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2025-10-25

夢(No.1294 2025/10/24)

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帰宅しようと駅に立ち寄ると、聞いたこともない路線特急電車が停まっている。たった四駅しかない支線で、最終駅の名前「えだ」だという。こんな路線があるのかとぼんやりしていると、突然足元ががたんと揺れ、列車が出発した。いつの間にかぼくも乗り込んでいたのだ。これはまずいと思ったが後の祭りだ。諦めて次の駅で折り返すしかない。いや、どうせ時間も有り余っているところだ、せっかくだから見知らぬ街の観光も悪くないかもしれないなどと考え直す。

車内は案外混雑していた。ぎゅうぎゅう詰めというほどでもないが、かといって空いている座席もないという程度。これだけ人の往来があるということは、この先も思っていたより栄えた地方なのかもしれない。列車は海沿いの高架を走っているようだ。それにしても思っていた以上に走行距離がある。次第に退屈し、意識は細長く引き伸ばされてゆく。木々の枝の合間に瞬く夕日が眠気を誘う。

かれこれ数時間は走った頃だろうか、終点ひとつ手前の駅でふと我に返る。駅前には華やかなネオンが灯り始めた土産物店などが並び、浴衣姿の観光客たちで賑わっている。何があるところなのだろうかと不思議に思っていると、背後で列車の扉が閉まる音。振り返ると列車はぼくを置き去りにしたまま出発してしまった。どうやらこの列車乗客思念類推して勝手に乗せたり降ろしたりするらしい。そんなわけで、ぼくはなすすべもなくこの見知らぬ駅に置き去りにされてしまったのだった。

仕方なく、ひとまず帰りの時刻表を探す。壁一面に古びたホーロー看板が張り巡らされ、なかなか時刻表が見つからない。それどころか駅の名前も判然としない。少なくとも「えだ」駅ではないようだ。しばらくしてどうにか見つけた粗末な張り紙によれば、上下線とも一時間に一本ほどしかないようだ。この辺りで時間をつぶして待つしかない。

商店街ぼんやりと見て回る。アセチレンランプの灯る屋台食堂キッチンで、巨大な鉄板料理をかき混ぜる料理人がいる。少し空腹を覚え、食事をするのもいいかもしれないなどと考えながら通り過ぎる。だがさらに歩くとあっけなく街外れに出てしまった。寂寞とした葦原の向こうに激しく荒れた海が見える。何層にも厚く垂れ込めた空が落ち、誰かが遠くで荒れ狂う波に翻弄され断末魔叫びを上げているかのような底知れぬ不穏な気配。冷たい風の音だけに包まれ世界が妙に不釣り合いだ。再びあの疑念が沸き戻る。いったいこの街に何があるというのだろうか。

駅の方へ後戻りする途上にも、奇妙な違和感は頭の中で膨らみ続ける。一見華やかなネオンに彩られているものの、どことな張りぼてのような嘘くささ、取ってつけたような底の浅さが感じられるのはなぜだろう。何だかからない玩具を売る夜店の店先に退屈そうに座っている男。もう何年も品物が売れた形跡はなく、その収入生活できるはずもない。隣の古書店も品数は少ない。疎らな棚から試しに一冊手に取ってみると、子供クレヨンで描いた落書き帳だった。すべてが急ごしらえの街並みで、慌ただしくかき集められた役者たちが戸惑いながら呼び込みや観光客を演じている。そんな気がしてならない。おそらくあの時刻表も嘘だろう。帰りの列車など最初からないのだ。

←前

Permalink |記事への反応(1) | 01:18

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2025-10-13

anond:20251013182506

妄想から相手疑念でっちあげて、妄想反論してる異常者

Permalink |記事への反応(1) | 18:28

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2025-10-08

検察が異例の勾留取り消しを行い10月7日に釈放された

    本年5月19日に偽計業務妨害罪逮捕されしばらく家にいなかった。どこにいたかというと、警視庁本部留置施設に6月30日までいて、同日、東京拘置所移送されて、そこで療養生活みたいなことをしていた。全く無駄な4か月であった。10月5日になり担当検事裁判所勾留取り消し請求を行い、即日裁判所が認めて、10月6日に釈放されたため、家に帰ってきた。

  勾留取り消し請求については自分信書を出して10回くらいしていたが却下され、東京高裁にも抗告していたが9月中に却下されたため、10月5日に検事の方から勾留取り消し請求を行い釈放になるとは思っていなかった。

   勾留取り消し請求検事が行い釈放になるのは、0.4%であり、それが認められたらしい。拘置所職員出所と言っていたが、受刑者ではないのに出所はないだろう。未決拘禁段階で勾留が取り消されただけで、出所社会復帰ではない。

  勾留取り消しになったからといって特別感慨はない。検察面白いと思ってるのだろうがこっちは生命限界である特例措置ということもあり拘置所からタクシーで帰ってきた。自宅に放置してあったものは大体腐っていた。

   1年前に窃盗で釈放されもう次の逮捕はないだろうと思っていたところ、5月19日に、おとり捜査でまた逮捕され、反吐が出るような生活を送ってきた。今回の勾留生活で、窃盗時代経験もパーになったし、何にもならないという感想だらけの130日の勾留であった。

  そこの中でいつも思っていたのは、法律手続きに従って抗告をすれば希望があるのではないかということだけだったが、それをするたびに妨害あい生命を脅かされる危害を加えられるのであった。

  今回、検察官が勾留取り消しを請求したのは、今頃になって警察の方が口裏を合わせて業務妨害がなかったのではないか検察に報告してきたらしく、公訴維持に疑念が生じたため勾留を取り消さざるを得ないというようなことで、弁護人の方からも、クソを述べ上げるように説明された。

  私の申し立て理由は通らず、警察が口裏合わせをして業務妨害をなかったことにしたため、検察が、公判維持に無理があると考えたための勾留取り消しということだ。

   勾留が取り消されるということはそもそも被告人を訴追する必要性がなくなったとの公算を抱かせるし、今後は、公訴棄却可能性も高い。しかし今回の事件で、刑事事件被告人が戦うことは生命の維持にかかわり、楽しいところはなく、死に瀕するという体験しかなく何一つ面白いところはなかったということだ。

  130日も勾留しておいて、いまさらこうした理由勾留が取り消され、公訴棄却無罪の公算も高い。しかしそこにうれしさはない。正直、しんどいだけである

Permalink |記事への反応(3) | 09:24

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2025-10-06

鹿乃つの旦那黒幕

大分から推してる説。

ただ下衆与太話が大好きな1人の「一般人」の戯言として書く。

鹿の夫に対して以前より疑念があったが、段々と濃くなっている。

DVを受けてること含め圧倒的に相手有責で離婚できる立場

Discord(しか鍵部屋)等近しい相手じゃないと出ない情報流出

・意外と鹿は派手な浪費はしていない様に見える(家の金銭管理は夫側にある可能性が高い)

3つ目は無職の鹿と曲がりなりにも有名企業に勤めている夫ならある意味では当たり前だろうとは思うが、

鹿があれだけのモラルハラスメントをして見下しているだろう相手から搾り取りきれていない立場に甘んじているのは面白い

もしや旦那自分人生を滅茶苦茶にした相手を滅茶苦茶に仕返す壮大な復讐劇を仕掛けている最中なのでは無いのか。

鹿の性格を何もかも分かった上で、

いつか必ず起こすだろう炎上を見守り、

決して建設的なアドバイス諌めることもせず助長させ、

鹿を狼少年とさせ(←イマココ)、孤独にさせ、

自分しか味方が居ないとなった所で離婚を言い渡すのではないか

我々は圧倒的な夫婦喧嘩を見せられてるだけなのかも知れない。

(あまり関係無いが、二次創作者やレイヤーが既婚者である事を隠すのは割と良くあることなので「ポスト旦那の影が見えない」こと自体問題にする事では無いと思われる)

Permalink |記事への反応(1) | 14:06

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2025-10-04

NHKONE」に対する、たったひとつ疑念

10/1から放送法改正により、旧「NHKNEWS WEB」に代わり、アプリウェブサイトで「NHKONE」の提供が開始されている。

利用には受信契約必要でそれに伴いユーザーには利便性よりも不便性のほうが増した、というのが現状のようだ。

そのような状況を是とするかどうかはともかくとして、個人的にたったひとつ疑念がある。

なぜ「NHKONE」という名前にしたのか?NHKなら「NHKTWO」だろ?そうおもわんか?

Permalink |記事への反応(1) | 09:12

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2025-10-03

乳首オナニーチクニー)にハマりすぎてやばい

オナニーするときに気分を盛り上げるため、なんとなく乳首を触っていたんだけど、ここ数年乳首をメインで触ってる。

※早めに言っておくと、私は男です。女の子オナニー報告じゃなくてごめん!

乳首触ると一瞬で快感が来て、すぐに勃起する。正直、竿をしごくよりも早い。

両手使って両乳首を触るのが一番気持ちいい。片側だけだとそんなに…だけど、両側触ると驚くほど気持ちいい。問題はおちんちんを触りながら両乳首を触るのがほぼ不可能なこと。

そんなわけで、私は股間には電動のおもちゃを使い、乳首は手で刺激する方法を取っています。おちんちんへの刺激はよわよわでもいい、というかむしろ弱いほうが乳首に集中できていい。

正直ハマりすぎて、布団の中で乳首だけ触っていたらどんどん気分が盛り上がって、そのまま射精してしまった。

まったく余談なんだけど、まれエロ漫画で男が焦らされまくって、でも竿をしごけないか射精できずにつらい! みたいな描写あるけど、実際のところ射精寸前まで追い込まれたら、ちんちん触らなくても出るくない?

以上、ここまでは私の露出プレイに付き合っていただいたわけだけど、以下は相談

最近勃起力が落ちてる。30代後半だから年齢的なこともあると思うんだけど、ガクッと来たからけっこうショックがデカい。

パートナーが次の子供を欲しがっていることもあり、セックスを試みようとするんだけど、調子の良いときでないと中でイケなくなった。

上で書いた通り、おそらく年齢的なものかなと思う。でも、微かな疑念として乳首オナニーが原因のひとつだったら…?

有識者の方、もし何か知っていることがあれば教えて下さい。

私が次の子供をそれほど望んでいないというのも、気持ち問題として大きいのかもしれない。

ごめんね、暗い話になっちゃったね!

乳首オナニーおすすめから男の人でもやってみて!

ちなみに、ハマり始めた当初乳首が大きくなったら嫌だなぁと思ってたけど、思ってたより影響はなかった。

問題乳首が立ちやすくなったことか…。

ももともと寒かったりすると立ってたから、前よりも出っ張ってるってことはないかなぁ。

Permalink |記事への反応(9) | 10:39

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2025-10-02

今日メモ

日本テレビ奈良公園取材の件。

奈良公園周辺で長くガイド飲食店を営んでいる人物が「鹿を蹴る観光客は見た事がない」との旨の証言

それに対して一部X(Twitter)ユーザーが反発し、「そもそもこのガイド飲食店実在するのか?」

テレビ局が雇った、あるいはテレビ局内の人物による偽のガイドでは?」との疑念

NHK党・立花孝志氏も「これはテレビ局人間だ」と断言

https://x.com/tachibanat/status/1973286432019292546

(追記) その後、間違いを認め訂正あり →トラバ参照

それに対してへずまりゅう氏が反応、一旦は「人物実在確認できなかった」と報告し、

X(Twitter)ユーザーも「それみた事か、やっぱりあの報道捏造だ」とヒートアップ

しかしその後、ガイド実在との報告あり。

https://x.com/hezuruy/status/1973216432398983372

ただしテレビ番組中では「ガイド10年勤めている」と紹介されたらしいが、実際には2年らしいとの事で食い違いあり。

今後考えられる事:

一部のX(Twitter)ユーザーの中では、「あの偽ガイドテレビ局の内部の人間で、あの報道は完全な捏造だ。

へずまりゅうの調査でもそれは明らかだ」が真実として語り継がれるんだろう。

また、もう少しウォッチしていたところ

奈良公園周辺で25年も続いている飲食店は無い」との主張と

それに対して「普通に存在する」との主張あり。

あと、

番組内ではガイド10年勤めていると紹介していたが、実際には2年だった。矛盾している。

まりあの偽ガイドテレビ局内部の人間だ」

との主張が複数あり。。。このロジックちょっとよく分からない。。。

Permalink |記事への反応(3) | 11:10

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2025-10-01

恋愛相談】好きと愛の違いって?

好きというのは、単に「俺これ好きなんだよね〜」という一方的な好みとか所有欲みたいなものであって、好きな相手がいたとして、その人を振り向かせるために「相手のことをもっと知りたい」「相手はどういう気持ちで、どうしたら喜んでくれるか」とかを考えるのが愛に近いのかと考えている。

この場合相手客観的主観的に捉えて、好意次の一手として、相手に喜んで欲しいと思ってする言動の積み重ねが愛みたいなものに変わっていくのだと思っている。

端的に言うと、利己的な一方的好意が「好き」であり、利他的相手幸福を願うという感情が「愛」なんかと思っている。

ただ実際、気になる相手が出来て仲良くなって一緒にいたい、相手に好きになって欲しいとかの段階に持っていくまでに「自分ってそこまで相手のこと好きなのか?愛はあるんか?」みたいな疑念が拭えずに停滞してしまうし、一緒になったとして「そこまでして自分は一緒にいたいのか?相手は本当に好きで一緒にいてくれてるのか?」みたいな疑念も出てきそう。

まり積極的相手気遣い過ぎても重いだろうし、相手に委ねようにも進展はしないし、どういう基準でというか、どういうモチベーションでいるのが正解なのかわからん

相手にその気がないのに一方的好意をぶつけ続けられたら俺でも困惑するし、どう相手気持ちを持っていくか、難しい。

Permalink |記事への反応(3) | 11:33

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2025-09-30

不安感染やすい(高い感染力)からデマ(≒不安)をばら撒くな」

は、ある局面では、正しい。

しかし、いくら抑圧しても、その「不安(体感不安?)」そのものは、無くなったり消えたりしない。

「医クラvs.反ワク」では、どちらもが、相手に対して「デマ(=嘘)をばら撒くな」と言って批判し合っている。

この構図は、「外国人労働者の増加」に対する「左翼vs.右翼」の対立とも呼応している(ソックリな構図)。

抑圧や完全無視をすればするほど、人工的(作為的)な「ワクチン」や「グローバリズム」への不安疑念から生じる

「反◯◯」の感情は地下に潜伏する。そしてSNS選挙で突発的に噴き上がる。

これは、小さな歪みが長年にわたって溜まり、周期的に「超巨大地震」が発生するメカニズムと同じ。

ちなみにだが、「人工的(作為的)なモノや制度に対する不安(否認)」は、

かつての「大阪都構想」に関する住民投票でのギリギリの否決とも呼応している。

あるいは、「埋め立て地である人工島での2025年大阪万博」への批判にも、この不安要素があったかも。

そういえば、1996年世界都市博覧会(都市博)は都知事当選した青島幸男決断で中止に。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

Permalink |記事への反応(0) | 07:38

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2025-09-29

佐賀県警本部長、第三者調査を改めて否定

うんうん……わかるよ、「第三者委なんていらん、内部で十分」って言いたい気持ち……。

だがなぁ……これは典型的な“安心トリック”なんだよ……!

考えてみろ……!

「内部調査で十分」って言葉は、つまり「外の目が入ると困る」って言い換えなんだよ……!

内部か外部か この二つは天と地ほど違う……!

内部調査は“身内の茶番”に堕する……!

外部調査は“透明な審判”になる……!

どっちが信用を生むかは明白だろ……!

しかもだ……!

DNA鑑定不正が発覚してんのに、「チェック体制曖昧でした~」で済ませて、

「でも外部に見られるのは嫌です~」……こんなロジック、誰が納得する……?

未来予言してやる……!

このまま外部を拒めば、疑念雪だるま式に膨らむ……!

「内部で片付けた=何か隠してる」ってレッテルが貼られる……!

逆に、外部に調査を任せれば 疑念は逆に解消される……!

まり 拒否は自滅……!

受け入れることこそ唯一の生存ルート……!

Permalink |記事への反応(0) | 16:56

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2025-09-26

anond:20250926003352

おかしいですね。まるで仮想通貨仕手株のような動きをしています

2025年限月マイナスなのに2026年限月が現時点で前日比+7%

手数料はそこまで高くないので(1枚330円、頻繁に売買してれば鬼高いが、対面の売買回数ならたかが知れてる)マーケットメーカーがなんかやってんじゃないか疑念を抱いてしまますね。スプは深夜帯では20円まで広がっていたのですがそれが大きいのかな。

おかしいなと思って昨日は買いで取れたのですが(これが高齢者お金なのだろうか)、今日は売りで捕まってます。悲しい。

Permalink |記事への反応(0) | 10:23

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anond:20250925212236

知り合い程度なら「ほーん」で終わるがな

18の妹/娘が30歳連れてきたら「おいマジか(疑念)」てなるわ

Permalink |記事への反応(2) | 06:04

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2025-09-16

anond:20250915001834

これ、よほど質問を工夫しないと本心を言わないのが厄介なんだよな

外国から侵略に備えることまで否定してしまったら、いざ有事の際に日本人大勢死ぬことになりかねないが、それに関してはどう考えているのか、という当たり前の疑念に対して、本心を答えざるを得ない状況になって始めて「そうなったらなったで理想のために死ねばいいじゃないか最後最後まで戦争を拒んだ誇り高い民族として歴史に名を遺せばいい」と、苦虫を噛み潰したような顔をしてやっと口にする

戦争に嫌うのはご尤もだが、どこからどこまでを戦争範疇とするかを故意曖昧にする姿勢が不信を招く

Permalink |記事への反応(1) | 14:58

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吉田恵里香のぼざろ問題のまとめ

1.原作表現ノイズと言っている

2.原作表現を性加害的と言っている

3.覇権を撮るために改変したと主張

4.脚本家自身がそういう思想を元々持っている

5.思想を元に「自宅の風呂水着」という違和感ある表現に変えられたところ

6.思想を元にキャラクター巨乳設定が消えたこと(それにより一部シーンがカットされたこと)

 

______

 

賛同者の意見

a. 確かにこの作品性的な部分は不要だと思うから改変してもいい

b.原作者が良いと言ったなら問題ない

 

______ 

 

個人的意見

本件、例えるなら中国アニメを輸出するときに「露出が多いキャラには服を着せる」とか「タバコシーンは全部飴にする」みたいな改変に見えるんだよね

から危機感・拒絶感を覚える 

正直どっちでも面白さに大差はなかったかもしれないけど、大差がないからこそそこ変える必要無いのでは?そこで退いたら海外みたいになるのでは?と恐ろしくなる

そもそもぼざろは露出があるシーンはかなり少ない、果たしてそこまでする必要あるのか?と疑問になる

 

ぼざろのチームって皆かなり若いんだけど(監督が29歳、プロデューサーも30代)

ひょっとしたらこれが若い制作チームの感覚なのか?という疑念もあって、ちょっと怖い

実際、最近流行アニメはどんどん厚着になってるんだよね、ラブストーリー萌えも減っていっている

きらら系ですらそういう思想に染められるとしたらという恐ろしさがある

Permalink |記事への反応(2) | 00:55

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2025-09-12

そういう家の子の話

志村貴子「そういう家の子の話」が、宗教二世界隈(?)で話題なので最新話まで読んでみた。

センセーショナルじゃない二世たちの物語を書きたいとインタビューで仰っていたとおり、志村先生淡々登場人物たちの生活を綴っている。

登場人物は、皆とある新宗教に関わりのある人たち(二世に限らない)で、群像劇


本当に色々な人が出てくる。ネットでは、「やっと私たち物語が読めた」というような当事者の反応が多い。

しか共感できることもある。

だけど、俺の境遇がこんがらがりすぎているのと、色々な人が出てくるといいつつも、作品全体としては結局先生自身境遇が滲み出ているというか(それ自体は全く問題ない)、「無宗教」の人が読みやすいようになっているというか、そのように自分には感じられて、あまりエモーショナル気持ちにはならなかった。


別にこの作品がnot for meであること自体は構わないし、not for meなだけでとても素晴らしい作品だと思う(のでこの漫画批判する意図は全く無い)が、個人的に困ったのは、この漫画が界隈で「とても共感できる作品」という評判なように見受けられること。

この国だけでも1億人以上いるので絶対にそんなことはないと信じているけど、「当事者」間で好評な「群像劇」の中にさえ感情移入できる人が見当たらないとなると、やはり自分みたいな人は全然いないのでは(というか俺だけなのでは)という疑念が首をもたげてしまって精神衛生よろしくない。


てか、そもそも自分ルーツの教団はネットおもちゃエンタメネタになるほど大規模じゃないし、SNSの海ですら関係者全然見かけないから、同世代マジョリティであるはずの幽霊二世/三世と繋がることすら困難である


やはり今からでも進路変更して作家漫画家か脚本家になって自伝をつくるしかないのか。


そんなことより今日はもう寝るか。実験早く終わったし。

Permalink |記事への反応(0) | 18:22

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2025-09-11

遠い宴

橋を量る者が村を訪れると、

人々は食を並べ、盃を満たした。

役人銅貨を置かずに座し、

村人の言葉に耳を傾けた。

それは長く続いた習わしで、

誰も異を唱えなかった。

ある時、声が響いた。

「その盃は友情か、

それとも天秤を傾ける石か」

町の長は言った。

「疑われる盃は捨てよ。

どうしても受けるなら、銅貨を置け」

だが、人々はなお思った。

――絆と疑念は、いつから同じ杯に注がれるのか。

Permalink |記事への反応(0) | 07:34

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2025-09-10

anond:20250910160136

泊まる側は、いつもと違う位置にあると気になる。

誰かが侵入してるんやないか疑念を抱く。

Permalink |記事への反応(1) | 16:03

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伊東市議会解散騒動地元民の視点から言うとネットの反応と全然違う

伊東市に生まれ育って40年以上住んでる生粋地元民だけど、最近市議会解散騒動見ててモヤモヤしている。

はてなとかネット民市長独断税金無駄!って叩きまくってるけど、そんなに単純じゃない。

長年ここに住んでる市民の肌感覚から言うと、むしろ現市長の田久保前市長のドロドロした遺産を断ち切ってくれたおかげで、

一定以上の支持があるんだわ。

議会側が学歴詐称みたいな些末なこと大げさに膨らませて、市長引きずり下ろそうとしてる方が問題だって思ってる市民もいる。

まず、これまでがどれだけひどかったかというと、

伊豆高原の山林にメガソーラー計画ぶち上げて、地元住民は大反対。

市民の声無視して推進強行、結局業者から金貰ってるんじゃないかって噂は当初から飛び交ってた。

前の市長選で田久保が通ったのも、このメガソーラー問題デカかったから。

で、田久保市長になって、メガソーラー白紙撤回させ、

当時は市議として反対の先頭立ってくれた英雄だよ。

公約メガソーラー阻止と新図書館建設中止掲げて勝ったんだから

地元じゃ評価高い。

少なくとも前市長の腐敗体質をぶっ壊してくれた功績で、支持してる市民は多い。

周りでも、田久保じゃなきゃ、伊東業者に食い物にされてたって声もある。

ネットじゃ学歴詐称不信任決議可決されて、議会解散した市長無責任って叩くけど、

地元目線じゃ学歴なんかより反メガソラって感じ。

議会前市長派の議員が多くて、メガソーラー推進の残党みたいな連中がまだうじゃうじゃとか。

市長がXでメガソーラー蒸し返してるのも、議会が水面下で業者と何か企んでるんじゃないかって疑念があるから

市民の俺から見ると、議会機能不全起こして市政停滞させてる方が税金無駄

解散市議選やるってなって、4500万かかるらしいけど、ようやく議会刷新できるかもってポジティブに捉えてる人もいる(うちの親もそう)。

Permalink |記事への反応(22) | 15:37

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2025-09-07

気づいたらトランプのペースに乗せられている自分が怖い

最近自分が変わってきているのを感じる。

そして、それが怖い。

半年前まで、私はトランプを完全に否定していた。彼の言動下品で、政策危険で、人格は最低だと思っていた。友人たちとも、トランプ批判で盛り上がることが多かった。

でも最近、気づいたら彼の発言に頷いている自分がいる。

きっかけは、経済政策だった。

インフレが続く中で、トランプが掲げる製造業回帰の話を聞いていて、なるほど、確かにと思ってしまった。中国からの輸入に依存しすぎた結果、サプライチェーン脆弱になった。国内生産を増やすのは理にかなってる。

そこから少しずつ、他の政策にも耳を傾けるようになった。

不法移民問題。確かに急激な人口流入社会保障制度負担をかける。治安の悪化心配だ。完全に排斥するのは人道的に問題があるが、一定制限必要かもしれない。

エネルギー政策再生可能エネルギー理想的だが、現実的にはまだ化石燃料に頼らざるを得ない部分がある。急激な脱炭素経済に大きなダメージを与える可能性がある。

気づいたら、私は彼の論理に取り込まれていた。

そして、それを認めることが怖い。

なぜなら、私は彼の人格軽蔑しているからだ。

女性蔑視的な発言人種差別的な言動傲慢攻撃的な態度。これらは今でも受け入れられない。でも政策論については、部分的に納得してしま自分がいる。

この矛盾した感情をどう処理すればいいのかわからない。

友人たちには言えない。彼らは相変わらずトランプ全否定している。私がトランプ政策一定の理解を示したら、軽蔑されるだろう。右翼だとレッテルを貼られるだろう。

でも、完全に否定することも、もうできない。

私は自分洗脳されているのか、それとも冷静に政策評価できるようになったのか、判断がつかない。

メディア報道にも疑問を持つようになった。

以前は、トランプ批判的なメディア論調を当然だと思っていた。でも最近は、彼らも偏向しているのではないかと感じることがある。都合の悪い情報は報じず、都合の良い情報だけを拡大して報じているのではないか

この疑念を持つこと自体が、トランプ戦略に乗せられているのかもしれない。メディア不信を煽ることで、自分への批判をかわす。典型的ポピュリスト手法だ。

わかっている。でも、それでも疑問は消えない。

SNSでも変化を感じる。

以前は、トランプ批判投稿はいいねを押し、擁護的な投稿無視していた。でも最近は、擁護的な投稿にも一理あると思うことが増えた。いいねは押さないが、心の中では頷いている。

そして、批判的な投稿を見ても、以前ほど共感できなくなった。感情的すぎる、一方的すぎる、と感じることが多い。

これは成長なのか、それとも堕落なのか。

政治というものは、本来こういうものなのかもしれない。完全に善悪で割り切れるものではなく、複雑で矛盾に満ちたもの人格政策は別物で、嫌いな人でも良い政策を掲げることがある。

でも、それを認めることで、私は何かを失っているような気がする。

道徳的純粋さ?理想主義?それとも、単なる思い込み

友人たちを見ていると、彼らの方が幸せそうに見える。明確な敵がいて、明確な正義がある。世界シンプルで、自分たちは正しい側にいる。

でも私は、もうそシンプルさに戻れない。

トランプ全面的に支持することもできないし、全面的否定することもできない。この曖昧状態が、とても居心地悪い。

でも、これが大人になるということなのかもしれない。

物事を白黒つけたがる子供っぽい思考から灰色の部分を受け入れる大人思考へ。理想を追い求める若者から現実妥協する大人へ。

でも、妥協することで失われるものもある。

情熱純粋さ、理想への憧れ。これらを失った先に、何があるのだろう。

お前らは、どうやってこの矛盾と向き合っているんだ。

嫌いな政治家の政策に納得してしまった時、どう処理してる。自分の信念と現実的判断対立した時、どちらを取る。

教えてくれ。

私は、自分が何者なのかわからなくなってきた。

Permalink |記事への反応(0) | 09:58

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anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-09-05

むかし子供の頃サンミーというパンをよく食べた

私が子供の頃、学童保育おやつとしてよく出てきたのがサンミーだった。

細長いデニッシュっぽい生地に、チョコクリームケーキ生地がかかっている。

それで「三つの味でサンミー」らしい。

出てくるとちょっとテンションが上がるくらい好きだった。

素直においしかった。

でも、当時の私はそれを食べながら、どこか心の奥でざわざわしていた。

うちはわりと熱心なキリスト教の家庭で、毎週日曜日は必ず教会に通っていたし、家の中には讃美歌集聖書自然に置かれているような暮らしだった。

からサンミー」=「三位一体」? という疑念が頭をかすめるたびに、これちょっとキリスト教イジってるんと違うんか?と子供心に少し不安になったのだ。

なんとなくふざけ半分に神学の核心をパンにされてるような気がして、笑えばいいのか、それとも目を伏せるべきなのか、よくわからなかった。

もちろん今思えば完全に考えすぎで、メーカーの人も絶対そんな意図はなかったはずだ。

でも小学生の私はパンの上のチョコ線を見ながら「父と子と聖霊……」と頭の中でつぶやいていた。

それでも結局、きれいに食べ切ってしまう。甘いものには勝てなかった。

信仰心と食欲のせめぎあいの果てに、残った空っぽビニール袋を眺めながら複雑な気持ちを抱いていた。

スーパーなんかで久々にサンミーを見かけると、あのときの複雑な気持ちまでよみがえる。

サンミーは、私にとってただのおやつ以上の存在なのかもしれない。

Permalink |記事への反応(4) | 18:46

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2025-09-02

anond:20250902134354

なるほど。ありがとう

ご指摘の通り集団検診では全然うるさいという認識が無かったんだけど、周りがうるさいから精度を上げる必要があるのね

かかりつけの内科はめちゃくちゃ静かだからそれも関係してるのかもしれないね

いい先生だと思っているので、あんまり疑念を抱きたくなかったから助かる

Permalink |記事への反応(0) | 13:50

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グラブル天井(9万)して入手したキャラが2週間後に約96%OFF(5,000円)で投げ売りされてて萎えた。

以上。

グラブルを知ってる人向けにもう少し経緯を詳しく書くと、

8月レジェンドフェスガチャ天井=300連(9万)してオロロジャイア刀を取得した。

9月の闇有利古戦場前にオロロジャイア刀を入手できるのはこれが最後の機会だと思ったからだ。

しかし、9月1日に突然『武器編成ギフトボックス』なる課金アイテムが5,000円で販売開始された。これを買うと、オロロジャイア刀を含めたリミテッドキャラ解放武器9種から1つを選択して確定入手できるとのこと。

いやあのさぁ…

普段は9万で天井しないと確定入手できない貴重なキャラ武器が5,000円で確定入手できるというのは間違いなくお得なんだけど、なんでこんな重要課金要素について事前告知一切せずにサプライズ実装するの?

「今までもリミテッドシリーズ交換チケット配布とかあっただろ、予測できないお前が悪い」と言われたらそれまでなんだけどさ。

せめて2週間早く告知してくれていれば、俺は8月レジェフェス天井してオロロジャイア刀を取る必要なんか無くて、その分の課金を今開催してるサリエルガチャに回せたんだけどな、とか考えてしまって、落ち込んでいる。

今後も同じように必死課金してガチャ回した直後に、そのキャラ武器が激安価格で投げ売りされるんじゃないかという疑念が湧いてきて、グラブルに対する気持ちがめちゃめちゃ萎えしまった。

古戦場のために天井して入手したオロロジャイア刀だけど、古戦場がどうでもよくなるくらいに気持ちが冷めてしまったので、ちょっとグラブルから距離を置きたいと思います

https://i.imgur.com/qeZ9mf0.png

Permalink |記事への反応(1) | 12:01

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2025-08-26

渋谷猿楽鉄橋架け替えに時間が掛かる理由

これ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2594082

 

エントリでは、交通が不便になるから代官山はもう終わり、猿楽橋一つで10年かかるから震災が来たら復興無理との話だが推定おかしいので指摘。

鉄道交差道路工事特殊性

営業運転中は工事禁止

まず鉄道が走っている時間工事が出来ない。これは元エントリでも言われている。

山手線終電は車庫最寄り駅である池袋大崎の着時刻が1:10頃だ。更に始発は朝4時半。だから線路に立ち入る工事は3時間20分くらいしか猶予が無いのだ。

特に始発前は猶予を多めにとって3時半には撤収を始めないといけないから、2時間20分くらいしか工事はできない。

また、埼京線線路は元々貨物線だ。今は貨物列車埼京線線路を走る事は原則無いが、車両回送が行われることがある。

また、保守工事車両が走る事がある。営業列車と違って工事車両工事現場前で止まってくれるのだが、接車事故防止の為に一度軌道敷から退去する必要がある。

まり時間がやたらと掛かるという事。

昔は営業運転中でも工事させていた。だが架道橋工事線路が狂って危うく脱線というインシデントを数回起こして、大物の吊り上げなどは営業中はダメとなってしまった。

 

鉄道交差部分は鉄道ゼネコンのみの指定

道路橋や河川などの工事では交差部分のみJR指定した下請け鉄道ゼネコン委託しないとJR工事を認めない。東京なら東鉄工業だ。このゼネコン橋梁工事会社土建業者に下請けして工事をするという形になっている。

これは万が一の事故の際の責任問題の為と、何かあった時の連絡系統問題の為だ。因みに交通広告関係も同じように系列広告社通す事指定がなされる。線路内の看板などがある為。

 

で、この鉄道ゼネコン、他の工区担当ゼネコン平仄を合せないのだ。だから道路橋なら取付道路が出来てから2時間20分/日の工事が延々と続くって事になってしまう。

 

阪神大震災での脅威の復旧速度

高架橋が落橋したにも拘らず、JRが74日間で復旧し、全面的に落橋した阪神電車も3年で完全復旧したのは有名でプロジェクトXでもやっていた。

一方、池袋では埼京線湘南新宿ライン線路が平面交差するのを解消する為に立体交差工事が行われたが、これには10年かかった。

この二つの違いは?といえば電車が走っているかどうか。それだけでこれだけ違ってくるのである

 

そもそも近くにう回路があるよね

https://maps.app.goo.gl/SmTvmxZxZhBYmLch9

ここが八幡通りの猿楽橋なんだけど、近くにR246もあるし、恵比寿方に300m行きゃガードもある。別にそこまで不便になるわけでもなし。下にハチ公バス停留所がある跨線橋場所には昔踏切があった。そこが廃止されて通れなくなったけど別に大した事にはなってないじゃない。だからちょっと大袈裟なんよね。

 

なぜ代官山がオシャレ街になったか

ここで代官山流行商店資本が集まるようになった流れを説明していくよ。

それは「盛り場から少しズレた場所」だったからだ。

渋谷は言うまでもなく繁華街大資本テナントビルも多い。「流行最先端」にいる人というのはこういうのを嫌うのだ。

そこで渋谷から一駅の代官山に「知る人ぞ知る」ような出店が為されるようになった。例えばどっかの民家を改装しただけのbijinちゅう美容室があってそこにはチェッカーズフミヤ御用達とか、そういう口コミだけで広がる店というのがあった。ハリウッドランチマーケットなんかも最初は民家改装雑貨ショップだった。裏原ショップ形式だな。そういう店をファッション誌が紹介するなどで段々メジャー化していく。ファッション誌の編集者スタイリストはそういう店の店主と知り合いであることが多い。

こういうのが増えていくとアパレル会社事務所を構えるようになり、「オサレ」な雰囲気が出来てくる。

すると中小デベロッパが参入して小さめのコンクリ打ちっ放し店舗ビルなんかが乱立し、そこに新鋭ブランドアンテナショップが入居するという風になって行く。

その後は大手デベによる巨大商業施設乱立という流れだ。でもこうなると入るテナント大衆化して大手資本の店が多くなるから、新しいものが得られる土地という価値は失われている。

 

そうなると新しいもの流行の先端に居るような人はズラシの文脈でその隣の土地に行ってしまう。だから今度は中目黒なんかが嘗ての代官山立場になるのだな。

 

こういうズラシの文脈による流行地というは方々にある。例を挙げると

 

原宿裏原宿原宿竹下通り竹の子族ブティックやその後のタレントショップ隆盛でジャリ向けという印象が持たれるようになった。そこで大通りを挟んだ旧渋谷暗渠沿いにインポートショップが林立するようになる。BEAMSなんかもここ出身だ。やがて区が暗渠道路指定建築条件緩和でビル林立→アンテナショップというメジャー化を辿る。

 

渋谷ファイヤー通り公園通りが栄えパルコが出来ると大手資本が参入。それを嫌ったインポートショップ公園通りから路地を入った辺りや神宮通りに出店。その辺りが流行の中心となり、タワレコ渋谷店はその中心近くに出来た。同店は「これから流行するもの」「店員推し」だけを置いてJPOPヒットチャートCDなぞは置かないというポリシーであった。

因みに明治通り渋谷暗渠交点近くに靴屋クラークス、2Fにアニエスbカフェが入るビルがあるが、実はここの大家って統一教会フロント企業霊感商法の品々を扱ってた商社なのな。

 

六本木西麻布六本木ディスコが林立する繁華街になったがメジャーになりすぎ&人多すぎで、バーなどが西麻布流出した。今はそれも過去の話で裏手通りに高級飲食店が軒を連ねる。

 

六本木麻布十番:元々ディスコ聖地新宿だったが年齢層が低下、それを嫌った人らが六本木に来るようになったという経緯があった。だが六本木でも既存ディスコ陳腐化と共に低年齢化は進んだ。そこで鉄道が通らず交通不便な麻布十番マハラジャオープン。人気を博しバービストロなどが軒を連ねるように。元々麻布十番下町であった。

 

青山青山同潤会アパート青山は高級ブティック街だった。一方同潤会アパートという古い建物が残りその1Fに出店する若手デザイナーインポートショップが多く、不思議景観を為していた。エルベ・シャプリエっていうバッグのブランドを知ってます?余り高くないナイロンバッグのブランドなんだけど、若い同氏がブランドを立ち上げ、パリ同潤会みたいな建物で売っていた品をバイヤーが輸入して表参道や裏原のインポートショップで売り出したこと知名度が上がった商品なのだな。

こんな同潤会だったが表参道ヒルズに建替え。すると大手アパレルセレクトショップが入って、それまでの文化的文脈は死んでしまった。

 

こういう感じで、メジャー盛り場からの逃避→家賃が安い隣接地区に才能はあるが金が無い人が流出メディアでの紹介→メジャー化→不動産投資新築ビル)→アパレル資本参入→栄えるが新しいものはもう無くなる

というサイクルなんで、文化文脈的には代官山はもう死んでると言えば死んでる。だが資本主義的な金銭勘定の点では生きていて利益を出しているという状態

また例えば中華の新興ガジェっトメーカーなんかもイベント代官山で開催したりしてる。でもそれって「メジャー安全もの」って記号を付ける為なので昔の代官山記号的消費だ。消費されるだけで新たな価値が生まれなきゃそのうち無くなる。

デベによる大規模開発は相変わらず進んでいて、デンマーク大使館裏の30年くらい仮囲いで囲まれていた土地にも新たな建物が出来てる。高級版ベッドタウン駅ビルみたいな街になってる。だが渋谷再開発が進んでいてそっちの完成時には当然渋谷の方が新しくなるので、文化文脈的にバッティングしているのならその時に一気に衰退しないか?という疑念はある。

Permalink |記事への反応(2) | 15:41

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2025-08-25

特殊嗜癖AI社会通念に関する一種諦観

刀剣乱舞明日までのイベント短刀部隊レベリングポイント稼ぎしながら書いてますこんばんは。

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自分の抱える特殊嗜癖(近年の一般では特殊性癖と言われるが)の特殊さを認知しながら40年近く。

まあ増田からぶっちゃけるけど、ふたなりショタが好きすぎ侍を40年やっとるわけ。

(今、愛染国俊・極のレベルひとつ上がったかスクショした)

で、最近どハマリしたコンテンツ女の子しか出てこない)のふたなりネタを渋とかでクローリングしたりするんだけど、最推し供給なんかろくろくないわけ。ン十人いる中での端っこキャラからそれはそうなんだけど、マイナー指向も極まってるなと思う。

そこへきてこのAIの波よ。

自ら筆をとるにもハードルが高く感じられるので、生きてる人が描いた絵よりは劣るものの…と画像生成なんかに手を出してみた。これなら自分の満足できる一枚が生み出せるかも?と思ってね、、、

すぐこの世界も甘くないと知ることになるんだけど。

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自分が手を出したサイトは基本、「モデル」と「LoRA」を組み合わせて使うらしい。

そこにお望みの要素をディレクションすることでAIの奴に描画してもらうという仕組み。めちゃくちゃざっくり言うと、こう。

ちなみにディレクションするワードは「プロンプト」なんだけど、これを俗に「呪文」って言ってるのは笑った。確かに理解時間がかかりそうだ。

(ちなみに自分が使えそうなLoRAはないと見られる。作るのも手段ひとつだが、サンプルを相当数読み込むことになるのでこれはちょっと抵抗がある。あくまプロンプトだけで頑張っている)

で、そのワードをとりあえず羅列してみるんだけど、まあ言うこと聞かない聞かない。もちろん、「お作法」を知らずに斬り込んできたぽっと出が簡単に結果なんか出せやしないんだけど。それはまずGrokで試し斬りして返り討ちに遭ったから分かってた。

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お察しもよくてこんなものを読んでくれる増田ラー諸兄諸姉ならお気づきのことと思うが、ふたなりショタが好きってことはちんちんに関する描写がとても大事になってくる。いやAIの描くちんちんに不満があるわけじゃないんだ。問題はその扱い方と、ちんちんがついてるヒトの形をしたものたちの処遇について、と言うべきか…?

ただちんちんついてる女の子を出力するならどうということはない、所定の呪文を唱えればアレヨアレヨとお出ししてくれる。

真髄といえる、自分特殊嗜癖の部分でどーーーーーーーーーしても越えられない壁があるみたいだと、およそ一週間にして気づいてしまったのだ。

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ちんちんといったらフェラだろう。

これが小生40年の持論である。どどん。

その中でも、「ちんちんのある人がちんちんのある人のちんちんを咥え込む」というのが刺さる。刺さっちうから仕方ない。

(お、今度は謙信景光くんのレベルが上がった)

けど、ホモとは違うんだ。いやショタ同士の場合ホモだけど。あと普通に普通に?)ふた×女とかも嗜むし。

で、どっちかっつうと「逆フェラ」というのがあたしゃ好きなクチでしてね、くちだけにね、、、

えー失礼しました。続けます

フェラっていうのは、"何らかの上下関係値のある場合において、その値が上とされる側が、下の側のちんちんを舐めたり咥えたりする"っていうことね。

ふたなりもの(なかんずく「ふた×男」)でいうと、ふたなり側がフェラされる。そのかわりフェラしてあげてる方のちんちん放置。これ。

もちろんホモセクシャルなやつでも成立する。例えば「先輩×後輩」ものだと(ここでは左右を論じないでください頼みます)、先輩がフェラ「する」側にいる。

そのときフェラ「する」側の人ももちろん興奮状態にあって、ハァハァしてると尚良いわけです。分かりますよね。あ、分かんなくても進めます

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このエントリの骨子はここからなんですよ。

AIの奴に、「年上、身長も高いふたなり」に「年下、身長も低いふたなり」のちんちんを咥えた絵を指定するんだけど一向に出してこない。

どんなにドライに、感情を排して、キーボードをたたく指を酸っぱくして打ち込んでも、おいらの望んだ構図を出してくれない。おまけに指示した髪型や目の色なんかもちぐはぐになる。

ちんちん関係なしの、ただの健全な絵なんかは普通に七割方ヨシヨシと思える絵を寄越してくれるんだけど、あと"下の子"が"上の子"のちんちんを、っていうのは何度も出てきてるんだけど。

そこで、

…あれ、これって相当「世界標準」から外れてる?

という疑念がムクムクと。もっこりと。あ、すいませんついつい。

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考えてみたらね。

日本では俗に「チンパク」だとか「尺八」とか言われて、ごくごく一般的に「女性男性器に対して口淫を行う」ってのはそこに上下関係が見られないんですよ。

でも英語スラングで何て言う?となると、これが「blowjob」なんですね。感覚としては尺八と同じような表現。だけど、それが「job」なんだよ。言ってしまえば苦行を押しつけられている。

ここに根深さを感じるに至った、という。そういう話なんですな。

よくSNSなんかで男女同権とかを主張または喧伝しているビッグボイスな皆さんが、ヤレ欧米ではソレ米国では、なんて言ってるのを聞きますが、あんなのは良くて「身近な人から聞いたサンプルにならない例」ですよ。

結局、現状で(というか将来的にも)フェラチオという行為は「上下関係が前提になっている罰ゲーム的なもの」という認識が大・大・大・主流派ぽいんだな。

(お、毛利くんもレベル上がった。御手杵ドロップしたぞ)

セックスのための用具用品を取り扱ってる女性向けのサイトでのアンケートなんかも、「支配欲が満たされる」という男性側の回答がある。しかも少なくない。多分これ国内調査なのね。これが一神教文化圏だとまた数字が違うんだろうなあ、って。

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いや、単純に気持ちいから好きっていう回答もあるし、女性側(受け側)がしたいからするっていうパターンも多いはずなんですよ。

でも、やってることの構図としては、ね。

ごくごく一般的なフェラチオ(まあフェラチオ自体も若干特殊嗜癖らしいんだけど…)っていうのは「男が女に"させる"もの」ってことになっちゃうんだな、と。

先程「欧米米国一神教文化圏」という言葉を出しましたが、これはきっとその範疇には収まらない、普遍的現象なんだろうなと考えますよ。だって男と女セックスなんて何にも特殊じゃないでしょ。それでアナタもワタシも生まれてきたんだから

同性愛ふたなり趣味なんてのは少数派。明らかですよ。遍在はすると思うけどね。

(世の中には自分特殊側の属性を持ってるけど気づけてないって人もたくさんいると思う。扉が開かれてても「自分は男だから、女だから」って見向きできないでいる、そんな人たちが)

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で、「逆レイプ」って言葉もこの世にはあるんですな。要は「女が男を犯す」という構図。創作においてであればまあそんな話、で済むけど、実際のことを考えると怖いですよね。たまーに「女性教師男子生徒に手を出してお縄」みたいな話がありますが、社会的立場だけで言えばこれも逆レイプに相当します。実際がどうあれ、ね。

ほんで、「逆フェラ」って検索かけると必ず「逆レイプ」「逆アナル」も引っかかってくる。逆アナルについてはもう察して。自分にとってはそれらはノイズしかならないんだよ。マイナス検索かけても創作物の中で連続的に行われてたら芋づる式なんだよ。種芋にもなりゃしねえよ畜生

結局「逆」なんですよ。

逆ってことは、「順」があっての「逆」なんです。主流派があっての少数派。光なくして陰はなし。与党が組まれてこその野党別に自分シスジェンダーヘテロセクシャル反駁するわけではないが。

少数派は泣くしかないのか。

逆レイプに相当する英語スラングはあるようなんだけど、逆フェラとなると創作物の情報しか出てこない。

違うんだああああああオハナシを読みたいんじゃないんだ自分AIに出すディレクションになるワードを探してるんだよおおおおおおおおお!

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誰か知りませんか…こんな悲しい獣を救ってくれる邪神託宣を…

(今はひとまず小判を消費して更に刀剣男士の育成に励みますよ…)

Permalink |記事への反応(0) | 15:40

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