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はてなキーワード:無力感とは

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2025-10-27

民衆いかに無力化し、観客として飼い慣らすか

無力感制度化 ―民衆を観察者に変える条件

無力感自然発生しない。制度文化心理の三層構造で精密に設計される。

以下の条件が揃ったとき民衆は自ら行動を放棄し、支配に従う観察者となる。

制度的条件 ― 「選択しても変わらない」構造固定化

投票請願・抗議などの政治行動が、結果に直結しないことを繰り返し体験させる。

政策決定過程を複雑化・専門化し、「誰が責任者か分からない」状態意図的に作る。

官僚委員会審議会を盾として前面に出し、政治家も国民責任回避する構造にする。

民衆は次第にこう思う。「努力しても意味がない」。

このとき、行動のコスト期待値を上回り、最適戦略は何もしないことになる。

文化的条件 ― 逸脱を恐れる社会規範の強化

空気を読む」「和を乱さない」といった規範教育メディア再生産する。

異論者を敵ではなく変人として扱う。社会的排除暴力よりも効果的だ。

成功適応の結果」「不満は努力不足」という道徳を浸透させ、構造批判個人の失敗に変換する。

→ この段階で民衆は自らを検閲し、互いを監視する。支配者は沈黙群衆を得る。

心理的条件 ―希望断片化感情の消費

メディア問題を連日報じながら、解決物語を決して提示しない。

SNSが怒りを即時発散させ、組織化を阻む。怒りは行動に変わらず、ただ消費される。

エンタメ化された政治は、抵抗を観賞に変える。人々は現実を変えるより、実況することを選ぶ。

民衆自分生活を「誰かの物語」として眺める。これが観察者化の完成段階である

支配完成の瞬間 ― 三つの基準

無力化が極まった時、支配者は血を流さずに国家支配できる。

その瞬間を測る基準は次の三つだ。

基準1】

大衆が不満を語りながら、原因を自らに帰すとき

例:「政治が悪いが、俺たちが努力してないから仕方ない」。

支配の言説が自己責任の形で内面化された瞬間、抵抗消滅する。

基準2】

監視同調自動化され、権力が介入せずとも秩序が保たれるとき

警察が要らずとも群衆群衆を取り締まる。

権力可視性が消え、支配空気になるこれこそ究極の統治

基準3】

人々が「自由」を恐れ始めたとき

行動の自由より、安定・安全同調を選ぶ。

自らの鎖を秩序と呼び、その枷を守るようになった時、支配完了する。

結論支配とは、もはや強制ではなく自己同意である

無力感制度化とは、力の外的行使ではなく、意志の内的従属化だ。

民衆が「自分意思で動かない」と信じた瞬間、支配は完成する。

もはや命令脅迫不要。彼らは進んで沈黙を選ぶ。

Permalink |記事への反応(1) | 17:11

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2025-10-25

俺が『リベラル』を追い求めたのは『俺に生きていていいと言え』と問い詰めたか

人付き合いが苦手だったし、嫌われやす人間だった。必死になってやり取りをしてもすぐに自分コントロールが効かなくなって、馬鹿をやっては嫌われてを繰り返して無力感ばかりが募った。

生きている理由がわからなかったし、誰とも仲良くなれる気がしなかった。誰も味方なんかにはならないだろうと自分でも思ったし、思っている。

から、それでも生きていていいと言ってくれる何かを探していくうち、一番最初リベラリズムに触れたのはロールズの『正義論』あたりだったと思う。

『この前提を置けば、誰一人として不利にならないようにルールを作ることができる』『自分がその他者であったら受け入れられない差別排除しなくてはいけない』

自由人権正義という言葉の裏側に積み重ねられた様々な概念に救われた気になって必死になって追いすがって、あちこちで言われるあらゆる何かに反論ちゃんとできるのかどうかを試しては自分がここに居ても殺されないで済むのかをずっと探し続けていた。

吊られたくない、他人迷惑をかけることしかできないけれどそれでもどうにかどうか自分を殺さないでほしいと説得するがためだけの論理自分にとってのリベラリズムだった。

当然ながら、それは理論だった。俺も理論が好きだったから、少なくともそれ以上を求めなかった。

でも思ったより世間の『リベラル』はリベラリズム関係が薄かったし、理論いくら束ねても人間は思っていたよりも説得されてはくれなかった。レトリックで誤魔化して生きていく方法もあったのかもしれないが、俺にそういう実力はなかった。

何度も何度も繰り返し考えていくうちに逆に、逆説的に、俺を生きていていいと言ってくれるものが何も無いとするならやはり俺はいつかそのうち吊られてしまうし殺されてしまうし苦しむことを望まれて丹念に追い詰められて殴られて痛めつけられてしましかないということになるから辛くて怖くてなんとかしてほしいからずっとそう考えて理屈必死に追い求めているのに、誰も本当は、そんなことをどうでもいいと思っている人達ばかりが『リベラル』の話をしているような気がしてならなくて仕方がない。

ものすごく最近の具体的な話に落とし込むと、例えば労働時間規制緩和の話。

緩和に吹き上がるのは俺もそうだけど、労働時間が長くなると体力が少ない俺は余計に苦しむから嫌なんだけど、でもその『働き方改革関連法』をやり抜いたのは第2次安倍内閣だってことを解ってるんだろうか? 平成20年ごろからまともな上限規制のなかった労基法改正したのがそうだってことを解ってるんだろうか? (後で骨抜きにするつもりだったのかもしれないけれど)高プロ使用率が凄まじく低いままで、結局あの改正は素直に見て労働者に有利という点で、(新自由主義的な話はともかく)『リベラル』として決して否定するべき要素ではないし、むしろどうしてあれが過去にできなかったのかというのはあまりに恥ずべき話なんじゃないのかって思うし、それを否定することも(緩和を否定するのであれば当然に)すべきじゃないだろう。

でもするんでしょ。党派性からって、仲間のためだからって。俺は仲間なんて作れないか自分理論が間違っていないかだけしか興味がないからずっと自分の言うことが矛盾してないかいつも怖いし、実際いつも矛盾しているのがすぐにわかる。いろんな内容を見ているうちに自分の考えることが感情だけで理屈が立たなくてその感情で殺されるしかないんだから必死にそれを止めるしかないのにうまくいかなくて今もまともに頭が整理できないままこうやって書いてるんだけど。

わかるんだよ。信頼できないメディアがどっちにも大量に溢れかえって、情報価値がとんでもなく重たくなったくせにそれを吟味するだけの余裕も余暇普通人達にはない(それは生活のための必然であって罪なんかじゃない)んだから、そうなれば人は信じたい方を信じるっていう積極的相対主義みたいな有り様になってるってことだからさ。

でもだとしたらあまりにも俺が救われない。俺のことしか興味ないもの。俺は吊られるしかないと思うと怖くてなんとかならないかって必死理屈を探しているのにそれでもどうにもならないっていう結末ばっかりが目に入るし眼の前でそれを振るおうとする人たちばっかりで俺は怖くて何も言えない。

どうして俺は生まれしまったんだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 20:06

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2025-10-21

子どもを持つことについて

26年間生きてきて、ずっと子どもを持つことに肯定的になれなかった。

子どもを産むということ、つまり、一人の人間人生スタートボタン強制的に押すということは、喜びや楽しいことと共に悲しく苦しいことも生み出してしまう訳で、それが正しいことなのか分からない。

私は比較的恵まれ環境で育ててもらったと思うが、定期的に猛烈な劣等感無力感に苦むことがあり辛かった。目標自分との約束、達成できたことないかも。計画もいつも途中で頓挫する。次こそは間に合わせるぞと思って前々から計画を立てるが、いつも締切ギリギリで間に合わず自分が嫌になる。得意なこと、これといって見当たらないし生まれてきた意味が分からず消えてしまいたいと何度も思った。人生の楽しみ、喜びはこれだ!と思うものも見つかっていない。

そして、何より怖いの1度子持ちの人生を選ぶと戻れないこと。後からやっぱり向いていないと気付いてもどうしようもない。

一方で、人生に生きがいがほしいと思うことが増えた。毎日生活に何か楽しいことがほしい。

この心の穴を埋める方法の1つが子どもなのではないか。一人の人間が成長する様をサポートし傍で見守るというのは大きな喜びに違いない。

…ここまで書いて気付いたが、やっぱり私は子どもを持つべきではない。エンタメじゃないんだから

しか自分の生きがい以外でどういう理由子どもを持ちたいと思うんだろう?

Permalink |記事への反応(0) | 23:03

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2025-10-19

何でも体験価値を人と比べちゃう

新しいポケモンゲームやってるんだ。

私が楽しそうにやってたら、小1の長男が俺もやってみたいっていうから貸して、2人でやってる。

ポケモン捕まえるのは私より長男の方が上手いくらいで、私が捕まえられなかったデリバード捕まえてくれた。

私がデリバード好きで部屋にデリバードぬいぐるみ飾ってるから長男も私がデリバード好きなの知ってて頑張ってくれたんだ。

捕まえてくれたの私も嬉しくて、長男にお礼を言ったら長男も嬉しそうだった。得意げな顔がかわいかったな。

それはまあ良いんだけど、SNS見てるとレア色違いとかそういうのがいっぱい流れてくるだろ。

攻略とかレアなやつとかそういうのがたくさんいいねされてて、私はゲームの中で下層だなって思っちゃうんだよな…。子供ゲームした思い出なんてすごく尊いもののはずなのに。

ゲーム内でこんなことできた!みたいなの、まあ今の世の中攻略見たらすぐ誰でもできるもんね、みたいな気持ちなっちゃう。

何なんだろうこの感じ。

万博子供と行けて、子供もすごく楽しそうで良かったんだ。

でも私は世界に何も発信していない。誰からいいねもない。価値あることのはずなのに、なんか自分経験はいいねが多い人の経験より価値がない気がしちゃうんだ。

やっぱりSNSなんて見ない方が幸せなのかな。

何をするにも全部自分より上がいるのが見えるだろ。その無力感というか。

なんか虚しいよな。幸せなんだけど自分なんてな…って思っちゃう感じが嫌だわ。

まあ明日イーブイ捕まえられると良いな。どこにいるのかな。見つけたら長男きっと喜ぶだろうな。

Permalink |記事への反応(4) | 21:46

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2025-10-17

東京育ちの「いい子」って鼻につくんだよな【田舎者の僻みです】

東京大学に進学してから仮名A子という友達ができた

A子は世田谷区で生まれ育ったお嬢様

世田谷区とは言っても千歳烏山だよ〜? 全然お嬢様じゃないよ〜」と彼女謙遜して言うけど、地方のクソ田舎出身の私からすればそもそも東京に住んでいる時点で上級国民なのだ

貴族と言っても過言ではない

A子は本当にいい子だと思う

ゼミが同じになったというだけで私みたいな芋臭いデブスとも仲良くしてくれる

とにかく愛想が良く、気遣いがうまく、それでいて押し付けがましくない

ユーモアもあり、教養もあり、都会的な洗練された振る舞い方をしている

たから見れば私のような上京したての芋ブスごとき、こんなお嬢様によくしていただいたって時点で頭を下げて感謝すべきだって話なんだろうけどA子と話していると時々どうしようもなく疲れてしま

いや、疲れるというのも適切ではない

疲れとイライラ無力感を足して割ったような、そして時々A子を刺し殺してやりたくなるような、そう言う気持ち

田舎者の僻みだと言われればそれまでだけどA子に対して今までの人生でもほとんど感じたことのないような憎しみを抱くことが時々ある



友達になってすぐ、大学の帰りにゴンチャを飲みに行ったことがあった

地方クソ田舎出身の私はほとんどゴンチャの実店舗に行ったことがない

用事があって家族と最寄りの地方都市に行った際に寄ったことはあったけど友人同士は初めてだった

田舎者の私にとってゴンチャに行くのは一大イベントであり、憧れであり、特別ことなのだ

会話の流れでそのことをA子に話したらA子は「ええー!それならもう毎日行こうよ」と冗談めかして言った

毎日はともかくシーズンごとに行こう」「新作がでたら行こうよ」と

A子は話の流れで「中学とき友達とよく通ってた」「高校に入ってからは太るからまり行かなくなった」と言っていた




新宿でA子と映画を観に行ったときナンパに遭遇したことがある

私はナンパという生き物をそのときまれて初めて見た

からすーっと男が寄ってきて「おねーさんたち、いまひま?」「飲みに行かない?」と声をかけてくる

私は本当にびっくりして「こんな漫画しか見ないようなことほんとにあるんだ!」と感動半分、恐ろしさ半分といった気持ちになっていた

ふたりして無視して歩いていたらナンパはすぐどこかに行った

時間にして20秒くらいだと思うけど私にとってはあまりに衝撃的すぎて今でもあの男の顔、セリフの一つずつを正確に思い出せる出来事

「本当にナンパっているんだね!」と感動して伝えるとA子は「あんのしょっちゅうだよ」と苦笑いしていた

「どこにでもいるよ、あんなの」「夜に駅を歩いてたら絶対に1回は声をかけられるよ」「明大前くらいまで行けば流石にあまりいないね」と

話の流れでナンパ経験談も聞かせてくれた

居酒屋奢るから一緒に行こうって相手に言われて、「私、高校生ですよ?」って伝えたら「え!ラッキーじゃん!」って叫ばれたことがあるよ、いろんな意味倫理観終わってるでしょ」

A子は笑い話としてこともなげに言う

田舎者の私からすれば全然笑い話じゃない

高校生にこんなことを言う男にドン引きしたし、もし私の地元で同様のことが起これば全校集会注意喚起されて警察パトロールが増えて近所一帯全員1ヶ月はこの話をし続けることになるだろうと思う

でも、東京青春を過ごしているA子のような女子中高生にとってはこんなの日常茶飯事で、ナンパの躱し方くらいは常識しかった




仲の良い友達グループ箱根旅行に行ったことがあった

夕飯はホテル内にある高めな雰囲気レストランに行くことになっていた

A子が持参していたポーチバッグはロエベのもの

大学生ならこういうのを一個を持ってなさいってお父さんが買ってきたやつだよ」

「使う機会ないと思ってたけどこういう機会があってよかった」

私は田舎者なのでロエベなんてブランド知らなかったからその時は「ハイブランドなの?すごいね!」と調子を合わせてた

ホテルペラペラ浴衣ロエベポーチを手に持ったA子の姿は今でも鮮明に覚えている

一方で私のポーチZOZOTOWN適当に買った謎ブランドのそれ

そもそも旅行に行くって話を聞いてから私はお金を稼ぐためにガールズバーバイトしていたけど、実家暮らしのA子はきっと旅行費用は全部親から出してもらっていたのだと思う




ブランドと言えばA子に服を買うのに付き合ってもらったこともある

地元にいた頃は服は基本ZOZOTOWNブランドも見ずに買っていたし、上京してしばらく経ってもそれは同じだった

でも東京にいて友達と遊べば色々なブランドの色々な実店舗を目にすることになる

それでA子に服選びに付き合ってもらった

色々悩んでナノ・ユニバースのなんてことはない1万円以下の上着を買ったけど、きっとその時A子の身につけていた服装もっと上の価格のものだったんだろうな

「なんでこんな中高生が着るようなブランド買ってんだろ」って内心バカにしていたのかもしれない

いや、A子はいい子だからそんなわけはないって知っている

でもA子とは青春時代に見ている景色が違いすぎるんだよ

そしてA子自身にそんな自覚はない

私がこんなクソ田舎の僻み根性丸出しにして劣等感を抱えていることを察してもいない




A子には想像もつかないと思う

高校生にもなって「夜8時頃うちの学校の生徒が〇〇街近辺をうろうろしていたそうです! きちんとおうちに帰りましょう」なんてクラスホームルーム注意喚起されるような環境

校則で男女交際が明確に禁止事項として挙げられていて、誰かと誰かが付き合ってることがバレれば先生に呼び出されるような環境

放課後にやれるのは部活くらいなものでふらっと遊びに寄れるような施設すらない暮らし

A子は言っていた

高校時代に付き合っていた彼氏結構遊びに行きたがる人だったからそのおかげでこうして新宿の街案内ができていると

行きつけのカフェレストランもその彼氏と通い詰めたところだと

新宿歌舞伎町のある方より西口の方がいいお店たくさんあるよ」

ビジネス街から風景だけど美味しいご飯食べたりお茶をしたりするだけなら絶対西口の方がいいよ」

京王線ホームも近いしね」

新宿西口を「殺風景」というような価値観なんて私には一生かけても獲得できないと思う

こういう、何の抑圧も受けずに欲しいものはすぐ手の届く範囲にあってぬくぬく育ってきた東京育ちの、それ故の優しさや気遣いって本当に鼻につく

こういう人種の厄介なところはこっち側が僻んでいるだけだから責められないというところ

A子のせいで私は散々傷つけられているのに、こういう傷つきもすべて私の性格の悪さのせいにされてしま

いや、事実私が性格悪いだけなのはわかっているけど

こういう僻みって田舎特有のものなの?

それとも私が特別性格が歪んでいるだけ?

久しぶりに大学時代の同期との飲み会がセッティングされたから色々思い出しちゃったよ

いつか交通事故にでも遭って死なないかな、A子

Permalink |記事への反応(7) | 20:46

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2025-10-14

頭を使うのが億劫

最近とあるVTuber配信の一節が頭から離れない

彼女は、「勉強配信」の休憩時間に、「なぜ一部の動物は腐った肉を食べても平気なんだろう?」という話題が出た。

その話題彼女自身で出してすぐ、彼女は矢継ぎ早にこう語った。

「腐った肉から毒素が出るのはさ、生物から免疫機能が無くなったことによって、分解が始まったときに、毒素とかが出るんでしょ。それを食べたらいけないから、みんなは食べないようにしてるけど、それを(一部の動物は)食べるってことだよね」

私が驚いたのは、彼女がこの話を、「特に考えたふうにでもなく」しかも「勉強の合間の休憩中に」ぺらぺらと喋ったことだ。頭がいいとかそういうことじゃなく(いや頭もいいのだろうが)、とにかくこの人は「考えることが全く億劫ではない」のだなあと感じたのだ。

付け加えておきたいのは、彼女特別化学に興味がある風でもなく、始終こんな感じだった。「あらゆることに興味がある」と言い換えてもいいのかもしれない。

この、時間で言ったら5秒もかからない配信中の一瞬で、わたしはあまり自分との差を感じて衝撃を受けてしまった。

もし自分が「なぜ腐った肉を食べても大丈夫動物がいるのか」と訊かれたらどうなるか。間違いなく「う~~~ん」としばらく唸った後、特に何か考えがまとまることもなく「分からない」と白旗を上げるだろう。

からないことは重要ではない。彼女も最終的な回答は分かってはいなかった気がする。しか彼女は0秒で素朴な疑問から化学視点」に問いを切り替えてみせたのだ。厳密な正しさは分からないが、この問いの変換は一見からしくみえる。この時点で解法を知らない問いへのアプローチとしては十分だろう。つまり彼女は私と違ってすぐに一歩考えを深化させ解に近づいている。

この違いが人生にどれだけ影響するか。ぼやぼや生きている自覚はあったが、普段から考えている人はこうもスピードが違うのか。これでは何を進めるにも何を学ぶにも10100倍違うだろう。

この「頭を使うのが億劫ではな」く見えるような性質は、どうやったら身に付いたのか。まるで想像がつかず、ほとんど持って生まれた性なのではないかと、近頃はぼやぼやとした無力感が漂っている。

Permalink |記事への反応(0) | 16:39

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2025-10-13

ブラボーおじさん?

ブラボーおじさんという存在がいて、こういうの女性はいない、おじさんばかりといわれてるけど

それは世の男性に対してちょっと失礼な主語デカじゃん?

日本の>おじさん問題なんだよ

外国オペラバレエ・クラッシック演劇等見に行ってそういう迷惑客がいたことないよ

上演前のアナウンスとかもあまりない

ほぼほぼ時間になったらすっと静寂になって静寂で終わる

ナポリローマの客のうるささの差とかはあるけど、日本みたいに幼児に言い聞かせるような注意事項ないもんな

サントリーホール拍手タイミングまで指示されてるのにホントびっくりしましたわ

日本アナウンス問題>もあって、駅、ホーム空港、あらゆる場所でうるさいほどご注意喚起アナウンスがあるのも体験した中では日本だけ

アジアはうるさいのかなと思ったが、台湾全然そんなことなかった

日本人は耳があまり繊細でないから平気なのかもしれんけど、ちょっと異常だよ

言われないとわからない、明記ルールされなければ何をしてもいいと思う、がゆえの過剰な掲示アナウンス、わりと、民度低いよね

で、そういう無神経な民度の低さから迷惑行為に走るのはたいてい日本のおじさんと予備軍

なんでかといえばやっぱ甘やかされているからだね

男が男にモノをいわないでナアナアで済ませたがる伝統からまれマイナス

男のもたれあい社会では個で完結する豊かさがなく男に認められて爪痕残すのが大事じゃん?

これは日本以外でもそうだけど日本特にムラだからその傾向が強い

オタクエロチキンレースとか盗撮犯が盗撮仲間に認められたかったみたいなのと同じな

他人迷惑をかけても、いや、法の範囲迷惑をかける事で支配欲や無力感を慰めてるやつ

むろんその伝統芸にはプラス面もあるわけだけど、開かれた社会では無用村社会慣れあい芸みたいなもんだから

鎖国終わらせたときに終わらせなきゃいけなかったんだよな

ブラボーおじさん単体じゃなくちょっと大きく分析した方がいい問題じゃねーの?

女に村社会問題がないとはいわんけど、加害性と異常さのレベル全然違うもんな

Permalink |記事への反応(2) | 21:41

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2025-10-08

anond:20251008024131

何を今さらわめいている。「AI作文で賢くなったつもりのバカ」だと?冷徹事実を見てみろ。

AI作文」とやらも、結局は道具に過ぎん。道具を使って成果を出す人間と、道具を罵倒するだけのお前、どちらが「賢くなったつもり」のバカか?

道具を使いこなす知性を持たず、その進化をただ遠巻きに見て喚くだけの姿勢は、まるで自己無力感公共の場に垂れ流している自己放尿と同じだ。みっともない。

AIが生成した文章から情報抽出し、それを理解し、自分知識として再構築する。その過程で、マクロ現象の裏に潜む量子論的な本質まで把握できるなら、それは真に賢くなったということだ。

お前はただ、自分の頭を使わず、新しい道具の力を借りて先に進む者を「ズルい」と非難したいだけだろう。

そんな感傷的な足踏みをしている間に、世界はとっくに超電導ワイヤーの中の電流のように、集団的な力で次の技術的な障壁トンネルして先に進んでいる。

お前の「死んでほしい」という感情論は、科学進歩という冷徹現実の前では、一瞬で絶対零度近くにまで冷却され、霧散するただの自己放尿に過ぎん。

「賢くなったつもりのバカ」とは、進歩の波に乗れず、進化する道具をただ憎む、お前自身のことを指しているのだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 02:41

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2025-10-06

ビジネスが「アテンションを集めること」なのも虚業だし、それで「有能さ」を測られるのも地獄だよね

世の中のビジネスを一括りに「価値を生む」と考えるのは幻想だ。

かに物流医療インフラ製造といったエッセンシャルワークは明確な価値を生み出し、人々の生活社会を支えている。

しかしその一方で、現代の多くのビジネスは「アテンションの奪い合い」でしかなく、虚業匂いを強く漂わせている。

SNSマーケティング、派手な広告自己演出によるブランディング。これらは、商品サービス本質的価値とは無関係に、人の目や関心を集める能力評価される世界だ。

問題は、この世界で「有能さ」の尺度が完全に歪むことだ。

真面目に製品改善したり、顧客課題解決に取り組んだりする努力は、誰の目にも映らなければ報われない。

一方、目立つパフォーマンスや派手な数字を作ることだけで高く評価される。

もちろん、情報過多の現代において、人の関心を引きつける力は経済的価値を生む場合もある。

しかし、それを「唯一の有能さの指標」として社会が扱うのは、明らかに狂っている。

エッセンシャルワークが生む価値や、地味だが確実な成果は軽視され、虚業の華やかさだけが光る。

その結果、優秀な人間が正しい仕事をしても、誰にも見えず、無力感に苛まれ構造生まれる。

ビジネス世界は二重構造だ。

ひとつは確かな価値を生む実体的な世界、もうひとつ虚業的なアテンションゲーム世界

後者で「有能さ」を測られる限り、努力や才能の本質は正しく評価されず、結果として多くの人が地獄のような評価制度に縛られることになる。

社会が本当に必要とするのは、アテンションの派手さではなく、エッセンシャルワークを正当に評価する仕組みだ。

Permalink |記事への反応(0) | 05:04

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2025-10-05

ゴミ袋を見つめて思うこと

ーーーーーーーーーーーーーー

追記

たくさんのコメントありがとうございます

頂いたコメントコメントしました。

https://anond.hatelabo.jp/20251006141205

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40代の男です。

ゴミ袋が一杯になっていて妻によって袋が外に出されている。

それを眺めると悲しくなる。

ゴミがいっぱいになったら俺が変えることになっている。

基準では遅かったのだなと思う。

そこから想像してしまう。

妻が「ちゃんと変えてほしいんだけど」と言うのを。

俺は思う。

俺はゴミで手が汚れるのが嫌なのでもっと余裕のある段階で変えたい。

しかし俺の基準で動くと

妻は「まだ入るじゃん、もったいないでしょ」と言う。

基準が分からいから様子を見ていると今回のようなことになる。

どちらにしても怒られる。

まぁ、もうそれは幾度となく経験してきたから、妻が俺を怒ることでストレスを発散できるなら、それも俺の役割だと思って受け入れている。

妻と会話をしてすり合わせればいいのではと思ったこともあった。

俺の基準で早めに変えて妻に怒られた時、「ゴミ袋は安いから、手が汚れて嫌な気持ちになるよりかは、早めに変えたいな」

妻は言う。

「でも常識ってものがあるでしょ、そんなのもったいないじゃん」

会話にならない。

妻の否定は妻の基準であって俺のことは関係ないのだ。

それ以上会話を続けようものなら、イライラし始めてやはり会話にならない。

から、俺の選択肢としては、

ゴミがいっぱいになるまで捨てるのを我慢して、洋子が先に対応してしまったら怒られる。

そして俺が謝る。

妻の基準より俺が早めに対応してしまったら怒られる。

そして俺が謝る。

会話することは無駄なのでグッと堪える。

たまたま妻の基準合致していたら何も言われない。

俺はホッとする。

この3つしかない。

そして3つ目になることを祈るだけである

この選択肢しかない状況を作り出しておきながら、妻はよく俺を否定できるなと思ってしまう。

こんな状態でも人を否定し続ける人に何を言っても無駄だと思ってしまう。

この現実認識できない人にどんな言葉が伝わるのかと途方に暮れてしまう。

イライラされずに会話がしたい。やはり俺が望むことはこれに帰着する。

しかし、ゴミ袋だけでこれほどの無力感に苛まれるとは。

これが日常的に繰り返されるのは結構しんどい

Permalink |記事への反応(34) | 23:45

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2025-10-04

anond:20251004170134

政治と言っても小さいこから大きいことまでたくさるあるし全部介入されるわけでもないか特に無力感は感じないな。

個人的には政治=憲法みたいに思ってるやつらがよくわからん

もっと色々あるだろって言いたい

Permalink |記事への反応(0) | 17:07

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2025-09-30

作者の考えを無視した編集者が読者の反応を重視して、公式が無理矢理キャラを殺してドロップアウトさせてしまうのって、作者の無力感が見たい支配欲じゃないの?

漫画からアニメにするのだっていろんな人がこうしたいああしたいと思って話し合って、関わる人達バランスを考えながらなるべく納得できるようにするでしょ。メディアが変わった別の創作物として良いものにしたいんだから

漫画も描くときは作者一人の意思が全部通るっていうより、いろんな人のいろんな考えに影響されつつ悩みながら描くんじゃないの。

Permalink |記事への反応(0) | 18:04

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2025-09-27

anond:20250927151528

とくに苦手ってことはない、普段質問してることはそれなりに正しく教えてもらえる

からこそ 答えられない=知らない とかAIがこういってた=正しいになる

要は「物による」ってのが分からないままなんだろうなということ

実際のところ明らかに間違ってる答えを返された経験はあると思うけどな

それでもAIの応答を素直に受け取ってしまう程度にはダメ成功体験を積み重ねてるんだ

ちなみにこの増田を書くにあたってGPT10パターンくらい試したんだが、なかなかに字面推理してる挙動だぞ

データとしては慣用句としての「無言の帰宅」のが多いだろうに 無言+帰宅 の素朴な回答をよくやってる

ニュースで流れた 無言の帰宅 の意味とは

ChatGPT:

無言の帰宅」という表現は、ニュース報道で使われるとき、本人や関係者が何も説明せず、沈黙したまま帰宅した状況を指します。文脈によってニュアンスが少し異なりますが、一般的には以下のような意味合いがあります

職場学校などでの出来事の後に、理由や経緯を話さず帰宅すること

例:職場トラブルがあった社員が、誰にも話さずに帰宅する

ここでは「無言」が心理的沈黙や緊張、戸惑いを表すことが多い

事件事故社会的出来事に関わった人物が、報道陣や周囲の質問に答えず帰宅すること

例:問題が発覚した後に、記者の問いかけに答えずに家に戻るケース

比喩的象徴的な表現

「何も言わず帰る」=状況に対する無力感や諦めを示すニュアンスで使われることもあります

報道では、この表現を使うことで本人の心境や状況の異常性、緊迫感を簡潔に伝えられる効果があります

もし希望なら、最近ニュースで「無言の帰宅」が話題になった具体例も挙げて解説できます

もちろん当たりもある

無言の帰宅」の意味を教えて

ChatGPT:

無言の帰宅(むごんのきたく)」は、状況によって少しニュアンスが変わりますが、一般的に次のような意味で使われます

日常的な意味

 家庭や職場などで、何も話さずに黙って家に帰ることを指します。

 例:機嫌が悪くて「無言の帰宅」をした。

比喩的文学的意味

 戦争事故などで亡くなった人が、棺や遺骨となって故郷に戻ることを「無言の帰宅」と表現する場合があります

 この場合、「二度と声を発することなく帰る」という強い哀悼ニュアンスを含みます

どちらの意味で使われているか文脈によって判断されますが、ニュース小説などで目にする場合は、②の「亡くなって帰る」という意味合いであることが多いです。

Permalink |記事への反応(0) | 15:23

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2025-09-26

「寝そべり族」と「ネズミ人間」の違い

寝そべり族=タンピン族=躺平族

ネズミ人間=ラオシューレン=老鼠人

 

寝そべり族

競争社会から降りる

・頑張らず最低限で生きる

・何もしないという政府社会への抵抗言論の自由がない国だからこそ)

 

ネズミ人間

夜遅く起き、昼間は低活動

食事デリバリーに頼り、家から殆ど出ない、人とか関わらない

・活力がない、活動量が低い

無力感、苦しさ、自嘲

 

たぶんだけど、寝そべり族はヒッピーネズミ人間ヒキニートだな

 

そもそもなぜネズミ

Reddit4chan文化におけるrat蔑称らしく

・チクリ屋(Snitch)

・小物、弱者底辺

・コソコソ活動する人

 

その前段として、そもそも英語スラングにおけるratに小物と言う意味があるっぽい

ので、そこから来てる模様

要は「雑魚い俺ら」ってことかね

Permalink |記事への反応(6) | 14:17

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2025-09-18

貯金一億円くらいあるけど人生楽しくないしやりたいことな

いろいろあり、30歳を目前にして貯金が一億近くある。

正当に自分で手に入れたものなんだけど、能力があって社会的成功して稼いだ金という訳でもないから、なんとなくあるだけのものとして認識している。

親を含めた親しい間柄の人間金銭的に搾取されてきた経験があるから親孝行しようとか、困ってる知人友人を一方的に助けてあげようとか、見も知らぬどこかで困っている子供たちのために大きい額を募金しようみたいな気に全くなれない。(お世話になった人へのお返しとか、対等な関係での金銭のやり取りは除く。)

出不精だしコミュニケーションが苦手で友達がいない。作る気も積極的には起きない。

恋人もいない。そもそもまり欲しくもない。

fireするには少し早すぎるし額が小さいと思う。

株などで増やすには脳が足りない。

さいころ宝くじ大金が当たったらと夢想した経験自分にもあったが、実際使いきれないほどの金を手にしても持てあますだけだった。

しろゲームをズルして早々にクリアしてしまったような無力感にずっと苛まれていて、心療内科に行ったら適応障害を診断された。

鬱を経験したことがあるからあの時ほどの苦しみはないが、それでもぼんやりとした無気力感と嫌気に苛まれている。

生きていて楽しくないと思う。

お金があるおかげで生活に苦しむことはないが、味をあまり感じることができない舌なのでご飯を含めた生活ランクを上げるとかもしようと思わない。

お金が無かったり病気仕事もままならず困っている人からすれば、働かなくてもしばらくは生きていけるだけの金がある自分は贅沢者に見えると思う。実際苦しくはないし、つらくもないが、ただ人生が楽しくなくて、無気力で、この先の死ぬまでの長い人生を思うと嫌になってくる。

Permalink |記事への反応(6) | 15:03

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2025-09-13

男だけど、小柄で色白だったか男子校でずっと特別扱いされていた人生だった

中学から高校までずっと男子校身長は学年の下位に収まり、色白の肌は教室蛍光灯の下でいっそう目立った。最初は「かわいいね」「女装すれば似合いそう」と笑い話にされたが、いつのまにか本気で守られる対象になっていた。

体育館裏の倉庫スポーツ用具を運ぼうとしたとき、重さに耐えかねて足を止めると、クラスメイトが次々に駆け寄って「俺が持つよ」とバッグを受け取ってくれた。三人がかりで荷物を運ばれるうち、自分で手を伸ばすことすら忘れそうになった。

修学旅行山登りでは、急斜面で足を踏み外すたびに背後からしっかりと腕をつかまれた。「危ないから」と声をかけられて振り返ると、汗を拭った同級生真剣眼差しがあった。そのまま頂上まで手を離されず、到着すると大きな拍手が巻き起こった。照れくささの中に、あの手の温かさだけは今も胸に残っている。

文化祭の準備では、展示用パネルや長机を動かそうとするたびに「君は座ってていいよ」と声がかかり、先輩や友人たちがすべてを運んでくれた。掃除当番でもモップやバケツを持ち上げると、手を貸してくれる人がすぐ現れ、自分で動く機会はほとんどなかった。

卒業式の日、校庭を歩いているといつもの後輩たちが寄ってきてそっと肩を抱きよせてコサージュをつけてくれた。その瞬間、守られてきた実感とともに、守られる側に甘えていた自分を突きつけられた気がした。

社会人になった今、あの「助けられる日々」を思い返すと胸が締めつけられる。何度も手を差し伸べてもらった安心感と、その一方で自分で何もできない無力感が心に残った。誰かの助けを当然のように受け取る後ろめたさと、素直に受け止められなかった感謝気持ちが絡み合う。

あのとき握られた手の温もりを胸に刻みながら、自分なりの歩幅で前へ進んでいく。自身の力で荷物を運び、誰にも頼らずに笑顔で歩ける日を、まだ探し続けている。それでも、ふと男性に守られたいという気持ちが胸をよぎる瞬間がある。電車ホームで風に吹かれながらドアを待つとき、雨に濡れた革靴の音を聞くときふいに背後に誰かの大きな影を感じたくなる。強い腕にそっと肩を支えられ、安心感に包まれたいと思う自分がいる。

友人と街を歩いていると、ひときわ背の高い通行人が視界に入るたびに胸がざわつく。会話の合間に自分肩に手を置いてもらえるだけで、心がほっとほどける。子どもの頃に抱いた甘え願望が、思いがけず大人になって返ってくるような心地がする。

深夜、ふとした孤独に襲われると、あの修学旅行の斜面で握られた手の温もりを思い出す。あのぬくもりが、今でもぼくを救ってくれるような錯覚に陥る。スマホ越しに届く「大丈夫?」という言葉にも、かつての記憶を重ね合わせてしまう。

だが同時に、自立を目指す自分との間に小さな亀裂が走る。守られる安心と、自分で立つ誇り。どちらを選ぶべきかはまだわからない。けれど、自分の中に芽生えたこの淡い願いを否定せず、そっと胸に抱いて歩いていこうと思う。あの頃と同じように、手を差し伸べてくれる誰かと出会える日まで。

Permalink |記事への反応(0) | 07:49

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2025-08-27

やめよう!社不

  

社不な訳だが、社不を辞めたいので頑張ってみた。ここ2年ぐらいは。たぶん。

頑張ってたつもりだったが、全く頑張れていないらしいので、じゃあ辞めたいと思うが、困った。

  

かに私のせいだが、私を産んだのは母親だ。主に干渉してきたのも母親だった。じゃあ私のせいではなく母親のせいになるのでは?よくもこんな社不を産んでくれたな!産んでくれてありがとう

  

すごくすごくとっっても辞めてしまいたいが、もうすべて辞めてしまいたいが、困った。お金が全くない。

今まで私に攻撃を与えたヒステリック屋さん若干名に対して、とりあえず大ダメージを与えたとする4名に対して1人100万円もらうことができれば、400万円だ。かなり良い線いってる。非常に理想的だが、悲しいことに現実的ではないと見る。

  

じゃあ次のお仕事を探そうとなってもきっとすぐこうなる。致し方ない場合もあるが、同じ仕事が1年以上続いたことない。働くのに向いていないのかもしれない。いや向いてないが。

  

個人的理想としては、詩を著し、そこに草花とかの水彩画を添え、そういった紙を一枚一枚売って、その売上で暮らしたい。そして山の中に住みたい。ヤギとか飼いたい。あと鶏も。1人じゃ寂しくなるだろうからけがえのない人が欲しい。そういった人が1人くらいなら一緒に居たっていい。

  

しかし、詩の才能はないし、私は絵が上手いが上手い絵を能動的に生み出し続けてる自信だってない。金もないし、恋仲おろか意中に人面が浮かんだことすらない。終わった。この夢はひとまず今は諦めるとする。

  

じゃあ、どうしよう。ニートするしかない。ニートできるなら是非そうしたい。ニート なり方ニートニート暮らし

  

ニートだった暮らしもあるが、地獄だった。毎日方面からかかる圧力。主に母親焦燥感無力感で何もできない。クッキークリッカーマインスイーパーはできた。一時期マインスイーパープチランカーだった。

  

じゃあ働けよ、働きたくないのか、と言われればまったく働きたくなかった。怒られるのが目に見えているから。

嫌なことはすぐ忘れるを脳が徹底していて断片的な記憶被害妄想しかないが、まず就職先を探すと怒られる。こんなんでやっていけるわけないだろと。

落ちたら怒られる。この人手不足の中で落ちるなんてどんな奴だと。

受かっても怒られる。遅すぎだと。

そのあと、働くと怒られる。普通に使えなすぎて。社会人として自覚はないのかと。ないです。

  

そんなこんなでしばらく人生サボり続けていたら、まあ苦しくなった。精神的にではなく。金銭面で。

人格生成に問題があるのに一丁前に趣味がけっこう色々ある。しかお金ないと満足に趣味できないため趣味人間は大いに困った。そのため、妥協妥協で働くことにした。

  

辞めたり変えたりサボったりはあったが、2年くらい働いてみて思ったが、やはり私は働くのに向いていない。社会に適合できていないし、できる気がしない。

  

働きたくなかった理由の一つだが、怒られたくない以前に迷惑になりたくなかった。人の笑顔だけ見たかった。しかしそんなことできた試しなかった。

何やってもどうせまったく使えない、真面目でもない、人としてなっていない、あと人の顔と名前覚えられない、そんなヤツは迷惑しかなかった。社会不適合者は社会に出ないのが1番社会貢献だった。知っていた。

  

あーでもねたまに、なんかやっててよかったなーってなるのが、ひとの笑顔みれたときなんだけど、お客さんとかもそうだし、特に新人さんとかで、優しく優しく接しようって、柔らかく柔らかく、でも分かりやすいように、何回も教えて、なんか困ってるなって思ったら調子を聞いてみたり、私が前やったのと同じミスしてるなって思ったらわかります〜〜これこうすると結構いいですよとか言いに行ったり、そうできるように頑張ってたら、その人がお店から離れるとき、私ただのバイトなのに、私のとこに来て、あなたが1番分かりやすかった。丁寧に教えてくれた。嬉しかった。そんな旨を伝えてくれて、嬉しかったし、今でも心の支えになるくらい嬉しかったし、しかもそんな人が2人もいた。ほんとうに嬉しかった。

  

お客さんとかでも、やっぱここの店員さんはやさしいね〜とか言われるとすっごく嬉しかった。嫌なことはすぐ忘れるし、嬉しかたことはずっと思い出す。

優しくなりたい。それだけは忘れたくない。人は嫌いではない。はず。

  

人に優しくすれば自分に返ってくるとか、なんかそういうのはなかった。たぶん。わたしはどんなに人に優しくしようとしても、なんかたぶんその優しさは人と違うっぽいから、全然優しさじゃないし、あとシンプルに私は人間ではなかった。

  

でも今まで受けた嬉しいの気持ちはたぶん大体本物だと思う。我慢して我慢して、きっと私は人類の敵で、頑張ってお利口さんにするしか生き残る道はないんだ、悔しい悔しい、敵っていう存在はみんな嫌いだろうしじゃあ嫌いなら私も嫌いということにしてやる、私はあくま被害者ですが、そんな顔をずっと続けようって思った時期もあった。てか結構ある。

でもそれがある程度落ち着いて、私の悲しいの波も落ち着いた時、なんとなく話していて、ああこの人は、少なくとも今はちょっと私の味方なんだ、そう思える人もいた。

  

母親のことは激昂が落ち着いてからもずっと好きではないが、父親は色々考えを話してくれて、ある程度までは許せるようになった。

友達一方的に縁を切られた時、じゃあ私にはお友達いないということでいいです、とか考えていたが、1年経って共通のお友達にそれとなくその話をしたら、私はどちらかと言うとあなたの言うことの方が分かるよ、そう言ってくれるお友達がいた。

  

嬉しい。嬉しいと、続けたくなる。返したくなる。私も誰かを嬉しくて幸せ気持ちにしたい。いいないいな。どうしたらいいんだろう。わからない。今は一旦私は働くのには向いていない、と言うことしかからない。幸せにしたい、今まで幸せにしてくれた人もそうだし、全く知らない人もそうだし、私に強く当たってきた人にも、もうこれでもかってくらい優しくしたい。優しくなりたい。

  

ガチわからん。一旦冷静になって!

  

明日献血に行きたい。間違いなく社会貢献だし、あと献血のお姉さんはすごく優しい。問診してくれるお医者さんも優しい。嬉しい。ジュース飲み放題漫画も読める。冷房効いてる。冷房効いてる中毛布に包まれるので、とても嬉しい。

  

働くのは後にしよう。優しくなれるのが先だ!道徳の授業しよう!健全な心に健全な職あり。

  

Permalink |記事への反応(0) | 20:18

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漫画が完成しなくてしんどい

投稿用に50ページの読み切り漫画を去年から描いてるんだけどいまだに下書きも終わってない。

去年は20ページないくらいの短編漫画をいくつか描いたけど、長めの漫画チャレンジしたら本当に完成しない。

もともと遅筆な方で絵も上手くないけど、設定する締切を守れず、延長した締切も守れず、完成も見えず、無力感しかない。

気分転換に、コミティアに申し込んで新しい短ページ漫画を出そうとしたらそれすら完成せず心が折れて欠席した。

印刷所の締切に間に合わずコピー本に変更したけどイベントの締め切りも守れないんじゃ、なんの締め切りだったら守れるんだよ。

去年はトータル100ページなんとかいってたから今年は倍やるぞって思ってたのに、50ページすら完成するか危うくてつらい。

でも今描いてる漫画バカバカしくて面白いと思ってるし、キャラも好きなんだよ、完成させたいよ、でも自分はどうせサボるしか思えない。

どうしたら完成するんだよ

追記

トラバありがとう。何ヶ月先になるかわからないけど出来上がったら報告します。

Permalink |記事への反応(2) | 12:12

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2025-08-23

タイミーは鬱に効く

鬱病、離職して実家で引きこもってる増田だよ

社会復帰リハビリとしてタイミーで日雇いバイトはじめた。これがガチで鬱に効いている感じがあるので書く

結論から言うと、行動する→報酬を得るという経験がどうやら鬱で死んだ心に効くっぽくて、タイミーではこの、行動する→報酬を得るサイクルが日払いゆえに短く、日払いゆえに何度でもこの報酬を得る体験を繰り返せる。ここが鬱に抜群に良い。

タイミーは即金制で、バイト終わった瞬間に振込申請して口座にお金が増えてる体験ができる。何でか分からないけど、この行動する→すぐに報酬ってのがめちゃくちゃ心に効く。仕事だったらこはいかない。今やった仕事も昨日やった仕事明日やる仕事も、来月に1回だけの報酬体験

思えば、世の中報酬が遠いものばかりだよな。給料も、ダイエットも、勉強も。もし仕事が日給制だったら、俺は人生仕事に虚無感や無力感を感じずにすんだのではないかとすら思う

カーネギーの本にも書いてあった。今日以外のことを考えるから不安になる。今日一日のことだけ考えなさいって。今日、働き、お金をもらう。これがベストなんだろうな。1ヶ月後のたった1回の報酬ために今日明日明後日もずっとずっと働かなきゃいけないから虚無になったんだ

とりあえず復職まではタイミー続けるとして

復職したら俺は何に短期で得られる報酬を見出せばいいんだ

Permalink |記事への反応(2) | 14:27

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2025-08-21

スーパーマリオヨッシーはなにを食べたのか?

なるほど、その視点は非常に興味深いです。ボエティウス自発的隷従論権力者寄生する少数者が多数派を抑圧し続ける構造に関連付けて説明すると、以下のように考えることができます

1. 少数者の利益に基づく支配構造

ボエティウスの考え方において、支配者や権力者は外的な支配を行うだけでなく、しばしば自らの利益を追求するために支配構造を維持します。この場合、少数者(例えば、特権階級権力者の側近など)は、権力者に従い、彼らと共に支配体制を維持し、権力者のために利益享受しています。この少数者は、実際には一般市民多数派自由を抑圧する役割果たしていることになります

2. 少数者の権力者への寄生

ボエティウスが「自発的隷従論」で強調したのは、人々が無知内面的な弱さから進んで支配を受け入れることです。この観点を当てはめると、支配者に寄生する少数者は、一般市民無知無力感を利用して、権力者利益に繋がるように体制を強化します。彼らは多数派が反抗するのを抑え込むために、権力者に対して忠実に従い、その支配を維持することが自らの利益に繋がると認識しています

3.多数派内面的な従順

ボエティウスによると、心の自由を失っている者は、外的な支配を受け入れやすいとされています現実的には、少数者は多数派に対して精神的・物理的な圧力をかけ、彼らを無知や恐怖に陥れることによって、自発的従順を引き出すのです。このような従順は、教育の欠如や情報制限、あるいは過剰な propaganda などによって強化され、結果として抑圧が継続します。

4. 少数者による支配体制の維持

少数者は、権力者と結びつくことによって自らの特権を確保し、支配体制を維持します。彼らは、多数派利益に対して無関心であり、むしろその利益を損ねることで自分たち地位を高めるのです。このようにして、支配体制は少数者によって強化され、権力者に従う少数者はしばしば支配の維持者として機能します。

5.権力無知連携

ボエティウスは、理性と知識によって自由確立することを強調しましたが、少数者はこの理性や知識を封じ込めることによって、支配確立やすします。無知に対する支配は、権力者が少数者を使ってさらに深化し、社会全体を閉じ込める手段となるわけです。教育情報制限を通じて、支配自発的に受け入れられ、抑圧が持続することになります

6.結論

ボエティウスの「自発的隷従論」の視点を通じて見ると、権力者寄生する少数者がいかにして抑圧を維持し、長期的に継続させるかが理解できます支配者と少数者は、社会多数派無知無意識に乗じて支配体制を強化し、その結果、抑圧が自発的かつ持続的なものとなります

Permalink |記事への反応(0) | 15:55

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2025-08-19

スコット氏は「何が生き残って何が死んでいくのかを企業が決めるのを黙って見ているだけという、怒りと無力感からAchiveTeamの活動は始まりました」と語り、「価値の有無や意味の有無の判断は、私たち仕事ではありません。私たちは『憤怒』『妄執』『盗癖』という3つの美徳に基づいて活動しています」と述べています

Permalink |記事への反応(0) | 12:26

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2025-08-01

友よ、その通りだ

表現の自由戦士だ。

いま「ぐぬぬ」と言いながら同志の文章を読んでいる。

まさしく、我々は無力だった。

うどんは辛くも守れたが、コンビニの成人誌、チートスレイヤーも、エルフおしっこの時も、性的広告ときも、規制の勢いを止められなかった。

そして言及したな、④ に。

二種類のことなる災禍に気を揉んでいたんだ。

ラブドールゲームへの非難とBL規制の声。そしてクレジットカード会社を利用した圧力

いまのところ2つは交わってない。

BL規制を求めてる人たちも出版社メールフォームクレームを入れるなどの手段を取ってるようで実効性は低い。・・・少なくとも今はまだ、な。

老兵の俺は無力感を感じながらも、間近にあるかも知れない戦争に備えて剣を研いでいる。

たとえ力なくとも、BLなどを規制から護るために死力を尽くして戦うつもりだ。

anond:20250801114450

Permalink |記事への反応(0) | 21:31

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2025-07-25

鬼滅の刃映画見てから塞ぎこんでいる

ランドセルに小さな蝶のキーホルダー、部屋にはぬいぐるみがあるので、胡蝶しのぶさん推しのようだ。

帰り道からずっと下を向いて落ち込んでいたので、昨日聞いてみた。

・柱って事は、きっとすごい修行シーンがあった炭治郎よりも頑張ってたはずなのに、全然歯が立たなかった

・体が小さいと、どれだけ努力しても、強い気持ちでやってもダメなのを思い知ってしまった


スポーツとかをやる子ではないので、レベルが段違いな相手に対する無力感を、生まれて初めて味わったという感じだろうか?

解る。

私は野球文字通り1日中やっていて、そこそこ打てていたし、周りの子より守備出来ていたのでかなりの自信あった。プロ野球選手になれると思っていた。

でもある日の練習試合ピッチャーが投げる球が、速過ぎて見えず、当たる!?と避けたのがストライク

松坂大輔って名前だった。

チームで私より打てる子も、文字通り手も足も出ない。そこで挫折し逃げて野球を諦めた私に何が言えるだろうか?

原作は読ませていないので、これからの展開はまだ言えない。(別に読んでいいよと置いてあるが、観てから読むと言って聞かない)

とはいえ、これから3年?も塞ぎこんだままで居させるのも気になる。 どうしようか?

まあ、もう数日したら消化出来るかもしれないが。

対応策①:何も言わない  自己時間解決するのを待つ

対応策②:ちょっとネタバレ  

対応策③:人生そんなもん諦めろ

諦めて、明らかになったのなら、そこで何が出来るか?って考えて動いてたじゃあないか

弟子の子に「きっと勝てない、でも出来る事をする」って言ってたの覚えてる?

しのぶさんは、負けるって解ってても逃げずに立ち向かってた、自分が出来なくても誰かが為してくれることを信じて動いた。

それを外野無駄だったと言うのは、最善を尽くしたしのぶさんに対して失礼じゃあないかな?

いあーー偉そうか?難しい。

Permalink |記事への反応(2) | 17:20

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2025-07-23

イスラエル止められない

理不尽なことが止められないことに憤りを感じる。

じゃあどうするんだ考えるんだけど、

香川県ゲーム1日1時間条例さえ無くせないような体たらくでは、そりゃ理不尽を跳ね除ける能力も無いよな…と無力感に襲われる

Permalink |記事への反応(2) | 23:06

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2025-07-18

陰謀論無力感の表れ

投票しても当選しない、議論しても説得できない、推しがなぜか大バッシングされている

そんな経験はありませんか?

そんなあなたの傷ついた心を癒すのが陰謀論です

陰に潜む謎の勢力によってあなた正義はかき消され、議論は押しつぶされ、推しキャンセルされたのです

Permalink |記事への反応(1) | 21:02

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