
はてなキーワード:確証とは
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INSIGHT ANALYSIS:表象の真正性パラドックス
「女性主人公を描けない」創作者の原理的ジレンマ
Core Observation
この投稿者は、フィクション創作において「経験的真正性」と「想像的自由」の矛盾に直面し、表象行為そのものの正当性を疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分が女性を描く権利があるかどうかの確証」である。
PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー的構造の解体
この投稿者の悩みは、表面的には「技術的問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治の内面化が生み出した認識論的危機である。
内面化されたイデオロギー的前提:
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「描く資格がない」
この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである。
皮肉なことに、これは1980-90年代のジェンダー理論が批判した本質主義そのものである。しかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。
彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可」である。
生産的矛盾の発見
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これは本質主義の自己矛盾である。「女性」というカテゴリーに本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。
イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか
投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一の経験的実体ではなく、歴史的・文化的・個人的に多様な存在様態である。
士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:
しかしこの論理は、女性を規範に押し込める本質主義そのものである。
「生理を経験していないから分からない」という論理は、人間の相互理解の可能性そのものへの懐疑に至る。
この論理を徹底すれば:
この悩みの背景には、歴史的に男性が女性を対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:
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過剰補正:
↓
帰結:
これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである。
自己検閲のメカニズム
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内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質の区別がつかない」
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SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)
この「悩み」の歴史的構築
第1段階 (1970年代以前)
第2段階 (1980-2000年代)
第3段階 (2010年代-)
第4段階 (2020年代)
投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
現象学的補足 (Mode D)
投稿者が経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己の正当性への根源的懐疑である。
彼の実存的問い:
投稿者は、この理解の可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。
SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの
アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理を個人の創作実践に適用すると:
↓
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20世紀後半のジェンダー理論は本質主義を解体した。しかし21世紀に、配慮・正義・包摂の名において本質主義が再導入されている。
これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギーの古典的矛盾である。
この悩みは、フィクションの根本的機能—経験していないことを想像し表現する—への懐疑に至っている。
投稿者のジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体の正当性の危機である。
投稿者の不安は、個人的心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
投稿者は誰にも批判されていないのに、架空の批判者を内面化している。
IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題
投稿者は技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:
1.本質主義からの離脱: 「女性」は単一の経験的実体ではない
2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクションの本質
3.完璧主義の放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要
4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部
より広い文化的含意:
↔
歴史的瞬間について:
我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要な矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。
INSIGHT CRYSTALLIZED
この投稿者は、フィクションに「経験的真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為そのものの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治の論理を内面化した結果生じる構造的効果である。
言い換えれば:
彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分が女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である。
So what?:
この事例は、配慮と正義の言説が、意図せず表現の自由と想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践が必要である。
PUNCHLINE:
彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体が僭越である」と判定されることである。しかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。
先日4年間付き合った彼氏と別れた。
元彼は結婚を真剣に考えてくれていたが、私は絶対この人と結婚したい!と決断できなくてうだうだ迷っているうちに振られてしまった。この選択が私にとって正しかったのか未だに分からない。
優しくて思いやりがあって誠実、日々の言動から私のことをとても大切に思ってくれてることが伝わってきて嬉しかった。会った瞬間に仕事の疲れがスーッと消えて癒された感覚を覚えてる。身体的にも精神的にも健康で、考え方に歪んでいるところがない。SNSも見る専のアカウントがあるだけ。一人暮らしが長かったから家事もちゃんとできる。身長が高くてかっこいいし、美意識が高いところも(なんとクレンジングを2種類使い分けていた!)好きだった。
ただ、一緒にいてつまらないな…と思うときもよくあった。一緒にご飯屋さんに行ったときもほぼ無言で黙々と食べる感じ。観光や旅行には沢山行ってそれ自体は楽しかったが、どこがどう良かったね〜とかの会話にはあまり乗ってきてくれなかった。映画を一緒に見に行って、ここが良かったね!とか話しかけても、うんそうだね〜で終わり。あなたが何をどう面白く感じたのかが知りたかったのに。
ここに行きたい!と言えばどこでも着いてきてくれたが向こうから提案してくれることはあまりなかった。本や映画も見なくて私の世界を広げてくれる感じがしなくて、自分の中の好奇心がしぼんでいく感覚があった。
もし結婚したらこの先一緒に過ごす時間が1番長い相手になるわけで、その相手がつまらないというのは辛いんじゃないか。
でも、一緒に生活して子育てとかをするなら優しさや思いやりの方がずっと大切では…?
こんなことをずっと考えていて、結婚するか、別れるかの決断もどちらもできなかった。
社会人になってからは遠距離になってしまったので相手が転勤願いを出そうとしてくれたが、私が決断できなかったせいでこの先結婚するか確証が持てなかったので結局出さず。この状態で付き合い続けるのはお互い負担が大きいから、別れた方がいいと提案されてそれを呑んだ。元彼の判断は至極真っ当だったと思う。
理想を100パーセント満たす完璧な人はいないから、話していてつまらないことくらい妥協すれば良かったんじゃないか。他に良いところは沢山あったんだから、などとずっと考えている。
4年間も一緒にいたので生活の一部で私の心の大部分を占めていた。寂しいよ。別れてからまだ1週間くらいだが、ふと気付くとLINEや写真を見返して泣いてしまう。
揶揄するも何も、人前で何の問題もないのに騒いでたら見苦しいだろ。
無自覚に医師の外見を評価したり、医療従事者の名前などを世界に発信したり。「医療従事者のプライバシー保護をお願いします」っていう病院のお願いに反することを堂々とやっていて、まわりに迷惑かけてるだろ。
>純粋真っ直ぐ正義君ってよりは、正義の名を借りた当り屋ってかんじだよな こういう氷河期中年
えっとね、医療側には守秘義務があります。だから、患者サイドが誤解やウソにまみれた主張をブログに書いていたとしても、公には反論できないわけ。
で、医療側からは、このブログ誰が書いているのか特定できません。「おそらくあの人だな」ってのは何となくわかっても、発信者開示とかしないと確証持てないわけ。だから、事実誤認があっても反論できません。
まるっきり嘘を書いているとは思わないけど、配慮が足りない点から、いろいろ誤解・曲解が入ってても不思議ではなく見えるわけ。
今回のブログには、医療者の名前・発言とか書いてましたけど、それが問題になるとか思わないのかな? 例えば 紹介状に写真が入っていなかった 「あの先生よくやるんだよな」みたいなコメント。陰口を全世界に公開しちゃってるの。トラブルの種を蒔いてるって分かんないか。
画像診断レポートを、同意を取らずに世界に公開しているのもよくないよね。書いた医師にちゃんと了解を取ってないでしょ? 了解とってたら書くもんねぇ… 画像診断もあるワンポイントでレポートは出ますけど、後から手術前とかに見直し、より診断を深くしていくものなわけ。また臨床情報が増えたら解釈も変わってくる。それを同意なく、実名入りで世界に発信するのは…
迷惑かけてるとか思わん?
仮にレポートを見直して修正していたとするよ。そうすると、現時点で新しい画像診断が出ているも関わらず、了解もなく古い版が世界に公開されている… とかあったら問題だろ。
時間とともに、情報や所見の集積とともにどんどん診断を深く・良くしていく作業なんだけど、ある一時点のを切り取って、同意なく世界に実名で公開するって、問題だと思わんの?
それが問題と分からないなんて、どうかしてるよ? まともに働いたことないのかな?
取引先企業が内部情報を公開とか、BtoCでも、それぞれの顧客で対応は異なるのにそれを了解なく全世界に公開されたら普通に困るだろ…
しかも医療サイドは法的に「守秘義務」ということで弁解できないわけ。
こういう配慮のなさ・世間知のなさを見ていると、どこかで相手の言ったことを聞き間違っていたり、誤解していたりして、間違った内容・医療機関が意図していないようなことを記事に書いてるんじゃないかっていう疑いが生まれるわけ。
「応召義務で診療を断れない」って言っても理由があれば断れるからな。横浜なら医療機関はいっぱいある、一件が断っても別に行くところあるからね。
今は病院サイドにばれてないから問題になってないけど、最初の版、医師名が実名で出ていたやつが残ってたら普通に診療拒否ありうるレベルだからな?
はてブも今は過疎ってるから、ひところの勢いがないからバレてないけど。
こんなクソみたいな当たり屋が来るなら、初版を魚拓とって病院に通報、診療拒否方向に動くべきだったわ。
Amazon の欲しいものリストをくっつけているところとか、この病気をネタにしてお金を稼ごうとしているのが見えるわけ。お金を稼ごうとする時って当然センセーショナルにしますよね。「悪性度の低いカルチノイドで命の危険は全くないよ」って書くより、希少がんで明日もしれない、みたいな書き方にしますよね。そんな中でこういう配慮は足りてないところを見ると、実際よりもセンセーショナルに書こうと、誇張してそうに見えるわけ。そういうのは医療サイドから見たら害悪でしかないの
その「日本企業1990社を18年間追跡した研究」という主張について、私が確認できた限りでは、そのままの形で信頼性のある学術研究として裏付けられたものは見つかりません。いくつか類似・関連する研究はありますが、主張の文言(1990社・18年間・利益率低下)をそのまま支持するものは確認できなかった、というのが現状です。
調べた内容
Web記事などで、「日本企業1990社を対象に18年間の分析で、女性取締役が増えるとROAが0.1ポイント低下した」という記述が見られます。
→ ただし、その記事(ナゾロジー等)は学術論文ではなく、二次情報を噛み砕いて紹介したものです。
ナゾロジー記事自体では、「この研究は … 『Journal of Risk and Financial Management』に発表されている」といった表記があります。
→ ただし、その論文そのものを確認できるソースは私が見つけられませんでした。
日本の女性役員・取締役比率と企業業績の関係を扱った先行研究はいくつかあります。例として:
「上場企業における女性活用状況と企業業績との関係」では、正社員女性比率が高いほど利益率が高くなる傾向があるという結果が報告されています。
「女性取締役会構成と企業パフォーマンス」に関する研究では、日本企業においても、正女性比率と業績との相関が産業、企業規模、コントロール変数の扱いなどで変わるという指摘があります。
また、女性取締役比率と業績の関係については、正確な因果性を識別するのが難しいという指摘が多く、肯定的・否定的・中立的な結果が混在しているという整理もなされています。
Koara
先行研究のレビューをまとめた文献も、「女性取締役比率と企業パフォーマンス(ROA,ROE など)」の関係が、業種、企業のコントロール変数、内生性の扱い、サンプル期間・地域性などに強く依存するという見解を示しています。
主張の形(1990社、18年、利益率低下)をそのまま採るには、以下の点が問題です:
現時点で、その研究が査読を経た学術論文として公表されているという確証を得られていません。
一般に、女性取締役の増加が業績を一様に下げるという結論は、既存の日本・国際研究との整合性が取れないことが多い。様々な研究で、正負・中立の結果が報告されており、単純な「増えると下がる」という因果を支持するものは弱いです。
もしそのような相関があるとしても、「女性取締役が増えたから利益率が下がった」のか、「利益率が悪化していて、それが背景にあって取締役改編が行われた」のか、逆因果の可能性や操作変数をどう扱うかなどがクリアでないと主張は弱くなります。
微妙に話ズレるかもだけど、
「相手を加害者にしてしまうかもしれない恐怖」って、意外と被害者側の悩みの種だよね。
自分が騒ぐせいで相手の人生壊しちゃうかも?とか、思い違い(うぬぼれ)かも?とか思って不安になる。
あとシンプルにこれからも存続したい集団の中で「被害者」のレッテル貼られるのもつらいしな〜とか、まあいろいろ考える。
初めて痴漢にあった時も、「いやわざとじゃないかもしれないし、この目で見えてないし、確証がない…」とか頭真っ白になりながら思ってる間にどっかいっちゃったし。
仕事で関わった人にかなりしつこくされた時も、好意は犯罪じゃないし、相手もすごい悪人ってわけじゃないし、でも死ぬほどLINE来てつら〜こえ〜と悩んだりしていた。
一期一会の人間なら最悪「やめろや!!」で済むけど(逆上されたら死ぬ)、自分の生活圏内にいる人に対しては「丁寧なNO」が精一杯になりがち。
他人にヨチヨチ察してされないと生きていけない社会不適合者の寝言。
他人を変えることは難しいけど、自分を変えることは比較的簡単なのに、人生経験の乏しい幼児がそうであるように、
自分の都合や感情で他人(親)を動かすことを当たり前と捉える幼児性が抜け切れないまま大人になると、増田みたいな愚物になる。
現実にはエスパーなんて存在しないし、他人の考えなんて読めなくて当たり前なので、大人はアプローチやコミュニケーションでそれを量るんだよ。
そこで明確に断らなければ合意したと看做されるのは当たり前の話で、
「本当は嫌なのに断れなかった」が通用するのは、明確な上下関係が成立する関係、つまりハラスメントが成立する場合だけ。
「元会社の同僚」?
「前職などで知り合った別会社の知り合い」?
そもそもこれ、現在の増田にとっては単なる「過去に面識のある人」程度の関係性で、上司部下でもなければ、義理立てを要する友人・知人ですらないよね?
そういう人たちと未だに付き合わなきゃいけない理由って何かあるの? ないならキッパリ断れよ。
かつて世話になったというだけで、今現在の増田の人生や社会生活に何も影響してないなら、断っても何も問題ないはずだろ。
何の利益もないのに勝手に義理立てを感じてるなら、どういう理由で気に入らないおっさんとの関係性を残そうとしてるの?
本当は「元会社の同僚」「元英会話教室などの趣味のXXで一緒だった生徒」「前職などで知り合った別会社の知り合い」に少なからず貢がれていて、
それを手放す気はないけど誘われるのは嫌だから愚痴ってると考える方が(増田が幼稚な事実は変わらないものの)まだ話の筋は通る程度に不自然な話。
仮に、おっさんが今現在の増田に何かしらの利益や影響をもたらし続けてるというなら、
月イチの飲み会の誘いくらい(応じるにせよ断るにせよ)その対価≠コミュニケーションと諦めて付き合うしかねえだろ。
その付き合いがどうしても嫌だというなら、利益を捨てて関係を断ち切るしかねえだろ。
利益は欲しいけど対価は支払いたくない? ただの自分勝手なエゴイストじゃねえか。
断ったら殺されるかもしれない? ストーカーになるかもしれない? それ、増田の被害妄想でしかないことに気付いてる?
確かにそういう事件があるのも事実だが、増田が相手しているおっさんがそうだという確証があるなら、
増田がやるべきは警察や弁護士、女性向けの支援団体などへの相談であって、ネットで愚痴こぼすことじゃねえだろ。
そこまでするほどの確証はないというなら、それこそが被害妄想って話。
確証はあるけど何らかの理由で相談はできないというなら、その理由を明文化しなさい。
その理由と今現在増田が抱えてる不満を天秤に賭けて、どっちがマシなのか自分で選択しなさい。
いい年した大人なら、人生とは困難な選択肢の連続だって事くらいわかるでしょ。
それとも、今までの人生がずっと察してちゃんで、何一つ自分で責任取って選択した事すらない人なの?
察してちゃんや他責思考が許されるのは、それを受け入れてくれる恋人や家族だけで、全くの他人に通用すると本気で思ってる事自体が、
一晩寝て頭が整理されてきたので改めて当時本当に思っていたであろうことを書く。
そもそもなぜ「困った」と書いたかというととりあえず5chで批判されてた時点でイライラしてたし、相手に本当に論破されてるならまだしも論破されてるのかただの煽り目的で言いがかりつけてるのか自分では確証が持てなくてもやもやしてるってことを「困った」と表現したわけ。
そこで増田で問いを立てることになる。もしも相手が論理とか抜きにただおちょくってるだけだと第三者も評価するなら仕方ないなって割り切るきっかけになって少しはイライラが収まると思うし、もしも一応議論になっていてどちらが論理的に劣勢が判断できる状況になっているなら、自分の方が正しいと言われればシンプルにうれしくてそのうれしさでイライラが相殺できるし、相手が正しいとなったら自分の論理の誤りを反省する機会が得られるわけで学びを得た(論理を追う力が必要な学問で勉強したいことがあるから積極的に成長をさせたい欲がある)という事実が救いになる。
言い合いの当事者だと視野が狭くなって誤った認識を持ちがちなのが岡目八目というように、当然第三者に聞いたからといって絶対に正しい答えが得られるわけじゃないけど自分一人で考えるより正しくなる期待値は上がる(ちょっとこのあたり文章が変だけどどうしてもこれ以上うまい言い方がわからなくて失礼)。
相手が負けてるとか言い始めたのは完全に誤解の元だし感情がたかぶってて、何が今の悩みを解決するための本質なのかその一瞬から見失ってしまっている状態だったと思う。
自分自身の感情に任せて浮かんだ言葉自身に影響されて思考が迷路に入ったような状態かな。
思うに自分は自分の考えていることの分析や自己認識にハンディキャップを抱えているんじゃないかなあ。
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うちは朝はパンなので週末とかにスーパーで食パンを買うわけだが、俺はスーパーのプライベートブランドのものを選ぶ。値段的には118円くらいだ。
プラベートブランドの食パンはピンキリで、大して安くないにもかかわらずパサパサのうまくないやつもあれば、メーカー製のものと遜色ないやつもある。
俺が買うやつは有名メーカーのOEMと思われる商品で、158円くらいで売っているものと製造者、成分、カロリー表示が同じであり確証こそないが中身的には同一と判断できる。もちろん食味だって同じだ。
実体として同じであればパッケージのために差額を支払うのはアホらしいのでいつもプライベートブランドを選択するわけだが、これをどれだけ言っても妻が理解しない。
製造者などの情報は当然見せたし、味的にかわりがないことは本人も認めている。ひとしきり説明したあとには納得したと言葉では言う。にもかかわらずひとりで買いに行った時は絶対に割高のメーカー品を買ってくるし、この間なんか俺がカゴに入れたPBのパンを戻してまでメーカー品を買おうとした。
普段はまあまあ適切な感覚で行動できている方だと思うが、時折どれだけ説明しても理解できないのかしないのかすら不明な動きを見せる。パンなら別に致命的ではないが今後もっとクリティカルなところで同様の問題が発生したら困る。うっすら憂鬱だ。
人間の性行動を論じる際、多くは文化や社会の視点が導入されるが、本稿ではそれらを排し、進化心理学と進化生物学のみを用いて、「男性にとってのセックスとは何か」を考察する。
あらゆる動物と同様、人間の行動原理も、遺伝子の複製と継承である。
オス(男性)はメス(女性)と比べて生殖投資が少なく、一度の交尾で複数の子孫を残せる可能性がある。
そのため、進化的にはできるだけ多くの性交機会を得ることが選択圧となってきた。
この戦略はチンパンジーなどの霊長類にも見られ、オス同士は発情したメスへの交尾アクセスを巡って激しく競争する。
ヒトの男性もまた、性的に選ばれることを最も強く求めるよう設計されている。
この構造の下で、男性にとってセックスは単なる快楽ではなく、選ばれることの象徴である。
すなわち、性行為に至るという事実そのものが、自分には生殖価値があり、淘汰されないという確証として機能する。
逆に言えば、性行為への恒常的なアクセスを失うことは、進化的には淘汰の対象となったというメッセージとして認識される。
たとえばセックスレスは、女性にとっては忙しさや情緒の断絶の延長かもしれないが、男性にとっては「自分の存在価値の否定」として強く知覚されうる。
彼らはしばしば、自分が家族のためにリソースを提供し続けているにもかかわらず、生物的な承認を失っているという構造的苦痛に晒される。
特に40〜50代の中高年男性に自殺が多いのは、単なる仕事のストレスではなく、この性的価値の喪失による精神的打撃も関係している可能性がある。
経済力を失うことで配偶者からの承認も失われ、性的アクセスが閉ざされる。
そのことが、自分はもう遺伝子を残すに値しない存在なのだ、という進化的絶望につながる。
こうした文脈を踏まえると、男性のポルノや風俗、創作表現への依存も理解が進む。
それらは単なる快楽追求ではなく、性的に承認されているという錯覚を得るための代償行動であり、それが奪われれば、生存意欲そのものが削られる。
セックスとは、男性にとって「生きていていい」と確認するための最終報酬系である。
「都市伝説は好きか?」
そう聞かれると私はなんとも言えない顔になってしまう。
なぜなら興味はあるが、都市伝説の裏に隠されている薄暗さが怖くて夜も眠るのに一苦労するからだ。
じゃあどうすればいい?
最初の期間は1週間だ。これで埋もれてしまっては話題作りも出来ずインターネットの下層に積み重なっていく塵なのだから。
もちろん、死後評価される例だってあるだろう。だが、死んでしまっては遅いのだ、自分が確認できるわけではないのだから。
どうやって都市伝説になろうか、考えた。考えてみて、ふと最近Youtubeでこんな都市伝説を見たな、と思った。
「インターネットに眠る大金」や「消えたビットコインの謎」だ。
もう人生には飽き飽きしている、期限もチラついている。
それなら、最後に一つくらい何かあがいてみても許されるのではないかと思った。
見向きもされないで終わることだってあるし、ほんの一人がジュース一本分のビットコインを入れてくれるかもしれない。
そして、誰もが忘れ去ったある日、どこかの掲示板に「都市伝説になりたかった人の末路」 なんてスレが立ったら面白いだろう。
まぁ、その頃に私が生きている確証はないのだけれど。
さて、ここからが本題だ。
一切のリターンはないものとしてくれ。
今や超高級品となったビットコインをこんないきなり出てきたエントリーに投げ込めるか、ただそれだけだ。
何年か過ぎた頃「こんなこともあったな、詐欺だったが」なんて書き込むアテにしてもいいし(ただそもそもリターンがないと言ってるので詐欺ではないのだが)、意味のわからないお祭りに参加してもいい。
おわり。
3NirpndmU9gyVQVQNs7iabVXqnUUPyvEr9
広陵高校の問題は、現時点(2025/08/10)では加害者と被害者の主張に齟齬がない部分と、齟齬がある部分がある。
齟齬がある部分に関して、我々はどちらが正しいかを100%の確証をもって発言することはできない。現時点では。
こうした状況で大事なのはネガティブケイパビリティ = すぐに答えが出ない状況や不確実な状況に耐える能力、ということはブクマカの皆様なら100も承知のはずだ。草津冤罪事件、サッカーの伊東純也選手事件、GIGAZINE倉庫破壊事件(ネット世論は当初GIGAZINEを圧倒的に支持したが裁判で敗訴)、日大悪質タックル事件裁判(監督とコーチが「嫌疑不十分」として不起訴)など、第一報に対する世論の予想とは真逆の判決が裁判で出たケースがすぐに思いつくだけでこれだけある。
私の主張は、「広陵事件の被害者が嘘をついている」という主張ではない。
「第三者機関の調査を待つまで、我々は断定を避けるべきである」という主張である。
仮に、第三者機関の調査の結果として片方の言い分が100%正しかったと事実認定されたとしても、それは「現時点において我々がどちらか片方の言い分を100%信じる」行為を正当化しない。
東京都医学研の西田淳志博士らの研究グループは、「思春期にオンラインゲームを不適切に利用すると抑うつ・不安・精神症・幸福度低下につながることを確認」とするプレスリリースを行いました(プレスリリース全文はこちら)。前向きの一般集団コホートでN約3,000名を長期間にわたり追跡し、多様な交絡因子を調整したうえで二重ロバスト推定と因果媒介分析を組み合わせた点は、方法論的に評価できます。しかし、この研究の結果から科学的にそのような断定はできません。研究結果を実際以上に強く(しばしば因果的に)解釈させる報告手法はスピンと呼ばれ、科学への信頼を損なう可能性があります。関係者には表現の改善を求めます。
対象論文は、都内コホートで「12歳のADHD傾向 →14歳の不適切なオンラインゲーム利用(POG) → 16歳のメンタル不調」という時間順序に、二重ロバスト推定と因果媒介分析を適用した観察研究です。部分的な媒介が示唆され「modifiablemediator(介入で変え得る媒介)」に触れていますが、論文では残余交絡や測定の限界も明記しています。一方のプレスリリースは前提や限界、ゲームのポジティブ側面への言及が乏しく、断定的です。
対象となった元論文はこちら(Communications Psychology掲載)。
この研究は、東京都内の思春期を対象としたコホートデータを用いた観察研究です。分析では、12歳時点で測定されたADHD傾向、メンタルヘルス状態を出発点とし、14歳時点の不適切なオンラインゲーム利用(POG)を媒介変数、16歳時点のメンタルヘルス不調(抑うつ・不安・精神症状・幸福度低下など)を結果として位置づけています。統計解析には、交絡を減らすための二重ロバスト推定と、影響経路を直接効果と媒介効果に分解する因果媒介分析が用いられました。
論文の結果では、ADHD傾向からメンタル不調への影響の一部がPOGによって媒介される可能性が示唆され、「modifiablemediator(介入で変え得る媒介)」としてPOGを位置づけています。ただし、著者らは未測定交絡や自己記入式尺度の限界、そして分析対象が東京都の限られた集団であることから一般化可能性に制約があることなど、重要な制約条件を明記しています。したがって、この研究が提示しているのはあくまで特定の前提条件が成り立つ場合の「因果推定」であり、「因果の確証」ではないという立場が論文本文で繰り返し強調されています。
今回のプレスリリースは、研究結果について「因果関係を推定できる厳密なデータ解析を行い」、「思春期にオンラインゲームを不適切に利用するとメンタル不調につながることを確認」と断定的に表現しています。しかし、これは観察研究の性質上、あくまで因果推定にとどまるはずの結果を、あたかも因果が確証されたかのように受け取らせる可能性があります。論文本文では未測定交絡や自己記入式測定の限界などの制約が明記されているにもかかわらず、そうした重要な前提や制限事項はリリース文にはほとんど盛り込まれていません。さらに、オンラインゲームのポジティブな側面――例えばストレス対処や社会的つながり、達成感の獲得など――については一切触れられておらず、読者に「ゲーム=悪」という一面的な印象を与えかねない構成になっています。このようなバランスを欠いた発信は、親や教師などが短絡的に全面禁止といった極端な対応を取ることを助長し、かえって子どもの健全な発達や支援の機会を損なうおそれがあります。
二重ロバスト推定は、曝露の割付モデル(傾向スコア)と結果の統計モデルの二本立てでバイアスを抑える手法で、どちらか一方が正しければ推定の歪みが小さくなります。因果媒介分析は、全体の影響を直接効果と媒介効果に分け、介入余地の検討に役立ちます。ただし、これらは未測定交絡がない、測定誤差が小さい、媒介分析特有の識別仮定(曝露・媒介・転帰の各関係に残余交絡がない/曝露の影響で生じた因子が媒介–転帰の交絡になっていない など)が成り立つことに依存します。現実には家庭や学校のストレス、睡眠、他メディア使用、物質使用、さらには遺伝的素因などが両者に影響し得るため、因果の確証までは言えません。
まず念頭に置きたいのは、観察データで見える「14歳の不適切なオンラインゲーム利用(POG)↑ → 16歳のメンタル不調↑」という並びが、12歳時でのメンタルヘルス状態の測定などだけでは捉えきれなかった背後の共通原因に同時に押し上げられている可能性です。たとえば12歳時にも存在はしていたが測定はされなかった受験期の学業プレッシャー、内申点や部活のレギュラー争い、友人関係の摩擦やいじめ、先生との相性の悪さ、長い通学や塾通いによる慢性疲労など、こうした学校・部活・友人関係のストレスは、14歳頃に「気分転換としてのゲーム」を増やしやすくします。同時に、睡眠が削られ体内時計が乱れることなどで情動調整力は落ち、16歳時点の抑うつ・不安が上がりやすくなることも想定できます。家庭側でも、親の長時間労働や失職、経済的困難、両親の不和や別居、兄弟姉妹との確執、さらには軽度のネグレクト等の慢性的な家庭ストレス (12歳時に存在はしていたが測定できなかったもの)があると、逃避・自己安定化の手段としてオンラインゲームに傾きやすく、同じく将来のメンタル不調を押し上げます。これらはすべて、POGとメンタル不調の双方を上げる上流要因として振る舞い、データ上は「POGのせい」に見えても、実は共通原因の影響という説明が成り立つ場合もあると考えられます。
次に、遺伝的素因や生得的な気質です。たとえば「ストレス耐性が低い」「不安が高まりやすい」「報酬への感受性が高い」「衝動性が相対的に強い」「実行機能(計画・抑制)の未熟さが目立つ」といった特性は、どれもポピュラーで、病名に至らない連続的な個人差として普通に存在します。こうした特性は、12歳時の測定では必ずしも捉えられるとは限らず、報酬間隔が短く達成が明確なゲームに惹きつけられやすい一方、思春期のホルモン変化・睡眠相後退と相まって感情の波も大きくなるため、16歳時点の抑うつ・不安が高まりやすくなる要因となる。つまり、同じ遺伝・気質が「14歳のPOG↑」と「16歳の不調↑」を同時に押し上げる可能性もあるのです。親世代に気分の波や不安傾向が強い場合(親のメンタル不調歴)、家庭環境を通じても遺伝を通じても影響が重なり、共通原因としての力はさらに強まります。
「12歳では落ち着いていたのに、14歳ごろから不安や抑うつの芽が出てきた」―思春期ではよく起こる経過です。本人はうまく言語化できず、気分を和らげるためにゲーム時間が増え、結果としてPOG得点が上がる。このときデータ上は「14歳:POG↑ → 16歳:不調↑」と並びますが、実態は「12–14歳:不調(初期;測定限界以下) →14歳:対処としてPOG↑ → 16歳:不調が指標上に顕在化」です。12歳時点のベースラインで症状が低かったとしても、その後に立ち上がる初期症状までは完全には抑え込めません。これが逆因果です。観察研究では、ベースライン調整をしても時間とともに立ち上がる微細な症状変化を取り切れないため、「POGが原因に見えるが、実は不調の芽がPOGを増やしていた」という説明が、統計的には十分あり得ます。
現実には、上流のストレスや素因がPOG↑を引き起こし、POG↑が夜更かしや課題先延ばしを招き、成績低下や家庭内口論が増えてストレス↑――という悪循環が成立する場合もあるでしょう。こうなると「POG↑」は原因でも結果でもあり、途中で生じた新しい交絡(たとえば新しい交友関係や学級内の立場の変化)がさらに関係を複雑にします。観察研究では、この種の時間とともに変わる交絡を完全に取り除くのは難しく、慎重な解釈が欠かせません。
なぜこの結果だけで断定できないのか
以上のように、環境の共通原因(学校・友人・家庭・睡眠・デジタル環境など)と、遺伝・気質の共通原因(ストレス耐性や報酬感受性、実行機能の個人差など)、さらに逆因果が重なれば、14歳のPOG↑と16歳のメンタル不調↑という並びは、十分に別の説明で再現できます。これは「ゲームに負の側面がない」という意味ではなく、観察研究の結果をそのまま因果の確証として受け取るのは危うい、ということです。確証に近づくには、介入(例:睡眠改善・学業負荷の調整・親子コミュニケーション支援・ゲーム利用のルール介入など)によって原因側を操作し、結果がどう変わるかを見にいく研究が必要になります。
オンラインゲームには負の側面だけでなく、文脈次第でポジティブな効果も報告されています。因果関係の検証でより強力だと考えられる自然実験の研究から、日本のゲーム機抽選という外生的な「所有の急増」が、心理的苦痛の低下や生活満足の上昇に結びついた可能性が示されています(長時間化で逓減、年齢や機種で異質性あり)。Nature Human Behaviour 2024 また、実ログ(テレメトリ)とアンケートを結んだ大規模研究では、プレイ時間と主観的ウェルビーイングの間に小さいながら正の関連がみられました。Royal Society Open Science 2021 さらに、身体活動を伴うゲーム(エクサゲーム)を中心に、不安・抑うつ・ストレスの改善や幸福感の増加を示すレビューもあります。結局のところ、影響は「何を・どう・どれくらい・誰が」によって大きく変わります。上記のような逆因果のシナリオが存在する場合、ゲームのポジティブ面がネガティブ面をむしろ上回っているにもかかわらず、共通原因に相殺され見えなくなっているような可能性もあります。
スピンとは、研究結果を実際以上に強く(とくに因果的に)読ませる表現や見出しのことです。大学発プレスリリースを分析した研究では、リリースに誇張が含まれると、その後のニュース報道も同様に誇張されやすいことが示されています(BMJ 2014)。BMJ 2014 また、読者実験ではスピン付き記事を読むと効果を過大評価しやすくなることが確認されています(PLOS Medicine 2012/BMC Medicine 2019)。PLOS Medicine 2012 BMC Medicine 2019 さらに、誇張表現は露出増加につながらず、むしろ限界や前提を添えても可視性は落ちにくいという示唆もあります(PLOSONE 2016)。PLOS ONE 2016
日本心理学会のガイドラインは、研究成果の発信において「因果か相関かを誰にでも分かるように明記」し、効果量や信頼区間、研究の限界、利益相反などを適切に示すこと、そして誇張や不適切な拡大解釈を避けることを求めています。ガイドライン本文 今回のプレスリリースは、観察研究に基づく前提と限界の説明が薄いうえ、ポジティブ側面への言及がなく一面的な印象を与えます。ガイドラインの趣旨に十分合致しているとは言えません。
以下のような表現であれば、研究の示唆と限界の双方を保ちつつ、社会的影響にも配慮した発信になります。
「本研究は観察データに因果推定手法を適用し、「不適切なオンラインゲーム利用が後のメンタル不調を高め得る」という仮説に整合的な結果を得ました。
ただし未測定交絡や測定限界があり、因果の確証には介入研究が必須です。本研究の指標はPOG(操作的指標)であり、臨床診断を意味しないことにも注意が必要です。
また、ゲーム利用には対処行動や社会的つながりなどのポジティブな側面も報告されており、使い方や文脈に応じた理解が重要です。今後どのようなゲームの使い方がメンタル不調を助長してしまうのか、どのような場合だとポジティブに機能するのかなど条件を明らかにするような研究が行われることが期待されます。」
観察研究の結果は因果の「推定」として丁寧に紹介し、POGという操作的定義の限界と前提を明示することが不可欠です。ゲームの負と正の知見を併記して読者の短絡的な全面禁止を避け、ガイドラインに沿って限界も簡潔に共有しましょう。何より、子どもに困りごとが見えるときは、ゲームそのものだけを断罪するのではなく、学校・友人関係・家庭・睡眠・経済状況など背景要因にも目を向けて支援につなげることが、実践的で建設的でしょう。プレスリリース文の改訂を期待します。
もちろん読解力や理解力ってのはあったほうがいいしそれが豊かな体験につながるのは否定しない。しかしながら作品(映画だろうが漫画だろうがドラマだろうが小説だろうが)を鑑賞するに当たって正解を「保証」してくれる、つまりは答え合わせをしてくれる機関なんかないし、みなそれなしで、それぞれに個人なりの正解を納得して感動してるよ?
https://bigcomics.jp/episodes/02b287f8f8313/
仕事中に飲みすぎたカフェインのせいか眠れないから読み進めてるうちに終盤となり、作中屈指の名シーンとされる「少し泣く」にたどりついた。
アニメで1回、実写で1回、漫画はこれで3回目だが、まだこの「少し泣く」の意味が分からない。
学生時代12年間漢字テストを除けば現国ノー勉8割安定だった俺の読解力が実際は如何にハリボテか思い知らされている。
才能がないのか努力が足りないのか。
なんとなくアクマの気持ちを察することは出来るが、確定しない。
これが国語の問題だったらドラゴンへの同情が正解だろうし、もう一歩踏み込めばアクマ如きに同情されてしまう風間学生の等身大の小ささとそれを必死に膨らませてきた姿への同情なのだろうということでまず間違いないだろう、これが国語のテストなら。
でも本当にそれでいいのか確信が持てない。
確信が持てないという感情の揺さぶりがアクマ自身にもあって、その不安定さと未確定な揺さぶりが読者にも共振を起こすという漫画的効果を狙っている気もする。
だがこれも確信はない。
その裏で圧倒的才能によって粉砕されていくNO.2の姿は、アクマ達の心情と関係するのか、それともまた別のオムニバスなのか、それさえも委ねられている。
分からん。
確証が持てない。
才能も努力もアクマを凌駕するドラゴンが、異次元の才能と未知数の努力をかけ合わせて産まれた怪物に踏みにじられる未来を想起したアクマは、果たしてその敗北を嘗ての自分と重ねて涙したのだろうか、重ねることさえ出来ないことに涙したのだろうか。
ドラゴンへの同情だけの涙じゃない事までは分かってきたんだ。
だが、確信には届かない。
一生、確信にはたどり着ける気がしないし、それで正解だと確信できる気もしない。
読解の才能がない。
泣きそうだ。
ぽいって言ってる時点で確証もないと自白してるようなものだし、はてブで晒されんじゃなきゃどっちにしろノーダメだわ。
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だから文章だけでやり取りしようとする限りどうやったって真にお互いには確証を持てなくてむずがゆさが残るやり取りにしかならんのよ。
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なんで女(主語がデカすぎる!)って自分らが男性に性欲を向けることがキモいって理解しないの?善悪はともかく、それが気持ち悪いことは変わらないよ。
確かに、この二つは違う。少なくとも、私は違う意味で使ってる。(違いを説明しようと思ったのですが、スマホで卑猥な言葉を打つことが恥ずかしいので省略させていただきます)
でもさ、メロいもシコいも相手を性的な対象として見ていることには変わらないんだよ?
メロいって言葉を成人女性が男子高校生に向けるのは違うんじゃない?思うのがダメとかそういうんじゃなくて、成人男性が女子高校生に可愛いって言ったらボコボコに叩くクセに自分らは言ってるのおかしくない?(と主張しましたが、実際に前者と後者の発言を同一アカウントがしている確証は持っていません。私の体感的な話であることにご留意を)
あとさ、私、腐女子なんよ。だから、TwitterでBL作品を描く方やイケメンを描く方のアカウントをフォローしてるわけよ。でも、その中に表現規制派(男性向けエロの表現を規制しようとしている人たちの意)がいるわけよ。二次元美少女に対して文句を言う奴もいるわけよ。自分らが尊いとか言うとるものが他所から見ればきしょの塊だってことに気づいてないんかな。(全員ではありません。少数です)
めちゃくちゃ恥ずかしい。ほんまに。私はTwitterは全く投稿しない主義なんで、わざわざ批判しに行ったりはしないけど、同じ趣味を持った人間として恥ずかしい。性癖がジャストフィットする人がそんなことを言っているのは悲しい。
あとさ、なんでR18の二次創作をしたり、どすけべBL作品を書いたりしてるくせに巨乳のラブドールがゴミを食わされる作品に発売中止を求めたり、あたかもその作品を否定することが正義であるかのように振る舞ったりするの?
特に、某BL小説家さん。恥ずかしくないんですか?あなたの作品を読んだことはないのですが、題名から察するに、あなた、相当な変態さんでしょう。
あの作品は純粋な思考実験としての側面だけでなく、変態さんの性欲に訴えかけるような部分もあると思います。でも、それをあなたが言うんですか?本心から言ってるんですか?
ゴミを食わす部分がダメなんですか?だからこそプレイする価値があると思うのですが。
私はそこまで文句を言うならプレイしろ!と言いたいのではありません。ただ、ご自分が世に出した作品を背負ったアカウントでそれを言っても説得力がないことは分からなかったんですか?
あとさ、なんで低身長が好きな男はやばいみたいなこと言うの?そっちの方が可愛らしく見えるからとかじゃないの?守ってあげたくなるからじゃないの?あんたらだって、高身長が良いって言うじゃん。それは頼り甲斐があったり、単純に見栄えが良かったりするからやろ?
何が違うん?(私が見たのはバ●ェラーっぽい大人の男女の恋愛リアリティーショーの切り抜きと共に低身長が好きな男はやばい(意訳)とツイートされていたものです。切り抜きは参加者の男性の一人が自分は低身長の子の方が好き、と発言した場面でした。その回は高身長の女性が多かったらしく、その場でそれを言うのは空気が読めないといった意見もありましたが、私は好みの女性が居なかったんじゃなかろうか、と勝手に思っております)
Twitterに棲んでる女(主語がデカすぎる!)の悪いところの一つに男から女性への性欲は嬉々として叩くのに、女から男性への性欲については白々しい言い訳をするところだと思う。(性犯罪や性犯罪を予告するような言動を含むつもりはありません。好みのタイプだとかを含めた話です)
やめようや、それ。女オタク(主語がデカすぎる!)のそういうところが嫌だなと思う深夜3時。
めちゃくちゃ面白そう。Steamには触れたことがないので気軽にプレイできるわけではないけれど、ものすごく興味をそそられる。宣伝を見た感じ、某小説へのリスペクトもしっかりあるようなテーマだと思う。なんでラブドールなの?と非難しているツイートもあったが、そこに意義がある作品なんじゃなかろうか。
年齢制限がいるのは確かな作品ではある。だから、フ●ミ通が大々的に宣伝したのがまずかったのかもしれない。私が知らないだけで、年齢制限のかかるゲームをこれまでも紹介してきたのかもしれないけど。
作者さんは気の毒だと言う他ない。頑張ってください。
キモいって言うのは良いんだよ。それをどこで言うかはともかく。でも、私が不快だからやめろ、は駄目なんよ。子どもでもわかるんよ。