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「火事場泥棒」を含む日記RSS

はてなキーワード:火事場泥棒とは

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2025-10-08

anond:20251008162803

単に火事場泥棒やれば儲かるぞとか何の価値もない商材を言葉巧みに高額で売り付ければ儲かるぞとかそういうことを本気で思い込んで罪悪感なくやれる人間は、やれない人間よりも金を稼げる機会が圧倒的に多いってだけの話だと思うぞ

Permalink |記事への反応(1) | 16:31

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2025-09-21

火垂るの墓ってそんなに教訓あるか?

ただただ社会から孤立したら普通に死ぬっていう分かりやすいだけの話であって

戦争が悪いとか清太が悪いとかそういうの全然関係なくない?

別に今でも親が死んで親戚の家から飛び出して腹が減ったからって盗みを働いたら人生詰むでしょ

映画の中で大人は手を差し伸べてたわけだしそれ以上のお節介はやる必要ないよね

戦争悲惨さで死んだんだ」

っていうのも納得行かなくて、親が死んだのは戦争が原因だけど他の要素は戦争関係ないよね

というか火事場泥棒で生き延びてたあたりは戦争追い風になってるし

あの辺の泥棒行為とか野菜泥棒で全く感情移入できないし戦争悲壮感が薄れるんだよな

Permalink |記事への反応(2) | 23:52

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2025-08-16

映画火垂るの墓』で清太を擁護して西宮のおばさんを非難してる奴は恵まれてる人種

家庭環境に恵まれてて現代的な価値観家族総出で働きに出てるおばさんちに対して文句言うのってどうなの?おばさんちの事情なんて考えた事ないんじゃない?

おばさんが苦言口にしてたけど、清太は働きもせずブラブラ遊び回ってた。だから食事差別化されるのは当然でその上それに甘んじてたよね

文句も言わなかったもの自分よりさらに粗末な汁だけだった節子の境遇見ても自分さえ良ければって感じで無視してたよね。女学生のお姉さんはちらっと見てるのよね。

原作ではこの件でおばさんに待遇改善出来ないかと直訴してる。ドラマ版でも後におばさんのイジワルな姿勢を叱責してる。

それを後になっておばさんを悪者にして別に食事を取るつって七輪買ってきて当てつけててつくづく我儘でクソガキだったよね

その後自分食器も洗わず自分の服も洗濯せず家事殆どをおばさんに任せきりだった

しかもこのおばさんと清太たち兄妹って完全な赤の他人だったんだよね

おばさんが最初に清太に不信感を持ったのはお母さんの死を隠してたでしょ。節子の手前だったそうだけどさ

もし最初にこの事を言ってたら恐らくそれでも受け入れてくれたよ。だって清太の親がおばさんの亡き夫に生前約束してたからね。その遺志を尊重するために一応義理果たしてる訳よ

そのお礼ってのが家賃代わりのコメとかバターでしょ。赤の他人を住まわせて衣食住面倒見てお風呂毎日入れてやってる訳よ、これ慈善事業じゃないのよ?おばさんが清太たちを憐れに思ってやってくれてたのよ。

にも拘わらず薄情が~義理が~おばさんは卑怯卑劣で酷いって叩いてる奴らって本当に映画本編見た上で主張してるの?

現代的な価値観でおばさん批判ばかりしてて清太は子供なんだぞ!というばかりだけどさ、このおばさんちに住んでるお姉さんいたでしょ?清太と一つか二つしか年齢変わらないのに学校行って勤労奉仕してる女学生だけどさ、あの当時女性差別が凄まじかった時代に何とか家族を支えようと頑張ってる訳やん

でも清太は何か一つでも仕事した?何もしてないよね

から清太は子供から!っていうのは全く通じないのよ。学生時分の人でも働いて貢献してる訳よ。だから食事も差が付けられた訳で。

まれてる人って清太が持ってきた食糧が1か月分あるとか本気で思ってるんだろうね。家事やった事ないんだろうね。多くても1週間分位じゃない?あまりにもひもじいから清太のお母さんの着物を売ってそのお金で白いお米買って来てちゃんと二人がお代わり沢山出来るように配膳もしてくれたけど売った金でコメ買ったんだから当然だろっていう人もいるかもだけど当時インフレが凄くて食糧買うのにお金全然足りない時代だったのね。その事は後に清太が節子を連れてホームレスしてた時に親切な農家のおじさんから金銭で食料を分けて貰おうとしてた時にも判明してる。

そしておばさんちを出た時もおばさんは凄い心配そうに見守っててホントにやっていけるのかな?っていう心情が当時の絵コンテ資料にも残ってる。

とにかく我儘放題で一つ正論を叩き付けられると癇癪を起してついには家出。その上畑泥棒火事場泥棒もしてその間節子はどんどん衰弱してるのに本人は物凄い元気なのよ。いっぱい泥棒した先で喰ってるのよ。で節子に申し訳ないって気持ちになってかぼちゃを盗んで帰ってきた時もアリバイ工作みたいで感心しなかったよ

節子に母親を見たり節子でオナニーしたり節子がいなければ俺もあの家で・・・といった話もある。節子の存在は実は邪魔で足かせだった事は原作にあるけどアニメでは結構ぼかしたよね。だから駐在解放されて節子が迎えに来た時母性感じたって清太の心情が何か歪に感じられてますます不愉快気持ちになった

当時の世情だから泥棒も仕方ない、そうなのよね

でも結局優しい大人たちの助けをいつでも借りれる状況だったのに頑なに自分理想を追い求めて最後には最愛の妹を餓死させてるので清太をそれでも擁護してる人に対して理解が出来ないし恵まれてるなと強く思ったよ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:57

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2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2025-04-10

anond:20250410191338

介抱経験四人!

あなたに対してゼロ経験の俺が物申すのは僭越ながらでしかないが・・・

LGBTs を思い出してほしい。

泥酔おっちゃん視点では、あなたゲイバイセクシャル可能性はあった。

から救命は、男性女性を助けるときにの問題になる訳ではないはず。

緊急時にそこまで頭が回る素人はそうはいないよ。ほんとに。

正しいと思う。一刻を争う救命で、バトンタッチする女性を探したりしてはいけない。

必要に触る場所に気を使うのもよくない。

しかし一方で、被災地火事場泥棒痴漢がいたように、機に乗じて性加害する奴が出る恐れはある。

確率的に必ず存在しうるのは否定しようもない実態だと思う。

現状、女性ばかりが見捨てられ見殺しにされている。これは明白な女性差別であり女性の生きづらさだ。

俺は、たとえ疑われようと覚悟の上で助けるつもりでいる。そんな自分に胸を張っている。えらい。

救命経験者のあなたの前で言うのもおこがましいが・・・

どうか皆んなも男女平等を実現してほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 20:35

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2025-02-17

マジでガル信者ってどういう神経をしてたらこういうヘイト創作を描けるんだろ

完全に被害者加害者立場を入れ替えてるじゃん

ジョジョパロディするなら普通ジョースター卿がジオン

事故現場火事場泥棒しようとしたデギンダリオだろ?

ヘイトヘイトだとも思っておらず、加害者である自分達こそが真の被害者だとナチュラルに思っているから凄い(褒めてない)

きくた

@kikutainkisa

楽しいザビ家

⚠️謎時空

⚠️氵"ョジョネタあり

https://x.com/kikutainkisa/status/1891108010447220793

Permalink |記事への反応(0) | 00:38

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2024-12-11

イスラエルが大暴れしているな。

火事場泥棒的なシリアへの侵攻(だよな?)とか、

あいつらの頭の中はどうなってんだ?

おそらくは、

「敵を叩かなくちゃ、

 やられるのは俺たちのほうなんだよ!」

という過剰な自衛意識と、

政権首脳部の戦争を止めたら、

裁かれる自分達への恐怖と保身が原動力なんだろうが。

もういくとこまでいかないと止まらないのかもな。

でも結局さ、

どんどけ敵を殺したところで、

どんだけ敵の武器破壊したところで、

最終的な平和は決して訪れることはないんだけどな。

そこに気づく日は果たしてやってくるのかどうか。

Permalink |記事への反応(0) | 12:49

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2024-11-28

一般人平時に貸金庫の中身を狙うのは流石に無理であろうが、災害時とかの火事場泥棒の際には銀行の貸金庫を狙えば、被害の全容が掴めず盗り得だな。

Permalink |記事への反応(1) | 12:58

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2024-10-06

anond:20241003162705

羽生結弦は、野球部イジメられた逆境から立ち直って見返した努力家だから、そんなに嫌いになれないんだよな。東日本大震災被災地火事場泥棒した野球部と違って、羽生寄付ボランティアで励ましてたし

まあ結婚は失敗したけど、それはそれで彼も完璧じゃない所があるってことだ#羽生結弦https://t.co/tYIFR5eokTpic.twitter.com/1TVZfB9XrTいろどり豊 (@KK0TrEXg0RcXgOe)February 23, 2024

https://pbs.twimg.com/media/GHCimmyasAIdbzR?format=jpg&name=small

Permalink |記事への反応(0) | 22:33

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2024-08-28

anond:20240828140558

男性による火事場泥棒的性加害の恐れはある(被災などでもあった)。

今回のケースは分からないけどね。

から、いわゆる善きサマリア人法には反対。

同時に、女性へのAEDとかで人垣を作れとかいうやつにも反対。

女の救命時には女を頼れとかもあり得ないと思ってる。遅れれば女性死ぬじゃんね。

Permalink |記事への反応(1) | 16:28

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2024-05-19

ぼくの考えたクソなろう系タイトル選手権

敵対ギルド内緒放火しまくっていたらバレて追放されたので火事場泥棒セカンドライフはじめます

Permalink |記事への反応(0) | 03:16

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2024-05-12

コロナ禍の鬼滅フィーバーを実感して思うこと

結局エンタメに関わる人口が増えるタイミングで打ち出したらこういう分不相応に伸びるんだなってのがわかる

火事場泥棒になることが売れる秘訣とも言っていい

震災後のLINEコロナ禍のUber Eats

火事場泥棒けが勝者になれるのだ

Permalink |記事への反応(0) | 13:02

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2024-01-29

anond:20240128235741

こういうの俺も絡まれたが

火事場泥棒と変わらん。

虫だと思って機械的ブロックした方がいい。

Permalink |記事への反応(0) | 20:20

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2024-01-27

結局、死刑賛成ってお気持ちしかないんだよな。

死刑は金がかかる。

死刑に抑止効果はない。

死刑にしても遺族は気が済まない。

死刑執行しても被害者は生き返らない。

もう死刑にするメリットなんて何にもないのに未だに死刑に賛成してるってことは

結局「ムカつく凶悪犯をギタギタにして殺してやりたい」というだけなんだよな。

ほら、このあいだもなんかラッパーが気軽に「火事場泥棒は殺せ」とか言ってたじゃん。

あのノリだよね。

ヤンキーが「ダチに手を出した奴はぶっ殺してやんよ!」ってイキがってるみたいな。

まあ義憤の表明って気持ちいからね。しゃーなし。

でも司法はそんなヤンキー義憤で動かしちゃいけないわけじゃん。

大人になろうよ、みんな。

Permalink |記事への反応(1) | 10:47

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2024-01-23

自販機破壊で1人から謝罪、弁済求めず

うわー、火事場泥棒黙認お咎めしかよ。何かしら罰与えとかないと次震災起きた時に自販機と言う自販機全て荒らされるぞ。

Permalink |記事への反応(1) | 16:01

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2024-01-21

読売誤報連呼してた人達は?

ブックマーカーにも読売誤報呼ばわりしてた人々がいたよな。

頭の中の火事場泥棒を殴るために振り上げた拳を、下ろせなかった連中。

彼らはどこに消えたのか。

あいブクマカこそ、しれっと態度をサイレント修正してるよね。

新聞社反省させようとするくせに、ブクマカ同士では反省しようとしないの、なぁぜなぁぜ

anond:20240121194451

Permalink |記事への反応(3) | 19:57

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自販機破壊、落としどころが難しいよな

咎め無しにしたら火事場泥棒を認める事になる。

Permalink |記事への反応(1) | 17:16

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2024-01-20

anond:20240120223613

事後孔明だけど、私なら最初火事場泥棒に熱くなって怒っちゃったら、新聞誤報可能性が出た時点で、謝って手を引くと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 22:44

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anond:20240120204908

火事場泥棒!? 許せん」

事件性なし?誤報じゃん読売許せん」

「『被害届け出されました』だと??読売許せん」

振り上げた拳を、自分向かって振り下ろせない人々。それが、はてなブックマーカー

Permalink |記事への反応(2) | 21:00

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anond:20240107211620

おーーーーい増田ーーーーー


読売の誤報信じて善意の人間を火事場泥棒扱いしたブクマカは反省しろ増田ーーーーー


最新の状況について君の意見を聞きたい

Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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anond:20240120141231

当時学校関係者はおらず、校長ベンダー許可してないんだから許可があったと勘違いしていた」と言えば火事場泥棒が罷り通ることになるな。

Permalink |記事への反応(1) | 14:16

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anond:20240120140418

火事場泥棒って知ってる?

Permalink |記事への反応(1) | 14:11

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anond:20240120081924

なんか中の現金も取られてたとかだった気がするんだけど、そこはどうなんだろう?

どっちにしろ火事場泥棒し放題みたいな事になるからな、なんらかの法的な判断は下されると思うけども。

Permalink |記事への反応(0) | 09:02

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石川避難所自販機の件、自販機からなんか壊してOKみたいな空気になってるけど

震災発生からわずか4時間、渇いて飢えてるわけでもない段階で

近所の商店シャッターと扉を破壊して侵入して商品強奪していったら完全に火事場泥棒だよな

Permalink |記事への反応(2) | 08:19

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2024-01-11

anond:20240111203132

家の片付けとかどうするんだよ

避難できるってことは逆に被災地へ誰かが来れるってことだぞ

3.11でも被害があったように火事場泥棒を考えたら

から離れるのは厳しいところがあるぞ

Permalink |記事への反応(2) | 23:07

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