
はてなキーワード:白だしとは
HP1のときによくやるやつ。
①カレーかミートソースを沢山作って小分けして冷凍しておいてあっためて食べる。
②炊きたてのご飯で冷凍ご飯作っとく。HP1のときに飯を炊かなくていいのは本当に楽。意外と美味い。
③鯖の水煮缶+ネギを適当にハサミで沢山カット、水、白だし、味噌を鍋に入れて茹でる→簡単あら汁
⑤カット根菜を適当に皿にしきつめて、水をちょこっとだけかけてラップをかけて3、4分分レンチン→蒸し野菜
⑥鶏ムネにフォークで沢山穴を開ける。塩、アジシオ、酒、砂糖ちょっとを振りかけて揉む。容器に入れてしっかりラップして7分+5分待つ→サラダチキン
やっぱうま味調味料って悪だと思うわ。
うま味調味料系の食事って、「満腹感」に到達するまでの時間が長いんだよな。
まぁそれが「美味し」かったらいいんだけど、常に「物足りない」感覚にさせる。結果太りやすい食事になる。
チープな味と表現する人はいるけど、純粋に味覚の情報量が少ない。
二郎の縮小バージョン、別に美味しくないけど食べてしまう味になるんだよな。
無添加で旨味を出そうと思ったら、旨味を出す過程で食材そのものに手を加えたり(味噌や醤油)
さまざまな食材で旨味を出す(トマト×豚肉、カツオ節×昆布×いりこ)過程で、数えきれないほどの香りが生まれるんだよね。
そういう香りの複合で「満足感」が生まれるんだけど、うま味調味料を使うとそれが無い。
その不足感を補うために「白だし」とか「鶏ガラ」「ウェイバー系調味料」があるんだろうけど、
そこにあるのは繊細な香りじゃなくてエキスで抽出した大味な香りで、野菜や肉の本来の香りを吹き飛ばす。
結局うま味調味料を使って美味しい飯を作るってなると、中華のように油に動物性や植物性の香りを移して、スパイスやネギなどのハーブで複雑味を与える料理になるし
うま味調味料系肯定派って肌ギトギトのデブで味覚障害みたいな奴多いし、結局そういう奴って飯が美味しいから食べてるんじゃなくて物足りなくて食べてる奴多いよな。
で情報量を臭い豚とか、歯ごたえで補おうとする。舌で満足得るんじゃなくて、胃で食べてる。
まぁ俺がうま味調味料を使うようになったのも、忙しい業種に転向して短時間で飯を作るってなったら使わざるを得なくなったのも理由にある。
深夜に新鮮な食材を得るのって難しいし、ゆっくり出汁を取ってる暇もないから。
今の生活が人として自然じゃないって証左だし、うま味調味料を使わざるを得ない社会も病気だと思う。
大根が辛くて失敗した
大根+めんつゆで煮込むやつ(煮大根)は上手くいったから同じだろうと思って
電子レンジで数分温めてから他の種と一緒に煮込んだけど(片栗粉も入れた)
全然辛かった
なるほどそれで下処理済みの大根が売ってたのか、でもあれ高いんだよな
どうすれば辛くなくなるか調べたけど、結構手間がかかりそう
基本的に手間をかけないように、金をかけないようにという方針なので、長時間煮込むのは避けたい
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確かに辛かったの、先っぽの方だった
でもそしたら下の方は何に使おうかな、思いつかない
たまご、ちくわ、こんにゃくなんかも一応入れて、こっちはかなり簡単で労力的にはまぁまぁ良かったんだけど(ゆで卵は改善余地あり)
あとおでんの素の味付けが好みじゃなかった、やっぱりセブンのやつ探すか、中々売ってないんだよね、イトヨーも近くにないし
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と思って今調べたら大根1個120円だった、たけえええええ
もうむりだ、脳がこの物価に追いつくまで5年はかかる
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コメントありがとうございます、参考にします
・大根は上の方を使う
→課題:下の方をどうするか
・季節性がある、冬のほうが辛くない
→米を直接入れる手もある
・味を染み込ませるには煮込まなくても放置でよい
・出汁の出るタネといっしょに煮込むのおすすめ(鳥の肉団子など)
・白だし
白だし:かつお節・昆布・しいたけ等のだし成分 + 薄口しょうゆ・塩・みりん
麺つゆ:濃口しょうゆ・砂糖・みりん・酒 +出汁(かつお・昆布)
参考、電気ガス代(ChatGPT)
ガス弱火30分 → 10円
無視できるほど安い
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下1/3をどうするか?
ChatGPTの答え
・漬物
・きんぴら風炒め
うーん、漬物ねえ
できるだけ上の方だけ買うか
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コメントを見て姑ってこんな感じでウザいんだろうなと思って笑った
はっ倒したくなるわ、自炊しない独身おっさんの家に米があると思うなよ?
ていうかせめて文くらい読め
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スーパー行ってきた、大根は1ポン丸ごとか、下半分しか売ってなかった、なるほどそうなるのか
デイリーポータルZのめんつゆと白だしの記事が話題になっていたので。
各種メーカーのページにも書かれているが、白だしは、醤油と出汁をベースとした色味の薄い調味料を指す。
対して、白醤油は愛知県が発祥の醤油そのもの。通常の醤油に比べて小麦の割合が圧倒的に高く、琥珀色でそもそもからして淡い。味もほんのり甘め。
もちろん、白醤油による白だしもあるが、必ずしも白醤油が含まれているとは限らないので要注意。
他方、白だしも白醤油も素材の色味を損なわず上品に調味できる点は共通している。余裕があれば使い比べると面白いかもしれない。個人的にはホワイトシチューを作る際に白醤油を少し足すのが好き。
余談だが、JASの定義では、醤油には大豆が必須となっている。白醤油のアイデンティティである小麦のみ、大豆不使用で白醤油を作ると、それは醤油とは名乗れず、小麦醸造調味料となる。白醤油を突き詰めると醤油ではなくなるのである。
リュウジの動画はじゃがりこポテサラと虚無シリーズしかみたことないニワカたちだけで盛り上がってるからだいぶ誤解してる。
リュウジは全然効率厨でも生産性命でもないぞ。そりゃ手抜きレシピもあるけど、単純に振り幅があるというかウマい料理に対するアプローチの種類が多いだけで、効率至上主義とかではない。と思う。
肉じゃがや煮物ではたっぷりの具材を丁寧にカットして、「肉じゃがなんて「彼女に作ってもらいたい料理No1」とかよく言うけどね、食材切るだけでこんなに大変なんだよ!お前らこの労力を知らずに気さくに肉じゃが食べたいなんて言うなよ!」って言ってた。筑前煮では、「なくても成立するんですがね、見た目が美しいのと、心のこもった料理っていうのはどういう手間がかかってるか視聴者に知ってほしいのであえて入れます」って言って絹さや茹でてたから。鍋では鰹節からダシを取るし鶏団子も自分で握る。メニューによっては飾り切りもする。
それと、全然「一人暮らしの家にある調味料だけで完結する料理」ばかりではない。
至高シリーズを見てみろ。生姜やニンニクでチューブなんか使わないぞ。絶対調理中にヤスリで削って投入する。麻婆豆腐ではトーバンジャンやらテンメンジャンやら使うし、肉料理ではナツメグやオールスパイスを使うし、ビーフシチューではローリエを入れるし、トマト煮ではオレガノ入れる。「え?その程度の調味料いつでも家にあるでしょ」ってレベルの人は絶対「お昼は簡単にそうめんでいいよ」なんて言わないだろうからこの議論に入ってこないように。
あと、「リュウジの料理は味が濃い・塩分が多い」これに関しても、至高シリーズの場合は必須調味料の場合を除き、「ボクは酒飲みなんでこんくらい入れますけどね〜、味濃いの苦手な人はここでこの調味料調整してください!」「ここで味見ながら調整して!」ってわかりやすく教えてくれる。そりゃリュウジの好みのまんまで作ったら味が濃いけどね。調整ポイントちゃんと示してくれてる。あの味の素信者が「塩分を後から調整するために」という理由ならだしの素使わないでだしを取るし、「A社の白だしは塩が多いのでできればB社の白だし用意してください」とかいうし、お味噌も「塩分は自分で調整したいので必ず無添加を選んでください」っていってるからね。
あと、リュウジ信者がミソジニーになったんじゃなくて、リュウジがそもそも根っからの「昭和のジェンダー観」男だからミソジニーウケがいいだけだよ!
仕事の仲間は全員男。女スタッフは仕事仲間でなくいわゆるサポートキャラとかお飾りとか視聴者目線の素人役って感じ。「お前この調理法知らないだろ」みたいな感じで「男様がバカな女に教えてあげる」みたいな構図をめっちゃナチュラルに選択していく、根本的なアレ。それを俺はいいともわるいとも思ってないけどね。
とにかくリュウジは料理の手間や尊さを意地悪な理由で矮小化したりバカにしたりは絶対しないよ。毎日献立考えて作る人のこと本当に大事に思ってくれてる人だよ。「そうめんは重労働」とは言わなくても、作りもしねえ奴が「お昼は簡単にそうめんでいいよ」なんて言ってたらリュウジだって「は?」ってなるよ、多分。
Permalink |記事への反応(28) | 15:53
「【育児休暇から復職した】女性は給与を倍にする」って法案、どう?
数年仕事から離れた程度で突然能力が劣ったり、国家資格を取るためにした記憶を喪失したり、しないでしょ。
もし衰えるなら50歳の権威ある偉い先生が最後に勉強したのは何年前ですか?ってなるし。
難しい能力が不要な仕事なら、余計に、新人より使えるのは明白だし。
「女はどうせ育児で抜けるから」と採用を渋ったり、ポストを与えないせいで
じゃあ子供もたずに働いたほうがいいんですね?いいですよ ってなった結果が今の国家単位の少子化でしょ?
生理という激痛にたえ、妊娠という10ヶ月の体調不良に耐え、乳児を殺さないようにするプレッシャーに耐え、その見返りがマミトラという「罰」だから、誰もやらないんだよ
報酬を用意しようよ
産みたくなる理由、産んでも人生が行き詰まらない保証を、「「少子化」を解決するために絶対に避けられない女性の犠牲(痛みと不便)に用意しようよ
男は中出しだけじゃん、快楽だけだよ、失うものなし、むしろ犯罪に手を染めてまでみんながやりたがることを味わってんだから、もういいだろ。
給与が倍になるなら、外貨稼ぐ担当は女性に、男性に育児を任せたほうが得、が主流になるよ。きっと。
そこにプライド出してごねる男はどんどん切られて、協力的な男性がモテる時代になっていくでしょ。
だってシングルマザーでも給与さえ保証されればなんとかなるもん。邪魔な旦那なら冷静に切れる。
今現在、子供作らないことにどやってるパワーカップルは1倍の女、1倍の男でやってもいいし
効率求めててか妊娠しちゃったほうが得では…1年で600万もらえるなら…ってなるよ、そういう思考のやつほど。
んで、いざ産んだら思ったよりかわいい~育児やりたい~で望んで仕事やめるかもしれん。それは産んだ誰より偉い当事者が好きに決めればいい。
ロマン優光氏(以下ロマン氏)が書いた「椎名林檎とノンポリとサブカルと」という文章を読んだ。フェアじゃないので、まず最初に言っておくが、オレは椎名林檎のファンだ。ほぼ同世代であるということを割り引いても、椎名林檎の登場は鮮烈だった。それ以来、約四半世紀のあいだ東京事変の活動も含めて椎名林檎の楽曲を聴き続けてきた。
ロマン氏の文章は「ファンが旭日旗を思わせるミニフラッグを振っている様子が物議をかもしている」ということに端を発し、椎名林檎が特定の政治的志向を持たないことに触れ、むしろその「無自覚性は時として害悪なのである」としている。オレの意見はまったく逆なので、そのことについて書いてみようと思う。
ロマン氏がいみじくも指摘するように、椎名林檎に特定の政治志向はみられない。ましてや差別意識といったものもない。差別が存在していない状況は何よりではないかと思うのだが、しかし話はそこでおわらない。なぜかロマン氏は、特定の思想の指向を持たないからといって、ほぼ死語になっている「ノンポリ」と単語を使って椎名林檎の思想信条をあげつい始めるわけだ。この人の表現に際しての単語の選択基準の鈍感さにまず驚いてしまうわけだが、それは置いておいて、そもそも魔女がいないのを知っているくせに、無理やり魔女を探してどうしようというのだ。
椎名林檎のライブで無邪気に旗を振っているファンに差別意識なんかないのは明白だし、ロマン氏自身もそのことを認めている。しかし、ロマン氏はその無自覚性が罪悪であるとうわけだ。ちゃんと旭日旗にまつわる歴史を勉強して、軽々しく扱わないようにというわけだ。その理屈は、まさに鬼滅の刃の主人公の耳飾りに旭日旗と似たデザインが描かれているので、差別的だといっているのと同じだ。言うまでもなく、旭日旗が悪いのではなく、悪いのはそこにある差別意識そのものだ。しかし、差別意識がないにも関わらず、表層的な意匠の共通性だけを根拠に、ロマン氏は「無自覚」な差別意識を見つけてしまう。
ロマン氏の言葉を本人に返すようだが、本人の主観を別にすれば、ロマン氏は批評ということにちゃんと取り組んだことのない人なのではないか。アウトサイダーアートを引き合いにだすまでもなく、むしろそうした既存の文脈と関係ないところから出てきた作品が人々に深い感銘を与えることがある。あるどころか、規定概念にどっぷりつかっているオレたちの凝り固まった感性を揺り動かすには、ロマン氏のような、既存の問題意識をお勉強しただけの、ありふれたつまらない感性から生み出された表現ではなく、その外側からの表現こそが必要だということがわかるだろう。
>横尾忠則やその影響を受けた丸尾末広、さらにその引用といったものに触発されてとかで、文脈を踏まえて支持しているとか、文脈を踏まえた上で異化しようとしている感じではない。
批評の文脈で言えば、ロシアフォルマリズムが提唱した「異化」こそが、こうした文脈にとらわれた言辞から自由になるべきだという主張であったことをロマン氏はしらないのであろうか。オレは教養主義は好まないが、ちょっと調べれば、ロシアフォルマリズムの提唱者のシクロフスキーが「石」といえば誰もが思い浮かべてしまう固定観念の「石」のイメージから観客を解放させるために「異化」という概念を提出したことが分かる。むしろロマン氏が示すような既存の文脈に回収され、解釈されてしまうような脆弱な表現ではないことこそが、椎名林檎の表現が「異化」に成功していることのなによりの証明になっているのではないか。
>「歌舞伎町の女王」は現実の歌舞伎町とは関係ない、想像上の歌舞伎町の歌であり、想像上の古い盛り場のイメージを歌舞伎町に持ち込んだものだ
だからこそ「歌舞伎町の女王」は素晴らしいのだ。そもそも表現というものは記録作品じゃない。「歌舞伎町の女王」が現実の歌舞伎町に近いかどうかは作品の価値とはまったく関係ないのだ。むしろ現実の歌舞伎町と関係のないところで、だれが聞いても歌舞伎町としか思えない音像を作り出す、椎名林檎の圧倒的な力量を理解できないのであれば、批評の真似事などやめたほうがいいだろう。椎名林檎は、昭和任侠ものの姐さんのような巻き舌で、ゴスロリと大正ロマンを重ねあわせたようなファッションを身にまとい、寺山修司や桑田佳祐を思い出させる和語まじりの歌詞で、架空の歌舞伎町を作り上げた。古臭い盛場のインチキ臭さは、歌舞伎町に多くの人が持っているイメージと、極めて効果的にに重なっていて、作品のリアリティを高めている。これはロマン氏がたかをくくっているのとは真逆で、非常に高度でクリエイティブな達成だと言っていい。
無邪気に旭日旗を模した旗を振る椎名林檎のファンに差別意識などかけらもない。すこし真面目に言えば、不幸にも過剰な政治的意味を担わされてきたシンボルを、風化させ単なる意匠に戻してあげることこそが、差別を解除する最も有効な手法だし、オレのかんがえではそれが唯一の方法なのだ。
ロマン氏が見ているものは、あなたたちこそが懸命に努力して到達しないといけない理想の状態なのだ。しかし残念ながら、ロマン氏はそのことに気がつけない。そこにオレは、思想の怠惰を感じる。歴史的文脈をお勉強して、意識が高くなれば、差別がなくなると考える、あまりに粗雑で乱暴な理屈と、その底にひそむ傲慢な選民意識にうんざりする。
ロマン氏の思想には、差別が無効化された社会とはどういう状態なのかといったビジョンがない。歴史背景を勉強して、差別は良く無いと言っていれば差別がなくなるという、ある意味では最も批評性から遠い貧弱な思想からは、オレたちが目指すべき社会のイメージを受け取ることはできない。ゲイ差別を最も効果的に無効化したのは、ロマン氏のような痩せ細った思想ではなく、マツコデラックスだろう。オレは北海道の田舎に生まれたので、アイヌ差別を身近に体験してきたが、もっともアイヌ差別の無効化に貢献したのはいくつも作られたアイヌ博物館ではなく、ゴールンデンカムイだと思う。旭日旗に背負わされた過剰な政治的な意味を無効化したのは、鬼滅の刃であり、椎名林檎の表現なのだ。
ロマン氏自身はリベラルな考えを持っていると自認していると思うが、オレの目からは旭日旗を振り回すことで真剣に大日本帝国の復活を夢見ている老人とまったく同じに見える。そこにあるのは、この先二度と復活することはない、現実的には完全に無効なお題目をとなえつづける残念な思想の姿である。
京都のぶぶ漬け(お茶漬け)が美味しいとされる理由は、いくつかの要素が組み合わさっていると考えられます。
新潟産コシヒカリなど、高品質な米を使用することで、米本来の甘みや食感が際立ちます。
繊細な出汁が使われることが多く、素材の味を引き立てるように工夫されています。白だしなどを使って、手軽に本格的な味わいを出すこともあります。
京都ならではの良質な京野菜から作られた漬物は、その野菜本来の風味や色彩を活かし、控えめな味付けが特徴です。少しの塩気と酸味が、お茶漬け全体のバランスを良くします。
ほうじ茶が使われることが多いですが、緑茶やお番茶を使うところもあります。薄めの味付けのお茶を使うことで、ご飯や具材の味が引き立ち、全体の調和が生まれます。
京都の食文化は、日々の食事を大切にし、手間を惜しまずに丁寧に仕上げることを重んじます。ぶぶ漬けも、単なる手軽な食事ではなく、素材の持ち味を最大限に引き出す工夫が凝らされています。
京料理全体に共通する「はんなり」とした、あっさりしていながらも奥深い味わいが、ぶぶ漬けにも生きています。塩分控えめで、素材本来の味わいを堪能できるように作られています。
江戸時代の商家では、冷たくなったご飯を美味しく食べるためにぶぶ漬けが親しまれていました。これは、ものを大切にする京都人の知恵でもあります。
ぶぶ漬けは、京都で古くから親しまれてきた食文化の一部です。長年の歴史の中で、より美味しく、より繊細な味わいを追求する工夫が重ねられてきました。
これらの要素が複合的に作用することで、京都のぶぶ漬けはシンプルでありながらも奥深く、多くの人に「美味しい」と感じさせる特別な魅力を持っていると言えるでしょう。
sunoとかがたぶんアメーリカで大手レコード会社に訴えられた件あったじゃん。
あれってその後、元々は否定というかはぐらかしていた生成AI側が、無断でアーティストの作品を学習していたことを認めてでもそれってフェアユースだから……と反論したのね。
それに対して大手レコード会社側は無許可で著作物を使用し同分野で利益を上げようとする行為はフェアユースに含まれないだろ!と激怒。
これは2023年のウォーホル財団の事件の最高裁判決を受けての主張になってる。
ウォーホル財団の事件は各自でヤフってもらうとして、最高裁の判断としては「著作から変容していても商業利用目的であることは明確で、かつ現著作者と競合する市場に投入されたことは現著作者の権利、利益を損なうのでフェアユースとして認められない」というもので、今回大手レコード会社が訴えている内容に非常に近いのね。
まぁ、ウォーホル財団の事件は著作者と著作物が明確でそれを著作者に無断で二次利用したことが明白って点で、AIへの無断学習の件とはレイヤーが2枚くらい違うので全く同じには扱えないんだけど、なかなか面白そうな展開になってきたなって感じ。音楽生成AIが商業目的であることは明白だしね。生成物が二次利用という扱いになるかどうかが一番の焦点になるんかな。