
はてなキーワード:目眩とは
面倒だから食べないしてたので太らなかったし、太っても10~15kgならすぐ戻ったので、「痩せたいなら食わなきゃ良いのでは?」って思ってた&口にしてたけど、
医師からダイエットを勧められているなら医師の指示に従えばいいのでは?
歩いて食わなきゃそれだけで痩せる
家から一歩もでなくても食わなきゃ痩せる。筋力落ちるので良くはないが1ヶ月くらい週3日断食しつつしっかり寝れば8キロくらい痩せるで
https://anond.hatelabo.jp/20200509044411#
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味覚に過敏で許容値が狭いから
ワイは物理的に味覚が鋭い(スーパーテイスター)のと自閉傾向があるので極端に食の許容値狭いよ
同じものを食うくらいなら死なないので、2日程度なら断食を選ぶ
https://anond.hatelabo.jp/20210701125200#
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運動強度が低いのでスポーツをするための筋肉・美容的な筋肉をつけるには向かないってだけで
誰も有酸素運動を否定していないと思うぞ。フツーに自律神経に良い働きを与えるし、全身の筋力も適度に使う
あと痩せるのにも向かないが、それはウォーキングに限らずあらゆる運動がそうだからな
当たり前だが食べたら痩せないよ
もちろん筋肉量を上げて代謝を上げてカロリー消費を上げることはできるがそれにも限度がある
ハードなトレーニングしているアスリートがなんで食事制限をしているのか?って話ですよ
運動だけで無限に脂肪を減らせる(体重を減らせる)なら運動量を増やせばいいじゃないですか
脂肪は細胞膜の構成成分であり各種生理活性物質の原料であり恒温動物が体温を保つのに必要なものです
運動するたびにホイホイ減らしてたらまともに身体を維持出来ないので
運動しまくったら無限に痩せるみたいな作りには殆どの動物はなっていません
食べなくても体重が戻らなくなるの巻
あと、ジムで、「あれ?(測定すると)筋肉量が平均よりも上じゃん」だったのに、ついに筋肉量が平均になったわ・・・
あーーー基礎代謝が低すぎて、カロリー摂取量を上回れない時代の到来っすね
在宅勤務と引きこもりの弊害がここにきて来たか・・・。まぁ2年くらい前から気配はあった・・・
ワイ、在宅勤務になると数ヶ月一歩も家から出ないとか繰り返してきたけど、
数ヶ月、ウォーキングすらサボってたらアホみたいに体力落ちて老人以下の状態ナウやね
歩くの好きなので、GWフラフラ街や人気のない公園を歩いたんだけど、足裏が痛くなるとかではなく、
最近は断食してないのでたぶん低血糖じゃないと思うんだけど、コレはやべーなって感じ
階段でも息切れするし、Apple Watch でもめちゃめちゃ心肺機能落ちてる結果出とるな
脅すわけじゃないが増田が30歳以上ならウォーキングくらいはサボらない方がええぞ
ウォーキング無理な地域ならジムでランニングマシーンくらいサボらん方がええと思う
30歳以下なら余裕だと思うので思う存分ゴロゴロしてください
最近の流行りの映画やTVシリーズときたら、中身がないどころではない。
あれは世界全体の価値観のコンパスが壊れ、社会が完全にサイコ化した結果の、汚らしい産物だ。
自己陶酔的な映像の垂れ流しは、もはや自己放尿レベルの、どうしようもない醜態だ。
いや、制作者と視聴者がお互いの糞尿を讃え合うダブル放尿の図、と言い直すべきか。
我々が今消費している「エンターテイメント」は、人間の業や社会の矛盾をえぐり出すどころか、三つの致命的な病に侵され、脳味噌が腐った結果の映像化だ。
一つ目の病、そして最も悪質な癌細胞は、「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」が逆差別の権化へと変質したことだ。
かつては「不当な差別を是正する」という建前だったものが、今や「差別者(白人男性とされる)を罰する」という集団リンチの道具に成り下がった。
物語における「公正さ」は、冷徹なロジックや真実の追求ではなく、「弱者と定義されたグループを常に善とし、それ以外のグループを悪役、愚者、あるいは無能として配置する」という、幼稚で露骨な加点・減点法に置き換えられた。
その結果、何が起きるか。ストーリーの必然性やキャラクターの有機的な成長は無視され、配役や設定がまず「ポリコレのチェックリスト」によって決定される。
優秀でカリスマ的なリーダーは、特定のマイノリティから選ばれなければならない。従来の主人公像、例えば白人男性などは、無能な脇役か、過去の過ちを悔い改める象徴としてしか描かれない。
これは、物語の毒気を抜いたのではない。物語そのものを、政治的なプロパガンダの道具として捻じ曲げ、特定の層への「逆差別」を公然と行うという詐欺行為だ。
この歪んだ手法の結果、生み出されるキャラクターはステレオタイプな正義感にまみれた、薄っぺらい張りぼてとなり、観客の心に響くはずがない。
二つ目の病は、世界規模の承認欲求の暴走であり、三つ目の病は社会全体のサイコ化だ。
コンテンツは、「誰かに褒められるため」に設計された空虚なパッケージと化した。深みも葛藤も、真の痛みもない。
あるのは、「私たちは正しい」という安っぽい自己満足だけだ。さらに、この感情の鈍麻したサイコな時代では、人々は感情の機微ではなく、過剰な暴力や極端な設定というジャンクフード的な刺激を求める。
ポリコレという名の検閲棒で殴られ、創造性を失った制作者は、その空虚さを埋めるために、表層的なショックや混乱を物語にぶち込む。
パパである私が適応障害になるまでと、なってからのこれまでを綴りました。
男女問わず同じように悩まれている方にとって、自身を見つめ直す機会になれば幸いです。
また、これは妻や家庭を責めるような意図ではなく、症状が発症するまでの状況と状態の記録となります。
長文となりますが、必要な部分をお読みいただければと思います。
アラフォー、妻と子供の3人家族。これまで家庭が波風立たずに生活することを第一に考え、家事育児と仕事を両立してきた。周りから見ると家庭状況や夫婦関係は良好で、夫婦間の会話が不足するということも一切なかった。
平日も家事育児は半分ずつ、夜中に仕事を再開する。仕事が忙しいときは3〜4時間の睡眠で朝は子供の担当をするような生活だった。
夫婦として子供第一で子育てに必死な状態であった。(祖父母には頼れない状況)
しかし、ある時期からひとりで家事をしていると突然希死念慮(自死願望)が湧き上がってきたり、不眠や動悸・目眩が襲ってくる機会が増えてきた。そして、妻への愛情が薄れ、触れられることや目を合わせることができなくなっていた。
最初は自分でも理由がわからなかった。ただ、一人になりたいという強い欲求があり、家庭から逃れたいと思うようになった。妻とは子供を介してでしか関係が成り立たないような感覚になっていた。
心療内科を受診し、**適応障害**と診断された。環境ストレスが原因で心身に不調をきたす病気であった。
ちなみに仕事へのストレスはなく、むしろ仕事をしていることが救いとなっている。
当初、妻は私の異変に気づいていたようだが、精神的な病気ではなく、単に機嫌が悪いだけだと思っていたようだ。
しかし、私が病状を伝えると、妻は泣いて謝ってくれた。「すまなかった、これまでの自分が間違っていた」と言い、「2人でずっと一緒にいたい」と伝えてくれた。
その後、妻は行動を変えようと努力を始めた:
妻の努力は理解できた。10年近い付き合いと様々な困難を乗り越えてきた経験から、以前の私なら心が動いていたはずであった。
さらに深刻だったのは、妻の「善意」そのものがストレス要因になっていることであった:
私はその場では笑顔で応えていたが、実際は限界に近い状態であった。
別問題として、妻は積極的にスキンシップを取り、夜の行為も求めてきた。2人目の妊娠も希望していた。
私からは「すまないが、今は2人目の妊娠は考えられない」と伝えており、妻も了承してくれていた。
妻も夫婦関係を修復するための一環として行っていた。私は義務感で応じていた。
しかし、これが私を決定的に追い詰めた:
この頃、より強く離婚を考えるようになった。
医師に状況を詳しく報告すると、深刻に受け止められた。これまでの経緯を整理して伝えた:
医学的には「妻や家庭と距離を置くこと」を推奨されているが、子供がいる手前、簡単に離婚に踏み出せない。
この病気と向き合う中で、最も辛いのは「正解がわからない」ことである。
一方で、医師からの「治療上の環境調整が必要」という判断は、私にとって大きな救いとなっている。感情的な決断ではなく、医学的根拠に基づいた選択として進められるからである。
ただ、医学的根拠があったとしても、子供のいる家庭を簡単に解消することはできないと考える自分もいる。
このままいけば鬱になるとも言われており、自分でも「鬱になるだろう」とは感じている。
今はまず妻に本音を伝えきることから始めようと思う。一日一日を大切に、自分の心と向き合いながら、最善の道を見つけていきたい。
本当はもっと妻と真剣に向き合い、時には喧嘩してでも本音を「伝える」ということができていれば良かったのだろうと反省している。
また明日が来たらいいな。
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この記録が適応障害治療中の個人的な体験記録として、同様の状況にある方の参考になれば幸いですが、必ず専門医にご相談ください。
今も当時のように映像が思い出されるし、未だに海辺を通行するときは高い場所を考えながら行動する。
誰も責任負えないから警報を出し続けるしかないし、最悪の事態を考えて電車も停めてしまう。
その結果、どれくらいの人が帰宅困難になったのか。
これじゃあ津波の実害よりも責任問題を恐れるあまりに取った行動による二次被害のほうが大損失になってるだろって話。
なかったから良かったではなくて、そこはちゃんと見極めようよ。
気象庁がびびって警報やら注意報やらを取り下げられないだけで、そのせいで電車も商店も次々に営業を停止してその中で大きな損失が生じてしまってたら意味ないだろって。
自分たちは損害を被ってないからいって問題じゃなくて、これは回り回って経済という形で自分たちの首を締めることになる。
会社だって慈善事業じゃなければ損失は取り返さなくちゃいけなくて、その分は当然価格に転嫁される。
鉄道というインフラだって資金がなくなれば採算が取れない路線から廃線される。
そういうの全部当たり前につながっている中で、海岸沿いにいかなければ波にさらわれるようなことのない数十センチの津波でここまでの経済活動を止めるはやりすぎでしょ。
報道見てると彼らも大騒ぎしたほうが美しいみたいな感じになってて目眩がする。
コロナもそうだったけど、いつになったら国民は正しく恐れることができるようになる?
何も学んでないよ。
困ったらお金配ってもらって、そのせいで起こったインフレにも文句ばっかりたれて、結局そうやって外に不満ばかり言いながら環境に殺されていくじゃん。
もうちょっとなんとかしていこうぜ。
降臨して、本は買わなかったらしいが、ペンネームを名乗ったうえで、ジャンル作品ゆかりのお菓子をサークル参加者全員に配り歩いた、らしい。
伝聞の形をとっているのは、原作者がそうしたことを匂わせる投稿をしていたのと、サークル参加者側がその時の様子を克明に記録しているふせったーから知ったからだ。
一般レーベルから出ているライトノベル。シリーズ10冊以上刊行されている。
主役級登場人物AとBの、緊密なやりとりや人間関係に、ひそかにBL要素を見出し楽しんでいる読者も、恋愛要素抜きに強い人間関係に面白さを感じている読者もいるだろう。
当然、BL愛好家の読者層を意識した販促をされていた。某BL特化通販サイトで新刊を買うと、書き下ろしおまけ冊子が付くこともあったくらいだ。
しかし一般レーベルなので、明確にABとかBAとか、決め打ちする描写はなかった。身体的接触も健全な程度に留まる。あくまでも距離が近いだけ。話の本筋も、主人公たちの人間の成長物語に終始していた。
そして今秋に最終巻が出て、シリーズ完結予定。
密かにABだとかBAだとか、いやはやABAだとか、そもそもCPじゃない、強烈なブロマンスなんだと、そんなふうに楽しんでいるオタクがXもといTwitterにたくさんいる。いたと思う。
最後まで関係性の描写は曖昧なまま読者に委ねられ終わるのだろう、そんなふうに思っていた矢先に、原作者が突然、特定CPオンリーに差し入れのお菓子と共に現れたというではないか。
イベント開催翌日の出勤前にTLをなんとなく眺めていたときに、ABサークル参加者の興奮隠しきれないふせったーがおすすめ欄に現れた。その内容と、原作者のアカウントでサークル参加者に差し入れたであろうお菓子の写真を目にした時、目眩がした。
瞬間的に、原作者は根ではABだったんだと感じた。
これまでAとBの関係は、BLでもそうでもないでもどちらでもと原作者本人が言っていたこともあったのに。それでもわざわざ、CPオンリーを調べて足を運ぶとは、そういことではあるまいか。
作品に書かれてることなら、折り合いがつけられる。読了後に本を閉じて、黙って去ればいい。
逆CP者の僻みと思うだろうか。
刊行分の原稿を書き終えたタイミングで、直近で開催されていたのがそのCPオンリーだったから。
別にこれで左右が決まったわけでもない。
この原作者の行動だけ見たら、ああこの人は作品には出さないけどAB贔屓なんだなと思うのでは?
無邪気に無意識に、やりたいようになさっただけでしょう。なら、なおさらつらい。
ご自身の行動が、BL愛好層が読者の大半を占めるだろうジャンルの性質もあいまって、錦の御旗になりかねないことを意識できなかったのか。
秋口にジャンルオンリーもあるようです。そちらではダメだったのだろうか。
しかしたとえ、この後にBAのサークル参加者の方にも原作者がやってきて、お菓子を差し出したとして素直に受け止められるだろうか。
ただ起こった事実は、
原作者が特定のカップリングオンリーへ参加して、読者全体のうちのさらに限られた一部の人間であるサークル参加者にのみ、名を名乗り、感謝の気持ちと称して菓子を配って周った
ということだけです。
サークル活動をしない人間の方が大勢だろうに、その中でもさらに特定CPのサークル参加者にだけ差し入れをなされた。
その他の何万部数を書店で手に取り読んできただろう読者は、ファンレターをしたためた読者は、サークル参加はしなくても好きをいろいろに表現して布教に余念のなかった読者は、SNSに登録していないだろう読者は、見えない知らないと突き放された気分です。
そんなおつもりは毛ほどもないのでしょう。だからこそ苦しいのです。
わざわざ調べてこのイベントに出向かれたはずです。サークル数分のお菓子を用意して。CPオンリーと知らなかったとおっしゃられる方が、余計に苦しい。
ここ数年刊行のたびに、はやる気持ちでページをめくっていた私の存在は、透明化してしまったのでしょうか。
作品を通してであれば、どんな世界でも受け止める覚悟ができていただけに、失望した。
せめて名乗らないで欲しかったし、受け取った方も菓子を原作者から手に入れたことは秘しておいて欲しかった。
作品の外で、作品の傾向を決めかねない行動を取らないで欲しかった。
しかし人は誰の思う通りにもできないのが常だ。
だからきっとこのようなことを原作者はなされないだろうという期待をしていた私がおかしいのです。
そこまで作品を愛好してくれる人に直接会いたかったのかもしれない。お菓子を渡したかったのかもしれない。
原作者がよくSNSでやり取りをしているのも、ABの愛好家が多いのも知っている。だからかもしれない。
神の気まぐれにより、浮き足立って、にわかに錦の御旗を手にした側にはわからないだろう。
むしろ、AB愛好家たちは自分たちの頭上にそんな旗がひらめいていることすらわからないのかもしれない。
選ばれた側には、選ばれなかった側の身も千切れるような悲しみと苦しみはわからない。
選ばれた側に、そんなつもりはないだろうから気にしすぎだと言われても、まったく響かない。
BAの愛好家の中には、信じてきた解釈をにわかに突き崩されて「あなたは実は想定したお客さんではなかったのです」と言われたような気持ちの人もいるでしょう。
あるいはAとBをいわゆるカップリングとみなさず、恋愛に限らず強い信頼のもとに結びついた稀有な関係として愛していた人も、同じくではないでしょうか。
それならば某中華ジャンルのように最初からABしか認めないと書いてあればよかった。そのまま受け取れた。
ここまで追ってきて、違いますと言われたも同然の経験をすることもなかった。
私情は読書体験のノイズになりかねないから、私は原作者をフォローしない。
私はアルゴリズムで流れてきたふせったーのインプレッションの多さに何かあったのかなと読んでみて、引っ掛かりを覚えて、勝手に原作者のSNSまでいき、答え合わせをして、勝手に落ち込んでいる。
作品と作者は違うと信じていたが、そうでない場合もあるらしい。
私はこの作品を愛していました。
繊細な言葉遣いで、世の中で置いて行かれてしまった隅の方に優しく灯りを向けてくれたから。
クィアな人々がいて、中でもアセクシャル(と思われる)人物の生き様や言葉には、自身のセクシュアリティに関する自己肯定感をすこし持ち上げてくれた。そんな力があった。
AとBが傷つきながらも足場を固めて未来へと進む姿に、清々しさと美しさを感じて好ましく思っていた。
宝物だった。
だからこそ、自分含むこのCPオンリーに参加していない読者すべてが置き去りにされたような気がして、悲しかった。
作家業も長くBLもお好きなようなのに、自分が書いている作品の読者層が、お菓子を配りたい!という気持ちから起こした行動に、どう反応するのかも理解できていなかったのだろうか。
完結記念にファンミーティングやサイン会を開きます、その手土産が作品ゆかりのお菓子です!
それならきっと楽しい思い出になっただろう。
今後、そのような催しが企画されたとして、いまさら行くかと問われたら、迷ってしまう。
そもそも私はこの気持ちのまま最終巻を手に取ることができるのでしょうか。
解釈には自由があると信じていただけに、そういう読み手への信頼も同時に原作者の文章から感じていただけにただただ悲しみを覚えている。
ここまでの積み重ねをひっくり返されるなら、せめて最終巻を読むことで散り、泣きながら去りたかった。
これ以上醜くなる前に、一足早く、ここから去ることにしました。
立つ鳥跡を濁さずを貫こうとも思いましたが、しかしこの程度の匿名の落書きでファンの分断が招かれることもないでしょうとも。そんなつもりはないんだよと仰ったみなさまです。
同時に、同じ苦しみを抱えているかもしれない人に向けてでもあります。あなた一人だけではないです。
同じ作品を愛していた人には、これだけでいったいなんのことかおわかりでしょう。
相応の報いがあっただけです。
どうか探さないでください。
私はこれまでに読んで受け取った言葉たちを思い出という名の宝石箱にしまって、去ります。
みなさんも、信じたいものを信じてください。
私の道のりはここまでのようです。
泣き言だけなのに、長くてキモいね。本当にごめん。
Permalink |記事への反応(35) | 20:11
まず、中国を腐すようなYoutubeチャンネルって沢山あるし結構伸びてるという事実がある
なにげに2000年代よりも反中韓のネット民は多いのかもしれない
こういうチャンネル、たまに面白がってみていたんだけど(大抵くだらなくて途中でと止めるが)
いくつか見てみよう
・塩・醤油が語る人口の嘘 14億人→実は5億人 統計隠蔽の闇、世界が暴露
・【衝撃】中国の人口“5億人説”が現実に!?統計隠蔽と失業地獄の裏側【ゆっくり解説】
・【ゆっくり解説】6億人が消える中国!光はどこ行った…死者と失踪者しかいない地獄国家に。
・【ゆっくり解説】中国人口14億人もいない!?実際が5億人…!統計隠蔽でとんでもない事実が発覚。
・北京・上海・広州・深センの人々はどこへ行ったのか?中国7〜8億人しか残っていない?
コメント欄は皆信じているようだ
うける
んで、何でこんなの流行ってるんだ?と思ったら、まさかの出所は中国だった
なんなら「元から少なかった」ではなく「最近◯億人消えた」と思ってる人が多いようだった
草
ChatGPTとClaudeで経緯を調べてもらった
1.2023年、ハッキングによる人口統計情報から「10億人しかいないかも」と言い出す
Newsweekというデマメディアが拡散している(厳密には学者が言ってるのはほんとうだからデマではない論法)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/03/post-101105_1.php?utm_source=chatgpt.com
お前らの反応もおもろい
2.2024年、塩・電力・SIM 解約数など根拠が脆弱な代替指標を “AI で再計算した” と称し、「実人口 8~9億→7億→5億」と次々に数字を下げて動画化
3.2024年、中国の景気の冷え込みにより、町から人が消え、「今までいた人はどこへいったんだ!?」となった
4.少子化により総人口が減る中で、「本当はもっと少ないのでは」という憶測が広まる
5.2024〜2025年、日本のゴシップメディアやYoutuberへの輸出
人口ってなかなか数えられないし、体感の範疇を超えているからね
たとえば「実は日本の人口は8000万人」と言われても即時の反論は難しいと思う
個人的には、10億人くらいなら「言ったもんがちじゃん」と思ったけど、5億人はさすがに「ちょっとは考えろ」と思った
色んな統計の辻褄が3倍規模で合わなくなってくる、それを誰にもバレずにやりきるのは至難の業だ
ChatGPTやClaudeにどう反論できるか聞いてみた
ChatGPT
・携帯電話解約数(COVID期に2000万件減→「死者2000万!」と飛躍)
・塩・セメント・夜間光量などマクロ統計を人口に直結させる無理筋ロジック
・国連2100年予測(「2100年に7億」を“今の人口”と誤読)。
・新版住民身分証の累計 14 億件超(累計発行は旧版分も含め16 億超)
・モバイル契約 18.1 億回線、10億人なら平均1.8回線になってしまう
・電力消費量、10億人なら1人当たり9.8 MWh(ドイツ並み)
・小学生 1億 0754 万人だが、10億人なら子どもの割合が高くなってしまう
・穀物生産 706Mtでなお大豆・トウモロコシを輸入してるが、10億人なら余るはず
・VIIRS 光量は 2013–2024 年で右肩上がり
Claude
・中国では人民代表大会の代表選出や党員数などの政治参加の規模が公開されています。共産党員だけで約1億人、全国人民代表大会の選挙には数億人が参加する仕組みになっており、10億人では政治システム自体が成り立ちません。
・大学受験(高考)の受験者数は毎年1000万人を超えています。また小中学校の在籍者数も公開されており、これらの数字から逆算すると10億人では年齢構成が極端に偏ることになってしまいます。
・世界銀行、IMF、国連などの国際機関も中国の人口統計を独自に分析・推計しており、これらがすべて14億人前後の数字を出しています。中国政府だけでなく、複数の国際機関も同時に騙されているという前提が必要になります。
まあそりゃそうなんだよね
ていうか、「実は少なかった」はまだしも「5億人くらい消えた(コロナで死んだ)」って言ってるやつら大丈夫かよ
おもろい
ぼんやりつらいなーと、人格否定されたり不幸が続いて思ったので人生をまとめて現状を言語化してみた
まだ記憶が曖昧な頃ですが、保育士に備品に傷を付けた件で猛烈に叱られたことを覚えており、今でも思い出して身体が固まります。
「死」という概念を知りどうしょうもない恐怖に苛まれ、家族も自分もいずれ何もかも死ぬんだ、どうせ苦しんで死ぬのに勝手に生み出すなんて酷いと両親を呪い始めたのがこの頃からだと思います。
母親が育児ノイローゼになり、仕事を辞め、家賃が安いエリアに引っ越し幼稚園へ行くことになりました。
特にイジメなどは自分の主観ではありませんでしたが、遅刻癖とぼんやりとした不快感不安感を抱えて過ごしていました。
区域が近い女子生徒3人と登校することになりました。ウマが合わないのか失言をしたのか(1人が父親不在家庭だったためそれを聞いたのが引き金かな?と思いますが幼少期なので理由はわかりません)ハブられを受けました。登校時は親の目があるので特になにもしませんが帰宅時は先に進んでニヤニヤしながらこっちを見てきて自分が近付いてきたらまた遠ざかってうわ来たwみたいなことを言ってくるタイプのハブられでした。ある日限界になって泣いたら収まりましたが、当時の自分はまた友達に戻れたと馬鹿正直に思っていました。
休み時間に遊ぶ仲良しグループでハブられました。態度が偉そうだからクビとリーダー格の女子に言われ、行く場所がないので毎日休み時間は下駄箱の前で泣いていました。
高学年になるとそれまでよりも上手く立ち回れるようになり、中学受験組が内申を気にし始めたのか目立った奇行をする子供も減りなんとか他人と談笑したり図書室や階段の踊り場に避難したりするようになりました。それでも学校にいるのはつらかったので定期的にトイレで泣いていました。
しかしこの頃から父親がアルコール中毒の片鱗を見せ、母と常に深夜まで喧嘩していました。DSで見れるインターネットのアニメ・マンガの二次創作サイトだけが心の拠り所でしたが、定期的に没収されたり壊されたりしました。居場所はありませんでした。
親がうるさくて気が滅入る、なんだかめんどくさいという抑鬱症状であまり風呂に入れなくなり担任に度々注意されました。
地域の繰り上がり中学校に入学。制服は買ってもらえましたが入学して校章のピンズ500円かかることが判明しました。祖父母のお年玉以外のお小遣いをもらったことがないので買えませんでした。校章をつけてない自分は担任に指導室に呼び出されました。結果的に教師からピンズを貰ったのですが、それから発達かボーダー?で1日1回は歩き回ったり暴れたりして授業がおじゃんになるような生徒が何回席替えしても近くに配置されました。この中学校には支援級のようなものはなかったです。
このストレスで過敏性腸症候群を発症し学校にいる間はおならが止まらなくなるようになりました。病院には行かせてもらえなかったです、金が無いらしいので
ある時休み時間に走り回る他害くんが近付いてきたので怖くて反射で突き飛ばしました 暴力沙汰として指導室に呼び出されました。一方的に詰められあの生徒に配慮をしろと言われしんどくなって泣きました。
多分そこで明確に学校側からの監視対象になったんだと思います。
父親のアル中が悪化し家庭内は荒れに荒れました。なんかずっと物が飛び交ってた気がします。同時に母親も現在ネットでよく見るような陰謀論、統合失調症のような言動が増えました(盗聴器、車が追いかけてくる、創価の集団ストーカー、盗撮されてる、喋った言葉が迷惑メールに反映されてるなど)かなり社交的な人でしたが段々と塞ぎ込んでいきました。
あの頃からずっと離婚したい離婚したいと叫んでいる母親の姿を鮮明に思い出せます。死ぬ間際まで同じことを言っていたので。私の存在のせいで離婚に踏み切れなかったのか、経済的に不可能で諦めていたのか、もう死んでいるので聞けません。
最終的に小便を撒き散らしながら外で暴れた父は警察を呼ばれ閉鎖病棟行きになりました。
この時期は精神が限界だったので正直仔細をよく覚えていません。
同時期に自分は軟式テニス部で先輩と同級生とコーチに虐められてました。仲良しグループと一緒に入部したので抜けられなかったです。(今思えば自分にだけ強い球を出しからかわれ雑用にこき使い物を隠されたりしてたのを静観してただけのあの人たちは仲良しでもなんでもないな)でも当時はその人たちしか人間関係がなかった。3年になってやっと登校を共にしていた人と一緒に部活を抜けられました。その人と一緒に美術部に入りましたがその人は先に男女グループに入り、自分は既存グループや後輩グループにも入れず一人で下手な漫画絵をカリカリ描いてるだけの時間を過ごしてました、結構つらかったです、自分にだけ男女グループで付き合ってるとか遊びに行ったとかの情報回ってこなかったし、校外部活動は一人だったし
同級生と話を合わせるために好きな人がいる設定を作ったり流行りの漫画を履修するためにブックオフに通ったりの努力をしましたが居場所はなかったです
常に疲れており、死にたかったです。
両親に生活保護の申請を打診しましたが謎のプライド発揮して申請してなかったですね。自営で年収300万に届いていなかったし世帯主は閉鎖病棟ぶち込まれたし入れ違いに働き始めた母親もそんなに貰ってなかっただろうし貯金も聞く限りなさそうだったし通りそうでは?とは思うんですけど今でも。
頑張って揃えた漫画を全て売られていた時はもうそういう星の下に生まれたんだなと何も感じませんでした。
3年になって受験のために塾に通う必要が出てきましたがそんな金はないため、市の「志望校に受かったら助成金返済不要」制度を使って通いました。同級生がいそうな地元の塾に行くのはいじめられそうで怖かったので2駅先の塾に自転車で通いました。落ちたら終わりなので退路がなくてつらかったです。塾は進学校コースに女子4人クラスになりましたが自分だけ明らかに浮いてて会話についていけてませんでした。担当の若い男性教師にはオタク趣味を開示してないのに「◯◯さんって腐女子?(笑)」と言われました(その時代の腐女子は汚い芋女オタクみたいな意味が強くあった)他クラスも混じっての談笑の場でも会話に入れず浮いてましたね。
受験の時期に謎に担任に呼び出されて素行不良で内申を下げると言われました。意味が分からなかったしこのままでは中卒になると絶望して号泣発狂しました。後から聞きましたが担任は自分の周りの生徒にあいつは危険だから関わるなと触れ回っていたらしいです。高校は受かったから内申はなんとかなったんですかね
そういえば中学時代学校以外で誰かと遊びに行ったとか1回もないな〜
結果的に都内で偏差値60程度の平均よりちょっとマシくらいの公立高校に進学しました。これも自転車で20分だったのでまた私立高生や電車通学生より圧倒的に「金がかからない」人間になれました。学費は出してもらえることになりました。お小遣いはないのにバイトは禁止されました。
周囲は"つまらない学校"と自虐する風潮がありましたが自分にとっては義務教育動物園より治安が圧倒的に良く陽キャが褒めそやされるわけでもなく陰キャがイジメられるわけでもない"そこそこの知能と常識を持つ者のつまらなさ"が集う場所は今までで2番目にマシでありがたかったです(1番は現状、年単位で人と会話しなくてもいい引きこもりのこの現状です)自分のようなつまらない人間がいてもいい場所でした。陰キャなりにオタクっぽいグループにも属せて、美術部に入ってオタクの話をして、ただ会話してくれる人間はいましたが1番の友達になってくれる人はいませんでした。みんなそれぞれ楽しくて面白くて魅力のある人間関係を既に築いており、自分のような低能の入る隙はどこにもなかったです。
同時に入学頃からもう発達が炸裂し始め、(入学前の必須勉強をしない、遅刻、傾眠、易疲労、無断欠席)帰宅後即疲労で寝る生活を繰り返し全く勉強も出来なくなりました。 無事呼び出しをくらいまくる劣等生と化しました。3年の単位は本当は赤点だし追試や追加レポートも出してないのに何故か卒業したので謎の慈悲をかけられたのだと思います。職員室の前であいつはもうどうしようもないと言っているのが聴こえました。
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受験は入学金を期日までに払い忘れ(そもそも私立に行く金はないと言われ国公立に行く学力もあのありさまなので無く)他県の公立を受験しに行き遅刻して当然落ち、浪人し、バイトして金を溜めましたが毎日疲れて寝ていたので勉強は全くせず見かねた父親が通信制大学(学費が30万くらいで安い)を勧めてきたので仕方なくそれにしてまた「金のかからない」人間になりました なんで子供にせめて大卒資格は取れと言うのに大学の金出さないんだろうとは思いましたがどうせ元アル中の他責の未診断ASDで話が通じない相手だし暴れられてもダルいしどうでもよかったです 自分は私立の大学に親金で行ったくせに。
キラキラ大学生活を見るのが苦しくて数少ない高校の知り合いのいるリア垢からログアウトし、誰とも連絡を取らなかったのでその後10年ほど誰とも会いませんでした。特に声をかけられるわけでもなかったのでつまらない人間性を強く実感しました。
清掃バイト先でもふんわりとイジメというか嫌味を言われることが多かったです。寡黙でキョドキョドしているので「昔いじめられてたんじゃない笑」「空気悪くなる」「顔可愛いよね(お世辞でも言わないレベルで奇形です)」優しいおばあちゃんが場を仕切っていたので業務に差し支えはありませんでしたが。
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自由な時間と金ができたこのタイミングでスプラトゥーンに出会いました。はじめてつらい現実を忘れ熱中出来るものに出会いました。1000時間くらいやりました。実況配信も見始めました。好きなものを楽しそうにやっているコミュニティは煌めいて見えました。勉強はしませんでした。
オーバーウォッチに出会いました。5000時間以上やりました。1日10時間以上やってました。
エーペックスに出会いました。その後上に同じくです。
ヒプマイの流行経由でハイローを観ました。数年ぶりにバイト以外で外出し映画を見に行きました。5年ほどROMだったツイッターを作り二次創作をはじめました。
その後熱が冷めてきた頃に母の様子がおかしいことに気づきはじめました。
■
3年前母親が腹水の溜まった状態でみつかり余命一ヶ月と言われ、介護が始まりました。
妊婦のように膨れた奇形の姿はフラバする都度目眩がし視界が暗くなります。
自分は同じ部屋で暮らしながら何となく気付いていながら何もしなかったので、自分が殺したようなものです。
その頃自分はずっと寝続けて週一でバイトしてゲームで現実逃避する生活だったのでトイレ飯風呂以外で部屋から出ずエンカウント頻度はあまりありませんでした。
母の部屋は壁や家具が糞便に濡れゴミ屋敷だったと掃除した父親が言っていました。自分の部屋もゴミ屋敷なので認知が歪んでいて良く分からなかったです。
救急車で運ばれ余命宣告された日に凄まじい感情の波に襲われ(今思うとあれが人生で1番の発狂だったと思う)次の日はじめて精神科へ行き抗鬱剤と抗不安剤を出されました。
母が死ぬ、世話をせねばならないのに傾眠は治まりませんでした。近くで痛い助けてと叫ばれたり父に揺すられても起きれません。ケアマネの人には合鍵で入ってもらってました。
介護は主にオムツ替え、薬の処方、身体の清掃、食事提供、絶叫が聞こえたら医療用麻薬の貼り付けなどです。非力なので腹が膨れた人間の体勢を変えられず何度も本人から使えねえと言われ突っ張り棒か何かで叩かれました。
自力で介護用ベッドから這い出ようとして落ちた母親をどうしても持ち上げられず、そのまま放置した時は酷い罪悪感に苛まれました。
■
母が死にました
翌日喪服のまま同人誌即売会に行きました。その頃よすがにしていたカプのオンリーでした。絨毯買いしましたが今も大半は読んでません
多分ハマっていると思い込むことで全てから逃げていました 人生の己の選択全てがそうなので、そうなんだと思います
半年ほど寝たきり半絶食状態になり体重が33キロとかになって肋骨が浮いててウケました。常に悪夢を見るようになり寝るだけで疲れ、起きてもフラバが続き、全てが恐ろしくなり、不眠と過眠を同時発症しました。
眠剤が出され始めました。
母本人は骨は海に撒けと言いましたが娘が父方の親戚との縁を切らさないためにと骨は秋田の墓に入れることになってました。骨壺ごとではなく骨は他の人と纏めてザラザラと同じ墓に入れる風習だそうです。あんなに憎んでいた父といずれ一緒くたにされるのはあまりにも憐れだと思いました。
なので骨壺から全部骨を出して畳に並べて全てに紫のペンでマークをつけました。途中で帰宅を早めた父に見つかり死人を侮辱するなと怒鳴られました。生きてる間はなにもしなかったくせに。
その後誰もいない時また骨壺を開けて形のいい
納骨時に最後に入れるはずの喉仏の骨(あれ本当は喉仏じゃないらしいですね)が中にはいってないのに気づいたお坊さんの怪訝な顔は面白いので今でも思い出せます。
骨は硬いカルシウム剤の味がしました。しまってその後は開けてないので今見たらカビてるかもしれません。海に撒けと言っていたのに、憎んでいた父方の墓に入れられたのに今はタッパーに入れられてるなんて哀れであとちょっと胸のすく思いがします。
寝たきりのままですが1ヶ月ほどして少しずつ絵を再開しました。ゲームをすると親を見殺しにしたのにお前はのうのうと遊ぶんだという思考に飲まれドーパミンが出なくなったから仕方なくでした。手を動かしているとある程度の頻度で過集中しフラバが来づらくなり、あと絵を描くことは別に楽しいと思わないから、体力も消耗しづらいから、仕方なくです。本当に絵ってつまらないし出来上がったものもつまらない
waisを受けました。結果凹凸ありボーダーな感じでその時確定で発達とは言われませんでした。
その後機会があり診断書を書いてもらいました。鬱ASDADHDでした。過眠不眠が無いのが意外でした。
同時に提出用の自分の人生と症状を書き連ねる作業をしました。客観的に見る人生はあまりにも無価値で無様で半狂乱になり泣きました。
■
1年後祖母が死にました。元々北海道にいた徘徊認知症で、トラブルを起こす度に母が飛行機に乗って処理して手を焼いていたので東京に越させ母親と自分が自宅介護していましたが母が死んでから叔父のもとで施設入居していました。それ以前はかなり地域支援センターにお世話になりました。動ける認知症だったのでかなりハードな介護で母親はノイローゼ気味で、統失の症状も増えていたように思います。介護期の自分は抑鬱が酷く判断力も低下しておりあまり手伝えていませんでした(まだ鬱とかの自覚がなかった)自分の気力がわかず外に出れず母の葬式の時から一度も会えずに、死にました。後悔しています。
■
ここまで来てようやく己の弱者性と未来のなさを本当の意味で受け入れ始めました。
同時にもうどうでもいいやと非常に破滅的で反社会的な行動を繰り返すようになり、そういう自分を良心に苛まれながらも開きなおって肯定しようとしています(詳しくは書けません)
常にフラバに怯え、特発性傾眠に怯え、虚無感と希死念慮に怯えて覚醒時間を過ごしています。過眠症で10〜20時間寝るので生産的なことがまるでできません。眠剤が上手く作用しない時は悪夢が来るので寝るだけで疲れます。
特に何も楽しくないです。何かを楽しいと思ったこともないです。母親が死んでからゲームを人生から奪われたのでドーパミンもアドレナリンも意識して出せません。何かの虚構コンテンツに熱狂するふりをして生の苦痛と覚醒している時間を誤魔化しています。
"みんな"が楽しそうにしていることの中で一人で出来るものを真似して自分は今快楽を得ているんだと思い込もうとしています。
絶っていた人間関係を少し回復させて"交友関係のある健常者"になろうと努力するフリをしています。
■
みんなみたいに友達がほしい
核兵器になれないなら早く殺せよ。
生きたくないというより苦痛はもう要らない
お前たちは何が良くて生きてるの?気持ち悪いんだよ
己が裁かれますように。
ぼんやりつらいなーと、人格否定されたり不幸が続いて思ったので人生をまとめて現状を言語化してみた
まだ記憶が曖昧な頃ですが、保育士に備品に傷を付けた件で猛烈に叱られたことを覚えており、今でも思い出して身体が固まります。
「死」という概念を知りどうしょうもない恐怖に苛まれ、家族も自分もいずれ何もかも死ぬんだ、どうせ苦しんで死ぬのに勝手に生み出すなんて酷いと両親を呪い始めたのがこの頃からだと思います。
母親が育児ノイローゼになり、仕事を辞め、家賃が安いエリアに引っ越し幼稚園へ行くことになりました。
特にイジメなどは自分の主観ではありませんでしたが、遅刻癖とぼんやりとした不快感不安感を抱えて過ごしていました。
区域が近い女子生徒3人と登校することになりました。ウマが合わないのか失言をしたのか(1人が父親不在家庭だったためそれを聞いたのが引き金かな?と思いますが幼少期なので理由はわかりません)ハブられを受けました。登校時は親の目があるので特になにもしませんが帰宅時は先に進んでニヤニヤしながらこっちを見てきて自分が近付いてきたらまた遠ざかってうわ来たwみたいなことを言ってくるタイプのハブられでした。ある日限界になって泣いたら収まりましたが、当時の自分はまた友達に戻れたと馬鹿正直に思っていました。
休み時間に遊ぶ仲良しグループでハブられました。態度が偉そうだからクビとリーダー格の女子に言われ、行く場所がないので毎日休み時間は下駄箱の前で泣いていました。
高学年になるとそれまでよりも上手く立ち回れるようになり、中学受験組が内申を気にし始めたのか目立った奇行をする子供も減りなんとか他人と談笑したり図書室や階段の踊り場に避難したりするようになりました。それでも学校にいるのはつらかったので定期的にトイレで泣いていました。
しかしこの頃から父親がアルコール中毒の片鱗を見せ、母と常に深夜まで喧嘩していました。DSで見れるインターネットのアニメ・マンガの二次創作サイトだけが心の拠り所でしたが、定期的に没収されたり壊されたりしました。居場所はありませんでした。
親がうるさくて気が滅入る、なんだかめんどくさいという抑鬱症状であまり風呂に入れなくなり担任に度々注意されました。
地域の繰り上がり中学校に入学。制服は買ってもらえましたが入学して校章のピンズ500円かかることが判明しました。祖父母のお年玉以外のお小遣いをもらったことがないので買えませんでした。校章をつけてない自分は担任に指導室に呼び出されました。結果的に教師からピンズを貰ったのですが、それから発達かボーダー?で1日1回は歩き回ったり暴れたりして授業がおじゃんになるような生徒が何回席替えしても近くに配置されました。この中学校には支援級のようなものはなかったです。
このストレスで過敏性腸症候群を発症し学校にいる間はおならが止まらなくなるようになりました。病院には行かせてもらえなかったです、金が無いらしいので
ある時休み時間に走り回る他害くんが近付いてきたので怖くて反射で突き飛ばしました 暴力沙汰として指導室に呼び出されました。一方的に詰められあの生徒に配慮をしろと言われしんどくなって泣きました。
多分そこで明確に学校側からの監視対象になったんだと思います。
父親のアル中が悪化し家庭内は荒れに荒れました。なんかずっと物が飛び交ってた気がします。同時に母親も現在ネットでよく見るような陰謀論、統合失調症のような言動が増えました(盗聴器、車が追いかけてくる、創価の集団ストーカー、盗撮されてる、喋った言葉が迷惑メールに反映されてるなど)かなり社交的な人でしたが段々と塞ぎ込んでいきました。
あの頃からずっと離婚したい離婚したいと叫んでいる母親の姿を鮮明に思い出せます。死ぬ間際まで同じことを言っていたので。私の存在のせいで離婚に踏み切れなかったのか、経済的に不可能で諦めていたのか、もう死んでいるので聞けません。
最終的に小便を撒き散らしながら外で暴れた父は警察を呼ばれ閉鎖病棟行きになりました。
この時期は精神が限界だったので正直仔細をよく覚えていません。
同時期に自分は軟式テニス部で先輩と同級生に虐められてました。仲良しグループと一緒に入部したので抜けられなかったです。(今思えば自分にだけ強い球を出しからかわれ雑用にこき使い物を隠されたりしてたのを静観してただけのあの人たちは仲良しでもなんでもないな)でも当時はその人たちしか人間関係がなかった。3年になってやっと登校を共にしていた人と一緒に部活を抜けられました。その人と一緒に美術部に入りましたがその人は先に男女グループに入り、自分は既存グループや後輩グループにも入れず一人で下手な漫画絵をカリカリ描いてるだけの時間を過ごしてました、結構つらかったです、自分にだけ男女グループで付き合ってるとか遊びに行ったとかの情報回ってこなかったし、校外部活動は一人だったし
同級生と話を合わせるために好きな人がいる設定を作ったり流行りの漫画を履修するためにブックオフに通ったりの努力をしましたが居場所はなかったです
常に疲れており、死にたかったです。
両親に生活保護の申請を打診しましたが謎のプライド発揮して申請してなかったですね。自営で年収300万に届いていなかったし世帯主は閉鎖病棟ぶち込まれたし入れ違いに働き始めた母親もそんなに貰ってなかっただろうし通りそうでは?とは思うんですけど今でも。
頑張って揃えた漫画を全て売られていた時はもうそういう星の下にうまれたんだなと何も感じませんでした。
3年になって受験のために塾に通う必要が出てきましたがそんな金はないため、市の「志望校に受かったら助成金返済不要」制度を使って通いました。同級生がいそうな地元の塾に行くのはいじめられそうで怖かったので2駅先の塾に自転車で通いました。落ちたら終わりなので退路がなくてつらかったです。塾は進学校コースに女子4人クラスになりましたが自分だけ明らかに浮いてて会話についていけてませんでした。担当の若い男性教師にはオタク趣味を開示してないのに「◯◯さんって腐女子?(笑)」と言われました(その時代の腐女子は汚い芋女オタクみたいな意味が強くあった)他クラスも混じっての談笑の場でも会話に入れず浮いてましたね。
受験の時期に謎に担任に呼び出されて素行不良で内申を下げると言われました。意味が分からなかったしこのままでは中卒になると絶望して号泣発狂しました。後から聞きましたが担任は自分の周りの生徒にあいつは危険だから関わるなと触れ回っていたらしいです。高校は受かったから内申はなんとかなったんですかね
そういえば中学時代学校以外で誰かと遊びに行ったとか1回もないな〜
結果的に都内で偏差値60程度の平均よりちょっとマシくらいの公立高校に進学しました。これも自転車で20分だったのでまた私立高生や電車通学生より圧倒的に「金がかからない」人間になれました。学費は出してもらえることになりました。お小遣いはないのにバイトは禁止されました。
周囲は"つまらない学校"と自虐する風潮がありましたが自分にとっては義務教育動物園より治安が圧倒的に良く陽キャが褒めそやされるわけでもなく陰キャがイジメられるわけでもない"そこそこの知能と常識を持つ者のつまらなさ"が集う場所は今までで2番目にマシでありがたかったです(1番は現状、年単位で人と会話しなくてもいい引きこもりのこの現状です)自分のようなつまらない人間がいてもいい場所でした。陰キャなりにオタクっぽいグループにも属せて、美術部に入ってオタクの話をして、ただ会話してくれる人間はいましたが1番の友達になってくれる人はいませんでした。みんなそれぞれ楽しくて面白くて魅力のある人間関係を既に築いており、自分のような低能の入る隙はどこにもなかったです。
同時に入学頃からもう発達が炸裂し始め、(入学前の必須勉強をしない、遅刻、傾眠、易疲労、無断欠席)帰宅後即疲労で寝る生活を繰り返し全く勉強も出来なくなりました。 無事呼び出しをくらいまくる劣等生と化しました。3年の単位は本当は赤点だし追試や追加レポートも出してないのに何故か卒業したので謎の慈悲をかけられたのだと思います。職員室の前であいつはもうどうしようもないと言っているのが聴こえました。
受験は入学金を期日までに払い忘れ(そもそも私立に行く金はないと言われ国公立に行く学力もあのありさまなので無く)他県の公立を受験しに行き遅刻して当然落ち、浪人し、バイトして金を溜めましたが毎日疲れて寝ていたので勉強は全くせず見かねた父親が通信制大学(学費が30万くらいで安い)を勧めてきたので仕方なくそれにしてまた「金のかからない」人間になりました なんで子供にせめて大卒資格は取れと言うのに大学の金出さないんだろうとは思いましたがどうせ元アル中の他責の未診断ASDで話が通じない相手だし暴れられてもダルいしどうでもよかったです 自分は私立の大学に親金で行ったくせに。
キラキラ大学生活を見るのが苦しくて数少ない高校の知り合いのいるリア垢からログアウトし、誰とも連絡を取らなかったのでその後10年ほど誰とも会いませんでした。特に声をかけられるわけでもなかったのでつまらない人間性を強く実感しました。
自由な時間と金ができたこのタイミングでスプラトゥーンに出会いました。はじめてつらい現実を忘れ熱中出来るものに出会いました。1000時間くらいやりました。実況配信も見始めました。好きなものを楽しそうにやっているコミュニティは煌めいて見えました。勉強はしませんでした。
オーバーウォッチに出会いました。5000時間以上やりました。1日10時間以上やってました。
エーペックスに出会いました。その後上に同じくです。
ヒプマイの流行経由でハイローを観ました。数年ぶりにバイト以外で外出し映画を見に行きました。5年ほどROMだったツイッターを作り二次創作をはじめました。
その後熱が冷めてきた頃に母の様子がおかしいことに気づきはじめました。
3年前母親が腹水の溜まった状態でみつかり余命一ヶ月と言われ、介護が始まりました。
妊婦のように膨れた奇形の姿はフラバする都度目眩がし視界が暗くなります。
自分は同じ部屋で暮らしながら何となく気付いていながら何もしなかったので、自分が殺したようなものです。
その頃自分はずっと寝続けて週一でバイトしてゲームで現実逃避する生活だったのでトイレ飯風呂以外で部屋から出ずエンカウント頻度はあまりありませんでした。
母の部屋は壁や家具が糞便に濡れゴミ屋敷だったと掃除した父親が言っていました。自分の部屋もゴミ屋敷なので認知が歪んでいて良く分からなかったです。
救急車で運ばれ余命宣告された日に凄まじい感情の波に襲われ(今思うとあれが人生で1番の発狂だったと思う)次の日はじめて精神科へ行き抗鬱剤と抗不安剤を出されました。
母が死ぬ、世話をせねばならないのに傾眠は治まりませんでした。近くで痛い助けてと叫ばれたり父に揺すられても起きれません。ケアマネの人には合鍵で入ってもらってました。
介護は主にオムツ替え、薬の処方、身体の清掃、食事提供、絶叫が聞こえたら医療用麻薬の貼り付けなどです。非力なので腹が膨れた人間の体勢を変えられず何度も本人から使えねえと言われ突っ張り棒か何かで叩かれました。
自力で介護用ベッドから這い出ようとして落ちた母親をどうしても持ち上げられず、そのまま放置した時は酷い罪悪感に苛まれました。
母が死にました
翌日喪服のまま同人誌即売会に行きました。その頃よすがにしていたカプのオンリーでした。絨毯買いしましたが今も大半は読んでません
多分ハマっていると思い込むことで全てから逃げていました 人生の己の選択全てがそうなので、そうなんだと思います
半年ほど寝たきり半絶食状態になり体重が33キロとかになって肋骨が浮いててウケました。常に悪夢を見るようになり寝るだけで疲れ、起きてもフラバが続き、全てが恐ろしくなり、不眠と過眠を同時発症しました。
眠剤が出され始めました。
母本人は骨は海に撒けと言いましたが娘が父方の親戚との縁を切らさないためにと骨は秋田の墓に入れることになってました。骨壺ごとではなく骨は他の人と纏めてザラザラと同じ墓に入れる風習だそうです。あんなに憎んでいた父といずれ一緒くたにされるのはあまりにも憐れだと思いました。
なので骨壺から全部骨を出して畳に並べて全てに紫のペンでマークをつけました。途中で帰宅を早めた父に見つかり死人を侮辱するなと怒鳴られました。生きてる間はなにもしなかったくせに。
その後誰もいない時また骨壺を開けて形のいい
納骨時に最後に入れるはずの喉仏の骨(あれ本当は喉仏じゃないらしいですね)が中にはいってないのに気づいたお坊さんの怪訝な顔は面白いので今でも思い出せます。
骨は硬いカルシウム剤の味がしました。しまってその後は開けてないので今見たらカビてるかもしれません。海に撒けと言っていたのに、憎んでいた父方の墓に入れられたのに今はタッパーに入れられてるなんて哀れであとちょっと胸のすく思いがします。
寝たきりのままですが1ヶ月ほどして少しずつ絵を再開しました。ゲームをすると親を見殺しにしたのにお前はのうのうと遊ぶんだという思考に飲まれドーパミンが出なくなったから仕方なくでした。手を動かしているとある程度の頻度で過集中しフラバが来づらくなり、あと絵を描くことは別に楽しいと思わないから、体力も消耗しづらいから、仕方なくです。本当に絵ってつまらないし出来上がったものもつまらない
waisを受けました。結果凹凸ありボーダーな感じでその時確定で発達とは言われませんでした。
その後機会があり診断書を書いてもらいました。鬱ASDADHDでした。過眠不眠が無いのが意外でした。
同時に提出用の自分の人生と症状を書き連ねる作業をしました。客観的に見る人生はあまりにも無価値で無様で半狂乱になり泣きました。
1年後祖母が死にました。元々北海道にいた徘徊認知症で、トラブルを起こす度に母が飛行機に乗って処理して手を焼いていたので東京に越させ母親と自分が自宅介護していましたが母が死んでから叔父のもとで施設入居していました。それ以前はかなり地域支援センターにお世話になりました。自分の気力がわかず外に出れず母の葬式の時から一度も会えずに、死にました。後悔しています。
ここまで来てようやく己の弱者性と未来のなさを本当の意味で受け入れ始めました。
同時にもうどうでもいいやと非常に破滅的で反社会的な行動を繰り返すようになり、そういう自分を良心に苛まれながらも開きなおって肯定しようとしています(詳しくは書けません)
特に何も楽しくないです。何かを楽しいと思ったこともないです。母親が死んでからゲームを人生から奪われたのでドーパミンもアドレナリンも意識して出せません。何かの虚構コンテンツに熱狂するふりをして生の苦痛と覚醒している時間を誤魔化しています。
"みんな"が楽しそうにしていることの中で一人で出来るものを真似して自分は今快楽を得ているんだと思い込もうとしています。
絶っていた人間関係を少し回復させて"交友関係のある健常者"になろうと努力するフリをしています。
核兵器になれないなら早く殺せよ。
生きたくないというより苦痛はもう要らない
お前たちは何が良くて生きてるの?気持ち悪いんだよ
己が裁かれますように。
ちょこちょこ増田に書いているのだが、自己破産手続き中の者だ。
自己破産申請に向け、色々な書類が必要になるのだが、その中に二ヶ月分の家計簿がある。
家計簿というか、なんだ?収入と使った金額を「食費」「生活費」みたいに分けて記録するやつ。
自分にもこれくらいできらあ!と思っていた。
PayPayやデビットカードで支払うことにより、リアルタイムで使った金額を記録できる。それを計算して紙に書くだけだ。
ただ、それだけなのに、今の自分には「イーヤー。ヤダヤダ」とちいかわのキャラのセリフが浮かんでくる。心の底から拒否感が出る。やりたくない。やれないわけではない。時間だってたっぷりある。しかし、金の使い道を、記録する、これだけ単純なことなのに、心底吐き気がする。
金の使い道なんて自由にさせろ!と自己破産になるまで自由にやってきたのに、心の底から拒否したくなるし、している。
これはなんなんだ、行くべきところは弁護士事務所じゃなくて病院なのか?
それは単なる甘えだ、やる気なんて行動に移せば出てくる、とかいうのは受け付けない。行動に移したものの、紙に単なる0(自分には配偶者がいないので、その分は当然0と記載する)を記入するだけで、冗談ではなく冷や汗と目眩がするんだ。
勉強が出来ない人間だから耐え性がない?自分は田舎で勉強し、ストレートで早慶合格決めて進学した人間だ。受験勉強で「嫌でもやる」を身に着けてないわけがない。
助けてくれ
先天性の疾患があり常に目眩や吐き気に襲われていて、立ったまま電車に乗るのは難しい。だけれど、電車に乗らずに生活することは出来ない。働いてお金を稼がなければ飢えて死ぬからだ。
最近、ヘルプマークをつけていない時に、お爺さんから席を譲れと怒鳴られた。通院の日で、いつもと違うカバンを持っていた。健康そうに見えるのは損である。
老人も妊婦もいいよな。老人が優れない体調なのは老いてからだけ、妊婦が優れない体調なのは妊娠してる間だけ。
自分は生まれてから死ぬまでずっとこの吐き気と目眩と倦怠感とその他もろもろの不調と一緒に暮らしていくのに。なんで若いだけで席を譲ってやらなきゃダメなんだ。
なんでヘルプマークつけなきゃ優先席に座ったらダメなんだ。そもそもヘルプマークとか付けたくない。「肉体の性能が人より劣っています」って烙印を身につけないといけないんだ。
まず朝起きられない、フレックス勤務じゃなかったらとっくに遅刻でクビか減給になってると思う
慣れた開発メンバーとのコミュニケーションは問題ないのだが初対面の人間と話すのが苦痛で仕方ない、営業とか接客とか不可能
そもそも興味のない仕事に対して微塵もやる気が湧かないので事務職とかも無理だろう
咄嗟の判断が積み重なるとパニックを起こすこともあり、免許は持ってるけど車の運転ができない
さらに病気とかではないのだが貧弱で身体を激しく動かすとすぐ目眩がしてくるのでなるべく涼しい静かな場所でじっとしている必要がある
一方で、他の人が無理だという技術の勉強は楽しくて仕方ないので休みの日とか関係なく暇さえあれば勉強して趣味でプログラミングしている
徹夜でコード書くのもウェルカムだし、テストも結構好きだったりする
過集中なので何もかも忘れて作業に没頭できるのもいい