はてなキーワード:沖縄出身とは
そろそろ2025冬アニメも折り返し地点なので自分が今見てるアニメ覚え書き。順不同。
テレビ放送のみ。配信は見てない。テレビ埼玉、CBCテレビオンリー放送など多くの地域で放送していないものも見れてない。
アニメはこうやってボーッとたくさん見てるけど詳しくはないです。アニメ制作会社とか声優とかはよく分からんので間違ってること書いてたらごめんなさい。
ここに書いてないアニメは3話〜5話くらいまで見た結果、見るのを止めたと思ってくれたらいいです。
おじさんが乙女ゲームの悪役令嬢に転生、年の功と培った社会人スキルでいろいろ乗り切ってしまう。
あと性格の良さでどうも悪役令嬢になりきれない。それどころか周囲から好感度上げまくり。
みんなこういうの好きだよね、私も大好きだけど。
転生前の家族、娘とも仲良さそうだった。そこもほほえましいような、だからこそ切ないような・・・(ここまで3話くらいの感想
と思ったら!ストーリーの裏側では妻と娘に見守られながら、メタフィクションサイドの視点でゲームに介入されているとか新しい!面白い!
OPのクレジットに注目。現実パートのフォント&カラーと異世界パートに彩られるシーンでフォント&カラーに違いがある。
1期(深夜のアニメリコ枠)より好き。なんでだろ。なぜか1期は好きになれなかった。
ヒロインの足が大根足だったからとか、花子が男だったからだとかそういう理由ではなく、
単純に時間が私にあわなかったのかな。今期は楽しく見てる。2期1話の引き込みはすごかったと思う。
1期(1話~12話)の続きである、第2期(14話~)がスタート。
13話はOVAだったので見てない人もいるかもしれないが大丈夫。
従兄の薄刃新が美世の護衛役になった。という情報だけ知っていれば大丈夫。
実況のコメントもニチアサと変わらないくらいなので皆そう感じてるのかな。ホント面白い。
父や祖母の老いなど考えさせられる部分もあるが、普通にプリキュアはそういうとこあるからね。
単純に面白いという評価もあるけれど、品質や温度がプリキュアなところが何だか嬉しかった。ズルいかもしれけどそれが本当に嬉しい。
平凡なサラリーマンとニートのくノ一との同棲生活を描くラブコメディ(Wikipedia抜粋)
主人公以外がテンションが高いエロギャグコメディ。15分アニメでちょうどいい。
原作ファンとか多そうなので怒られるかもだけど全然面白くない。というかよく分からない。
育ての父と、実の母の過去を辿る。悲劇に繋がると分かっていながら見るのが切なすぎる。
6話の出産シーンはなかなか。
→追記:青の祓魔師は最初から見てないのだけど面白かった。最後は泣きながら見た。
2クール目。世が世で話が話なので、ずっと緊張感を持ってみてる。
難しい哲学的な話が続くが割とスッと入ってくるので作りが上手いんだと思う。
それぞれの登場人物が持つ思いの執着と、その先に待つ人生の終着において、結果的に救いがあると見るか、救いがないと見るかは・・・人によるかもしれない。
→追記:賛否両論END。自分は好きではない。"あれを楽しめないとは可哀想" と、そう思ってもらっても構わない
主人公のことをバンパイアとは知らず居候させる男の子と、そんな男の子を童貞のまま食っちまいたいバンパイアと、バンパイアに好意を抱く女の子の話。
恋の一方通行。BLではあるがBL好きではなくても楽しめるタイトルだと思う。
追記:メチャクチャ面白かった。全員片想い。登場人物が増える度、相関図を書くと面白い
タイトル通り。うちなーぐち(沖縄方言)が凄い飛夏(ひな)の元気でかわいい姿を見るのもいいし、
それを訳してくれる夏菜(かな)の乙女な気持ちを見守るのも面白いね。
それにしても、飛夏の声優さん凄いな。沖縄の方言をここまで話せるなんて。
OPはHY。ちくしょう、聴いてて沖縄よりも "きのこいぬ" を感じてしまう。
EDは沖縄出身のJPOPアーティストの曲をカバー。発売するCDの情報を見ると3曲だけっぽい。
CDは3曲を2人バージョン、各ソロバージョン、インストバージョンを収録して計12トラック。
そういえば昔、宮古島へ行った時にローカルテレビを見てたんだけれど、おばぁと外国人のグレッグが話をするという番組やってて、
おばぁの言うことが全然分からんで、まだグレッグが話している言葉の方が理解できて、なんだか面白かった。
話変わって指笛の話。指笛は沖縄の文化として好きだし、沖縄の居酒屋で酒飲みながら聞くのは心地よい。
高校野球でも沖縄球児の応援では無くてはならないものだと思ってるんだけど、
→追記:沖縄の日常を紹介する感じなので観光名所は出ない。そこがいい。
ストーリーは面白いんだけど、容赦がない。ちょっと描写がキツくて耐えられないかもしれない。
今まではほとんどハルのとんでもない無鉄砲な行動やハッタリで何とかやってたけど。
ガクの周りにたくさん仲間が集まってきて、感情と理論とウルトラCが混ざって "皆で" 色んなことをひっくり返す展開が、
2019年から始まったこのアニメもいよいよファイナルシーズン。3クール中1クールがこの2025冬アニメで放送。
今回のシーズンは気持ちを打ち明け、整理して、お互いがお互いを意識し合う感じか。
OPとEDが変った。OPはマカロニえんぴつ。OPのレターボックスの色、黒が時間の流れで青に変化する表現が好き。
→追記:雛ちゃんの話は一旦終わり。分かっていた結果だけれど切ないね。続きは2期へ
あとちょっと方治が好きになる。
特にないです
後宮に勤める官女が王宮内に巻き起こる事件の謎を薬学の専門知識で解くミステリー、ファンタジー、ラブコメディ小説(Wikipedia抜粋)
異世界へ転移した主人公は何故か現代日本のネット通販サイトが使えて、買った商品は転移されてくるという特別スキル保持者。
このスキルを利用してお金を稼ぎ、人脈も広げていく。おそらくこの勢いで国とか世界とか救うんだろう。
作画はお世辞にも良くはないけれど、自分のやりたい事、欲望に正直なところは共感が持てる。
ただ、たまに引っかかる所がある。例えばアネモネを引き取ろうとした婆さんがアネモネにフラれたところ。EDでは子供と楽しく触れ合ってるが、本編でのフォローが欲しかった。
OPの最後に登場人物が並ぶ場面があるが、あれは毎回違うようで、「今回の話ではこいつらが登場しますよ」という意味っぽい。
アニメに詳しくない私でも一瞬でGoHands制作だと分かるクセのあるアニメ。
人々が居なくなった世界で女の子たちがスペシャルな武器を使って敵と戦う。
GoHandsさんは、また「好きな子がめがねを忘れた」みたいなの作ってくれませんかね
魔神英雄伝ワタルの現代版。配信サイト、マイクラみたいなブロックなどが出てくる。
登場人物は昔と違うが、誰がどの立ち位置かなんとなく分かって、昔を知っている人はそこが楽しめるかも。
医療ミステリー。見た目は子供、頭脳は大人(以上)の天才女医が謎を解き明かす。
犯人が逆上して暴力をふるってきても大丈夫。付き添いが得意の空手パワーでやっつけちゃう。
と書けばこれ名探偵コナンだな。
初回(1話2話連続放送)で面白いと思って見始めたけど、その後はそうでもない。完走できないかもしれないくらいガッカリしてる。
→追記:ちょいちょい入るDVD特典みたいな声優の話は良いとして、いや良くないけど
本編が・・・最初の印象と違って、、うーん。1、2話も大きく違うわけではないけど、3話以降と違ってまだ良いところがあったんだけどなー。何か違う。
自由を好む貴族令嬢が王子の婚約者になるための教育をロッテンマイヤーさん(違う)から受けるが、それがキツイのなんのって感じで
ある日、王子から婚約破棄されたと勘違いし、「やったぜ自由だぜ」と自分をさらけ出して逃げ出す。
「おもしれー女」と、王子はストーキングという名のライフワークに勤しみ、彼女を拉致監禁する。
何か他のアニメとは違う感じ。世界名作劇場のように思わせて急にギャグに走る。好きか嫌いかでいうと好き。
たまにバラエティ番組的なデン!SEと共に視聴者に語り掛けてくる演出があるのだけど、あれは何。NashMusic Libraryにあるのかな
追記:最後まで色気のないドタバタコメディ。このアニメらしい感じで最後までよかった。
このアニメがここまで面白くなると思わなかった。いい意味で裏切られた。
朗読で世界観に引き込む演出とか、アクタージュがもしアニメ化したらこんな感じだったのかなと思ってしまった。
春山 花奈と西園寺修羅、続きの見たい終わり方でしたなー。主人公役の声優は18歳なんだね。同じ高校生として等身大で役を演じてたんだなあ
ゲームが原作。生死の狭間の世界にある「黄昏ホテル」で宿泊客の記憶を取り戻す手伝いをする。
主人公の声がクセになる。
追記:面白かったー あのホテル従業員3人抜けたけど大丈夫かしら
続きをやってくれてよかった。1期は11話で終わっていればよかったじゃん。なんで12話やったの。
というような救われたような、救われなかったような複雑な終わり方だった。いや好きでしたよ。
多分Unnamed MemoryAct.1を知らなくてもAct.2は見られます。
・Act.2のヒロインは、Act.1の世界消失と引き換えに自分が助けられたことを知っています。
・でも他に誰もそれを知らないし、不審な情報だから黙って恩返ししよう。
https://x.com/furumiyakuji/status/1876523927411069267
追記:最後までみて、まぁ、納得のいく終わりだったけど、別にAct2なくてもよかったかも
思うてたのと違うスキルをゲットした主人公だったけど、結果的に最強のスキルだったわ系の話。
FF5で「すっぴん」なんだよって思ってたけど最終的にはアビリティ複数持ててええやんみたいな。違うか。
追記:1クールでは終わらんだろうなーと思って見てたけどやっぱり全然終わらなかった 次あったら見るとは思う
サラリーマンが魔王に召喚されるという、異世界召喚もの。特にチートスキルはない。ただの人。
以前のブラックな職場と違い、理想の上司?理解のある上司の魔王の下で魔王軍四天王として様々な問題を解決していく。
OPとEDの音量が小さいのをどうにかして欲しい、それ以外は言うことないのよ。
追記:音量も気になるがBGMが「これあってる?」って感じでストーリーに集中できないこともしばしば。残念だった。
見てて普通に面白いけど、お笑いでいうと"爆発がない"という感じ。盛り上がりに欠けるというか。
ドラゴンボールという看板がなければ結構退屈なんじゃないかな。
主人公のギルド受付嬢(この世界では公務員みたいなもの)は、実は超特殊スキルを持ってて強い。
討伐要請が出てるモンスターを冒険者が中々倒してくれない場合は残業になってしまうので、自らが倒しに行くこともある。
ある日、冒険者ギルドの最強のパーティーのリーダーに素性が晴れてしまい、彼からストーキングという名のライフワークを受けてしまうことに。
何て書くと面白そうにないかもしれないけれど、この3倍くらいには面白いし、各キャラがかわいいです。
前作MyGo!!!にも登場した祥子が立ち上げたバンド、Ave Mujicaのストーリー。位置的にはMyGo!!!2期といった感じか。
バンドリは今までスタンダードなガールズバンドやバイオリンが加わったバンドなどあったが、今回は演劇要素がある。
祥子とは幼馴染でバンドメンバーの睦、彼女の精神が壊れAve Mujicaの進退を揺るがす事態になる。めちゃくちゃ面白い。
たぶんだけど、日本ではアニメバンドリはそれほど人気がないように見える。
おそらくまだ3DCGメインのアニメが好きでない人、またはBanG Dream!1期が苦手だった人がいて、
"ある食べ物にあたったらその後は二度と食べたくない"レベルで新作が出ても、視聴を拒絶しているのかな(変な例え)
私も1期のまま続いてたら見なかっただろう。けど、2期の「花園たえがPoppin'Partyを抜け、RAISE A SUILENに入るのでは」というギスギスした感じになってから好きになった。
どうも私はバンドにおいてはキラキラよりギスギスが多めの方が好きらしく(どちらか一方はダメ、疲れる)
MyGo!!!に入ってからは好きが→大好きになりましたね。
7話はすばらしい。MyGo!!!と同じくやってくれた!手が痛くなるほど拍手した。この回だけで5回は見たと思う。
感情が溢れる安定しないリアルなバンド演奏と歌声もブサイクでそれでいて美しい。それでいてすばらしい。
あと春日影のFIRSTTAKEもよかった。タイミング的にも。
→追記:祥子が元凶かと思ったら、祥子の親父かと思ったら、初華(初音)だった。まぁ豊川のお爺様が悪いけど
なんとも凄いアニメだった。正直MyGo!!!以上のことある?と思ったけどあったわ。
続編やるそうだがどうなるか。大体の膿は出たと思うが。初華がMujicaに全振りすることによるsumimiの話があるのか、
初華の妹が出てきたりするのか、いまだ名前しか出てきてない立希の姉が出てくるか
MyGo!!!もAve Mujicaもそれぞれのキャラクタが最初の印象と変わってくるのが面白い。変わらないのはらーなくらいか
アニメオリジナル。前に短編アニメ化してた。その時は遥、美波、彩花(それぞれの頭文字をとってHAM)が既に友達になった状態だったけれど、
日テレが「ダブルインパクト」という、漫才とコントの両方で競うお笑い賞レースを始めるらしい。
https://www.ntv.co.jp/double-impact/
それを見て、そう言えばそっくりな賞レースがあったな、と「お笑いバイアスロン」のことを思い出した。
https://www.qab.co.jp/OWARAI!biathlon-2023/
沖縄の地方テレビ局が開催する賞レースである。小さい島の沖縄だが、なぜかお笑い関係の芸能事務所がそれなりの規模のところで3つ(FEC・オリジン・よしもと沖縄)あり、それなりの人数の芸人がいる沖縄では、以前から「O-1グランプリ」という沖縄芸人によるお笑いグランプリがあったのだが、そこに2013年から他局が始めたのがお笑いバイアスロンだった。
出場したことなどもちろんないし、テレビでしか見ていないから放送された内容しか知らないが、テレビ放送される決勝大会では、1巡目にコント、2巡目に漫才(ピン芸人は漫談)をやって、それぞれ得点を付けて合計点で競う形式だった。一時期の全員が2回ネタを披露するキングオブコントに近い。
そして、お笑いバイアスロンが沖縄の芸人にとって重要だったのは、審査員によるところが最も大きいと思われる。
11年続いたこの大会の審査員は、2回目から一貫して 伊藤正宏、内村宏幸、鮫肌文殊、高須光聖、中野俊成 という、中央で活躍する放送作家達だった。決勝大会進出者は、コントと漫才のそれぞれで放送作家達から直でコメントがもらえる上に、もしかしたら個人的に「ハマる」かもしれない、というのが芸人達にとって最大の魅力だったと思われる。例えば、ありんくりん等は、コレがきっかけで中央でもちょくちょく見るようになったのではないか。
放送作家達がなぜこんな仕事を引き受けていたのかは分からない。初期の、地元ネタばっかりだった頃のコメントは苦しそうに絞り出しているように見えるところもあったが、年に一回、沖縄に来て骨休めみたいな事が出来るという気持ちだったのかもしれない。
コロナ禍では無観客だったりリモート審査になったりしていたが、2021年に沖縄出身で東京で活動する大自然が決勝に進出した。前述の「放送作家に見てもらえる」というメリットに気付いたのかもしれない。参加規定上は沖縄在住・活動・出身等の制限はなかったから、東京の芸人が出場することに何の問題も無かった。
そして2023年、お笑いバイアスロンは「ドリームチャンプルー」と称して、過去の優勝者が別の芸人を指名し、コンビorトリオでコントと漫才に挑む、TBS「ドリームマッチ」のような形式になった。もしかしたら、沖縄出身者以外の応募が相当増えてきて、放送しても「県民のヒキが無い」ことを気にしたのかもしれない。そして休止した。
それから2年。ダブルインパクトが始まることには何の感慨も無いが(沖縄って日テレ系ないし)、そのタイミングで思い出したので書いてみた。
小・中学生の頃も、歴史やニュースでなんとなく、中東の方では紛争というものがあるらしい、くらいのことを知った。それでも「平和」だと思ってた。戦争は過去のものだと思っていた。信じていた。
人が人を殺すということは、後ろめたくやるものだとシンジでいた。
堂々とやることなんて、ないと思っていた。
人が人を殺すことを、堂々とやったとしたら、それはもう平和ではないことだと思っていたから。
でも、戦争じゃなくてもそういうことが起こっていた。
歴史の授業で習った、社会の資料集で少しだけ載ってて知った関東大震災の時に起きた韓国人朝鮮人、中国人、そして沖縄出身や吃りなどをもつ日本人の虐殺。私はそれは過去のものだと思ってた。
「酷いことだ」と思ったけど、自分の生活に繋げて考えることをしなかった。するという発想がなかった。
でも、今、後悔してる。その歴史を自分の生活と、自分の人生と、今の社会と結びつけて考えないから、10年後こんなことになってしまっているよって思うから。
「中東のどこか遠いところで起きている」って漠然とした、近づかなければいいってなんとなく思ってるその自分の考えが、意識が、今の世界を作ってると思うから。
もっと早く考えてれば、もっと早く気がついていれば、もだと早く意識をもって働きかけていれば。
本当にこの場所で、ここで、101年前、証言にのこっていることが、虐殺が行われたんだと思うと、足がすくんだ。この周辺をどんな思いで逃げ、隠れていたんだろう。あまりに惨い、あまりにも、、、言葉にならないやるせなさで心が重い。
2度と、そんな状況をつくらないことが、自分のすべきことだと思う。今、世界で起きている虐殺を止めること。2度とこの世界で虐殺を起こさないこと。戦争をさせないこと。
風物(パンムル)を見ながら、気がついたら涙が出ていた。
鳴り物と太鼓の音がこんなに心地よく草の上に響いている。この景色がどうして101年前には、見られなかったのだろう。本当に悲しくて。今の、この景色がずっと続けばいいのにと願う。続けていかなきゃいけない。踊っていたい。恒久の平和を願って、守って、踊って、みんなで生きていきたい。
企画展は東京でやってるヤツの巡回がほどんど(地方にとっては、それはそれで充分意義のあること)だが、常設展は美術館コレクションを定期的に入れ替えてやっている。
沖縄出身作家について大規模に収蔵されているのはここしかない。個人的には安谷屋正義が好きで、「塔」か「望郷」のどちらかが展示されているのでそれを見に行っている。
宜野湾市の私設美術館。丸木位里・丸木俊による「沖縄戦の図」の収蔵で知られているが、それ以外にもルオーの絵を結構持っていたりする。
常設展は琉球漆器。名のある作家の作品と言うより、歴史的な資料としての漆器の方が多く、博物館に近い。
国際通りから外れた平和通りの奥。長年研究されている学芸員の方がいて、展示・収集のサイクルがきちんと回っている印象。
与那国島。郷土資料館の類いに近いが、日本最大の蛾であるヨナグニサン(最大で全長30センチ)の標本が多数見られる。運が良ければ生体も見られる。
篤志家で、あらゆるところに寄付をして生涯に5000枚以上の感謝状をもらったという上原清善さんが、晩年に老人ホームを寄贈して、その片隅に設置した記念館。大量の感謝状が並ぶさまは現代アートといえるかもしれない。
そんな康太さんの話に、私はなんともせつなくなった。私には、康太さんの辛さがよくわかる。誰かに自分の今と未来を相談したい。だけど“自分が知らないことが何かを知らないから、何を誰に聞いたらいいのかわからない。
”どうすれば、自分の在りたい自分を見つけられるのか、それに近づく努力の方法とはどこにあるのか……すべてがわからないのだ。
「好きにやっていいよと言ってくれた両親。でも、どう生きていいのかわからない。かといって両親に相談するのって、恥ずかしくてできないじゃないですか?
根暗な自分が嫌でね。何がやりたいかもわからないまま、地元から逃げるように東京の私立大学に入学しました。学部なんてなんでもよかった。とにかく上京したかったんです。
今度は友達を作ろうとしていたので、最初に勧誘されたサークルに入りました。それが、スピリチュアル研究会だったんです」
占星術や血液型占いから遠隔治療まで、いろんなスピリチュアルに興味を持つ人たちが“ごった煮状態”のサークルだった。
「今考えると、そういうサークルは珍しかったかもしれません。ヘンな宗教っぽさはなかったと思います。僕は、ただ友達がほしくてサークルに入っただけ。
見た目は黒くてゴツゴツしていて、手のひらサイズ。公園などで見る石のカタチに近いのですが、はっきりとした黒い色はあまり見たことがない気がして、なんだか貴重な石に思えました。
パワーストーンなんて、僕には未知の世界でしたが、なんか頼るものをやっと見つけた気がしましてね。毎日、もらったのを大事に持ち歩きました。すると、ほんとに結構いいことが起きたんです。クラスで気になっていた女子からおはようって挨拶してもらえたり。なかなか当選しないアイドルのライブチケットに当選したり。
サークルでは先輩以外にもみんなと普通にご飯に行けたりと、やっと普通の人間関係を築けるようになった。なので僕にとっては、その石をくれた先輩が神様のように見えていったんですよね。
沖縄出身で黒く焼けているイケメンでね。白くてひょろっとしている自分とは対照的。男としてもかっこいいなあと憧れていたんです。もっと仲良くなっていろんなことを教えてほしいなあと思っていたのですが……」
変な夢をよく見るけど、続きものは珍しかったから思い出として概要を書き残していく。
〜Day1 昼頃〜
友達数人とどこかへ遊びに行くシーンから始まる。ひとりだけ顔がはっきりしてるが、起きてから思い出しても見覚えはない(A君とする)。全員、自転車に乗ってる。
ある日、俺の住む地域では「電車の踏切が上がっているのに電車が来る」という危ない事故が度々起きていた。だから、俺たち子供は、踏切では必ず一度止まって電車が来ていないことを確認する習慣がついてた。
俺も例によって確認しに行くのだが…なぜか、俺は自転車から降りて確認しにいった。そして、戻ると俺の自転車がない。踏切を超えて、走って友達を追いかけると、A君が俺の自転車に乗っていることが分かった。A君に怒ると「ごめんごめんw」とヘラヘラとか謝られる。
「俺の自転車あっちに置いてきたから使っていいよ」とA君に踏切の方を指さされ、また踏切に戻る。すると、自転車はあったが…踏切のど真ん中に放置されていた。A君の性格が悪すぎて、めちゃくちゃキレそうになって目が覚めた。
〜Day2 夜〜
二度寝すると、シーンが夕方に変わった。知らない間に自転車を取り返してて、A君に追いかけられながら家に帰る途中だった。そして、どうやらA君は俺の自転車を欲しがってる様子だった。
実家の近所にクリニックがあって、そこに大きい駐車場がある。その駐車場で俺は止まって、A君と話をすることにした。
A君に話を聞くと、最近、気になる女の子がいて、その子が沖縄出身なんだとか。で、俺の自転車は沖縄にしか売ってないはずの自転車で、値段も数十万円するらしい(中古で適当に買った自転車なので、俺はそんなにレアで高いことを知らなかった)。それで、女の子との話のきっかけ作りにその自転車が欲しくて、つい、隙を見て勝手に乗ってしまった…ということだった。
それを聞いた俺はしばらくチェンジする気(自転車を貸す気)になったが、散々、A君に苦しめられたので、「あーあ、どうしよっかなー」みたいな面倒な問答を繰り返す。その問答を繰り返してる最中に目が覚めた。ちなみに現実では10分くらいしか寝てなかった。
〜Day3 昼頃〜
3度寝。生徒として学校内から始まったが、見覚えのない学校。その日は大雪も大雪で、学校内にすら雪がこんもりと積もってた。なんで?
学校内の廊下はカチカチのツルツルで、でも細く、道は整備されてて、その上を歩こうとするとゲームみたいに進行方向に滑るって感じだった。
夢の始まりは下校時間で、そんな道を友達数人とツルツルと滑って、俺は駐輪場に向かってた。俺以外は自転車じゃなくて徒歩らしく、俺だけが駐輪場に向かった。
駐輪場に向かう途中、いつも一緒に登校する子なのか、誰かの妹なのか、知り合いの女の子と出会って、一緒に向かうことになる。外見はガンダムのスレッタをロリ化させた感じ。
駐輪場に向かうには階段を上るか、エレベーターで上がるかどちらでもよくて、その女の子とエレベーターに乗る。それで、エレベーターを選ぶんだが、何故かエレベーター内でその女の子のことが無性に可愛く思えて、勇気を出してちょっとだけ頭を撫でるという気持ち悪いことをしてしまう。女の子は喜んでた。
駐輪場に到着すると、俺の自転車がない。さっきの沖縄にしかないという自転車だ。この頃にはA君への疑いは晴れていたが、自転車の値段が高いということが知れ渡って、誰かに盗まれた…?という疑いが出る。というところで目が覚めて終わり。
ちなみに出身は沖縄ではないし、自転車なんてもう何年も乗ってない。
息切れするくらい動く夢だったけど、可愛い女の子の頭を撫でた感触と、さらに喜んでくれたっていうのがめちゃくちゃいい夢だったなぁと思う。
TBSがバラエティ番組の企画で「方言禁止記者会見」の沖縄方言(琉球語?)バージョンをやったのが、“沖縄差別ダー”って炎上してTBSか型通りのやっつけな謝罪をしてる件だが、実際に番組見たうえで批判してる人はどれくらいいるんかな?
うちでは家族の好みもあって、あの時間にあの番組がついてることが多いのだが、あれは基本的に、“地方出身者って、周りを同郷の人に囲まれて方言で話しかけられたら、方言になるよね。いつも標準語で仕事してる芸能人でも”というのを見せる企画である。
周りの“記者役”の人たちが次々と方言で話しかけると、プロの女優さんでも方言になってしまう、というのが見どころだ。
方言禁止と銘打って入るが、べつに“方言はみっともないから、話すな!”ということを教育したいわけではない。
むしろ、最後に禁止を解かれて“無理して標準語話すより方言でいきいき話すのって魅力的だよね”というのが、番組の落とし所に見えた。
まあ、“可愛い女の子の方言が萌える”みたいな視線も昨今色々問題になるのかもしれないが、イケメン俳優やベテラン女優、普段は標準語でネタやってるお笑い芸人とかでやっても同じフォーマットと同じ落とし所でやれると思う。
以前、別の女優さんが長崎弁で挑戦していたが“方言差別だ!”と炎上はしなかった。
沖縄弁には特殊な歴史があるから同様に扱うべきではない、のか、どうか。
“アイヌ語だったらと考えたら大問題だろう”という意見をネットで見かけたが、アイヌ語ではもう企画自体が成立しない。アイヌ語を母語としていきいき話せる芸能人などいないのだから。
実際みた一個人として、あれは“方言差別”などではなく、最終的に“方言って魅力的だよね”を見せたい企画だと感じた自分は、差別的なダメ人間なのだろうか?
そういえば沖縄の方言札の話はどこかで知っていたはずなのだが、番組見てるときは思い出さなかった。そういうところも、自分が差別に鈍感なダメ人間だからなのかどうか、教えて、意識高いはてなーのみなさん。
あと、二階堂ふみが今、どう感じてるのかはちょっと知りたい気持ちはある。
まあでもTBSが謝罪した今、下手に触れると番組糾弾した人たちから、“私は沖縄出身なのに沖縄差別の歴史も知らず差別に加担するような番組に出てすみませんでした”とか自己批判をさせられかねない状況なので、ノーコメントをつらぬくかな。
Permalink |記事への反応(11) | 10:44
将棋界のプロ制度には1)「棋士(性別不問)」と2)「女流棋士(女性のみ)」があります。
(https://www.shogi.or.jp/knowledge/world/01.html)
>プロの世界には、現役・引退あわせて230名を超える棋士がおります。 現在は男性しかおりませんが、女性でも棋士になることは可能です。
>棋士になるには、奨励会という棋士養成機関に入ります。 奨励会には一定以下の年齢で、棋士の推薦を受けた人のみが受験できます。
>女流棋士になるには、研修会に入ります。 研修会には25歳以下の女性が入会できます。そこで規定の成績を挙げることにより女流棋士2級となります。
で、1)「棋士」と2)「女流棋士」は全く別の制度ですので区別する必要がありますが、"女性棋士"という言葉は1)「棋士」の女性を指します(現状は存在しません)。
「女流」という言葉が差別的だという意見もありますが、代替案として私が思い付くのは「レディース棋士」ぐらいです。ダメか。
ただ女流棋士という名称は数十年かけて定着したので変更は簡単ではないでしょう。
ーーー
またこの手の話題では「女流棋士は女性が奨励会を勝ち抜けないから女性だけのプロ組織ができた」という意見もありますが、これは正確には誤りです。
時代をすごーく遡ると江戸時代には数名女性が将棋を指した記録が残っていますが、明治から大正、昭和にかけては将棋を指す女性はほぼいませんでした(賭け将棋が流行っていた、将棋=ギャンブルの時代)。
それが1960年代に連盟が女性教室を開いたり、女性アマ棋戦を作ったりして女性の将棋ファンが少しずつ増え、1974年に女流棋士制度が誕生します(来年で50周年)。
大山康晴十五世名人は将棋普及面の充実ため女流棋士制度の確立を強く提唱したそうです。
ちなみに1976年に建設された東京・将棋会館の設計にあたって大山名人は女子トイレの増設も主張したとか。えらい。
少し話がずれましたが、女流棋士が出来たときは将棋を指す女性は非常に少なく、棋士と比べるレベルではなかったんですね。
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数十年の時が流れ、昔より女性の将棋ファンは増えたと言っても競技人口としては女性はまだまだ少ないです。特にプロを目指せる小学生(棋士は大体5、6歳で将棋を覚える)。
将棋は早く始めないとプロ棋士は無理。これホント。中学生になって囲碁から将棋に転向しました〜とかないですから。
ただ早熟が正義なのは変わりませんが、誰でも将棋が強くなりやすい時代にはなったと思います。
昔は対面で指すしかなかったのがネット対局や将棋ソフトなど勉強方法は多様化。地方在住のハンデは少なくなったし、将棋を指す友達が0人でも強くなれる。
だから女性棋士も沖縄出身の棋士もそのうち出るでしょう、きっと。
(今日の豆知識:福井県、滋賀県、島根県、佐賀県、大分県、鹿児島県、沖縄県は将棋棋士を一人も輩出していない)
(終わり)
沖縄出身です。
東京で100点以上の美味しいお店に行こうとすると、とにかく大金を出して予約するかか、自分に合わないのを理解してお店を探し続けるしか無いと思って暮らしてます。
沖縄でゴーヤチャンプルーの美味しい店に行こうと思えば、親か友人に聞けば間違いない。
でも、東京人は沖縄人による沖縄人が定義したゴーヤチャンプルーは理解していないから周囲の口コミによる評価は当てにならない。
とにかく沖縄料理屋を標榜しているお店のメニューを入手してゴーヤチャンプルーというメニューを載せているか確認してから順繰りに行ってみるしか無いわけです。
でも、今だに沖縄人による沖縄人が定義した美味しいゴーヤチャンプルーを出すお店には出会っていません。
いやね、ゴーヤチャンプルーもどきのお店はいっぱいありますよ。
味はまぁ悪くなくても、
野菜炒めにちょろっとゴーヤを入れただけのゴーヤチャンプルーとなのれるほどゴーヤが入っていないゴーヤチャンプルーや、
ポーク(スパムやチューリップなどのポークランチョンミート)が入っていないゴーヤチャンプルーなど、
沖縄にいた時は、今日は北海道料理店に行き、翌日は九州屋台のお店に行くことはできません。
もちろん、地元の人からすればどれもなんちゃってメニューなんだろうけど、それを踏まえても雰囲気を味わうことはできます。
有名人が政治的な発言をするときは、どこからも文句が出ないような理想主義的なことを抽象的に言うのがいい。
貧困をなくしていきたいとか、戦争にはさまざまな事情があるにしろ人と人が殺し合うのは良くないとか。
ウクライナはどうすべきだとか具体的な問題について発言したり、番組やSNSで討論して詳細を語ってはダメ。
あとは自分の出自に関わることならまだ説得力がある。沖縄出身のタレントが沖縄の問題について当事者として発言するのはまあ許容範囲。
もちろん何を言ってもいいんだけど、それは自分の人気を育てるフェーズが終わって、蓄えた人気を自分が正しいと思うことに利用するフェーズに入ったということで、人気は目減りしていくのは当たり前のこと。それを覚悟しての発言ならまあいいんじゃないのと思う。
内容的には「沖縄出身の引きこもり」「大学を機に上京し引きこもり」「アニメやゲームにずぶずぶなサブカルクソオタク」ってことが伝わってきて、「これになら俺はなれるかもしれない」ってその時は思ったんだよ。
だってにゃるらはエッセイを読む限り引きこもって文章ばっか書いてて、サブカルの知識が豊富。
あんまり自分語りしたくないけど俺も引きこもってた経験があって文章だって真剣に書いてた時期もあってサブカルも齧ってる。
ほら、条件的にはなれそうじゃん。
俺だってTwitterでフォロワーと内輪ネタで盛り上がったり文章書いたら「面白い」ってリプ欲しいもん。
俺にゲームのシナリオ依頼は来ない。それどころかフォロワーだって、一欠片も増えない。
ただ淡々と、テキストが並んだ画像がTwitterのメディア欄を満たしているだけ。
何で俺はにゃるらになれないんだろう。
なぁ、何であいつはあんなに輝いてるのに俺は輝けないんだろう。
それどころか毎日「苦しい」「苦しい」って言いながら暮らしてるんだろう。
あんなに若くて少し面良いだけの引きこもりメンヘラが輝いて、俺はダメなんだろう。
こんなことネットに吐くのはダメだって分かってる。でも今日くらいは流させてくれ。
俺がにゃるらになれる日はいつか来るのかな。
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小学6年生[4]の少女・ふうちゃんは、神戸の海岸に近い下町にある沖縄料理店「てだのふあ・おきなわ亭」の一人娘。両親は沖縄出身で、店には母の遠戚に当たるオジやん、鋳物工場で働く青年のギッチョンチョンとその先輩の昭吉くん、左腕のない溶接工のろくさん、父の親友のゴロちゃんといったやはり沖縄出身の人々、そして神戸生まれで艀乗りのギンちゃんといった常連が集まっていた。神戸で生まれ育ったふうちゃんは自分のふるさとが神戸と沖縄のどちらなのだろうかという思いを抱いていた。
初秋のある日、ふうちゃん一家は神戸の山の方にいた。ピクニックの趣だったが、それは神経科を受診する父の付き添いだった。ふうちゃんの父はこの半年の間に精神を病んで家族ともほとんど会話しなくなった。父は発作を起こすと「ふうちゃんが殺されるやろが」とつぶやいたり、ふうちゃんを抱きしめて泣いたりした。ふうちゃんを気にした担任の梶山先生は、沖縄の草花遊びの載った雑誌を贈る。ふうちゃんは草花遊びを店に飾って父を喜ばせようと考える。
ギッチョンチョンは沖縄出身のキヨシという少年を店に連れてくる。キヨシに沖縄の言葉を教えようとしたギッチョンチョンは、言葉の問題で自殺した沖縄出身者を軽蔑したギンちゃんを殴った。店で喧嘩した罰としてふうちゃんは二人に草花遊びづくりを手伝わせた。ギッチョンチョンは、キヨシが金を持って出ていったことや親と離れて育ち「捨てられた」と誤解していることを明かし、「肝苦(ちむぐ)りさ」[注 3]だと話す。草花遊びで店を飾ると常連客は歓迎したが、ろくさんは店の外でアダンの葉で作った風車を握って泣いていた。ふうちゃんは母からろくさんが戦争で子どもを亡くしたと聞く。だが、それ以上の戦争の話は「悲しいことは一日も早く忘れてしまいたいやろ」と教えてもらえない。ふうちゃんはギッチョンチョンに頼んで沖縄戦の写真の載った本を見せてもらう。しかし集団自決の写真を見て嘔吐してしまう。
ふうちゃんはキヨシが勤めていた料亭で「オキナワ」と蔑まれていたことを知る。ギッチョンチョンの金を返しにきたキヨシを追いかけたふうちゃんは右足のアキレス腱を切って入院した。ふうちゃんは父がなかなか見舞いに来ないことを不審に思う。病院で付き添ったキヨシはおきなわ亭で働くことになる。沖縄出身の若い女性が孤独死したという新聞記事をきっかけに、キヨシは自分の姉が19歳で自殺したことをふうちゃんに打ち明ける。それ以来、キヨシは進んで沖縄料理を覚えたりするようになった。
全快後、ふうちゃんは自分の入院中に発作を起こした父が同級生の家に現れ、警察に通報されたあと病院に5日間入れられたことを知る。キヨシはふうちゃんを元気づけようと、沖縄菓子を作ったり、ギッチョンチョンからふうちゃんが付き添いを頼まれたデートを実行するなどした。
梶山先生が授業で自分たちの歴史をたどる勉強をしようと呼びかけたのに応じて、ふうちゃんはもう一度沖縄の歴史を調べようとする。だが周囲の人に話を聞けば相手の辛い部分に触れてしまうことに悩み、先生に手紙を書く。先生はふうちゃんの気持ちを思いやれなかった自分を恥じる、いっしょに勉強したいと返事に記した。
ふうちゃんの父が一人で外出して不審な行動をしているという話があり、その現場である明石市の海岸に行ったふうちゃんの母やゴロちゃんは、その場所が父が少年時代に戦火にあった沖縄本島南部の海岸に似ていることに気づく。父の発症の原因が戦争と関係しているとわかったことに周囲の人々はショックを受ける。キヨシは自分の姉の死や母が家を出て行った理由を考えるようになる。キヨシは所在のわかった母親にふうちゃんと会いに行き、その疑問をぶつけた。母は今は話せないが必ず手紙で説明すると涙ながらに答える。まもなく手紙が届くが、キヨシはいつもの通りだった。
その矢先キヨシはかつての不良仲間から、グループを抜けた制裁として殴打を受ける。キヨシは抵抗せずに耐えていたが、沖縄を侮辱する言葉を聞いて相手を傷つける。重傷を負ったキヨシは入院して二度にわたる手術を受けた。キヨシが回復に向かうと警察が事情聴取に病院に来る。過去の前科があり、今度も相手に傷を負わせているという理由だった。居合わせたろくさんは「警察は公平な立場」「沖縄も関係なく法の前には平等」という警官に根元しかない左手を見せ、日本兵の命令で幼いわが子をこの手で殺し集団自決に参加したことを告げて、これでも平等と言えるのかと尋ねると警官は沈黙した。その夜、ふうちゃんの母は父が幼少期に辛い目に遭ってきたことをふうちゃんに話す。翌日、キヨシは自分で書いた手紙をふうちゃんに渡した。その中にはキヨシの母の過去について触れられていた。
ふうちゃんの卒業とキヨシの退院に合わせ、ふうちゃんの母は一家とキヨシで父の故郷である波照間島に行くことを決める。だが、出発前夜、父は急逝する[注 4]。物語は、ふうちゃんがキヨシと冒頭の「ピクニック」の場所にもう一度来た場面で幕を閉じる。