
はてなキーワード:流通業者とは
問屋と転売屋の違いは、主に以下の4つの客観的な観点で整理できます。
| 観点 | 問屋 | 転売屋 |
| 位置づけ | メーカーと小売の中間に位置する【正式な流通業者】 | 商品の入手者と再販売者の間に偶発的に入る【非公式な再販者】 |
| 機能 | 物流・在庫管理・価格調整・販路提供 | 需要と供給のズレを突いた価格差の利用 |
| 観点 | 問屋 | 転売屋 |
| メーカーとの関係 | 正規取引契約がある場合が多い | 基本的に契約なし。一般消費者と同様に購入 |
| 再販許可 | 多くは再販契約に基づく | 原則として再販契約なし(許可制ではないが、規約で禁止されることも) |
| 観点 | 問屋 | 転売屋 |
| 購入ロット | 大量仕入れが基本(法人向け) | 少量~中量。個人が複数購入して再販売 |
| 在庫リスク | 業務上の前提。在庫管理が責務 | 在庫リスクを極力回避。需要ありきの購入 |
| 観点 | 問屋 | 転売屋 |
| 社会的信頼性 | 商習慣上の必要存在として認知 | 場合により反感を買いやすい(買い占め・値上げ等) |
| 法的評価 | 正規の業種として分類(卸売業) | 違法ではないが、プラットフォーム規約違反となる場合あり |
| 比較軸 | 問屋 | 転売屋 |
| 役割 | 正規の流通過程の一部 | 正規流通の外側で発生 |
| 契約 | メーカー・小売と契約あり | 原則契約なし |
| 在庫・物流機能 | 担う | 担わないことが多い |
| 社会的評価 | インフラ | モラル的に賛否あり |
これは常識
まず売り場についていうと、大手スーパーだけでなく中小地元スーパーやホームセンター、ドラッグストアに道の駅、ネット通販と購入の選択肢が多く、競争が激しい
こんななかで全員が示し合わせて値上げなんて出来るわけがない
次に流通業者だが、そんな多彩な小売業者相手に国内市場が次第に縮小する中で生き残るため出血サービスを続けて体力低下しており、小売大手に対し強気に出られるような国内流通業などフィクションの中にしかいない
なんでトラックの運転手が給料が下がり続けてきたのかといえば、流通コストが買いたたかれてきたためじゃないか
冷蔵倉庫なんて、電気代の上昇で維持費急上昇なのはすぐ想像つくだろう
ちょっと油断すればすぐ「中抜きで直接仕入れするぞ」と脅され過剰対応を請け負い続けて30年の中間流通業界には、「もっと安く仕入れられないのか」という小売業者の声に逆らえるような体力はない
(余談だがコロナ下で飲食店は休業補償が出たけど、飲食店に食品や消耗品を納入する業者には補償など出ていない)
コストコにしても価格としては安くない、ウォルマートもこないしカルフールも撤退
じゃあなぜ今、高いのかというと、「全体の需給のバランスが崩れたから、全員がそれぞれ市場の原理に従って動いた結果」としか言いようがない
あえて言えば、不足を煽るマスメディアや切り取り動画メディア、SNSと、それに釣られて慌てて買って5kgのコメを自宅で放置して虫が湧いてる人たちの自業自得
食事の前に、我々が口にする「いただきます」という言葉。何気なく言っているようで、この一言には深い意味が込められていると感じる。
単に食事を始める合図としてだけでなく、その背景にはさまざまな存在への感謝の気持ちが凝縮されている。
まず、神に対する感謝がある。自然や命が我々に与えられ、食べ物がテーブルに並ぶこと自体が奇跡的な出来事だと感じる人も多いだろう。
何かを食べるという行為は、生きるために他の命をいただくことであり、その命の源に対する感謝を表す意味でも「いただきます」と言うのはとても重要だ。
自然界での食物連鎖を考えると、食事は神からの恵みであることに気づく。この命を無駄にせず、ありがたく頂戴するという謙虚な気持ちを持たなければならない。
次に、生物への感謝も込められている。肉や魚、野菜や果物、すべての食材にはそれぞれ命が宿っている。
命をいただくということは、生き物がその一生を全うして私たちのために犠牲になったことを意味する。
食材となるために育てられ、収穫されるまでの過程や努力、さらには命のつながりを思うとき、そのありがたさが一層深く感じられる。
食事をするたびに、その命を大切にし、無駄にせず食べ尽くすことが重要であることを再認識させてくれる。
家庭で、または飲食店で料理を作ってくれる人々は、単に食事を準備するだけではなく、その食材をどのように扱うか、どんな調理法で味を引き出すかを考え、愛情を込めて作っている。
彼らの手間暇をかけた努力と心配りが、食卓に豊かさと喜びをもたらしている。
「いただきます」という言葉は、単に料理を作った人への感謝の気持ちを伝えるだけでなく、その人がどれだけ心を込めて料理をしたかを意識させてくれる。
さらに、食べ物を手に入れるために働く生産者たちにも感謝の気持ちを向けるべきだ。
農家や漁師、畜産業者、さらには流通業者や販売店など、食材が手に届くまでには多くの人々の手が加わっている。
食事を通じて、これらの人々の働きと貢献に感謝の気持ちを込めることも、「いただきます」が持つ意味の一つだ。
そして、最後に「いただきます」という言葉が示すのは、食事そのものに対する感謝だ。
食事はただの栄養摂取だけではなく、心と体を満たし、日々の力となる大切なものだ。
その大切な食事を、無駄にせず、心を込めていただくという気持ちが「いただきます」という言葉には込められている。
「いただきます」は、食事をするために関わるすべての存在—神、生物、作り手、生産者、そして食事そのもの—に対して、感謝を表す最も美しい言葉だと言える。
食事はただの生理的な行為ではなく、命のつながりや人々の協力によって成り立つものであり、そのすべてに感謝を示すことで、食事の一瞬一瞬がより尊いものとして感じられるようになるだろう。
おっしゃる通り、米に関しても、政府が物理的に倉庫に保管しているだけではなく、卸売業者に備蓄をお願いしているケースがあります。
日本の米の備蓄に関しては、政府が直接大規模な倉庫を持っているわけではなく、主に民間の流通業者に対して「備蓄義務」を課し、一定量の米を備蓄させるという形になっています。米の備蓄システムは、国家的なリスク(自然災害や戦争など)や、食料供給の不安定性に対応するためのものです。
具体的には、政府が備蓄の目標を設定し、それに基づいて業者が必要な量を各自で確保していることが多いです。そして、その量については、普段の供給状況や消費量を考慮して定期的にチェックされ、古くなった分は入れ替えられるシステムとなっています。
ただ、米の場合は他の生活必需品とは少し事情が異なる点もあります。米の備蓄は、例えば農家から直接買い上げたり、政府の協定のもとで実施されることがあり、特定の業者に一任されていることもあるため、規模や仕組みが異なることもあるかもしれません。
いずれにせよ、米の備蓄についても、「政府がすべて管理している」といった直接的な倉庫管理は少なく、各業者や流通業者が担っているという部分が大きいのは確かです。
小売で働いた経験がある人ならば分かると思うのだが、小売の従業員というのは陳列棚に隙間ができる事を極端に恐れる。
単に機会損失に対する恐怖もあるが、それ以上に「あそこは品揃えの悪い店」というイメージを客に持たれる事への恐怖が大きい。
これは魚売り場でも同様で、魚売り場の品揃えを充実させるという目的で多少それで損失が出たとしても棚(魚の場合は冷蔵ケースだが)を埋めようとする訳だ。
例えば「土用の丑の日なのにうなぎが並んでない店」というイメージを客に持たれたくないから、大して売れないのに鰻の蒲焼を並べたりする。
はっきりいって無駄だ。
要は棚が寂しいから、あんまり売れない魚でも並べるって事になるからだ。
「棚にいっぱい商品がある店」という演出の為にやせ細ったサンマや産地偽装のアサリが並んでる。
漁獲量制限の話をするなら、こういった小売の魚の売り方への規制も必要なんじゃないかと思う。
魚捕りすぎ問題については、地方の漁業者が都会に魚を大量に出荷して現金を得るという仕組みに依存し過ぎた事にもあると思うんだ。
都会の需要に地方の漁業者が依存するという構図を断ち切る必要がある。
漁獲量問題を真剣に考えるならば漁業関係者への規制だけでなく、流通業者、特に流通の末端である小売への規制は必要だ。
ソースと言えるかどうかだけどポストがエロに不利益な捏造をする意味ないよね
コンビニエロ本買うのがネットに詳しくない中高年でこれから消えいく層だとか
カードやイートインの場所を削ってまで置くもんじゃなくなってる
http://news.line.me/articles/oa-newspostseven/0bd794c9370a
「エロ本(成人向け雑誌)をコンビニで買う、という習慣はすでに消滅し、コンビニ側がエロ本の売り上げに期待しているなんてこともない。雑誌取次店などとの関係から、やむを得ず陳列していたという状況だった今回の決定は、商業的には“すでになくてもよい存在”になっていた、エロ本、そして我々を“悪”にして、企業イメージのアップを図ったのではとすら感じる」(現役の成人向け雑誌編集者)
そもそも今回の取り組みは、イオンと、同社が本社を置く千葉市側との調整を経て決定したものだ。販売店側が扱い拒否を一方的に決めてしまっては雑誌取次業者、流通業者との間に要らぬ軋轢を産んでしまう。また、行政だけが進んで“表現規制”をしようものなら、反発する声も余計に大きくなる。そこで、小売業者と行政側とがタッグを組み、また東京オリンピックなどを控えた昨今の“時代の要請”や、女性や子供たちに優しい環境作りをする、といった面をアピールすることで、企業イメージと自治体イメージの向上を狙ったのでは、と成人向け雑誌業界は見ている。
いつも使ってる社内の無料自販機でコーヒー押したらアイスコーヒーが欲しかったのにホットコーヒーが出てきたから怒ってるんでしょ?
「自販機にはアイスともホットとも書いてなかったけど当然アイスだと思ってた!」って話だよね
なら飲料メーカーじゃなくて自販機の管理者に怒るべきしょ「なんでアイスだと表記しないんだ!」って
ヨッピーも他の制作者もただ広告をweb上に公開してるだけだよね、もちろんキチンと記事内で広告と表記してる
それをタイトルだけ引っ張ってきて勝手に自分のサイト内で紹介してPV稼いでるのは株式会社はてなであり、グーグルでしょ
ブログなんかを読んでるとたまに「フェイスブックに登録しよう」なんてタイトルのテキスト広告があるけど
これに『なんで「【PR】フェイスブックに登録しよう」ってタイトルにしないんだ!』ってフェイスブックに対して怒る人いるの?
いないよね、だってそれは広告を配信してるグーグル及びブログ主の責任だから
ツイッターで言葉巧みに情報商材へのリンクをツイートしてる人間見つけた時
情報商材サイトの方へ「タイトルにPR入れろ!」って怒る人いるの?
普通はツイート主の方へ文句付けるよね「そういうツイートには情報商材とかPRとかって言葉入れろよ!」とかさ
つまり普通の記事だと思ったのにPR記事読まされた!って怒ってる人は
その記事を普通の記事だと誤解させるようなリンクを勝手に生成した株式会社はてなに怒るべきだと思うんだよね
webの慣習上そうなるのは仕方ないって話も分かるけどさ
ならmetaタグに<meta content="PR" />って入れるように業界で仕組み作ってリンク提供側(googleとかyahooとかはてなとか)で表示を変えるとかってした方が良くない?
だって2017年にもなってタイトルにテキストで【PR】って入れます!ってさあ、アナログ過ぎでしょ
>ooishikuranosukenowakenai 彼ははてなグーグルに記事を載せたくないとでも?笑 流通業者がタイトルのみ配信の慣習とわかってて釣り、恩恵を受けてるので勝手にやられてるは通用しない。顔本や情商はタイトルで広告だと慣習でわかるので的外
流通の慣習を分かった上でそこにつけこむ形でネイティブアドなんてものが生まれたってこともその制作者がはてブのホッテントリ入りすることを望んでることも
まったくその通りだと思うんだけど、株式会社はてながそれに何の対策も言い訳さえも用意せずにPVと利益を稼いでるのも事実なんだよね
後述するコメントもそうだけど、このエントリで言ってるのは株式会社はてなにも責任はあるよねって話がメインでヨッピーなんてどうでもいいんだよね
つまり(株)はてな及びgoogleの方が対応すればヨッピーが何をうだうだ言おうとも問答無用で解決する問題なんだからヨッピーなんて下流の方を責めずに上流を攻めるべきでしょって話なの
>dogear1988意味が分からない。問題は「アイスともホットとも表記していないこと」であり、読者の普段の慣習は関係なく、表記しているのははてなではなく筆者なので、筆者に指摘するのは当たり前だが。
ホットであることは缶に明記してあるけど、自販機のラベルには明記してないって話ですよ
>lainof自分で記事を宣伝するときにPRであることを常に明示していない限り、この理屈は通らない
まったくその通り
>logic この増田が一番低レベル…。titleしか表示されないと分かってるからPR入れたくない、は当然の大前提。SNSでもタイトルしか読まない人が多い。PRなしの記事を出すとそれだけで宣伝になる。
自分で大前提って書いてることをなんで相手の人間が分かってないって思うのかな?
タイトルしか表示しない今のweb上の、もっといえば(株)はてなが提供するサービスの仕組みがおかしいし、それを改善しない(株)はてなの方にユーザーは怒るべきだって話なんだけど
例えばはてブはアダルトなんかは弾いてるんだからネイティブアドだって弾こうと思えば弾く仕組み作るか無理でも努力くらいは出来るよね?ってことなの
あと上にも書いたけど「titleしか表示されないと分かってるからPR入れたくない」って言ってる人間に「PR入れろ!」って言っても本質的に意味ないんだよね
それならもう仕組みの方を変えた方が手っ取り早いしアナログな方法よりいいよねって話なの