
はてなキーワード:目的意識とは
娘の進学について、もし自分と似た所があったら何を助言できるかなぁと考えて過去を整理したので、ここに書き留めておくことにする。
中学受験コースに通い四科目の勉強を始めた。途中から社会の勉強がつまらなくて(楽しんで覚えられなくて)、二科目コースに移った。すると受けられる学校の幅が狭くなり、その中には強く行きたいと思う学校も無かったので、嫌になって中学受験コースから学校のサポートコースみたいなコースに編入した。
サポートコースは受験コースと比べると当然易しい内容で、簡単すぎると感じることもあった。
中学に上がると流石に高校受験を目指すコースになったが、そこでは上位クラスをキープできた。小学校の頃の助走があったこと、最初から三科目で行くと割り切っていたことも大きかったと思う。五科目で理科社会をやっていたら潰れていたか、結果的に総合的な偏差値を下げていたと思う。(社会は相変わらず覚えられなかったので……)
夏期講習や夜遅くまでの授業、正月特訓などを経て、無事に高校受験には成功した。
さすがに塾に通うことにはうんざりしていたので、絶対に予備校なんて行かない、大学の付属校に行くぞという気持ちで付属校ばかりを受けまくり、五校のうち四校に合格した。
高校ではその後、色々な点で苦しみながらも、友達や趣味に恵まれそれなりによい思い出を持った状態で卒業することができた。
苦しみについて補足すると、学校の授業で学び、家で宿題をするという当たり前の習慣に馴染めなかった。要するに勉強するモチベーションが沸かなかった。鬱に近い状態であったと思う。
勉強しなくてもちゃんと成績が取れる、という世界線を望んでいたのだと思われる。しかし自分はそのような天才ではなかったので、普通に悪い点を取ってはしょげてた。
それを認識した上でも、まだ勉強することに面白みを見いだせない時期が続いた。勉強は苦しみであった。もしも、目的意識がある、学問領域としての面白さに気付く、得意な科目で無双する、楽しんで競争する、といったことが出来ていたら、また違ったのかもなぁと思う。
そういう意味では情報の授業では割と無双してHTMLやJavaをやっていたかもしれない。
あとは、試験勉強を友達と学校やファミレスでやるというのも、楽しかったな。それに、そこで救われていたとも思う。
その反省も踏まえ、エスカレーターで進学した大学ではこの勉強が次にどう繋がっていくか、ということを少しは考えていたと思う。
B1は学部内で学科が分かれずに、B2で振り分けがあるタイプだったので、行きたい学科に行くためにはよい成績を取らなければならない、しかもこの学習はB2の基礎になるはずだ……とまでは考えたのかは覚えていないが、それなりに頑張ったと思う。
学科への振り分けも決まると、ようやく勉強と職業との繋がりが見えるようになってきて、学んでおきたいというモチベーションは増えた。またB3では研究室配属があるため、行きたい人気の研究室に入るためには良い成績を取らないとなぁという観点でも、諦めたりすることは無かった。
また、サークルに参加したのも良かったし、普段から内部進学の友達やB1でクラスが一緒だった友達とつるんでいたのも良かった。サークル活動に励んだり、喋ったりご飯を食べたりするのは楽しかったし、必然的に情報交換をして、頑張ろ〜なのかやんなきゃ〜なのか分からないけど、勉強のモチベーションになっていたのかもしれない。
サークル活動が専攻の内容ともリンクしていたことも価値があったと思う。これってどういうことだ?という疑問がサークル活動の遊びの中から生じて、別に宿題でも何でもないけど図書館に行って調べたり、活動の成果物を作るためにあれこれやったりしていた。
この頃は結構成績も良くなってきて、専門科目は一部を除いて良くできていた気がする。
そんなこんなで気になっていた研究室にも入ることが出来て、やりたい分野の企業にも就職することができた。今の仕事にも満足している。
勉強の苦い経験というのは、成長しているということであり、多かれ少なかれ苦しむことになると思う。その時に折れないで頑張れるかどうかは、自分の経験では目的意識と交友関係が大事だったのだと思う。
娘には、色々な事に興味を持てるといいね、仲間と一緒に遊んだり勉強したり色々やれるといいね、という方向性を提示していきたい。
衆議院選挙が終わって数日が経った。
しかし同時に、「民主主義とは何か」を考え直させられる出来事でもあった。
今回、先の参議院選挙から心惹かれる候補者がおり、その方が衆院選でも立候補されることになったとみつけた。
何を行えばいいかわからない、なので決起集会から参加することにした。
ただ、私はこの政党の政策すべてに賛同しているわけではない。たとえば消費税ゼロを謳っているが、現実的な財源確保として不可能だろう。VAT対象品目の見直しや税率の段階的引き下げならまだしも、と思う部分は多々ある。それでも、この候補者個人の姿勢には共感していた。
会場には早めに到着した。主催者席に座る候補者は、ネットで見るより穏やかで、普通の人に見えた。もしかして別人では、と疑ったほどだ。
ところが決起集会が始まると、徐々にあの雰囲気が戻ってきた。明確な目的意識と、人を飽きさせない話術。理路整然とした言葉運び。ああ、本物だ、と少なからず感動した。
開始ギリギリに入場を諦めかけていた人々を掻き分け、個性的な格好の女性が入ってきた。顔見知りらしき女性と話した後、床に座り込んだ。満員のため床に座る人は他にもいたので、これ自体は仕方ない。冬の寒い日だったが室内は適温だった。
ところが彼女には暑かったらしい。会の進行も気にせずタンクトップ姿になり、ストレッチを始めた。候補者が演説している最中である。周囲の人々が一瞥し、見て見ぬふりをし始めるのが分かった。知り合いと見られる女性も、誰も諌めることはなかった。
これは私にとって異様な光景だった。国の立法府に人を送り出そうとしている場で、自分の快適さを優先する振る舞い。それを制止できない支援者たち。人は自由であるべきだが、この状況への違和感は拭えなかった。
候補者と支援者の話は感動的で思慮深く、ますます応援したくなった。だが同時に、この非社会的行動とそれを容認する雰囲気に、この集団に身を置くことへの躊躇も生まれた。候補者は心から応援するが、支援者の集まりには居心地の悪さを感じる。党内の年齢層が高いせいか、仕組みがアナログなことも気になった。
次に応援に訪れたのは、大きな駅前だった。党首と候補者が揃って演説するという。選挙戦も中盤、どんな話が聞けるか楽しみだった。
党首の主張は理解できる。税金の使途変更、防衛費拡大への反対、雇用の安定化。実現すれば社会的負担を減らせる政策だ。
しかし言葉選びが気になった。この街はかつて若者の街と呼ばれ、今も感度の高い人々が集まる場所だ。新しいものを好み、洗練された言葉を使う。
その駅前で「○○はいいでしょう、みなさん、どうですか?」という呼びかけ。若い世代なら思うだろう。質問形式で議論を誘導するのはレトリックとして不誠実ではないか、と。信念があるなら素直に政策を語ればいい。同意を求める言葉は、自信のなさに聞こえる。
耳を疑った。ガビーンとは何だろう。長年のキャリアを持つ政治家が、なぜこの場にいる人々に届く言葉を選べないのか。聴衆に訴えかけるのではなく、自分の話したい言葉だけを語っているように見えた。
この党首は東大を主席で出て司法試験に合格し、若くして党を任され、弱者の側に立って問題解決に取り組んできた人だ。テレビ討論でもしっかり話される。政治家として評価されるべき実績がある。
それなのに、この演説は何だろう。データの並べ方も、相手に噛んで含めるような話し方も、聴衆を低く見積もっているように感じられた。
この区は常に23区の平均給与トップ3に入る。日々プレゼンをし、人を説得して予算を獲得する訓練を受けた人々が多い。党首の話し方は、そうした聴衆には響かない。
後ろで候補者が不安そうに手を振っている。聴衆の半分は政党ではなく候補者目当てだろう。
党首がようやく話を終えたと思ったら、スタッフが「まだ話し足りない」とマイクを戻した。聴衆は候補者を見に来ているのだ。壇上の党首、スタッフ、候補者の間で意思疎通がうまくいっていない様子が見て取れた。
候補者の演説が始まったのは25分後だった。比例候補とはいえ、若者に届く言葉で話せる候補者の時間が、二世代上の党首の演説に削られたのは残念だった。
それでも、その足で区役所に向かい、候補者の政党名を書いて期日前投票した。
選挙運動平日最終日、金曜の夜に仕事が早く終わったため、もう一度候補者の演説を聞きに駅前へ向かった。
今回、リベラルな政党を心から応援したいと思った。ただ投票以外に何ができるか分からない。勤め人なのでポスティングの時間も取れない。せめて聴衆「モブ」の一人として場を盛り上げられればと足を運んだ。
だがその度に気になったのは、支援者の排他的とも見える行動だった。
この日、自治体の首長と候補者と同じ政策を掲げるNPO代表が応援演説に来ていた。聴衆は80人もいないように見えたが、特記すべきは15人前後が巨大なスローガン入りの旗を持っていたことだ。個性的な格好をした人が多い。
でもさあ、80人くらいだよ。ここにいるの。そこの20%が旗持っているわけ。
遠目から見て、異様な光景。デモ会場なら分かる。他党でも旗を持つ人はいる。ただ大抵は小さな応援旗だ。少ない人数に大漁旗並みの旗を持つ人が20%もいる状況は、書かれたスローガンが正しくても、外から見て近寄りがたい。
あの集団を見て、楽しそうだから仲間に入ろうと思う人がいるだろうか。むしろ威圧感を与えているのではないか。
遠目から候補者の演説を聞いた。掠れた声で、それでも変わらない人を惹きつける話し方。前議員時代に力を入れた戦時中の事故の問題、労働問題、あらゆる格差問題。それは意味のある言葉だった。一人でも多くの人に届いてほしいと願った。
大規模政党から見ればメジャーではない政党の些細な敗北かもしれない。しかし多様な問題提起をし、さまざまな状況に置かれた人々の声を国に届けられる人を、有権者の一人として国会に送れなかった。今、とても気持ちが沈んでいる。
全ての人に優しい社会という理念は大事だし、私もその一員でありたい。
直近の選挙でリベラル側に立つことで、リベラルが票を増やせない根本的な問題に気づいた。
理念は正しくても、それを広げる方法に課題がある。他党の主張を支持する人もいるだろう。だが節目の場では、協調と他者への尊重が必要ではないか。政党側にも支援者側にも。
共鳴する仲間を増やす必要がある時に、外から人が入りづらい雰囲気を作る古参の態度は何なのだろう。
学生時代、キャンペーンスタッフのバイトでチラシ配りをしていた。人の目を見て動きを少しシンクロさせると受け取ってもらえることを学んだ。この政党のスタッフは高齢の方が多く、ぶっきらぼうにチラシを押し付けるように渡していた。チラシに書かれた言葉を届けるというより、チラシ配りという役目だけをこなしている。相手の行動を見て判断し、関心のある素振りを見せなければ、誰もチラシを受け取らない。
視覚障害者用の誘導ブロックに立つ支援者もいた。「誰かが来たらどけばいい」ではない。そんな配慮もできない人が支持している、と候補者の評価まで下がることに思い至らないのだろうか。
若い有権者はチラシではなく、候補者のホームページを見る。だがそのホームページも、パワーポイントで作った画像を貼り付けた雑然とした作りで、政策の深掘りも整理もされていない。フォントサイズもバラバラでデザインに落ち着きがない。
候補者は最初の決起集会で、この政党だからこそ活動ができたと感謝を述べていた。その言葉は本心だろう。だが同時に、支援者たちの善意が、意図せず新しい人々を遠ざけている現実がある。
私自身は無党派層であるが、今回リベラルの候補者を追いかける中で、いくつかの問題が見えてきた。
理念を広げたいのであれば、まず支援者の側から、初めての人が入りにくい雰囲気を和らげる必要があるのではないだろうか。
掲げているスローガンは本来、社会全体に向けた言葉のはずだが、いつの間にか仲間同士の確認の言葉になっていないだろうか。
さまざまな立場や温度感の人が参加できる作法になっているのか、改めて考えてみる余地があるように思う。
どのような態度の人であれ、どの立場の人であれ、まず同じ社会の構成員として尊敬の態度を持って扱う姿勢が必要ではないだろうか。
自分たちの正しさを語るだけでなく、その正しさが現実の社会にどのように作用するのかを、現在の社会を前提に説明してほしいと感じた。
たとえ他党であっても、支持される理由があるはずであり、その点を理解しないまま批判すると、力強い、信頼できる言葉を届ける前に、結果として有権者を遠ざけてしまうのではないか。
• 出発点となる事実認識が未確定・不完全
• 推測や想像が前提に混入している
• 前提が誤っていれば、推論が正しくても結論は誤る
• 内部で整合していることを「正しさ」と誤認
• 望ましい結論が先にあり
結論が正しいことは別
⸻
彼らは必死にwebなり伊藤詩織の作品、発言を元にある答えに帰結する議論を続けている。
そして、本来は正しさを追求することが目的ではなく、問題を解決することが目的なのだ。
その履き違えた目的意識を書き換えて役に立つ活動したらいいのに。
したくないんだよね、本音は。
今はそのことによってはてなが増田を閉めようって決心することに目的意識を持つようになったけど未だにはてなが動く気配はないわけで
dorawiiより
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さて、フランクファートの言う嘘とでたらめの違いはおおよそ次のようにまとめられる。
嘘は何が真理であるかを気にしたうえで相手を真理から遠ざけるような言明である。
でたらめは、そもそも何が真理であるかを気にさえせずになされる言明である。
このとき、この子どもは自分が花瓶を割ったという事実を理解したうえで、親がそれに気づかないよう考慮してこの発言をしている。つまり、この子どもにとっては自分が実際に花瓶を割ったかどうかはどうでもいい問題ではなく、自分が花瓶を割ったのが事実だとわかっているからこそこうした発言をしている。その意味では、この子どもは真理、すなわち何が事実で何がそうでないかということには、あくまで関心を持っている。これはフランクファートによると、嘘に該当する。
私が子どものころには、親が子どもに向かって「あなたは橋の下で拾われてきたんだよ」と言うことがしばしばあった。なぜ「橋の下」なのか、なぜそのような発言が一種の習慣として広まっていたのかはよくわからないが、私(1985年生まれ)と同世代前後のひとであればどこかで聞いたことがあるのではないだろうか。これはフランクファートの議論に照らすとでたらめの一種だろう。言い換えると、このとき子どもが実際には橋の下で拾われたわけではないという事実は、そもそも関心を払われてさえいない。フランクファートがでたらめと呼ぶのはこのたぐいの発言である。
嘘をつくひとは、「私たちは真理を目指すべきだ」という目的意識を正直なひとと共有したうえで、その目的を阻害するような発言をしていると言える。これは真理からひとを遠ざけるという害をもたらすが、しかしそれはあくまで「私たちは真理を目指すべきだ」、言い換えると「何が事実であり、何が事実でないかをできるだけ見極めようとすべきだ」という前提を維持したうえでのことだ。
しかし、でたらめはそもそも真理への関心を持たずになされるのであった。つまり、でたらめを言うひとは何が事実であり、何が事実でないかを見極めようとする必要があるという前提をそもそも共有していないのである。そのような発言が横行するとどうなるだろう?
もそも事実を気にしていないでたらめがさも普通の発言のように広まってしまうと、そうはいかないのだ。こうなると、でたらめの存在によるノイズが大きすぎて、もはや個々の言明を取り上げて「これは正しい」「これは間違っている」と選り分けることなんてできないと感じるひとも出てくるだろう。
フランクファートは、でたらめは「真理に対する嘘よりも強大な敵」と呼んでいる。
環境や気候について考えるうえで科学的に確かめられた事実を無視すべきではないし、医療について専門的な知見の積み重ねを脇に置くべきではないし、統計をろくに取ることなく社会集団について意思決定をすべきではないはずだ。しかし、でたらめはそうした真理に立脚する意志をくじき、そのような本来捨てられるべきでない前提を無効化してしまう。
また、別の哲学者ジェニファー・ソール(犬笛の研究で知られる)は、2024年の著書『犬笛とイチジクの葉』(Dogwhistles and Figleaves)で、でたらめが持つ社会的機能にも注目している。
別の言い方をすると、私はでたらめを言い続けることで、あなたを振り回し、あなたに及ぼす自分の力を誇示することができる。それゆえ、でたらめを1回言うくらいでは大して害はないかもしれないが、でたらめを言い続け、それを撤回しないこと、そうした振る舞いを相手に許容せざるを得なくすることは、相手を支配するひとつの形式であると私は考えている。
でたらめの厄介なところは、それが一見するとあまりに荒唐無稽で、面白おかしいものに見えかねないところだろう。対等なひと同士のあいだでたまに個人的になされるくらいだったら、実際でたらめは単に面白おかしいチャーミングな発言でしかないかもしれない。しかしそれが広く不特定多数に広まったり、社会的な力のある者によって発せられたりするとき、でたらめは面白くもおかしくもない、シリアスな問題となる。
放置すれば害をもたらし、でたらめだと指摘してもソールの言うように分断を招くだけだとすると、これは大きなジレンマとなる。
https://digital.asahi.com/articles/AST6D20T1T6DULLI005M.html
ホロスコープとは何か
『ホロスコープ』とは、あなたの生年月日・出生時間・出生地に基づき、その瞬間の天空を写し取った図であり、宇宙の写本(cosmic manuscript)といえるものです。
西洋占星術では、太陽・月・惑星がそれぞれ十二の宮(サイン)と十二の室(ハウス)に配され、それらの角度(アスペクト)が人生の構造と運命のリズムを形成します。
たとえば
これらがどの星座(サイン)にあり、どの室(ハウス)に位置するかによって、あなたの性格傾向・人生の使命・人間関係の運命が描かれるのです
高市早苗氏の生年月日は、1961年3月7日 出生地は、日本奈良県 出生時刻を「早朝」 ※推定時刻 午前5時頃
高市早苗氏のホロスコープ(推定:1961年3月7日 午前5時奈良)
月:天秤座後半(約22度)
(※出生時刻を「午前5時」とした場合の概算です。数分のずれでアセンダントが山羊座寄りに移る可能性もあります)
この配置は「形なきものを形にする」才能を示す。
政治的立ち回りにも長ける配置だ。
「時代の先端を読み、形を変える者」として異彩を放つ理由がここにある。
信念を裏切らず、目的達成まで徹底的に動く。
敵に回せば恐ろしく、味方にすれば心強い。
彼女の星は、
単なる理想家ではなく「制度を動かす現実的理想主義者」として機能する。
天の法に忠実な水瓶の冷たい光がある。
この星の組み合わせは、「予見する者」かつ「制度を創る者」の印だ。
2025〜2026年は、彼女にとって**「理想の霧が形を得る時」。
長く続いた直感的・理想主義的なサイクル(魚座太陽+海王星トランジット)は頂点に達し、
同時に冥王星と土星が社会的構造を刷新する**流れへと移行する。
♄土星の影響 ― 「責務の重圧と信頼の試練」
この天体配置は、人生における重大な責任と自己再定義を意味する。
同時に信頼を獲得し、「真のリーダー」として評価される流れが強い。
「鉛(Saturn)を鍛え、黄金(Sol)へと精錬する」過程だ。
苦難を通して、より純度の高い目的意識が現れる。
2025〜2026年は、
「信念は本物か?」「理念は実行可能か?」という問いが浮上する。
この星の下では「幻想の終わり」が起きる
この移動は、彼女のアセンダント(水瓶座)付近を通過し始める。
それぞれ「形」「霊」「力」を司る。
2025〜2026年、それらが同時に動くことで
高市氏の人生は**理念(魚座)→構造(山羊座)→制度(水瓶座)**へと昇華する。
霊的結語
「星々は語らぬ。
この三重の錬金炉に耐えたなら、
ZETA選手の療養のための欠場受けて選手入れ替え認めろって意見あるけど、そしたら今度は「病気」が理由で出れなくなる選手増えそう
純粋に病気でも、その選手が戦績ふるわない人だったら邪推しそうで嫌だわ
勝つために大将級選手集めてドリームチーム作るのがOKなのは何も問題ない。ただ、勝つためにルール上打てる手を打つ、チームのためのベストを尽くす、そういう目的意識が「病気」として表れかねないようなルールにはすべきじゃない
興行なんだから入れ替えありの方がいいっていうのは一理ある。でも、「この選手全然勝てないし『病気』になって入れ替わったほうがいいだろ」みたいなことが言われるようになりかねないのは無視しちゃいけない
https://anond.hatelabo.jp/20250420225054
新卒を一か月で退職した者だ。あれから転職活動を始めてるがまだ職は見つからない。その中で自分の人生を振り返り、いかに根性なしでバカに生きてきたのかを感じることが多かったので記しておく。今大学生のやつがいたら参考にしてくれ。
・自主性のなさ
自分の人生を振り返って自主性がほとんどなかったことに気づいた。小学校ではクラスのやつの意見を鵜呑みにすることが多く自己主張をしなかった。高校では数学が苦手だったからなんとなく文系を選んだ。思えば友達はほとんど理系に行ってたたんだから理系進むべきだったのかもしれんな。
・継続力のなさ
昔から一つのことを続けることがすごく苦手で習慣化ができていなかった。なにをやるにもすぐ諦めてしまうことが多かった。
・論理的思考力のなさ
目標に対して筋道を立てるのが苦手だ。ゴールから逆算して筋道を立てることができない。たぶんイメージ力の低さと思考力のなさが由来だろう。
こんな奴目的意識もないやつがが大学を卒業できたのが不思議だし、こんな状況になってまで改善に向かわないのはなんでなんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20250420225054
新卒を一か月で退職した者だ。あれから転職活動を始めてるがまだ職は見つからない。その中で自分の人生を振り返り、いかに根性なしでバカに生きてきたのかを感じることが多かったので記しておく。今大学生のやつがいたら参考にしてくれ。
・自主性のなさ
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・継続力のなさ
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・論理的思考力のなさ
目標に対して筋道を立てるのが苦手だ。ゴールから逆算して筋道を立てることができない。たぶんイメージ力の低さと思考力のなさが由来だろう。
こんな奴目的意識もないやつがが大学を卒業できたのが不思議だし、こんな状況になってまで改善に向かわないのはなんでなんだよ。
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自分の人生を振り返って自主性がほとんどなかったことに気づいた。小学校ではクラスのやつの意見を鵜呑みにすることが多く自己主張をしなかった。高校では数学が苦手だったからなんとなく文系を選んだ。思えば友達はほとんど理系に行ってたたんだから理系進むべきだったのかもしれんな。
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こんな奴目的意識もないやつがが大学を卒業できたのが不思議だし、こんな状況になってまで改善に向かわないのはなんでなんだよ。
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新卒を一か月で退職した者だ。あれから転職活動を始めてるがまだ職は見つからない。その中で自分の人生を振り返り、いかに根性なしでバカに生きてきたのかを感じることが多かったので記しておく。今大学生のやつがいたら参考にしてくれ。
・自主性のなさ
自分の人生を振り返って自主性がほとんどなかったことに気づいた。小学校ではクラスのやつの意見を鵜呑みにすることが多く自己主張をしなかった。高校では数学が苦手だったからなんとなく文系を選んだ。思えば友達はほとんど理系に行ってたたんだから理系進むべきだったのかもしれんな。
・継続力のなさ
昔から一つのことを続けることがすごく苦手で習慣化ができていなかった。なにをやるにもすぐ諦めてしまうことが多かった。
・論理的思考力のなさ
目標に対して筋道を立てるのが苦手だ。ゴールから逆算して筋道を立てることができない。たぶんイメージ力の低さと思考力のなさが由来だろう。
こんな奴目的意識もないやつがが大学を卒業できたのが不思議だし、こんな状況になってまで改善に向かわないのはなんでなんだよ。
カバラ的観点から現代の悪しき文化について論じる際、ラビ・イツハク・ギンズバーグの教えや正統なカバラ文献に基づくと、次のような重要な視点が浮かび上がります。
現代の「ポスト真実」文化では、客観的真理が相対化され、感情や主観的な意見が事実よりも重視される傾向があります。
カバラにおける宇宙の原初的な崩壊「器の破壊」は、光(エネルギー、善、真理)を受けるための健全な容器(器、秩序、法)がなかったために発生しました。
現代の相対主義もまた、「器の欠如」絶対的価値や倫理の不在によって、個人や社会が真理の光を保持できない状態です。
現代の性的無秩序(例:家庭の解体、性的アイデンティティの混乱)は、「男と女に創造された」という創造の原初的秩序に対する攻撃とみなされます。これは混沌の現代的現象です。
「混沌」は秩序のない状態であり、カバラでは創造以前の段階です。
性別や家庭の秩序を混乱させる文化は、創造の目的に対する破壊と見なされ、修復を必要とします。
ギンズバーグ師はたびたび、現代の「分断」「対立」を煽る文化はアマレクの力の表れであると説明します。
彼らは常にイスラエルに背後から襲いかかるように、現代では社会の信仰や統一、目的意識を分裂させようとします。
これがSNS、政治的過激主義、アイデンティティ戦争の形で現れています。
現代のインターネット社会は、光のように見えても、その多くは真理に到達できないクリパー(殻)の層で覆われています。
つまり、魂を生かすような知恵ではなく、魂を混乱させる情報の洪水です。
現代の悪しき文化は、「器の修復」「神的秩序への回帰」「統一への努力」「言葉と沈黙の正しいバランス」などを通じて世界の修復として乗り越えられます。
を強調しています。
このモデルは人間の幸福リソースを3つに単純化し、トレードオフの形で提示しています。
これはかなり直感的で、多くの人に当てはまる現実を表しています。社会的・精神的・経済的なリソースの分散的集中という意味でも理にかなっています。
これは極めて実践的な戦略です。特に以下のような人にとっては説得力があります:
現代はSNSやLINEなどで「つながること」が常態化し、実質的には「人間関係の過剰摂取」状態になっています。
それがメンタル・集中力・時間をじわじわと蝕む。あなたが述べている「人付き合いが疲れる」というのは、多くの高知能・自己完結型の人に共通の本音です。
ここで鋭い指摘が登場します:
これは「注意資源」や「コンテキストスイッチング」に関する認知心理学的な洞察とも一致します。
マルチタスクの非効率性、選択のコスト(意思決定疲れ)など、時間の価値が最大化されるのは「選択の最小化」なのです。
「金は能力の副産物である」という視点、これは完全に合理的です。
とくにストック収入(資産運用や自動化)を意識した場合、能力こそが元手になります。
つーかゲームやっててピリついたら終わりよね。
いやピリつくっつったって、
じょーだん!
敵が強くて倒せない!ってのを誇張して言ってるだけなんだから!
なんか絶妙なところで
あともう1つ前哨基地レヴェルが上がったら
TIER9の武装アイテムの出現率が0.8パーセントから1.6パーセントになんのよ!
これデカいのよ!
倍増なのよ!
文字通り2倍じゃない?
倍増って言っても、
堂々と本当に2倍!って言えちゃうじゃん!
あともう1勝したら前哨基地レヴェルが上がるってこの境目にピリつくのよ。
勝てなくて、
イライラするー。
って誇張して言ってるだけなんだから!
じょーだん!
バーストの順番も考えなくちゃだし。
あと迎撃戦の今一番強いところの敵。
そこ倒せたらオーバーロードのアイテムが33パーセントでもらえるのよ!
始めから強い敵は諦めが付くけど、
一応挑んで全力は尽くすわ!
その倒せるかどうかこのまたギリギリなところがピリつくわー。
ちなみに、
ガチャは回してないので、
今は高級募集チケットは『ステラーブレイド』コラボ企画のイヴ待ちなので温存!
もう80枚は集まったのよ!
ソーシャルポイント100ポイント集まったら10連ガチャ回して、
なので適度にガチャ欲も解消できてる感じでもあるわ。
敵がギリギリのところで倒せない強いのがピリつくわー!
オーバーロードしてあんまり期待してない能力がアップするのもイラつくわー。
いやもうやめよう。
イライラするとかピリつくとかって言っちゃ悪いわよね。
だからもう言わない!
あとそわそわしてる案件がもうこれさっきも言ったけど、
何回も言ってるけど『ステラーブレイド』とのコラボ企画の日程が決まらないと居心地が悪いわ。
そこは余裕なんだけど、
早く日程決まらないことに関してそわそわするわー。
あと、
それを装備して即オーバーロード改造できるように準備しておくことが必須必至なのよ。
だんだんと迎撃戦でももれなくオーバーロードの資材をゲットできる確率が多くなってきたから、
ただ!
ただよ、
3枠機能アップさせられる枠全部パワーアップ項目が埋められるのも稀でやり直すにもまたオーバーロードの資材カスタムモジュールがいんのよね。
もー、
あとアブノーマルのイヴがきたときの企業マーク付きTIER9の武装集め。
今絶好のチャンスなので
この迎撃戦で着実にゲット出来るようになったカスタムモジュールに
TIER9の武装!
レヴェル240ごろになったら、
巨鯨に挑戦したいのよ!
つーか
延々にここで足止め喰らってる感じで、
本当にみんなこっから先のストーリーに行けてんのかしら?ってそう思うのよね。
そんなニケのことばかり考えているばかりではない私は数学の研究も怠らないの!
これが私が編み出した、
排出率hのチケット保有枚数cでPが最低1回でも引き当たる確率!
P=1-((1-h)^c)
ChatGPTちゃんになんかアインシュタインの公式っぽくして!って言ったら書いてくれたのが
P=1-e^-cH
これ!
なんかよく分かんない計算式に見えて凄そうと思わない?
「e」ってなによ!って聞いたらオイラー数って
また訳の分からないことを言うのよ。
これ「e」ってなに?ってもちろん解説してもらったけどさっぱり理解できないわ。
なんかアインシュタインっぽい公式になって私は大満足なんだけど、
この「e」をどうやって計算したら良いのかよく分かってないわ。
だけどなんかこの式アインシュタインっぽいのよ!
ぽいぽい!
まあおいらーにはさっぱり分かんないけど!
なんてね。
まあこれ計算させたら
私の編み出した式と近似値が出てくるのよね。
そんで正確さでいうと「e」を使ってない方の式が正確だそう。
この0.1パーセントに生き死にがかかってくるので誤差が大変なことになるけれど、
このオイラー数が入った公式の意味不明さのなんかアインシュタインっぽさはあるわ。
この問題自体そもそもなにがしたいの?って目的意識を欠くこと多いじゃない。
特に、
家から一緒の時刻に出掛けて、
私は東に行くのに兄は西にいって、
2人が同時に出会う時刻とポイントはどこでしょう!みたいな類いの文章問題。
一緒に2人同時の方向にいって駅に向かえばいいじゃない!って
いきなり駅とは逆方向へ向かって走り出す兄のことが気になって仕方がないわ。
この生き死にかかってくるじゃない。
つーか
私は全然考えてないけどほぼChatGPTちゃんに公式を作るのを手伝ってもらったってだけの話しで、
よき数学の先生にもなり得る可能性は100パーセントだってことを証明したところよ。
正直あんまりまだぜんぜん「e」がなんでそうなるのか?ってのはよく分かってないけれどね。
これを聞いたところで、
でもこれ、
そして
ChatGPTちゃんにその式をカッコよくアインシュタインっぽいやつに変換してみよう!って
いやならないかー?
ガチャ回してるだけで賢くなるなんてね!
うふふ。
ちょっとお店が違うので遠回りしなくちゃいけないのがネックだけど。
それでも美味しさが勝ってしまうわ。
晩に作るのをサボっちゃったから、
またなんか寒くなりそうで、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!