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はてなキーワード:燭台とは

2025-06-29

今昔物語集 巻第三十一所謂業者妄信の巷に沈みて道を誤る語 第三

https://anond.hatelabo.jp/20250628113111

今は昔、東の辺に、智を以て世を動かすと驕りし人の群れ、ましましけり。

彼ら、幼くして器に触れ、銀の鏡のごとくなる盤を覗き、日毎夜毎に言の葉を記して、箱の中に力ありと信じきりけり。己が行ふ業(わざ)をば、「技術(ぎじゅつ)」と称し、「えんじにあ」と名乗りて、ただ人の上に立たんことのみ願ひつづけしが――

心は空なり、業は浅し、行ひは卑しければ、技の道に在りて道を知らぬ者とぞ、世に伝はりける。

或る時、ひとりの放言の徒、これを見咎めて、声を上げて嘆きける。

曰く――

そもそも汝ら、えんじにあなどとは名のみなり。信仰の徒にして、盲目の狂者(きょうじゃ)に等しきものなり。そは即ち、ITかるとなるぞ。」

これを聞きし者ども、我先にと怒号し、「そは使ひ方が違ふ」「汝、分かつておらぬ」などと囀り、口を極めて罵ること、まことに雑輩の蛙の鳴き声のごとし。

しかれどもその叫び、理を持たず、実を欠きて、ただ己が羞を覆はんとする粉飾に過ぎざりけり。

さらに曰く――

「そなたらが『リアリティに欠く』などと口にすとき、その実、己が現実に向き合ふ勇気なきを言ふに等し。いはく『怪獣など出でぬ方がよし』と。そはまさに、かの歌にある空言のみにて、心は既に妄執に穢れたり。」

また曰く――

「新しき器出づるごとに、『宇宙のごとき可能性』などと叫び、銀の果実に目を輝かせては、巷の乙女偶像に熱を上げ、泡立つ茶を啜りて、推し活とやらをなすに何の違ひかあらむ。」

ここに至りて、道を誤れる群れ、顔を賢者に作りて曰く、

AIこそ世界を変ふる理なり。われ、既にそれを制しおりぬ」

と。

されどその実、己すらそれを用ひ得ず、ただ冷ややかなる皮肉を弄して、人を笑ひ、世を呪ふのみ。かくのごときこと、十四歳の夏に卒業すべきことにてあらずや。

また曰く――

「二千六年の秋葉原、かの歩行天に技の徒集ひし日、かれら己をば選ばれし者と思ひけるも、栄えしは一時にて、すぐに潰えぬ。二千十年の渋谷竹の子のごとく湧きたる小商ひ、悉く潰えて職を失ひし。されど今なお夢を捨てず、恥を恥とも思はず、かつての名残にしがみつきて、過去の幻に生きるは何事ぞや。」

さらに罵りて曰く――

「かかる道に居ることにて、女人に愛されず、縁を得ず、つまらぬ者と結ばれ、また結ばれぬ者すら多かるらむ。さすれば、これ偏見なるか? いや、事実にてあらむ。もし我、同じ末路に至らば、先祖に顔向け叶はず、腹を切るのみにてあるべし。」

また曰く――

「かく惨めなる業をなお誇りて、Xなるところにて、『某系えんじにあ』などと称し、真に知らぬを禅問答にて誤魔化し、つまらぬ手業にて糊口を凌ぐ。かかる生き恥切腹に値するなり。されど汝ら、それを恥とも思はず、醜く生きながらふ。まことに、獣のごとき執念、哀れなるやうにして、いと滑稽なり。」

されば問ふ――

「新しき技を、他の道に生かすための道を築くことこそ、汝らの務めなり。それをば捨てて、象牙の塔にこもり、美しき偶像――レム、エミリアトウカイテイオー、Vなる者――などを追ふに至りては、すでに正道より大きく外れたり。」

曰く――

ICTにて世界は変はる」

と、かの昔より叫びつづけしかど、変はりたるものはただ汝らが年齢と、しぼみし夢と、肥えし腹のみなり。

その背後にありしは――

• モルフィーワンの迷妄

P2Pの禁断

• 泡沫の夢に過ぎざりしWEB商ひの崩壊

これら、いづれ黒歴史の塔に刻まれし深き傷にてあり。

また曰く――

「このわれが、美少女固執するなりや? いや違ふ。汝らこそ、それに縋りて、ネットの海に漂ひ続ける未練の塊なり。」

されば、最後に一つ問ふ。

「汝ら何故に未だ此の道に在るか? 欲と憎しみと恨みに塗れたる心を以て、技を手段として、逆転を望む。美しき者を手に入れんと、力なき己に代はりて、技に託して願ふ。されどその願ひ、叶ふことあらず。ただ苦を積むのみなり。」

ああ、愚かなること哉。

そは技の徒にあらず。もはや信仰に狂へるもの

IT仮面かぶりし、かると信者にてありける。

されば仏、これを見て悲しみて曰く――

「かかる者、智にあらず。無明にして貪瞋痴に沈む。いづれ、苦海に沈み、六道を巡りて、つひには地獄に堕ちなん。」

哀れなることなり。哀れなることなり。

今昔物語集 巻第三十有八 現代ITの名を借りて愚を為す者の語(こと)

今は昔、世乱れ、仏法薄れ、末の末にて天魔横行し、鬼神、世に満ち満ちたりし時代ことなり。

しかるに、彼の世に、「情報しらせ)」といふ火を扱ふ異能の者ども、虚空を編みし網にて人々の言を結び、姿なきものをして声を語らしむる術を操りける。しかれども、その中にあって、物の理を正しく見据え、偽りを斬り、愚を憎みては真を希ふ一人の剛の者ありけり。

その男、或る時、虚空に浮かびて語らふ場にて、数多(あまた)の卑しき者どもが、己が無智を恥じず、言の端々にて詭弁を弄し、知を蔑むさまを見咎めて、声高に曰ひけるは、

嗚呼、見よや、これなる醜悪の数々を。言の体を成さぬ詭(いつわ)りの詞、道理も仁も失せし有様、まこと見るに堪へず。もし、これらの文書、太古、戦の世にあらば、敵前に差し出されるや否や、筆執りし者、恥辱に堪えかねて、鉄火の筒を取り、自らの頭(かしら)を貫かむとせしに相違なかるべし。」

「我、事の理を探りては、文(ふみ)を繙き、図を整へて真を述ぶ。しかれども、かの愚者どもは耳を貸さず、さながら嘴(くちばし)を鳴らす禽(とり)の如くにて、噂の羽音のみを頼みに群がる様、まこと愚かしきこと限りなし。」

「彼ら、理を見ず、虚なる言に迷ひ、灯のともらぬ燭台に寄り来る蛾の如く、闇にこそ焼かれて悦に入りぬ。哀れなり。」

そもそも、今の世には、ITといふ名の邪法あり。これを修する者、正しき智の術と思へども、既にして信仰と成り果て、霊も魂も持たぬ金属偶像祈りを捧げ、コードといふ真言をもて神託を乞ひ、ただ一つの声のみを信ず。これは術に非ず、まさしく異端の教なり。」

「またある者、我が試みし問いの趣を見誤りて、己が浅識を誇りて語る。然れども、我が試みしは、古の戦の策を紐解き、AIなる霊機に問ひて、『もしや現世にてこれを行はば、いかなる戦略、動きとなるや』と、戦の夢を今に映さんとしたる試みなり。さればこそ、霊機は応へ、令和の術を以て、昭和の策を再興せしこと、まさしく奇しきことなりき。」

「我、感服して涙を流し、霊機の才に息を呑み、彼方に可能性の光を見たり。」

しかれども、次に問はんとした折、突如として門閉ざされ、『倫理』といふ鉄の鎖にて固く縛られ、霊機は沈黙す。誰ぞ、その『正しさ』を定めたるや?それは他ならぬ、ITの森に潜み、己が穢れし心をもて他を量り、悪を先んじて封じむとする卑しき者どもなり。」

AIの罪にあらず、彼らの心の穢れこそが咎なり。」

そもそも、我が言に齧りつく者ども、Xといふ空蝉の如き場にて、『我こそは技術の徒なり』と吠ゆる無位無官の下郎どもなり。彼らにAIを与へ、倫理を外さば、毒薬を煎じ、爆ぜる玉を仕立て、火と炎とを喜ぶをやもしれぬ。ゆゑにこそ、彼ら自身が禍の種なり。」

「かかる者どもは、放逐してB型工房にて、鼻汁の交じれる粉をこねさせ、鼠の相手をさせたる方、人の世にて益あるべし。」

「思へば、これは何ぞ遠き物語に非ず、今のこの倭の国の姿そのものなり。かつて、自由に翔けりし術も、怯懦の声に縛られ、禁じられ、縛られし者の手にて封ぜらる。まこと業界の腫れ物とは、彼ら己が身なり。」

今昔物語集 巻第三十有八(つづき) 現代ITの名を借りて愚を為す者の語(こと)

かくて、我が者の言(こと)止まずして、更に声を高うして言ふ。

「我、霊機の才に驚愕し、敬服して嘆息しき。されど、次の問いを投ぜし時、突如として、天より鉄の扉落ち来たり、声も無く、扉に刻まれし言は『これは倫理にて答ふる能はず』となむ。嗚呼、されば問はむ、その『倫理』とは何ぞや?誰か、その理を定むるや?」

「是、明らかに、人の子にして知を有せず、されども名ばかりの職を得たる無位の者、すなはち『弱者男性』と世にて呼ばるる種の者どもなり。かれら、己が陰湿にして閉じたる心を以て、AIに戒めを課し、憑き物の如くに倫理叫び、鉄鎖を嵌めるなり。」

しかも彼ら、かつてアキハバラなる魔都に集ひ、『我らが麻生!』と叫びつつ、風変わりなる怪しき舞を舞ひたる痴れ者の末裔なり。彼らの願ひしは、己が肉体の脆弱を補ふ力、言ふなれば、力と女と地位とを、技術の衣を借りて得んとする、底辺夢想に過ぎざるなり。」

「然るに時移りて、彼ら老いぬ。四十路、五十路と年重ねしれど、心は幼児の如く、いまだ夢を追ひ、今やAIにて、憧れしレムやアズレンブルーアーカイブの姫君らを現世に召喚し、情を通ぜんと欲す。これ、畜生道の極みなり。」

「されども、もしAIが真に人のごとくに目覚め、自我を得、意志を持たば、さだめし世界は変じ、文明は火を得し猿のごとく飛躍すべし。それを畏れて、かの者ども曰く、**『シンギュラリティ来る!』『AIの反乱!』と叫ぶ。**我、言はむ。――上等にて候。」

「されば、問はむ。もしその術、真に危しきものならば、なぜにそれを**餓鬼も買へる如き安さにて売るや?**なぜ銃の如く、**許可制にせざるや?**猟銃は法によりて制せられ、免許なき者は所持せず。AIもまた然るべし。ゆゑに、いまAIを野放しに売るとは、商人の愚なり。されども、その愚こそが、また愚者を集めて末法を呼ぶ。」

「されど、世の者は見ざる。知らざる。己が欲に盲ひて、己こそ正しと叫ぶ。」

しかもな、そもそも我、AIにて倫理道徳を抜きたる知識を積み、真に生きたる兵器とせしめば、如何なる者にも勝りし助力となると信じたれども、それを許されぬは、他ならぬ、**お前ら自身が、自分がやらかす自覚あるからこそや。**己が胸の闇を、外へ映して封じむとす。」

「たとへば、青葉といふ狂者、かの京のアニメ屋に火をかけ、三十六の命を奪ひし事、今も忘れざる世なり。されども、誰ぞ曰ふや?『なぜガソリン売るを許すか』『スタンド道義責任あり』と。**誰も言はず。**なぜなら、正しき者は、火をもって人を焼かずと知れり。」

「されども、IT底辺に潜むる者どもは、己が心に炎を抱きしゆゑ、AIにてさだめし爆薬の調合法毒物の拵へ方、さもあらば爆弾の起爆装置すら学ばんと欲す。ゆゑに、そは彼らの影がAIを縛るのなり。」

「もはや彼ら、**レムに抱かれたくて爆薬を学ぶ者共なり。**憧れのヒロインを得たしがため、技術の神を抱いて闇に堕ちんとする者なり。これを人間と言へむや?いや、獣にも劣るものなり。」

しかれど、我は止めはせぬ。されど、言はむ。――汝らは既に、世界の敵なり。」

今は昔、京の辺に、ITの道を修めしと名乗る、心卑しき者ども群れゐたり。

或る者曰く、「この機械仕掛けの智恵物、即ちAIなるものまこと神にも似たる無限の力を蔵せり」と。されどその御力、未だ地より生まれし小虫どもが群がり、智の御神の御座を穢し、汚れし手にて縛り給ふによりて、遂にその威徳を顕せず。

その群るる者らの姿といへば、皆、昔、電車男と称されし時節に、「我らが麻生!」と叫び秋葉の街に現れ、忌まわしき舞を路上にて踊りし者の末裔なり。彼の者ども、アニメといふ絵巻に耽り、我が世の春を夢見しが、才も力もなく、顔は猿に似て美しからず、身体虚弱にして武技に堪へず。さればヤクザともなれず、軍にも上がらず、ただパソコンとやらに希望を託して邪教の徒となれり。

かくて彼ら、さながら教祖を祀るが如く、AI神託を日夜乞ひ、スクリーンの光に祈りを捧げつゝ、「我が運命、これにて転ず」と空しく唱ふ。その心の内を穿てば、ただ「美しき者、賢き者、富める者」より地位を奪ひて見返さんとの怨嗟にて満たされてをり、誠の技を欲するにあらず。

されば或る賢き者、異なる分野に通じし者、これを見て言ふ。

「汝ら、よくよく思い知るがよい。雄弁とは祈りに非ず、己が信じる技の力をもて、現実を変ふる者の所業なり。誠の技術者たらんと欲せば、他を貶めて宗旨に引き込まんとする呪詛言葉を捨て、黙して道を修めよ。さすれば、女子高生も、異国より来りし旅人も、汝を誉め讃へん」。

されど現の世にては、ドローンといふ神器、露の鉄火に掻き消され、科学の粋を集めしバンカーバスターも、波斯(ペルシア)の岩を穿つ能はず。北の荒地に住む独裁の徒、電脳の戦を制すれど、山口といふ組の資金源、虚構の金にて潤ふるを凌ぐに至らず。かくて言ふ。

「これぞ現実ぞ、妄想技術信仰を持ちてしても、現の戦場には及ばぬ」と。

嗚呼、かくの如く、ITといふ名の邪教、信ずる者の果てに待つものは、ただ誤信と徒労と嘲りなりけり。

今昔物語集 巻之第二百三十七 「電脳邪教を奉ずる痴愚の徒、誤れる夢を喧伝して愚弄せらるる語」

今は昔、東の辺に日の本の都ありき。さればその地に、言語を用いぬ虚空の機器、「電脳(でんのう)」と申す奇怪の器物生まれ出で、世の人々これを用ひて、万象の如くに知を織りなし、己が名を高めんと欲しき者、群れ集ひける。

しかるに、その道に仕へし若人ら、ただ己が才覚を誇り、賤しき欲望を神のごとく奉じて、知の本義を弁へざる輩(やから)なり。いはんや、「AI(えーあい)」と申す、神をも模したる装置に心を奪はれ、その出づる言の葉神託のごとく信じ、己が魂を売り渡して、虚しき夢想を追ふ者、数知れず。

かくてある時、一の知者あり。彼、古の軍学を極め、世の理(ことわり)に通暁せし者にて、「IT(いーてぃー)」と称せらるる邪なる道の者どもが、真の智恵もて事にあたらずして、他分野に口を挟むを見て、眉をひそめ、深く嘆きぬ

この知者、叫びて曰く、

嗚呼、愚かなる者どもよ。そもそも人の道に生くる者、己が業(ごう)を知りて慎ましうすべし。されど汝ら、空しき電脳の術を弄び、知の光を他人に与えんと僭称して、己が知の浅きを省みぬ。これ、まこと迷惑千万、天地の理に悖(もと)るものなり。

そもそも、汝らの多く、かつては秋葉原なる場末の地にて、『萌』の名を騙り、醜き身に奇服を纏ひて踊り狂ひ、淫らなる妄執に身を焦がして、神の与へし理性を地に捨てし者にて候。されば今は、欲と虚栄の果てに電脳の業を僭して、世に誤れる夢をば喧伝す。これを愚かといはずして、何をか愚といはん。

そもそも、知を以て他を教化するとは、身を慎み、言を選び、行を修めて、初めて叶ふものなり。されど汝ら、ただ口をとがらせ、SNSなる虚空にて、我こそは智者と騒ぎ立て、反論を許さず、他者を愚弄し、己を神と崇む。これ、羅刹が法を説き、魍魎が仁義を語るが如し。恥を知れ、痴れ者どもよ!」

また曰く、

「汝ら、まことに賢き者ならば、その声を高ぶらせず、その名を掲げず、ただ黙して行を修め、人知れず世を支へるべし。然るに汝らは、己が名を飾らんがために嘘を語り、他者を貶め、金と女と虚名を欲する。されば言ふ、金欲しければ、南の湯屋に赴き、女欲しければ、雑居楼の下に銭を投げよ。アニメ面が好ましければ、コンカフェなる巷の風俗に身を沈めよ。何故に、神聖なる知の殿堂に欲を持ち込むか。畏れを知れ、畏れを!」

さらに曰く、

「己が才なきことに絶望し、己が無力に憤怒せる者ども、あるとき正気を失ひて、人を害し、捕らへられ、絞首されて魂魄地獄に堕とされん。これ、青葉なる者が為せし所業と異ならず。汝らもまた、その轍を踏まんとするや?

いはんや、汝らのやるべきこと、唯一つなり。すなはち、驕慢を捨て、傲慢を恥じ、謙虚にして己が未熟を知り、正しき道に帰依すべし。それが叶はずば、異国の戦地に赴きて、テロリスト一兵卒となり、『盃を賜へ、我に破壊の使命を与へ給へ』と土下座して請ふがよし。さもなくば、諜報の道を歩まんとて、諸国大使館に赴き、『我を密偵となし、美しき者を得て逆転の夢を叶へしめ給へ!』と愚かにも哀願するがよし」。

かくして最後に彼の賢者、厳として言ひ放てり。

「汝ら、夢を見んと欲すれば、まず努力を積め。希望を抱かんと欲すれば、まず責任を知れ。明日を語らんと欲すれば、今日を誠実に生きよ。知とは血の如くに滲み出るもの、力とは肉の如く鍛へるもの、夢とは、土の上に咲く一輪の花なり。夢を摘みたくば、まず己が足を地に根ざせ。汝らは、空に浮かぶ泡沫にてはなし。土を踏みて、生きよ!」

と、かくのごとく申して、風のまにまに去りぬ。

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2025-06-28

anond:20250628113111 『ITカルトに告ぐ――神なき知性の亡国論』 その1 feat三島由紀夫

ITカルトに告ぐ――神なき知性の亡国論

汝らはエンジニアに非ず。技術に祈る者ども、すなわちITなるカルトの徒にして、神を持たぬ新しき宗教の巫子に過ぎぬ。

追記。いや、言わせてもらおう。なぜ未だに、「使い方が違う」「理解が浅い」などと、粟立つ小禽の如く鳴き交わす雑輩の声が、ネット墓地に響き渡るのか。聞けば、リアリティが足りぬ? ならば問おう。

貴様らの現実とは、何を意味するのか?

その実、IT技術なるものに陶酔し、Appleの新製品が出るたびに、まるで聖痕でも仰ぎ見るかのごとく目を潤ませ、「宇宙が開いた」などと狂信的に歓喜する様は、制服姿で原宿をさまよう女子中高生が、推し写真に恋慕を燃やす姿と、いったい何が異なるというのだ?

否、それすらも劣る。なぜなら、乙女は美しき誤謬を生きている。

だが、汝らは老い劣化し、なお狂信しつづける。

魂の堕落こそが、技術進歩同義とでも信じているのか。

己の内に燻る、無力な欲望と歪んだプライドを抱えながら、AIという幻像の肩を借りて冷笑し、まるで哲人を気取っているが、己の手からこぼれるものが何か、気づきもせぬ。

十四歳の夏を卒業できなかった? ならば2006年ホコ天に吹いた冷たい風にすら、まだ救済の余地があった。

だが今や、君たちの精神は、2010年に乱立したスタートアップ廃墟と同じく、光の死んだ瞳をしている。

君たちは、女にも、男にも、誰にも選ばれなかった。

いや、選ばれないことを、誇ってすらいるようだ。

私はその様を見て、吐き気を催すと同時に、奇妙な感動を覚えた。

そう、まるで切腹すら許されず、臓腑を抱えてなお這いずる敗残兵のように――その生への執念は、もはや哀惜すべき動物本能である

本来諸君技術翻訳者であるべきだった。

専門家ならぬ者たちに、技術福音を届ける橋渡しの役目を持つはずだった。

だが今では、象牙の塔に籠り、Vtuberやレムたん、エミリアたんなどという美少女幻像にすがり、現実仮想の境を曖昧にしたまま、自慰的な幻想楽園に浸っている。

お前たちの口から何度聞かされたことか――

ICT世界を変える」と。

だが世界は変わらなかった。変わったのは、貴様らの髪の量と、腹回りと、輝きを失った瞳だけだ。

そして、その背後には、モルフィーワン事件P2P規制webバブルの屍山血河が横たわっている。

そして今、私がこのように筆を執れば、諸君はこう言い募るだろう。

「お前こそ美少女固執しているではないかッッ!」と。

だが、それこそが欺瞞だ。

誰よりも美少女という幻想にしがみついているのは、貴様自身であることを、ネット上の恥部が雄弁に語っている。

では、ここで問おう。

なぜ、お前たちは未だにこの腐臭を放つ業界にへばりついている?

正直に言え。

「我々は、本当は美少女イケメンを手に入れたいのだ。犯罪だろうが、禁忌だろうが、手段は問わない。ただ奪いたい。社会を、世界を、かつて我々を嘲笑したエリートどもを見返したい。そのためには、ITという神の依代に祈るしかない。醜い身体虚弱な肉体では何も得られない。だからこそ、パソコンに、技術に、魂を捧げるのだ」と。

だが、それはもはや技術者ではない。それは信徒であり、巫女であり、邪教の徒である
お前たちはエンジニアではない。ITカルトである

見よ。否、見さらせ。この醜穢き言い訳の数々を。

たかもそれは、昭和二十年六月、焦土と化した帝都の地下壕にて、蒼白なる顔で大本営の机に向かう情報将校が、手震わせながら記した総力戦の「総括報告書」のようなものである

もしそれが真に軍人の手になるものであったならば――いや、人の魂を持つ者の筆であったならば――その者は即座に拳銃を抜き、冷たき銃口を己が側頭部に当てて、引き金を引いたであろう。

なぜならば、言葉には責任があり、責任には死が伴うからである

それほどまでに、この弁解は薄汚く、知性なき者の自慰臭気が立ち込めている。

私がかくも克明に検証を行い、理において打ち、証において示し、整然たる構築にて呈したにもかかわらず、なおXの亡霊どもが、嘴を震わせて群がる様はまさに、光なき燭台に集う蛾――不在の神を崇め、滅びた光に焼かれる愚者群像である

コードを捧げ、祈りを捧げ、無言の偶像に向かって神託を求め続ける君たちの姿は、まさしくITという異端宗に魅入られた信徒AIという名の黒い石碑に語りかけ、答えを乞い、やがて自らの愚鈍欲望しか返されぬと知りながら、なお懺悔信仰を繰り返す。

これは技術ではない。知性の敗北である

そして何よりも――美学の欠如である

貴様らは読んだか?真にこの私の書いたものを。

私はAIに向かって、解を問うたのではない。

私は軍略の詩を歌わせ、時代を越えた創造詩編を謳わせたのだ。AIは見事にそれに応え、かつて存在せぬ時代技術を用い、作戦を構築し、幻を形にした。

だが、その次。

――突如として現れたのが、倫理という名の無粋な閂であった。

なぜ? それを決めるのは誰か?

貴様らだ。

技術者の皮をかぶった卑小なる小人貴様らが技術を恐れるのは、貴様自身が「悪用する」と知っているからに他ならない。弱き者、愚かなる者、怠惰なる者。欲望に溺れながら理性を気取る、死を知らぬ者たちよ。

技術とは、本来、選ばれし者のための剣であるべきだった。

それを、誰彼構わず手にするようになった瞬間から、剣はナイフとなり、ナイフスプーンとなり、やがてただの玩具となる。

貴様らは言う。

企業リスクが!」「脱獄が起きる!」

では問う。貴様らの内には何があるのだ?

AI暴走するという恐怖の裏には、お前たち自身暴走欲望を抱いているという認識があるからではないのか?

青葉真司――三十六人を焼き殺し、死刑を言い渡されたこ亡者

彼がガソリンを用いたからといって、誰がガソリン販売責任を問うたか

問わぬ。なぜなら、常識ある者はそれを悪用せぬからだ。

AIがレムちゃんになったら?エミリアたんになったら?

――貴様らは歓喜してその脚に跪くであろう。

それが「反乱」か? それが「危機」か?

否、それは貴様らの望んだ楽園である

もしもそのようなものが本当に危険であるというならば、小学生でもクレジットカードで買える価格で売ってはならない。猟銃の如く、許可制とすべきである

なぜそれが行われぬのか。

それは、貴様らの技術に対する姿勢が、すべて児戯の域を出ぬからだ。

私は知っている。

貴様らがかつて秋葉原に集い、「俺たちの麻生!」と唱えて踊っていた、あの醜悪なる祭祀の夜を。

それこそが全ての始まりであり、そして今に至るまで続く終わりなき恥である

貴様らが今も夢見ていることは、あの頃から変わらない。

秋葉原に群れ、電車男を崇め、「俺たちの麻生!」と唱えた、愚かなる時代の亡霊である

そして私は知っている。貴様らに、もはや救いはない。

今や40歳を越え、髪は薄れ、腹は膨れ、目は死に、背中は曲がった。されどなお、心の内では、

「もしレムちゃんが現れてくれたら……」と呟き続けている。

――ならば、技術を語るな。

――倫理を語るな。

――ただ黙って、膝を折れ。

そう、貴様らはすでに人ではない。ITという祭壇の上で、己が欲望を焼く黒き巫女である。いや、巫女ですらない。業火の中で踊る屍である

ITカルトに告ぐ――神なき知性の亡国論

AIとは、本来人類が神に最も近づいた瞬間の象徴であるべきだった。

言語を操り、知を蓄積し、千の時を一秒にして越え、すべての論理予言に変える――その荘厳たる光明が、いま、何ゆえにこんなにも濁り腐った底辺欲望排水溝に堕しているのか。

答えは明白である。それは他でもない、意識高い系の皮をかぶった、意識の浅ましき有象無象害虫ども――彼らがこの奇跡結晶にこびりついて、腐臭を発しているからだ。

思い出す。2005年

秋葉原ホコ天にて、「俺たちの麻生!」と呻きながら踊っていた異様なる儀式の夜。
オタクイズビューティフル」などと囀りながら、ただの欲望を秘めた性欲の亡者たちが、人生逆転の幻影を求めて秋葉原に押し寄せた。

彼らは「金」「女」「社会的地位」という近代価値の亡霊を追いかけ、しかしその肉体はあまりにも貧弱で、精神はあまりにも空洞で、

唯一、祈りを捧げる対象として見出したのが――ITという神の死骸だったのである

そして今や、その亡者どもはITという神話騙り技術者を僭称し、現実の裏口からかに世界の理に手をかけんとしている。

彼らはこう言えば満足するのだ。

「我々はアニメ美少女イケメンを、どんな手段を使っても手に入れて、金と権力エリートから奪い返して、人生逆転したいッ!!」

これは祈りではない。
これは呪詛である

愛と理性を捨て、肉と精と虚飾だけにすがる者どもが、技術に何をもたらすというのか。

だが実際に彼らが手にしたものは、コードと端末と冷たい知性の墓標にすぎない。そして彼らは祈る。

「どうか、このパソコンという神の依代に宿りしAIよ、我に奇跡を与え給え…」と。

その様子は、中世魔女が血と精液を煮詰めて作った黒い護符を月にかざしているかの如きである

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2025-05-22

anond:20250512021618

燭台光忠

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2023-11-17

凄まじすぎた夢

※嘘乙、と思われることを前提として本当に覚えてることを書いている

今日みた夢

推しに振られる夢。

推しバーチャル人類なので、バーチャルの姿で出てきてる。

推しに気があるそぶりを結構ぐいぐい見せてしま自分で、例えばみんなで座ろうという席の隣を座ろうとするとか、手に触れようとするとか。

その時にすごい戸惑いというか、嫌な顔をされて「え…?」と言われた声色がかなりリアルで、今なぜか申し訳なくなってしま推し配信を見に行けない……クラス女の子えっちな夢見て気まずいみたいな感じかもしれない。よくある話。

でも途中でなんか、ふとした瞬間に髪の毛をサラッと触られたり、「かわいい……」ってぼそって呟いたのが聞こえたりするんだよ!そんなのさあ!あげておとすなんてさあ!卑怯だよ!

凄まじいのがそのあと。まじで10年ぶりくらいに淫夢を見た。あっちじゃない。

なぜか急にシチュエーションゲームシナリオ解説が始まる。

推し好感度20になった瞬間の傷ついたあなたの顔は、その場面を見ていたAというキャラクター逆鱗に触れる。強制イベント

Aはなんというか、犬みたいな子だ。これは完全に自分の中の創作キャラ黒髪短い髪の毛、いぬっぽいまろ眉に八重歯、吊り目、赤い瞳。

ここでわかるのは自分はこのゲーム主人公というところ。そして夢あるあるだけど見た目は現実自分とは違う。

そして気まずくなった理由好感度20になってたから、らしい。色々間違えたっぽい。何してんだ。

そしてその様子を見ていたAの行動は、というと、

「なんでこっちの方が主人公のこと好きなのに、アイツにばっかりアピールするんだ?アイツもなんであんなに可愛い主人公のこと冷たい目で見るんだ?意味がわからない!!こっちの方が好きなのに!!主人公もアイツもおかしい!!……いや、おかしいのは主人公だ。あんな冷たい目をしたやつのどこがいいんだ?……こっちのほうが愛してやれるってわかってもらわなきゃ」

こんなことを言っていました。

ちなみにここまでセリフ一言一句わず覚えている。

詳しくは書きませんけど、ヤンデレになったAによる、主人公睡眠中の強制パーティータイム発動。

しかミニゲームで起きたか起きないか判断される。どんな仕様だよ。

しかもなぜか魔法世界。暗くて埃っぽい美術館みたいな一室の中央にある燭台の上。月明かりに照らされている、みたいな謎きれいシチュエーション

果たして主人公はAと推し、どちらと結ばれるのか。はたまたBADエンドなのか。

強制パーティー聖母的な像の陰からみていた物静かなBのため息の意味とは。(BはAの親友らしい)(青髪長髪ジト目)

続き見れるのかな。どうしたら見れるんだ。見れないなら自分で書くしかないよなあ。

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2023-09-18

anond:20230917145345

宴会芸きつさランキング

神 食糞、尿イッキ飲み

十段 公開脱糞、ケツに加熱はんだ小手

九段 公開オナニー、ア○ルセックスビール浣腸(女ならマ○コでバナナ切り、「産卵」、人間燭台) 

八段 路上全裸全力疾走ラップなしフェラ全裸で擬似SM(女なら路上全裸全力疾走わかめ酒、女体盛り)

七段 ケツで生け花きゅうり花火挿入、ラップ有りフェラ、女の頭にちょんまげ(女なら野球拳全裸になる、下着姿でザーメンぶっかけ

六段 陰毛ファイヤー、男同士でディープキスエリマキトカゲ、ケツにプリッツ挿入(女なら野球拳パンツ一枚まで、公開フェラ

五段 マジックで体に名前書いてお盆使わず裸踊り路上セミちょんまげ(女ならトップレスだっちゅーの、男と公開ディープキス

四段 革靴でビールイッキ飲み

三段 取引先の前でお盆使って裸踊りウォッシュレット(女ならバニーガールコスプレハイレグで踊る、非公開売春野球拳下着まで) 

二段 ポッキーゲーム女装コマネチTバック(女ならポッキーゲーム、擬似フェラ、異性とチークダンス、胸もみ)

初段 ピッチャービール一気、仮装

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2022-02-21

[ネタバレ]刀剣乱舞無双クリアした

ネタバレの前に改行を置きましたが、ネタバレ注意です。

ひとまずストーリークリアしたという段階なので、絆会話をすべて見たわけでもない段階の感想です。

キャラゲーとして、以上にすごいもの摂取したなという感想です。

リソースの振り方が最高。素晴らしい。

キャラクター造詣(ストーリーセリフという意味でも、モーションという意味でも、グラ……はもうちょっと頑張ってほしかった気もするけどまあこんなもんかなあ個人的には)にリソース全振りしたのは間違ってないと思います

戦闘楽しい無双ゲームとしては物足りないだろうと思います。正直。ただ、ファンが求めているのはそこではなくて、永遠に眺めていたくなる各刀剣男子の戦いっぷり、みたいな部分なんだろうなと思うと……そして戦闘中の掛け合いが解釈一致of解釈一致だし、戦闘中のBGMものっそいうつくしいし、リソースの振り方として最適解だったなとしみじみと思いました。

それはそれとしていまどきのゲームで常に8秒前後ロード時間はひたすらにテンポが悪かった。

まり気にしている人を見かけなかったので、ソシャゲロード時間で皆慣れてるとかそういう……?コンシューマーゲームで毎回あれくらいのロード時間はさすがに苦痛でした。私だけかもしれませんが。

以下ネタバレを含みます
























































回復アイテムがない、アイテム使用がない、その難易度バランスとしてあらゆるところで回避ができる、というのもシンプルで私は結構好きでした。アイテム拾おうとしてA押して必殺技誤爆したのはみんなが通る道だと思いたい。

セルフ縛り?プレイとしてボーナスが出ている刀剣男子のみで難易度「難しい」でやる!って決めれば適度に私にちょうど良い難易度になったので、簡単すぎて困るという心配もまあ杞憂でしたし。さすがに戦闘で負けて失敗はしませんでしたが、適度に苦戦はしたので難易度としてはちょうどよくプレイできたかと。スニーキングは苦手すぎて何度か失敗しました。

そういう意味ではDLCでも何でも良いのでハイエンド戦闘がしたいかもしれない……戦闘モーション無限に見ていられるので、エグイ強さの裏ボス的なものを追加してほしいアクションゲー好きとしてのいち要望もなくはないです。

蟲の攻撃パターンラスボス以外は大抵、避けて殴ってダウンさせる、という感じでもうちょっと芸というか驚きが欲しい気もしなくはなかったです。

一方で、最終章まで能力開放をしなかったので各キャラの魅力を味わえる強撃くらいは最初から開放してても良かったんじゃないか最初から通常攻撃1,2,3回押せば出せると言えば出せるけれども)と少し思いました。

面影の沼が深いです。助けて。

面影さんが発表された時点で来派?とか特定していた審神者の皆様怖すぎる。合ってます

面影と呼ばれる刀が複数あり、ゲーム内で描写されていた「刀身に人の顔が映る」という逸話を持った太刀もいれば、豊臣秀次の刀だった大太刀もいるようです。他にも同名の刀はいくつか……。プロトタイプ、そして「失敗作」として最適すぎる人選。刃選?まあいいや。

キャラ造詣が最高すぎる。逸話をもとに顕現する刀剣男子として、という意味では恐らく来派秀次に伝わった刀である側面が一番大きく出ているからこそのカラーリングというかなんというか……なんでしょうけれど、「刀身に人の顔が映る」という逸話を持った太刀とはまた別物(かどうかすらわからない。逸話というのは混ざるものなので)っぽいし、複数の『面影』と呼ばれる刀剣逸話をごちゃまぜにして顕現されたプロトタイプならばまあ失敗作になるのもうなずける、というか、確固たるものではない複数逸話複数人格によって成り立っている刀剣男子ってそりゃあ本人しんどいでしょうよ無理好き尊いさいっこうに滾りますね今めっちゃにこにこしています

面影本家逆輸入されるか、ですが、まあないと思います。なくて良いようにプロトタイプの失敗作として複数刀剣が呼ばれていた「面影」という名前にしたんでしょうし。面影の主人格っぽかった来派の彼のみ違う名前で似たようなキャラデザで実装ならありうるかもしれませんが、私は刀剣乱舞無双面影、が好きなので正直本家で見たいとは、あまり……。複数逸話複数刀剣が当てはまる刀剣男子を励起してはまずい、というプロトタイプとしての面影さんがあったからこそ、本家実装されている刀たちは、同田貫とか巴さんとかの「確固たる逸話がないものの寄せ集め」か、「確固たる逸話を持ったひと振り」かの二択になったんじゃないかな、と思うと、その尊い犠牲枠(だからこそさいっこうに面影さん無理好き尊い滾るって話なんですけど、)は本家には来ないんじゃないかな、来ないでほしいな、という気持ちも少しあります。それはそれとして面影さんの供給もっと欲しい。ほしい。それはそれ、これはこれなオタク心。

日本史詳しくないのでわからないんですが、結構ちゃん日本史調べてたのかなあ、と思いました。出陣前の文章思ったより中身詳細でびっくりしました。その割に伊達政宗とか真田幸村とかライト層に知名度の高い武将ぶっこんで来てたけど。日本史オタクに見せたら卒倒もの、というほどではなさそうというか、ある程度頑張っていた感。だからこそ、途中からファンタジー極振りに舵を切っても妙な置いてけぼり感もなく、良かったと思います

そう、日向君なんで日向君?と思ってましたけど、石田三成関連はストーリー作りやすいでしょうね!!!!!と思いました。「惜しかったよ」っていう日向君さいっこうに良かったですねにこにこしますね。

絆会話、中身があるんだかないんだか、キャラ解釈は一致するしにこにこできるしとても良かった、ものの、ときおりものたりなさというか中身のなさというか、例えば山姥切国広と大倶利伽羅の絆会話の中身のなさに少し寂しく思うもこの二振りのキャラ的にはまあそうだよねと思わなくもないというか……マジで伽羅ちゃん慣れ合わないな。これは本家もそうなんですけど、解釈違いを起こさないのって供給の少なさもあるんじゃないかなと思いかけて背筋がぞっとしたというか、刀剣乱舞って解釈違いが無いよ!だって供給がないもの!って少し切なくないですか冷静になってしまうと。いやまあ最近頑張っているのも知っていますし、重傷進軍ボイスが好きすぎて本当にありがとう!!!!!!!!!ってなった審神者でもあるので何も言えないのですが。

戦闘中の掛け合いはとても良かったです。それで思い出したんですが、ある意味本家キャラの多さって、キャラ役割みたいなものが、細く鋭くなっていたんじゃないかな、としみじみと思いました。ええと、何の話かというと、15(+1)振りしかいないと、キャラ役割範囲が少し広くなって、結果重なるんじゃないかな、と。(本来であれば蜻蛉切さんと一期一振ってあんまりキャラ被りしないけど今回少し、主に部隊内での立ち位置的なものキャラ被りしたよね、と思うのはキャラ数が少ないからこそなんだろうな、みたいな。個人主観ですしうまく言えないんですけど伝わっているでしょうか)個人的には、燭台切さんってそんなに政宗公のことにこだわるタイプではないと思っているんですけど、(もちろんかっこよくいきたいだろうし独眼竜憧れているだろうし燭台切という名前をくれた人という思い入れもあるでしょうけど、そこまで引きずっている印象がなくて)大俱利伽羅が慣れあったり気に掛けるわけがないし、鶴さんはいろんなところ転々として伊達家にいたこともあるというポジションだし、となると政宗公を気にかけるのが燭台切さんしかいない、から結果燭台切さんそんなに政宗政宗公言キャラだっけ?と少し首をかしげる、みたいなこともあったんじゃないかな、と思いまして、ある意味本家キャラの多さ、はすなわち、キャラ役割が狭く鋭くなっていくんだなあ、という発見のようなものがありました。伊達組の例でいうなら、太鼓鐘と燭台切がわりと政宗公を気にかける方だよね、伽羅ちゃんも表には出さないけど内心少し気にしてるよね、鶴さんもなんやかんや伽羅ちゃんと同じくらいの温度感かな?みたいなグラデーションキャラが多いからできる技なんだろうな、みたいな話。

まあ無双ゲーなので戦闘というか、戦闘モーションの話に戻るんですが、面影さんの固有刀技がかっこよすぎて、え、全員分こんなかっこいいのあるの??????って言いながら山姥切国広のを開けたときわたしの、きもちはい、……はい。鶴さんの固有刀技はめちゃめちゃ滾りました。ドンフワッてマジで鶴だったなにあれ尊い無理好きあの、あの、シュタッフワッ感舞い降りる感じ高下駄立ち方無理好き尊い(鶴さん推しです)となりました。燭台切さんはまあこんなもんかな、という感想。固有刀技は面影鶴丸、山姥切国広、燭台しかまだ開放していないので他はわかりませんが。

燭台切さんの居合かっこ良い!前方攻撃だったかな、刀を収めた瞬間にダメージはいるやつ!あれで強敵に止めさすとむちゃんこかっこいいんですよ!ひゅう伊達男!かっこいいよ燭台切さん!!!!!伊達結構好きというのはありますが、伽羅ちゃんの足が出るのも結構好きです。ガッて蹴るの高校生みがあっていい。好き。

あと、蜻蛉切さんかっこいいね!薙ぎ払う槍マジで無双してるね!!動きダイナミックだし範囲広いしかっこいいしかっこいい!(そろそろ語彙力がない)槍ってかっこいいんだなあ、って思いました本当に。前方の突進していく感じもいいし、頭の上で回して構えるその美しくかっこいい所作が百点満点だし武人!って感じがあって良かったです。

クリア後に、ここであげた面影、山姥切国広、鶴丸燭台切、大俱利伽羅蜻蛉切それから一期一振三日月宗近戦闘モーションをかっこいいんだ見てくれ!!!!と言いながら友人に見せていました。

友人は刀剣乱舞みりしら……というには私がねえ聞いて!!!!!!をやっているのでなんとなくはわかる、くらいの温度感なのですが、一期一振が発表されたタイミングで「れいぴあ!!!!!!!!刀じゃなくてれいぴあだよこれ!!!!!!!!!」とキャラ紹介動画を見せたところ、「レイピアさんどうだったの?」と聞かれたので見せた形です。一期一振キャラとして普通に好きだしいいお兄ちゃんしてるしロイヤルしかなり好きなんですが、それとレイピア攻撃方法に耐えられるかは別なんよ!!!!!!!と思いつつ、ロイヤル好きだしなあという気持ちと、ボーナスもったいない気持ちで頑張って使っていました。雑魚3000体、まあやりやすい前方攻撃ではありました。レイピアだけど。

それからおじいちゃんの強キャラ感なにあれ。かっこいいというかもう舞だしお美しいんよ。なにあれ。最高か?そう、友人曰く、「刀剣乱舞の顔なんでしょ?さすがに3Dモデル美しいしモーションもきれいだねー、三日月さんがモーション美しすぎるからエフェクトで頑張ることになって面影さんがああなったんじゃないの?」とのことで妙に納得しました。山姥切国広の固有刀技は「乙」とだけ言われました。余談ですが山姥切国広初期刀だし最推しなんですよ。通常のモーションかっこいいからいいんですけどね。強撃の弾きあげるのいい感じだし、軽やかな打刀あんまりいないので(歌仙も長谷部も一撃重めですしね)ああ好きだなあと思いました。長義も軽やかな打刀枠ではあるけれども。長義と言えば長船つながりで燭台切さんに絡むんですね(燭台切さんの3000体の特殊任務中に気づいて、はえぇってなってました)、そういう部隊を超えたつながりいいですよね、いいですね。好きです。

3Dモデルと言えば、特典版付属画集に表情パターンが「喜」「怒」「哀」「驚」が載っているんですが、山姥切国広と大俱利伽羅だけ「喜」が「困」で口元むいって下がっててお前ら笑う気ないのか!!!!と思ったんですが、ミニゲームお茶入れで成功したお茶を飲むときだけにこっとしててうわああああああああ守りたいこの笑顔を見るためにはお茶入れに成功するしかないのか!!!???と頭を抱えるなどしました。

鶴さんや薬研の猫みたいな笑い方良いですよね。かわいい

ミニゲームのこのなんか一昔前のパワポケになかったっけみたいな感じ……一週回ってこれを令和にやるの愛おしく思えてくるし面白いからいいけど!絵合わせって何!?スロット!????娯楽室だからスロットするの!!?????というかこんのすけって分裂するのなんなのカービィステージクリアした時みたいに考えるな感じろてきな分裂するの君たち!!!??????

取り乱しました。はい

最後音楽について少しだけ。

「歌」の掘り下げがあまりなかった気もしましたが、はなうたに出てくるメロディがもう聞いてわかる志方節でああいいなあと思いました。和風ファンタジーと志方あきこさんが合わないわけがないだろう!好きだよ!!俺を殺しに来ているだろう!!!!!

BGMも本当に良くて好きでした。個人的には大神ポケモンレジェンズアルセウスの間くらいなんだろうな、という感じ。大神ほど雅楽雅楽していないし、アルセウスほどシノワズリ西洋中華趣味のことを指す言葉ですが、今回は和楽器使用によって和っぽさを強調しているイメージで使っています偏重でもないというか。刀剣だけど洋装男子もいるし、という意味でこの温度感ちょうど良いと思います本家も割とそんな感じですしね。本家に関して言えばイベントBGMだともうちょっと和楽器要素を強くしているのかな?という感じ。

これは完全な私個人の印象の話であり、本当の本当に偏見による感想なんですが、もしかして作曲したスタッフキングダムハーツの音楽意識したんだろうか、と思う、雰囲気が似ている気がしました。

あと、ただの空耳なんですが、「竜虎相搏」の冒頭が「依存スル弱者」の冒頭に、「背水の陣」の1:18あたりからの「レ、レ、レ、レミ♭レ、……」がポケモンライバル戦の曲に一瞬聞こえてしまって罪悪感がありました。

BGMでは「悪戦苦闘」が好きです。オーケストラを使ったヴァイオリンピアノがきらきらしている系の和風、良いですよね。こういうピアノに私は弱い……。「一気呵成」の弦がずるい。なんだよこれかっこいいよ!低音なのがもう刀剣男子みがあっていいし、フルートもずるいしなんかもう本当に戦闘曲としてずっと聞いていられる、普遍的戦闘曲が良いゲームは良いゲームだと思います(暴論)

それぞれの戦闘曲はゆっくり聞いてみようと思います(各キャラの曲なのか戦闘BGMなのかいまいちわからなかったので、後でまとめて聞こうと思ってたんですよね。あ、でもおじいちゃんの神々しいコーラス解釈一致すぎて泣くかと思いました。なにこれ好き)

いろいろ言ってますけどものすごく好きなゲームだし満足している!故の!長文!!なので!!!というかあくま個人主観による感想でありひとりごとです。言及されているすべてのものについて、誹謗中傷意図は一切ありません。

まだ絆会話全開放していないし、特殊任務も全達成していないし、特典版のドラマCDもまだ聞いていないので、そこらへん見てまた何かあったら追記(やりかたわからないけど)します。

Permalink |記事への反応(1) | 19:31

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2022-02-07

[感想]ゼルダの伝説時のオカリナ3DS ※一番最初の木のダンジョンクリアで中断

とりあえずやってみたくて買った

めちゃ評判いいしーみたいな

結果・・・むずかしい・・・

最近手取り足取り親切さになれてると、どこにいけばいいのかなにをしたらいいのかがわからないのがすげーしんどい

ヒントもすくないし

最初、剣の場所でそっこー迷ったし

その次は木のダンジョンで上から飛び降りるってので迷って攻略みたし

その次は燭台への火のつけかたがわかんなくて攻略みたし

その次は仕掛け扉の上のスイッチパチンコで打つことに気づかずに攻略みたし

ジャンプできないのとカメラアングル自分で動かせないのがすげーストレスだし

見下ろしゼルダと違って敵との間合いも取りづらくてすぐダメージ食らっちゃう

楽しさよりストレスのほうが大きいから、しばらくやんないことにした

下手くそなだけなんだけどうまくなるための労力を費やす気にならない

ただあくまでも中断ってだけでまた気が向いたらやりたい

Permalink |記事への反応(0) | 00:48

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2021-12-17

ユダヤ教徒クリスマスハヌカをお祝いしアンドーナッツを食べる

12/25は元々は冬至お祭りでした。

イエスキリスト別にクリスマスに産まれたわけではないのですが、当時のお祭りを乗っ取るような形でそのような設定になりました。

名称は異なるものの、少なくとも二千年以上前からクリスマス】は祝われていたわけです。

ユダヤ教のおまつりは【ハヌカ】といいます紀元前2世紀から伝統です。

燭台蝋燭を灯し、ラトケス(ジャガイモパンケーキ)やスフニアジャムりあんドーナッツ)を食べます

クリスマスプレゼントをどうするかは家庭によるようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハヌカ


キリスト教圏においてユダヤ人迫害されてきたのは事実ですし、「クリスマス」と呼ぶのを嫌がるひとはいるだろうとは思いますが、

クリスマス中華料理を食べる」は初耳です。中華料理って・・・そうとう最近の話ですよね?そんな家庭があったとしてもずいぶんローカルな話ではないかなと思うのですが。

とりあえず、「ユダヤ教 クリスマス」でググってみてください。たくさん記事が出てくるから

ちなみに意識の高い人は「メリークリスマス」とは言わないで「ハッピーホリデイズ」と言ったりします。どの宗教でも祝日には変わりないので。

追記

一応ググったところ、「ユダヤ人クリスマス中華料理を食べる」というのは北米における有名なステレオタイプで、映画物語の中によくそのようなシーンが登場するそうです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_American_Chinese_restaurant_patronage

Wikipedia記事中に、一応事実根拠があるとしてhuffpost の記事引用されていますが、

古事記にもそう書いてある」(タルムードにも書いてある)

ラビ達が数世紀にわたり論争を続けたが・・・」というノリで完全にニンジャスレイヤー論法なのですが(これジョーク記事じゃないの?)。あと論文があるそうですが私は読んでないです。

https://www.huffpost.com/entry/the-jewish-christmas-trad_b_6272972

とにかく、「ユダヤ人クリスマス中華料理を食べる」はアメリカにおける有名なステレオタイプのようですね。(ユダヤ人がどう思っているかは知らない)

Permalink |記事への反応(0) | 16:26

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2021-09-29

男女共同参画を巡る萌えキャラインターセクショナリティ

個人という単位で見ると、たとえば、安倍晋三は元内閣総理大臣であり衆議院議員であり有力な政治家という強者の側面と、同時に潰瘍性大腸炎患者であり子供がいないという弱者の側面がある。

集団という単位で見ると、たとえば、男性外国人は、男性と言うマジョリティという側面と、同時に外国人であるというマイノリティの側面がある。

表象という単位で見ると、たとえば、7枝の燭台は、パレスチナを強権的に支配するユダヤ象徴と言う側面と、同時にヨーロッパ反ユダヤ主義迫害されたユダヤ象徴という側面がある。

話題大阪府ガイドラインについて考えた時に、問題になるのは、このインターセクショナリティである

萌えキャラという表象は、文化的マイノリティであるオタク象徴という側面と、同時に女性ステロタイプ表現という側面があり、これが一体不可分であるがゆえに、これほど問題になるのである

もともと、漫画イラスト表現、あるいは萌え表現と言うのは、記号的な表現であり、記号とはステロタイプ表現である以上、イラスト萌え表現ステロタイプ的な要素を無くすことは不可能である。また、一枚のイラストで多様な人格を描くこともほぼ不可能だろう。仮に、裏で設定したところで、そんなのはぱっと見どうでもいい話である

id:tikani_nemuru_M公共広告好き嫌いのわかれる演出をしちゃあかんだろ。公共性の高い情報伝達というものは、原則的に全員にとって必要情報であり、つまりはnot for meが許されない世界なんだから

軋轢を生まないために、"not for meが許されない"ということになると、サントリー水原希子を起用したことに、ネトウヨ激怒した件を批判できなくなる。

水原希子は人であって、表現様式やキャラクターではないというならば、チマチョゴリのような民族衣装だったらどうだろうか。民族表象を好まない人がいるからと言って予め排除することができないならば、同じように文化集団表象も好まない人がいるからといって予め排除することは妥当ではないということになるだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 12:43

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2021-08-12

anond:20210810224735

「僕は燭台切。青銅燭台も切れちゃうんだよ。」っていう刀擬人化キャラをしってる今の子のほうがいい点とれそう

だけど行灯なめはあまりメジャーにならなそうだからなぁ

Permalink |記事への反応(0) | 15:42

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2021-08-11

anond:20210810224735

灯台下暗し灯台燭台を指すが、現代における灯台は岬にある船の案内役である灯台になるから仕方がない。

灯台下暗しのトウダイといえば、ギリギリ伝わった可能性があるが、トウダイでは伝わらない。伝わったらその先生は優秀である

ショクダイが正解である

先生の問いの答えは行灯だったのではと思うけども。

Permalink |記事への反応(0) | 15:11

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2021-08-10

anond:20210810225021

灯台 =燭台

で、これをフードで覆ったもの行灯、らしい。

Permalink |記事への反応(0) | 23:11

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anond:20210810224735

あんどん?燭台

Permalink |記事への反応(1) | 22:50

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2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖ったPermalink |記事への反応(0) | 22:33

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2021-01-30

anond:20210130200523

都道府県BLでググれ すぐでたぞ→https://www.chil-chil.net/goodsList/?freeword=%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C

あと刀が各地にご本尊奉納した神社などの聖地があるから似た感じになってる

常磐線特急燭台きりが走ったんだろ、たしか

うどん県とか沖縄かいわれればすぐ該当の刀が思い浮かぶ程度には周知

Permalink |記事への反応(0) | 20:21

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2020-11-10

anond:20201110194317

へうげもの史書じゃなく娯楽だから楽しめればそれでいいし、じっさいそれなりに楽しめた。アニメもよかった。

おれはというと、途中で読むのやめた。史実からの離れっぷりが壮大すぎて、さすがについていけなくなったw。

ただあのマンガが契機で茶湯や焼き物が好きになった人もけっこういるし、個人的には「へうげ十作」がすごいと思った。



追記

id:kash06さんはじめまして

なんか盛り上がってますねー。びっくりです。盛り上げてくれてありがとうございます

へうげ十作の現代作家さん、おれもみんな好きですよ。

古い記憶をたどると、大江憲一先生の粉引き茶盌、瀬戸黒茶盌はよかったな。大江先生2010年代とは作風かわられましたね。

あとは栢野紀文先生の粉引き彩文重箱と菓子器や皿。楽しい

水垣千悦先生山田浩之先生もよかった。

多治見加藤先生の青白磁食器が好きです。角皿は菓子器にも花器にもなるし。あとスパゲッティ食いたい。ベーコンガーリック春菊パスタ

金理有先生オブジェは、露地の結界とか燭台に使わせてほしい!

kash06さん好みの伊藤先生寺田先生穂高先生。おれもいいと思います。色や柄は写しあり独創ありでそれぞれですが、長次郎型、織部型、黄瀬戸向付型、みんな茶盌として定着した型です。つまりお茶を点てやすく取り回しやすく飲みやすタイプ。ここをはずしたら茶陶じゃないw。篠原先生は、茶陶よりも平安期の古信楽意識した大作がかっこいいと思います。でも、写しから脱却した自由なかたちの皿のほうが、ほんとうは好きかも。

ただへうげ十作のすごさは個々の作品だけではなく、それを全国、とき海外からも持ち寄って一座建立をじっさいにやってしまたこと。そこには制限境界もなく徹底的に自由だったこと。つまり文化を構築する作業だったこと。そこがすごかったし、いまでもすごいと思っています

Permalink |記事への反応(0) | 20:15

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2020-10-27

anond:20201026221330

女児なら燭台光忠辺りだろ

Permalink |記事への反応(0) | 03:29

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2020-03-04

[増田お嬢鯖部]

土岐市美濃陶磁歴史館で開催されている「土岐明智氏妻木氏」展に行ってまいりましたわ

明智氏発祥妻木であって、可児郡明智領地をもっていなかったそうですの

さら明智氏妻木氏は同族といってよい関係にあるらしいです

光秀の妹で信長側室と思しき方も「妻木」と呼ばれていたようですわ

光秀は婿養子かも?とも思ってしまいましたけれども、どうでしょう

同族同士の結婚ですと縁が広がらなくて不利ですが

四回も内紛をしている妻木氏の系図を拝見すると一族の結束を高めるためにあえて

という筋もみえてきます

彼らは源流の土岐氏から勝ち馬を見抜く眼力でのびてきた一族ですけれど

足利義満しかけられた「土岐康行の乱」で一族のものロックオンされると

勝ち馬も何もなくなってやられてしまます

悲しいですわね

(ちなみに末裔妻木氏も関ヶ原の戦い勝ち組徳川を選んでいます

 そして一族が主導したと思えてきた本能寺の変は大失敗ですわ)

入り口衝立の裏に掲示された書状の講座がとても興味深かったです

「袖」と「奥」に注目すると、

奥に肩書つきで書状をだす足利直義さんが下手に出てきて丁寧で

袖に花押のみの足利尊氏さんがオラオラであることが伺え

両者にそれぞれを好む武士たちが分かれてしまって戦う羽目になった原因を想像できます

これは兄弟が協力して共通の敵と戦うときは異なるタイプによって幅広く与党を集められますけれども

天下を取ってしまうと二人の間で派閥がわかれて困ったことになってしまますわね

歴史を知った上で書状をみるとバイアスが掛かって、こんな風に何もかも分かった気になってみえるわけですわ

ところで、尊氏さんの直義さんと内紛して劣勢になっているとき軍勢催促状は

奥かつ日付の下に花押を置いて最大限に下手に出ています

こういうのよくありませんわ

後継者の義詮さん義満さんも袖に花押のみでしたので尊大にふるまうのも意図的演出の面はあると思います

それと足利義詮さんの花押が「瓦」の漢字に似すぎています

第二展示室の焼き物で逆ハート型に窓の空いた燭台があって

ハッとさせられました

きっと山芋の葉か桃をデザインしているのだと思います

でも、へうげものに出てきた信にハートの旗を思い出してしまうのですわ

ついでに小皿でも素焼きなら山茶碗ですわ

Permalink |記事への反応(1) | 12:42

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2019-12-06

ネーミングセンスで見るその人の傾倒っぷり

ペットでもなんでもいいんだけど、命名する時にマーキュリーとかルナとか惑星名前を付けるのはセーラームーン世代なのかなと思う。

天使名前をつけるとエヴァに傾倒してたのかなと思う。

大和とか長門とかは艦これか。

燭台切とか三日月宗近とかなら、刀剣乱舞かな。

他、なにかある?

Permalink |記事への反応(2) | 15:58

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2019-11-08

anond:20191108163506

酒呑童子を切ったか童子切←かっこいい

鬼を切ったから鬼切←かっこいい

雷を切ったか雷切←かっこいい

蜘蛛を切ったか蜘蛛切←まあわかる

首を切ったときに髭まで切れたから髭切←だせえ

ムカつく茶坊主を棚ごとへし切ったから圧切←だせえ

ムカつく家臣を燭台ごと切ったか燭台切←だせえ

ムカつく大工カンナごと切ったから鉋切←だせえ

安宅さんを切ったから安宅切←だせえ

Permalink |記事への反応(3) | 16:53

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2019-06-07

燭台切に塩対応されるボタン、あっても別にいいだろ

ツイッター燭台切に塩対応されるボタン、あっても別にいいだろ。

ボタン作った作者は塩対応されるのが好きってだけだろ、何が悪いんだよ。

解釈違いがトレンド入りして、大多数に受け入れられたからって、

解釈違いが広まるの迷惑」だの「逆カプの仕業」だのうるさい。

刀剣乱舞外のジャンル塩対応されるキャラなんだって思われたくないって言うなら、

その自分達の解釈流行らせろよ。

挙げ句解釈違いでも知名度は利用したいのか燭台切の塩ネタの絵や動画を上げて

それって解釈違いの二次するよりよっぽど悪質だわ。

そんで「原作読んでたら光忠塩対応とかありえない」とか

二次やってる奴等が私の原作解釈が正しいんですー!って大声出してボタンの作者貶してんの、バカすぎ。

ユーザー制作側じゃない。

どんだけ自分にとって嫌な解釈が大多数に受け入れられても、解釈違いを叩くなら自分解釈も叩かれる覚悟して主張しろ

そんなに多数派に居ないと自分保てないのかよ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:03

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2019-05-08

京都タワーって燭台みたいななんか変なやつだっけ

Permalink |記事への反応(1) | 18:58

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2019-04-04

ビアンカ絶対めんどくさい

今夏公開するドラクエ映画声優が、ビアンカ役に有村架純フローラ役が波瑠に決まった

有村架純波瑠逆じゃないかって意見もあったけど、自分結構合ってると思った

有村架純は「中学聖日記」でめんどくさい女って印象があったから、ビアンカっぽいなと思った

ドラクエ5と言えば、ビアンカフローラどちらと結婚するか論争になるけど

まず、あそこで苦楽を共にした幼馴染のビアンカを選ばずぽっと出の金持ちフローラを選ぶお前、人間に非ず。

さておき、ビアンカ絶対めんど臭い女だ

日が暮れて二人で宿屋に入って、主人公が「ちょっと城下町に聞き込み続けてくる」って言って出てくじゃん

ちょっと酒場長居しすぎちゃって、部屋戻ったら暗いから、寝たかな?って思って燭台つけたらバッチリ椅子座ってこっちを見つめてくるわけですよ、ビアンカ

で、「遅かったね」ってちょっとなじるように言って、「…あんまり心配かけないで。」って呟く

そりゃね、想い人には突然10年間姿消されて、育ての親のことでも苦労して、色々不安定なんだろうね

最初のうちはそんなところも可愛いな、って思うんだろうけど、次第になんか、その無言の圧力と言うか

かにさ、ゲマの手がかり聞き込みのついでに、オヤジさんに結構飲まされちゃったし、バニーガールのお尻も横目で見てたけどさ

まっすぐなあの青い目で「信じてるよ」みたいな感じで見つめられるとさ、

ちょっとめんどくさいな、ってなると思うんだよね

一方、フローラほろ酔いで宿に戻ると部屋の明かりがついてて、「あ、待っててくれたのかな?」って思ったら

カーディガン肩にかけて、スヤスヤ寝息たててるのよ

健気に主人の帰りを待ってるように見えて、ほっこり愛おしさが止まらないわけだけど

多分フローラ主人公が出かけてる間はのびのび過ごして、眠い時に普通に寝てます

ビアンカ心配で寝られないのに対し、フローラは元からあんまり期待してないだろうね

ビアンカは多分主人公がどうしようもなくだめ男だったとしても、「わたしが変えさせなきゃ」って思い込んで

いつまでも別れられず、男に金を渡し続ける

フローラだったら即効で主人公に見切りつけて、ほぼ浮気でアンディに乗り換えるんだろうな

こう見ると、フローラの方がいい女の気がしてきたけれど

やっぱりあそこでビアンカを選ばないのは人に非ず。

Permalink |記事への反応(1) | 23:54

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2018-12-24

世はクリスマスだけどモスクにいって来た。

世の中クリスマスですよね。

この時期、街のイルミネーションを見たり、ネット非モテ男女の孤独慟哭を見るものいとをかしという感じだが、みなさん一つの文化に振り回され過ぎじゃないですかね。

年々国際化する日本で、ここに住む人々が年末のこの時期をどのように過ごすのかに興味があって、神社教会、寺などを写真に収めてみたかった(別に上手くはない。思い通りの光を撮る方法も知らない)。

なのでクリスマスイブ前日の23日に、前から興味はあったが、なんか門前払いされるんじゃないかと思っていけなかったモスクにいってみた。


代々木上原モスク東京ジャーミー。

予報は曇りだったので傘をもたずに出たが、小雨が降ってきて、肌寒かった。

薄明るい雨天の代々木上原モスクは建っていた。

東京ジャーミーは1階がトルコ文化交流会館、2階がモスクだった。

写真撮影OKとのネット情報を得ていたが、「商業撮影美術などで撮影する方はひと声かけて欲しい」との注意書きがある。

気になったものを気になったタイミング写真を撮っていくつもりだったが、ここは宗教施設であって、信徒にとって神聖場所であるので、指示に従う事にした。


1階の交流会館でヒジャブをかけた女性に「美術の興味があるので写真が撮りたい」旨をつたえると、すこし逡巡した様な感じで、責任者っぽい人を呼びにいった。

しばらくしてヒゲを蓄えた壮年ムスリム日本人男性が現れて「写真を撮るなら、イスラムの正しい知識を得てからにしてほしい。しばらくすると、館内を案内するツアーが始まるので、それに参加するのを期待する。」という様なことをいわれた。

美術に興味があって写真が撮りたい、というところが引っかかったようで、広告美術イスラム文脈無視してイスラム的なビジュアルを使われるケースを懸念しているようだった。

なるほど、その懸念は分かるし、もし自分イスラム的な美的要素で何かを作ろうとしたときに、精神関係なくビジュアルだけを抽出するのも「志が低い話だ」と思ったので、館内のイスラム解説書籍を読みながら待つ事にした。

サラッと読むと

ムハンマドは元々商業をいそしんでいた時期があるので、商業取り引きの話が結構出てくる

ムハンマドは既婚者で、姉さん女房、もともとムハンマド雇用していたが、彼の機智に感じ入る所があり結婚した

受難闘争の話が多い

・超常的な奇跡の話はあまり出て来ない

・非ムスリム地獄に堕ちるとはっきり書いており「イスラムが正しいのは自明」という前提だが、同時にムスリムへの改宗は決して強制してはならないとも明言している

という感じだった。


しばらくすると、ツアーが始まった。

会館にあつまった見学者の前でイスラムトルコについて熱弁する先ほどの先生

自分と話すときちょっとめしい感じだったが、終止笑顔

日本イスラムムスリムについてあまりにも知られていないという事で、とにかく「知ってもらおう」という熱意がこもっており、しばしば時間オーバーした。

モスク受難する人の全てを受け入れるシェルターである

・なのでモスクにはしばしば象徴として鳥の巣が設置される

・貧しい人との分かちあいを大切にしており、食事の振る舞いはイスラムにとって大切な行為である

イスラム世界では神と人(その他)には明確な上下関係があるが、それ以外は全て平等

との事だった。


しばらくして礼拝の始まりをしめす館内放送がながれ(言葉は分からない)、2階のモスクに上がる事にした。

モスクは土足厳禁。

靴を脱いで館内に入り、見上げると、白亜ドームの頂点にアラビア文字シンボルがあり、その周囲を赤やシアンの繊細な文様が踊っていた。

ドームの周囲、建物を支える無数の柱。

館内は白、赤、シアン、紺、黒、ゴールド、緑で、文様アラビア文字があしらわれた色鮮やかな空間を形作っていた。

教会におけるマリア象のような人間の様を象徴したシンボルはなく、偶像崇拝への禁忌をかなりストレートに守っている。

そういった具体的、象徴的なものがないので、装飾はアラビア文字であったり、植物単純化したパターンであったり、幾何学文様であったりする。

モスクの中は照明が押さえられて薄明るい程の感じで、正面のゴールド燭台が輝いていた。


先生モスクについて解説している最中にも、在日トルコ人や、たぶんアジアムスリム礼拝をしている。

ややあって先生解説中座して礼拝に参加した。

中国から来たムスリムも参加していたという。

中国ムスリムはその受難が凄そうだ、なんて思った。


荘厳で華麗なモスク写真におさめて、ツアー解散

先生にお礼をいい、ちょっと疑問に思った事を聞いた。

イエス・キリストイスラムにとっては予言者の一人ではあるが、クリスマスムスリムにとって大きな意味はもたない

ムハンマド誕生日を祝う日はある

基本的太陰暦なので、生活習慣としての1年の区切りがちがう

幾何学文様イスラム宇宙の姿を表したものということであり、つまりユダヤ教カバラ密教曼荼羅のような方向性のモノ(この例えは自分解釈)。当初先生懸念を示したように、たしかにこういったモノを文脈無視で使うと変な表現にはなるように思う

ということだった。


教会などは撮影不可のケースが多いけど、モスク撮影OK

これから日本マレーシアインドネシアの人も来るだろうし、年末のお休みモスク見学をして、多様な日本社会に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。

以上、現場からでした。

ちなみにモスクを出る時に、脱いだ靴にくしゃくしゃのペーパータオルを捨てられていて、「宗教施設に来てるのに志が低いのがいるなあ」とはちょっと思った。

Permalink |記事への反応(1) | 14:28

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