
はてなキーワード:疾走とは
よっしゃー!
フルボイスじゃないんだ!
ボイスが脳内再生されるぐらいにはやってきたから全然問題ないわ!
弾が撃てないのはなんで?って16時間ぐらい思ってたらさすがに日が暮れちゃうので、
よーく説明書を読んでみてやると、
下にゲージが出てきて丸い玉が流れてくるタイミングで押すのね!
超理解!
なーんだ、
そう言うことだったのね。
やっば千束のボディの武装の企業マーク付きのものがないじゃん!
うわー!
私としたことが不覚にも陥る感じの感情を初めて覚えたときと同じ気持ちになって、
早速迎撃戦という武装などを報酬で手に入れられる戦いに挑んだの!
なかなかレアなのよね。
でも胴の武装の迎撃戦に挑戦のいつもはイカ漁だーつってクラーケン倒しに行ってるんだけど、
今日は胴のボディの武装のしかも企業マーク付きのものを得たいと思ってそこに挑戦したの!
そしたらよ!
な!なんと!
ピッタリとはまるこんなことある?って感じの
おおお!
運良いかも!
早速千束にフル装備完了のこれから強くさせつつと思わせといて、
とりあえず、
企業マーク付きの武装4つは千束に装備できたからホッと胸を撫で下ろすとともに私は他の用事を済まそうと思ったの。
スプラトゥーン3の私が自分自身自らに課している1日1勝と1日1ガチャのノルマ!
うわ!超私強い!
そんなのじゃあたらないってーって、
やったー!
ロボットボムであぶり出して追いかけるって作戦なかなか良いかも!
って思いつつも束の間の夢!
やっば!ナイスダマくるよ!
また千束が言いそうな台詞を私は脳内でつぶやきながらスーパージャンプで爆風に巻き込まれそうになりながら離脱するの!
超カッコいいんですけど!
まるでブルースリーの映画を見たときに熱い熱いヤカンを持っても熱くないかも!ってそんな修行のシーンを思い出して、
私も素手で鉄の部分のヤカンは熱くない!って触ったらめちゃ熱かったので
映画を見たからと言ってブルースリーのように熱さに耐えられるとは限らないのよね。
でも『リコリス・リコイル』観たから軽量ブキの赤ザップで快進撃を繰り広げられているのは、
多分気のせいじゃないかも知れないのは無いことも無いかも知れないく無く無くない?
軽量ブキもいいんだけど、
やっぱり私は重量級長射程距離のエクスプロッシャーかハイドラントとかの重火器のロマン系ブキを背負ってステージを走り回った方が好きかも!って思いつつも、
いつもとは違う私の戦い方に自分自身戸惑いながらも
でね、
すっかり話題になってないと思って私がもしかして窓から投げ捨ててしまっていると思われている、
『ドラゴンクエストVII Reimagined』もちゃんとやってるわよ!
君はなにを今見つめているの~って太陽が暮れた季節のイントロに似ているので、
戦闘のたびに私は君はなにを今見つめているの~って歌うのがお決まりになっているドラゴンクエストVIIなのよ。
で、
早速船を手に入れて大海原に出発だー!って、
過去でクリアした島を今の現在の時間軸でもまた冒険するの?って
1粒で2度美味しいやつ?
つーか、
これをこの石版の数だけやってくの?
ってこの最初のドラゴンクエストVIIの石版集めて第1話のドラマも
これがあの石版の数だけのもしかしてストーリーがあるってこと?
これを考えるともう途方もなさ過ぎない?
私クリアできるのかしら?って
不安になるけれど、
まあここは一旦セーブして終わってまたNIKKEの世界に戻っていくのよ。
今は楽しい楽しいNIKKEとリコリス・リコイルのコラボのお話が楽しくていいんだけど、
待ってよ!
多分新しく開放されたメインストーリーのチャプター43と44は、
恐らく恐らく超鬱展開の暗いまたこないだの周年イベントのように心をえぐられそうな展開になりそうなので、
多分楽しいあとはそう言うことがNIKKEでは待ち構えているから、
足もとすくわれないようにしなくちゃ。
なんだか気が逸るわ。
うー、
これから来ると思われる鬱展開に備えて、
これがせめてもの対鬱平気なのよ。
これ以上ハイボールが捗りすぎても困るけれどね!
うふふ。
思いのほか梅の酸っぱさに目がメガ覚めそうよ。
おお!すっぱー!って。
朝には効く酸っぱさ美味さね!
なくなくやむなくこの梅おにぎりにしたってわけ。
でもこっちも美味しいのでよかったわ。
ホッツ白湯ストレートウォーラーにルイボスティーのパックを入れる
ちょっと朝明るくなるの早くなってきてる?
身体を温めてくれるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
人類は完成度の低い映画を撮る権利がある。1点(100点満点中)。
マッドマックスと化した日本でライブハウスでタイバンやりながらブイブイ言わせてる連中、ワイスピよろしくドラッグカーレースに興じる連中、スラムに現れたキチガイ兄弟とスラムの連中、汚職政治家とヤクザ、原発建設、武装警察による取り締まりの強化、暴動、ロックンロールは鳴りやまない。
みたいな話やろ?たぶん。
この映画より点を高くつけた映画はたくさんある(つーか全部そうだ)けどじゃあその映画がこの映画よりいい映画かっていうと別にそんなことはないと思う。少なくともこの映画は撮った人間に熱量があるのが伝わる。日本でマッドマックスをやりたかったんだ!っていうのはわかるし、なにより俺の心を焦がしたパンクロックという概念そのものを映像化したいんだというのも画面の作り方や音からもちゃんと香ってきてる。
要はそれとおもしろいのかおもしろくないのかは別という話で、はっきり言ってこの映画の完成度は相当低い。
でも、パンクが先鋭化するにつれてどんどん機材を敢えて弱くして編集を可能な限り切って、なんならマイクもハンドスピーカーに変えたりして音楽としての完成度をどんどん下げていってそのことをもって熱量を伝えようとして、その手法こそをメッセージにしたのに近いものを感じる。
この映画を撮った連中はカメラがブレブレで何撮ってるかわかんなくても、フィルムの解像度がうんちっちでもうこれ何が写ってるかよくわかんねぇなってなっても、ストーリーももうハチャメチャでで結局何の話やったんこれってなっても、だからこそいいんだろ!と思って撮ってたんだと思う。そんな細かい、整った、美しい"技法"では俺たちの情熱は伝わらねぇんだ!!!というパッション、ヴァイブス。
メジャーのやり方に俺たちの魂をはめ込むことはできねぇんだよ!という反骨――ロック魂。
まぁ個人的にはそれで伝わらねぇのはお前の腕がないからやでと思わんでもないが、そういう人類がいてもいいだろうと思う。こっちが避けて通ればいいだけだし。
でもまぁ映像としてけっこういいなと思うところもあって、タイトル前の東京の道路を超早回しの主観視点で疾走するシーンの疾走感は酔う!と思いながらも勢いがあって格好いいし、そこから陣内智則率いるロックバンドの演奏シーンは楽曲の良さもあって引き込まれる。そういう意味ではしょうもない物語風のものが始まるまでの単純に映像としてのパートのほうが面白かったかもしれん。
若き日の泉谷しげるのヤバいチンピラ感は頑固おやじにもこんな嫌な尖りかたしてた時期があったんだなって思えるのもよかった。
まぁ時代感を考えるとしゃーないのもかもしれないけど、伝説的パンクバンドのスターリンが出てくるんだけどこいつらが大暴れしてるシーンがモロに吹き替えで生の迫力が全然出てなかったのはかなり残念。ここは頑張りどころだっただろ、絶対。
まぁこの映画って内容を話す作品ってよりはこの映画という現象を話すための作品だと思うので特に言いたいことはない。とにかくカメラワークがガチャガチャなので酔いやすい人は100%完走できないと思うので、俺三半規管弱いんだよなとか、最近ちょっと疲れてるんだよなとか、晩御飯食べすぎちゃったとかそういう人は絶対に見ない方がいいです。
そういう意味では映像で殴ってくる(物理)な映画であるのも一つの事実。
ただまぁ俺はメジャーシーンど真ん中を歩く人間だからね。むしろ俺みたいな奴らにあーだこーだいわれたくもないだろう。というわけで、この映画をこの形で撮ってこの形に編集してこの形を出した人たちの熱意に敬意を表して1点!この1は人差し指じゃなくて中指ね。本当は17点とかだと思うんだけどそんなしょうもないもんを出してくるくらいなら0点とかのほうがきっと喜ぶと思う、知らんけど。
そんなこんなで1980年代初頭のパンクロック好きにはたぶんマストアイテムなのと、カルト映画好きにはオススメでそれ以外のほぼすべての人類にとって別にみる必要ない映画だと思います。
なんかヘンな映画!38点。
ワニとネズミとメスワニとイヌとメスイヌはいろいろあってなんか楽しく暮らしてたんだけどワニが急死。ワニの死後、それぞれが喪失感から疎遠になっていく中、クソウザいカエルがやってきて彼らをかき回していく。
みたいな話。
未だかつてないくらいあらすじが短いんだけど実際作品もスカスカなのでしょうがないね。恥ずかしながら社会現象になった原作を俺はガチのマジで未読なので100ワニに関しては今回が完全所見となる。ただ、どういう連載形式で何があったのかくらいは増田の民として把握はしている程度。
この映画、前半がワニが死ぬまでのたわいもなさすぎる日常パートが続いて中盤でワニが死んで、後半でその100日後に街にクソウザカエルがやってきてウザくなるって構成で、たぶん原作は前半だけで、後半は映画オリジナルなのかな。
とにかく前半がなんかこう、キツい。たわいもなさすぎる日常パートで軽薄な大学生ノリみたいなのを永久に見せられんだけど、俺は軽薄な大学生ノリがめっちゃ嫌いなのでこいつら嫌いやわ~ってずっとなってた。ただ俺はホイ卒なので軽薄な大学生ノリを味わったことないんだけど、あの異常な内輪感と自意識、虚無感は「大学」というモラトリアムな期間を結構リアルに切り取ってたような気もする。嫌いだけど。いや、そもそもこいつらが大学生かどうかも知らんけど。
もろちん、この虚無だけどただ続く平穏な日常の喪失と回復を今回の映画の主題にしようとしていること自体は理解できるんだけど、こんだけ虚無だとわりぃ、やっぱつれぇわ。あと、たぶん原作ではもっと細かく(100回分?)エピがあったんだと思うんだけど今回は3カ月を1月分ずつ見せられるから余計にスカスカに見えるし、ワニの死も引き立たない。
少なくとも前半部に関してはフォーマット自体をミスってると思う。
で、ワニが交通事故で死んでから100日後にクソウザいカエルが引っ越してきて、こいつがマジでKYであらゆる人間にフレンドリーにデリカシーにかけるウザ絡みしてはなんか適当にあしらわれる。一方で親友、恋人であるワニを失った面々はいまだにその隙間を埋められずにいる。
よく遊んでたゲームのコントローラーは埃を被っているし、よく行ってたラーメン屋の前を通るときに少し立ち止まるけど結局入れないし、ワニがバイトしてた喫茶店も外から様子は見にくるけど中には入れない、メスワニは街でネズミを見かけるけど躊躇はするけど声はかけられないし、一緒に見に行った映画の続編が来てもそれを見には行けない。
人生において大切な人を失うっていうのはその人が単にいなくなることじゃなくて、その人と結びつくいろんなものが喪われてしまうという描写として言葉少なく正しく映像化されていたと思う。少なくともこの辺は普通に褒められる部分だと思うんだけどな。
クソウザカエルもただKYのイカレポンチなのかって言うとそうでもなくて、途中で「俺ってなんか浮いてる感じですかね」みたいなことを背中で語って去っていくシーンがあって、でもまた次のシーンではまたウザ絡みしてくる。そして終盤でウザカエルも実は友人を亡くしてこの街に流れてきていたことがわかり、あの無駄なポジティブさも彼なりの人生を進める方法だったのかもしれないと語られはしないけど理解はできる。
そうしてウザカエルの喪失に触れたネズミはウザカエルを通じてワニの死を受け入れ、再びワニを失った面々が再び集まり、新しい人生の先を進もうとして終わる。という後半パートに関しては俺は割と好きだった。まぁ、尺の都合かしらんけど圧倒的な語り足らず感があって、なんか何もかもが急やな……前半の虚無パートもっと削って後半に分けてあげればよかったのにと思わんでもない。
ストーリー以外だとまずアニメーションはマジで雑。低クオリティ。こないだ見たサマーゴーストは人物はラフ調でう~んとなりながらも絵としていい部分もあったし美しい背景でエモーショナルを掻き立てることもあったけど、今作はそういうの全然ない。アニメを見てるワンダーがない。俺は無料で見たけどこれを定価で見せるのはない。アンパンマンですら映画版は作画も動画もめっちゃいいからね。
あと世界観がよくわからん。ワニとネズミは同じサイズ感なのにヒヨコは現実のヒヨコサイズ(手の平大)なのがよくわからんし、作中の映画でヘビ?が馬車に乗って疾走するシーンがあるんだけど、ワニもネズミもイヌもネコも二足歩行でバイクや車に乗る人間みたいな世界観で馬だけ運搬動物なのどういうこと?動物権団体が黙ってないよ。ってなったり。
前半でワニが口をがばっと縦に開けてそれを長針と短針に見立てて「6時!」ってやるネタがあるんだけど俺はこれをワニの身体性(口が縦に長い)を活かしたワニギャグだと思って見てたら、後半で今度はネズミが口をがばっと開けて「6時!」ってやってて、いや前半のフリを活かしてるのはわかるんだけどネズミが口開けても6時にはならねぇだろ!ってなった。
全然関係ないけど悲しみに暮れる表現としてよくある「雨の中を傘もささずにトボトボ歩いてびしょ濡れになる」ってシーンがウザカエルに用意されてるんだけど、それ見て「でもお前カエルだしなぁ」って思っちゃった。
タイトルが「100日後に死ぬワニ」だったのが「100日間生きたワニ」に変わったのはたぶん、原作が100日の連載直後に大炎上して死亡したことから「(Twitterで)100日間生きたワニ」というレクイエムだったのだろう、知らんけど。
あ、声優はよかった。虚無な作風にあった情緒を抑えた平坦な演技が皮肉とかじゃなくて普通によかったし、特にメスワニはめちゃくちゃナマ感あってハマってたし、ウザカエルもよくこんだけ軽薄でポジティブでKYな役演じられるなって感心した。
そんなこんなで決して面白いって映画じゃなかったけど、見てブチ切れるような要素も特になかった。まぁ、こんなもんじゃないのって感じだし、そもそも映画にすべきではないコンテンツを映画にするにあたってこういう形なら成立するだろうという工夫や熱意はアニメーション以外からは感じられた。
創業から5〜10年、時給換算するとコンビニ以下の生活。VCから数億調達してもそれは「借金」に近いプレッシャー。
いざ上場しても「ロックアップ(株が売れない)」や「株主の監視」で、手元のキャッシュは増えず、自由も消える。
絶望ポイント: 「成功者の顔」をしながら、実は銀行残高と胃壁を削り続ける日々。
売却額の20%は税金。数億手にしても「あいつは会社を売った」と陰口を叩かれる日本独特の空気感。数年間の競業避止義務で何もできず、急激に老け込む。
絶望ポイント: 「お金はあるが、居場所がない」という虚無感に襲われる。
20代の全盛期を病院の当直と試験に捧げる。ようやく稼げるようになっても、待っているのは高額な税金と「失敗=訴訟」のプレッシャー。
絶望ポイント: 周りが遊んでいる時期に血を吐く思いで勉強し、得られるのは「他人の不健康を管理する」多忙な日々。
司法試験の難易度に対して、若手の給与が下落中。紛争解決という「負のエネルギー」を浴び続け、精神を病む。
絶望ポイント:勉強量と責任の重さに対して、年収の伸びがかつての期待値を大きく下回る。
現実:24時間365日アルゴリズムの奴隷。一度バズっても「次」を出し続けないと消える恐怖。プライベートはゼロ、アンチとの戦い。
絶望ポイント:10年後のキャリアが全く見えない「資産性のない労働」の極み。
睡眠時間3時間、締切に追われ続け、ヒットしてもアニメ化等の権利関係で手元に残るのは意外と少ない。
画面の数字と1日中向き合い、社会との接点が消失する。1日の損失で数ヶ月分の生活費が飛ぶストレス。
絶望ポイント: 「何のために生きてるんだっけ?」と鏡を見て自問自答する孤独な老後。
年収2000万超えだが、時給換算するとマック以下。15分単位で自分の人生を切り売りし、クライアントのパワポ作りに命を削る。
絶望ポイント: 30代で白髪・ハゲ・激太りの三冠王。スキルは「綺麗な資料作成」だけで、実業の経験はゼロ。
高年収と豪華なオフィス。しかし実態は「黄金の手錠」。一度その給与に慣れると、他へ行けず、常に「レイオフ(首切り)」と「PIP(改善計画)」の恐怖に怯え、社内政治に奔走する。
絶望ポイント:自分が作っているのは「巨大な広告表示マシーン」の一部に過ぎないという虚無感。
「地頭の良い凡人」の終着駅。20年間、調整(根回し)と忖度を繰り返し、ようやく部長になっても年収1500万程度。
絶望ポイント:若い頃の努力の割に、リターンが遅すぎる。50代でようやく「高み」に着く頃には、体力も感性も枯れ果てている。
圧倒的なモテと高年収。しかし実態は、世界中の僻地での接待と飲み会、時差ボケによる健康破壊。
絶望ポイント:会社の看板が外れると何もできない「組織の部品」であることに、定年直前で気づく。
数万人の頂点。しかし寿命は極めて短い。20代後半で戦力外通告を受け、社会に出た時には「一般常識のない元スター」として苦労する。
絶望ポイント:生涯年収を現役時代の数年で稼ぎきれなければ、残りの50年は下り坂。
知名度は高いが、事務所に引かれて手取りは極少。恋愛禁止、SNS監視、プライバシーゼロ。
絶望ポイント:若さが価値のすべて。30歳を過ぎて「元・有名人」として生きるプレッシャーは精神を破壊する。
世界から称賛されるが、現場は超低賃金の労働集約型。ヒットしても製作委員会に利益を持っていかれ、スタジオは常に赤字ギリギリ。
華やかなショーの裏で、在庫の山と資金繰りに追われる日々。トレンドを追いかけ続けなければ、一瞬で「ダサい人」に転落。
絶望ポイント:センスだけで勝てるのは最初だけ。あとは地道な「布の在庫管理」と「下請けとの交渉」が9割。
「先生」と呼ばれるが、責任の重さに対して報酬が安すぎる。徹夜続きの図面作成、現場監督との板挟み、法改正への対応。
絶望ポイント: 1つのミスで数億の賠償リスク。情熱がなければ、ただの「法規と格闘する苦行」。
脱サラして重機を揃え独立。しかし、人手不足と資材高騰、元請けからの買い叩きで、利益は右から左へ。
絶望ポイント: 「現場」から離れられず、体力が衰えた瞬間に廃業が見える。
40代まで任期付き雇用(ポスドク)で低年収。ようやく教授になっても、待っているのは「会議」と「研究費の申請書作り」で、研究する時間がない。
絶望ポイント:自分の書いた論文を世界で10人くらいしか読んでいないことに気づく夜。
自由を求めて脱サラ。しかし実態は、365日休みなし、バイトの欠勤に怯え、皿を洗い続ける日々。
絶望ポイント:利益率が低すぎて、自分がバイトした方が稼げるという矛盾。
本部の看板で安心。しかし、ロイヤリティを引かれると手元に残るのは微々たるもの。本部の奴隷状態。
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所感
楽しかった
「漫才の相方にするなら、高市早苗か?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……あの、さっきの政治の話よりはるかに難解なテーマですよ、これは。漫才の相方を選ぶというのは、人生の伴侶を選ぶ以上の「技術的マッチング」の問題ですから。それを前提に言わせてもらえば、ダイアン津田さんを相方にするなんて、自殺行為に近いですよ。
B: ほう、面白い。なぜですか? 彼は今、日本で最も「何をやっても面白い」と言われる、いわば笑いの神に愛された存在の一人ですよ。
A: そこが問題なんです。彼は「素材」であって「調理師」じゃない。津田さんを相方にするということは、こちらが一生、彼の支離滅裂な叫びや、すぐキレる性格、そして時折見せる絶望的なまでの無知を全てリカバーし続けなきゃいけない。センターマイクの前で、猛獣使いになれと言うんですか?
B: まさにそれこそが漫才の醍醐味でしょう!完璧な構成案をなぞるだけなら、AIにでもやらせればいい。高市早苗さんを相方にする自分を想像してみてくださいよ。彼女は喋りのプロです。滑舌も完璧、論理構成も隙がない。でも、彼女の隣に立って、あなたは「ツッコミ」を入れられますか?
A: できますよ。むしろ、高市氏のような「絶対に正論しか言わないキャラ」が、ちょっとした世間の常識からズレた瞬間にツッコむ。これほど快感なことはないでしょう。彼女のあの落ち着き払ったトーンで、とんでもない極論を言ってもらい、それをこちらが常識の側から引き戻す。非常に質の高い「インテリ漫才」が成立します。
B:理屈ではそうですが、舞台上の「熱」はどうなるんですか?漫才には、理屈を超えた「愛嬌」が必要なんです。高市さんの隣にいても、客は緊張して笑えない。「この人、後で本当に怒るんじゃないか」っていう恐怖が勝ってしまう。対して津田さんはどうですか。彼が「すぐ言う〜!」と叫んだ瞬間、劇場全体のガードが下がる。あの「圧倒的な隙」こそが、相方にとって最大の武器になるんです。
A: 「隙」といえば聞こえがいいですが、それは「予測不能な事故」のリスクと隣り合わせです。漫才は4分間という制限時間の中で、伏線を回収し、オチへ向かう建築物です。津田さんはその設計図を、本番中に破り捨てて叫び出すタイプでしょう。プロとして、そんな不安定なパートナーと組むのはストレスでしかない。一方で高市氏は、秒単位でネタの時間をコントロールできる。信頼関係の土台が違います。
B: その「設計図通り」が一番つまらないんですよ。高市氏と組んだら、それは漫才ではなく「政見放送」のパロディにしかならない。客が求めているのは、予定調和が崩れる瞬間です。津田さんがネタを飛ばし、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけ、わけのわからない造語を叫ぶ。その時、舞台には「生きた笑い」が宿るんです。そのカオスを乗りこなしてこそ、真の漫才師じゃないですか。
A:あなたが求めているのは「笑い」ではなく「ハプニング」だ。高市氏には、日本の伝統芸能に近い「話芸」の可能性があります。彼女のあの独特の抑揚、強調の仕方。あれを漫才の「ボケ」のシステムに組み込めば、新しい古典が生まれるかもしれない。津田さんのような「消耗される笑い」とは次元が違うんです。
B: 消耗される? 失礼な。あの「叫び」には、現代人が言いたくても言えない鬱屈を晴らすカタルシスがあるんです。高市氏の「正しさ」は人を正座させますが、津田氏の「おかしみ」は人を解放する。相方として、隣でその解放の瞬間に立ち会えるのは、表現者として至上の喜びだと思いませんか?
A: いいえ。隣で「ゴイゴイスー」と叫ばれるたびに、こちらの知性が削られていく気がするはずです。……しかし、確かに認めざるを得ないのは、高市氏を相方にした場合、こちら側の「ツッコミ」に圧倒的な力量が求められるという点ですね。彼女の威厳に負けず、いかに彼女を「可愛げのあるボケ」に転落させるか。これは至難の業だ。
B: そうでしょう?高市氏を「笑いの対象」にするには、こちらの人間力が試される。でも、津田さんは勝手に転落してくれる(笑)。私たちはただ、その転落を優しく、あるいは激しく指摘するだけでいい。この「やりやすさ」こそが、相方選びの現実的な解ですよ。
A: ……ふむ。では、もう少し踏み込んでみましょうか。「技術としての漫才」と「生き様としての漫才」。私たちは相方に、完璧なリズムを求めているのか、それとも制御不能な爆発力を求めているのか。
(続き)
A: 先ほど、津田さんは「勝手に転落してくれるから楽だ」とおっしゃいましたね。でも、それは相方として「甘え」ではないですか?漫才師というのは、お互いの知性を研磨し合って、誰も見たことがない景色を見せる存在であるべきです。高市氏という「最高精度の素材」をどう料理し、彼女の鉄の仮面を剥いで、一人の人間としての「ズレ」を露出させるか。これこそが、クリエイティブな挑戦ですよ。
B: 挑戦としては面白いでしょう。でも、漫才の舞台は実験室じゃない、戦場なんです。高市氏と組んだ場合、彼女の「正論の壁」があまりに高すぎて、客が笑う前に納得してしまう。客が「なるほど」と思った瞬間に、笑いは死ぬんですよ。一方で津田さんは、舞台に立った瞬間に「負けている」。あの「情けなさ」があるからこそ、客は安心して笑える。相方にとって、これほど頼もしい「敗北」はありません。
A: 負け芸、いじられ芸……確かにそれは一つの完成形です。しかし、津田さんの笑いは、常に「周囲の優しさ」に依存していませんか? 周りが彼を面白がってくれるという空気があって初めて成立する。対して高市氏は、アウェイの空気すら自分のペースに巻き込む圧倒的な「個」の力がある。もし、全く笑う気のない冷え切った客席に放り出されたら? 私は高市氏の「鋼のメンタル」と「計算された話術」の方に賭けますね。
B: 鋼のメンタル、ね……。でも、漫才における本当の強さって、鋼であることじゃなくて、柳のように「折れても戻ってくること」じゃないでしょうか。津田さんは、どれだけ滑っても、どれだけ相方に罵倒されても、最終的には「スーを差し上げます!」と叫んで無理やり着地させる。あの執念、あの泥臭い肯定感。あれこそが、客席の冷気を熱気に変える魔法なんですよ。
A: それを「魔法」と呼ぶか「ゴリ押し」と呼ぶか。……ただ、少し視点を変えてみましょうか。もし私が高市氏と組むなら、彼女に「完璧な理詰めのボケ」をやってもらいたい。例えば、コンビニのレジ袋の有料化について、国際法と経済安全保障の観点から3分間ノンストップで喋り倒してもらう。その横で私が「……で、袋いりますか?」と一言ツッコむ。この落差。
B:(笑)。それは確かに見てみたい。でも、それって一発屋の芸ですよね。2回目からは客も展開が分かってしまう。漫才の相方に必要なのは、飽きさせない「揺らぎ」です。津田さんは、同じネタをやっていても、その日の機嫌や体調で叫びのトーンが変わる。あの予測不能なリズムがあるからこそ、コンビとして何十年もやっていける。高市氏は、100回やったら100回とも同じ秒数で喋り終えてしまいそうで、パートナーとしては息が詰まりそうです。
A:職人性を「息が詰まる」と言われては、漫才の伝統が泣きますよ。しかし、認めましょう。あなたの言う「可愛げ」や「人間臭さ」が、演芸の本質的な一部であることは。高市氏を相方にするということは、私が彼女の「完璧さ」を破壊する悪役にならなきゃいけない。一方、津田さんと組むということは、私が彼の「未完成さ」を愛でる保護者にならなきゃいけない。
B: 結局、自分が「破壊者」になりたいか、「保護者」になりたいか。その好みの問題かもしれませんね。高市氏という巨大な権威をステージ上で転がす背徳感か。あるいは、津田氏という制御不能なエネルギーに振り回されながら、一緒に崖から飛び込む疾走感か。
A: どちらにせよ、まともな神経では務まりませんね(笑)。高市氏の論理の刃で切り刻まれるか、津田さんの叫びで鼓膜を破られるか。究極の選択です。
B: でも、一つだけ確かなことがあります。どちらと組んでも、終わった後には「とんでもないところへ行ってしまった」という、心地よい疲労感だけは残るはずです。それが漫才という、言葉と人間が激突する芸能の正体なんですから。
年金10万円の81歳男性、週5で食品配布会や炊き出し通い 13時間かけて都内3カ所を回ってくる日も…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/457210
つーか左派新聞のこういう「毎日エクストリーム競技してる系貧民」って定期的に出てくるからそろそろ覚えた方がいい。
とんでもない時間かけて複数個所の炊き出しを回ってる鉄人の話、
ちょくちょく見てるはずだからそろそろ覚えて気付いてくれ。
要するにこういうのって
左翼的思想ばっかり熱くて知能の足らないバカ記者がお盆や年末にやる伝統芸で
貧困層の苦労を誇張表現したくておもいつくことがフィジカル的に盛るなのよ。
その距離を雨の中とか荷物もってとか踏破できるのはその年代としては鉄人・超人でしょみたいな
自分で書いてることをちゃんと映像にして確認することすらない。
貧困問題を社会に問う手法として思いつけるのがフィジカル労苦一辺倒で
走れメロスみたいな大迫力で疾走する異常体力貧困老人を生み出してしまうの。
「これだと嘘がバレるな」と考える程度の知能もないのよ。
知能が低くても左翼的な思考してれば左翼新聞だと出世できちゃうとしか思えない。
貧民がいないって言ってるんじゃない。
ふと対岸を見ると、同じく人混みの先頭にやたら落ち着きなくアセアセしているおばさんがいた。
このときは「急いでるんだな」くらいに思っていた。
なぜか一直線にワイの方向へ全力疾走。
そのまま来たらワイに直撃するコース。
嫌な予感はしたが、さすがに直前で避けるだろうと思ってワイは直進。
というか、左右にも人がいて物理的に避けようがない。
結果。
避けない。
おばさん、ノーブレーキで正面衝突。
ワイ、後方にぶっ飛ぶ。
おばさん、衝突地点でピタッと停止。無傷。直立。
ニュートンのゆりかごの映像が脳裏をよぎった。
幸い、ワイの後ろにいたガタイの良いお兄さんが受け止めてくれたので怪我はなし。
もしガタイの良いお兄さんがいなかったらたぶんアスファルトに後頭部をぶつけていたと思うし、もし後ろにいた人のガタイが良くなかったらならば、その人を巻き込んで怪我していたとも思う。普通に危なすぎる。
おばさんは
とか叫びながら、そのまま走り去った。
その引っかかり、すごくよく分かります。技術的なマイルストーンとしての凄まじさと、それを作っている人間たちの「で、結局どこへ急いでるの?」という根本的な問いとの間に横たわる溝ですよね。
私も内容を確認しましたが、おっしゃる通り、デミス・ハサビス(Demis Hassabis)を中心とした「天才が世界を救うために疾走する」というナラティブ(物語)が強烈に演出されていましたね。
あなたの感じた違和感を、動画の具体的な描写と照らし合わせながら少し深掘りしてみたいと思います。
「アメリカ人のやらしいところ(自己伝説の開陳)」という指摘、鋭いです。DeepMindは、Google傘下に入り、演出の手法は完全にシリコンバレー流のヒーロー物語になっていました。
あなたが「禅僧がひっそり暮らすのが理想」と仰るのに対し、このドキュメンタリーに出てくる人たちは真逆の「解決中毒」に見えます。
動画のクライマックスでは、AlphaFold(タンパク質構造解析AI)が科学の進歩を加速させることが「人類へのギフト」として描かれます。確かにガンの治療薬ができれば素晴らしいことですが、その先にあるのが「AIが何でも最適化してくれる世界」だとしたら、人間は何をして過ごすのか?という虚無感は残ります。
彼らが目指しているのは、究極的には「人間の知能を超える存在を生み出し、バトンタッチすること」自体が目的なのかもしれません。それを「進化」と呼ぶか、「敗北」と呼ぶか、あるいは単なる「エゴの暴走」と呼ぶかで、このドキュメンタリーの感想は全く変わってくるのでしょう。
一つ一つの発明は間違いなく歴史的偉業ですが、その動機が「純粋な好奇心」だけではなく、「歴史に名を刻みたいという強烈な自我」に見えてしまうと、あなたの言うように素直に感動できない「引っかかり」が残るのも無理はない気がします。
言いたいことがないわけじゃないが気骨は感じた。62点。
3から20年ぶりの新作ということで他作品シリーズの傾向と同じく過去シリーズでもっとも人気のあった作品のスピリットを継承した作品、つまり2の正統続編と俺は感じた。世界に対しての「告発」と「ド派手アクション」である。2で活躍したコンパウンドボウも使うしね。
散々語り尽くされたことだと思うけどとにかくアクションがド派手になっている。これは火薬マシマシ麺固めという意味ではなく、とにかく人体破壊描写を二郎系の野菜のように盛りまくっているのである。またぬるいハリウッド映画のように「子供は殺されない」なんてこともなく、むしろ露悪的に、村の子供にミャンマー政府軍が銃剣を突き刺す描写まで克明に描かれている。
「これが戦場なんだ」そして「これは現実に起きていることですよ」ということを世界に告発したいという強い意志を感じた。
最後の戦いのランボーが機関銃を掃射してミャンマー軍兵士の身体が爆散したり腕や足がもげたり頭がふっ飛ばされたりするシーンも中々に壮観だ。痛みを感じる戦場を撮りたいという気骨と見せ場として盛り上げたい気持ちをうまく同居させたシーンになってると思う。
あと1,2ぶりに山の中をランボーが全力疾走するシーンがあってファンサやなぁとにっこりしてしまった。
身体は、まぁ、ステロイドで膨らませた身体は戻せないよねって感じ。しゃーない。
今作のストーリーとしては
タイで雑務をこなしながら隠居生活を送っているランボーの元にミャンマー政府によって迫害を受けている少数民族のためのボランティアをしている教会系の団体が訪れ、現地への舟渡の仕事を頼まれる。最初は断るもブロンド美女に頼まれてころっと方針を変えなんだかんだありながらも現地へ彼らを送り届け帰宅。その後、彼らはしっかり彼らは捕らえられる。彼らを救いたい教会の依頼を受け教会が雇った傭兵と共に再び現地に赴き頑張って彼らを救出し、帰省するのであった。
まず全然関係ないんだけど、3もそうだったけどなんでランボーはタイを隠遁の地に選んだんだろう。ベトナム帰還兵でベトナム戦争のPTSDに悩まされているのに、よりにもよって住民ほとんどベトナム人みたいな顔してるタイを定住の地に選ぶ感覚よくわかんねぇなと思った。
俺がブルックリンを歩いてたら黒人にケツ掘られてそれがPTSDになったとして、世を逃れてコンゴに移住しようとは思わんもん。差別的な例ですまない。本当に反省している。
今作が1のスピリットも継いでいるところは主にこの教会系ボランティア団体の扱いにある。
彼らは無邪気に「支援」が迫害を受けている少数民族を救うと考えており、非暴力を主張する。そして舟渡中に彼らに襲い掛かった盗賊を始末したランボーを人殺しだと責め立てる。これは1で帰還兵ランボーを空港で「赤ん坊殺し!」などと責めた民衆を投影しているのは明らかだと思う。
それに対してランボーは「平和ボケどもが!」と怒りを示す。スタローンの本音だろう。しかし特に口煩かったハゲは最終的に仲間の傭兵を助けるために最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方――落ちてた岩で敵兵を撲殺するという行為に及ぶ。
言わんとしてることはわかるんだけど、それでも彼らは非暴力的な形、医療や教育で少数民族を間違いなく救っていたわけで、確かにそれは根本解決にはならないかもしれないけれど、露悪的に「誰かを助けるために手を汚せよ」と示さずに彼らの思想をもうちょっと尊重してやってもよかった気はする。
誰もが「迫害から人々を救うために必要なのは支援じゃなくて兵力だ!敵をぶっ殺せば全部解決するんや!」って思想になっちゃったら世界めちゃくちゃになっちゃうよ。
よくわからんかったんはこの教会団にネームドとしてハゲとブロンド美女がいるんだけど、ランボーはハゲにはなんかやたら反発するんだけどブロンド美女にはやたら優しい。彼女のほうが人に寄り添う姿勢を持ってるとは思うんだけど言ってる思想はたいして変わらんし、見てる側からすると「こいつ女に甘いだけでは?」と思ってしまう。
ハゲの依頼は断わるけど夜に美女と話したら途端に船を出すとなるし、盗賊撃退後にやっぱ危険だから帰れというランボーの手をそっと握って「行きましょう」と美女が言うと「しゃーないなぁ」みたいな感じでやっぱり現地に向かう。たぶん、ランボーを現地に向かわせる強い原動力を思いつかんかったんだろうな。
お前ほどの美女が言うなら!ってなっちゃうのは男の心理だからね、わかるよ。でもさァ↑だったらブロンド美女じゃなくてベトナム系アジア系美女だろ!彼女を見て2で死んだ情報員を思い出して……のほうがドラマティックだろがい!
最終的に大惨劇の後に美女はハゲに抱き着いて愛してると告げ、ハゲと美女ができていたことが分かりランボーはそれを見つめ「なんかもう家に帰ろうかな」となるのでもしかしたらランボーがガチで美女に惚れちゃってただけかもしれない。
この作品の最後にランボーは実家に帰省するんだけどこれも個人的にはよくわかんなくて、ちょっと書いたけどそもそもなんでランボーがタイに隠遁してたかがよくわかんないんだけど、まぁベトナム戦争の英雄として帰ってきたらなんかそんな感じじゃなくて気まずくて家に帰れなかったのかもしれないけど、じゃあ今回の映画でそのもやが晴れるような展開があったかっていうと俺はそれをあんま感じられなかった。
2で捕虜を救い、3で(結果的に)アフガニスタン国民を救った。今回の少数民族を救ったことが過去の2例とは違うという必然性が薄く感じた。まぁ機関銃で敵吹き飛ばしまくってスッキリしたのかな。だったら3の後でも帰れるやろがい!3の最後にも「俺の戦争は終わりました」言ってたしさ!
あと、今作になってやっぱ気になったのは「ベトナム戦争のPTSD」って「ベトナム人に拷問された」ことなんだなって。「ベトナム人を大量に殺害したこと」じゃなかったんやなって。まぁ戦争ってそういうもんやからって言われたらそうかもしれんけどさ。今作では過去最高にもう本当にぐっちゃぐちゃにミャンマー兵をミンチにして虐殺するんだけど、ハゲも美女もあんなもん見たら一生のトラウマになるよ。そして保安官にいびられて山中を駆け巡りガソリンスタンドを爆破しちゃうよ。
でもランボーはなんかちょっとすっきりした表情で実家への帰省を決意する。「人を惨殺する」ということに対してのなんらかの意識がもうないんやなって。平和ボケした日本在住のバカヤロウは思ってしまいましたよ。
ただ、2や3に比べたら伝えたいことと作品の対応性が高いし、言いたいことを伝えるために映画を撮りました!そのために方法もちゃんと考えました!って感じが強く出てて個人的には好きな部類に入る映画だった。
8歳。
保育園の時から好きだった女の子がいた。おしとやかで、可愛らしくて、いつもニコニコ笑いかけてくれていた。小学校に入ると髪を切り、男に混じってドッジボールや野球をするようになった。絶望した。自分の好きだった彼女という概念がこの世から消滅した気がした。同時に「おしとやかで、可愛らしくて」という「属性」でしか彼女を見ていなかった自身の浅ましさにも気づいて絶望した。人は変わる。その変化が自分にとって好ましいかどうかなど関係なくエントロピーは増大し、覆水は盆に返らない。彼女も、自分も、家族も、世界のあらゆるものはいずれ形を変え、崩れていく流動的な現象に過ぎないのではないかと考えた。それは諸行無常の絶望、固定された幸福など存在しないという悟りだった。
留守番中、台所の包丁を腹に突き立てようとした。 刃先が腹に触れる感触がしたところに家族が帰宅した。当時は首吊りも飛び降りも知らなかった。ただ、腹を切ればこの流転する世界から一抜けできると信じていた。
15歳。
生きるのが少し上手くなったふりをしながら、内側から壊れていった時期だった。そこそこ勉強ができた。ただ、通える範囲に進学校と呼べるものはなく、地元の高校に進んだ。当然のように期末テストでは学年1位、模試では県1位を取り続けた。数字の上では順風満帆で友人もいたが、「友人」はいなかった。 周りを見下していたわけではないと思いたい。ただ、見ている景色の解像度が違いすぎたのだろう。自分が100の情報を処理して言葉を選んでいる間に、周囲は3くらいの情報量で会話を成立させている。それは親に対しても同じだった。部活で負った怪我がトドメになった。唯一身体性だけで繋がれていた世界すら断たれた。精神のバランスは音を立てて崩れた。ネットで稼いだ小遣いで、カフェインの錠剤を大量に買い込んだ。錠剤をコーヒーで流し込み、あるいは砕いて鼻から吸った。当然、睡眠のリズムは狂う。脳だけが異常に加速し、身体は鉛のように重い。そのちぐはぐな状態で、脳は刺激と情報を求めてネットの海へとのめり込んだ。
死ぬ勇気も生きる気力もなかった。空白を埋めるように過食に走った。深夜、家族に隠れてスナック菓子やアイスクリームを貪った。嘔吐恐怖症だから吐けない。けれど太って自己管理ができていないとバレるのはプライドが許さない。異常な距離を歩き、街の端から端まで自転車で疾走した。食べた分のカロリーを呪いのように消費した。食欲はさらに歪んでいった。パスタの乾麺をそのまま齧り、茹でる前の素麺を貪り、生の米を噛み砕いた。すり減った奥歯は戻ってこなかった。
そうして思考のノイズが限界に達したある日、どこかのビルから飛び降りたらしい。「らしい」というのは、この時の記憶が欠落しているからだ。何階から飛んだのかも覚えていない。結果的に無傷(ぱっと見は)で誰にも見つからなかったことから推測するに、おそらく2・3階程度だったのだろう。五体満足で生還した。しかし全身の打撲と擦り傷の痛みは長く続いたし、右膝の違和感は今も消えない。思い返すと飛び降りを決意させたと思われる決定的な出来事があったのだが、ここには書けないし書かない。
21歳。
もう書くのも面倒くさい。当時のことはほとんど覚えていない。前後数ヶ月の記憶が綺麗に抜け落ちている。気づいたときにはパソコンの充電コードで首を吊っていた。目が覚めたとき、首にはまだコードが絡みついていた。死ぬ気だったのか、発作的なものだったのか、それすらも分からない。ただ、目が覚めてしまったという事実だけがあった。
27歳。
命を投げ捨てるのは簡単なことだ。こんな簡単なことに3回失敗したのはこの世界から死ぬことを許されていないからだ。そう言い聞かせることで撤退戦のような人生を生きている。周期的に考えれば、そろそろ4回目の波が来てもおかしくない。8歳、15歳、21歳。これは「次」が来たときに同じ轍を踏まないための、あるいは衝動に飲み込まれないための、未来の自分へ向けた戒めだ。
GQuuuuuXのEDテーマはノイズどころか作品の背骨として機能してたと思うけどなぁ。
米津玄師、星街すいせい、竹...という座組で劇場公開前に「このアニメは現代の若者向けですよ。そういう心構えで見てくださいね」とミスリードをするのに機能してた。そして劇場公開後も新旧ガンダムの『水と油感』を演出する上でも役割を果たした。
そしてマチュたちの物語に限って言えば、序盤のポップな雰囲気、中盤のシリアスな展開、終盤の疾走感を一曲のエンディングテーマで接続して作品全体に一貫性を感じさせる機能も果たしてる。
あのアニメは最低限作品として成立するための土台を若者向け要素で固め、その土台の上で古参ガンダムファンがお祭りをやるアニメだった。米津玄師、星街すいせい、竹がお祭りの運営スタッフをして、1st信者がステージの上で酒飲んで気持ちよく踊ってる構図。そういう祭りだった。
https://www.shinjuku-law.jp/columns-labor/karousi-kijun/
半年間過労死ラインギリギリで働かされてる時点でメンクリでどうこうなるレベルじゃなくね?
無理やろ。フルマラソンでずっと全力疾走しようとしてるようなもん。
過労で倒れるか、メンタル完全に壊れる前に離脱するのを薦めるで。
【追記】
皆さんありがとうございます。トラバもブコメも全部読みました。ご自身の経験を書いてくださった方も多く、参考になります。
大したことじゃないのに悲観しすぎかなとか、現状から目を背けようとしていたけど、だめですね。
仕事における責任を考えるなら、これ以上悪化しないうちに手を打つことが何より必要だと思うことにします(奴隷根性全開ですみません。でもそうして大義名分風にすることが、自分にとっては一番楽なので……)。
仮に休んだらキャリアはどうなるのかとか色々と不安はあるけど、このまま同じペースで働き続けて悪化させるよりは絶対に良い!はず!!!
皆さんにも、少しでも良いことがありますように。本当にありがとうございました。
【追記ここまで】
最近、ふとした時に涙が出るようになってきた。一人で作業中にぽろぽろ泣き続けていることもあるし、会議中はギリギリ耐えて、終わったあとトイレで嗚咽しながら泣く、みたいなこともある。
コンディション悪化➝時間内に終わらず残業増➝コンディション悪化……という負のループから抜け出せない。
メンクリとか行った方が良いんだろうなと思うけど、怖くて行けてない。
色々と任せてもらってる今のタイミングで休んだりペースダウンしたりは絶対に嫌だ。責任感を過剰搭載しているタイプの人間なので、多少元気なときはそう考えて、周囲の期待以上に働こうとしてしまう。
同僚は優しくて、負担を分担してくれようとしてくれる。だけど、アドレナリンがドバドバ出てるときはとにかく走り続けたくなってしまう。元気なときの自分に首を絞められていると思う。
ちょっと気を抜きたいけど、全力疾走を続けたい。数週間くらい休ませてくれ。いやだ絶対に止まりたくない……こんな感じで気持ちの整理がつかず、通院にも踏み出せない。
客観的に見て、今は医療機関を頼ってみることが、長期的に働き続けるために必要だと思う。けれど、弱い自分にはその勇気がない。
なんにもならない長文を読ませてしまってすみません。どなたか、一歩を踏み出すための言葉をいただけませんか。
Permalink |記事への反応(51) | 11:21
2025年9月21日&9月23日GRAPEVINE TOUR2025 extra show@Niterra日本特殊興業市民会館ビレッジホール、大阪城音楽堂
7月の横浜は公演の数日前にイレウスになってしまい緊急入院した事により行けなかった(後で調べたらエブエブやっててマジで発狂した…どうなってんだ!!)ので本公演は1回しか行けなかった為、追加本当に楽しみにしてた。名古屋と大阪、友達とそれぞれお互いにチケット取ったんだけど、両日共2列目のアニキ側と言う奇跡…!!ありがとう!!バインに関してはファンクラブ入ってる意味があると言うか恩恵がめちゃくちゃ大きい。まあまあな確率で良席がまわってくるので本当に有難い限り…。
以下、印象に残った曲の感想など。
·Suffer The Child、本公演でもめちゃくちゃカッコ良かったけど、進化がすごい。アニキのギターのミッションインポッシブルとビバリーヒルズ·コップのテーマ曲の所カッコ良すぎる…。アニキのギターの音の良さと上手さがはっきりと分かって聴いてて気持ちいい。そして田中さん歌うめぇ〜!!この曲2003年に発売した曲なのに今が演奏も歌もが一番カッコイイのGRAPEVINE最高過ぎるな…。
·なしくずしの愛、田中さんの歌い方が昔より感情込めた感じになっててカッコイイ。田中さんの出すロングトーンって何であんなに気持ちいいんだろう…。アニキのギターからの演奏部分と田中さんのロングトーンが交わる所、頭振り乱すしかないぐらい気持ちいい〜!!
·Silverado、野外に合うな〜。アニキのギターソロ、いつ聴いてもリズム崩さずに弾けるのすごいなぁと思う。
·1977、音源で聴くのは好きなんだけどライブで聴くのはイマイチなので名古屋ではちょっと虚無の顔になってしまったけど笑大阪はアニキのギターがアレンジしてあって私がイマイチと感じてる部分が薄れていたのがすごく良かった。曲自体は好きなんだけどなぁ…。
·KINGDOM COME、すごい久しぶりにライブで聴いた!!カッコ良すぎる…。田中さんのアコギの音が美しい。サビの部分、大好き。あと田中さんのロングトーン。最後のハモリの部分をメンバー全員で歌ってるのも良い。アニキはめちゃくちゃ歌いにくそうだったけど笑
·ドスとF、カッコ良すぎませんか!?!?演奏がキマり過ぎている。こう言う演奏が聴けるからバインのライブってたまりません…。田中さんの歌詞に合わせた身振り手振りが何と言うかフロントマンとしてカッコ良すぎる。この曲のアニキのギターソロが大好きなのでそこが一番テンション上がった。本当カッコイイ…!この曲でアニキがリズム取ってちょっと踊ってたの可愛かった。
·こぼれる、アニキがしゃがんで足元にあるつまみをいじって音出しててギタリストも忙しいな…と思いつつ見ていた。多分ここギター弾く所ないから色々やってみようって感じだと思うけど。田中さんも曲中にアコギからエレキへの持ち変えしたり曲への工夫を感じる。
·天使ちゃん演奏前にタキシード(蝶ネクタイ付き笑名古屋では黒、大阪では赤を付けてた)を着た若ローディー君がブルースハープが入ったケースを持ってきて、フタを開けて田中さんが中に入ったブルースハープを受け取るって言う茶番笑 があったんだけど、名古屋では若ローディー君が鍵を片方しか開けてなくて中々開かなくて田中さんが「詰めが甘い!」って言いながら開けてあげてて照れて笑ってたの可愛かった笑名古屋では普通に聴き流してたけど、この曲をパフォーマンスしながら楽しそうに歌い上げる田中さんの歌唱力すごい…と大阪で改めて感じた。ブルースハープもめちゃくちゃ上手いし…。追加公演は鳴子の人数がめちゃくちゃ増えていて最終日はアニキについてるローディーの方も鳴子鳴らしてたしタキシード着た若ローディー君は両手に持ってめちゃくちゃニコニコで鳴らしてた。賛否両論ある演出だけど私は割と肯定派です。
·追憶のビュイック、最終日だけどアニキのギターが更にアレンジしてあってカッコ良かった。
·実はもう熟れ、名古屋ではアニキのエフェクターが全く機能してなくて出したい音が出せてなくて、大阪では音は出てたけどブヨブヨ〜って感じの多分狙ってた音じゃない音が出てて、途中でいつものやつにしてたのちょっと勿体なかったな〜。やろうとしてた感じで聴いてみたかった。
·カラヴィンカ、最初の田中さんが前に出てきて変顔でギター鳴らすのは全然良いけど(名古屋ではアニキが田中さんの後ろで両手上げてポーズとっててめちゃくちゃ可愛かった…!!その時友達が私の方みたらニヤニヤしてたって言ってて笑った。我ながらキモ過ぎる笑)めちゃくちゃカッコ良い演奏なのに田中さんのスタイロフォンの下りが長くてちょっと微妙な空気になってたのあれ田中さん的にはどう思ってるのかな?名古屋は佐野元春さん(上のホールでライブしてた)のSOMEDAYを鳴らしてて、アニキが「早くせぇ😡」的な感じでギター途中で入れてたけど全く意に介さずやり続けててアニキが虚無顔してたの笑う。大阪は全く何の曲か分からなかった…笑(円広志の曲だったらしい) でもアニキが笑ってたから良かった(?)この下り、大阪では名古屋より若干短くなってた気がする…笑
·猫行灯、ライブで聴くの楽し過ぎる。この曲作った亀ちゃんの才能…素晴らしい。特にアニキのギターから入る落ちサビの辺りが大好きでめちゃくちゃ頭振り乱している…笑最後の演奏部分で金やんの見せ場もあり、楽しさもあり演奏で見せつける場面もありのお得感ある曲。
·猫行灯からの会いにいく、バインの楽曲の振り幅の多さが分かる。美しさもありながらその中に滲む切なさが大好きな曲。アニキのギターも美しくてすごく良い。アニキのギターって曲に感情付ける感じのメロが多くて本当に大好き。
·lamb、ライブで聴くの大好き!!気持ち良すぎる!!ラストのサビでちょっと転調する所から田中さんのロングトーンが気持ち良すぎて田中さんになりきっている…笑
·mylove,my guys、アニキのギターめちゃくちゃカッコイイけどそれに合わせて田中さんが拳を突き上げてるの個人的にダサ…って思っててライブ後、友達に普通にダサいって悪口言ってしまった…。この曲本当大好き!アニキに曲を書くように仕向けてくれた勲さんには本当〜に感謝しかない。そんな事でもなければアニキ作曲の新しい曲は聴けなかったでしょう…。
·ENC、名古屋は遠くの君へ、疾走、Arma。大阪は風待ち、疾走、真昼の子供たち。大阪での疾走、アニキのギターがアレンジしてあって最終日まで工夫してるの素敵だ〜。個人的にArma締め結構好きなので(多幸感がすごい)嬉しい。大阪のENCは来るかな〜と予想はしてたけど…贅沢言えばGlareとか聴きたかったな〜。エブエブは望み過ぎだと思ったけど、もしかしたらって頭の片隅にあったのでちょっと残念でもあったり…。野外でエブエブ聴きたいよね〜!!
以下、曲以外の感想。
·名古屋では割とご機嫌な感じ&演奏も決まってたアニキだけど大阪ではギタートラブル?とか結構あった感じでちょっと残念な場面が多々あったかも…。野外ってチューニング狂いやすいって言うし(めちゃくちゃチューニングしてた)こんな事言うのあれだけど、野外でバイン観る時まあまあな確率でアニキの調子がイマイチな気がしている…。
·名古屋でピック投げ失敗した後、アニキが後ろ向いて恥ずかしそうにしてたの可愛かった…笑
·名古屋で着てた田中さんのシャツ、めちゃくちゃオーバーサイズじゃなかった??
·「名古屋はどうなんやろ?もう一回来たり出来るのかな…」みたいな事を田中さんが言ったのでにわかにおおっ!?ってなってるお客さんに慌てて「何も決まってないし決まりそうみたいな事も何もないです」って言ってて笑った。もう一回ぐらい名古屋で観れたら嬉しいけど難しいだろうなぁ(今決まってないってなると確率かなり低そう…)
·田中さんのスタイロフォン、名古屋でアニキの怒りギターが入った時皆笑ってて、お客さんと長いよって思ってたんだなと思ってたら田中さんがお構いなしで続けてて呆れ顔してたアニキ本当面白かった笑亀ちゃんはドラムスティック握りしめてずっとタイミング見計らってるし(私は全然気付かなかったけど大阪では金やんがブチ切れ顔?してたらしい笑)田中さんってバンドの外だと先輩風吹かしてるのにバインの中だと急に末っ子感出すの何かあざとい…笑
·勲さんのテルミン、大阪ではしっかり見れたけど職人技だな〜としみじみ感じた。
·大阪で次回ライブの告知した後ポスターを若ローディー君が貼るのを田中さんが「(貼り終わるの)待ってるわ」って言って見守ってて、勲さんもポスター貼るの手伝っててあげてて暖かいなと思ってたら亀ちゃんもニコニコしてて可愛かった。
今回のツアーは小さいライブハウス公演も多くてライブハウスに合わせた演奏にどんどんなっていってたのもあって割と演奏も歌も熱い感じに仕上がってるのとても良かった。悔しくて何度も書いちゃうけど惜しくも横浜公演に行けなかったのだけが心残り。まぁこの時期シロップのツアーとも重なってて、仕事とライブでスケジュールがパンパンになっててかなり無理してたからなるようになってしまった感はあったけど…。皆同じ時期にツアーとかライブ決めるの本当に辞めて欲しい…笑 このアルバムの曲がもう頻繁には聴けなくなるかもと思うと惜しいなぁ…。ドスとFとmylove〜は定期的に聴ける感じたと嬉しい。友達とも話してたけど、デビュー28周年にしてここまでバンドが良い状態で田中さんの声も今が一番なんじゃ?と思わせる程のボーカル力、こんなすごいバンドのライブをもっと沢山の人に観て欲しいと心の底から思う。本当に勿体ないよ〜!!
1.わすれもの
2.どあほう
3.Suffer The Child
5.なしくずしの愛
6.Silverado
7.指先
8.1977
11.ドスとF
12.こぼれる
15.実はもう熟れ
16.カラヴィンカ
18.会いにいく
19.lamb
ENC.
(名古屋)
1.遠くの君へ
2.疾走
3.Arma
(大阪)
1.風待ち
2.疾走
3.真昼の子供たち
高崎の街を疾走する一台のAE86。そのドライバー、タカシは、高崎名物のだるま弁当をこよなく愛する男だった。しかし、彼のライバル、前橋の焼きまんじゅう店「ウィッチーズ」のオーナー、ミドリは、焼きまんじゅうこそ至高のグルメだと信じて疑わない。
ある夜、二人は榛名山のダウンヒルで激突する。「焼きまんじゅうの甘い香りが、俺の集中力を乱すぜ!」と叫ぶタカシ。一方のミドリは、「だるま弁当の硬い米粒じゃ、スピードに乗れないわ!」と挑発する。
タカシのAE86がコーナーをドリフトでクリアするたび、助手席に置かれただるま弁当の蓋がわずかに開き、香ばしい鶏肉の匂いが車内に充満する。それに対し、ミドリのシルビアS13は、排気ガスの匂いに混じって、焦げ付いた焼きまんじゅうの匂いを撒き散らす。
バトルは最終コーナーに差し掛かった。先に仕掛けたのはミドリだった。彼女は、焼きまんじゅうの串をイメージした特別なスリックタイヤ「串焼きグリップ」を装着し、強烈なインを突く。タカシも負けていない。彼は、だるま弁当の具材をイメージした「五色ドリフト」で応戦する。鶏肉をイメージした加速、こんにゃくの粘りでグリップを高め、椎茸の弾力で車体をコントロールする。
二台はほぼ同時にゴールラインを通過した。勝敗はつかなかった。降り立った二人は、互いの健闘を称え、握手を交わした。その時、タカシはミドリに、ミドリはタカシに、それぞれ自分の愛するグルメを差し出した。
タカシはミドリの差し出した焼きまんじゅうを一口食べ、「甘くて、懐かしい味だ」とつぶやいた。ミドリもタカシの差し出しただるま弁当を食べ、「素朴だけど、奥深い味ね」と微笑んだ。
この夜のバトルをきっかけに、二人は友情を深め、前橋と高崎の食文化は新たなコラボレーションへと発展していった。タカシの店のメニューに焼きまんじゅうが加わり、ミドリの店では、だるまの形をした焼きまんじゅうが人気を博した。彼らの熱いバトルは伝説となり、後に「イニシャルD~だるまと焼きまんじゅうの夜~」として語り継がれることになった。
なろう小説で生成AI使って挿絵を描く人は、イラストレーターから総スカンをくらいデビューできないとかそういう話を見かけた。
たしかに、ラノベが主要コンテンツである出版社はイラストレーターが偉くなってそうなるだろう。
自分自身の絵柄と似た絵が機械的に生み出されることに無頓着な人。
そして最後に作者が亡くなっているとはいえ、当時の倫理観、技術についての先見性のものであるが強火の生成AI推進みたいな内容が含まれてる漫画。
劇中で無許可(劇外だとアニメ化の際、手塚プロに制作スタッフ根回し済み)で機械的に手塚先生の漫画家の絵柄や作風を分析し、田中圭一先生が描いたみたいな漫画を原稿料無料で作り出す話。
テレビに出てきた歌手の声紋を無断でコピーする道具を利用する話。
普段から不法侵入や鶏みたいな道具で漫画の無断コピーも音沙汰はないから当然と言えば当然な気もするが。
声真似生成AIが問題になってる中、無断声コピー道具で体中に油をぶちまけながら炎の中全力疾走したような感じなのに燃えなかったのはどうかと思ったよ。
出版社の主要の屋台骨がこんなんだから、大手出版3社が生成AI推進派なのは納得。
田中圭一先生が描いたみたいな漫画を無断で作り出す内容が含まれるアニメがアニメの屋台骨みたいになってるテレビ局も特撮側で利用寄りになったし生成AI推進側だろう。
イラスト描いてたり、漫画描いてたりする人が名義を晒して、反AIとしてあまりにも過激な発言してたら、この出版社やテレビ局から干されないのだろうか