
はてなキーワード:留置所とは
今年も一年が終わろうとしている。
今年もまた、脅迫や脅迫まがいのことを生業として過ごしてきた。ただし相手は間違えていない。
つまりどういうことかというと、社会的正義のための脅迫や脅迫まがいのために飼われている立場である、ということである。
だからガッツリ脅迫をしてもし相手が被害届を出したとしたら、相手はこちらサイドが洗いざらい警察に告発するとやましいことがめくれるため、それをされることは無い。
はずだった。今年も一年、無事に終わろうとしていた先月のことだ。ちょうど一ヶ月前になる。
前日が華金であったため立ち飲み屋に何軒か寄り、終電で帰宅していた翌朝だ。
眠りに落ちたのは午前2時頃であっただろうか。不眠なのでいつも通り眠剤も入れた。
そういうわけで10時になってもまだ深い眠りの中に居たところを、ケーサツ達にゾロゾロ入ってこられて寝込みを襲われた。
治安もいいし盗まれるものもないからだ、強いて言えばPS5、レア物のスニーカー、某アパレルブランドの洋服などは総取りされれば30万円程度の被害額にはなるかもしれない。
(盗んで売った者は10万円程度は手にするだろう)
それで難なくケーサツ達は俺の部屋に入ってこれたわけだ。まあそれでいい。鍵が開かないからと大家さんに連絡されれれば警察沙汰がバレる。バレずにいたいからな。
まどろみの中、メガネもないままおぼろげに確認すると8人もケーサツが乗り込んできている。しかも10時に。「ケーサツでーす、ケーサツでーす、起きてー」などと声を発しながら。
ふつうこういう時は近所への配慮から早朝ピンポンでこっそり連れていかれるものじゃないのか?それをこんな時間にゾロゾロと。配慮など無いようだ。
逮捕令状、ガサ状、押収令状の三枚の紙を見せられ、ぼうっと寝ぼけているとガサがさっそく始まった。
本棚やタンスの引き出しなどを漁られ、「本と服が好きなんだねえ」と言われたぐらいであとは机の上のサバイバルナイフをチェックされた。
これは何をは言わないが、何かの時に使用するために持っているもので、刀身は長いが切れ味は悪い。ま、そういうことだ。
ナイフについては「こういうものを持っていてはいけない」とだけ言われて押収はされなかった。どうやら押収令状に書いてあるもの以外は押収できないらしい。
令状には「スマホ」「パソコン」と書いてあり、素直にスマホとノートパソコンを差し出した。パスワードを聞かれたのでそれも素直に吐いた。どうせ即開けられるからな。
ちなみに、俺はAndroidだがiPhoneのパスワードはケーサツでもロック解除は困難という話だ。
どうしても見られたくなかったらパスワードを黙っていることも可能だろうが、それが取り調べにプラスに働くかマイナスに働くかは分からない。
基本的には素直に吐いたほうがいいだろう。容疑の唯一の証拠たりえるものがiPhoneの中である、というならワンチャン賭けるのもありかもしれない。
逮捕状がすでに出ているので手錠はされてもしかたなかったのかもしれないが、近所の目も気にしてくれたのか、そのまま連行されハイエースというのか、ケーサツがよく使う大きな車に押し込められた。俺などという小物、この小さな事件でケーサツが8人も来ているのはよっぽどおおげさだな、2台も車で来てよ、と思った。
署へ向かうことになった。
正直あちこちへ脅迫まがいや脅迫をしていたので、どこでだれが被害届を出していて、どこの署に連れていかれるのかわからなかった。
数十分ほどの距離を走り、署へ到着。東か。あいつかよ。この一年まるまるかけてお互いのサイドが弁護士までつけてやりあってきた宿敵だ。
やつの不法行為ももちろん許せなかったが、俺の中に燃えている社会的正義という炎がやつを許さなかった。
やつはそれなりに地元で悪い意味で有名な人物であったが、雲隠れをし連絡もとれないという状態で完全に逃げをうっていた。
依頼者としても手の出しようがなく、行政やケーサツに訴えても助けになってくれないからこちらに話が回ってきたというわけだ。
結論から言えばネットを介した仄めかしレベルの文面が脅迫の容疑ということで、それが半年前に出ていた被害届でやっと逮捕にきたということのようだった。
こちらとしては仕事としてやっているので、証拠が残るネットを介してのものでもラインを超えないレベルのやり方というのも心得ている。はて、どうなるかなと思った。
だからこそ細心の注意を払っていたはずだが、と。思案。
前回は略式起訴で罰金10万円で済んだが、「繰り返し」「同じ罪状で」「危害性が高い」となると今回はどうなるか分からないな。
それはある業界の日本ナンバー2、この県でもトップで、隣接する業界の様々な肩書のある立派な人物からのチクリからであった。
その男は「この業界で悪事を働く者は許さない」と常々言っていた人物であったが、その人物にまんまとハメられ「ぼやき」をスクショされ宿敵に証拠として提供されそこから被害届が出たというわけだ。まぁ耳を疑ったね。後に検事にも聞かれたが、「そことそこが繋がっているとは思わなかったわけだよね?」と。「悪事をなす者とつながりませんと言っている者がつながっているとは思わないじゃないですか」ということで、俺は業界の偉いさんから目をつけられて留置所へ行くことになったわけだ。この腐った業界、根本から変えなくてはいけないなと今は思っている。「魚は頭から腐る。俺はウンザリしてるんだ。」
逮捕されたら通常どうなるか。まず48時間(最大72時間だが、まあ48だろう)の勾留が決定されていて、取り調べが行われる。俺の場合、3~4時間。
もっと複雑だったり容疑が多かったりすると最初の勾留も取り調べも長くなるだろう。俺の場合は事実確認とどういう意図でやったか、簡単にまとめられ取り調べ終わり。
細身の感じのいい刑事だったな。雑談も交えながらな。俺も素直に応じたしな。で、そこで前科前歴のことも聞かれる。素直にその時前回の脅迫の前科のことも話した。
俺はとことん正直だから「あると思いますがねえ」と言ったが、無いという。これは当然あとから出てくるわけだが。日本の警察の調査能力・捜査能力は世界一だから隠しても無駄であるからすべて話したほうがいいというのは留置所で話す被疑者仲間や弁護士先生とも共通の見解であるから、舐めないほうがいい。無能ケーサツ神奈川県警ならばどうにかなるかもしれないが。
前歴の二十歳の時にやった自転車どろぼうで微罪即日釈放の紙ペラが一枚出てきただけで、「これだけだよ」と言われたが。
まあこの時は「それが出てこないということは俺に有利だ。幸運だ。略式起訴で罰金払ってすぐ出られるだけだな」と思っていたが、当然あとで前科が出てきて、「起訴(裁判をするため拘置所へ行って1ヶ月~二ヶ月、檻の中に居なきゃいけなくなる)か略式か半々」という心理的にかなりしんどい気持ちで過ごすことになる。
ここら辺りで「家族に連絡を取るか」聞かれるが、これはそれぞれの事情によってそうしてもいいししなくてもいいと思う。
が、有罪になった場合はどっちみち身元引受人に家族・親族に来てもらわなくてはいけなくなるから、言ってもいいだろう。
ちなみに保釈金を200万円だか積めば出られる可能性もあるから、弁護士と家族と相談してその道をとってもいい。認められない場合が多いが。逃げられたら大変だし。
補足情報として保釈金協会とかいうビジネス団体もある。これは大体、10万~50万ぐらいで、その200万円を肩代わりしてくれるという団体だ。
いいビジネスもあるもんだ。俺のとこは6万円と、かなり良心的だったが辛くとも中に居ることを選択した。
前回もやったのだが、次は「鑑識」だ。
全体の写真を撮られ、正面、斜め、後ろ、顔(メガネ有り/無し)を撮られ、指紋掌紋、チョップのとこの紋を取られて、身長体重を測られて終わりだ。
その後いよいよ警察署に併設されている留置所への扉が開く。その時にはもう手錠をされていたと思う。手首の骨に当たる冷たい金属の感触はなかなかに人権的ダメージをくらうよ。
刑事が「また」と言うので、ああ、48時間勾留→検察での弁解録取→裁判所で勾留10日延長はほぼ確定だよな、と覚悟は出来ていた。48時間勾留で返される人は中には居るだろうが、誤認逮捕とかそういう人たちだろう、99.9%の人は警察がやれるマックス20日勾留延長をくらう。その後、再逮捕でさらに延長、一ヶ月以上留置所で調べを受ける被疑者も居る。
「弁護士」についてだが、まずは当番弁護士というのがその日のうちに来るだろう。わけもわからない状態なら色々聞いてみるといい。
時間は30分ぐらいで、と決まっているらしいが、それはあくまでも目安なので後ろに面会が詰まっているとか弁護士が忙しいとかじゃなければ1時間でも話してくれるだろう。
そして、+10日の勾留(最大20日の勾留が認められている)が認められたら、裁判所で国選弁護士か私選弁護士を選ぶこととなる。
国選弁護士は資力が50万円以下の場合、つまり貧乏人の場合タダで公費から雇える弁護士だ。半ば公務員のようにこの状態でなるため、もしこの弁護士の助言などによって思ったより刑が軽くなったからといってもお礼になにか渡してはならない。感謝の気持ちがあってもだめなものはだめなのである。
それよりお金があれば私選弁護士といって、各々が交渉して報酬を話し合って弁護士を決めることになる。が、裏技もあってそれ以上お金があったとしても国選ルートに無理やりズラすことも出来る。うまくやれ。弁護士はこれまでの経験からどれぐらいの刑罰になりそうか(起訴か略式起訴か不起訴か、釈放まである)とか、法律の知識とか、不安を和らげるとか、雑談相手になってくれる。俺などはずっと雑談をしていたが。その時にもらえるかどうか分からないがもしその時たまたまお金を持っていなくてノートも買えない(お金を持っているとお菓子とかノートとか、その程度のものは買える)ようなら、「弁護士からのアドバイス」という小冊子と「被疑者ノート」という取り調べの記録をしておくための冊子をもらっておこう。ヒマ潰しに絵でも書いていてもいいし、俺のように中であったことを文章にしてこのように残しておいてもいい。本来の使い方としては、取り調べに暴行や脅迫や威圧がなかったか、署名の捺印を強制されなかったか、容疑以外のことで聞かれなかったか(原則、容疑以外のことで、これやあれもやってるだろ吐け、というのはNGだ)とかを記録しておいて裁判の時に自分の身を守るためのものだ。
いよいよ「留置所」だ。
俺はチャックのある皮パンに、チャックのあるダウンジャケットを着ていたからそれが金属探知機に引っかかるからということで預かられ、というか持ち物身ぐるみすべて剥がされ取られるのだが(財布や免許証や靴から靴下まで)、ジャージと長袖とトレーナーに着替えさせられ、これも何百回されたか分からない「身体検査」という全身を触ってへんなものを持っていないかのチェックがなされる。足裏まできっちり金探されるよ。
では「留置所の中」についてだ。
どんな感じかというと、硬い畳が三枚敷かれていて奥に和式便所と扉があり、外を覗けるようになっている(金網越しだが)。
その広さは1人で居るには少し広いし、2人だと狭いといった程度だ。つまり留置者が増えて同室になることも想定されているということ。
この頃はまだなんということもなかったのだが、留置最後のほうになると忘れもしない12/3、留置所の警察官(看守)の若い兄ちゃんが昨日雪降ったんスよ。
というぐらい俺の居た期間というのは季節のちょうど移ろい時で、暖房は一応効いているのだが奥の金網の向こうは外と繋がっていてケーサツが時々通る通路になってる。
そのためそこから冷気が入っていて寒くてやれなかった。毛布か布団か何か出してくれないかと言っても駄目だ。耐えるしかない。
なんにもない、なんにもすることのない部屋で。時計もカレンダーも鏡もない(鏡は割られたら自殺自傷の恐れがあるから当然だろうが)。
そこでじっと過ごすことになる。大体の人がマックス20日と+最初の勾留48時間の20数日はそこで監禁されることが確定となるわけだ。
時計は留置室からひょいと覗けば時間は分かる。が、時間の進む遅さの苦痛に耐えられないため見ないほうがいいかもしれない。
今日が何月の何日か、というのも分からない。それは一日に30分だけ読ませてくれる新聞で確認するしかない。ちなみに新聞は産経新聞でかなり「右」だった。
俺は「左」の人間なので、反対側のイデオロギーから見た新聞の見解というものを見れたことはけっこう収穫であった。右の人たちの考えを知ることが出来たからだ。
時はちょうど台湾有事発言を高市がして、さてあれはどうなったかな、オールドメディアと呼ばれるものでは実際どう報じているのかな、と覗いてみた。
(ちなみにテレビにも一応イデオロギーはあるがあれはもうすべてがエンタメなのでメディアと呼べないと俺は思っている、うちにはテレビもないし知らないが)
記事自体はファクトであり何も偏りは感じない、ちゃんとしているじゃないか、と意外に思った。が、あの社説というのか、あの窓のところだけとんでもなく偏っていた。
小誌(産経)意外は高市発言を批判しているがうちはしていない、国民の支持率は高い、テレ朝のコメンテーターの発言に不満がある、とかなり寄って語られていたな。
それは日々のことでおもしろがって見ていたが、そのイデオロギーは時々記事にも漏れ出していて、特にコラムのような自由欄については櫻井よしこの大枠での起用や、へんなおっちゃんが関西弁での口語調で「中国とは断交したらええねん」レベルの発言をさせていたのは気になった。「右」の人にとっては気持ちの良いものだろう。私はまあ逆の立場だから、苦笑いするのみであったが。
ともかく、それでもそれは情報食いの俺にとって日々の確実な楽しみとなったし、今日が何月の何日で何曜日なのか・・・を知るためのたった1つの与えられたものだったので意義が大きかった。
ちなみに留置者に何か影響を与えそうな記事は白い厚紙で厳重に読めなくしてあり、恐らく犯罪関連のことは知らせてもらえないのだろう。中にいて一度も山上の記事などは見なかった。
ただ、ごく小さな記事で死刑を求刑されていた者が、発達障害ということで情状酌量して無期になった、という記事ぐらいは見ることが出来た。
基本的に障害があるからといって刑務所に入らなくていいなんてことはなくて、むしろ刑務所には障害者が一般世界より多い。
ただ、最近おもしろかったのは「哲学的ゾンビ殺人事件」で2人ぐらい殺した統合失調症が無罪になった、というWikipediaの記事を読んだことだ。
何回読んでも俺には理解出来なかったが、何やら哲学的ゾンビという概念があるらしく、それを人だと思わなかったから殺してしまったということで無罪?という話だった。
とはいえ、そういう人はこの先一生精神病院で暮らすことになるのだろうが。
まあ別に今何時か、とか、今日は何月の何日か、ぐらいは看守に聞けば教えてくれるのだが。
そして「官本」だな。言わなきゃもらえないこともあるらしいが、本のリストをくれる。そこから読みたい本を選んで伝えると本をくれる。
暇な読書家はそれを1番から順に読んで行って、今何番まで読んだ、と話す人もいた。
俺も特に十代の頃は孤独な読書青年であったから、興味を持ってリストを眺めてみたが面白そうなものはほぼ見当たらない。
唯一筒井康隆の本があって、2014年ぐらいに書いた短編集を頼んだ。あのジジイまだ生きていてまだ書いていたのか・・・。そう思った。
内容自体は相変わらずの筒井節はあれどさすがに枯れたか、面白い話はなかった。その後本を読むことをやめ、空想の世界で生きることで時間を費やすことにした。
「食事」は3食食わせてくれる。これは普段ろくなものを食っていない俺にとってはかなりの楽しみとなった。
また、私語禁止が基本だが看守たちは黙認してくれるので、留置者同士、「今日はあれが美味しかったな」とか「たまに魚がくるとテンション上がるね」とか、あとで語るが留置者同士が交流出来る「洗面・歯磨き」「運動場」での共通の話題となるのでそれもまたお互いの境遇を励まし合うという意味でいいものであった。
中身は3食、ご飯がギッチリ入っていて揚げ物中心のメニューである。毎日代わり映えしないので飽きてくるが、中ではそれぐらいしか楽しみがないのでなかなかに美味しいと感じてしまう。
基本的には留置者が被らないように1人1人出されるようにしているように感じたが、それをやっていては2時間も3時間もかかってしまう。
別に誰も運動なんてしないのだが、外の空気を吸えて、そこで捕まっている自分がどんな顔をしているか確認出来る「鏡」がある。
これを見てどう思うかね。俺は、変わらんな、と思った。月水金にはヒゲを剃らせてくれる。
20日ほど居て運動場でたまに会う他の留置者との交流が一番楽しみであった。
そこでもやはり私語禁止とデカデカと貼ってあるのだが、警察官も交えてトークをするのが楽しみとなっていった。
看守の業務に任じられると24時間勤務・休み・休みというシフトになるためしんどいでしょ?と若い看守に聞いてみたり、ナイフを持った相手との闘い方は・・・とか様々な雑談をした。
その若い看守とは3日に1回しか会えなかったので20日ほど居て5回ほどしかそこで話していないがよく話したものだ。
他には、一番最初に運動場に出された時、白髪のじいさんがいて「君は何の病気か」と尋ねてきたので、いや、別になにもと答えたが気になって看守や弁護士に「ここは精神に問題のある者が収容される専門の留置所なのか」と聞いてみたりした。そうではない、ということだった。看守は、相手にしなくていい、と一様に答えた。
あと4名の「仲間」の話をしておこうか。
暴行で捕まったというが、残りの犯罪についても向こうには既にバレていて、「警察の調査能力は凄いですから全部話したほうがいいですよ」と。
まあ話すが。俺は間違っていない。脅迫で捕まっていながらこう言うのもなんだが、俺は正義の行使者だと思っているからだ。
今見るとちょっと物足りないところもありつつ、classicってこういうことだよなとも思った。
74点。
何より颯爽と表現するしかないような佇まいのスタローンがよい。後の筋肉ダルマになる前のスマートに絞り込まれた機能性に優れた(ように見える)肉体に強さに説得力があった。今となってはこいつずっと眠たそうな顔してるなってなるちょっと垂れ目の顔も、ヴェトナム帰還兵の悲哀を感じられてよい。
内容としてはベトナム帰還兵としてフラフラしてるランボーがたまたまある街の保安官に目を付けられネチネチといびられ最終的に逮捕されてしまう。留置所で拷問を受けた結果、ヴェトナム戦争でのトラウマを発症しブチ切れ。保安官をボコボコにして脱出、山に逃亡し山狩りに合うわ州兵は出てくるわでてんやわんやの結果、いろいろあって街を破壊して泣きながら大演説して逮捕されて終了。
今作のランボーは基本的に人を殺さない。一歩間違えたら普通に死ぬトラップを仕掛けたり銃を撃ちまくったりするけど一応人は死なない、死なないんじゃないかな、ちっとは覚悟しておけ。なんか急にイチャモンつけられて投獄されて拷問されて逃げ出したという形なので、積極的に戦いたいというよりはランボーは静かに暮らしたい、降りかかる火の粉は払わねばなりますまいという感じ。
なので、なんだかんだあって廃坑から逃げ出した後に軍用トラックを盗んで街を破壊しまくる展開は正直違和感があった。廃坑に閉じ込められる中で一般にランボーは死んだことにされていたので(ランボーはそれを知らないけど)、ランボーは普通に逃げればよかったのに、急に一転攻勢に出てもうテロリストでは?ってくらい街を破壊しまくるから「お前そんな感じだっけ?」とはなった。
まぁ、あんだけやられたら怒って当然だよなとも思うんだけど。
あとこれが当時の空気感かぁってなるのが、途中でランボーが戦争の英雄でグリーンベレーで殺人マシンだったことが分かったときに保安官ズが「戦争の英雄殺したらマズくない?」ってならずに「グリーンベレーって怖くね?」ってなるところ。
あ、そっちなんやってなったね。あくまで敵としての強さに注目するんだって言う。今だったらイラク戦争の英雄を追いかけてるってわかったら「マズくない?」ってなりそうだけど、当時は「ヴェトナム帰還兵?知らんわ!」って感じだったんだなって。最後にランボーもそれでブチ切れてるし。
アクションはもう40年前の作品だからモタモタしてるシーンも多くて逃亡チェイスのところとかも、ある意味リアリティがあるもったりしたシーンが続き火薬の使い方もけっこう雑だなぁあと思いつつも、ランボーが絶壁から飛び降りるシーンだけはマジですごい。
飛んだ瞬間に「あれ?ランボー本当に落ちてね?」ってガチでなる。割と真面目にショッキング映像。調べてみたら本当に落ちてて骨折しまくったらしい。なぜそんなことを……ここはすごい気合入っててよかった。
後は最後の大演説シーン。俺の中で作品のテーマを台詞でペラペラしゃべらせる作品はよくないと思うんだけどさ。今作ではランボーがずーーーーーっと耐えてるのね。まぁ、暴れてんだけど。ずっと理不尽な目にあわされ続けて耐えに耐えて、あらゆるものを破壊した最後の魂の慟哭。さすがに点を引く気にはなれなかった。
原作ではあのシーンなかったらしいんだけど、あのシーンなかったらランボーが今でも愛されるシリーズになってなかった気はする。なぜランボーは戦うのか、戦わなければならなかったのか。トラウト大佐は「ワイがランボーを作った」って言ってたけど、「ランボー」を本当に作ったのは戦争であり、国であり、何もしなかったくせに口だけはデカい一般市民であり、経済であり、要するに俺たちだったんだといういい演説だったと思う。
まぁclassicになるだけのことはある作品だと思った。
アクションを求めてみると古臭い感じは否めないが、若いスタローンを見るためだけに見てもいい傑作のひとつだと思う。オヌヌメ。
知見になるか知らんが、同意の上で女を坊主にしたら警視庁に逮捕・勾留されたので以下、共有する。
以下、説明していく。
1 男性A と女性 I は、24年12月に知り合い関係が発展。旅行等を重ね、25年4月より同棲予定であった。
2 女性Iは24年夏ごろに男性Nと働いていた都内風俗店で知り合い、女性Iは男性Nに対して好意を抱いた。
男性Nは女性Iの引越し費用や家電購入費用等を援助。日常的に性的関係があった。
男性Nは女性Iから好意を寄せられ二度交際を申し込まれるも断り続けるが、食事の提供・金銭の授与、性行為など援助交際関係に留まることを望んだ。
事の発端は、女性Iに極度の虚言癖があったことやデリヘルやらパパ活やら円光やらやりたい放題やって女売って生きていたことにあった。
女性Iも父親にレイプされたりして貞操観念ぶち壊れてて、あまり自分を大事にできない奴で体を安売りしてしまうタイプで
過去を鑑みれば、仕方のない事とも思ったが、やはり社会的に承認を得て真っ当に生きて欲しかった。
だからいろんな男性Aは女性Iを馴染みの店に連れて行ったり、友人に合わせたりして接点を持ってもらったり、ある種の社会的関係を築いていた最中だった。
2月に男性Aと女性Iが二人でヨーロッパ旅行に一緒に行った際に、虚言癖の話だったり円光とかパパ活・風俗をやめるという話の延長で
自分の過去にけじめをつける話になって、女性Iが坊主にする話になった。反省坊主ってのも世間ではよくあるし、わざわざ坊主にした女が万個売るってのは
(特殊性癖店のぞいて)まあ、まあないだろ。生えてくるとはいえ、不可逆性のある事態が人間やその者の人間性を変えることは大いにある。
無意識であろうと自分の意図で現実の認識を変えてしまうような認知の歪んだ虚言癖もちには効果的だと思った。
結局、女性Iは自分でけじめをつけると男性Aに対していい、坊主にすることを伝えた。
女にとって髪は大事だろうし抵抗もあっただろうけど、本人も過去を変えたい気持ちが大きく、言葉にもしたから男性Aもそれを信じた。
パリで坊主にするはずだったが、本人の希望で帰国してから坊主にすることになった。
帰国後、翌る日にドンキホーテに二人で足を運び、女性Iは自分で現金でバリカンを購入した。
あるホテルの一室でやることになった。最初に女性Iが自分の前髪部分をバリカンで切ったのち、
男性Aに対して「もう残りはお願いだからやってほしい」とバリカンを渡した。
男性Aは、バリカンを受け取り、2・3度本当にやっていいのか、と確認をとったのち明確な意思を確認できたことから実行した。
記念的な意味合いもあったし、自衛もかねて動画を撮影していた。
そのため、女性Iが男性Aに対して依頼してバリカンを渡したところも
坊主後も坊主を手伝った男性Aも女性Iも関係は良好であり、旅行に行ったりしていた。
坊主にした直後に男性Nに女性Iが会った際、坊主頭を見られ、男性Nが、男性Aに無理やりやられたと勘違いしたことが発端。
その場で女性Iは否定したにもかかわらず信じてもらえず、「被害届の提出をしなければ縁を切る」被害届を提出するように圧をかけた。
大切な援助交際相手を傷つけられたことに腹を立てたと見られる。
また、男性Aと女性Iがヨーロッパ旅行中に、女性Iに対して男性Nは通話し、
前触れもなく、「彼女ができたから、お金返してほしい」と、過去に支援したという金銭の返済を要求していた。
もちろん借用書等はないが、その電話を聞いていた男性Aは、過去に支援したお金を借金として金返せというのはいかがなものかと思った。
つまり借金を主張し、弱い立場であった女性Iに対して被害届の提出を促した次第である。
個人的には、聖職者であり行政書士でもある公益性の比較的高い職業についている人間がこのようなことを
してくること自体、相当腹がたった。助成金申請補助事業みたいなのもやってることから、ある種、性根の腐った野郎だというのはわかっていたが。
男性Aは、女性Iの引越しを手伝ったのち、久しぶりに遠方の実家に帰って、飲みに出てワイワイやってた。
二日酔いで目覚めて、母親が作ったサラダをパンイチで食ってたらインターホンが鳴り、
わざわざ警視庁から6人ものサツがやってきて引っ捕らえられた。
母親は悲しそうな顔をしていた。
女の引っ越し手伝った2日後にその女の告訴によって逮捕されるとは思わんだろ。
留置係の警官は、態度が悪く、ろくに制度も理解していない。社会に出たことのないゴミでしかなかった。
「俺たちも一生懸命やってんの!」と怒鳴られ、推定無罪の概念も無視。
ちなみに万世橋警察署ね。
検事が女だった。これも最悪だった。東京地検の飯沼葉子って女。揚げ足とりたいのは職務から理解ができるが、
「普通だったらさ、君の横を歩く女の子、髪綺麗な方が良くない?」だと。
検察も警察も物語が描きたかったら夢小説でも書いてろや。あいつ等は事実に興味がない。
弱者救済を主張しているが、司法は、女を人間と思っていない。意思決定能力もなく、責任も取れない子供と同等の扱いだ。
昨今不同意性交等で冤罪や「流石にこれはどうなんですか」みたいな事件も多いが
Nが行政書士資格を有していることもあって、男性Aが逮捕・勾留されている間1通の示談書が送付された。
そこにはつらつらと書かれおり、男性Aから女性Iに対する慰謝料の支払いも明記されていた。
根拠のない言いがかりが記載されており、それに対する慰謝料権の主張及び請求があった。
この刑事事件に関係のないはずである男性Nと彼が代表を務める株式会社が
この状況で女性Iの慰謝料の6倍の額を男性Nと彼の会社が男性Aに対して請求してきた。
不可解である。
今回の女性Iも保育学生だったため、一定の女を掴んでは自分のビジネスに巻き込んでいると思われても仕方ない。
ちなみに地方出身者で親元離れてわざわざ関西で1浪して入ったのが某marCh法学部。行政書士。
司法では女の髪の方が価値が高いというわけわからない男女不平等が待ち受けている。
マジで同意でも善意でも女を坊主にするな。終わる。不同意坊主罪にだけは気をつけろ。
羽田ついたら手錠姿やロープに気づいた「あちゃー」とか「特殊詐欺?」とか聞こえてくる始末。
ちなみに私の実家である遠方までご丁寧に警視庁の人間が6人もきて逮捕されたため、手錠して、頻繁に利用していた空港から飛行機で東京まで運ばれた。
窃盗で捕まったおじさん、ビザが4年切れた日本に6年いるのに全く日本語が喋れないベトナム人、弁当3つ盗んで捕まった支那人。
最後に男性Aが女性Iと会ったのは見送りに来た東京駅だったが、そのとき女性Iは男性Aに対して
「なんかもう会えなくなる気がする」と意味深な言葉を発していた。
伏線がこれかよ。
ちなみに今から男性Nと女性Iには双方に対して法的措置を講ずるし、世間に告発することになると思う。
訴訟は現時点で13件、徹底して戦っていくつもりだ。
以上
知見になるか知らんが、同意の上で女を坊主にしたら警視庁に逮捕・勾留されたので以下、共有する。
以下、説明していく。
男性 N = 32歳くらい、保育園・教育事業経営者・行政書士(港区)
1 男性A と女性 I は、24年12月に知り合い関係が発展。旅行等を重ね、25年4月より同棲予定であった。
2 女性Iは24年夏ごろに男性Nと働いていた都内風俗店で知り合い、女性Iは男性Nに対して好意を抱いた。
男性Nは女性Iの引越し費用や家電購入費用等を援助。日常的に性的関係があった。
男性Nは女性Iから好意を寄せられ二度交際を申し込まれるも断り続けるが、食事の提供・金銭の授与、性行為など援助交際関係に留まることを望んだ。
事の発端は、女性Iに極度の虚言癖があったことやデリヘルやらパパ活やら円光やらやりたい放題やって女売って生きていたことにあった。
女性Iも父親にレイプされたりして貞操観念ぶち壊れてて、あまり自分を大事にできない奴で体を安売りしてしまうタイプで
過去を鑑みれば、仕方のない事とも思ったが、やはり社会的に承認を得て真っ当に生きて欲しかった。
だからいろんな男性Aは女性Iを馴染みの店に連れて行ったり、友人に合わせたりして接点を持ってもらったり、ある種の社会的関係を築いていた最中だった。
2月に男性Aと女性Iが二人でヨーロッパ旅行に一緒に行った際に、虚言癖の話だったり円光とかパパ活・風俗をやめるという話の延長で
自分の過去にけじめをつける話になって、女性Iが坊主にする話になった。反省坊主ってのも世間ではよくあるし、わざわざ坊主にした女が万個売るってのは
(特殊性癖店のぞいて)まあ、まあないだろ。生えてくるとはいえ、不可逆性のある事態が人間やその者の人間性を変えることは大いにある。
無意識であろうと自分の意図で現実の認識を変えてしまうような認知の歪んだ虚言癖もちには効果的だと思った。
結局、女性Iは自分でけじめをつけると男性Aに対していい、坊主にすることを伝えた。
女にとって髪は大事だろうし抵抗もあっただろうけど、本人も過去を変えたい気持ちが大きく、言葉にもしたから男性Aもそれを信じた。
パリで坊主にするはずだったが、本人の希望で帰国してから坊主にすることになった。
帰国後、翌る日にドンキホーテに二人で足を運び、女性Iは自分で現金でバリカンを購入した。
あるホテルの一室でやることになった。最初に女性Iが自分の前髪部分をバリカンで切ったのち、
男性Aに対して「もう残りはお願いだからやってほしい」とバリカンを渡した。
男性Aは、バリカンを受け取り、2・3度本当にやっていいのか、と確認をとったのち明確な意思を確認できたことから実行した。
記念的な意味合いもあったし、自衛もかねて動画を撮影していた。
そのため、女性Iが男性Aに対して依頼してバリカンを渡したところも
坊主後も坊主を手伝った男性Aも女性Iも関係は良好であり、旅行に行ったりしていた。
坊主にした直後に男性Nに女性Iが会った際、坊主頭を見られ、男性Nが、男性Aに無理やりやられたと勘違いしたことが発端。
その場で女性Iは否定したにもかかわらず信じてもらえず、「被害届の提出をしなければ縁を切る」被害届を提出するように圧をかけた。
大切な援助交際相手を傷つけられたことに腹を立てたと見られる。
また、男性Aと女性Iがヨーロッパ旅行中に、女性Iに対して男性Nは通話し、
前触れもなく、「彼女ができたから、お金返してほしい」と、過去に支援したという金銭の返済を要求していた。
もちろん借用書等はないが、その電話を聞いていた男性Aは、過去に支援したお金を借金として金返せというのはいかがなものかと思った。
つまり借金を主張し、弱い立場であった女性Iに対して被害届の提出を促した次第である。
個人的には、聖職者であり行政書士でもある公益性の比較的高い職業についている人間がこのようなことを
してくること自体、相当腹がたった。助成金申請補助事業みたいなのもやってることから、ある種、性根の腐った野郎だというのはわかっていたが。
男性Aは、女性Iの引越しを手伝ったのち、久しぶりに遠方の実家に帰って、飲みに出てワイワイやってた。
二日酔いで目覚めて、母親が作ったサラダをパンイチで食ってたらインターホンが鳴り、
わざわざ警視庁から6人ものサツがやってきて引っ捕らえられた。
母親は悲しそうな顔をしていた。
女の引っ越し手伝った2日後にその女の告訴によって逮捕されるとは思わんだろ。
留置係の警官は、態度が悪く、ろくに制度も理解していない。社会に出たことのないゴミでしかなかった。
「俺たちも一生懸命やってんの!」と怒鳴られ、推定無罪の概念も無視。
ちなみに万世橋警察署ね。
検事が女だった。これも最悪だった。東京地検の飯沼葉子って女だが、カスみたいな女だった。
昨今不同意性交等で冤罪や、流石にこれはどうなんですか、みたいな逮捕者が被害者みたいな事件も多いが
今回の女性Iも保育学生だったため、一定の女を掴んでは自分のビジネスに巻き込んでいると思われても仕方ない。
ちなみに地方出身者で親元離れてわざわざ関西で1浪して入ったのが某marCh法学部。
行政書士。
司法では女の髪の方が価値が高いというわけわからない男女不平等が待ち受けている。
マジで同意でも善意でも女を坊主にするな。終わる。不同意坊主罪にだけは気をつけろ。
羽田ついたら手錠姿やロープに気づいた「あちゃー」とか「特殊詐欺?」とか聞こえてくる始末。
ちなみに私の実家である遠方までご丁寧に警視庁の人間が6人もきて逮捕されたため、手錠して、頻繁に利用していた空港から飛行機で東京まで運ばれた。
窃盗で捕まったおじさん、ビザが4年切れた日本に6年いるのに全く日本語が喋れないベトナム人、弁当3つ盗んで捕まった支那人。
最後に男性Aが女性Iと会ったのは見送りに来た東京駅だったが、そのとき女性Iは男性Aに対して
「なんかもう会えなくなる気がする」と意味深な言葉を発していた。
伏線がこれかよ。
ちなみに今から男性Nと女性Iには双方に対して法的措置を講ずるし、世間に告発することになると思う。
訴訟は現時点で13件、徹底して戦っていくつもりだ。
以上
久々の休みなので、ダラダラとチラシの裏するぐらい許してほしい
みなさんも学校なり職場なり地域コミュニティなりのどこかで会ってきたであろう、「ただ居るだけで、周囲をカリカリさせる天才」である。
自分はそういう人たちと過去に職業的にも関わってきており、また現在知財が大きく関わる仕事にも関わっているので、迷彩をかけながらつらつらと感想を書く。
・根幹は、とにかく「今この瞬間」と「みんなそのはずだ」の合わせ技
かつて、「地域で札付きの問題児」という児童~少年を仕事で世話していたことがある。
「地域で札付きの問題児」なんてものが平成後期および令和に存在するのか? というと存在する。した。
その市の警察署は当然に「彼のこと」だと知っているし、通っていた小中の全校はもちろん、近隣数校の小中にまでその悪名は轟いていた。
鹿乃つのさんのような言葉と行動を、何度も何度も、警察のお世話になっても、ひたすら繰り返す少年である。そして彼を全面的に擁護し続ける親たちである。
彼と付き合わざるを得ない中で、私たちは彼に「どこから理解させないといけないか」を突き止める必要があった。
私は当時警察官だったかもしれないし、教諭か医師だったかもしれないが、それは気にしないでいい。
私たちが突き止めたのは、彼は
①とにかく、過去および未来のことを考えながら喋ることができない
②「今」の状況が少しでも好転するなら、過去の言動との整合性や、未来への布石などは完全に無視して喋る
③自分がそうであるから、世の中のすべての他者(同年代および大人)もそうであると思っている
という、強烈な傾向があることだった。
①について特段説明する必要はないだろうが、程度には触れておく。
とにかくその場その場で、「耳聞こえのいい言葉」を連発する。ただ、それが1日前とはもちろん、15分前の言葉とも矛盾している。
また、そのような状況なので、「今」発せられた言葉は数秒後の彼の言動を縛らない。
「外国人差別はいけないと思う」としゅんとして言った15分後に、ただ道を歩いていただけの外国人に「○人死ね!キモイ死ね死ね!」と叫んでトラブル発生で電話がかかってくる。そういうレベルである。
②についても、程度とその影響に触れておく。
卑近な言葉で言えば、対峙者の強弱から顔色をうかがい、「その場凌ぎの嘘をつく」とか「数分前の発言と真逆のことを言う」などである。
例えば数分前に、堂々と私たちの目の前で他者を「なんかムカムカしたから」と殴っていたとする(捕まった後でも、隙あらばで殴るのだ)。
そしてその殴打の数分後に、「人を殴ってはいけない」と言われると「殴ってなんていない」と言う。
「私や他の人々は、君があの人を殴ったのを見ている」と言うと「……?」となる。「……?」の表情は(なんでわかるの?)だ。
一般市民からすると「なぜそんなバレバレの嘘をつくのか」「なぜバレバレの嘘をついて、自分の立場を悪くするのか」とうんざりすることが、毎時間起きる。
彼は、「なぜ嘘がバレるのか」と「なぜ整合性と言われるものを他者が気にするのか」を、いくら説明しても理解できなかった。
過去やこれから先のことと会わせて思考・判断するとか、発言をするとか、そういうことが困難だった。
そして自分がそうなのだから、世の中のあまねく他者はすべて「当然そうである」と確信していた。
だから、私たちが「また、数分前に言ったことと逆のことを言ったね?」と突っ込むことを、超能力者を見るように見てきた。
もちろん、そんなことは彼の周囲にいる人は誰でも気付いている。
ただ、あまりにも息を吸って吐くようにその場凌ぎの嘘を付き続けるので、「そうだねー」と話を合わせて、誰も相手にしていなかったのだ。
そういう人の方が圧倒的多数派だったから、私たちのように「彼に事実を指摘する人」は少数派だった。
それが彼には、超能力者のように見えていたらしい。
また、癖としては「フィクションの英雄の言動をなぞり、自分を悪に逆らう偉大な英雄だと思い込む」という癖があった。
少年漫画の悪者を暴力でぶっ飛ばすシーンを根拠に「悪いやつだから、○○○(少年漫画の主人公名)みたいに殴ってわからせてやった」と言う。
この悪いやつというのは、「廊下ですれ違ったときに、ヘラヘラ笑っていた新入生」というレベルである。
目についたら殴るレベルであり、それを彼は大好きな少年漫画の○○○的行動であると解釈していた。
そして彼に説教する公的機関の関係者(大人)たちを、「悪を見逃す悪いやつだ」「親以外の大人はみんな悪だ」と見ていた。
「万引きをしてもバレなければ法律には違反していない」からスタートし、
万引きで店員に腕を掴まれても「不当逮捕だ。警察しか僕を捕まえられないのに」と言い、
警察を呼ばれても「警察が来るまでは法律違反じゃないから、帰ります」と真顔で言う。
当然、いじめもする。
暴力をちらつかせたり暴力をふるった後に恐喝をする際、「このお金は、君が僕にあげるんだよね?」と必ず言質を取る。
後々事実関係を調べれば、誰がどう見ても恐喝である。普通に何発も殴っているケースもあった。
当然、警察のお世話になる。
だが彼は「言質を取っている」と不良どもが浮かべるニヤニヤは、浮かべない。
「彼がくれるって言いましたよ?」「彼は、僕にお金をくれる友達なんです」と真顔で言う。
前述の①~③とあいまって
「彼と僕のことを勝手に決めないでください」「彼は僕のことが嫌いになったから、嘘をついたんだ」などと言う。
そして、留置所に送られた後も「僕の言うことを信じてくれない大人も社会もクソだ」と、本気で思っている。
疲れる。
関わる者が、みんな疲れる。
疲弊していく。苦しんでいく。
彼ほどでないにしても、鹿乃つの氏の言動を見ていると、彼を思い出す。
なんか、個人の感想として、とてもと似ているな、と。
倍率は当然に1倍以下で、名前を書いてわずか数分の儀式的な面接を受ければ受かるところである。そこで落ちた。
詳しくは知らないが、面接会場で「目のあった同年代」を「なんかむかつく、悪いやつ」として殴ったとか非難したとか、トラブルを起こしたのかもしれない。
というか、ルールを守るという意志もないので、そもそも試験を受けに行かなかったのかもしれない。
それでも、彼は言うだろう。
「悪いやつを○○○みたいに正したのに不当に落とされた」とか「試験に行かなかったぐらいで落とされた」とか。
「こんな社会間違っている」、「人を勝手に決めつける社会は最低だ」、「こんな社会は変えないといけないですよね」とか。
少し話は変わるが、私は転職して、今は山手線および中央線の沿線で、IPを扱う仕事にいる。
はっきり言って、鹿乃つの氏のことはあらゆる取引先(版元と推察してくれてかまわない)が知っているし、会議前のアイスブレイクの際には「ありえない」「許せない」「絶対に関係を持ちたくない」という話題が飛び交う(※実際の言葉はもっと直裁的である)。
私が会ってきた複数社の関係者の中に、ベテランも新人も含めて彼女の言動を肯定的に捉えている者は一人もいない。
ベテランなら肯定することはありえないし、もし新人が少しでも擁護を見せていたら、人に会わせる前に当然に指導が入るからだろう。
私がどのようにIPを扱っているかの詳細は伏せ、一般論として話せる範疇で言うが、クリエイティブの本質は権利ビジネスである。
真実を話しても夢を壊してしまうだけに思うのでぼかすが、例えばアニメ化した原作漫画作品がゲーム化される際、恐ろしく冷えた綱引きが行われる。
アニメでバズったアニメオリジナルのセリフを、アニメ化まで鳴かず飛ばずだった版元が「これの原作はうちですから、使わないでください」とNGを突きつけることもある。
関西弁キャラがアニメ版で一人称「ウチ」でバズったとき、漫画原作側で一人称が「私」だと、ゲーム化の際にはその声優さんに「私」で読ませたりする。
なお、声優さんは制作委員会(アニメ版)の座組で関わっているので、ゲーム化の際は出版社は個別に声優事務所と契約を結び直す……
などなど、IPビジネスに関する企業間の綱引きは「部分的に許可が降りていても」「膨大な権利使用料を払っていても」「広義のビジネスパートナーでも」これほどまでに熾烈なのが当たり前だ。
正直「一次創作者も二次創作者に敬意を払うべき」とか「もっと二次創作が自由にできる発展的な世の中になるべき」などの主張は、プロであればプロであるほど、全てのプロにおいて抱腹絶倒ものである。
本当に、やめた方がいい。
あるIPが、数百万円~数千万円を払って他社IPとコラボさせていただいたとき、それだけの契約料を払っていてなお、その監修は鬼のように厳しい。
コンテンツビジネスとはIPビジネスであり、すべてのコンテンツホルダーが超絶絶対NGとすることは「IP毀損」だからだ。
今の私の仕事で、IP毀損をしてしまって部署を変えられた者、職を辞した者、損害賠償を請求されてしまった会社は、珍しくない。
Xで表面化することが全てではない。むしろ、BtoBでは表面化しないまま、係争や精算が行われていることの方が圧倒的に多い。
正直、公式IPで仕事をしている者としては、同人誌の二次創作ですら「人類の持つ奇跡的な優しさ(お目こぼし)が発揮されている」としか、今は思えなくなっている。
その奇跡的な優しさからこぼれることをしているとき、「版元が来ない間は許されている」わけではなく「版元は着々と準備を進めている」のである。
静かに無言のまま内容証明は送られ、ある日いきなり届くのである。ライツを扱う部署には、それ専門の担当者がいる。
というか、IPを扱う部署では業務の基礎教養的入り口として、国家試験である「知的財産管理技能検定」を取らせるところもある。
鹿乃つの氏の著作権認識では3級合格も遠く見えるが、彼女はこの国家試験の内容すら「間違っている」「弾圧的である」」「撤廃された方が発展的なよい世界になる」と言うのだろうか。
年に3回も実施されているので、鹿乃つの氏は「実業社会の当たり前の著作権の世界」を垣間見る機会として、テキストを買って勉強されるのは有効だと思う。
そして、Xで自身の発言を見ている人たちの中には、2級や1級を持っている「無名の普通の人」もゴロゴロいるということも、受験者数の統計と合わせて認識できれば、なおよいと思う。
山手線沿線で知財を扱っている会社なら、議員の対応など「日常業務」である。
むしろ、つながっていても全然メリットがないのによくやってくるものだから、「面倒くさい仕事」として新人たちに「怒らせないように、テキトーに応対といて」という業務である。
新人たちも、時間を取られるだけのうんざりな仕事の一つとして嫌々である。
なぜかと言うと、彼ら彼女らは繁忙期以外は年中人と会って話すのが仕事であり、それゆえにもっともらしく話したことの200に1つも具体的に動かし始めない。
たかだか議員の1人と、呼びつけて数時間一緒に食事をしただけで、「自分には議員がついている」などSNSで自慢気に言ってしまうのは、今年一の共感性羞恥であった。
同僚たちも、数年目の若手たちも「うわぁ……」「きつい……」である。
あの程度の「日常的な、まず空振りの雑事」程度のことを自慢してしまうことが、逆説的に氏がIP業界(というか山手線や飯田橋~神保町辺りにオフィスがあるホワイトカラー界)とあまりにも縁遠いことを証明してしまっているのだ。
山手線周辺で、大なり小なりIPが業務に絡む範疇で働いている人を全員合わせれば5%として85万人ほどいるだろうか。
私の見立てでは、約85万人の正式なプロが、恥ずかしくて耳が真っ赤になるレベルのことをしてしまっている(そして皆賢いので当然対面以外で誰も言わない)ように思うので、今後は本当にやめた方がいいと思う。
人には、向き不向きがある。
絶望的に向いていないところで英雄たらんとすることは、革命家たらんとすることは、生涯において継続的に自らの生を不幸にするだけだ。
鹿乃つの氏には、SNSやレスバを休止して、もっと自身の適性の向いているところで、穏やかな幸せを得てほしいと思う。
Permalink |記事への反応(25) | 14:18
遅くとも20歳そこらで頭切りかえてカタギの仕事就いてんだからほんとに偉いと思うよ。
自衛官とか板金屋とか自動車ディーラーとか電気工事士とかダンプの運転手とか型枠大工とか漁師とかさ。
高校卒業して相変わらず不良やってると本気で引かれる文化あったらしいし。
確かにキャリアの途中、反則金払い忘れて逮捕されたり、飲み屋で他の客と喧嘩して留置所入れられたり、お定まりの失敗は10年に1回とかやらかすけど
そういうあってもカタギの仕事を爺さんになるまでずっと続けてる。元不良なのに。
オレオレ詐欺やったり、
銅線やハイエース盗んだりして、
いい歳こいても市民社会に帰ってこない平成令和の不良は恥ずかしいと思う。
ちょっとは見習えよ
死ねよ
下手なりに上達したいってところはうかがえるよね
接客業できなくなるほどに追い込まれたってことは相談相手もいなかったのかもね
それかバレエ教室でのトラブルって男性は相談しづらいもんなんだろうか
誰か一人ストッパーがいればここまで恨む事もなかったんじゃ
「しかし取り調べ後に留置場に戻り、留置されているほかの容疑者らに事件を話すと、彼らも一様に「お前が怒るのは当然だが、やりすぎだ」と捜査官と同様の指摘をされた。「そこで初めて、自分の感覚は世間一般からずれているのかなと感じた」という。」
留置所の人たちにまでやりすぎだって言われたんだったらやっぱりやりすぎだったんだろなあ…
まあ確かにこれ被害者も態度悪すぎるんじゃねとは思うし、これが子供の話だったらちょっとその子の将来にまで影響する話だからほんと酷いよって話だと思うんだけど、大人だからなあ。
むしろ彼のそういう生涯における全ての怨嗟が噴出した形なんじゃあなかろうかって想像してる。
落とし前が指の本数なところはもしかしてヤクザ映画の見過ぎな気はしてる。
https://www.sankei.com/article/20170108-NWEWZTEUH5JGTHSPURT73X2UFQ/2/
6年前。
留置所で連絡先を渡された男と飲みに行く事にした。
「おう、ここだここだ」
格安のチェーン居酒屋。50代後半、留置の無精で伸びていると思っていた口角の髭は、伸ばしていたもののようだ。
痩せた身体のサイズに合わない着古した服装。明るい照明に映る土色の顔は、冷たい暗がりの中よりも黒さが際立つ。
「部屋の外のポリ、話すな話すなってうるさかったよなあ。増田で良かったよな名前?じゃ、乾杯」
「で、増田は何やったのよ?」
「俺ですか」
「言いたくなさそうな顔してるなあ。俺はな、不動産詐欺って事になってるんだよ。でもよ、不動産なんてだいたいが詐欺みたいなもんだよ。
今係争中のやつで、もうちょいしたらまた入るんだけどよ…このヤマが当たれば、この辺りの一等地の半分は俺のもんになるよ」
「そうなんですね」
いやにゼラチン質の多いたこわさを噛む。留置期間がちょうど週末だった為、仕事は穴を開けずに済んだ。
前科は付くのだろうが、どこまでが知る所となるのだろう。
「俺ぁ、知ってるんだ。世の中はよ、一部の人間が動かす出来レースなんだ。株の値動きが予測できる?中長期を見据えた経営?
バカ言うなよ何も知らねえクセに。なあ、近い内、見た事もない災害が起こるぜ。そしてな、戦争になる…俺ぁ、知ってんだ」
ハイボールに焼酎のストレートをチェイサーに置く変わった飲み方だった。留置所にぶち込まれる人間が正常である訳がない。もう、この男と飲む事もないだろう。
「ここは俺が出すよ。ああ、いいんだ。」
店を出る。敷き詰められた薄い雲に月が隠れる宵の口。くたびれたジャケットを羽織ったなで肩が風を切る。
「あそこには、愚かな奴らの無念が、悲しみや悔しさが詰まってるよな。」
「留置所、ですか?」
「俺も、一等地を手に入れる寸前だったんだ」
口角に伸びた髭の位置が少し上がる。
「50年、かかったよ。あそこで、念を引き受ける役割を代われる奴がぶち込まれてくるのに。
お前も、知る事になるよ。朝、マスクを忘れて慌てて家に帰るような日常が、見えるようになる…」
気が付いた時には、誰もいない留置所に横たわっていた。その瞬間、全てを悟った。
出られない、永久に。消える事はない、たとえそれがどんな功罪でも。
あの男なりのはなむけだったのだろう。
温度を感じない廊下の上についた、出入りのできない窓から光が落ちる。
今Xでは中居くんがさらなる制裁や批判を受けるなら9000万円も払って示談した意味がないという言説が投稿されている。
結論として俺の経験から言えば、示談に持ち込めたところで制裁は普通にくらう。批判もくう。
おかしいことではないのだ。示談内容に守秘義務があったとしても、示談する前に漏れていたり、示談の後に周囲が漏らしたりしてバレるよね。
今も時々酒に酔っては妻を殴る。
昔話をしようか。
もう15年前の話になるが、俺が当時付き合っていた女に3回目のDVで通報されて留置所にブチ込まれた時、俺は女に被害届を取り下げてくれるよう手紙を書いた。
3度めのDVともなると罰金が百万円と弁護士が言うし、何より仕事でどうしても外せない案件があり出てなくてはいけなかった。示談を要求したわけだ。
結果彼女もDV野郎を飼っているだけあってとことんまで俺に甘く、被害届を取り下げてくれ、じゃあ示談にしてもう耐えられないから別れて欲しい、という流れになった。
示談で結局百万円払った。接近禁止、連絡禁止、等など、色々と細かく示談内容が決められた。で、俺は許されたのか?いや社会はそんなに甘くなかった。
俺が逮捕された時点で会社は首になっていたし、さすがに俺のあまりのクズっぷりに親兄弟友達、みんな離れていった。
何もかも失った。社会的制裁が俺を待ち受けていた。これが現実だ。
俺がDVをするということは3回めの逮捕前から彼女が周囲にこぼしていたし、特に3回めの通報で女友達に相談していたことで知れ渡っていたわけだ。
そうすると加害者は許されない。示談がお互いで成立していてもだ。社会的抹殺。まあ人間のカスだしね。当然だよ。
示談で執行猶予がつくことや刑務所に行くこと、罰金を払うことは回避出来ても、社会的制裁は免れない。
中居くんはトラブルがあったけどこれからもテレビに出るよというが、スポンサーやテレビ局は9000万円級の示談のバチバチの(恐らく)性加害者を起用するだろうか?
なかなか厳しいんじゃないかな。
Permalink |記事への反応(19) | 19:24
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
そういえば、母は食べ物関係のジョークを一切許さないのだった。
私は涙目になっておとなしく部屋へ戻った。
それ以来、母は相も変わらず質素で見映えの悪い弁当を作り続けたが、私はそれを捨てずに、食堂で食べるようになった。もしそれが見つかったら、殺されるかもしれないから。
母のゲンコツは体が弱い人から繰り出されたとは思えないほどのパワーだった。後から知ったが、母は私が知らない病気を患っていたらしい。
そして、私が知らなかった母の病気とやらは、私が高校に入った辺りで寛解してしまった。
母はまだ弁当を作ってくれたが、見栄えは相当によくなり、キャラ弁なんかも登場し始めた。友達には結構好評だった。
高校卒業間近のある朝、母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
その刹那、中学生の頃の周りを気にしてやらかした愚行と、反抗期特有の親への反抗、そして視界が揺らぐほどガツンと響いた母の鉄拳制裁と、いろんな記憶が脳みそを駆け巡ってきた。
私は、クッションに顔を埋めて、手足をバタバタさせてのた打ち回って、ようやく「あの時はごめん」と声を絞り出した。
母は涙を浮かべて「良いんだよ」と言ってくれた。
入っていた海老は、あの時と同じ殻剥きがめちゃくちゃで、彩りも最悪の腐りかけた海老だった。
帰ってから、私と母は、近所の婆さんに警察を呼ばれるまで殴り合った。
最近、昭和のドラマや映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。
正直、この年齢になるまで篠田監督の作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督の意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物の人間性や時代の矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代の若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。
映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵の鶴川(原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女が瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身の選択ではなく、レイプによるものだった。
そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族の存在がほのめかされ、ついには母親の存在を告白するシーンは映画のクライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。
この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合の矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川に共通するのは、このイエからの周縁性だ。
天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代の国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパの統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体、世帯すべてのレベルで上から下まで論理的に整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑、上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通の倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。
大正デモクラシーはそうした不条理を解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況が日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治が毎日新聞をにぎわせた。
脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたときの鶴川の叫び「何が、国民皆兵だ。金持ちの徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度の矛盾を背景に、映画は鶴川の叫びやおりんの境遇を通じてその時代の不条理を描いている。
また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観や生活の変化を象徴している。
そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女(若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女と出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。
この映画で特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。
鶴川が官憲に連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。
鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このときの岩下志麻の演技すごい。
このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station」降旗康男監督(1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。
水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。
好きな男には帰る場所が別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。
おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないか、あんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。
鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親が瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会の現実、瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。
鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。
女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。対照的に、同時代の男性歌手では、何気に、上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊や松山千春の「旅立ち」が典型。
この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマ「おしん」でも同様にみることができた。
おしんの物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲に拷問され転向を余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家は父親が貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀の実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。
「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像で感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川が告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。
男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい、自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女の時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキレ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポが絶妙だ。
また、ラストシーンの親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化の終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品。
おりんの物語は、単なる一人の女性の悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代そのものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。
篠田正浩監督が描きたかった「日本の原風景」とは、単なる美しい日本の風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様そのものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和のドラマや映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。
また、ドラマ「おしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。
(刑事法だったら今出川だろって突っ込みは左から上に流します)
新しい総理大臣が「日米地位協定の改定」を主張してるって知って唖然となった…
日米地位協定で米軍人の刑事裁判権が免除されてるのはただ単に日本の刑事司法が中世丸出しなんだからなんだぞ
まず取調の録画どころか弁護人の立会権すら認められていない
そもそも被疑者段階での国選弁護士の選任権すら認められていない
これが認められていないのって独裁国家を除いて日本くらいなんだよね
また取調についても通訳が警察によって選任されて、打合せ段階で警察官から余談を抱かせるような資料の提出が出されている
しかも勾留期間が異常に長い(3-400日程度。ロシアですら5日で釈放)
再逮捕再勾留禁止と刑事訴訟法で定められているが、無視して再逮捕している不当な司法活動が行われている
不当逮捕や誤認逮捕の場合の補償金も異常に安い。欧米では1日あたり数十万円がザラだが、日本では1日6.5ドル。アメリカならスタバでフラペチーノを買ったら無くなるくらいの金額
軽く挙げただけでこんなにある。正直、アメリカ人にとって日本で刑事裁判を受けるのは、極東の島国の土人部落でドキドキ魔女裁判を受けるようなもんなんだわ