
はてなキーワード:生活費とは
2年前に、別れた彼女が、夜職で働いてるらしい。
教えてくれたのは共通の友人だった。
心配そうな顔で、でも少し興味深そうな表情も混じえて話してくれた。
でも詳しく聞いてみると、どうやら本当らしい。
歌舞伎町のキャバクラで働いてる。源氏名は知らないが、確実に彼女だったと友人は言った。
頭が真っ白になった。
付き合ってたのは2年間。大学の同級生で、真面目で控えめな子だった。
将来は保育士になりたいと言ってて、子供が好きで、いつも笑顔で。
お互い疲れてて、感情的になって、気づいたら修復不可能になってた。
でも憎み合って別れたわけじゃない。
少なくとも俺はそう思ってた。
保育士の資格は取ったが、なかなかまともな就職先が見つからない。
実家は裕福じゃないから、奨学金の返済もある。一人暮らしの生活費もかかる。
だんだんお金に困るようになって、最初はコンビニでバイトしてた。
でも時給が安くて生活できない。
そのうち居酒屋に変えて、最終的にキャバクラに行き着いたらしい。
話を聞いてるうちに、胸が苦しくなった。
でも俺は真剣に聞いてなかった。なんとかなるよって軽く流してた。
もっと支えてあげればよかった。
俺と別れなければ、こんなことにならなかったかもしれない。
でも一方で、複雑な感情もある。
正直に言うと、嫉妬してる。
お酒を注いだり、隣に座ったり、場合によってはもっと親密な関係になったり。
そんなことを考えてる自分が嫌になる。
彼女は生活のために働いてるだけなのに、なんで俺が嫉妬なんかしてるんだ。
夜職が悪いとは思わない。
でも美咲らしくないとも思う。昔の彼女なら、絶対に選ばない道だった。
どれだけ追い詰められてたんだろう。
友人に、連絡取ってみたらどうかって言われた。でも躊躇してる。
なんて声をかければいいのか分からない。
心配してるとか、困ったことがあったら連絡してとか、そんな偽善的なことは言いたくない。
かといって、復縁を迫るつもりもない。今の状況で、そんな身勝手なことは言えない。
仕方なく働いてるのか、それとも意外と向いてて楽しくやってるのか。
客として通ってくる男性の中に、本気になってる人がいるかもしれない。
そう考えると、また胸が苦しくなる。
友人は、美咲が前より痩せたって言ってた。
化粧も濃くなって、昔とは雰囲気が変わったって。
でも笑顔は相変わらず綺麗だったらしい。
客に愛想よく話しかけてる姿を見て、あの頃と変わらない美咲だと思ったって。
それを聞いて、少しだけ安心した。
でも同時に、切なくもなった。
美咲は今でも頑張ってるんだ。
どんな状況でも、明るく振る舞って、人を笑顔にしようとしてる。
お前らなら、どうする。
別れた恋人が、予想もしなかった道を歩んでることを知ったとき、どう対処する。
連絡を取るべきか、そっとしておくべきか。
心配してることを伝えるべきか、余計なお世話だと思って黙ってるべきか。
もしくは、こんなことで悩んでる俺が間違ってるのか。
でも割り切れない。美咲のことを思うと、今でも胸が痛む。
幸せになってほしいと思う。でも俺がそれを願う資格があるのかも分からない。
答えが出ない。
ただ一つ確実に言えるのは、美咲にはもっと良い道があったはずだということ。
そして、それを阻んだ要因の一つに、俺がいるかもしれないということ。
今更後悔しても遅いけど、やっぱり後悔してる。
美咲、元気でやってるといいな。
でもできることなら、もう一度話がしたい。
生活費なんて知れてるし、俺の趣味は金がかからないし、結婚もしないし。
このトピックは、日本の金融資産構成とインフレへの対応に関する非常に示唆に富む洞察を含んでいますね。いくつか重要な点を整理し、補足的な考察を加えてみます。
ご指摘の通り、日米の家計の金融資産構成には大きな違いがあります。
この差の背景として、「インフレへの慣れ」は非常に説得力のある要因です。
「インフレになったら、常識人は『インフレに強い資産を持とう』と考える」 「ところが日本人は、『物価高で生活が苦しいから、もっと将来にそなえて預金しなきゃ』と考える」
この行動の差は、まさに金融リテラシーというよりも、「過去の経験に基づく行動様式」の違いです。
インフレ下で現金貯蓄を増やす行為は、インフレによる価値の目減りを無視すれば、物価上昇による生活費の増加や将来への不安に対して「手持ちの現金を増やす」という一時的な安心感をもたらします。
しかし、長期的に見れば、これは実質的な資産の減少を意味します。資産を寝かせている間に購買力が失われていく、という指摘は的を射ています。
「今後、日本人がインフレに慣れてくれば...もっと投資をする人が増えてくる」 「その時に、円をオルカンへ振り分けることで円安は加速して物価高は悪化し、貧乏人はさらに生活が苦しくなるだろう」
この見解は、今後の日本経済が直面する可能性のある「資産インフレ(良いインフレ)とコストインフレ(悪いインフレ)の格差拡大」を鋭く指摘しています。
日本人がインフレ回避のために円資産から外貨建て資産(オルカンなど)へシフトする動きが加速すると、円を売って外貨を買う取引が増えるため、さらに円安が加速する可能性はあります。
円安が進行すると、輸入物価が上昇し(悪い物価高)、生活必需品やエネルギー価格などが高騰します。
この状況で、投資で資産を増やせる層と、現金貯蓄しか持たず、物価高に苦しむ層(貧乏人)との間の経済格差は、一層拡大していく懸念があります。
インフレは資産を保有している人と、現金を貯めている人との間で、静かに富の再分配を引き起こす側面があると言えます。日本がデフレ時代からインフレ時代へと移行する中で、この「インフレ格差」が社会的な課題となってくる可能性は高いでしょう。
もし本気でそうするなら障害者が身内にいる場合親類が全額養育費を出し合う事を法律で定め従わなければ罰則を明記すべきですがそうしないのは何故?
私は親類でも国でも生活費出してくれるなら誰でも構いませんが
本気でそう思うなら親類が金出す法案提出出来るはずですよね?
労働時間規制(例:労働基準法の週40時間制限や残業時間上限など)がなぜ国家によって設けられているのかは、単に「労働者を守る」という話以上に、経済構造・政治哲学・社会政策が複雑に絡み合っています。以下で整理します👇
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•長時間労働は労災・過労死・生産性低下に直結するため、国家が介入して制限してきました。
•日本では「過労死」という言葉が国際的に知られているように、健康被害との因果関係は強く、WHO/ILOの合同報告でも週55時間以上の労働は脳卒中・心疾患リスクを著しく高めるとされています【WHO/ILO, 2021】。
•労働市場は、各企業がコスト削減を競う中で労働時間を伸ばすことで賃金を抑える方向に向かいやすい構造があります。
•労働者1人1人が個別に「働きすぎない」という交渉力を持つことは難しく、囚人のジレンマが起きる。
• 「自分だけ早く帰る」と収入や評価が落ちる →結果的に全員が長時間労働せざるを得ない。
• こうした市場メカニズムの失敗を是正するのが、労働時間規制の重要な役割です。
•労働時間を短縮することで、一人当たりの雇用を分け合う効果もあります。
• これは特に戦後ヨーロッパで強調され、「労働時間短縮=雇用創出」として政策的に用いられました(例:ドイツの週35時間制)。
•国家は経済成長だけでなく、出生率維持・地域コミュニティの再生などの社会目的も持っています。
•労働時間が過剰だと、子育て・介護・市民活動に時間を回せず、社会基盤が弱体化するため、あえて経済合理性以外の時間の使い方を保障する方向に政策が向きます。
• 例:北欧諸国では「ワーク・ライフ・バランス」を福祉国家の柱と位置付けています。
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一見、「市場原理に任せれば、労働者は過剰労働を嫌がって自らバランスを取る」ように思えるかもしれません。しかし、現実には次の構造的問題があります👇
企業は交渉力が強く、労働者は雇用依存度が高い自由な選択が機能しない
「他人が働いてるなら自分も残る」全体最適ではなく過労の均衡点に
多くの企業で成果より「労働時間」が評価される文化的要因自発的に短く働きにくい
日本などでは世帯単位での生活費を賄うため「残業前提」結果的に長時間労働の均衡が固定化
→つまり、市場は労働時間の「ちょうどいい」均衡を自動的には作れない構造的な特徴があります。
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• 🇪🇺EU:EU労働時間指令により、週48時間を上限とする(オプトアウトあり)。休暇・余暇も制度として保障。
• 🇯🇵日本:労働基準法で週40時間+残業上限規制。実態としては「36協定」により緩和されてきたが、2019年から罰則付き上限規制が導入。
• 🇺🇸米国:時間規制は比較的緩いが、残業は割増賃金(オーバータイムペイ)で企業コストが上がる仕組み。
👉つまり、「労働時間をどう制御するか」は各国の経済政策×社会政策の価値観に深く依存しています。
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🧭 4. まとめと含意
•健康被害の防止
が重なっています。
•市場任せでは構造的に「過剰労働」が起きやすいため、国家が介入して「適正水準」を社会的に決める必要があります。
中国政府奨学生(国費留学生)として中国に留学した。あまり知られていないが、中国は世界各国から留学生を呼び込んでいる。
中国政府留学生は学費と寮費と医療保険料は無料で、少ないが生活費も支給される。私が留学したときは寮の定員が満員だったので近くのアパートに入居したため、代わりに居住費を支給してもらえた。
この中国政府奨学生の倍率は国によるが意外と低い。例えば日本に留学している留学生のうち、日本政府の国費留学生はわずか3%に満たず、ほとんど私費留学。しかし中国の大学に留学する留学生の大半が中国政府の国費留学生である。
世界の大学ランキングトップ50に入るような中国の名門大学に入学できるのは、現地の中国人だとごく一部のエリート。学歴社会の中国では幼少期から親が多額の教育投資をして塾に通い血反吐を吐くような努力をしている。しかし同じレベルの大学に入学しようと思えば、留学生ならもっと簡単だ。私が日本で通っていた大学はマーチ以下の私学だったが、第ニ志望の名門大学に留学できた。
ウイグル族やチベット族などの少数民族受験生は留学生枠にはならないが、大学入試で少数民族加点される制度がある。中国の大学入試は1点が明暗を分ける。そのため漢民族の学生の親が何とかして我が子のために少数民族に改族して戸籍を変えようと画策するケースもある。
このようなこともあり「外国人留学生や少数民族は優遇されていてずるい!」という論調があった。
例えばほとんど中国語の読み書きができないレベルの留学生(アフリカ出身)が北京大学医学部に入り、中国語研修まで無料で受講しているというのが中国のネットで話題になり「自分もアフリカに帰化したあとに中国に留学したい」という書き込みがあふれた。
アフリカなど中国よりも貧しい国の留学生だと中国政府から支給される生活費を本国の家族に送金してるなどもよくある。
イスラム教徒の留学生やウイグル族学生への忌避や嫌悪もこうした「優遇イメージ」への反発から来るものだ。日本の北九州の小学校のハラール給食がネットで批判を浴びたが、中国ではかなり前からイスラム教徒に配慮したハラール(中国では清真料理とよばれる)が普及している。
中国では漢民族がマジョリティだが、50を超える少数民族がいる多民族国家だ。そのうちウイグル族やカザフ族などイスラム教を信仰する民族も多い。
私の通っていた大学の食堂でも清真専用食堂があり、イスラム教徒の少数民族学生や留学生が多く利用していたし、大学の近くにハラール食品のスーパーやモスクが沢山あった。
近年の中国政府は「宗教の中国化」の方針のもと、イスラム教やキリスト教の管理を厳しくしようとしている。この理由のひとつは国民の間に「少数民族や外国人は優遇されている」「特権を与えられている」「イスラム教に中国が乗っ取られる」というような不安や不満が広がったことも大きい。
ウイグル族などの少数民族は、中国が一人っ子政策をしていたときも子どもを3人まで持つことが許されていた。その結果中国国内で少数民族が増えていったことも、近年の少数民族の締め付けにつながった感じがする。
中国の若者の外国人に対する考え方は、最近の日本の若者によく似ていると感じている。
「政府は発展途上国にお金をばらまいてる」「他国に貸し付けしても踏み倒される」
「移民や少数民族が増えるのが怖い。外国人が増えると治安が悪くなる」「イスラム教徒が増えてほしくない」「外国人の高度人材受け入れより中国の若者の就職を優先してほしい」
表立ってネットで政府を批判しにくいところが日本との違いだが、本音はよく似ている。
中国政府がアフリカや南アジアに投資するのは中国の利益のためだが、国民から見ると「中国人は就職も結婚もできず生活が苦しいのに他国にお金をばらまいている」ように見える。
台湾に関しても「中国が統治しなければアメリカに侵略されてしまう」と主張する中国人を初めて見たときは驚いたが、同じように考えている若者が沢山いる。
中国に留学していたときは、中国の他宗教や少数民族への締め付けは厳しすぎるのでは?と感じていた。しかし帰国してみると日本の選挙の「日本人ファースト」や「違法外国人ゼロ」など、漂う反外国人の空気感が中国と似てきていることにとても驚いた。
多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手の心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義の世界の象徴のように見える。
しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷で不都合な真実が存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。
結論から言おう。現代のポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力」である。
ポーカーのトーナメントの本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特に、チップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤーのスキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。
ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs50%」の状況、通称「コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたのハンドがAK(エース・キング)で、相手がQQ(クイーンのペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。
さて、もしあなたがトーナメントで優勝するために、この50%の勝負を10回連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?
そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキルも経験も一切関係ない、純粋な確率の世界だ。コインを振って10回連続で表を出すことと何ら変わりはない。
つまり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10年経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。
「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフで相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」
彼らは、結果から逆算して自分の成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続でコイントスに勝った後、最後の10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディアは1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップ・バイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである。
「長期的に見れば、期待値(EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラスに収束する」
これは、ポーカーを科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。
ここで、ポーカーの世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャック、ルーレット、バカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである。
彼らは、ポーカープレイヤーが血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールそのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。
しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノの運営において、特定のテーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位でマイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。
数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。
さて、ここでポーカーの世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁のアドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。
そんな、カジノのハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラスに収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリアを根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである。
ここまで述べたように、トーナメントでの成功は天文学的な確率の産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人のスキルなど無力である。
では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。
その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。
現代のポーカープロに必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である。
ステーキングとは、投資家(バッカー)がプレイヤーのトーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。
これこそが、現代のポーカープロを支える生命線なのだ。彼らは自らのスキルを商品として投資家にプレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイスタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金を調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。
20回連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家へ配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。
つまり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉のテーブルなのだ。いかに自分を大きく見せ、いかに自分という金融商品に投資価値があるかを説得するマーケティング能力と交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである。
これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神を他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから。
https://x.com/yurukura0/status/1978422223170851264?s=46
これに高望みリプつくような国、もうだめでしょ
お局がいてパワハラがあって、上司が感情に任せて怒って、土日祝はどこかが出勤休みなし
→普通に生産性下がる。GDPは上がらん。こんな会社のために一生懸命働きたくないが本音。でも転職はいまだにイメージ悪いし給料下がるかも、さらにクソみたいな職場になるかもと初めの会社に居座り続ける。従業員なんて代わりがいるから使い潰してもいいと思ってるクソみたいな待遇の会社が多すぎる。一部の異常者だけが昇進のために他人蹴落とし媚を売り、永遠に続くクソみたいな負の連鎖。一生やってろ
→会社と家の往復でそれ以外の娯楽はなし。別に参加したくもない飲み会に参加させられて聞かされるのは仕事や会社の愚痴。馴れ合いの時間。生産性なし。家賃と生活費ですでにカツカツな財布の中身がさらに減り、貯金は貯まらない。プライベートの時間も金もなく生きる気力もない。恋愛とか以前に自分の生活が大変。人のことにかまけてる余裕なんてない。ただ生き残るのに必死。子供も生まれず出生率は上がらない。なのに上の世代親からは結婚しろ独身は老後が…とか言われる。夢見てんじゃねえよぶつぞ!!!!
祖父の相続対策を徐々に進めている。祖父はそれなりに資産形成をうまくやれたくちで、今はグループホームに入居している。要介護度は4ぐらい。最近は徐々に認知症も進んできている。
うちは法定相続人の父と叔父がすでに亡くなっていて、代襲相続対象の孫は自分を含めて5人。身上監護的なことは母がしているのだけど、そろそろ相続対策を始めたいとの相談があり、利害関係者ではあるけれどFPも持ってる自分が資産の整理や相続プランの検討を行っている。
それで祖父の資産を初めて見たわけだけれど、数十年にわたる積立投資の甲斐あって、億に届かないぐらいの金融資産があった。相続の恩恵に預かれるかとウキウキしていたのも束の間、80代半ばで健康な祖父の生活費をシミュレーションすると、カツカツとは言わないまでもかなりの勢いで資産が雲散していくことがわかった。
具体的には、今の年間収入がだいたい13万ほど。で、介護施設の入居費が月35万ほど。諸々の生活支出が月5万ほどで、毎年500万弱の支出がある。今後のインフレも考慮すると、100歳になる頃には2000万ほどしか残らない。仮に105歳まで元気だと、生活に窮することだってあり得る。
もちろん、金融資産がさらに増える可能性もあるが、その逆だって考えられる。生活資金に充てることを考えるとそこまでリスクは取れない。そう考えると、70歳の定年時に2000万円ぽっちの資産じゃ全然足りないよなと薄寒さを覚えた。やべえ。
朝焼けの空に(C) 旗が立つ(G)「強い日本」(Am)と 声が響く(Em)
あの日の夢を(F) また聞かせてくれる(C)デフレの霧が(G) 晴れるという(C)
サナエノミクスと(F) 名はついて(C)三本の矢が(G) 飛んでゆく(C)
一つは国債(F)財政出動(C)二つは緩和で(G)お金流す(C)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Fm)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
| C GAm G |
老朽化する橋や(C)道路を見て(G)「国土強靭化」と (Am)投資を決める(Em)
「未来の危機に(F) 備えるのだ」と(C)大きな話に(G) 胸が騒ぐ(C)
三つ目の矢は(F)成長戦略(C)技術革新(G)投資を呼ぶ(C)
だが税の話も(F) 耳に残り(C)金融所得に(G)課税をかける(C)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Em)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
インフレの波が(F) 押し寄せると(C)生活費だけが(G) 重くなる(C)
「大丈夫」と(F) 繰り返すが(Dm)ため息ひとつ(C) またこぼれる(G)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Em)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
風よ吹け(F) 強く吹け(C)この政策が(G) 実を結びますように(Am)
ただ願う(F) 祈るように(C)明日を信じて(G) 生きてゆく(C)
CGAmFCGC
三橋氏に関する当時の印象と、その後の報道、そして経済論に対するあなたの考察について、承知しました。
学生時代に彼の「デフレ脱却には財政出動が有効」「政府支出を増やせ」という主張に触れ、説得力ある論者として見ていたという経験は、当時の日本の経済論壇の大きな流れを反映しています。
あなたが学生だった10年以上前の日本は、長期デフレからの脱却が大きな課題でした。
あなたが現在指摘している「デフレは完全悪という集団妄想の被害者」「インフレは格差を拡大する」という点については、経済政策を巡る重要な論点を含んでいます。
多くの経済学者は、デフレは経済活動の縮小や雇用・所得の減少をもたらす「悪」であると考えます。
しかし、「過度なインフレ」もまた、生活費の高騰や資産価値の実質的な目減りを招き、経済を不安定化させるため「悪」です。
インフレは一律に影響を及ぼすわけではありません。
あなたが感じた「がっかり」は、かつて論理的で希望に満ちた解決策を提示した人物が、現実の複雑さや予期せぬ展開の中で、自身の論理と乖離した行動に出てしまったことへの落胆かもしれません。
急に熱が出た。
38.5の高熱。
「ゆっくり寝てなね」と言って彼氏は仕事に行き、私は部屋に1人。
薬も無いし熱さまシートもない。
熱があっても食欲は変わらないからお腹がグーグー鳴るけど、サッと食べれる気の利いたものは無い。
給料日前だから100円も無く、入ってるわけないよなと思いながらみずほダイレクトを開く。
残高69円。
寝たくても眠くないし寝れないからTikTokで猫の動画とか大食いの動画を見る。
ボーッとハンバーグの動画を見ながら、ふと普通の家庭で育った人ってこういう時どうするんだろうなと考える。
きっと、まず最初にお母さんに電話をかけて熱が出ちゃってお金無いから助けてって言うんだろうな。
そして、お母さんはちょっと待ってなさいって電話を切ってすぐお財布持ってatmまで行くのかな。
もっと優しい人なら住んでるとこに飛んで行って病院に連れて行ったりお粥作ったりしてくれるのかな。
Twitterなんかでこんなこと言うと、こんな事してくれるのは上澄みの最高な家庭の人だけだよって言われるだろうからここで書く。
助けてって言ったことあったっけ?って考えたら、実家を出てから一度もないなと気づいた。
高校生の時、継母からの度重なる嫌がらせでご飯が食べれなくなった。
何ヶ月も水と0カロリーのゼリー1食で過ごし、それすらも食後に自ら吐き戻した。
学校に通ったり習い事をする元気がなくなり、希死念慮でいっぱいになった時に病院に行きたい全てを一旦休みたいと助けを求めた。
それと同時に、継母は何回も精神科に行き父親は診察料を支払っていた。
継母は鬱病になったから家族で支えていこうと言われた時に、ようやく家を出る決意をした。
家を出て3年。
働けなくなりバイトを辞めて1年。
助けてと喉元まで出かかるのを堪えて父親や祖母の電話に出る月が何度もあった。
婦人科疾患で生理が1ヶ月以上止まらないけどお金がないから病院に行けない。
通院すれば良くなるからと言われても毎月通うお金がないから予約の電話を入れなかった。
死にたくて眠れなくて苦しくて近くの精神科を探すけど、通院できないなと思って耐え忍ぶしかない。
働かなきゃいけないんだけど、働く元気がない。
きちんと心の方を治療しないとまた限界が来てバイトを休んで辞めることになって迷惑がかかる。
生活保護とかは一人暮らしじゃないと出来ないし親に連絡がいくからきっと無理やり連れ戻される。
考えてるうちに段々、これ私が生きてない方がいいんじゃないかって思う。
家族も目の上のたんこぶが消える。
消えるのにも元気がいるから考えるだけ。
お金がないって辛いなと思うと同時に、助けてって言えないのがもっと辛いなとも思う。
お金もらえるのも嬉しいけど、助けてを受け止めてくれると確信できる家族の方が欲しい。
彼氏はどう頑張っても彼氏がいるという気持ちしか埋められない。
彼氏は助けてくれる。
実際助けてくれてるから家を出れて、毎月お金がないって言いながらでも寄生虫みたいに仕事せずに生きれてる。
でも上手く言えないけど親とか祖父母の助けがある、気持ちを受け止めてくれるってのはまた別物な感じがする。
歳を重ねるごとに家族の無条件な愛情が欲しくて欲しくて堪らない。
甘えんな!って叩かれたく無かったから留めてたけど、熱に浮かされついでに書いてしまう。
不快にさせたらごめんなさい。
聞いてくれてありがとうございました。
金額で話すと「年収1000万円でも生活が苦しい」とか「教育費が多すぎる」とかになるから。
物価とか家賃とかも含めた値を出すなら、比率も併せて話した方がわかりやすいと思う。
例えば年収300万円だとして、
貯金 30% (90万円)
年収1000万円でも同じで、
貯金 30% (300万円)
そうしたら家賃と生活費以外はほとんど投資に回してるって言うんだ。
まるで意識高い系の正解を引き当てたような顔で。
もちろんえらいとは思うよ。堅実だ。計画的だし。
でも正直なんかモヤっとするんだよ。若いうちってのはもっと無駄をしていい時期なんじゃないか。金を使ってバカなことしてもいい。そういう経験のほうがよっぽど後々の財産になるもんだ。
投資で得る安心より旅先で道に迷った夜のほうが人を強くする。誰かに奢って、すっからかんになってもいい。だけどそのときの体験っていうのは本当にそのときにしか出来ない。
投資をする若者を「意識高い」って言うけどさ、俺に言わせれば見上げてる空が低いんだよ。
その「高い」意識は世界が見えないぐらいには低い位置にあって、価値観広がらないんだからそりゃそうだよなって話だ。
だから若いうちは後のことなんざ気にせずじゃんじゃん金を使え。それで見えてくる世界の方が自分のことを後にずっと幸せにしてくれるのだと俺は知っているからな。
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