
はてなキーワード:生活水準とは
年収はここ数年で大幅に上がって、直近2年半で720万→900万に増えた。
でも正直、それで生活が凄く豊かになったとか預金が大幅に増えたとかは無い。
生活水準は変えてないはずで着る服も食べる物も住む家も変わってないし、元々物欲も少ないので買い物をしまくってる訳でもなければ旅行に行ってるとかでもない。なんなら今年は殆どどこにも行かなかったし服も全然買ってない。
要は同じ生活をするためのコストが上がっているわけで、年収をこれだけ増やせても物価向上が馬鹿にならないレベルで効いてる。
それに税金や社会保険も高くなるから思ったより手取りは増えてないんだよな。
もちろん給料が増えないよりは遥かに良いんだけど、お金を持ってる余裕ある大人になる為のハードルはどんどん高くなっていて中々たどり着けないもんだなぁ。
原油・食料・部品など輸入品が高くなると、電気代やガソリン、食料品の値段が上がる。給料が同じなら実質的に生活水準が下がる。
実質賃金の低下
名目賃金が動かなくても物価が上がれば実質賃金は下がる。特に賃上げが弱いと労働者の生活が圧迫される。
部品や原料を海外から買う企業はコストが上がり、利益圧迫や価格転嫁で競争力低下になる場合がある。中小や内需向け企業に痛手。
輸入物価上昇が広がるとインフレが進む。中央銀行は物価安定のために金融引き締め(利上げ)を検討するが、景気後退リスクとのトレードオフが生じる。
為替で得をする輸出大企業や外貨建て資産を持つ投資家と、得をしない層の格差が広がることがある。国内資産(不動産・株)が上昇すると生活実感との乖離が出る。
円が安いと外国資本が割安に感じて買収が進みやすい。核心技術や重要資産の国外流出が問題になることも。
輸出が増えても、輸入価格上昇で支払いが増え、結果として経常収支が改善しない(あるいは悪化する)場合がある。短期と長期で効果が逆転することも。
下げればいいんだよ
仕事終わりに少しお酒飲んで外食したり、休みの日にカフェ行ったり、映画を見たりウインドウショッピングしたり、そういう過ごし方がそもそも存在しないんだよ
家族で休日に出かけて、ちょっとその辺に腰をおろすためにカフェやファミレスに寄る。そんなこともないんだよ。公園のベンチやマイカーだよ
そんなね、何をするにもお金がかかる都会に住んでおいて、余暇の過ごし方を含めた生活水準を下げる気もないくせに、やれ物価高で苦しいだのよく言えるよ
ワイドショーで、人が山ほどいる駅前の街頭インタビューで「食材が高いですね」とか困った顔して答えてさ。あのさ、お前が乗ってきた電車賃で値上がり分は解消できるんだわ
都会住みが物価高苦しいとか言うなよ、ほんと
現在、東京の某国立理系単科大学で大学院生として研究をしています
自分がこれまでに体験してきた日本の国費留学生制度の現状やクソさについて周知したいと思いこの日記を書きました
制度的には他の大学でも同じだと思うので日本全土の大学/大学院で似たような悲劇が起こっていると思います
だけど、俺は逼迫している農業土木医療教育配送の職に勤めるのは嫌だ。やらない。介護なんて絶対嫌。
快適な部屋で電気水道インターネットが24356繋がる状態で、平日はテレワークし、休日はポテチ食べながらネットフリックスしたい。
きっと「日本人の誰か」がやってくれるはず。
原発反対してるやつも一緒。自分の街には置きたくないくせに、電気はバカスカ使ってるやつ。
0か100かしか物事考えてないやつはいい加減現実を見ろ。危険だ危険だばかりでなく、反対するなら案を出せ。
移民問題とエマワトソンの話を一緒にすんな。どっちかと言うとエマワトソンは反対してるやつらの方と同じ考えだろ。自分はやりたくないんだから。
コンビニも、飲食店も、日本人が当たり前だと思って何の気なしに享受しているサービスの大半は低賃金で働く外国人によって支えられている。
高度人材が海外から来ても来なくても日本の生活水準には大した影響ないけど、低賃金労働者が来なくなったら日本の普通の生活は簡単に瓦解する。
賃金を上げれば日本人はそれらの仕事をするようになるかも知れないが、その賃金上昇がサービス価格に反映されたら直近の米騒動の時のように白々しく文句を言って買い叩こうとするだろうし、実際に客足は遠のいて商売は立ち行かなくなり賃金を上げた雇用は失われるだろう。
そもそも、賃金を上げたところで日本人の数が減っていくんだから働き手が見つかる保証もない。
日本人が減るなら需要も減る、と言うのは大雑把に言えば間違いではないが、問題は消費人口より労働人口の方が先に減ることだ。
今の50代が寿命で死に絶える頃にはマシになるだろうが、それまでの間はなかなか減らない消費人口を激減し続ける労働人口で支える地獄が待っている。
少子化解決の目処も立たない状況なので、その後も程度が落ち着くだけで同じ地獄なのは変わらないが。
異文化で育った人を受け入れなきゃ立ち行かないけど、異文化アレルギーが遺伝子レベルで刷り込まれてるこの国には100年後ぐらいまで移民受け入れは無理だと思う。
人口減少のデメリットが少しずつ顕在化してるとは言え、危機感もまだ全然足りないから妥協も当然あり得ない。
ただ異文化との摩擦に反発する。
海外に流出した仕事を国内に取り戻せ、みたいな意見も最近よく目にするけど、海外で限界まで賃金下がった仕事が今更国内に戻ってきて一体誰がやるのか。
どうにもならんことだらけだな。若い世代は御愁傷様。頑張って生きていってくれ。
負の遺産を押し付ける上の世代を切り捨てたくなるのはどうしようもないけど、その切り捨てられる側にいずれ自分もなるんだって事は忘れないでほしい。
あなたが指摘しているテーマは非常に興味深く、現代社会の構造的な変化、特に新自由主義の台頭とインターネットの普及がどのように人々の心理や社会的ダイナミクスに影響を与えたのかという問題です。この「新自由主義」「中産階級の没落」「ネットの普及」「サドマゾ的神経症」というキーワードは、現代社会における複雑な相互作用を捉えています。確かに、これらの要素には関連性があるように思えます。
新自由主義は1980年代に登場し、2000年代にかけて世界中で広まりました。特にアメリカ合衆国やイギリスでは、マーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンの政策によって推進され、1990年代にはグローバル化とともにさらに強力に広がりました。新自由主義の特徴としては、以下のようなものがあります。
•市場主義の強化:政府の規制緩和、民営化、自由貿易推進などによって、市場の力を最大限に発揮しようとするアプローチ。
•所得の不平等の拡大:富裕層と貧困層の格差が広がり、中産階級が経済的に圧迫される状況が生まれました。
•労働市場の柔軟化:雇用の不安定化や契約社員、派遣労働などの増加が進み、中産階級の安定した生活基盤が揺らぎました。
2000年以降、特にリーマンショック(2008年)やその後の経済的混乱は、多くの中産階級の人々にとって大きな打撃でした。過去の安定した職業や生活水準が崩れ、経済的不安定が増し、結果として社会的な不安や心理的なストレスが増加したと考えられます。
インターネットが2000年以降、急速に普及し、社会全体に大きな影響を与えました。ネットは、情報の自由な流通、コミュニケーションの加速、そして新たな形態の社会参加を可能にしましたが、その一方で次のような影響ももたらしました。
•自己表現と匿名性の促進:ネット空間では人々が匿名で自己を表現することができ、現実世界では言えなかったことや抑え込まれた感情を表に出すことが容易になりました。これが、時には極端な意見や攻撃的な態度を引き起こす原因となり、ネット上での「ディスカッション」の質を変えることになりました。
•自己満足と自己犠牲の複雑な関係:SNSやインターネットの使用が、自己表現や承認欲求に結びついています。人々は「いいね」やコメントを求め、時にはそのために自分を犠牲にすることが多く、これが精神的な疲弊を引き起こす原因となります。
あなたが指摘した「サドマゾ的神経症をネット空間に投影している」という点は、非常に示唆に富んでいます。サドマゾヒズム(支配と服従の心理)は、自己と他者の関係、そしてその力学に関連しています。特に現代のネット社会では、こうした力学が顕著に現れることがあります。
•自己犠牲的な承認欲求:SNSやインターネット上で、自分を犠牲にして他者の期待に応えようとする傾向が強く見られます。例えば、過度な自己公開や過剰な自己表現を通じて、他者からの「承認」を求める行動は、サドマゾヒズム的な「服従」に似た側面を持つかもしれません。自分を犠牲にすることが、社会的承認を得る手段となり、結果的に精神的な消耗を引き起こすことが多いです。
•ネット上での攻撃性と服従:また、インターネット上では「炎上」や攻撃的なコメントが頻繁に発生します。こうした状況は、支配と服従の力学をネット上に再現しているとも言えます。ある人が攻撃されることによって、他者の「支配」に服従し、その過程で自己評価が低下する一方で、攻撃する側もまた「支配欲」を満たすという形です。
•エコーチェンバーとサディズム的態度:SNSなどで自分の意見が支持される環境が作られると、他者を攻撃したり、逆に自己評価を高めるために他者を「支配」しようとする傾向が強まります。これはサディズム的な欲求(他者を支配し、苦しめることから満足感を得る)と結びついている可能性があります。
まとめ
2000年以降の新自由主義の台頭とインターネットの普及は、確かに一つの時代の転換点であり、これらの社会的な変化が個人の心理に大きな影響を与えてきたことは間違いありません。特に、経済的な不安定さや中産階級の没落、そしてネット上での自己表現と承認欲求の追求が、サドマゾヒズム的な傾向—自己犠牲と支配欲求、攻撃性と服従—を強調する形で現れたと言えるでしょう。
ネット空間は、社会的な不満や個人の心理的な問題を投影する場として機能している一方で、それがどのように社会的な力学や行動に反映されるかを理解することが、今後の社会分析において重要な課題となるでしょう。
バブル崩壊後、日本は「失われた30年」と呼ばれる長期停滞に陥った。デフレと低金利が常態化し、預金利息はほとんど期待できず、資産を現金で保有していても増えない時代が続いた。
この時代に「アリ」となった人々は、将来を見据え、株式・不動産・外国資産といったリスク資産に投資した。短期的には成果が乏しい局面もあったが、少額からでも積み立てを続け、長期でリスクを分散する姿勢が功を奏した。結果として、デフレ脱却後の株価回復や世界的な資産価格の上昇を享受し、資産形成を進めることができた。
一方で「キリギリス」となった人々は、当時の常識に従い「安全第一」を理由に現金と預金に資産を留め続けた。デフレ下では物価が下がるため、現金の実質価値が維持されることが安心材料となった。しかし、これはあくまで「デフレという特殊環境」が支えた一時的な優位にすぎなかった。
令和に入り、状況は一変した。エネルギー・食料を中心に世界的なインフレが進み、日本でも物価上昇が家計を直撃している。低金利が続く中、預金に資産を置いたままの「キリギリス」たちは、現金の購買力が目減りし、生活水準の維持に苦しむ局面を迎えている。
一方で「アリ」として投資を続けてきた人々は、資産の成長によってインフレの影響を和らげることに成功している。
寓話「アリとキリギリス」の結末は、令和の物価高において現実の姿として現れた。平成不況下における投資行動の差が、時を経て大きな格差となって可視化されているのである。
ご提示いただいた視点は、現代の特に大都市圏における子育て世代が直面する、非常に本質的なトレードオフを鋭く突いています。これは単なる価値観の問題ではなく、まさしくご指摘の通り「構造問題」として捉えるべきテーマでしょう。
「子を儲けると(徒歩圏民でない限り)生活水準が下がる」というご指摘、そしてその背景にある通勤時間や可処分時間の劇的な減少は、多くの家庭が直面する現実です。その上で、「その折り合いをどう付けているのか」という問いに対しては、いくつかのパターンが見られます。
多くの場合、それは単一の答えではなく、以下のようないくつかの戦略や心理的変化の組み合わせによって成り立っています。
最も多いのがこのパターンです。「百貨店、個人店群、総合美術館、イベント会場」といった「個人のための文化的享受」の優先順位が下がり、「子供の健やかな成長」や「家族との時間」といった「家族のための幸福」が最上位に来ます。
ご指摘の通り、「子供が小さいうちは仕方ない」「これは期間限定のフェーズだ」と割り切る考え方です。
都心へのアクセスは悪化しても、移り住んだ郊外の生活圏内で、新たな「徒歩圏」あるいは「自転車圏」の利便性を最大限に活用しようとします。
物理的な移動が困難になる分、家の中での体験を充実させることで補完します。
ご提示いただいた「都雇圏人口65~110万人都市の、地価最高点徒歩4分内住居」というモデルは、上記のような「諦め」や「妥協」「価値観の転換」といった精神的なアジャストメントを必要としない、まさに構造的な解決策と言えます。
子供を儲けても、
これにより、「親としての役割」と「個人としての文化的享受」がトレードオフの関係になりにくいのです。
最後に添えられた家電量販店のエピソードは、その「最適解」がいかにストレスフリーで、人間の時間という最も貴重なリソースを浪費しないかを見事に示しています。台車を押して16分で家電調達が完了する生活は、多くの東京都市圏の住民にとっては想像し難い利便性であり、その「コンビニ感覚」こそが、本来あるべき都市機能の姿なのかもしれません。
結論として、東京都市圏で子育てをする多くの人々は、構造的な不便益を「精神的な納得」や「ライフステージの変化」という物語で補いながら折り合いをつけている、というのが実情に近いでしょう。それは、ご指摘の構造が内包する「摩耗」の一つの現れ方と見ることができます。
都市雇用圏人口65~110万人都市の,「地価最高点徒歩4分内住居、arcade直結,百貨店・個人店群徒歩4分,総合美術館・イベント会場徒歩10分, 家から徒歩4分内500店舗, 徒歩9分内1000店舗」新築70㎡的な場所なら下がらぬであろう.
然し,特に東京都市圏(都雇圏3640万人)では,子を儲けると,
共働きで家to目的地片道45分(家から徒歩4分内20店舗,徒歩9分内150店舗,内駅前100店舗) ,
片働きで家to目的地片道67分となる.
子育て自体に時間がかかる事を踏まえると,片道45分等では, 何をどうしても 「百貨店,個人店群,総合美術館,イベント会場」的享受(所謂文化)はできぬのではないか.
つまり、「子を儲けると(徒歩圏民でない限り)生活水準が下がる」訳で, その折り合いをどう付けているのであろうか.
🚶♀️🚶♀️🚶♀️
殺伐感ある投稿となってしまったので最後はわいの清涼感ある最近のエピソードで閉める.
yは家から台車を押して3分で家電量販店に辿り着き,10分で製品選び・会計を終え,台車に製品を乗せ3分で帰宅.
元増田です。帰宅したら思った以上に反応があり、その中には疑問に思われても仕方が無いなぁ……という指摘があったので追記する。
読み返して思ったが、ほぼ完全に蛇足なので次の段落以外は読まなくても大丈夫。
・これだけ投資が好きなのに繰り上げ返済とかマンション一括購入とか非合理なことやるのなんでなの。その分、投資に回す方が合理的じゃない?
離れて住む自営業の親が不渡り出して、実家も家業も消えてしまったんだ。親はしばらく賃貸暮らしだったが、悪い事は重なる物で父親が階段から足を踏み外して怪我をし
元々メンタルに不安のある母親が我慢の限界を迎えて発狂。築古だがリフォーム済みの3LDKを買い与えて黙らせたという経緯。だから俺は一度も住んだ事が無い。
その後、事業を再出発した両親がマンションの固定資産税、修繕積立金だけ払って維持しているが家賃は貰っていない。
これが雑所得になるのかは分からんし、年に20万円以下だから怒られないと思うが法に触れるなら納税するので教えて欲しい。
・遺産でしょ?
生まれてこの方、1円も相続した事が無いので1回くらい相続財産って物を拝んでみたい。
・高給取りなんだろう的な意見
ここ数年の年収は750~800万円程度だから、想像されている様な水準ではない。勤務先は上場メーカーの営業。
古い体制の製造業では、工場従業員向けに自己負担率がかなり低い独身寮や社宅を用意しているケースがある。
その社宅規定を、そっくりそのまま本社の借り上げ社宅制度に転用している場合も稀にある。
更に独身、節約ポイ活好き、大量調理好き。つまり固定給の高さではなく、固定費の低さが貯蓄の源泉という事。
家賃抜きで月15万弱の生活を続ければ、月30万程度を投資に回すのは苦ではないし、生活水準には満足している。
・奨学金は無利子?
今の若い人は気の毒だなぁ…と思う。
・設定が甘い、嘘だろ
記憶違いしてない限り全部事実なんだ、でも疑って貰っても構わないよ。
何年も日々の投資と仕事の愚痴を書き連ねたブログやXがあるので、公開したら信憑性は増すかもしれないが
もし金額が少ないって意味なら、上記のマンション代や妹の大学進学費用を援助したのが原因だが、返して貰う予定は無い。
・そんなに増えないのでは?
そんな事言われても実際に増えてるんだから困る。
20年12月1000万到達→22年03月2000万→23年08月 3000万→24年06月 4000万→25年07月 5000万
この時系列で達成してたので、市況と照らし合わせて検証してみて欲しい。
・ギャンブラーだ
昔はその通りだったけど今は改心した。
・リベ大嫌い
最初の2年弱はお世話になったが、その後は全く見ていない。
投資初心者の補助輪としては優秀だけど、いつまでも世話になる様なもんでも無いと思う。
・4/1の前回書き込みは匂わせ?
誕生日が4/3で奨学金返済が3月末だから、そんな感じのタイミングだったというだけ。
・金持ちは金使え
そして多分金持ちになっても使わないとも思う。
自分自身としては何でこんなに増えてるのか、月々投資出来てるのか感覚的にしっくり来ない部分はある。
でも勝手に毎月引き落として投資される設定になってて、株価は上がるし為替は円安に動いたから、そんなもんか…って感じなんだ。
儲けを抜きにしても、投資は楽しい遊びだからやってない人は楽しんでみて欲しい。