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はてなキーワード:直江津とは

2025-01-02

都道府県代表する工場を選んでみた(改訂版

anond:20241221201508

いろいろ意見をいただいたので改訂12道県で候補を入れ替えた。

指摘を受けたので全体的に製鉄所を減らして石油化学系を増やしてみたつもり。それでもまだ日本製鐵無双だけど。

北海道日本製鋼所M&E・室蘭製作所(室蘭市)

青森大平洋金属八戸製造所八戸市)

岩手:キオクシア・北上工場北上市)

宮城トヨタ自動車東日本本社工場大衡村

秋田TDK本荘工場由利本荘市

山形東北エプソン本社工場酒田市

福島小名浜精錬小名浜精錬所(いわき市

茨城日立製作所日立市工場群(日立市

栃木日産自動車栃木工場上三川町

群馬富士重工業SUBARU群馬製作所本工場矢島工場太田市

埼玉本田技研工業埼玉製作所完成車工場寄居町

千葉日本製鐵東日本製鐵所君津地区君津市)

東京東芝府中事業所府中市)

神奈川日産自動車追浜工場横浜市

新潟信越化学工業直江津工場上越市

富山YKK黒部事業所黒部市)

石川コマツ粟津工場小松市

福井UACJ福井製造所福井市)

山梨ファナック本社工場忍野村

長野セイコーエプソン広丘事業所塩尻市

岐阜川崎重工業岐阜工場各務原市

静岡スズキ・湖西工場(湖西市

愛知トヨタ元町工場豊田市

三重:キオクシア・四日市工場四日市市)

滋賀ダイハツ工業滋賀工場竜王町

京都サントリー天然水ビール工場京都長岡京市

大阪パナソニック・門真北、西地区門真市守口市

兵庫神戸製鋼所加古川製鉄所(加古川市)

奈良シャープ天理事業所天理市)

和歌山日本製鐵関西製鐵所和歌山地区和歌山市)

鳥取王子製紙米子工場米子市)

島根プロテリアル・安来工場安来市)

岡山ENEOS水島製油所(倉敷市

広島マツダ本社工場府中町、広島市)

山口UBE宇部ケミカル工場宇部市)

徳島日亜化学工業本社工場阿南市

香川三菱ケミカル香川事業所坂出市

愛媛住友化学愛媛工場新居浜市

高知:TOPPAN・エレクトロニクスプロダクツ高知工場南国市

福岡日本製鐵九州製鐵所八幡地区北九州市

佐賀ブリヂストン鳥栖工場鳥栖市)

長崎三菱重工業長崎造船所(長崎市)

熊本:JASM・熊本工場菊陽町

大分日本製鐵九州製鐵所大分地区大分市)

宮崎旭化成延岡市工場群(延岡市

鹿児島京セラ鹿児島国分工場霧島市

沖縄オリオンビール名護工場名護市)

以下、返信など

京都だけど島津はコレじゃない感

村田製作所京セラ、ニデック、オムロンロームGSユアサ本社はいろいろある割に意外にも大きな製造拠点がない。

三菱自動車とか三菱電機を選ばれても「?」という感じだし、知名度と「本社工場」の加点で言えば任天堂だろうけど、このリストではやや浮いてしまう。

消去法で最初島津製作所にしたけど、名前が挙がっていたのでとりあえずサントリーに変えてみた。関西資本だし。

栃木本田技研神奈川ENEOS根岸

日産はどっちかだけで良い気はするけど、どちらかには入れたいし、「じゃあどっち残す?」という所が。

かにLRTもできてホンダ栃木イメージ強いが、四輪の開発部門に対して、日産国内最大の製造拠点かつフラッグシップモデル作っているあたりでほんの少し上かなと。

シャープ亀山だけ20年前の記憶って感じ

2000年代に国内家電メーカーが見せた最後の輝きとその後の凋落ストーリー込みでここかなと思ったけど、今素直に選ぶならどう考えてもキオクシアですね。

愛媛住友化学創業地のイメージ今治造船とかも捨てがたい

そう考えると隠れた一つに絞りにくい県だな愛媛東予3市できれいに分かれているし。

瀬戸内のどこかで造船所を入れておきたい気持ちも確かに強いが、化学系が少ないのと、住友財閥歴史にやられてここは住友化学愛媛工場に変えてみた。

静岡県はバンダイホビーセンターに、富山はやっぱり製薬工場千葉キッコーマン埼玉赤城乳業

この辺り入れたい気持ちは分かるし、決して軽工業を軽視したくはないのだけど、やり過ぎるとよくある「各県の意外な生産額全国1位」とか「47都道府県トップ企業ランキング」と変わらなくなるので難しい所。

今のリストだと本社所在地創業地とそれ以外が大体半々なので、このぐらいのバランスで良いかと思っている。

ここまで書ける人ってどういう属性なんだろう

職業で言えば出版メディア関係で、挙げた所と関わらないこともないんだけど、ほぼほぼ地理旅行好きの趣味です。だからツッコミ所が多い

Permalink |記事への反応(0) | 17:11

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2024-12-23

https://anond.hatelabo.jp/20241221201508

県民として新潟違和感があったので名前が出てるところだけchatGPT君に任せてみた


信越化学工業直江津工場クラレ新潟事業所北越コーポレーション新潟工場亀田製菓亀田工場について、地域での存在感、各企業にとっての重要性、工場の規模を加味して順位付けし、それぞれの理由記載します。


1位:信越化学工業直江津工場

理由

地域での存在感直江津工場新潟上越市にあり、信越化学工業の中でも重要製造拠点の一つです。シリコーンなどの化学製品製造しており、その製品自動車電子機器建設医療など多くの産業に不可欠な素材として使用されており、国内外の多くの市場供給されています地域経済への貢献も大きく、地元企業物流業者にも影響を与えています

企業にとっての重要性:信越化学工業は、シリコーン半導体材料化学製品などを製造する世界的な企業であり、直江津工場はその基幹的な製造拠点として位置付けられています信越化学の業績にとって、直江津工場存在は不可欠であり、同社のグローバルな展開にも重要役割果たしてます

工場の規模:信越化学工業直江津工場は、シリコーン化学製品生産規模が非常に大きく、世界的な供給ネットワークにおいても重要位置を占めています製品多様性と規模からも、地域および企業にとって極めて重要です。

2位:クラレ新潟事業所

理由

地域での存在感クラレ新潟事業所は、新潟市にある化学製品製造拠点です。自動車電子機器向けの高機能材料生産しており、特に技術的な先進性があり、地域内でも重要企業として知られています地域経済への貢献も大きく、雇用創出や関連産業への波及効果が見込まれます

企業にとっての重要性:クラレは高機能材料を中心に多様な産業供給している企業であり、新潟事業所はその中でも重要拠点です。自動車エレクトロニクス向けの製品は、現在および将来の市場需要を見越して極めて重要です。新潟事業所は、クラレグローバル戦略において欠かせない位置にあります

工場の規模:クラレ新潟事業所は、特に機能材料生産を行っており、技術力と品質の高さが評価されています。規模としては信越化学直江津工場には及ばないものの、同社の戦略において極めて重要役割果たしてます

3位:亀田製菓亀田工場

理由

地域での存在感亀田製菓は、新潟県内でも非常に高いブランド認知度を持つ企業であり、亀田せんべいなどは全国的に有名です。亀田工場は、新潟市内に位置し、地域経済への貢献度が非常に高いです。地元雇用サプライチェーンにも強い影響を与えており、地元住民にとって非常に親しまれている企業です。

企業にとっての重要性:亀田製菓は、日本スナック業界代表する企業の一つであり、亀田せんべいは同社の中核商品です。亀田工場は、その生産拠点として不可欠であり、企業の業績に直結しています食品業界で安定した需要を維持しており、特に地域ブランドとして強い存在感を誇っています

工場の規模:亀田工場は規模的には信越化学工業クラレ工場と比べると小規模かもしれませんが、ブランド力や製品需要の安定性において非常に強い立場にあります製造拠点としては非常に重要位置を占めており、新潟市内での経済活動に大きく寄与しています

4位:北越コーポレーション新潟工場

理由

地域での存在感北越コーポレーション新潟県を代表する製紙企業であり、製紙業界内で一定認知度があります新潟工場は、印刷用紙や包装用紙などを生産しており、地域経済には重要な貢献をしていますが、食品業界化学業界に比べると、やや地域内での存在感は低い部分もあります

企業にとっての重要性:北越コーポレーションは、製紙業界の大手企業の一つであり、製紙業安定的需要が見込まれますしかし、技術革新のペースや市場競争が激化しているため、信越化学工業クラレほど急速にグローバル展開しているわけではなく、企業の成長においては化学業界企業に比べるとやや影響力は低い部分もあります

工場の規模:規模的には大きいものの、製紙業比較安定的であり、今後の需要市場競争においては限られた成長性を持っています製造業としては規模が大きい一方で、成長性や革新性では他の業界に遅れを取る部分もあり、順位は下がります


結論

順位は以下の通りです:

1.信越化学工業直江津工場

グローバルな市場での影響力、地域経済への貢献、工場の規模から最も重要工場

2.クラレ新潟事業所

機能材料生産における技術力と市場での位置けが強いが、信越化学には及ばず2位。

3.亀田製菓亀田工場

地域ブランド力と安定した需要が強みであり、地域経済への影響力も大きいが、規模面で他の工場に劣る。

4.北越コーポレーション新潟工場

安定した需要を持つが、技術革新市場競争においては化学業界に比べて成長性がやや劣り、順位は4位。

これらの順位は、各工場が持つ規模、技術力、市場での影響、地域経済への貢献などを総合的に評価した結果です。


以上

Permalink |記事への反応(0) | 12:26

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2023-05-23

しあわせいか直江津

Permalink |記事への反応(0) | 22:49

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2019-11-14

anond:20191114163008

北陸新幹線

佐久10万)、上田(15万)、長野(37万)、直江津高田(19万)、富山(42万)、高岡17万)、金沢(46万)

東北北海道新幹線

小山17万)、宇都宮(52万)、塩原12万)、郡山33万)、福島(29万)、仙台110万)、古川(13万)、一関11万)、水沢江刺11万)、盛岡(30万)、八戸(22万)、青森28万)、函館(25万)

上越新幹線

六日町十日町11万)、長岡(27万)、燕・三条(18万)、新潟(80万)

沿線人口が違いすぎるんだよなあ

羽越新幹線として秋田辺りまで延伸すればまた違うんだろうけど

Permalink |記事への反応(0) | 22:05

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2019-05-03

日本海北上している。

今年のGW10連休ですね。

みんな旅行とか行ったのかな。

移動時間がひたすら多い電車の旅をしました。

積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。

増田初心者なので不手際あっても許してね。


秋田行きの特急列車に乗っている。

新潟駅発の特急いなほ5号である

運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィークしかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席からなのだろうが。

当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席チケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。

窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。

奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。

そう、窓際の席とは山側なのだった。

初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである

列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である

新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。

さて、新潟平野自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である

そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まり富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまり日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。

富山駅を出たのは朝5時台の電車でだった。

富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しか富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店モーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業吉野家のみであった。

その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦唐揚げ、新鮮な蛍烏賊踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。

しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。

あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。

さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。

日本海は海が近い。個人的感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。

電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。

直江津駅には立ち売り駅弁がある。

大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。

到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。

電車旅の楽しみは駅弁である

電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色楽しいものだが、そこにご当地駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。

朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。

改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。

しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。

いただいたのは鱈づくし弁当であるしかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメ天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。

味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかスルメ天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います

流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。

そして今、新潟発のいなほ5号に揺られている。

今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。

点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である

わず口元も緩んでしまう。

駅弁とは随分と贅沢なものだ。

美しい景色を眺めながら、その土地食べ物いただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。

ここが機内食やなんかと違う所なのである駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。

反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。

また美しい旅は続く。少し眠ったら山形に入り、そうしたら鳥海山も見ることが出来るだろう。

長い文章を読んでいただいてありがとうございました。

Permalink |記事への反応(0) | 09:35

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2019-04-28

家計簿めも

4/27新宿新潟

途中で飲み物160

朝食1200?1500?

日本酒枡付き(お土産)3つ

コインロッカー400

バス新潟駅→水族館前210

水族館入場1500?

みどりの羽100

食事のどぐろ天ぷらとか

お土産ポストカード

お土産タンブラー

バス水族館新潟駅210

飲み物

酒造見学無料

テイスティング(15本くらい一杯づつ、おちょこ付き)500

ガチャ400

木枡

アクリル?枡グリーン

日本酒

博物館500

冊子600

浅田飴

お土産日本酒あゆベルワンカップ

ぽんしゅ館呑み比べ5杯500

お土産ぽんしゅ館枡

お土産八海山

お土産なんか枡

お土産令和日本酒枡付き

お土産なんか日本酒

食事タレカツとなんとかそばセット

A4ファイル

ズボン

宿泊

4/28

飲み物150

電車新潟直江津特急自由席

コインロッカー400

水族館

お土産クリアファイル

水族館出てなんかからあげ500

なんか名物だかの焼きそば500

なんか200

Permalink |記事への反応(0) | 15:40

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2016-04-01

新潟県は何地方なのか?まとめ

電力→東北電力(でもガスは北陸ガス新潟本社)

気象庁北陸に分類

国税庁関東信越(北関東3県と埼玉長野と一緒)

海上保安庁→第九管区(石川富山長野と一緒)

国土地理院中部地方に分類(ほとんど交流の無い名古屋まで一緒にされてる)

NEXCO東日本(ほぼ中部地方管轄NEXCO中日本から外れる)

NTT東日本

JR→主に東日本直江津以西はかつて西日本

NHK天気予報関東甲信越

衆議院議員総選挙比例代表ブロック北信越(北陸3県と長野と一緒)

高校野球秋季大会→(↑とほぼ同じ)

えきから時刻表北陸に分類

どん兵衛赤いきつね東日本

Permalink |記事への反応(3) | 21:06

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2010-01-31

朝鮮進駐軍

朝鮮進駐軍Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー

http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D

概要

一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人韓国人)、もしくは現在日本帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。戦後日本ポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物不法占拠鉄道飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民朝鮮進駐軍犠牲となり殺害されたとされている。

朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍パイロット軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人皇民)に対するあてつけとも言わた。組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日朝鮮人連盟。更にこれが在日大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在民団朝鮮総連となる。

時代背景

当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感犯罪者といったイメージ日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

朝鮮人による犯罪

朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎大阪神戸都心等当時朝鮮人比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

略奪・窃盗密売土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地建物の収奪も相次いだ。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

第八軍司令官ロバートアイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。

主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

阿仁村事件(1945年10月22日

生田警察署襲撃事件(1945年12月24日1946年1月9日

直江津リンチ殺人事件(1945年12月29日

富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日

長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日

富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日

坂町事件(1946年9月22日

新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)

首相官邸デモ事件(1946年12月20日

尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日

阪神教育事件(1948年4月23日~25日)

評定河原事件(1948年10月11日~12日)

宇部事件(1948年12月9日

益田事件(1949年1月25日

枝川事件(1949年4月6~13日)

高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)

本郷村事件(1949年6月2日~11日)

下関事件(1949年8月20日

台東会館事件(1950年3月20日

連島町事件(1950年8月15日

第二神戸事件(1950年11月20~27日)

四日市事件(1951年1月23日

王子事件(1951年3月7日

神奈川事件(1951年6月13日

下里村役場事件(1951年10月22日

福岡事件(1951年11月21日

東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日

半田一宮事件(1951年12月3日~11日)

軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日

日野事件(1951年12月18日

木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)

姫路事件(1952年2月28日

八坂神社事件(1952年3月1日

宇治事件(1952年3月13日

多奈川町事件(1952年3月26日~30日)

田川事件(1952年4月19日

岡山事件(1952年4月24日5月30日

血のメーデー事件(1952年5月1日

上郡事件(1952年5月8日

大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)

広島地裁事件(1952年5月13日

高田派出所襲撃事件(1952年5月26日

奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日

万来町事件(1952年5月31日6月5日

島津三条工場事件(1952年6月10日

醒ヶ井村事件(1952年6月13日

葺合*長田事件(1952年6月24日

吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)

新宿駅事件(1952年6月25日

大須事件(1952年7月7日

舞鶴事件(1952年7月8日

五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

参考文献

法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年

横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田枚方事件について』1954年

篠崎平治『在日朝鮮人運動1955年

大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年

新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年

名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年

瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年

山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年

宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年

大阪府警察編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年

警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年

兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年

愛知県警察編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年

青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年

坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年

警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年

思想の科学研究会編『共同研究日本占領研究事典』1978年

仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年

長崎県警察編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年

李瑜煥『日本の中の三十八度線民団・朝総連歴史現実―』1980年

福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年

山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年

警察文化協会編『戦後事件史』1982年

日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年

講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年

朴慶植解放在日朝鮮人運動史』1989年

百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本制度と実態』1990年

金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年

荒敬『日本占領研究序説』1994年

百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年

竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻外国人の取り扱い』1996年

秋田魁新報1945年

神奈川新聞1951年

西日本新聞1951年

『中部日本新聞1951年1952年

大阪新聞1952年

京都新聞1952年

神戸新聞1952年

山陽新聞1952年

中国新聞1952年

コピー終わり。

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