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はてなキーワード:相対的とは

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2026-02-15

anond:20260215105803

そんなの相対的ものじゃん

お前が当たり前にやってることに怒りを覚える奴だっているよ

Permalink |記事への反応(0) | 11:00

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2026-02-13

早く日本国民徴兵して中東にでも派兵してくれ

不幸な人間徴兵されるより幸福人間徴兵される方がダメージが大きいので相対的にお得感ある

Permalink |記事への反応(1) | 17:11

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anond:20260213010141

お前みたいなアホのお陰で俺は何もしてないのに相対的に裕福になれる

そうやってどんどん愚行権行使してね

Permalink |記事への反応(0) | 15:44

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政府サプライチェーン自己放尿は見るに耐えない

政府が「サプライチェーン強靭化」だの「経済安全保障」だのと称して市場に手を突っ込むのは、情報分散性という資本主義の根幹を理解していない者が、価格メカニズム神経系をハサミで切り刻む自己放尿に等しい。

政府が何かを守ると言い出した瞬間、それは必ず誰かの自由選択破壊し、価格シグナルを歪め、資源配分政治的配給へ転落させる。

サプライチェーンとは本来、利潤動機競争圧力により、コスト品質納期の制約下で最適化され続ける進化システムであり、そこに官僚の机上の「望ましい産業地図」を持ち込むのは、動的効率性を犠牲にして静的な幻想を買うだけの政策自慰、つまり政府自己放尿である

 

中国との貿易規制する?笑わせるな。貿易とは相互利益の交換であり、比較優位道徳でも思想でもなく、ただの計算可能現実だ。

中国が安く作れるもの中国から買い、こちらが相対的に強い分野に資本労働を移す、そのプロセスこそが総余剰を最大化し、実質所得を引き上げ、消費者厚生を増大させる。

関税や輸出規制補助金でこれを遮断するのは、消費者に対する隠れ増税であり、国内企業に対するモラルハザード供与であり、官僚機構に対するレントシーキング自己放尿だ。

要するに、保護主義産業政策経済安保トリプル放尿である

しかもこの手の介入は、ルーカス批判の通り、民間の期待形成を変え、企業政治リスクを織り込み、投資は歪み、ロビイング利潤最大化の中心戦略になり、資本主義市場競争から政治闘争へ堕落する。

政府国益を掲げて市場を殴るほど、企業技術ではなく補助金獲得能力勝負し始める。

これがいわゆる政府失敗であり、規制の捕捉であり、官僚計画経済への漸進的スライドだ。

 

国内生産回帰も同様に欺瞞であるサプライチェーン国内に閉じ込めれば安全になるという発想は、分散概念を逆さに理解している。

リスク分散とは供給源を多様化し、取引先を競争させ、価格品質の淘汰を働かせることで実現されるのであって、国内に固定することは単なる集中リスクであり、コスト上昇と供給硬直化を招く。

さら補助金国内生産誘導すれば、企業効率ではなく政治意向適応する。つまり競争ではなく配給の世界だ。

ここで政府戦略物資などという曖昧言葉を振り回し始めるが、曖昧さは裁量の母であり、裁量は腐敗の父である

結局、政治家は票田に資源を流し、官僚天下り先に規制設計し、企業既得権を守るために市場参入障壁要求する。

これが公共選択論結論であり、理想政府など最初から存在しない。政府善意で動くという前提は、経済学的には分析不能自己放尿でしかない。

 

自由貿易こそが正義だ。正義というのは感情問題ではなく、制度としての優越性の問題である

自由貿易は、消費者選択自由を与え、企業競争強制し、価格情報を凝縮し、資源配分を最も生産的な用途へ押し流す。

そこでは国が決めるのではなく、分散した個人知識と選好が価格を通じて集約される。

これが市場計算能力であり、官僚頭脳では代替不能社会的情報処理装置だ。

政府中国との取引政治的遮断するのは、その情報処理装置をわざわざ破壊し、国民の実質所得を削り、成長率を引き下げ、非効率企業を温存し、インフレ圧力を高める行為に他ならない。

しかもその負担は「国家のため」と言いながら、結局は消費者物価として払い、労働者が実質賃金として払い、納税者補助金として払う。

政府はそれを安全保障と呼ぶが、実態はただの政治的コスト転嫁であり、サプライチェーン自己放尿の芸術点を競っているだけだ。

 

市場残酷だが正直だ。政府は優しい顔をするが嘘をつく。

自由貿易短期的に産業新陳代謝要求するが、長期的には生産性を上げ、イノベーションを誘発し、社会を豊かにする。

介入は短期的に痛みを隠すが、長期的には歪みを蓄積し、停滞と腐敗を育てる。

から結論は単純で、政府は余計なことをするな、価格に喋らせろ、貿易に壁を作るな。

中国取引したくない企業取引しなければいい、リスクを取りたい企業は取ればいい、その判断官僚が一律に奪う必要はない。

自由を奪って安全を得ようとする国家は、結局、安全も成長も失う。自由貿易こそが正義であり、保護主義自己放尿であり、裁量行政市場への暴力である

Permalink |記事への反応(0) | 14:07

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なぜAI生成文章ダメAI生成スライドは良いのか

日本語圏のSNS特にX(旧Twitter)において、興味深い現象が観察される。AI生成された文章には厳しい視線が向けられる一方、AI生成されたスライドデザイン素材には驚くほど寛容な態度が取られているのだ。同一人物が「AIで書いた文章は見ればわかる。ああい機械的な文はダメだ」と批判しながら、数日後には「AIプレゼン資料を5分で作成!便利すぎる」と絶賛する光景日常的に繰り広げられている。

この矛盾は単なる気まぐれではない。そこには人間認知メカニズム文化的価値観、そして社会的シグナリングの複雑な相互作用が潜んでいる。

公立はこだて未来大学研究チームが2025年に発表した論文では、生成AIをめぐるSNS上の議論分析し、賛成派が「功利主義」を中心とする価値観を持つのに対し、反対派は「著作権重視」を中心としつつも複数価値観が混在していることが明らかにされた。しかし実際の行動レベルでは、同じ個人の中でさえ、対象によって態度が大きく変わる現象が生じている。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsik/35/2/35_2025_015/_pdf

なぜスライドは許されるのか

この非対称性理解する鍵は、「道具性の階層」という概念にある。人々は無意識のうちに、創造活動本質的ものと装飾的なものに分類している。

文章思考の直接的な表現とみなされる。論理展開、語彙選択文体リズムといった要素すべてが、書き手の知性や人格と不可分に結びついていると考えられている。ChatGPTが生成した文章違和感を覚える理由の一つは、この「本質との一体性」が損なわれることへの抵抗だ。AI生成文章には「単調なリズム」「過度な順序表現(まず、次に、最後に)」「単語の繰り返し」「個人視点の欠如」といった特徴があり、これらが機械的な印象を与える。AI判定ツールの精度はまだ発展途上だが、人間直感は「この文章には人がいない」という違和感を敏感に察知する。

対照的に、スライド思考を伝えるための「容器」として位置づけられている。レイアウト、配色、フォント選択重要だが、それらは中身を引き立てる装飾であり、発表者の本質的能力とは別物と考えられがちだ。CanvaAI提供する膨大なテンプレート自動デザイン機能は、この「装飾性」の領域に働きかける。デザインスキルを持たない人でも短時間プロ品質資料作成できることは、単なる効率化として歓迎される。

この階層化は必ずしも論理的ではない。優れたスライドデザイン情報構造能力を反映するし、文章執筆も道具を使って行われる活動だ。しか認知的には、文章は「私そのもの」、スライドは「私が使う道具」という区別が根強く存在する。

認知的不協和ダブルスタンダードメカニズム

心理学者レオンフェスティンガーが1957年提唱した認知的不協和理論は、この矛盾説明する有力な枠組みを提供する。人は矛盾した信念や行動を持つと心理的不快感を覚え、その不協和を解消しようとする。ただし、その解消方法は必ずしも論理的整合性を追求するものではない。しばしば、自分に都合の良い解釈採用することで不快感を和らげる。

AI生成は良くない」という信念を持ちながらAI生成スライドを使う場合認知的不協和が生じる。この不協和を解消するため、人々は様々な正当化を行う。「スライドは装飾だから別」「効率化のためなら仕方ない」「自分で内容は考えている」といった理由けがなされる。こうした正当化は、矛盾を解消するための事後的な説明であることが多い。

さらに、一貫性バイアスと呼ばれる認知的傾向も作用する。これは他者過去言動未来も一貫していると考える傾向だが、自分自身の行動については異なる基準適用やすい。「あの人はいつもAI批判している」と他者評価する一方、自分AIツールを使う場面では「状況が違う」「これは例外」と特別扱いする。

集団バイアス無視できない。自分が属するコミュニティアイデンティティグループの行動には甘く、外部グループには厳しくなる。たとえば「文章を書く人」というアイデンティティを持つインフルエンサーは、文章生成AIには厳しいが、自分が専門外のデザイン領域でのAI利用には寛容になる。

検出可能性とシグナリングの非対称

もう一つ重要な要因は、検出の難易度だ。AI生成された文章は、特徴的なパターンから比較的見抜かれやすい。一方、スライドAIで生成されたかどうかを判別するのは困難だ。テンプレートを使ったのか、AIが生成したのか、手作業類似デザインを作ったのか、外部から区別する手段ほとんどない。

この検出可能性の差は、社会的シグナリングに影響する。文章力は可視的なスキルとして評価されやすく、「この人は考える力がある」というシグナルを発する。AI生成がバレれば、そのシグナルが損なわれる。対照的に、スライドデザイン品質は主張の説得力を高める効果はあるが、「この人はデザイナーだ」というシグナルを発することは少ない。むしろ効率的に仕事を進める人」という別のシグナルになり得る。

X上のインフルエンサーは、フォロワーに対して自らの専門性知的能力シグナルし続ける必要がある。文章AI生成であることが明らかになれば、そのシグナルの信頼性が損なわれる。一方、スライド作成AIを使うことは、むしろ最新ツールを使いこなす能力シグナルとなる。この非対称性が、態度の違いを生む強力な動機となっている。

インフルエンサー文化二重基準の増幅

X上のインフルエンサーは、特にこの矛盾体現やす立場にある。彼らの影響力は、一貫した意見説得力ある表現によって構築される。しかし同時に、効率的なコンテンツ生産と目を引くビジュアルも求められる。この二つの要求が、AI利用における選択的態度を生む。

2026年1月時点で観察される典型的パターンとして、「AI生成コンテンツの透明性」を主張するインフルエンサーが、自身ビジュアルコンテンツAI生成ツール使用しながらその事実を明示しないケースがある。また、「AIに頼らない思考力」を強調する発信者が、投稿アイデア出しや構造化にAIアシスタントを利用している事例も少なくない。

これは必ずしも意識的偽善ではない。多くの場合、本人は「自分本質的仕事にはAIを使っていない」と認識している。しかし、何が本質で何が補助かという線引きは、極めて主観的恣意的だ。

さらに、X社によるAPI改定とInfoFi(投稿報酬を得る仕組み)アプリの締め出しが2026年1月に行われたことで、「質より量」のAI生成リプライが減少した一方、より洗練されたAI活用が主流派インフルエンサーの間で定着している。AIを使いながらも「人間らしさ」を保つ技術が発達し、矛盾はより見えにくくなっている。

深層にある価値観の衝突

この問題根底には、創造性と真正性オーセンティシティ)をめぐる根本的な問いがある。私たちは何に価値を置くのか。アウトプットの質か、それを生み出すプロセスか。効率性か、人間的な営みか。

従来、この問いには明確な答えがあった。芸術知的生産においては、プロセスと人間性に価値が置かれてきた。しかAI時代において、この前提が揺らいでいる。

興味深いことに、歴史的には技術革新のたびに同様の議論が繰り返されてきた。写真の登場時、絵画価値は「手で描くこと」から芸術視点」へとシフトした。DTMデスクトップミュージック)の普及により、音楽制作における「演奏技術」の相対的価値が低下した。DTPデスクトップパブリッシング)は印刷業界職人技を置き換えた。

今、同じことが文章デザイン領域で起きている。ただし、その影響は均等ではない。スライドデザイン比較的早く「技術による代替可能領域」として受け入れられたが、文章はまだ「人間本質的表現」として守られている。この防衛線がいつまで持続するかは不透明だ。

示唆と今後の展望

この非対称性は、AI時代における価値観の過渡期を映し出している。矛盾を指摘することは容易だが、実はこの矛盾自体が、人間技術と折り合いをつけながら新しい規範模索するプロセスの一部かもしれない。

実務的には、いくつかの示唆が導かれる。第一に、透明性の重要性だ。何にAIを使い、何に使っていないかを明示することで、信頼性を維持できる。第二に、本質と装飾の区別文化的主観的ものであることの認識だ。自分価値基準他者一方的押し付けることの限界理解すべきだ。第三に、検出可能性が態度を決定する現状において、技術的な検出手段の発展が規範形成に影響を与える可能性がある。

インフルエンサー情報信者にとっては、自らの基準を一貫させるか、あるいは基準が状況依存であることを率直に認めるか、いずれかの選択が求められる。後者を選ぶことは必ずしも弱さではない。むしろ技術人間関係が流動的な現状を正直に反映したものだ。

最終的に、この議論が示すのは、AI生成コンテンツの是非ではなく、私たちが何を「自分らしさ」「創造性」「価値ある仕事」と定義するかという、より根源的な問いだ。その答えは、技術進化とともに、そして社会的対話を通じて、これから形成されていく。

Permalink |記事への反応(49) | 10:59

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2026-02-12

anond:20260211122117

相対的な左右ポジションが別のと被ってたとしても政党としては成立しうるよね

外国でも穏健左派複数あるパターンもあるし

左右度だけで説明できることってあまりないと思うな

Permalink |記事への反応(0) | 13:20

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歳入歳出の問題は、どの痛みを受け入れるかだ。そこを無視して自己放尿するな

財政再建だの減税だの社会保障の充実だのと、世の中は今日も元気にスローガンを投げ合っている。

しかし、ここで一回、冷水ぶっかけておく必要がある。歳入歳出の問題とは、結局のところどの痛みを誰が受け入れるかという配分問題であり、そこから目を逸らした瞬間に、議論経済学ではなく宗教儀式になる。

いや、宗教ならまだ筋が通る場合もある。問題は、筋が通っているフリをして自己放尿するタイプ議論が多すぎることだ。

 

政府仕事とは、市場機能するための最小限のルール整備に極限まで縮退させるのが基本形である

自由市場とは、万能ではないが、少なくとも分散した情報価格に集約し、意思決定を分権化し、試行錯誤の淘汰を通じて資源配分改善する装置だ。

価格メカニズムは神ではないが、政治家よりはだいぶマシな情報処理装置である。ここで「だいぶマシ」というのが重要で、政治が介入するたびに知識問題が増幅し、情報局所性無視され、結局は官僚制ヒューリスティックが国全体の最適化代替してしまう。

政治市場を置き換えようとした瞬間に、見えざる手ではなく、見えざる自己放尿が働き始める。

 

だが日本は、そういう市場主義の方向に舵を切っていない。

ここが現実だ。日本社会保障を手厚くし、再分配を強化し、政府支出一定以上維持し続ける構造を選んでいる。

まり日本社会競争による淘汰と自己責任の痛みを相対的抑制し、その代わりに高負担・低成長・制度維持の痛みを受け入れる方向にコミットしている。

これは倫理的に正しいとか間違っているとか以前に、単なる選択問題だ。経済学的には、トレードオフをどう置いたかという話である

 

それなのに、減税だの給付だのを同時に叫び、財源の議論を後で考えると言い出す。これが自己放尿でなくて何なのか。

政府予算制約式という、経済学の最も退屈で最も重要現実から逃げている。

政府魔法使いではない。支出を増やすなら、税を上げるか、国債を増やすか、インフレ税で実質負担国民押し付けるか、どれかしかない。

これが財政ハードバジェット制約だ。これを無視して「社会保障は守れ、税は下げろ、景気は良くしろ」と言うのは、制約条件を消して目的関数だけで最適化しているのと同じで、ただの自己放尿である

 

国債を増やせばいいという議論も、同じくらい雑だ。

リカード中立命題を持ち出して、増税が予想されるなら家計は貯蓄を増やすから問題ないと言うのは理論的には可能だが、現実には完全な合理性も完全な資本市場存在しない。

民主主義が持つ時間的不整合性典型である短期政治的利得と長期の財政健全性が衝突するとき、だいたい負けるのは長期のほうだ。これは合理的期待以前の、人間仕様である

 

さらに言えば、日本人口動態が財政に対して非常に残酷な国だ。

高齢化は単なる人数の問題ではなく、制度設計思想のもの破壊する。

賦課方式年金医療介護は、現役世代高齢世代を支える構造だが、現役人口が縮み、高齢人口が増えれば、負担率が上がるか給付が減るかの二択になる。

ここで「成長すれば解決する」という反射神経が出るが、成長率を外生的に願望で決めるのもまた自己放尿である

成長は政策の掛け声ではなく、生産性上昇の結果としてしか起こらない。

生産性教育技術進歩資本蓄積、企業統治労働市場の柔軟性、規制構造、そして競争環境の積み重ねからしかまれない。成長を祈るなら、祈祷師より規制改革のほうがまだマシだ。

 

そして規制改革という話になると、日本社会はまたしても痛みの受け入れを避ける。

競争は勝者と敗者を生む。市場効率を生むが、分配の不平等を生む。創造破壊技術進歩を促すが、既存産業を壊す。

まり市場主義採用するとは、失業賃金格差企業淘汰、地域衰退といった摩擦を受け入れることでもある。

市場自由は長期的には社会を豊かにするが、同時に短期的には痛みが出ることを否定していない。

しろ、痛みを抑えようと政府価格統制や産業保護をすれば、情報が歪み、非効率固定化し、成長が止まる。

政府介入はだいたい二次被害を生む」という経験則に直結する。

 

だが日本は、その方向をあまり選んでいない。

日本政治経済は、競争の痛みを緩和するために、規制を残し、補助金を配り、産業を守り、雇用調整を遅らせ、そして社会保障で受け止める。

まり市場の荒波で鍛える社会ではなく、制度堤防で守る社会を選んでいる。

これは日本人の価値観として一貫している。連帯を重視し、格差を嫌い、共同体の安定を優先する。

から社会保障を充実させる。これは単なる政策の偶然ではなく、社会的選好の表れだ。

経済学的に言えば、日本リスク共有と保険の厚みを最大化し、効率性よりも安定性を高く評価する社会効用関数採用している。

 

問題は、その選択をしたなら、そのコストも受け入れろということだ。

福祉・高負担モデルをやるなら、税負担は上がる。労働供給への歪みも増える。企業投資インセンティブも下がる。潜在成長率も落ちる可能性がある。

さら政府支出が増えれば、官僚制が拡大し、レントシーキング余地が増える。補助金規制設計を巡って、政治的な取引が増える。

公共選択論観点では、政府部門肥大化利益集団固定化情報の非対称性を通じて、政策ますます効率にする。つまり、痛みは消えない。形が変わるだけだ。

 

逆に、小さな政府市場主義モデル採用するなら、社会保障給付は削られる。

競争は激化し、賃金格差は拡大し、生活不安定性が増す。労働市場の流動化が進めば、雇用保障は弱くなる。

ここで「自己責任社会だ、弱者切り捨てだ」と騒ぐ人が出るが、それもまた議論本質を外している。

市場主義倫理議論ではなく、制度設計議論だ。保険を薄くして競争を強め、効率を上げ、成長率を取りに行くという戦略であり、それは確かに痛い。

しかしその痛みを通じて、長期的な所得水準の上昇を狙うのが市場主義論理である

 

財政問題は痛みをゼロにする方法ではなく、どの痛みを採用するかの選択しかない。

ここで最悪なのは、痛みの存在否定することだ。

増税反対、給付維持、経済成長、財政健全化を全部同時に叫ぶのは、制約を無視して目的を盛り込んだだけの自己放尿である

しかもその自己放尿は、選挙で票を取るための麻薬として機能する。

国民政治家も、現実直視するより麻薬を欲しがる。これは供給需要が一致しているので、市場原理的には非常に美しい。悲しいことに。

 

日本が今選んでいるのは、市場主義の荒々しい競争ではなく、社会保障を厚くして安定を買う道だ。

まり競争の痛みを減らし、その代わりに税負担と成長鈍化と制度維持の痛みを引き受ける道である

これは逃げではなく選択だ。選択ならば、堂々と認めればいい。

しか現実には、政治メディアも、選択選択として語らない。

痛みの話をすると嫌われるからだ。だが、嫌われるから言わないというのは、政策論ではなく人気商売である

 

政府善意地獄舗装する。善意制度を守り、善意給付を増やし、善意規制を強め、善意補助金を撒く。

しかし結果として、価格メカニズムは歪み、生産性は落ち、財政は硬直化し、未来自由度は奪われる。

重要なのは善意ではなく、インセンティブと制約だ。

制度設計とは、人間利己的であり、政治家が票を欲しがり、官僚権限を欲しがり、企業補助金を欲しがるという現実から出発しなければならない。

聖人統治する世界を前提にした政策は、現実世界ではだいたい破綻する。

 

から、歳入歳出の議論でまず必要なのは幻想を捨てることだ。

財政とは、夢を語る場所ではない。支払能力負担配分の話だ。

誰が払うのか、いつ払うのか、何を諦めるのか。その冷たい問いから逃げた瞬間、議論自己放尿になる。

そして残るのは、臭いと湿り気と、次世代へのツケだけだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:34

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しろ今までが全体主義的だったんだよ

1つの考えだけが独占するのは不健全だと刷り込まれ

「右」が増えたら危険から「左」を選んでバランスを取らなければならないという強迫観念

けれども「右」と「左」は相対的もの

それなのにある「特定のもの」だけが「左」だと刷り込まれてきた

その「左」は戦後しばらくは大衆の支持を少なからず得ていた

しかし今は全体を量的に「右」と「左」に分ければ

左の中でも左の隅っこあるちっぽけな存在なのにそれが「左」として固定されてきた

それでも全体主義が怖いという理由で「左」をあえて選ぶ人が少なからずいた

実際は「右」が増えても「右」の中にもさらに右も左もあるのであって「右だけ」になるということはない

「右」の内部が単一の考えしかなく、それに異論を唱える者を迫害するのなら全体主義になるが

今のところはそうではない

その左の隅っこにいる「左翼からみれば「右はみんな同じ」に見えるのかもしれないけれど

Permalink |記事への反応(0) | 08:33

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2026-02-11

anond:20260210190831

おっさんおばさんはもっとリンチしてるから相対的に見ればマシなんだろ

俺の観測してるネットはハテブや増田もふくめてオッサンおばさんが多いと思うけどリンチ大好きだし

若者の事はわからんオッサンおばさん世代より特別に好きと言うソース庵野

Permalink |記事への反応(0) | 14:01

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高市自民がここまで大勝することになった理由

なぜ高市自民がここまで大勝することになったのか。自分相対的に最も腹落ちしたのは、政治学者とか政治評論家説明ではなく、東大卒お笑い芸人である大島育宙説明。彼の説明自分なりに要約および翻案・加筆すると以下の通り。ちなみに大島は明確に「リベラル左派」の立ち位置人間である元ネタTBSラジオ「こねくと」内の「空閑時評」https://www.youtube.com/watch?v=4J1MbgwIeV8


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視聴者数が何十万を超える動画サイト政治チャンネル毎日見ていたが、その感想として一つの特徴というか問題があることを発見した。それは、選挙情勢の話ばかりで、高市首相野党政治理念とか政策の内容についてはほとんどコメントしないことだ。そしてこれが、高市自民がここまで圧勝した大きな理由の一つであると思う。

選挙情勢の話ばかりというのは、要するに「高市自民優勢、中道思ったほど伸びず」という話ばかりということだが、そこで配信者は「なぜ自民が優勢で、中道が伸びないのか」という分析になり、さらに「高市首相戦略が当たってますね、逆に中道は外してますね」というコメントが続くことになる。

それを見ている視聴者有権者は、「高市さんは戦略がうまくて賢い、中道はやはり戦略が下手で頼りがない」という印象を強く持つようになる。これが毎日のように繰り返されて、「賢い高市さん、情けない中道」というイメージが強化および再生産されていくことになり、自ずとその差は選挙戦が進むごとに開いていく。

いわば、スポーツ報道選挙報道が同じになってしまっている。勝っているチームは「さすが」「すごい」と報道され、負けが混んでいるチームは「だらしがない」「なさけない」と報道されるのは、プロスポーツでは当然で仕方がないだろう。しかし、政治選挙でもこれと同じことになってしまっており、例えば「中道は劣勢だが正しいことは言っている」とコメントされていることが全くなくなっている。テレビ選挙報道もある程度そうなってしまっているが、SNS動画サイトではそれしかないと言っていい状態である

動画配信者は、最後まで自分がどのような政治的な理念や主張を持っているのかを明らかにせず、第三者的目線絶対に崩さない。当然政権批判などは絶対にしないし、外交における失政や統一教会問題などもいっさい取り上げない。日本人圧倒的多数は、自分特定政党政治イデオロギーを支持していると思われることを極度に嫌がり、再生数にも響くからだ。しか皮肉にも、第三者的立場選挙情勢の分析に徹底した結果として、高市首相に対する翼賛的な動画として強力に機能してしまたことになる。その自覚は、残念ながら配信者にも視聴者にも全くない。

Permalink |記事への反応(3) | 11:45

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動物園入園料が安すぎる

相対的水族館が高すぎるとも言えるけど

まあよほど珍しいのがいるわけでもない限りどこもバリエーションはそんな変わらんし面白みもないかしょうがいか

Permalink |記事への反応(0) | 10:51

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フレンチパラドックス(英: Frenchparadox)とは、フランス人相対的喫煙率が高く、飽和脂肪酸豊富に含まれ食事摂取しているにもかかわらず、冠状動脈心臓病に罹患することが比較的少ないという逆説的な疫学的な観察のことであるフレンチパラドックス用語は、フランスボルドー大学科学者であるセルジュ・ルノーによる造語である

Permalink |記事への反応(0) | 08:03

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2026-02-10

anond:20260210220056

うそう、チームみらい支持者は情報ソースとしてネットを挙げる人の割合相対的に少なく、テレビを挙げる人の割合が多いんだよな。

なんかITがどうのAIがどうのと言っているかネット系と勘違いされがちだけど。

Permalink |記事への反応(1) | 23:54

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相手を蹴落としたい場合はそろそろ批判以外の手段を用いるべき

今回の高市批判然り、過去斎藤知事批判然り

自らの正当性を主張するのに相手批判して下げたところで自分達を上に見せることは出来ないということにそろそろ気づいた方がいい

相手批判して相対的自分を上に見せてもそれって自分立ち位置は変わってないんだ

Permalink |記事への反応(2) | 18:45

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胎児ラーメン漫画双子近親相姦つがいじめ」はカニバじゃなかった

デジタル大辞泉

カニバリズム【cannibalism】読み方:かにりずむ

人を食うこと。特に呪術信仰から、また宗教儀礼として人肉を食う慣習。人肉嗜食(ししょく)。カンバリズム。

世界宗教用語大事

カニバリズム 【cannibalism】

人肉を食うこと。人肉嗜食。食人習俗。狭義にはその社会の中で宗教儀礼として認められた食人の習慣、をいう。

カニバル食人者)という語は、コロンブスの報告から食人者だとみなされたカリブ族(Caribs)に由来する。

スペイン人発音の誤りからカリブカニブになり、そこからカニバルという語が生まれた。食人者に関するうわさや報告は世界中に見られる。

泥中のアイスというサークルFANZAで「双子の兄妹強●近親相姦つがいじめ」という過激な本を出していたんだけど

それは18禁ゾーニングされてる場所で売られてたから何も問題無かったんだが、その後にどうもアフィリエイト

勝手に本の内容をXで大々的に宣伝したせいで過激描写を見た人達によって炎上して、アフィリエイトじゃなくて作者がクレーム入れられまくって

FANZA販売を(一旦?)取りやめるまでになったらしい。

まぁそこには色んな議論があるだろうがそこはもう自分以外の人達に任せるとして、その同人を買った自分としては内容について意見を書こうと思う。

その前にあらすじを書こうと思う。この本は別にあらすじを全部書かれてネタバレ問題になる本じゃないと思うが、ネタバレ嫌なら読まないでね。

裕福な家庭で暮らす双子の兄妹に対して、両親がシンガポール仕事に行くと出掛ける所から物語は始まる。

その間はいもの家政婦が世話をする筈なのにやってきたのは別の家政婦。そして食事普通に美味しい食事が出てくるんだけど

問題は食後で、家政婦がカメラをセットした後に銃を取り出して双子を脅し始める。

家政婦の彼女が言うには両親はヤバい人達に恨まれ仕事をやっているそうで、唐突に両親が拷問されて死ぬ動画を見せてくる。

(タブレットから流れる両親の悲痛な叫び声の吹き出しはあるけど、タブレット動画は描かれないから具体的な拷問方法は分からない)

そして家政婦は双子にお前ら近親相姦をして子どもを作れと命令する。私の上司がその動画を所望しているからと。

双子は泣き叫びながら性行為が始まり、途中で兄が精力剤を注射されたりしながら一通りの性行為が終わった所で暗転する。

すると既に四肢切断されてる双子テープ身体を固定されて性器が繋がってる状態になっている。

家政婦は双子を鞭で叩き兄は衝撃で射精が始まり妹は失禁する。

そして尿に対して妊娠検査薬を使って陽性の反応が出て、家政婦はやっと仕事が終わる(次の仕事が始まるけど)と喜び

兄を何処かへ運んでまた暗転する。2ページ過去双子楽しい思い出が描かれた後に

胎児の入ったラーメンが1コマだけ描かれて物語は終わる。

最後に3人の登場人物紹介が描かれて終わり

佐倉(家政婦):詳細不明

樫本悠(双子の兄):豚に食い殺されて死亡

樫本藍(双子の妹):開腹の痛みによりショック死

まぁショックな漫画ではあるんだけど、自分はあまりショックさは感じなかった。

というのも先にヤバいヤバいという感想を聞いた後にこの漫画を読んだからだ。

四肢切断されてるシーンや両親の拷問シーンやカニバリズム描写があると先に想像してしまった。

その上で読んだら想像よりは相対的マイルドからそう感じたのかもしれない。

過去に読んだグロ漫画とかだと四肢切断シーンは大抵描かれた気がするが、この漫画は色々と描かれてないシーンが多い。

感想で散々言われたカニバリズムにしたって最初引用にあるように胎児は誰も食べていない。

ただ胎児ラーメンに入っているだけである

これって今の規制で出来るギリギリ表現って事なのかね。

途中描写を描いてしまうとNGになって、実際に誰かが人を食べてるシーンがあるとNGになるって事なのかな。

ここで四肢の無いキャラを描く事をNGにするのは一般漫画でも描けない描写が出てくる。

この漫画はそういう規制が難しい範囲内で描いているのかもしれない。

作者は大変だな、と思うと同時に正直そうやって昔のグロ漫画だったら描かれそうなシーンが無かったお陰で

自分は今も落ち着いてこの感想を書いていられる事に(作者には申し訳ないが)感謝している

Permalink |記事への反応(1) | 16:05

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中道敗北の反省

今回の中道惨敗は自滅であるが、しか自分も当初は中道結成に賛成しており、判断を誤ったと思うので反省がてらに書く。

第一に立憲と公明連携それ自体は適切な戦略だったと思う。特に公明については斎藤代表の誠実そうなしゃべり方や、夫の横暴に付き合いきれなくなった妻という熟年離婚雰囲気から有権者は同情的だったのではないか。立憲についても反高市票をある程度集めることができたはずだ。高市首相は強烈な人気を誇っているが、強烈な人気には強烈な反発が必ずついてる。問題新党を作ったことだと思う。連携はよかったが新党はまずかった。何よりも野合とみられた。ずるいことをしようとしている集団だとみられたわけである

この世で最も嫌われるのは知識人政党であり、政党特に嫌われる。なぜなら怪しいことをしている集団からだ。素直に考えれば間接民主制(特に比例代表以外の政治制度)においては一人一人の政治家がそれぞれの信条を訴えて当選し、そして国会個人として議論すればよいと思われる。政党は票集めのための集団であり、立派な理念を掲げれていたとしても、怪しい目で見られる。なぜでは個人で訴えずに集団を作るのかと怪しまれる。昨今のNPOをめぐる疑惑も同じであり、集団で何かをやっているというのは怪しいのだ。これは健全感覚だ。

(なお、営利企業もまた集団であり怪しいことがあるが、しか営利企業利益のために合理的に動くと考えられているため、怪しさが減じられる。つまり活動目的が明確であり、合理性の有無はCGコード市場によって監査されることになる。不明確な動きをしていれば株主が離れていく)。

怪しい集団とみられたならばどんなに立派な理念を言っていても無意味である。必ず裏の目的があるとみなされるからだ。そもそも政策論争フィールドに立てない。あらゆる政策は裏があると思われその主張は無効化される。

自公政権だってそうではないかという反論があり得るだろうが、3つの反論がある。①自公連立政権であり、自民党公明党は決して吸収されなかった。自民党公明党がそれぞれに牽制あいつつ、協力していることが有権者から見て明確であった。②自民党内の派閥存在自民党内においても派閥存在し、互いにけん制しあっていることが見えていた。したがって、自民党という怪しい巨大な集団ではなく、派閥同士の牽制というガバナンスが効いている組織とみられていた。これに対して中道においてはそのような牽制が見られず、票目当ての怪しいなれ合いのみが見られた。③同じ土俵に降りたのであれば、挑戦者が負けるに決まっている。同じ怪しい集団ならば、とりあえず現状を変えないであろう自民党を選ぶに決まっている。

結局、中道ガバナンスが効いていなかったし、それを有権者に見透かされ、失格判定を受けた。自民党ガバナンスが効いているとは言い難いが、派閥による牽制残滓が残っていること、そして、少なくとも石破⇒高市という政権交代を果たしたこと評価する有権者がいたのだろうと思う。

政党ガバナンスは高い透明性が必要である公明党は創価学会という支持母体を抱え、組織力は非常に高いものの、透明性に疑義を抱えている。その点が公明党を嫌う人々が存在するゆえんでもあろう。立憲は結党以来は枝野を中心として開かれた存在であったが、その透明性が昨年秋の政局以降、大きく減じられた。個人的には安住政局は非常に興奮するものであったが、政局で興奮するのは異常者である。私は異常者であったがゆえに、新党結成についても公明票と立憲票の足し算しか考えられなかったのであり、党の透明性を省みていなかった。反省と後悔しかない。

第二に、政策論争としても失敗していた。ただ前述のとおり、そもそも怪しい野合であるとみられた時点で政策論争フィールドに上がれずに失格となるのであり、政策のまずさは補助的な理由に過ぎないだろう。

この点よく食料品消費税減税が指摘される。この点は伝え方がまずかったが、一連の政策の一部としては必ずしも完全な悪手ではなかった。というのも岡本政調会長が主張していたように、食料品減税は他の消費税12%に上げることとセットであることが予定されていた。食料品中心のインフレが続くのであれば、食料品限定の消費減税はわからなくもない(低所得者世帯への給付がより望ましいとは思うが)。ジャパンファンドについては残念ながら擁護のしようがない。ただこれについては自公連立政権の時には自民党好意的に受け止めており、おそらくそ場合にはここまで広範な反発を招くことはなかったのではないかとは負け惜しみを言っておく。

安保法制については、立憲時代(野田代表時代)の伝え方がまずかった。そもそも違憲部分という説明野田自身理解していなかったのではないか代表理解も納得もしていないことを積極的に謳うのはどうかと思う。勉強していないことがばれていた。

なお個人的には安保法制は制定当時はやはり違憲であったと思う。しか現実において防衛力強化が必要なことは周知の事実である以上、違憲であるならば憲法を変えるしかない。憲法改正手続を踏まずに安保法制を制定したということが安保法制違憲性の問題なのであり、9条2項違反はそれに比べれば大きな違反ではない。立憲を謳うのであれば、安保法制違憲を前提に、憲法改正を主張してほしかったところである安保法制において緻密な議論が行われ、法的基礎が固められたのだとの議論があるが、緻密な議論議論正統性担保しない。いかに見事な砂上の楼閣を作ったとしても砂上のものにすぎない。立憲民主党はしたがって、憲法改正による正統な基礎固めを主張すべきであったと思っている。この点を枝野理解していたと思われるが、違憲というワードに惹かれてわらわらと集まってきた左派は何も理解しようとしなかった。

現在においては、安保法制はもはや事実として定着してしまった以上、憲法改正手続きに拠らない憲法改正が行われたとみなす他はない。

とはいえいずれも、中道政策論争をするフィールドにも上がれていなかったのだから直接の敗因ではない。そもそも自民党政策を主張していなかった。やはり野合とみなされたことによる敗北であろう。

自民党投票した有権者偏差値を嘆く声もあるし(後述するように有権者はとても賢い)、(都合のいいときだけ)市場審判を求める声、さらには(驚きべきことに!)トランプ政権による高市政権への圧力に期待する向きもあるが、党派的な思考をしている限りにおいて野合批判は免れない。左派が低調であるのも、組織における透明性の低さと党派性を見抜かれているからだと思われる。

有権者は賢く選択をした。仮に日本において確固たる野党が成立するとすれば、それはおそらく現実的な政策ではなく、まずは(相対的自民党野合集団と見えるような)高い透明性のあるガバナンスが何よりも必要になる。そのガバナンスは単に意思決定過程を透明にすればよいというものではなく、党内で各種のアクター牽制あいしかし十分な議論と調整を経て政党としての意思決定をし、それに所属議員が異議なく従うという姿を見せなければならない。

(おそらくチームみらい及び参政党の躍進はいずれも自民党派閥システムに代わる新たな政党ガバナンス可能性が評価されているように思われる。もっとも、チームみらいについて以下の指摘がある。

https://okadaasa.theletter.jp/posts/5c5f5c60-9c33-4311-832b-c78cc34efcd8

また参政党については一見して透明なガバナンスを謳うように見せて、非常に不透明な、カルト宗教的集団であるところが一部の支持者以外の多くの有権者に強烈な拒否感を与えるゆえんだろう)

Permalink |記事への反応(2) | 01:17

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2026-02-09

高市に乗っかった日本人愚民なら、相対的に賢いはずの批判側はなんで戦術で負けたんだ?

常に知的で冷静な視点から政治経済を見据えているはずのはてな民愚民如きに後れを取るなんて現実はありえるはずがないのでは?

Permalink |記事への反応(1) | 12:05

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高市が勝ったのは、女性相対的若いリーダーが国の代表状態をもう少し続けて、壮年男性をできるだけ退場させた方がいいとみんなうっすら思ってるからでしょ

Permalink |記事への反応(3) | 07:27

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自民党が勝ったら日本が終わる」って言説、

正直ほとんど意味ないんだよな

なぜかというと、

大多数の日本人はそんなふうに思ってないか

ここに決定的なズレがある

自分にはそう見える”と

社会がそう動いている”は別物なのに、

そこを区別しないまま話し始めるから距離を取られる

政治の話って本来相対的ものなのに、

自分感想絶対事実みたいに置くと、

その瞬間に会話が閉じる

危機感を持つの自由だけど、

共有されてない危機感を前提に他人を責めても

共感は生まれない

まず「自分は少数派かもしれない」

って視点を持てるかどうか

そこを飛ばすと、

主張の内容以前に聞いてもらえなくなる

終わるのは日本じゃなくて、

会話のほうなんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 07:21

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グローバリズムの極大化が日本経済復活の鍵

日本経済の停滞を「需要不足」や「デフレマインド」といった心理現象還元する議論は、だいたい自己満足物語で終わる。

問題マクロの気分ではなく、ミクロインセンティブ設計市場競争構造にある。

成長とは、資源配分効率化と生産性上昇の結果であって、祈祷ではない。

したがって日本経済復活の鍵は、内向きの保護規制で安定を買うことではなく、グローバリズムを極大化して競争圧力を最大化し、資本労働技術の最適配分を強制的に起こすことにある。

 

グローバリズムとは、感情的には「外国に奪われる」物語として語られがちだが、経済学的には比較優位と分業の徹底である

比較優位が働く世界では、各国は自国相対的に得意な領域資源を集中し、不得意な領域は輸入する。

これにより総生産が増える。ここで重要なのは、これは「善意の国際協調」ではなく、価格シグナルによる資源配分自動最適化だという点だ。

国境を越えた競争は、企業の非効率ぬるま湯組織怠惰)を破壊し、利潤最大化行動を通じて生産性を引き上げる。

国内市場に閉じている限り、日本既得権益の温床としての規制に守られ、競争の欠如から技術革新の圧力が弱まる。

これは市場の失敗ではなく、政府の失敗が温存される構造である

 

日本が直面している本質的問題は、成長率の低下というより、全要素生産性TFP)の伸び悩みだ。

人口動態が悪いなら、なおさらTFPを上げなければならない。

TFP精神論では増えない。TFPが増えるのは、技術進歩資本深化、そして競争による淘汰が起きるときだけだ。

まりシュンペーター創造破壊必要であり、その燃料が国際競争である

国内ゾンビ企業延命させ、非効率部門を温存し続ける政策は、資源誤配分を固定化し、成長率を削る。

これは典型的政治的資本主義、すなわち市場を装った官製配分であり、自由市場とは逆方向の制度だ。

 

グローバリズムの極大化は、労働市場にも決定的な意味を持つ。

日本労働市場は、硬直性と内部労働市場の過剰保護によって、人的資本の再配分が遅い。

解雇規制、年功賃金、過剰な雇用保護は、表面的には安定を提供するが、実態労働移動を阻害し、成長産業への資源移転を遅らせる摩擦コストである

グローバル競争が激化すれば、企業は利潤率を維持するために組織改革賃金体系の合理化を迫られ、結果として労働市場の柔軟性が増す。

これは「労働いじめ」ではなく、労働が最も高い限界生産性を持つ場所へ移動することを可能にする制度改革である

 

さら資本市場観点でも、グローバリズムは不可避の処方箋になる。

国際資本移動が自由化されれば、国内企業株主価値資本収益率を世界基準で問われる。

これは、内部留保の死蔵や、非効率投資継続を許さない。

企業統治の改善資本コスト意識の浸透、非採算事業の切り捨てが進む。

ここで起きるのは道徳改革ではなく、資本市場がもたらす規律である

規律とは、企業にとっては不快だが、社会全体の資源配分にとっては必要不可欠な強制力だ。

 

日本ではしばしば「産業保護」「食料安全保障」「経済安全保障」という言葉が万能の免罪符として使われる。

しかし、これはレントシーキング政治的利益を獲得する活動)の温床であり、保護の名を借りた独占の固定化である

関税補助金、参入規制は、短期的には国内企業の利潤を守るが、長期的には技術革新を止め、価格を引き上げ、消費者余剰を破壊する。

これは国益ではなく、特定業界利益国益錯覚させる政治的マーケティングに過ぎない。

市場競争が消えると、品質改善コスト削減も止まり経済全体が静かに腐る。

 

グローバリズム極大化の真価は、輸出拡大ではなく輸入拡大にある。

輸入とは敗北ではない。輸入は、安価で高品質な財を国内に導入し、国内生活コストを下げ、実質賃金を引き上げる。

実質賃金が上がれば消費が増え、国内市場も拡大する。

まり貿易ゼロサムではなくプラスサムだ。

ここで「貿易赤字は悪」という素朴重商主義を持ち出すのは、経済学的には前時代である

経常収支は貯蓄投資バランス鏡像であり、貿易収支だけを道徳的に裁くのは会計の読み間違いだ。

 

また、日本イノベーション停滞は「技術力の低下」ではなく、インセンティブの弱さとして理解する方が筋が良い。

国内市場規制補助金に守られていれば、企業リスクを取って研究開発するより、政治的ロビー活動で安定利潤を確保する方が合理的になる。

これがレント志向経済病理だ。グローバリズムの極大化は、この病理破壊する。国際市場で勝たなければ利益が出ない環境に置かれれば、企業は嫌でも技術投資経営改革を行う。

まり競争道徳ではなく、制度的な強制装置だ。

 

日本が復活するには、国内で「再分配を厚くして安心を与える」よりも、成長率を引き上げてパイを拡大する方が合理的である

再分配は、成長がある場合に初めて持続可能になる。

成長のない再分配は、結局インフレ税や国債依存という形で将来世代押し付けられる。

まり「優しい政策」の顔をした世代搾取になりやすい。

ここで金融政策財政政策に万能感を抱くのは危険だ。

インフレは常に貨幣現象であり、財政拡張による需要刺激で成長を捏造しようとすれば、最後貨幣価値毀損に行き着く。

日本必要としているのは、マネーの増量ではなく、生産性の上昇である

 

日本経済の復活とは「世界市場の荒波に投げ込まれ、勝ち残れる構造を作る」ことに尽きる。

自由貿易資本移動の自由化移民・高度人材の受け入れ、規制撤廃、競争政策の強化、企業統治改革

これらはすべて、同じ目的収束する。

すなわち市場価格メカニズムを最大限機能させ、資源配分最適化し、利潤動機を通じてイノベーションを誘発することだ。

 

グローバリズムを恐れる態度は、実のところ競争を恐れる態度であり、競争を恐れる経済は停滞を選ぶ経済である

保護短期麻酔であり、長期の毒だ。

日本が再び成長するために必要なのは国内ぬるま湯を温存する政策ではない。

世界市場という冷水飛び込み競争圧力を極大化し、創造破壊を起こし続ける制度設計である

 

日本経済復活の鍵は、グローバリズムの極大化だ。

感情ではなく、インセンティブ価格シグナルで世界を見ろ、という話である

Permalink |記事への反応(0) | 02:29

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2026-02-08

問:なぜ自民党が大勝したか? 答:民衆は強力なリーダー独裁者を求めた

今回の自民党の大勝を受けて野党支持者の皆さまは「愚かな日本国民」といつもの通り選民主義に陥っている様子です。

しか日本国民バカではありません。日本が窮地にあることを理解しています

生活は楽ではなく、少子高齢化は進み、GDPは追い抜かれ、仮想敵国中国経済的にも軍事的にも強大になっている。

「いま日本は滅亡に向かっている」というのが日本人の肌感覚でしょう。そしてそれは当たっています

日本危機にある、日本有事はすでに始まっているのです。

与野党ともに、日本の将来のグランドデザイン提示できていません。当然、普通に考えて現状はお先真っ暗ですから

日本国民は、民衆は「何かを変えるリーダー」を欲しました。言い換えれば、権力を誰かに集中させたがりました。

調整に奔走する、これまでの前例踏襲する「普通の」首相はいらないのです。

なぜ高市首相に人気があるのか?それは高市首相に人気があるから

歴史を振り返れば、このようなパターンはそれなりに発見されます

時代の流れに乗るものと、それを食い止めようとするものたちでは勝敗は明らかです。

ただし、いくら風が吹いても乗り越えられない壁もあります

憲法であり、既存法制度であり、参議院です。

憲法改正には参議院で2/3を確保する必要があります。このハードルは非常に高いです。

参議院任期6年で半数改選。3年ごとに選挙ですから、もし次の参院選自民が100議席とったとしても2/3には届きません。

あと5年この勢いを持続させる必要がありますので、非常に困難な道のりになるでしょう。

この国は強力なリーダーそもそも抑制する制度設計がされているわけですね。昔の人は賢いですね。

日本国民はとりあえず、相対的に大きな権力高市早苗に託しました。

どこに行き、どこにたどり着くものか、まずは見てみましょう

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

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anond:20260208184651

いや、「正しいと思ってる人が分かれてる=相対化=認知の話」

この三段跳び、成立してないんですよ。

人によって

・正しいと思う

・間違ってると思う

が分かれること自体は、

真理の性質じゃなくて

理解状況の分布の話なんですよね。

たとえば

「1は素数か?」

昔は教科書でも割れてました。

でも今は定義が整理されて

数学的には決着してる。

この間ずっと

認知割れてただけで、数学が相対化されたわけじゃないですよね。

今の話も同じで、

・射影すると区別できない点が生じうる

変数消去で自由度が下がる

これ、命題としては

真か偽かのどちらかです。

人が割れてるからって

命題が急に主観的になるわけじゃない。

で、望月新一を出した時と同じ構図なんですけど、

あなた

判断割れてる」

認知問題

「相対化」

って一本道にしてるけど、

その間にある

検証可能性難易度を丸ごと落としてるんですよ。

難しい話ほど

理解時間がかかる

・誤解も増える

から割れる。

でもそれは

真理が相対的からじゃない。

今回の件なんて、

極端に言えば

具体例1個で終わる話です。

そこに「相対化」持ち出すの、

スケール感が合ってない。

要するに、

・人が割れてる →社会的事実

命題が正しいか数学事実

この2つを混ぜた瞬間に、

「全部認知の話」って錯覚が生まれるだけなんですよ。

から結論シンプルで、

相対化されてるのは

評価理解であって、

命題のものじゃない。

そこ切り分けない限り、

何を持ち出しても

全部「認知の話」に見えてしまうだけなんですけど、

その区別、ついてます

Permalink |記事への反応(1) | 18:50

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東京女性アプリ選択肢が多くても婚姻率・出産率ともに低め

都心三区は上昇傾向と聞くが他の地域は晩婚化が進んでいて、日本に住む女性男性が選べても選ばない、永遠に次を探し続けて決断できていない現状がある。こだわりが強すぎ?

1.結婚率の現状

出生率:全国平均より低い(1.0〜1.2前後

男女比:アプリでは男性過多・女性少数 →女性優位

東京都婚姻数は全国で最も多いわけではない

人口は多いが、独身率も高く、結婚年齢が上がっている

30代~40代独身男性女性が多く、結婚に至らないケースが多い

選択肢が多いことが「結婚を遅らせる要因」になりやす

もっと良い相手いるかも」という心理決断先延ばし

2.出生率の低さ

東京都合計特殊出生率は全国平均より低め(2025年時点で約1.0台)

原因:

結婚年齢の上昇 →出産適齢期の減少

住宅費・生活コストが高く子どもを持ちにくい

独身割合が高く、パートナー出会う機会が少ない

3.選択肢の多さと結婚出産の逆説

選択肢が多い →相対的に「比較」重視 →結婚決断が遅れる

選択肢が多い →独身男性女性比率も高い →出会いがあっても結婚に至りにくい

結果として、出生率も低くなる

🔹まとめ

東京は「出会いの選択肢は多いが、結婚出生率は低い都市」と言える

競争は激しいが、結婚に直結するチャンスは意外と少ない

ーー

🔹戦略的示唆

東京

選択肢は多いが、結婚まで結びつく確率は低い

「外見・希少価値・会話力」で差別化しないと競争で負けやす

婚活効率は低め

地方都市

選択肢は少ないが、会話や共感力武器勝率を上げやす

地元コミュニティや紹介も活用でき、結婚出産に直結しやす

時間あたりの成果(効率)は高い

💡結論

首都圏は「選べるけど結婚出産には繋がりにくい市場

地方都市は「競争は緩く、結婚出産に繋がる効率的な市場

婚活目的短期結婚子ども意識)なら地方都市を狙う方が合理的

Permalink |記事への反応(0) | 12:07

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2026-02-07

anond:20260207175615

外交なら昔からやってるから今更な話だよ。

それに、核はともかくいま日本が軍備増強しても、制裁しようなんて国は中国ロシアくらいだと思うな。

韓国はどっちに倒れるか判らんけど、他の国は全く困らんし、むしろ日本中国ロシアの警戒対象として存在感大きくなれば喜ぶ国が多いと思う。

その2国からの圧が相対的に減るわけだし。

Permalink |記事への反応(2) | 18:00

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2026-02-06

自民党クソ喰らえ高市早苗は大嫌いだけど

SP500に投資してるから円安になる分にはホクホクなんだよね

どんどん日本破壊してもらって周りが貧乏になっていけば自分相対的に浮き上がる

こう考えるとまあどっちが勝ってもいいやって気になるな

円安頑張れ~

インフレ最高や!

Permalink |記事への反応(0) | 19:59

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