
はてなキーワード:相対的とは
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4,5,6月生まれの子は、1,2,3月生まれの子よりも、有意に成績が良い。
では、この9か月でついた差は後者の子たちが9か月余計に勉強すれば埋めることができるのか、というと、到底埋まらない。
小さい頃に肉体的な成長度によるアドバンテージでついた相対的な差は、おそらくは勉強の好き嫌いや苦手意識などを生み、最終的には9か月の時間だけでは埋められない差になるわけだ。
こういう点を重視すると、他の子よりも早く学び始めるということはとても重要に思える。
実際、より早期からの教育は、最終的な学歴や所得の有意な差を生むことが知られているしね。
追記:
もし、早生まれの子供がこの文章を読んで「当てはまる」と思ったとしたら、私がその人に言いたいのは
「あなたは、実態以上に自分の能力を過小評価している可能性がある。努力は、あなたが思っている以上に成果を挙げている」
ということだ。
もともとの投稿は親に向けたものであり、9か月では到底埋まらない」というのも「親が子供を今まで通りにして9か月分の成長を待つだけでは到底埋まらない」という趣旨で書いた。
自分はそこそこ賢いと思い込んでるおバカちゃん達の歯切れの悪い言い訳が笑えるんだが、
「やるとしても今じゃない」「他にもっと優先すべき事がある」っていう詭弁には何かズバリの名前はないのかな?
これがなんで詭弁なのかと言うと、
だよ。
以下追記
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ある提案に対して、「やるとしても今じゃなくてもいいだろう」「他にもっと優先度の高いことがあるはずだ」などと言って、内容について直接の批判はせずにネグレクトすることで実質的に否定しようとする詭弁に、何か通りの良い呼び名はあるだろうか?
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このような論法は、論理的誤謬(fallacy)の一種として「相対的剥奪の誤謬」(fallacy of relative privation)と呼ばれるものが最も近いと考えられます。
これは、提案や議論を直接批判せずに「もっと重要な問題(または優先度の高いこと)があるから」という理由で実質的に無視したり却下したりするもので、「より悪い問題への訴え」(appeal to worse problems)や「notas badas」(それほど悪くない)誤謬とも呼ばれます。
あなたの例の「他にもっと優先度の高いことがあるはずだ」がこれに該当し、内容の本質を避けつつ相対的に矮小化する点が特徴です。
一方、「やるとしても今じゃなくてもいいだろう」というタイミングを理由にしたものは、厳密には上記と重なる部分もありますが、話題を逸らす回避策として「燻製ニシンの虚偽」(red herring)にも似ています。
これは、議論の本筋から無関係な要素(ここではタイミングや延期の可能性)を持ち込んで注意をそらすものです。
どちらも直接的な否定を避け、ネグレクト(無視)を通じて実質的に提案を弱体化させる点で共通しています。これらの呼び名は論理学や議論術の文脈でよく使われ、通りの良い表現として適していると思います。
既にF欄や弱い大学入るのは裏目になる時代入っていると思う、その学費分の400-500万を運用した方がいい時代
そして学歴の価値が無くなったと言っている訳ではなく、学歴によって良い席を狙うのであれば商社や金融狙える大学を目指さなければいけない状況になったと思う。
今後数十年かけて学歴によって得られる席は商社や金融等の金の流れに近い席以外全て等しく価値が下がっていくと思うから、その席に座れない大学に行く意味は現時点で低いし費用対効果はより見合わなくなる
学歴も金融インフレによって相対的に価値が落ちる物の1つという認識が世間ではされてないし、この国の人々が学歴信仰から抜け出すにはまだ時間がかかると思う。
フェミニズムの分類が多すぎると聞いて
記述集合論(Borel階層, Projective階層, 汎加法族)
モデル理論(型空間, o-極小, NIP, ステーブル理論)
再帰理論/計算可能性(チューリング度, 0′, 相対計算可能性)
構成主義,直観主義,ユニバース問題,ホモトピー型理論(HoTT)
体論・ガロア理論
表現論
K-理論
初等数論(合同, 既約性判定,二次剰余)
解析数論(ゼータ/ L-関数,素数定理,サークル法, 篩法)
p進数論(p進解析, Iwasawa理論, Hodge–Tate)
超越論(リンドマン–ヴァイエルシュトラス, ベーカー理論)
実解析
多変数(Hartogs現象, 凸性, severalcomplex variables)
関数解析
バナッハ/ヒルベルト空間,スペクトル理論, C*代数, von Neumann代数
フーリエ解析,Littlewood–Paley理論, 擬微分作用素
確率解析
常微分方程式(ODE)
偏微分方程式(PDE)
非線形PDE(Navier–Stokes, NLS, KdV, Allen–Cahn)
幾何解析
リッチ流, 平均曲率流,ヤン–ミルズ,モノポール・インスタントン
エルゴード理論(Birkhoff, Pesin),カオス, シンボリック力学
点集合位相,ホモトピー・ホモロジー, 基本群,スペクトル系列
4次元トポロジー(Donaldson/Seiberg–Witten理論)
複素/ケーラー幾何(Calabi–Yau, Hodge理論)
スキーム, 層・層係数コホモロジー, 変形理論, モジュライ空間
多面体, Helly/Carathéodory,幾何的極値問題
ランダムグラフ/確率的方法(Erdős–Rényi, nibble法)
加法的組合せ論(Freiman, サムセット, Gowersノルム)
彩色,マッチング,マイナー理論(Robertson–Seymour)
列・順序・格子(部分順序集合, モビウス反転)
測度確率, 極限定理, Lévy過程, Markov過程, 大偏差
統計学
ノンパラメトリック(カーネル法, スプライン,ブーストラップ)
時系列(ARIMA,状態空間, Kalman/粒子フィルタ)
非凸最適化
離散最適化
整数計画,ネットワークフロー, マトロイド, 近似アルゴリズム
Littleの法則, 重み付き遅延, M/M/1, Jackson網
エントロピー,符号化(誤り訂正, LDPC,Polar), レート歪み
公開鍵(RSA,楕円曲線, LWE/格子),証明可能安全性,MPC/ゼロ知識
計算複雑性
機械学習の数理
量子場の数理
相転移, くりこみ, Ising/Potts, 大偏差
数理生物学
数理神経科学
データ解析
維新はよく「身を切る改革」と言うが、政治家にとにかく金与えないようにしたら
だけだし、やたら定数削減すれば
のである。
悪しきポピュリズムに訴えるパフォーマンスとしか言いようがない。
維新のあの発起人から一貫したガラの悪さ、信用できなさは何なのだろうか?
いっぽう、小選挙区やめたり理念でハッキリ分かれて少数与党による連立前提の政権運営ならみんなの意志がよく反映されてよいことずくめかというと決してそうでもないから話は単純ではない。ふつうの生活してたら解像度高く政治シーン追っかけたりできない。結局、みんなよくわからず何も進まないグダグダになり、極論で固まるやつらの声が相対的に大きくなるのである。それがヨーロッパが辿った轍でもある。
その意味でみらい安野のとりくみには大きな可能性がある。政治マニアにならなくてもいいように政治参加のコストを下げる試みなので。
東京人は心が狭いっていうか余裕が無い
東京生まれは「負けたら田舎に逃げる」っていう概念がそもそも無い(そもそも地元だし)から、これ言ってるのは十中八九上京組。
上京組は上京したって時点で田舎に対して優越感持ってるから、現実が辛くなると田舎を貶して「あいつらより私はマシだから〜」と相対的に自分を上げがち。
前からずっとモヤってた話。
※1「なろう系小説」は「小説家になろう」に掲載されてる作品の総称でなく、その中でも「チート」によって主人公が苦労せず異世界で栄誉や異性の恋人などを得る物語類型を指す。自分も書き手なので、そうでないものが色々あることは知っているので区別しておきい。その上で「なろう系」も好きなように消費してもいいとおもう。
※2おおまかに「男性」「女性」と区切ってるけど、もちろん反応しない男性も女性もいるとおもう。あくまでざっくりした傾向の話として。
「なろう系嫌悪」と「萌え絵嫌悪」って、たぶん根っこが同じ。前者は表向きは「質が落ちる」とか「文化が痩せる」とか「安易」とかもっともらしい理屈が並ぶ。萌え絵嫌悪には「性的搾取」「性的客体化」といった文句が並ぶ。しかし、どっちも別に誰かの利益を侵害してない。ならさっさと回れ右すればいいのに、どっちも苛立つのだろうかと。そこで、ふと思ったのだが、あの違和感の中心には、しばしば「嫉妬の誤作動」があるんじゃないかと思う。
嫉妬は、相対的剥奪感から生まれる。自分が何かを奪われたわけじゃないのに、他人の快楽や承認が数字で可視化されるせいで、自分の位置が一段下がったように“感じる”。なろう小説ならランキング、RT、いいね。あるいは漫画化やアニメ化までされる。女性なら萌え絵が一般的に認められて本棚でそれが見られること。それはたぶん、他人の幸福をこちらの網膜に直送してくる。人間は情熱の奴隷だから、しばしばそれを無意識に正当化するために「あれは低俗」「浅い」「社会に悪影響」みたいな言葉が、心のざわつきを包むラッピングをしやすい。
起爆条件も似てる。お手軽に消費できること。記号が強く、理解にコストがかからないこと。ファンコミュニティが楽しそうに盛り上がってること。これらは全部、「自分の美意識や努力が相対的に価値を失うかも」という予感を刺激する。で、その予感が痛いから、道徳っぽい語彙で殴ってしまう。
もちろん、作品や絵に対する妥当な批判はあるし、全部を持ち上げろって話ではない。ただ、「ジャンルごと一括りで嫌う」時のトーンって、多くの場合は美学の議論じゃなくて、心の防衛反応。言い換えれば、「自分が選ばれなかった痛み」の誤魔化し。なろう系嫌悪は「作品を読むのはOK」ラインが保たれてるだけましで、特に女性側の「萌え絵嫌悪」は公共の場でちょっと女性的なマスコットキャラが出てきた程度で、防衛反応をむき出しにしてるから性質が悪い。
うがった見方に聞こえるのは承知の上で、それでも一回だけ立ち止まってみるといいかも。「これは嫉妬の誤作動かもしれない」と仮置きしてから、作品や絵そのものの話に戻る。たぶんその方が、余計な敵を作らずに文化批評もできるんじゃないかなと。
付言すると、2010年代の萌え絵批判で、あれこれ「添削」して公共の場にふさわしいように修正する議論があったけど、ぶっちゃけていえば「女性キャラをできるだけ女性として魅力的に見えないように修正する」という作業。女性じゃないから、たぶんだけど、あれは「本来苦労の末に獲得する果実(女性との恋愛やそのさきの行為)を見る人が掠め取っている」ような感覚から来てるんだとおもう。男性はそもそも恋愛において(多くは)ジャッジする立場にいないけど、マチアプとかでもわかるように男性をジャッジできる立場なわけで、そこを迂回して「果実」を掠め取ってるのが不愉快なんだろうなあって(彼女たちがそれを自覚してるかはさておき)。
定数50減要求ってどゆこっちゃねん
どう考えても50は無茶だから、実際は5ぐらいで落とす腹なんだろうけど、定数減して維新にいいことがあるんか
「45歳を過ぎて本当に全然仕事ができなくなった。本当の本当に何も出来ん。MTGの前日とかに間に合わせの資料を必死に作ってそれでなんとか誤魔化してるだけ。あとはぼーっとしてるか頭かきむしってるだけで殆ど何もしてない。10年前の百分の1くらいのパフォーマンスしか出ない。客先がいい人で今のところ叱られてもいないけど多分その内見捨てられる。どうすりゃいいんだ」
この実体験的証言は、現代日本のミドルエイジ労働者が直面する深刻な職業能力衰退現象を如実に表している。本稿では、この現象を単純な個人的問題として捉えるのではなく、日本型雇用システムの構造的特性、組織社会学的要因、認知心理学的メカニズム、および労働経済学的背景を統合的に分析し、その本質的メカニズムを明らかにする。
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労働政策研究・研修機構(2010)は、中年期が「仕事の負荷の増大や能力の停滞と限界感等が生じる時期」であり、これらへの対応を誤ると「諦めや思考停止」、「会社への過度の依存」を生じかねないことを指摘している。この現象は、清家(2011)が論じる日本的雇用慣行の相互補完性—(1)年功賃金、(2)終身雇用、(3)企業別労働組合—が現代の経済環境変化に適応できない構造的矛盾として現れている。
特に重要なのは、年功序列と終身雇用の相互補完性である。Milgrom and Roberts(1992)の内部労働市場理論が示すように、複数の雇用慣行間の相互補完性は制度の安定性をもたらすが、同時に変化への抵抗力も生み出す。これにより、45歳前後の労働者は既存のスキルセットでの成功体験に依存し続ける一方で、急速な技術変化や職務要求の変化に適応できない状況に陥る。
パーソル総合研究所(2017)の大規模調査(n=2,300)は、「42.5歳」で出世意欲が「出世したい」から「出世したいと思わない」に逆転し、「45.5歳」でキャリアの終わりを意識する転換点を迎えることを実証的に明らかにしている。さらに同調査では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込み、50代前半で会社満足度が最低値を示すことが確認されている。
この現象は、Lehman(1953)が技術者を対象とした古典的研究で発見した「30歳代前半で業績がピークに達し、その後は低下していく」パターンの現代版として理解できる。ただし、同一年齢内での業績評価の分散が大きいことから、年齢自体が自動的に能力低下を引き起こすのではなく、職務関連要因(仕事の割当の複雑性と挑戦性)が業績と密接に関係していることが明らかになっている
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パーソル総合研究所(2022)は、ミドル・シニア層のパフォーマンス低下について5つのギャップを特定している:
2.期待のギャップ:期待される業務と理想とする業務に差がある
3.成果のギャップ:出している成果と求められる成果に差がある
これらのギャップは相互に影響し合い、学習性無力感(Learned Helplessness)(Seligman, 1972)の状態を引き起こす。特に重要なのは、「働く意欲がない」状態ではなく「働けない状態」に陥っているという点である。
橋本・玄田(2023)の分析によれば、50-59歳層では職業スキル(ケア・科学技術・分析)すべてについて負の方向に移転しており、60歳以降では前職より平均2-4ポイント低いスキル水準での就業を余儀なくされている。これは単なる転職時の条件悪化ではなく、蓄積されたスキルの市場価値の急速な減衰を示している。
特に、定年や家族理由、健康上の理由を含む非自発的離職において、スキル水準の低下が顕著に現れることが統計的に確認されている。これは、冒頭の証言にある「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という主観的体験と一致している。
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労働政策研究・研修機構(2022)の分析では、ミドルエイジ層(35-54歳)の転職において、これまでの経験が活かせない業務や、新しいスキルが求められる環境への適応困難が主要な問題として浮上している。この適応困難は、単純なスキル不足ではなく、職業アイデンティティの再構築を伴う複雑な心理的プロセスである。
パーソル総合研究所(2023)の調査では、ミドル・シニア就業者の70.1%が「何歳になっても学び続ける必要がある時代だ」と認識している一方で、実際に学び直しを行っているのは14.4%に留まっている。この認識と実行の乖離は、「金銭的・時間的余裕のなさ」(30%超)と「学ぶ対象や学ぶ方法のわからなさ」(約20%)に起因している。
興味深いことに、学び直し層の年収は平均642万円(50-54歳)と高く、「高年収の職業についているため学んでいる」「過去の学び直しが年収を高めた」という双方向の因果関係の存在が示唆されている。
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梅崎・藤本(2021)は、日本的雇用システムが「継続的に長く務められる日本人男性だけにとって優位な制度」であったが、「女性や外国人のような本来従業員として期待される人材を逃してきた」と分析している。この分析は、同システムが特定の人口動態的特性を前提として設計されており、その前提が変化した際の適応力の欠如を示している。
厚生労働省(2013)の分析では、日本的雇用システムの課題として正規雇用と非正規雇用の二極化が指摘されている。45歳以降の労働者は、従来の正規雇用の枠組みでは価値を認められにくい一方で、非正規雇用への移行は大幅な処遇低下を伴うため、中間的な働き方の選択肢が限定されている。
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パーソル総合研究所(2017)の詳細な分析では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込むことが5つの指標(「任された役割を果たしている」「担当業務の責任を果たしている」「仕事でパフォーマンスを発揮している」「会社から求められる仕事の成果を出している」「仕事の評価に直接影響する活動には関与している」)で一貫して確認されている。
同研究所(2023)の推定では、学び直しを行わないミドル・シニア正社員と比較して、学び直し実施者の個人年収は平均+12万円、3年以上の継続的学び直しでは+30万円の差が生じている。この結果は、継続的な能力開発の経済的効果を定量的に示している。
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Becker(1964)の人的資本理論に基づけば、45歳以降の労働者の価値低下は、企業特殊技能(firm-specific skills)への過度の依存と一般技能(general skills)の相対的軽視の結果として理解できる。パーソル総合研究所(2024)の分析では、転機における学習度合い(「転機学習度合い」)が学歴に関係なく、個人年収や職位と正の相関を示すことが確認されている。
Argyris and Schön(1978)のダブル・ループ学習理論の観点から、ミドル・シニア層の活性化には既存の行動パターンや価値観の根本的な見直しが必要である。パーソル総合研究所(2022)が指摘するように、「管理職が気合と根性で指導しろ」とは言えず、心理学などのロジックを考慮したコミュニケーションが必要である。
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内閣府(2023)の推計によれば、2025年には65歳以上人口が総人口の30%を超える超高齢社会が到来する。この状況下で、40-60代の生産性低下は国家レベルの競争力低下に直結する。OECD(2023)の報告書でも、中高年労働者のパフォーマンス維持が先進国共通の課題として位置づけられている。
労働政策研究・研修機構(2022)は、ミドルエイジ層の能力開発について、「アップスキリング」(現在の仕事関連)と「リスキリング」(転職・キャリアチェンジ関連)の体系的な区別の重要性を指摘している。前者が71.1%、後者が47.0%という実施率の差は、既存職務への適応に偏重した能力開発の現状を示している。jil+1
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本稿の分析により、45歳前後のサラリーマンが経験する能力低下現象は、以下の多層的要因の相互作用として理解されるべきことが明らかになった:
冒頭の証言にある「間に合わせの資料で誤魔化している」「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という状況は、個人の怠惰や能力不足ではなく、システム全体の機能不全の症状として位置づけられる。
効果的な対策には、Senge(1990)の学習する組織理論に基づく組織変革、人的資本理論に基づく継続的能力開発システム、そして社会保障制度を含む包括的な制度設計の同時実施が必要である。特に重要なのは、個人の自己責任論を超えた社会システム全体の再設計である。
将来の研究課題として、AI・デジタル技術の急速な発展がミドルエイジ労働者に与える影響の定量的分析、および効果的な介入プログラムの実証的評価が挙げられる。
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日本って「友達以上恋人未満」の概念が無いけど、海外には結構あるんだよね
| 文化圏 | 中間関係の名称/位置付け | 備考 |
| 🇺🇸アメリカ | Dating(デート中)/Seeingsomeone | 「交際準備段階」。複数人と同時にデート可。恋人ではない。排他性はまだない。 |
| 🇫🇷フランス | Flirt/Relation amoureuse naissante | 恋が始まりつつある関係。身体的接触もあるが、関係確定前。 |
| 🇧🇷ブラジル | Ficar | キス・一夜などを含む軽い関係。恋人前提ではない。社会的にも普通。 |
| 🇸🇪スウェーデン | Dejta | デート段階。性的関係もありうる。交際宣言は不要。 |
| 🇰🇷韓国 | 썸 (Some) | 「友達以上恋人未満」を公式用語として定義。LINE・デート・手を繋ぐが、交際確定前。 |
| 🇩🇪ドイツ | Kennenlernen(知り合い期間) | 「互いを知る段階」。恋人前提ではない。複数人並行もあり。 |
| 🇮🇳インド | Courtship(見合い期間) | 家族承認の前段階。恋愛ではないが将来性を見極める期間。 |
すべての国ではないが、思ったより多くの国でこの関係は「複数人可」で「性行為あり」だったりする
日本はグレーゾーンが概念として無いから、そりゃ消極的にもなる
なんか、自覚ないかもしれないけど、日本って世界的には厳格な方なんだよね
↑
│ 🇮🇳🇸🇦イスラム圏
│ 🇨🇳🇰🇷東アジア
│
│
│ 🇫🇷🇩🇪ヨーロッパ
↓
現代日本人が得てる創作やら常識って、実はアメリカ由来で、歴史的にはアジア由来なんだけど
世界的に統計取ったら実はそれ以外の国では割と寛容っていう(イスラムやアフリカの一部除く)
例えば不倫にしても、アメリカや日本では政治家が失脚するようなネタだけど、ヨーロッパやラテンアメリカではそうじゃないんだよね
思ったより我々は狭い価値観の中で生きているのかもしれない
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結局そういう機会が多いから、相対的に絶対数も増えるって話だよね、逆も然りで日本は厳格だからレイプ(不同意)の機会も減り犯罪数も減る
そしてポルノは少ない
これは鶏が先か卵が先かだけど
ムーアの法則絶頂期ならPCが爆速陳腐化してたからゲーム専用機の価値があったけど、今は停滞してるんだからAPU流用で「VAIOのゲーミングPC」が出てもいいのにな
1995年~2015年位まではPCのスペックが3年で1~2桁くらいの異常なペースで進化しており、PCゲームと言えば「2年前に30万円で買ったPCの性能が今ではドンキの激安PC未満相当まで相対的に落ちているから、このPCではもはや最新ゲームの起動自体が不可能」とか「去年組んだ最強ゲーミングPCだから、今年に出た最新ゲームでもまだ画質設定の一部をLOWにすれば、大部分MIDDLEでも遊べる」といった狂った状況が続いていた
そういった状況で、ソニー・プレステや任天堂などのゲーム専用機は、発売時は特殊なアーキテクチャでPCの進化を5年先取りして美麗なグラフィックスや新しい価値を提供し、終売時はPCには劣るがゲーム自体が特化しているので十分楽しめるという価値を残し、そして「初代」から最終型まで価格や消費電力が落ちていく一方、性能を一切変えないことで「発売日に並んで買った初期型なのに、今では最新ゲームが動かない」という状況を回避していた
しかし、2010年代くらいからゲーミングPCの進化が急減速し始め、5年で20%くらいまで落ちて今に至るので、今ではこの「ボクのおこづかいで買った初期型」現象はもう発生しなくなっている。同時に、同世代のスマホよりも画質が凄惨だったチップセット内蔵グラフィックスも性能が上がり、更にUnityなどの無料ゲームエンジンが登場してイチからC++でプログラミングを極めなくてもゲームが作れるようになり、これらの合わせ技で「殆どのゲームは殆どのPCで動く」状況が完成した
こうなった今、「ゲーム専用機だから安心」という価値はほぼ無くなっている。今こそPS2~PS3時代にどっかのソニーの久夛良木とかいうオッサンが夢見ていた「ソニーのエコシステムでマルチメディア」環境を実現すべき時が来てる。んだからさっさとSteamや一太郎やらPrime Videoやらをプレステに移植するなり、プレステにWindows実行機能を付けたモデルを作るなり、やればいいのにと思うんだがなぁ。