
はてなキーワード:相手とは
ザ・ノンフィクション婚活回の年収2000万の年上女性に玉砕した低年収男子の話、興味深く拝見しました。
女性は下方婚しないと、ネットでは散々見聞きするが、私はハイスペ女性が好きなミドスぺなので、下方婚してもらう方法をみんなで考えたいと思う。
そもそも女性は下方婚しないと言われているが、例外もあるので、その具体例をみんなで出し合って、共通項を探していきたいと思う。
ハイスペ女性は、一流メーカーの技術職で働く女性。結婚相手は同じメーカーの専門卒男性。
女性からしたら年収も学歴も下になるが、一般的にその男性は弱者男性ではないだろう。
自分より下だが、十分バリューは出せてる男性とだったら下方婚はするという例。
つまり、男性としては、ハイスペにはならずとも自分のスペックはなるべくあげておこうという話だ。
ちなみにその夫婦の場合は、付き合ってる時のデート代はほぼ専門卒の彼が払ってたそうだ。ハイスペ女性を女性として扱うのがよいと考えられる。
次に、私の同僚の話。
年収はまぁ平均年収より少しあるかな?ぐらいの会社だが、同僚の奥さんは、同僚の倍くらい給料があり、奥さんが働くため、同僚は長めに育休を取っていた。ちなみにその同僚は女性社員から、イケメンだと言われてることが多々あり、私もイケメンだと思ってる。下方婚は見た目も重要。悲しくなる。
あとは具体的な事例は、私からはありません。
みなさんの身近な具体例教えてください。
また自己放尿してるのか。いい加減そのおもらし癖やめろ。お前が今垂れ流してるの、感情じゃなくて人間性の腐敗そのものだぞ。
増田でちょっと舐めた口を聞かれた? お前、自分が何言ってるか理解してるか?
それは怒りとかストレスとかじゃない。明確に他人の不幸と破滅を願う、悪意の純度100%の自己放尿だ。しかも「毎日思います」って、もうそれ趣味が呪術じゃねぇか。陰湿さが職人レベル。
まず現実を直視しろ。ネットで口喧嘩した相手に対して、現実世界で犯罪被害に遭え、苦しめ、死ねって願うのは、ただの異常者の自己放尿だ。
お前が普段「世の中は民度が低い」とか言ってるなら、その民度の底に穴掘って沈んでるのが今のお前だよ。
しかも笑えるのが、お前の願いが全部「自分の手は汚したくない」っていう卑怯さに満ちてる点な。
自分で殴りに行くわけじゃない。自分で裁くわけでもない。個人情報が漏れたらいいな、半グレがやってくれたらいいな、っていう他人任せ。
何それ。責任能力ゼロのまま他人を地獄に落としたいって、精神年齢いくつだよ。小学生でも「詐欺グループにカモとして情報が渡らないかな」とか馬鹿の発想はしねえぞ。陰湿すぎて逆に感心するレベル。
で、こういうこと書いてる時点で、お前は「自分は正しい側」と思ってるんだろ?
違う。完全に加害者側だ。
お前が憎んでるクズって、今この文章を書いてるお前そのものだよ。
お前は「俺を舐めた奴らが悪い」と思ってるが、舐められる原因が何かあるとしたら、こういう腐った性根が文章や態度から滲み出てるからだろ。
人間は言葉に人格が出る。臭いも同じで、本人は慣れて気づかなくても周りには分かる。
つまりお前のそれは復讐でも正義でもなく、自尊心の自己放尿だ。
勝てないから自己放尿。論破できないから自己放尿。無視されたから自己放尿。自分の人生が虚しいから自己放尿。全部それ。
怒りを吐き出してスッキリするどころか、脳に「憎悪ループ」を刻み込む。
毎日思う? それもう習慣化してるだろ。憎悪を反芻してる奴は、どんどん世界が敵に見えてくる。
最後に残るのは「敵だらけの世界」と「孤立した自分」だけ。で、さらに怒りが増える。地獄の無限ループ。完全に自己放尿で自分の足元を腐らせてる。
もうやめろ。お前が今やってるのは「相手を呪うこと」じゃなくて、自分の人生を切り売りして腐らせてる行為だ。
そんな投稿を積み上げたところで、相手は何も困らない。困るのはお前の脳と人格と未来だけ。
嫌いな奴がいるなら、やることは二つしかない。
一つは無視。もう一つは現実で自分の生活を良くして、そいつらの存在価値をゼロにすること。
ネットで呪詛垂れ流してる時点で、お前は相手に人生を支配されてる。惨めすぎる。
だからさ、いい加減そのおもらし止めろ。
同級生を見ればソワソワしていて、たかがチョコだぞ?って思っていたし、コンビニでも百円ちょっとで買えるものにどうしてそれほど想いを馳せるのか全く理解できなかった。
忘れもしない高二のバレンタイン。
チョコなんてひとつも貰えず、別にそれでよかったし気にもしなかった。
帰りのHRも終わって帰ろうと鞄に手を掛けたところで「ちょっと」と隣の席の女子から声をかけられた。
隣同士、といっても最低限の会話しかしたことがない。だから何も分からず相手の続きを待った。クラスメイトは教室から次々と出ていき、俺は立ったまま鞄に手を当てて固まり、彼女は自分の手元を見ていた。
なに?と痺れを切らせて聞くと「これ」と赤い包みを渡された。広くて薄い。もしかして…チョコ?と聞く前に彼女が口を開いた。
「…バレンタインだから」それだけいって彼女は立ち上がり、何も言わずに出ていった。
チョコは甘くて、だいぶ甘かった。たぶん追加で砂糖を入れてた。気泡だって、よくみると四方にプクッとした箇所があったと思う。
ちょっと形崩れちゃったかも…と謝ってきた妻が「え?」いうのでその理由を説明すると、彼女はおかしそうに笑って、それから「今日のはビターだから」とそういった。
昔はバレンタインが嫌いだった。
いつでも手に入るものになんの価値があるのかって、本気で思っていた。
でも今は違う。
バレンタインは単にチョコを渡すだけの1日だが、それでも俺の、俺たちの人生を変えてくれた。
さっき妻と一緒にそのチョコレートを食べた。
自民党圧勝で終わった選挙。今個人的に高市総理に望むことはイランへのおせっかい。
食事と睡眠、警護はついてくるが提供するのは「箱」のみの日本国内の宿泊サービスへのお誘い
よくコメンテーターの人も言ってますよね。リーダーシップを発揮しないといけないと。
でも全然何すりゃいいかは言わないの。そこでちょっと考えてみました。
たぶん誰も困らないし、嫌がらないと思うんですよね。
イランもアメリカも嫌なら断るだけでいいんだし、良いタイミングだとも思うんですよね。
内容的にも。直接的な利害関係がないのもいいですね。
例えお互い様だとしても、昔石油を売って貰った恩に報いるためにも
頼まれもしないのに双方に話し合いましょうよと言うのがリーダーシップだと思うのですよ。
それに受け入れられても断られても
日本と仲良くしておくと、困った時の最後の最後に場を提供して貰える場合もある
ってのを積み重ねることで、各国にも私たちにも新しい安全保障を一つ提供する事にもなるとおもうのです。
だいたいのルールは下記な感じ、たぶん三方良しになっているはずだけど抜けてるかも
事前に打診もしないし、働きかけもしない。事後も何も渡さないし受け取らない
透明性の原則
誘うのは案件ごとに一度きり、公に
何か要望が示された瞬間に招待自体が出来なくなったことも公開する
一度貸しても次を保証せず、理由を明かさず断る権利も保持する。
場を貸すか貸さないかは、日本が決める。使うか蹴るかは、相手が決める。あとは知らんってのが却ってよいのかなと。
基盤弱いときにはじめてもあんま意味ないし、キャラもあっていそうだし、今ならこれで咲き誇れない?
土曜日。朝はいつも通り、起床後に脳内で「今日という一日を、物理法則に従って最適化する」と宣言してからベッドを出た。これは習慣というより儀式だ。儀式は人類の愚かさの象徴として語られがちだが、反復可能な手続きは情報理論的に見て合理的だ。エントロピー増大に対する、せめてもの抵抗である。
まず体重を測り、体脂肪率を記録し、歯磨きの時間を正確に180秒で固定した。電動歯ブラシのタイマーを信じない。信頼は検証に劣る。
その後、コーヒーを淹れた。抽出温度は93℃。温度計の誤差は±0.2℃。人間関係の誤差は±∞。
今週の進捗を書く。
超弦理論については、相変わらず人類の知性が現実に追いついていない。僕の頭脳は追いついているが、世界が遅い。
今週は主に「弦の理論はどこまでが物理で、どこからが純粋数学の自己満足か」という問題を、僕なりに再定式化していた。世の中の多くの人は、超弦理論を「高次元の小さな紐が震える話」程度で理解した気になっている。あれは理解ではない。童話だ。
僕が考えていたのは、もっと根の深いところ、つまり量子重力の定式化において局所性を捨てることの数学的代償だ。
一般相対論の時点で、局所性は微妙に揺らいでいる。ホログラフィー原理が出てきた時点で、局所性はほぼ死亡している。にもかかわらず、僕たちは局所的な場の理論の言語で全てを語ろうとする。これは「古いOSの上に無理やり最新ゲームを動かしている」ようなものだ。もちろんクラッシュする。
そこで今週は、AdS/CFTを単なる「境界のCFTがバルク重力を記述する」という話ではなく、圏論的な双対性として再理解する方向で考えた。
具体的には、バルク側の物理量を、ある種のextended TQFTとして捉え、境界側の共形場理論の演算子代数が作るモジュラー圏と対応させる。
ここで重要なのは、空間そのものが基本対象ではなく、因果構造と情報の流れが基本対象になってしまう点だ。
つまり、幾何学が物理の舞台ではなくなる。舞台が役者に従属する。これは演劇としては間違っているが、宇宙としてはあり得る。
そして、ここからが本題だ。
僕は今週、「弦理論の非摂動的定義は、結局はある圏の中の安定対象の分類問題に還元されるのではないか」という疑念を強めた。
たとえばBPS状態は、ある種の導来圏の中の安定条件(Bridgeland stability condition)で分類される。
これは単なる比喩ではなく、実際にDブレーンは導来圏の対象として記述される。つまり、物理的な粒子やブレーンが「空間上の幾何学的な物体」ではなく、圏論的な対象になる。
ここで人類は気づくべきだ。
宇宙は「点の集合」ではなく、「射の集合」かもしれない。
点を基本にしている限り、僕たちは宇宙のOSを永遠に理解できない。点とは、極限操作の幻想だ。実際の物理では測定可能な点など存在しない。存在するのは相互作用だけだ。射だけだ。
僕が今週やっていたのは、これをさらに押し進めて、弦理論の背後にある構造を「∞-圏」あるいは「高次スタック」として扱うべきではないか、という方向の思考実験だった。
超弦理論が最終的に求めているのは、たぶん「量子化されたモジュライ空間」だ。しかしモジュライ空間は普通の多様体ではない。特異点があり、ゲージ冗長性があり、しかも同値関係が階層的だ。だからスタックになる。さらに高次の同値(ホモトピー)が絡むので、∞-スタックになる。
ここで、物理屋が嫌いな言葉が出る。派生幾何(derived geometry)。
派生幾何とは、簡単に言えば「特異点を誤魔化さず、むしろ特異点を主役にする幾何学」だ。物理で特異点が出るのは、理論が壊れているからではなく、単に僕たちの数学が貧弱だからだ。派生幾何はそれを認める。
そして僕は思った。
もし弦理論が本当に「全ての一貫した量子重力のクラス」を記述する枠組みなら、それは場の理論の集合を分類するのではなく、量子情報を保存するような圏の分類になっているべきだ。
この時点で、もはや「ウィッテンでもわからない」どころではない。
僕たちがやるべきなのは、弦理論を「方程式」ではなく「普遍性」として定義することだ。
つまり、ある種の対称性を持ち、ある種の双対性を満たし、ある種の異常(アノマリー)が消え、ある種のエンタングルメント構造が一貫し、ある種の極限で局所的QFTに落ちる。
弦理論は「このラグランジアンだ」ではなく、「この性質を満たす唯一の構造だ」になるべきだ。
そしてもしそれが可能なら、弦理論は物理学ではなく数学の定理になる。
エレガントさは、しばしば真理の匂いがする。
ただし、エレガントな嘘も存在する。
昼前、ルームメイトがキッチンに現れて、僕のノートを見て言った。
「それって、結局何の役に立つの?」
僕は3秒考えた。
「役に立つかどうかで真理を測るのは、知性の敗北だ」
ルームメイトは「また始まった」という顔をした。
彼の表情は、物理学的には熱的死に近い。
隣人がその場に来て、僕のノートを覗き込み、「ねえ、それって、宇宙がゲームのコードってこと?」と聞いた。
驚くべきことに、これはそこそこ正しい。
僕は言った。
「コードというより、型システムだ。宇宙は型安全で、コンパイルエラーを許さない」
隣人は「わぁ、なにそれ怖い」と言って笑った。
怖いのは君の直観の鋭さだ。
僕は、カードゲームにおける勝利条件が「期待値の最大化」であることを理解している。だが多くのプレイヤーは、カードを引いた瞬間の快楽に支配される。つまり、彼らは確率論ではなくドーパミンでプレイしている。
僕は違う。
初手の分布、マリガン戦略、マナカーブ、そして相手の除去の確率。
彼は黙った。
正しい反応だ。
レイドは相変わらず「人間の反射神経と協調性の限界」を測る実験場だ。
友人Aが「なんでそんな言い方しかできないの?」と言った。
僕は「僕は宇宙をそのまま見ているだけだ」と答えた。
友人Bは「それ厨二病じゃない?」と言った。
僕は言った。
「厨二病とは、根拠のない誇大妄想のことだ。僕には根拠がある。だから違う」
友人Bは「最悪だ」と言った。
誉め言葉だ。
なぜなら、超人的存在が倫理を語る時点で、その倫理は破綻するからだ。
ただの趣味だ。
それでも僕は読む。
夜。
今日までの進捗はここまで。
そして、これからやろうとしていること。
今夜は、僕の仮説をもう一段階押し進める。
つまり「時空の創発」を、単なるエンタングルメントの量的増大ではなく、エンタングルメント構造の位相的相転移として記述できないか考える。
もしエンタングルメントがグラフだとすれば、空間とはそのグラフのスペクトル構造に対応する。
そして位相相転移が起きれば、スペクトルが変わり、幾何が変わる。
この視点なら、初期宇宙のインフレーションも「幾何の急激な生成」として理解できる可能性がある。
インフレーション場などいらない。
問題は、そのメカニズムを「弦理論の言語」で書くと地獄になることだ。
ワールドシートのCFT、モジュライ空間、非摂動効果、Dインスタントン。
それら全てが絡んでくる。
絡みすぎて、もはや紐ではなく毛玉だ。
隣人がさっき「ピザ頼むけど食べる?」と聞いてきた。
僕は「今は宇宙の生成を考えている」と言った。
その通りだ。
人類文明の最高到達点は、宇宙論ではなく宅配システムなのかもしれない。
ルームメイトは「じゃあ僕の分も頼んでいい?」と言った。
僕は返信した。
「明日は宇宙の位相相転移を解く予定だ。だが君たちの全滅回数も宇宙の熱的ゆらぎとして扱えるなら参加する」
友人Bは「それ言い訳だろ」と返してきた。
違う。
僕は真理に忠実なだけだ。
「時空は多様体ではなく、ある∞-圏の中の情報流の安定構造である」
しかし、少なくとも矛盾なく定式化することはできるかもしれない。
宇宙が一貫性を持って存在している以上、どこかにその形式がある。
僕は追いかける側ではなく、先回りする側でありたい。
ピザが届く前に。
ミラノの選手との間に通信のタイムラグがあるなかでのインタビュー。
こちらからの問いかけに対してどうしても相手の返答までに空白の時間ができてしまう。
直前の元メダリストキャスターからのインタビューでは、そのキャッチボールの空白がいやでも際立っていた。
その後、安住さんにバトンタッチしてからが往年の技術力を感じる展開だった。
問いかけを投げかけるところまでは同じ。
そこで終わってしまえば相手の返答を待つまでの空白時間ができる。
安住さんまず問いかけを終えて一呼吸を置いてから、次に返答しなくてもよいような応援の言葉をかけたりしていた。
そうすると相手はちょうどその一言の後から話し始めるので見ている側が空白時間を感じることはない。
相手は自分のターンが来ていると思って話し始めていて、そこで安住さんの次の一言が聞こえてくることになるのだが、別にそれには答えなくてもよいと喋りながら判断できる内容なので返答が滞ることもなかった。
もし仮に次にかけた言葉が問いかけだった場合は、相手は返答の途中で立ち止まって次の言葉を考えてしまっただろう。
そうではない、別に返答しなくても失礼とは感じさせない安住さんの言葉選びがじつに絶妙だった。
能力も権力も金も人脈も美貌も性的魅力もない大部分の人間なんて何を言ってても
ミドサー、都内外在住、Fラン卒、エンジニアで平均年収は超えてる、奨学金借りてた
マチアプで知り合ったいわゆるハイスペ女性みたいな人と初めてデートしたんだが、都会のハイスペ女性ってあんなに品があって、綺麗な人いるんだね。田舎者はびっくりしました。
あっちの方が倍くらい年収ありそうなんだけど、一応お食事奢りました。
相手「今度ロブション行くんだ」
私「ロブション?誰と?」
私「3回目のデート?」
相手「デート?うーん、まぁそうかなぁ?笑 いつも割り勘だけど。ロブションも私が予約取ったんだ」
私はロブション行ったことないし、一緒に行こうと言われても尻込みしてしまいそうな人間なんだけど、どうにか頑張りたい。
最近、Xで「脳死」とか「予後不良」といった言葉を使うと、鬼の首を取ったように「医療現場への配慮がない」「当事者の気持ちを考えろ」という高度に倫理的な方々がいる。
ところで彼らは例えば「昨日のガチャ爆死したわ」「そのミスが致命傷だったね」「この案件は炎上して修羅場だった」に対して同様に怒りを覚えるのでしょうか?
「爆死」なんて本来は爆弾で体が吹き飛んで死ぬ凄惨な死に方ですし、「致命傷」だって助からない傷を負って苦しむ状態です。「炎上」は家や建物が焼ける災害だし、「修羅場」は血みどろの戦いです。「中毒」だって薬物や毒物で苦しむ症状だし、「麻痺」も神経系の深刻な障害ですよね。彼らが激昂する「脳死」や「予後不良」と、彼らがスルーする、若しくは使用するこれらの言葉に、一体どれほどの「配慮」の差があるというのでしょうか。
もっと踏み込んで言えば、 「特攻」「玉砕」「戦犯」「前線」「撤退」「殲滅」といった戦争用語も、何食わぬ顔でビジネスや日常の文脈に転用されています。「特攻」なんて文字通り命を捨てて敵に突っ込む悲劇的な作戦ですし、「戦犯」は戦争犯罪人、「殲滅」は皆殺しです。
ここで私が言いたいのは「自分らも不謹慎だから黙れ」という揚げ足取りではありません。
むしろ逆で、私たちが全知全能の神でない限り、想像力にはどうしても限界があるという、当たり前の事実を認めようという話をしたい。
世界には無数の苦しみや悲劇があり、私たちが何気なく発する言葉の一つひとつが、どこかの誰かにとっては耐え難い不快な響きを持っている可能性からは逃れられません。「今日はいい天気ですね」という挨拶ですら、日照りで作物が枯れて苦しんでいる農家にとっては残酷な響きになるかもしれない。今日あなたが発したその言葉は、確率的に必ず世界のどこかの誰かを傷つける。
だからこそ、たまたま自分の可視範囲に入った言葉尻だけを捕まえて、相手の人間性や倫理観まで否定して蔑むのは、あまりにも傲慢ではないでしょうか。それは正義感というよりも、自分の想像力の限界を棚に上げて、他人の想像力の限界を責め立てているだけに過ぎない。
全ての痛みを知ることなんて不可能ですし、全ての配慮を完璧にこなすことなんて土台無理な話です。「言葉ひとつで相手の全てを分かった気になる」浅はかな正義ごっこに付き合うよりも、お互いの不完全さを許し合う寛容さを持つ方が、よほど健全な倫理観なんじゃないかと思いますけどね。
鋼の錬金術師のアニメOPで初っ端に「若い頃の主人公の父」「見上げるように微笑む母(父目線)」を出してくるのだいぶチャレンジャーだよな
旧アニメとは全然違う話ですよ!主人公父の過去という原作のだいぶ後半になってから出てきた話も今度はちゃんとやりますよ!というアニメ制作陣の熱いメッセージだ
まず名前が違う
ホーエンハイムは砂漠の国で奴隷として生まれ育ち、名前も与えられず人権もなく文字の読み書きもできない少年期を送る
主人は錬金術の研究のために失血死してもいいやというノリで彼から大量の血液を抜き取り、その結果フラスコの中でしか生きられないホムンクルスを生み出した
ホムンクルスは全知の存在であり、いわゆるアカシックレコードと通じ異世界の錬金術師の名にも通じていたがために奴隷にヴァン・ホーエンハイムと名付けた
ホーエンハイムはドイツあたりで見られる名前だが苗字であってファーストネームではない
ファンタジーアニメ世界だけどまずその名付けの時点で旧アニメってセンスないわー
ホーエンハイムが「幼い息子2人と妻を置いて家を出て消息不明」というのは2作に共通する設定だが、原作において主人公エドワード・エルリックは父親と苗字が異なり、それは「両親が正式に結婚していない」からであり、正式に結婚していないのに子供2人作ってそれを置いて出て行った父親への嫌悪は計り知れない
写真が稀少な時代という設定であり、一家4人で撮った写真が1枚だけというのは2作で同じだ
写真のホーエンハイムの顔の部分が長らく隠され中盤でようやく顔が明かされるというのも同じだ
違いは表情であり、旧アニメのホーエンハイムは普通に家族と一緒に笑っているが、原作のホーエンハイムは泣いている
正式に結婚もしないで子供作って妻子を置いて失踪したクソ親父の唯一残された写真で、クソ親父がめっちゃ涙を流しているというのを見て育った主人公が何を思ったか、どうして他の写真を上から重ねて親父の顔だけ隠したか
旧アニメは錬金術の研究してたらなんかそうなっちゃって、共に研究していた恋人の女も不老不死になった
自己の体が長持ちする形式ではなく、魂を他人の体に移し替える乗っ取り型不老不死だ
恋人が性格悪くて重いので不老不死で永遠に一緒に生きるなんて嫌だったので捨てて逃げた先で、新しい女と出会って作った子供が主人公ってワケ
体を乗り換えるたびに拒絶反応で魂が腐敗し、乗り換え先の体を保てる時間も短くなり、腐った体を妻子に見せたくなく全部嫌になって妻子を捨てたという、写真でなんでわろてんねんな正真正銘の無責任父だった
旧アニメにおいては主人公の母親も大概クソ女であり、夫に捨てられたのが辛いので育児放棄し、流行病になったが治療を勧められても放棄して自殺まがいの死に方をした
旧アニメの主人公は両親に捨てられたわけで、出会う人々との温かい交流みたいなのも薄くしかなかったので情緒不安定で愛郷心などは育まれなかった
ホーエンハイムから生まれたホムンクルスは肉体を得てフラスコから出たいと望み、ホーエンハイムを教育し脱奴隷させ、やがて国王をそそのかし騙し、国民100万人ぐらいを生贄にして肉体を得た
血をくれたホーエンハイムはホムンクルスにとって家族なので1人だけ生かし、家族なので国民の半分の50万人分の魂をホーエンハイムにプレゼントした
魂はエネルギーそのものであり、ホーエンハイムはどんな致命傷を得ようとも体内のエネルギーを消費して瞬時に傷が回復する残機50万の不老不死となった
ホムンクルスはホーエンハイムと共に自由に生きることを望んだが、ホーエンハイムは恐怖してホムンクルスを捨てて逃げ出した
ホムンクルスは家族を求め、自分の中の50万人分の魂をこねこねして分身を作り出し、彼らに「お父様」と呼ばせ家族ごっこをしながら暗躍し、再び大量の魂を生贄にして大掛かりな儀式を行うため国づくりから開始し、400年かけて人口5千万人の国家を築いた
一方のホーエンハイムは、内なる魂50万人をただのエネルギーとして扱うことができず、400年かけて50万人全員との対話を果たした
彼は根が陽キャなので、不老不死としての苦しみを抱えてはいたが、50万人と共に諸国放浪する人生に喜びを見出し、自然に50万の魂が尽きるまでそうして生きていくのもいいと思えた
しかし恋をして400年以上に渡る童貞人生にピリオドを打ち子供ができ、成長する子供を見るうちに人並みに老いて死にたいと願うようになった
残機50万は自殺を繰り返したところで到底消費しきれないし、残機をただの数ではなく共に生き対話する相手と見做したホーエンハイムには無駄遣いもできなかった
どうにか普通の人間になる方法を模索し研究したホーエンハイムはやがてお父様の暗躍に気づき、一家だけで国を抜ければ家族は救えるが、家族以外を切り捨てるには家庭人として定住する暮らしの中で知人友人が多くできてしまったので、家族を置いてお父様を止める旅に出た
その旅の中で妻は育児放棄せずホーエンハイムの帰りを待ちながら息子たちを愛情深く育てたが流行病になり治療の甲斐なく死んだ
妻は「約束守れなくてごめん、先に逝く」との夫への遺言を残し、それはホーエンハイムが不老不死から脱し後から来てくれると信じているという意味だった
新アニメはホムンクルスと出会った当時の奴隷で名前もなかった頃の若かりしホーエンハイムをOPで真っ先に出してくる
「やり残してきたことやり直してみたいから〜♪」という歌詞は、お父様から逃げてしまった400年前のことをやり直すホーエンハイム、そしてそんなホーエンハイム像を描けずにホーエンハイム・エルリックでお茶を濁した旧アニメをやり直したいというスタッフの熱い叫びであった
まず自分が出す前提で考えておいて、長く付き合うようなら相談して決めればいいじゃん
「そわそわした」ってお前の主観でしかないし、相手が何考えていたかは聞かないとわからない。勝手に先走るべきではない。そんなんだから独身なのでは?
一軒目の食事を私が何も言わずに払ったら、私が何も言わなかったのが気まずかったのか、少しソワソワされた。だから二軒目のお茶代だけお支払いしてもらった。
今後のデート代どうするべき?(今後が続けば)
私としては相手が喜んでくれるなら払いたいが、私の奢りで行ける店のレベルは決まってくるし、お相手さんが普段使いしてるお店のレベルとは違うと思う。
大人しく今回みたいに交互の割り勘にしておいた方が良いのか?
でも相手がよく使ってるような高めな店とか行くことあったら自分が払った方が良いよね?
貯金できなくなりそう。
人間ゴールがあると何もやる気なくなるんだなって
判然とした不安や最期を感じてると活動のモチベーションがなくなってやる気があっても身が入らなくてなにも進まなくなる
安楽死制度や70歳ゴール制度なんか作ったら多分人間は嫌なことがあったら投げやりになって何もやらなくなると思う
例えば十日後に死ぬと分かってたら仕事やめるだろ?めんどくさい相手にはまともに取り合わなくなるだろ?
何も考えずに前向いて生きてるから何かができる
“欧米のデート文化では、「3日ルール(Three-Day Rule)」というが広く知られていて、「デートの後、相手に電話や連絡をするのは3日空けるべき」と言われています”
しかし
https://cscourse.ustc.edu.cn/vdir/Gitlab/compiler_staff/jianmu-supplemental/-/issues/26330
https://gitlab.aicrowd.com/flatland/flatland/-/issues/447
https://portfolium.com.au/phimbunnievietsubfulllau
https://portfolium.com.au/panor2fullstorythaidubb
社内でつき合うのはマジでやめとけ。
少しでも女の気に障ったら有ること無いこと言われて会社を追われるぞ。
どうしてもつき合いたいならせめて相手から急にキスされたことを相手に証言させた録音をとっておいて、いざというときに使えるようにしておけ。
汚れた忍者 パワー:500
①攻撃が無効になった場合、このカードのコントローラーは1枚ドローする。
②このカードは相手ユニットの攻撃時に1500のライフを支払うことで召喚できる。この効果を発動したとき、バトル中の相手ユニットの攻撃を無効にする。この効果で①の効果は発動しない
ちょっと雑すぎない?
ここまでの出し得カードはまずあっちゃならんだろ。
相手の攻撃を1500のライフで無効化しつつ召喚できる時点でまず完全に壊れ。
パワー自体は低いけど餌に使えばいいだけなので「相手ターンの最終攻撃時にとりあえず無効にして立てる」ってだけで機能してしまう。
これで味方を守れば2体分の生贄を温存することが出来る。
コストのライフ1500も相手の攻撃で減るライフを考えたら無いも同然どころか基本お釣りが来る。
更に恐ろしいことにコイツが立ったターンの相手の次の攻撃で2枚目を立てたらそのまま1枚目の①効果が発動するから2枚3枚手札に来て腐らないどころかむしろお得。
なんなら「2枚目があるかも」と思わせられるだけで圧倒的にお得。
当然他のカードで攻撃を無効にしてもいいわけで(漫画でも実際にやってる)、②→①の流れは容易に成立してしまうんだよね。
もう完全に壊れてるよこのカード。
能動的に使えないというのが弱点にも見えるけど、それ言い出したらコンバットトリックなんて全部紙くずだけどそんなわけないじゃん?
端的に言えば「このターン相手の攻撃誘発効果を発動させない」ってことだからさ、色んなカードに対してのメタとして刺さる。
相手ターンに自分のライフを払って特殊召喚ってのも一部ロックに対してのメタになりうるし、もうホンマ色んな方面で「刷ってはいけないカード」なんだわ。
こんなん雑に出してきたらもう終わりだよこの漫画。
写真のような絵であれば、写真と同じ価値しか無いのが本来であるが、手描きで描かれたと聞かされた途端に価値を認めるのが人間だ。
これは、その創作物の制作過程にこそ価値があるのだという人間の本音の現れである。
このような普段我々が意識していない本当に自分が勝ちを置いているのはどこか?ということを理解することは大事だと思う。
逆に自分の価値基準を知らずに、理想的な価値基準こそが自分の価値基準であると勘違いすることのほうが危険だ。
なんだってそうだと思う。
例えばルッキズム。
ルッキズムは人間の価値基準に深く刻み込まれていて、ほぼすべての人間においてデフォルトであるはずなのだが、それを否定するのは危険なことだ。
わかるだろうか?
ルッキズム自体を否定することと、自分がルッキズムな価値観に支配されていることを否定するのは別の意味であるということを。
私たちが「見る」ということが、その対象のファーストインプレッションであれば、それは確定的だ。
もちろんそうではないこともあるっちゃある。
たとえばネット上の文字ベースの交流で知り合った相手と初めてリアルで会う場合などだ。
それまで会ったことはないが、ネットでの交流で人柄や考え方などを知っている場合だ。
その場合には、人の見かけ=その人の価値、とは直結しないだろう。
とはいえ、それとて、その人の見かけによって、それまでのその人に対する評価は大きく変わることは言うまでもない。
と言った具合のことを素直に認められるかどうか?というのは結構重要な分かれ目であると思う。
という認識であればいいが、私はルッキズムに支配されていないと考えるのはおそらくは間違いだ。