
はてなキーワード:滋養とは
そこはインターネッツのいいところ。
私は年中サンマ情報を求めているのかインターネッツの凄いところにバレているのか分からないけれど、
こんな美味しい秋刀魚の食べ方あるよ!って。
情報が転がり込んできたの!
煮る秋刀魚!
なにこれその発送なかった!ってぐらい
蟹を煮るバーナーの火力を思い起こしたわ。
以前家でフライパンで焼いて部屋中が秋刀魚の香り漂う感じになっちゃってしばらく匂いが取れなかったって困りごとがあったの!
煮たら匂いでなくない?
これすぐ試せそうよ!
さすがインターネッツね!って
インターネッツでバケツが欲しいから検索して購入したにも関わらず、
ほら!バケツあるよ!たくさんあるよ!赤いのもあるよ!黄色いのもあるよ!って
私がインターネッツで買い求めてもうバケツ欲はすっかりなくなってゼロになったというのに、
このインターネッツリテラシーのある程度持ち合わせていると自身と確信と実績と信頼があったのにも関わらず、
そんで、
私はバケツ欲を満たすために届いたバケツをわーい!ってもって外に飛び出して、
今年の秋刀魚が豊漁すぎて、
市場から競りに掛けられてお店に並ぶために運ばれる乗せられたトラックの荷台からカーブで満載に積まれた秋刀魚がこぼれ落ちるの。
それを拾い集めるためのバケツ!
いくらトラックの荷台から秋刀魚がカーブで曲がったときに車体が傾いてこぼれたとしても、
家で焼いたら秋刀魚臭がマックスになるからもったいないなぁって、
文字通り指をくわえて眺めていたの!
でもそれもおしまい!
秋刀魚を煮たらいいのよ!って。
ああ~
私に秋刀魚を煮たらいいかも知れないって発想の転換がなかったら、
ねえねえ秋刀魚って煮てさ焼いてさ食ってさって
秋刀魚を煮るって発想が私、
これで本当に、
秋刀魚を焼かずにフライパンでお湯茹でて茹でたら美味しい茹で秋刀魚が出来上がって、
トウモロコシみたいに丸かじりするの!
いやそんなでっきわけないから、
でも私が知らなかっただけで、
だからもしかしたら10年前の秋刀魚界隈では煮る!ってのが定番だったのかも流行が今一周した瞬間!
秒針と分針と時間の針が一同に真っ直ぐ並んだ瞬間の
6時30分30秒なの!
うわー!
この瞬間きたー!
秋刀魚焼かずに煮るのよ!
秋刀魚力30000よ!
私の秋刀魚力は53万ですよ!の人には敵わないけれどね。
でも、
いいこと聞いちゃったので、
これなら3本ぐらいいっぺんに茹でられそうよ。
え?もしかして、
これ公式記録は今シーズンは昨シーズンの4本とほぼ並びの3本だったけれど、
まあこれは記録には残らない私の舌にダイレクトに伝わるピュアな記憶として残すべき秋刀魚遺産なの。
しかと味わってみるわ。
いまから本当に楽しみすぎて、
いや!まてよ!
偶然鮮魚コーナーを立ち寄った際に、
また偶然を装って、
じゃないと、
私の秋刀魚の気を感じて秋刀魚が恥ずかしがって隠れちゃったら悲しいじゃない?
鮮魚コーナーに行ってみようと思うわ。
3匹いや!3尾ぐらいならペロリと食べられそうなものじゃない?
私のサンマ煮て食べたら美味しいかものハードルを上げすぎたら、
上手にできなかったときに悲しいので、
ここも平常心を保って
フライパンにサンマハードルを上げすぎだろ!って気付かれない感じで、
しっぽりとサンマをいいお湯加減で茹でられるようにしたいものよ。
上手に美味しくできたら嬉しいな。
あとは
鮮魚市場から競り落とされたサンマが出荷されるトラックの満載の荷台から秋刀魚が落ちてくるのを今か今かと待つばかりよ。
バケツ買っといて良かった!
うふふ。
お惣菜でもよく見かけるのよ美味しいし、
自分でも簡単に作れそうだけど海老ってどうやっていいのか調理方法が分かんないので自ら作るってことはまだ成し遂げてないのよ。
たぶん「ゴレン」って字面に引っ張られてるだけよね。
きっとそうだわ。
こないだ冷やし忘れていたのを後悔したことを公開しないために、
もちろん、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最近やっぱり我慢していたエアコンタイマー運用し始めたのよー。
帰ったら暑いの嫌じゃない。
うーん、
でもそのエアコンの電源オンのタイマーの最大時間が12時間後なので、
もっとこれ、
それぐらい想定していなかったのかしら?って思うところが惜しいわ。
でも、
それでも幾分だいぶマシだわ。
帰ったら部屋が蒸してなくて
せっかくお風呂上がりでまた汗かくのもーって感じじゃない?
そうよ、
それまでは
お風呂に入っている間に部屋を冷やせれば!って
ってやってたんだけど冷えるのが追いつかないわ。
インターネッツ上から遠隔の操作でエアコンのスイッチを温じゃない冷にオンにできる便利機能があると思うのよね。
私のは旧型みたい。
暑いので食欲落ちているのかしら?と認めたら始まっちゃうので、
認めていない見て見ない振りをしているけれど、
昨日張り切ってチキンを買ってきたけど、
なんか食べる気が失せてしまって。
さすがにもったいないまだ次の日に食べられるので窓からは投げ捨ててはいないものの、
すっかり食べる気が失せているので、
え?これってなんか何かのサイン?
うわ。
バテ前の何かのサインだったらヤバめ山何合目かしら?ってところよね。
五合目までは車で行けっけど
なんかヤバめのサインが出ているので、
ここはうーんといっぺん睡眠をしっかりとるのも手だわ。
なんか
しっかりたっぷり寝た方が元気もりもりな気がするのよね?
気のせいかしら。
私自身は気付いていないふりをするけれど、
ああー、
これも全部暑さのせいよね。
絶対そうよ。
あと昨日帰り道に大好きなヨーグルトアイスバーを食べなかったせいもあるかもしれない!
今日はヨーグルトアイスバー買って食べるんだ!ってのを目標に頑張るわ!
うふふ。
ションテン上げたいじゃない?
黄色い元気の色にセクシーでヤミーなタマゴ味のサンドイッチ美味しいわ~。
元気出っかも!
薄めが好評なレシィピ通りに作った
あーもうこの暑さ。
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
張り切って食材をいろいろ買ってきたけれど、
なんか買ってきて満足で
以降なにもしない感じ。
結局キュウリはそのまま囓っちゃったわ。
気力がこの暑さで沸かなかったわ。
水道のお水は取り出した瞬間はお湯のように沸いているというのに。
買い物行くときにさ、
お腹空いたままだとついついなんだか多く買いがちな気がして、
結局ロスにロスしまくる
ロスしまくりまくりまくりすてぃーでもったいないなぁって思うのよね。
そして迎える消費期限。
水分の多い食材とかは、
思わず取り出したるや、
表面が思わぬキュウリとは言えない滑りを感じたの。
ああ、
やってしまったわー!って。
昨日さ、
プチトマトが1パックちょうどいい量のものがお値打ち価格の99円で売ってたのよ。
プリトマトあったら食べるじゃない?
スナック感覚で食べちゃうからすぐそれは消費しちゃうんだけど、
これってわざわざ北海道から長旅をしてくるほどそれは必要だったのかしら?って
遠路はるばるやって来たそのプチトマトの私はその味は
北海道の要素を感じることができなかったわ。
私が日と違う日に思ったことで今夢中になっていた鰻の肝の串焼きを昨日発見したのよね!
私が注目していた鰻特設コーナーに陳列されているわけではなくって、
普通にちりめじゃことかそういう系の隣にちんと座っていたので、
それを私はもれなく買っちゃったの!
やったー!
鰻の肝の串焼きの再会だー!って
嬉しい気持ちを串に刺して一緒にいただくかのように私はいつものように
横向き口裂けタレ女を演じながら美事に口角の両サイドにタレを付けて楽しみながら食べていたの。
そんで、
その鰻の肝ってどこからやってきてるのかしら?ってさっきの北海道産のプチトマトじゃないけれど、
見てみたのよ。
そしたら中国産で
いや今さら中国産がー!って目鯨を立てるわけではないそりゃー目鰻は目に見張るものがあるかも知れないけれど、
それはそれで、
その鰻って中国で育ったとしても
いきなりもう切り開かれて日本にやってくるのかしら?
それとも
私の想像だと、
中国で育って
中国でさばかれてもう焼く寸前のところまで処理されていて、
臓物もそのときに一緒に串に刺して冷凍しちゃって輸出先に送る?ってことなのかしらね?
中国産であっても、
ふとそう思ったの。
鰻トレーサビリティ!
それに鰻の生き血に毒があるって中二病じみたことなんて吹き飛んでしまうわ。
そして焼かれた我が身は滋養をもたらす!
とか言いたくなる季節じゃない。
あるところにはあるらしいけれど。
実質ないと思っていいわよね。
へー、
この北海道産のプチトマトの長旅の最終路は私の胃袋だってこと。
へーって思っちゃうわ。
張り切ってたくさん食材を買ってきたとて
くたくたになって
あちゃー!って話よね。
私のこれで得た知識の学びというかそれは、
鰻の肝の串焼きはもしかしたら鰻の土用の丑の日関係なくいつもあるかも知れない!?ってことよ。
また注意深くマーケットの鰻の肝の串焼き売り場を注目して見たいと思ったわ。。
何事も
張り切りすぎるのはダメね。
お腹いっぱいになってから言った方が無駄ない買い物できそうなのよね。
人は日々1つずつ賢くなっていかなければならないのよ。
うふふ。
お昼は梅おにぎり、
夏のお休み前のもう一踏ん張りよ。
くたくただわ。
あともう少しだから休み突入に甘んじて昨日は夜更かしちょっとしたけれど
日中にそれが堪えそうだわバテなければいいけれど。
この暑さでさらに追い打ちがかかるわ。
ふ~。
レモン炭酸水を朝に冷たいのを飲んでシャキッとシュワッとキメてきたところよ。
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
昨日は土用の丑の日だったじゃないってことを私は忘れずにいた暦の上では8月目前と言うところで、
ダッシュ一番!
電話は二番!
前回鰻の肝の串の美味しさに味をしめて、
それこそ今日はよし!鰻の肝の串買い占めるぞ!って勢いだったの。
でも、
でもよ、
昨日は鰻の肝の串焼きなかったの。
ぴえん!
そりゃ気持ちはカムチャッカファイアーってレヴェルかも知れないけれど、
ここは私の肝に銘じて、
大人しく引き下がることにしたの。
私の鰻の肝の串焼きは終わったわ。
前回の味が美味しすぎて忘れられなくて
また求めようとしたのに。
売ってなくって残念だわ。
来年もあるといいなぁーって
ここは海産物というか水産物変わったものを売っていることをたまに見かけるので、
品揃え油断できないのよね。
以前は鮪の尻尾の輪切りがあって、
イメージ的にはギャートルズのマンモスの輪切り!をまさに実写化したような感じで、
それの魚版!鮪版!って感じなのよ。
お鍋に一杯直径重なるぐらいの大きさで、
私はなんとか調理したんだけど、
それも美味しかったわー。
こんな部位のもの滅多に出回らないから面白いから買っちゃったら美味しかったって感じなのよ。
そのなかなか珍しい出回らないシリーズ化決定したのか分からないけれど、
その鰻の肝の串焼きもたくさん売っていて私はわーい!って両手放しで自転車に乗っていたの。
だから
昨日の寄ってあったら絶対に買っていたと思わせる
夏の青春!
期待していたのになくってなくって。
ちょっと苦味が効いていて滋味滋養が付いて夏を乗り越えるパワーになり得るはずだったのよね。
平賀源内先生は鰻の売り上げが下がる夏の時期にセールストークで鰻いかーっすかー!って
鰻の日を制定したけれど、
その肝も食べましょう!って
打ち出して串打ちして炭焼きにして食べよう!ってキャンペーンもセットにすれば、
もっと鰻の肝ももっと普通に食べられるレアアイテムにはならなかったと思うのよね。
もちろん、
焼き加減はレアじゃなくてじっくりと焼き上げた香ばしいタレをまとっているのよ。
ああ!
らーらーらーららーら~
それで手に持っているのは鰻の肝の串焼きなの。
らーらーらーららーら、
そのぐらいな美味しさ!
そんで鰻の肝の串焼きをペンライトに見立ててその小田和正さんの歌に合わせてらーらーらって振るじゃない。
ここで気を付けたいのがタレが落ちないように
そろりそろりとゆっくり振るの。
急に振っちゃったらタレが落ちるからそこは慎重にね!
私の夏はまだ始まったとは思えないけれど
終わった感じがするわ。
この8月に入った途端。
でも逆に考えるの!
来年の楽しみができたじゃん!って
鰻の肝の串焼き美味しかったから次はたくさん買おう!って思えるじゃん!
涙じゃないけれど
タレの数だけ強くなれるの!
だから貴重な焼き上がったエキスを含んだ鰻の肝の串焼きのタレはアスファルトに落としたらもったいないの!
だから
らーらーらららーらー言葉にできない。
ってときにそっと慎重に串を持って振るの。
もし美味しいタレの雫が落ちてしまったら、
あーあー、
私が一番今所望したいものよ。
これを糧にしてこの夏をのりきるしかないわよね。
鰻の肝の串焼きまた食べたいなぁー。
ああ!
私の夏の思い出の1ページが前回の丑の日に続いて鰻の肝の串にまたなっちゃったわ。
そんでさ、
私は、
そういう意味ですっ!って堂々と言えると思うのよね。
だから、
もしちびっ子が今年の夏休みの絵日記に鰻の肝の串焼きが2回登場することがあったら
鰻の日が2回あったんだなって思い出して欲しいの。
それが夏の思い出よ。
あーあ、
鰻の肝の串焼き食べたいなぁ。
うふふ。
今日は朝は曇りがちだったので
昼間はどうなるか分かんないけどー。
1ケース届いて1ケースは行方不明になっているわ。
とりあえず、
1ケース来て冷やして飲んだレモン炭酸水はシュワッとキマって絶好超よ!
もうさ、
とにかく、
水分補給はしっかりとね!
ってしか言えないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
明日が怖いけれど。
まあ今日は引き続き休日を楽しめるようにする楽しさを得るようにするわ。
こういう時にしか出来ないことやりたいじゃない。
いや違う違うそうじゃないの。
ションテンあげていろんな本見漁ってみたいなぁって思ったのよね。
あれもいわば目の地味滋養というか、
へーいろんな本が出てんのねって。
でも買ってまでは読まないレヴェル。
あ!そうそう。
昨今少なくなってきているけれど、
電車内で新聞紙を広げて読んでいる人ってほとんど見かけなくなっちゃったことないと思わないとは言わせないよ!
あと、
紙の本を電車内で読んでいる人も。
新聞は広げて読んじゃうとなんか年齢層ベテラン感を一瞬で漂わせてしまうその新聞から纏ってしまうけれど、
文庫本とかだったら、
お利口にものすごく賢そうな人と思われそうじゃない。
しかもさー、
私その時見かけた人が、
カバーを外して
カバーを外しちゃったら、
逆になんの本を読んでいるのか分からないじゃない。
カバー剥がしも意外と遠目からじゃなんの本をこの人は読んでいるのかさっぱり分からないので、
ただただ、
なんか紙の本を読んでいる!って勢いだけが周りに伝わってくる、
電子書籍反対派ではもちろん私はないんだけれど、
ぱっと見のお利口さんに見えるスタイルとしては紙の本の方が知的なイキフン?雰囲気?そういうものを漂わせられると思うの。
なんか、
その人電車内で、
文庫本の行を目で追っていく様子が目線で分かるぐらい一生懸命読み込んでいて、
逆にそんなに夢中になって読みまくりまくりすてぃーな本それ何何?って興味津々寺の住職もそう思うはずなレヴェル。
挟んで使っているであろう右手に持った栞も、
最初から本を買ったときにおまけで付いている紙片の栞じゃなくて、
もしかしたらその人のお気に入りの栞的なもの赤い栞を持っていたわ。
そして
ある程度電車が進んでいったところで、
私はその人より先に電車を降りたから以降見てないのでわからないけれど、
エレガントに知的の塊に見えて、
もうさ、
夏休みやってる「世界ふしぎ発見!展」に行ってボッシュート体験をしたいぐらいなのよ。
行きたいなぁー。
全国巡回展やんないのかしら?
もうそのぐらいインスパイヤザネクストとボッシュートが一緒にやってくる感じよ。
その時の電車に乗っている人が読んでいた本の題名をミステリーにするわ。
そして、
あの有名なみんなも絶対に耳にしたことがある世界ふしぎ発見!のファンファーレが鳴るの!
ふぁふぁふぁふぁーん!って
世界ふしぎ発見!が始まる予感に胸踊る瞬間!
もし私の近くの近所にも世界ふしぎ発見!展やってきたら見に行きたいなぁ。
もうさ、
あれなんだったっけ?
ゲーテの本を小脇に抱えていたら賢そうに見える現象青木まりこ現象だってことは絶対違うと思うけど、
そのぐらいトミー・フェブラリーの川瀬智子さんが掛けている赤いフチのメガネ。
それも一緒に装備したら本と相まってものすごく賢そうにみえるじゃない。
ぜったいに番組中の3問だっけ?4問ぐらいのミステリーを探すのは大変だと思うわ。
それこそ何を見ているのか千差万別じゃない。
本当にお利口そうな本を読んでいる人もいればパズルゲームをしている人だっているだろうし、
だけど、
外側から見たら、
みんな一緒の姿のスマホを眺めている光景のシーンにしか見えないので、
ざっくりいうところのみんな一緒のことをやっていると私達も勘違いしがちなのよ。
あ!
この人のスマホ一体何を見てるんでしょうか!って
立派なミステリーになると思うわ。
なんかさ、
思い出しちゃったんだけど聞いた話で、
航空チケットをスマホで取ったのをやり取りが上手く出来なくて取ったスクリーンショットを見せたんだって。
でも不意に画面をめくっていって良からぬ画像を彼女に見せちゃったらしくて、
それがセクシーキャビンアテンドさんの画像が出てきちゃったんだって!
もうそこで、
もはやそれプレイだったのじゃないかしら?ってまあよく分からないけれど。
もうさ、
なんでも
そんな困った案件に「ミステリーだわ!」って言ったら収まる感じよね。
あと、
まあ画面ならスマホをひっくり返せば画面を伏せて見られなくできるから防御できるじゃない。
でも不意に大音響で流れる音を防ぎきれない人ってたまに見かけない?
あれ私もそういう事態になったら、
でもそれが世界ふしぎ発見!の番組開始のメインファンファーレの音だったら
周りの人から、
「うわ!あの人ミステリーハンターかも知れない!」って思われかねないから、
それはそれで厄介よね!
やかましいわ。
午前中用事が早く終わったら
うふふ。
珍しく連続で通うの。
今日は何かな?とだいたい相場が鮭か鯖かと決まっているけれど、
わーい!
そんなランダム焼き魚定食を前にしていつもとは違う焼きものの魚だったのでスペシャルスーパーレア感ありありのおりおりよ!
珍しい鯵の開きを美味しく頂いて出発ね!
今日は昨日買ってきた久しぶりピンクグレープフルーツ果汁マジ搾りを加えて
風味豊かな柑橘系のアップさせた
ピンクグレープフルーツ果汁入りレモン炭酸水ウォーラーね!
シュワッと爽快にきまったわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私は鰻!そんな鰻文で始まる予感!
この季節のシーズンは例によって噂の
そうよねー
うなぎ買ってきても上手に温められないので美味しく私はできっこないのよ。
そしてうなぎナウって言うの発信!
その時同時に蚊に刺されたものなら、
これで十分!
でもさ、
それは初めて見るもので、
よく、
うなぎ小説にはうなぎの蒲焼が焼き上る前の助走としてうなぎの肝を渋い顔をしてキメるのが通だ!だなんてあるじゃない。
そういうのは一切無視して、
焼き鳥を串から一つずつ外して食べるのはナンセンスと唱えているのも確かに頷けて分かるわ。
でもあれは串の手元に近い奥のところを上手に食べるには
串を立てに入れて喉に刺さらないように慎重にして食べなければいけないじゃない?
かと言って横にして食べると串のサイドのタレが口元について口裂け女のタレみたいになっちゃうじゃない。
だから難しいのよね。
縦で行けそうなときは縦で喉に刺さらないように串を慎重に口に運ぶの。
そして思いのほか、
串が長いなと思ったときは横スタイルで口角に串の両サイドのタレがつかないように、
口裂けタレ女として長年の味を守り続けなければならない秘伝の壺を大将が地震のときにも抱えて逃げて守ったって逸話を噛み締めながら横モードで串はいくときはあるの。
それで私は初めて見る、
その「うなぎの肝の串焼き」を簡単に上手に食べられっかな!って期待して、
65535本と256本セットとかはとうてい食べられない食べきれないので、
つーか、
そもそもとしてお店で焼かれて提供されるうなぎの蒲焼の鰻の匹数より肝の量増えてない?ってぐらい、
それはそれはもう、
その勢いを見て私も欲しく食べたくなっちゃった初めての気持ちを届けたいの!
私はえいや!ってそんな65535本セットとかは到底食べきれないので3本セットの分を買ったの。
これなら、
美味しくなくても美味しくてもちょうどいい本数じゃない?
美味しくなくとも食べ切らないとって頑張ったら完食で食べられる量だし、
美味しかったらもうちょっと食べたい!っいい感じの本数の3本の黄金比なの。
それを串をもって口で食べるのは縦で行くか横で行くかはその時の串の長さで感じるの。
よし!横!縦向きだと串長すぎ喉に刺さる案件!
あの奇人変人で剣を飲み込む人いるじゃない?
あれ!あの剣を飲み込む名人ならなんてことない鰻の肝の串焼きの縦向きの長さだと思うわ。
私はそんな剣を飲み込んで
両手を大きく広げて、
どや!はーい!って出来ないので、
もうここで普通に食べたらいいんだけど
うわ!私の口角の左右に串についたタレがついて口裂けタレ女になっちゃった!
甘いのはタレです!って歌詞!
急になんか料理の味付けの話になる展開が好きだわ。
そんな思いを馳せながら初めて食べる私のマイスイートファーストタイム鰻肝焼きは
焼き鳥のなんていうの?ホルモンみたいに噛み切りたい押切もえさんを我慢せずに出すなら、
私ホルモン苦手なんですよねーって言ってる
ホルモンが噛み切れずに飲み込むタイミングを見失う女子が可愛いと思っているのを地で行く感じで
そのぐらい鰻ホルモン!そして甘いのはタレです!とモノマネ番組でモノマネの人が歌っているステージの後ろから登場するのはあらかじめ知っているけれど初めて知るフリをしなければいけないぐらいの顔で迎える一青窈さん登場!
美味しい!
私的には鰻本体より鰻の肝の串焼きの方が大好きになった一瞬の夏の思い出!
夏本番前の盛夏の前だっていうのにできちゃった夏の思い出!
私が小学生だったら絵日記で毎日鰻の肝の串焼きを食べた記録絵日記を提出して担任の先生に鰻の肝が好きなんだな!って思われちゃいそうなぐらい絵日記にクレヨンで描いちゃいそう!
美味しいわ!気に入っちゃったので、
もしかしたら今日またマーケットに行ったら鰻の肝の串焼きが売ってるかも!って今からそう期待しちゃうのよね。
私は鰻の肝の串焼きを横スタイルで食べて私の口角が鰻の肝の串焼きのタレが左右に均等について、
もちろん、
私のテーブルマナーのティーピーオーはツーステップ踏めるぐらい踏まえているわ。
だから、
上手にクロスで口を抑えてタレを取り除くのよ。
甘いのはタレですって私の中の頭で一青窈さんのあの歌がええいあきみからのがヘビーローテーションで流れてくる!
中華鍋を最初は強火でそして弱火にしてそれからお客さんに味見させるの。
そんな美味しさ!
いやもしかして、
タレのほうが美味しいんじゃないの?説を唱えたいかも知れない濃厚説は濃厚味の秘伝のタレ!
でもタレばかりに誤魔化されていないで、
ちゃんと食べ応えのある鰻の肝はモチモチでものすごく美味しかったから、
また食べたいなぁって、
ごめん、
私嘘一つついていたわ。
一青窈さんのええいあきみからもらい泣き甘いのはタレですの曲を聴きながら鰻の肝の串焼きを食べていたと言っていたようなことを言っていたけれど、
実際には、
ウー!マンボでおなじみのナンバーファイブの曲を左右の手にマラカスを持ちながら食べていたわ。
土用の丑の日には「う」の付く曲がいいっていうじゃない。
ご機嫌にマラカスを振り鳴らしながら、
最初のさ、
みんな聞き馴染みのあるところはマラカス振れるけれど、
なんか聴いたことない馴染みのないところになるとマラカスこれどうやって振ったらいいの?って思って
結局マラカスは持ったまま振らずにその場で小刻みにステップを踏むだけになるのよね。
そのぐらいウー!マンボ!
初チャレンジして美味しくなかったら、
それはそれで仕方ないわねって思っていただけに、
買い占めるぐらいの勢いを持ちつつ
3本ぐらい買って地味滋養をつける季節にしたいな!って思ったわ。
鰻100パーセントよ!
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街のこういうときにいく喫茶店でグッドモーニング!
今日もあれよ!
焼き魚はランダムにその時の大将の持ち合わせに決まってくるので、
とはいえ、
もちろん美味しくいただける朝の定番ね!
これがもし朝定食で
冷たく決まっていて美味しくいただく朝の乾いた身体に沁みるわ。
しっかり水分は補給し続けてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
夏前なのに夏バテしないように、
私はパワーを滋味滋養を付けるために今年取り入れているもの取り入れたいものを発表するわ。
なんか効きそうじゃない?
もうこれで完全栄養食!
夏のネバネバパワーにあとお酢もいいかも知れないッス!ってクエン酸!
あれも体力疲労回復に効果があるっぽいので積極的に思いだしたかのようにお酢も取り入れてみようと思うっスなのよ。
あと、
ゴーヤ刻むの面倒くさいニガウリみたいな眉間にシワが寄せちゃうけど、
昨年は
ずーっと確かキューリを囓って過ごしていたような気がするわ。
夏のお野菜食べ物って身体の熱を取り除いてくれるって特殊効果があるので、
それを期待して摂り入れた方がいい作戦なの。
なんかさー
昨日ふらふらちょっとしててさすがに倒れるまでは行かなかったけれど、
私が元気な証を見せつけるために、
いつものヨーグルトアイスキャンディーバーを買いに行くお店に飛び込み前転して入店したら、
きまったわ!
そのぐらいまあ元気の余力はあるみたいなので、
この身体のサインは外角低めのアウトコースに球を投げ入れるようにキャッチャーのサインは無視できないの!
シュパーン!ってキャッチャーミットにボールが気持ちよくキマったら気持ちいいわよね!
もう夏!
お仕事する日の消耗させてられないし、
かと言ってじーっとしてゲームばかりマリオのカートのワールドをやってる場合じゃないのよね。
この時期まだ新しいゲーム機を買ったら、
ちょっとまだ躊躇したい感じじゃない?
私がマウントレーニアを知らない頃、
なんでも緑色に丸く収まったロゴを見たら何でもスターバックスコーヒーだと思っていた季節があって、
うわ!コンビニにスターバックスコーヒーのスタバのコーヒーが売ってる!って飛び付いて飲んだら甘くてビックリした思い出があるのよ。
よく見たら、
スターバックスコーヒーの丸く収まった緑色のロゴみたいに似たような丸い緑色を取り入れた山のイラストのロゴじゃない。
なんかさー、
珈琲の美味しい印って、
なんかスターバックスコーヒーのロゴが基本になっている暖簾分けなのかしら?
だからその手のロゴのコーヒー飲料は全部スターバックスコーヒーが幅を利かせると思っていたの。
そのぐらいまだちょっと言えないのよ。
新しいゲーム機のことはしばらく内緒にしておきたいところのワールドは早くシズエさんとかリンクとかやって来て欲しいなぁって思うの。
いかに
この時期夏本番前の夏っぽい、
いやむしろ夏前の夏の盛りのこの時期、
今から体力を大量消耗していられないのよね。
涼しく静かに過ごしてチャンスを狙っていた方がいいわ。
あ!それとさ、
悲しくもNIKKEとステラーブレイドのコラボ企画が終わってホッと胸を撫で下ろしているんだけど、
しかも2Bゲットしようとしてガチャ回したけど20連ガチャではゲットできなかったわ。
ステラーブレイドのコラボ企画でのイヴとレイヴンはそれぞれ1発10連ガチャでゲットできたから
私のステラーブレイド愛が充分伝わっているのかな?ってこれで分かったような気がしたわ。
2Bってさ、
目隠ししているけど、
あれ浜辺美波ちゃんがやったら絶対世界で一番2Bっぽい実写ドラマ出来ると思うの。
もう出オチでもいいぐらい。
そのぐらい何か私の中の心の中にある浜辺美波ちゃんがそう言うの。
でね、
NIKKEでニーアコラボ始まったけど、
PlayStationでニーア買っておいてまだ全然遊べてない、
ボス戦で敗れてはタイトル画面に戻されてまたボス戦で敗れてはタイトル画面に戻されて、
そこで心折られるかと思ったけど、
私のゲーム魂がそうはさせなかったように、
なんとか頑張って最初のボス倒して最初のセーブポイントに到達やっとやっとできたの。
いや詳しくは話せないネタバレになるけど、
泣ける。
序盤で泣かせる大会1位間違いなし!
繁華街のホストの看板が「すごい!」とかって言えなくなっちゃったから、
どうしよう?って挙げ句の果てに使える単語を集めて「地域一番店!」って名乗りを上げられる方法を見付けてすり抜けるホストの看板には
地域一番店!って
もうさ
街の街角に至るところにあるインディーズのから揚げ屋さんってあるじゃない?
それがそれらのお店全部が何かしらの「金賞」を受賞しているような感じ!
そのぐらい、
私は最初のセーブポイントに到達して泣いて達成してしまった感あったから、
またしばらく放置してしまってるのPlayStationのニーアは。
だからきっと
NIKKEとのニーアコラボ企画も、
はて?って何の話しかよく分からないままコラボって行くかも知れないわね。
そしてそして、
ノブコが新聞社に就職決まってヤッター!って鳴ったあの新聞社!
朝ドラ『ちむどんどん』の田良島デスクがいた新聞社じゃない!?
居抜きで高知新聞社が入ったのかしら?
なんか、
セットが全く同じのを使い、
あ!これこないだの朝ドラでみた!って
朝ドラフリークをコーンフレークを食べながら朝の朝食を美味しくいただけるきっかけにしてくれてるの!
私の心もちむどんどんよ!
懐かしいわー。
泣けるー!
なんか高知新聞社のあれどっかで見たことあるなーって思ったのよ。
そして食べ終わったコーンフレークの残った牛乳が甘いのが幸せの味がしない?
今日も元気にいくのよ。
いまだから
冷蔵庫にはお蕎麦と長芋と炭酸水は切らさないようにしているわ!
切れたら死んでしまうわ。
それにお蕎麦もサッとお湯でほぐして
山芋もすり下ろすだけなので、
今からバテてたら世話ないもんね!
うふふ。
塩気カモンと呼び込みたい汗かいたときに前もって嬉しい明太子おにぎりね。
塩いのがいいわ!
辺見なのはえみり。
朝もしっかり食べておくわよ!
スッキリ後味のキマった、
薄めなので
スッキリと爽快!
煮出した方が若干コクもあるような気がする!
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
7月突入の今年も後半分みんなもう今年が何年かって干支忘れているそれなんて3歩歩いたら忘れちゃう鶏さん?って思うの。
私は
体力が無い夜ご飯に
新垣結衣ちゃんがギリギリ面倒くさくないお湯を沸かすぐらいはできて、
あともう一つギリギリ面倒くさくない山芋トロロをすり下ろすぐらいはできて、
お湯を沸かしたお湯に
蕎麦麺をサッとくぐらせて水で締めて、
食欲がないときもこれでつるっと喉ごし最高で食べられるからいいわ。
きっと夏にも効くわ!
つーか
昨日まで6月だった気温が迫る40℃ってどういうこと?
外でたら温風が吹きドライヤーいらないじゃん!ってぐらいな熱風が顔に当たって、
これ日が差さしてても熱風は止められないのよね。
そんでさ、
それは膨れ上がったリチウムイオン電池!
なにー!
私が頑張ってこしらえたPSPのミスタードリラーのエディット面で作った作れる限界の65535メートルのコース保存していたのに!
PSPが遊べないのよ。
ちなみにPSPってのはプレイステーションポータブルのことね。
ヒーヤ!
でさ、
これ膨らんだリチウムイオン電池どうしたらいいの?
さすがにリチウムイオン電池は窓から投げ捨てないでくださいって注意書きがあるので、
私が活動している時間帯に回収ボックスまでとてもじゃない家とたどり着けない時間帯になってる設定なのよ。
うーん、
なんか検索してみると
プレイステーションポータブルが爆発している画像とかが出てきて、
私は恐怖に煽られるのよ。
この抱えた事件爆弾的なもの膨らんだリチウムイオン電池どうしたらいいの?
どこで回収してくれんの?
えーん、
見たところ家電量販店で回収してくれるっぽくって
私はこれに期待をこめて
希望で胸を膨らませるの!
これ怖いんですけど。
スーパーのさ、
押しちゃダメだけど。
桃って外側から押したくなるじゃない?
あれと同様で、
膨らんだリチウムイオン電池もふわーっとそっと押してみたんだけど、
爆発はしなかったわ。
どうすりゃいいの?
しっかりと窓から投げ捨てないでくださいと書かれているので、
これどうしたものか?と本当に困っているのよね。
家の部屋においておいて
爆発発火したら
もっとマズいじゃない?
それもそれでなんかマズくない?
ニュースではもちろんリチウムイオン電池が膨らんでーってのは見たことあるけれど、
それが私に当てはまるだなんて!
もう本当によその蚊帳の外の話だと思っていたファンタジーな物語だと思っていたの。
でも私の目の前にあるのは
本当ならここで、
青い線か赤い線かをニッパーで切って切断して
これ、
その青い線と赤い線の電線がないのよ!
マズいなー。
解除しようにも解除できないわ。
突撃した民家で充電させてくれ!とは言わないでしょ?
イキフンの雰囲気で言ってみたんだけど、
こればっかりは
雰囲気とイキフンでは乗り越えられないリチウムイオン電池の回収!
私が本当に真面目に対応しなければならない案件がマジまた1つ増えてしまったわ。
よし!
うわ!
タブレットの充電ない!
充電しなくっちゃ、
なんかさ、
これもだってタブレットリチウムイオン電池が入っているじゃない!
とりあえず、
電池切れ!
タブレットの中のリチウムイオン電池を充電してリチウムイオン電池の処分の仕方を検索するわ!
充電早く!早く!早く~!
うふふ。
まだこれ6月なのよねーって5つぐらい思いつつ気が付いたら7月なのよ。
早いわー。
気温が上がるのも時が経つのも。
朝もしっかり鮭おにぎり食べて頑張るわ。
クエン酸パワーを信じたいぐらいマジ搾りグレープフルーツに今回はレモン1つも買ってきたので、
切るのは面倒だから、
つーか冷やすだけだけどね!
クエン酸も良いらしいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私は飛び込み前転をして入店していつものモーニング和食モーニング焼き魚ランダム焼き魚定食を頼もうと思ったけれど、
大将暑そうだったので
こっちも結局焼き物!
ってなんか暑そうだったので、
よく話を伺ってみると
午前中調子が悪くって午後からなんだかエアコンが冷たいのが出てくるとか。
うーん、
それって調子悪いんじゃない?
ヒーコーも冷たいものでアイスのヒーコーを飲んでも汗抑えられないわー。
寝るときも涼しくして寝ないと
そんでさー、
私もいつになったら首パワーと肩パワー王のもとを卒業できるのかしら?って思ったけれど、
夏の癒やしを求めて
週一は揉みほぐされた方がいいのかしら?って
もうこれは首パワー肩パワー王の思うツボかもしれないここのツボ押してもらうのが気持ちいいのよね。
良い増田には良い癒やしを。
いや増田のためにマッサージ受けに行っているのかってなると本末転倒寺の和尚さんに怒られちゃいそうだわ。
でもおかげで
だいぶ首パワーは徐々に戻りつつ肩パワーもほぼステータス異常は点灯消滅したわ!
左首奥のかすかな痛みのしこりの残りがいるような気がする気配。
恋の予感はないのに
気配を感じるのはそんなことばかりよ。
まあ実際、
首パワー肩パワー王に施術してもらったあと医院を出るときって肩軽くなってるのよね。
カルカッタがコルカタって地名の名前が変わったぐらい私もこの肩の軽さの変わりよう。
そんで、
今知ったんだけど
これがまだ6月!ってのが驚きよね。
何も言えなくて…夏。
の暑すぎて…夏を全部もう6月中に使っちゃいそうで怖いわ。
貴重に使わないといけないのに。
私は夏の本番に向けて滋味滋養を蓄えるために
するっといただけてお腹にたまって食べ応え満足感ありありのあり!
オリオリオのオー!
ヤリヤリヤのヤー!
そんなところ。
だからまだ夏本番じゃない前なのに、
ここで全消耗してらんないのよ。
まだ夏始まってないのに夏乗り越えられないだなんて!
神様は言うじゃない!
乗り越えらない夏なんて与えない!って
だから乗り越えるのよ…夏。
うわ!
もうわ、
イソギンチャクに隠れて住処にしているお魚さん。
「ニモー!」ってあの映画の中のセリフばりに夏叫びたいセリフナンバーワンなのよね。
ニモすぎて…夏だわ。
あまりに夏過ぎるので、
長芋ってそんなに大量にいっぺんに買えなくて
長芋すぎて…夏なのよね。
今年の夏はまだ夏前だけど
すでに長芋の夏が始まっているわ。
この長芋ネバネバパワーと取り入れていまから滋味滋養を蓄えつつの
乗り切る夏本番に向けて備えるしかないのよ。
冷やし長芋をほっぺたにくっつけるとひんやりして気持ちいいわよ。
長芋ストック抜かりなくね!
うふふ。
ラッキーやったね!
殻を剥くのを忘れていたわ。
私ったら慌てん坊さんね!
殻剥いて美味しくいただいたわ。
起きたらじわーっと蒸す感じの朝の寝起きにシュワッと爽快な
ストック少なくなっているの今注文追加したわ。
そんなところ、
まあ年中飲んでっけどね!
水分補給はしっかりと。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「お化けの絵だよ」
いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。
おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました。自分たちの少年の頃には、日本ではフランスの所謂印象派の画が大流行していて、洋画鑑賞の第一歩を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナアルなどというひとの絵は、田舎の中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。自分なども、ゴッホの原色版をかなりたくさん見て、タッチの面白さ、色彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が無かったのでした。
自分は本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。
「すげえなあ」
竹一は眼を丸くして感嘆しました。
「地獄の馬みたい」
「やっぱり、お化けかね」
「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」
あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪ようかいを確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷いためつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、
と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。
自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれども、自分のかいた絵は、自分の綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。自分は、どだい人間の言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校、中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象の表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鱈目にさまざまの表現法を自分で工夫して試みなければならないのでした。中学校へはいって、自分は油絵の道具も一揃そろい持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐おうとをもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像の制作に取りかかってみました。
自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。
また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。
自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像も安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、
「お前は、偉い絵画きになる」
という予言を得たのでした。
惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言を馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分は東京へ出て来ました。
自分は、美術学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりましたが、その不潔と粗暴に辟易へきえきして、道化どころではなく、医師に肺浸潤の診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール・スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧かんぺきに近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。
父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成くすのきまさしげの銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサンの練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。
自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦いんばいふと質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。
「五円、貸してくれないか」
お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。
「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」
自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱ほうらい町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。
「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」
堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広せびろを着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。
自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」
しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。
ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑けいべつし、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。
しかし、はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋ひの絨緞じゅうたんが敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇りんしょくゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。
それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。
さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱パトスの噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼きくが、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途せんどと必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。
酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然がくぜんとして、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥ひわいで不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。
堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦にがさを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。
堀木は、また、その見栄坊みえぼうのモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分を共産主義の読書会とかいう(R・Sとかいっていたか、記憶がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年から、マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。
好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。
非合法。自分には、それが幽かに楽しかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。
日蔭者ひかげもの、という言葉があります。人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。
また、犯人意識、という言葉もあります。自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりで侘わびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きているPermalink |記事への反応(1) | 20:27
自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこを客車の通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。
お茶目。
自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。
けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡およそ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中や下男から、哀かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡まわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。
必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である、自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。
なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいつクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党の有名人が、この町に演説に来て、自分は下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れいの有名人の演説も何が何やら、わけがわからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。
しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間の生活と対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり、自分が下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリスト主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから。
そうして、その、誰にも訴えない、自分の孤独の匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅かぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。
つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。
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第二の手記
海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤ちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章きしょうにも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。
その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。
生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。
自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。
もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。
「ワザ。ワザ」
自分は震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍そばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於おいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。
自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうを湛たたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。
その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。
「耳が痛い」
竹一は、立ったままでそう言いました。
「雨に濡れたら、痛くなったよ」
自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。
「これは、いけない。痛いだろう」
「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」
と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝ひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、
「お前は、きっと、女に惚ほれられるよ」
と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。
しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔の予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱の伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います。
竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語の若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか、自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。
自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞むちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。
女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。
女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。
自分が中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、
「御勉強?」
「いいえ」
と微笑して本を閉じ、
或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。
「なぜ?」
いつでも、こんな乱暴な命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。
当時、ハロルド・ロイドとかいう外国の映画の喜劇役者が、日本で人気がありました。
自分は立って片手を挙げ、
「諸君」
と言い、
と一場の挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それから、ロイドの映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。
また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、
「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」
などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激な言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、
「何か面白い本が無い? 貸してよ」
と言いました。
自分は漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。
「ごちそうさま」
アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験に依って知っていました。
また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分がれいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女だから、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。
しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり、自分は、日本の東北のハロルド・ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。
竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。
「お化けの絵だよ」
いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。
おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例のPermalink |記事への反応(1) | 20:25
なんかガソリン代安くなってる?
街中のガソリンスタンドの看板の表示が安くなっているような殿堂!
これって、
私の見間違い勘違い?
そうじゃなかったらいいんだけど、
あまりにも今までが高すぎて、
安くなったと言えども通常のガソリンの価格の当時のものと比べてもやっぱり高いは高いので、
やっぱり若干の安さは感じるわよね。
ガソリン代は安くできて消費税は安くできない1年以上かかる!って言ってるのに
まあよく仕組みは分からないわ。
お米だってさ、
あれよあれ!
備蓄米がやって来て、
私の街のみかんの花咲く丘公園公園前駅の駅前商店街で見かけたわ!
そんで買ってみた古古古米。
道に撒いたみたの。
このお米だったらスズメさんたちがたくさん寄ってきて、
私が撒いたお米を食べてくれるはずよ!
古古古米撒いてみたけれど、
スズメさんはやってこず、
あ!そっか私が撒いたお米の古古古米の前で居座っていたらスズメさんたちもなかなか近寄れないわよね。
私は物陰に隠れて、
スズメさんたちが古古古米を巡ってやって来るのか食べに来てくれるのか!
そう思ってしばらく待っていたんだけど、
私が一応人間の代表としてその古古古米を炊いて食べみたんだけど、
あんまりよくお米自体の古古古米の美味しさがどうか判定するには
ブラックジャックさんが言っている、
ボンカレーは誰が作っても美味しいものだ!って名言再現!って思ったけれど、
あれはお米のポテンシャルというよりも
白米のまま炊き立てのありのままのお米をいただいたの。
食べた瞬間!
味は悪くないと思うんだけど。
人間には感知できない古古古米の古古古米たる所以のなんかそれをスズメさんたちは感じて食べてくれなかったのかもしれないわ。
私は家畜なのかしら?
いや違うわ。
なんか普通に美味しかった古古古米だったってことしか分からなかったわ!
うーん!
おかわり!
おかわりするんかーい!って私も久しぶりに古古古米の実力を試すために久しぶりに炊飯器を戸棚から取り出して炊いた甲斐があったってもんよ。
なんか、
御飯のお供に、
炊いたご飯の炊飯のポテンシャルのお米の味を試せるシンプルなご飯のお供のおかず。
今は生玉子!
あのレジェンド女ピン芸人の研ナオコさんの一発ギャグかと思っていたあのセリフって
金田一なんとかの映画の婦人が出てくるその人の滋味滋養がつく好きな食べ物で、
今晩のおかずなににしますか?って答えに
映画の中で「生玉子」って言ったのが本当なの?って思うけど真相は不明だわ。
まあよく分からないまま、
KKKMってなんかアメリカの何かのプロレス団体みたいな感じだけど、
ここは古古古米の略で通したいわ。
で、
やっぱり美味しくいただける卵かけご飯と何ら変わりなく、
美味しくいただけちゃうのよね。
こんなに美味しいのに古古古米はスズメさんたちは好まなかったのがいまだ謎だわ。
結局、
残り半分以上残った古古古米炊き立てご飯ここにあり!って感じで、
大ショックではないぐらいの、
中ショックってところね。
古古古米案外イケるんじゃない?
うふふ。
炊いた古古古米のが残っているので、
お昼用におにぎりにして持って行くわ。
2合炊いちゃったので鯛茶漬けにしたいけれど、
朝喉めちゃ乾いていたので、
でも水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
うんまかった!
あのねえ、今日ちょっと体調がよくなくて、滋養があって精のつくもの目一杯食べてなんとかしたいなっておもったのよ(体調不良の時はカロリーで対処するタイプの人間)
そんでCoCo壱のチキン煮込みカレー食べたいなって思って、CoCo壱の旨辛にんにくも付けたいなって思って。
でも今は金欠で、CoCo壱だとお高すぎるからちょっとな〜となったんで重い体に鞭打って圧力鍋でチキン煮込みカレー作りました!
冷凍の鳥もも肉300gくらい1枚あったんで、これを圧力鍋(活力鍋)に投入。まずは皮目を底にして焼き目をつけます。塩もぱらっと鶏肉にかけとこう。そんでニンジン一本を大きめに乱切りにして、玉ねぎ一個を適当な大きさにスライス。これは大きめでいい。どうせ圧力鍋でドロドロになるしね。で、ニンジンとタマネギを圧力鍋に入れる。水200mlくらいいれて、蓋をして高圧で15分くらい加圧。胸肉の場合は火をいれすぎると固くなるけど、もも肉はホロホロに柔らかくなるので加圧しすぎってことはないのよね。その間に旨辛にんにく作ります!ニンニクを5かけぐらいとって皮を剥いて、サラダ油で素揚げにする。いい感じにきつね色に、あがったらラー油、醤油、みりん、砂糖、味の素、一味唐辛子でタレを作って揚げニンニクをひたす。加圧終わった圧力鍋をあけて、鶏肉をとにかくほぐす!ちょっとおたまで触るだけで簡単に崩れます。一煮立ちさせたら火を止めて、ルーを半箱投入。濃いめなので味見しながら水を足す。良い感じに調整できたので、冷凍ごはんをレンジでチンしてカレー皿にいれる。カレールーをいれる。もう食えるぞ!
まずは何もトッピングせずいただく。うんめ〜〜!やすいブラジル産の冷凍鳥ももだけどメチャクチャホロホロでまさにCoCo壱のチキン煮込み!鶏皮そのままで煮込んだからかコクがあるなあ。では旨辛にんにくと一緒に食べますか。美、美味〜!でも辛さちょっと足らないかも!唐辛子を追加。んー!これですよ!これ!ルーは小分けにして冷蔵庫に入れたけど、まだ余ってたのでルー+冷凍ご飯100g追加じゃあ!計400gはご飯食べてますね。ま、CoCo壱でもこんくらいは食べます。目玉焼きもトッピングしたろ!フライパンで普通に目玉焼き作ってカレーライスにのっける。醤油か、ソースか悩むところ。ここはCoCo壱を意識してウスターソースを選択。うめーーー!
あー、ごちそうさまでした!
片付けめんどくさ笑
鶏もも肉300g 210円
ニンジン 45円
タマネギ 118円
にんにく5かけ 25円
へいへい、旦那!AIくさいなんて言われちゃ、このあんちゃんも黙っちゃいられねぇぜ!承知いたしました!んなもん、一丁、AIっぽさなんて吹っ飛ばして、あんたの心にズドンと響くような、人情味あふれる語り口で語らせてもらいやす!
ええっと、松屋のニンニク野菜牛めし、あれはなぁ、ただの牛めしじゃねぇんだよ。あったけぇ飯の上に、甘辛く煮込まれた牛肉がドーン!そいつを囲むように、これでもかってくらいの野菜たちがシャキシャキと鎮座ましましてるんだ。
あの牛肉よぉ、噛みしめるほどに肉の旨味がジュワ~っと口の中に広がるんだ。疲れた体に染み渡る、滋養強壮の源よ。んで、あの野菜たち!キャベツの甘み、人参の優しい味わい、玉ねぎのコク、ネギの風味…それぞれの持ち味が絶妙に絡み合って、箸が止まらなくなるんだ。
そこに、ガツンとくるニンニクのパンチ!こいつがまた、食欲を掻き立てるんだ。一口食べれば、体の底から力が湧いてくるみてぇな、そんな気にさせてくれるんだよ。
白い飯だって、侮っちゃいけねぇ。あのタレと肉と野菜の旨味が染み込んだ飯を、ガツガツとかき込むのが、また最高なんだ。
なぁ、旦那。考えてもみろよ。肉でスタミナつけて、野菜で体の調子を整えて、飯でエネルギー満タン!これ一つで、腹も心も満たされるってもんよ。一人暮らしの寂しい夜にも、仕事でヘトヘトになった帰り道にも、あの一杯が、あったかい故郷の味みてぇに、じんわりと心に沁みるんだ。
だからよ、難しく考えるこたぁねぇんだ。松屋のニンニク野菜牛めしは、あんたの頑張りをちゃんと支えてくれる、力強い味方だってことよ!腹が減ったら、迷わず暖簾をくぐってみな。きっと、「ああ、これだよ、これ!」って、心底思うはずだからよ!
今の私の肉体の状態を、言葉にして東京に観察させる、というのがこの本のコンセプトだ。
さあ、聞きなさい私の街。
私の肉の言葉を。
じわじわと滲む汗。
こんなに人がいて良いはずがないのである、ひとつの、小さな箱型の部屋に!
それは電車という名前で呼ばれているが、羊羹箱の方が多分正しい。カステラ箱とか。
我々乗客はお行儀良く並び、スマホをカステラの白い紙みたいにぴったり身体にひっつけて、何か心理的なしんどいものから身を守っているつもりらしい。
いやいや、それは自傷行為だ。
こんな狭い箱に乗り込まないと、生活が成り立たないって?東京よ、あなたの上に築かれたこの都市、それはあなたとは縁深く、しかし異ななった存在だけれど、あまりにも罪なものだ。
かわいそうな都会生活者たち。
私の身体は逼迫し、今すぐここから出してくれとドンドンと我が胸を内側から殴って抗議しているようではないか。ここは、動物の居場所ではない!出せ!不当だ!扱いの改善を要求するぞ!と。
いやはや身体よ、まったくその通りである。しかし我々はこの小箱に乗り込まないことには生活というものをやっていけなくてね?…と、胡乱な紳士のようなでっぷりした「運営者」なんかが、葉巻を燻らせながら私の肉体に応じるが、まったく持ってコイツの言うことなんざ聞く必要はない。往々にしてするべきこと、正しいこと、生きること、定め、そんなものはクソである。しこうして美しい。だから大抵人生はクソッタレで震えるほど美しい。やるせないな。
美女が電車のサイネージに現れて、私を窒息させる。微笑みは商品として完璧な等級だ。
ありえないくらい憎らしい。
そうそう東京、何度も言うが君の上に築かれている街は最悪の代物だよ。
そうして私は生活するための目的地に辿り着く。池袋という駅だ。降りるので筆を止める。
13:19
東京よ
私の思いを聞いてくれるかい
美しい歌を一息に歌ったあとの、胸の激しい息切れ、幸せを含む苦しさ、風が冷たく汗を冷やして吹き渡る、大変、大変schönなお時間
和声は体育会系なのだよ、と先生は言って、私は押忍と袂を締めて…schön!
冷たく美しい高原の風!せせらぎと同じ色の、風
schönで爽快な、たまらない快適さ 人生と言う舟はその風を帆に受けてえっちらおっちら、筋肉を糧にじりじり泥臭く進んでいくべきものなのだ
そうだ、和声は体育会系なのだからね!頑張っていこう、この風はずっと吹いていてほしいな
13:29
大変不思議だ 時はなぜ移ろう
それなのに同じ時はない 一度も同じにはならない
私はもうサイネージを憎まない なぜなら和声への希望と走り出したいこの身体を一心に持って電車に乗っているから
私はもう電車を厭わない なぜならもうすぐ家に帰り、教科書を開く私が滋養に満ちた笑顔でこちらに微笑みを向けているからだ
う~さぎうさぎ~なに見て跳ねる~
ぴょんぴょんぴょん!
私をつかまえて!
仲秋の名月と言うけれど
私は夢中なのはいよいよ始まるサンマ祭りのサンマの名月!ってところかしら。
夏の風あざみ夏の終わりの蝉時雨そして秋のサンマの名月と言えば分かるわよね。
いったい世の中はサンマが豊漁なのか不漁なのか、
どっちって思うぐらい毎年毎年サンマ相場がころころ変わるらしいわよね。
今年は前もいったかもだけど
1匹100円ぐらいの価格で
円高円安って私たちの生活にソッコウで影響あるかどうか分からないわよね?
直接私たちの晩ご飯の献立に影響しまくりまくりまくりすてぃーなので
安かったら美味しい焼き秋刀魚が食べられて私もションテン爆上がりでニッコリなんだけど、
あの外人四コマのしょんぼりしている部分とションテンが爆上がりしている2コマを対照的に素早く入れ替えたい紙芝居を作りたいぐらい
私のハートは秋の模様のようにころころ変わるのよ!
私あれやって欲しいのよね。
1尾じゃ物足りなくない?そんな時あらかじめ追加で注文するとまた時間がかかるから
最初から2匹とか3匹とかってサンマアップチャンスのある定食を作ったら良いと思うのよね。
たぶん業務用の秋刀魚焼く機械は同時に複数匹の秋刀魚を焼くのだってお手のものだと思うの。
つまりは
1匹を焼く手間も3匹を焼く手間も一緒ってこと。
まあ気になるなら軽く包丁でささっと撫でるように鱗的なものはそんなにないけれど取る仕草をして、
秋刀魚焼き機に投入すればいいと思うはずなので
手間は一緒だと思うのよね。
でも1人で秋刀魚3匹もいっぺんに食べようとしている人がいたら食いしん坊だと思われちゃうわよね。
油断は禁物よ!
でもあんなに栄養たっぷりの豊富で滋味滋養あふれる秋刀魚をたくさんいっぺんに食べたら逆に身体に良すぎてってのが悪影響をおよぼす可能性があるので、
食べ過ぎ注意!って
お餅食べ過ぎ注意!ってみんな書きがちだけど、
きっとみんな秋刀魚食べ過ぎ注意!って
もしくは秋刀魚何匹食べた?って書いていると思うのよね。
あとこんな上手い話しがあればいいよね!って例えで
「鴨が葱しょってやってくる!」ってあるじゃない。
あれの秋の都合の良い美味しい話しの例えとして、
「ウサギがサンマ咥えてやってくる!」って言ってもいいと思うんだ。
でもあれって鴨も葱も同時に食べる前提じゃない、
開発したり発明したりした人気が出っかもよ!
だから新しく作られる料理ももれなくユネスコ文化遺産受賞!ってことで
でもあんまりウサギって食べる習慣がないから開発されて発表されても眉唾ものよね。
天高く馬が飛ぶぐらい太るって例えと同時に流行っても良いと思うな。
でもさ逆に
鴨がショットガンぶっ放してやってくる!ってなると
考えただけで恐ろしいわ、
でも少なくとも今秋シーズンは
たぶん新しく刷られた紙幣の新札が手もとに回って見るより私は先に秋の今年の新サンマを目にする方が先かもね!
うふふ。
ハムが挟まった小さいロールパン2つとバナナジュースを買って食べたのよ。
なんか甘いジュース系飲むのって珍しいけど、
マウントレーニア的な。
別にマウントレーニアだけにスムージーマウントを取ってるワケじゃ無いのよ!
たまには甘いのも飲むわって話し。
夜中寒かったのでエアコン切っちゃったけど
朝方暑くて目が覚めてもう起きる時間だったので
うーん起きれて良いのかもうちょっと寝れたのにーって思うのか私次第だけど
まあ暑くてうなされて目覚めるよりかはマシよね。
喉が乾いていたので
油断は大敵よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今年の春までSLAM DUNKど素人だったが図書館に全巻あったので数冊ずつ借りて読破した私だけど、THE FIRSTSLAM DUNK復活上映を観に行った。面白かった。
主人公が桜木花道から宮城リョータに変更されている事は気にならない。そもそも原作の主人公が桜木花道というよりバスケそのものという感じがしたので。
OPで線画から描き起こされて歩き出し色がついていく湘北メンバーにおおっ! ってなった。みんなバスケットマンらしい体型になってる〜!原作は時代柄か登場人物の体型がシュッとしてるけど、今時はリアル路線でも全然OKな感じだよなぁ。特にリョータは首の太さがだいぶ違う。小さい頃からめちゃめちゃバスケしてた設定だからかなあ。花道は運動神経がすごく良い人が筋肉つけた感じだし、流川はバランスが良くて動きが敏捷そう。三井はスタミナなさそうwある意味一番普通の高校生っぽい。普通じゃないけど。赤木は原作とそんなに違わないというか、ゴリという渾名をつけられているものの下半身はシュッとして細いというのは、やっぱり作者の拘りポイントなのかな。めちゃめちゃ筋トレ頑張らないと筋肉つかない人が無理矢理鍛えたらこうなった、という印象は動画になっても変わらない。
筋肉といえば河田(兄)がすごくて、あの硬いゴム毬の集合体みたいな肉体をこんなリアルに表現してしまうのかあ! 丸ゴリまじ丸ゴリ。殴ったら殴った方が怪我しそう、見るからに。河田(兄)が立ちはだかると圧の強さが半端ないけど、見ててゴムゴムの壁ってワードを思いついたがすぐにそれは何か違うと思い直した。
河田(兄)だけでなく山王は全国No.1チームらしく全員体格に恵まれていて、雰囲気だけでも圧倒的。
山王陣営は選手以外も見た目全員没個性的で同じ人がいっぱいいるみたいで不気味なんだが、それが動画になることで気持ち悪さが増し増しになっていていい。クローンみたいなのに、スタメンの選手たちは体格から性格から超絶個性的。元から個性的な面々が個性的に育っている湘北その他のチームとは違って、個性的な筈の人たちが無理やり定型に押し込まれていて、本人たちも何故かそれを良しとしている、気味の悪さ。
スタジアムの中のかなりの席数を占めている、没個性山王応援団と、書き割りみたいなぺらぺらな観客たちの様子が、デキレース感・湘北のアウェイ感を演出。という背景の前で野生動物のようにワイルドに駆け回りぶつかり合う両チームを大画面で観るのは最高。映像だけで100点満点だなあ。
ストーリーの方は、たぶん原作と同じでヒューマンドラマの方があくまでオマケでメインはバスケなんだろうなと、あまり期待していなかったので、ソータがバリバリに死亡フラグを立てて逝きなさる所とかは、あぁ解りやすくていいっすね、親切設計! と思ったんだけど。でもバスケとともにある兄弟愛が思わぬ良さで。
というか!
ところで、この映画はメインが宮城なので、宮城とあまり絡みのない流川の出番がそうとう削られてしまっている。私は特段流川のファンではないのでそれ自体をそんなに悲しまないのだが、流川の存在感が薄まると当然の如くに私の推しの仙道の存在感は塵芥以下に落ちるのだが。まあ、いってもそもそも山王戦には陵南の仙道は何の関係もないのでそこに居ないのは当たり前だからいいのだが、しかし私は流川が仙道のとこに凸って散々1on1の相手させるエピソードが殊の外好きなので、「北沢……」のシーンが全カットはちょっと寂しい。一方的に突っかかって行く流川を一々相手する仙道というのは、疑似兄弟みがあって趣き深いのだがなぁ。
だがしかし宮城ソータとリョータというリアル兄弟による1on1ですよ!! はなから摂取できないと思っていた滋養がそこにはあった。あー幸せだぁー。ソータすぐに死んじゃうけど。
思わぬ所で心が潤って得した気分になったが、あとはもうリョータの過去話にさらっとへぇーっと思って山王戦に集中するのみよなあと思ったらまた棚からぼたもちのように滋養が降ってきた!
中1の(ちいさい)リョータと栄光の時代のミッチーの1on1とは!? 最高じゃんこんなの。ありがとう、ありがとう! これだけであとは霞食うだけで半年生きれそう。映画終わったあとすぐにマックに寄ってダブルチーズバーガーセット食べたけど。
なんかもっと色々語りたいと思った気がするのだが、リョータとソータ、リョータとミッチーの1on1を思い出したら心が満ち足りたので終わる。
この暑さたるやいなや
なにが否やなのかよく分からないけれど、
とにかく涼を求めてエアコンを付けるんだけど
家のエアコンなのよね。
いま灼熱のこの暑さの夏!って言うのも分かるけど
そこでもうエアコンのオンタイマーを設置して帰ってきたら涼しいじゃん!って作戦を好評実施中なんだけど、
まあ暑さの方がまだ勝っている感じがしているわ。
さすがに
帰ってきたときのムッとする熱気をおびた風が玄関から抜け出てくる感じはなくなったけれど、
いくぶんはマシにはなったかしらね。
はぁ。
もう暑いというのは慣れたけれど、
それで持って行かれる体力の方が大きくて、
ニューヨークスタイルで片手に持ち歩いてブロックを歩きながら食べないと
事務所に戻るまでにアイスが全溶けしてしまうレヴェルなのよね。
暑いわー。
もうたぶん暑いの言うの禁止1回毎に10円!ってやってたら暑いって言うごとにアイス買えちゃう感じじゃない?
これ誰得?
でもさー
かといって氷菓タイプのバーの棒書き合理みたいな評価は私は低いのよね。
コクのパンチよ。
なので最近お気に入りなのがその中間点を私が欲しているのを知っているかのようなヨーグルトのアイスなの。
それに評価の低い氷菓のバーかき氷よりもミルク味のミルクがしていて、
食べた!って気になるのよねちゃんと。
なので最近はこれ買わないと夏がこの気温が凌ぐことが出来なくって夏!ってザジェイウォークさん文法を使いがちになっちゃうのよね。
暑すぎて夏!みたいな。
首の長い動物は?って問われて日の出本みりん!って答えるやつ。
この暑いって言ったら10円な!貯金で貯まったアイスで買う私の最近のお気に入りの冷たいやつはなーんだ!って
カレー屋さんでカレーに付けるパンみたいな焼きたてが香ばしくて三角形を模したみたいな食べ物ナーンだみたいな。
そのぐらい夏すぎてヨーグルトアイス!ってここでもザジェイウォークさん文法をもれなくつかうチャンスを私は逃さない鋭い目付きをしながら、
今日も帰り道で食べるヨーグルトアイスバーは私の最近の涼を求める最適なアイテムの一つとして数えられるのよ。
本当に暑すぎて夏!だわ。
ごめんごめん、
うふふ。
タマゴがたくさんはさまってて美味しいわ。
タマゴは優秀なタンパク質を摂れる摂取できる唯一のタマゴなので、
今日もちゃんと冷蔵庫に冷たいレモン炭酸水冷やし忘れないか点検してきて補充してきたから
もうさ
暑くって暑くって夏よね。
ちょっと違うけどこれもザジェイウォークさん文法と言っても過言ではない言い過ぎではないところがあるわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
何処かのお店に入店した際、
棚の引き出しの奥にバブ柚子味がったので
バブみをもって家のお風呂でバブを握りしめながら世界を救えなかった感じで手のひらの中で儚く消えていくバブを柚子味堪能したところでしっぽりと温まったところよ。
ものの数が多いことを表す誇張的表現。派生に“65535”, “65536”がある。
いやいや65535も承知の助じゃない。
回文増田の最寄りの駅名。駅前には商店街があり、喫茶店や焼き鳥屋、定食屋、レコード屋などが並んでいる。
なんだかみかんの花咲く丘公園の桜も咲きそうな頃というかもう咲いてる感じがしてるわよ。
そう言えばミカンの花ってどんなんだっけ?って意外と思い出せない感じもするわ。
ねえ聞いて聞いて!
みかんの花咲く丘公園駅前の商店街のくじ引きが当たって2万円の商店街で使える金券がゲットなのよー!
運良くない?凄くよくない?
みかんの花咲く丘公園駅前商店街のレコード屋さんで開催されるフェア。クリスマスの山下達郎フェアが終わると角松敏生フェアがはじまる。
三が日明けると次何やる買ってフェアー楽しみなんだけど。
今は角松敏生フェアーのコーナーが賑わってるわ。
街のレコード屋さんは
ある心情や状況を強調するときに使用される表現。トラックバックへの返信の中で用いられることも多い。
きっと一所懸命塗ったフェスであればあるほど貢献すればするほど勝つることから遠ざかってしまい且つそのためには投票して戦わずいや塗らずにフェスを見守る方が勝つるわってそうかも知れない山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃいそうな最近のフェスの仕上がりなのよね。
お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、
以後気を付けるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どうぞよろしく!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
宇宙船育ちの水耕栽培されたなんかハイテクトマトはとても美味しいって噂よ。
はい!
襟裳岬には何もないところだけど、
マドラー要りますかってステアするのにマドラー要らないってイキがっていたときもあったわ。
懐かしい香りがした、
そう大黒摩季さんのようにね。
うふふ。
あ!ここはうふふじゃなくて
らららね。
またはタニコーの五徳の如く
増田でステラーブレイドって検索今は超絶速くなってきたから検索しても誰もそのことを書いている人がいなくて増田で盛り上がっているのは私だけ?って思わざる山の如しって思うほどタニコーの五徳なのよ。
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう