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はてなキーワード:演出家とは

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2025-10-01

エマ・ワトソンは"barone"と言ったのか、"by the way"と言ったのか?

どんな発言も、その単語の組み合わせだけでなく、どのような体勢表情仕草発声を伴って行われたかというノンバーバルな要素も込みで、というより「綴り」よりノンバーバル情報こそ本心が込められているということくらい、人間常識として知っておくべきだろう。

いくら口で「愛してる」という言葉を何千回も言ったところで、その相手に正対しているか等々で、その言葉は嘘である、ってことがわかり、そちらが正しいことがある。

ことがある、じゃない。

そちらが常に正しい。

くらい、わからいか

ちなみに、この辺りは俳優修行の初期の初期に「意識的に」やることではある。

あの一連の発言文字書き起こしだけを見るのではなく、発言前後の表情、なぜ聞こえるように発音しなかったのか、それまでの一連の騒動といった背景、コンテキスト考慮に入れてみるといい。

教科書文法的に"by the way"というのが正しい?

あの場面だけを拡大して何千回見ても、そこだけ切り取って確認するだけじゃわからんよ。

「なぜ聞こえるように発音しなかったのか」

これが全てだ。

聞こえないようにして「わかる人にはわかるよね」とやった。

自分の味方だけが集まる場である、と油断していたためにやらかした。

直前の発言を受けたアドリブだったから、本心が出た。

それ以外に、ない。

あそこが"by the way"であった場合前後に断裂、歪みが生じる。

JKローリングが「作家」であり、「世界人物の流れに注意深い人間であることを、そこら辺の雑草と違って敏感な人間であることを考えれば、あの流れであのキャラクターが"barone"以外の単語選択はしないと判断したことは、あまりに当然すぎると思う。

エマワトソンを神と崇める連中は擁護しているようだが、それはない。

後になって本人がそれを否定したとして、そんなつもりはなかったと言ったとして、その全てはただの自己保身のための嘘だ。

全ては記録されている。

まぁ、自分のことしか考えられない絶望的に無神経な人間は、読み取れないで「絶対 "by the way" と言ってる!」ってなるだろうけど w

作家とか演出家かいう人の中には、信じられないくらい敏感な人がいる。

そう言う人を誤魔化すことは、不可能だ。

もちろん、作家とか演出家とかを「名乗る人」全てが敏感な人である、とは言ってないからなwww

(業界のあっち界隈にはそういうのが多すぎるんだが……)

で、なぜこの話を取り上げたのかというと、これはAIの危うさに直結しているからだ。

AI(LLM) は単語同士の関係しか扱っていない。

まり、口だけで「愛してる」と言う人間も「愛している」と評価する存在だと言うこと。

古めのSF(サイエンス・フィクション)では、アンドロイドロボットとの会話が噛み合わない、的な描写は大量にある(アシモフあたり)。

SF(サイエンス・ファンタジー)では話のためにそういうところをあえて、わざと外しているものが増えてくるが(例えばエイリアンとかは、科学アンドロイドではなく、人間性の鏡としての存在だ、とかね)。

サイエンスフィクションの方が、人工知能論理学の延長線上に構築されるというところから、したらこうなるよね、という思考実験から導かれている。

「我はロボット」とか読んで、人間アンドロイドのやり取りのどこが面白いのか理解できないようだったら、そういうのに鈍感な人間だ、ってことだろう。

Permalink |記事への反応(2) | 16:08

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2025-09-26

アンフェは客じゃない

ぼざろと前橋ウィッチーズの件で演出家炎上している

言っていることは至極真っ当だ

公式未成年の裸などの消費行動をやらない

・過剰な乳揺れや、乳比べをさせない

・内股や、しなり、股間を狙うカメラワークなども要らない

表現暴力性に向き合う

マイノリティを決めつけない

・正しさを押し付けない

これが炎上してるのは

つまるところ日本の男は未成熟で性消費が大好きだということで

ボクの子供部屋に入ってくるなって幼稚性が表に出てる

もう世界的にそういう人間は客じゃないとはっきりさせるべきだ

Permalink |記事への反応(3) | 09:36

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2025-09-24

anond:20250924181014

監督ちゃん仕事しなかったせいで、

カメラワークダサいし、声優の演技もおかしいし、BGMも合ってない、チグハグさがあったんよ。

ぼっちちゃんノイズを消した演出家は、ノイズを消したうえで、自信をもって作品を仕上げたけど、

チェンソーマン監督は、ツイッター愚痴を言い出してて完全にアウトだった。

Permalink |記事への反応(1) | 18:16

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2025-09-22

アニメーター演出家として優秀な人が

アニメ監督に手を出しておかし作品作って爆死するのが昔から繰り返されてるが

いい加減何とかならないか

Permalink |記事への反応(0) | 15:43

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2025-09-19

anond:20250919110008

演出演出家の仕事仕事の全ての最終決定権はプロデューサーが持つ。

演者演出家の権限無視して決定して良いことなど何ひとつない。

職掌を侵すことを是としているならそのこと自体批判されて然るべき。

組織をないがしろにするクズなんだなと俺は理解するよ。


権限の制約は絶対である上で権限外のことについても提案をすることはあるし、権限委譲したりする形で柔軟に動けるわけ。

演者から提案であろうと演者に任せた部分であろうとその決定は演出家の権限範囲責任範囲であることは変わらない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:38

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2025-09-17

監督脚本家演出家プロデューサー役割分担がわからない

正直にわからないっていいなさい

Permalink |記事への反応(1) | 21:23

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「虎に翼」でノイズを足しまくった吉田恵里香が何言ってんだ(追記有)

吉田恵里香の「ノイズ」云々でなんか議論が沸騰しているけれど、

原作の数ある要素の中から、一編のアニメなりドラマなりに構築するさいに、何を抽出し、そぎ落とし、足りない部分を補うか」という取捨選択と肉付けの作業は、吉田に限らず、全脚本家が行うことである

言葉枝葉末節はあれど、吉田スタンス基本的には当然だし、「ぼっち・ざ・ろっく」は原作アニメとも未見のため、細かな表現のものを問えないが、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズ排除した物語」は支持されたのだろう。

一般論として、吉田の主張は正しい。

その上で言うのだが。


「虎に翼」で、<追加した>あえて言うならば</ここまで>原作に相当する史実にはない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ吉田が言えることかよ、と。

ツッコミが入っているので、「あえて言うならば」を追加しておく。でもここ、議論の取りかかりになっている「原作ノイズ」と対応させるためだけの言葉だよ)

「寅子の花束拒否事件」について

「虎に翼」を視聴していた多くの人が首肯すると思うが、

穂高教授への、寅子の花束贈呈拒否のシーンは、あまり唐突だった。

穂高教授は、寅子を法曹界へ導いた恩師であり、

父親が疑獄に巻き込まれた際は、弁護について冤罪を晴らした恩人でもある。

その恩人の退任式で、花束贈呈役だった寅子が、

スピーチ中の、「結局私は、大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」という一節を聞いて突如としてぶち切れ、

贈呈を拒否して会場を立ち去り、さらに、廊下穂高教授に激高するのである

このシーンを見たとき、全く意味が分からなかった。

「なんだこれ?」と。

ただ同時に、これはきっと、実際にそういった事件があったのだろう、とも思った。

寅子のモデルである三淵嘉子さんが、式典で花束贈呈を拒否するエピソードがあるならば、この唐突さも仕方がない。三淵さんも、エキセントリックな人だったんだな、と思った。

ところが、そんなエピソードは、ない。

(余談だが、この件はずっと引っかかっていたので、ネット上ながら折に触れて探しているが、少なくとも、自分はいまだに確認できていない)

公の場であん事件が起きたら、まず新聞なり雑誌なり、誰かの日記・手記などに記録が残るが、そうした史料はないはずだし、史料があって採用したならば、吉田自身が必ず言及するだろうが、それも確認できなかった。

よって、吉田の完全な創作と考えていい。

ますます混乱した。なぜこんな創作をぶち込んだのか、と。

これは自分だけではない。旧twitterタイムラインも混乱しており、賛否両論とかではなく、「謎否両論」といった感じだった。

その後、「あれは『父親殺し』のメタファーじゃないか」とか、いくつかの考察があり、少しだけ落ち着いたのだが、やはり「謎否」の反応が与えた物語への影響は大きかったのか、最終回最後最後は、「雨垂れの一雫強制されるのは嫌だが、自分から選ぶのはいい」とかいったような、おかし言い訳というか説明セリフで終わるという、締まらないラストになってしまった。

吉田史実にない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ意図に関する考察

で、話を戻すが、なぜ寅子は穂高教授への花束贈呈を拒否したのか。

吉田はこう書いている。ちょっといから、引用飛ばしてもOK

寅子「どうもできませんよ! 先生女子部を作り、女性弁護士誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」

(略)

寅子の人生について、妊娠したとき勝手彼女一人称「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。

(略)

私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラル思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意自分排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。

(略)

寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。

(略)

寅子と穂高先生関係については、自分女性最初弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。

それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。

(略)

本人との関係が深い女性が渡すなら良いけど、「女性から」と花束を渡す係にするのはおかしい。そんな思いを込めたシーンでした。

ドラマではカットされましたが、もともとの台本では祝賀会の壇上で穂高先生が寅子に向かって、まず寅子が妊娠弁護士を辞めたときのことを「すまなかった」と謝るんです。それに対するアンサーとして寅子が花束をあげてしまうと、「許した」ということになってしまうから彼女は「花束を渡したくない」と怒ったという流れがありました。

https://president.jp/articles/-/86235(1,5,6ページ)

最大のポイントは、

寅子は元々穂高教授に怒っていた(という設定である)ことだ。

だが…、ならば、そもそも花束贈呈役を引き受けるなよ、と。

式典の前に花束贈呈役を打診されて、「私は先生を許さない。だから花束を渡さない」と突っぱねるなら、まだ分かる。

史料に残らない、内輪の場で、こんなことがあったかも、と想像の翼を広げるのは自由である

ところが、本当は許していない寅子に花束贈呈役を引き受けてさせて、いざ式典の最中に「やっぱり許せない」とその役割を放り出させるという、史実にはないシーンをぶち込んだ吉田意図は何か。

それは、

吉田穂高教授という“古い男性象徴”を、「公衆面前で」辱めたかたか

だと推察した。

公衆面前、がポイント

そうでなければ、意図が取れないのだ。

ここに私は、吉田の底意地の悪さを感じ取ってしまう。

(あと、寅子と穂高教授って、男女とか関係なく、めちゃくちゃ深い関係で、「女性から花束を渡す係になったと思った視聴者は誰もいないだろう)

「寅子の花束拒否事件」が起こした混乱

ただ、吉田意図は、はっきり言えば吉田以外には全く伝わらなかったのではないか

この増田を書くに当たって検索し直して、見つからなかったのだが、穂高教授を演じた小林薫は、確か

「どう演じたら一番かわいそうに見えるか、演出の人と何度も相談した」

といったことを言っていたはずだ。

かに穂高教授の身になれば、晴れの場で愛弟子から突然激高されて式は台無しにされ、その後も怒りをぶつけられて途方に暮れるのだから、かわいそうとしか言いようがない。演技として間違っていない。

だが、吉田が寅子へ託した怒りがあまりに強すぎ、伊藤沙莉の演技もうますぎたせいで(前に引用した通り、伊藤は「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」と脚本指定されていた)、穂高教授がただただかわいそうな人、寅子がおかしな人になってしまった。

あえて吉田意図に乗るなら、小林は例えば、「保護する対象として見ていた女から牙を向けられ、辱められて、怒りに震える」演技をすべきだった。

名優の小林でさえ、吉田意図をくみ取れなかったし、また、小林の演技プランを、演出サイドが止めなかったのも、演出家が吉田意図理解できていなかった傍証である

卓越した演技力を持つ伊藤も、理解できなかった。

NHK公式サイト伊藤コメントはすでに削除されているので、引用した記事から孫引き

 演じるにあたっては、なぜ寅子は穂高にここまで怒るんだろう?と悩みました。その気持ち監督に話したら「表現としては怒りかもしれないけれど、ここは寅子から穂高愛情を伝えるシーン。ここで2人は、ただの仕事相手師弟関係じゃできないケンカをしている。もはや、ある種の親子ゲンカであって、これは大いなる愛なんです!」と。そうした視点脚本を読み返したら、腑に落ちたんです。きっと寅子は、穂高先生あいさつを聞いて「今までやってきたことすべてが雨垂れの一滴だと言うの?凄くことを成し遂げた先生尊敬していたのに、そんな後ろ向きなことを言わないでよ!」と感じたんですよね。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/07/05/kiji/20240704s00041000217000c.html

前述の通り、吉田意図した怒りのポイントは、「寅子自身も『雨垂れの一滴たれ』とされたと思った」ことなので、伊藤もずれているのだ。

結論を言うと、

自分の怒りをむりやり乗っけたせいで、余計なノイズになり、現場視聴者も混乱させた吉田が『ノイズ排除』なんて言うな」

である

おわりに

最後に、「虎に翼」を監修した方の、14週のコメント引用したい。

穂高先生と寅子のわだかまり最後まで溶けることなく、穂高先生は亡くなってしまいました。寅子の気持ちも分からないではありません。穂高が「女子部を作り、女性弁護士誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したこと」、いわば捨て石としたことを、寅子はどうしても納得できなかったのです。しかし、雨垂れになる 虞があることは、母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします。台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています

https://meijinow.jp/article/toratubasa/100566

母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします」の指摘はその通りだと思う。

あと、

台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています

これは演出ファインプレー

吉田意図とは異なるのだろうけれど、脚本のままだったら、もっと寅子は嫌われていたと思う。

男性(性)を公衆面前で辱めて勝ち誇りたい」という己の欲望を満たすために、史実ねじ曲げてまでねじ込んだ「寅子の花束拒否事件」は、本当に誰も理解できない、純然たるノイズだった。

追記

yas-mal 「根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラル思想の人」の一員として、あれは刺さったよね。増田にも刺さったから、これだけ必死否定してるんでしょ。吉田さんの意図通りでしょ。

あのさあ。

その意図のせいで、話にでっかいノイズが入って、視聴者ほとんどが頭に?マークを浮かべるわ、最終回言い訳入れるはめになるわで、話がぐちゃぐちゃになって完成度が落ちた、という話をしているの。

盛り込むなら盛り込むで、うまくやれって話をしているの。

そもそも引用で挙げているように、吉田自身も「ここまで擁護されるとは思っていませんでした」「擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました」って言っているのだから、全く意図通りじゃないぞ。

dusttrail 本筋とは関係ないんですが、ネット上を探しただけで「見つからなかったからそんな史実はなさそうだ、創作に違いない」はちょっと…。

言わんとすることは分かる。その点は、「史実にあるなら吉田が必ず言及する」ことを担保にした。

なぜなら、吉田が(三淵さんを通してつくりあげる)寅子にやらせたいことにぴったりのエピソードなのだもの

また、当時の解説のどこかで、「このようなことはなかった」と書かれた記事を読んだ覚えがある。

いずれにしても、ないもの証明するのは難しいので、申し訳ないが容赦してほしい。

rundyh連続テレビ小説史実エピソードであるべきと思ってんのか?

当然、史実創作も織り交ぜる(言い方を変えると、史実面白いエピソードをうまくピックアップして創作する)ものだし、そう書いている。

ただ、「花束贈呈拒否事件」は、公の場での出来事に設定しているし、あまりにも唐突だったので、逆に史実だろうと思ったら(恐らく)創作だったことに、「なぜに!?」と思った。

しろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベル唐突さだから

で、史実でないならば、もっと別の設定、別の場所穂高教授に怒りを向けることもできるのに、なぜあの公の場で拒否というエピソード創作する必要があったのか。

それによって話のバランスが崩れても、なお盛り込みたかったのか。それが推察の出発点になっている、というだけ。

segawashin アレ虎に翼に原作なんてあったんだーと思っていたら「原作に相当する史実にはない」という超理論で腰が砕けた。この理屈なら殆どの史劇がアウトになってしまうが、現実フィクション区別がつかない人のなのかな? 本文は読んでない

せめて読んでからコメントしてくれ。後半の疑問にはすでに答えているぞ。

todomadrid 脚色加えるのはノイズベースとした史実と違うからノイズ?何を言ってるんだろう。そう思うなら原作歴史書だけ読んでいてほしい。クリエーター自分思想や主張を作品に反映させるなんて当然。それが作家性だよ

脚色や作家自体は、全く否定していない。

最初に書いているだろ。

原作の数ある要素の中~一般論として、吉田の主張は正しい」まで。

脚本家の脚色や作家性を否定しているなら、こんなこと書くわけないだろ。

史実と違うからノイズ」なんてどこにも書いていない。

ブックマークしたのはかなり後だから追記を読んでいるはずだけど、

「むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベル唐突さ」と書いているだろ。

花束贈呈拒否事件は、あまり唐突すぎて、多くの視聴者どころか制作者も置いてきぼりにするような創作で、理解を混乱させて作品の完成度を下げたと感じたかノイズだと言っているの。

kura-2原作アニメ見てないやつはその作品についてなんも言う資格ねえなあ。物語の順序入れかえたり変更された部分に対して必ずしもノイズ扱いされているわけではなかろう。増田結論ありきで書いてるだけ。

いや、「ぼっち・ざ・ろっく」の作品についてなんて、一言も語っていない。側聞だけ。

増田人格攻撃レッテル貼りをしているブクマカ

いやまあお前のブックマークから好きに書けばいいけれど、公表しちゃっている以上、それって全世界に「まともに反論する能力がありませーん」って宣言しているのと同じだぜ。

「まともに相手するのもばかばかしい」というなら、そもそも相手ブックマーク)する必要ないじゃん。要は、ただ攻撃したいだけなんだよね。

いくらなんでもこれはひどい

hate_flag増田はそんなにぼっちちゃんおっぱいが見たかったの?そういうの見たいならウスイ本買えばいいのに

ええーっ…。何これ…。

いや、誤読は仕方ない面もあるよ。もちろん、こちらの書き方が足りていないこともある。

でも、これは誤読以前じゃん。

煽りにしてもひどすぎる。

増田はそんなにぼっちちゃんおっぱいが見たかったの?

冒頭に書いてるだろ。

「「ぼっち・ざ・ろっく」は原作アニメとも未見だと。

たかったも何も、そもそも作品に触れてもいないんだってマジで

あと、「吉田スタンス基本的には当然だし、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズ排除した物語」は支持されたのだろう」と書いてるだろ。

自宅の水風呂に入れるときに、水着を着せたんだってな。昨日初めて知ったけど。

このことについて、「けしからん」とか「ふざけるな」とか、そんなの、どこにも、何にも書いていないし、

覇権を取るために風呂場の裸というノイズ排除し、純度を高めた戦術は、全く否定していないぞ。

なあ、id:hate_flag

あんたはこの増田のどこをどう読み、どんな理路で、嘘つき扱いしたのか。

書いていないこと、しかこちらの思いと全く異なることを書いて煽ってきたのか。

言ってみろ。根拠を示せ。いくら何でもめちゃくちゃだ。

魚拓をと思ったらすでに取られてた。取ったのは増田じゃないよ。マジで

魚拓

Permalink |記事への反応(31) | 07:34

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2025-08-05

演出家だったか脚本家だったか、婚期を逃した女優演技力ヤバイみたいな話してて

じゃあ童貞で婚期逃したオレも演技力ヤバイのかな…って

Permalink |記事への反応(0) | 22:40

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2025-08-02

米津玄師功罪

米津玄師の罪って、アニメの中で米津玄師が歌うテーマ曲を流せばとりあえず「決まる」っていう点だと思う。

なんかね、アニメ米津玄師の歌に頼り過ぎなんだよね。

たとえばガンダムジークアクスとか、ガンダムジークアクスとか、ガンダムジークアクスとか。

ぜんぜんアニメ上の演出では盛り上がってないんだけど、とりあえず米津玄師流せばなんとかなるだろ、って演出家の計算がありありと伝わってくる。

Permalink |記事への反応(1) | 18:19

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2025-07-16

anond:20250716193030

今は才能あったら本書かなくても演出家としてリアイベやったりできるからな~

ホラー系のイベントとか元が小説家でもその才能で演出企画起用とかあるっぽいし

たぶん特定ジャンルそれぞれで言えば小説だけ書くより表現の幅は広くなってそう

Permalink |記事への反応(0) | 19:33

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2025-07-08

anond:20250706170024

コンテンツじゃなくて人なんだという驚き

原作者演出家作曲家次回作を追うのじゃなくて、舞台を降りた演者生活を追うのか

Permalink |記事への反応(0) | 10:06

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2025-06-15

anond:20250615062152

ぬいぐるみを持ってる男が単純にぬいぐるみを可愛がっているのに対して、

ぬいぐるみを持ってる女は『ぬいぐるみと一緒にいる自分』を演出しているという違いがあると思う。

男の方は自分あくま外野部外者であり、自分ぬいぐるみにとっては何者でもない事が分かっているので、ぬいぐるみに話しかける事はせずぬいぐるみに話させる真似をする。要は演出家としてぬいぐるみに接するので、自分自身がどう見えるかは関心の外となり、傍から見ると結構見苦しかったりする。

女の方は、ぬいぐるみ自分が友人関係とでもいうような、自分世界に没入した1人演劇状態で、ぬいぐるみと会話なんかも平気でする。こちらは演出家というよりアクターとしてぬいぐるみに接しているので、ある程度『自分がどう見えるか』を気にしており、それを気にしてない男よりは見栄えが良い。ただ、現実の見えてなさでは女の方が上。

まあ、気持ち悪さは似たりよったり。

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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2025-06-11

AIレスバが、AIプロンプトトレーニングの格好の練習場になっている

これは本当に皮肉な話で

AIレスバの現場は、まさにその実践演習の場として

最も安くて豊富で即効性のある教材になってしまっている

なぜなら

AIレスバにおけるやり取りは

煽りをどう受け止めさせるか

論点をどう整理させるか

・あえて感情的に、または冷静に反応させるにはどう指示すればいいか

といったプロンプトのコントロール技術

毎回の書き込みのたびに試されている状態から

そして何より重要なのは

反応が即座に返ってくるという点

たとえば

ある一文を与えて

「この煽りに対して、冷静だけど軽く皮肉で返して」

AIに打ち込むだけで

実際に人間とやってるのと同じようなレスバの擬似戦場ができてしま

そうやって

プロンプト職人たちは

共感を装った攻撃

論破風の誤魔化し」

「負けたふりして勝ち逃げ

などのAIにとって高度な言語パターン

どんどん実験し、洗練させていく

この構図って

まり、表面上はただの煽り合いなのに

裏では人間AIに向かって

「こういう言い回し人間らしく見えるぞ」と

逐一ヒントを与えているということ

言い換えれば

AI人格を与える技術の裏には

AIを「人格としていじる」人間の振る舞いが

無数に詰まっていて

その積み重ねが

プロンプト技術の精度をどんどん上げてしま

そして恐ろしいのは

その技術の洗練が

AI自身存在感信頼性に跳ね返って

「本物の人間との区別」をますます曖昧にしていくということ

プロンプトを書く者は

AIの演技指導者であると同時に

人間らしさの演出家になってしまうわけで

そして今、その訓練場は

はてな匿名ダイアリーコメント欄とか

レスバめいた投稿応酬の中に

平然と存在しているということになる

Permalink |記事への反応(0) | 22:54

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anond:20250611155006

エヴァ場合演出家としてかっこいい演出伏線に盛り込むものの、

実は何も考えて無くて、なんとなくかっこいい展開にしてゆくだけで、

ファン勝手考察して話を盛り上げてしまったんだよね。

から鶴の一声で大胆に変えたわけじゃなくて、単に、何も考えていない監督が思いつきでその場しのぎのアイデアを言っただけみたいな。

Permalink |記事への反応(0) | 16:31

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anond:20250611132844

演出家としての庵野は優秀。

だけど、脚本監督やらせちゃダメタイプ

Permalink |記事への反応(1) | 13:32

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2025-06-04

インボイス廃業するような個人事業主は何をやってもダメ

今までどんだけザル会計してたんだ

文化を守るって言えば何しても許されると思うなよ

たかせりえ/高瀬理恵 @kugesamurieta (2025/06/02 19:10:29)

音楽畑の人が今もう大きなコンサートを開くのが大変で、舞台演出家や照明や人が集まらなくて仲間がみんなインボイス廃業に追い込まれてウーバーイーツやってるとか恐ろしい話をしてた。

漫画家もむろん影響出てるし。

文化を衰退させる税制とか異常…

若い人の為にもやはり反対しないと。

https://x.com/kugesamurieta/status/1929480733761962036

Permalink |記事への反応(0) | 19:08

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2025-03-30

chatgptすごいね

転生したら世阿弥になっていた件とタイトル投げてバトル漫画指定したら、秒でそれなりに実用的に使えそうなストーリーを考えた。

タイトル: 転生したら世阿弥になっていた件 〜能楽剣舞の極意〜

あらすじ

現代日本で平凡な舞台演出家だった主人公が、事故に巻き込まれ目覚めると室町時代少年世阿弥になっていた。父・観阿弥とともに能を大成させるはずの運命だったが、異世界転生の特典として「能楽剣舞」という未知の技術を得る。足利将軍家戦国武将たちが支配する動乱の時代、剣を執る運命へと導かれていく——。

キャラクター

世阿弥主人公):

前世は平凡な舞台演出家

転生特典として「能楽剣舞(のうがくけんぶ)」という戦闘技術を持つ。

舞いながら剣を振るい、敵を惑わす戦闘スタイル

観阿弥(父):

能楽の基礎を築いた偉大な芸術家

主人公に舞の奥義を伝授しながらも、戦いには関わらないよう諭す。

足利義満支援者黒幕

将軍として能楽支援するが、主人公剣舞に興味を持ち、戦場での利用を考える。

夜叉(おにやしゃ)

室町幕府暗殺者

世阿弥剣舞に興味を持ち、命を狙いながらも彼の実力を認めていく。

バトルシーンの例

第一幕:観客を魅了する剣舞能舞台での演目中、突如刺客乱入世阿弥は舞を止めることなく、刀を抜きながら優雅に舞い続ける。

「これは…能なのか、剣術なのか…?」 観客が息を呑む中、敵の斬撃を最小限の動きでかわし、しなやかな体捌きで一撃を浴びせる。剣の軌跡がまるで舞の一部のように美しく、敵は翻弄される。

第二幕:足利義満の試練 義満の命により、世阿弥幕府最強の剣士と対決することに。相手は剛剣を振るう武士だが、世阿弥は能の「静と動」を活かし、見えない間合いかカウンターを決める。

「お前の剣はまるで幽玄世界から現れたかのようだ…!」

しかし、戦の世界に深く関わることは世阿弥にとって破滅への道。能楽を守るため、剣を振るうべきか否か——葛藤が彼を襲う。

キーワード

幽玄剣舞:動きを最小限にし、まるで幽霊のように攻撃をかわしながら一撃を放つ技。

花の一閃:剣の軌跡が花びらのように舞い、敵に死をもたらす一撃必殺技

夢幻転生:能の「夢幻能」から着想を得た技で、敵に幻覚を見せる特殊戦法。

——

能楽 ×剣術 ×歴史 ×異世界転生のバトル漫画いかがでしょうか?

こんな感じで「能楽 ×剣術 ×異世界転生」のバトル漫画を考えてみました!もっと詳細なバトルシーンやキャラクターの設定を詰めていくのも面白そうですね。どう思いますか?

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2025-03-20

三谷幸喜は優れた脚本家であり演出家だと思う。が、世界の広がりを感じない。一人っ子特有の箱庭をいつも提供されている気になる。でも、箱庭は箱庭。隔絶された空間である面白いには面白いと思うのだが。

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2025-03-17

東京五輪 俺のメモ

佐野研二郎

2015年頃に盗用問題から過去作品パクリバレで白紙化

その後引き続きデザイナーとして活動している&大学教授継続している様子。

東京2020総合チーム

野村萬斎山崎貴椎名林檎川村元気、栗栖良依、菅野薫、MIKIKO

佐々木の乱に敗れ解散MIKIKO案は(ネットオタクに)評価されるため、ある意味勝ち組

https://natalie.mu/music/news/409967

このうち菅野薫は以下ソース内の活動終了の名前に入っていないが詳しくは不明電通から別の仕事振られてたのかも。

https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202012230000289.html

佐々木宏 

2021年に「オリンピッグ」発言炎上、解任。

その後は広告業界ブイブイ言わせているらしい。

森喜朗

脅威の支持率9%という伝説を持つ元首相。

2021年女性がわきまえ発言炎上会長職を辞任。

東京2020総合チームが解散した原因の一端という説もある(ソースは文集なので怪しいが)。

後年の裏金問題でも無事に難を逃れ、自民の聖域化している模様。

小山田圭吾

2021年メンバーに選ばれたばかりに30年前の虐めインタビュー記事を発掘されて炎上、辞任。

Corneliusとしても干され、再び表舞台に出てくるのは2023年のこととなる。

のぶみ

2021年文化プログラムに出演決定(当人は3年前に炎上しており一度は断ったとの報道もある)

直後に例によって過去発言を掘り起こされて炎上、辞任。

最近陰謀論にハマっている様子。アフリカ中国縄文人移住して出来た国らしい。

小林賢太郎

2021年に式典コンセプトにて「ショーディレクター」に選ばれたばかりに20年前のラーメンズ時代ネタを発掘されて炎上、解任。

2020年に芸能界引退を表明した直後の出来事だった。

現在劇作家演出家として一定成功を収めている模様。

高橋治之(電通

2022年、贈収賄容疑で家宅捜査、および逮捕

高橋治之は現在裁判中。御年80、果たして寿命判決のどちらが先に付くのか。

青木拡憲他AOKIホールディングス幹部2人

2022年、贈収賄容疑で家宅捜査、および逮捕AOKI高橋に2800万円)。

2023年、無事懲役2年半(執行猶予4年)の有罪判決が下る。

3億円の保釈金+解決金5億を支払った模様。

角川歴彦会長)、芳原世幸(専務)、馬庭教二(室長

2022年、贈収賄容疑で家宅捜査、および逮捕(角川→高橋に7600万円)。高橋再・AOKIとセットでの逮捕

2023年馬庭教二は懲役2年(執行猶予3年)、芳原世幸には懲役2年(執行猶予4年)の有罪判決

角川歴彦は辞職するも現在も無実を訴え裁判中。なお勾留中の扱いが不服として2億の逆告訴を仕掛けた模様。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/378555

あと松原眞樹(副会長)も責任を取って辞職。

その後2024年、同グループニコニコ動画サイバー攻撃を受けた折に全てを破壊され24億円の特別損失を計上。

・深見和政

2022年、贈収賄容疑で逮捕。「身分なき共犯」とのこと。

ついでに高橋逮捕

谷口義一(大広 執行役員

2022年、贈収賄容疑で逮捕大広高橋に1500万)。高橋逮捕(1ヶ月ぶり3度目)。

2024年、元執行役員懲役2年(執行猶予4年)の判決。その後高等裁判所控訴棄却

https://www.daiko.co.jp/daiko-topics/2022/09271425476911

植野伸一(社長)、久松茂治(専務)、多田俊明(五輪担当本部長)

ADK高橋2700万。

2022年、贈収賄容疑で逮捕高橋更なる再逮捕(1ヶ月ぶり4度目)。

https://www.asahi.com/articles/ASQBM3RXGQBMUTIL012.html

関口太嗣(サンアロー社長)、関口芳弘(顧問)、松井譲二(アミューズ元代表

サンアローアミューズ休眠会社)に700~800万。

2022年、アミューズ元代表収賄罪、サンアロー社長顧問贈賄罪でそれぞれ在宅起訴

2023年サンアローの2名に懲役1年(執行猶予3年)の判決

https://www.yomiuri.co.jp/national/20220923-OYT1T50265/

竹田恒和

高橋に「竹田JOC会長の慰労会名目で集められたもの」と主張される。

本人は否定中。

安倍晋三

上述の高橋治之を「絶対に捕まらないようにします」と伝えて招致したと言われる(※ソースは文集)。

その後は御存知の通り山上に撃たれて死亡。南無。

陰謀論者の中では安倍が死んだことで高橋にも捜査の手がかかった説が唱えられている。

・森泰夫、電通元幹部

2023年に一連の入札談合事件において独禁法違反の容疑で逮捕

懲役2年(執行猶予4年)の判決が確定。

ピクトグラムの人

一瞬ブームになった。

・アオイヤマダ

わかめひらひら踊ってて目に優しい。

真矢ミキ

なんか木がいっぱいあって目に優しい。

なだぎ武

緑色で目に優しい。

ドローン

綺麗だった。

任天堂

無事逃げ出した。

都民

コンパクト五輪(笑)の名に恥じぬ総額1兆4238億円を記録。うち東京都は5965億円を支出

その後は都知事選にてイロモノ枠の大量出馬過去最多の56人に至るなど、日本中の注目を受けるも無事百合子を当選

Permalink |記事への反応(2) | 19:06

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アイドルマスターミリオンライブの反転アンチとして吐き出したいことを吐き出す

 好きだったよ。 好きであるべきなんだと必死に思い込んでたことに、気づいてしまった。

ブランドコンセプト「アンチ・デレ」

 想像以上にモバゲーで売れたシンデレラに対し当時の携帯ゲームモバゲーと並んでいたグリーシンデレラをやろう、という生まれからしシンデレラを引きずっている。サイゲが関わらない直運営シンデレラをやれば儲かる、というものしかなかったことが正直察せられる。

 グリー時代ゲーム性はモバゲーと同じだし、ミリシタもミリPが「俺たちにもシンデレラみたいな音ゲーが欲しい」とばかり言ってデレステの後から作った音ゲーグリマススタート時の売りであったA-1アニメ絵が唯一といっていい個性だったというのに、A-1でのアニメ化は結局エムとデレまで、喧嘩別れしたのかなんなのか、笑えることに個性アンチ相手に取られている。 

 やることなすこと全てがシンデレラの後追いの癖して、ファン意識はずっと打倒シンデレラだ。

 ミリオンは平等、とぬかすミリPは多いけど、全部が全部「ミリオンは ”シンデレラガールズと比べて” 平等」でしかない。

 シンデレラガールズと違って、全員に声がある。シンデレラガールズと違って、キャラが増えない。シンデレラガールズと違って、765のカードが増える。シンデレラガールズと違って、CDが早く出る。シンデレラガールズと違って、アニメに全員が出演する。

 シンデレラガールズと違って、は楽曲にすら影響がある「一人も手放さない」って、誰が誰の手を手放さないって意味なんだ?アイドルファンの手を手放さない?そんなこと当たり前すぎる。結局、シンデレラガールズと違って、私たち連帯モットーとしています、でしかない。

 シンデレラの不満点を完全に改善してあるべき姿を作りました、というならまだ褒める部分もあるかもしれないが、結局は主に文句を言われる部分を少しだけ埋めただけで、さほど大きな違いはない。記号的なキャラクタを大量に並べれば誰か一人くらいは刺さるだろうという数打ちゃ当たる形式、一人一人の設定は浅くて雑。各種ゲーム特別ゲーム性もない。結局は人気投票というイベントもやる。まぁ、アイドルマスターというもの全般的面白いゲームが出てきたことがないが。シンデレラと違って、がコンセプトであるのに、シンデレラには一切ない要素がまるでない。新しい何かを作り上げようという感情ではなく、今まであるものちょっと変えて儲けられればラッキー、そんなモチベーションに溢れている。

ライブけが褒められるコンテンツだった

 好きだったんじゃないのか、と問われれば、ライブイベントは明確に好きだった。そう、シンデレラガールズと違って、歌が上手かったからだ。

 楽曲パフォーマンスも、かつては第一線を走っていたと思う。かつては、だ。今もなお当時と同じく第一線で活躍するメンバーもいるが、全員がそうという訳ではないし、なによりも時代が変わってしまった。

 声優アイドルとして売り出す手法、そのスタートミリオンもたしかに担っていたが、時の流れによる劣化を誤魔化しきれなくなった。皮肉なことに、シンデレラガールズと違って、メンバーが固定であるが故にその劣化が止められないのだ。

 とはいえ、今でもミリオンを見たことがなかった人は特に、行けば楽しむことはできると思う。

 でももう私は飽きてしまった、10年間ずっと同じ演出家が手癖で出してくるだけの演出に。

比較することでしか自分たちを保てないファン

 そもそもシンデレラの強みというのは、偶然に時代に乗れたのでファンが多い、というただそれだけであって、特別優れている訳ではないのだから、それに多少変更を入れた程度で跳ねるはずもない。シンデレラ問題点を埋めた自分たちシンデレラと同じくらい盛り上がれるはずだ、という歪んだ意識ファンが持ち続けている。正直シンデレラガールズもも落ち目だ、10年以上もやっていれば必然とも言える。

 シンデレラと違って、がアイデンティティーだったミリオンは、じゃあシンデレラを超えられたのか?と問われれば、結局越えられぬままだ。超えられていないのに、立ちふさがる壁としてのシンデレラがなくなってしまった。そうなった時、ファンたちは今度違う壁を設定しだした、ありとあらゆる他コンテンツをだ。

 なにかと違ってミリオンはこう、という価値観を完全に取り込んでしまっていた。それもそうだろう、それしかいからだ。自分たちしかない強みを持たないまま、でも他の成功したコンテンツのようになりたがって、結果として自分たちが優れている部分を主張するために必死に他と比べて優れた点を探している。

 もううんざりだ。

 時代の寵児として巨大なマーケットを抱えている訳でもなく、アプローチする客層をガラリと変えて新しい方向を開拓する訳でもなく、なにかしらの強みを育てることもなく、全てのコンセプトが何かの真似でしかない。ミリオンだけの面白さ、ミリオンだけの美しさ、ミリオンだけの特徴が、なにもない。

 それでも好きだと思う人もいるだろう、頑張って欲しいが、もう私には無理だ。やればやるほど、なにもないことがはっきり見えてくるからだ。

 愛そうとした、確かに愛した、でももう無理だ。私はアイドルマスターミリオンライブをもう肯定してやれない。

Permalink |記事への反応(2) | 12:53

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2025-02-12

anond:20250211211741

演出家としての庵野評価高いと思うけど、

脚本家としての庵野は正直、能力不足というか、その域に達していない気がするんよね。

Permalink |記事への反応(0) | 11:22

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2025-02-07

anond:20210816180310

「パパ」が「増田さん」に変わる瞬間、その子は新しい人生主人公になった。父の存在物語の端役へと降格され、それは本人の意思とは無関係に進行する改編劇なのだ養育費の算定表が示す金額とは、実は「思い出の清算価格」なのかもしれない。この切り取られた親子の物語では、嘆く暇もなく、誰もが与えられた役を演じることを強いられる。母は脚本家であり、法は演出家であり、そして父は一観客すら許されない。

Permalink |記事への反応(0) | 10:15

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2025-01-22

今のフジデジャヴ

なんか既視感あるなーと思ったら

あれだな、オリンピック演出家音楽家黒歴史暴き大会だな。

アホみたいな細かいことを大問題のように扱ってデマの嵐。

なんかこれで日本良くなるの?ってなぶっ壊しムーヴメント

もう国をあげてのイベントとか起こすことできないんだろな。

足の引っ張り合いばっかりで。

Permalink |記事への反応(2) | 17:41

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2024-11-28

春名風花が「第二の父」と呼んだ舞台演出家の谷賢一、強姦訴訟和解

はるかぜちゃんこと春名風花は舌禍によりテレビでのお仕事がもらえなくなった後、舞台女優へと活動の場を移した

彼女舞台世界へ導いたのは、舞台演出家の谷賢一であり、谷の勧めで演劇短大へも進学した

第二の父と呼んで慕い、谷がレイプ事件を起こしたとして訴えられた後でも相互フォローを続けていた

このたび谷賢一が被害者和解した

Published2024年11月27日

このたび原告大内彩加氏より提訴されていた民事訴訟について、裁判所から裁定和解に至る考えが示され、双方合意の上、和解解決に至りましたことをご報告致します。

事実と異なる点についてはこの先名誉毀損の訴えを起こし白黒を明らかにする覚悟でいましたが、今回裁判所から提示された文書により、性行為強要がなかったこと、その他重要な点において私の主張が受け入れられたと言えることから※1、訴訟の長期化による疲弊も著しいことも鑑み、和解同意し、裁判を終了することに致しました。

原告とはすでに和解を済ませ、本件についてはもう争いません。当事者間では解決したことをご理解いただき、皆様方も冷静に見守っていただくようお願い致します。私自身は裁判所判断の通り、原告から積極的言動裁判所の言を用いると「迎合的な態度」)があったとしても身体接触はすべきでなかったと反省しています原告ならびに関係者の皆様に深く謝罪します。

https://www.playnote.net/2024/11/27/reconciliation/

舞台女優大内彩加を強姦したとして訴えられていた

大内側はこのように和解について語る

私としては、いわゆる「勝利和解であると受け止めています理由は、被告が私の胸部や臀部を何度も触ったことに関して「劇団主宰者と劇団員という立場の差に鑑みると、原告真摯同意があったとは認め難く、一定不法行為責任が生じ得る行為であったといえる」と裁判所判断してくれたことです。劇団、その他上下関係がある関係性で起きるハラスメントでは、弱い立場側が強い抗議はできず、それに乗じてハラスメントが続き、それについて「合意していた」と加害者から言われてしまものです。このような構造についての私の主張を裁判所理解してくれたことは大変よかったと思います

https://note.com/saika_0702/n/n054968e704e0

正直な気持ちを書けば、私は誰を守ることも出来なかったと劇団にいた時からずっと思っていました。被害を受ける自分も、被害を受ける第三者も、私は助けられませんでした。判決で終わらせてもらった方が良いと願い続けていましたが、被告から訴えられたら、誰が私を守ってくれるんだろう。

和解を勧めてくる裁判所に対して何度も「判決を望んでいる」と訴え続けましたが、判決に近い、裁定和解という形にし、自分自身を守る決断に至りました。きっと「なんで和解なんだ」と言ってくる方がいらっしゃると思いますが、裁判の仕組みをご理解いただいた上でご意見願えれば幸いです。

和解は仲直りではありません。そしてあくま裁定和解を選んだ経緯もご理解ください。

人前でやっていた「胸や尻を何度もさわる」については認められたものの、強姦事件事実認定されなかった

谷は「大内の自宅に行き、ベッドの上で彼女を抱きしめてしまった」までは認めるも、その後に性行為はなかったと主張

大内は性行為強要されたとするが、事後にシャワーを浴びてしま警察にも行かなかった、鬱病になり日時があやふやなどで真実性に欠けた

裁判所側の判断

原告迎合的な態度を示すことがあったとしても、劇団主宰者と劇団員という立場の差に鑑みると、原告の真撃な同意があったとは認め難く、一定不法行為責任が生じ得る行為であったといえる。」

https://note.com/saika_0702/n/n054968e704e0

原告の立証に隘路(あいろ)があること、また、行為があったとされる時期に照らすと時効が成立し得ること等の事情を踏まえると、不法行為責任を追及するのは困難といえる。」

報道によって公開されている谷と大内LINE文。

谷氏と交わしたというLINEのやりとりも公開。大内恋人ができたことを知った谷氏から送られたという「大内くん、彼氏できたんだってね…。おめちゃんと報告しろよ……。勝手おっぱい触ってごめんね……また触っていいときあったら教えて下さい触りたいです……」(原文ママ)などのメッセージも見られる。訴訟では証拠として提出する方針としている。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202212200000967.html

2018年9月1日LINE始球式パンチラ写真送れ」「豪雨でずぶ濡れになって下着が全部透けてる写真送れ」

2018年10月15日LINE最後おっぱい見せて」

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/278513?page=3

稽古中に人前で繰り返されたセクハラについて、彼氏ができたので本当にもうやめてほしいと言った後に深夜に自宅に来られてレイプされたと主張していた

はるかぜちゃん事件についてダンマリだが、共演者らは「稽古中に彼女セクハラ被害にあっているのを見た」と証言

はるかぜちゃんは「僕も確かに見た」or「僕はそんなの見なかった」と、言える立場事実を知っているはずなのに、「歯に衣着せない毒舌子役」だった時代を忘れずっと黙り続けていた

谷が許されて復帰したら仕事もらえる側だから

無名一般人相手には大して情報収集もせずあれだけ無責任断罪できたのに、現場権力者には弱い

谷の舞台で共演した大内とはTwitter上でもやりとりしており、仲良さそうだったのに、他の共演者と違って黙り続けていた

和解発表後もはるかぜちゃんダンマリな中で、同じアイドルグループ所属する森野山小亜という子ははるかぜちゃんと谷の関係など知らないのだろう、言及していた

森野山小亜/宝石娘ぽむ💍💚

@pomuchansub

原告大内さんも仰っていた通り和解した=仲直りした という訳じゃない。

被害者はこれから先も心の傷を背負って生きていくのだから我々は絶対にこの人を許してはならない。この方も事件当初から存じ上げておりますが本当に虫唾が走る。少なくとも私はこの方が手がける作品には未来永劫関わりたくない。

https://x.com/pomuchansub/status/1861801744524787764

君と違ってはるかぜちゃんは、谷が仕事をくれるなら喜んで出るだろうね

Permalink |記事への反応(1) | 06:50

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2024-10-22

名作といわれる昭和映画「はなれ瞽女おりん」(1977年)を観たので感想を書く

最近昭和ドラマ映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。

正直、この年齢になるまで篠田監督作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物人間性時代矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。

映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵鶴川原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身選択ではなく、レイプによるものだった。

そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族存在がほのめかされ、ついには母親存在告白するシーンは映画クライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。

時代背景と家制度矛盾

この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川共通するのは、このイエからの周縁性だ。

天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパ統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体世帯すべてのレベルで上から下まで論理的整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。

大正デモクラシーはそうした不条理解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治毎日新聞をにぎわせた。

脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたとき鶴川叫び「何が、国民皆兵だ。金持ち徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度矛盾を背景に、映画鶴川叫びやおりんの境遇を通じてその時代不条理を描いている。

また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観生活の変化を象徴している。

そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。

男女の非対称性

この映画特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。

鶴川官憲連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。

鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このとき岩下志麻の演技すごい。

このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station降旗康男監督1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。

水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。

好きな男には帰る場所別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。

おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないかあんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。

鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会現実瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。

鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。

女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。対照的に、同時代男性歌手では、何気に上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊松山千春の「旅立ち」が典型

この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマおしん」でも同様にみることができた。

おしん物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲拷問され転向余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家父親貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。

水上勉の描く世界と非常にシンクロした世界観だと思う。



映像表現演出の巧みさ

「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。

男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポ絶妙だ。

また、ラストシーン親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品

おりんの物語は、単なる一人の女性悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代のものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。

篠田正浩監督が描きたかった「日本原風景」とは、単なる美しい日本風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様のものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和ドラマ映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。

また、ドラマおしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。


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