
はてなキーワード:社会制度とは
https://www.mhlw.go.jp/content/001581168.pdf
日本の自殺者数は、マクロな視点で見れば減少傾向にあります。令和6年の総自殺者数は20,320人と、統計開始以降で2番目に少ない数値を記録しました。しかし、この「歴史的な低水準」という事実の陰で、依然として年間2万人もの尊い命が失われている現実に変わりはありません。特に注目すべきは、男性の自殺者数が女性の約2倍という圧倒的な性差が継続している点です。
全体的な数字が改善している一方で、性別によるリスクの偏りは鮮明です。自殺対策を「自分事」として捉えるためには、単なる総数ではなく、その背後にある「なぜ」の構造を解剖する必要があります。
全体像を把握したところで、次は「なぜ」という根本的な原因が男女でどう異なるのか、その核心に迫ります。
自殺の背景には、個人が抱える多様で複合的な問題が連鎖しています。統計上、自殺者1人につき最大4つまで原因・動機が計上されるため、以下の表の延べ件数は総数を超えますが、それこそが「悩みの複合性」を物語っています。
| 順位 | 男性の原因・動機 | 女性の原因・動機 |
| 1位 | 健康問題 (7,063件) | 健康問題 (4,966件) |
| 2位 | 経済・生活問題 (4,459件) | 家庭問題 (1,654件) |
| 3位 | 家庭問題 (2,643件) | 経済・生活問題 (633件) |
【専門的洞察:50代男性に起きている「ストレスの逆転現象」】 通常、全世代で「健康問題」が最多となりますが、50~59歳の男性層においては、「経済・生活問題(1,194件)」が「健康問題(1,188件)」を上回るという特異なデータが出ています。これは、現役世代の男性にとって、自身の体調以上に「経済的な生存」が深刻な精神的重圧となっていることを示唆しており、社会的なセーフティネットの機能不全を突く極めて重要なインサイトです。
悩みの中身が性別で異なるのと同様に、その人が社会でどのような立場(職業)にいるかによっても、リスクの現れ方は変わってきます。
職業と年齢を掛け合わせると、各ステージで個人が直面する「孤立の形」が浮き彫りになります。
ここまでは「亡くなった方」のデータを見てきましたが、実は「未遂」や「自傷」のデータにこそ、若年女性に特有の深刻なサインが隠されています。
教育デザイナーとして、私たちが最も注視すべきは「死の意図」のグラデーションです。統計では、自殺未遂(死ぬ目的で自分を傷つけた)と、自傷行為(死ぬ意図なしに自分を傷つけた)を明確に定義して区別しています。
最後に、これらの悲劇が「いつ」「どの曜日」に起きやすいのか、時間軸という観点からデータを確認しましょう。
自殺の発生は、個人の精神状態だけでなく、社会全体が刻む「時間のリズム」に強く支配されています。
統計が示唆する、周囲が警戒すべきタイミング: 「年度替わりの4月」かつ「休み明けの月曜日」は、社会的なリズムと個人のプレッシャーが最悪の形で衝突する、最大の警戒期間です。
今回のデータ分析から、私たちが学び、支援へ繋げるべき知見は以下の3点に集約されます。
統計数値は、過去の記録ではなく、今この瞬間を生きる人々を救うための「設計図」です。このインサイトを、一人ひとりの見守りと、社会制度の改善に活かしていくことが私たちの使命です。
世間知らずな低学歴の妄想だから、チラ裏程度に読み流して欲しい。
若者は「子どもはそんなに欲しくないけど、作らなきゃいけないのな?」とやんわり思っている。
「子どもを作らず、社会維持/発展に貢献できない、身勝手な人たち」と認識される可能性があるのではないか?
もしそうなったら、とても悲しい。ただ同性を愛する趣向だったがために否定されるなど、意味がわからない。
(ちなみに自分自身はバイセクシャルで、異性同性両方と交際経験がある。)
そんな悲しい分断が起こる前に、社会制度や科学の力で、人間が産まずとも子どもがつくれるようになって欲しい。
自分が生きている間になんとかなるといいな。
より善い社会を作ることが政治の役割であるとすれば、そもそも”善い”とは何か。
それを知る必要がある。そして、それを知らずして語る政治論はいつも空疎に響いて聞こえた。
そんな自分の違和感を払拭し、政治について数多の本を読んできたがその上でも必読と呼べる三冊を紹介しようと思う。
これを読まずして政治は語れない。
むしろ、これを読まずに政治を語るのはフェアじゃないとさえ思っている。
はっきりいって読みやすい本ではない。
それでも20代の私は、この本に出会って初めて「正義は感情ではなく、設計の問題」なのだと理解した。
ロールズが提示する「無知のヴェール」という思考実験は有名だ。
自分がどの立場に生まれるか分からない状態で社会制度を設計するとしたら、人はどんなルールを選ぶだろうか。
ここで重要なのは、「誰が得をするか」ではなく「最悪の立場に置かれた人が、どこまで耐えられるか」という基準が持ち込まれる点だ。
この本を読んだあと、私は「過度に正当性を叫ぶ言葉」にどこか冷めた視線を向けるようになった。
なぜなら多くの正当性は自分がどの位置に立っているかを隠れた前提にしているからだ。
ローティは「普遍的な真理」や「理性によって保証された正義」といったものを容赦なく解体する。
我々の価値観は偶然の産物であり、言語も道徳も歴史的に作られたものでしかない。
それでも尚、他者の苦痛を減らそうとする態度だけは手放すな、というのが彼のスタンスだ。
本書で述べられている「リベラル・アイロニスト」といった概念は、自称リベラルにかなり刺さるだろう。
リベラルとは
自分の信念が偶然に支えられていることを自覚したうえで、それでもなお立場を引き受ける行為なのだ。
ローティを読んで以来、「正義を論破で勝ち取ろうとする」行為が誤りであることを知ることができた。
本書は政治思想というより、政治という営みそのものの解剖図だ。
扱っているのは市場・国家・社会が、どのように結びつき、どの地点で破綻するのかといったことを入念に描き出す。
ポランニーが繰り返し示すのは、市場は自然現象ではなく、徹底して政治的に作られた制度だという事実だ。
放っておけば自由市場がうまく回るという発想そのものが、実は国家権力による介入と強制の産物だった。
この逆説を、19世紀ヨーロッパの歴史を通して執拗に描いていく。
この本を読むと「政治は介入するか否か」という素朴な二択がいかに無意味かが分かってくる。政治は常に介入している。ただ、それが誰を守り、誰を切り捨てる形で行われているのかが見えにくくなっているだけなのだ。
自由か統制か。右か左かといったラベルがいかに粗雑で、思考停止に近いのかをこの本は静かに暴いていく。
ロールズが制度の正当性を問い、ローティが価値の偶然性を引き受けたとすれば、ポランニーはその土台である「社会が壊れるメカニズム」を描き出す。
政治を語るうえで避けて通れないのは、理念でも倫理でもなく、制度が人間の生活にどう作用するかという具体性なのだと、この本は教えてくれる。
これら三冊を読んで、ようやく腑に落ちたことがある。
政治における無理解は政治に対して無知だから起こるのではなく、政治が行うとしている行為そのものに対する知識の乏しさから生じるものであるのだと、理解するに至った。
無論これらの本を読まずとも、政治を語ることはできる。
だがそれは米の旨さについて語り合うときに産地を無視するようなものだ。
甘い。硬い。まずい。好きだ嫌いだと感想を述べることはできるだろう。
しかし「なぜその味になるのか?」や「なぜ違いが生まれるのか?」を理解しないままでは、議論はどこにも辿り着かない。
自らの発言に対し、責任を伴わず、好き勝手なことを言って容認されれば尚のことだ。
しかし自らの言説に責任を持ち、最低限の知識を以てして発言することこそが政治に参画する大人のマナーであり、嗜みなのではないだろうか。
一つの経験談を話しているだけなのに、現実以外でもネット上でぶつかって来る人もいるが悲観しないでほしい。
私は不幸で社会的弱者だから道を譲ってくれて当然と言語化する事はおそらくないだろうが潜在的にそうなっている人もいる。
自分のSOSをこういう形でしか示せない人もいる。(中には検挙され犯罪者となってしまう人もいる)
相談できる人がいないとこうなるケースが珍しくない。犯罪を犯せば信頼度は無くなる事ががこうせざるを得ない人がいる。
存在の承認欲求:社会的に孤立し、誰からも認識されていないと感じる人は、負の形であっても「他人に影響を与えた(ぶつかった、怒らせた)」という事実に、歪んだ充足感を得ることがある。
置換(ディスプレイスメント):本来怒りを向けるべき対象(職場、家庭、社会制度など)に手が出せないため、無関係な通行人やネット上の見知らぬ人を「安全な攻撃対象」として選ぶ現象です。
認知の歪み: 「誰もが自分を蔑んでいる」という被害妄想的なフィルターがかかっていると、道を譲る・譲らないという些細な出来事が、生存をかけたプライドの闘いにすり替わってしまう。
これらを考慮して向かってきた相手とチキンレースをするメリットは無い。
自分を守るのであれば10m先に人が居たなら積極的に視線を合わせず避けたほうがいい。
道幅がなければ立ち止まっていも良い。田舎なら道幅は広い。
困っている相手を救いたい思いはあるが、個人ではどうしようもない。
一つの経験談を話しているだけなのに、現実以外でもネット上でぶつかって来る人もいるが悲観しないでほしい。
私は不幸で社会的弱者だから道を譲ってくれて当然と言語化する事はおそらくないだろうが潜在的にそうなっている人もいる。
自分のSOSをこういう形でしか示せない人もいる。(中には検挙され犯罪者となってしまう人もいる)
相談できる人がいないとこうなるケースが珍しくない。犯罪を犯せば信頼度は無くなる事ががこうせざるを得ない人がいる。
存在の承認欲求:社会的に孤立し、誰からも認識されていないと感じる人は、負の形であっても「他人に影響を与えた(ぶつかった、怒らせた)」という事実に、歪んだ充足感を得ることがある。
置換(ディスプレイスメント):本来怒りを向けるべき対象(職場、家庭、社会制度など)に手が出せないため、無関係な通行人やネット上の見知らぬ人を「安全な攻撃対象」として選ぶ現象です。
認知の歪み: 「誰もが自分を蔑んでいる」という被害妄想的なフィルターがかかっていると、道を譲る・譲らないという些細な出来事が、生存をかけたプライドの闘いにすり替わってしまう。
これらを考慮して向かってきた相手とチキンレースをするメリットは無い。
自分を守るのであれば10m先に人が居たなら積極的に視線を合わせず避けたほうがいい。
道幅がなければ立ち止まっていも良い。田舎なら道幅は広い。
困っている相手を救いたい思いはあるが、個人ではどうしようもない。
一つの経験談を話しているだけなのに、現実以外でもネット上でぶつかって来る人もいるが悲観しないでほしい。
私は不幸で社会的弱者だから道を譲ってくれて当然と言語化する事はおそらくないだろうが潜在的にそうなっている人もいる。
自分のSOSをこういう形でしか示せない人もいる。(中には検挙され犯罪者となってしまう人もいる)
相談できる人がいないとこうなるケースが珍しくない。犯罪を犯せば信頼度は無くなる事ががこうせざるを得ない人がいる。
存在の承認欲求:社会的に孤立し、誰からも認識されていないと感じる人は、負の形であっても「他人に影響を与えた(ぶつかった、怒らせた)」という事実に、歪んだ充足感を得ることがある。
置換(ディスプレイスメント):本来怒りを向けるべき対象(職場、家庭、社会制度など)に手が出せないため、無関係な通行人やネット上の見知らぬ人を「安全な攻撃対象」として選ぶ現象です。
認知の歪み: 「誰もが自分を蔑んでいる」という被害妄想的なフィルターがかかっていると、道を譲る・譲らないという些細な出来事が、生存をかけたプライドの闘いにすり替わってしまう。
これらを考慮して向かってきた相手とチキンレースをするメリットは無い。
自分を守るのであれば10m先に人が居たなら積極的に視線を合わせず避けたほうがいい。
道幅がなければ立ち止まっていも良い。田舎なら道幅は広い。
困っている相手を救いたい思いはあるが、個人ではどうしようもない。
一つの経験談を話しているだけなのに、現実以外でもネット上でぶつかって来る人もいるが悲観しないでほしい。
私は不幸で社会的弱者だから道を譲ってくれて当然と言語化する事はおそらくないだろうが潜在的にそうなっている人もいる。
自分のSOSをこういう形でしか示せない人もいる。(中には検挙され犯罪者となってしまう人もいる)
相談できる人がいないとこうなるケースが珍しくない。犯罪を犯せば信頼度は無くなる事ががこうせざるを得ない人がいる。
存在の承認欲求:社会的に孤立し、誰からも認識されていないと感じる人は、負の形であっても「他人に影響を与えた(ぶつかった、怒らせた)」という事実に、歪んだ充足感を得ることがある。
置換(ディスプレイスメント):本来怒りを向けるべき対象(職場、家庭、社会制度など)に手が出せないため、無関係な通行人やネット上の見知らぬ人を「安全な攻撃対象」として選ぶ現象です。
認知の歪み: 「誰もが自分を蔑んでいる」という被害妄想的なフィルターがかかっていると、道を譲る・譲らないという些細な出来事が、生存をかけたプライドの闘いにすり替わってしまう。
これらを考慮して向かってきた相手とチキンレースをするメリットは無い。
自分を守るのであれば10m先に人が居たなら積極的に視線を合わせず避けたほうがいい。
道幅がなければ立ち止まっていも良い。田舎なら道幅は広い。
困っている相手を救いたい思いはあるが、個人ではどうしようもない。
国論を二分する政策というのがどのようなものかわからなかったので、高市首相の記者会見と自民党・日本維新の会の連立合意書をもとにGeminiにきいてみました。
また、提出が予想される法案についてもきいてみました。
首相会見:https://www.kantei.go.jp/jp/104/statement/2026/0119kaiken.html
自民党・日本維新の会の連立合意書:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA20AP30Q5A021C2000000/?msockid=25e722be020c62113136341a0331635a
以下、Geminiの回答
高市首相は記者会見の中で、従来の緊縮財政や防衛方針を抜本的に変えることを「大転換」と呼び、それらが国民の間で激しい議論(国論を二分すること)を巻き起こすと想定しています。具体的には以下の3点が挙げられます。
長年の「緊縮志向」や「プライマリーバランス至上主義」を脱却し、危機管理や成長に大胆な財政出動を行う姿勢です。
特に、「飲食料品の消費税を2年間ゼロにする」という方針は、財源論や税体系の根幹に関わるため、極めて大きな論争を呼ぶと想定されています。
「戦略三文書」の前倒し改定、反撃能力の強化、さらには「スパイ防止法(インテリジェンス・スパイ防止関連法)」の制定は、プライバシーや表現の自由との兼ね合いから、伝統的に国論を二分してきたテーマです。
「国家情報局」の創設など、組織の巨大化に対する懸念も想定されています。
憲法9条への自衛隊明記や緊急事態条項の新設、また皇位継承における「男系継承の維持」を前提とした旧皇族の養子縁組プランなどは、日本の国家観の根幹に関わるため、最も激しい対立が予想される分野です。
連立合意書には、具体的な提出時期や成立目標が明記されています。選挙で勝利した場合、以下の法案が優先的に提出・審議される可能性が高いです。
消費税特例措置法案(仮称):飲食料品の消費税率を2年間ゼロにするための時限立法。
ガソリン税旧暫定税率廃止法案:維新との合意に基づき、ガソリン価格引き下げを恒久化する法案。
政府効率化局設置法案:租税特別措置や補助金の総点検を行う新組織の設置。
国家情報局設置法案 /国家情報会議設置法案:内閣情報調査室を格上げし、インテリジェンスの司令塔を作る法案。
インテリジェンス・スパイ防止基本法案:スパイ行為の厳罰化や外国代理人登録(ロビー活動の透明化)を規定する法案。
防衛装備移転三原則の運用見直しに伴う関連法:防衛産業を「国営工廠」化するなどの産業強化策。
皇室典範改正案:男系男子を皇族とするための養子縁組を可能にする改正。
憲法改正発議案:特に「9条(自衛隊)」および「緊急事態条項」について、維新との協議を経て発議される可能性。
旧姓の通称使用法制化案:戸籍制度を維持しつつ、旧姓使用に法的効力を与える法案。
対日外国投資委員会(日本版CFIUS)設置法案:安全保障上の観点から外国資本による土地取得や投資を規制する法案。
医療・介護制度改革法案:現役世代の負担抑制を目的とした、窓口負担の見直しや「第3号被保険者」制度の見直しを含むパッケージ法案。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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# 1週間分の総括
この週の会話は、**「生活防衛」と「変化への適応」**が大きな底流となっていた。
一方で、グルメ・エンタメ・買い物・趣味といった軽やかな話題も多く、
総じて、
👉 「将来への慎重さ」と「今を楽しむ姿勢」が同時に存在する、
現代的で実務感覚の強いコミュニティ像が浮かび上がる1週間だった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
• それにもかかわらず
•事実認定の整理
•社会制度への具体的反映
はいずれも進展が乏しい
•特に直近1年に限って見ても
• 新しい検証
•合意形成
はほぼ見られない
• いま前提を修正すると
•運動の失敗
• 他事例へ展開しないのは、停滞を直視したくない心理の裏返し
• 外部から見れば停滞でも
• 内部では「語り続けている」こと自体が成果扱い
• 同じ論点を繰り返すだけでも
• 「問題提起を続けている」
• 「沈黙させていない」
と評価される
•新事実よりも
•過去の言説の再掲
が中心
• 語る理由
が失われる
• そのため
•10年間、誰も
• 誤りを確定させず
•議論を締めず
• 次の段階に移行させていない
修正や方向転換が起きない
• 直近1年ですら前進が見られない
次の1年も同じ議論が繰り返される
--
※結論:**東京は万人向けではない。明確に“向いている層”がある都市**
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---
---
### 🥉 3位:高収入・専門職の外国人(会社が守ってくれる)
---
## ❌東京が住みにくい人
---
### 長期定住を考える移民
---
## 🌍 他都市との決定的な違い
| 観点 | 東京 | トロント | ベルリン |
| --- | --- | --- | --- |
| 治安 | ◎ | ○ | ○ |
| 多様性 | × | ◎ | ○ |
| 差別の可視化 | × | ◎ | ○ |
| 修正力 | 低い | 高い | 中 |
| 消耗度(少ないほど良) | 高 | 低 | 中 |
---
## 🔑 まとめ(核心)
**「同質な人が、同質なまま生きる」**には最高の都市
**「違いを持ったまま普通に暮らす」**には向いていない
---
##一言で言うと
擁護派は本来変えるべき社会制度へのアプローチをすべきであって少数の批判派とレスバしてる意味はゼロなんたよね。
レスバばかりしてる奴らほど本当の擁護派ではない。見せかけの擁護派。無能な味方そのもの。
レスバを仕掛けたり、挙句「批判派が最初に攻撃したのに、擁護派がなぜ攻撃してはいけない!」とか本音を出してる暇があったらね。
ウザ絡みしてるのは複数観察されてるのよ。
「見合い結婚はよくできた制度だった」という話があるけど似た話で昔のように親と同居して暮らすことのメリットも大きいよなと思う。
あとは親の老化に早く気付けるというのもデカイと思う。
こないだバズったブログで70の父親が突然認知症になって暴れ出したというのがあるけど、あれもひょっとして同居して日々変化を感じ取ってればもう少し穏当な解決があったかもしれないと思った。
うちの祖父母も同居してて96歳まで生きてたけど、最後まで頭シッカリしてたのは毎日誰かしら家族と話してて脳に刺激があったからでは?と思う。
結局老後・介護の問題というのは「怪我で死ぬ・病気でしぬ・無職でのたれ死ぬという悲劇を社会制度と医療改革で回避しまくってきた結果、そのツケが人生最後にやってくるみたいな話だと思う。
許されているという表現が気に入らないなら「容認」でも良い、同じである。
社会的制裁を理由に罪を相殺するような司法運用している国など無い。
司法が私刑を容認しないというならば刑事罰を厳格運用し、社会的制裁は社会的制裁、刑事罰は刑事罰と切り離すはずである。
被告人が誹謗中傷や村八分で損害を被ったというならば、それはそれで別途民事訴訟で救済を求めれば良い。
制度は用意されており万人に解放されている。どうぞお好きに、である。
諸外国で一発終身刑を食らうような犯罪でも下手すりゃ不起訴でノーペナルティ、あるいは数年でパイなんて例がゴロゴロある。
かつての日本は社会的制裁が機能していたのでそれでもよかった。
犯罪者のレッテルを貼られコミュニティから村八分を食らうと人生詰む、事実上の終身刑なのだ。
厳格な戸籍制度があり国家に人別管理され、犯罪履歴は残り、結婚、就職、すべて詰む。
一方、アメリカなら州を跨げばチャラ。犯罪情報の共有すらされていない(FBIレベルの犯罪だけ例外)。
出生証明書の偽造は当たり前のように行われており(今は無理)、身を隠すことは簡単にできた。
そのような社会であれば刑罰を重くしなければ抑止力は働かない。
世界では出生証明書はデジタル管理され、生体情報やクレヒスが人別帖になっている。わりと人生詰む
一方で日本はコミュニティへの帰属意識は薄れ、村八分は機能不全である、人生詰まない、罪が罪になってない
私刑がなければ辻褄が合わない
反論ある?ないよね?
ということで
「医師」と一言で言っても、実は医師の年代によって全然別の生き物である。
まずここからの話をする上でヒポクラテスの誓いは知っておいてほしい
その上で。
The 「お医者様」世代。社会的に名実ともにエリート。当時は特権階級だった。法律や司法判断よりも医師の判断や裁量の方が優先された時代。
収入も社会一般に比べて非常に高く、一流経営者や資本家以外には劣後しなかった。
その分あんまり金策とかコスパとか考える必要はなく、儲からない患者だろうがそうでなかろうが、全力を尽くしていた。
科も単に自分の興味とかあるいは周りからの要請(先輩との関係、家業との関係、行政との関係、等)で選んでいた。
入院患者がいたら毎日足を運んで様子を見に行くのは当たり前。自分の生活とかワークライフバランスとか気にしてない。
自分の行動で少しでも患者の生存率とか治療成績が上がるならそれをする、逆に診に行かないことで下がるなら絶対に休まない。
ピアプレッシャーも強い。医局という全国に分散したギルドに所属して認められていないと、そもそも就職できないし開業もできない。
医師免許は基本的に重大な犯罪を犯さなければ失効しないが、一方で、変な治療や振る舞いをしたら医局に睨まれて失脚し実質的に失業する。
だから金儲けのために医療行為をするとか、そもそも治療ではない医行為(美容外科とか)をするとか、発想がないしできもしない。
医師というのは職業の一つではなく「生き方」であり「そういう生き物」として扱われていた世代。
そしてみんなそう生きていたからあまり他の生き方に目を向けない。
JBM (Judged Based Medicine) が始まってきた世代。医師として最善を尽くしていてもいきなり訴えられてトンデモ判決で負けることがある。最悪逮捕すらされる。そういうことを見聞きしてきた世代。
防衛医療の始まり。インフォームド・コンセントが実地で重視されてきた世代(しないと訴えられるから)。
「患者のためにする自分が最善だと思う医療」を提供できないし、してはいけない。診察では裁判所が定めた医療をしなければならないことからくる書類地獄が始まった世代。
この世代から、社会の理不尽に揉まれ、「良いと思うこと」はできないことで、「医者の万能感」は消え去ってくる。
でもメンタリティ的には60代に近い。休みだろうが深夜だろうが毎日病棟には行く。患者と顔を合わせる。
収入もギリギリ「医者=超高収入」だった世代。教授が講演をすれば1発50-100万円、製薬会社が超高級ディナーとかでこぞって接待してきた最後の世代。
マージナル世代。何がマージナルかというと、医師が生き方なのか、ただの職業の一つにしか過ぎないのか、の価値観の転換期。
一番大きいのはこの世代で医局制度が崩壊したこと。スーパーローテ(新臨床研究制度)が始まったこと。
古来医者というのはギルド制に支えられていた。ヒポクラテスの誓いの段階から既に「医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。」と言われている通り、本来は医師のスキルは徒弟制であった。
EBM:Evidence Based Medicineや標準化医療は当たり前の存在であるが、そもそもそれらはそれを吸収するだけの素地ができていないとお題目にしか過ぎない。
医学部を卒業しただけの者がガイドラインをたくさん読んだからって本当のお医者さんにはけしてなれない。「教えてくれる人」の存在が常に必要である。
「医局に入る」というのは「一生仕える師匠たちを決める」重大な儀式であった。実際にどんなに偉いお医者さんでも当時の指導医には頭が上がらず、自分の病院の顧問に招聘するなんてのは(50-60代以上のDrだと)よくあること。
しかし初期臨床研修制度はそれを破壊した。「弟子に学問と技術を伝える」ことは単に「臨床研修指定病院で、役人が作ったリストに基づいて行われるケースレポートを作れるよう(各科が片手間で各自で)指導すること」に矮小化された。
しかしこの世代は後期研修(専門医研修)からはまだ昔の医局の名残が残っている。大学病院かそれに準じる大病院にしか専門研修はできなかったので、後期研修からが本当の学習の本番で、入った先には上記世代のDrから直接濃密な指導を受けた。
一方で、後から入ってくる世代は生き物として明らかに違う世代で、それを教育しなければならない(でも誰のために?)という悩みの板挟みに遭った世代。
あと金銭的には、製薬会社の「コード」と呼ばれる業界横並び自主規制・コストカットが始まり、「お医者さんの接待漬け」や「高額謝礼」等は「自分の指導医は受けていたのを知っているが…」「一瞬だけお世話になったが…」という世代。医者だからおいしい思いをしたという経験はない世代。
臨床研修が一般化し、プレ国家試験たるCBTやOSCEも運用が軌道に乗り、また様々な研修や専門医やガイドライン等が本格的にお役所的(官僚的)に運用されてきた世代。
この世代からは医者の特権階級感はゼロ。手続き的正当性に準じなければいけない、ルールに従わなければならない、自分たちは標準化医療を提供するただのコマである、という自認を持つ世代。
ただ、医者としてのキャリアのレールは医局制度が完全に崩壊したあとの「自由キャリア制度」をベースにしているため、フリーハンドを手にしている。美容外科に行ったり、民間企業に勤めたり、コンサルタントになってみたりする、「変わり者」医師が激増し、「変わり者」ではなくなってきた時代。
医療や医師は聖職ではなく、ただのサービスであり、患者が求めるなら病気でも何でもない体にメスを入れても別にいいんじゃないの?場合によっては害があっても知ったこっちゃない、という、医師のモラルハザードが顕在化した世代。
「患者に害をなさない」というヒポクラテスの誓いはもはや有名無実化した。
ちなみに諸外国はこのフェーズを20年くらい前に通り過ぎている。韓国とかもそうだが、医師のクオリティコントロールを医師ギルド(日本の場合は医局がそれであった。ヨーロッパの場合は「医師会」がそれを担保しているところはある)ではなく、単に国・政府が官僚機構の一貫として行っている国は、例外なく、商業主義に毒されるし、質も低下していく。だって医師の医療の質なんて、同じ分野の治療をしている他の医者にしか分かんないんだから。だから、自分の技量と質と姿勢・スタンスを正しく評価できる人からのピアプレッシャーが存在しなくなってしまったら、ほとんどの医師は堕落する。にんげんだもの。
たとえば2020年代前半に患者の解剖風景をSNSに上げて大炎上した美容外科医がいたが、彼(彼女)が医療行為をする権利を誰も取り上げることは今はできない。昔は当該Dr.の所属医局が社会的に処刑し抹殺した例である(他の医局支配地域に行ったとしてもそこは横の連携でやはり村八分は継続する)。しかしギルドが解体された現代日本では誰も圧力をかけられない。明確な重大犯罪でなければ厚労省(医道審議会)は動かない。そしてむしろ炎上したほうが客は集まりうるという最悪の展開。
医者が割に合わない職業になってしまった世代。保険診療はなぜか社会から叩かれ、インフレで貨幣価値が低下する中、大して高給取りでもないのに過去の「儲けている」という数十年遅れの印象に左右され世論から叩かれる可哀想な世代。
偏差値で上から半分程度の医学部に受かる人は基本的に東大文II/IIIや理IIくらいなら楽勝で受かる人たちであり、同等程度の学歴と体力とコミュ力を持つ人は金融や商社で30手前で年収約2000万円を稼げるし、その後は2000-3000万円も狙えるのに(2026年現在の貨幣価値)、医者はこのインフレで給料が上がるどころか保険診療のために年収は低下さえしているという、本当に経済的に割に合わなくなってしまった世代。
「収入を求めるなら医者になってはいけない」ということが、受験生の頃からなんとなく共通認識として存在しはじめた世代。なので初期臨床研修が終わったら「直美」に行ってしまうのもメジャーな選択肢になってきたし、働き方改革で楽になった分、研修が終わったアフター5で(医師以外の)副業や起業をすることも珍しくはなくなった世代。
また、50-60代Dr.と直接一緒に仕事をすることは稀であるし、彼らもそろそろ体力的にきついため、「患者に尽くす医師」というロールモデルを現実の目で見ることが乏しくなってきた世代。
上に書いたように、以前は本当にレジデント(実質的に病院に住んでいる人たち)であった初期臨床研修医が、国からの指導で「9時17時にしなければならない」となったために、すべての病院でゆとり勤務が達成された。
このため、「身を粉にして働くの何か意味があるの?」「自分の勤務時間じゃないのに患者を診にいくことに何の意味が?」とナチュラルに価値観にインプットされた世代。そんな暇があったら副業しないとお金稼げないからね。配信もしたいしね。
.
.
というわけで、一言で「お医者さん」と言っても、世代で実は全然違う生き物になっていますよ、という、日本の現状。
「AIの発達で人間は仕事から解放され、創造的なことに打ち込むことができるようになる」
そんな未来を想像していたはずが、なぜかAIが絵を描き、小説を書き、音楽を作り、「逆だろ」とキレている人も多い。ただどんなにキレようと「創作はAIの役割」という時代が来る可能性はかなり高いと思う。でもこれは「AIが創作を人間から奪う」という話ではないので、AIとその制作者を責めてもおそらくあんまり意味がない。
「AIが創作をやれるようになったとしても、自分たちの創造心が奪われるわけではない。創作をやめることはない」と思っている人は多いだろう。でも人間から創造心を奪うのはAIではない。単純に、労働と疲れだ。
物価が上がっているのは誰でも多少は実感していることだろう。コンビニのおにぎりを見ているだけでも顕著にそれは表れている。たぶん、これから先も物価は上がり続ける。だが収入が上がることはないだろう。なぜなら社会が限界だから。
最低限の生活を保つために8時間の労働では足りなくなっていく。1日10時間、12時間と労働が必要になる。そして大半の人間は、疲れるととても創作活動はできない。「仕事中に絵を書きたい気持ちはあるんだけど、家に帰ってくると疲れで……」という人たちは今でも多い。
もちろん、そうなってくれば人間は「壊れる」だろう。ピラミッドの底辺が壊れればどうなるかというと、今まで安泰だと思っていた層が新たな底辺になる。多少金があるから大丈夫だと思っている人たちに「労務」をさせるためにも、インフレは加速し続けるだろう。今の社会制度が破綻していることを認めて、犠牲を払って正しい形に是正するまで。
(少し創作の話とは離れるが、生活保護や障害年金の受給者も物価高に”間引かれる”可能性は高いと思う。物価高のスピードに、受給額の向上速度はとても追いつかないだろう。セーフティネットは守られるべきだと思うが、守られるべきだから守れるかというと別の話だ)
今創作で「食えている」人も、プロの上澄み以外は物価高に圧殺される可能性は高い。一般層が「創作に金を払う余裕」がなくなれば、よりその傾向は強まるだろう。