
はてなキーワード:津波とは
津波の迫り来ているところの地面に立っているみたいな状況なわけですねもうすぐ飲み込まれますよっていうもう飲み込まれているのかもしれないけどね
そういうとき僕ちゃんは強いからなんとかしてやるっつって津波と戦ったって勝ち目ないわけじゃないですか。だから私のようにね高台に逃げるんですよ。
あなたの方も弁護士だから分かってるんだろうけど手続きが始まったらいろんな人に迷惑をかける。裁判なんてそんなものはないんだ。そういう自分を表現する場を
設けるなんてできないんですよ。そんなことをしても自分を傷つけていくだけなんだ。
対警察検察の関係でもそういった趣旨のことを描いていたけども、あの、全然強くはみえないんですよ。うっとうしいだけなんですよね。めんどくさい。もうそれしかない、ですよね。
手ごわいなっていう風には思わないんですよ。
遠野から国道107号、もしくは340号を南下するとたどり着くのが住田町。ここは東日本大震災の時に大船渡と陸前高田をバックアップする基地として活躍した。そもそも住田、大船渡、陸前高田の3地域は合わせて"気仙地域"として扱われていることも多い。
340号と107号は途中で合流する。合流したところにあるのが世田米(せたまい)地区で、ここから再び107号が分かれて行くのが大船渡、340号が行くのが陸前高田。行き先によってどちらに行くか分かれるキーとなる町ではある。住所的にはここと上有住(かみありす)を押さえておけば観光的にはなんとかなる。
上有住は釜石線の駅名になっているが、上有住の集落中心地はこの駅の周辺ではない。もし列車のなかから上有住駅の外を見てとんでもない僻地だと思った人がいたら、上有住はそこまでの場所じゃないよ、ということだけは覚えておいてほしい。しかしこの駅も観光には重要で、上有住、いや住田で最も重要な観光名所がこの駅のそばにあるのだ。鍾乳洞である滝観洞。龍泉洞の整備された順路とはうってかわったヘルメット必須(貸してくれる)の観光スポットだが、経路最奥にはその名の通り滝が見えて、これがけっこう壮観。入口横にあるレストランでは滝流しそば</b.という名物があって、これがいわゆる流しそうめんのそばバージョンのような形で食べられるのでアトラクションとしても面白い。なおこのレストランには"滝流しカレー"もあるのだけれど、流石にカレーは流れてこない。岩に見立てたご飯にカレーを流すだけ。</p>
気仙地区には宮大工である気仙大工の伝統があって、その成果を見られる寺が世田米にある。満蔵寺。特にここの山門は必見。あと世田米には鶏の加工工場があって、ここが鶏の希少部位として"鶏ハラミ"を名物に仕立て上げている。若干悪意のある言い方をしたけれどもうまいのは確かで、世田米にある食堂を中心に何店かで鶏ハラミを使った料理を食べることが出来る。たぶん一番わかりやすい店は世田米は世田米でも国道397号(107号から途中で南に分かれて西に向かう)の町境にある"道の駅種山ヶ原"のレストランにあるラーメンだと思う。この他に豚肉も特産品として売りに出されていて、世田米市街地に近い側にある産直、イーガストすみただとこの辺がお土産で買って帰られる。ただこの店でもっと買うべきは上有住の菓子店お菓子工房eat+のシフォンケーキだけどね。
107号を東方向に行くと、大船渡にたどり着く。大船渡には岩手唯一の私鉄が今も走っているけれど、旅客運輸は随分昔に廃止されたので乗ることは出来ない。ただ貨物輸送は今でも1日10往復以上やっているらしいので、運が良ければ107号を走っている時に見られるかもしれない(ほぼ並走している)。市街地に入る前に長安寺という寺があって、ここの山門も気仙大工の手による。あまりに豪華なので伊達政宗が怒ったという逸話もある。大船渡市街地は盛駅周辺(最近盛岡駅をこう略する人が増えて非常に紛らわしい)と大船渡駅周辺に分かれていて、古くから栄えてきたのは盛駅周辺。津波被害も盛駅周辺はそれほどなかった。それもあって、最近の再開発は大船渡駅周辺を中心に行われている。駅の東側に"かもめの玉子"のさいとう製菓が運営する"かもめテラス"では工場見学(要予約)他ここオリジナルのお菓子が食べられたり作れたりするし、最近は魚の駅という海産物に特化した施設も生まれた。じゃあ盛駅周辺に何もないかというと、少し北に行ったところにあるイタリア料理店ポルコ・ロッソと、そこから路地を奥に入ったところにあるハンバーガー店The BurgerHeartsの評判はいい。さらに南に行くと大船渡魚市場があり、ここのレストランは最近閉店してしまったのだけど、近くにある丸清食堂はよくテレビで紹介される。ここからさらに南に行ったところにある大船渡温泉は311後の開業だが、日帰り入浴も出来るし宿泊にもいい。
大船渡市の東側は平成の大合併までは三陸町という自治体だった。ここも昭和に吉浜、越喜来、綾里という3つの町が合併して出来た町で、それぞれ特産の海産物が違っていてそれぞれ有名という特色を持っている。特に有名なのは吉浜のアワビか。まあこれらはどれも海中にあるので前述の施設のどこからで料理もしくはお土産用に買うほうが身近だ。越喜来はいくつか見どころがあって、小石浜駅は少し前に恋し浜と駅名を変えて三陸鉄道が少し長めに停車するようになったし、甫嶺駅のそばには岩手では珍しいダイビングツアーショップがあって三陸の海に潜れる貴重な体験が出来る(密漁を気にしてか陸中海岸では水中メガネとシュノーケルのセットすら持ち歩くのに躊躇する風土なのだ)。ちなみに大船渡は牡蠣が旨いが、その中でも赤崎の牡蠣はデカくてうまい。ただこの辺一帯が春先の山火事で大被害を被ったのはけっこう痛い。
45号をさらに南に行くと、末崎半島に分かれる道がある。以前の大船渡観光地は宮古における浄土ヶ浜のようにこの末端に集中していて、大船渡が最も推していた碁石海岸はこの半島の端っこにある。それ以外にも大船渡が北限(いろいろ条件つけて)の椿を展示している世界の椿館とか、311以前の津波被害についても展示のある大船渡市立博物館とかもこの半島に存在する。
そう言えば大船渡が漁港として最も誇っているのがサンマの水揚げで、その影響もあって新しい御当地グルメとしてさんまラーメンがある。これの特色兼困ったところとして「サンマを使っていればその形態は問わない」というものがあって、まあ食べ歩いて比べる楽しみがある一方、さんまラーメンと言って一言で言えるものでは亡くなってしまっている。ただ、個人的には107号の長安寺付近にある黒船という店の秋刀魚出汁ラーメンが好き。
大船渡南側の峠を越えると陸前高田だ。おそらくテレビで何度も見たことがあると思うが、陸前高田の市街地は完全に津波にのまれて一部の建物以外はなくなってしまった。さらに当時の市長は再建にあたって市街地全体を嵩上げすることにしたので、現在の市街地は完全に311以降一から作り直された場所である。御当地歌手・千昌夫が多額の出資をしたキャピタルホテル1000も当初の場所とは全く別の場所に建っている。ただ、国道45号が海沿いを走るあたりは嵩上げが行われておらず、ほぼ道沿いに震災遺構が数多く残っている。大船渡側から順に、下宿定住促進住宅、タピック45、国道から少し離れるが米沢商会、そして奇跡の一本松、気仙中学校。事前予約があればガイド付きで中に入れるところもまだあったはずだが、まあ入らなくてもどこまで津波が来たかはそれなりに見えると思う。なおそれが非常にわかりやすかったタピック45前のガソリンスタンド看板は移転で撤去された。
奇跡の一本松。陸前高田の観光スポットはここ周辺に整備されている。現在の道の駅はこの一本松を見るための駐車場として整備されたフシがあるし、そもそも道の駅の中に津波伝承館が併設されていて、ここは正直奇跡の一本松以上に必見のスポット。なお一本松は元から一本松だったわけではなく、ここには松林があった。その松林を復興させるために松の植え直しが行われたので、50年後にはそういう逸話込みでここが名所になるかもしれない。
復興された市街地はアバッセたかたというショッピングモール周辺。この東側、市民ホールのそばにある四海楼が佐々木朗希ゆかりの店ということになっていてテレビでも何回も紹介されたが味はよく知らない。個人的には西隣にある熊谷の担々麺に何度もお世話になっているし、一時盛岡に移転した居酒屋俺っちが陸前高田に復活して営業しているのはいいことだと思っている。
住田町からの国道340号は陸前高田の西端を通って45号につながる。そのつながる直前のところに発酵パークCAMOCYがあって、地元の醤油屋さんが運営する食堂を始め、ほぼ全ての店が発酵をテーマにした商品を扱っていてここは寄るべき。この裏に最近復活した旧吉田家住宅は気仙大工の技を津波を経て復活させた建物で、今のところは無料で見られるので是非見ておくべき。気仙大工の話を事ある毎にしてきたが、資料館そのもの、というか伝承館もあってこれは陸前高田の東側にある。この伝承館の裏(もちろん車で行くべき)に展望台があって、ここの眺めはたぶんこの近辺で一番いい。陸前高田東側には他にも陸前高田のソウルフードならぬソウルドリンク"マスカットサイダー"を作っていた神田葡萄園があるが、ここでのこのドリンクの製造は2年ほど前に終わっている。ただこの商品そのものは地元のスーパーが引き継いだので今でも買うことが出来る。あとどうも孟宗竹の自生の北限がこの辺らしく、東側、広田半島には岩手ではあんまり見られない竹林がけっこう頻繁に見られるんだが、まあこれは外から来た人には珍しくもないか。
そう言えば陸前高田の地酒に酔仙という酒があって、ここが出している雪っ子というにごり酒は10月から出荷になる。これがうまいがアルコール度数がけっこう高いので危ない酒でもある。なお陸前高田の会社だが、酒蔵は大船渡に移転になった。見学は要予約だが無料で可能。
岩手沿岸部を北から紹介していって、順番から言えば次が大槌と釜石なんだけど、そろそろこの辺から気が重くなるのよね。
もっと北のほうから311(東日本大震災)の被災地は存在しているのだけど、大槌は津波と火事で市街地が全部なくなった町なのよ。こういうところがここから南にはちらほら現れてくる。もちろん過去の津波の教訓のおかげで被害を避けた、っていう例もあるけどね。船が建物の上に乗り上げたやつ。あれは大槌だけど解体されたし、廃墟になった役場も完全に解体して無難な跡地碑だけが残ってる。
自分にとって大槌は地元銀行のそばにある寿司屋がいい仕事していて美味かった、という記憶で止まっている。震災後はほとんどこの地をスルーしているのね(しかも三陸自動車道はスルーするのに都合がいい場所を走っている)。
いちおう調べ直したら、アニメ映画「岬のマヨイガ」で主人公たちが買い出しに出てくる沿岸の町のモデルになったのが大槌町らしい。大槌町の公式サイトにモデル地の地図はあるので興味があったらそちらを調べて欲しい。あれ面白い映画だしね。ただ自分としてはあれの聖地も盛岡の仁王小学校そばにあるでかい地蔵のほうが馴染みがある。
あ、震災前も後も残っている名所が1つあった。蓬莱島だ。これはNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったと言われる島で、島だけど舟なしでも上陸が可能。ただし人形劇の面影は一切ないのでそのつもりで。
大槌はこの市街地の北、山田との間に、吉里吉里と言われる地域がある。ひょっこりひょうたん島の原作者である井上ひさしがこの地をモデルに「吉里吉里人」という小説を書いて、これが1980年代のミニ独立国ブームに火をつけた(吉里吉里も吉里吉里国というミニ独立国を名乗って観光に力を入れていた)んだけど、たぶんこのブームを知っているのは今の50代以上だしその跡もほとんど残っていない。ただ、この地域のさらに北の端に白い電話ボックスがある。ここに置いてある電話は電気的にはどこにも繋がっていなくて、でもここに来て亡くなった人と話す人が非常に多い。風の電話と呼ばれていて同名で映画化もされた。現地には案内も少ないので興味がある場合はナビ頼りでどうぞ。
釜石は製鉄の街として、一時期は盛岡に次ぐ県内第ニの人口を擁する街だった。それ(製鉄)絡みの場所が少し残っている。
古い方で言えば釜石市街地からは少し離れるのだけれど、橋野高炉跡。地味だけど世界遺産の構成要素の1つになっている。かなりの山奥にあって、許可無しで見えるところだけでもたぶん「ここで作るまでのことが必要だったのかもな」と思えると思う。ここより新しい鉄絡みと言えば釜石鉱山跡。ここも国の文化財に指定されていて、冬以外は見学が可能。ただ年数回行われる坑道見学に参加して見たほうがより面白いと思う。
工場は24時間操業で、働く人も多かった。そういう人たちが働いた後に向かったのが呑兵衛横丁で、ただここは津波で壊滅して、残った店が移動した仮店舗も営業期限が来て多くが廃業した。ただ3店舗だけが市内中心部のかまりばという飲食店街に移転を果たしている。まあここに来るということは確実に釜石泊まりになることが前提となってしまうので日帰りではおすすめしない。酒以外の労働者のための食べ物として生まれたのが釜石ラーメン。極細麺の醤油味であっさり。新華園という店が元祖といわれているが、釜石ラーメンと言って出している店の味の優劣はほとんどないので、見かけた店で食べていいと思う。
新日鉄釜石といえばラグビーを思い出す中年以上の人もいると思う。このラグビーチームは現在釜石シーウェイブスというクラブチームになって現存している。3部リーグ落ちをなんとか堪えた2部リーグ所属として頑張っている。8月9月は市街地にある練習場で公開練習していたけど、10月からは新シーズンということで大槌との間にある鵜住居スタジアムというところで公式戦を行う予定。
釜石ラーメン絡みで紹介しないといけない店が1つあった。工藤精肉店の2Fの食堂。ここは定食といっしょにラーメンを注文する人が多いのだけど、そもそのその定食の量が多いことで有名。おすすめメニューはカツカレー。お腹を空かせてどうぞ。
製鉄とも釜石とも全く関係ないが、市内には国内唯一のミッフィーカフェがある。公式ナインチェ・プラウスなカフェメニューを出してる。味はそれなり(まずくはない)だけど、うさこちゃんに興味がある人はこっちの店のほうがいいかもしれない。
さて宮古。
宮古は合併の結果、岩手で一番大きな自治体になっている。全国的にもトップ10に入ったり(市)入らなかったり(市町村)という大きさらしい。合併前のところまで含めて「宮古観光」とはなりにくいところも多いのだけど、とりあえず全部説明することにする。
まず旧宮古市な場所。ここの観光地のほぼ全ては浄土ヶ浜近辺に集中している。浄土ヶ浜はもちろん、宮古港海戦の記念碑とか遊覧船の乗り場とか、青の洞窟へのサッパ船遊覧船乗り場もみんな浄土ヶ浜近辺にあるので、ここにたどり着けばだいたいの観光は出来る。1日1本だけだけど、盛岡から走っている宮古行きのバスが浄土ヶ浜に行くのも納得だ。
近年はここより宮古市街地に近い出崎埠頭近辺が観光地としてプッシュされていて、この近辺に道の駅があったり、遊覧船の発着場所もここ出発に変更されたりしている(浄土ヶ浜の埠頭から一周することも可能)。何せここには魚市場があるからね。魚市場食堂はまあリーズナブルだけど、ご飯のおかわりができなくなったのが地味に残念。
市場といえば、まあ観光客向けなのはこの魚市場というよりは、市内中心部少し北に存在する魚菜市場のほうが有名かもしれない。ただ秋は端境期でもある。ウニを買うには遅いし、タラ(宮古はタラの水揚げが日本一多い)やカニを買うにはちょっと早いし、早採りワカメとは季節が完全にずれている。まあ秋以外の季節にはこの辺の物を探しに来る地元民が多い。いちおう海鮮丼の店もある。宮古はラーメンも最近注目されている。古くから注目されていた多楽福を始め、ぴかいち、一竜あたりが似た雰囲気のラーメンを出している。ただ、ハズレとはならないまでも、特徴のないラーメンと思われるような地味な姿はしているけどね。
そういう意味では、最近寿司などの海鮮店で展開されている瓶ドンのほうがメリハリがついているかもしれない。ただ、これはその場で食べられる店と、持ち帰りだけを売っている店が観光客に区別がつきにくいのが少し難点かもしれない。瓶詰めだけど保存のことはあまり考えていない(冷凍のやつも存在はする)のもあってもう少しわかりやすくして欲しいところではある。
合併した町村のうち、北に接していたのが旧田老町。ここは過去2度の津波で2度とも壊滅的な被害を受けた町で、その後巨大な防波堤で1度は津波から町を守った(チリ地震津波)のだが、311ではこの防波堤を壊すほどの津波が来てまた壊滅的な被害を受けた町でもある。おそらく今最も見る価値があるのはこの津波遺構となったたろう観光ホテル。ホテルそのものの外観は予約なしでも見ることが出来、予約すれば内部の見学(+ここの最上階から撮影した津波の来襲のVTR観覧)をすることも出来る。
西に接していた村のうち近かったのが旧新里村。温浴施設の湯ったり館は新里に用があって泊まる必要があるならいい候補だし日帰り入浴もあるけど、わざわざ県外から入る風呂じゃない。秘境中の秘境路線な岩泉線は廃止になって10年以上経ってる。まあ一部区間を観光のレールバイクで走れる(要予約)など、観光村おこしはそこそこやってはいる。その西の旧川井村は昔電気が通らない集落として映画になったほどの僻地も含まれる場所で、さらにその西端の区界高原にある兜明神岳は1時間弱で登れる程度の山なのに岩登りまで出来るというお遊びで登るには最適な山であることだけはここに書き残しておきたい。何せ今やほとんどの人はこの山の横をトンネルで通過するからね。いちおうこの山には前九年の役で負けた安倍氏が隠したという埋蔵金伝説もあったりする。
なお現在盛岡と宮古の間(川井と新里を含む)は少し交通の便が良くなっている。JR山田線チケットを買うとバス路線106急行(特急)が相互利用できるようになったから。これを利用するとこの地区を途中下車して観光することが少し簡単になる。まあ観光するほど施設があるのか、という問題はあまり解決していないけれど。
山田線の話をしたついでに、宮古市の南にある山田町も紹介しておこう。現在山田線は山田町まで走っていない。311きっかけで陸中山田を含む宮古から釜石までの区間をJR東日本が三陸鉄道に譲渡したから。なので山田に行くなら山田線じゃなくて今は三陸鉄道に乗ることになるのね。まあ例によってここもレンタカーを前提としたほうがいい。
山田町は大まかに言うと3つの地区に分かれている。宮古に近い側から豊間根、山田、船越。このうち豊間根にはあんまり立ち寄る観光資源がない。鉱泉が1つあるくらい。ただ、豊間根に来る前の宮古市の運動公園のそばには、おそらくそこがすずめの戸締まりの実家のモデル場所になったんではないかと言われている電波塔が建っていて、その場所には今は白い扉が建てられている。山田は中心地区で、豊間根との境に近いあたりには少し新しめの道の駅があったりするのと、中心部のスーパーびはんがオリジナル商品作ったりしてけっこう頑張っている。この地域の湾に見える離島はオランダ島と言って夏の間は海水浴に最適なんだけど秋はシーズンオフ。漁船の人と話がつけば秋でも送ってくれることはあるけれど、行ったとて、なところはある。それよりも、船越と山田の間にある織笠駅がすずめの戸締まりのラス前シーンのモデルになった場所で、それで話題になったりもした。この駅から少し海に行ったところにある公園にもすずめの戸締まりをイメージした扉は建てられている。船越は以前まで道の駅があったところ(今もある)で、ここのそばにある岩手船越駅は本州最東端だそうだがたぶんそれはどうでもいいかもしれない。それよりもこのあたりから半島に入ったあたりにある鯨と海の博物館と山田のかき小屋については訪れる価値がある。特に後者は蒸し牡蠣が飽きるほどリーズナブルに食べられる(要予約)のでカレー粉とマヨネーズとレモン汁を持って乗り込むといい。なおここの牡蠣の食べ頃は「後になればなるほど美味しい」で、5月頃産卵が起きる直前が一番美味しいんだそうだが、そこには運も絡むので普通に冬に出かけたときの楽しみにしたほうがいい。
次は久慈近辺を紹介することにする。花巻(北上)、一関(平泉)と来て、内陸を埋めるなら奥州いくべきなんだろうけどね。
盛岡から久慈に行くにはどう行くかがまず問題。バスだと直行便が1日5往復(4+1往復)あるんだけれど、日帰りには致命的に不便。二戸まで新幹線で行ってバスに乗り換えるのがたぶんいちばん便利。そういう意味でもレンタカーがおすすめ。
レンタカーでも、ルートは大まかに行って4つある。1つめのおすすめは東北自動車道-八戸道で九戸インターで降りて、あとは一般道を通るルートで、これがたぶんいちばん楽で速い。それ以外に、国道4号で沼宮内近辺から葛巻方向に入っていく経路と、国道455号で岩泉を経由する経路と、国道106号で宮古経由で行く経路がある。葛巻経由はまあ趣味の世界。道路状況は悪くないけど遠い。岩泉ルートはもっと遠いが龍泉洞をついでに観光できるという利点は捨てがたい。宮古ルートは311後の道路改良のおかげで意外と近い。たぶん旅行計画によって葛巻ルート以外の2つを行き帰りで選ぶことになると思う。岩泉ルートと宮古ルートは途中に野田、田野畑あたりも経由できるのでこの辺もあとで紹介しておく。
久慈は平成の大合併で山形村を合併して大きくなった市で、旧山形村にはそれほど観光資源がない。あったのがまめぶ汁だがこれは「あまちゃん」でなぜか海女の食べ物になってしまった。とは言え能年玲奈がその後主役になった映画「星屑の町」は山形村な地域でのロケがけっこう行われたのでこの映画に興味がある向きはロケ地巡りに周ることが可能。ロケ地マップは久慈市が公式サイト上で配布している。説明はこれくらいにしておく。たぶんこの地域を周るとガタゴンという未確認生物の話も聞けると思う。
で、久慈地域。ほかにもいろいろあるのだけど、まあ基本的には「あまちゃん」が全て持っていってしまっている。結局それ絡みの観光名所を周ることになると思う。ウニ弁当を売っている久慈駅とか、そこに面して建っている廃墟である久慈駅前デパートとか。あまちゃんハウスは閉鎖して、そこにあったあまちゃんグッズは久慈駅南側の公共施設YOMUNOSUに移設された。喫茶リアスのモデルになった喫茶モカも久慈駅からギリギリ見える場所にある。あま絵の描かれたシャッター商店街も久慈駅から歩ける範囲にある。つまり久慈駅にたどり着けばだいたい見ることが出来る。ラーメン好きにはカツらーめんが有名なラーメンの千草もかなり近所にある。
いっぽうで、そこから少しでも離れると車なしでは観光地は回れない距離になる。北三陸鉄道袖ヶ浜駅は三陸鉄道の堀内駅で、久慈市には存在しないし、海女として活動していた小袖海岸は絶対にそこの最寄り駅ではない(そもそも小袖海岸のそばを三陸鉄道は走らない)。結局レンタカー頼りになっちゃうわけだ。
ウニについては、久慈よりもそこより少し北にある洋野町が盛ん(久慈にもあるけど)。正直もう生ウニシーズンは終わっているけれど、ウニを買うなら洋野町のほうがいい気がする。食べるならはまなす亭がおすすめ。個人的には洋野ではウニよりもホヤを試してほしい。特に喜利屋のダイバー定食はホヤ嫌いでも一度は食べてみるべきなんだけど、そういえば元増田は魚介類には興味ないんだっけな。
久慈は琥珀の日本最大の産地で、その近辺で肉食恐竜の化石も見つかっているんだけど、この辺にはあまり詳しくないのでおすすめはしない。いちおう琥珀は博物館もあるし、琥珀の工作体験が出来る店もあるらしい。まあこれはそういうものもあるという情報だけ。
そう言えば、遠地で津波を伴う地震があった時に、本州で最初に津波が到達することが多いのが久慈だったりする。7月にカムチャツカ半島で起きた津波も日本で一番大きいのは久慈に来た津波だった。久慈の災害情報カメラはほぼ全系列、久慈漁港に置かれているので、ここを南側から見ると次に津波が起きた時に「ここに来たことがある」と実感が持てるかもしれない。
先ほど堀内の話をしてしまったので、間の野田について少し。自分にとってのイチオシは陸中野田駅の斜向かいにあるお魚センターだったのだが、どうやら今年になって閉店したらしい。まあ魚介類には興味ないから別にいいか。道の駅も陸中野田駅に隣接していたのだけれど三陸自動車道の開通があって野田インターのそばに移転した。野田は塩の産地でここで売っているソフトクリームは塩入りなので試してみるべき。あと、どうもこの辺で売っているかりんとうはふつうのかりんとうとは形が違うらしい。北三陸でかりんとうを見かけたらこの道の駅でなくていいので買ってみてほしい。あと、テレビで紹介されたものとしては木彫りの魚があるね。これは道の駅からはけっこう離れている。
さて堀内から少し南に(45号を)行くと、少し海が開けたところが見える。本当はここは三陸鉄道で渡って欲しいところなのだけど、たぶん日帰りだとそれはかなわないと思う。ここが大沢橋梁で、三陸鉄道屈指の絶景スポット(三陸鉄道はあんまり海のそばを走っていない。それでも津波で被害を受けた)。実は「あまちゃん」絡みの撮影スポットでもある。さらに南に行くと普代村の市街地。市街地といっても村なのでそれほど大きくはないが、ここから県道を通って北山崎に向かうことができる。ここは必見。ここに向かう県道沿いの普代市街地を出てすぐのところに普代水門という可動防波堤があって、普代村はこれのおかげで311の津波を避けることが出来たという逆の意味での震災遺構となっているのでこれも是非。このあたりから田野畑村で、ここをさらに南に行った先に机浜という集落があって、ここが少し観光に力を入れている。漁村ならではの体験もあるけれど、イチオシはここから北山崎を下から眺めるサッパ船ツアー。三陸海岸は東向きなので本当はここは午前中に来て欲しいところではある(日帰りでは厳しい)。もし泊まるなら少し南にあるホテル羅賀荘がおすすめ。
このそば(当然歩いて行くことはおすすめしない)に、三陸鉄道の田野畑駅と島越駅がある。田野畑駅は「あまちゃん」で畑野駅として使われた駅。島越駅は津波を見越して作られたにも関わらず三陸鉄道最大の津波被害を受けた駅であるというストーリー(プロジェクトXで紹介された)を知っていると見る価値はある。ここから45号線に戻る山道が辞職坂と言われる坂。実は田野畑村は陸の孤島で、そこにかかっている橋を含め2つの橋が出来るまではこの大きさの谷を2つ越えて来る必要があった。辞令で田野畑に来る命令をされた人が最初の谷(思案坂)でこのまま勤めるか悩み、この谷で辞職を決意したという伝説が残っている。最初の坂にかかった橋は真木沢橋だが、現在は隣に高速道路のその名も「思案坂大橋」という橋がかかっている。ここを通れば田野畑村を抜けるが、もし田野畑村で昼食が食べたかったら北に国道を戻って北川食堂で食べるといい。
大学の春休みでチラシ配りの短期バイトの予定が午後から入ってた。お昼頃アパートのベッドに腰掛けて携帯で父親と通話していて、このあと出かける、みたいな話をしていた。大きな縦揺れになって、普段の地震とは違うことは明らかだった。揺れている最中から父が何度も「通話中でよかった、この大きさだとこのあと多分通じなくなるかもしれないから」と言っていた。とにかく早めにお金をまとめておろすこと、そして食べ物も買い溜めしておくようにと言われた。
部屋は特に崩れたりせず、縦揺れなんて初めてだったなと驚くくらいで、普通にバイトの集合地点にむかって歩きながら、しかし電波が飛ばずバイト先の仲間と連絡が取れなかった。お互いメアドは知らず電話番号だけ知っていて、当時LINEは普及してない。雇い主とは連絡が取れた。向こうからかけてくれた。「とりあえず、連絡が難しい状態だから今日はなしで!」ということを言われた。そのバイト仲間の車で複数人で移動する予定だったからそうするしかない。雇い主もバイト仲間と連絡が取れないらしかった。今思うと携帯同士では繋がりにくく、どちらかが有線電話だと繋がりやすかったのかな。
そのままの方向にあるATMに向かって歩きながら福島に帰省していた友達2人に大丈夫?とメールを送った。(今なら相手の状況や電池のことを考えてメールは送らないです。当時は災害の規模がよくわかっていなかった上に無神経でした…)すぐに返してくれた子は「かなり揺れたいま親とテーブルの下に隠れてる」と言ってた。ATMで奨学金から7万円くらいおろして、スーパーに寄って帰った。(手数料かからない銀行は遠かったので緊急事態だから今くらいはいいかと…)
どう連絡を取れたのか覚えていないがその日の夜私の部屋に友達が遊びにきた。朧げな記憶なんだけどお互いに携帯がauで、au同士だとギリメールできたんじゃなかったかな。それか、もとから約束していたか。もしくは直接アポなしで来たのかもしれない。家近かったから。
夜になったあたりからテレビで少しずつ被災地の映像が流されるようになった。
津波に飲み込まれた街の映像に、衝撃を受けるよりも現実離れしていて本当に起こっていることと思えずボンヤリしてしまった。ふたりで「映画みたいだね」と話した。
しかし報道に原発事故の要素が加わり、火事の様子も画面に加わるあたりから友達は血の気が引いていた。彼女は実家こそ沿岸部ではないが福島出身の子だった。やばい、どうしよう、どうしようと呟き出した。
家族とメールはできるけど電話ができない、みたいなこと言っていた気がする。いやメールも途絶えていたのかのかもしれない。
万が一のためにあると便利だからと私の親が設置してくれていた小さい子機みたいな有線電話を貸してみたら親と繋がったみたいで感謝された。私ではなく親のおかげだけど、その日私はその友達の気持ちそっちのけで「つまらないもう春休み帰省ようかな」とずっとうだうだ言っていて不謹慎だし失礼だったので、あれで相殺になったと思いたい。電話が通じて安堵の様子の友達を見てうちに電話をつけてもらっていて良かったと思った。
そのあとも一緒にテレビを見てて実感が追いつかないなりに甚大さにこれはなんか…と途中からテレビ番組を録画したし、意味ないけどデジカメでテレビの液晶を撮ったりした。水の上で火が燃え広がってそれがさらに流れているのがやばかった。
後日、私の実家は停電してガスもとまって浴槽に水を溜めているしガソリンの調達も大変ということで帰省どころでないことがわかった。そもそも新幹線がしばらく運休になったので帰りたくても帰れなかった。
携帯は電波が戻らず、しばらく代替機を使っていたけど、もう使っていた機種の電波?のサポートはauも諦めることになったとのことで安く別の機種に変えることになり、高一から使っていたW51P(https://youtu.be/GbMyYIm3_JA)とお別れすることになった。変えた先もガラケーだったんだけどこの時スマホに変えていたら学生生活ちょっと違っただろうなと思う。
運転してくれるはずだったバイト仲間は次の年のチラシシーズンに再会し、聞くと実家が気仙沼で浸水してしまったとのことだった。
この手のトラウマ誘発描写に事前告知をしたほうがいいのは、その当事者への「配慮」ってだけではなくて、観客全員に関わる話だからだよ。
知らんで見に来た人がそこで過呼吸発作とか起こして倒れたら、当然上映に影響出て、他の客の鑑賞体験が損なわれるからで、それはもったいない話でしょ。
個人としては必ず警告しろとも思わないけど、一部の人間のためにそんな配慮いらんと言ってる人は視野が狭いとは思うよ。
あと同じトラウマなら殺人とかにも警告いるだろと言ってくる人いるけど、
ミステリやホラージャンルなら、警告なくても人が死んだりグロがあるかもしれないって想像して避けられるけど、
「津波」がリアルに描かれるフィクションは他よりはレアだし、より多くの人のトラウマになってる出来事だから単純に比較はできないと思うよ。
そういうのを考えるのが想像力ってやつじゃないのかね。
映画8番出口に津波描写があるのに事前の注意喚起がされてないって炎上してるのをみた。
最初は「そのとおり!こういう事はちゃんと先に言っとけ!」と思っていたけど、よくよく考えると、なんで津波だけそこまで配慮が求められるのか分からなかった。
もちろん震災で辛い経験をした沢山の人たちへの配慮が必要なのは百も承知。自分も東北の人間なので痛いほど分かる。
でも津波だけ配慮すべき?他にもトラウマ級の出来事って世の中にめちゃくちゃあるよ。
戦争、火災、地震、水害、交通事故、殺人、強姦……。他にもたくさん。
たとえば、交通事故で家族や大切な人を失ったことがある人は津波を経験した人よりも多くいるはずだけど、「この作品には交通事故描写があります」なんて事前警告は見たことがない。交通事故描写ではPTSDを発症しないってこと?
それとも交通事故はこの世にありふれすぎているものだから配慮のしようがないってこと?
だとしたら津波は、ありふれた出来事じゃないのに経験した人が多いから配慮されるべきなんかな?
その辺のさじ加減ってどうなってるんだろう??わからなすぎる。
誰か頭の良い人、教えて〜〜。
良かったじゃん
そのおかげでお前は津波をナメてかかることは一切ないだろうし
ひいては自然もナメないだろう
あとはガソリン・アルコール爆発、喧嘩で人が死ぬ動画、交通事故で死ぬ、動物に殺される動画も見とけよ
丁寧に読ませていただきました。
まず、「毒親かどうか」というのは白黒はっきりつけられるものではなく、あくまで程度や影響の問題になります。
ただ、文面から判断すると次の点はかなり問題があると言えます。
• 年齢に不相応な残酷な事件資料を強制的に見せる
→子どもが自分で選んだわけではなく、親の価値観で「教育」と称して過激な映像・資料を見せるのは心理的虐待に近い行為です。
•身体的に逃げられない状況で見せられた
→ 髪を切られている最中に見せられたとのことですが、これは「強制」の色合いが非常に強く、トラウマになりやすい状況です。
•祖母が客観的に見ても恐怖状態になっていると気づいた
→第三者から見ても不自然なレベルだったという証拠であり、やはり過剰だったと考えられます。
結果として、震災や津波の描写に強いフラッシュバック的反応が出ているのは、典型的なトラウマ反応です。これは「みっともない」のではなく、心に刻まれてしまった傷の自然な結果です。
したがって、
• 「そのせいで後々まで影響が残っている」
という点から考えると、十分に「毒親的なふるまい」と言えます。
ご自身を責める必要はまったくありませんし、「被害者ムーブ」ではなく、実際に心の安全が侵された経験をされたのだと思います。
小六の時に東日本大震災があったのね
うちの親はちょっと困ったところがあって「どんなに残酷でも知っておかなくてはいけないから‼️」とか言って割と小さい頃から地下鉄サリン事件とかコンクリ事件について読まされたりチェルノブイリ原発事故の資料を読まされたりしてた
で、震災のあとも親がそれを発動して、多分今はとっくに消されてると思うけど人が流される瞬間の動画だとか津波が来る瞬間の動画だとかをYouTubeで見せられた
それをされたのが家で親に髪を切ってもらってる時で、当然動けないし画面を見るしかなかった
様子を見に来た祖母が恐怖で顔面蒼白、よくわからない汗で汗だくになってることを指摘して動画からは解放された
そのせいでずっと創作物の津波の描写がどうしても駄目ですずめの戸締りも気になっていたけど見るのを諦めた
8番出口もめちゃくちゃ気になってたけど無理そう