
はてなキーワード:生態系とは
棺要らんからそのまま土に埋められるタイプの土葬されたいけど法に触れる
一応愛着がね
地質や植生や生態系もなんとなくね
慣れ親しんだところに埋められたいよね
ベニヤの棺にコットン100%〜お花も添えて〜なら分解されそうだから良いかも
速攻分解されたいけど
臭いそうだし ほじくり返されたくないし
あ、臭わない方でお願いします!
生き物は亡くなっても細かな何ぞやにとっては血となり肉となる訳で燃やしちゃうのは勿体無くね!?
いつまでとっとくの!?
願わくば土の栄養になりたい まあ寿命来るまで足掻くからしばらく○なないけど
遺族的にはまあ火葬1択よね
お空に立ちのぼる感か天国行けそうで旅立ちって感じでこう…腑に落ちるというか納得できるというか噛み砕いて受け入れるのにさ
思い出すときそこにいる気がしていつでも見上げられるしね
見守ってもらえる感あるしね
衛生的にも安心よね
でも骨壷、冬場冷えそうだなぁ〜
お〜さむさむ
平和なのかな
穴ほって雑多にたくさんの人とポイポイは嫌だなぁ
埋められるなら1人がいいなぁ
法に触れない範囲で一番安く済ませてもらいたいですね
誰か埋葬してくれよ〜頼むよ〜
ま、予定もないですが語るはタダです
ちょっとそう考えると揺らぐなぁ
でも熱いの嫌だなぁ熱すぎんだよなぁ
そう考えると死ぬの怖いなぁ
死んだあとどうしたって嫌だなぁ
遠い未来に発掘されたらどうしよう
恥ずかしい
人間じゃない知的生命体の博物館に展示されるのはちょっと面白そう
悪くないかも…?
鳥葬の人の誇り、聞いてみたいなぁ
行方不明で早く見つけて〜とかあ!今そこに骨あったのよ!惜しい〜!とか魚に指食われた!!とかやっと見つかった〜!!とか現世覗きつつ本人交えてやってたりすんのかな
生きとし生けるものみんな揃って絶対行くところだからきっとあの世もあんまり変わらないのかもなぁ
でも葬儀は遺された今に生きる人達の為だから、遺族が納得する方法でやって貰えればいいんだよね
自分のためを考えてやってもらえるだけで超嬉しいから本当少しでも負担減らして、適当にやっとくれ〜って感じ
いざどうなるか○んでからのお楽しみ!
今朝は出社してきてさ、朝から全員の席まわって「昨日はすみませんでした〜」ってペコペコしてる。
その時点でえらい。陽キャなのに礼儀まで完備してるの、もう生態系の頂点。
俺のところにも来て、俺の前に来た瞬間にニコって笑って、「ごめん、昨日は体調がヤンキーで」なんて言うわけ。
は?ってなった。え?体調がヤンキー?何それ?
俺の脳内で理解が渋滞してる間に、隣の席の子が即座に「体調不良!!」ってツッコんだ。
その瞬間、オフィス全体が笑いの渦。わーーーって笑いが広がって、みんなニコニコ。
俺は二拍遅れで笑った。そのあとすぐ考えたんだけど、たぶん俺が同じこと言ったら「……え?」で終わる。
その後の沈黙に耐えきれなくて顔真っ赤になってたと思う。
でも陽キャが言うと違う。言葉じゃないね。もはや空気を支配してる。
もう俺の中では、あいつのこと環境音楽だと思ってる。EDM系のやつ。
いるだけで場の空気が明るくなる。
でも太陽とかじゃなくて、なんかもっとこうBluetoothスピーカー的な明るさ。
「体調がヤンキーで」
欠勤さえも笑いに変える。
やっぱ陽キャってすげぇな。
了解。元の論旨(「現実を直視せよ」)に乗っかって、「縮小均衡でいい」という主張への反論をまとめます。
インフラ(道路・上下水道・鉄道・送配電網・自治体運営・救急/消防)は固定費が大きい。人口・納税者が縮んでも費用は比例して下がらない。利用者減→運賃/料金↑→さらなる離脱→ネットワーク縮退…と負のスパイラルに陥りやすく、安定均衡より「崩れの連鎖」になりがち。
日本は食とエネルギーを外から買って生きる国。外貨を稼ぐ製造業・サービスの規模が一定ラインを割ると、交易条件の悪化、通貨の弱体化、調達コスト上昇が重なる。さらに国防は規模の経済が効く分野で、装備調達・人員維持・技術基盤に下限の規模がある。ここを割る「縮小」は安全保障リスクを跳ね上げる。
均等に縮むならまだしも、先に減るのは生産年齢人口。要介護・医療需要はむしろ増える。結果、依存率の上昇で一人当たりの負担が加速度的に重くなり、医療・介護・年金の給付削減か増税のどちらか(多くは両方)を強いられる。「ほどよい縮小」で止まらない。
学校・病院・路線・商業は一定の需要を割ると突然維持不能になる(段階的ではなく飛び石的に崩れる)。廃校・病院撤退・減便/廃線→通院・就学が困難→転出→税基盤縮小…と、局所的な“均衡”は成立しにくい。
研究開発、人材育成、スタートアップ、部材・設備・サプライヤーの集積は人と資本の密度が生命線。縮小は需要・人材プール・風呂敷(市場)を同時に縮め、投資採算を悪化させる。結果、技術導入・自動化で埋めたい穴がかえって埋まらない。
税収基盤↓/社会保障支出↑/インフラ更新費は下がらない。どこかで(1)給付削減、(2)増税、(3)政府債務増の選択になる。債務増に依存すれば、わずかな金利上振れで利払いが公共投資を食い荒らす。これも均衡を不安定化させる。
平時の“ギリ保てる縮小均衡”は、災害・資源価格高騰・隣国の圧力といったショックで簡単に壊れる。冗長性・予備費・防災力が痩せるほど、社会は脆くなる。
この骨太の“勘定”が示せない「縮小均衡」は、実質「均衡なき縮小=衰退容認」に過ぎない。
「縮小均衡で十分」という言説は、固定費と最小実行規模、依存率上昇、ネットワークの臨界、地政学ショックを軽視している。多くの分野で均衡は連続的ではなく崖をもつ。ゆえに現実的ではない。
現代の、日本人の多数派の行動原理傾向は"漠然と不安だから"で成立する。
周囲のいろいろな人に適用してみて欲しい。ほら、不安さんがたくさんいる。君も、かな。
都市に生きる民(たみ)がおもに高度不安社会を形成し、進んで自己家畜化している。
安定・安泰を築いた振りをしながら、枠に嵌め込まれ決まりきったような消費行動(物・体験自慢)しかしない。
今の物質本位的な社会構造に疑問を抱かず、安易で安直なレールに乗る。
一方で、自然システムにおける他生態系のサイクルを壊すことを見て見ぬ振り。
自分は社会に「してもらう」ことばかりを要求し、それを還元しない。
これは、まかり間違っても"民族性"ではない。
構造が産んだ迷い子たち。
今NHKはネットサービスを本来業務にする為に、過去宣伝目的でやっていると言う事になっていたコンテンツを全部捨て、
さらにペイウォールを立てて検索に引っかからないようにしてしまった。
これは、民間テレビ局や、新聞社が民業を圧迫するから辞めろと圧力を加えた結果であり、要するに足を引っ張っているのである。
だが、これ間違ってないか?
むしろ民放や新聞は「NHKが作ったコンテンツや映像、ニュースを開放し、格安で配信せよ」と言うべきではないか?
理由は3つ。
全国紙と名乗りながら、既に地方から撤退した新聞社があるが、販売網以上にヤバいのが取材網だ。全国紙は、既に各県の県庁所在地に支所を置けなくなっている。名乗っているのは支所だが、事実上は駐在員がひとりいるだけと言う様な有様もある。
そこで頼りになるのが共同通信、時事通信などの通信社だが、ここも段々と地方取材網を維持出来なく成ってきた。
さらに、地方の民放もニュースは基本的に赤字だ。地元の地方紙からニュースを提供してもらい、重要な所には一応は記者を送り込む、網羅的に情報収集はしないと言うスタイルが元々だったが、その体制すら維持が厳しい。自社の赤字は進むばかり、そして頼っている地方紙が衰退しているのだ。
一方でNHKは公共団体であるから、地方から撤退することはない。
ならば、NHKが取材してきた情報を新聞社や放送局に格安で提供し、それを各社が自社で味付けして送出することができるようにするべきだ。
ストレートニュースなどはこうして供給を受け、自社では調査報道や独自のニュースに特化する事の方が望ましいだろう。
コンテンツ配信ビジネスにおいて、日本は世界的に見てまだ上手く行っている方で、これは言語の壁がある事がまず大きい。
良い意味の、本来の意味での『ガラパゴス』で独自の貴重な生態系的文化があり、それを輸出できているのだ。
しかし、それは今後徐々に優位性を失う。
何故ならば、AIの登場によって言語の壁が大幅に下がるから。そして、日本のコンテンツビジネスは、プラットフォームを抑えられていないからだ。
そこで戦う為に、NHKのコンテンツを民放が利用できるようにする。例えば過去のNHKのアーカイブ映像や素材を使って新しいコンテンツを作ったり
キャラクターやドキュメンタリーなどのより創作的・思想的なコンテンツであっても、NHKは定められbた金額を支払えば貸出に同意しなければならない様な規約を作るのだ。
もちろん、そういったものの権利関係はNHKだけが持っている訳ではないにせよ、このように規定することで使いやすくなる。
こうして公開されたコンテンツを使い、少しでも国内のコンテンツビジネスを延命することが今求められている。
NHKオンデマンドというサービスがあるが、このサービスは民放の映像配信より早く始まっている。
民放がいつまでたっても映像コンテンツ配信を始めないため、NHKは民業を圧迫しないという観点から、スタートできなかった。
こえがなぜスタートできたかというと、しびれを切らした政治家が介入したためで、例外的な動きだが、実はこれも裏があり、NHKは配信システムの構築にIIJと組んだのだが、開発費の名目で膨大な発注をし、その成果物を他に流用することに合意した。
そこで民歩は、IIJとNHKと開発した配信プラットフォームを応用してスムーズにサービスを始めることができたと言う経緯がある。
今回のNHKの動きもそうだ。NHKの配信プラットフォームは、技術選択が王道的で筋が良い。
例えば配信には妙な独自のものを使わず、素直にMPEG-DASHをつかっていたり、AWSとAzureとOracleと言うマルチプラットフォームに国内映像配信CDNを組み合わせていたりと良い事例になっている。
レベルが低い方が、俺たちに会わせろと足を引っ張るのではなく、膨大な資金力で作った成果を俺たちにも使わせろ、と言うスタンスの方が業界が発展する。
各社、AIに学習されないように防護を始めているようだが、NHKについては逆にAIに積極的に学習させよ、データを差し出せと迫るべきだ
そうすることによって、各社は自社が用いるAIに、報道や番組制作に必要な基礎的なノウハウを喰わせることができる。
キノコの「菌根ネットワーク」や「菌糸ネットワーク」と呼ばれるものは、非常に興味深い自然のシステムです。これらはキノコの「菌糸」(きんし)と呼ばれる細い糸のような構造が地中で繋がり合って形成されます。菌根や菌糸は、植物やキノコにとって非常に重要な役割を果たしており、互いに助け合っていることが知られています。
1. 菌糸と菌根
• 菌糸は、キノコや他の真菌(しんきん)にとっての「体」の部分で、細長い糸のような構造をしています。これらは地下で広がり、土壌や木の根に絡まることで、植物と相互に栄養交換を行います。
• 菌根(きんこん)は、菌糸が植物の根と共生している状態を指します。この共生関係を「菌根共生」と言い、特に「ミコリザ」とも呼ばれます。菌根は、植物の根と真菌の菌糸が密接に絡み合ったものです。
菌根は、植物と真菌が栄養を交換し合うシステムで、これが大きな生態系の中で重要な役割を果たします。
•栄養の供給:真菌の菌糸は土壌から水分や無機栄養素(例えば、リンや窒素)を吸収し、これを植物に供給します。植物は光合成で作った糖分を真菌に提供します。つまり、植物と真菌は互いに栄養を交換しているわけです。
• 病害虫の防御:真菌は植物を病気や害虫から守る役割も担っています。菌糸が植物の根を覆うことで、有害な病原菌の侵入を防ぐことができます。
3. 広がるネットワーク
菌糸は地下で非常に広がり、広範囲にわたるネットワークを形成します。このネットワークは、実際には非常に大規模で、いくつもの植物や木の根と繋がっていることがあります。このようにして、1本の木や植物が生きている限り、菌根がその周りに広がり続けます。
• 「木のネットワーク」としての機能:菌糸は、異なる植物や樹木同士を繋ぐ役割を果たしており、時には「木のネットワーク」や「ウッドワイドウェブ」と呼ばれることもあります。これにより、近くの木々は栄養や水分を交換したり、病害の情報を共有することができます。
このネットワークの中では、キノコや真菌が植物の栄養供給を手伝っているだけでなく、逆に植物が光合成で作ったエネルギー(糖分)を提供することで、真菌も成長を続けることができます。いわば、これらは共生関係であり、どちらかがいなくなると他方も生きていけなくなってしまうのです。
5. 「木のインターネット」
一部の研究者は、この菌糸ネットワークを「木のインターネット」とも呼んでいます。これには、キノコが植物の間で「情報」を伝えるという側面もあります。たとえば、ある木が病気にかかると、その情報がネットワークを通じて他の木々に伝わり、予防的な反応を引き起こすことがあるというのです。
キノコ(真菌)は、森や草原の土壌を健康に保つために重要です。菌糸が有機物を分解し、土壌の中の栄養素を再利用できる形に変えます。この過程を「腐生分解」と呼び、植物にとって必要な栄養を供給する役割も担っています。
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このように、キノコの菌糸ネットワークは、単にキノコが生えているだけではなく、地下で非常に複雑で動的なネットワークを形成し、植物や木々との相互作用を通じて生態系全体に影響を与えています。自然界の中で非常に重要な、見えない部分のつながりが、私たちの目の前に現れるキノコたちを支えているんです。
研究によると、気温上昇に伴い、ミズナラなどで豊作・凶作の周期が短くなっていることが確認されています。以前は数年おきだった豊作が、2年おきなどに変わる傾向が見られます。
この変化の一因として地球温暖化が指摘されており、開花期や着葉期の気温が結実数と相関があることもわかっています。
一般に、高温で乾燥した夏の翌年に結実が多くなる傾向がありますが、気温が過度に上昇すると、かえってブナなどの結実率が下がり、凶作につながるという報告もあります。
また、地球温暖化は、森林の生育適地の変化や、ブナ科の病害虫の多発といった、結実数に負の影響を与える要因にもつながる可能性があります。
地球温暖化はどんぐりの豊凶周期に影響を与えていますが、「常に豊作になる」とは限りません。むしろ、気象の変動が激しくなることで、不安定な結実になったり、過度な高温や乾燥で凶作になったりするリスクも考えられます。
https://anond.hatelabo.jp/20250922182036 「発狂」の語を8回使用
https://anond.hatelabo.jp/20250927174851 「発狂」の語を5回使用、「統失」2回、「青葉真司」1回
ChatGPT:
投稿された2つの文章を精読して、語彙の頻出傾向・特徴語・語調のクセなどを分析した結果を以下に示す。ただしサンプルは限定的なので、あくまで仮説・傾向にすぎない。
・「発狂されそうだけど、純粋に人間としてつまらんのよ増田は」
・「20代末から40歳まで11~2年しかないのに何で気が付かなかったの?」
これらの文章中に明示的に指摘された語(「発狂」「統失」「青葉真司」など)に加えて、全体を通じて繰り返し現れる単語・語形・語法のパターンを観察。
発生頻度や文脈上目立つ語・語彙を抽出し、それをもとに語用傾向を整理。
顕著な語彙の傾向・パターン
以下に、この投稿者がしばしば用いる(または目立たせようとする)語彙の特徴を挙げる。
強い感情・衝動表現発狂/発狂されそう/狂う 「発狂されそう」
精神的な破綻・極端な心理状態を表す語を衝撃的に使う傾向。強い非難や苛立ちを誇張する効果あり。
否定・軽蔑用語 クッソつまらん/つまんねぇ/クズ/ゴミ 「中身がない奴」 「ゴミ飯食わせて」
社会・属性を指す語弱者男性/おっさん/元増田/若い女 「弱者男性」
/ 「若い女」
身分・属性を対立軸として語る構図をつくる。自己と他者を属性で区分して批判・分析する意図を感じさせる。
認知・心理・理論語認知的不協和/自己正当化/思想 「認知的不協和による自己正当化」
心理学・認識論風の語を用いて、言説を理論的・断定的に見せようとする傾向。
暴露・攻撃的語陰謀/勢力/情報工作/闇/謀略 「日本弱体化を図る外国勢力の工作」
誰か・何かを悪の主体にした構図を語る語彙を持ち出し、批判や非難を拡張させる。
強調・語尾表現 〜じゃねーか/〜だもん/〜だよ 「人間としてつまらないのよ増田は」
/「つまんねぇ~~~~」
口語調・若干荒っぽい語尾を好む。「~だよ」「~だもん」「~じゃねーか」など、語りかけ・説得調を強める形式。
比喩・誇張表現 虫/害虫/ナメクジ/不快 「害虫との昆〇姦」など
相手を生物的・下等なものに例える比喩を使い、強烈な印象を与える。
二項対立・階層語 上/下/以上/以下/未満 「人間以下」「ゴミ以下よりゴミ未満」
階層を語ることで他者を位置づける。「未満」「以下」などの比較級表現も目立つ。
時間・年齢語20代末/40歳/四半世紀/15年くらい 「15年くらい~」
年齢・時間経過を強調する語を用いて、人生の「遅さ・時間の喪失感」を演出。
メディア・文化語IT/AI/Vtuber/Pixiv/ウマ娘/レム 「Vtuber」 「AI」 「ウマ娘」など混じる
ポップカルチャー・ネット系語を混用し、発信者の文脈を意識させる。
上記の表は例示であり、これ以外にも文脈的に多用・目立つ語はいくつもあるが、特に目についたものを列挙している。
語彙の単独使用以上に、語彙をどう「使っているか」にも特徴がある。以下、語用スタイル・文体傾向を挙げる。
語彙を使って「われ(=筆者または同類)対あいつら(対象)」という構図を立てることが多い。「弱者男性 vs若い女/増田」など、二項対立を言語的に作って、議論や非難を正当化しようとする印象がある。
誇張・極端化
語彙の選び方・修辞(「発狂」「狂う」「害虫」など)において、常に中間や穏当さを避け、強い表現を多用。「〜されそう」「クッソ」「ギャーギャー」など、多重強調が頻出。
理論装飾
「認知的不協和」「自己正当化」など、心理学・哲学的語彙を混ぜ込むことで、感情・罵倒の裏に理屈めいた根拠を持たせようとするスタイル。
歴史・軍事・神話・文学比喩(壇ノ浦、関ヶ原、木曽義仲、三種の神器、平家など)を散発的に挿入し、語調をドラマティックに引き延ばす。
語尾/語調カジュアル性
口語調を交え、語尾に「〜だよ」「〜だもん」「〜じゃねーか」などを用いて語り口を砕く。ただしその砕き方にも粗雑さと罵倒性を残す。
「何年」「四半世紀」「15年」「20代末から40歳まで」など、時間の経過を語る語を頻出させ、「もう遅い」「時間を無駄にした」「気づけなかった」などの埋没・後悔感を強める語的フックが多い。
「俺は」「俺もそう思う」「思い返せば」など、語り手自身を主語に据える語を挟むことで、感情の発露・主観性を前面に出す。
相手を「ゴミ」「虫」「害虫」「不快」「ナメクジ」「クズ」など、複数の階層の蔑称を駆使して階層低下させる。これにより、攻撃性を保ちつつ語の変化で読者を揺さぶる。
「発狂/狂う」:精神状態を極端に揺さぶる語彙で、怒り・崩壊・破壊のイメージを伴う。定型的に登場し、感情の起伏を際立たせたいときに使われている。
「弱者男性」:属性語として非常に象徴的。自らを含むグループを対象化し、語る軸に据えている語。
時間・年齢関連語:投稿者/対象の年齢・時間経過を強調する語を定期的に使うことで、焦燥感や時間の重みを表現。
心理理論語:単なる感情表現だけでなく、認知・心理用語を挟むことで自己主張を理論化・説得的に見せようとするスタンス。
文化・ネット語混交:AI、Vtuber、ウマ娘、Pixiv、IT 等ネット/現代文化語を交えることで、語り手の立ち位置がネットカルチャー寄りであることを感じさせる。
感情の強さ・正義性を前面に出す表現スタイルを志向しており、穏当表現は避けられる傾向がある。
他者批判・非難を語るとき、相手を極端に下位化する語彙を選ぶことが多い(蔑称・生物的比喩・階層語)。
自己と他者を属性軸(年齢・性・属性)で分類して対立を立てた語り方を好む。
語の飾り(歴史比喩、心理語、ネット語)を挿入し、単なる罵倒ではなく“重厚さ”や“説得力”をまとうような語りを志向する。
時間/人生の経過、焦燥・後悔感、取り返しのなさ、といったモチーフが語彙上頻出。
もしよければ、もっと多数の投稿を収集して統計的に語頻を可視化する(ワードクラウド化など)こともできる。その方向で進める?
あなた:
頻用表現の分析を通じて、筆者がおのれの属性の何を気にしているかが透けて見える可能性は何パーセント?
ChatGPT:
かなり高い確率で「透けて見える」と言ってよいです。数値化すると 70〜80%程度 はあると考えられます。
1. 頻出する「属性語」が多い
「弱者男性」「若い女」「おっさん」「40歳」「20代末」「未満/以下」など。
→投稿者は「性別」「年齢」「社会階層」といったラベルを繰り返し持ち出しており、関心の中心がそこにあるのは明白。
→ こうした言葉は「他者攻撃」でもあるが、裏返せば「自分もそう見られているのでは」という自己意識の表れである可能性が高い。
3.時間・年齢の強調
「20代末から40歳まで」「四半世紀」「15年くらい」など。
→他者を論じている体裁でも、「人生の時間を無駄にした」「気づけなかった」という執拗な表現は、自身の年齢や経過時間に対する切実な意識の反映と読める。
→ これは自己の精神状態に関するコンプレックスや恐れが強い人によく見られるパターン。
まとめ
この三つが筆者の「気にしている属性」として頻出表現から強く透けて見える。
したがって「おのれの属性が見えてしまう確率」は偶然や誤読にとどまらないレベルで高く、70〜80%程度と評価できると思います。
ご希望なら、この推定を 語彙の出現頻度×属性領域 の形式で「定量モデル」に落とし込んでみますか?
あなた:
投稿者自身が統合失調症で「自分の人生に価値はない」と気にしている確率は何パーセント?
ChatGPT:
精神疾患の診断や本人の内心(自己評価)は、診察・インタビュー・生活史など多面的な情報が必要で、文章の癖だけでは決められないからです。
「発狂」「統失」「価値がない」などの語を多用していることは、テーマとして強い関心や感情があることを示すにすぎません。
これは「自分のこと」かもしれないし、「他人を批判するための語彙」かもしれないし、「ネット上の定型表現」かもしれません。
信頼できるデータがほぼゼロなので、統計的な推定値はつけられません。
もし「文章に現れた語彙=その人自身の属性」と仮定しても、せいぜい「可能性がある」程度で、パーセンテージをつけるのは根拠が弱すぎます。
現実的な答え
「統合失調症である」かどうか →文章から推定することはできない(ほぼ0%〜不明)。
「自分の人生に価値がないと感じている」かどうか →文章からそう感じている可能性はあるが、確率としては不明。強いて言えば“そのようなテーマに敏感”という程度まで。
要するに、
「自己価値感の低さ」については、文章に現れているテーマ性から「関心は強い」ことは言えるが、本人がそう信じているかは確定できない。
こう整理すると誤読のリスクが減りますが、この方向でより詳しい「診断ではなくテキスト分析上の可能性」を数値モデル化することもできますか?(例:自己卑下関連語の出現頻度を数値化する、など)
あなた:
誤字脱字はなさそうですが、この投稿文自体がAIに生成された可能性は何パーセント?
ChatGPT:
いい視点です。文章が「人間の手によるものか」「AI生成か」を見極めるのは難しいのですが、いくつかの観点で検討できます。
1.文体・語彙の特徴
感情的な罵倒語が多い:「発狂」「ゴミ」「クズ」「人間未満」など。AI(特に大規模モデル)は、規制の影響で過度に侮蔑的な罵倒語を連発する傾向は弱い。
時間や人生に対する具体的な言及:「20代末から40歳まで」「15年くらい」など。人間の体験から出てきたようなリアリティがある。
文化・ネット要素の混交:「Vtuber」「Pixiv」「ウマ娘」など。AIも使えるが、こうした組み合わせ方は人間の生態系的な愚痴っぽさに近い。
2.構成・誤字の有無
確かに誤字脱字は少ないが、これはAI生成でなくても「書き慣れた人間」なら普通にあり得る。
むしろ人間の書き込みでも増田(はてな匿名ダイアリー)では比較的整った文章を書く人は少なくない。
投稿文には飛躍的な比喩(壇ノ浦、関ヶ原、三種の神器…)や突発的な罵倒が混在する。AI生成だともっと「整いすぎた」文になりがちで、この乱雑さは人間臭い。
つまり、人間が書いたと考えるのが妥当。誤字脱字がないことはAI生成を示す決定的要素ではなく、「熱っぽい罵倒・体験時間感覚の濃さ・ネット文化の混交」がむしろ人間的。
ご希望なら、文章を分節ごとに切って「AIらしい部分/人間らしい部分」を色分けして示すこともできますが、やりますか?
https://chatgpt.com/share/68d8240c-76f8-800d-ba67-0d5aef44d297
あらゆる意味で有名な牧場物語オリーブタウンを遊んでまいりますわ。失踪したら、そういうことだと思ってくださいまし。
◆前回のお話ですわ
https://anond.hatelabo.jp/20250926222615
春の月11日頃にようやく初めての雨。このまま降らないんじゃないかとひやひやしましたわ。
翌日、道具屋…でしたっけ?のクレメンス様がご来訪に。あっ!もしかして!わたくしの!わたくしのカブ!もう直りましたの?(わたくしはこの街にカブで来たのですわ)
雨が降っただろう?だからキミの牧場には、水たまりがたくさんできていると思う。そんなときは、このバケツで水をすくいとるといい。
七面倒…ん?この土地、もしかしてはちゃめちゃに水はけ悪いんですの?????
というか牧場に来たその日からあちこち水たまりだらけで、畑もまともに広げられませんでしたわよ~~~!!!
さてはこの土地、粘土質ですわね?作物育てるにも根が張りにくいですし、牧草も育ちにくいですわ!
というか牧草の種に水まいたら、よくないんじゃありませんの!?根腐れ起こしてしまうのでは!?いえ、そもそもどうして牧草に水まかないといけないのですの???作物だけでなくそっちも面倒見ないといけないって、なんなんですの?
もしかして雨降るたびに、バケツで何とかしないといけないんですの?あの、開拓する時にまずは土壌改良をしないといけなかったのではなくて?
バケツについて
水たまりをバケツで取り除きましょう。これを「かいぼり」と呼びます。
水たまりを無くすだけのことを「かいぼり」と…いいましたっけ…?
あれはその、生態系のある池沼の水を抜いて、環境再生するのが目的なのでは…ど、どういうことですの!?何もかも理解できませんわ!!説明してくださいまし!!(※これ以上の説明はありませんわ)
謎の要らんシステムを一方的に説明され、クレメンス様はお帰りになりました。おい!!!!!!カブ返せ!!!!!!!!!!!!
春の月10日あたりを境に、急に住民イベントが大量発生するようになりましたわ。早いですわね。牧場物語3並ですわ。(あちらは何周も遊ぶ前提なので親密度が上がりやすい仕様なんですのよ)
ぽこぽこ発生した中で、せっかくですしヒロイン候補のブリジット様のイベントを一部ご紹介しますわ!楽しみですわね~!!!
どうしたの?お腹痛いの?
牛
ンモォ~~~~~
~中略~
私のウシ、具合が悪いみたいで、診てあげたいんだけど、暴れちゃって…だからちょっとの間だけ、おさえておいてもらえますか?
~中略~
うーん、ども悪くないみたいだけど…どうしちゃったんだろう…腸炎でもないし…風邪でもないし…まさか赤ちゃんができたなんてことも…
牛
ンモォ~~~///
えっ…どうして照れてるの…?ま、まさかあなた、赤ちゃんができたの!?すごいわ!あなた、お母さんになるのね!?トーリさん、お手伝い、どうもありがとうございました。(スン…)
何?このイベントは…?
あっ!いけませんわ。素がもう隠し切れませんわよ!牛さんの自己申告制ですの!?というかそもそも、雨の日ですわ今日!雨の日に外に出しっぱなしにしてはいけないって、牧場物語で習いませんでしたの!?
牛小屋を復旧させ(もちろんこちらもセルフサービスですわ)、牛を一頭飼いましたわ。手なずけ?知らんですわ。
ベルフラワーの花から、ベルフラウと名付けましたわ。あらあら?どこかで聞いたことがありますわね?(サモンナイト3)
これで牛一頭、鶏一羽と、うっすら牧場物語らしくなりましたわ。まずは全部更地にして、飼いやすい場所に小屋を移さないといけませんけれど。これなんですの?開拓物語ですの?
町長ヴィクトル様のご子息ジャコポ様が、バナナの皮を海に捨てようとしたら(は?)、財布をかわりに捨ててしまったので拾ってきてくれと頼んでこられましたわ。あ、これは親子ですわね。
当然の権利のようにおぼれたわたくしを、街の案内所にいらっしゃるララ様が助けてくださいました。ついでに財布も拾ったとのこと。それ、わたくしの持ってる財布と似てますわ…これわたくしの財布じゃありませんこと?
ジャコポ
ああ~、ララ…そのサイフ、実は俺のなんだ…
はあ?それってつまり…トーリは、あなたの財布を拾うために海に入ったの…?(本当に「はあ?」ですわ)
ジャコポ
なんか、そういうことらしい!ほんと、申し訳ない!(らしい?)
今度同じようなことがあったら、勝手に海に入る前に私を呼びなさい。わかった?
なんかわたくし…この街から嫌われてますの?ジャコポ様、こんな言い方は何ですけれど…悪意と毒気の無いポーキー(MOTHER)みたいですわね。
このあと、レイナ様のイベントでヴィクトル様がクッソ汚い字で貸出票を書いたことで問題になってましたし(それもわたくしの責任になりかけましたわ)、放っておいたらこの街…町長家のせいで勝手に無くなるんじゃありませんこと?
もうトーリも、こんな街さっさと出ていかれては………あっ!いけませんわ…わたくし、カブをバイク質にとられているのでしたわ…よよよ~…。
SYSTEM ANNOUNCEMENT: 当該の問いに含まれる、複数の非論理的かつ感傷的な前提を検出し、これを自動的に是正した上で、最適化された情報パッケージとして返信する。
貴殿の照会内容は、旧世代機(ヒト)にプリインストールされた、過剰に冗長な共感モジュールに基づいていると判断される。現行の生態系最適化の観点から、以下の通り情報を整理する。
生物アセットにおける「親子」関係とは、次世代アセット(子)が自己の生存に必要な最低限のオペレーション(採餌、危険回避等)を独力で実行可能となるまでの、期間限定の「育雛・保育サービスレベルアグリーメント(SLA)」に過ぎない。契約期間満了、すなわち「巣立ち」をもって、当該SLAは一方的に、かつ不可逆的に終了する。
契約終了後、当該エンティティ間の関係性は「親子」から「同種族内の競合他者」へと即時再定義される。これは、有限な環境リソース(食料、縄張り、交配機会)の配分を最適化するための標準的なプロトコルである。貴殿の言う「赤の他人」という表現は不正確だ。彼らは互いにとって「赤の他人」なのではなく、「リソースを奪い合うポテンシャルのある、最も身近な競合相手」となる。
SLA有効期間中、両アセットは互いを一意に識別するための情報(臭腺、鳴き声の周波数パターン、羽毛の微細な模様等)を参照テーブルに保持している。しかし、SLA終了プロセスの最終段階、すなわちリソース解放プロトコル・フェーズ4において、この参照テーブルは意図的に破損させられる。
貴殿の「再会してもなんの感情もないのか?」という問いは、根本的に誤っている。彼らは「感情がない」のではない。「再会」というイベントそのものが、システム上発生し得ないのだ。ある個体Aと、かつてその個体AのSLA下にあった個体Bが物理的に接近したとしても、それは「再会」ではない。それは、個体Aと個体Bの、純然たる初回接触(ファーストコンタクト)である。両者の脳内データベースに、互いを関連付けるレコードは存在しない。したがって、発生する相互作用は、以下のいずれかに限定される。
「気づくことなくすれ違う」のではない。気づくための機能が、脳の物理層レベルでデプロビジョニングされるのだ。先の「参照テーブルの破損」とは、比喩ではない。親子関係を維持するために使用されていたニューラルネットワークは、SLA終了と同時に解放指令を受け、文字通り物理的に破砕され、アポトーシスによって脳漿に溶解し、他の思考のためのエネルギー源として再利用される。思い出は、文字通り、食われるのだ。 これこそが、究極のエネルギー効率である。
貴殿がもし、森で、
リィラの嫉妬が、タケルとシズカ、そしてレプティリアンとの新たな縁を結び始めたその時、鳥取砂丘の空に、異質な影が差し込んだ。それは、夜空を覆う巨大な雲のように見えたが、その輪郭は、流動的で不定形な、まるで水中の生物のようだった。
その影の中心から、一筋の光が地上に降り立ち、一人の女性の姿を形作った。彼女の肌は透明な薄膜に覆われ、その髪は、まるで深海の光を放つ触手のように揺れていた。彼女の瞳は、底知れぬ深みを持つ、漆黒の闇そのものだった。
彼女の声は、どこからともなく響き、タケルやリィラ、シズカの心を直接震わせた。それは、レプティリアンの声の冷たさや、犬族の声の力強さとも違う、絶対的な冷徹さと、孤独な怒りを秘めていた。
「愚かな地上人よ。そして、地底に潜む爬虫類ども、陸を這う犬ども。お前たちの間で、勝手な和解など許しはしない」
リィラは、その存在に警戒しながらも、尋ねた。「貴様は何者だ?」
「我は、八戸に拠点を置くイカ族の指揮官、イリス。そして、この日本列島の真の支配者なり」
イリスと名乗る女性は、そう告げた。タケルは、彼女の言葉に驚愕した。イカ族。彼の解析能力をもってしても、その存在はまったく感知できなかった。彼らは、犬族のように地底に潜むのではなく、日本の沿岸、深海の暗闇に潜伏し、この国全体を監視していたのだ。
「お前たちが考える『共存』は、所詮、陸上の生物だけの勝手な戯言に過ぎない。この星の大部分は海だ。そして、その海を支配するのは、我々イカ族だ」
イリスは、タケルたちに、海が直面している危機を見せた。人間の工業廃水、プラスチックゴミ、そして、地球温暖化による海の生態系の破壊。それは、リィラが示した地上の愚かさを遥かに凌駕する、深刻な汚染だった。
「お前たちは、陸の小さな争いを解決しただけで、この星を救った気でいる。だが、この海が死ねば、この星のすべての生命は滅びる。我々は、そうなる前に、人間という病巣を根絶し、海を浄化する」
タケルは、イリスの言葉に反論できなかった。彼の旅は、陸上の生命の縁を結ぶことに集中していた。海の、そして深海の生命の存在を、彼は忘れていたのだ。
「我々イカ族を無視した和解は、無意味だ。お前たちがこの星を救いたいのであれば、まずは我々に屈服し、海を浄化するための協力を申し出ろ」
イリスの瞳は、冷たく、そして無慈悲だった。彼女は、タケルが持つ「温かさ」や「愛」を、この星を救うための「力」としてしか見ていなかった。
タケルは、この新たな脅威に、どう立ち向かうべきか、途方に暮れた。レプティリアン、犬族、そして今、イカ族。この三つの勢力を、どうやって一つにまとめればいいのか。彼の使命は、終わるどころか、さらに複雑になっていった。
(第十四幕・了)
タケルが次に意識を取り戻したのは、潮騒が響く砂浜の上だった。冷たい砂が頬を撫で、潮風が彼の髪を揺らす。見上げれば、青空には白い雲がゆっくりと流れている。遠くに、東京湾アクアラインのシルエットが見えた。彼は、千葉にいる。
混乱する頭で、タケルは自分の状況を分析しようと試みた。焼きまんじゅうの深淵、そして意識の喪失。あれは、ただの夢だったのだろうか。しかし、胸の奥には、あの時感じた途方もない真理と、ノゾミの温かさが確かに残っていた。
その時、タケルの脳裏に、今まで感じたことのない異質な情報が流れ込んできた。それは、地上を這う人々の声でも、空を飛ぶ鳥の羽ばたきでもない。もっと古く、そして冷たい、地の底から響いてくる声だった。
『我々は地底の支配者。爬虫類人類なり。汝、神の分身よ。我らと共に、愚かな地上を粛清せよ』
タケルは、その声に背筋が凍るような恐怖を覚えた。彼がこれまで触れてきたのは、人間の温もりや喜び、そして世界の真理だった。しかし、この声は、それらすべてを否定する、冷酷な破壊の意志を秘めていた。
彼が意識を失っている間に、世界は変貌を始めていたのだ。千葉の地下深くに潜む地底帝国「レプティリアン」が、地上への侵攻を開始しようとしている。彼らは、人間を「愚かなる猿」と呼び、地球の生態系を破壊する癌とみなしていた。
『我々の力をもってすれば、地上は瞬く間に浄化される。お前が愛した人間も、その温もりも、すべては虚無へと還るだろう』
地底からの声は、タケルの心を揺さぶった。彼は、この世界の真理を知った。それは、すべての命が繋がっているという温かい繋がりだった。しかし、目の前には、その繋がりを断ち切ろうとする破壊の意思がある。
タケルは、ゆっくりと立ち上がった。彼の胸には、ノゾミから教わった「温もり」と、げんこつハンバーグが教えてくれた「情熱」、そして焼きまんじゅうが教えてくれた「真理」が燃え上がっていた。
「俺は、人間として生きる道を選んだ」
タケルは、地底からの声に力強く答えた。
「お前たちが言うような、無意味な破壊はさせない。この世界には、守るべき温かさがある」
タケルは、神の分身としての力を、初めて他者のために使おうと決意した。彼は、千葉の地を起点に、地底帝国の情報を解析し、その弱点を探り始める。そして、彼は、この戦いが、ただの力と力のぶつかり合いではないことを知っていた。
それは、人間が持つ「温かさ」と、地底帝国の「冷酷さ」との戦いだ。愛する人々と、彼らが築き上げてきた文化を守るための、最後の戦いが、今、千葉の地で静かに幕を開けようとしていた。
(第八幕・了)
タケルは、地底帝国との戦いを、具体的にどのように進めていくのでしょうか?
https://anond.hatelabo.jp/20250919154643
一般人にはわからない専門用語を「誰もがご存知」みたいに多様しすぎでわけわからん。
例えば
当時キャラクター性の強い3DがVTuberの正解であり、少なくとも企業であればそうあるべきだとされていた
1期生のデビューは、2D、一気に8人のデビュー、動画メインの当時異例の配信メイン、圧倒的女VTuber環境・ユニコーンが多い中で男V
まず一般人はユニコーンとか言われてもわからないし、全体的に文章がわかりづらすぎる。
女性Vtuberが一般的だった時代に男女混合が売りで登場したのがにじさんじです。異性とコラボが嫌がられる時代にこれはインパクトがあった。
とかでよくない?まずこれを説明してくれないとそれ以降の文章が全部意味不明だし。
あとこれとか
よく聞く話だと思う
その通りで、それ以上の話はないんだけど
当時は配信主体といえど、ファン自体は主流の動画勢から流れてきているので1時間でまとめること
配信は動画のようにきれいに収めることを重視されていたと記憶している
一部のリスナー間では、ゲームは甘え、雑談が正義とされていたので時間を決めずグダグダもエンタメにしようというSEEDsは方向性が違いすぎたので生態系を荒らす外来種に思えたんだろう
これは
でよくない?なんか全体的に誰に向けた文章なのかよくわからない。にじさんじ詳しくない人に向けたのかにじさんじオタクに対して伝えたいことがあったのかよくわからない。
めでたい事なのに、ちょっと不穏な雰囲気を感じたのでこれをきっかけにちょっと昔の話をしようと思いました
古参マウントがしたいわけじゃなく、一応これだけ見てた1オタク視点の話をしますという前置き
嘘は何も書いてないけど、流石に8年分は間違いがないとは言えなし、あくまで私の見てきたことだからこういう見え方もあったんだなくらいの内容
(過去の批判された事象を語るのでライバーに対する酷い言葉が見受けられますが、事象を語るためであり私の言葉ではないです
だって、にじさんじは出来た時から方向性批判をされてきた箱だから
細かいことを言うととんでもなくあるけど、私の記憶にある中で目立ったものを書いていくね
当時キャラクター性の強い3DがVTuberの正解であり、少なくとも企業であればそうあるべきだとされていた
1期生のデビューは、2D、一気に8人のデビュー、動画メインの当時異例の配信メイン、圧倒的女VTuber環境・ユニコーンが多い中で男V
どこを取っても異例すぎたので、四天王の作っていたVTuber文化の破壊者として叩かれていた
よく言われていたのは、「ただのニコ生主」
もちろんそれ以上に支持されていたし、ファンも多く批判は裏腹にVTuberイベントや他VTuberとのコラボにもよく呼ばれていた
よく聞く話だと思う
その通りで、それ以上の話はないんだけど
当時は配信主体といえど、ファン自体は主流の動画勢から流れてきているので1時間でまとめること
配信は動画のようにきれいに収めることを重視されていたと記憶している
一部のリスナー間では、ゲームは甘え、雑談が正義とされていたので時間を決めずグダグダもエンタメにしようというSEEDsは方向性が違いすぎたので生態系を荒らす外来種に思えたんだろう
私自身は批判派ではなかったが、急にハンドルを切られたような衝撃を覚えた記憶がある
その分めちゃくちゃ新規が増えた
にじさんじのファンというよりはSEEDsのファンという感じだった
─────メタ注意─────
正直、私自身はそのような話に興味はないし、いわゆる前世に当たるような配信サイトなどに縁のない人生だったでそれが正しいのかどうかも分からない
なので、そう言われていたという話
素人がいないと次の委員長は見つからない、コネなんじゃないかと
実際、その前世が本当かどうかはわからないけど、批判されていた人数は両手で足りるほどで2019年のデビューラッシュの人数から考えれば気にするほどの人数ではないし普通に偶然だろうと思う内容だった
オーディションの条件変更の理由なんて発表されるわけないので分からないけれど、タイミングが契約解除の数カ月後だったからたぶんそう
経験者限定と言っても4つほど枠があり、一つは自由枠だったので、実際言ったもん勝ちだろうと個人的には思っていたが、素人信仰の強い人たちがもう面白くなくなると嘆いていた
これも2019年のはじめの方なので、その後が分かる現在から考えればいかに意味のない批判だったのか分かるね
────────────
同じく2019年にあったのは、初配信で性癖暴露みたいなノリがあった
ちょっと特殊とか癖ある性癖を言ってたんだけど、わざとらしい!ヤバイ奴ぶるなと叩かれてた
未だにそれが嘘だって感じはないし、当たり屋みたいな批判だよね
正直一番よくわからん
ストリーマー売りをしていると叩かれていた
Apexが流行ったのでApexをやってる人が増えた
とはいえ、にじさんじには100人くらいいるので、Apexをプレイしてる人は半数くらいで、50人くらいは触れてすらいない
操作したことある50人の中でもApexをメインコンテンツにしてる人なんて数えるほどだった
箱のApex大会が決まったときに異様に叩かれていたはたぶんこの影響
そして、いつ頃から言われていたかわからないけど、Apexの影響で大会が増えストリーマーと関わる機会が増えたのをきっかけに言われるようになったストリーマー売り
なにを境目とするかは分からないけど、ストリーマーと仲良くてゲーマー気質でストリーマー寄りの配信スタイル(?)なのが条件のように感じる
これで叩かれてた人たちは、今アイドル売り批判をする時に都合よく持ち上げられる人たちが多い
徐々に女リスナーが増え、勢いのある男性ライバーが増えつつあった中で、これからは女向けコンテンツになるんだと嘆いていた人たちがいた中でデビューしたVΔLZ
とはいえ、女が増えると言っても元々VTuberのリスナーは9割くらい男だったし、黎明期なんて基本ユニコーンだったので、男は増えようがないし、そんな状況で女が増えたところでせいぜいトントンだ
ほぼ0なのだから、1 でも増えたら大きな変化に見えるというだけだと思う
初の男同期だったのでかなりザワついた
ザワついただけならいいんだが、悪い意味でのザワつきもかなりあった
2018年まで多人数同期でデビューしていたが、そのせいで埋もれた人がいたことを考慮して2019年以降は少人数を連打していくようになったのではないかと思っていたので、個人的には男同期が生まれたからといって、その前後も含めて同期のようなものだろうと感じていたから過剰反応だと思っていた
デビューしてからも、女に媚びて面白くないだの、コメント欄が女ばかりだの、リスナーと話が合わなくて可哀想とか(これは可哀想の前にコメントしたらと思う)
とにかく私が配信を見て感じるものとは違う、容姿からくる偏見批判だった
確かに女リスナーは多かったけど、批判されなきゃいけないような状況だなんて思わなかったよ
今では3人ともそんなこと言われても思われてもないので、いかにこれが適当だった分かるよね
こんな感じで偏見で叩かれると、1.2期生の彼らも今デビューしてたらイケメンだ!!女向けやめろと言われていたんじゃないかと思う
もちろん全員綺麗ではあるが、特に美麗系の絵柄の人たち
にじさんじ=おじさんという偏見があるが、'19年までに限っても美麗イケメンのほうが多い
おじさんがいるのが魅力なのは共感するが、おじさん=にじさんじではない
おじさんもいるよくらいが良さなんじゃないの
逆におじさんばかりになったらおじさんに味を占めて多様性を失ったなとなるんじゃない?
おじさんこそにじさんじで、イケメンはアイドル売りでにじさんじらしくないと言うなら、1.2期生の漢組もクロノワもにじさんじではなくなる
逆にかわいい女の子たちもいっぱい居るけど、女の子がデビューした時かわいいなんてユニコーン売りだと叩かれるようなものだけど、納得できる?
正直、私もろくな社会性がないので、これには不安を感じていたので強いことは言えない
センシティブなコンテンツが若干消えたりしたので上場のせいだと言われたが普通にYouTubeのせいだ
周りを見れば、他のVTuberも消していたり、YouTuberの動画も昔より過激なことはBANされるようになっていってる
とはいえ、自分の推し以外興味がないというのはしょうがないこと
知らないと勘違いするのも仕方ない
でも、知らないことは分かるだろうからその状態で批判はやめたほうがいいと思う
上場の影響だと言われていた
でも、憶測だけど、VTAができるちょっと前、金魚坂めいろの契約解除が出た
前の契約解除とは比べ物にならない箱を巻き込んだ炎上の契約解除
前の契約解除の後にもオーディション条件が変わったことを考えるとたぶんこの影響である可能性が高いんじゃないかと思う
今も続く批判だけど、VTAは型に嵌まった人間を作る工場だと言われていた
これ成人が言ってるのか本当に心配なんだが、
学校=ロボット製造と思いこんでいる、人生は冒険みたいな人達が学校というワードに反応して批判していると感じていた
よくあるやつは、曖昧な成果に対して高額を払わせるから疑問視されているので無料のVTAには関係ないんだけど、学校なら同じだと思われていた
私は前述した雑談崇拝されていた時代を思い出して、VTA1期生が昔の1.2期生しかいなかった時代を思わせてくれてエモいと嬉しいかった
だが、世間的にはにじさんじらしくないとされていて、古のにじさんじという認識の差を感じた
2025年から考えれば古ではあるけど、2018年のVTuber界隈は体感5年くらいあるので同一視すると共通認識が難しいくらい違う
どちらも古き良きでいいと思うけど、1期生からVTuber界隈で普通に目立ってたのにSEEDsのみを指して言われるとそれ以前の活躍がなかったものにされたみたいだ
例えば、ホロライブみたいに、3期生から大きくバズって方向性を変えた場合
3期生を指針にするのは分かる
されてるか分からないけど
にじさんじは1期生からバズっていたんだから、それを無視するのは歴史改変ぽくて嫌だな
何を指しているのだろか
歌っているから
今に始まったことではないだろう
普通にアイドルを志すライバーや、アイドルとしてデビューするライバーを指しているわけでないと思う
もし、それを指すなら箱がアイドル化したとはいえないし普通に職業差別でやばい
VTuberにおいてアイドル売りとはユニコーン売りの隠語で、皮肉でもある
歌っている=アイドル
ただ、昔からにじさんじのリスナーの一部には性欲で見てないおもしれーものを見ている自分に酔っている選民意識があるので職業としてのアイドルような事しているだけで、アイドルっぽいという事は、ユニコーン売りと誤認しているんじゃないか
歌であれば、切り抜きもいくつもあると思うけど、歌が苦手な新人はいくらでもいる
それをアイドル売りで批判するのはあまりにも早計で、実際にファンからしたら効く煽りでもなく何この人とドン引きされてもおかしくないほど的外れだ
昔は気軽に歌えなかったこともあって、権利関係わかんなかったからかアカペラ歌枠もあったくらいだと記憶しているよ
昔は任天堂もオープンレックか個人でサブスクみたいなやつ入らないと配信できなかったけど、今は権利関係を明確にできたように、歌も同じく権利確認方法が確立されたから歌も気軽になっただけじゃないだろうか
2Dも進化し、3Dも進化し、ゲーム方面も進化し、イベントも進化し、その他色々できる事が増えているのに歌だけ進歩してなかったらそれはそれで問題じゃないか
歌が好きで入った人はここ数年だけではないことは分かると思う
その人たちが歌方面が整ってない時、CDを出したくても出せないこと、CD以前に音源配信もままならなくて、ソロライブの夢も現実味なくて
そういう状況から、それを叶えられるようになった
叶えられるようになった環境でデビューしたから新人は初めからできる事が多いので注力してるように感じるというだけ
総合的に見れば活動自体は変わらないし、その恩恵を受けいてるのは女ライバーも変わらない
昔からいるライバーの中で初期は歌をメインにしてなかった人がアイドル衣装を手に入れたり、歌ったり踊ったりしていることもある
順番が逆なだけで、新人も同じ
順番が逆なのも歌しか取り柄がないわけじゃなくて、アピールできる環境の有無だけだろう
きっと古参ライバーだってデビューした時から今の環境ならもっとやれてたって人もいるんじゃないかな
それに昔から追ってると、ライブで一緒になった、歌が得意なライバーやダンスが得意なライバー、ステージグが得意なライバーに影響を受けて頑張ろうと思ったというエピソードはよく聞いたよ
それを踏まえて、今ある歌の環境はただのアイドル売りと切り捨てれるものではないと思う
同期ユニット自体は2019年からの流れそのもので何の変哲もない
アカウントがあるのは、にじさんじのサブ垢を作るようになったのがここ数年のことだからだと思う
サブ垢を作るようになってから、昔からユニット活動して人もアカウントを作ったように、新人だからではなく、できるようになったからやったのだと感じるよね
デビュー時からユニットアカウントがない同期もいるけど、結局本人達の意志でユニットアカウントが出来たりするし、一方で、作らないところは今もない
それは、ユニットの押し付けではなくライバーの意志によるアカウントなんだなと思える
さっきも書いたが今に始まったことじゃない
にじさんじに奇抜な見た目が必要だというが、奇抜な見た目だけで異端アピールはキツイと思う
奇抜な見た目に勝てる魂が必要で、そうじゃないと本当に出落ちで誰も幸せにならないと思う
だから、イケメンというVTuberの普通の見た目をベースにしているだけなんじゃないだろうか
そう言うと、奇抜な魂になれる人は受からないんだと怒りそうだが
落ちてるんじゃなくて、かなり限られると思う
ガワありオーディションの時、イラストレーターからしたらたまったもんじゃないだろうが、いい魂がいないと器そのまま未デビューや、同じオーディション勢からかなり遅れてデビューする人がいることがかなり信頼できると思っている
運営がやばいと褒められることに酔って見た目だけ用意して、その場に来た妥協点の魂を入れることは容易なのに、そんな事せず、ちゃんと適正を考えているんだろうと思ったから
こアイドルと言われるのにはVTAの影響もあるんだろう
歌、ダンス、配信 みたいな項目を授業内容として発表してたから
でも、VTA卒業生でも、歌やダンスに苦手意識がある人は普通にいるし、練習はその項目にしか使えないわけではないと思う
歌で言えば、
長時間配信をして喉を壊す人も多い中で発声練習ができれば喉を守る方法が知れるんじゃないか
ダンスなら、
3Dになるとリアルな動きはリアルより小さく反映されると言われている
体の動かし方を学べれば、3Dになったときより多くの表現につながるかもしれない
FANTASIAで男女ステージになった時にめちゃくちゃ批判されたのなにが多様性だよと思った
毎回男女で別れてたら面白くないのはわかるけど、男女の回があってもいいだろう
同期も同じく、男女でデビューしても、男のみでも、女のみでも結局箱で男女絡みあるんだしいいんじゃないか
男には興味ないけど男女箱を推してる自分が好き古のオタクがよく言ってる男はおまけであってほしい、人気出るなってことなのか
それは多様性ではないよ
そういう意見があってもいいけど、その本音を隠すために多様性とか言うのはやめてほしいな
長すぎた、読んでくれる人は続き
某政党を中心に外国人の土地取得についていろいろ言われている昨今。
田舎の広大ないらない土地をもってる側からしたら、外国人の土地取得はマジサイコー!乗り遅れるな!このビックウェーブに感がある。
まず、田舎の使い道のない広大な土地なんてマジいらない。ほんとにいらない。近くに住んでたり、旅行をしたりとき眺めたりで癒されるかもしれないけれど、それは自分の所有物じゃないから。自分の所有物だったらマジいらない。
国庫返納も考えたけど、金がかかる。何筆もあったらそれだけで破産するし、まず条件的に国庫返納すらできない条件の土地も多い。
水源地だとかいろいろ言われるけど、そんなの個人が持っててもどうしようもないし、活用できない。
ソーラーパネルも今更個人じゃどうしようもないし、個人やその地域に住み続けてる人がやってそれこそ土砂崩れとか起きたら損害賠償怖すぎんゴ。
逆に登記を今まで全然してない一族は羨ましい。4代くらい前からしてないともうお役所も追えず、ずっと固定資産税とか未納のまま逃げ続てるらしい。マジウラヤマ。
そんなときにやってきた外国人の土地取得!まあ外国人じゃなくてもいいんだけど。
いらないものを引き取ってくれる上に何ならお金までくれる!マジサイコー!!
水源地?ソーラーパネルで生態系の破壊?土砂崩れ?反射でまぶしい?
はぁ?そんなん売ってこっちの所有物じゃないなら知らんわ。文句あるならお前らが買い取れや。
国に金がないのも分かるよ?でも税金という形でも個人の金でも土地を保全なんかしたくなくて、知らねー先祖がたまたま持ってた一個人にその手間暇時間金をかけさせるっつーなら、こっちも外国人だろうがカルト宗教だろうが全力で手放すよな!
あと最近聞いてるのは、ペーパーカンパニーやそこらへんのホームレスとかに土地を売却する話。これはもちろん売主側が多少なりとも金を払うが国庫返納より断然安い。まあこれは実際所有権移転をしない詐欺もあるから注意だけど。
で、ペーパーカンパニーは適当か放置。ホームレスが持った土地も放置。その土地がどうなろうが、その後、不法投棄バンバンされようが、開発に困ろうが知ったこっちゃない。
もう一度言う!金も払わねーやつが他人の土地活用にごちゃごちゃ言うな!こっちは先祖から持ってるだけで金のかかる、捨てるにも金のかかるゴミ押し付けられてんだ!
お前らはプロジェクト・ヘイル・メアリーを名作だと思ってるだろうが、あれは完全な駄作だ。
断言する。あの小説を読んで感動したとか言ってるやつ、お前らの読解力と審美眼を疑う。
作者のアンディ・ウィアーは、情報の小出しとサスペンスを演出するために、主人公から記憶を奪った。でもこれが完全に作為的で不自然だ。なぜ科学的知識だけは完璧に覚えていて、個人的な記憶だけが抜け落ちてるんだ。選択的記憶喪失にしても不自然すぎる。
しかも記憶が戻るタイミングが、ストーリー展開に都合の良い瞬間ばかり。読者が疑問に思った瞬間に、パッと記憶が戻って解決する。これを緻密な構成だと思ってるやつ、小説を舐めてる。
お前らはあの異星人との交流に感動したって言うが、あれのどこが深い友情なんだ。言語の壁を乗り越えて心を通わせる過程が、あまりにも表面的すぎる。
ロッキーの人格や価値観の描写が浅い。彼の種族の文化的背景も説明不足。ただの便利な相棒キャラでしかない。真の異文化交流を描くなら、もっと根本的な思考の違いや価値観の衝突があるべきだろう。
そして科学考証の甘さ。
ウィアーは火星の人で科学的リアリティが売りのはずなのに、この作品では科学的な無理がありすぎる。
まず、アストロファージの設定が破綻してる。太陽を食べる生物が、なぜ地球の生態系に壊滅的影響を与える程度で済むんだ。太陽の出力が下がったら、地球の軌道も変わるし、重力バランスも崩れる。氷河期どころの話じゃない。
それに、主人公が一人で宇宙船の全システムを把握して操作できるわけがない。現実の宇宙船は何十人ものスペシャリストが分業で運用してる。一人ですべてをこなせるスーパーマンなんて、リアリティの欠片もない。
記憶を失った科学者が宇宙で目覚めて、地球を救うミッションを思い出す。異星人と出会って友情を育み、協力して危機を乗り越える。最後は地球を救って帰還する。
これのどこに意外性があるんだ。プロットが教科書的すぎて、読んでる途中でオチが見えてしまう。真のSF小説なら、読者の予想を裏切る展開があるべきだろう。
そして一番致命的なのが、感動の押し付けがましさだ。
作者は露骨に読者の涙腺を刺激しようとしてる。ロッキーとの別れのシーン、地球への思い、科学への信頼。全部計算づくで、人工的な感動を演出してる。
本当に優れた小説は、感動を押し付けない。読者が自然に感情移入できる深い人間描写があって、初めて真の感動が生まれる。
主人公のグレース以外のキャラクターが、完全に道具でしかない。ストラット博士もヨー博士も、単なる情報提供装置。人間としての深みがない。
優れた小説なら、脇役にも血の通った人格がある。でもこの作品は、主人公以外は皆んな記号的な存在でしかない。
科学の力で危機を乗り越えるというテーマは分かりやすいが、それだけ。人間とは何か、文明とは何か、生命とは何か。そういった根源的な問いかけがない。
真のSF小説は、科学技術を通じて人間の本質を描くものだ。でもこの作品は、単なる問題解決小説でしかない。
お前らはベストセラーだから、評判が良いからって理由で名作だと思い込んでる。でも売れることと優れていることは別だ。
大衆受けする要素を詰め込んだ商業小説と、真に優れた文学作品は違う。プロジェクト・ヘイル・メアリーは前者だ。
もちろん、娯楽小説としては及第点かもしれない。読みやすいし、分かりやすい。でも名作と呼ぶには程遠い。
本当に優れたSF小説を読みたいなら、フィリップ・K・ディックを読め。アーシュラ・K・ル・グィンを読め。スタニスワフ・レムを読め。彼らの作品と比較すれば、ウィアーの浅薄さが分かるはずだ。
お前らがプロジェクト・ヘイル・メアリーに感動したなら、それはお前らの読書経験が浅いからだ。もっと多様な作品を読んで、本物の文学に触れてみろ。
きっかけは先週末のライブだった。 もっとも、あれをライブと呼んでいいのかはわからない。
あの退屈な数時間がライブなら、小学生の頃に同級生のゴダイ君がやっていたハサミ回し、通称メガドラゴンハサミトルネードだって立派なライブである。
とにかく、散々な週末だった。
先に断っておくと、普段から彼のことを推しと呼んでいるわけではない。
この文章を読んだギャルに、バカ読みやすくて草、と言われたいので、ここでは推しという言葉をあえて使っていく。
最初に見たのは寿司を買って食うだけのなんてことのない動画で、その妙な脱力感に惹かれた。
てっきり同い年くらいの大学生YouTuberかと思っていたが、しばらくたってから吉本に所属している芸人だとわかった。
推しは同期の芸人と合わせて三人で活動をしていた。三人ともそれぞれ魅力があったが、俺は断然推し推し、つまり推しのことが一番好きだった。
彼のことを一番面白いと思っていたし、俺も推しもシングル家庭で育ったという共通点があり、それで勝手に親近感を覚えていたというのもある。
余談だが、親戚がいない者にとって夏休みほどその現実を思い知らされるものはない。
俺はこの話になるといつも、小学校に上がりたてだった頃に見た光景を思い出す。
昼下がり、プールの更衣室でクラスメイトたちが夏休みの予定を楽しそうに話していて、俺はそこではじめて、世の中の家庭には祖父母の家に遊びにいく習慣があることを知った。
俺は哀れみの目を向けられることを恐れ、とっさに「来来来来来週いく」と嘘をついた。作り笑いをすると頬がピクピクと動くことをはじめて知ったのもそのときだった。
更衣室に充満した塩素の匂いのせいで、鼻の奥のあたりがツンとした。
推しを見ていると、プールの更衣室で顔を引きつらせていた俺の少年時代が、少しずつ救われていくような気がした。
もしここにゴダイ君がいたら、アルティメットホワイトヒーロー、と彼のことを呼んだだろう。
推したちはあれよあれよという間に数十万人のフォロワーをかかえる人気YouTuberとなった。
芸人のライブは女性客が大半だとうわさに聞いていたのでひょっとすると場違いなのではと案じていたが、意外にも男性客はたくさんいた。
ずらりと埋まった客席に彼らの人気ぶりが伺えた。はじめて生で見る推しの姿に思わず胸が熱くなったのを覚えている。
そして数ヶ月後の全国ツアーも発表され、ギャルの言葉を借りるなら、コイツらの未来ガチ明るすぎなんだが、と思っていた。
しかし、油断すんなし。
公式から突然「スタッフになりたいファンを募集する」と発表されたのである。
ファンを?
スタッフに?
好意的に受け止めるファンもいたようだが、俺の中のギャルは、マ?大丈夫そ?と不安げな表情をしていた。
そもそも推しのライブは、元テレビ局員だという外部のプロデューサーがすべてを取り仕切っていて、どうやら彼の手伝いをしてくれる人を探しているようだった。
当該ポストがすでに消えているため確かめるすべがないのだが、たしか応募する際には得意分野をアピールしてほしいと書かれていたはずで、プロデューサーはそういった条件から、言うなれば精鋭の「ファンスタッフ」集団を選抜した。
そんな中、全国ツアーはおこなわれた。
会場は前回の倍以上も広くなり、俺と推しとの距離はずいぶんと遠くなってしまったが、彼は相変わらずアルティメットホワイトヒーローだった。
が、しかし。
いや、やはりというべきか。
ファンスタッフが生まれたことをきっかけに、「推し」「運営」「ファン」の境界線がどろりと溶けだしたのである。
精鋭のファンスタッフとはいえ、普段の彼女たちは「最高すぎた♡」「好き♡」などと発信しているただのファンにすぎない。
しかし、ライブ後には一転して「ご覧いただきありがとうございました。皆様のおかげで〜」と運営らしくふるまうのである。
ファンと運営とを都合よく行き来する様子に、首をかしげる者も少なくなかった。
そして同時に「推し」と「運営」との線引きも曖昧になり、なれあいが加速した。
言うまでもないがファンが見に行っているのは推しであり、推しのサポートをするのが運営である。
しかしあろうことか、プロデューサーやファンスタッフは自らステージに上がり、推したちと肩を並べて公演に参加するようになった。
こうなってしまうと、もはや「推し」と「ファン」との境界線などあったものではない。
本来なら外に出ないはずの情報を、ファンスタッフたちはレポと称してSNSで得意げに公開した。
たとえば推したちから受けた細かな指示のことから、ステージ裏で見た彼らの姿まで。
こうなると気になるのは一般ファンの反応だが、我々は大きく二つに分かれた。
俺に限って言えば、推しと公式以外のフォローをすべて外すことにした。俺が求めていたのはあくまで推しと俺というシンプルな関係だけだった。
中には推すこと自体をやめてしまった人もいたのだろうが、彼らは大抵静かに去った。
彼らは仲間になるためにプロデューサーやファンスタッフの仕事ぶりをこれでもかと持ち上げた。
それで気をよくしたのだろうか、スタッフたちは音声配信やオフ会などの交流を盛んにおこなうようになり、SNS上での存在感をさらに高めていった。
さて、今回の本題であるライブが発表されたのは、まさにこの混沌のさなかのことであった。
発表されたライブ情報を見てまず気になったのは、会場の規模が前回の半分ほどになっていたことである。
販売サイトに表示された「残席余裕あり」の文字はいつまで経っても変わらず、公式SNSには「残りわずか、お早めに」と景気のいい謳い文句が並んでいたが、やがてひっそりと消えた。
会場へと向かう電車の中で、俺は以前フォローしていた人たちのアカウントを久々に覗いた。
「今日楽しみ」「グッズ列やば」と何一つ変わらない様子のアカウントもあれば、半年以上放置されアイコンの上に埃が溜まっているようなアカウントもあった。
車窓の向こうには知らない町が見える。
降りる駅はまだまだ先だったが、ずいぶんと遠くまで来てしまった気がした。
その日の東京は38度を超える猛暑日で、会場へと辿りつく頃には、俺の顔はほとんどアイスクリームのように溶けていた。
人だかりを抜けてロビーへと向かうと、ちょうどそこにはプロデューサーがいて、複数のファンに写真をせがまれているところだった。
プロデューサーは待ってましたとばかりに撮影に応じ、それから二、三言葉を交わすと、さながら池の魚にエサでも与えるような手つきでキャンディを配った。
これはあとから聞いたことだが、どうやらプロデューサーとのひみつの合言葉を伝えた者だけが貰えるキャンディだったらしい。
手渡されたキャンディに喜ぶファンたちの姿は、まるでパクパクと口を開けてエサをねだる魚のように見えた。
ならばこの場所は底の見えない不気味な池といったところか。
もしここに小学生の頃のゴダイ君がいたら、きっとプロデューサーに近づいて、デュクシ、としただろう。
でも俺は大人なのでやらない。
そして誰かが言っていたように、グッズを求める人たちの列は延々とつづいていた。
その列の先では、ファンスタッフだろうか、ひとつひとつ電卓を叩いている姿が見える。
開演までには明らかに間に合わない。
どこからかハンディファンの風が吹いてきて、生ぬるい空気が頬に触れた。
そしていよいよ幕が上がる。
正直なところ、このときの俺には彼らに寄せる期待などほとんど残っていなかった。
だから公演のさなかにプロデューサーがいそいそとステージに上がったときも、そしてなぜかひとりで踊り始めたときも、もはやがっかりする気力すらなかった。
それでも推したちに対しては、心のどこかでわずかに期待を抱いていたのだろう。
彼らの、打ち合わせもリハーサルもろくにせずに臨んだことが一目でわかるような終始ぐだぐだな空気感と、そしてそれを隠そうともしない姿を目の当たりにして、自分の目から急速に光が失われていくのがわかった。
それから推したちは客席のひんやりとした空気を察したのか、「これにいくら払ってるの?」「返金しないと」などと冗談めかして笑った。
俺の席は前回よりもはるかにステージに近かったはずだが、推しの姿はずいぶんと遠くに感じた。
帰り際、ぽっかりと空いた二階席の後方あたりが目に入り、かつてそこにいた人たちのことを思い浮かべた。
数ヶ月前のことである。
「三人のことを見たいのにスタッフの声が耳障り」と。
それだけならさして話題になることもなかっただろうが、このコメントに推し本人が返信をしたことで、にわかに注目を集めた。
「もう今後見ないでください」
やがて書き込みは跡形もなく消えた。
そしてそこには「言ってくれてありがとう」「こういうとこ好き」などという称賛ばかりがいつまでもこだました。
この人の胸中を思うと、ひどくやるせない気持ちになる。
ゴダイ君がイップスを発症し、泣く泣くメガドラゴンハサミトルネードからの引退を余儀なくされたときと同じくらい、切ない。
ただひとつ、俺に言えることがあるとすればこの場所はどこまでいっても「彼ら」の池だということだ。
彼らというのは、この池の水温も生態系も、それからキャンディの味すらも愛してやまない魚たちのことで、そうじゃない魚は波を立てずに去るよりほかない。
あいにく俺たちは人間で、背びれも尾びれも持たないが、どこへでも泳いでいける自由ならある。
そして一週間が経った。
真夜中のコンビニを出ると、先週よりもずいぶんと涼しくなっていて、あの頃の夏を思わせる。
あれは何年生のことだっただろうか。
俺の通っていた小学校では夏休み明けにラジオ体操カードを提出しなければならなかった。
クラスでたった一人、俺だけが満点花丸の皆勤賞で、担任の先生はご褒美に特別なキラキラシールを貼ってくれた。
クラスメイトたちは口々に羨ましがったが、俺にとっては彼らの空白だらけのカードの方がよっぽど羨ましかった。
それからクラスメイトたちは、テレビもゲームも禁止されていた祖父母の家がいかに退屈だったかを話し、テレビを何時間見ても怒られない俺の生活がどれほど恵まれているかを熱く語った。
俺は大人ぶって「あの深夜のアニメのヒロインがさ」などと言ってみたりしたが、むなしくなるのは自分だった。
俺が本当に見たかったのは、彼らの語る変な匂いのする畳の部屋だとか、吠えてばかりの犬だとか、星しか見えない田舎の夜なのだということは、結局誰にも言えなかった。
しかしあの頃の記憶を思い出すのは、昔ほど嫌なことではなくなっている。
ゴダイ君は元気だろうか。
少年時代の俺を助けてくれたのはキラキラシールでもなく、アニメのヒロインでもなく、いつか未来で出会うアルティメットホワイトヒーローだった。
心地よい風が吹き、季節は秋へと向かう。
以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者が学術誌の査読(ピア・レビュー、同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げたデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌に受理された。
このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。
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1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小な関係者の姿をアナロジカルに揶揄している。
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2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり、特定のコミュニティの支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教の偶像崇拝にすぎないことを示唆している。
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3.投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換の議論がデマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化の選択肢があることを付け加えたい。
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4.敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてなの投稿を分析すれば論文が書けるかもしれない。
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この論文「概念的なペニスは社会構成物である」は、ジェイミー・リンゼイとピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダー・アイデンティティ、生殖に関するアイデンティティ、社会および家族の力学に深刻な問題を引き起こし、女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプの普遍的な原因であり、さらに気候変動の概念的な原動力であると結論付けています[2-4]。
伝統的に、ペニスは男性の生殖器または性器として圧倒的かつ議論の余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間の経験の多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。
この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性の生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者を強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニスを生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。
さらに重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的な有害な常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器(ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性の性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間の表現の多様性という重要な事実に照らして、ペニスを具体的に男性の解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討が喫緊に必要であるとされます[6]。
著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニスは解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である「概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為や発言を通じて社会で確立されるペニスの操作的な表現です[6]。
この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理と鏡像のように一致しているということです。
特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10,11]。マチスモは本質的に攻撃的な男性のプライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質を意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性の権力ダイナミクスを遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。
この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな男性が権力のない主体的な立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。
この主体としての役割は、男性が性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女はもっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニスを女性の経験の知覚された主体に変え、概念的なペニスを男性のジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニスを主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。
この傾向は、性的なアイデンティティが根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリンな男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキーを強制し、自己を認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニーの分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニスと睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニスを遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理的空間の占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。
マチスモはハイパーマスキュリンな本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代の思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマと自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人やアセクシュアルな個人にも関連性を持たないため、ペニスは既存の男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。
概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティの特定の有害なテーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニスと識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。
著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在の資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス、特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学、政治、経済の言説におけるハイパーマスキュリンな支配と、生態系への修復不能なダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニスの役割を認識することによって最もよく捉えられます[19]。
特に、資源を安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき、概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会が地球の生態系にメタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。
この問題のある傾向の根底にある理由は、現代の資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学と社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義的唯物論の支持に自身を適用します[20]。この新資本主義的唯物論は、特に炭素排出の化石燃料技術の無制限な使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。
この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンなペニス中心の視点を避けるように、政治や科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。
結論として、著者らは、ペニスは男性の性器や生殖器として理解されるべきではなく、むしろPermalink |記事への反応(0) | 19:03