
はてなキーワード:発達障害児とは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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## 1週間分の総括
この1週間は、選挙を中心とした政治・社会への高い関心が全体を貫きつつ、AIや投資など未来志向の話題と、食・旅行・趣味といった身近な雑談がバランスよく共存していた。
仕事や教育、医療といった現実的な課題への悩みが多く語られる一方で、新技術や文化を楽しむ姿勢も見られ、不確実な時代の中で生活を最適化しようとする等身大の大人たちの対話が印象的なログだった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
同じくフルタイム勤務でASD児の登校渋りを体験した者として体験談と自分が知ったサービスなどを残しておく。
子も二次障害のうつっぽくなって登校渋りが長引いたし、無理やり連れていくことで登園にプロセスが嫌になってしまうので、無理はさせない方がよい。
無理やり連れていったとしても、おそらく園での生活で馴染めていないことが、登園渋りの原因だろうから何も解決しない。
ASD児は定型発達の子より多くの困難を抱える。感覚過敏(聴覚、味覚等)、コミュニケーションの困難さ(友達と好きなものが合わない、コミュニケーションが独特で馴染めない等)、睡眠障害(寝つきが悪く昼寝をしにくい、逆に過眠等)などなど。その時期の子どもは自分の思っていること、嫌なことを言語化できないので、おそらく何が嫌なのかまだ本人もわからないのだろう。けれども「嫌」を察知しているから、登園渋りに繋がっている。
仕事を辞めることはいつでもできるが、同じ会社にもう一度入社することは困難である。辞める選択肢はなるべく最後のカードとして取っておく。(私も何度も辞めようと思ったが、結局辞めなかった。発達障害児はお金がかかるので、これは賢明な選択だった)
辞めないためにできることは、
→看護、介護休暇(年5日)、介護休業(年93日まで)のような制度でまずは数か月休めないかを検討する。子にASDの診断がついているから診断書を用いると介護休業が使えそう。詳しくは「育児・介護休業法」で検索して。
②訪問型支援を利用する(市役所から保育園に専門の職員を派遣してらって子どもの様子を確認して助言してくれるサービス。お住いの自治体にありますように)
③保育園と調整して合理的配慮を依頼する(自分の子が苦手な場面を少しでも和らげられるような工夫を園とともに検討する)
→①主治医での服薬調整
→相談支援事業所に相談してみる。(精神+子どもを見られる事業所が少ないこと、相談員がなかなか見つからないのがネック)そこで相談員から紹介された福祉サービスを利用する。(移動支援など)
ということができそう。(素人がまとめた内容なので、間違っていたら申し訳ない)
とりあえず、まずは一週間は保育園をお休みしてみることをお勧めする。そしてあなたも何もしない日を一緒に過ごす。それで子のエネルギーが溜まってきたなら行ってみればいいし、難しそうであれば休業を勧める。登校渋りは長期戦になる人も多いので(我が家も登校渋り10年選手くらい)親のエネルギーを消耗しないことが大事。親子でよく食べてよく寝て。
そして登校渋りが延長戦になって小学校以降に続いたとしても、小学校以降は一人でお留守番もできる年齢になってくるし、学校に放課後等デイサービスの人が迎えに来てくれるサービスもある。フルタイムを諦めたくなるだろうけれども、正念場は数年~5年くらい。そこを乗り越えられますように。この親子に幸あれ。
https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
なんかこの記事の母親のように、子が発達障害と診断されて絶望する親の話や障害受容は難しいという話を聞いてると、なんのショックも絶望もしない自分はなんなんだろうと思う。
子供はASD軽度知的ありで5歳、もうじき就学相談という頃合い。2歳ごろにASDの診断がおりたのだが、そのときは正直なところ「なるほどねー」と日頃の違和感が答え合わせできた納得感が強かった。絶望感はゼロ。むしろ周りから何度も言われた「大丈夫、いずれ成長する」「うちの子も昔はこうだった」が打ち消されてスカッと爽快感さえ受けた。
むしろその後、発達障害や発達支援の本を読み、ABAや感覚統合理論、TEACCHなどに触れ、育児について明確な指針や方略を学べたのでめちゃくちゃ育児が面白くなった。子どもがいろいろ強いこだわりを見せたり癇癪を起こしたときは「こいつあ学んだことを活かすチャンスだぜ」とワクワクした(体力はガリガリ削られるから顔は死んでる)。療育の様子を見るのも親の会に参加するのも興味深すぎて自分の人生イチイキイキしてるかもしれないと思う。
そう書くと、就学のこととか将来の見通しとかまったく考えてないからそう思えると思うけれども、結構当時から子どもが支援学校に入ろうが作業所勤めであろうがそれはそれでいい人生なんじゃないか?と思ってた。もちろんそういう進路をとれずに引きこもってしまうとか、強度行動障害が強くてまともに日常が送れなくなるのは、本人にとっても周りにとっても辛いので、そこはそうならないように気をつけたいとは思ったけど、それは障害の受容とは別の話だと思っている。
だが世の中の大抵の発達障害児の親は障害の受容に悩むらしい。なら自分はなんなのか?人の心がないから絶望もしないんだろうか?と、子供の障害のことよりも、むしろ自分の感情に欠陥があるのか?というモヤモヤの方が悩ましいと感じてしまう日もある。だが大抵はそんなことないやろと思いながらのほほんとドミノ倒しチャレンジみたいなトミカの行列を作る子供の背中を見てる(保育園の登園時間をもうすぐ過ぎながら)。
ということで障害受容の摩擦抵抗ゼロな親の話をもっと聞けると嬉しい。件のnoteの母親の絶望感は否定しないし、そういう感情の吐き出しや寄り添いは大事だと思う。けど、そういう絶望感ゼロの親の話もないと他の親も当事者も寂しいと思うんだ。
Permalink |記事への反応(36) | 22:56
知的障害や発達障害は、幼児期は「能力の優劣」ではなく、「発達の遅れ」として現れます。
あるスキルでは年齢相応、別のスキルでは数年遅れ、といったように、発達のバラつきが大きいのが特徴です。
専門家でさえ、その子が最終的にどのレベルに到達するかを確定的に判断することは困難です。
この不確実性があるにもかかわらず、知的障害児や発達障害児の将来は、健常児よりも早く決断を迫られます。
多くの場合、中学卒業後や高校卒業後すぐに社会に出ることを想定し、それに向けた進路選択を早期に行う必要があります。
健常者が20歳前後まで社会に出る準備期間を持つのに対し、彼らはわずか15歳や18歳で「清掃か、バックヤードか、工場か」といった職業選択を迫られるのです。
この現状に対して、知的障害者や発達障害者こそ、社会に出るタイミングを遅らせるべきではないか、という疑問が浮かびます。
彼らが従事する仕事の中には、社会貢献よりも「仕事を与えるための仕事」という側面があるのも事実です。
成長が遅れているにもかかわらず、健常者よりも早く社会に出ることを強いられる現状は、果たして社会にとって最善なのでしょうか。
健常者たちが、高校大学でのモラトリアムを謳歌するするのに、早く社会に放り出されるというのは、すこしオカシイのではないかと思いいます。
Permalink |記事への反応(19) | 11:52
不妊治療って不自然なことをして無理やり妊娠させる技術だから、その不自然をどの程度許容するかは人それぞれだよね。
あとは女性への負荷がめちゃくちゃかかるので、女性を痛めつけてまでどうしても子供が欲しいというわけではないってことかもしれない。
あと、ARTをやっている病院などは否定しているけれど、肌感覚としては不妊治療は発達障害児が生まれるリスクを上げると思うんだよな...
むしろ、何が何でも〇人欲しいのほうがその目標達成のために産んだ後回復したらすぐ求められるみたいになって逆につらいかもしれない。
子供が欲しいと言っている人も別に不妊治療に積極的だったり、それに必要なサポートを進んでやるって意味じゃないと思うんだよな。
ある日のことだった。私は仕事帰りに最寄りの駅から自宅へと向かっていた。疲れた体を引きずりながら、早く家で休みたいという一心で足を進めていた。その日は特に長い会議が続き、頭も体もクタクタだった。
駅の改札を出ると、前方に小さな子どもとその母親らしき女性が見えた。子どもは興奮気味に大声を出しながら、周囲を走り回っていた。母親は必死に子どもを追いかけ、「〇〇ちゃん、危ないからやめなさい!」と声をかけていたが、なかなか言うことを聞かない様子だった。
その子どもは私の方へと一直線に走ってきた。避けようとしたが間に合わず、ぶつかってしまった。「痛っ!」と思わず声を上げると、子どもは笑いながらまた走り去っていった。母親が駆け寄ってきて、「すみません、本当にごめんなさい」と何度も頭を下げた。私は苛立ちを隠せず、「ちゃんと子どもを見ていてください」と少し厳しい口調で返した。
家に帰ってもその出来事が頭から離れなかった。疲れているところにあのようなことが起き、ますます気分が沈んだ。なぜあの母親は子どもをしっかり見ていないのか、なぜ子どもはあんなに騒ぐのかと、もやもやと考えていた。
数日後、同じ時間帯に駅を利用すると、またあの親子に遭遇した。今度は子どもが駅のベンチに座り、大声で歌を歌っていた。周囲の人々は少し距離を置きながら、その様子をちらちらと見ていた。母親は優しく子どもに話しかけていたが、子どもは夢中で歌い続けていた。
その時、私はふと立ち止まり、その母親の顔をよく見た。疲れと困惑が混じった表情であったが、どこか愛おしげに子どもを見つめていた。その姿を見て、何か胸に引っかかるものを感じた。
帰宅後、発達障害についてインターネットで調べてみることにした。子どもの中には、周囲の状況を認識するのが難しかったり、自分の感情をコントロールするのが難しい子がいることを知った。また、親も日々大変な思いをしながら子育てをしていることが書かれていた。
私は自分の無知を恥じた。あの日、私は自分の苛立ちをあの母親にぶつけてしまったが、きっと彼女も毎日懸命に頑張っているのだと気づいた。
それからは、駅であの親子を見かけるたびに、少し離れた場所から見守るようになった。子どもが楽しそうに歌っているとき、母親がほっとした表情を浮かべる瞬間を何度も目にした。
ある日、子どもが私の方に駆け寄ってきた。前回のこともあり、一瞬身構えたが、子どもは手に持っていた小さな花を私に差し出した。「これ、あげる!」と無邪気な笑顔で言った。驚きとともに、「ありがとう」と受け取ると、子どもは満足げに母親の元へ戻っていった。
母親は少し戸惑いながらも、「すみません、この子が急に…」と声をかけてきた。私は微笑んで、「いえ、素敵な贈り物をいただきました」と答えた。母親はほっとした様子で、「ありがとうございます」と頭を下げた。
その瞬間、私は自分の心の中にあった偏見や誤解が解けていくのを感じた。人はそれぞれ違う背景や事情を抱えて生きている。自分の知らない世界があり、そこには自分が想像もしない苦労や喜びがあるのだと実感した。
それ以来、私は周囲の人々に対して少しだけ優しくなれた気がする。迷惑だと思っていた出来事も、見方を変えれば新たな気づきや学びに繋がるのだと感じた。
はてブとかだと「子供が発達障害なら親も発達障害だから自己責任。社会に迷惑かけるな」が見解だけど一応書かせてもらう
我が家は共働きで妻が時短フルリモートでなんとかなってるが、出社やハイブリッドだったら多分無理だと思う。一応送迎が家まで施設の車であったりと恵まれてはいるがやっぱ自分だけで一家養えたら楽だと思う。誰でも40代で年収1000万いかない社会はバグってるし、稼いでる知り合い見ても決して能力に差があるとも思えないから辛い
色々補助はあるけど出ていく税金に比べたらカスみたいなもの。自家用車とか持てません
子供は可愛いけど「定型発達だったら楽だったのに」って思いはあるし、妊娠時にケチらずフル検査すればよかったと思うがほんと検査高いし、検査結果見て堕ろせたかも分からない
そもそも発達障害って育っていく中で気付くのでだいたい後手。そしてはてブで言うような責任は親には無い。と分かってても自分を責めてしまう
ただ首都圏とか大都市では支援学級は増えてきており型にはまった教育からの脱却は進んでいるから希望もある
結局不労所得たんまりあったりする大概は握りつぶせる地元の名士でもなきゃ定型でも虐められたり虐めて人生台無しはいくらでもあるのでもし悩んでる親いたら悩むだけ無駄なので問題起きてから考えよう