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2025-10-24

伊香保寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19

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2025-10-22

anond:20251022095040

相撲やりたい女って存在するの?想像つかない

Permalink |記事への反応(1) | 09:54

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anond:20251022095040

ワイの地元では小学生の時に女子相撲大会に出場しとったし解禁されとるやで

Permalink |記事への反応(0) | 09:52

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2025-10-20

anond:20251020093034

人がまじめにニュース見てるのにどの番組も途中から野球サッカー(企業宣伝)のネタがはじまる

そら直接じゃないけどスポンサーのものだが相撲や他のスポーツもどさくさに紛れてやる

政治経済事件事故まではニュース性あるけど他人運動なんて趣味のものを同等に扱うのが謎

Permalink |記事への反応(1) | 16:51

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2025-10-19

anond:20251019142746

そういえば相撲って階級制がないのになりたってるよな

たまに小さいのが大きいのに勝つの醍醐味みたいなところがある

柔よく剛を制すって言うの?

柔道階級制だけど

Permalink |記事への反応(1) | 14:39

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2025-10-17

相撲野球も大嫌いだった

80年代まれ自分にとって、それは親父の趣味だった

あの雰囲気アナウンサーの落ち着いた声、スローテンポ試合

ぜんぶ嫌いだった

 

あとは、神社仏閣も嫌いだったし、ニュースも嫌いだった

古いもの全部嫌いだったと思う

タバコも嫌いだし、酒も嫌いだし、お茶も嫌いだし、車も嫌いだった

NHKも、時代劇も、ドラマも嫌いだし、祭りも嫌いだった

昭和を感じるもの、親父(あるいは親族)を感じるもの、全部「古くてダサい」と言う感覚だった

 

それでパソコンに逃げたんだと思う

最近その呪いが解けつつある

改めてみると別にそこまで悪いもんじゃないように思えた

きっかけを与えたのは、若い子の感想と、日本すごい動画だった

もう長いこと離れていたそれらを見直したら、案外普通に思えた

 

まりこれは、親世代が着てるファッション絶妙にダサく感じる現象に近いんだと思う

世代が一周すると、別にいいじゃんとなる

 

例えば、昭和30年代あたりの文化に対して、自分はさほど何とも思わないしいいデザインだと思うが

世代は拒絶感が出るらしい、アデリアとかは一周してまたブームになっている

世代和服から離れてるのもそういうことなんじゃないかと思う

海外日本贔屓してる奴らも、別に日本が好きというより自分の周囲のすべてがダサくて退屈に見えてるんだろうなと思う

今の若者とかはどこらへんをダサいと感じてるんだろう

Permalink |記事への反応(2) | 19:10

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2025-10-13

anond:20251013193411

滅亡主義何が悪いんだ? 知り合いの窯元も途絶えたし、オレの通ってた小学校廃校だし、オレも恋人なんていないから末代だ。伝統なんて無くなってしまっても問題ないだろ。オレは女性天皇もアリだと思ってるし、相撲総理大臣杯は今年から女人禁制でなくなるのでは、と言われてる。

繰り返す。滅亡主義何が悪い? 生まれてないヒトは不幸にならない。いまを生きてる人の人権が何より大事だろ。

Permalink |記事への反応(0) | 19:53

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うちの会社でなぜか手押し相撲ブーム

最近うちの会社でなぜか手押し相撲ブームだ。

会議室でも廊下でも、気づけばどこかで「せーの!」の声がする。

本来なら社会人がやることじゃないんだけどデスクワーク続きで肩が凝ってるせいかちょっとした運動として流行りだした。

遊びだけどみんなけっこう真剣で、勝ったら昼休みコーヒーを奢ってもらえるという地味な賭けがあるからかもしれない。

そして、事件は起きた。

その日私は隣の席の彼と勝負していた。

温厚な人で私より年下。口数は少なくて仕事の事しかしたことがない。

でも勝負が始まった瞬間彼の目が本気。

そこで彼が手を押して来た瞬間、さっと手を横にやって避けた。その瞬間——

バランスを崩した彼が前のめりに倒れてきた。

ドン

気づいたら抱きしめられていた。

いや正確には倒れそうになって私に抱き着いた形…なだけなんだけど。

顔が熱い。耳まで真っ赤。彼はそっと離れて「…すみません」とだけ言った。

私は笑っていいよと言ったけど午後の会議中もずっと彼の温もりが気になって、資料グラフがぜんぶ心拍数に見えた。

鏡を見たら顔がずっと真っ赤で恥ずかしかった…!!!(´///ω///`)

Permalink |記事への反応(1) | 18:00

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2025-10-08

dorawii@執筆依頼募集中

相撲板の宇良を思い出す

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Permalink |記事への反応(6) | 18:46

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2025-10-02

anond:20251002081415

そもそも吉田さん、というか脚本家という人たちがうっすら嫌われているからじゃね?特に原作のある作品を扱う場合、確かにクリエイティブな面があるにしても、所詮どこまでいっても他人ふんどし相撲をとって金や名声を得る賤職だろうって思われてる。だから一言一句が気に入らず噛みつきたくなる人が出てくる。

Permalink |記事への反応(2) | 09:42

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2025-10-01

小結の安青錦、応援してる。ああやって外国出身力士番付を上がっていくのを見ると、純粋面白い

それに比べて将棋はさ、なんで外国棋士がいないんだろうな。プロ棋士外国人が一人もいないって、ちょっと不思議じゃないか

なんかこう、内輪で盛り上がってる感じがして、見ててもちょっと距離を感じるんだよな。

相撲みたいに、もっと門戸を開いていろんな国の人が参加するようになれば、もっと面白くなると思うんだけど。

Permalink |記事への反応(5) | 10:45

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2025-09-30

anond:20250930130243

辻説法

講釈

辻商い

相撲

Permalink |記事への反応(0) | 13:06

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2025-09-24

増田相撲行司です

ハッケヨーイ

シコったシコったシコったー

シコったシコったー

シコったシコったイッたー

すいすいすいようびー

Permalink |記事への反応(0) | 21:39

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anond:20250924093605

でもお得だからって役に立つとは限らないですよね

いくらルービックキューブを解くのが早い力士がいたとしても相撲の取り組みには関係ないのと同じです

Permalink |記事への反応(1) | 09:49

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2025-09-23

20年ぶりに中学同窓会に行ったら、地獄天国がそこにあった

先日、約20年ぶりに中学同窓会に行ってきた。

正直、めちゃくちゃ迷った。だって私にとって中学時代は、思い出したくもない黒歴史のものだったから。

私の通ってた中学は、いわゆる田舎公立校クラスヒエラルキーは、ヤンキーギャルが頂点に君臨し、私みたいな陰キャは最底辺スクールカーストって言葉流行るずっと前から、そこには明確な階級社会存在した。

当時の私のいじめられ方は、主に外見いじり。今思えば些細なことかもしれないけど、多感な時期の女子には一番きつい。

通りすがりに「ブス」、すれ違いざまに「うわ、ばい菌」。そんな毎日が、私の自己肯定感ゴリゴリに削っていった。鏡を見るたびに自分の顔が嫌いになり、人の視線が怖くなった。

すれ違うたびに「うわ、空気汚れた」と聞こえよがしに言われ、体育でペアを組む相手もいなくて、いつも先生と組まされてた。

リスカもしたし、毎日鏡を見ては本気で明日が来ませんようにと願いながら眠りにつく日々だった。

そのコンプレックスが、ある意味私を動かす原動力になった。

高校デビューなんて生易しいものじゃない。高校デビューなんかしていないしむしろ進学校に入ってから陰キャだった。

大学に入ってバイト代を貯めて、少し顔をいじった。そのあとも必死仕事した。怒りを燃やして、仕事して、年収上げて、また顔をいじって仕事した。

その結果、奇跡的に誰もが知ってる大手企業入社し、女性にしてはかなり頑張って稼いでるじゃんといわれるくらいになった。

夫も同じくらい稼いでいて、今の生活に不満はない。

それでも、心のどこかに中学時代トラウマが澱のように溜まっていた。今回の同窓会は、そんな過去と決着をつけるための、私なりの儀式だった。

会場に着くと、そこにいたのは「あの頃のあいつら」ではなく、「ただのおじさんおばさん」だった。

あれだけ怖かったヤンキー男子たちは、当時を回顧しながらあの時の俺自慢をしている。しかし意外なほど、みんなまともな社会人になっていた。

当時なかなか話せなかったヤンキー男子とも普通に話せるようになっていて感動した。

女子たちは、まるで授業参観日のお母さんのようだった。当時イケてたギャルは、面影を残したままのギャルか、見る影もなく恰幅のいいお母さんかの二択。不思議なことに、あれだけみんな必死に伸ばしていたロングヘアの女性が一人もいなかった。なぜだ。何か申し合わせでもあったのか。

私はというと、この日のためにルミネで奮発した小綺麗なワンピースを着ていった。それが悪目立ちしたのか、若干浮いていた気がする。当時の陰湿いじめっ子は「あら~増田ってば、セクシーじゃぁん」とか言ってきたがノースリーブワンピースなだけでどこがセクシーなのかわからなかった。ただただ嫌味なんだろうなとは思った。

一番会いたくなかった、私をいじめていた主犯格女子も来ていた。彼女舐めるように上から下まで私を見るなり、「えー!久しぶりー!全然変わらないね!」と馴れ馴れしく話しかけてきた。いや、変わっただろ。思わず「え、本当?!」と言ってしまった。お前が一番いじってた部分を、私は金と努力で変えたんだよ。その笑顔の下にある本心を思うと、背筋が寒くなった。

でも、嬉しい再会もあった。当時、唯一の心の支えだった親友は、昔と全く変わらず超絶優しかった。「会いたかったよ」と言ってくれた時、本当に涙が出そうになった。

当時ほとんど話さなかった男子とも、大人になった今なら普通に仕事家族の話ができた。これは新しい発見だった。

そして、一番印象的だったのが、いじめっ子グループにいた根暗な奴だ。

そいつは、私が整形したことに気づいたんだろう。でも、直接は何も言えない。チラチラと私を見ながら、隣の友人に「ねぇ、顔変わったよね?ちょっと聞いてきてよ」とコソコソ話しているのが聞こえてきた。他にも「お前、年収いくら子供は?どこで働いてんの、ベンチャーとか?」とニヤニヤ言ってきた男もいたが、正直にお伝えしてやった。マウントとりたいらしく、自分の周りには優秀な大学卒のやつがたくさんいるとか宣ってて、かなりどうでもよかった。

その瞬間、すべてを察した。

あぁ、こういう奴は一生このままなんだな、と。

人の容姿を笑いものにし、自分では何も言えないくせに、他者を焚きつけて安全場所から見物する。他人ふんどし相撲を取ろうとするし、自分を保つために他者を貶めようと必死になる。その陰湿根性は、20年経っても全く変わっていなかった。

同窓会に行って、過去との決着がついたかと言われれば、正直わからない。

でも、一つだけ確信したことがある。

人は変わる部分もあれば、絶対に変わらない部分もある。そして、私を苦しめたあの過去は、今の私を形成するための、必要不可欠なピースだったのかもしれない。

もう、あいつらのために心をすり減らすのはやめよう。

私は私の人生を、これからも胸を張って生きていくだけだ。

もし今、昔の私みたいにいじめられて苦しんでいるやつがこれを読んでいたら、言いたい。

世界学校だけじゃない。そこが地獄なら、逃げろ。死ぬな。

そして、勉強でもスポーツでも何でもいい、狂ったように努力しろ。力をつけろ。

20年後、最後に笑うのは絶対に君だ。

というわけで、明日からまた、資本主義の馬車馬としてバリバリ稼ぐ日常に戻るわ。

じゃあな。

Permalink |記事への反応(0) | 21:37

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2025-09-21

ギリ戦後

暇だったので古い社内報を読んでいたら、社員レクリエーション目的で、敷地内に土俵を作ったと書いてあった。昭和会社でやるスポーツといえばバレーボールじゃないのかよ!相撲大会もひらいて結構本格的に活用してたみたい。その時代入社してなくて本当に良かった…

Permalink |記事への反応(0) | 17:38

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2025-09-19

anond:20250916223637

今月行った演劇ブルーレイ。正直、たぶん死ぬまで見ない。役者さん(ハーモニーという脇役含む)音響さん監督さん全員へのお布施のつもりで買った。あとで三星化成に送るために買ったような物だ。なんというか、役者ってのはもうオリンピック選手くらい動くんだよ。相撲の幕みたいなやつが花輪しかないし花輪じゃスタッフにもコーヒー代も届かないから究極には円盤平成歌手総選挙握手券めあてに勝った円盤みんなどうしてたんだろうな。

Permalink |記事への反応(0) | 03:42

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2025-09-18

anond:20250918115601

外で言う前にここで書いておいてよかったな

関取」の呼称は、「名乗っただけで関所を通ることができた」ことに由来する。

その他にも、力士は昔、仕事相撲ではなく「関所を守ることが仕事だった」ことに由来する説もある。

どちらの説も「関所」の「関」に由来することは共通している。

Permalink |記事への反応(2) | 12:03

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2025-09-17

anond:20250916134750

相撲座布団投げる

Permalink |記事への反応(0) | 13:10

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2025-09-16

anond:20250916223519

でも相撲は女排除してますよね?

Permalink |記事への反応(0) | 22:37

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anond:20250916220043

横だけど君がエロ表現ばかり見てるせいで、水着女性エロ表現に見えるようになったのでは?

例えばBL好きの男乳首マニアが、男性水着姿や相撲規制されるべき猥褻表現とか言い出したらどう思う?

そのレベルで頭おかしいこと言ってると自覚したほうがいい。

Permalink |記事への反応(2) | 22:08

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2025-09-14

秋祭り地域公民館に関わってるが

何だこの、年寄り子育て世代の断絶は。

神楽とか神輿とか相撲とかの伝統らしきものを受け継がせたい年寄り(ただし自分たちができるわけではないし学ぶつもりもない)が、子育て世代の親にそれらをやらせようとしている。

神楽保存会とやらに金を払えば来てもらえるらしいが、そのカネを払い続けるのは嫌だから子供やらせろということらしい。

ここ数十年神楽なんてやってるやついなかった。暇になった年寄り自分の代で伝統らしきものを途絶えさせるのが嫌だから次の世代押し付けようとしているだけだ。

押し付けられる方はたまったもんじゃない。

Permalink |記事への反応(2) | 14:00

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2025-09-12

anond:20250912193058

相撲とりにかぎらず箸もまともにつかえないような育ち方しているやつは全部排除した方がいいだろう

Permalink |記事への反応(1) | 19:32

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相撲とり

テレビ相撲部屋食事やってるけど

まともに箸もてるやつほとんどいないやんか

どんだけ育ち悪いんだよ

いっかいこいつら全員排除しないことには健全化とかないだろ

Permalink |記事への反応(2) | 19:30

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AIは僕らを「原始時代」に連れ戻すのか?

最近、ふと考えるんです。

テクノロジーがこれだけ進んで、AIが何でも答えてくれるようになった未来、僕らの社会ってどうなってるんだろうって。

これって、単なるSFの話じゃありません。もう僕らの目の前で起きている、とんでもなく大きな変化の話です。

AIっていう、人間頭脳のものを外付けできるような技術が出てきたことで、

社会を成り立たせていた一番大事もの、つまりみんなが何となく共有していた「物語」が、音を立てて崩れ始めてる。

その先に待ってるのって、人類の輝かしい「進化」なんでしょうか?

それとも、国なんてものが生まれる前の、バラバラな「回帰」なんでしょうか?

そもそも「国」って、たぶん、みんなが同じ物語を信じることから始まるんですよね。

じゃあ「俺たち日本人」って、いつから始まったんだっけ?

歴史を遡ると、8世紀頃に、時の支配者たちが一大プロジェクトを立ち上げてるんです。『古事記』とか『日本書紀』を作ったこと。

あれって、単なる神話集めじゃない。

「この国は、天照大御神っていう太陽神から続く天皇が治める国なんだ」っていう壮大な物語を、国民の心にインストールする、国家的なOS開発だったわけです。

三種の神器」っていうアイコンも設定して、他の豪族とは格が違うんだよ、と。

このOSインストールされたことで、列島に住む人々は初めて「俺たち、同じ神様天皇をいただく一つのチームなんだ」っていう意識、つまり日本人」の原型を持つようになった。

そのOSが、庶民レベルまで完全に浸透したのが、江戸時代っていう、超巨大な培養器の中でした。

幕府は、身分制度とか参勤交代で、社会ガチャガチャ動かないようにガッチリ固定する。

そして、外国からの影響をシャットアウトした「鎖国」っていう培養器の中で、浮世絵歌舞伎、お相撲といった、超ドメスティック文化が花開く。

この時代、人々はみんな同じような文化に触れ、同じような価値観を共有してた。

日本人らしさ」っていう、僕らの文化DNAが完成したのが、この江戸時代だったのかもしれません。

でも、その当たり前だった「みんなで見る物語」が、いつの間にか壊れ始めてた。

敵は黒船じゃなく、僕らのポケットに入ってるスマホです。

2000年代インターネットが登場して、僕らはいつでもどこでも情報アクセスできるようになりました。

でもその裏で、僕らの頭の中にはヤバい変化が起きてました。

複雑な問題にあった時、じっくり「どっちが正しいんだろう」と判断するんじゃなくて、手っ取り早く「正解を検索する」というクセがついちゃったんです。

昔は、図書館で本を何冊も比べたり、人に聞いたり、頭を抱えて悩んだりっていう、思考の「摩擦」がありました。

でも、検索エンジンはその面倒なプロセスを全部すっ飛ばして、「答えはこれだよ」って教えてくれる。便利ですよね。

でもそのせいで、僕らの思考筋肉は、確実に衰えていきました。それに、昔はみんなで見てた「お茶の間劇場」も終わっちゃった。

昔は、家族みんなで同じテレビ番組を見て、次の日には学校会社でその話題で盛り上がりましたよね。

良くも悪も、日本中が同じ物語を共有する「お茶の間劇場」があったんです。

でもSNSは、僕ら一人ひとりに「あなただけの快適な世界フィルターバブル)」を用意してくれました。

もう、嫌いな意見や、自分と違う価値観に触れる必要はありません。

その結果、僕らは共通話題を失い、「共有される物語」が生まれる土壌そのものが、なくなっていったんです。

そして、そこにAIがやってきた。これは、社会の分断を決定的なものにする、究極のテクノロジーかもしれません。

AIは、考える人にとっては自分の知性を何倍にも拡張してくれる最強の「翼」になる一方で、考えるのをやめた人にとっては思考筋肉を完全に退化させる快適な「車椅子」にもなる。

この技術は、人類の間に「知的格差」という、とんでもない溝を生み出そうとしています

まるで、あなただけの「マトリックス」へようこそ、とでも言うように、AIあなた以上にあなたのことを理解し、あなたが一番心地よいと感じる「神話」=あなただけの現実を生成してくれます

あなたは、自分の正しさが毎日証明され続ける快適な仮想現実マトリックス)の中で、気持ちよく生きていける。

でもその代償として、違う現実を生きる他人対話する能力を失います。じゃあ、そのマトリックス設計するのは誰か?

それは、AIを使いこなし、大衆が信じ込む「神話」をデザインできる、新しい時代支配者層です。

こうして分断された社会では、かつての「右翼」「左翼」なんていう古い分け方を超えた、新しい「部族トライブ)」が生まれています

参政党やれい新選組、あるいは様々な陰謀論。彼らが熱狂的な支持を集めるのは、イデオロギーがどうこうというより、「腐敗した世界を正すのは我々だ」という、シンプルで強力な物語提供しているからです。

その物語エンジンは、いつだって「俺たちは悪くない。悪いのは特定あいつらだ」という他責主義です。

で、ここからが本題なんです。AIという究極のテクノロジーは、皮肉なことに、僕らを国家が生まれる前の「部族」の時代に連れ戻そうとしている。

ただし、その部族は血や土地ではなく、情報思想でつながる、全く新しいものです。

この螺旋階段の先にあるのは、過酷情報環境に適応した、新しい人類の「進化」の姿なんでしょうか。

それとも、共通現実を失い、協力する能力をなくした、ただの「退化」なんでしょうか。

この記事に、その答えはありません。

ただ、そのとんでもなく重大な問いを、未来を生きる僕ら自身に突きつけて、終わりとしたいと思います

あなたはどう、思いますか?

Permalink |記事への反応(0) | 15:35

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