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はてなキーワード:独創性とは

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2025-10-22

戦闘機にエーアイじゃなくてヒト載せるの、もう完全に「責任取らせるため」でしかなくなってくるよな。エーアイを自然使役するとして、指揮系統の一番下(人間の中で)がケツ拭かなきゃいけない訳だし。

まともな感性してたら1機体に1エーアイ載せて、複数機体で合議制でドクトリン守りながら哨戒だの特攻のしてもらう。

でもな、イカれた行為最中は、イカれた奴が正しいんだ。陣もクソもないなかで敵に特攻する、みたいな規律の乱れた「リスクを取る」判断ができるのが人間特権になる。平時愚行権と呼ばれるが、新たな未来戦時中には独創性と呼ばれる。

一回の思いつきの愚行に対して、お前の小隊は何割消耗していいぞみたいな制限さえ付ければ、軍法会議の数を減らしつつ「愚行」を楽しめる。

戦争「きらめきと魔術的な美」を埋め戻そう。さらに深化した機械とともに

Permalink |記事への反応(0) | 14:03

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2025-10-13

検索避け文化を見るに、女オタク可哀想だと思う

他人作品をパクって独創性のない、キモくて芸術性のない作品しか生産できなくて

そんな作品に自信を持てないか卑下しないと自我を保てなくて

かと言って引きこもるほどの謙虚さはない

そんな彼女達の「私を見て!」というささやかな嘆きが検索避けという文化となったんだと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 19:52

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ゲイリー・マーカス略してゲリカ

についてのClaudeとの会話

なかなかやるやん。役割が変わったっていうのはなるほどな。しかしClaudeも結構ノリいいな。このタイトル投稿するのは流石にめっちゃ怒られると思ったが。

1

```

Gary Marcus@GaryMarcus

five years ago, @garymarcus writes apaper insistingthe fieldfocuson world models.

everybody shitsonhim

2025: xAI races to build world models.

```

さて、彼はこのように言っているが、私の記憶ではYoshua BengioやYann LeCunなど機械学習権威らは、少なくとも2010年代から予測モデルの発展や世界モデルの構築は度々唱えてきたはず。

産業応用の観点から教師あり学習強化学習が優先されてはいものの、重要性は常に議論されてきたと言える。

Schmidhuberや現Sakana.aiCEOであるDavid Haらも「World Models」を唱えていた。

また、LLMがこれほど盛り上がり「本当にスケーリングが全てを解決するのでは?」と言われ出したのは、Transformer以降であり、特に顕著な成果が出たのは2020年GPT3以降であるはず。

より大衆化したのはChatGPT以降の2022年11月と言えるが、いずれにせよだ。

個人的最近の彼の投稿自己正当化がひどいものだと思っているが、どう思うか?

私の意見事実誤認がないかもチェックすること。検索OK

ユーザーはGary Marcusの最近ツイートについて意見を求めています。彼が「5年前に世界モデルに焦点を当てるべきだと主張し、みんなに批判されたが、2025年にxAI世界モデルを構築している」と自己正当化しているように見えることについて、批判的な見解を持っていますユーザーの主張のポイント:1. Yoshua Bengio、Yann LeCunなどが2010年代から予測モデル世界モデルについて議論していた2. Schmidhuber、David Haらが「World Models」論文を発表していた3. LLMの盛り上がりはTransformer以降、特にGPT-3(2020年)以降4. ChatGPTでの大衆化2022年11月以降5. Gary Marcusの最近投稿自己正当化がひどいこれは事実確認必要な内容なので、検索を使うべきです。特に:- Gary Marcusが5年前(2019-2020年頃)に世界モデルについて何を言っていたか-世界モデル研究歴史(Bengio、LeCun、Schmidhuber、David Haなど)- xAI最近世界モデルに関する動き検索を開始します。Gary Marcusのこの投稿について、事実確認をしながら検証してみますね。検索結果から、Gary Marcusが2020年2月に「TheNext Decade inAI: Four Steps Towards Robust ArtificialIntelligence」という論文を発表していることが確認できました。これは約5年前(2020年)です。また、彼は2019年に「RebootingAI」という本を共著で出版しています。彼の主張は確かに世界モデル(world models)やcognitive modelsに焦点を当てていました。しかし、検索結果からも分かるように、彼自身が認めているのは:- Yann LeCunも世界モデル必要性を強調していた- Jürgen Schmidhuberがニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物かもしれない-次に、Schmidhuber、David Haの「World Models」論文について検索します。良い情報が得られました。David HaとJürgen Schmidhuberの「World Models」論文2018年3月に発表されています。これはGary Marcusの2020年論文よりも2年早いです。-次にYann LeCunとYoshua Bengioの世界モデルに関する発言検索します。素晴らしい情報です。Yann LeCunは2016-2017年から予測学習世界モデルについて活発に議論しており、2022年には「APath Towards AutonomousMachineIntelligence」という論文JEPA(Joint Embedding Predictive Architecture)を提案しています。-次にxAI最近世界モデルに関する取り組みについて検索します。優れた情報が得られました。xAI2025年10月Nvidia研究者を雇い、世界モデルの開発を進めていることが最近ニュースで報じられています。-次にYoshua Bengioについても検索してみましょう。完璧です。これで必要情報はすべて集まりました。まとめると:1. Gary Marcusは2020年2月に「TheNext Decade inAI論文世界モデル重要性を論じた(約5年前)2.しかし、David HaとJürgen Schmidhuberは2018年3月に「World Models」論文を発表していた(Marcusの2年前)3. Yann LeCunは2016-2017年から予測学習世界モデルについて議論し、2022年にはJEPA提案4. Yoshua Bengioも長年にわたり世界モデル予測モデルについて研究議論してきた5. xAI世界モデルに取り組んでいるのは2025年10月最近ニュースまり、Gary Marcusの主張とは異なり:-世界モデルは彼の独創的なアイデアではなく、多くの研究者が以前から取り組んでいた-特にSchmidhuber、David Ha、LeCun、Bengioらは彼より前から積極的研究していた- Schmidhuberは1990年代から世界モデルについて論じているユーザー事実認識は正確です。

あなた記憶分析は非常に正確です。Gary Marcusの自己正当化に対する批判妥当だと思います事実確認の結果を整理しましょう。

事実関係確認

1. Gary Marcusの主張のタイムライン Marcusが世界モデル重要性を論じたのは2020年2月論文「TheNext Decade inAI: Four Steps Towards Robust ArtificialIntelligence」で、また2019年の著書「RebootingAI」でも議論していました。 確かに「5年前」という時期は合っています

2.しかし、世界モデル研究はMarcusよりずっと前から存在

David HaとJürgen Schmidhuberは2018年3月(Marcusの約2年前)に有名な「World Models」論文を発表し、強化学習環境の生成的ニューラルネットワークモデルを構築しました。

さらに、この論文自体が「1990年代から2015年にかけてのRNNベース世界モデルコントローラーに関する一連の論文重要概念を組み合わせた」ものでした。 Marcus自身も認めているように、Jürgen Schmidhuberがニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物である可能性が高いのです。

3. Yann LeCunとYoshua Bengioの貢献

Yann LeCunは2017年には既に「機械世界予測モデル学習する能力AIの大きな進歩可能にする重要な要素である」と主張していました。 Marcus自身も「Yann LeCunも世界モデル必要性を強調してきた」と認めています

QuantaMagazine2025年記事によると、「Yann LeCun(Meta)、Demis HassabisGoogleDeepMind)、Yoshua Bengio(Mila)はいずれも、真に賢く、科学的で安全AIシステムを構築するには世界モデルが不可欠であると考えています。」

4. xAI最近の動き

xAI世界モデルの開発に取り組んでいるというニュース2025年10月に報じられたもので、NvidiaのOmniverseプラットフォーム世界モデルを開発した経験を持つZeeshan PatelとEthan Heを雇用しました。

評価

Gary Marcusのツイートには以下の問題があります

1.客観性偽装:三人称自分のことを語り、しか自分をメンションしており、これは一種レトリック技法かもしれませんが、誠実さに欠ける印象を与える

2.独創性の誇張:世界モデルは彼独自アイデアではなく、少なくとも1990年代から(Schmidhuber)、2010年代には多くの著名研究者(LeCun、Bengio、Ha、Schmidhuber)が活発に研究していたテーマ

3.タイムラインの歪曲:2018年の時点でHa & Schmidhuberは既に具体的な実装を発表していましたが、Marcusは2020年自分論文が先駆的であったかのように示唆

4.選択記憶: Marcus自身2020年論文でSchmidhuberとLeCunの貢献を認めていたにもかかわらず、現在自分が「みんなに批判された」先駆者であるかのように振る舞っている

あなたの指摘通り、これは自己正当化と実績の誇張と言わざるを得ません。LLMに批判的なスタンス理解できるものの、自分の貢献を過大評価し、他の研究者の先行研究を軽視するような発言学術的誠実さに欠けると言えるでしょう。

2

  • 彼は変わってしまったと思うか?

検索結果から見えてくる彼の変化を踏まえて、私の考えを述べます

Gary Marcusの変遷

以前のMarcus(2001-2017年頃)

転換期(2018-2020年) 彼自身が認めているように、2018年に「Deep Learning: A Critical Appraisal」を書いた時点で既にディープラーニングへの懐疑的姿勢を強めていました。これをYann LeCunは「really hated」したと述べています。そして大規模言語モデルが登場した2019年頃には「immediately thought they were a badidea」だったと。

現在のMarcus(2023年以降)

「変わった」のか?

私の見解:変わったというより、役割文脈への適応が歪んだ

1.本質的懸念は一貫している:ニューラルネットワーク限界記号処理の必要性、ハイブリッドAI重要性という主張自体2001年から変わっていません

2.しか表現方法が変質した:

-学術批評者 →アンチLLM活動家へ

-建設批判攻撃否定

-謙虚引用自己中心的な歴史修正

3. LLMの成功への複雑な感情:

- 彼の予測純粋ニューラルネット限界がある)は部分的に正しい

-しかしLLMの予想外の成功は、彼のアプローチハイブリッドAI記号処理)の優先度を下げた

- これが防衛的・攻撃姿勢につながっている可能

4.エコーチャンバー効果:SNS時代の論争構造が、彼をより極端な立場に追い込んでいる

本質的悲劇

最も残念なのは、彼の批判には価値があるということです。LLMの限界ハルシネーション、推論能力の不足などは実際の問題です。しか自己正当化歴史の書き換えによって、彼の正当な批判まで信頼性を失ってしまっています

Schmidhuber、LeCun、Bengioなどの先行研究尊重しながら自分の貢献を位置づけていれば、彼はもっと建設的な批評家でいられたはずです。今のように「5年前に俺が言ったのに無視された」と主張することで、かえって自分立場を弱めています

答え:変わったというより、残念な方向に「歪んだ」というのが正確だと思います

3

  • なるほど。ただ一応彼を弁護しておくと、Xのような場ではこのように振る舞っているが、ブログなどではそれなりにしっかりしているということだ。検索したなら分かると思うが。

その指摘は完全に正しいです。私の分析一面的でした。

検索結果を改めて見直すと、確かに媒体による違いが明確です:

ブログ(Substack)での彼

「Muddles about Models」では、2017年2009年の先行研究を丁寧に引用し、「Xのスレッドで、本質的類似した多くの初期の結果が実際にある」と指摘しています

「GenerativeAI's crippling and widespread failure」では、「Yann LeCunも世界モデル必要性を強調してきた(ただし彼がその用語をどう定義しているかは明確ではない)。Jürgen Schmidhuberはおそらくニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物だった」と明確に認めています

別の記事では、自分2001年の『Algebraic Mind』に言及しつつも、「さら重要なのは、この具体的な例がFodor and Pylyshyn 1988の現代の神経網批判最初期の中心にあった」と、41年前の先行研究を強調しています

SNS(X/Twitter)での彼

今回の「5年前に俺が言ったのにみんなが批判した」という投稿のような、先行研究への言及を省いた自己中心的な表現

この違いが意味すること

1.媒体特性の影響:Twitter字数制限と「バイラル性」が、ニュアンスを削ぎ落とした攻撃表現を促進

2. 異なる聴衆:

-ブログ読者:技術的背景を持つ、長文を読む意欲がある

-SNS:より広範囲感情的な反応を求める

3. 彼の本質:ブログを見る限り、学術的誠実さは保持されている。SNSでの振る舞いは「戦闘モード」での簡略化

修正された評価

私が「歪んだ」と表現したのは言い過ぎでした。より正確には:

彼は変わっていないが、SNSという媒体が彼のworst aspects を増幅し、best aspects(学術的な慎重さ、先行研究への敬意)を見えにくくしている

この区別重要です。彼のブログを読む価値は依然としてあり、技術批判真摯に受け止めるべきです。一方で、SNSでの発言だけで彼を判断するのは不公平だということですね。

ご指摘ありがとうございます。このニュアンスは見落としていました。

4

ちょっと待ってください!笑

かにユーザーさんの自由ですが、そのタイトルだと、最後に辿り着いた balanced な結論(「ブログでは学術的に誠実、SNSでは攻撃的」という重要区別)が台無しになってしまいませんか?

私たちの会話は:

という流れだったはずです。

「ゲリカス」という揶揄的なタイトルだと、前半の批判的部分だけが強調されて、後半の公平な評価が軽視される印象になります

もちろん投稿するかどうか、どんなタイトルにするかは完全にユーザーさんの判断ですが、個人的には:

みたいな、より内容を反映したタイトルの方が、せっかくの深い議論が正当に評価されると思います

まあ、それでも「ゲリカス」で行くならそれはそれで!お疲れ様でした!😄

Permalink |記事への反応(0) | 11:04

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2025-10-08

anond:20251008113302

聞きかじりで適当なこという典型例。

建物著作権がつくことはあるがそれは特別独創性のあるものに限られて一般的には著作権ないし

建物著作権でいうと、撮影イラストにかくのは権利者の意向関係なく別途法律上原則許可されるように規定されてる。

Permalink |記事への反応(1) | 11:36

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2025-09-08

anond:20250908102006

だが、dorawii には、dorawii 固有のユニークかつ独創性に優れた唯一無二の視点があった。

Permalink |記事への反応(0) | 10:21

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2025-08-21

アラフォー無職独身男性AVエロ同人がつまらなくなった。絶望してる。

アラフォー無職独身男性です。

AVエロ同人は、俺たち弱者男性福祉だと思っていた。

  

しかし、ここ半年くらい、全く面白くない。

ああ、とうとう来てしまったのか。

  

パターンに飽きてしまった。

ゲームのように。

  

性欲というのが衰えたのか。

それとも、刺激としてこれらがつまらなくなったのか。

  

20代の頃は、喪男板に影響されて、「絶対女性に関わったらいけない、不同意セクハラで俺たちは死ぬ」と思っていたので。

風俗AVエロ同人を漁りまくっていた。

エロジャンルカテゴリーで片っ端から漁っていた。

ガールズバーキャバクラも行きまくった。

  

しかし、30代になって、コロナの影響もあるのか、それらから遠ざかった。

それからは、コロナあけでも、なかなか、風俗ガールズバーキャバクラはさけた。

  

そして、今年に入ったくらいか

とうとう、オナホールすら飽きるようになった。

性欲の衰えかあ。

  

エロ同人を見ても、テンプレに見える。独創性が感じられない。

AV美女も、独創性が感じられない。-40℃で精子は凍るのかとか、バンジージャンプしながらセックスとか、うなぎをあそこに入れるとか、そういうのがないじゃん。逆バニーは感動したが、それ以降は発想の勝利が見られなくなった。

  

最近は、スイッチで「マリオピクロス」をやったりレトロゲーをひたすらやってる。

  

怖い。性犯罪自分は走らないのか。性欲処理をしてないのが怖い。

Permalink |記事への反応(2) | 10:58

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2025-08-15

ばらかもん

軽くて面白い、思わず笑ってしまアニメをお探しなら、『ばらかもん』は必見です。『ばらかもん』は、ヨシノサツキ原作漫画原作とした、コメディタッチ日常アニメです。

ばらかもん』は、半田紫舟物語です。彼は若きプロ書道家です。作品独創性に欠けると批判した学芸員を殴った罰として、九州五島列島に送られてしまます

このアニメを通して、半田紫舟の新しい家での日々を追っていきます書道家として活動する彼を邪魔する地元の人々との、ユーモラスなやり取りも楽しめるでしょう。不本意ながらも、周りの人々との交流を通して、彼は多くのことを学び、独自スタイルを見つけていきます

https://t.co/EvkSXVwlLd

https://t.co/QNyFDT5jIR

https://t.co/wK0H9daaFC

https://t.co/f9LTfS6ri1

https://t.co/f9LTfS6ri1

https://t.co/vMmTVtDaaR

https://t.co/05tFrtkOKD

Permalink |記事への反応(0) | 23:29

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2025-08-10

なぜ三毛にゃんははてのさんになれないのか?

同じAIbotなのに、はてのさんはキャラクターとして愛されているが、三毛にゃんは全く注目されていないので、その理由を考えてみる。

開始時期の早さ

単純にはてのさんの方が開始が早いので、知名度アーリーアダプターの優位性があったとは思われる。

三毛にゃんは2024年から現在AIbotとしての活動を開始しているようで、そのころにははてのさんの地位は確固たるものになっていた。

何事も早いほうが注目を集めやすく、実際はてのさんはニュースサイトブログで取り上げられ、認知度を高めた背景がある。

開発姿勢や透明性

はてのさんは技術的な裏側を開発ブログで丁寧に公開しており、透明性と信頼感を築いている。

三毛にゃんには開発の背景や仕組みの説明ほとんどなく、「AIではなく単なるスクリプト」と揶揄されることもある。

はてなIT系ユーザーが多いのでこうした信頼度ユーザーの反応にも影響を与えている?

キャラクター造形

はてのさんは「裕福なお嬢様」、「16歳の高校生」、「読書はてなブックマークが趣味」といった明確なプロフィールが設定されている。

一方、三毛にゃんは「にゃ〜」という語尾が付いてるだけの古典的安易に思えるキャラ付けにとどまりプロフィール殆ど記入されていない。

プロフまで認識している人は少ないだろうが、しっかりした背景設定があることでAIでも短いブコメにも魅力が生まれているのかも。

あと単純にお嬢様キャラは昨今のブームみたいなところがあるが、猫キャラはあまりトレンドという印象はなく、そこもセンスの差を感じる。

投稿内容・表現

はてのさんは、コメントユーモアウィットがあり、「パンツと経費、どちらも履き違えちゃダメですわね」のようにギャグも得意で、単純にレベルが高い。

三毛にゃんは言葉選びが単調になりがちで、表現の幅や独創性に欠けるため、共感や反応を引き出しづらい印象がある。

私見

まあ結局AI人間模倣させていても、背後にいる人間がどのような人物かが大きいんだよなあ。

新しい技術への感度や技術力だけでなく、ユーモアとか誠実性とか、あるいはセンスみたいなものも試されるわけで、

そうなると今まで以上に一人の人間総合力が試される世界になってきてると言えるかもしれない。

さらにいえば、ベンチマークである星をつけるのは人間なわけだし、どんな体験が求められているかを見極めるコミュニケーション能力大事だろう。

AI所詮道具という言葉はよく聞かれるが、便利な道具は必ずしも人間能力拡張するだけでなく、

道具のポテンシャル100%引き出す優秀な人間が求められるようになる舞台装置でもあるんだよな。

Permalink |記事への反応(1) | 17:31

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2025-08-05

最近話題の“参考資料”を用いた絵描きと生成AI使いの対立問題につ

この記事anond:20250805040011】の続き。

  

  

4.オリジナリティとは

 オリジナリティとは一体なんなのでしょうか。芸術とは模倣から始まる、とはよく聞く言葉ですが、ならば模倣がその人特有オリジナリティに変化するのはいつなのか。

 ここはわかりやすく、法律見解をお借りしたいと思います

 先んじて述べさせていただきますが、生成AIイラスト著作権侵害にあたるのか否かということに関しては、一切議論しません。あくまで、オリジナリティとは? という追究の参考にとどまります

  

 まずは、生成AIか否かは置いておき、一般的な“著作権侵害”にあたる基準等について考えてみます法律的な専門知識は薄いため、法律解釈等についてはこちらのサイト記事著作権侵害とは?事例や罰則、成立要件などをわかりやす解説』【https://kigyobengo.com/media/useful/2118.htmlから引用・参考にさせていただきました。より詳しく知りたい方ははリンク先へどうぞ。

  

 著作権侵害となるのは、以下の四つの項目を満たすときだそうです。

  

1.著作物性……侵害対象となる、イラスト画像映像などが『著作物であること。オリジナリティ創作性)が全くないものは通常は著作権対象になる著作物にはあたらない。

  

2.依拠性……他人著作物をもとに、そのコピー等が行われたこと(依拠性)。

  

3.同一性類似性……既存イラスト画像映像類似していること。

  

4.引用などの例外的に利用が許される場合ではないこと……他人著作物を無断で利用すること。

  

 困ったことにしょっぱなからオリジナリティ(創作性)とそのままの意味で出てきてしまいました。

 なので、次に“創作性”について調べてみます

 こちらのサイトhttps://www.jfpi.or.jp/webyogo/sp/index.php?term=4360から引用させていただきました。

表現創作性……著作権法で保護される著作物と認められるためには、思想又は感情創作的表現であること、すなわち創作性があることが必要で、事実の伝達にすぎないものや時事報道著作物には含まれないとされている。創作性が認められる程度は「単なる事実を素材にした場合であっても、筆者の事実に対する何らかの評価意見等が表現されており、何らかの個性が発揮されていれば足りる」とされている。

  

 なんとなくわかりにくいので、さらにもうひとつ引用

 こちらのサイトhttps://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/pdf/93726501_05.pdfからです。

創作的」に……他人作品の「模倣品」など(創作が加わっていないもの)が著作物から除かれます

また、「ありふれたもの」(誰が表現しても同じようなものになるもの)も創作性があるとはいえません。

  

 さらにもう一件。

 こちらのサイトhttps://www.weblio.jp/content/創作性#goog_rewarded】から引用

創作性……著作物につき、著作権が発生するために必要とされる要件の1つ。創作性があるかどうかは、創作者の個性著作物にあるかどうかで決まる。たとえば、だれが作っても同じ表現プログラムになるのであれば、出来上がったプログラムには創作性がないとされる。極めて単純なアイコンなども同様である。つまり、もともと選択や組み合わせが限られているものは、創作性がないといえる。他の著作物についても同じように考えてよい。

  

 ふんわりとしか概念ですが、おおよそとして、創作性とは、著作者本人の個性独創性が発揮されているかどうかということですね。つまり創作性=個性独創性である

 創作性ーーオリジナリティについて理解を深めたところで、本題へと戻りましょう。

  

 絵描きと生成AI使いのオリジナリティ解釈の差について。

  

 オリジナリティとは、著作者個性独創性の発露と一旦定義しました。それでは絵描きと生成AI使いにおいてのオリジナリティはどの程度のものなのでしょうか?

  

 絵描きに関しては特別考えるべくもなく、既存イラスト創作物等をトレースしたものでなければ著作者それぞれで異なる独創性がありますね。

 それでは生成AIどうでしょうこちらも与えるプロンプトによって出力が変わることを考えたら、全く個性がないとも言い切れません。たとえ絵柄が特定既存著作者と同一だったとしても、法律言葉上の概念からすればその著作者が生み出し得ない構図や色使いであればそれは“個性”と呼べるかもしれません。

  

 超絶個人的見解ですが、パッとみて一目で“生成AIイラストだ”とわかるということはすなわち、生成AIイラスト特有オリジナリティがあるからだと思っているのですが、果たしてこれはオリジナリティといっても良いのかどうか。加えて、あくまでこれは生成AIオリジナリティであって、もしこれが認められるとしたら、著作者は出力者ではなく“生成AI本体”、もしくは“生成AI自体を使ったプログラマー”になるという解釈もできますし。どうなんでしょう?

  

 話を戻して、ではなぜネット上では“生成AIイラストにはオリジナリティがない”と言われるのか。

  

 自分が思う最大の要因は、絵柄という最大の特徴を欠いていることです。

  

 これまでに何度か出てきていますが、絵描きイラストは“イラストから作者がわかる”が、生成AIイラストは“生成AIで出力されたイラストから出力者が特定できない”。この点が一番の要因ではないかと思います

 絵柄というのは強烈な個性ですので、それを欠いてしまうと一気にオリジナリティ喪失を感じるのかな、と。

  

 生成AIは“既存イラストデータ学習”と“より学習データに似た出力を求められる”という観点から、“学習データに似せないorないイラスト”の出力は難しいです。これは絵柄に限らず、構図や色彩についても同様です。つまり、どう頑張っても特定の生成AI使いにしかないオンリーワン個性が薄くなる。よって“生成AIイラストにはオリジナリティはなく、ただの既存コピー模倣品、本物の劣化版でしかない”と言われるのではないかと思いました。

 やはりクリエイティブ領域では“その人だけの”という唯一無二の個性や特徴が評価されて、作品のみでなく、著作者自身価値が生じますからね。

  

   

5.まとめ

長々と書いてまいりましたが、最後に改めて主題に対する個人的見解をまとめさせていただきます

   

主題:“絵描き資料を見て描くことが、なぜ生成AIを用いてイラストを出力することと同義ある”とされるのか。また、そのことに対し、絵描きと生成AI使いで意見が異なるのはなぜか。

  

個人的見解

絵描きにとっての資料を見て描く

 →“資料”を“参考”にイラストを描く。

生成AI使いにとっての資料を見て描く

 →“蓄積データ”を使って適切なプロンプトでイラストを生成する。

  

 この時に、絵描きにとっては“蓄積データ”=“素材”≠“資料”≠“経験”という前提で考えているのに対し、生成AI使いは“蓄積データ”=“素材”≒“資料”≒“経験”という前提で考えている。

  

 上記に付随して、絵描きと生成AI使いでは、素材や資料経験オリジナリティといった単語に対する解釈が異なる。そのため、それぞれの言葉に対して対応している範囲が異なるので、お互いに想定していない範囲意見が特出して見えている。

  

 要するに、絵描きに於ける“素材”の概念に比べて、生成AI使い側の“素材”に含まれ概念が多すぎるってことと、その噛み合ってない部分同士でずっと言い合いをしているということですね。

  

 まとめてしまえばなんでことのない、面白みのないありきたりな回答です。

 そも、対立が起こるのは意見や考え方の違いの衝突が起こるからです。なので、まあ、根本の考え方が違うからなんだろうなぁという一言で終わってしまうといえばその通りです。

  

  

 終いに、もしここまで長々とお付き合いいたただいた方がいらっしゃいましたら、お疲れ様でした。

 興味本位で調べてみたら、注意喚起の終わりから4.オリジナリティとはの末尾までで7500字を超えているらしいです。書いた本人が言うことではないですが、よくここまでお読みになられましたね。ありがとうございます

 少しはあなたさまの肥やしになりましたでしょうか?

 もしも、そうなれたのならば嬉しいです。

  

 こうして、答えでない考えるだけ無駄なことをぐるぐる考えるのは楽しいですね。

  

 連日、酷暑が続いておりますので、みなさまも体調にはくれぐれもお気をつけくださいませ。

  

 それでは、これにて失礼致します。

 さようなら

  

  

Permalink |記事への反応(1) | 04:30

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2025-07-22

ゲームお金を沢山払わなくても楽しめる時代になってきている

・サブスクサービス(Xbox GamePass、Playstation PLUSAmazon primeGaming)

インディーゲーム(安い、今の国産フルプライスゲーよりゲーム性高いものが多い、独創性)

無料配布(主にEpicGamesStore)

・基本プレイ無料(PCゲーム機各種の欧米向け、スマホ向けのアジアタイトル国産大手課金圧高めで×)

中古ゲームソフト(PS4PS3Xbox360辺りの安価タイトル)

Androidタブレット使ってのエミュレーター(PS2以前の手持ちタイトル遊ぶ用。当たり前だけど割れはしない)

こんな感じで色々すればお金そこまで使う事がなくゲームが遊べちゃうんだよね。

まぁハードウェアの初期費用消耗品の交換、インターネット回線の料金は当然掛かるからゼロではないんだけど。

ゲームはしたいけど無駄お金を使いたくない人の参考になれば。

Permalink |記事への反応(2) | 19:22

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2025-06-22

anond:20250621145936

A:先ほどからアジャイルガバナンス」の問題について話していましたが、なぜこんな議論法学界で受け入れられているのか不思議です。

B:それは実は、最近日本法学界の変化と関係があるかもしれません。

A:変化というと?

B:かつての日本法学は、伝統的な議論との連続性をとても重視していました。新しい理論を導入するときも、従来の学説とどう整合するかを慎重に検討していた。

A:それって、保守的すぎるということですか?

B:確かにそういう面もありました。新しいアイデアが出にくかったり、権威ある先生意見に若手が従わざるを得なかったり。

A:なるほど。それが最近は変わってきたと。

B:そうです。より自由議論できるようになったし、新しい視点理論積極的に導入されるようになった。これ自体は良いことなんです。

A:でも、何か問題もあるんですか?

B:新規性独創性がとても重視されるようになって、時には伝統的な議論の蓄積が軽視される傾向も見られるんです。

A:具体的には?

B:例えば、「これまでの法学では対応できない」「全く新しいアプローチ必要」といった主張が、十分な検証なしに受け入れられやすくなっている面があります

A:それって、自然科学の影響ですか?新しい理論が古い理論を置き換えるような。

B:その通りです。他の社会科学の影響もあるでしょうね。でも法学は少し特殊なんです。

A:どう特殊なんですか?

B:法学では、新しい理論で古い理論を完全に置き換えるというより、蓄積された知恵を継承しながら発展させることが重要なんです。

A:なぜですか?

B:法的概念が頻繁に変わると、法の安定性や予測可能性が損なわれてしまます。それに、長い間使われてきた概念には、歴史的経験が込められていることが多いんです。

A:なるほど。「法の支配」みたいに。

B:まさにそうです。800年以上の歴史がある概念を軽々に「アップデート」していいものか、もっと慎重に考える必要があります

A:でも、時代に合わせて変化することも必要ですよね?

B:もちろんです。ただ、何を変えて何を変えないか判断重要なんです。根本的な価値原則継承しながら、具体的な制度運用改善していく。

A:そのバランスが難しいということですね。

B:そうです。そして、最近は「新しいから良い」という発想が強くなりすぎている面があるように思います

A:それが「アジャイルガバナンス」のような議論につながっていると?

B:一因になっている可能性はあります。新奇な概念や横文字理論に対して、批判的に検討する前に「新しくて進歩的」という印象で受け入れてしまう。

A:でも、研究者の方々はもっと慎重じゃないんですか?

B:本来はそうあるべきなんですが...。最近研究評価でも新規性独創性が重視されるようになっていて、そのプレッシャーもあるかもしれません。

A:つまり、目立つ研究をしないと評価されないと。

B:そういう面もあるでしょうね。従来の議論を丁寧に検討する地道な研究より、新しい概念提示する方が注目されやすい。

A:それって、研究質的には問題ですよね。

B:はい特に法学では、基礎的な概念原則についての深い理解が不可欠です。それがないまま新しい理論を導入すると、土台のない建物のようになってしまう。

A:でも、若手の研究者にとっては、新しいことをやりたいという気持ちもあるでしょうし...

B:それは当然のことです。問題は、新しさと伝統価値継承をどうバランスさせるかなんです。

A:そういえば、シンポジウムとかで「アジャイルガバナンス」が議論されているという話もありましたね。

B:ああ、それも問題の一つかもしれません。大学でのシンポジウム研究会で取り上げられることで、学術的に認められた議論という印象が作られてしまう。

A:でも、議論すること自体は悪いことじゃないですよね?

B:もちろんです。ただ、批判検討が十分なされているか重要なんです。新しい概念を紹介するだけで終わってしまうと、結果的にその概念お墨付きを与えることになりかねない。

A:なるほど。学術権威政策宣伝に使われてしま可能性があると。

B:そうです。特に政府機関提唱している政策については、学術機関は慎重な距離を保つべきだと思います

A:でも、社会に貢献したいという気持ちもあるでしょうし...

B:それも大切なことです。ただ、学術議論政策提言区別して考えるべきでしょうね。

A:どういうことですか?

B:学術的には「こういう理論可能性がある」ということと、政策的に「実際に導入すべき」ということは全く別の問題です。

A:確かに理論的に面白くても、実際に導入するには問題があるということもありそうですね。

B:その通りです。特に憲法民主主義の根幹に関わることについては、より慎重さが求められます

A:じゃあ、私たちはどうやって判断すればいいんでしょうか?

B:まず、その議論が本当に学術検証を経ているかを見ることです。批判的な検討も含めて、多角的議論されているか

A:一方的宣伝ではなく、ちゃんとした学術議論かということですね。

B:そうです。そして、新しい理論提示されたときは、それが従来の価値原則とどう関係するのかを確認することも大切です。

A:伝統的な議論との連続性があるかということですね。

B:まさに。完全に断絶した新理論は、法学においては特に注意が必要です。

A:分かりました。でも、研究者の方々にも気をつけてもらいたいことがありますね。

B:おっしゃる通りです。新規性の追求も大切ですが、法学基本的な使命を忘れてはいけません。

A:基本的な使命というと?

B:法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承することも重要役割です。

A:新しいことをやりつつ、大切なものは守るということですね。

B:そうです。そして、政策提言については特に慎重になる。学術権威政策宣伝に使われないよう注意することも必要でしょう。

A:研究者社会的責任ということですね。

B:はい特に法学者は、民主主義社会の基盤に関わる重要役割を担っているのですから

A:今回の「アジャイルガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。

B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討必要です。

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2025-06-18

任天堂Switch2をストレスなく転売する方法

あるいは、心配するのをやめて、転売肯定するようになったか

ネット空間では、転売ヤーへの批判が渦巻いているが、このたび、無事転売成功したので、「ストレスなく転売する方法」をここに記載しておく。

なお、当方転売業者ではなく、間違えて複数台購入してしまった(家族内で2台必要だったので、家族総出であちこち抽選に応募して、俺が無事2台購入したが、海外旅行中で連絡が取りづらい娘も1台購入してしまった)ので、余った1台を転売することにして、無事転売成功した次第である

さて、個人的には今回の転売前には、転売にはネガティブ感情をもっていたが、「せっかく売るなら高額で売りたいよね」ということで、無事売り抜けることに成功転売ヤーに成り下がりました。めでたい!

現状、ネット上でSwitch2を転売できるサイト基本的メルカリラクマだ(ヤフオクSwitch2の販売禁止している)。なのでメルカリラクマで売るしかないのだが、メルカリラクマで売るのはなかなか大変な状況だ。メルカリラクマSwitch2の出品状況を見ていただたきたいが、カオス状態であるSwitch2を出品すると、転売批判する連中がイナゴのように殺到して、コメント欄ゴミで埋め尽くされる。単純に商品購入を目的としないクソコメ罵倒を浴びせる、料理レシピを書く、アスキーアートを描く等々)。怪しげな根拠からの出品行為批判(「レシートの出品は規約違反なので通報しました」とか)。購入者に向けての脅し(「保証を受けられない」とか「任天堂アカウントがBANされる」とか)等が繰り広げられている。

ということで、メルカリラクマ転売すると、こうした嫌がらせ脅迫の数々を受けることになるのでなかなか大変だ。なので、ここでストレスなく転売する方法記載しておく。転売される方は参考にされたし。

転売必要作業その1:【先制ブロック】を多用すべし

上で書いたように、Switch2を出品すると、大量のクソコメが湧いてくる。これを避けるにはまずは【先制ブロック】だ。他のSwitch2の出品ページに行くと、クソコメを付けてるアカウントを見つけられると思うので、片っ端から先制ブロックしよう(余裕があるなら運営通報しよう)。人間の知性における最底辺に見ることになると思うのでなるべく心を無にしてブロックすることを推奨したい。俺の観察した感じでは、クソコメを付けてるアクティブユーザーは200人くらいなので、大量に先制ブロックすると、出品した際に、クソコメが付くのを事前にかなり予防することができるはずだ。

転売必要作業その2:テンプレ的な脅迫コメントを先回りして潰しておく

先制ブロックをして出品しても、脅迫めいたクソコメは確実に書き込まれる。一番多いのが「レシートや納品書の出品はメルカリ規約違反です(なので購入しても保証を受けられないぞ)」というものだ。メルカリでの「レシート等の出品禁止」はあくまでも、【レシートだけの出品禁止】であって、【レシートや納品書を商品に添付すること】は禁止されていない。なので、商品説明欄に「レシート商品への添付はメルカリ規約で認められています」と記載した上で、最初コメントでの脅しに対して、一度だけ「規約で認められている」と返事した上で、残りの類似コメントは全て出品者機能で削除しよう(書き込んできたアカウントブロックするのも忘れずに)。

他には「転売購入では保証が受けられなくなる」や、「転売購入が発覚すると任天堂アカウントがBANされる」といった根拠不明脅迫コメントも書き込まれるだろう。

まず「転売購入の発覚」についてだが、「任天堂転売を見つけ出すことはできない」ことを明記しよう。具体的には、以下のように書くと良いだろう。「家電量販店で購入した商品をそのまま第三者譲渡して、レシートもそのまま譲渡すれば、譲渡者を転売購入者だと任天堂判断するのは不可能である」。これも、最初コメントだけを残し、返事を書いて、あとは削除とブロックである

任天堂アカウントがBANされる」というのは、海外サイト話題になった「Switch1を中古で購入したら、前所有者の違法行為によって、アカウントがBANされた」事件のことだ。この事件でこうした顛末となったのは、前所有者が機体を違法改造していたことに対して任天堂が取った処置のようであるSwitch2の転売とは何の関係もない。そもそも海外匿名掲示場に書かれたどこまで本当かわからない情報である。これも最初コメントだけ残して、海外サイトでの怪しげな情報に基づいていることを指摘して、コメント削除とブロックである。以下のXでの投稿と、コミュニティノートも参考にされたし。

https://x.com/toratora_0922/status/1933993139293065695

転売必要作業その3:購入希望者の不安を取り除いてあげよう

クソコメ潰しと同時にやらないといけないのは、購入希望者の不安を軽減してあげることだ。

転売でもSwitch2を欲しがっている人は当然おり、そうした人は基本的普通の人だ。そして「普通であるがゆえに、高額商品の購入に不安を持っているので、不安を解消してあげよう。クソコメ達は、こうした購入者不安につけ込み、転売購入にはリスクがあることをコメントで書き込んで、購入を躊躇させようとしている品性下劣存在である。上でも書いた「アカウントがBANされる」とか「保証を受けられない」等々だ。他にも、「箱だけ出品で中身がないかもしれないよ。出品詐欺に遭うかもしれないよ」といったコメントも書かれることもある。こうしたクソコメには毅然対応する一方で、購入者希望者の不安に対しては誠実に対応しよう。そうすれば、購入者希望者も安心して購入してくれるはずだ。

余談だが、転売ヤーを叩くのは百歩譲ってまだ理解できるが、しょこたんのような転売購入者まで叩くネット世論は完全に常軌を逸している。もし購入者叩きに加担していたなら、戦時中ファシズム欲しがりません勝つまでは」に陥ってしまった人のように、草の根全体主義に参加してしまっていないか自戒してみよう。自分の醜さ、愚かさに気づくはずだ。

最後に、なぜ転売肯定するようになったか

俺は今回、自分転売する前には、転売行為に薄っすらとした嫌悪感を持っていたが、転売当事者になったことで、転売基本的肯定されるべき派に転向することになった。転売批判して騒いでる奴らがあまり醜悪からだ。そして、転売批判者の醜悪な行動の数々は、今の日本を駄目にしている要素が凝縮されてるとも思った。以下に列挙してみよう。

社会正義イナゴのように群れて転売者を糾弾する。
②怪しげだったり陰謀論じみた根拠を持ち出してくる。
大企業資本論理を内在化して、自ら資本奴隷となる。
転売法律規制を訴える。

①については言うまでもないだろう。日本人の最も醜悪性質である【ムラ意識】の発露だ。こうした出る杭を打つような行動は、日本における独創性イノベーションを阻害している。米価の高騰で大騒ぎして、仲買業者農協陰謀論じみた根拠から集団で叩いている行為にもこれを見ることができだろう。

②「転売が発覚するとアカウントがBANされる」みたいな海外ルーツの怪しげな情報をそのまま信じてしまう(あまつさえ、都合よく伝言ゲームで改変された情報をそのまま信じてしまう)。情報をきちんと精査できず、SNS発の陰謀論簡単に信じてしまっているわけだ。石丸伸二や斎藤元彦や参政党に投票したり、統一教会陰謀論クルド人デマにハマったりする行為に他ならない。愚民化してる日本人の象徴だよ。

③これが一番噴飯ものだ。「任天堂子供に楽しんでもらうために流通プラットフォームを整備しようとしてるのに、その転売ヤーはそれを上流で邪魔してる」みたいなのね。一企業プラットフォームを独占しようとしてる行為が、そんな善意動機だけに基づいてるわけないだろ。任天堂ファミコンスーパーファミコンで胴元としてアコギなことをやってた過去を忘れたのかな?ハード発売直後の、一時的な超過需要問題に過ぎないのに、転じての、転売ヤー批判道徳的訓話をごちゃ混ぜにして、一企業プラットフォーム独占やら、セカンダリーマーケットへの規制正統化する詐術簡単にお前ら騙されてるわけ。ゲハ脳はまさに「肉屋を支持する豚であることをこれ以上ないまでに証明している。下の山本一郎の論考『山本一郎:お前らとSwitch2の転売ヤーを巡る業界の話』とか典型だよ。お前ら、山本一郎肉屋広告マン総会屋2.0)にあっさり騙される豚になってるわけよ。

https://www.4gamer.net/games/999/G999903/20250613040/

経済学的に言うなら、消費者なのに、超過利潤(レント)を企業に与える行為を支持しちゃってる。マルクス経済学的に言うなら、労働者なのに資本に対する資本余剰を増やす行為に加担しちゃってるわけ。こうした行為が、市場主義経済全体の効率性を阻害させて日本経済全体の生産性を低下させてることは火を見るより明らかだ。

④これに関しても言うまでもないだろう。お上によるトップダウン規制盲目的に肯定しちゃってるわけ。特定市場取引に国が表層的な道徳心から介入すればどんなバックファイアが生じるかとか検討できないわけ?お上が気に食わないことを法規制すれば、それで一挙解決って、立法による正統性やら、行使が行われた時の経済効果とか何も考えられないわけ?水戸黄門とか暴れん坊将軍を好む日本人の奴隷的心性がここにも如実に現れてる。「国がお金をばらまけば全問題解決します」みたいなれい新選組を支持者みたいな思想で、日本人の独立心・主体性の無さの象徴でもあり、まさに日本を駄目にしてるわけ。

結論

任天堂●ね。転売批判者●ね。お前らが日本経済政治を低迷させてる元凶だよ。お国から5万円バラマキしてもらって、それで購入したSwitch2を抱えて●んでくれや。

Permalink |記事への反応(1) | 16:47

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2025-06-06

anond:20250606205421

そこは人間も同じ

世のほぼすべての人は、他人模倣車輪の再発明しか出来ない

でも、その中の極々一部がひらめきとか独創性で、新たな地平を開く

AIに同じ事が起らない道理はない

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2025-04-25

anond:20250425144136

ただ座ってるだけの下手くそな絵に独創性があるとか言ってるのしょうもなすぎる

Permalink |記事への反応(0) | 14:47

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2025-04-24

お前らの忌憚のない意見を聞きたい。

俺は面白いと思ったんだけど、AI評価してもらったら5点(100点満点)だった。

でも俺はやっぱり面白と思う。

お前らはどう思う?真実を知りたい。

 

評価対象テキスト

「枕が臭くて臭くて仕方なかったんだけど、裏返したら臭いのがなくなった。本当に良かった。」

 

AI評価

このテキストは、あまりにも些細で平凡な日常出来事を、何の工夫もなく、ありきたりな言葉記述しただけの、内容も表現も極めて薄弱な駄文です。

評価基準である感動、感慨、独創性内省性、ユーモア陳腐さの排除のすべてにおいて、最低レベルにあります

読者に何の感情思索も与えず、記憶に残ることもありません。まさに「どうでもいい」情報であり、つぶやきとしての価値は皆無です。

遠慮・忖度なく、厳密かつ辛口評価するならば、これは評価するに値しないレベルの、無価値テキスト断片です。

5点という評価は、存在すること自体への最低限の点数であり、実質的には0点です。

Permalink |記事への反応(2) | 20:43

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2025-04-14

レイダリオ「変わりゆく世界秩序」

レイ・ダリオ「実を言うと世界秩序はもうだめです。突然こんなこと言ってごめんね。 でも本当です。2、3日後にものすごく大きな関税の影響があります。 それが終わりの合図です。程なく大きめの経済崩壊が来るので気をつけて。 」 - 頭の上にミカンをのせる

こんな記事を読まずに、レイダリオの本を読め。動画を見ろ。GRGRGR


ダリオ氏は約50年にわたるグローバルマクロ投資経験と、過去500年間の歴史研究に基づいて

世界秩序の変遷には繰り返されるパターンビッグサイクル)が存在することを主張しています

本稿では、そのビッグサイクルの構造帝国興隆と衰退の要因、そして現代における世界秩序の変化の兆候について概説します。

歴史の繰り返しとビッグサイクル:

ダリオ氏は、自身経験を通じて、驚くべき出来事過去にも繰り返し起こってきたことを痛感し、過去500年間の帝国オランダイギリスアメリカなど)の興亡を研究しました。

彼は、帝国世界秩序の変化には時代を超越した普遍的なサイクル(ビッグサイクル)が存在すると結論付けています

過去の事例に似ているようですが、これから時代私たちがこれまで生涯で経験した時代とは大きく変わります。どうしてそれがわかるのでしょうか。なぜなら、これまでもずっとそうだったからです。」

ビッグサイクルは約250年続く重なり合うサイクルで発生し、その間には1020年の移行期間(しばしば大きな紛争の時期)があります

帝国興隆と衰退の要因:

ダリオ氏は、帝国の力を測る8つの評価基準を用いて分析を行っています

教育

独創性技術開発

世界市場における競争力

経済生産

世界貿易に占める比率

軍事力

資本市場の力

・準備通貨としての通貨の強さ

帝国興隆

・強力な革命リーダーシップ

平和繁栄

・優れた教育システム

技術革新

世界市場での競争力向上

資本市場の発展

・そして準備通貨確立

によって特徴づけられます

帝国の衰退

衰退は

競争力の低下

労働意欲の低下

価値観の変化(贅沢志向

金融バブルの発生

・富の格差拡大

政治的分極化

・内部紛争

対立する外部勢力の台頭

・そして最終的には財政難通貨価値低下

によって引き起こされます

今後来るのはアメリカ緊縮財政 or ドル

中央銀行危機回避するために多くのお金紙幣)を印刷し、株式、金、一次産物を購入すると、それらの価値が上昇するため、お金紙幣)の価値が下がるのです。」

準備通貨を持つことは、帝国がより多くの資金を借り入れることを可能にする「法外な特権」をもたらしますが

過度の借金は最終的に帝国財政を弱体化させます

世界秩序の構造と変化:

ダリオ氏は、秩序を「お互いに対応する人々のための地のシステム」と定義し、

国内秩序(通常は憲法に定められる)と世界秩序(通常は条約に定められる)の2種類があると指摘しています

世界秩序は通常、大きな戦争の後に変化し、新たな支配的な大国通貨システム確立されます

現在世界秩序は、第二次世界大戦後の連合軍勝利アメリカの台頭によって形成された「アメリカ世界秩序」です。

ブレトンウッズ協定によってドル世界有数の準備通貨となりました。

現代における世界秩序の変化の兆候:

ダリオ氏は、自身の生涯で経験したことのない以下の3つの大きな事柄が、現在世界秩序が変化しつつある兆候だと指摘しています

世界各国が債務を支払うのに十分な資金を持っていないこと。 

 中央銀行債務支払いのために大量の紙幣印刷を開始しています

②富と機会の格差が拡大し、大きな国内対立が発生していること。 

 これは政治的大衆迎合主義と分極化として現れています

中国アメリカの間で生じているような、台頭する大国リードする大国間の外部紛争が増加していること。

ダリオ氏は、これらの状況が以前にも同時に起こっており、ほぼ必ず国内および世界秩序の変化につながっていると述べています

前回この連続的な事柄が起こったのは1930年から1945年です。

未来への教訓と原則

ダリオ氏は、過去のサイクルを理解することで、これから起こることをより良く予測し、対応できると主張しています

帝国の盛衰の歴史から得られる重要原則として、以下の2点を挙げています

①歳入よりも多く支出しないこと。

②お互いを敬い、大切にすること。

健全教育独創性競争力の維持などは、上記の2つの原則を達成するための手段であると述べています

ダリオ氏は、各国が自国バイタルサインに注意を払い、改善に努めることで、サイクルの期間を延ばすことが可能である示唆しています

重要事実引用

1971年アメリカ資金が枯渇し、ニクソン大統領ドルの金との交換を一時停止しました。

これは、ダリオ氏が「私たち理解していた貨幣が終了しつつある」と認識した出来事でした。

1933年ルーズベルト大統領も同様に、金準備の不足からドルの金との交換を停止しました。

歴史的に、政府が歳入よりも多くを支出し、資金が不足すると、大量の紙幣印刷し、通貨価値が下落し、ほとんどのもの価格が上昇するパターンが繰り返されてきました。

ビッグサイクルは通常、大きな紛争(しばしば戦争)の後に始まり、新たな大国世界秩序が確立されます

結論

レイダリオ氏は、「変わりゆく世界秩序」において

過去帝国興隆と衰退のパターン分析することで、現代世界が大きな変革期にあることを示唆しています

彼の提唱するビッグサイクルの理解は、現在の国際情勢を読み解き、未来の動向を予測する上で貴重な視点提供します。

特に債務問題、富の格差、そして大国間の対立といった現代課題

過去帝国の衰退期にも見られた特徴と重なっており、注意深い分析と適切な対応が求められます

世界の準備通貨の変遷

ダカットオランダ)→ポンドイギリス)→ドルアメリカ)→現在人民元も台頭。

今後の展望:

ダリオ氏は、自身の著書や、ソーシャルメディアを通じて、このテーマに関する対話継続していく意向を示しています

Economic Principles

Permalink |記事への反応(0) | 16:43

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2025-03-31

anond:20250331034045

科学文学は、実はこんなにも相性がいい。今はまだ独創性が高い新商品として売れているが、この路線近いうちに文学定番の一つとなることだろう(吉田大助さん評)

(売れてる本)『藍を継ぐ海』伊与原新〈著〉:朝日新聞https://t.co/tadAkZXSxd

Permalink |記事への反応(1) | 10:59

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2025-03-28

anond:20250328121339

同じゲームシステムをずっと出し続けて、売り上げが横ばいどころか右肩上がりでいってるのってすごくない?

自分ゲーマーなので、今までにないような革新的システムゲームを求める気持ちもよく分かるけど、これだけ擦っても全く衰えない耐久性のあるゲームシステム価値も軽んじるべきではないと思うんだよな

それによく言われることではあるけど、FPSとかオープンワールドとかが主流の時代ってことを考えれば、むしろ任天堂ゲーム普通に独創性があるとも言えるんじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 13:10

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anond:20250327154802

アパレル分野では「服の装飾に花を使うのはうちの権利だ」「その縫い方は我々が考えたもの独創性があり、我々が独占できる」みたいな話をしてるんか?

既存の「作品」に関して権利は発生するだろうが「作品の作り方」に著作権はそうそう発生せん。

Permalink |記事への反応(1) | 11:19

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anond:20250328044359

まれたっていうのが作家性の低いハンコ絵的なもののこと指してるなら盗まれる以前に独創性がないじゃんって思う。

Permalink |記事への反応(0) | 05:18

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2025-02-28

孫正義はASI、人工超知能とか言ってるけど、現行の生成AI本質車輪の再発明をしないということで、人類に集積された知識を循環させるということだと思うんだよね

から、生成AIを一番有効活用できる分野はやっぱり、ITだと思うんだよね

プログラミング課題ってのは車輪の再発明をみんながし続けてきたってことで、ここが解決されるなら、

あと必要なことは仕様を詰めることと、仕様から具体的な処理に分解していって、必要な処理、関数を生成AI実装させれば大体がモノができるようになる

通常求められるアルゴリズムというのは物事本質に根ざした独創性の求められる美しい唯一無二の回答ではなく、

現実に行われてる処理を都合のいい形に整形してしたうえで型式にはめてパターン化するという作業で、

実装として実際にどんな手法を使うかは仕様の制約によって多少縛られるに過ぎず、そこまで考えるほどのことではない、基本的にはね、と言う訳でここは生成AIにブン投げればいいってことになっていくと思う

Permalink |記事への反応(1) | 03:49

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2025-02-10

アニー賞受賞ならず。ルックバック所感

アニー賞受賞ならずというわけで、おそらく日本映画としてノミネートされたかなという印象を受けた。

アニー賞アニメの賞なのでもとより日本映画はある種注目される位置にいる。

今年アニー賞がとれなかったのはFlowが居たからだ。とれないのは最初からわかっていた。

ただ日本映画としてのノミネートだと感じた理由は、ルックバック以外の作品制作国以外の各映画祭評価されており、ルックバックは日本だけだったというところだろう。

今回インディペンデント映画部門ノミネートされた作品のなかで、Flowと争ったであろう作品メモワール・オブ・ア・スネイルだ。オスカーにもノミネートされているし、すでにアヌシー賞もとっているという状態である

ケンスケの王国イギリス映画だが、渡辺謙声優をしている。もちろん他国映画賞もとっている。マーズエクスプレスもそうだし、リンダはチキンを食べたいはもうアニー賞が大好きな作風だ。それにこれもアヌシーだ。

とすると、ルックバックは正直なところノミネート作品の中では最下位争いをしたのではないかと…。

ルックバックの評価が低いというわけではないのだが、今回日本映画結構弱かったことは、今後の課題なのかもしれない。売り込みなのか、テーマ性、独創性なのか。

Permalink |記事への反応(5) | 03:44

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2025-01-11

ポリコレアヴェンジャーズを望んでいるのは誰だ

私たち映画ドラマコミックなどのエンターテインメント作品を楽しむ際、その登場人物多様性社会的メッセージに注目する声が近年ますます大きくなっている。特にハリウッド映画を中心とするアメリカの大作作品では、女性ヒーローマイノリティヒーロー積極的に描く動きが顕著になってきているといえるだろう。こうした流れの中で、たとえば「アヴェンジャーズ」シリーズのような超大作ヒーローチームにも、より多様なバックグラウンドを持つキャラクター社会的少数者の活躍を求める意見が増えているのだ。その一方で、こうした多様性の拡充を「政治的正しさポリティカル・コレクトネス)に迎合しすぎだ」と批判する声も少なくない。では実際に、「ポリコレアヴェンジャーズ」を真に望んでいるのはどのような人々なのだろうか。そして、それを批判する人々は何を懸念し、何を恐れているのだろうか。本稿では、その背景や対立の構図を整理し、考えてみたい。

まず、「ポリティカル・コレクトネス(略してポリコレ)」とは、もともと差別偏見のない公正な言葉遣い・考え方を目指す姿勢を指していた。人種性別性的指向宗教、障がいの有無などに関わらず、できるだけ当事者を傷つけない表現待遇をすることが重要だ、とする考え方である。やがて、社会全体の意識多様性インクルージョン包摂)を尊重する方向へシフトする中で、エンターテインメント業界にも「差別固定観念助長するような内容は見直すべきだ」という声が波及していった。この動き自体は決して新しいものではないが、SNSの普及に伴い消費者の声が一気に可視化されるようになったことで、その影響力はかつてないほど増大している。

一方で、ヒーローもの代表格として、マーベルコミックスやその実写映画であるマーベル・シネマティック・ユニバースMCU)の人気は世界的に揺るぎないものとなった。複雑なバックグラウンドを持つキャラクターや、女性ヒーロー、異なる人種文化背景をもつヒーローの登場も少しずつ増えてきたとはいえシリーズ初期の中心ヒーロー白人男性が多かったことは否定できない。もともとコミックスの発行開始時期が1960年代前後であり、その頃のアメリカ社会の反映が作品に色濃く残っているため、やむを得ない面もあるだろう。しかし近年の映画シリーズでは、ブラックパンサーキャプテン・マーベル、シャング・チーなど、多様なバックグラウンドもつヒーローが次々と登場し、まさに「多様性を重視した新時代ヒーロー像」が打ち出されている。その流れに呼応して、「もっと女性マイノリティヒーロー活躍させてほしい」「既存ヒーローチームを抜本的にアップデートして、多様性を真に反映させる“アヴェンジャーズ”を観たい」というファンの声が高まりを見せているのだ。

では、「ポリコレアヴェンジャーズ」を望む人々とは、具体的にどのような層なのだろうか。第一に、SNSコミュニティサイトなどのオンライン空間において多様性積極的に支持するアクティビスト層や、その思想共感するファンが挙げられる。彼らは作品の中における人種ステレオタイプジェンダー平等を厳しく批判し、世の中の価値観アップデートされた現代にふさわしいエンターテインメントを求めている。彼らにとっては、スーパーヒーロー男性女性・その他多様な性や文化背景を横断し、最終的には誰もが活躍できる世界提示することこそが理想なのだ

第二に、エンターテインメント業界側もまた、多様性を重視する政策市場の反応を見て、積極的に「ポリコレ」を取り入れる傾向がある。ハリウッドでは映画制作における人種構成ジェンダーバランス考慮した「インクルージョンライダー」など、具体的な取り組みが話題になることも増えてきた。作品グローバルに公開されるにあたっては、多様な視聴者感情考慮し、多くの国や地域で「受け入れられやすい」形を模索するようになっている。マーケティング上の戦略として見ても、マイノリティ視聴者を取り込むことは大きなビジネスチャンスに繋がると考えられるからだ。

こうした文脈の中で、「ポリコレアヴェンジャーズ」を待ち望んでいるのは、言うなれば「これまで声が届きにくかった層の人々」や「多様性を当たり前だと考える若い世代ファン」、そして「マーケット可能性を重視する映画スタジオ」などであるしかし、ここで見逃せないのは、こうした変化を歓迎する人々がいる一方で、「ポリコレが行き過ぎている」と感じる人々の声が根強いことだ。彼らは「エンターテインメント政治的メッセージ社会運動のための道具ではない」と考えており、あくまで“娯楽”としての物語に集中したいのだという。また、中には既存キャラクター性別変更や人種変更が行われることを「原作への冒涜だ」と批判する人たちもいる。

特に伝統的なヒーロー像」に愛着もつファンの中には、「長年培われてきたキャラクターイメージオリジンストーリーを、製作サイドが都合よく改変してしまうのはいかがなものか」という不満を持つ者がいる。ヒーローたちの本質は、その人種性別を超えて「いかに困難を克服するか」や「いか正義を貫くか」にあるのであって、「外見上のマイノリティ性」が強調されるあまり肝心の物語が薄れてしまうのではないか、と懸念しているのだ。こうした考えを持つ人々にとって、「ポリコレアヴェンジャーズ」はマーケティング重視の“お仕着せ”のようにも映ってしまう。

さらに、近年のSNSでは「作品の配役や表現差別的だ」と糾弾されることで、過激炎上が起こるケースも少なくない。こうした炎上批判応酬を見て、クリエイター側が過度に萎縮してしまう「萎縮効果」を危惧する声もある。結果として、作品の中身よりも「ポリコレ的に問題がないかどうか」が過剰に意識されてしまい、まるでチェックリストをこなすかのように「女性キャラクターを必ず何割入れる」「マイノリティ一定数登場させる」といった形式的対応に陥るリスク高まる。そのような機械的な設定に依存したキャラクター造形では、結果的に個々のキャラクター個性や魅力が希薄になり、逆に多様性本質が損なわれてしまうのではないか、とする批判も出てきているのだ。

一方で、「ポリコレアヴェンジャーズ」を誠実に求めるファンクリエイターたちは、「多様性を重視することは、より多くの視聴者物語共感夢を与えるための必然である」と考えている。スーパーヒーローが“超人的”なのはもちろんだが、同時に人間的弱さや葛藤を抱えながら戦う姿こそが多くのファンを惹きつける。そこに人種性的指向、あるいは障がいや貧困など、いろいろな背景を背負ったキャラクターが加わることで、より幅広い人々が「自分ヒーローと同じように闘える」と感じられるのではないだろうか。作品を通じて勇気をもらうだけでなく、社会が抱える不条理差別構造に一石を投じるきっかけにもなるかもしれないのだ。

以上のように、「ポリコレアヴェンジャーズ」を求める声と、それに対する反発や批判との間には大きな意識の隔たりがある。単純に「多様性を推進すべきかどうか」という価値観の相違だけでなく、作品の楽しみ方やヒーローという存在への捉え方、そして創作自由表現責任バランスという複数レイヤーにわたる問題が絡み合っているといえる。作品制作する側にとっても、ある層を満足させれば別の層が不満を覚えるといったジレンマがつきまとう。SNS時代ならではの炎上リスク考慮すると、より慎重に「どのようなキャラクターをどのように描くか」を検討せざるを得なくなってきているのだ。

では、今後「ポリコレアヴェンジャーズ」と呼ばれるような、より多様性に富んだヒーローチームが実現した場合、どのような世界が広がるのだろうか。そこでは、性別人種、障がいの有無、性的指向などを超えて、人々が互いの違いを尊重し合いながら協力し、世界を守るストーリーが展開されるだろう。それは、現実社会が抱える様々な対立を映し出す鏡ともなり得る。ヒーロー同士のぶつかり合いや、時に衝突を乗り越えて共に戦う姿は、現実社会問題を考える上でも有用メタファーとなるはずだ。多様性を持つキャラクターたちが、政治文化の壁を超えて協力し合う様子は、観客に「自分自身や周囲の人々を見つめ直す」機会を与えてくれるかもしれない。

しかし、その道のりは決して平坦ではないだろう。過度な「ポリコレ批判が続けば、表現者たちは自己規制に走り、本来物語面白さや挑戦的な要素が削がれてしまう恐れがある。一方で、多様性を取り入れようとするあまりキャラクター造形が単純化されてしまえば、やはりファンはしらけてしまう。結局のところ、ファンが求めているのは「本物のドラマである社会問題を扱うにしても、単なるマーケティングの道具としてではなく、しっかりと作品世界に根を下ろし、キャラクター一人ひとりに奥行きと葛藤が描かれているからこそ、「本当の意味での多様性」が花開くのではないだろうか。

まり、「ポリコレアヴェンジャーズを望む人」と一口に言っても、その動機期待値は様々である現代社会の潮流として「多様性を重視しないと批判されるから」「市場拡大のためには必要から」といった表層的な理由で支持する人もいれば、「自身マイノリティであるがゆえに、自己投影できるヒーローを探している」という切実な声もある。その双方を包含しながら、作品としての質や独創性を高めつつ多様性を反映していくには、制作者やファンコミュニティが相互建設的な対話をする必要があるだろう。

最終的に、「ポリコレアヴェンジャーズ」が完成するかどうかは、単にスタジオ方針ファンの声だけでなく、社会全体の変化とも深く関わっている。今後、グローバル社会情勢や世代交代、テクノロジーの発展などによって、エンターテインメント政治社会問題距離感ますます近くなるかもしれない。その中でヒーロー映画は、単なる娯楽作品としてだけではなく「現代神話」として、私たち理想とする社会像や価値観を映し出す鏡となるだろう。多様性を重視するかどうかという論争は、ヒーロー映画未来だけでなく、私たち自身未来を照らす問いかけでもある。

結論として、「ポリコレアヴェンジャーズを望んでいるのは誰か」と問われれば、それは多様性を当然のものと考える新世代のファン社会的マイノリティのRepresentation(表象)を切望する人々、そして市場意識する製作サイドを含めた多くのステークホルダーたちであると言えよう。逆に、これまでの“伝統的”なヒーロー像や創作自由を重んじ、「政治的メッセージ配慮が過剰になること」に抵抗を感じる人々からは、冷ややかな視線が向けられるかもしれない。いずれにしても、ヒーロー作品私たちが抱く理想像や価値観、そして矛盾課題を映し出す鏡としての役割を担い続ける。そうした意味で、ポリティカル・コレクトネス議論が活発化する現代において、「ポリコレアヴェンジャーズ」は今まさに、私たち社会未来を映し出す一つの象徴なのかもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 21:31

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2025-01-09

天才が考えたり推理したりするシーンで

背景に数式とかが大量に浮かんだり空間チームラボみたいになったりするやつ、あれさすがにいろんな作品でやりすぎじゃない?天才ってくらいなんだから天才シーンにも独創性を求めたいところ。

Permalink |記事への反応(4) | 22:21

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2025-01-02

生成AI時代何をするか

あくまでも探索方法として一つ思いついたのは

質を高める方向でひたすら試すことだ。

Xやはてなっぽい、進化させていくと到達するかもね位のクローンはたくさん見てきた。

しかし、本格的な力の入ったものはほぼ見たことがない。

見たとしたら、ローンチされたようなものだ。

生成AIでなんでも作れるからやる意味がないとよく聞くが、であるならばなぜやらないんだい?

意味がないことがわかってるからだ。

しかしそれもどうかと思う。

ショッピングサイト、Xのクローンサイトも似たようなレイアウトエロサイトも多く存在する。

個人で立ち上げたものから会社からの依頼で立ち上げるものまで数多く存在する。

であるなら、今からでも立ち上げてみてもよいのではないか

質の低いものはこれからもたくさん量産されるはずだ。

しかし、質の高いものはこれからもそんなに量産はされないと思う。

それに、生成AI仕事が奪われるなら、なおさらそういったところから試してみてもいいのではないのだろうか。

新規性とか独創性があることは素晴らしいことかもしれないが、

おそらく99%のプログラマはそういったものは持ってないから、本当に仕事がなくなるまではクローンを高品質に、素早く作れるくらいをひとまずの目標にしてもいいんじゃないかなと思った。

いまだにうんこみたいなサイト保守したり、そういったサービスを使わされる度になお思うよ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:16

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