
はてなキーワード:独裁とは
民主主義でやってみたら良くも悪くも結果的にそうなってしまっただけで
それを積極的に国民のみんなが望んで「選択」したのかは疑問も残るけどな。
どうせ人類は、本当に国民を第一に考えてくれる政治家に政治を任せるという能力は持たないから。
(好き放題言えてる時点で独裁よりはマシで恵まれてるとは思うけど)
だから権力者にもおかしいことには反論していかないといけないわけで、
その流れで俺も本当にコモンセンスだけで法案を通していいのかという問いかけをしただけ。
オッス、オラ理性主義者!
まず落ち着け、現代民主主義者。お前が言ってることは、哲学的には立派だが、現実の社会設計としては理想論の塊だ。
「感情の保護と秩序維持を混同するな」なんて言うけどな、その“感情”こそが民主主義の出発点だ。
人間の感情が集まって「国民」となり、その感情の総意が「国家」を作ってんだよ。
民主主義の根幹は、冷たい論理じゃなく、“感情の集合体をどう理性で制御するか”ってところにある。
でもな、それが成立するのは、社会が“お互いに踏み越えない前提”を共有しているからだ。
破壊に自由を与えると、社会は信用を失う。信用を失った社会に民主主義は存在できない。
国旗が国民全員の象徴なら、個人の政治的パフォーマンスで汚していいわけないだろ。
それを「思想の自由」って言い張るのは、公共財を私有化してるに等しい。
国旗を国家が独占してるんじゃなく、国民の象徴を国民自身が守るだけの話。
それを「神聖化」と呼ぶなら、お前は“共同体”って概念を根本的に誤解してる。
それはルールの上での話だ。
「不快さの表現」に限界を設けない社会は、ただのカオスになる。
それは理性ではなく感情への挑発だから、民主主義的な行為ではない。
現代の民主主義に必要なのは「燃やす自由」じゃなく「敬意を持って批判する知性」
それを擁護するのは、自由じゃなく“知的怠惰”の肯定にすぎない。
Q.
A.
共産主義は理論的には左翼思想ですが、中国や北朝鮮を単純に「左翼国家」と分類することは複雑な問題です。
左翼と右翼の定義
政治学では左翼と右翼は主に「平等主義」と「階層主義」という軸で区別されます。左翼は社会的・経済的平等を重視し、右翼は社会的階層や序列を容認する傾向があります。この定義に基づくと、中国や北朝鮮の現実は矛盾した様相を呈しています。
経済面と社会面の乖離
これらの国々は経済的には左翼的要素を持っています。政府が生産手段を所有し、資源配分を国家が管理する社会主義的経済システムを採用しています。しかし社会的には極めて保守的かつ階層的です。
北朝鮮の「成分(songbun)」制度は特に顕著な例で、国民を金一族への忠誠度に基づいて51の下位分類を含む3つの階級(核心階層、動揺階層、敵対階層)に分類しています。階級によって住居、教育、医療へのアクセスが制限され、このような厳格な階層制度は定義上、右翼的特徴とされます。
権威主義と独裁体制
両国は共産党による一党独裁体制を敷き、政治的反対派を弾圧してきました。北朝鮮は世界最悪の人権状況を持つ全体主義独裁国家とされ、金一族を中心とした徹底的な個人崇拝体制を構築しています。このような権威主義的特徴は、左翼が理想とする平等主義的な社会とは大きく異なります。
学術的評価
一部の研究者は、旧ソ連や中国、北朝鮮のような国家を「国家資本主義」や「赤いファシズム」と呼び、真の左翼政治とは対極にあると批判しています。また、これらの国々を「極右でもあり極左でもある」、あるいは「主に極右」と評価する見解もあります。
結論として、中国や北朝鮮は共産主義を標榜していますが、実際の政治体制は経済システムと社会構造が矛盾しており、単純に「左翼国家」と分類することは現実を正確に表現していないと言えます。
民主主義国家で過半数を担う政党が減り党が乱立し、しかも各党の協力が消極的になって政治的な混迷を見せ始めている
この大本の原因は国民の中に「対立相手とは話し合っても分からない」と言う諦めが生まれ始めたからではないだろうか
意見は擦り合わせられないもの、譲歩させられることで自分が損をする、話し合って分かり合うことなんてなくて不満を抱えるだけ
自分の意見を百パーセント代弁してくれる人たちしか支持できないから党が乱立してどこも過半数を取れないし
話し合って譲歩して過半数を取っても意見がねじ曲げられて損をするから許せない
そしてみんながそう思ってるからこそ、誰も相手に協力しなくなるし話し合って譲歩なんてしなくなる
話し合ったらわかると言う幻想をみんながあるものとして受け入れてたからこそ、交渉や譲歩や協力ができていたのではないか
話し合って分かり合えることがない、少なくとも落としどころがない
そんな状態で過半数が必須な議会運営なんてものができるわけがない
そもそも話し合うことが無意味なのだから議会自体が無意味になってくる
だか、過半数ではなく多数派でいいとなってくると、基本的に議会は形骸化して独裁に向かっていくのは歴史が示している
話せばわかるなどということは幻想かもしれないが
話せばわかると言う意識がこのままなくなってくると、そもそも民主主義は崩壊するだけではないか
一万円札のような紙幣に価値があるのは幻想かもしれないが、みんなが価値がある幻想を前提にしてるからこそ社会が成り立つように
公明「マ?」
<衆院選>
公明「裏金問題でうちもとばっちりくらって議席減ったし、その上壺問題で創価信者離れていくわ」
ゲル「すまんやで」
ゲル「マ?」
公明「言うてもあんたらも困るやろ、民民とは私らが話しておたくらが飲めるような改革案でまとめたるわ」
ゲル「すまんやで。ワイも党内まとめがんばるやで」
<参院選>
公明「裏金問題でうちもとばっちりくらって議席減ったし、その上壺問題で創価信者離れていくわ」
ゲル「すまんやで。なんとかでも完遂するから手伝ってほしいんやで」
公明「しゃーない」
公明「は?」
高市自民「独裁じゃないから決められないわ。独裁じゃないからなー」
アメリカでもフランスでも予算が決まらないと聞くと民主主義より独裁のほうがええんちゃうかと思えてくるけど間違い?
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右翼でも有能で国を成長させれるなら良いけど
右翼の自称愛国者って基本どいつも軽めの精神病入ってる低脳の馬鹿でシンプルに仕事出来ない無能だから
やらなくてもいい事を自分から勝手にやったり、健常者ならまずミスしない所で何故かミスしたりして無駄に被害出すのが終わってんだわ
民主主義が独裁に勝ってる部分は馬鹿を選んだ国民がその責任を言い訳できなくて自分のこととして反省できるから
とか言うけど
今の馬鹿ウヨ共って何度間違っても言い訳と責任転換だらけで全く反省しないどころか寧ろバカさが悪化する一方だし
こんなゴミ共がうじゃうじゃ湧いて健常者の足引っ張り続けてたらそりゃ国も衰退するわ
間違い。これは典型的な形而上学的思考による誤謬である。君の主張は弁証法的唯物論の基本原理を理解していない petit-bourgeois的偏見に満ちている。
まず第一に、共産主義の反体制性は単なる政権の有無という表層的な権力関係に還元できるものではない。我々が闘争する対象は、あくまでも生産手段の私的所有に基づくブルジョワ独裁体制、すなわち資本主義的搾取構造そのものである。したがって、プロレタリア独裁政権樹立後も、我々は国内外の反革命勢力、修正主義者、日和見主義者、トロツキスト、無政府主義的偏向、左翼小児病患者、右翼日和見主義者、官僚主義者、教条主義者、経験主義者、尾巴主義者、冒険主義者、保守主義者、民族排外主義者、世界主義者、そして最も危険な反動勢力たる帝国主義の走狗および買弁資本家階級と不断の闘争を継続する革命的前衛でありつづける。
君の言う「体制」が何を指すのか不明瞭だが、もし現存する階級社会を意味するならば、我々こそが真の反体制である。なぜなら右派こそが、封建的残滓と独占資本の利益を代弁する反動的体制の番犬だからである。
世界中の子どもたちがマリオに熱狂し、大人たちがゼルダに夢中になる。その華やかな表舞台の裏で、任天堂が見せているのは“自由と進化を封じ込める支配国家”の姿だ。
任天堂は自らの発明を特許でがんじがらめにし、業界に高い“国境の壁”を築いてきた。十字キー、タッチ操作、二画面表示――どれも普遍的に利用できるべき技術だが、任天堂の支配下では“密輸”扱いされ、他社が使えばただちに制裁。
業界は「任天堂の許可なき発明」を試みることすらできず、まるで閉ざされた国家に生きる人民のように、自由を奪われてきた。
独裁国家がミサイルで隣国を威嚇するように、任天堂は訴訟を乱発してきた。標的となるのは大手だけでなく、力のない小規模メーカーまでもが容赦なく狙われる。
「特許侵害」という名目で撃ち込まれる訴状は、業界全体に恐怖を植え付け、挑戦を封じ込める抑止力となった。これは防衛ではなく、恫喝外交にほかならない。
北朝鮮が外からの文化を遮断するように、任天堂は“任天堂流”以外の発想を排除する。ユーザーが体験できるのは、任天堂が認めた範囲の娯楽だけ。業界全体の多様性や進化は犠牲にされ、外の世界から流れ込む新しい風は遮断され続けている。
結果、ゲーム業界は本来のポテンシャルを発揮できず、閉じた島国のように停滞を余儀なくされているのだ。
北朝鮮が“偉大なる指導者”を称えるように、任天堂もまたマリオやゼルダといった偶像を掲げ、ユーザーを信仰に近い熱狂へと導いてきた。
「任天堂こそ唯一無二」というプロパガンダはファンに深く浸透し、批判する声はかき消される。まるで国家が作り出す偶像崇拝のように、娯楽の独占は正当化されている。
歴史が示す通り、独裁国家は永遠ではない。ゲーム業界の北朝鮮たる任天堂も、いずれはその強権支配の代償を払う日が来る。
自由な発想と多様な競争を取り戻すためには、業界とユーザーが「任天堂の支配構造」を直視し、恐怖に屈せず立ち上がるしかない。