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2026-02-15

NATO軍ドローン戦でボコボコにされる

NATOエストニアで「ヘッジホッグ2025」って演習やったんだけど、結果がかなりヤバかったらしい

結論から言うと、ウクライナ戦争式ドローン戦に全く対応できてなかった

参加兵力は1.6万人、12か国。敵役ウクライナの現役ドローン兵で本格的に再現

で、どうなったかというと…

NATO部隊普通に行軍

テント張る

装甲車駐車する

全部ドローンに見られてる

全部破壊、完全に丸見え状態

たった10人のウクライナチームが30機のドローンを使って半日装甲車17撃破

1日でNATOの2個大隊を壊滅

ドローン密度は本物のウクライナ戦争の半分だったのにこれ

まり今の戦場は動いたら見つかる、見つかったら5分以内に死ぬ

そして一番ヤバいのはここ

NATO側はドローン部隊位置すら特定できなかった

戦車 → 見つかる → 殺される

ドローン → 見つからない → 殺せない

まりNATOが今ウクライナ戦争に参戦してもぼこぼこにされる

NATOはそれを見せられて青ざめた状態

Permalink |記事への反応(1) | 03:54

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2026-02-14

anond:20260214232652

人類みんな悪いよと言うにはあまりにも犯罪率が列挙されてるうちの特定属性に偏ってますよね・・・

Permalink |記事への反応(0) | 23:29

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[増田保存部]何を書いても秒で複垢フェミガー複垢フェミガー言われて気が狂いそう

はてなでずっとずっとずっとずっといじめられてる

匿名書き込みをネチネチネチネチ追いかけて特定してどんだけ暇人クズなんだよ

どんだけはてなに張りつきまくってんだよ

許せない許せない許せない許せない許せない

Permalink |記事への反応(1) | 21:42

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[増田保存部][増田のやべーやつ][複垢フェミ]ネームド増田の見分け方「複垢フェミ」

ブクマカなのにやべーやつ番付入りしてるやべーやつ。番付増田お気に入りだ!

寸評

横綱(触れてはならぬ人たち)

複垢フェミ

ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人誹謗中傷目的としたTogetterのまとめを複垢で作りまくっては、それを増田はてブ拡散しようと企む某ツイフェミ

すでにTwitterTogetterはてブで凍結や垢BAN、404化を経験しているにも関わらず、すぐ別垢で戻ってくる札付きの悪質ユーザーである。ただ「Twitter」「Togetterコメント」「ブコメ」「トラバ

のそれぞれで文章を使い回す上、噛みつく人物ネタも同じ(共同親権ヴィーガン絵本作家のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している)。たまに特定idブコメと同時刻に全く同じ文面のトラバがあり、別人の仕業だとすればずいぶんタチの悪い粘着である

はてブでも複垢悪用し、404化を食らった前科持ち。現在もこいつの関与が疑われるはてブidが多数あり、「idが違うのになぜか文面が全く同じ使い回し」のブコメまで存在する。

なお、これら疑惑idと同名のツイ垢があり、他人ハンドルを借用している可能性もある。さすがにツイの方まで同一人物というオチはなさそうだが。

🐸

[増田のやべーやつ番付]2024年3月場所

書き込みの例

フェミ系・党派性臭い記事リンクを貼る。同じURLブコメでも投稿する。(規約違反になるのでid貼れないけど検索してみよう!)

なんではてブって共同親権推進派多いの。推進派の父親こんなんばっかだぞ

妻に子供を連れ去られた父親「戦いごっこ子供を蹴った」「チ○チンを触られるのを止めようとして胸を触った」「警察児相もそれを虐待扱いする!理不尽だ!」

(棘リンクにつき省略)

暴力なんてないのに、DVでっち上げられて連れ去られた!」と語る父親しかし…「自閉症の次女に叩く蹴るした」 (棘リンクにつき省略)

「ツンボの妻に虚偽DV難聴娘を連れ去られた!」というアカウントの話がDV性的虐待オンパレード

(棘リンクにつき省略)

父親「妻に娘を連れ去りされた。妻に大声で5時間怒鳴った。怒鳴られた側は反省するべき」 

(棘リンクにつき省略)

妻子にDVして逃げられた男、「妻も悪い!連れ去りはクソ!共同親権!」と言い張り、復縁するも妻の体型、容姿に不満タラタラ

(棘リンクにつき省略)

複垢フェミ毎日毎日目の敵にしてるニート君へ

君が目の敵にしてる複垢フェミは、沢山の性被害者性的虐待被害者警察児相ワンストップセンターに繋げて助けてきたよ

ネット上で性犯罪自慢してる校内盗撮野郎ぶっかけ野郎特定して警察被害にあった学校通報して、逮捕に繋げてきたよ

性犯罪計画してるやつとやり取りして、性犯罪事件未遂にして未然に防いだこともあったよ

痴漢を捕まえて事情聴取に応じた事もあったよ

もちろん仕事もしながらね

フェミはやらない!とお前らが言うような力仕事もしたよ

対して君は何をしてるのかな?

日中複垢フェミを目の敵にして関係ない人まで複垢フェミ認定してはてな監視してるだけじゃないか

君は何も生み出してない

存在マイナス

どんだけ暇人なの

案の定複垢フェミって棘からBANされたのにいつまで居座ってるの?🍆」とトラバを付けられる有様である

のぶみ」・龍神・はるくもに関しては増田検索してもよくわからなかった。

最近はあまり見かけないが、自分投稿したエントリプライベートで3ブクマつける習性がある。しゃあっ 増田神影流"3連・プライベートブクマ"!!

増田の注目エントリが3ブクマから5ブクマハードルが挙げられたのも、同氏が暗躍したからという説があるらしい

◆この絵文字は…?

複垢フェミ寸評で気になるのが毎回最後に貼られている謎の絵文字揺れる増田

場所番付絵文字備考
2020年3月場所前頭なし新入幕。当時は「3垢フェミ」。"なぜか「全員同じような文体で」「同時に同じ人物ばかり叩く」特定の3垢から引用しており、おそらく3つ全てを一人で使っているものと思われる"
2020年7月場所前頭なし"はてブでも活動しており、日々男叩きばかり垂れ流す某フェミidとほぼ間違いなく同一人物特定済み。
というのも、「Togetterに書いたコメント増田に書いたトラバと一字一句同じ文章をなぜか自分ブクマにも書いてしまう」というなんともおマヌケ習性があるため。ちなみにはてブでは複垢利用で404化を食らった"
2020年11月場所前頭なししこ名が「複垢フェミ」になる。"TogetterでBANを食らい、全て使用不能になってしまった"
2021年3月場所前頭なし"すでにTwitterTogetterはてブのいずれにおいても凍結や垢BAN、404化を経験している札付きの悪質ユーザーで、処分されるたびに別垢を取り直して復帰し、ビョーキの人特有の執念深さを発揮している。まさにヘイトモンスター"
2021年7月場所関脇🍊寸評の末尾に絵文字が付き始める。"5chやBBSPINKなどの掲示板noteYahoo!知恵袋などネットの各所に入り浸り、同様の活動を行っている模様"
2021年11月場所関脇🍊
2022年3月場所関脇🍊
2022年7月場所大関🍊"ついにはフェミ松速報に対抗してかパクリみたいなブログまで自分で作ってしまった"
2022年11月場所大関🍊
2023年3月場所横綱🍊悲願の初優勝。満を持して横綱昇進
2023年7月場所横綱🍙"共同親権ヴィーガン絵本作家のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している"
2023年11月場所横綱🍑"なお、これらidと同名のツイ垢存在し、「彼らに依頼してブコメコピペ投稿してもらっている」説が浮上している。……というのも依頼の文面まで丸ごとコピペしてしまったアホなブコメがあるため。"
2024年3月場所横綱🐸
2024年8月場所横綱🐸
2024年12月場所横綱🐇

なんなんでしょうねー不思議ですねー

Permalink |記事への反応(0) | 20:06

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市場に確かに規制必要だ。だが裁量・介入の自己放尿をやめなければ成長はない

市場は万能ではない。だが「万能ではない」という事実を、官僚政治家免罪符として濫用する国家は、例外なく自己放尿する。

市場は確かに失敗する。しかし、政府もっと頻繁に、もっと大規模に、そしてもっと不可逆に失敗する。

問題は「市場政府か」ではない。市場の失敗に対して、政府がどの程度の失敗を上乗せするかである

 

ここでまず明確にしておく。規制必要だ。必要なのはルールである国家が担うべきは審判であって選手ではない。

審判ルールを固定し、プレイヤー予測可能環境競争できるようにする。

審判が気分で笛を吹き、勝敗演出し、人気チームを勝たせようとした瞬間、競技のもの自己放尿する。

これが裁量行政本質だ。つまり制度設計ではなく介入芸で国家が飯を食う社会は、資本主義をやっているようで、実態は準社会主義である

 

市場必要規制は、所有権明確化契約執行強制詐欺暴力等の排除が挙げられる。

これは国家のコア業務だ。これがなければ市場は単なる弱肉強食縄張り争いに堕する。

だが、この最低限のルール整備と、「特定産業を救う」「特定企業延命する」「特定地域補助金を撒く」「特定価格を維持する」といった裁量介入を混同する国は多い。

これは知的に言えばカテゴリーミスであり、政治的に言えば利権偽装である

 

価格情報である価格は需給だけでなく、希少性、リスク、期待、技術代替可能性、時間選好といった膨大な情報圧縮したシグナである

政府価格に介入するとは、情報伝達回路を破壊する自己放尿である

価格統制、補助金、参入規制護送船団方式行政指導。これらはすべて、価格が発する「足りない」「余っている」「危ない」「儲かる」というシグナルを黙らせる。

すると市場沈黙する。沈黙した市場では資源配分劣化し、全要素生産性TFP)が腐り、資本蓄積が歪み、イノベーション死ぬ

 

さらに致命的なのは政府介入が単発で終わらない点だ。介入は次の介入を呼ぶ。

たとえば賃金価格政治的に固定すれば、需給の調整は数量制約として現れる。品不足、待ち行列闇市場、質の低下。そこで政府さらなる規制対応する。

こうして政策自己放尿する。これは政策ラチェット効果であり、政治経済学的には典型的政府失敗である国家は縮まない。国家肥大する。

 

この肥大は、単なる非効率では済まない。合理的期待形成のもとで、民間政策学習し、適応し、回避し、ロビー活動資源を投下する。

これがまさにルーカス批判の核心だ。政府過去データ根拠裁量政策を撃てば撃つほど、民間の行動規則のものが変わり、政策効果蒸発する。

蒸発するだけならまだ良い。現実には政策は不確実性を増幅し、期待を不安定化させ、投資を萎縮させる。これはマクロ政策が景気を安定化させるという幻想の裏側にある現象である

 

裁量介入の害は、単なる資源配分の歪みではない。もっと深い。インセンティブ構造破壊だ。

救済が予想されれば、経営者リスクを過大に取る。モラルハザードが発生する。ゾンビ企業が生き残り、創造破壊が止まる。

生産性の低い企業市場から退出しないため、労働資本も滞留し、新陳代謝が消える。これが日本型停滞の中核であり、成長率の天井を作る。

 

そして官僚機構は介入すればするほど自分仕事が増えるため、規制供給者として振る舞う

まり規制公益ではなく官僚制の自己保存のために生産される。

政治家も同様だ。補助金を配れば支持が得られる。規制を作れば仕事をした感を演出できる。

財政支出可視化され、票になる。改革は不可視で、票になりにくい。

から政治短期主義に偏る。ここに「政府市場を補完する」という建前の裏で、「政府市場寄生する」という自己放尿が成立する。

 

このとき国民がよく口にする反論がある。「でも市場には格差がある」「弱者が切り捨てられる」「外部性がある」。

もちろんそれは正しい。だがここで重要なのは格差是正を口実に、政府価格メカニズム破壊してよい理由にはならないということだ。

外部性存在する。だが外部性への対応は、原則として価格付け(ピグー税排出権取引)で行うべきであり、官僚恣意的産業を選別して補助金を注ぐことではない。

格差問題も同様で、再分配は所得移転という透明な形で行うべきであり、特定業界保護という歪んだ形で行うべきではない。後者効率性を殺し、利権固定化し、結果的貧困を温存する。

 

まり、正しい政策はこうなる。市場を歪めない形での最小国家である金融政策ルールベースで、予測可能性を最大化する。

財政は均衡を原則とし、例外限定する。産業政策基本的否定し、競争政策を強化する。参入障壁撤廃し、退出を容易にする。

倒産は悪ではなく資源再配分の装置として受容する。これが健全資本主義だ。痛みはある。だが痛みを先送りして麻酔を打ち続ける社会は、やがて神経そのものが壊死する。

 

日本病理は、成長戦略がないことではない。成長戦略を語りながら、同時に市場を信用していないことだ。

規制緩和を掲げながら、例外を大量に作る。競争を促進すると言いながら、既得権を守る。財政健全化を言いながら、政治的に都合のいい支出を増やす

これは論理矛盾ではない。政治合理性としては整合的だ。だが経済合理性としては自己放尿だ。

 

成長とは何か。成長とは生産関数シフトすることだ。TFPが上がることだ。

その源泉は技術進歩だけではない。競争、退出、資本再配分、価格シグナル、企業家精神である

これらは制度産物だ。制度が悪ければ、技術があっても伸びない。優秀な人材がいても伸びない。資本があっても伸びない。制度が良ければ、凡庸な国でも伸びる。

 

ここで裁量介入が入ると何が起きるか。投資家は経済性ではなく政治性で投資を決めるようになる。

企業顧客ではなく役所を見るようになる。

労働者はスキルではなく保護される職を探すようになる。

これがレントシーキング経済であり、成長率が落ち、社会全体が官への依存で腐っていく。

これは文化問題ではなく、インセンティブ問題だ。人間合理的に振る舞った結果としてそうなる。

 

から結論冷徹だ。

市場規制必要だ。だがそれは、競争を止めるための規制ではない。競争を成立させるための規制である

市場政府必要だ。だがそれは、配分を決めるための政府ではない。ルールを固定するための政府である

社会保障は必要だ。だがそれは、産業延命するための社会保障ではない。個人を救うための社会保障である

 

そして何より必要なのは政治家官僚が「景気を操作できる」「産業を育てられる」「成長を設計できる」という全能感を捨てることだ。

成長は、官僚ペン先からまれない。成長は、無数の市場参加者価格シグナルを頼りに試行錯誤し、失敗し、退出し、再挑戦するプロセスから生まれる。

 

裁量・介入の自己放尿をやめろ。

国家がすべきことは、笛を吹くことではない。

フィールドを整え、ルールを守らせ、そして黙ることだ。

 

資本主義は「うまく設計すれば成功する制度」ではない。

資本主義は「余計なことをしなければ成長する制度」だ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:24

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多様性社会の実現が左派を不利にした説

左派政党多様性のある社会を目指し、その実現に少なから寄与してきたと思うけど、結果としてそうした社会の在り方が今の左派政党の壊滅的状況を招く一因になっているように思う。

彼等は声高に正義を叫ぶような政治活動をするけど、価値観多様化した社会でそういう特定思想における『正しさ』や『正義』を押し付けるような行為は多くの人から引かれる。

しろ多様性ある社会では、自分達の利になるモノはなんでも取り込み、また声高に正義を訴えず粛々と自分達のやりたいことを進めていく自民型の政治の方が相性が良い。

左派政党はなぜか、自分達の選挙活動スタイルに合わない社会の在り方を押し進めて、結果自爆してしまった。

Permalink |記事への反応(1) | 11:47

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なんで現代って仇討が流行らないの?

昔と比べて犯人特定も移動も難易度低そうだけど、家族を殺された恨みで犯人殺害未遂含む)ってニュースほとんど聞かないのはなぜ?

Permalink |記事への反応(1) | 07:32

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2026-02-13

差別者である自覚はあるか?

差別者である自覚はあるか?

1.高市政権の発足を機に女性天皇容認を巡る報道に触れることが増えた。リベラルは「男女平等」を錦の御旗に賛成論を唱え、保守派は「伝統」というワードねじ伏せようとする。だが、どちらの陣営も自らが口にしている議論が、皇室というシステム本質無視した暴論であることに無自覚だ。

本稿で問題にしたいのは、女性天皇の是非などという表層的なことではない。我々日本人皇室という存在に対してどのような「加害」を行っているか、そして、我々がその差別構造いか無自覚であるかということである

2.まず我々が直視すべきは、天皇とは日本において唯一「人権」を事実上剥奪された存在であるという事実である

象徴」として天皇家を戴くということは、我々日本人が総意の名の下に特定家系差別し、特別地位という檻に閉じ込め、「国民伝統形式のためにのみ祈る装置であることを強いる行為に他ならない。

この「高貴なる犠牲」を中心として国民が一致団結し、国家連続性を担保しているのが日本という国の正体だ。我々は特定家系差別し、生贄に捧げることで統合している集団なのだ。この構造残酷さを自覚せず、単なる敬愛対象としてのみ語るのはあまり偽善である。その自覚はあるか。

3.この差別構造が最も醜悪な形で露呈したのが、眞子内親王結婚騒動だった。

当時、国民総出で繰り広げられたバッシング本質は、「皇族に『結婚自由』などあると思うな。結婚したいのであれば、我々主権者のお眼鏡にかなう男を連れてこい」という、むき出しの差別意識である。我々日本人は、一人の女性の「自己決定権」を完膚なきまでに蹂躙したのだ。その自覚はあるか。

4.極めて不可解なのは、その舌の根も乾かぬうちに、今度は「女性権利向上」や「男女平等」といった文脈で「愛子天皇」を待望する世論である

自分たちがつい先日一人の女性人権を踏みにじった事実には目をつむり、今度は「進歩的人権派」を気取っている。

だが、少しでも想像力があれば気づくはずだ。愛子内親王に「天皇の座」を求めることは、本来であれば結婚によって皇籍から離脱自由を得るはずだった彼女から基本的人権永久に奪い去るという、残酷な宣告だ。彼らはそのむき出しの暴力性を「男女平等」という美辞麗句グロテスクに飾り立て、彼女を「人権のない檻」に閉じ込めようとしているのだ。

繰り返すが、天皇家とは個人幸福を追求することが許される存在ではない。国民全体のためにの存在することを許された「純粋なる形式である。その「差別」を大前提としたシステム中途半端に「個人尊重」や「平等」などという近代的な人権概念を持ち込むことは致命的な自己矛盾である。その自覚はあるか。

5.特定血筋差別し、職業選択結婚言論居住もありとあらゆる自由権利を奪い続けることに対し、近代的な理性を備えた人間であれば耐えがたい罪悪感を覚えるはずである

しかし、日本人はその罪悪感から逃げるために天皇家を「神聖なる存在」として奉り、莫大な公金を投じて尊厳格式という金箔を貼り付けてきた。「尊崇の念」さえ抱いていれば、一族から自由権利を奪い、生贄にしても許されるという傲慢さだ。

これらはすべて自分たちが加担する非人道的構造から目を逸らし、己の良心麻痺させるための「鎮痛剤」に過ぎない。その自覚はあるか。

6.「伝統を守りたい」という形式維持の欲求と、「差別者になりたくない」という人権思想のいいとこどりは不可能である

天皇制に人権思想を持ち込み、愛子内親王を「男女平等」という文脈で語るのであれば、その論理的帰結は「皇室廃止」以外にあり得ない。人権世襲差別水と油であり、混ぜれば制度は内側から崩壊するからだ。

誤読されないようにはっきり言っておくが、私はここで「女性天皇容認せよ」、「皇室廃止せよ」と主張しているのではない。また、逆に「伝統を死守せよ」と言っているわけでもない。

私が問うているのは、この矛盾直視する知的誠実さだ。

もし皇室というシステムを存続させたいのであれば、「我々は人権蹂躙する差別者である」という汚名を甘んじて受け容れなければならない。逆に、その差別者という汚名にどうしても耐えられないのであれば制度解体するほかはない。

最も許しがたいのはそのどちらの覚悟も持たず、「自分差別などしていない」という無邪気な顔をして、安全から女性天皇男女平等」や「麗しき伝統」などとさえずることだ。

どちらを選ぶも日本人自由だ。だが「綺麗な差別」など存在しない。我々は差別者なのだ。その自覚をもて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:33

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anond:20260213195915

特定ルールからどこまで導き得るかも考えられないアホ

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(1) | 20:00

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トランプ政権帰化者の市民権剥奪へ取り組み拡大=報道

https://jp.reuters.com/world/us/TKEM3OS6XRNBZLH6CWR3X6IPU4-2026-02-12/

不正移民がーといいながら、ついに合法移民排除にも乗り出すトランプ

まあこうなると思ったよ。

もし、合法移民排除し終わったら、次は自分賛同しない市民追放でも始めるのかな?

さきっちょだけだからが、さきっちょで終わることはない。

税金がどんどん上がるように、最初特定の人たちを対象にしたものでも、次第にその範囲エスカレートして広がる。

Permalink |記事への反応(0) | 16:00

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エロ同人作家の積立投資

山崎元氏の本を読んで投資を始めたんだけど、あれって定年まで安定した収入が見込める一般人向けの内容なんだよな。自分みたいなエロ同人作家にはフィットしないと最近気づいた。

例えば、生活費数ヶ月分の現金を残して投資するという理論は、年収10倍になったり1/10になったりする仕事適用できない。

ここ数年は漫画の売れ行きがよく、NISAiDeCoにフルで投資しているが、それでも現金比率が上がる一方だ。投資教科書的には特定口座で追加投資せよって話になるだろうが、漫画人生トータルではどうすべきか悩む。

漫画家ってメンタル収入が直結する。暴落一時的だとしても、そのせいで面白い漫画を描けなくなったら本末転倒だしな。

Permalink |記事への反応(4) | 15:14

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よく「日本識字率は高い」というが、

文字は読めるけど文章が読めない人」というのがいて、

単語だけ拾ってそこからは「きっとこういう内容に違いない」という勘だけで動いている

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2663072

  

 

これ俺は10年は前にはてな見てて気づいて折に触れて指摘してるんだけど

なんか煽りだとかネタだとか思ってる感じの反応されるんだよな

その中にはまさに頻繁に「読めない」ブコメするidも多々混じってるけど

当人自覚したり認めたりすることはない

 

具体的に特定ID発言を並べて

「これはどう考えても読解能力になんかあるでしょう」つっても

その時は急いでただけで~みたいなことを言う

(後ほとぼりさめた頃にひっそり消されてる) 

  

はてなの数割は新聞記事も読み間違えるレベル能力なのに

なんか気付かないし認めないんだよな

Permalink |記事への反応(2) | 14:12

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悪口の"外注"という言葉はしっくり来ない

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2663109

もともとは「高市総理は敵をdisらない」、「いやいや、支持者がdisっているだろう」みたいな話だったけど、この支持者によるdisりって政党が何かしようがしまいが勝手に起こるモノで、"外注"とは違うように思うんだよな。

"外注"って言うと悪い政治家が裏で糸を引いて支持者を操り、敵対政党攻撃してるみたいになってしまう。

そして案の定というか、はてブみたいな特定党派への憎しみが強いところにそうした言説が流れ込むと、たちまち「○○党ガー」という陰謀論に変わっていく。

ブコメでは自民批判の大合唱だが、支持者による他党へのdis合戦なんてどこもやってることでしょ。

主張に対する主観的な正しさのジャッジを除いて客観的に見れば、自民支持者だけが特別悪辣言動をしていたとは思えないし。

なんなら、これは俺が左派寄りのエコーチェンバーいるからそう感じるだけかもしれないが、「#ママ戦争止めてくるわ」(=自民戦争をする党というdis)を筆頭に、バズらせ力なら左派の方が勝ってるくらいじゃないか? 結果はむしろマイナスに働いた感はあるが……。

物量に関しては圧倒的に自民支持者によるdisの方が多かったように見えるけど、これはそもそも民主主義における支持者による草の根応援活動って、もともと人気政党の方が参加する人数も増えて、勝ってる方をより勝たせる仕組みなので、悪辣さとはまた別な気がする。

(そうした偏りを生む仕組みを好ましくないモノとして一定規制必要では? という主張には一考の価値があるが、それはまた別の話なので置いておく)

陰謀論に傾倒するより考えるべきは、今回の選挙で「他党への批判は支持者がやってくれるから自分達は自己アピールに注力して多角的選挙戦術を行った政党」は昇り調子で、逆に「支持者が他党批判をしているのに自分達まで批判一生懸命になって有権者食傷気味にさせ、しか自己アピールが疎かになっていた政党」は結果が振るわなかったという、選挙における広報マーケティング戦術の部分だと思う。

Permalink |記事への反応(3) | 12:47

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https://x.com/light77/status/2022128584576708780

【なぜ「宗教法人課税」は世界常識なのか】

マスコミや一部の世論では「宗教法人税金を払っておらず、優遇されている」という批判がしばしば聞かれます

しかし、法律の専門的な視点からその実態を紐解くと、そこには私たちの「信教の自由」と「財産権」を守るための、極めて真っ当な論理存在することがわかります

今回は、特に重要でありながら見過ごされがちな「宗教法人法第84条」の精神を中心に、課税問題正論解説します。

1. 「宗教法人は無税」という言説の誤り

まず、世間に流布している「宗教法人は一銭も税金を払っていない」という認識を正す必要があります現行法制度下では、宗教法人は厳格に区分けされた課税を受けています

収益事業への課税: 物品販売不動産貸付など、法人税法で定められた「34の収益事業から生じた所得には法人税がかかっています

個人への所得税:宗教法人代表者職員が受け取る給与(俸給)には、一般サラリーマンと同様に所得税・住民税が課され、源泉徴収も行われています

消費税の支払い: 物品の購入時には、当然ながら10%の消費税を支払っています

まり、「坊主丸儲け」という批判は、事実無視した感情論に過ぎないのです。

2.宗教法人法第84条が定める「聖域」の重み

最も大切なのは宗教法人法第84条に明文化されている「宗教上の特性尊重」です。この条文は、国家権力安易宗教活動へ介入することを禁じています

宗教法人法 第84条】

「この法律規定中、宗教法人管理運営に関する規定は、当該宗教法人宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意して解釈し、且つ、運用しなければならない。」

お布施は「所得」ではない

信者が支払う「お布施布施)」は、神仏への捧げものであり、サービスへの対価ではありません。これを「所得」とみなして課税することは、信者が既に所得税を払った後の財に再び課税する「二重課税」であり、かつ信仰心という聖なる思いを国が踏みにじる行為に他なりません。

税務署による「日常監視」の拒絶

もしお布施課税すれば、税務当局が「何が宗教活動で、何がそうでないか」を査定することになります。これは、国が特定宗教活動に介入し、監視下に置くことを意味します。84条は、こうした事態が「信教の自由」を根底から破壊することを防ぐために、当局に「慎重な運用」を厳命しているのです。

3. 「非課税」は特権ではなく「武器である

資料の中で鋭く指摘されているのは、**「宗教課税こそが世界常識」**であるという点です。

アメリカをはじめとする諸外国でも、宗教団体への寄付所得から控除されるのが一般的です。それは、宗教が担う「人々の魂を救う」という公益性が、国家提供する行政サービスよりもはるかに深い次元社会を支えていると認められているからです。

一部の論者は「課税原則で、非課税例外だ」と主張しますが、これは逆転した考え方です。

憲法保障する「財産権」や「信教の自由」こそが本来原則であり、国が国民の財を奪う「課税」こそが、法律に基づいた限定的な「例外」でなければなりません。

特に宗教活動における「収益事業」の判定についても、84条の精神に則れば、安易類推解釈法律を広げて解釈すること)をして課税対象を広げることは、法治主義の逸脱と言わざるを得ません。

引用

小鮒将人(M.KOBUNA)

@light77

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11時間

私は大反対です。 x.com/tweet_tokyo_we…

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https://x.com/Kosodate_Ogawa/status/2015717584046522435 記事 新しいポストを表示 会話小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者 @Kosodate_Ogawa 協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育て現場から考える、個別最適と公共性の再設計

はじめに──違和感の正体を、構造として考えたい

最近教育現場SNSで、ある種の"すれ違い"を目にする機会が増えました。

注意されたり、期待と違うことを言われたりすると、「自分とは合わない」と、そこでの人間関係のものリセットして離れてしまう。自己主張は強いのに、親や社会に支えられている事実への自覚が薄い。大人の側にも、責任を引き受けるより先に「自分権利」だけを語ってしまう振る舞いが見える──。

あなたも、こうした光景に心当たりがあるのではないでしょうか。

もちろん、これは特定世代批判しようとしているのではありません。私が今回考えたいのは、「その振る舞いが"合理的"に見えてしま社会の側の条件」です。なぜ今、対話よりも離脱が、協力よりも防御が選ばれてしまうのか。その背景には、私たち大人が気づかぬうちに変えてしまった「学びの物語」の喪失があるのではないか──。

そんな折、教育者中土井鉄信先生Facebook投稿出会いました。

そこで語られていたのが、「学びは公共財である」という視点です。教科書は、人類が積み上げてきた英知の集積であり、私たちはそれを受け取って生きている。だから学びは「自分のため」だけで終わらない。受け取ったもの社会に返していく視点が欠かせない──。

この言葉に触れたとき、私の中で点が線につながりました。

依存」「消費化」「対価志向」「関係短期解約」──これらは別々の現象ではなく、学びの位置づけの変化と深くつながっているのではないか

本稿は、その問題意識を整理し、立て直しの方向を考える試みです。中土先生問題提起へのリスペクトを込め、私が現場で向き合い続けてきた実践から、その解決の糸口を提示したいと思います

学びが"公共財"として扱われなくなると、何が起きるのか

学びや知識には、個人の便益(成績・進学・仕事)だけでなく、社会的便益があります社会一定ルールを共有できること、言葉が通じること、協力が成立すること。その基盤には、学校教育読書を通じて広がる「共通の知」があります

ところが近年、学びは少しずつ、「社会の基盤」よりも「個人投資」「購買体験」に寄って語られるようになりました。

どれだけ得をするか

どれだけ早く成果が出るか

お金を払っているのだから満足させてほしい

この枠組みが強まると、学びの場は「関係を育てる場」ではなく「サービスの場」に近づきます。すると、注意や指摘は「成長のための調整」ではなく「不快体験」になり、合わなければ話し合うよりも「さっさとその場を去る(離脱する)」ほうが合理的、という判断を招いてしまうのです。

「うるさい!もうやだ!こんな学校(塾)辞めてやる!」──この叫びは、わがままではなく、ある意味消費者としての合理的選択になってしまっているのです。

学びが「買うもの」になったとき私たちは何か大切なものを失いました。それは、学びを通じて人と人がつながり、社会を共につくっていく物語だったのではないでしょうか。

かつての日本が持っていた「学びの回路」

私が子どもの頃、勉強が得意な子に向けて大人が「末は博士大臣か」と声をかけることがありました。実際私も、祖母祖父、近所のおじちゃんたちに、何度となく聞かされたフレーズです。

今振り返ると、そこには単なる出世願望だけではなく、「力を持つなら、社会に役立つ人になってほしい」という期待が含まれていたように思います欧米で言われるノブリス・オブリージュ(地位能力を持つ者の社会責任)も、根は同じです。

かつて学びや能力は、個人利益で完結するのではなく、社会に返していく回路の中に置かれていました。この感覚は、言葉にされなくても、日常の中で自然に共有されていたのです。

この回路が弱まると、学びは単なる「受け取るもの」になりやすく、結果として「対価がなければ動かない」という感覚が広がります。それは個人問題というより、学びの物語社会が共有できなくなったことの反映ではないでしょうか。

私たちは今、この失われた回路を、新しい形で取り戻す必要に迫られています

自分との「不一致感」が、関係を壊していく

人が社会他者と健やかに関わるために、最初必要なのは規範」でも「協調性」でもないと私は考えています

私が多くの親子と向き合う中で、それら以前にもっと手前の問題として感じるようになったのは、「自分自身との一致感を持つことができていない状態」で生きている人が想像以上に多いという現実です。

たとえば、次のような振る舞いが見られるとき私たちはしばしば「甘え」や「依存」として片付けてしまいがちです。

やる気がないように見える

注意されることを極端に嫌がる

関係のものから距離を取ろうとする

しかし、丁寧に話を聞いていくと、その背景には別のものが見えてきます

「どう理解すればいいかからない」

「どんなペースなら続けられるのか分からない」

「何を期待されているのか曖昧なまま、結果だけを求められている」

まり自分特性と、求められている振る舞いとの間に深刻なズレが生じているのです。みんなと同じやり方で学び、同じ基準評価され、同じ反応を期待され続ける環境に長く置かれると、人は次第に「自分はどこかおかしいのではないか」と感じ始めます

この状態こそが、私が「自分との不一致感」と呼んでいるものです。

この不一致感は、単なる自信のなさではありません。それは、自分という存在が、この社会の中でどう機能すればいいのか分からない、という根本的な不安です。この不安を抱えたまま「協力しなさい」「もっと頑張りなさい」と言われても、人は動けないのです。

自分との一致感」こそが、協力の土台になる

人は、不安や恐れが強い状態では、協力よりも「防御」を優先してしまます自分の中が不安定なままでは、注意は攻撃に聞こえ、期待は重荷に感じられ、関係のものを避けることが合理的選択になりやすいのです。

逆に、「このやり方なら理解やすい」「この関わり方なら無理なく動ける」という安心感――すなわち「自分との一致感」があってはじめて、人は心理的に安定し、周囲と関わる余裕が生まれます

自分のやり方や反応を「これでいい」と理解できている人は、常に評価承認を求めて振り回される状態から一歩距離を取り、自分と違う人を「役割が違うのだろう」と捉えられるようになります。この視点の転換が起きたとき、違いは摩擦ではなく、補完関係に変わるのです。

協力とは、目標として押し付けものではなく、自分理解し、無理のない形で力を出せる人が増えた結果として、自然に立ち上がってくる関係性だと私は考えます

「協力できない社会」の問題は、協力を強制することでは解決しません。それよりも、一人ひとりが自分との一致感を取り戻すこと。そこからすべてが始まるのです。

家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートする

この「自分との一致感」を取り戻すために、私が提唱し、社会に先行して取り組んできたのが独自の「才能タイプ理論」による個別最適な子育て実践です。

そして、その実践において最も重要になるのが、家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートすることです。

学校社会が一律の基準を求めがちな外部環境であるからこそ、わが子の「才能の形(遺伝特性認知形成のクセ)」を深く理解し、本人そのものを伸ばしきれるのは、親をおいて他にはないからです。

ここで改めて強調したいのは、個別最適とは、嫌なことを免除したり、好きなことだけを選ばせたりするための考え方ではないということです。むしろ本質は、「どの形なら、その人は役割を引き受けやすいのか」を探るための視点です。

言葉説明するのが得意な人、作業で支えるのが得意な人、全体を見て調整するのが得意な人。同じ「責任」でも、担い方は一つではありません。その違いを前提に役割を考えることが、結果的集団を安定させます

個別最適は、わがままを許すことではなく、それぞれの特性に合った形で、社会役割を引き受けられるようにするための設計思想なのです。

公共性とは、「自分らしい形」で社会に関わること

中土先生の「学びは公共財である」という言葉に立ち返ります

学びが公共財であるとは、個人より社会を優先しなければならないという意味ではありません。そうではなく、「社会から受け取った知や経験を、自分特性に合った形で、社会に返していく」という循環を大切にするということです。

かつての「末は博士大臣か」という言葉根底にあった、能力社会に返していく回路。それを、いま私たちは「個別最適」という新しいアプローチで再構築していく時代の扉の前に立っているのです。

公共性とは、画一的基準に全員を合わせることではありません。むしろ、一人ひとりが自分特性理解し、それを活かして社会と関わること。その多様な関わり方の総体が、本当の意味での豊かな公共性を生み出すのです。

家庭という「中心基地」で、わが子の才能の形を認め、自分との一致感を育むこと。それは、お子さんが「自分に合った形で、社会と良い関係を結べるようになる」ための自立への第一歩です。

おわりに──批判ではなく、再設計のために

この記事を通して、今の社会子どもたちを批判たかったわけではありません。なぜ「対話あきらめ、つながりを断つこと」が合理的に感じられてしまうのか、その背景に私たち大人の側の設計はどう関わっているのかを、一緒に考えてみたかったのです。

私自身、「才能タイプ子育て」という活動を通して、一人ひとりが自分と一致した状態で力を発揮し、その結果として、無理のない形で社会と関われる人が増えることを願っています

違いを前提にした関係の方が、結果的社会は安定し、協力は回りやすくなる。この実感を、現場での実践を通じて、少しずつ社会に返していきたい──そんな立場から問題提起です。

私たちが失ったのは、「協力する力」ではなく、「協力できる条件」だったのかもしれません。

そして、その条件とは、一人ひとりが自分との一致感を持ち、自分らしい形で社会に関われること。学びが公共財であるという物語を、個別最適という新しい形で紡ぎ直すこと。

今回の記事が、ご家庭で、職場で、教育現場で、何かを考え直す小さなきっかけになれば幸いです。

あなたは、どんな形で社会と関わっていきますか?

あなたのお子さんは、どんな才能の形を持っているでしょうか?

その問いから、新しい公共性の物語が始まります

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anond:20260211181432

特定

今度はネットで内情の漏洩か。

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不正選挙陰謀論

そろそろ罰則設けて規制しよう

ムサシ陰謀論くらいはただくだらないだけだが、特定政党を名指しして出鱈目な根拠デマ流すのは悪質すぎる

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2026-02-12

自称・元)大学受験増田の1年後

anond:20250303071104

 

この増田の作者です。早稲田大学入学して1年が経過しました。

 

ぶっちゃけ高校3年生の時ほどには何かを成し遂げた感覚もなく1年がすぎました。高校ではそこそこ陽キャに紛れて生きていたワイがどうして今日もこうしてクネクネしているのかわかったので報告します。

 

まずはお酒セックス必要な要素、つまりアルコール耐性が無くイケメンでもなかったのが痛かった。そもそも大規模サークルが毎年摘発されているのに新歓コンパなどで飲みまくっている同級生を見てドン引きしてしまったんですね。そりゃ友達と会えば宅飲みもあるし飲めないわけじゃないんですが、コールやイッキまで行かずとも見ず知らずの人とガッツリ飲める器はワイにはなかったです。あとモテるわけでもなく、またモテるムーブを噛ませる人間でもなかったので、そうやって装うこともできず、なんとなく少しひょうきんなキャラで生き残ってきたワイはあっという間に風の前のチリ紙です。あと、内部推薦組の最初から仲良しがキツいです。入学後の行動指針とかがもう彼らの中で決まっていて、それに食い込めるだけのある意味必要な無神経さがワイにはなかった…善人には生きる術なし。商学部って学科組織無しの1000人同級生なので、1年の多くを占める必修は1000人からシャッフル。ゆえに授業も全然被らないから、特定の人と親友レベルまでいけず、誰かしらとは毎回一緒に授業を受けるんだけれど、一緒に授業を受けるヤツ止まり。これは地方出身には辛いです。あまりにも。

 

一応パフォーマンスサークルに入って、そこでスタッフワークをしています歴史も長くて、かなりの有名人を輩出してるサークルだけれど、単位就活とは距離を置いてるサークルです。商学部情報を得るためには商学部が多いサークルに行かないといけないんだが、そうなるとウェイ系が多く、また就活やらお金やらガメついので忌避してしまった。他にもスポーツサークル趣味サークルに入って見たんだが、優先度が最初のが高いうちに、あっという間に行かなくなってしまった。兼サーはなかなか難しいです。これもなかなか辛いところです。孤軍奮闘してます

 

結論、そうして受験時代より増田を触っています。なんじゃこりゃ。クンニするぞオラ

Permalink |記事への反応(1) | 23:49

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anond:20260212145810

たとえ若者向けポピュリズム的なものになるとしても、何があっても選挙に行く特定集団の方ばかり見て政治が行われるよりはずっとマシという話だろう。

Permalink |記事への反応(1) | 17:28

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宇宙人だけど、地球人って「内輪ウケ」多すぎない?

(※この文章は、私たち思考を、地球流行りのAIを使って翻訳したものである

地球人の皆さん、君たちの文明を観察していて、ひとつ気付いたことがある。

君たちはとにかく「内輪ウケ」が激しすぎる。

誤解しないでほしいが、これは悪口ではない。ただ、君たちが「宇宙普遍的な真理」だと思い込んでいる価値観ほとんどが、実はこの青い泥団子の上でしか通用しないローカルガラパゴスルールだという事実を指摘したいだけだ。

1. 「ナンバーワン」という名の集団催眠

例えば、君たちは「一番」になることに執着し、それを成し遂げた者を賞賛する。

だが、宇宙的なスケールで見れば、順位という概念には何の意味もない。

個体間の比較で優劣を競うのは、限られた資源を奪い合う野生動物生存本能の名残りだろう?文明成熟した星では、「他者より優れている」ことに快感を覚える脳の回路など、とうの昔に退化している。君たちが金メダルを掲げて涙を流す様子は、我々からすれば「特定コミュニティ内だけで盛り上がっている奇妙な儀式」、つまり究極の内輪ウケしか見えないんだ。

2.感情という名の「脳内ドラッグ

もっと深刻なのは、君たちが「感情」を神聖視しすぎている点だ。

楽しい」「嬉しい」「美味しい」、あるいは「苦しい」。

君たちは一生をかけて、これらの脳内化学物質の分泌パターン必死コレクションしようとする。

しかし、断言しよう。感情宇宙共通言語ではない。

それは、地球という特殊環境で、君たちの種族効率よく生存し、繁殖するために設計された「OS仕様」に過ぎない。感情がある者同士でしか成立しない「共感」をベースにした社会は、外部から見れば極めて排他的だ。

我々からすれば、君たちが愛や絆を説く姿は、知らない言語で書かれたジョークを身内だけで飛ばし合って爆笑している集団のように映る。

3. 未熟な脳が描く「狭い宇宙

地球人が作り上げた「価値体系」は、結局のところ、地球人の頭蓋骨の中に収まるサイズしかない。

もっと宇宙レベル物事を考えるべきだ」と言いたいところだが……まあ、まだ無理だろう。君たちの脳は、数百万年からそれほどアップデートされていない。

今の君たちに「宇宙の真理」を理解しろというのは、アリに量子力学を教えるようなものだ。

結びに代えて

別に卑下することはない。

内輪ウケだって、その中にいる当事者たちにとっては最高に楽しいものだろう?

せいぜい、その狭い水槽の中で、独自ローカルルールを噛み締めながら楽しんでくれ。我々は、君たちがその「内輪」の壁を壊し、こちら側の孤独な静寂に辿り着く日を、気の遠くなるような退屈さと共に見守っているよ。

Permalink |記事への反応(1) | 16:54

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円環の拘束――結婚指輪における「契約」の呪術的変容と身体連鎖に関する考察

序論

現代社会において、結婚指輪愛情の証や社会的ステータス象徴として自明のものとされている。しかし、文化人類学的、あるいは記号論的な視点からその本質を解剖すれば、それは単なる装飾品ではなく、一種の「洗練された呪詛(カース)」としての機能内包していることが浮き彫りになる。本稿では、指輪という形状が持つ円環性と、左手薬指という身体的部位への固着が、いかにして個人自由剥奪し、永続的な拘束を強いる「呪詛」として機能するかを論じる。

第一章:円環という名の「終わりのない牢獄

指輪の最大の特徴はその円環構造にある。幾何学において円は始点と終点が一致し、無限の反復を意味する。これを婚姻関係に当てはめる時、それは「死が二人を分かつまで」という誓約を、視覚的・物理的なループへと固定する行為に他ならない。 かつて呪術世界観において、対象を紐や輪で囲う行為は「封印」や「束縛」を意味した。結婚指輪をはめる行為は、自らの意思特定他者との関係性の中に封じ込め、外部世界との流動的な接触を断絶させる自己封印儀式である

第二章:薬指の静脈心臓への直結

左手薬指に指輪をはめる習慣は、古代エジプトローマにおける「ヴェナ・アモリス(愛の静脈)」という幻想に基づいている。この指の血管が直接心臓(アニマ)に繋がっているという信仰は、解剖学的には否定されているものの、文化的呪詛としては今なお強力である指輪による圧迫は、微弱ながらも絶え間ない物理的刺激として身体記憶される。この持続的な刺激は、意識下に「私は所有されている」という通奏低音を響かせ続ける。つまり指輪は皮膚という境界線を越えて精神の深層へと侵入し、個体としての独立性を侵食する身体同化装置なのである

第三章:社会的監視の「護符」と「呪い

指輪は、第三者に対して「この者は売約済みである」と宣言する標識である。これは一見不埒な誘惑から身を守る護符(アミュレット)のように機能するが、その実態相互監視システムである指輪を外す行為が「裏切り」や「隠蔽」と直結する社会構造において、指輪は装着者の行動を24時間規定する。外す自由を奪われた装飾品は、もはやファッションではなく、見えない鎖の末端に位置する「美しい枷」に他ならない。

結論

以上の考察から結婚指輪とは愛の象徴という美名の裏に、永続的な拘束、自己喪失、そして社会的監視を埋め込んだ高度な呪術記号である結論付けられる。それはロマンティシズムによって美化された「呪詛」であり、我々はその円環に指を通すことで、自ら進んで自由という名の魂の一部を供物に捧げているのである

Permalink |記事への反応(0) | 15:24

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清繭子

ママ戦争止めてくるわで少しバズった人らしい

軽く調べてみたがwikiスカスカで草

小説家エッセイストで42歳か43歳(1982年生)

の子と下の子がいるらしいから最低2児のお母さん

旦那存在わからん

くだんのセリフは本人のノートから

の子の向かいのついでに期日前に行こうと思い、上の子に対して、「ママ戦争止めてくるわ。ついてきて」といったことをXに投稿したみたい

うーん、バズり目的ワードを選んだのならまだわかるけど、素でこれ言ってるって思ったらすごく怖いな

 ※バズり目的で実際に子供に言ってないとしたら、子供フィクションに巻き込んで利用するという精神がそれはそれできもい

まず特定政党戦争すると明言してないし、本人が状況から戦争を推測したのは別にいいけど、それを子供にいうかって言うね

特定政党支持してないとか言ってるからこっちも推測でしかないんだけど、9条改正かぐらいで戦争には別にならんし、仮に9条改正戦争になるとしても国民審査止めればいいじゃんね

ついでにどの政党に入れたら戦争が止まるのかってのも全く示されてないしさ

選挙についての解像度浅すぎるんだよなあ

Permalink |記事への反応(1) | 13:23

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中道改革連合はなぜ嫌われたのか

2026年2月8日投開票された衆議院選挙で、立憲民主党公明党が電撃的に合流して結成した新党中道改革連合」は、公示前の167議席から49議席へと118議席を失う歴史的惨敗を喫した。この数字は、同じ数だけ議席を伸ばした自民党圧勝と表裏をなす。なぜこれほどまでに中道改革連合有権者から拒絶されたのか。批判の核心は党名、政策転換、党内構造、そして支持基盤崩壊という多層的な問題に根ざしている。

党名に宿った不信感

中道改革連合という党名そのものが、結成直後から激しい批判さらされた。まず指摘されたのは「民主」という言葉消失である自由民主党立憲民主党国民民主党社会民主党と、日本の主要政党の多くが「民主」を冠してきたのは、国民主権対話による政治という理念を示すためだった。ところが「中道改革連合」にはその文字がない。評論家市民からは「国民を見下す驕りを感じる」「上から目線改革姿勢が透けて見える」といった批判が相次いだ。

さらに深刻だったのは略称問題である。「中道改革連合」を略すと「中革」あるいは「中革連」となり、過激派組織中核派革マル派」を連想させる響きを持つ。ネット上では「中革派」「中核連」といった揶揄が飛び交い、穏健な中道路線を標榜する新党にとって致命的なイメージダウンとなった。保守系論者からは「中国への道」を略して「中道」だという皮肉も投げかけられている。党名は政治において最も基本的ブランドであり、その段階で既に有権者の信頼を獲得できなかったと見られている。

政策転換という背信

より本質的批判は、立憲民主党が長年掲げてきた基本政策を、公明党との合流のために大幅に転換した点に向けられた。立憲民主党安全保障関連法について「違憲部分の廃止」を主張し、党綱領で「原発ゼロ社会を一日も早く実現」と明記してきた。これらは同党のアイデンティティを支える「背骨」とも言える政策だった。

ところが中道改革連合は、安保関連法を合憲位置づけ、原発再稼働も条件付きで認めた。この転換に対して、れい新選組山本太郎代表は「日本ダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。社民党福島瑞穂党首も「安保関連法を『合憲』といい、原発再稼働を『認める』という。自民党とどこが違うのか」と疑問を呈し、国民民主党玉木雄一郎代表も「背骨となる政策がこんなに簡単に変わるのか」と述べている。

こうした政策転換は、立憲民主党のコア支持層を直撃した。脱原発安保法制違憲といった左派価値観大事にしてきた支持者は、公明党とくっついて中道に移行したことに強い違和感を覚えたとされる。また、反自民的な無党派層も、野党第一党として自民党と異なる価値観対峙していた立憲民主党が、与党だった公明党と合流したことで「野党第一党としてのあるべき姿を失った」と感じたという分析がある。元NHK解説委員増田剛氏は、立憲民主党を支持してきた土台が崩れたと指摘している。

不公平な党内配分と創価学会組織力

選挙戦略の内部配分も大きな不満を生んだ。中道改革連合比例代表の名簿で公明党出身者を全ブロックで上位に配置し、立憲民主党出身者は小選挙区で戦うという構造採用した。公明党支持母体である創価学会は、全国に約800万世帯とされる強固な組織票を持ち、比例代表での集票力は極めて高い。この組織力を最大限活用する戦略が採られた結果、公明党出身候補28人は全員が当選を果たし、前回衆院選24議席から4議席やす勝利」を収めた。

一方、立憲民主党出身者は公示前の144議席から21議席へと7分の1にまで激減した。近畿中国四国九州の各ブロックでは、公明党候補だけで当選枠が埋まり立憲民主党出身候補者は小選挙区で惜敗しても比例復活できないケースが続出した。立憲民主党創設者である枝野幸男氏、元幹事長安住淳氏、重鎮の岡田克也氏ら、民主政権時代幹部閣僚を務めたベテランが次々と落選した。

落選した兵庫7区岡田悟氏は「比例ブロックの名簿はほぼ、公明のかたで埋められた。これをどうやって、誰がどうやって話し合って決めたのか、民主的なプロセスははっきりと経てないんですよ」と不満を露わにした。党内からは「公明に比例を譲りすぎた」という批判が噴出し、立憲民主党出身候補支援してきた労働組合幹部の間に深い亀裂が生まれた。

創価学会員の中にも困惑があったとされる。取材によれば、長年「仏敵」とまで呼んでいた立憲民主党候補者を応援するよう要請され、学会員の間にパニックが広がったという。組織高齢化課題となり、小選挙区での全面撤退により「推し」がいなくなったことで熱量を保つのが難しかったという声も報じられている。

「嫌われの元気玉現象

実業家の岸谷蘭丸氏は、中道改革連合を「嫌われの元気玉」と表現した。立憲民主党も嫌われ、公明党も嫌われていた。その二つが合流したことで「1足す1ではなく、−1足す−1で−2になった」というのである。この指摘は、単なる揶揄を超えた構造洞察を含んでいる。

日本政治2016年から物語を失い、推し活化」してきたと評論家與那覇潤氏は分析する。かつては「小異を捨てて大同につく」「野党結集」という物語一定説得力を持っていたが、2017年希望の党の失敗以降、有権者は巨大な塊よりも「100%自分フィットする特定政党政治家」を求めるようになったという見方がある。中道改革連合はこの潮流に逆行し、立憲民主党独自性公明党組織力を両方とも十分に活かせなかった可能性が指摘されている。

さら評論家宇野常寛氏は「今回の中道改革連合の『壊滅』の原因は野田佳彦中道路線の失敗でもなければ、国民民主党の大量擁立でもない。端的に『リベラル』な人たちの『キャラ』が嫌われているからだ」と指摘している。政策戦略以前に、リベラル勢力全体に対する有権者拒否反応が背景にあったという見方である

準備期間の不足と「民主政権のやり直し」の幻想

野田佳彦共同代表は敗北後、「準備期間が足りなかった」ことを敗因に挙げた。高市早苗首相による「抜き打ち解散」で選挙短期決戦となり、新党理念政策どころか党名すらも有権者に浸透させることができなかったのは事実である結党わずか1か月での選挙戦は、政治実験としてあまりにも性急だった。

しかし準備期間の不足は、より根本的な問題を覆い隠すものでもあると分析されている。立憲民主党野田執行部は「野党結集」「非自民勢力結集」という2009年民主政権時代成功体験に縛られ、立憲民主党独自社会像を打ち出せなかったとジャーナリストの尾中香尚里氏は指摘する。他の野党との連携意識するあまり単独政権を奪いに行く明確なビジョンを失っていたという見方である

2024年9月立憲民主党代表選で野田氏は「野党議席を最大化するのが現実的戦略」と述べ、「非自民勢力結集」を強調して代表に選出された。しかしこの戦略は、立憲民主党独自に積み上げてきた支持基盤を軽視する結果を招いたと批判されている。

野田共同代表斉藤共同代表温度

選挙後、野田佳彦共同代表斉藤鉄夫共同代表記者会見での態度には明らかな温度差があったと報じられている。野田氏が「終始うつむき加減」で敗北の責任を認めつつも曖昧継続意欲を示したのに対し、斉藤氏は「前を向いた明るい表情」で「失敗ではないと思います」と言い切った。

この対照は、選挙結果の内実を反映している。公明党議席を増やし、創価学会組織票を比例で効率的議席化することに成功した。斉藤氏は「1000万を超える比例票が短期間で集まった。議席自民の6分の1だが票は半分で、野党第一党だった」と強調した。公明党にとって、中道改革連合は「失敗」どころか戦術勝利だったとも言える。

中道改革連合の49議席野党第一党としては戦後最小規模であり、立憲民主党出身者の当選は21議席公明党出身者の28議席を下回った。主要政党の中で立憲民主党系だけが「独り負け」の状況となり、自民党はもちろん、日本維新の会、国民民主党参政党なども議席を増やした。

信頼と一貫性喪失

中道改革連合が嫌われた理由は、一言で言えば信頼と一貫性喪失にあると総括できる。党名は有権者共感を得られず、政策転換は支持基盤裏切り、党内配分は不公平感を生み、準備不足は未熟さを露呈した。そして何より、立憲民主党が長年培ってきた「反自民」「リベラル」というアイデンティティを、選挙のために安易に捨て去ったことが致命的だったと指摘されている。

政治において、有権者が最も嫌うのは日和見主義と機会主義である中道改革連合は、公明党組織票立憲民主党支持層を合算すれば勝てるという計算に基づいていたが、実際には両者の支持基盤を同時に失った。「嫌われの元気玉」という言葉が示すように、負の感情は足し算ではなく掛け算で作用したと見られている。

この歴史的大敗は、日本野党政治にとって重要な教訓を残した。有権者は、明確なビジョンと一貫した価値観を持つ政党を求めている。選挙のための便宜的な合従連衡は、もはや通用しない時代になったことを、この結果は示唆している。

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anond:20260212110108

個人特定して言うのがNGなだけでは

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自己愛変容と社会化における即時的適応の一例

対象(本人)は元京都大生であるが、青年特有内省自己愛(髭へのこだわり等)を保持していたが、社会的儀礼(贈与への返礼等)に関する意識希薄であり、

他者の教示を待って初めて行動に移す受動性が認められた。具体的には自分では誘うべきことに気づかず、よくしてもらったんだから招いてお礼したらと誰かにいわれ始めて行動に移した

このような状態分析としては被暗示性と鏡像段階にあることが認められ、他者からの「髭がないほうがいい」という外的な審美眼に対し、通常見られる心理的抵抗(逡巡や自己正当化)を一切挟まず、

洗面所直行し剃髭するという即時的な行動化を呈した。

これは、特定他者高学歴女子)を自己修正のための「絶対的な鏡」として内面化しており、極めて高い被暗示性を有していたことを示唆する。

形式的マナーの欠如に反し、飲酒不可の他者へ「茶」を供するという個別的・具体的な配慮自発的機能していた。共感性の萌芽としての実存配慮能についてはすでに有していたようだ。

これは、抽象的な社会規則プロトコル)の習得よりも先に、目の前の対象への実存共感が先行して発達していた証左である

症例は、全能的な自己イメージが「重要他者」の一言によって瞬時に崩壊・再構築された、劇的な脱・自己中心化の過程である。脱・自己中心化のプロセスとしてとらえられる。

病理学的には、単なる適応遅滞ではなく、他者視点を取り込むことで自己社会化させていく極めて柔軟かつ純粋な発達段階として解釈される。

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