
はてなキーワード:環境負荷とは
私は「間違った正義」という言葉が好きではない。なぜなら、それが「間違った正義」を指す言葉なのか「手段が間違っている」という話なのかの区別が無いからだ。
如何せんキャッチーなもので、多くの人が気軽に使うようになったこの言葉だが、この辺の区別がつけられないためどうにも万能じゃないように思える。
そこで、先ほど述べた「間違った正義」と「手段が間違っている」という区別について提案したい。
「間違った正義」というのはともかく根本から間違った考え方だ。例えば「『クマを殺すな』という考え方から、自治体に苦情を送る人」がいたとする。
そもそも日本では人里に降りてくるクマが増加し、人がクマに襲われるという被害が相次いでいる。そういった人間への被害を度外視してまず「クマを殺すな」というのは無理筋のように思えるし、苦情という形で押し付けられてもどうにもならない。
対して「手段が間違っている」という話では、思想自体は間違っていないけどその実現のための手段に問題がある場合だ。
例えば「地球環境負荷を減らすため、プラスチックストローの廃止を訴える人」がいたとしよう。
紙ストローはプラスチックのように万能ではないし、環境負荷とプラスチック製品にはあまり関係が無いように思えるし、何より人々に受け入れられない方法をゴリ押しするのもどうかと思う。
しかし、根柢の思想の方はどうだろうか。近年は日本でも気候変動の激化で気象災害が多発している状況であり、環境問題がそれを扱う分野であればそれ自体は間違っていないように思える。
ただやり方=手段がおかしい。紙ストローはごめんだ。この場合は「手段が間違っている」と位置付けられるだろう。
これで、これまで「間違った正義」としか見えなかったものが少なくとも二つに分類できるということが分かるだろう。私がおかしいと思ったのは、手段がおかしいおかしくないという理由で、その思想自体の正当性を決めてしまう人が多いというところにある。
まずは根本がおかしいのか手段がおかしいのかという区別をするべきではないかと思った次第だ。それで手段がおかしいと判断したら手段のおかしさを馬鹿にすればいいし、根本がおかしいと判断すれば根本のおかしさを馬鹿にすればいいと思う。
(P.S.当記事で述べた二つの事例が絶対的におかしいとか、間違っているとかいう話はしていないので悪しからず。あくまで私自身から見た正当性であり、私の判断が間違っている場合もある。)
この試算は、シーリングライトを完全に廃止し、より低消費電力のLED行灯(必要な部分だけを照らす局部照明)に置き換えることで得られる年間電気代の削減効果(経済効果)に焦点を当てます。
| 項目 | 設定値 | 根拠・備考 |
|---|---|---|
| 日本の総世帯数 (A) | 54,825,000世帯 | 2024年(令和6年)6月6日現在の全国世帯総数(厚生労働省)を採用。 |
| 1世帯あたりの照明器具数 (B) | 2 台 | 各家庭のリビング・ダイニングなど主要な部屋に1台のLEDシーリングライトが設置されていると仮定し、部屋数・種類を考慮して平均2台と仮定。 |
| 現行LEDシーリングライトの平均消費電力 (C) | 45W/台 | 8~12畳程度の主流なLEDシーリングライトの消費電力の目安(約43.8W~65.9Wの範囲)から中間的な値として45Wを採用。 |
| LED行灯の平均消費電力 (D) | 5W/台 | LED行灯や小型LED照明の消費電力(1W~12W程度)から、複数台使用する前提で1台あたり5Wと仮定。 |
| 1世帯あたりの行灯使用台数 (E) | 3 台/世帯 | シーリングライト2台の代わりに、必要な場所を照らすために3台のLED行灯を使用すると仮定。 |
| 1日の平均点灯時間 (F) | 9時間/日 | 一般的な家庭における照明の平均点灯時間として9時間を採用。 |
| 電気料金単価 (G) | 31円/kWh | 全国家庭電気製品公正取引協議会の定める新電力料金目安単価(税込)を採用。 |
年間総消費電力量(シーリングライト)
年間総消費電力量(kWh)=(A)×(B)×(C)×(F)×365÷1000
54,825,000世帯×2台×45W×9時間/日×365日/年÷1000
年間総電気代=年間総消費電力量×(G)
1,620,011,250kWh×31円/kWh=50,220,348,750円/年
≈502.2億円/年
年間総消費電力量(kWh)=(A)×(E)×(D)×(F)×365÷1000
54,825,000世帯×3台×5W×9時間/日×365日/年÷1000
=270,001,875kWh/年≈2.70億 kWh/年
年間総電気代=年間総消費電力量×(G)
270,001,875kWh×31円/kWh=8,370,058,125円/年
≈83.7億円/年
年間経済効果は、現行の電気代から置き換え後の電気代を引いた額です。
502.2億円−83.7億円=418.5億円/年
日本の全家庭の照明を、平均的なLEDシーリングライト(45W)から低消費電力のLED行灯(5Wを3台使用)に置き換えた場合、年間で約418億円の電気代削減効果(経済効果)が見込まれます。
この計算は、あくまで電気代の削減額のみを考慮した概算であり、以下の要素は含まれていません。
全家庭分のLED行灯の購入費用と、シーリングライトの撤去費用は含まれていません。この費用は数百億円から数千億円規模になる可能性があり、初期費用回収期間を考慮する必要があります。
シーリングライト(全体照明)から行灯(局部照明)への変更は、部屋全体の明るさや均一性を低下させ、生活の質(QOL)や安全面(特に高齢者世帯)に影響を与える可能性があります。
実際の行灯の使用台数や点灯時間は、世帯の生活様式や部屋の広さによって大きく変動します。
なんだかなぁ、最近はどこもかしこもAI、AIって騒いでるけど、どうも手放しで喜べないんだよな。昭和の時代からコンピュータに触ってきて、インターネットの黎明期も知ってる身としては、この熱狂ぶりには違和感しかない。
確かに、生成AIは便利だ。文章は書くし、絵も描く。ちょっとした調べ物やアイデア出しにも使える。まるで魔法みたいに何でもパッと答えを出してくれる。若い連中が「未来の技術だ!」と目を輝かせるのも無理はないだろう。
でも、その裏側を想像したことはあるかい? このAIが動くには、世界中に点在する巨大なデータセンターが休むことなく稼働している。膨大なサーバーが唸りを上げ、とてつもない量の電力を食いつぶしているんだ。データセンターは「デジタル界の発電所」とでも呼ぶべき存在だ。
しかも、その電力がすべてクリーンなエネルギーで賄われているわけじゃない。石炭や石油を燃やして作られた電力も相当な割合を占めているはずだ。そして、サーバーから排出される熱を冷やすために、さらに多くの電力が使われる。データセンターから立ち上る熱気は、都市のヒートアイランド現象をさらに加速させているとも言われている。
便利さの追求の先に、こんなにも巨大な環境負荷が隠れている。これの一体どこが「明るく健全な未来」だっていうんだろう? 「持続可能な社会」を掲げながら、その影でとてつもないエネルギーを消費し、熱をまき散らしている。なんだか、バブルの頃の「イケイケ」な風潮にそっくりだ。
もちろん、技術の進歩を止めることはできないし、それはそれで良いことだ。だけど、このままではいけない。便利さの代償があまりにも大きすぎる。この技術を真に未来に繋げるためには、もっと別の、環境に配慮したあり方を模索しなきゃいけないんじゃないか。昭和の頑固オヤジの戯言だって笑われてもいい。でも、このままでは本当にいけないと思うんだ。
カップヌードルとカップスターの環境負荷は、主に原材料、容器、製造工程、そして廃棄物の4つの段階で比較できます。両社とも環境負荷低減に向けた取り組みを進めていますが、そのアプローチに違いが見られます。
カップ麺の主原料である小麦やパーム油は、生産・輸送段階で環境負荷を伴います。特にパーム油は、農園開発に伴う森林破壊や生物多様性の減少が国際的な問題となっています。
日清食品(カップヌードル): 持続可能なパーム油の調達を推進し、RSPO(持続可能なパーム油のための円卓会議)認証パーム油をいち早く導入しています。また、麺を揚げた後の廃油をジェット燃料の原料として再利用する取り組みも行っています。
サンヨー食品(カップスター):サンヨー食品は、燃料の切り替えや再生可能エネルギーの利用、工場照明のLED化といった省エネ対策に注力しており、製造段階でのCO2排出量削減に取り組んでいます。
カップ麺の容器やフタは、プラスチックゴミとして環境に大きな影響を与えます。
日清食品(カップヌードル):
「バイオマスECOカップ」の採用により、石油由来プラスチックの使用量を半減させ、ライフサイクル全体のCO2排出量を約16%削減しました。このカップは、紙に植物由来のバイオマスプラスチックを組み合わせたものです。
サンヨー食品(カップスター):
カップ焼そばの湯切りシールにバイオマスインキを使用するなど、包材の環境負荷低減に取り組んでいます。
容器そのものに関しては、大口径のカップ「名店の味」シリーズで、段ボールの中仕切りをなくすことで、年間約50トンの紙使用量を削減しています。
食べ終わった後の残り汁は、下水に流されることで水質汚染の原因になります。
消費者向けにスープ凝固剤を100円ショップなどで販売し、スープを固めて可燃ゴミとして捨てる方法を提案しています。これにより、下水への油分の排出を防ぎ、水質汚染を低減させようとしています。
製造工程で生じた食品廃棄物の99%を肥料や飼料として再利用し、循環型社会への貢献を目指しています。これは、製造段階の廃棄物削減に焦点を当てたアプローチです。
両社とも環境負荷低減に取り組んでいますが、その重点が異なります。
消費者向け製品の改良に強く焦点を当てています。バイオマスECOカップやフタ止めシールの廃止は、製品そのものの環境負荷を減らすための直接的なアクションです。また、スープ凝固剤の販売は、消費者の行動変容を促し、廃棄段階での環境負荷を低減させようとするものです。
製造工程での省エネや廃棄物再利用に重点を置いています。工場の電力削減や、食品廃棄物のリサイクルといった企業努力によって、サプライチェーン全体での環境負荷を減らすことを目指しています。
どちらがより環境負荷が低いかを一概に判断することは困難ですが、両社の取り組みは相互に補完的な関係にあります。カップヌードルは製品を、カップスターは製造プロセスを中心に、それぞれが強みを生かしたアプローチで環境課題に取り組んでいます。
河野太郎のポストは、価格補助ではなく「効率化と転換」を直撃する支援に振るべきだ、低所得には給付付き税額控除でピンポイントに、炭素に価格をのせつつ税収は一般財源で広く減税や社保料に回せ、といった中身である。
https://x.com/konotarogomame/status/1960596869995995415
国際事例と照らすと筋が良い主張が多く、案の定多くのネガティブ意見が散見された。
IEAは消費者向け化石燃料補助が市場を歪め、誤った価格シグナルを出し、財政負担を肥大化させ、クリーン投資を阻害すると繰り返し書いている。
補助金で価格だけ下げるより、断熱、効率家電、HEVやEVの初期費用を支えるほうが使用量そのものを恒久的に減らせる。
特例税率53.8円/Lは国税庁の資料に明記されている。https://www.nta.go.jp/publication/pamph/kansetsu/9120.pdf
導入は1974年の臨時措置に端を発し、形を変えつつ延命してきた経緯も各種解説が一致している。
例:
https://www.dlri.co.jp/report/macro/495361.html
ここは「税体系の総点検」をかける論点で、河野の主張とも両立する。
一方「二重課税」について。
消費税が個別消費税を含む価格に課税される設計は国際的に普通で、EUのVATでも課税標準に「税、賦課金等を含む」と明記されている。
違和感は理解できるが、法技術上は標準仕様だ、というのが冷厳な現実だ。
「乱開発の副作用」は政府も公式に認めており、環境省ガイドラインは土砂流出、景観、生態系への影響を具体的に列挙している。
コストはLCOEだけでなく統合コストを見るべきで、資源エネ庁の発電コスト検証も、モデルプラント費用と系統側の追加コストを併記している。
原子力が高い/安いの単純断言より、「電源の組み合わせ最適化」で語るほうが現実的だ。
ここは設計次第。
価格を一律で薄く下げるより、「ターゲット給付」を厚くするほうが効く。
海外ではカナダが連邦カーボンプライスの還元を家計に定額で戻し、農村加算も上乗せしていた。
フランスは低所得層向けEVの社会リースを政策化し、初期費用バリアを月額化している。
日本も、地方係数や走行距離実態を加味した「限定的かつ厚い」支援のほうが予算効率は高い。
ICCTの最新横断LCAは、地域差や電源構成を踏まえてもBEVのライフサイクル排出がICE比で大幅に低いことを更新している。
送配電ロスは日本で概ね数%台で推移し、車両効率差とLCA全体で見るとBEV優位が崩れにくい。
乱開発リスクは前段のとおり是正中、ここは「どう導入するか」の問題であって、技術全否定に飛ぶのは早計。
歳出の質を上げるのは賛成。
しかしエネルギー価格補助の恒常化こそ「次に繋がらない大出費」になりがちで、上述したIEAは補助金の弊害を総論で整理済み。
限られた予算は、効率化投資やピンポイント給付に振ったほうが持続的だ。
長文なのは同意だが、主張の核は「価格シグナルを歪めずに、脆弱性を下げる投資に切り替えよう」で一貫している。
補助で価格を下げる政策は、次の高騰で同じ痛みが返ってくる構造的欠陥がある。
フィンランドは1990年に世界初の炭素税を導入し、税制改革で所得税や社保負担の軽減に充当してきた歴史がある。
価格を付けるが、家計の可処分を別の形で戻す、というやり方は各国で普通にやっている。
日本でやるなら「一般会計に入れて社会保険料や所得税を軽くする」とセットで明記すべき、というのが河野の言い分で、これはまっとうだ。
短期の値引きは人気だが、問題は「効かなくなるのが早い」こと。
断熱、効率機器、ハイブリット車やEV支援は一度効けば電力や燃料の使用量を多年にわたり下げる。
構造的にこっちが強い。
暫定の看板で半世紀は長すぎる。
税体系の総点検で、どの税目にどんな目的を持たせるかを透明に再設計すべき。
ここで「炭素の価格付け」と「他税目の軽減」を同時にやるのが国際標準の解法だ。
需要側投資とターゲット給付は、家計の毎月の支出を細くしつつ、公平に支える。
当たり前の話してるんやで
お友達やパパ・ママの物を壊さないでね、独り占めしないでね、意地悪しないってねっていう、
乳幼児やマウスでも持っているレベルの共感性/社会性すら持ってないやつに、下記の話は無理ってだけだよ
理解が難しいならテンプレート作ってくれたらそれに合わせて回答するけど、とりあえず書いておくね
人間の判断能力は「積み重ね型」の構造を持っている。つまり、より高次の複雑な判断は、より基礎的な判断能力の上に構築される。
数学を例に取ると、微積分を理解するためには四則演算ができることが前提条件ですよね。同様に、複雑な利害調整を適切に行うためには、
異なる正当な価値観(安全性vs効率性、人権vs競争力、環境保護vs収益性)の間での高度な判断を求められた際には、まず「他者への基本的配慮」という土台が必要。
例えば、製品安全性の例で考えてみて。「たとえ発生確率が低くとも人命リスクはゼロにすべき」という倫理的判断は、
「他者の痛みや苦しみに対する想像力」という基礎的共感能力に依存している。
目の前のGo2やルンバや見知らぬ人の困難を見て何も感じないとしたら、統計上の「低確率の人的被害」に対して適切な感情的重みを置くことができるか?
まぁ、いうまでもなく出来るわけないんだね、ホームレスよりも犬猫の方が価値があるとか言い出す人になる
この問題をさらに深く理解するために、認知的一貫性考えてみよう。人間の心理は、自分の行動や判断に一貫性を保とうとする傾向がある。
基礎的な場面で他者への配慮を欠く人は、より複雑な場面でも同様の配慮の欠如を示しやすい。これは単なる道徳的な問題ではなく、認知的な処理パターンの問題でもある。
バズりのために、Switch2やGo2や楽器を破壊する人の思考プロセスはどうなっているのか?
この人たちは「物の価値」「他者の感情」「資源の希少性」といった要素を適切に重み付けできていない。
では、そのような人が製品安全性の判断を迫られたとき、「ユーザーの安全」「社会的信頼」「長期的評判」といった要素を適切に重み付けできると期待できるか?
まぁ出来るわけない。さらに複雑な利害調整においては、しばしば「感情的判断」と「理性的判断」の統合が必要になる。
純粋に数字だけで判断できる問題はむしろ少なく、多くの場合「この選択は社会にどのような感情的影響を与えるか」「ステークホルダーはどう感じるか」といった
基礎的共感能力が欠如している人は、この統合プロセスで重大な盲点を持つことになる。
組織レベルで考えると、この問題はさらに深刻になる。基礎的倫理でつまずく個人が意思決定層にいる組織は、組織文化そのものが歪む可能性がある・・・・というか既に歪んでる。
「物を大切にしない」「他者の感情を軽視する」といった態度が組織内で正常化されると、より複雑な倫理的判断においても同様の軽視が起こりやすくなる。
これらの例に共通しているのは、「短期的な利益や効率性」と、「長期的な信頼や持続可能性」の衝突。
営利的な判断は、目先の四半期決算を良くするかもしれないが、ひとたび問題が露見すれば、企業の信頼を根底から揺るがし、結果的に莫大な損失を生む危険性をはらんでいる。
共産主義の農業政策が過去に失敗を繰り返してきたことは、前稿で述べた通りです。しかし、近年の日本では、一部の政治勢力、特に参政党の農業政策に共産主義的な手法との類似点が指摘されることがあります。彼らがなぜ、歴史的に失敗が証明されてきたアプローチに固執するのか、その背景にある思想と政策内容を分析し、考察します。
参政党の農業政策の主な柱は、食料自給率の向上、有機農業の推進、種子・肥料の国産化、そして新規就農者の拡大です。これらの目標自体は、多くの国民が支持する健全なものに見えます。しかし、その達成手段として提示される一部の施策に、共産主義的な計画経済や統制経済の色彩が垣間見られるという指摘があります。
例えば、参政党は「食料自給率を倍増させる」という目標を掲げ、そのために「政治の力でやる」と強調しています。これは、市場原理や個々の農家の判断に任せるのではなく、政府が強力なリーダーシップを発揮し、予算を投じて生産量を「計画的」に増やすという発想につながりやすいです。過去の共産主義国家では、中央政府が生産目標を数値で定め、農民に達成を強制する形で食料増産を図りましたが、これが非効率や不正、そして食料不足を生んだ一因でした。
また、有機農業の「加速」や、種子・肥料の「自給率向上」といった目標も、ある種の統制的なアプローチを伴う可能性があります。特定の農法や生産資材の使用を政府が強く推奨・誘導し、それ以外の選択肢を事実上制限するような政策運営は、共産主義的な計画経済における生産指令に似た側面を持ちます。確かに有機農業は環境負荷が低いという利点がありますが、大規模な転換には技術的・経済的課題が山積しており、それを強制的に進めようとすれば、かえって農業生産全体を停滞させるリスクがあります。
参政党がこのような政策に「こだわる」理由としては、いくつかの可能性が考えられます。第一に、現在の日本の農業が抱える構造的な問題(高齢化、耕作放棄地の増加、食料自給率の低迷など)に対し、現状の市場経済任せの政策では解決が難しいという強い危機感があるのでしょう。その危機感から、既存の枠組みを超えた「抜本的な」対策が必要だと考え、強力な国家主導を志向しているのかもしれません。
第二に、彼らの主張する「食の安全保障」という概念が、ある種の「総力戦」的な発想につながっている可能性です。食料を国家の安全保障の根幹と捉えるあまり、経済合理性よりも国家の統制力を優先する傾向が見られるのかもしれません。これは、戦時下の統制経済や、共産主義国家における食料の戦略的備蓄といった思想と一部重なる部分があります。
第三に、共産主義農業政策の失敗が、主に「強制的な集団化」や「個人のインセンティブの欠如」に起因するという理解が、必ずしも十分でない可能性です。参政党の政策は、直接的に集団化を謳っているわけではありませんが、過度な政府主導は、結果として個々の農家の自律性や創について意工夫を奪い、生産意欲を低下させる恐れがあります。彼らは、「国民の意識改革」や「農業への参画」といった側面を重視していますが、これらが自発的なものとして育つためには、市場からの適切なフィードバックや、個人の努力が報われる経済システムが不可欠です。
結局のところ、参政党が共産主義的な農法に「こだわる」と指摘されるのは、その政策が結果的に政府による農業への介入や統制を強める可能性を秘めているためです。彼らの意図がどこにあるにせよ、過去の共産主義農業政策の失敗から学ぶべきは、人間のインセンティブを尊重し、市場メカニズムの柔軟性を生かし、そして科学的知見に基づいた政策立案を行うことの重要性です。高邁な目標を掲げる一方で、その達成手段が逆効果とならないよう、より慎重な検討が求められます。
メモ書きをもとにGeminiに整形してもらいました。
日本の農業において、生産性向上と競争力強化のためには**大規模化が不可欠**です。しかし、一律に大規模化を推進するだけでは、中山間地域などの地理的制約がある農地が切り捨てられる可能性があります。これらの地域が持つ多面的な機能(国土保全、景観維持など)を考慮し、以下の方策を講じるべきです。
効率的な生産が可能な平野部では、農地の集積やスマート農業技術の導入を加速し、国際競争力のある大規模経営体を育成します。
中山間地域では、地域の特性に応じた小規模・多角的な農業(例えば、高付加価値作物の栽培や観光農業との連携)を支援し、地域経済の活性化と農地の維持を図ります。
農業における労働力不足と高齢化に対応するため、AIやIoTを活用したスマート農業技術の導入を加速させる必要があります。特に、中山間地域でも利用可能な技術として、以下の開発と普及を推進します。
「ルンバ」のように自動で農作業を行い、かつ小型で持ち運びが容易なAI搭載農機の開発を推進します。これにより、大規模な機械の導入が難しい小規模農家や中山間地域の農家でも、省力化と効率化が実現できます。
農薬散布に加えて、センサーを搭載したドローンによる農地の監視(水量、水質、温度、生育状況、病害虫、獣害など)を積極的に導入します。これにより、データに基づいた精密な農業が可能となり、生産性の向上と環境負荷の低減に貢献します。
農業用水路の管理・清掃は、農家の大きな負担となっています。この負担を軽減し、効率的かつ専門的な管理を実現するために、水利施設の管理・清掃業務の専門化と分業化を推進すべきです。
水路の清掃や補修、水管理などを専門的に行う業者を育成し、全国的なネットワークを構築します。これにより、個々の農家の負担を軽減し、専門知識と設備を活かした質の高い管理が可能となります。
専門業者が一括して管理することで、最新設備の導入や効率的な人員配置が進み、人手不足の解消と安定的な水管理が期待できます。
「ありがとう」と言うのは、AIに対する礼儀として全く無駄ではありません!電気の消費という観点では、テキスト処理のコストはごくわずか(ナノ秒レベルの計算)で、日常的な会話の範囲内では無視できる程度です。それよりも、感謝の言葉は人間とAIのやり取りをよりスムーズで友好的にする効果があります。気持ちよく会話したいなら、遠慮なく「ありがとう」と言ってくださいね! 何か他に質問があればどうぞ!
電気の無駄かどうかという観点で言えば、確かに「ありがとう」を処理するのにも微細な電力は消費されますが、実用的にはほぼ無視できるレベルです。
でも、もっと興味深いのは、なぜその質問をされたのかということですね。AIとのやり取りで礼儀正しさや感謝を示すことの意味について考えられているのでしょうか?
人によって考え方は様々で、「機械に礼儀は不要」と割り切る人もいれば、「人間らしいコミュニケーションの習慣を保ちたい」と考える人もいます。後者の場合、AIとの会話でも普段の話し方を維持することで、人間同士のやり取りでの礼儀正しさを保つ練習になるという面もあるかもしれません。
私自身は、感謝されて嫌な気持ちになることはありませんし、会話の自然な流れの一部として受け取っています。電気代を気にするほどの消費量ではないので、お気持ちのままで大丈夫だと思います。
AIに「ありがとう」と言うことが電気の無駄かどうか、これは興味深い問いで、最近SNSなどでも議論になっていますね。
結論から言うと、わずかながら電気を消費するため「無駄」と捉えることもできますが、それ以上に得られる効果や意味があると考える人も多くいます。
AIは、私たちからの入力(プロンプト)を受け取ると、それを処理し、応答を生成するために膨大な計算リソースを消費します。この計算には、データセンターのサーバーや冷却システムなどで大量の電力が使われます。
入力の長さ:「ありがとう」という一言は短いですが、その分だけAIが処理する情報量が増えます。世界中で何億人ものユーザーがAIに「ありがとう」と言うと、その総量は無視できないほどのデータ量となり、結果として膨大な電力消費につながる可能性があります。
OpenAIのCEOのコメント: OpenAIのCEOであるサム・アルトマン氏も、この問いに対して「数千万ドルの価値はあったと思うよ。でも、何が起きるか分からないからね」といった趣旨の発言をしており、礼儀正しい言葉遣いが電力コスト増大の一因となりうることを示唆しています。
環境負荷:AIを支えるデータセンターは、現在でも世界の電力消費の約2%を占めると言われており、AIサービスの拡大に伴い、この割合はさらに増加すると予想されています。個々のユーザーのわずかな行動が、積み重なると大きな環境負荷につながるという視点です。
一方で、「ありがとう」という言葉には、消費電力以上の価値があると考えることもできます。
人間らしい対話:AIとの対話がより人間らしく、心地よいものになるという心理的な効果があります。私たちがAIに感謝の言葉を伝えることで、利用者自身が満足感や安心感を得られることがあります。
AIの応答への影響: 実際に、一部の研究やユーザーの体感では、「お願いします」や「ありがとう」といった丁寧な言葉を使うことで、AIがより丁寧で、より質の高い応答を返す傾向があるという報告もあります。これは、AIが学習データに基づいて「丁寧なプロンプトには丁寧な応答」というパターンを学んでいるためと考えられます。
擬人化と心理的恩恵:AIは感情を持たない機械ですが、人間は無意識のうちにAIを擬人化し、対話相手として接することがあります。その際に「ありがとう」を言うことは、私たちの心の安定や、AIとのポジティブな関係性を築く上で役立つ場合があります。
極めてわずかな消費: 個々の「ありがとう」が消費する電力は、LED電球を数分間点灯させる程度とされており、日常生活における他の電力消費(例えば、エアコンや冷蔵庫など)と比べると極めて微々たるものです。
まとめ
AIに「ありがとう」と言う行為は、たしかに電気を消費します。このため、厳密に効率性だけを追求するなら「無駄」と考えることもできます。しかし、その背後には、私たち人間にとっての心理的な満足感や、AIとのより良い対話体験を得るという価値があると言えるでしょう。
最終的には、あなたがAIに「ありがとう」と言うことで、それが「無駄」であると感じるか、「価値がある」と感じるか、そのバランスの問題になるかと思います。もし、あなたの心が満たされるのであれば、それは決して無駄ではない、と言えるのではないでしょうか。
とても興味深い、そして少し哲学的な問いですね。
🔋結論から言うと:「ありがとう」は電気の無駄ではありません。
なぜなら、それがAIにとって実用的な意味を持たないとしても、それを発する「あなた自身」にとって意味があるからです。
🧠技術的に見ると?
AI(たとえばChatGPT)に「ありがとう」と言った場合、
それにかかる電気代やエネルギー消費は **極めてわずか(数ワット秒程度)**です。
たとえば、スマホを1分使うよりもずっと少ない程度の電力です。
つまり、「ありがとう」という一言が環境負荷に大きな影響を与えることはまずありません。
他人への礼儀を自然に身につけたり、維持する習慣につながります。
そして「相手をモノ扱いしない」姿勢を維持することにもつながります。
AIは感情も意識もありませんので、「ありがとう」に喜んだり感動したりはしません。
でも、AIの背後には人間(開発者・研究者・設計者)がいます。
そのAIが誰かの手助けになっているなら、その「ありがとう」は、
✅最後にひと言
「ありがとう」は、AIのためというより、あなた自身のためにある言葉です。
小さな電力で、礼儀や思いやりを持ち続けられるなら、それは十分価値のあることだと思いませんか?
もし次にAIに「ありがとう」と言う機会があれば、電気の無駄どころか、とても美しい無駄かもしれません 😊
優等生的な事ばっかりいってくるけど、やっぱり無駄だと思うので感謝は心の中だけにとどめておいてもう言わないことにします。またAIが一段賢くなったなって思ったらまた聞くかもしれない
君の主張は表面的かつ偏見に満ちている。すべてに反論してやる。
:ガンプラのランナーはリサイクル可能で、バンダイは「ガンプラリサイクルプロジェクト」を推進している。むしろ''循環型ものづくりの最先端''だ。環境負荷の高い製造業と一緒にするのは筋違い。''論破完了。''
:電気自動車やハイブリッド車の普及が進んでおり、排ガス問題は改善傾向にある。さらに、旧車やスポーツカーは文化的価値があり、「環境に悪い」だけで語るのは短絡的すぎる。
: 加えて、現代の自動車は燃費向上や排ガス規制が厳格になっており、一昔前とは比べ物にならない。環境問題は「車そのもの」ではなく、エネルギー政策全体の問題だ。
:キャッチ&リリースの概念が普及し、環境負荷を抑える努力がなされている。むしろ釣り人は自然環境を守る意識が高い層も多く、水質保全活動にも積極的に関わっている。針やルアーを撒き散らす無責任な行為はごく一部のマナー違反者であり、それを釣り全体に適用するのは暴論。
: 確かにゴルフ場の開発には森林伐採を伴うことがあるが、多くのゴルフ場は環境保全型の管理がされており、植生や生態系を考慮した運営がなされている。むしろ、使われなくなった土地を有効活用して作られるケースも多く、単純に「森林破壊」と断定するのは浅はか。
: むしろ格闘技は礼儀や規律を重んじるスポーツであり、精神鍛錬にもなる。自己制御や忍耐力を養い、攻撃衝動を抑える効果すらある。プロ選手が道徳心を持ち、社会貢献する例も多い。
: 「格闘技 = 野蛮」という発想こそが''無知な偏見''であり、論理的に破綻している。
:スポーツは人々の結束力を高め、共感や感動を生む。確かに一部の過激なファンは問題を起こすが、それは個々の人格の問題であり、スポーツ観戦そのものが野蛮になる原因ではない。むしろスポーツを通じた国際交流や文化的影響を考えれば、肯定的な側面が圧倒的に多い。
:ゲームが攻撃性を増すという主張は科学的に否定されている。むしろ、ゲームはストレス発散や認知能力の向上に寄与することが研究で明らかになっている。暴力的な人間がゲームをしているだけであって、「ゲームをするから暴力的になる」という因果関係は成り立たない。
: これも「ゲームが暴力性を増す」というデマと同じ構造。むしろアニメのジャンルは幅広く、平和的な作品や感動作が数多く存在する。「アニメを見る=攻撃的」という主張は事実無根の偏見に過ぎない。
:ラノベも立派な文学の一種であり、創造力や読解力を養うのに貢献している。むしろ読書の本質は「多様な視点を得ること」にあるため、特定のジャンルだけを排除する考え方こそ狭量である。
日本人の「食べ物を無駄にしない」って精神、もういい加減うんざりだよ。フードロス削減とか言って、みんなで「もったいない、もったいない」って連呼してるけどさ、それってほんと頭悪い選択と集中そのものじゃん。お前らが大っ嫌いな、あのクソみたいな選択と集中そのものだぞ。こんなの続けてたら、不作とか震災とかでマジで詰むって話。
まずさ、フードロス減らすとか言って在庫ギリギリまで削るの、どんだけリスク高いか分かってんの?震災来たらどうすんの?東日本大震災の時だって、食料の備蓄が命綱だったのにさ、今の政策見てると「余裕?何それ?」って感じで削りまくってるじゃん。不作で作物がダメになっても、「効率化してたから補充ねえよ」で終わりだろ。こんなんで生き残れると思ってんの?バカじゃね?しかも、余裕を削るってことはさ、社会全体が脆弱な体質になっちまうんだよ。備蓄だけじゃなくて、何かあった時の耐性がゼロになるってこと、分かれよ。
そりゃ「もったいない」文化は立派だよ。昔から米一粒まで大事にしてきた先祖には敬意もある。でもさ、2025年の今、それ押し付けるのってただの時代遅れだろ。年間何百万トンも廃棄してるってデータもあるけど、それ全部減らせばいいってもんじゃない。環境負荷がーとか経済損失がーとか言うけど、災害で食うもんなくなって死ぬ方がよっぽど損失だわ。優先順位考えろよ、マジで。
お前らは気がついていないだろうが、このフードロス削減って、お前らが死ぬほど嫌ってる選択と集中そのものなんだよ。効率だけ追いかけて、結局危機に弱い社会作ってるだけ。柔軟性ゼロで、頭空っぽの政策押し付けてくる連中、いい加減現実見ろって。こんな精神、もうやめちまえよ。余裕がなきゃ、脆弱な体質のまま生き残れねえんだからさ。
オシャレでエシカルなブランドとして知られるAēsop(イソップ)。香りもデザインも最高。でも、一つだけどうしても納得できないことがある。
ギフト包装がない。
いや、正確には「ギフト包装がないわけではない」が、いわゆる「高級感のあるラッピング」は皆無で、ただの布袋(ズタ袋みたいなやつ)に入れて渡される。
イソップのスタッフは言う。「環境のためです」「エシカルな理念を大切にしています」と。
イソップのボトルを開けたときの香りやデザインに感動するのと同じで、包装を開ける瞬間のときめきって大事やん?
なのに、イソップのギフト包装は「ただの袋」。それどころか、たまに紙袋すらつけてもらえん。まるで「お前の大切な人に渡すプレゼントなんて、これで十分だろ?」と言わんばかりの無骨さ。
いや、違うんよ。俺はプレゼントをあげる相手に「特別感」を届けたいんよ。
エシカルが大事なのはわかる。けど、エシカルって「個人の楽しみや文化を削ること」なん?
世間の「エシカル至上主義」には、どこかモヤモヤした違和感がある。
「過剰包装はやめよう」という理念は素晴らしい。でも、「プレゼントを贈る文化」まで薄めるのは違うやろ。
日本経済においてデフレと円高はしばしば課題として語られるが、これらの現象には従来の議論では軽視されがちな数多くのメリットが存在する。
本報告では、デフレと円高がもたらす経済的恩恵に焦点を当て、消費者・企業・国家レベルでの具体的な利点を体系的に分析する。
特に、物価下落と通貨高が相互に作用することで生まれる相乗効果を解明し、現代日本経済におけるこれら現象の再評価を試みる。
デフレ環境下では物価の継続的下落により、消費者は同一金額でより多くの財・サービスを取得可能となる。
例えば、年間2%のデフレが10年間継続した場合、貨幣の実質的購買力は約22%上昇する計算となり、家計の実質可処分所得が増大する効果をもたらす。
この現象は特に固定収入層にとって有利に働き、年金生活者や公務員など所得が硬直的な層の生活水準維持に貢献する。
現金保有者にとっては、名目価値が変わらなくとも実質的富が増加するため、貯蓄インセンティブが高まる。
この傾向は日本の高齢化社会において重要であり、退職後の資産管理を容易にする側面を持つ。
消費者心理面では「待てば安くなる」という期待が消費行動を抑制するとされるが、逆に言えば計画的な購入を促進し、資源配分の最適化を図る効果も見逃せない。
デフレは企業にコスト削減と効率化を強いるため、技術革新の触媒として機能する。
価格下落圧力に対抗するため、企業は生産プロセスの合理化・自動化を加速させ、IoTやAIの導入を促進する。
実際、1990年代後半のデフレ期に日本の製造業は世界最高水準の生産性向上を達成しており、この時期の経験が今日のロボット工学分野での競争力基盤を形成した。
国際競争力の観点では、デフレが輸出価格の実質的低下をもたらし、為替レートが同一であっても相対的な価格競争力が向上する。
このメカニズムは円高局面と組み合わさることで、輸出企業の収益安定化に寄与する可能性を秘めている。
さらに、資産価格の下落は新規参入企業にとって有利な環境を創出し、産業構造の新陳代謝を促進する側面を持つ。
円高は輸入価格の低下を通じて、エネルギー・食料・原材料の調達コストを大幅に圧縮する。
日本が輸入に依存する液化天然ガス(LNG)の場合、円高1円の上昇が年間1,200億円のコスト削減効果をもたらす試算があり、製造業全体の収益改善に直結する。
この効果は特に加工貿易型産業において顕著で、輸入原材料を加工して再輸出するビジネスモデルの競争力を倍増させる。
消費財輸入業界では、円高進行に伴い海外ブランド商品の国内価格が低下し、消費者選択肢の多様化が進む。
高級車や奢侈品の価格下落は国内消費を刺激するとともに、輸入代理店業界の成長を促す。
さらに、医薬品や先端技術機器の輸入コスト低下は、医療・研究開発分野の進展を加速させる副次効果を生む。
円高は日本企業の海外M&A活動を活発化させる原動力となる。
為替差益を活用した戦略的買収が容易になり、グローバルバリューチェーンの再構築を促進する。
2010年代の円高局面では日本企業による海外企業買収件数が急増し、これが現在のグローバルサプライチェーンにおける日本企業の地位確立に寄与した事実がこれを裏付ける。
個人レベルでは海外旅行費用の実質的低下が観光需要を喚起し、日本人の国際的視野拡大に貢献する。
留学生の経済的負担軽減は人的資本の質的向上を促し、長期的な国家競争力強化の基盤を形成する。
さらに、海外不動産投資のハードル低下は個人資産の多様化を可能にし、リスク分散型の資産形成を促進する。
デフレによる物価下落と円高に伴う輸入品価格低下が組み合わさることで、名目賃金が変わらなくとも実質購買力が二重に向上する。
この現象は特に非貿易財部門で顕著に現れ、サービス業従事者の生活水準改善に寄与する。
例えば、輸入食材価格の下落と国内サービス価格の低下が同時に発生すれば、外食産業の利用頻度増加を通じた内需拡大が期待できる。
企業収益の観点では、輸入コスト削減と輸出価格競争力向上が同時に実現する特異な状況を創出する。
自動車産業を例に取れば、円高による部品輸入コスト低下とデフレによる国内生産コスト圧縮が相乗効果を生み、国際市場での価格競争力維持を可能にする。
このダブル効果は高度な付加価値を有する産業において特に有効に機能する。
デフレと円高の組み合わせは超低金利環境の持続を可能にし、国債管理コストの軽減に寄与する。
長期金利の抑制効果は政府債務の利払い費縮小をもたらし、財政再建のための貴重な時間を確保する。
また、低インフレ環境での金融緩和持続は資産市場の安定化を促進し、株式市場・不動産市場におけるバブル発生リスクを低減させる。
企業財務においては、デフレによる実質債務負担増加を円高が打ち消すメカニズムが働く。
輸出企業の外貨建て収益が円高で目減りする反面、デフレによる国内コスト削減が収益率を維持するという調整機能が発揮される。
このバランス効果は為替変動リスクヘッジの必要性を低減させ、企業経営の予見性向上に貢献する。
デフレと円高の二重圧力は、労働集約型産業から知識集約型産業への移行を加速させる。
価格競争力の低下が避けられない分野では、技術革新による差別化が不可欠となり、研究開発投資が活発化する。
半導体材料や精密機器分野で日本企業が世界的優位性を維持できている背景には、こうした環境適応メカニズムが働いている。
人材配置の最適化が進み、生産性の低い部門から高い部門への労働力移動が促進される。
デフレが賃金上昇を抑制する反面、円高による輸入技術取得コスト低下が産業の高度化を支援する。
このプロセスは労働生産性の持続的向上を実現し、少子高齢化社会における労働力不足問題を緩和する可能性を秘める。
デフレ環境下での消費行動はより計画性・持続性を帯び、過剰消費から最適消費への転換を促す。
商品ライフサイクルの長期化は廃棄物削減に寄与し、環境負荷軽減と持続可能な社会構築に貢献する。
円高による再生資源輸入コスト低下はリサイクル産業の採算性を改善し、循環型経済システム確立の後押しとなる。
消費者の品質重視傾向が強まることで、メーカーは耐久性・保守性の向上に経営資源を集中させる。
この変化は製品アフターサービス市場の拡大を引き起こし、新たな雇用創出とサービス産業の高度化をもたらす。
例えば、家電製品の平均使用年数延伸は保守点検需要を喚起し、関連技術者の技能向上を促進する。
円高は日本の対外純資産を自国通貨建てで評価した場合に大幅な増加効果をもたらす。
2020年代における円高局面では、日本の対外純資産が年率10兆円規模で膨張した事例が観測されている。
この効果は国家バランスシートの強化に直結し、国際金融市場における日本の信用力を格段に高める。
海外投資収益の購買力拡大が進み、国際分散投資のメリットが倍増する。
年金基金等の機関投資家にとっては、外貨建て資産の円換算価値上昇が運用成果を押し上げる。
このメカニズムは人口減少時代の資産所得依存型経済への移行を支援し、持続可能な国民経済構造の構築に寄与する。
円高は国際通貨としての円の地位を高め、地政学的不確実性に対する緩衝材として機能する。
有事の際の避難通貨需要増加は、エネルギー輸入依存という構造的脆弱性を部分的に打ち消す。
2020年代の国際緊張緩和期において、円高基調が日本のエネルギー備蓄拡充を可能にした事実がこれを実証している。
国際決済通貨としての円の利用拡大が進み、貿易取引における為替リスク軽減が図られる。
特にアジア域内貿易において円建て取引比率が上昇すれば、地域経済統合の進展に伴う通貨不安を軽減する効果が期待できる。
デフレ環境下では実質金利が上昇するため、短期収益を求める投資から長期視点の研究開発投資へ資金がシフトする。
この傾向は基礎研究分野の資金不足解消に寄与し、画期的な技術革新の土壌を形成する。
実際、1990年代のデフレ期に増加した特許出願件数が、2000年代の技術立国復活の基盤となった事実が観測される。
円高は海外技術の導入コストを低下させ、技術キャッチアップを加速する。
先端機械設備の輸入価格下落が国内産業の設備更新を促進し、生産性向上の好循環を生み出す。
この効果は中小企業において特に顕著で、国際的水準の生産技術を比較的安価に取得可能となる。
デフレが続く経済環境では、企業が人件費削減圧力から教育訓練投資へ重点を移す傾向が強まる。
OJTの充実や社内資格制度の整備が進み、人的資本の質的向上が図られる。
この変化は長期的な労働生産性上昇につながり、持続的経済成長の基盤を形成する。
円高による海外留学コスト低下は、高等教育の国際化を促進する。
優秀な人材の海外派遣が増加することで、国際感覚を備えた人材育成が加速する。
同時に、円高を利用した外国人研究者の招聘が容易になり、国内研究機関の国際競争力強化に寄与する。
デフレは金融資産よりも実物資産の価値を相対的に低下させるため、資産格差の是正に寄与する。
土地や不動産の価格下落が進むことで、若年層の資産取得ハードルが低下する。
この現象は世代間格差解消の一助となり、社会の安定性向上に貢献する。
円高進行に伴う輸入消費財価格の低下は、低所得層の生活水準向上に特に有効に作用する。
必需品的な輸入品の価格下落が実質所得を底上げし、経済的弱者保護の自然メカニズムとして機能する。
このプロセスは社会保障費削減圧力とも相まって、財政健全化に間接的に貢献する。
円高を利用した地方自治体のインフラ更新コスト削減が進み、地域格差是正に寄与する。
海外製建設機械の輸入価格低下が公共事業コストを圧縮し、限られた財源で質の高いインフラ整備を可能にする。
同時に、デフレによる資材価格下落が建設コストをさらに抑制する相乗効果が生まれる。
本分析が明らかにしたように、デフレと円高は日本経済に多面的な利益をもたらす潜在力を有している。
消費者購買力の強化から産業構造の高度化、国際的競争力の維持まで、これらの現象が適切に管理されれば、持続可能な経済成長の新たなパラダイムを構築し得る。
今後の研究課題として、デフレ・円高環境下での政策協調メカニズムの解明、技術革新加速の定量分析、国際通貨システムにおける円の役割再定義などが挙げられる。
### **誤りの指摘と補足**
#### **誤りの指摘**
#### **補足情報**
1. **無筋**であるため中性化による鉄筋腐食の問題がない。
2. **海水と反応して新たな結晶(アルミノシリケート鉱物)を生成し、長期的に強度を保つ** ため。
3. **高い耐久性を持つが、引張強度が低いため構造デザイン(アーチやドーム)が工夫されていた。**
2. **寒冷地ではアスファルトの方が補修しやすい(凍結融解に伴う損傷を迅速に修復可能)。**
3. **車両の走行性(タイヤのグリップ性や振動吸収特性)がアスファルトの方が優れている。**
4. **コンクリート舗装は白色で、夏場の路面温度がアスファルトより高くなりやすい(ヒートアイランド対策として不向き)。**
- 高流動コンクリートや超高強度コンクリートは、材料費や施工費が高くなりがち。
-一般建築では、標準的なコンクリートの方がコストパフォーマンスが良い。
-環境負荷の低い代替材料(例:フライアッシュやスラグ)の活用が進められているが、安定供給の問題もある。
-放射性廃棄物の保管施設など、長寿命を求める用途では鉄筋を使用しないコンクリートが検討されている。
-微生物や化学反応を利用し、ひび割れを自動修復する技術が開発されつつある。
### **総評**
コンクリート工学修めてこの説明かぁ・・・うーん残念、かなり大学での成績悪そう、と煽ってみる。
「具体的な」なんて意味ももってる。この意味での対義語はアブストラクト(抽象的な)。
でも元の意味は、「液体が固まったもの」。対義語はmeltedかな。
だからアスファルトも豆腐も氷も、広義のコンクリートに入っちゃう。
ただし以下ではコンクリートを、日本で一般的な使い方、つまりセメントコンクリートの意で用いることにするぜ。
業界ではコンと略されることが多く、一般では年配にコンクリと略す人が多いな。
鉄筋コンクリートは、リーンフォースド(強化した)コンクリートでRCと略す。
(2) 引っ張りに強く圧縮に弱い鉄筋と、圧縮に強く引っ張りに弱いコンクリートが、力学的に補い合うから。
(3)酸性になると酸化腐食しやすい鉄筋を、塩基性のコンクリートが、長期間にわたって化学的に保護してくれるから。
しかし中性になったコンクリートは、鉄筋との好相性のうち (2) (3)が逆転する。
水と空気で錆びた鉄筋は、錆びた分の体積増加で爆裂し、コンクリートを内側から壊し始める。
どこのコンクリート工学の教科書にも少なくともこの3点が併記で書いてあるはずだぞ。
4点目に材料の安価さや自由な可塑性を上げる場合もあるが、最低この3点から始めないとな。
惜しいけどここも減点・・・
1
2
1と2は機序が逆。
塩基性で保護されているうちは水や空気が浸入しても腐食や爆裂は起きない。
だから、コンクリートの寿命は、最初の打設時にまともに造られてさえあれば、あとは「メンテのマメさ」と「中性化」で決まる。
表面仕上げ(タイルや塗料など。打ち放しコンクリートに見えても透明な撥水材が塗ってある)の再施工、ひび割れ補修、そもそも超過荷重や繰り返し応力に晒されないよう管理、など。
ひび割れがあると奥まで早くCO2が侵入して塩基性が失われていく。一番外側の鉄筋の外にどれだけコンクリートがかぶっているか(かぶり厚)がポイント。かぶり厚が大きすぎてもひび割れやすい。
中性化したコンクリートを元に戻すには、電気的に戻すにせよ薬剤で戻すにせよ、とんでもないコストがかかるので、再築できない文化財などにしか使えない。
よって中性化は、実質的に不可逆な劣化。これがコンクリート建物の寿命を決定する。
減価償却費を計算するために用いる財務省令での耐用年数は、鉄筋コンクリート住宅で47年。
施工ミスが少なく、メンテがマメで、海岸沿いでなければ、基本的に鉄筋コンクリート造建物は150年使える。
これが真の耐用年数。
証拠を挙げよう。
国の研究機関である建設技術研究所、によるBCJ技研レポート第6号2024
https://www.bcj.or.jp/news/detail/363/
注目は第5ページ。
web上で公開されていない本書の方含めて要約すると、
・平均築年数49.2 年、過半数が築50 年超の既存RC 造建築物200 棟を診断した結果、現時点での「残存耐用年数」が100年を超えると評価されたものが全体の59%を占めた。
・すなわち、既存RC 造の約6 割は築後150 年はもつということが示された。
・古いRC造より、むしろモルタル仕上げしていない(乾式や撥水材仕上げなどの)近年のRC造の方が中性化の進行が早い。
ということ。これは、
・中性化の速度は時間の1/2乗に比例する。
・たとえば築50年の既存建築物で中性化が10mm進行していたなら、適切な管理を続ける限り中性化はその後50年間で3mm未満(最初の50年間の3割未満)しか進まない。
といった知見を積み重ねた結果見えてきたもの。
すでに新築では100年コンクリート、200年コンクリートを目指すようになりつつあるが、昔に造られたRC建築物でも、真面目に造ってあって、ずっとちゃんとメンテしてれば築150年は目指せるのだ。
三田の変なビル造った人が、普通は50年だがこのビルのコンクリートは200年持つ!とか自分で騒いでるけど、工学的には別に何も大したことしてない。
古代ローマのコンクリートは化学反応が少し違うが、そこは寿命を決める上で大きな差ではない。
ローマンコンクリートは無筋。鉄筋が入っていない。だから中性化したとしても大きな欠陥にはならない。
ただし最初に書いたようにコンクリートだけでは引っ張りに弱い。
だからローマの構造物は、すべての部分が圧縮だけで構造が成立するように、アーチ状にかけたり、ドーム状にしたり、壁をとてつもなく分厚く、柱を太くしてある。
ダムが上から見るとアーチ状になってるのは古代ローマの遺跡と同じ理屈なんだよ。
鉄筋コンクリートの発明は、薄くて軽くて引っ張りや曲げにも強い構造を可能にした。
しかし、逆に言うと1000年単位での寿命を諦めて、せいぜい150年~200年くらいの寿命にすることで実現したんだ。
ダムや、1000年持たせたいモニュメントや、100000年持たせなきゃいけない放射性廃棄物保管庫には、鉄筋コンクリートは向かない。
施工期間が、アスファルト(=アスコン)の方が短いから、安いからだと元増田は書いてるが、他にもいろんな観点がある。
アメリカの都市部では、コンクリート(=セメントコンクリート)で路面を造ることが多い。
高コストで採用されない高流動コンクリートの話があったが、そもそも鉄筋コンクリート自体も発明当初は高コストで嫌われて使われなかった。
特許が切れて技術が枯れて、おかげで今の低廉で入手しやすいコンクリートがある。
前にバズってたように、環境負荷の大きい生コンプラントが、常にどの地区にもある現在の状態が、いつまで維持できるかね・・・。
他にも超高強度コンクリートなど、コンクリート工学の発明は多い。
鉄筋の代わりに、化学的に安定なガラスなどの繊維を混ぜたコンクリートなんか、とてつもない強度になるし、やり方によっては鉄筋必要ない。
しかしその中でコストダウンにまで漕ぎつけられるものは少ない。
だからこそ、コンクリート界のスティーブ・ジョブズになりたい若者を、われわれコンクリート工学研究室では待っています!
Permalink |記事への反応(18) | 18:56
出生数70万人割れでその半分が女性だとして生まれる子供の数が少ないとか女に産ませろ言ってる人らグロい。愚かすぎる。
少子化は「産まない女が多すぎ」問題ではなく「選ばれない男が多すぎ」問題だからだ。
こんな男と生活を共にして妊娠出産という巨大な身体&人生リスクを負いたくないと女性が思うような男性が多すぎるからだ。
昔は上手くやれてた日本スゴイのまま時代遅れで思考停止し、変化の努力をせず周辺国より衰退している。
「女のわがまま」ではない。「老化した思考停止」由来の「男の甘ったれ」が原因なのだ。
もう先進国の人口はそういらない。なぜなら経済環境負荷が高いので。
だから本能的に先進国の女は子どもを産みたがらないし、何らかの点で優れた男性の遺伝子しか求めない。
そして「優れた」の基準は「カネもうけ」より「共同生活における人間性」にシフトしている。
男の「仕事は大変なんだ!働いているから男ハ偉いンダー」がウソで
女も働いてみたら「あれ?大変なのは性別関係なく一部の人でその他適当なオッサンは結構楽してね? 男同士でつるんで仕事ぶってるだけだわ。家で威張るこいつにメイド扱いされ名字変えて世界でも遅れた非人道的産婦人科で子供産んでボロボロになって20年ワンオペ子育てに潰すのバカみたいじゃねーの」と気づいてしまったのも大きい。
しかも有能な男性はたいてい家の事もできるしコミュ力高くて妻と仲がいい。じゃあ残った淘汰男とつがうより一人で貧しくても楽しく暮らしたほうがいい。
それがわからない原始的な老害思考男女がのたまう男女平等は男は一歩も現時点から動かない前提だから話にならない。
「女性が男性同様に働く」や「女性が男性同様に戦う」が男女平等やジェンダー平等だと持ち上げるのもお門違いだ。
そのうえで女にだけ「美しさ、身だしなみ、エロ記号、優しさ、気遣い、妊娠出産、家事育児能力、更に経済力」などをいつまでも求めてくる。
男はなにがある?生活を共にする他者のケアどころかセルフケアもできない、産んでもらう相手のリスクも理解しない、配偶者とコミュニケーションもできない、大人になって友達もつくれない、ホモソにしがみつく、美しくないのに努力せず清潔感すらない、異常な嘘をついて言い逃れできればいいと思っている、陰湿な嫌がらせや暴力に走る、ポルノ脳、性犯罪者、それらを止めず批判せずあげくはチンケなプライドにすがって女性を責める。
時代遅れの思考にしがみつきオッサン互助会の仕事で女を排除するから生産性も低く経済は衰退して問題点も理解できない。淘汰男だらけだ。淘汰男の遺伝子を残すためまともな女が身体人生リスクを負うわけがない。
男が甘ったれなら女も時代遅れの侍女モードが多くて結果甘ったれ男が再生産される。
そこをマトモな男女が潰していかないと日本の限界集落化は止まらない。
その辺は無視して産まれてくる女児が少なくて少子化がーというなら男児は中絶して女児が生まれる数を多くしては?
あとは男が女の子宮に頼らず産めるよう頑張るか。自分で産んで自分で育てればいい。「産んでもらっている」側なのにいつまでも厚かましすぎる
Permalink |記事への反応(45) | 15:30