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トイレは男女共通が当たり前!女性徴兵義務化取材で見えてきたデンマークでの「ジェンダー平等」と「権利と義務の平等」FNNロンドン支局長・田中雄気|FNNプライムオンライン
worris兵士が男性に偏るのは出産を女性が担うからでしょ。まずは子宮移植を実現しないとアンフェ連中の主張する「真の男女平等」は成立しない。
リベラルが女性の利得を最大化したいのは分かる。でも、さすがに子宮が出てくるのはビビった
産めよ増やせよって保守派だけだと思ったのにリベラルも保守派と同じ価値観を言うんだね
worris留学生も追い出そう!
※本文はChatGPTで調整しました
近年、女性の貧困や搾取、性犯罪のリスクといった問題が可視化される機会が増えてきた。とはいえ「男性よりも女性のほうが弱者である」という前提は、昔から強く根づいているように思う。たとえば「女子どもを守れ」という言葉があるように、大人の男性が守られるべき存在として語られることは少ない。
ただ、SNSなどで個人の声を見ていると、男性にもそれと同じ、あるいはそれ以上の“弱さ”を抱えながら生きている人たちがいるのではないかと感じるようになった。あえて大きく括るが、たとえば体力的には女性の方が男性より弱い傾向にある。それはスポーツの世界などでも明らかだ。しかし裏を返せば、それは「女性が身体的に強さを求められていない」ことの表れでもある。
重い荷物を無理に持たせるのは女性にはよくない、とされ、疲れていればまず「大丈夫?」と心配されるのも女性だ。もちろんルッキズム(外見への偏見)は大きく関与しているが、それでも「女性だから」というだけで優しさを向けられた経験は、私自身何度もある。
とはいえ、女性が結婚・出産を当然とされ、自由やキャリアを制限されてきた過去があるのも事実だ。その制限と闘ってくれた先人たちのおかげで、私たちは選挙にも行け、学び、働くことができている。この恩恵を軽視するつもりはないし、女性を所有物のように扱う男性が今も一定数存在することにも目を背けるわけにはいかない。
けれども、女性がすべての面において常に「弱者」であるかというと、そうは思わない。
たとえば、ある女性が「恋人がほしい」と思ったとき、選ばなければ比較的簡単に誰かと関係を築くことができる。性的なニーズも満たしやすく、経済的に困ればパパ活や援助交際といった手段にもアクセス可能だ(倫理性はさておき)。年齢を重ねて孤立するリスクはあるが、社会や行政は女性の孤立には比較的寛容だ。
一方で、ある男性が「恋愛したい」と思ったとき、まずマッチングアプリに課金しなければならず、出会いにおいても年収・容姿・コミュニケーション力など、厳しく値踏みされる。男性という性そのものに対する需要は薄く、年齢を重ねるほど恋愛や性体験の機会が閉ざされがちだ。孤立しても「男なら耐えろ」とされ、支援も乏しい。
もちろん「努力すればいい」という意見もあるが、努力が報われない人は確実に存在する。そのとき社会は、男性に対してずいぶんと冷たい態度をとる傾向にある。結果として、男性の自殺率は女性よりも倍以上、高くなっている。
私自身、「男性の孤立=性欲が満たされないこと」と読むと、正直呆れる気持ちにもなる。だが、それは女性が比較的「求めれば得られる」立場にあることから来るバイアスでもあるのかもしれない。もし自分に強烈な欲求があって、それがまったく満たされず、一生を終えるしかないとしたら、社会や幸福そうな他人を恨まずにはいられないだろう。
では、弱者的立場にある男性の孤立を、どう解消していけばよいのか?
現状、男性向けの相談窓口は女性に比べて圧倒的に少ない。理由として「男性が相談に来ないから」とされるが、実際には“来にくい”だけなのではないか。来たとしても、支援制度の整備も事例も足りていないのが実情だ。だからといって、昔のように「女性を男性にあてがう」ような制度は、明らかに誤っている。
必要なのは、まず男性の生きづらさがあるという事実を、社会が認識することだと思う。たとえばメディアが男性の孤立に焦点を当て、情報を広める。あるいは、女性への支援内容のうち“過剰”な部分を見直す議論もあっていい。
女性がより生きやすくなれば、相対的に男性の立場が弱くなることもある。たとえば、女性の自由が高まれば少子化は進む。ここにジレンマがある。「産めよ増やせよ」は人権問題に直結するが、放置すれば社会の持続性が危ういのも確かだ。
世界がこのままゆっくりと終わっていくのだとしたら、男女論など些細なことかもしれない。でも、それでもなお私たちは社会的な生き物だ。正しさとは何か、どこにバランス点があるのか、そうした問いを対話の中で探していく必要があると私は思っている。
俺、コンテンツの食いつぶし現象っていうのを10年前くらいから言ってるんだけど
例えばラノベが特徴的だった
ある環境・媒体・表現方法(例えば漫画・アニメ・文字・社会)においてできるネタって有限なんだけど
生産がしやすい場合、どんどん生み出されて盛り上がるんだけど、ある時食いつぶしが起きて一気に尻すぼみなるっていうやつ
小説はよく起こる、音楽もちょいちょい起こる、ゲームでも起きてる
そもそも人間関係っていうのはさ、富国強兵の前までは村だったわけよ
よく未開の部族がやってるアレだったわけ
その中で人間関係って、恋愛だけじゃないじゃん?むしろ恋愛って大事な関係の中でTOP10に入ればいいかなみたいな存在じゃん
そこから核家族化していって、どんどん一族・家族との人間関係が薄くなっていって
さらに会社も、コンプラなんかがあってどんどん他人化していって
そしたら残るのって「恋愛」「親兄弟」「学校内の関係」「部活」「趣味」くらいなんだよね
ってのが戦後どばーっとやられて、世はまさに恋愛至上主義時代なわけじゃん
そこに乗っかったコンテンツ全盛期
そりゃ食いつぶすよね
ヒーロー・ヒロインがいたとしても、恋愛以外の関係性を重視してると思う
作り手がそうするってことは、世の中がそうなってるんじゃって
ここ10年か、ともすれば5年くらいそうなってるような気がしてる
ただ憧れてもないからどうなるんだろう
4人目妊娠中なんだけど
「少子化を解決しろ。女の管理職を増やすな。産めよ増やせよの大合唱が大事」
みたいなツイートがTLに流れてきて、
「少子化を女性の責任にして、女性から権利や教育や雇用を奪おうとするクソ男の理想の国作りに加担してやりたくない」
という気持ちを抱いて、
一瞬、ほんの一瞬だけど、中絶という酷い選択肢が頭をよぎってしまった。
いやもちろんこの子は産むよ。
夫も親もみんな楽しみにしてる。
強い自閉傾向を垣間見せる両親から産まれたほとんど自閉症の自分の体が嫌いなんだ。
自分が嫌いなわけじゃない。
ハンディキャップと共に戦ってきた唯一人の戦友だ。
でもこの体は最悪だ。
チビでハゲでワキガでアレルギーや喘息もついてきて、おまけに脳の作りが生まれつき狂ってるときている。
俺はね、いつも羨ましかったよ普通の脳みそで産まれた他の奴らが。
別に社会に対して復讐したいとか、輪廻転生が存在していてハズレを増やしたくないとか考えてるわけじゃない。
俺のような遺伝子の人間が、俺の目の前でその遺伝子に苦しめられてるのを何十年も見せられるのが本当に嫌なんだ。
渡された遺伝子以外はそれなりに大事に育てられたとは思ってるし、金もかけて貰ったと思う。
でもこんな体に産まれたことについては何時だって苦しかったんだよな。
生まれつき上手くできないことで延々と社会から爪弾きにされてきた人生には憎しみしかないよ。
ハッキリ言えば、俺は親のことをサイコパスかなんかだと思ってる。
だって自分ら二人の遺伝子掛け合わせて子供作ったらどうなるかぐらい予想はついたろ?
それとも数十年前の教科書にはメンデルもダーウィンも載ってなくて人は神様が創造したって書いてあったのか?ん?
それをさ、あの時代はみんな結婚して子供産むのが普通だったから流れで産んだとかさ、とんでもねえ奴らだよ。
お国が殺せと言ったら平気で人を殺せるのってこういう「普通」を過大評価してよく考えずに動くような連中なんだろうなって。
金がないからじゃない。
昔は今と違って産めよ増やせよそのせいで椅子取りゲームが過熱したときは勝手に死ねよだったんだから本当に酷いよな。
もしも社会からの圧力が強かったら、きっと俺も自分の身を守るために子供を産んだんだろうな。
でもその機会があるのに選ばなかったから、親よりもっと酷いクズってことだろ?
それは嫌なんだ。
またXで変な燃え方してるけど、年収1200万円で子供三人育てるのは現実的じゃないよ。
これね、年収600万円で子供三人育てる方が現実的なの。意味わかんないと思うでしょ、でも実際そうなの。
まずね、ざっくり計算したらすぐわかるんだけど、年収600万円って手取りは400万円くらい。可処分所得とか言われるけど、要は自由に使えるお金ね。
これが、年収1200万円の手取りって700万円ぐらいでしょ。年収が倍でも手取りは倍にならないし、割合が問題になるときは絶対額を見ようぜ。
その差額、たった300万円よ?
400万円を12ヶ月で割ったら、月33万円とかじゃん。どう逆立ちしたってタワマンで優雅に暮らせないじゃん。家賃で全部吹っ飛ぶでしょ。
てことはだよ、当然ながら購入も夢のまた夢って感じで、まあ首都圏近郊に小ぶりなマンションなり、ちょっと通勤時間伸ばして戸建てとかでしょ。
そうするとだと、子供のお稽古事とか、塾とか、進学先とか、普通に土地に縛られてその辺の中から選択するしかないわけよ。
ベースラインが住居費で決まるの。あとはそっから芋蔓式に全部費用が決まってくの。
三人とも私立大学でとか一人暮らしでとか言われたら、そりゃ奨学金頼りになっちゃうだろうけど、まあまあ無理すればなんとかなる範囲な訳よ。
これがね、700万円を12ヶ月で割ってみなさいな、月58万円で、まあまあ家賃20万円くらいなら射程圏内なわけよ。
そんで、日本の銀行の与信調査はどうかしているので、年収1000万円超えててタワマン買うためのローンが降りないことはまずない。
年収1000万越えって、どう割り引いて考えても、まあエリートよ。夢見て欲しいし、夢見るじゃない。
8000万円程度のタワマンだったら、ローン組んじゃうわけよ。
あとはさっきと同じよね、住居費のベースラインが決まって、そこから通える塾のお値段が上がり、自分の再生産バージョンに対する投資を考えて、
とやっていくと、まあまあ三人は現実的じゃないわけよ。
ちょっと目を離した隙に未成年はすぐ大怪我するし帰ってこなくなるので、まあまあ事故ったら大ごとになってたわけよ。
昭和のおおらかな時代なら、ため池に落ちて助からなかったのは運が悪かったね、学校の朝礼で近づかないように!と挨拶されて終わり。
もうそういう時代じゃないでしょ。それで、プールで泳ぎたいって言われた時に、子供の水泳教室代が払えないってなるのは、結構屈辱的よ?
というわけで、子供に当たり前の体験だの教育だのを与えたいと思った時の絶対的な金額は、過去類をみないほど高いです。
そして、地価の高い場所は当然お家賃も高いので、その手のお稽古事を運営している方のお家賃も高く、それが授業料に反映されます。
オカンがつきっきりで勉強見たら良い?それ、親父がエリートサラリーマンで家に帰ってこない三人の子育て中のお袋に言うてみ。引っ叩かれるで。
ここが最も誤解されていると思うんだけど、俺ら管理社会で「1025番は子供を三人育てる義務がある!」とか言われてないのよ。
自分たちが快適に過ごし(場合によっては仕事上必須の場所に住み)、その上で子供にも良い人生を与えてあげたいなという親心を無視して、三人目も産めよとか誰目線なのか。神か。
必然、一人目の生活や教育費、今後のことを考えると、うーん、一人にしておこうか、とか、二人が限界かな、とか、そういうことになるの。
節約したら三人くらい余裕で育てられる!節約が足りない!とか吹き上がるのはいいんだけど、なんで節約するの前提になっているのか。もっと蕩尽しろよ。
年収1200万円はエリートだねって話したね。でも年収600万円に比べて可処分所得はだいたい300万円増えるだけだねって話もしたね。
300万円を12ヶ月で割ると、25万円だ。さてあなたの生活に月25万円プラスされたとして、劇的にお金持ちな生活ができますか?
旦那の仕事中に優雅にママ友とランチに行って〜、ジムでピラティスして〜、夕方にはお手伝いさんに家事の出来を指示して〜、とか現実味ないでしょ?
そういうのは、マジの役員クラスで手取りで数千万ないと無理よ。(もしくは擬似的に可処分所得が増える自営業とか)
今年は確定申告しなきゃいけないかな、でもそんなバリュー出せなかったし今年は微妙かなーみたいな人らは、世の中のお金持ち像には全然達していないです。
そりゃ年収600万円台で子供3人育ててる人の生活水準に合わせて生活したら、年収1200万円台の人らが子供三人育てるのとか余裕よ。
絶対額で300万円も余裕があるわけだし。でもね、それ、なんで合わせて生活しなきゃいけないわけ?だから無理なのよ。
ネタにされがちなSAPIXだの緑鉄会だのだって、三人なら諦めるしかないけど一人なら行ける、なら、そりゃ一人になるんじゃないの?
その生活環境は贅沢だ、身の丈にあってないっていう批判は的外れなのよ。だって、子供を持たないとか一人っ子でいいなら身の丈にあってるんだもの。
子供を三人育てる年収1200万円を増やしたいなら、やっぱちょっと税金取りすぎじゃないの?という気はする。
ただ、そういう政策は階層の固定化に繋がるし、高等教育の機会を均等にしとかないと国力下がるよねってのはわからなくもないので、どうしようもないんじゃないの。
子供の数に着目しても無理なんじゃないかなー、年収300万円台の子沢山が増えるだけじゃない?そして実はそっちの方が国としては良かったりするし。
その行き着く先として、留学が最低レベルになる年収1200万円の子育てとかってのがまあまあ見えてきていて、どんどん無理になっていく未来しか想像できない。
第二次ベビーブームで人が多かった上に不況でいくらでも代わりがいる使い捨ての労働力扱いしてたから幸福度低いに決まっているし
自分達の世代がそういう扱い受けてきたのに、下の世代がバカでもチヤホヤされるのなんて面白くはないだろうから社畜おじさんが自己責任論で後輩の幸福度を奪っていくのはしばらく変わらないだろう。
そもそも平地面積の少ない島国に1億2000万人は多すぎる、極端な少子化は労働力バランスとしては問題だけど、日本は6000万人くらいでちょうどいいんじゃないかと思う。
どんどん産めよ増やせよで1.5億人とか2億人とかなってもどうにもならないだろ。
俺はそんな社会になって欲しくないよ。
でもさ、「子供を労働力として提供して社会の富を増やしたかどうかが社会貢献である」ってそういうことだよね。
「障害者を生み出すことで社会保障コストを食い潰したなら、それは社会の富を奪い去る行為である」とならざるを得ないんだよ。
俺はそんな息苦しい社会は嫌だよ。
だから俺はさ、「子供を生み出すことこそが社会貢献である」なんて考えには反対なんだよ。
つまり、「子供を産むことと社会貢献は無関係である」って考え方をしている。
将来的に年金や保険っていう社会保障にガンガンライドしていく未来の老人として考えると無責任なこと考えてる気はする。
でもさ、嫌じゃん?
自分が子供作ったことに対して「凄いね!社会貢献してる!産めよ増やせよ!富国強兵!」みたいな話されるの気持ち悪いじゃん?(つうか、マジでキモかった。そういう戯言を今どきいっちゃうやつなんてせいぜい右翼や自衛隊ぐらいだと思ってたけど、普通に昭和生まれの人はデフォでこの考えなんだよね・・・)
まして自分が障害児を産んだ時に「裏切り者!国益になるから応援したのに国の負担になるとは!いい感じに殺してしまえ!」みたいな扱いをされたらもうそんな奴とは金輪際付き合えないでしょ・・・。
だから俺は絶対に自分の「子供を生み出すことは社会貢献とは無関係の行為である」って哲学を貫くよ。
もしかしたら突然大きな氷河期がやってきてこんなノンキな事言ってられない社会になるかも知れない。
そうなっても俺はこの考えを変えたくないよ。
何を持って多様性があると言っているのかが謎
未婚率の高さが多様性があることの指標なの?それとも未婚を選択できる自由があることが多様性があると言っているの?
こんな本が出た事自体、既に自分の意思で非婚非産を選ぶ女性は大勢いた事を証明しているんだから、多様性は既にあったんだよ。この本はその多様性を後退させた。
氷河期世代女性の未婚率の高さはけして多様性が認められたからじゃなくて(多様性に関しては寧ろ前世紀末の方が認められていた)、
と思ったら、その多様性を社会がどう評価したかという話に変わる
社会全体としては産めよ増やせよが国是となって画一的になる中での、経済的理由で「結婚したくてもできない」女性の増加によるものだから
けして褒め称えるべき事でも誇るべき事でもないと思う
なんかいきなり主張が変わってない?