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はてなキーワード:特権とは

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2025-10-26

国会議員が議場で禁止されている行為は、主に議院規則国会法によって定められており、議場の秩序を維持し、審議を円滑に進めることを目的としています。以下に主な禁止行為を挙げます

秩序を乱す行為

不規則発言

議長許可なく発言したり、みだりに他議員発言妨害したりすること。

みだりな離席:

議長許可なく議席を離れたり、議場を退席したりすること。

プラカードや旗の掲示

議場内でプラカードや旗などを掲げて主張することは、秩序を乱す行為とみなされます

私語や談笑:

審議中に私語や談笑をすることは、議場の品位を損なう行為とされます

議事進行の妨害

演壇を囲んだり、騒ぎ立てたりするなど、意図的議事の進行を妨害する行為

品位を損なう行為

服装携帯品の制限

議場に入る際、議員帽子、外とう(コート)、襟巻、傘、つえなどを着用または携帯してはならないと定められています病気などの理由議長許可を得た場合を除く)。

不適切服装

議院品位を損なうような服装禁止されます衆議院規則第211条では、「議員は、議院品位を重んじなければならない」と定められています

議場外の責任に関する行為

免責特権範囲外の行為

憲法により、議員議院で行った演説・討論・表決について、院外で法的責任を問われない「免責特権」が認められていますしかし、この特権院内での行為限定されるため、院外での発言行為責任を問われる可能性があります

懲罰

これらの禁止行為違反した場合は、「懲罰事犯」として懲罰委員会に付託されることがあります懲罰の内容は、戒告、陳謝、一定期間の登院停止、除名などがあります

Permalink |記事への反応(0) | 18:39

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弱者男性とは真面目に生きてるのに報われずに特権弱者搾取される男である

弱者男性とは貧乏人のことだというのは間違いであ

貧乏人は弱者男性から搾取する特権弱者の方だ

そもそも日本で真面目に生きてたら貧乏人になんてならないし

去年も金融所得税を800万くらい搾取されて気が狂いそうだった

この800万が特権弱者の懐に入るんだよな

800万あれば130天井くらいできるのに

Permalink |記事への反応(0) | 18:17

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2025-10-24

anond:20251024022100

育ちが良くて優秀で、正義感が強くて努力ができる。あなたはそれを彼の「内面」だと思っていないですか?たぶんこれは間違いないと思うので断言するのだが、彼の内側にはそれはもう深い地獄があるよ。あなたはその地獄共感したことがありますか?あなたこそ「彼はそういう人間なのだ」と思ってそこで歩み寄りを止めてしまっていませんか。

育ちが良くて自律した人間ってたいてい、超自我支配が強いんですよ。言ってしまえば内面化した親とかそれに類するものね。それは自我自分固有の欲望)を抑圧する力なわけだけど、これが行き過ぎると、自分欲望を持つことすら困難になってくる。

社会的動物である人間にとって、欲望というのは、本質的に、他者に対して優越することです。その衝動キャンセルされるとどうなるか。自分というもの特別視すること自体に罪悪感を覚えることになります特別視するというのは、なにも「俺はすごい」とナルシシズムに浸ることだけではない(むしろこの種のナルシシズム社会的基準を受け入れている点で自己を非特権化するものですらあります)。たとえば社会的には正当とされる程度の「被害意識」を持つことだって自分他者に対して特権化しなければ成立しない。彼が口癖のように「人間ってこういうものでしょ」というのは、彼が自分を含めて人間を「平等に」見ざるを得ない心理を反映しています。彼は彼の意志世界に立ち向かうことを禁じられているのです。

からそういう人間はとにかく努力をする。努力した結果として救いが「訪れる」ことを望むわけです。彼が意志した(要求した)結果ではなく、ただ自然の摂理として自分が救われるようにね。

ねえ、こういうふうに生きている人が心の底で何を思っているか知っていますか?彼の努力、品行方正な態度、寛容、言ってしまえばすべてこの世界に対する復讐なんですよ。正しさによって世界が(あるいは自分が)滅べばいいと思ってるんですよ。そういう気持ち共感したことがありますか?

まあ、こういう人たちは得てして優秀なので、この地獄に対しても折り合いをつけて生きてゆきます。より高次の行動に昇華させてゆく人たちも多い。あなたはたぶん、慈善事業とかする人たちに対して「口では聞こえのよいことを言うが、しょせんは金もうけのためだろう」とか思ってるでしょう。全然違います。彼らは本心からやってます復讐のためにね。もちろん、それを復讐意識している人はそんなに多くないと思うけれども。

ところであなた彼氏さんは(言葉通りに読むなら)自分よりずっと水準の低いあなたと付き合っている。それはなぜかといえば、彼の中で抑圧された彼の(ある意味で)幼稚な部分が逃げ場を探した結果なのだと思います。これもまた非常によくあることです。彼は雁字搦めになった精神を解きほぐすきっかけを無意識に探している。だからあなたが、彼の子供っぽい部分、原始的な部分をうまくすくい上げ、彼の自縛に風穴をあけ、彼固有の欲望を育ててゆくことができるなら、あなたの望む関係に近づける可能性はあります。なかなか困難な道だとは思いますが、それはそれで、人付き合いの楽しみというものです。

Permalink |記事への反応(9) | 13:51

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2025-10-23

「端っこ」の素晴らしさ

「端っこ」とは、単なる両端のイレギュラーではない。それは、必然されど意図せず生み出される最高の特等席であり、選ばれし者のみが手にできる栄光である

濃縮された食感と風味の芸術

食べ物の「端っこ」は、真ん中とは一線を画す特異な美味しさを持っている。

カリッ、ザクッ!焼き菓子パンの耳は、熱に最もさらされ、その結果、他にはない香ばしい歯ごたえを獲得する。このカリカリ感こそ、端っこ好きの特権である

濃厚な味わいの凝縮!カステラ羊羹の切れ端には、蜜や素材の風味がギュッと閉じ込められている。真ん中の上品さとは違う、力強い素朴な美味しさがある。

具材の氾濫!巻き寿司卵焼きの端っこは、具がはみ出さんばかりに詰まっている。この「不恰好だけどお得!」という豪快さが、心を躍らせる。

人生を豊かにする「お得感」と「希少性」!

「端っこ」には、金銭的な価値を超えた、精神的な豊かさが詰まっている。

ひそやかなご褒美!店頭に並ぶ「切れ端」「お徳用」の文字を見た時の、あの胸の高鳴り!最高品質のものを、こっそり安価に手に入れられる喜びは、何物にも代えがたい。

選ばれし者の特等席! 混雑する電車内でたまたま座席の「端っこ」をゲットできた時の、小さな勝利感!その場所が、あなたにとって最も落ち着くプライベート空間になるのである

謙虚がゆえにもたらされる安心感

そして「端っこ」は、いつも私たち安心調和を与えてくれる。

集合写真で端に寄りがち、トイレの端の個室に入る、といった習性からもわかるように、人は「端っこ」に身を置くことで、世界と適度な距離を取り、静かな安心感を得る。

決して華々しい中心にはないが、中心もまた端っこがなければ成り立たない。世界を完成させるためには欠かせない存在。その謙虚役割こそが、端っこの持つ最も奥ゆかしい魅力である

端っこで嫌なことはこの世に存在しない!ときどき観劇ライブで見えにくい指定席に当たった時くらいである!

端っこisポジティブ!端っこサンキュー!端っこフォーエヴァー

Permalink |記事への反応(0) | 21:10

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この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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なんで非弁行為って禁止なの

医療医師特権業務ってのはわかるんだよ。

医師免許持ってない人間勝手治療したら人が死ぬしな。

免許制の仕事って無免許仕事されたら大事故に繋がりかねないから、無資格者が勝手にやっちゃいけないわけだ。

でも司法試験通ってない人間弁護士モノマネしても最終的に裁判司法試験に受かった判事様が法に則って決着つけるだけだから問題なくね?

Permalink |記事への反応(9) | 12:55

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2025-10-22

anond:20251022162403

ブクマカには批判されない権利がある

ブクマされたサイトにはないブクマカだけの特権

Permalink |記事への反応(0) | 16:25

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戦闘機にエーアイじゃなくてヒト載せるの、もう完全に「責任取らせるため」でしかなくなってくるよな。エーアイを自然使役するとして、指揮系統の一番下(人間の中で)がケツ拭かなきゃいけない訳だし。

まともな感性してたら1機体に1エーアイ載せて、複数機体で合議制でドクトリン守りながら哨戒だの特攻のしてもらう。

でもな、イカれた行為最中は、イカれた奴が正しいんだ。陣もクソもないなかで敵に特攻する、みたいな規律の乱れた「リスクを取る」判断ができるのが人間特権になる。平時愚行権と呼ばれるが、新たな未来戦時中には独創性と呼ばれる。

一回の思いつきの愚行に対して、お前の小隊は何割消耗していいぞみたいな制限さえ付ければ、軍法会議の数を減らしつつ「愚行」を楽しめる。

戦争「きらめきと魔術的な美」を埋め戻そう。さらに深化した機械とともに

Permalink |記事への反応(0) | 14:03

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2025-10-21

anond:20251020201319

リベラルフェミニストが滅茶苦茶やってるのにその反対側のポジション人間だけを責めるのってリベラル特権に加担してますよね?

Permalink |記事への反応(0) | 09:39

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2025-10-20

中国若者による「反外国人、反イスラム」の空気感

中国政府学生国費留学生)として中国留学した。あまり知られていないが、中国世界各国から留学生を呼び込んでいる。

中国政府留学生は学費と寮費と医療保険料は無料で、少ないが生活費支給される。私が留学したときは寮の定員が満員だったので近くのアパートに入居したため、代わりに居住費を支給してもらえた。

この中国政府学生の倍率は国によるが意外と低い。例えば日本留学している留学生のうち、日本政府国費留学生わずか3%に満たず、ほとんど私費留学しか中国大学留学する留学生の大半が中国政府国費留学生である

世界大学ランキングトップ50に入るような中国の名門大学入学できるのは、現地の中国人だとごく一部のエリート学歴社会中国では幼少期から親が多額の教育投資をして塾に通い血反吐を吐くような努力をしている。しかし同じレベル大学入学しようと思えば、留学生ならもっと簡単だ。私が日本で通っていた大学マーチ以下の私学だったが、第ニ志望の名門大学留学できた。

ウイグル族チベット族などの少数民族受験生留学生枠にはならないが、大学入試少数民族加点される制度がある。中国大学入試は1点が明暗を分ける。そのため漢民族学生の親が何とかして我が子のために少数民族に改族して戸籍を変えようと画策するケースもある。

このようなこともあり「外国人留学生や少数民族優遇されていてずるい!」という論調があった。

例えばほとんど中国語の読み書きができないレベル留学生(アフリカ出身)が北京大学医学部に入り、中国研修まで無料で受講しているというのが中国ネットで話題になり「自分アフリカ帰化したあとに中国留学したい」という書き込みがあふれた。

アフリカなど中国よりも貧しい国の留学生だと中国政府から支給される生活費本国家族に送金してるなどもよくある。

イスラム教徒留学生やウイグル族学生への忌避嫌悪もこうした「優遇イメージ」への反発から来るものだ。日本北九州小学校ハラール給食ネット批判を浴びたが、中国ではかなり前からイスラム教徒配慮したハラール中国では清真料理とよばれる)が普及している。

中国では漢民族マジョリティだが、50を超える少数民族がいる多民族国家だ。そのうちウイグル族カザフ族などイスラム教信仰する民族も多い。

私の通っていた大学食堂でも清真専用食堂があり、イスラム教徒少数民族学生留学生が多く利用していたし、大学の近くにハラール食品スーパーモスクが沢山あった。

近年の中国政府は「宗教中国化」の方針のもと、イスラム教キリスト教管理を厳しくしようとしている。この理由ひとつ国民の間に「少数民族外国人優遇されている」「特権を与えられている」「イスラム教中国が乗っ取られる」というような不安や不満が広がったことも大きい。

ウイグル族などの少数民族は、中国一人っ子政策をしていたとき子どもを3人まで持つことが許されていた。その結果中国国内少数民族が増えていったことも、近年の少数民族の締め付けにつながった感じがする。

中国若者外国人に対する考え方は、最近日本若者によく似ていると感じている。

政府発展途上国お金をばらまいてる」「他国に貸し付けしても踏み倒される」

移民少数民族が増えるのが怖い。外国人が増えると治安が悪くなる」「イスラム教徒が増えてほしくない」「外国人の高度人材受け入れより中国若者就職を優先してほしい」

表立ってネット政府批判しにくいところが日本との違いだが、本音はよく似ている。

中国政府アフリカ南アジア投資するのは中国利益のためだが、国民から見ると「中国人は就職結婚もできず生活が苦しいのに他国お金をばらまいている」ように見える。

台湾に関しても「中国統治しなければアメリカ侵略されてしまう」と主張する中国人を初めて見たときは驚いたが、同じように考えている若者が沢山いる。

中国留学していたときは、中国の他宗教少数民族への締め付けは厳しすぎるのでは?と感じていた。しか帰国してみると日本選挙の「日本ファースト」や「違法外国人ゼロ」など、漂う反外国人空気感中国と似てきていることにとても驚いた。

Permalink |記事への反応(0) | 20:11

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パヨ式チェックマーク文化自己放尿である

有名人チェックマークを与えるという制度は、一見すると「本人確認」や「透明性の確保」を装っているが、実際は民主主義を名乗ったパヨ的カースト制度自己放尿だ。

思想的には平等を唱えながら、構造的には貴族制を復活させている。これは「民主主義仮面を被った承認欲求市場主義」であり、承認を売買する社会象徴装置自己放尿すぎない。

パヨの言う「みんな平等」は、連中が「誰を特権化するか」を握りたいという欲望婉曲表現だ。連中は特定言語思想姿勢を持つ者に青いチェックを与え、逆らう者を「未認証」という烙印黙殺する。

だが、黙殺とは沈黙ではない。声を奪うことによって、連中は「声なき者」を都合よく定義し直す。これは政治的支配の最も古典的形態であり、連中が忌み嫌うと口で言う「権威主義」の中身そのものである

しかもこのシステム醜悪さは、本人たちがその腐敗構造を「正義」と信じ込んでいる点にある。まさに自己放尿の極致だ。自分で撒き散らした尿を「清水」と勘違いして喉を潤している。

連中のタイムラインは、論理の泉ではなく尿意の回路で動いている。考えるのではなく、出したいから出す。だが出した瞬間、それを「言論」と呼びたがる。

これがパヨ的民主主義の正体だ。つまり思考放棄」と「承認中毒」が見事に融合した、思想快楽ダブル放尿である

本来言論とは社会リスク知的責任の上に立つものだ。しかし、チェックマークはその両方を免除する免罪符となり、権威と人気が入れ替わる。

そうして連中は、連中にとって真に危険思想、すなわち、誰から承認必要としない冷徹な理性を徹底的に排除する。

自分の尿を芸術と信じる愚者たちの共同便所。それが今のSNSであり、パヨ的民主主義の成れの果てだ。

まあ、Xはその点で言えばチェックマークを購入式にしているのでまだ救いがある。だが、シャドーバンや推薦順の操作をやめない限りパヨシステムのままである

Permalink |記事への反応(0) | 02:05

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2025-10-19

anond:20251018222857

一言で言うとガキなんよ

乳幼児アンパンマンニチアサ見てるのは普通でも、大人だったら異常者でしょ

いい年こいて鉄道とかTCGとかポケモンかに熱中してる奴とかキモいでしょ

魚やら動物やら天体やら宮沢賢治やら、要するに全部そういう枠なのよ

小学生が詳しかったらすごいね~って一応褒められはするけど、それ以上ハマってたらさすがにヤバいわけ

女は女子供って言うぐらい、幼くあることが社会的にもまあ許容されてるってだけ

男の場合さかなクンぐらい突き抜けなきゃ立場がない

それを特権として見るか蔑視と考えるかはまた別としてね

Permalink |記事への反応(0) | 10:39

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2025-10-18

自分のことを可哀想だと思っている奴

妻のことである

結婚して7年ほどになるが、妻は自分のことを可哀想だと思っている節がある。

例えば、女性であること。主婦であること。持病があること、生い立ちなど数え上げればきりがない。

自分のことを可哀想だと思っているやつのなにが問題かというと、可哀想はあらゆる問題免罪符となり、結果的特権化することである

具体例とともにその推移を以下にしめす。便宜的に可哀想Lvを割り当ててみた。

Lv1.感情正当化: 私は可哀想から、怒って、泣いて当然だよね。(感情自己処理ができない)

Lv2.責任回避: 私は可哀想から、私は悪くないよね。 (責任をとれない)

Lv3.非対称性の構築: 私は可哀想から可哀想じゃない人は私の分までがんばるべきだよね。(責任を取れない上に、他者責任転嫁する)

こんな人と付き合っているすべての人達お疲れ様

えらい。

Permalink |記事への反応(0) | 20:30

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なんで子持ちって自ら好きで選んだくせに被害者面なの?

どうして子供を作る事に見返りがないとか言っちゃうのか。

自らの遺伝子を残せるという最大の見返りがあるだろう?

共同体への貢献なんかじゃなくてももっと利己的な動機だろうに。

ロスジェネ勤務医

@losgenedoctor

子供なんて一生懸命育ててもある年令になったら基本出ていって後はこっちのことなんてどうでもよくなる(それでいい)もので、見返りなんてない(求めてもない)。なぜ子供を育てるかってマクロで考えると、即ち要は共同体への貢献なんですよね。皆がそれをやるから共同体ってのは存続できる。

https://x.com/losgenedoctor/status/1969757335322243436

しかもこの人、勤務医とは医者らしいからそれだけ学歴収入に恵まれていて、だから結婚できたんだよ

結婚出産も「義務」ではなく「権利」、それどころか氷河期世代においては「特権」なのに

そりゃあ医者独身なんてのは、敢えて独身を貫いてる変り者だけなのかもしれないが、世間一般独身はそうではなく、結婚したくともできなかった人達が大半なんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 14:38

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今更だけど、先の参議院選挙参政党に投票した人達バカにする事を批判する声が強いのが納得いかなかった

つーかそもそも参政党に投票した人々が弱者負け組だって認定が大きな間違いなんだよ

競争社会から溢れた負け組排外主義に走るという、分かりやす物語で語る人達が多かったが、

でも参政党の支持層って元々自民を支持していた人が多いようだし

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/withbloomberg/2060337?display=1

参政党支持者の中で、「現在自民党への評価は、かつての安倍政権の頃と比べて悪くなった」と感じている人が97%に上るなど“安倍政権評価していたが、今の自民党に失望している”という人が多くいることがわかりました。

どう見ても「リベラル政党が救ってくれなかった弱者」などではないんだよな

https://news.yahoo.co.jp/articles/cb47d47609385c95ef23fbbcd19c0d44ff4c9f39

「他の党と比較すると参政党の集会子連れが明らかに多いというのが1つ特徴だと思う。」

明らかに、既に結婚して子供のいる子育て世代が中心でしょう?

結婚出産も今や勝ち組特権なんだから

女性高学歴になるほど婚姻率が上がる今世紀においては、けして低学歴ゆえに判断能力のない無知で愚かな可哀想人達などではない

持てる者達が、持たざる者達をさらいじめて苦しめようと躍起になっているのが参政現象だが?

自分の子育ての負担を減らしたいがために高齢者を殺せ、外国人労働者を追い出せと叫ぶ参政党支持者の何処が弱者なんだよ

データから分かる参政党支持は負け組ルサンチマンではなく勝ち組傲慢

それに対して、共産党社民党といった昔ながらの野党新興勢力の中でも立憲民主党れいわに投票する層の方が、明らかに社会経済的に不遇な人間が多いんだが?

非正規しか働けず、結婚できないから男に養ってもらう事もできず、子供も持てず未来に何の希望もない氷河期世代から見たら、

参政党支持の子育て世代特権階級の勝ち組以外の何物でもないんだから

有権者の愚かな選択バカにしてはいけないと杓子定規に述べる人達

そもそもの力の差、権力勾配を考えろよ

強者弱者バカにするのと弱者強者バカにするのとが同じなら訳がない

男性差別」や「健常者差別」が有り得ないのと同じ。

アメリカトランプ支持層白人に対してもそうだけど、

それよりも明らかに貧困率が高く学歴健康状態も悪い有色人種底辺層よりも弱者だと本気で思ってるなら、それは差別思想ゆえに感覚が歪んでいるからだよ

Permalink |記事への反応(0) | 12:41

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2025-10-17

「真に欲しいのは自由ではなく特権だ」

フェミニズムやLGBT、地方出身者、氷河期世代などの社会的弱者人達の「表向き」な主張を真面目に聞くから軋轢が生じるのだ。

彼ら彼女らの本音は、こっちなのだ

そもそも社会的弱者含めて、全ての人間自由なんだけど、自由だけでは生きづらさは解消できない。

そう思えばあの人たちとの付き合い方、距離の取り方が自然にわかってくる。

Permalink |記事への反応(0) | 09:08

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2025-10-15

もしかして恋愛って学生時代しかできないのでは?

社会人になったら職場恋愛御法度だし

チアプで出会えるけど、ちょっと会っただけの人と恋に落ちるなんてマレなんだよね…

学生時代なら同じクラス内で恋愛してもいいし、接触回数も多いから恋に落ちやすいよね

自分場合大学時代出会った女の子結婚したけど、大学ラストチャンスだったと思うわ

社会人から恋愛ってハードル高すぎる

恋愛学生特権!そしてラストチャンスなんだと思う

Permalink |記事への反応(0) | 22:31

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anond:20251014214102

>好みじゃないけど1発やりすてたい(セックスデメリットがない方の性)

こんなふうに書かれてこっちも気分悪いんだけど

傷つくのがお前らだけの特権と思ってんじゃねーぞ、気分悪いわ

Permalink |記事への反応(0) | 14:12

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お絵かき嫌いと画像生成AIについて

SNSでは度々、体育が嫌いな人や音楽が嫌いな人の話になる。昔から運動会苦痛だった、音楽で人前で歌わされるのが辛かった、等。それに対して昨今では、「そんな奴いるわけない」という人間の方が少数派だろう。そういう「好きな人もいるだろう物」に対して嫌いであっても、それもまたその人の価値観であると認める方向になっていると思っている。

それに対して絵を描くということは、それなりに描いている人がSNSに多いのもあるんだろうが、取り立てて「嫌われるもの」にあがることが少ない、気がする。

私は嫌いだ。

とにかく絵を描く事が嫌いだ。

授業中のノート落書きなんて楽しそうだと思って、落書きの犬すら犬にならない自分画力絶望して、こんなんなら何も描かないほうがマシだと消す。

夏休みの宿題読書感想文は大好きだったが、読書感想画とかなんとかポスターとか、その3倍は時間がかかった。

無事オタクに成長して、二次創作というものに憧れたって、絵が描けねえのだからしょうがない。脳内にいる推しは誰にも見てもらえない。文章をこねくり回したところで伸びるのはイラストである。鮮明で、魅力的で、一発で伝わりやすい。

羨ましい。

とか言ってると、SNSに絵をあげる程度に描ける人間は言うのだ。「描けば上手くなる」と。

しゃらくせえ。

描きたくないんだよ。

この手は鉛筆を持ったところで思うような線は描けないのだ。脳にある円すら描けない。人間人間に見えるようになるより早く私の人生が終わる。

なので私は絵を描くのが嫌いだ。

思うようにならないのは苦痛だ。結局のところ人それぞれ嫌いな副教科ってそれだと思う。思うように体が動かないか運動なんて面白くないし、思うような音が出ないか音楽は楽しくないし、思うような線が引けないから絵なんか嫌いなのだ

で。

画像生成AIってすごいと思う。そんな「絵が描けない人たち」にとっては、自分脳内のものを出力する手段になり得る。

すごい。画期的だ。こんな私でも、脳内だけにあった絵を世界に発信することができる!是非とも使いたい!

しか世間は、というか主にSNSは、どうもAI生成イラストに風当たりが強い。

もちろん、画像生成AIを使っているのに自分で描いたと言うのはダメだ。単純に虚偽なのだから

また生成された絵なのに実際の写真かのように見せるのも大問題だろう。

あるいは特定の人の絵のみを覚えさせて「その人が描きそうな別の絵を出力する」のも何かしら問題になりそうだ。著名な画家の絵を覚えさせて出力したものを「未発表作品」と言い張ったら…これは完全に詐欺方法になるか。

その辺りの「明らかに悪い使用方法」は批判されるべきとして。

けれど現在画像生成AI使用していると明記してあるものに対しての批判は、どうも正当なものとは思えない。「この絵は〇〇の絵柄だから〇〇の権利侵害している」とか、「この構図はこの絵と全く同じだからパクリである」みたいな具体的な指摘は、私は見たことはない。あるのは物の形だとか指の数だとか、「画像生成AI技術不足」に対する文句が多い。

Google検索して出てくるなんかよくわからない文だって、ChatGPTだってネットのどっかに転がってる文章勝手引用してそれらしく並べている。画像も同じく、絵の構図や線や色味を勝手に持ってきてそれらしくしてるのだろう。ここでイラスト学習だけに苦言を呈するのは、むしろ横暴ではないのか。そこら中の絵から拾ってきた各要素のツギハギは、今反対派が訴えているほど特定の誰かの権利侵害しているのだろうか?

結局のところ私には、「絵が描ける」特権階級の人たちが、その特権を渡すまいと、言える文句を言っているようにしか見えないのである。そして画像生成AIによるイラストの全てを犯罪であるかのように騒いでいる人たちを病的だと思っているし、使用している人に対して人格否定まで及ぶ人は普通に何様なのかと思う。

AI学習及び出力に関する法はおそらく今後議論されていくだろうけれど、現状は何もない。今何を言ったって、賛も否も「個人の感想」の域を出ないのだ。

私は思うように出力されないことに腹が立ったのでやめたけど。

Permalink |記事への反応(2) | 11:30

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2025-10-14

フェミニストの正体は男の特権とか思ってる奴を奪い、責任だけを男に負わせる事

これはリベラルの中のリベラルといったスタンスなので、フェミニストリベラルの中心となったのも頷ける

Permalink |記事への反応(0) | 10:14

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2025-10-11

BL性的消費でありフェミダブスタ、という議論バグる理由

最近SNS上では「BL性的消費なのにフェミ男性性的表現を叩くのはダブスタじゃないか?」というスレッドトレンド入りしていた。

だがこの議論、よく見るとアーキテクチャの層が違う。つまり、話しているプロトコルが合っていない。

レイヤーのずれ:同じAPIを叩いていない

オタク文化圏では、「女性が描くBL」と「男性が描く女性向け性表現」を同一のAPIとして扱う傾向がある。

しかし実際には、両者は別レイヤーで動いているアプリケーションだ。

フェミニズムの文脈で語られる「性的表象問題」は、主に「社会的リソースの不均衡」や「ジェンダー権力構造」についての議論であって、単なる「表現内容」の良し悪しを審査しているわけではない。

まりBLを「性的に描いてるからフェミ的にアウト」と言うのは、仕様書を読まずにバグ報告を出すようなものなのだ

フェミニズムは中立設計じゃない。バイアスを前提にしたパッチ

フェミニズムのコアは「中立化」ではなく「補正」だ。

歴史的男性中心に最適化されてきた社会システムに、女性視点パッチをあてて再コンパイルする運動と言える。

から、「男性女性を同じように扱うべき」という一般論をそのまま適用しようとすると、互換エラーが出る。

フェミ思想の中では、非対称性バグではなく仕様だ。

たとえば「女性性的表象抑制されるべきだが、BLOK」とされるのは、「権力構造上の対称性存在しない」という前提で最適化されているからだ。

「まともな女」神話というフィッシングサイト

一方、「普通女性フェミと違う」「まともな女はそんな主張しない」という定番フレーズが出てくる。

だがそれは多くの場合ユーザーの気分を和らげるためのUX演出にすぎない。

実際、ほとんどの人間制度優遇レディースデー女性専用車両、離婚時の親権バイアスなど)という「プリインストールされた特権OS」の上で動いている。

たとえ本人が「私はフェミじゃない」と言っても、使っているAPIがすでにフェミ思想ベース動作しているのだ。

まり、「私は違う」という自己申告は、ただのUIレイヤー上の装飾にすぎない。

本当に平等実装できるか?

平等を掲げるなら、優遇措置をアンインストールする覚悟必要になる。

だが現実には、多くの人が「平等という概念を口では支持しつつ、既得権キャッシュを維持」している。

これはエンジニアリング的に言えば、「レガシーコードリファクタリングすると言いながら結局コメントアウトで誤魔化している状態」だ。

男女平等を“動作保証付き”で実装しようとするなら、既存社会制度ルート権限で書き換える必要がある。

だが、ほとんどの人はroot権限を持つどころか、ユーザーレベルの設定すらいじる気がない。

社会システム全体が女性優遇アルゴリズムで動いている

もっと根本的に言えば、日本社会の多くの仕組みは、女性優遇デフォルト設定としてビルドされている。

その構造はあまりにも自然化されていて、誰もコードレビューをしようとしない。

アンチフェミ自称する男性すら、「女性は守るべき対象」という社会的テンプレート内面化していることが多く、それが構造永続化を促している。

結果として、「BL性的消費」「フェミダブスタ」という批判は、異なるフレームワーク間の非互換問題にすぎない。

BLは「個人妄想自由」をレンダリングするローカルアプリだが、フェミニズムは「社会構造更新」を目指すサーバーサイドのシステム

同じメソッド名を呼んでいるように見えても、実行される関数意味がまったく違う。

結論議論の土台が違えば、永遠にコンパイルエラーになる

まり、「BL性的消費」「フェミダブスタ」という批判構造は、コードバージョンが違うままマージしようとしている状態に近い。

根本的にAPI設計思想が違うのだからいくら議論を積み重ねても互換性は取れない。

必要なのは、「どの層で話しているのか」「どの権力構造を前提にしているのか」を明示することだ。

議論を前に進めるには、感情論ではなく、社会構造のものデバッグが求められている。

Permalink |記事への反応(1) | 12:01

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2025-10-10

自殺できるのは男性特権」とかほざいてたフェミがいたなそういえば

女性も増えてきたらしいじゃん。男女平等に近づいてよかったね〜

Permalink |記事への反応(1) | 19:18

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anond:20251010015125

「女らしさ」は男の押し付け

「男らしさ」も男の勝手競争

全部男が悪い事にしないといけないのがツイフェミニズムの辛い所だ


「女が化粧をする」のは自分のため

「女がセクシーな格好をする」のも自分選択

だけど「漫画の女にセクシーな格好をさせる」のは性的同意が取れてないから許されない

「意中の男の気をひきたくて洒落た格好をする」のをそれ以外の男が評価するとか犯罪だけど

届かせたい相手は「空気を読んで、それまでの関係でわかる」はず

女が雰囲気で誘いをかけるなら、きちんと相手は拾うべきだけど

男が雰囲気で誘うとかアリエナイから、そういうことに性的同意はないか

なんなら女から誘っても、女が言葉にしてなけりゃ性的同意はないか


セクシーとかカワイイとかの表象評価は、きちんと共有されて褒められるべき

だけど、男が勝手にそれを消費するのはダメ

普段はセキシーとかカワイイとか男は消費すんな

許された相手けが消費できる、それを選ぶのも女の特権

勝手に求められたり、勝手評価したりするの暴力から


みたいな

Permalink |記事への反応(0) | 16:20

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2025-10-08

果実を見て木を判断する

悪の凡庸2.0──無思慮な服従から寄生的な模倣、そして兵器化されたレトリック

本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸2.0」(BE2.0)は、計算された行動と、美徳言葉悪用する戦略的操作によって特徴づけられます

悪の凡庸2.0構造メカニズム

BE2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。

BE 1.0とBE2.0の対比

アーレント洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。

それに対し、現代加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」構造と変わらぬ行為を実行しています

BE2.0が「凡庸であるのは、加害者意図が欠けているからではなく、加害者自身社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚麻痺し、悪のパフォーマンス日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。

つの悪の構成要素

1. 洗練された悪意

明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族サークル限定され、普遍的倫理感覚麻痺していきます

2.凡庸共犯

観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えていますリーダー言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係形成します。

現代の悪がまとう六つのマスク

BE2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスクベクトル)」です。

1.自由兵器

本来、異議申し立て保護するための「言論の自由」が、憎悪排除の言説を正当化するために使われます権力者被害者を装い、権利言葉を用いて多元主義のものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。

2. 擬似正義としてのスケープゴート

社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます

システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革必要性は棚上げされます

イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本遂行です。

3.歴史的な恐怖の矮小化

歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実被害正当化する方便として使われがちです。

4. 永続的な不満の維持

進歩や変化を認めず、過去不正義を手放さないことで、継続的要求道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。

5.真実マクドナルド化

複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます

6.投影非難模倣

自らが行っている行為を、先に相手投影し、正当化材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話エスカレートする一方です。

悪が成立する三つの条件

すべての誤りや偏見「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。

1.人間認識否定

他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳剥奪が始まっています

2.普遍化された構造

個人の悪意を超え、イデオロギー制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます

3. 善の反転(寄生模倣

悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。

解決の鍵:内なる変容と外的な防護

技術的な修正制度改革だけでは、BE2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生模倣」に取り込まれしまうからです。根本的な解決は、私たち自身内面から始まる変容にあります

東洋智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立自然に鎮まります

解決のための「二つの道」

1. 内的な道:瞑想自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識否定構造解体する。

2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度規範といった堅牢な外部構造を整える。

判断基準:「三つの鏡」
1.対話の鏡:

その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?

2.癒しの鏡:

和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?

3.共同体の鏡:

力、尊厳自由をより広範に分配するか?それとも、特定部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?

言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき私たち戦略的操作兆候特定できます

結論

民主主義は、BE2.0の条件が蔓延するとき集団的凡庸な悪が集約され、最高位の舞台投影されるベクトルとなりえます現代指導者たちの台頭は、システム日常的な否定投影兵器化された美徳パターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。

サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。

本小文は、以下の論文を参考に、オンライン講座「サルからヒトへ——進化と退化の不思議」の草案として、教育目的作成されました。

https://philarchive.org/archive/BOGTBO-3

Permalink |記事への反応(0) | 19:05

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2025-10-06

anond:20251004091606

フェミニズムジェンダーフリーを捨てて身体女性のための権利運動だって開き直ったんだから

男が男のための権利運動として暴力行使するのは倫理的問題ないとされるはず

もうすでにトランスだけのの話ではない

身体女性であることの特権を強調すると身体男性特権である暴力否定できなくなるという

からみんな無理してトランスジェンダーを擁護してるんじゃないのか?

Permalink |記事への反応(1) | 06:34

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