
はてなキーワード:男性自身とは
「リベラル・フェミニズムだけがフェミニズム」という主張は、フェミニズムという多様な思想運動を一方的に狭め、他の潮流を不当に排除する傲慢な姿勢です。
フェミニズムは単一の思想体系ではなく、複数の視点や分析枠組みからなる運動であり、ラディカル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズム、エコフェミニズム、ブラックフェミニズムなど、多様な潮流が相互に批判しつつ発展してきました。
あなたが言う「リベラル・フェミニズム」こそが、むしろ歴史的には後付けのレトロニムであり、資本主義社会との親和性が高いから支配的に扱われただけのことです。
第二波フェミニズムにマルクス主義の影響があるのは事実ですが、それは階級とジェンダーの交差性を理解しようとする理論的努力であり、フェミニズムを脱線させたものではありません。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ジュリエット・ミッチェル、ナンシー・フレイザーらは、資本主義と家父長制の関係を精緻に分析し、女性の抑圧の構造を暴いたのです。
「女 vs 男」という二項対立に単純化してる時点で、あなたの理解はあまりにも幼稚で、せっかくの批判が分析ではなく情緒に堕している。
ウーマン・リブ(Women's Liberation Movement)は第二波フェミニズムの中の一運動であって、「リブこそ正統でフェミニズムとは別」とするのは歴史的にも論理的にも誤りです。
そもそも“リブ”とは“フェミニズム”のラディカルな実践の別称であり、「フェミニズムとは別物」などという言説は無知からくる無理筋の線引きにすぎません。
フェミニズムは常に男性のジェンダー規範や抑圧にも目を向けてきました。あなたが知らないだけです。
例:ラディカル・フェミニズムは、「男らしさ」や「支配性」が男性自身を苦しめていると繰り返し指摘してきた。
例:第三波フェミニズムでは、男性のマスキュリニティ、セクシュアリティ、権力構造が精緻に分析されています。
そもそも「男も女もジェンダーから解放されるべきだ」という主張は第二波の中核的理念のひとつであり、それが「今のフェミニズムにない」などというのは無知か意図的な捏造にすぎません。
批判されることに慣れていない男性が、構造的権力の分析を「攻撃」と捉えるのは理解できます。しかし、それは被害者意識を根拠にした論理のすり替えにすぎません。
「ミサンドリー(男性嫌悪)」と「構造的批判(ジェンダー制度の批判)」を意図的に混同することで、自分が攻撃されているように感じるのは、特権的地位からの転落感の反映であって、フェミニズムのせいではありません。
フェミニズムは、単に「女性の味方」ではなく、全ての人間がジェンダーの制約から自由になることを目指す社会理論かつ運動体です。
あなたのように「かつてのフェミニズムは純粋だったが今はダメ」というノスタルジックな妄想にすがる姿勢こそ、ジェンダー平等の敵であり、過去に学ぶふりをして現在を理解する努力を放棄した反知性主義の表れです。
それなら身長を伸ばすセノビックなどのサプリやホルモン療法やシークレットシューズやソールなんかより顔をいじりまくる整形の方が需要があるはずだけど、実際は前者に比べて男の整形は需要がない
世の女性もこぞって玉木雄一郎の愛人のようにパツパツの豊胸しまくるはずだけど、そんなのしてるのは大喜利の人などアダルトや風俗やグラビア業界の人くらい
それにたぬかな人権発言炎上や平均身長以上の男性を望む婚活女性が「婚活しないと相手が見つからない女やおばさんが170cm以上の男を望むのは高望み」と婚活業者や無数の未婚おじさんに定期的に非難されてるのを見たらわかるだろう
非モテの低身長男性自身が「高身長男は人気商品ですぐ売れていくが低身長男性は余っている」のを内心では認識してる
それに男の顔面偏差値いじりがそこまで燃えたのは見たことないからね
東洋水産の「マルちゃん赤いきつね緑のたぬき」アニメCMが軽く炎上した
それについては多くの意見があったが比較される男性側CMについて解析が足りない気がした
残業中の男性教員が暗い職場で仕事をしながら緑のたぬきを食べている
これに対して「男性は仕事」という古いステレオタイプだと批判があったが、そう単純だろうか
より正確にいうと「男性の衣食住マネジメントという私生活にポジティブなステレオタイプがない」という
「男性」には「独身男性」と「既婚男性」がいてCMの男性はおそらく「独身男性」だ
「忙しい独身男性が家で”緑のたぬき”を食べるシーン」を作り手が広告として表現できなかったのはなぜか
独身女性が自宅で「今日は忙しかったから帰宅したらすぐ赤いきつね食べちゃおう。気になってた動画見て泣いちゃったな。はふはふ、ずるずる、おいしっ」は想像できるが
独身男性が自宅で「今日は忙しかったから帰宅したらすぐ緑のたぬき食べちゃうか。気になってた動画見て泣いちゃったな。はふはふ、ずるずる、おいしっ」を想像できなかった
想像できてもそれをCMとして魅力的にできるという想定ができなかった
「頬を上気させ口元をクローズアップしシズル感たっぷりに表現」
が性的かどうかはおいて、シチュエーション自体はCMとして成立した
しかし、男性が自宅で一人で緑のたぬきを食べるシチュエーションは描けなかった
なぜか
もっと言うと「忙しい男性が食事など衣食住マネジメント=日常セルフケアを男性自身でする状況が
広告的に成立しないわびしさやみじめさのイメージという古い感覚が浸透している」からだ
お一人様丁寧な暮らしや友人近居で楽しく暮らす独身女性のイメージはポジティブに表現される だが
独身男性の日常家庭生活のポジティブなイメージはドラマ・アニメ・広告・その他メディアで共有されていない
「セルフケアを男性自身でする」というのは頭痛が痛いみたいでおかしいが
「男性の私生活ケアは女性がするものとされてきた」という背景があり、男性が自分の面倒をみる=
ケア担当の女性がいない=生活が不完全な状態、というイメージになる
実際は料理ができて家を綺麗にして自立した一人暮らしをしている男性は大勢いるのだが
マニュアル的で保守的な日本マスメディア界隈で描かれることは少ない
描かれるとしたらこだわりの強い特殊な男性としてで、一般人の代表ではないだろう
孤独のグルメ的な男性が自宅で緑のたぬきを食べて含蓄のある感想をいう広告の想像はできるが一般男性では難しい
一般男性が暗い部屋で一人、動画を楽しみ緑のたぬきを食べている、は
学生なら許容される未熟な状態で、社会人男性のイメージではない
そうやって作られたイメージが男性の生活を貧しくしているからだ
「女性は家でも綺麗にして衣食住マネジメントをしっかりしているもの」
「男性は女性が家にいないと衣食住マネジメントができず淋しくわびしい生活をしているもの」
そこから
「男性が衣食住マネジメントをできないのは仕事を頑張っているからだ」という転換がされ
そのイメージを守るため一部の長時間拘束や非生産的な労働が解消されず家庭生活を圧迫する
「女性が頑張って仕事をした結果衣食住マネジメントができないのはちょっとだらしない」けれど
「男性が頑張って仕事をした結果衣食住マネジメントができないのは仕方がないのでケア担当の女性がいないと」になり
「既婚男性が自宅で緑のたぬきを食べるのは妻が忙しくて夫の面倒も見られない手抜き」だし
「既婚女性が自宅で緑のたぬきを食べるのは(フルタイムや子育て中だろうが)自分の問題だが、夫はなに食べてるんだ?」になってしまう
「男性の衣食住マネジメント係として人生を消費されたくない」という女性の声が上がり負のループも生じる
ところで、CMには絶対にできないが男性が一人で自宅で緑のたぬきを食べる状況がわりと男性にポジティブに共感されそうなイメージがある
これだと「一人でも笑えるわびしさだし女性がその場にいないのは当然」だからですね
AVの中の女性が「男性にあてがわれた女性」として衣食住マネジメント担当女性の代わりにいるからです
家で男性の衣食住マネジメントをする女性は性的ケアも含む場合が多いので
本来は全く別である「セックス相手になる女性」「男性自身の衣食住マネジメント」が脳内で一つになり
「セルフケアできない男性」「ケアしてくれない女性を憎悪する」までいってしまう
「AVと緑のたぬき」と同ベクトルで無意識に女性は衣食住マネジメントおよび性的なケアをするものという男性目線を内包してしまったのが
「女性の私生活における赤いきつね」でもあると考えれば女性の不快感もわかる
男性が家での生活を女性抜きで成立させるポジティブなイメージがない、というのは男性自立における大きな問題だと思う
広告業界は卓球をかっこよく見せる、ボーリングをスタイリッシュに見せる、など
既存イメージをひっくり返す戦略を成功させてきたのだから「普通の独身男性の自宅生活を女性やホモソーシャル抜きで楽しくする」も挑戦してみてほしい
家庭生活を自分でマネジメントし楽しめる男女は結婚しても二人でそうできると思うしね
Permalink |記事への反応(25) | 22:10
まず、男性の方が加害行為に及びやすいという統計データは存在していて、これを指摘すると「男を悪者にするな!」と言う人がいるけど、事実を直視しないでどうやって問題を解決するというのだろう。
それに、データというの実際にあったことの積み重ねで、一人ひとりの男性からの被害体験があって、それらは否定できない事実で、それが積み重なることで主張が形成されてる。
誤解しないでほしいのは、問題としてるのは男性ではなくジェンダーだってこと。暴力的な男が「男らしい」とされ、感情を見せる男は「弱い」とされる。こうした価値観が加害を生む土壌になっている。そしてこの圧力は、男性自身をも苦しめている。「男は強くなきゃ」と抑圧され、マウントやパワハラが横行する。この構造を変えなきゃ、誰も幸せになれない。
また、「女性も加害する!」という反論もズレている。もちろん女性の加害も問題だけど、それが男性加害の話を否定する理由にはならない。
「全ての男性が加害者じゃない!」というのも、言われなくても分かってる。問題は、「俺はやってない!」と自己防衛することじゃなく、加害を生む社会構造をどう変えるか。一緒に考えられる男性が増えれば、それだけ社会はいい方向に向かっていくと思う。
自分としては、はてなで男性の加害性について論じたり体験を共有したりするのは有意義なことだと思うので、理不尽な批判は無視して継続していってほしいと思う。
その他のあらゆる要因を考察する前にジェンダー的な要因ばかり持ち出されるのはなぜか?
それが正しいとしても当人の自己責任と自助努力にしか繋がらないジェンダー的なアプローチばかり取り上げられるのはなぜか?
結局この手の問題で発言力があるのがフェミニストで、それがフェミニズムに都合が良いからってだけでしかない。
「それは差別にあたらない」とか言ってみたり、
またある時は
“取り繕わなくちゃいけない場”では、
「それはフェミニズムに従って男性自身の加害性と向き合うことで解決される」
といった具合だ。
なぜこうなるのかというとこれらの主張は何かを否定するための主張であり、
上記のどれかが通ればフェミニストとしての目的を達成できるから。
「男性差別は存在しており、それは社会の問題であり、フェミニズムでは解決不能」
というもの。
婚活してた身としてまず一つ目、めちゃくちゃモテるわけじゃないけどこういうの好きな人いるだろうな〜は婚活では「めちゃくちゃモテる人」だ。
二つ目、付き合ってもないのにヤれてしまった人には急速に「パートナーとしての」興味が失われるというか、付き合わずにヤれるならそれが一番楽だし付き合わずに流れでヤるような人をパートナーにするのはむしろ不安になる。男性自身のことを棚に上げすぎだろと思うかもしれないが、托卵に対するはてなやXの男性の反応を見てみると「自分の子だと思い込んで他の男の子に金や労力や時間などのリソースを注ぎ込んでしまう」というのはかなりの本能的拒否感があることがわかると思う。産む子供は必ず自分と血が繋がっている女性とは捉え方が違う。
パンサー尾形氏の妻との馴れ初めについての動画がYouTubeにあがっていたと思うので是非見てほしい、奥さんの挙動はその気はないのにセフレにされがちな女性が真似すべきものだと思う。
三つ目、これは自分の経験の範囲の話でしかないが婚活において「共通の友人がいる」はあまり良い方向には働かないように思う。共通の友人きっかけで出会ったなら仲を取り持ったりしてもらえてプラスに働くだろうけれど、たまたま共通の友人がいたというだけならむしろ「相手に悪い印象を与えたら友人にチクられるかもしれない」など想定してしまい面倒だと感じるように思う。
しかも大学側は女性が合格すると人材不足になることを理由に女性に負担を押し付ける形で解決を測ったと不正入試の理由を答えていますよね。
本来、大人が解決するべき雇用問題の解決を子ども、しかも女性だけに押し付けたんですよね
これは日本社会全体にも通じる傾向です
だから平均年収や正規雇用の男女比には大きな開きがあるんですよね
この状況で女性が働かないとはどういうことでしょうか
下駄を履いたまま、女性に稼ぎや出生率を求めるのは滑稽だと思いませんか?そういう姿勢が昭和から平成、令和まで掛けて続いてきました
働いている筈の男性は何をしているんでしょうか
何回か海外留学経験があってパーソナルトレーニング通っててサウナには否定的で。
酒好きアイコス(アイコスじゃないやつかも。あれ区別つかない)好きで、学部時代に一瞬インターンしたことあるけどバイトみたいなことは一回もしたことないって言ってた。
富裕層ってヤツ、なんだろうなと思う。でも本当に不思議なんだけどイケメンなのに性的な魅力を一切感じなくて、話してる間何度も「この人は男より女に生まれてたほうが絶対にモテた」って繰り返し思った。
明治時代や大正時代、貴族階級は女性は無職で家事もお手伝いさんにやらせていたけど、男性は資産で食っていけたとしても職があることが多かった。
自力で歩けないほど足が小さい女が最も性的とされた纏足のこととか、「戦争は女の顔をしていない」に出てきた兵隊として国のために戦った女性が復員後に男性からも女性からも忌避されたエピソードを思い出した。
小学生の頃に通ってた自宅教室型のピアノの先生のことも思い出した。今思うと、音大を出て自宅に有孔ボードが貼られた防音室作って良いピアノを置いて、安い月謝とって、単体で生活成り立つわけがなかった。
こういう人って、強者男性の奥さんしかいない。強者男性自身が、お姫様とかお嬢様とかいう、高貴な生まれで教養だけをやっている女性に魅力を感じる傾向でもないとこうはならない。
女は金で男を選ぶ!みたいに言われるけど、稼ぐ能力があって男性から認められている男性に性的に反応するのであって、仕事ができなさそうな相続人だと違うんじゃないかって思ってしまう。
金持ちのイケメンなのにこんなに何も感じないとは、って思った。叩き上げ的なバックボーンを持つ人に対してのほうが反応してしまう。
マッチョな男が取りがちな態度や考え方について批判的に捉えた言葉とのことだ
「男たるものこうあるべき」的な思考が蔓延することによって社会に害をなすどころか男性自身の生きづらさにも繋がっていると指摘されている(らしい)
この言葉を知ったとき、個人的には有害な男らしさの害というものについて「まぁそういうこともあるよね」と肯定的に捉えたんだが、それと同時に女も女で社会的に害悪かつ女性自身の生きづらさに繋がるような振る舞いをやりまくってるよなと反論したい気持ちにもなった
男ばかりこういうこと言われるのも癪なので腹いせにこの世からなくなって欲しい有害な女らしい振る舞いを列挙していこうと思う
・男と女がひとりずつ部屋の中で休んでいる
・部屋の温度が低く肌寒く感じられた
・見たところ近くの窓が開いていて外から冷たい風が入ってきている
このようなシチュエーションにおいて相手方に何と声をかけるのが正解か。
このとき男性の大半は「部屋寒いから窓閉めていい?」と相手に聞くだろう
ところが一部の女は「部屋寒くない?」と聞きがちだ
「部屋寒くない?」→「そうだね、寒いね。窓閉めようか」→「うん、お願い閉めて」という一連のプロセスを踏むことを前提に自身の要求を通そうとしてくる
女は「察し」と「共感」を前提として自身の主張を婉曲に伝えることを美徳だと思っている節がある
しかもこの手の女性は「部屋寒くない?」という問いかけに対して「そう?別に普通じゃない?」と返そうものなら相手のその察しの悪さに激怒する
自身の願望が相手に察せられることを前提にそれが叶えられないと癇癪を起こす
学生時代ならいざ知らず大人になってまで相手の「察し」に甘えた態度を取るのは本当にやめたほうがいい
例えば結婚後の家庭生活においてこんな態度を取っていたら相手から愛想を尽かされるし会社では面倒くさい御局として嫌われること必至だろう
要求があるなら自身の責任においてきちんとそれを表明すべきだし、仮にその要求が憚られるのなら黙っていれば良い
そういう大人としてのコミュニケーションをきちんと身につけていない女性はかなり多いので、意識のアップデートをお願いしたい
昔は男が相手の女性をヨシヨシ慰めて察してあげるのが美徳だったが、現代はもうそんな時代ではないのだから
自分の気に食わない相手の欠点を挙げて仲間内で共感しあい連帯を強めるという醜悪としか言いようのない仕草をみんな当然のように行っている
それでいて当の本人に文句を言うことはせず、環境を改善しようという努力は一切しない
愚痴を吐く暇があるならそれが改善されるように努力を重ねるのがまともな大人のあり方であるはずだ
上司の振る舞いが嫌ならそのことを上司自身に伝えて改善を促せばいいし、それがだめなら人事に部署の配転を打診すればいいし、それもだめなら転職をすればいい
仲間内で「あの上司うざいよねー」と話したってなにも解決はしない
それどころかまともな人間は人から愚痴を聞かされることに嫌悪感を持っているので普通に友人を失って孤独に陥る可能性すらある
愚痴の多い女性はそのあたりの常識的な振る舞いをいい加減わきまえるべきだろう
「社会的には悪だが自分は好き」「自分は嫌いだが社会的には許容されている」
こういった好悪と善悪の区別がついている女性というのはかなり少ない
このあたりはXで活躍するフェミニストの皆様を見ると非常にわかりやすいと思う
多くの人間から嫌われはするが社会的に悪ではない存在に対して、女性はその存在そのものを認めず社会的に排斥しようとする
それ以外にも「自分は好きだが社会的には許されない」という事物に対する見識の甘さも酷いものがある
例えばジャニーズの性加害問題においてジャニオタたちがどんな振る舞いをしたかを見ればそれは明らかだろう
自分の好悪と善悪の区別がつかず、自分の好きなものは社会的に広く認められるべきで自分の嫌いなものは社会的に存在すべきではないという浅薄な価値観はさっさと矯正されるべきだ
ざーっと思いついたものを列挙してみたが、正直有害な女らしさは社会のあらゆる場所にもっと広範に存在しているような気がする
女性の価値観のアップデートにこういう赤裸々な被害報告は必要だろうからよければブコメでも何でも『有害な女らしさ』をたくさん列挙してほしい
俺も一部の女性と同じように「あるある〜笑」って共感してみたい
Permalink |記事への反応(19) | 14:50
元増田だ
カヴァート•アグレッションは比較的、女性達が発している事が多い気がするし、女性同士の間でも発している。見ていると、女性達も受け取らずに無反応のまま、徐々に距離を取っているケースが多そうだ
一般的な夫婦生活や恋人関係でも、実はわりと見られるコミュニケーションだが、これが相手への攻撃にもなり得ることは、女性自身も知っておくべきだし、男性側もきちんと身を守らないと、いつの間にかモラハラパートナーへと追いやられる
それは相手に対する攻撃になっている事を、被害者である男性自身も知覚して認識した方がいいし、そうすることで自分がモラハラへと追いやられることも防げる
【リスク⑦】ご近所付き合い不足
孤独は脳の大敵
私のクリニックに相談に来られる方々の話を聞いていると、年々「ご近所付き合い」が少なくなっている様子が伝わってきます。マンションの隣に住んでいる人の名前も知らないという人もいて驚かされることもあります。
内閣府が毎年行う「社会意識に関する世論調査」の令和5年11月調査の結果によると、「地域での付き合いをどの程度していますか?」という質問に対し、「よく付き合っている」と「ある程度付き合っている」を合わせ、「付き合っている」と回答した人は、40代で42.7%、50代で41.5%と、4割強となっています。
ご近所付き合いに代表されるような、日々の“ちょっとしたコミュニケーション”は、人生の後半を何倍も豊かなものにしてくれます。その反面、こうしたコミュニケーションのない生活は“孤独”です。
男性に限って言えばご近所づきあい不足はうっすらと男性自身が嫌われていることではないかと思われる。
「自己肯定感」という言葉が、今やごく一般的に使われるようになりました。自己肯定感とは、「自分自身の価値を認め、存在を肯定する感覚」を指しています。
私のクリニックにも近年、自己肯定感が持てないどころか、「自己否定感」に悩まされている方がたくさん訪れます(自己肯定感の欠如というと、若い方の問題と思われるかもしれませんが、実は、中高年の方にもたくさんいます)。
自己肯定感を持てない人が急増している一因に、日本という国の特殊環境があるのではないかと私は考えています。日本ほど、さまざまな人間模様や上下関係が複雑に絡み合って、忖度(そんたく)が生まれる社会はありません。
自己肯定感が足りないと、左脳感情はますます鳴りを潜め、さらに自信がなくなって、外の世界に目を向けることに不安を感じるようになります。内向きになって狭い世界に閉じこもるようになってしまえば、好奇心が失われることは必定です。
女性にアプローチしたら、既読無視。声を掛けたら、セクハラで解雇。
イベントバーや何かしらの集まりで女性に声を掛けたら、即できん。
かといって男同士は何となく抵抗があるし、お互いがお互いを嫌ってるので、仲良くなること自体難しい。
ff14というゲーム内で目的に向かって動くのである程度顔見知りになることはできるが、何かを発言したら、モルボル率いるコミュニティチームによってBANされる。
そうでなくともさらされる。
常に周りに気を使っていなければならない状況で自己肯定感なんて生まれるわけないし、抑圧しねえとお賃金が得られないんだから抑圧するしかねえよ。