるべきだし、クリエイティブさを求めるのであれば自ずとリベラルに向かわざるを得ないのだ。

Permalink |記事への反応(4) | 14:16

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anond:20251003131353

結婚に夢を見すぎ

あれは恋愛のゴールじゃなくて社会制度の一つで紙切れ上の事象に過ぎないんだよ

愛し合う二人がお互いに誓いあえるなら何も結婚をしなくてもいいんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 13:20

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2025-10-02

anond:20251002170628

例えて言うなら社会制度設計プロフェッショナル、みたいなヤツがいたとしたら、ソフトウェア作るのも得意かもしれない。

戦後すぐの役人とか。

でも、日本エンジニアって、松下幸之助みたいなのがデカくなってJTCやってるんで、そう言うのは得意じゃない。

APIなんかも、アプリケーション間の接続窓口だとはわかっていても、

例えば、カメラレンズマウントアダプターを作るのとはわけがちがう。

物理って、定義したものをその通り作ればいいんだけど、

ソフトウェア概念という意味では無制限から、そういうのは日本あんま得意じゃないな、って思うね。

実際のソフトウェア設計では、どこまで責務の範囲にするか区切るし、エッジケースは除外とかそういうのはあるんだけど、

こういうの、日本人は苦手かもなー、って業界にいて肌感覚としては思うのよ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:13

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2025-09-20

anond:20250918220204

社員のクビを切れない社会制度がすべての元凶

流れを堰き止めたら濁るのは当たり前のこと

Permalink |記事への反応(0) | 03:42

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氷河期弱者男性だけど自民党忖度する必要なかった

今の社会制度がぶっ壊れても自分底辺なのは変わらないし、むしろ壊れる状況を見てみたいし、だったら参政党かなと思った

反ワクとか言われても自分には子供いないし他人の子供がどうなろうとどうでもいいしね

だったら自分の状況が好転する可能性がある0.01%にかけてもいいよね

Permalink |記事への反応(0) | 00:48

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2025-09-19

反論性差による「ばらつき」仮説の限界問題点

東大などのトップ大学における男性過多を「男性の方が変動幅が大きいから」と説明する論拠には、以下の重大な問題点がある。

1.サンプリング文脈バイアス

ノルウェーの出生体重大学試験成績など非常に特異な集団環境対象にした分析結果を、「世界中学術芸術分野すべてに当てはまる普遍的事実」として拡大解釈している。

これゆえ、特定地域時代統計をもって「ヒト全体」に一般化するのは科学的に許されない。

2. 測定対象多様性統計有意性の混同

論文身体的特徴(体重身長)、運動能力試験成績などまったく異なる性質指標をまとめて「ばらつきが大きい」としている。しかし、

ばらつきの「幅広さ」と「裾野の深さ」を混同し、さらに多様な特性を一つにまとめて性差の大きさを誇張している。

3. 性染色体仮説の過剰簡略化

「XYヘテロ型のオス」でばらつきが大きくなるとする説明は、色覚異常血友病のような遺伝性疾患には当てはまるが、

染色体ヘテロホモ構造だけで「極端な上振れも下振れも生じやすい」と断定する理論根拠脆弱で、遺伝学的・発生学的な検証が不十分である

4.社会的文化的要因の無視

性別による役割期待教育格差、職業選択バイアスが、トップ層の男女比に大きな影響を与えている可能性が高い。

性差を「生理的メカニズム」の問題還元することで、制度的・文化的な不平等存在隠蔽してしまう。

社会的文化的要因の無視さらに深掘りすると、以下のポイントが浮かび上がります

まず、幼少期から学習環境の違いが、後の「ばらつき」に決定的な影響を与えています家庭内の期待や親の投資配分は、性別によって顕著に異なる場合が多い。たとえば理系分野で活躍を期待される男子は、高価な理科実験キットやプログラミング教材を与えられ、失敗しても挑戦を奨励される。一方で女子には「文系教養」が勧められ、数学物理に触れる機会が圧倒的に少ない。その結果、男子の中には極めて高いスキルを身につける者が現れる一方、まったく興味を示さずに学業でつまずく者も出る。この二極化が「ばらつきが大きい」というデータに結びついてしまうのです。

次に、学校職場といった集団ダイナミクスも見逃せません。模試入試といった競争場面で、男子は「勝たねばならない」と自らを駆り立てる文化的圧力を強く受けがちです。敗北をさらけ出すことが「男らしさの否定」とみなされるため、一度挫折すると周囲から隔離されやすく、それが学力面での極端な没落につながる。一方でトップ層へしがみつく者は、同級生からヒーロー扱いされることでさらに奮起し、驚異的な成果を生み出す。女子競争表現露骨に避ける傾向があり、平均的な成績で落ち着くケースが多い。これも「男性のほうが裾野が深く頂点も高い」という印象を社会が強化してしま構造です。

さらに、キャリア段階におけるメンターシップの差も大きい。男性上司教授は後進の男性を「自分後継者」として積極的に引き上げ、研究資金プロジェクトを配分する。一方で、女性研究者や技術者には「適性がないかもしれない」という先入観から重要ポジションが回ってこない例が後を絶たない。このような構造的な支援の偏りが、極端な成功例と極端な挫折例のどちらにも男性ばかりが現れる原因となりうるのです。

最後に、メディアポピュラーカルチャーの影響です。天才プログラマーや偉大な物理学者として取り上げられるのはほとんど男性であり、その物語が「努力+才能」という二項対立フレームで語られる。視聴者は「すごいのはやはり男」という刷り込みを受け、成功の頂点にいるのは当然男性というイメージを強化する。すると、女性自身がハイパフォーマーになる可能性を最初から切り捨て、失敗したとき言い訳を見つけやすくなる──これもまた、性別内のばらつき幅に見える現象社会が生み出しているにすぎません。

まり、「男性の方がばらつきが大きい」という統計的観察は、純粋生理的メカニズムだけでなく、家庭・教育職場メディアという多層的な社会構造によって作り出された結果を映し出しているに過ぎません。このことを見落としてしまえば、性差の背後にある不平等制度文化是正する機会を永遠に失ってしまうのです。

以上のように、ばらつき性差仮説はデータ一般化・指標混同単純化された遺伝メカニズム社会文化的要因の無視といった致命的な欠陥を抱えており、「男性の方がばらつきが大きいかトップ層が男性だ」という論拠としては説得力に欠ける。

Permalink |記事への反応(0) | 04:55

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2025-09-17

anond:20250917142551

フェミニズム宗教でもなければ幸せを与えてくれるものでもないよ

フェミニズム女性の権利回復のための社会運動で、社会慣習や社会制度の改定や打破を目指すもの

当然ながら現行の社会慣習(家父長制)に適合し、そこでの成功幸せを感じる女性にとっては幸せとは感じられないだろうし、フェミニストなかにもその運動個人幸福あいだに葛藤を覚えるひともいる

ただ、それでも権利制限された個人的な幸せより、苦しくても権利回復するほうが女性全体の幸福資すると考えて、運動しているんだ

もちろん、フェミニズムを介してほかの女性マイノリティたちと知り合い、これまで語らなかったような経験を共有して、新しいことを学び、という喜びはあるし、個人的にはそこに幸福を覚えるから性差別クィア差別内面化し、既存社会での幸福を望んでいたころより日々が楽しい

Permalink |記事への反応(2) | 14:44

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2025-09-16

進歩派左翼はなぜ神の摂理否定する?

進歩派左翼」といった政治的立場一枚岩ではなく、その中にさまざまな思想傾向があります

傾向として以下のような理由が考えられます

1.合理主義科学主義への傾斜

近代以降、特に啓蒙思想の影響を受けた政治的左派は、人間理性や科学を重視し、超自然的な摂理よりも「人間歴史をつくる」という視点に立ちやすいです。

これは「世界神の手にある」とする信仰よりも、「人間意志社会制度改革がすべてを決める」と考える姿勢につながります

2.人間自主性・自由の強調

神の摂理を強調すると「人間はただ従うだけ」という理解につながると考え、逆に「人間解放」や「社会正義」を人間の行動のみに基づいて語りたい傾向があります

この点は、ある意味で「神の導きを介さずとも人間自分運命を変えられる」という理念です。

3.宗教権力への警戒

歴史的に、宗教権力と結びついて抑圧に用いられた事例も多くありました。そのため左派の一部は「神の摂理概念自体支配の道具と見なし、否定する傾向があります

 

ユダヤ的な観点から見ると、タナフやタルムードはまさに「神の摂理」と「人間自由意志」の両立を教えます

箴言 19:21「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが立つ。」

申命記 30:19「いのちと死、祝福と呪いあなたの前に置いた。あなたはいのちを選べ。」

ベラホット 33b「すべては天の御手にある。ただし神を畏れることだけは人間の手にある。」

ユダヤ伝統では「人間自由責任」と「神の摂理」は両立し得る、と教えられています

Permalink |記事への反応(0) | 04:05

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2025-09-14

香港民主派批判する文章AIに書かせてみた

モデルはGPT5-mini

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

香港民主派は、かつての理想勇気象徴として称賛された。しかし、2014年以降の運動特に2019年の大規模デモの展開を振り返ると、その戦略的倫理的欠陥が明白であり、結果的香港社会に深い分断と喪失をもたらした責任は免れない。

第一に、運動の主要な訴求が「民主」「自由」「普選」であったとはいえ、それらを掲げるだけで現実的に何を達成できるのかという計算が甘かった。スローガン大衆共感を掴むための強力な道具だが、政治的成果をもたらすためには、法制度や行政の細部にわたる実務的戦略交渉力、持続的な市民基盤の維持が不可欠である2019年の抗議は街頭での熱狂を生んだが、同時に組織的意思決定と長期戦略の欠如を露呈した。区議選での勝利一時的国際的関心は得たものの、それを生かして構造的変化を引き出すための冷徹政治的駆け引きやバックチャネル交渉が十分であったとは言い難い。

第二に、運動内部の倫理観表現方法問題があった。市民の不満の矛先を大陸出身者や観光客など「外的」な存在に向けるような言説や行動は、短期的には連帯を生むことがあっても、長期的には社会の分断を深める。経済社会制度問題を外部の「他者」に転嫁することは、根本原因の解決を遠ざけるだけでなく、運動自体正当性を傷つける。マナー越境出産観光客の振る舞いへの怒りは理解できるが、それをヘイト排斥にまで発展させた一部の言説は、民主的な主張の正当性を弱める愚行である

第三に、指導部の責任感の欠如が繰り返された。政治運動において真の指導とは、常にストリート熱狂を冷静に管理し、交渉の場で最大限の利得を引き出すことを意味する。だが、抗議行動はしばしば過激化し、象徴勝利を追うあまり現実的妥協点を見逃した。対話の場を軽視し、敵対的な態度を堅持した結果、北京香港政府は強硬手段で応じる口実を得た。政治相手との力関係交渉であり、市場価値支持率が高まった時にこそ最も効果的に要求を通すチャンスがある。民主派はその「売り時」を逃し、ストリートでの優位を政治的成果に変換できなかった。

第四に、運動が掲げた価値現実の行動との乖離だ。自由人権を訴える運動が、同時に排他的言動選民意識を育んでは説得力を失う。自由を求める者は、異なる意見出自を持つ同胞とも共に生きる術を示すべきであり、対話包摂を拒むことは自らの主張を脆弱にする。民主派の一部に見られたナルシシズムイデオロギー的硬直性は、運動の幅を狭め、支持層の拡大を阻んだ。

第五に、外部へのアピール戦略の未熟さも目立つ。国際社会の同情は短期的な注目をもたらすが、実効的な支援圧力に結びつくとは限らない。民主派国際的な関心を最大限に政策転換へ結びつけるためには、国内制度的弱点を突き、継続的外圧誘導する繊細な外交戦術必要だ。だが現実は、メッセージ断片化し、海外での同情もやがて疲弊していった。結果として北京は「内政問題」として一方的に行動する余地を得た。

最後に、結果として香港社会が被った損害は甚大である運動短期的に香港公共空間コミュニティの結束を傷つけ、国内外の投資や信頼にダメージを与えた。長期的には法的な締め付けや経済教育の変化をもたらし、多くの若者海外へと道を求める原因ともなった。もし運動目的が真に香港のより良い将来であったなら、ストリート正義感現実政治の中で如何に制度化するかにもっと注力すべきだった。

批判運動を完全否定するものではない。香港若者たちが不公正に声を上げたこと、政治参加を求めたことには尊重必要だ。しかし、尊敬と同情は免罪符ではない。運動リーダーと支持者は、過去の過ちと戦術的失敗を冷徹検証すべきだ。感情の高まり正当化材料にして無計画な行動に走るのではなく、具体的な政策提言制度改革案現実的交渉戦術を整えることが、次に類似課題に直面したときに初めて意味を持つ。

要するに、香港民主派理念だけで道を切り開けると誤認した。理想重要だが、政治は血肉のある力学である情熱に溺れる者は、しばしば長期的な勝利を失う。香港の将来を真に案じるなら、まず自らを律し、社会全体の信頼を再構築する責務を負うべきである

Permalink |記事への反応(0) | 01:37

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2025-09-13

専業主婦モデル否定貧困女子の出現

日本社会における「専業主婦モデル」は、戦後から高度経済成長期にかけて、女性一定の安定と保障を与える制度的枠組みとして機能していた。男性企業戦士として外で働き、女性は家庭と子育てを担う。この分業は男女の役割固定化する側面を持ち、ジェンダー平等観点から批判対象となった。しかし同時に、それは多くの女性にとって経済的庇護を受け、生活を安定させる「保険」としての意味を持っていた。

1970年代以降、「女性も自立して働くべきだ」という思想社会に浸透する。専業主婦は「依存的」「社会的に価値を生み出さな存在」とみなされ、否定的イメージを帯びるようになった。この価値観の転換は一見すると女性解放意味したが、現実には「労働市場での競争適応できない女性」にとって新たなリスクを生み出した。

労働市場には、非正規雇用低賃金といった不安定仕事しか得られない層が存在する。かつてなら専業主婦モデルによって「夫の庇護」による安定を享受できた女性たちが、現在では「自立」という名のもとに低賃金労働へと追いやられ、経済的に困窮するケースが増えている。とりわけ、未婚女性シングルマザーは顕著である彼女たちは「自立的に生きること」を社会から求められながらも、実際には十分な賃金社会保障も得られず、「貧困女子」として統計上のカテゴリーに現れるに至った。

ここで重要なのは専業主婦モデル否定が「思想的には前進」であったにもかかわらず、社会制度がそれを支える形に変化しなかった点である男女平等理念拡散したにもかかわらず、保育や教育公的支援は十分に整備されず、労働市場の男女格差も解消されないまま残存した。そのため「女性は自立せよ」という規範が、むしろ経済的弱者に過大な負担を課す結果となった。

総じて言えば、専業主婦モデルは「依存構造であると同時に「安定の装置」でもあった。それを一方的否定し、自立だけを理想化した思想の浸透こそが、現代の「貧困女子問題の温床となっている。ここには、自由平等理念社会セーフティネット乖離したときに生じる、典型的な逆説を見ることができるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 10:46

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2025-09-11

anond:20250620063320

子供を持つか持たないか人間価値は天と地ほども違うというのはこの人の言う通りだと思う。

残酷だけど現実を見なければ社会制度設計することはできない。

Permalink |記事への反応(0) | 00:59

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やっぱ中国面白い

今の青年が言われていること

生得太多,养得太慢,死得太快

=生まれるのが多すぎる、育つのが遅すぎる、死ぬことを急かされる

 

生得太多(生まれるのが多すぎる)

まれた頃、一人っ子政策で「産むな」と言われた

 

・养得太慢(育つのが遅すぎる)

子ども時代教育社会制度が整わず、「成長が遅い」と批判される

 

・死得太快(死ぬことを急かされる)

中高年になると「早く死ね」「老後の社会保障負担になるな」と冷たく扱われる

 

かなしいね

Permalink |記事への反応(0) | 00:49

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2025-08-29

anond:20250829171927

低学歴本当に社会制度しらんよな。地元の知り合いの近況聞いて驚愕したわ

Permalink |記事への反応(0) | 17:20

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2025-08-26

anond:20250620063320

一部の人には耳が痛い話かもしれないがこれを理解せずに社会制度について考えることはできないんだよな。

本当に誠実で頭がいい。

Permalink |記事への反応(0) | 20:56

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2025-08-25

クリエイター画像生成AI開発に関与すべきこれだけの理由

導入:クリエイター未来は、画像生成AI開発・実装の主導権を握れるかどうかにかかっている

画像生成AIの台頭でクリエイター立場が脅かされる中、反対するだけでは権利は守れない。クリエイター社会的立場搾取構造脆弱で、人気と地位には大きなギャップがあり、交渉力に乏しい。

クリエイターは、AI実装フェーズで主導権を握り、品質管理倫理設計に関与することで交渉力を獲得し、自ら未来を切り開くべきである

第1章:クリエイターが主導する画像生成AI実装とは

多くの企業現在、LLM(大規模言語モデル)の開発に注力している。対話AI検索エンジンの再構築にリソースが集中する中、画像生成AI実装商品化フェーズ相対的に手薄になっている。

筆者は、この「画像生成AI実装フェーズの遅れ」という隙を突いて、画像生成AI実装フェーズクリエイターが主導権を握れると考えている。

技術開発段階では、当然ながら研究者エンジニアが主導する。これに対し、実装フェーズの段階では、出力される画像品質文化的適合性が問われるようになる。構図、色彩、構造理解といった視覚判断は、技術者よりもクリエイターの専門領域だ。

実際、大手クリエイティブツール企業のいくつかは、クリエイターとの協業によってAIツール品質向上を図っている。要するに、実装フェーズこそ、クリエイターAI開発の構造に食い込むチャンスなのだ

第2章交渉力のない「お気持ち」反対

AI否定的クリエイターの多くは、「お気持ち」を強い言葉で反対していれば問題自然解決されると期待しているように見える。だが、現実には、無許諾学習や対価配分の議論2022年からほとんど前進していない。

反対するだけでは、議論の隅に追いやられるだけだ。文化庁審議会において、AI規制派の代表に相当する人物制度設計に関与していないことからも、制度からは「反対するだけの声は議論に参加する資格なし。」と見なされている状況を直視しなければならない。

欧米ではAI倫理に関する議論法制度化されつつあるが、発言力を持つのは「AI開発の制度設計に関与した側」だけだ。日本でも提言は出されているが、法的拘束力でもなければ企業は動かない。

交渉力は、制度の外から叫ぶのではなく、制度の中に入り込んで初めて生まれる。からこそ、クリエイター画像生成AI開発の現場に入り、品質管理倫理設計の実務を担うことで、交渉テーブルにつく必要があるのだ。

第3章:反AIは敵に回すと恐ろしいが味方にすると頼りない

筆者にとって、画像生成AIを強い言葉拒否し、AI関連イベントキャンセルカルチャーに加担してきた一部のクリエイターの行動は、決して容認できるものではない。

過激な主張や感情的言葉議論を分断し、業界全体の信頼を損ねた面もあるだろう。

その一方で、結果的にではあるが、彼らの声が画像生成AI実装フェーズ一定程度遅らせたことは事実だ。企業炎上リスクを警戒し、画像生成AI採用に慎重になった、ということはあり得る。

その遅延が、今の「AI開発の構造に介入するチャンス」を生んでいるとも言える。

このような背景を踏まえると、彼ら自身汚名返上し、建設的な議論に参加できるようにするにはどうしたらいいだろうか。

現状では、画像生成AIに反対する一部のクリエイターに対する誤解や偏見が生まれやすく、一般層や市場から距離を置かれる傾向がある。けして楽観できる立場ではない。

この状況を打破するためには、反対の声を建設的な議論に変え、クリエイター全体がAI開発の制度設計に参加する流れを作る必要があるだろう。

第4章:AIテックと正面から戦っても勝ち目はない

AIテックと正面から戦っても、クリエイター側に勝ち目は薄い。

いや、すでにAI規制を求めるクリエイター側は敗北しているのかも知れない。

技術開発の主導権を握っているのは、資本研究力を持つグローバル企業である倫理マナーだけに頼った反対の声が、年間数十~数百億に上るロビイング経費で国政議論に介入している彼らに勝てるとでも思っているのだろうか。

生成AIが生み出す市場利益は数兆ドル規模だとも言われている。その莫大な利益の再配分を前に、お気持ち倫理の反対がどれほどの影響を持てるというのか。

日本コンテンツ海外輸出をやめると抵抗しても、必要とあれば敵対的買収くらいやってのけるだけの資本力がある。

正面から喧嘩できる相手ではない。少なくとも、日本コンテンツ市場は、彼らとAIを巡って対立しようとは思わないはずだ。

画像生成AIが台頭してから3年、筆者は規制が進まないことを憂うよりも、AI開発が生む莫大な利益の再配分をクリエイターが受けられなくなってしまうことを恐れている。

そこで考えたのは、画像生成AI実装フェーズ段階ならば、クリエイターの関与する余地があるのではないか、ということだった。つまりAI開発の制度設計側に入り込み、実装方向性のものコントロールしてやる、という戦略である

仮に、実装フェーズの主導権を握ることができたとすれば、無許諾学習学習対価の配分といった問題にも交渉余地が生まれるのではないか

また、莫大な利益が入るなら、これらの問題些細なものになるかもしれない。そう考えていくと、主導権を握るメリットは計り知れない。

第5章:学習対価は利益の再配分である

筆者は、AI学習使用された画像の対価(使用料・許諾料)というのは、AIによって生まれ利益の再配分だと認識している。

AIが誰かの作品学習し、それによって企業利益を得たなら、その利益の一部を元のクリエイターに分配するという考え方だ。

この考え方に従えば、AI開発に反対しているだけで「再配分だけよこせ」というのは、そもそも通らない話ではないか

現行法では、(文化庁の考え方に従っているという条件付きだが)どうやってもネット収集した画像AI学習に使うことに対して著作権侵害を訴えることは出来ない。

したがって、利益の源泉となるAI開発の制度設計に参加していないのに、分配だけを求めるのは、制度的にも経済的にも無理筋ではないかと思うのだ。

そして、AIテックロビイング活動によって、無許諾学習合法である、という方針を維持させている可能性も高い。

その状況下では、札束勝負で勝てるとは思えない。何故なら、画像使用料を払うよりもロビイング活動経費の方が安上がりである、と言えるからだ。

第6章:スキル特許保護されないことの意味

特許侵害訴訟というのも、基本的には利益の再配分を求める行為と読み替えても成立する。

他社が利益を出している技術に対して訴訟が起きやすいのは、「分け前をよこせ」という意味解釈できる。

しかし、クリエイターにはこの「特許」に該当するものがない。作品著作権で守られているが、スキル職能のもの保護されていない。だから企業相手にされない。公的制度による交渉の土台がないのだ。

そう考えれば、倫理だけで反対してもノイズ以上のものになり得ない、ということにも説明がつく。公的制度という根拠がない立場では、法廷でも交渉の場でも、発言力を持てない。

交渉力という観点では、クリエイター社会的発言力がむしろ弱いのである

第7章:搾取構造に対するクリエイター脆弱

コンテンツとして人気があることと、社会的地位があることは別だ。社会的地位が高いというのは、公的制度による優遇措置があると言い換えてもいい。

SNSフォロワー数や再生回数は「市場価値」ではあるが、「法的地位」ではない。

かに、人気があり、社会的影響力を持てば、食っていくのには困らないだろう。

だが、クリエイター保護されるのは市場の都合であり、市場によって生かされているだけに過ぎないのである

いくつかの事例をすぐさま思い浮かべることが出来ると思うが、一歩間違えれば一晩で作品ごと市場から存在を消されてしまう。消滅に際して何の抵抗手段選択肢もない。それくらい社会的立場脆弱である

資格職能公的制度によって保護されており、いきなり存在ごと消されるなんてことはない。少なくとも消えるまでの抵抗が許される余地がある。

繰り返すが、「人気」とは「社会的地位」ではなく、市場価値の一形態にすぎない。

アニメーターが良い例で、高度な専門技能を持ち、文化的貢献も大きいにもかかわらず、公的には職能として認定されていない。

このことが何を意味するかと言えば、元々、クリエイターという職業は、搾取構造に対して極めて脆弱だということだ。

作品著作権保護できる。けれども、クリエイターとしての職能は、何一つ、公的制度によって守られているものがない。創作物生活必需品とは異なり、社会が、あるいは市場がいらないと言えば、排除される運命にある。

画家パトロン時代から、何一つ構造は変わっていない。

第8章:市場人気は交渉上の発言力を持たない

そして生成AI技術開発が、その搾取構造助長している。だが、それを止める手立てはない。何をどうやっても社会制度は守ってくれないのである

では、なぜ社会制度が守らないのか。これはクリエイターとしての能力は「他者との差別化」という、異質性基準となっているからだ。公的制度による保護を持つ職業は、一定基準にしたがった選別で成り立っている。

まり「同じ事ができる」、同質性という前提条件があるが、クリエイターは、他者と違ったことができる異質性基準を持っている。

こうした異質性による選別を公的制度文脈で考えると、「他者にできないのであれば、なくても同じ。」という言葉翻訳される。よって公的制度によって保護する必要性を認められないのである

人気があるから守られると思っているなら、それは錯覚だ。人気クリエイターなりすまし被害契約トラブルに巻き込まれても、公的制度によって守られる仕組みは存在しない。

例えば、士業であれば非弁行為などは違法定義され、地位が守られる仕組みがある。クリエイターなりすまし被害民事訴訟解決するしか方法がない。

人気は流動的であり、交渉力としては不安定だ。AI開発という巨大な利益構造での交渉において、この市場価値の高さと現実地位の弱さというギャップを埋めるには、AI開発の制度設計に食い込むしか道はない。

第9章:AIテック必要とされるクリエイターとは

交渉テーブルにつくには、企業が「必要だ」と思う存在になるしかないだろう。

そのためには、画像生成AIの弱点をクリエイターが補完し、品質向上に貢献することが鍵になる。

画像生成AIは、見かけ上の品質は優れているが、構造理解(指が6本とか建造物分断、同一性の非保持など)という点で人間には遠く及ばない。

この弱点を解決するには、クリエイターの関与が不可欠であると考えている。すなわち、AIに「構造理解はこうやるんだ。」と教えてやることだ。

実際、AI企業が「プロンプト設計者」や「品質監修者」としてクリエイター雇用する事例は増えている。企業倫理的主張には動かないが、必要性が明確になったときには協業を検討するだろう。

交渉団体を作るより、相手を動かす方が確実だ。まずはクリエイターエンジニアがタッグを組み、一部でもAIの弱点を解決してみせるのがいいだろう。それが、AI開発の制度設計に食い込む第一歩になる。

10章:クリエイターに残された選択肢

AIの弱点解決にはクリエイターサポートが不可欠である、とは言っても、それは現時点での話である時間さえ掛ければいずれは技術によって弱点も克服されてしまうだろう。けれども、今ならまだ、クリエイターに優位がある。

ならば、画像生成AI制度設計において主導権を握るチャンスは、今しかない。企業にとっても市場競争力維持のために実装フェーズを急ぎたい。ここに利害の一致がある。

多くの企業がLLMに集中している今、画像生成AI実装フェーズは手薄になっている。だが、技術成熟してAI開発の制度設計固定化されてしまえば、後から入っても交渉余地はなくなる。

かつて強い言葉で反対してきた人々も、今こそ制度設計最前線に立つべきだ。

その声が実装フェーズを遅らせたことで、今の「隙」が生まれたのだとすれば、次はその声を制度設計に向けて使おうではないか悪者で終わることに甘んじるな。

チャンスの期間は短い。あれこれ実現可能性だの問題点だのを検討している暇はない。とにかくAI開発の制度設計に関与できるように動くこと。

それが、今のクリエイターに残された唯一の選択肢だと思っている。

後書き:制度言語への翻訳

筆者は、画像生成AIに対する反論懸念否定しているのではなく、そうした声が社会的制度に届かなかった原因を指摘しているに過ぎない。

倫理的な反発も、創作尊厳を守りたいという思いも、人気による影響力への期待も、すべて理解できる。

だが、それらは制度に届く構造を持っていなかった。ならば、届く形に組み替える必要があるだろう。

文化庁パブコメに2万6千件もの意見が寄せられ、その殆ど無意味に切り捨てられたのは、公的制度理解できる言葉翻訳されていなかったからだ。

社会的制度は、感情では動かない。交渉力は、AI開発の制度設計の中でしかまれない。声を届けるには、公的制度理解できる言葉翻訳必要だ。

本稿が目指したのは、反論の声を様々な制度接続するための指針提言である

末尾に、クリエイター権利尊厳が守られる形でAI開発の制度設計が組み立てられることを願い、筆を置く。

※この文章は、社会的制度理解できる言語翻訳されています翻訳にはChatGPTを使用しました。

補記:生成AIを貶めたいクリエイターたちへの警鐘

生成AI批判したいあまりイラストレーターが「線が繋がっていない」とか「目が溶けてる」、「キャラが一貫していない」とか「差分を作れない」など具体的に欠点を挙げ、貶める投稿をよく見かける。

プロアニメーターが「予備動作がない」とか「歩きが不自然」、「演技がなってない」などと、モーションに言及したりする。

自らの技術を誇示したいのかも知れないが、これはAI開発者無償改善点を助言していることに気付いているだろうか。イラストアニメーション専門家であるあなたからの悪評は、AI開発者にとって貴重なアドバイスなのである

そうした悪評は表には出さず、本稿で示したようにAI開発の現場に入り込み、開発者に助言した方が、あなた方にとって遙かにPermalink |記事への反応(0) | 09:25

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2025-08-16

セックスレス夫婦間の努力では解決できない問題なのかもしれない

セックスと子作りは別物だが、ここでは子作りの観点から考えてみる。

母親父親生物学的なニーズの違い

母親側のニーズ

父親側のニーズ

  • できるだけ多くの子孫を残したい傾向がある
子育て期間とセックスレスの関係

もし子育て期間が1年程度なら、育児が終わったら次の相手を選べばいい。でも現実には、子育て期間は5~20年と長期にわたる。この長い期間、同じ相手とだけ関係を持つことは、母親の「多様な遺伝子を求める」本能矛盾する可能性がある。

考えられる解決

1. **子育て負担軽減

-幼児教育を充実させ、早い段階から母親の手がかからないようにする

- 例えば、小学生から制度を導入するなど

2. **婚姻制度見直し

-不倫犯罪として扱うのではなく、DNA検査に基づく養育費制度に移行

-行為のものではなく、結果(子供ができた場合)に対する責任を重視

なぜ一夫一妻制では限界があるのか

例えば、5~6年かけて子供を2人育てた後、それ以上子供を作ろうとしても、母親の「多様な遺伝子を求める」ニーズは満たされない。生物学的には、既存パートナー以外から遺伝子も求める傾向があるかもしれない。

まりセックスレスは今の婚姻制度において、生物学的にある程度必然的現象なのかもしれない。だから個人的パートナーをどう説得しようとしても、生理的に拒絶されてしま可能性がある。

この問題解決するには、個人努力だけでなく、社会制度のものを見直す必要があるのではないだろうか。

ちなみに私は旦那以外ともっとセックスしたい子持ちおばさんですー

Permalink |記事への反応(1) | 12:27

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現代女性進歩思想によって虐待されている

女性の体にとってセックス快楽じゃない。

https://anond.hatelabo.jp/20250816050339

  

  

詭弁考察

女性の体にとってセックス快楽じゃない。

母体危険晒して数ヶ月行動不能になって栄養を多く必要として数年身動きが取れなくなる危険がある行為

男性の体にとって労働レクリエーションじゃない。

父体を危険晒して一生涯消耗して酷い時には不具になったり死んだりする危険がある行為

危険が二回出てきて気持ち悪い

  

他の哺乳類より出産母体への負担がかなり大きい。子供は未熟なまま生まれてくる。

人類は他の哺乳類と違って社会的医療サポート体制がある。

近代医学進歩によって産褥死亡率は0.004%。

 

餌を運んで世話をして守ってくれる存在がいなければ、母体が死んで終わりになる。

元増田を含む人間のオスは妻子に餌を運んで世話して守っているのでは。

  

から女性の性欲というのは、安全で清潔で餌を運び続けて世話をする男がいる、いま妊娠しても大丈夫から始まる。

男心説明大事だが女心の理解必要じゃないか

そもそもほぼ100%の確度で避妊を達成できる現代

妊娠問題にしてセックスの応否を論じるのは詭弁の色合いが強い。

  

  

問題の焦点  

結局この問題

自分積極的にやりたいことでなくとも

相手幸福の為に身を切ったり付き合ったりする姿勢あるかないか

ということだろう。

 

男性は一部のカスを除き

自分だけでなく妻子を食わせられるほどハードに働き

稼ぎのほとんどを自分ではなく妻子に注ぎ込むという

まさに身を切る貢献をする。一生涯する。

  

男性身体耐久消費財であって

使っていけばすり減るし戻ることはない。

それでも「俺は気が向かないから」 「俺の大事な体は俺だけが使う」なんて言って

妻子を養わないような男は男からカスとして遇される。

 

そこで

女はそりゃあセックスに気が向かないだろうが、

これと決めたパートナー相手身を切る貢献をする気があるのかないのか。

 

 

地獄のような心

少なくともその気がないことを大威張りで表明するのは了見がおかしい。

男でそんなことを大威張りで表明する人間がいたら

同性からすら軽蔑を受けるし

から非難轟轟

社会制度によって貢献の取り立てすら受ける。

  

であるのに何故女は「貢献をするかしないか自分の気分次第!」などと恥ずかしげもなく放言するのだろうか?

セックスに気が向かない、そんなのは当たり前だ。

労働扶養に気が向かない、そんなのは当たり前だ。

一人だったら避けたいようなことでも喜ぶ家族パートナーの顔を思い浮かべて自分の身を切るんだろう。

 

もしもそこに自分の喜びが無いんだったら

その家族パートナーはさっさと解散して別の相手を探すか一人で生きたらいい。

現代日本では1人で生きている人間はいくらでも居る。

   

ここでの一番のカスとは

相手の体の切り身は平然と受け取りながら

自分の体を切ることは「気が向かない」などとほざく人間だ。

   

から搾取しながら自分はむしろ被害者のつもりで

「返報は自分の気分次第だ」と放言して不機嫌を撒き散らすという

上弦末席ぐらいは貰えそうな負のポテンシャルを秘めたアホども。

 

しかし結局こういう人間人生イライラとして暗い。

スクルージ幸せになれることなどあろうか。

 

 

進歩思想のバグ

何故一部にこういう鬼女が現れるようになったかと言うと

自分大事にする

・性の自己決定権

のような概念を野放図に受け取った結果と推測できる。

  

自分を粗末にしないのは結構

自分で決定権を持つの結構

 

しかしそうして大事にしたもの

いつか自分で選んだ大事もののために切り取って張らなければならない。

いつまでも抱え込んでいたって朽ちるだけだからだ。

  

大事にしなさい」だけ教えて「どこかでそれを張るときがきますよ」とは教えない。

進歩思想はバカ善意によって出来ているため常に穴だらけの片手落ちであって

こうした抜け・漏れバグが山積している。

  

進歩思想にすがるような人間はフルパッケージのお任せ道徳を求めているため

こうした洞察分別や要領、適切なデバッグ能力を欠く。

出来損ないソフトが人の間に地獄を生む。

   

地獄のような心をもって暮らしていれば

家族がいても孤独にも不幸にもなれる。

独居はスクルージ必要条件ではない。

Permalink |記事への反応(1) | 12:05

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