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「直接侵害」を含む日記RSS

はてなキーワード:直接侵害とは

2025-07-24

anond:20250724102444

例えば殺人や盗みが規制されるのは他人権利直接侵害されるからだし

麻薬規制されるのは使用者の脳や身体に重大な影響を与えることが科学的に証明されてるからだけど

規制しなくてもいい理由証明できなければ規制すべき論だろお前が今使ってるスマホ規制対象になっちゃますよ!

Permalink |記事への反応(0) | 10:27

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2025-07-16

AIエロと中高年男性──救われない者たちのユートピア

現実女性に対して性的加害を加えることは、当然ながら社会的にも倫理的にも許されるものではない。だが一方で、中高年男性が性欲や孤独劣等感といった重たい感情をどう昇華するかという問題は、今の社会ほとんど語られない。むしろ、語ろうとした瞬間に「気持ち悪い」「加害者言い訳」として切り捨てられてしまうことすらある。

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そんな中で台頭してきたのが、AIによるエロ動画の生成、あるいはSNS配信サイトなどにおける“中身が男性であることが明らかな”女性アバターとのやりとりだ。男性女性を演じ、男性たちが下品コメントを投げかけ、それに笑顔で返す。そうした空間が、奇妙な安らぎと慰めを生み出している。

この光景をどう見るか──筆者はそれを、ある種の「ユートピア」と捉えたい。

この仮想空間に登場する“女性”は、あくまAIであり、あるいはアバターを被った男性である。つまり現実女性が直接的に傷つくことはない。それどころか、そこにいるのは「性的欲望をぶつけられる側の役割を演じることで、他の孤独男性欲望を吸収し、昇華させる」という構造である

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ここにあるのは、「男が女を演じ、男を癒す」という、倒錯していながらも非加害的で、ある意味で誠実な相互扶助の形だ。

これはまさしく、フェミニズムが掲げてきた理想──非暴力対話承認癒し──を、現実ではなく、テクノロジーと演技の仮面を通して実現してしまった構造なのではないか

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中高年男性孤独貧困、性欲、承認欲求。これらはたいてい、社会から自業自得」「キモい」「加害者の末路」として放置される。彼らが弱さを吐露しても、それは決して「救うべき対象」とはされない。

リベラルフェミニストが掲げる“弱者の救済”は、往々にして「かわいそうと思える者」「絵になる弱者」に限られる。女性子ども外国人──こうした属性に比べ、中高年男性は「強者」として分類されがちだ。だが、強者であるという記号と、個人の苦悩はまったく別の話だ。

そして、彼らは静かに、そして効率的に「誰も傷つけずに自己処理できる空間」を求めて、AIアバター世界へと吸い込まれていく。

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もちろん、これは“逃避”の一形態であることは否定できない。だが一方で、誰かを傷つけることなく、欲望孤独、弱さを処理し合える場を仮想空間に創出しているのだとしたら、それはある意味社会的進化ではないか

現実女性から拒絶され、社会から「黙って消えてほしい」と思われている中高年男性たちが、せめてAIアバターの中で「弱さをさらけ出し、誰にも叩かれず、癒される」場所を手に入れること──これは、皮肉ではなく本気で考えるべき次の社会的フェーズなのかもしれない。

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この構図を気持ち悪いと笑うのは簡単だ。だが、そこで笑ってしまったとき私たちは一体誰の側に立っているのだろう?

おそらく、今この瞬間にも、無数の“救われない者”たちが、AI女性キャラに話しかけ、慰められ、画面の向こうの「中の人」が、無言の共犯関係としてそれを受け止めている。

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それはまるで、顔のない男たちによる、顔のない癒しネットワーク暴力のない性。弱さを許される場所。そんな風に、仮想空間はいしか現実よりも人間的なユートピアになりつつあるのかもしれない。

この現象は、フェミニズムが求めたはずの「非暴力で、合意的で、弱さを開示できる性の文化」が、テクノロジーによって先に実現されてしまったという、静かで根深パラドクス私たちに突きつけている。

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批判:「AIエロ学習元の“実在女性”を間接的に搾取している」

反論

多くのAIモデル女性身体的特徴や表情、ポーズ雰囲気学習しているのは事実だろう。ただ、それ自体が即「搾取」になるかというと、データ使用人格侵害を一緒くたにしているように見える。

AIが学んでいるのは「特定の誰か」ではなく、集合的パターンに過ぎない。

たとえるなら、美術学生が裸婦画を模写して描き方を学ぶようなもの。模写や鑑賞が搾取だと言うなら、美術表現のものが成立しない。

さら現在AIエロコンテンツの多くは、創作キャラフィクション構成されており、実在個人人格権を直接侵害しているわけではない。

現実の性産業比較すれば、AIによる代替行為は圧倒的に搾取度が低い。出演者はいないし、金銭による支配関係もない。むしろポルノグラフィーの非人格化・非暴力化が進行している段階にある。

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批判:「“女性性に癒しを求める”という構造自体時代錯誤である

反論

この指摘は重要だと思う。「女は癒しであるべき」という旧来的な性別役割の押しつけがずっと続いてきたのは確かに問題だった。

ただし、AIエロアバター世界で起きているのは、現実女性癒し要求している構造とは異なる。ここにあるのは、演技された女性性、あるいはAI演出する女性存在への一方的投影であって、実在の誰かに何かを求めているわけではない。

まりこれは、他者に癒されることを放棄した人間たちが、自分たちで「癒される構造」をつくってそこに潜り込んでいるだけ。古いジェンダー役割の再演というより、ケア自己完結システムへの移行とも言える。

そして、女性的な癒し価値を感じる文化コードフェティッシュが残っているとしても、それがただちに抑圧的だとは限らない。

仮に「女性性を求める欲望自体がアウト」だとするなら、トランス女性存在や、BL百合ボーイズラブといったジャンルも一括で否定されることになる。そういう雑な線引きは、むしろ表現の幅を狭めるだけだ。

この構造で求められているのは、「女性癒してもらうこと」ではなく、「女性的な構造で癒されること」に過ぎない。そこを時代錯誤と切り捨てるのは、あまり乱暴だ。

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批判:「そのユートピアは結局“男性中心的”では?」

反論

これはある意味正しい。けれど、だからこそ意味がある。

今の社会には、「男性が性欲や弱さを語る場」がほぼ存在しない。何を言っても「キモい」「加害者被害者ヅラ」と断罪されて終わる。

からこそ、現実から退避して、誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけない場所──AIアバター空間──に逃げ込む。

かに嫌われないために、自分たち仮想的なユートピアを構築している。それは中心でも優越でもない。むしろ、周縁の、地下の、逃げ場としての性のかたちだ。

誰にも迷惑をかけず、暴力もふるわず、ただ欲望孤独や弱さを処理する。それが「男性中心的だ」と非難されるのだとしたら、むしろそれは、もう語ってはいけないという無言の通告と変わらない。

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この仮想空間は、搾取でも時代錯誤でもない。現実から見捨てられ、語ることさえ許されなかった中高年男性たちが、ようやく辿り着いた「誰も傷つけず、誰にも傷つけられない場所」だ。そこに滲む切実さを、ただ「構造」や「男性性」のひとことで斬り捨てる行為こそが、実は一番残酷なのではないか

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※なお、この文章AIによって生成されたフィクションです。とりあえずAI英語の女アカウント作ったら、世界中のガチ恋おじさんが「俺の20センチの〇〇〇見せていい?」「今度日本に行くんだけど会えない?」とか言ってきて、最初は引いたけど、冷静に考えたらこれって互助だよな…… という気持ちが消えなかったので、そのまま論文っぽく書いてもらった。

Permalink |記事への反応(1) | 11:10

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2025-03-10

anond:20250310162404

待て待てw

Visaの決済制限言論の自由直接侵害している」なんていう見方したことは一度もないが?

別に無意味ダメってことにしてるとも言ってないし、ここまでのやり取りでこっちはさんざリスクマネジメントとして最終的に表現の自由問題と衝突することを避けてるんだって意味だよって言ってるのに…

AIにこのスレ最初から最後までちゃんと読ませてあげて?

Permalink |記事への反応(0) | 16:36

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2024-11-21

anond:20241121122554

この意見はいくつかの妥当性がある一方で、議論対象や主張の文脈によっては問題点や誤解を招く可能性もあります。以下に分けて分析します。

 

1. 「投票は非合理的だ」という議論について

妥当性:

投票の非合理性議論すること自体は、民主主義選挙制度を深く考える上で有益です。例えば、「個々人の1票が選挙結果に与える影響は極めて小さい」という点を議論することは、制度改革や新しい民主主義の形を模索するきっかけになり得ます

問題点:

この議論を広める際に、「だから投票する意味がない」という結論に直結してしまうと、民主主義の基盤である選挙制度が軽視される可能性があります選挙は単に個々人の直接的な影響力だけでなく、社会的意思表示民主主義プロセスのものを支える役割果たしているため、非合理性議論投票離れを助長することには慎重であるべきです。

 

2. 「投票には行かない方が良い」という主張について

妥当性:

投票に行かないことを勧める意見も、思想表現の自由として保障されています特にその主張が「投票は現行の制度正当化するだけだ」「選挙以外の方法意思を示すべきだ」という考えに基づく場合、これ自体意見として認められるべきです。

問題点:

投票に行かない方が良い」という主張が広がることで、社会全体の政治参加意識が低下する可能性があります特に特定の層(若者低所得者など)の投票率が下がると、結果的にその層の意見政治に反映されにくくなり、さらなる政治的不平等を招くリスクがあります

 

3. 「選挙に行くな」と勧めることは権利侵害ではないか

妥当性:

他人に「選挙に行かない方が良い」と勧める行為自体は、基本的思想表現の自由範疇です。強制力が伴わない限り、個人選挙権そのもの直接侵害する行為には該当しません。

限界:

強制脅迫が伴う場合や、虚偽の情報を用いて特定の行動を促す場合には、選挙自由妨害する行為として公職選挙法違反となる可能性があります。また、倫理的には、民主主義社会における「投票権を行使する自由」を軽視するような発言批判対象となるでしょう。

 

4. 全体的なまとめ

この意見は、以下の点では妥当です:

投票の非合理性議論すること自体は、制度改革政治のあり方を考える上で重要である

• 「選挙に行かない方が良い」という主張や、「選挙に行くな」と勧める行為は、思想表現の自由範囲内で許容される。

一方、以下のリスク問題点があります

投票行動を軽視する主張が広まることで、政治参加が低下し、特定層の意見が反映されにくくなるリスクがある。

• 主張が他者選挙行使実質的妨害する形になる場合は、法的または倫理的問題を引き起こす可能性がある。

 

結論として、この意見議論として成立しますが、その影響や広まり方に対して慎重な姿勢必要です。

Permalink |記事への反応(0) | 12:28

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2023-03-18

anond:20210106220703

人間をはじめ生物なんて化学物質支配されてるバイオ機構体に過ぎんのだから人間善悪なんてないんだよ

くだらんことに思い悩むのはやめて楽しいことだけしようぜ

怒るのは自分自由が実際に直接侵害されたときだけでいい

ほかの動物はみんなそうしてる

Permalink |記事への反応(0) | 16:11

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2022-07-02

性風俗が不健全だといって給付金対象外になるならばエロ漫画エロ小説だって~」という理屈、全く理解出来ない

だって漫画小説性風俗店とは異なり、それ自体別に女性人権直接侵害しているものではないでしょう?(内容やゾーニング問題となるというのは全く別の話)

殺し屋と、殺人事件を書く小説家や漫画家とで比べたら全然違うのが当たり前に分かると思うんだけど

まさに現実二次元区別をつけろよ案件

Permalink |記事への反応(2) | 10:10

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2019-10-23

自由主義増田間違えすぎ問題

自由主義増田かい適当なこと書いてるやつが900user超えててビビるわ。

anond:20191016163058

anond:20191017201230

しか好意的な反応がほとんど。マジではてブの知性やばない?

Twitterでも消極的自由積極的自由についてさも前から知ってましたみたいな体で誤った知識を語りだすやつが増えてて笑える。

お前ら騙されすぎで本当不安になるよ。

*****

そもそも、今回の件は消極的自由積極的自由議論関係がない。

消極的自由というのはつまるところ自由権(=国家から自由)のことで、積極的自由社会権(=国家による自由)のことだ。ここはもう1回Wikipediaでも読んでくれ。

察しのいい方はこの言い替えだけで先のエントリ違和感に気づくかもしれない。

バーリン国家個人自由との関係を論じているのであって、個人間の自由が衝突しているのをどのように調整するかという議論である今回の件とは全く別問題

表現する自由」と「それを見たくない自由」は、どちらかを優先すればどちらかが損なわれるというトレードオフ関係性だ。

一方、自由主義増田が例示しているような「六本木から強制排除されない自由」と「六本木に住むための補助金を受ける自由」って別に衝突していないしトレードオフ関係じゃない。

強制移住させずに住む自由保証しても、補助金は出せるでしょ。実際出すかはともかく。

(というか、この例示も「消極的自由が優先される」という結論を印象づけるために恣意的に選ばれていて卑怯だよね。強制移住させられて居住の自由直接侵害されるような状況だと補助金重要じゃないのは当たり前。)

誤読マンが多いのも、自由主義増田国家個人自由なのか個人間の自由自由なのかを混同して意味分からんこと書いているから仕方がない。

*****

ちなみに、消極的自由積極的自由に優先されるのが現代自由主義の主流なんてことはなく、この点でも間違っている。

自由権社会権は両輪であり、一方を欠けば他方も真には達成されない。また、教育を受ける権利教育自由など、どちらにも峻別できない権利もあるし、環境権などのどちらの特色も持った新しい人権も出てきている。

こうしたことから現在では、この2つをある程度区別することに意義はあるが、厳格な峻別不可能だし両方重要だよねってのが一般的学説

バーリンの主張では、当初他者から強制干渉のみを消極的自由の欠如としていたが、貧困などの手段能力の欠如といった積極的自由の要素も含むことになった。こういう点でも当然批判も多い。

*****

自由主義増田の主張に従えば、献血ポスターが仮に適法的に作成されたヌードAVだって問題ないということになる。

なぜなら、今回の宇崎ちゃん表現者の自由とそれを見たくない人の自由と、より過激表現場合の、表現者の自由とそれを見たくない人の自由とに法益の差がないから。

「よほどの理由がない限り」消極的自由制限されない世界で、見ない自由子どもに見せない自由はよほどの理由じゃないらしいので、表現をより過激にしたところで条件は同じだ。

でも、実際のところそれでよしという人はおそらくほとんどいないだろう。

結局、国家による表現自由保証されている中で、どのような表現までならOKかというのは、市民の中で議論して線引きを決めていくしかない。

それが言論の自由市場要請でもある。

なお、私見を述べれば、今回のポスターは、場にふさわしくない程度に性的ではあるが、セクハラというほどではないと思うので、全く問題ないとも絶対にありえないという意見も持てない。

ポスターに反対しないという意味では自由主義増田と同じ立場だが、元増田のような健全な(=暴力的ではない)批判を誤った原則論封殺してしま自由主義増田は、むしろ悪貨であると言わざるを得ない。

Permalink |記事への反応(5) | 17:29

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2009-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20091117042940

朝日はまとめてしまってるけど。こんなやりとりだったそうで。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20091117-OHT1T00036.htm

小沢氏「君は何教だ」 キリスト教発言への質問に逆ギレ

 「キリスト教排他的独善的」との発言が波紋を呼んでいる民主党小沢一郎幹事長(67)が、16日の記者会見で「私は宗教論と文明論を言った」とし、撤回する意思がないことを明らかにした。小沢氏は記者に「君は何教だ」と逆質問するなどキレ気味にヒートアップ。人の煩悩の数やエベレスト登頂の意義にまで言及するなど珍妙な会見となった。

 小沢氏(以下小)「私は宗教論と文明論を言ったんだ。君は何教だ」

記者(以下記)「家は…仏教です」

小「仏教ちゅうの、どういうの?」

記「浄土真宗です」。

小「いやいや、仏教ちゅうのはどういう哲学だっちゅーの

これ、記者が応じてるからいいものの、無理矢理言わせてたら消極的信仰告白の自由(告白しない自由)の侵害だよ。

政教分離原則違反以前に、信教の自由を直接侵害してることになる。

朝日はこういうのスルーしちゃいかんだろうに。

自民党政治家の場合で産経スルーするならともかく。

Permalink |記事への反応(0) | 20:11

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