はてなキーワード:登場人物とは
ネットで見かけて気になってた教皇選挙をこないだ観たんだけど、登場人物の99%が外国人のおっさんで服装も全員同じ司祭コスプレだったから、最後まで誰が誰か分からんかった。日本人にあの映画はハードル高いぞ
実体験風漫画を描いてるように見えて登場キャラはほとんどがアイマスキャラに酷似してる、そしてそれをアイマス二次創作でもなくサイレントでやってる、そういうやり口の人って同人界隈にちらほらいるよね
普通に二次創作してるうちに力をつけた同人漫画家が商業デビューして、オリジナル漫画のキャラが手癖で昔描いてたジャンルのキャラに空似してるパターンは全然許せるけど
最初からダウンロード販売で稼ごうとする無名の人間が商業のキャラデザを勝手に拝借してオリジナルの顔して売ってるのは許せねーな
キャラの名前のタグがつけられる状態で公開するってのは二次創作としてのマナーだしファンとしての敬意のあらわれだ
まあ◯◯キャラのコスをしたレイヤーを登場人物にする同人とかは微妙なラインで扱いが難しいが、キャラの名前が徹底的に伏せられてなければ「版権を利用してる」感はそこまで濃くないからまあモノによるけど許容できることもある
ただ版権キャラと一切関係ない登場人物がたまたまアイマスキャラに酷似しちゃってますー分かりますよね?みたいなのはキチンでしかないと思う
この手の行為をする人は、二次創作作家として独自の画風を持とうとせずに、ひたすら原作に寄せたタッチにすることだけ考えていくから、脳みそがどこかズレてるんだと思う
ママだから話したこと。家の中だから出した表情。自由な振る舞い。
世界のどこにも逃げ場がないことを悟った日。
あの日から、私の人生なんて、中身が空っぽの操り人形だ。もしかしたら生まれた時から。生まれる前から。
「私の人生」だと、「私の思い出」だと、「私が受けた愛情」だと、信じて疑わなかったものは「コンテンツ」であり「演出」だったのだと、知った。
有体に言えば「金儲けの手段」。
それでここまで育つことができたのだとママは言う。こんなに贅沢な暮らしができているのは当然じゃないんだって。
知らないよ、そんなの。
要らなかったよ、そんなお金。
私の人生を、返して?
お金で買い戻せないものを、私本人の同意もなしに、勝手にお金に換えないで。
そうして、傷ついて、泣いて、訴えるほど、あの人はまた、新しいコンテンツを手にするんだ。あの人の手から、インターネットを通して、世界へ。
消えてしまいたい、決して消すことができない「私の情報」が刻み込まれたこの世界から。
だけど私が消えることそれ自体が、あの人にとって最上のコンテンツになってしまうから、それも安易に選べない。
買ったアナタも同罪だ。どういう考えでそうしたのかは知らないよ。ただただ、買わないで欲しかった。買えるほどの経済力を持った「大人」なら、買わずに止めて欲しかった。
今すぐにその頭を壁にぶつけてでも、私に関する全てを忘れて欲しい。難しいのは知ってるよ。だったらもう、私が消えるしかないというのも。会ったことすらないのに、執拗に追いかけてこないで。私の人生を、暇つぶしのコンテンツとして消費しないで。
本当は、愛したいよ、愛されたいよ。普通に生きていたい。
愛するママ…だったあの人が見ていたのは、私じゃなくて私を使った先にある「数字」だった。あの人が愛していたのは「数字」で、それを打ち出せる「あの人自身」だった。私はただの器に過ぎない。
空っぽの器に響いた、温かくて気の合う親友が、恋人が、勝手に垂れ流されてきた私生活、春を売るような親の仕事と収入を全部把握した上で近づいてきた人間だったと知って、発狂しない人間なんている?
[ソーシャルメディアに子どもの写真をシェアすることを「シェアレンティング」といいます。共有(シェア)と親(ペアレンツ)の合成語です。シェアレンティングは、子どもの同意なしに写真が流出し、深刻なプライバシー侵害を引きおこすといいます。]
https://note.com/shobunsha/n/n1e589365f4c3
[Plunkett氏は、自分の子どもが写っているコンテンツを軽い気持ちで共有している親と、利益を得る目的で共有している親を区別しており、そうした営利目的の親の活動を「商業的シェアレンティング」と呼んでいる。
「そうした親たちは、現在または将来何らかの経済的利益を得ることを期待して、自分の子ども、または、場合によっては家族全体のプライベートな瞬間や私的な瞬間を撮影し、デジタルで共有している」(同氏)]
[自分の実生活が公開されるというこの側面は、ソーシャルメディアで働く子どもたちと、プロのエンターテインメント業界で働く子どもたち(大抵、架空の登場人物を演じたりする)を区別する重要な要素だ。これから数十年かけて、ティーンエイジャーを経て大人になっていく多くのキッズインフルエンサーたちは、精神崩壊や屈辱、極めて個人的な場面など、自分が最も弱っている瞬間を親によってインターネット上で世界中の人々に公開されたという事実と向き合わなければならなくなる。]
みんなも将来に向けて自分磨きしてる?
書いてて思ったけど流石に受動的すぎるかな。でも推理小説を読んでるとどうしても登場人物に自分を重ねてしまうって事あるよね、、、
降臨して、本は買わなかったらしいが、ペンネームを名乗ったうえで、ジャンル作品ゆかりのお菓子をサークル参加者全員に配り歩いた、らしい。
伝聞の形をとっているのは、原作者がそうしたことを匂わせる投稿をしていたのと、サークル参加者側がその時の様子を克明に記録しているふせったーから知ったからだ。
一般レーベルから出ているライトノベル。シリーズ10冊以上刊行されている。
主役級登場人物AとBの、緊密なやりとりや人間関係に、ひそかにBL要素を見出し楽しんでいる読者も、恋愛要素抜きに強い人間関係に面白さを感じている読者もいるだろう。
当然、BL愛好家の読者層を意識した販促をされていた。某BL特化通販サイトで新刊を買うと、書き下ろしおまけ冊子が付くこともあったくらいだ。
しかし一般レーベルなので、明確にABとかBAとか、決め打ちする描写はなかった。身体的接触も健全な程度に留まる。あくまでも距離が近いだけ。話の本筋も、主人公たちの人間の成長物語に終始していた。
そして今秋に最終巻が出て、シリーズ完結予定。
密かにABだとかBAだとか、いやはやABAだとか、そもそもCPじゃない、強烈なブロマンスなんだと、そんなふうに楽しんでいるオタクがXもといTwitterにたくさんいる。いたと思う。
最後まで関係性の描写は曖昧なまま読者に委ねられ終わるのだろう、そんなふうに思っていた矢先に、原作者が突然、特定CPオンリーに差し入れのお菓子と共に現れたというではないか。
イベント開催翌日の出勤前にTLをなんとなく眺めていたときに、ABサークル参加者の興奮隠しきれないふせったーがおすすめ欄に現れた。その内容と、原作者のアカウントでサークル参加者に差し入れたであろうお菓子の写真を目にした時、目眩がした。
瞬間的に、原作者は根ではABだったんだと感じた。
これまでAとBの関係は、BLでもそうでもないでもどちらでもと原作者本人が言っていたこともあったのに。それでもわざわざ、CPオンリーを調べて足を運ぶとは、そういことではあるまいか。
作品に書かれてることなら、折り合いがつけられる。読了後に本を閉じて、黙って去ればいい。
逆CP者の僻みと思うだろうか。
刊行分の原稿を書き終えたタイミングで、直近で開催されていたのがそのCPオンリーだったから。
別にこれで左右が決まったわけでもない。
この原作者の行動だけ見たら、ああこの人は作品には出さないけどAB贔屓なんだなと思うのでは?
無邪気に無意識に、やりたいようになさっただけでしょう。なら、なおさらつらい。
ご自身の行動が、BL愛好層が読者の大半を占めるだろうジャンルの性質もあいまって、錦の御旗になりかねないことを意識できなかったのか。
秋口にジャンルオンリーもあるようです。そちらではダメだったのだろうか。
しかしたとえ、この後にBAのサークル参加者の方にも原作者がやってきて、お菓子を差し出したとして素直に受け止められるだろうか。
ただ起こった事実は、
原作者が特定のカップリングオンリーへ参加して、読者全体のうちのさらに限られた一部の人間であるサークル参加者にのみ、名を名乗り、感謝の気持ちと称して菓子を配って周った
ということだけです。
サークル活動をしない人間の方が大勢だろうに、その中でもさらに特定CPのサークル参加者にだけ差し入れをなされた。
その他の何万部数を書店で手に取り読んできただろう読者は、ファンレターをしたためた読者は、サークル参加はしなくても好きをいろいろに表現して布教に余念のなかった読者は、SNSに登録していないだろう読者は、見えない知らないと突き放された気分です。
そんなおつもりは毛ほどもないのでしょう。だからこそ苦しいのです。
わざわざ調べてこのイベントに出向かれたはずです。サークル数分のお菓子を用意して。CPオンリーと知らなかったとおっしゃられる方が、余計に苦しい。
ここ数年刊行のたびに、はやる気持ちでページをめくっていた私の存在は、透明化してしまったのでしょうか。
作品を通してであれば、どんな世界でも受け止める覚悟ができていただけに、失望した。
せめて名乗らないで欲しかったし、受け取った方も菓子を原作者から手に入れたことは秘しておいて欲しかった。
作品の外で、作品の傾向を決めかねない行動を取らないで欲しかった。
しかし人は誰の思う通りにもできないのが常だ。
だからきっとこのようなことを原作者はなされないだろうという期待をしていた私がおかしいのです。
そこまで作品を愛好してくれる人に直接会いたかったのかもしれない。お菓子を渡したかったのかもしれない。
原作者がよくSNSでやり取りをしているのも、ABの愛好家が多いのも知っている。だからかもしれない。
神の気まぐれにより、浮き足立って、にわかに錦の御旗を手にした側にはわからないだろう。
むしろ、AB愛好家たちは自分たちの頭上にそんな旗がひらめいていることすらわからないのかもしれない。
選ばれた側には、選ばれなかった側の身も千切れるような悲しみと苦しみはわからない。
選ばれた側に、そんなつもりはないだろうから気にしすぎだと言われても、まったく響かない。
BAの愛好家の中には、信じてきた解釈をにわかに突き崩されて「あなたは実は想定したお客さんではなかったのです」と言われたような気持ちの人もいるでしょう。
あるいはAとBをいわゆるカップリングとみなさず、恋愛に限らず強い信頼のもとに結びついた稀有な関係として愛していた人も、同じくではないでしょうか。
それならば某中華ジャンルのように最初からABしか認めないと書いてあればよかった。そのまま受け取れた。
ここまで追ってきて、違いますと言われたも同然の経験をすることもなかった。
私情は読書体験のノイズになりかねないから、私は原作者をフォローしない。
私はアルゴリズムで流れてきたふせったーのインプレッションの多さに何かあったのかなと読んでみて、引っ掛かりを覚えて、勝手に原作者のSNSまでいき、答え合わせをして、勝手に落ち込んでいる。
作品と作者は違うと信じていたが、そうでない場合もあるらしい。
私はこの作品を愛していました。
繊細な言葉遣いで、世の中で置いて行かれてしまった隅の方に優しく灯りを向けてくれたから。
クィアな人々がいて、中でもアセクシャル(と思われる)人物の生き様や言葉には、自身のセクシュアリティに関する自己肯定感をすこし持ち上げてくれた。そんな力があった。
AとBが傷つきながらも足場を固めて未来へと進む姿に、清々しさと美しさを感じて好ましく思っていた。
宝物だった。
だからこそ、自分含むこのCPオンリーに参加していない読者すべてが置き去りにされたような気がして、悲しかった。
作家業も長くBLもお好きなようなのに、自分が書いている作品の読者層が、お菓子を配りたい!という気持ちから起こした行動に、どう反応するのかも理解できていなかったのだろうか。
完結記念にファンミーティングやサイン会を開きます、その手土産が作品ゆかりのお菓子です!
それならきっと楽しい思い出になっただろう。
今後、そのような催しが企画されたとして、いまさら行くかと問われたら、迷ってしまう。
そもそも私はこの気持ちのまま最終巻を手に取ることができるのでしょうか。
解釈には自由があると信じていただけに、そういう読み手への信頼も同時に原作者の文章から感じていただけにただただ悲しみを覚えている。
ここまでの積み重ねをひっくり返されるなら、せめて最終巻を読むことで散り、泣きながら去りたかった。
これ以上醜くなる前に、一足早く、ここから去ることにしました。
立つ鳥跡を濁さずを貫こうとも思いましたが、しかしこの程度の匿名の落書きでファンの分断が招かれることもないでしょうとも。そんなつもりはないんだよと仰ったみなさまです。
同時に、同じ苦しみを抱えているかもしれない人に向けてでもあります。あなた一人だけではないです。
同じ作品を愛していた人には、これだけでいったいなんのことかおわかりでしょう。
相応の報いがあっただけです。
どうか探さないでください。
私はこれまでに読んで受け取った言葉たちを思い出という名の宝石箱にしまって、去ります。
みなさんも、信じたいものを信じてください。
私の道のりはここまでのようです。
泣き言だけなのに、長くてキモいね。本当にごめん。
Permalink |記事への反応(17) | 20:11
珍しく映画観たんですよ。「おおかみこどもの雨と雪」って細田守の映画あったでしょ。それ観たんですよ。多分中学以来。
とりあえず一周見てみたんだけど、せっかくなら岡田斗司夫みたいにできる限り細かく突っ込んで観てみよう、ってことで一時停止したり巻き戻ししたりして、考えながら1万字くらいの解説にまとめたんですね。
そしたらなんか、虚無感がえぐいんですよ。宙にふわふわ浮いてしまって、自分の人生に現実感が持てない。何度も巻き戻して一つ一つのシーンを考えるあまり、映画の中に入り込んでしまったのかもしれない。
きっと、「お話への深い没入」と「登場人物の共感」と「こんな世界あったらいいな」が合体するとこうなるんだろう。
恐ろしくて、もうこの映画は通しで観れない。
オリジナルのBLを書くようになり、創作BL界隈と呼ばれるところに足を踏み入れた。そこで目にした作品の傾向や、それを取り巻く倫理観に強い危機感を覚えたため、ここに記したい。
私はBLというジャンル自体を否定するつもりはない。むしろ、多様な愛の形や関係性を描く創作の可能性を信じているからこそ、現在の状況に警鐘を鳴らしたいのだ。
まず明確にしておきたいのは、私は「加害を描くこと」自体を問題視しているわけではないということだ。
刑事ドラマで暴行シーンが描かれても、それは暴行の肯定にはならない。なぜなら、その行為は犯罪として、加害として描かれているからだ。登場人物も視聴者も、それが悪いことだと理解している。
問題は、同じような行為が「愛の表現」として美化されてしまうことにある。BL=ボーイズラブという名前が示すように、このジャンルは「愛」を描くものということが前提にされている。しかし、実際には愛ではない行為が愛として包装されてしまうことで、読者の認識が歪む危険性がある。
例えば、ストーカー行為を「一途な愛」として描く、相手の意思を無視した性的行為を「愛が抑えられなかった」として描く、といったことだ。これらは現実では明らかに加害行為だが、「愛」の文脈に置かれることで美化されてしまう。
では、どうすればよいのか。加害的な要素を含む関係性を描くとしても、それを以下のような視点で見直すことが重要ではないだろうか:
・加害は加害として認識し、美化しない
・読者が「これは愛ではない」と理解できるような文脈を提供する
・適切な注意書きやタグで、問題のある内容であることを明示する
こうした配慮があれば、複雑な人間関係や心の闇を描くことも可能になるかもしれない。重要なのは、「愛だから許される」という論理を安易に使わないことだ。
答えは一つではないし、表現の方法も多様であるべきだ。しかし、作品が社会に与える影響について考えることは、創作者の責任の一部ではないだろうか。
「ヤンデレ攻め」「執着攻め」といった言葉で美化される、合意のない関係性。これらを愛の一種として扱うことには深刻な問題がある。
加害は加害として認識しなければ、人の認知はたやすく歪む。読者も作者も、愛という名の加害をしないために、されないために、合意のない関係は愛ではなく加害だと示さなければならない。
「愛してるから仕方ない」「相手のことを思ってのこと」という論理は、現実の加害者がよく使う言い訳と同じ構造を持っている。フィクションであっても、この構造を無批判に美化することは危険だ。
愛という名の支配を、愛として終わらせない描き方もあるのではないだろうか。
「年の差BL」と名付けたところで、未成年を性対象とするのは搾取であり加害である。そのことに無自覚であるのは、社会の構成員として未熟であると言わざるを得ない。
例えフィクションであっても、未成年の性的搾取を肯定してはいけない。作品内で加害であり搾取だと明示的に示す必要がある。
「フィクションだから」「実在しないから」という言い訳は、その作品を読む現実の人間への影響を軽視している。
年齢差自体を否定するのではなく、未成年の時期における搾取構造を問題視する姿勢が大切だ。
「かっこいいアウトロー」としてのヤクザ、過激な性的描写のために用いられる反社会的勢力。これらがBLの名の下に愛の文脈に組み込まれることで、反社会的勢力の存在を間接的に肯定することに繋がる。
現実の反社会的勢力は、多くの人を苦しめる存在だ。それを恋愛の舞台装置として消費することの問題を、作者も読者も自覚すべきである。
現実の反社会的勢力がどのようなものであるかを調べ、「危なくてかっこいい」だけで終わらせない描き方を模索することも可能ではないだろうか。
家庭内の権力差を利用した支配という形になりやすいことに加え、兄弟の距離感や支え合いという要素が、健全な人間関係の中で描かれるのではなく、「恋愛」「性的関係」によって"昇華"されるという描写が多い。
これは「愛=性的でなければ完成しない」「人間関係の価値は性的関係によって最大化される」という、非常に歪んだメッセージを流通させている。
読者も作者も、「でも兄弟って元から距離近いし……」「他人より理解あるし……」みたいな家族ならではの絆を都合よくロマンチックに換算してしまっている。
これは現実の加害構造(例:近親間の性的虐待)でもよく使われる「お互い理解があった」という"言い訳の構造"と同じものだ。無自覚に"現実の加害の語り口"を踏襲してしまっているという恐ろしさがそこにはある。
もし家族の絆を描きたいのであれば、それを恋愛・性的関係に昇華させる以外の方法もあるのではないだろうか。深い信頼関係、無償の愛、互いを思いやる気持ちは、恋愛関係でなくても十分に描けるはずだ。「愛=性愛」という固定観念から自由になることで、より豊かな人間関係の描写が可能になるかもしれない。
もし家族の歪みを描きたいのであれば、より慎重になる必要があるだろう。決して愛ではないことを明示し、望んだ人のみが読めるような配慮がいるのではないだろうか。
SNSにおいては、扇情的で過激な内容ほど注目を集めやすい。フォロワー数や「いいね」の数が創作者の承認欲求を満たす指標となる中で、倫理的な配慮よりも話題性が優先される傾向がある。
本来であれば、問題のある内容には適切な注意書きやタグをつけることで、それを見たくない人を守ることができるはずだ。しかし現実には、タグが形骸化していたり、そもそも問題意識がないためにタグがつけられていなかったりする。
「もっと刺激的に」「もっと話題になるように」という競争の中で、倫理的な境界線がどんどん後退している。「BLは過激であって当たり前」という風潮が形成されていくのは危うい。
BL自体が悪いのではない。問われるべきは、それを創作・発信する人々の倫理意識だ。
#創作BLのタグが加害の美化や反社会的な価値観の拡散に使われてしまうのは、本来のBLの価値を貶めることでもある。
SNSにおいては、扇情的な表現が前後の文脈から切り離されて拡散されることもある。自分は気を付けていると思っていても、想定外の読者に想定外の影響を与えてしまう可能性がある。
創作者には、自分の作品が社会に与える影響について、より慎重に考える責任がある。
私はSNSでの創作発信から距離を置く決断をした。フォロワー数や反応の数に一喜一憂し、過激な表現に手を出しそうになる自分に気づいたからだ。
しかし、創作を続けたい気持ちは変わらない。創作に必要なのはフォロワーではなく、自分の納得と尊厳だと思う。
問題のある作品を無批判に消費し続けることは、その価値観を間接的に肯定することになる。読者も作者も、一人ひとりがもう少し立ち止まって考えてみてほしい。
どれの話題か明言しないけど、人間ってイケイケ状態になるとマジ出入り業者とか冷遇して憚らなくなるみたいなんだよね
役割を演じているうちに、人格が役割に乗っ取られてしまうんじゃないかと思った
そんな中で心を痛めながら正気を保ってる人もいて立派だなあと感じるということがむかしありました
ロールモデルとか
こうするとかっこよく見えるとか
たとえば親の役目を演じることで本当に親になっていくのかもしれない
ただ、自分は忙しいから些事に関わっていられないよ、買い出しみたいな雑用は誰かに任せちゃうよ、みたいな人格を演じているとヤバくなりがち
これは最初の話と違う話題だけど、誰かがメロドラマの登場人物になりきって暮らしていたら周囲は疲れちゃうよね
本人は気持ちいいかもしれないけど、目上の人がスリッパで頭を叩かないといけない
百田先生とかハックル先生は崇高な目的でやってるつもりだから便所サンダルで叩かないといけない
大変だ
結論:血の繋がりこそが全て
いやーー、終わり悪ければ全て悪しの典型みたいな映画だったわ、『国宝』。
最後の最後に出て来たある登場人物のおかげで、それまでの内容が全部吹っ飛んで、映画の印象が最悪になった。
役者の演技や舞台美術、音楽がどんなに素晴らしかろうとも全てが台無し。上等なワインに泥水をぶち込むが如き存在だった。
この映画の主人公はとにかく、歌舞伎役者として成功するに値する血統がない事に苦しめられ続ける。
主人公はヤクザの組長の息子で、家が襲撃されて父が死んだ時に助けてくれた有名歌舞伎役者に引き取られる。
その家には歌舞伎役者の実子として主人公と同い年のボンボンがいた。
そのボンボンは憎めない所もあるもの、稽古をサボっていたり、その割に父が怪我でその代役に抜擢された主人公の演技の素晴らしさに打ちのめされて主人公の彼女と駆け落ちし失踪したりと、とにかく迷惑野郎。
主人公はボンボンの失踪後に師匠の歌舞伎役者を支え、名前を貰うまでになるが、師匠が舞台上で倒れて最期に呼んだのは実の息子の名前。
父の死後にボンボンが帰って来て、主人公から居場所を奪う。主人公はヤクザの生まれである事や舞妓との間に考えを作った事実を週刊誌で報道されて落ちぶれる。
紆余曲折あった末にボンボンとも和解し、そんなボンボンの死から16年。主人公は結婚もせず芸に邁進し、遂には人間国宝に選ばれ、取材を受ける。
主人公を取材する写真家は、主人公が舞妓との間に生ませた実の娘だった。この娘の存在がとにかく最悪。
主人公に恨み言を吐くところで終わっておけばいいものを、舞台の上の主人公を称賛し、人間国宝選出を祝う言葉をかける。それから主人公は舞台に上がり、師匠がかつて得意とした演目を演じる。
結局のところ、歌舞伎役者としての舞台への情熱や演技にかける狂気なんてどうでもよくて、女と交尾して子供を作っておけばいいよというオチでした!!マジでクソだな!
この娘の台詞が主人公を恨むもので終わっていたら、映画の印象は全然違うものになっていただろうに。全てを失い肉親からも恨まれてもそれでも舞台に立つというオチならば、緩急が聞いて素晴らしいオチだった筈だ。本当に勿体無い。
ていうかこの映画、出て来る女性陣が軒並カスなんだよね。実子に後を継がせる事に執着する歌舞伎役者の妻や、主人公を裏切りボンボンと駆け落ちする主人公の彼女、主人公と駆け落ちしたが途中で見捨てる金持ちのお嬢様、2号さんでもいいという安易な考えで婚外子を産む舞妓、そんな母を恨まず父だけを恨む主人公の娘。原作者のミソジニーが強いのか、歌舞伎という題材だと自然とそうなるのか。
以下、社内公文。
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勤務場所変更のお知らせ
社員各位
この度、誠に急ではございますが、当社オフィスは今週末をもって閉鎖することとなりました。
つきましては、来週以降の勤務場所を、現在オフィスが入居しておりますビル内のマクドナルドとさせていただきます。
マクドナルドをご利用いただくにあたり、お一人様につきコーヒー1杯分の費用を補助いたします。
つきましては、午前8時から午後5時までの定時勤務をマクドナルドの座席にて行っていただくようお願いいたします。
なお、今回の決定につきましては、マクドナルド様には事前の承諾を得ておりませんので、その旨ご承知おきくださいますようお願い申し上げます。
皆様にはご不便、ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解とご協力をお願いいたします。
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#Chapter 1
登場人物:
*会社側:
*労働組合側:
鈴木委員長:本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。先日の「オフィス移転に伴う勤務場所変更のお知らせ」について、労働組合として緊急で協議の場を設けていただきました。早速ですが、会社側の真意と、今回の決定の妥当性についてご説明いただけますでしょうか。
山田部長:鈴木委員長、佐藤書記長、本日はありがとうございます。まず、今回のオフィス閉鎖については、経営状況の悪化と、それに伴うコスト削減が喫緊の課題であり、やむを得ない判断であったことをご理解いただきたい。現在のオフィス契約が満了を迎えるにあたり、更新を断念せざるを得ない状況です。
佐藤書記長:コスト削減の必要性は理解しますが、なぜ、よりによってマクドナルドを勤務場所とするという、常識では考えられないような決定になったのでしょうか?事前に何の説明もなく、一方的に通知されたことにも強い不満があります。
山田部長:承知しております。代替のオフィス探しも並行して進めていたのですが、短期間で条件に合う物件が見つからず、また初期費用も考慮すると、現状では非常に困難な状況です。そこで、当面の間、旧オフィスが入っていたビル内のマクドナルドを代替勤務場所として利用するという苦肉の策に至りました。社員にはご迷惑をおかけしますが、コーヒー代の補助も用意しました。
鈴木委員長:コーヒー1杯分の補助で済む話ではありません。まず、労働契約法上の問題です。就業規則や雇用契約書において、勤務場所が明確に特定されている社員も多数います。会社の都合で一方的に勤務場所をマクドナルドに変更することは、労働条件の不利益変更に該当し、場合によっては違法となり得ます。社員の同意なしにこのような変更を強行することはできません。
田中法務担当:鈴木委員長のおっしゃる通り、労働契約法上の問題は認識しております。就業規則では会社に配置転換命令権があることは明記されておりますが、勤務地が限定されている社員については個別の同意が必要となる可能性は否定できません。しかし、今回はオフィス閉鎖という緊急かつやむを得ない事情があり、まずは社員の皆様にご理解とご協力をお願いせざるを得ない状況です。
佐藤書記長: 「やむを得ない事情」で社員にこれほどの不利益を押し付けるのは納得できません。何より、マクドナルドには無許可で利用すると記載されています。これは、法務的に問題ないと考えているのですか?
田中法務担当: そこは、正直に申し上げますと、**非常に大きなリスクをはらんでおります。**マクドナルド様の施設管理権を侵害する可能性があり、営業妨害とみなされる恐れもあります。万が一、利用を拒否された場合、あるいは法的措置を取られた場合、会社の信用失墜は免れません。また、公衆の面前での勤務は、情報セキュリティの観点からも極めて脆弱です。機密情報や個人情報の漏洩リスクが高く、これは看過できません。
山田部長: (田中法務担当の言葉に眉をひそめながら)その点は承知している。しかし、現状、他に即座に打てる手がない。社員には最大限注意して業務を行ってもらうしかないと考えている。
鈴木委員長:山田部長、それでは無責任すぎます。社員は安心して業務に取り組むことができません。情報漏洩や法的トラブルは、会社の存続に関わる事態です。労働組合としては、社員の安全な労働環境を確保する責任があります。マクドナルドでの勤務は、この責任を放棄するに等しい。
佐藤書記長:そもそも、なぜ代替のオフィス探しを早急に進めなかったのですか?今回の決定は、会社の準備不足によるものではないでしょうか。
山田部長: 準備不足と言われれば、そう受け止めるしかないかもしれません。しかし、経営状況が厳しく、物件探しにも時間を要しました。何とか社員の皆さんに勤務場所を提供するために、急遽このような形での対応を決定した次第です。
*マクドナルドでの勤務命令の即時撤回。法的リスクが高く、社員の労働環境としても不適切です。
*代替となる適切な執務環境の速やかな確保。コワーキングスペース、レンタルオフィス、あるいは在宅勤務体制の本格導入など、現実的な代替案を直ちに検討し、社員に提示してください。
* 今回の決定に至った経緯について、社員全員に対する誠実な説明と謝罪。
山田部長: (田中法務担当に視線を送りながら)即時撤回は難しい。代替案の検討は喫緊の課題として進めますが、時間がかかることをご理解いただきたい。
田中法務担当:部長、このままでは会社が窮地に陥ります。法務の立場からは、マクドナルド側との正式な交渉、あるいは代替拠点の確保が最優先です。社員の同意なしにマクドナルドでの勤務を強要することは、労使紛争のリスクだけでなく、対外的な信用問題にも発展します。
鈴木委員長: その通りです。会社が社員を守ろうとしないのであれば、労働組合は社員の権利を守るために、**あらゆる手段を講じざるを得ません。**ストライキも視野に入れざるを得なくなるでしょう。
山田部長: (焦りの表情を見せながら)ストライキは避けたい。承知しました。本日のご意見を踏まえ、**マクドナルド様との正式な交渉と並行して、緊急で他の代替案の確保を最優先に進めます。**そして、その進捗状況については、改めて労働組合に報告させていただきます。社員への説明についても、改めて検討し、必要であれば謝罪も含めて対応を考えます。
佐藤書記長: 進捗報告は、具体的な期限を切っていただきたい。曖週間単位で進捗を共有し、明確な改善策が見られるまで、労働組合は引き続き状況を注視します。
鈴木委員長:山田部長、田中法務担当。本日はありがとうございました。労働組合としては、社員の利益と会社の健全な運営のために、引き続き建設的な協議を求めてまいります。早急な対応を期待します。
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#Chapter 2
鈴木委員長:山田部長、先日のお話から1週間が経過しました。マクドナルドとの交渉状況、そして代替拠点の確保について、具体的な進捗をご報告いただけますでしょうか。社員たちは依然として不安を抱えており、一刻も早い解決を望んでいます。
山田部長:鈴木委員長、佐藤書記長、ご心配をおかけしております。ご報告が遅れ申し訳ありません。マクドナルドとの交渉については、実は既に合意に達しました。
佐藤書記長: えっ、本当ですか!?それは朗報ですね!どのような条件で合意されたのですか?
山田部長:はい。当社の事情を説明したところ、非常に理解を示していただきまして。当初は難しいと言われたのですが、**特別に店舗の一部を時間限定で貸し切り、当社の社員専用のワークスペースとして提供してもらえることになりました。**もちろん、他の一般のお客様とは完全に区別されます。
鈴木委員長: それは驚きです。まさかマクドナルドがそこまで協力してくれるとは…。具体的には、どの店舗で、どのようなスペースを、どのような費用で利用できることになったのでしょうか?契約書などはもう締結されたのですか?
山田部長:店舗は、現在のオフィスが入っていたビル内のマクドナルドです。費用については、通常のレンタルオフィスよりも格段に安価で、破格の条件を提示してもらいました。彼らも新しい試みに積極的で、当社の利用実績を今後の事業展開に活かしたいとのことでした。契約書も、昨日締結を終え、あとは社員の皆さんへの周知と準備を進める段階です。
田中法務担当: (訝しげな表情で)山田部長、失礼ですが、その交渉はどのような経緯で進められたのでしょうか?マクドナルドの担当者の方とは、直接お会いになりましたか?
山田部長: ああ、田中君。実はね、先方から連絡がありまして。メールでのやり取りが主だったのですが、非常に迅速に対応してくれましたよ。担当者の名前は**「マクドナルド・ジャパン、地域開発部のジョン・スミス」**さんという方で、英語でのやり取りが中心でした。日本の責任者らしいです。契約書もすべて英文で、確認はしたつもりだよ。
田中法務担当: (顔色を変え)ジョン・スミス…ですか?マクドナルド・ジャパンの組織図にそのような部署や役職は存在しません。また、本社との直接契約であっても、すべて英文というのも通常では考えにくいです。もしかしたら…詐欺の可能性があります。
田中法務担当: おそらく、マクドナルドを騙る詐欺集団に接触してしまった可能性があります。彼らは、企業の弱みにつけ込み、存在しないサービスや破格の条件を提示して契約を結ばせ、初期費用や保証金名目で金銭をだまし取ろうとする手口が多発しています。山田部長、何か金銭を支払われましたか?
山田部長: (動揺し始める)え、いや、その、契約締結の際に、**「先行設備投資金」として、数百万円を振り込みました。**これで社員の皆さんには最高の環境が提供できると…。
佐藤書記長: な、なんということだ!数百万円も騙し取られたんですか!?
鈴木委員長:山田部長!田中さんの言った「法的リスク」は、まさかこんな形で現実になるとは!これは会社の金銭的損失だけでなく、社員への裏切り行為に他なりません!社員はマクドナルドでの勤務を期待していたんですよ!
山田部長: (顔面蒼白になり)いや、まさか…。契約書も見たし、メールでのやり取りも丁寧だったから…。私は、会社のため、社員のためを思ってやったんだ!
田中法務担当: 残念ながら、この手の詐欺は非常に巧妙です。直ちに警察に被害届を提出し、送金先の口座を凍結するよう手配する必要があります。同時に、マクドナルド・ジャパンの広報部門に事実を確認し、公式見解を得る必要があります。今回の契約は無効であり、マクドナルドで勤務することは不可能です。
鈴木委員長:山田部長、責任問題ですよ、これは!会社の信用は地に落ち、社員は路頭に迷うことになります。労働組合としては、今回の件に関して、徹底した原因究明と、責任者の明確化、そして失った金銭の回収、さらに早急かつ抜本的な代替案の提示を強く要求します。
佐藤書記長: このような状況で、社員にマクドナルド勤務を強要するなど、もはやありえません!早急に別の選択肢を提示してください!
山田部長: (うなだれながら)申し訳ない…。私が甘かった…。田中君、直ちに警察とマクドナルド・ジャパンに連絡を取ってくれ。労働組合の皆さんにも、この件の全容を包み隠さず説明します。そして、何が何でも社員の皆さんの勤務場所を確保するべく、改めて全力で代替案を探します。
鈴木委員長:山田部長、今回の件は極めて重大です。労働組合としては、今後の会社の対応を厳しく注視していきます。社員の生活と権利が脅かされる事態を、これ以上座視するわけにはいきません。
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続く
だが北斗神拳は人の人体を内部から破壊する必殺の暗殺拳である。
その経絡秘孔を効果的なコンビネーションで刺激することで人体には様々な変化が起こる。
ゆえに神にも悪魔にもなり得る存在、それが北斗神拳伝承者出る。
史上最強の北斗神拳伝承者のひとりであるケン・シロウは南斗鳳凰拳の使い手聖帝サウザー戦において大苦戦を強いられることとなる。
サウザーはその拳法の腕前はもちろんのこと、自らの肉体に抱える秘密によってケン・シロウの北斗神拳を完封するのだ。
すなわちサウザーこそは内臓が左右逆転している肉体、内臓逆位のものだったのである。
これによりケン・シロウによるサウザーの経絡秘孔への攻撃は全くの無効とされるのである。
この内臓逆位症という非常に稀でそれゆえに広く知られることはなかった症例は、
ときの大人気漫画・アニメ「北斗の拳」によって爆発的に広まり知られるようになる。
そして、その登場人物であり、鮮烈なインパクトを読者・視聴者に与えた聖帝サウザーはのちにある遺伝子の名前として命名されることになる。
ショウジョウバエの研究で、内臓逆位を引き起こすある遺伝子が発見される。
これChatGPT構文だな
構成の魂が不在!!魂がないのにエモで誤魔化す!
句点の使い方が特徴的
カッコをつける割にキャッチフレーズにもなっていない長ったらしい文句(「主軸キャラなのに、物語を選んで動かしてない」)
見返してみたら⇡もそう
ここまで書いて元のamazonレビュー見たらChatGPT構文モロ出しだった。もうこういう時代なんだな。入力で乱文を書き連ねてつまらない色つけて整えるの。
シュウジ:こいつが一番タチ悪い。しらんうちにパワーアップして、好き勝手暴れた挙句「俺の物語はここで終わらない!」とか言って(実際は言ってません)ワープ退場。責任、放棄しすぎやろ。
ここだけ面白かった
創作の登場人物は、作者のストーリーに沿って行動しているしその行為や思考は論理的で答えがあるものがほとんどだからねぇ。現代文テストに引用されるようなものであればなおさらその傾向は強い。
現実の人間はもっと曖昧だし、思考が地の文に書かれている事もない。対面コミュニケーションでやり取りする情報の8割は非言語によるサインで、これの読み取り精度と感度がアカンというか壊れているのがASDよ。
ASDの傾向として、人と視線を合わせて話す事が苦手って人が多いよね。逆に頑なに視線を合わせない人間に会うと「こいつASDっぽいな」って思うくらい。
アレさ、対人に自信が無いとか気後れしてるとかって理由よりも、目を合わせるのが不快だからなんだよな。圧倒的な生理的不快感と戦いながら、それでも微笑みを浮かべながら相手の目の当たりに視線を向けようとすると、「眼」ではなくパーツ(まつ毛とか目尻とか)が見えて混乱して、会話に割く思考ソースがくわれて本当に苦しい。
定型はなんやそれ訳わからんって思うだろうし、ASDでもこの奇妙な感覚に強弱あると思う。
ASDの感覚世界の研究を紹介した本に面白い仮説が載っていて、今の所その説明が一番納得度が高かったんだけど、定型は全体→部分という順序で世界を理解するのに対して、我々は部分→全体というシステムで動いている。注意集中システムが定型と違うゆえに、様々な不具合ともとれる事象が発生観察されるのだ、と。
我々も人間なので、人に優しくされたら嬉しいし、馬鹿にされたら腹が立つし、悲しい時には涙も流す。
アニメ「ハイスコアガール」8話の、大阪のストII大会の帰りに河川敷で殴り合い(一方的に殴られ)をするシーン、おそらく淀川なんだけど淀川河川敷には何の用事もないはずなんだよな。
主人公達がいる側は低い民家などがあり、対岸に高層ビル群が見えるから、大阪駅の北で淀川の北側と考えられる。
そのへんであれば駅は淀川の北にも南にもいくつもあるから淀川に関わることなく会場からまっすぐ駅に帰ることができる。だから淀川沿いを歩くか淀川を渡ると遠回りになる。単純に橋を渡るだけでも700m近くになる。
修学旅行をこっそり抜け出してストII大会に来てるから、大会が終わってちょっと淀川見ていこうかという余裕はないはず。関東の中学生のような土地勘がない人間が夕方や夜に立ち寄る場所でもない。
それが、先に帰ったヒロインを主人公が走って追いかけてきて、河川敷で追いつく。携帯もない時代によくそんな通らないはずの場所で会えたものだよ。まるで隠しイベントを知ってたかのような動きだ。
殴り合いの後銭湯に行ってから阪急電車に乗って帰るストーリーだが、最初は淀川の北を東に向かって進んでたのが、銭湯の後は淀川の北を西に向かってることになる。目的地の駅(路線)を通り過ぎて銭湯に行ったのか?
それでも銭湯に行ってからもう一度河川敷を歩かなくてもよくね?
まあゲーセンがしゃどくろの時点でファンタジーだし、青春には河川敷が欠かせないから仕方ないよな。