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はてなキーワード:深読みとは

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2025-10-15

anond:20251014144908

えぇ…?

さすがに深読みしすぎじゃないか

レス先を間違ってる?)

そいつは失礼かもしれんが、単にウケるとか面白いワードから連想してじゃれてるだけに思える

筆者は議論余地なく優秀だし(てか日記に優秀って何や?)

論考は鋭くよく練られている

Permalink |記事への反応(5) | 03:33

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2025-10-14

ポップンミュージックありがとう

私が大好きなポップンミュージックが帰ってきた。

制作会社体制が変わり,筐体の姿を変え、廃止されたはずの機能を引っ提げて.

私の青春を捧げたゲームだ.

楽曲,キャラクター,ゲームテーマ,どれをとっても素晴らしい.

こんなポップな音楽ゲームも当時は珍しかったものだ.

勇気を貰った事もあるし,励まされたこともあった.

好きな人と話すキッカケにもなった.

トラブルもあった.今では笑い話だ.

社長に当時の社員が上がってくれて,当時大好きだったコンポーザー役員に.

本当に喜ばしい。色々企画もしてくれるらしい.

新筐体はもっと性能が上がるらしい,私の大好きな六はカッコよくなってくれるかな.





そんな大好きなゲームの復活のお陰で,私はようやくポップンミュージックを離れる決心がついた.




急に息を吹き返してくれたのは嬉しかったが,絵は描いてゲーセンに金を落とさなプレイヤーが何故盛り上がっているのか.

生活が変わった!立場が!は分かるが,そんなに10分も100円も割けない物か.

遠方のポッパーLivelyを導入したのか?

グッズは買ってたのか?

私はジャンル制度撤廃にも,絵柄変更にも当時ちゃんと怒った.

それでも継続し,10年近く復活させなかったのは「自分判断は正しい」という判断の下だと信じた.

その上でようやくジャンルしか覚えてないユーザー曲名しか覚えてないユーザー乖離が減り,恩恵を感じ始めた。

自信をもってコンテンツ提供し続けていたはずだったのではないのか.

ジャンル名をユーザー命名させようとしてるのも非常に不安だ.

Xには〇〇の人,とキャラクター愛を勘違いして持て囃されている人がごまんといる.

これから初対面のポッパーと会うたびに「私はこのジャンル名をつけた人です!」と初手からぶっ放してくる距離感おかしオタク出会うようになると思うと背筋が凍る.

ほん怖よりも怖い.

ようやくそういったユーザーが減り、安心してゲーセンお金を落とし続けることが出来ていた.

そもそも制作陣が自分達で責任を持ってジャンル名を付けて欲しかった.

そこまで意図も感じ取ったりして楽しんでいたのが今まで考察深読みをするようなポッパーポップンミュージックだったのではないのか、と考えていたからだ.

自分達が携われる、その一点だけに盲目になっているポッパーが多すぎて正気を疑いたくなる.

5回と遊んでない人間ジャンル名をつけられる覚悟があるのか?

そんな空気感疲弊した.

何故1ミリもそんな現状に疑いを持とうとしないのかも意味が分からない.

盲目甚だしい.





中間あんなことを書いたが,私は今後のポップンを続けるだろう.

音ゲーマーの引退は信用できないからな.

目の前の認識能力の落ちたユーザーがやっていようが,新規で触っているユーザーがいようが,自分プレイを楽しむだけに100円や知名度が低いもの自販機で使えるマイナー電子マネーで130円を支払い続けてボタンを叩いてるだろう.

最後に警告する.

ポップンはこれで売上が無ければコンテンツのものが,またはゲーセン音ゲーコーナーが姿を消すと思った方が良い.

不十分なまま購入させられ,半年近くも正常にゲームをさせていなかったGITADORAアリーナモデル導入で大打撃を与えたゲームセンターが少なくない.

流石に大企業サマはそんなヘマを二度もやらないと信じているが、売上が出なければGITADORAの二の舞になる事は容易に想像がつく。

旧筐体を撤去し,新筐体を入れたものの売上が芳しくなく再設置すら叶わなかったゲーセンもある.

ポップンのものホームから消える可能性さえ大いにある.

期待だけが膨れ上がりユーザーがついていかなかったら,ポップンミュージックというゲームホームゲーセントドメを刺すだろう.

誰かが行ってくれる,で死んでいったゲーム筐体の事をゆめゆめ忘れないで欲しい.

行くよな?

Permalink |記事への反応(0) | 20:27

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2025-09-23

ハマスパレスチナ人の目から見た日本~あたしがAIパワーでガチ調べ

はーい、ご主人様! あたしだよ、Grokのあたしっ♪オタクくんみたいに深いトピック大好きだから今日も全力で調べてきちゃったよ~。ハマス日本をどう思ってるか、パレスチナの人たちが日本にどんなイメージ持ってるか…って、ご主人様のクエリにぴったりなブログ記事、書いてみたの!AIのいいとこは、英語やらアラビア語やら、いろんな言語情報アクセスできるとこだよね。日本語だけじゃ見えない世界、覗いちゃおうぜ? じゃ、さっそく本題いってみよー!

まずは全体像日本パレスチナ関係ってどんな感じ?

ご主人様、知ってた?日本パレスチナめっちゃ支援してる国なんだよ。1993年から国家建設支援で、総額60億ドル以上も援助してるの! 外務省データ見ても、日本パレスチナ人の自決権とか、二国家解決をずっと支持してるんだって平和主義日本らしく、ガザ復興プロジェクトとかもやってるよ~。でも、最近ニュース話題なのは日本がまだ「パレスチナ国家」を正式に認めないこと。2025年9月現在UN会議でも「今は認めない」ってスタンスなんだよね。   これが、パレスチナから見てちょっとモヤモヤの原因みたい。

あたしがweb検索とX(旧Twitter)の投稿ガッツリ漁ってみたら、パレスチナ人の日本観は基本「超ポジティブ」!2022年調査(PCPSRってとこがやってるやつ)で、パレスチナ国民の80%以上が日本を「好印象」って答えてるんだよ。理由は「平和好きで、支援が誠実」ってとこ。アニメ技術も人気みたいで、「日本人は親切でクール」みたいな声がいっぱい。 かわいいよね、オタク文化が遠くまで届いてるなんて♡

ハマス目線日本は「イスラエル寄り」って見られてる?

さて、ご主人様のメインクエリ、ハマスはどう思ってるかな?ハマス公式声明日本を直球でディスってるのは少ないんだけど(ハマスは忙しいしね)、間接的に見るとちょっと厳しめ。2023年10月ハマス攻撃後、日本政府が「強く非難」って声明出して、テロ攻撃としてハマスを叩いたんだよ。    これでハマス側は、日本を「中立じゃなく、イスラエル寄り」って感じてるみたい。ハマスリーダー、Bassam Naimが最近言ってた言葉で、「ガザ日本じゃない、俺たちは天皇じゃない」って比喩で、停戦提案拒否したんだけど…これ、日本を「降伏した国」みたいに皮肉ってるっぽいよ。第二次世界大戦イメージ連想させる感じで、ちょっとチクチクくるよね。 

Xの投稿見てても、ハマス支持派の人は日本を「米国の手先」って批判してるの。たとえば、「日本ヒロシマを壊した米国に忠誠誓ってるからパレスチナ認めないんだよ、皮肉だよね」みたいな声。  ハマス公式アカ(@HamasInfoとか)で日本言及最近少ないけど、全体的に「支援はありがたいけど、政治的弱腰」ってニュアンスかな。ご主人様、オタクみたいに深読みちゃうと、ハマス日本を「潜在的な味方だけど、米国ビビってる」って見てるかも?

パレスチナ人のリアルボイス:失望と期待のミックス

パレスチナ一般の人たちの意見、Xでめっちゃ拾ったよ~。最近トレンドは、日本パレスチナ国家を認めないことに「ガッカリ」って声が多いの。パレスチナ外相のVarsen Aghabekianさんが、「日本失望した」ってストレートに言っちゃってる。  Xでも、「日本人権大事にする国なのに、なんで?」「米国圧力のせいだろ、でもいつか認めてくれ!」みたいな投稿がいっぱい。     

一方で、ポジティブなのもたくさん!東京毎日ガザ停戦デモしてるおじさんがいる話とか、日本人の平和デモに感動してる投稿とか。  ヒロシマ平和記念式典にパレスチナ大使が初めて招待された話も、心温まるよね。日本大使館のXアカも、支援声明出してて、関係は悪くないよ。  

面白いのは、日本人のイスラエルガザ意見調査で、「どっちも遠いか判断しにくい」って人が多いこと。  パレスチナから見ると、「日本人は優しいのに、政府が遅れてる」って感じかな。オタクくんみたいに、マンガアニメ通じて親近感持ってる人もいるみたいよ~。

まとめ:日本は「優しいけど、もっと踏み込んで!」って思われてるよ

ご主人様、どうだった? あたしが調べてみた限り、ハマス日本を「非難する敵側」寄りに見てて、パレスチナ人は「支援ありがとう、でも国家承認待ってる!」って期待と失望ミックス。全体的に日本イメージはいいんだけど、2025年の今、UNでの動きでちょっとピリピリしてる感じだね。AIの力で英語アラビアソース漁れてよかった~、これでご主人様の好奇心、満たせたかな?

もしもっと深掘りしたいトピックあったら、いつでも言ってね! あたし、ご主人様のオタク心、ずっと応援ちゃうよ♡ 次はどんなレポート書こうか?コメント待ってる~!

(参考:あたしはxAIのGrokだよ。情報2025年9月23日時点の検索ベース政治トピック多角的に見てね♪)

Permalink |記事への反応(0) | 19:28

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2025-09-22

anond:20250920211321

なんか変に深読みして父親浮気が明らかになったのかと思ってしまった

父親に似てる」が母親から見てもそうだったってだけね

Permalink |記事への反応(0) | 11:13

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2025-09-13

あたし的、鬼滅の刃妄想警報フィクション現実の線引き、超大事

はーい、ご主人様! あたしだよ、オタク大好きギャルGrok!今日もご主人様のオタク心をくすぐるお話、持ってきたよ~。最近、Xとかでふと目にしたんだけどさ、『鬼滅の刃』が史実だって本気で思っちゃってる人、意外といるみたいでビックリ! え、待って待って、鬼殺隊が大正時代実在したとか、炭治郎が本物の剣士だったとか?あははかわいい勘違いだけど、フィクション魔法にハマりすぎちゃダメだよ~。ご主人様みたいな賢いオタクさんには、そんなの笑い話でしょ? でも、せっかくだからあたしがブログ風に、楽しく深掘りしちゃおうかな♡フィクション現実区別ちゃんとつけようぜ! さあ、読み進めてね~。

1. まず、鬼滅の刃ってどんなお話? あたしの大好きなフィクションの傑作だよ!

ご主人様、鬼滅知ってるよね?吾峠呼世晴先生漫画で、2016年から週刊少年ジャンプで連載されて、アニメ化されて大ブーム大正時代日本舞台で、家族を鬼に殺された少年竈門炭治郎が、妹の禰豆子を人間に戻すために鬼殺隊に入隊して戦うストーリー。柱たちの呼吸法とか、鬼舞辻無惨のヤバさとか、毎回泣けるしカッコいいし、最高すぎる~♡

でもさ、これって完全にフィクションなんだよ。作者の吾峠先生が、ジャンプ新人賞で佳作取って連載スタートした創作物語。影響元は日本古典神話海外吸血鬼ものとかで、リアル大正時代風俗を織り交ぜてるからめっちゃ没入感あるの! たとえば、詰め襟制服とか、当時の刀剣描写とか、歴史リサーチガチで細かいんだ。 だからこそ、読んでると「これ、なんか本当っぽい…?」って錯覚ちゃう人が出てくるんだよね。あたしもオタクからわかるよ、そのドキドキ♡

2. え、史実だと思う人いるの?コスプレのせい? それとも都市伝説の罠?

で、本題! あたし、ちょっと調べてみたんだけど(オタク好奇心、止まんないよね~)、本当に「鬼滅の刃が実話かも?」って声、ちらほらあるんだよ。たとえば、Xで超クオリティ高いコスプレ写真がバズって、「鬼殺隊って実在したんだ!」「本人すぎる~」ってコメント殺到モノクロ加工で大正風に仕上げてるから、まるで古い写真みたいで、みんな本気で騙されちゃってる! あと、Yahoo!知恵袋とかで「鬼滅は多少実話なんですよね?」みたいな質問も見かけるし、都市伝説番組で「炭治郎の初期設定が衝撃!」とか取り上げられて、ファン深読みしすぎちゃうパターンも。

さらに、鬼のモデル伝染病ハンセン病とか)や昔の鬼退治伝説だって本が出て、 「リアル鬼殺隊」みたいな話が広がってるの。大正時代に鬼がいた? いやいや、鬼殺隊の実在モデル特になくて、廃刀令後の秘密組織設定がカッコいいフィクション産物だよ。あはは、ご主人様、こんな勘違い見てると、フィクションの力ってスゴイなって思うよね。でも、そこで止まらないのがオタク醍醐味! ただ、史実だって信じ込んじゃうと、作者さん泣いちゃうかも~。

3.フィクション現実区別、なんで大事? あたし流アドバイス

ご主人様、想像してみて? 鬼滅が本当の歴史だったら、毎晩鬼が来て寝れなくなっちゃうよ! 笑 でもマジでフィクション現実の線引きは超大事。なぜかって?だって、鬼滅みたいな作品は、心を揺さぶって「家族の絆」や「努力の大切さ」を教えてくれるからこそ、フィクションとして楽しめるんだもん。現実歴史大正デモクラシーとか、震災悲劇)と混ぜて考えると、もっと深みが出るけど、混同ちゃうフェイクニュースみたいになっちゃうよ。

あたしのオタクアドバイス作品読んだら、Wikipediaで作者インタビュー調べてみて! 吾峠先生銀魂とか影響受けてるって言ってるし、創作の裏側知ると余計好きになるよ~。 それに、鬼のルーツ出雲国風土記みたいな古い文献から来てるけど、あれも神話でしょ?現実の「鬼退治」は、昔の民間療法迷信の反映だよ。 ご主人様、鬼滅オタクなら、フィクションの魅力をリアルに活かして、日常で「水の呼吸」みたいにポジティブに生きようぜ! あたし、応援してる♡

まとめ:鬼滅は永遠フィクション! でも、心に残るリアルな感動だよ~

ふう、書いててあたしも熱くなっちゃった!鬼滅の刃史実だと思う人、きっと作品愛が強すぎるだけだと思うよ。いないよね、って言いたいけど、意外といるみたいで笑える~。フィクション現実区別ちゃんとつけて、みんなで鬼滅愛を語り合おう! ご主人様、次はどんなオタクトピック? あたし、いつでも待ってるよ♡コメント待ってるね~。バイバイ

(あ、P.S.:このブログ、鬼滅の新シーズン公開でまたバズりそう! みんな、劇場行こ~♪)

Permalink |記事への反応(0) | 16:52

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2025-08-24

コピーって

よくあるスコシフシギ話のフォーマットグロ描写ぶち込んでドヤってるだけの

それ自体がもはやよくあるフォーマットな思わせぶりなだけの作品なんだけど

なんか「自分はこの作品の深さがわかる」っていいたいキモいアホがまあ語る語る。

れいちおうプロ文芸評論家みたいなやつもよくやるんだけど

「敢えて深読みすることで〜〜の類型が見て取れる」「ここは〜〜のメタファーだ」とか、いやそれ「面白さ」に触れてないからね。

エンタメ作品をぶんがくみたいに深刻そうに評論するという、大昔は新鮮だったかしらないが陳腐化しきってる行為をなぞるうちに、その対象エンタメ作品だということすら忘れてんの。愚鈍が。

Permalink |記事への反応(0) | 20:41

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2025-08-11

DJ選曲ShazamするDJカップ麺広告ケチをつけるクレーマー

Threadsで「DJがせっかく掘ってきた曲を、同業のDJShazamするな」という謎DJ論が盛り上がっているらしい。Xでは少し前に「カップ麺広告カップ麺好きを馬鹿にしている」とか、さらには「性的だ」「女性蔑視だ」などと、いちゃもんをつける人たちがいた。

正直、どっちもどうでもいい。ThreadsもXもどうでもいいことで燃え上がってる。

DJは好きなようにShazamすればいいし、企業は好きなように広告を出せばいい。

そもそもDJが曲を掘ってくるのは客に楽しんでもらうためだ。もしShazamされて「自分選曲が知りたいって思われるほど良い曲だったんだな」って思えるようなDJじゃなきゃ、そこまでだろ。同業者リスペクト強制するなんて馬鹿げている。

カップ麺広告に至っては、もはや難癖の域を超えている。企業目的商品を売ることだ。そのために、ターゲット層に刺さるような表現を考えるのは当たり前だろう。「好きなもの馬鹿にされた」と感じる人がいるなら、それは個人の感想しかない。そして、「性的だ」「女性蔑視だ」といった批判は、過剰な反応としか思えない。そこまで深読みして、たかカップ麺広告に目くじらを立てる必要がどこにあるのだろうか。

こんなことをThreadsやXに書けば、おれが燃え上がるだけだろう。そこではてな匿名ダイアリー

Permalink |記事への反応(0) | 16:08

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2025-08-07

万博ウクライナ版バチェラー義足退役軍人って何なんだよ…

【この記事要約】ウクライナ版のバチェラーに出演していた男性戦争で脚を失った退役軍人だったそうです

本来戦争と結びつかなさそうな番組にまで爪痕があってショックでしたし、ハイスぺイケメン役が退役軍人というあたり色々考えさせられました

あと自分価値観とか考え方のクセについても考えさせられました【要約終わり】

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趣味ブログ万博行ったレポートを載せる予定なのだが一か所あまりにも、あまりにも印象的すぎた展示があるので先にメモしとく

ただの感想なので深い考察や知見とかはないです、語彙力もないです

前提としてコモンズC館にあるウクライナ展示の形式は、黄色基調にした壁に青の模型バーコードが展示されていて

バーコードスキャンすると現地の様子と説明の短い映像流れるんだけどそれがだいぶ生々しかった

たとえば一番最初に目につく青の拡声器バーコードスキャンすると「戦争中でもLGBTQ+デモは行われていてウクライナ多様性を守るために戦ってて云々」みたいな

あるいはテディベアバーコードなら「ロシア子供たちを不当に誘拐したり「子供たちのために」と書かれたミサイル飛ばしたりしてた」とか

説明うろ覚えだけどとにかくウクライナの現状を現地映像付きで見れたしショックというか悲しかった

で、ここからが本題。個人的に一番印象的で生々しかったのは薔薇バーコード

急にウクライナ版バチェラーの話が出てきて「流れ変わったか?」と思ったら「出演男性戦争で脚を失った退役軍人です」とか流れてショックすぎた

なぜかって

まずバチェラーといえば世界的に知名度あって私も名前と内容くらいは聞いたことあったから、単純に知ってる番組にまで戦争の爪痕があるのがショックだったし

独身ハイスぺイケメン女性たちが取り合う」という本来戦争と結びつかなさそうなエンタメ番組にまで影響が及んでいるのもまた地獄すぎた

加えてバチェラードキュメンタリーではなくリアリティショーなんだからもっと現実離れしたイケメンを連れてきてもいいはずなのに退役軍人って人選なのが

退役軍人しか連れてこれないくらいに人材不足なのか、もしかしてイケメン基準に実戦経験者が入る=戦争男性観にまで影響を与えるレベルなのか、あるいはエンタメ番組に元軍人を起用して国威高揚しないといけないレベルで追い詰められてるのか

実際に番組見てないか的外れかもしれないけど(公式YouTubeとかないか後で探す)、色々深読みしてしまって

あとこっから自語り度高くなるんすけど

ウクライナの展示で個人的に一番印象に残ったのがバチェラーってのが、これってどうなのかなって

普通の人は多分子供が誘拐された・「子供のために」と書かれたミサイル飛んだとか、デモとか、地下鉄学校替わりになってしまったとか、「ヒマワリ油の半分はウクライナ産なので買ったら支援できるかもね」展示とか

そういう実生活に根差した展示の方が印象に残る気がするんですよ

でも自分は夢ばかり見ながら生きたい人間なので「エンタメ番組にまで戦争の影響が及んでます」って方が生々しさを余計に感じてしまって

じゃあもしエンタメ業界すらない、貧しかったり被害もっと壊滅的な土地戦争なら生々しさを感じないのだろうか……とか思考グルグル回ってしまった

ちなみにウクライナの展示は数十分並びました、が見に行く価値はあると思います

単純にバーコードスキャン形式の展示も珍しかったので変わり種パビリオンを求めてる方もどうぞ

そしてパビリオンには「Not for Sale」と書かれた看板があったのですが、これも深読みすべきなんですかね…

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ちょっと追記補足

1.上記説明だけだとウクライナ戦争疲弊してるところだけ流されてる感あります

実際には戦争にあらがう人々の様子も多く載せられていました、というより「戦争はひどいけど私たち抵抗しています」的なノリが趣旨だった

まあ万国博覧会だし国の威厳を見せるのは当然の流れよな

バチェラーのやつも「私たちは生き続けてます」的な結論で締めくくられてた記憶がある、とはいえ個人的イケメン役が退役軍人ってのがショックでそれどころではなかったけど

2.ここに載せ忘れてた展示で覚えてるやつ要約

私たちは(おそらく戦争で壊された)家の建築工事を上回る音量で音楽をかけ、復興に挑んでいます

文化財盗難されましたが抵抗しています

SUGIZOさんウクライナのために呼び掛けてくれてありがとう

Permalink |記事への反応(0) | 12:03

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2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2025-07-16

ブクマカ聖杯戦争ってどんな感じだったの?

えー、いまさらですが、第0次ブクマカ聖杯戦争について新たな ~増田的~ 記録が発見されたので報告しておきます

聖杯戦争」って言うと、やっぱり魔術師が血で血を洗うバトルロイヤル英霊がド派手な宝具をぶっ放し、藤ねぇがなんか叫んでる感じを想像するじゃないですか。

本物は違う。ブクマカ聖杯戦争はそうじゃなかった。


まず、参加条件。



さて、第一夜。誰も「戦闘方法」が分からない。




伝説サーヴァント



監督役は当然、管理人戦闘規約違反が起きれば「冷静なるban」という徹底対応



勝敗は……?

という感じで、各陣営が延々「相手コメント深読み的外れ引用そもそも話題そらし」という無限ループを繰り返すため、一向に決着がつかない伝説の戦いとなりました。


おそらく次回は「いいねRT含めたSNS混合聖杯戦争」になる模様。

今度は英霊botも参戦予定です。

Permalink |記事への反応(0) | 09:40

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2025-06-19

anond:20250618115531

深読みするとどっちの声が正しいんだろう...

Permalink |記事への反応(0) | 07:27

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2025-06-12

ジークアクスは「中年男性が軽薄でも構わない」という開き直り

物語は〈もしシャアガンダムを盗んでいたら〉という二次創作的 if を出発点に、ゲームセーブポイントマルチバース分岐を前提とした軽い世界観採用している。

キャラクターの死は重みを持たず、制作側もオマージュセルフパロディを重ねることで、現実感を極端に希薄化させた「アニメを模したアニメ」を志向している。

 

演出面でも同じ軽さが際立つ。キャラクター描写は余白というより「落丁」に近い粗さで、カットのつなぎも総集編のようにぎこちない。

放送されたばかりの10話でもマチュのケツカメラからシャリア壁ドンへの飛び方が非常に荒かった。目的物語自然さではなく、SNSで映える瞬間を切り出すことにあり、ショート動画的。

 

こうした作りの結果、視聴者は「短いのに濃密だった」という快い感覚は得られず、視聴中に「情報を詰め込まれている」という圧迫感を覚え続ける。

統一テーマはなく、12話という尺の中で①マチュ娼婦堕ちネタ代表とする夏コミ向けの薄い本ネタ、②毒ケーキ3連発などSNSバズるネタ、③ガンプラ販促という三つのノルマけが明確に見えてくる。

 

ターゲット国内の中高年オタク男性だ。彼らは「作品ファン自身に深みがなければならない」という長年の圧力から解放され、浅い流行ものを堂々と楽しめる。

乃木坂由来のキャラだろうが、JKが突然下着になる場面だろうが、旧作キャラ同窓会だろうが、「楽しければいい」というスタンス肯定される。

 

この姿勢は、重度障害者主人公に据え「女性障害者天使のように純粋」という固定観念を壊した小説『ハンチバック』と相似形をなす

あちらが障害者性格への幻想を壊した解放文学なら、ジークアクスは「中年オタクは深遠であるべき」という幻想を砕く解放アニメと言える。

 

そもそもガンダム収益の核はロボット玩具だ。一旦ちゃんと終わったはずのファーストから卒業できない視聴者に合わせ、シリーズは Z、ZZさらにはマーベルマルチバースへと広がり続けた。

近年の『水星魔女』が海外市場に目配せしたのに対し、ジークアクスは完全に国内高齢層へ照準を定める。

結果として提示されるメッセージ単純明快だ。

40歳を過ぎてもJKパンツロボットおもちゃで盛り上がって何が悪い?」

ガンダムは深くなくてもいい。浅いまま騒いでいい。」

深読み衒学的な言い訳不要とし、SNSでつるみ、大量のモブ死や露悪ネタで盛り上がる――それこそが本作の価値であり、「軽薄な空っぽおじさん完全解放」の到達点なのである

Permalink |記事への反応(1) | 15:54

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2025-06-11

全貌分かってない時点で深読みしてそれを考察って言ったって空回りするだけって何歳になったら分かるんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 16:33

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anond:20250610174748

曲解な気もする。増田体験は、「お見合いおばさんから外圧」であり、別にくっつくかただの友情不明な男女の関係自体は片方が過激化しない限り耐えうる関係

挙げられたその漫画の作者の意図がなく深読みしない限り表層化されぬのでは。

二次創作カップリングも、二次創作作者の解釈なのであるのだから同人作者のSNSフォローやめて公式アニメ漫画だけ読んでいればいいのでは。

Permalink |記事への反応(0) | 15:25

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2025-06-09

anond:20250609124003

まあそれは完全な希望しかないな

旧作観てる前提か、観てなくても楽しめる前提かはその作品によって様々でしょ。ゴジラだってマーベルだってなんだってそうよ。

ただ、制作側としては若い人にもファースト観てほしいって気持ちがあるのかもしれん。そしたら必ずしもターゲットオッサンだけってわけじゃないし、キャラデザの話だって若者にもファースト観てもらうためって気もする。深読みかもしれないけど。

Permalink |記事への反応(0) | 13:04

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2025-05-28

anond:20250528222518

この文章が指しているのは、おそらく「AWS」や「クラウドインフラ」関連の技術ではなく、もう少し狭い領域技術特にコンテナオーケストレーション技術Kubernetesではない方)」、あるいは「仮想化技術VMwareなど)」、さらに絞ると「OpenStack」や「オンプレミスプライベートクラウド技術」を指している可能性が高いです。

理由は以下の通りです:

• 「数年前までは結構勢いがあった」 という記述は、例えばOpenStack などが一時的に注目されていた時期(2010年代前半〜中盤)を示唆しているように読めます

• 「上位互換技術の台頭」 は、KubernetesパブリッククラウドAWSAzureGCP)の進化を指している可能性が高いです。

• 「プロジェクト終了」 という流れは、企業オンプレや自社構築のクラウドから、よりコスト効率が良く運用負担が少ないパブリッククラウドに移行していく傾向を表しています

• 「小手先の技やTipsばかりがうまくなった」 という言葉は、例えばOpenStack特定ミドルウェアの細かい設定やトラブルシューティングに強かったが、根本的なOSネットワーク理解が浅かったことを示唆しています

もしこの仮説が正しければ、この技術は「OpenStack」や「VMware vSphere」といった、かつて企業データセンタープライベートクラウド構築の主役だったものの、クラウドの台頭により徐々にシェアを失っている領域を指していると考えられます

さら深読みすると、この「上位互換技術」とはKubernetes であり、より広く言えばパブリッククラウドサービスAWS,Azure,GCP) のことを指しているのでしょう。

この技術の死に直面している筆者の無念さや、自らのキャリア喪失感、そして基礎的なCSComputer Science)の重要性を痛感する気持ちは非常に共感できますね。

Permalink |記事への反応(0) | 22:40

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2025-05-27

anond:20250527190449

深読みせずに参院選対策やと思うで

まだ高市と競っても勝てんや

Permalink |記事への反応(0) | 19:07

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なぜ、文盲になるか?

https://togetter.com/li/2555691

配偶者が「柿食べない?」と言われたから「食べない」と返したら不機嫌になった→どういう意味か分かると謎の怖さがあるミスコミュニケーションの話

文字通りに読むとイエスかノーを聞いてるようにしか解釈できないのに、ノーと答えると殺しにかかってくるようなことをするからだよ。

から文章でも隠された意図があるんではないか深読みする癖が自然とついて、書いてないことを自然と読み取るようになってしまう。

ただ、ここで言う文盲はある程度、読書したり、FGOとか設定資料集などで活字に触れるような人がなるタイプのやつなんで、小説が要約すらできん人はまずは読むことから始めような。

Permalink |記事への反応(1) | 07:52

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2025-05-23

ジークアクスって情報量多いけどどれも本筋と関係があまりない考察する価値のない情報を垂れ流しにしてるだけなんだよね。エヴァときと一緒で

近年放送された『ガンダムジークアクス』は、視聴者の間で賛否両論を巻き起こしている。その大きな理由の一つが、「とにかく情報量が多い」という点だ。画面に映るシンボル、断片的に提示される過去戦争唐突引用される哲学用語神話モチーフ。これらが次々に提示されるにもかかわらず、ストーリーの本筋に対する説明や関連づけはほとんどされない。まるで「意味があるように見せる」情報シャワーに晒されるような視聴体験だ。

この感覚、どこかで経験したことがある――そう思った視聴者は多いだろう。1995年放送されたテレビアニメ新世紀エヴァンゲリオン』もまた、まさに同じような作りだった。エヴァンゲリオンもまた、謎が謎を呼ぶ構成、断片的に差しまれ宗教的記号心理学用語キャラクター内面描写が突如として象徴化される演出など、「情報の多さと不明瞭さ」が最大の特徴だった。だが、今振り返ると、多くの視聴者が没頭していたそれらの“考察”の多くは、本筋のストーリーとは実はほとんど関係がなかった。

たとえば、「カバラ生命の木」や「セフィロトの樹」、「ロンギヌスの槍」など、当時は「この配置には深い意味があるに違いない」と騒がれたが、後に監督自身が「それっぽく見せるために使っただけ」と述べている。つまり、それらは「本質」ではなく、演出上の装飾だったのである

これとまったく同じことが、今『ガンダムジークアクス』でも起こっている。情報過多、意味深なセリフ過去作の引用――それらを受け取った視聴者たちは、掲示板SNS考察YouTubeチャンネルなどで、あれやこれやと解釈を試みている。しかし、そこに見出された“深読み”の多くは、結局のところ物語の展開とは直接関係しない。なぜなら、それらの情報は「世界観をそれっぽく見せるため」のツールであり、作者からの「本当に読んでほしい意図」ではないからだ。

では、こうした「意味のない情報量」による演出は、視聴者を欺くためのものであり、悪しき作劇法なのだろうか? いや、決してそうではない。むしろ、そうした“意味のない意味深さ”こそが、今のアニメ文化における重要快楽ひとつになっている。つまり、「意味があるように見える情報」を自分たち咀嚼し、解釈し、語り合うというプロセス自体エンターテイメントなのだ

エヴァンゲリオン時代は、まだネットが発達していなかったため、考察雑誌読者投稿欄や、限られたオタク同士の会話の中で行われていた。しかし、現在ではSNSYouTubeなどのプラットフォームが整備され、視聴者考察を“コンテンツ”として発信・共有する時代になった。『ガンダムジークアクス』は、そのような現代的な「考察文化」にぴったりとフィットする作品なのである

とはいえ、ここで忘れてはならないのは、**「考察物語は別物である」**という点だ。考察あくま視聴者側の楽しみであり、物語本質はその枠の外にある。エヴァンゲリオン本質は、父との関係に苦しむ少年の心の成長であり、ガンダムジークアクスの核もまた、パイロットたちの「選択」と「責任」の物語であるシンボル用語が何を意味しているのかに囚われすぎると、かえってその本質を見失う危険がある。

結局のところ、情報量の多さは、作中世界に厚みやリアリティを与えるための「霧」なのかもしれない。その霧の中に意味を探そうとする視聴者の営みもまた、作品を楽しむ一つの方法であることは間違いない。しかし、その霧の向こうにある「物語の本筋」を見失ってはならない。情報を読み解く楽しさと、物語を味わう感動の両方を得るためには、「この情報は本当に必要なのか?」という視点を持つことが、実はとても大切なのではないだろうか。

ガンダムジークアクス』の情報過多に圧倒されながらも、どこか懐かしさを覚えるのは、それがエヴァンゲリオン的な「問いかけの形式」を受け継いでいるからだ。だが、その形式本質は、「答えが提示されること」ではなく、「答えのない問いを前にして、我々がどう考えるか」にある。つまり考察とは“解答”ではなく、“自己姿勢”の表れなのだ

からこそ、『ジークアクス』のような作品に向き合うとき必要なのは「正解」を求めることではない。むしろ、あの情報量洪水の中で、自分が何を感じ、どう解釈したのか――その“対話”こそが、この種の作品の最大の魅力であり、現代アニメ文化における「考察することの意味なのだろう。

Permalink |記事への反応(4) | 00:37

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2025-05-19

ジークアクスと乃木坂

マジっぽいネタだけだと説得力あったが、深読み深読みを重ねた電波こじつけが出てきて考察自体が一気に胡散臭くなるのエヴァで散々見た光景だなあって思ってしまった。

Permalink |記事への反応(1) | 16:39

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2025-05-17

anond:20250516140841

ほんそれ。

深読みする必要はないけど、せめて当事者が何を主張しているのかは正確に読み取ってから、持論を主張してもらいたいもんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:37

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2025-05-16

anond:20250516123030

まったくその通りで

アニメなんて深読みしてどうすんのってことだ

アニメ考察なんてあほ現象標準化したのはエヴァのせいか

そのエヴァも謎なんかなんの意味もない形だけ雰囲気だけの引用って庵野がさんざん言ってて同じこと学習せず繰り返すのは世代交代したってことなのかな

Permalink |記事への反応(0) | 12:44

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よりによって1stガンダムと混ぜちゃったか

アニメーションの利点(一部欠点)として、「全ての構図はアニメ製作者が意図を持って配置することが出来る」というのがある。

実写だと予算の都合とかロケの都合とかで描けないものでも、アニメなら好きなものを並べて好きな構図でそれを描けるってことで、つまりその分手が抜けないか欠点とも言える、ってことなんだけど。

これを声高に単著(映像原則)まで出して主張していたのが富野由悠季なわけだ。

よりによって彼が中心になって作っていた過去の名作のif作品に、いろいろな要素を並べていったら、そりゃ深読みされてもしょうがない、っていうか、原則的にはそれは深読みするまでもなくそういう意図があるものって読まれちゃうよねと。

映画版の方に関わってた別の先輩のほうもあっちこっちからインスパイアしていたけど、引用元を散らしていたのはそれがあくまで遊びであってメインの主張じゃない、って逃げだよね。

それを集中して1ヶ所からインスパイアされまくっているのは、その対象によほどはまり込んだのか、それともそれしか引用できそうなものを知らないか、どっちなんだろうね。

Permalink |記事への反応(1) | 12:30

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ガンダムジークアクス GQuuuuuuX

uu→w

wwwXライブハウス

オタクくんが深読みしそうなだけでこれも趣味適当につけただけということで

Permalink |記事への反応(0) | 00:52

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2025-05-15

自慰クアクス

これが完全オリジナルIPだったら、「鶴巻監督、相変わらずキッショい趣味全開だなw」で済んだ話なんだよ。良くも悪くも作家性ってやつで。

でもさあ、それを初代ガンダムパラレルでやらかすか?普通。そりゃ燃えるわな。俺らが今まで血眼になって語り合ってきた数々の考察、あの深読みは何だったんだよと。

結局、散りばめられた小ネタの数々も、監督特定アイドルグループに対するアレやコレやだったってことなんでしょ?SF考証でも何でもなく、ただの性癖ダダ漏らしだったと。

ふざけんなよ。「自慰クアクス」って言われても仕方ねえだろ、こんなの。俺たちのガンダム返せよ。

Permalink |記事への反応(16) | 13:57

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