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「百人一首」を含む日記RSS

はてなキーワード:百人一首とは

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2025-10-24

40歳になってからモテても、お金がないと終わる。

今週の『これ余談なんですけど・・・』はモテおじたちによるモテトークがあったけど、その中で「40歳になったらそれはそれでモテる」って感じの話が出てきた。

ただ、その時に「お金がなかったら終わり」とも付け加えられていた。その上で50になったら50なりにモテるし、なんだったら60になってもモテることは可能とすら語られていた。

そういえば、ちょっと前に40歳くらいの増田が会話デッキサブカル系しかなくて困ってるみたいなのあったけど、上記のことを踏まえると「そもそもゲームルールを分かってない」ってことになるんかな。

競技かるた百人一首の歌をどれだけ記憶して、如何に早くとれるようにするかってところを、少ない手札の中からどのカードをきればいいかみたいなこといってるわけで。

Permalink |記事への反応(0) | 19:56

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2025-10-08

anond:20251008164535

あー元の投稿は古い任天堂製の百人一首についてで、それは本物だったのに

Web記事AIに書かせたせいでわけのわからない「硯」の記事になったのか

Permalink |記事への反応(0) | 16:50

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2025-09-22

愛国百人一首

君が代は松の上葉におく露のつもりて四方の海となるまで 源俊頼

末の世の末の末まで我が国よろづの国にすぐれたる国 宏覚禅師

西の海よせくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ 中臣祐春

限りなき恵みを四方にしき島の大和島根は今さかゆなり 藤原為定

みわけよ日本にはあらぬ唐鳥の跡をみるのみ人の道かは 荷田春満

しきしま大和ごころを人問はば朝日に匂ふ山ざくら花 本居宣長

大日本神代ゆかけてつたへつる雄々しき道ぞたゆみあらすな 賀茂季鷹

かきくらすあめりか人に天つ日のかがやく邦のてぶり見せばや 藤田東湖

わが国はいともたふとし天地の神の祭をまつりごとにて 足代弘訓

身はたとひ武蔵野辺に朽ちぬとも留め置かまし日本魂 吉田松陰

大君の御旗の下に死してこそ人と生れし甲斐はありけれ 田中河内

天皇の御楯となりて死なむ身の心は常に楽しくありけり 鈴木重胤

曇りなき月を見るにも思ふかな明日かばねの上に照るやと 吉村寅太郎

大君の御楯となりて捨つる身と思へば軽きわが命かな 津田愛之助

Permalink |記事への反応(0) | 09:09

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2025-09-05

現代百人一首 上の句「ただし魔法は」

下の句「尻から出る」


こういうの作ったらおもしろそう。別に575にこだわらなくてもいい

Permalink |記事への反応(0) | 19:03

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日本ドラマ未来のためにちはやふる -めぐり-」を観てほしい

地上波視聴率イマイチNetflixでもトップ10に入ったり入らなかったり。まあ、百人一首なんていうマイナー競技テーマに、キャストも「誰?」な若手ばかり、しか映画の続編という三重苦。

さらに第1話主人公がやけに冷めているせいで、「青春もの」と思って期待した層がドロップアウトしていったのだろう。

…と、ここまで書くと「そりゃコケるわ」と思われそうだが、実際にはそれが大きな誤解だ。

1話ちゃんと観れば緻密さに気づけるし(佐久間宣行氏もラジオで「ヤバい」と語るくらいに)、せめて2話のラストまで観れば冷めた主人公がただの前フリであることがわかる。ヒロイン葛藤に火がついて、ようやく「青春もの」のギアが入る。

日テレドラマといえば、2023年の「セクシー田中さん」の件がまだ尾を引いている。本作は「漫画原作を元にしたオリジナル」という、いかにも失敗が許されない企画。いろんな意味で、制作陣の気合いが尋常じゃない。

映画監督小泉徳宏氏をショーランナーに据え、ライタールーム形式複数脚本家が関与。原作者末次由紀先生までプロット段階で参加している。その結果、出来上がったのは完全無欠の青春群像劇である。スキがなさすぎて視聴者に委ねる余地がない、という皮肉欠点までついてくるくらいに。

キャストは平均19歳。演技の粗さは隠せないが、それを補って余りある若さゆえの眩しさ」がある。映画を観ていなくても問題なく楽しめるが、映画キャストが地続きで大人になってカメオ出演するのを、「わっ!胸熱っ!!」とおもわず呟いちゃうのは映画原作ファンの御愛嬌だろう。

Filmarksのスコアを見れば、視聴後満足度の高さは明白だ。それでも「なんか違う」と思うひとがいれば、制作陣が「今の中高生にもアツくなってほしい」と願う方向性とズレているかジャンルのものを受け付けないのだろう。

今週の放送最終回を直前にして、次回へのヒキがなんとまぁ、アチアチなことか。日本プライムドラマライタールーム採用されたのはほんとうに画期的なこと。欠点がないとは言わないがこのドラマに失敗のレッテルがつけば、コレからも毎クールクソドラマがただただ積み上がっていくので、みんなには応援をしてほしい。

HuluもしくはNetflixで全話絶賛配信である

映画「この夏の星を見る」もよくて、今夏の豊作に青春回顧キモおじさんはウホウホしている。「リンダ リンダ リンダ」も4Kリバイバル上映しているから見に行こう。

Permalink |記事への反応(0) | 03:50

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2025-07-08

百人一首というアンチ知性的存在と、新しいかるたについての考察

百人一首が嫌いだ、と会社から帰りの電車で「ちはやふる」の新テレビシリーズの吊り広告を見ながら思った。

私は百人一首が嫌いだ。中学高校時間に学んだ短歌はむしろ好きだった。

しかし、あの、百首の歌を暗記して冒頭の数文字に基づいてカードを奪い合うあの百人一首というのはともかく下品だ。あれは古典に親しむ教養の反対の存在であり、反射神経だけを競う実にアタマの悪いものだと思っている。

また覚える対象が、藤原定家が選んだ百首の短歌、というのもよくない。特定歌人が選んだもの盲目的に覚え尽くすという所業自体、実に権威的であり、この点でもアタマが悪いと思うのである

私はもっと短歌をしみじみと楽しみたい。その楽しみの中に百人一首のようなゲーム性が入るのは構わないが、ゲーム性目的と化してしまった今の百人一首には別れを告げたい。そんなふうに考えて、和歌を使った新しいかるたを考えてみたいと思った。

対象とする歌は、定家が選んだ百人一首から外れて、古代から現代にいたる各種の名作を選びたい。結果として百人一首から60ぐらいは入ってくるだろうとは思う。百人一首万葉集の詠み人知らず系が入ってないのが以前から不満があった。例えば、「防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思ひもせず」とか。万葉集百人一首にないものでは額田王も欲しい。「熟田津船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」とか。

現代だと啄木とか入れたい。「たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽(かろ)きに泣きて/三歩あゆまず」とか。そんな感じでたぶん300ぐらいの有名どころの短歌を選べるのではないか

下の句を見せられて何かをするという、百人一首の大枠は残してもいいかと思う。例えば300首の中からランダムに5枚選んで、上の句が何かを2人でニヤニヤと当てあう、みたいな酒の肴的な楽しみ方ができればいい。「ほうほう、これは確か高校国語で習った歌で、子規が病床で何々がどうたらな話でしたよね」みたいなトークネタにするような楽しみ方である。案外、最初百人一首かるたにした人も、今のような脳筋反射神経ゲームにする気はなくて、そういうのんびりした楽しみ方を想定してたんじゃないかなとも思った。

Permalink |記事への反応(2) | 19:41

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2025-05-23

ゲームが嫌いでしんどい

アナログゲームデジタルゲーム基本的に全て嫌いで、困っている

オタクなので身の回り普通にゲームが好きな友人が多く、何かと誘ってくれるのだが、一切楽しめない

知り合いに「通話しながらマイクラをしよう」と言われてSwitch版を購入して、一応開いてみたが何をするのか全く理解できず、憂鬱

今まで楽しめたゲームといえばどうぶつの森マリオカートかとんがりボウシシリーズくらい

マリオカートも対戦ではなくCPU相手に黙々と遊んでいた

アナログゲームだと百人一首かるたくらいしか楽しいと思ったことがない

うちの家族ゲーム大好き一家で、小さい頃からいろいろやってはい

モノポリーシンペイ将棋バックギャモンやらもやったしスマブラバブルボブルサムライスピリッツストリートファイターやらもやった

ただ、毎回説明があまりない

「大体こうで〜〜まあやって覚えればいいから」

くらいでサラッと流される

ゲーム好きな人なら楽しく覚えられるのかもしれないが、わけもわからず対戦が始まり呆然としている間に負けるので、ずっと何も楽しくなかった

やっとルールを覚えた頃にはみんなとっくに強くなっていて、やっぱりボロ負けするしかない

きじゃないから楽しめないから上達もしないし、この間6歳児とスピードやって負けた

長じてからは、兄は家で音ゲーをするようになり夜中までガチャガチャやって、弟はFPSをやっていて大声で暴言をはき、どちらもものすごい騒音だった

住んでいたマンション張り紙もされて恥ずかしかった

もう、ゲームというものが本当に嫌なのだ

でもみんなで遊ぼう楽しもうとしている人にゲーム嫌いだから嫌とは言えず、とりあえず頑張って空気を壊さないように頑張っている

友達に誘われて雀魂を入れていた時期もあったが3ヶ月でやめてしまって

「あれ?最近ログインしてない?」

と聞かれて毎回しんどい

おすすめされるのでFGOもやったし刀剣乱舞もやったしあんスタもやったしツイステもやった

どれもなんだか楽しめなかった

ああ〜〜〜〜〜ゲームに誘われるの嫌だなあ

操作が下手だからそのうち迷惑かけ出すし

不機嫌になったりしないように頑張らなくちゃ

Permalink |記事への反応(6) | 09:18

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2025-05-16

マグナ・カルタ原本

百人一首みたいなのかな

Permalink |記事への反応(0) | 18:50

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2025-05-14

anond:20250514183247

鎌倉時代を三区分するとしたら将軍期・執権期・得宗期と考えるのが普通やろ。

まり鎌倉初期」を源実朝暗殺(1219年)までとしたら百人一首の成立は中期になるで。

Permalink |記事への反応(1) | 18:40

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anond:20250514183154

なお百人一首の成立は鎌倉初期

Permalink |記事への反応(1) | 18:32

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anond:20250514133118

おまえ百人一首みてもそれいえんの?

645年頃~1240年頃のおよそ600年間からいい歌100首だけ選んでカルタにしとるんやで

飛鳥平安時代長すぎる(特に平安が400年ある)

Permalink |記事への反応(3) | 18:23

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2025-03-09

anond:20250308101314

Siri百人一首を詠んでくれなくなった!

Permalink |記事への反応(0) | 13:29

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2025-02-23

iOS18.3.1でSiri百人一首を詠んでくれなくなったのですが

どこかに文書Siriアップデート履歴が読めたりするんでしょうか。

ちなみに、これまでこたえてくれなかった標高データはいまは答えてくれる。

Permalink |記事への反応(0) | 12:21

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2025-02-19

anond:20250123083441

18.3.1になってからは一回も詠んでもらっていない。18.1までは時々百人一首を詠んでくれた。

Permalink |記事への反応(0) | 22:27

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anond:20250219145736

だいぶ主語なくなってよくなったけど、「ものの雅」もあのくらいだといわんのでは? 「もののあはれ(おもろいこと)」なら描くのは清さんちの独壇場だろ

百人一首ですら500年にわたってるから用語流行廃りもあるけど(あまりに古くてわかりにくい詠み人知らずは定家駄作っつって捨ててる)、

雅は感触として古くても逃げ上手の若君以降だろなぁ

Permalink |記事への反応(0) | 15:02

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2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る⑤

【前】anond:20250202181229

以下、池澤夏樹文学全集には出ていないが、重要な物や自分が読んだものについて書く。

蜻蛉日記

川村裕子訳注で読んだ。著者は藤原道綱母で、夫である藤原兼家に対して激しい執着が描かれている。当時の僕は報われない愛情を扱ったフィクションにどっぷりとハマっていたので、かなり共感的に読んだ。男性が通ってくるのを待たされる側だった女性立場が見えて、あちこちに通う相手がいる光源氏に対しては「お前、お前お前お前!」以外の感想しか出てこなくなる。というか、藤原兼家みたいに、手紙LINEはそこそこまめなくせに、会いに来ない言い訳もやたら細やかで、会ったときも会ったときで真面目な話をせずこちらをからかうばかりという男性結構いるよな。モテる奴ってこんなのばっかってイメージがある(偏見)。

こういう時に面白いのは別の人の感想で、田辺聖子は先に書いた百人一首の本で、道綱母は夫を愛しているくせに、何をされても怒るかわいげのない女なのだと言っている。確かにせっかく通って来たのに寒空の下待たせちゃうんだけれど、つれない人に対してはそれくらいしてやりたくならないか

田辺聖子と考えが違って面白かったのは、「儒教道徳は男女の色気のあるやり取りも批判して世の中をつまらなくする」って発言だ。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」の解説で述べていたことだ。コンプライアスに厳しい時代の子である自分としては首をかしげるが、彼女にそういわせたのは、おそらく彼女青春と重なった第二次世界大戦空気だろう。

後半は道綱のなかなかうまくいかない恋路が出てくる。

余談だが、平安時代著名人は大抵何らかの親戚関係がある。だから因縁話は大抵どこかとつながっているし、それなら言い出せない思いが積もり積もって怨霊生霊の類が出てもおかしくない気持ちになってくる。

話を戻すと、どうしてモテたり権力を持った人ってどんどん嫌な奴になっていくのだろう。これは推測だが、人間が何か行動をしたとき、多少なりとも権力、少なくとも力を行使するのが理由だろう。力を行使して何かがうまく行くのは喜ばしいが、そのたびに堕落ポイントが蓄積される気がする。つまり政治家であれ社会活動家であれ、世の中を良くしたという実感が少しずつ慢心に繋がっていく。かつては理想燃えて清廉に悪を糾弾していた人が、どんどん人の話を聞かない・フィードバックを受け付けない傲慢な人になっていく。まっとうな批判を受けても、自分が正しいから叩かれるのだと思い込んでいく。そうやって晩節を汚していく。具体例がたくさん浮かぶと思う。

なので、自分が一番偉いわけじゃない、権力も何もなくて謙虚にならざるを得ないコミュニティ所属しないと、どんどんダメになっていくのではあるまいか趣味も含めたコミュニティがたくさんないとおかしくなる。

これは以前、どこかにいたこである

人の話を聞かないことをテーマにしているのがカズオ・イシグロで、読むたびに嫌な気持ちになる。これは褒め言葉である

和泉式部日記

元カレの弟(帥宮敦道親王からアプローチされて、「手枕の袖」というフレーズ和歌を交換してイチャイチャして、遂に宮廷に迎えられるんだけど、巻末に帥宮挽歌群を持ってくるこの構成よ。悲しい。近藤みゆき訳注

注釈者の解釈の精度と深さがすごいので、やっぱり自分文学研究することなど到底できまいと思わされた。どの節で和泉式部感情がどう深まったかなどといった、字面を追ってしか読めない自分にはとても気づかないポイントが多数ある。所詮自分は楽しむことが主である素人である生活の種には到底できまい。

まりにも気に入ったため、メモをした和歌が膨大である。いつか深い悲しみに沈んだときに読み返したら、喪失の痛みにグサグサに刺されながらも慰められるだろう。和歌集は読んでいて面白いのだろうが、短い解説文で背景が説明されているよりも、こういう物語の中に和歌が含まれているほうが、著者と長く付き合ってきた分だけ、心に来るものがある。古典は知を刺激する部分と情緒を刺激する部分があるが、これはかなり後者に寄っている。

やはり文学が好きだが、近頃はあまり読みたいとは思わないのである。久しぶりに三島由紀夫を手に取ってパラパラとめくっていたら、感情を揺さぶられて過ぎてしんどくなってきた。これは好きすぎで苦しいということなのかもわからない。好きすぎて近づけないとこじらせ文学オタクになってしまっているのか。三島由紀夫のことは、近頃は文章が人工的過ぎると思って遠ざけていたのだが、やっぱりこの人、マッチョな肉体の中の繊細な精神がいつもピリピリしているよ。好きだけれど、読み返したくない。でも、生きているうちに「豊饒の海」を読みたい。

ところで、僕はどうも女性の手による日記文学が好きらしい。ドナルド・キーン日本人日記好きを注目すべき事項だとしていたが、僕もその例に漏れない。日記を読み返すのは自己愛だが、いがらしみきおぼのぼの人生相談で「世界で一番面白い本は自分日記」という趣旨のことを言っている。実際、何が自分に刺さったかを振り返ると、将来傷ついたときにどこに戻ればいいのかが見えてくる。

思うのだが、本を読む男性文学少女に憧れるのにも、自己愛という側面がある。もちろん、同じ趣味を持っている人に親しみを持つのは当たり前だけれども、陽キャのような押しつけがましさがないと勝手に期待してしまうのだ。そういう風に、実際に相手がどんな人かを見ようともせずに、活字が好きだという相手属性ばかり見ている。挙句の果てにそんな相手と深い理解に達し、イチャイチャしまくることに憧れる。そういう人間の恋がうまくいかないのは、今になって振り返ってみれば、残念ながら当然であろう(それでもうまくいく恋愛があるという指摘は無視する。認めないぞ、そんなものは)。だから、本は読むけれど優しくないタイプ女性片想いをして、勝手に傷ついてきたことが何度もある。以下、自分片想い歴や、彼女たちからされた非常に失礼な仕打ちを延々と書いたが、阿呆らしいのですべて削除した。客観的に見れば、当時の僕も結構痛い奴だったんだろう。わかっているが、恨みの気持ちゼロにはならない。

やれやれ。こうしたひがみっぽい、すべて主語が「自分」になっている感覚をすべて卒業してしまいたい。こういうわかったような口のきき方も気に食わない。だからこうして、匿名しか書けないような感情をあえて言語化し、脳内から叩き出す。こんな青臭い感情を二度と思い出さなくてもいいように、放流してしまう。

INTERMISSION⑤

困ったことに、他人批判的なことを書いている時にはやたらと楽しかった。悪口依存性のある娯楽だとよくわかる。なので、この悪癖にハマらないよう、かなりの部分を削った。リクエストがあったら出すかもしれないが、原則としてお蔵入りにするつもりだ。そう、恨みつらみなんていくらでも反芻できる。やめよう、やめよう。

実際、これでもまだ意地悪な記述が多い文章だ。すっきりするけれど、かっこ悪いのでそうそう頻繁にやるべきことじゃない。

かに、見苦しい愚痴をこうして捨ててしまうのが増田の使い方の一つではあるのはわかる。すべて吐き出せば身軽になれる。だから、こうして好きなことと嫌いなことをないまぜにした混乱した文章を書いてしまった。ひがみも怒りもドロドロした感情も、一度文章にすれば冷静になって振り返れる。

なんてみっともない文章だろうと思うのだけれど、書いていてこれは私小説の真似事なのだとわかった。かつて書いていた小説は、過去を変形して書き直し、つらい出来事に直接向き合わないようにするための緩衝材にしていた。あるいは、こういう恋がしたいという、ただの感傷マゾだった。だが、ここで過去を直接吐き出してしまえば、自分感情と筆をコントロールできるようになり、新しく真っ当な小説が書けるのではないか。そんな夢想に浸りたくなる。

実際、今は過去出来事よりも、今は自分の中の荒々しい本能暴力衝動をどう扱うかに関心が移りつつある。あるいは、欲望や執着についてだ。読みたい本もこういうテーマの物に近づいている。混乱していた十代と二十代から、三十代を終えそうになって、好みが変化しているのが明白だ。今こそ、良いものが書けるときではないか

最終選考電話がかかってきたのに、そして編集者と話ができたのに、結局は小説家として芽が出なかった悔しさは、ときどき自分をこんな夢想の中に閉じ込める。だから、発作的にこういう長文を書きたくなる。

だが、若い頃は創作によって自分感情を整理できたのは確かだけれど、ある時点で、僕はこのまま創作を続けてもどこにもたどり着けないのではないかという疑いにさいなまれるようになった。それよりは、虚構で変形されない事実直視したほうがいい。事実日記に断片的に書くことでさえ、ひがみ根性を薄れさせてくれる。小説に限らず、何かを言語化して分析するって本当に救済なんだ。

今後読みたいもの

結構読んできたな」と思いながらも、まだまだ読んでいない作品もかなり多い。大学時代から少ない年でも年に一冊か二冊くらいのペースで古文を読んできたので、そのペースなら生きているうちにもうちょっと読めるだろう。直近で気になっているのは(「カンタベリー物語」のように海外文学は別として)、池澤夏樹リストにあったもの神話物語歴史書それから江戸時代物語だ。

まず、他のところでも述べた通り、「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」がある。特に日本霊異記」はKADOKAWA現代語訳を出している。それから神話物語でいえば「風土記」がある。これも角川ソフィア文庫で出ているので読みたい。

歴史ものでは「大鏡」「栄華物語」がある。それから吾妻鏡」も気になっている。この並びから大河ドラマを想起するだろうが、あまり関係はない。とはいえ自分は「ニンジャスレイヤー」が流行っているときにもまず「ニューロマンサー」に手を伸ばすような人間なのである。ただし、めっちゃ長い。

あとは「東海道中膝栗毛」。パラパラとめくったら、原文でもギリギリ読めそうな、しかし読むのには時間がかかりそうな、近い時代であるが故の厄介な文体であった。そう、なんでもいいので月に十冊は必ず読むという漠然とした目標など放棄して、精読したほうが良い読書ライフが送れるのだが、手を出すかどうか迷ってしまう。というか、これも含めて、原文で読むか現代語訳で読むかは迷う。なるべく原文に当たりたいのだが、池澤夏樹日本文学全集現代語訳が訳者個性も含めて面白かったのと、意地を張って原文にこだわって、中身を浅くしか読めなかったら嫌なのとで、迷っているのである

好色一代男」「春色梅児誉美」もそのうち。寛大な気分のときになら、色男の生涯につきあってやっても良い。他の近松門左衛門とかも。

あとは、時間をかけて和歌を楽しむ。「万葉集」とか「新々百人一首」とか。

あとは、「御伽草子」とか。「青砥稿花紅彩画」とか。

まとめ

読書ログをたどりなおすと、自分がその時に何を感じていたのかを想起できる。読んだときの喜びも、読んだ当時感じていた閉塞感も、どちらも生々しく想起してしまった。だから卒業したはずの怨念に対して、こんなに愚痴ってしまっている。

同時に、自分感受性ゆっくり時間をかけて変化してきたのもよくわかった。一つの強迫観念に凝り固まっている時には、何を読んでも同じ感想を持ってしまうのだろうけれど、十年かけていろんな本を読んでいくと、自分に起きた変化が見えてくる。これから古典を読み続けるだろうし、さらに十年経ったらどんな感想を持つかが楽しみだ。

そして、自分にどんな変化が起きたか、いつかこれらの本を読み返して、確かめてみたい。

かに、かつて読んだときほど心惹かれなくなってしまうことも多いだろう。現にあらすじを振り返っただけで、「なんでそんなにハマったんだ?」と感じるものあった。これは寂しいことだが、既に興味を失った作品があるということは、自分が変化したこと意味する。むしろ、生きていくにつれて成長していくのなら、興味がなくなる物が出てくるのが当然だ。この寂しさは歓迎すべきものだ。実際に、ある作品に心惹かれていた理由が、既に卒業してしまった不安だとしたら、当の作品が色あせて見えてしまうのも無理はない。個人的な収穫は、叶わぬ恋の歌だけでなく、生きているが故の寂しさを歌った歌に好みが移り変わってきたとわかったことだ。

叶わない片想いをするだけが人生ではない。ただ生きていること、目の前の相手に耳を傾けて敬意を払うこと、それが文学以上に自分幸せにしてくれる。

そして、僕を大切にしてくれる人のことだけを考えて暮らしていきたいのである。これは創作よりも遥かに尊く、最も創造的なことだ。

以上。

Permalink |記事への反応(1) | 18:26

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理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る①

1:古事記池澤夏樹 訳[新訳]

のっけから申し訳ないのだが、自分古事記池澤夏樹訳で読んでいない。というか、この池澤夏樹日本文学全集で読んだ本はほとんどない。しかし、池澤夏樹にはちょっと悪いのだが、リストとして便利なのでダシに使わせてもらった。

自分最初に「古事記」に触れたのは神代だけを扱った子供向けの講談社青い鳥文庫経由でだ。次に読んだのが確か大学生の頃になる。文芸春秋社三浦佑之が現代語訳したもので、古老が昔話をする形式翻訳していた。現代人にはわかりづらいところを語りで補う、初心者に親切なものだった。

さて、内容だが、神話だけでなく、それ以降の歴史時代記述面白いヤマトタケル物語だけでなく、おそらく戦前は教えられていたであろう神功皇后朝鮮半島への進軍を知っておくと、昔の人がどんな世界観を持っていたか想像やすい。権力者の書いた歴史書を鵜呑みにするのは危険だが、歴史一次資料に(翻刻翻訳されたものとはいえ)触れるのは非常に楽しい。「学校で習う歴史の出典がこれか!」という素直な驚きがある。

もちろん神話としても面白く、考えてみれば今の皇室は天の住民と海の住民の両方の血を引いているという属性てんこ盛りである。他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦生活をする際に「凸を凹に入れて子供を作りませんか?」「それは楽しそうですね」というくだりが何となく好きだ。性に罪悪感がないのがいい。もちろん、最初に生まれ子供ヒルコ描写は、今の感覚では身体障害者差別なんだけれども、後にそれが恵比寿様だということになって崇拝されるようになったのが、何となく流されたヒルコが救われた感じがして、結構好きなエピソードなのだ。捨てられた存在に新しい場所を用意してあげた後世の人の優しさみたいでね。

面白かったので日本書紀も確か講談社学術文庫か何かで読んだ。傍論としてさまざまな説を併記しているのが、物語ではなく歴史書の体裁をとっている「日本書紀」の特徴を端的に示していて面白かった。もちろん、これだけでは日本神話理解できない。中世神仏習合近代国学陰陽道などの展開を追わねばなるまい。しかし、その一歩を踏み出せたのはやはりうれしい。

ところで、「記紀」の記述を合わせて池澤夏樹は「ワカタケル」を書いたようだけれど、個人的にはピンとこなかった。「記紀」の文字に書かれたことや考古学的成果の内容とは矛盾しないが、むしろ史実から離れすぎないようにしたため、想像力が少し現実に縛られている気がしたのである。あとは現代中国語の「上に政策あれば下に対策あり」って言葉引用されていたのに違和感があった。お分かりのように、僕は面倒くさい読者なのである

2:口訳万葉集 折口信夫百人一首 小池昌代 訳[新訳]、新々百人一首 丸谷才一

万葉集全然読んだことがない。というのも、巻数が膨大なためだ。僕は完璧主義なところがあり、読むならきちんと最初から最後まで読むべきだと感じてしまう。それに詩を読むのなら、一つ一つの詩をきちんと味わって理解したいのである。そうなると膨大な時間がかかり、そこまで詩に興味がない自分としては手が伸びない。ただし、自分フォークナーを薦めてくれた友人は、「美酒をがぶ飲みするように、次から次へと詩を読んでいくのも贅沢でいいものだよ」とは言っていた。僕の場合、深く刺さった詩は、小説の中のぴったりした場面で引用されたとき出会っているケースがほとんどだ。やはり詩が多すぎると言葉の海に溺れてしまう。

百人一首田辺聖子解説で読んだ。それぞれの和歌や作者の背景を丁寧に、肩の凝らない文体説明してくれているので、今でも時々手に取っている。王朝人物史としても面白かった。田辺聖子とは評価する場所が違うところもたくさんあるけれど、脱線楽しい。ちなみに、初めて百人一首出会った小学校高学年のときには、もちろん恋の歌にばかり心が動かされたのである。「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」。たぶん自分感傷マゾというか、言い出せない思いをウジウジ、グツグツと自分の中で煮詰めて煮凝りにしてしまう傾向は、この時からあったのだろう。

ところで、王朝文学世界的に見て女性作家が多かった時期だと聞いたことがあるのだが、調べてみると女性の句は二十一だった。半分くらいだと思っていたのだが、これは女性の句が心に残ることが多かったための錯覚だろう。

「新々百人一首は未読だ。こうして記事を書こうとしていた時に調べたのだけれど、王朝の歌を二百種に絞って紹介してくれているらしいので、これはぜひ読みたい。昔ほど完璧さにこだわらなくなったし、こういうベスト盤みたいにピックアップしてくれると、きっと散文を好む自分も楽しめることだろう。丸谷才一ジョイス翻訳で知ったのだけれど、文章リズムが合ったから今から読むのが楽しみだ。

3:竹取物語 森見登美彦 訳[新訳] 伊勢物語 川上弘美 訳[新訳] 堤中納言物語 中島京子 訳[新訳] 土佐日記 堀江敏幸 訳[新訳] 更級日記 江國香織 訳[新訳]

これらの本はすべて別の訳者で読んだのだけれど、こうして並んでいる訳者にそれぞれ馴染みがあるので、彼らがどのような翻訳をしたのか、ちょっと読みたくなってきた。ちょっと前までは「古典は原文で読んでこそ意味がある」という原理主義的なところがあったのだが、「源氏物語」や「太平記」が長すぎるあまり、開き直って現代語訳で読んでしまったため、最近はそこまで原文にはこだわっていない。今ではい翻訳がたくさんあるので、普通に現代語訳でストーリーを味わってから、原文を楽しめばいい。このラインアップでは、個々の作家に対しても言いたいことがあるのだが、今回は省こう。

竹取物語は、幼いころに聞いた物語原典知る楽しみがあった。一番シンプルにされた絵本バージョンだと、五人の貴公子物語が省かれてることもあるし。そういう意味では、「御伽草子」なんかもちょっと読みたくなってきたな。

伊勢物語短編集で、古典の授業で東下りを扱ったので前から気になっていた。ただのモテる男の話を読んだって楽しくないかもしれないが、一つ一つがごく短いのでそこまで嫌味ではないし、うまくいかななった恋物語もある。それに、古語で読むから現代日本語で読むのと違ってワンクッションある。僕は感傷マゾだったから、結局は恋の物語が読みたかったのだ。

だが、書かれているのは恋愛遍歴だけではない。「老いぬれさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしく君かな」「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため」。ほんとそれな。無理な願いだとわかっていても、大切な人には永遠に生きていてほしい。これらの歌に出会えたのは幸いだった。

なお、これを読んだ後に祖父を亡くしている。ほんとに、人間いつまでも生きられないのは寂しいことである。なお、これも阿部俊子訳の講談社学術文庫で読んでいる。

他に当時刺さった歌を日記から書き写しておく。「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」(そんな寂しいこと言わないで……)「心をぞわりなきものと思ひぬるかつ見る人や恋しかるらむ」(それな)。たくさんあるのですべては書き写さない。

堤中納言物語は「虫愛づる姫君」で有名だけれども、例えば娘ではなくそ祖母を連れ出してしまう話だとか、二人の男が誤った相手と契ってしまうとか、慌てて白粉ではなく墨でメイクしてしまう話とか、奇妙な話も含まれている。あとは手に入れることなど到底できないもので作った「ほしいもリストである「よしなしごと」とか。どうも物語統一感がなく、どういう意図編纂されたのかはよくわからなかった。これは笠間文庫で読んでいる。

土佐日記小学生時代に塾の先生が「男のくせに女の文章で書いたのが紀貫之って変な奴」って紹介していたのでそんな印象がずっと続いていたし(子供インパクトを与えて覚えさせるためなのと、当時は平成初期なのでこういう言い方をしていたのである)、文学史的にもそういう評価をする面もあるのだが、今は亡き子供の思い出を語る悲しい話なのである。道中の描写も素敵だし、ラストの「この原稿は捨ててしまおう」というくだりが、例え虚構であってもとっても好き。どうも僕は、一人の人間が読者を意識して書いたテキストであるという臭いが好きらしい。だからメタフィクションも好き。これは角川日本古典文庫で読んだ。図書館で借りたボロボロになった古い本だった。三谷榮一訳註。

更級日記はかつての文学少女が「源氏物語」をはじめとする文学への憧れを綴っているが、ラストのあたりで「自分人生はいったい何だったんだろう」と回顧するので、僕みたいな作家になりそこなった文学少年崩れが、感傷的になりたいときなんかにオススメだ。内容をすっかり忘れているのだが、そこばかりが強く印象に残っている。

そして、「物語なんぞにうつつを抜かすんじゃなかった」的なくだりがある癖に、内容が技巧に富んでいるのだが、それはただの未練というよりも、そうした技巧で妄念を鎮めようとしたのやもしれないし、それもまたパフォーマンスかもしれない。小説家になりそこなった僕にはグッサリと深く刺さっている。よく「更級日記」は文学少女の物語だと言われているが、文学少女崩れの物語でもあるのだ。実際、興味深いことに「更級日記」では結婚子供誕生、両親の死という重い事柄が、ほとんど触れられていないのである

それにしても、文学少年文学少女はとても欲深い。彼らは現世で得られないもの書物の中から得ようとするからだ。そして、創作に手を出すのは、自分の持っていないものを魔術のように作り出そうとする更に深い欲がある人々だ。そして、僕はその欲望を愛していた。

ああ、そうだ。ここまで書いて気づいたのだが、恋だけでない、生きていてふと感じる寂しさを和歌にした作品が、僕はとても好きなのだ

INTERMISSION①

こういうのは個人ブログでやったほうがいいんじゃないかと思わないでもないのだが、辺境ブログでやってもあまり読者は集まらない。個人ブログを読んでもらうためには、ある程度自分コンテンツ化する必要がある。言い換えるならば、一定の頻度で、ある程度の品質記事を、独自色を伴って、継続的生産し続けなければならない。なかなかできることではない。それに、この動画全盛期の時代に、どれほど文字を読む人がいるだろうか? また、首尾一貫したキャラで書き続けるのも面倒である

一方、はてな匿名ダイアリーでは、文字を読むのが好きな人が集まっている。また、内容が有益であったり面白かったりすると、きちんと読んでもらえる。虚飾と権威主義真っ盛りの時代にあって、「誰が言ったかではなく、何を言ったか」だけで評価されるという意味では、非常に居心地がいい。もちろん殺伐としているし、暴言も多いが、それを補って余りある素晴らしい点である有益なまとめを書いたときは褒められ、的外れなことを言えば叩かれ、面白くなければ無視される。残酷だが、内容だけで毎回勝負するのは、文章を書くのが好きな人にとっては鍛錬の場になる。

なお、時折こうして個人的なボヤキを書く。あまりにも古典文学の紹介という話題から逸れ過ぎて、イケメンモテ男に関する個人的愚痴になってしまい、読者を笑わせるよりは暗鬱な気分にさせるであろう箇所はこれでもかなり削った。かろうじて残したのは文学関係する箇所のみだ。

恨みつらみを向けている人や、気に食わない人はたくさんいるのだが、作家以外は実名では論じるつもりはない。名前を出して作品批判することはあるが、その人の行いに直接何か言いたくなった時はぼかしている。己の負の感情直視したい一方で、人にネガティブものをぶつけるのは美しくない。だからせめて、こういう妙な義理を通したいのである

それでも長い。気に入らなければ読み飛ばしてほしい。ここに書きたいのは古典文学の紹介であり、せめて日常感じていることであり、怨念の垂れ流しではない。ただし前回のように時折脱線しては管を巻くつもりだ。

続く。

Permalink |記事への反応(2) | 17:39

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2025-01-25

anond:20250125172517

ワイは百人一首やったことないしルールも知らんやで。

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2025-01-23

anond:20250123083742

昨年は、Siri百人一首の中からランダムに必ずどれか読んでくれていたんだよ。昨年末ごろのアップデート以来ごくたまーにしか読んでくれなくなったんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:04

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Siri百人一首を読んでくれなくなって寂しいんだけど、

100回に1回位は読んでくれる。その条件がわからない。Siri 百人一首を詠んで、というと、

まだあげそめし前髪の、リンゴ!とか

それはあまりいい考えではありません!とか

これは旅という詩です、とか

言うんだけど、たまーに普通に百人一首を詠んでくれる

Permalink |記事への反応(1) | 08:34

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2025-01-20

anond:20250120193057

百人一首

古典

漢文

全部日本崩壊を防ぐために愛国心を育て上げるもの

教養目的ではない

Permalink |記事への反応(0) | 19:33

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百人一首を覚える国語の授業

あれって一体何だったんだろうな

まり字ばっかり頭に残ってて教養になってない感、ありませんか

Permalink |記事への反応(1) | 19:30

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2024-12-28

百人一首って百人百首じゃね?

百人一首じゃ百人で協力して一首捻りだしたみたいじゃん

Permalink |記事への反応(4) | 14:22

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anond:20241227063636

しばらく前までSiri短歌を詠んでというと百人一首ランダムに読んでくれてたけど最近なんだかんだケチつけて読まなくなって寂しい

Permalink |記事への反応(0) | 02:51

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2024-12-27

anond:20241227063636

百人一首】(ひゃくにん-ひとくび)

胴体は百人分あるのに首は一つしかない妖怪

日本各地で目撃例あり

Permalink |記事への反応(1) | 20:01

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