はてなキーワード:江戸時代とは
なんで子供を産まないかなんか、最初から答えわかりきってて、そんなもん繁殖適齢期に繁殖以外のことに熱心だからでしょうが。
なんで、繁殖以外のことに熱心かっていうと、繁殖よりも仕事してたほうが豊かになれるからでしょ。
そりゃ、いくら専業主婦の家事労働はウンビャクマンの価値があるって宣伝したって、外に出たほうが稼げるのはあたりまえに決まってるじゃないですか。
で、なんで外にでたほうが稼げるかっていうと、そりゃヒトの労働力に需要があるからでしょ。
一億総活躍社会っていいましたっけ?子育てが一段落した女性は働け、老人も働け、それって、要するに労働力不足で、労働力不足は少子化のせいで、少子化は出産育児をそっちのけで働かせてるからなんだけど、まあ働けとおっしゃる。
子育てが一段落したら働けみたいにいうけど、そこでいう子育てが一段落っていうのがね、「子供が小学校に入学して手がかからなくなった、女性の40代はまだまだ働き盛り!」、みたいなイメージで語られてて、30年くらい現実認識がアップデートできてない印象。
今や20代前半のママから生まれる子供より40代前半で生まれる子供のほうが多いんで、子供が小学校に入って手がかからなくなったら、アラフィフですよ。
第一、子供が小学校に入ったらむしろ小1の壁とか言われてるくらい大変なわけなんですが。
そこはまあ、いいです。そこは譲って、40代で子供に手がかからなくなるとして、そこは働けじゃなくてもう一人お願いできますか?じゃないですかね。
老人も働けっていいますけど、50代と60代と70代がバリバリ働くから、20代から40代までは安心して産め!育てろ!って社会ですかね?辞めさせてくれないでしょ?
せいぜい、数年育休とか時短をくれる程度で。
つまるところ、人不足で猫の手も借りたいんでしょ?
パートタイマーや定年後のおじいちゃんも獲得競争してるわけで、使えない社員だってクビにしないでリスキリングとかで再利用をはかってるわけで。
少子化は社会を滅ぼすけど、個人レベルでいうと一番の勝ち筋は、みんなが産んでるなかで自分だけ産まないっていう戦略ですもの。
ローマ帝国とか古代ギリシャだって少子化が進行したわけだし、江戸時代だって江戸では少子化が進んだし。
生き物の究極の目標は自己複製なので、繁殖よりも優先することが存在してしまうっていうのが神様の設計ミスだと思うんだけど、これはもう設計でそうなってるので対処しようがないんじゃないかな。
子供を持ちたいというのは根源的な欲だと思うのだけど、欲というものはかなり回りくどい。
少し説明が要ると思うので補足すると、回りくどくない、直接的な生物の反応の例だと、嘔吐。
繁殖行動というものが、雄と雌が触れたら意思とは関係なく子作りして育児しちゃう、みたいにセットされてれば、なんも問題がなかった。
もう少し進んで、排便、これはある程度は我慢できるけど、そんなには我慢できるものではない。
神様は人間の子作りと育児をそのくらいにセットしておいてもよかった。
食欲、これは空腹を苦痛とセットに、塩、油、甘味、旨味を快楽とセットして、空腹では苦痛を、満腹で快楽を与える飴と鞭戦略。
これでもよかった。
空腹が耐えがたい苦痛であるように、性行為を長い時間しないと苦痛を生じるようにとか、妊娠や出産しないでいると苦痛を感じるように作っていたら、少子化なんか起きなかった。
性欲、これは、快楽はセットしてるけど、しないことによるペナルティがセットされてない。飴と鞭じゃなく、飴だけ。
繁殖の欲というのは、性欲と似てる。飴はあるけど、しないことによる鞭はない。
しかも、飴というのが、子供が笑ったときに嬉しいと感じるとか、そういうので、性欲の快感に比べると、ちょっと小さすぎる。
ある程度は出産や育児に幸福感を感じるんだろうけど、桁が二つくらい足りなくない?妊娠してる間は達しっぱなしとか、子供と目が合うだけ達するくらいの快楽を神様はセットすべきだったと思う。
「いやいや、子供の成長はセックスなんかよりずっと快感だよ!」
っていう人もいるかもしれないけど、なんにせよ遠いんだ。
将来のために勉強しろっていわれても、目の前の誘惑に敵わないように、子供が成長したときの嬉しさを味わうために、みたいなことのために今日を頑張るということにはならないわけ。
つうわけで、少子化は資本主義の宿命で、これはもう神様が人間をこう作っちゃったからどうしようもないというのが私のファイナルアンサー。
安心して産める社会を作ればどうこうとか的外れもいいとこで、ゴム無しでセックスするたびに1日分の覚せい剤を支給するくらいの飴でも用意するか、子無し夫婦は非国民っていう社会的に鞭を用意するかでもしないと、出生率は反転しないよ。
22世紀はこない。
意外と魔法自体は古い言葉で、魔に魅入られたシャーマンの奇術の事を魔法と定義していた
江戸末期の娯楽小説には既にその言葉がある(なのでmagicにファンタジー要素は最初から付いてしまっていた)
意外と現代の日本人は意識していないが、飛鳥時代に大和王朝が軍団を組織して各地を支配する時代のその少し前、
多くの大和人は刺青を入れた部族社会を形成していた。北海の海賊をイメージしてもらったらいい
このシャーマンは素朴な祖霊信仰の産物なので、神道的仏教的な影響は見られない。
一方そのころ中国では祈禱師の元締め(厳密には違うが)は皇帝であり、平安であれば治水は保たれ、王朝に徳が欠ければ大河は乱れた。
こうしたことから気候操作は皇帝の特権であり、雨乞いは皇帝の統治を助け権力を補佐した。
日本の宗教伝来の際にはあまり受け入れられず、陰陽道には祭祀のみが導入された。
大和王権では実際はあまりファンタジーな要素は見られなかった。
各地の部族を平定した大和は神道的な考えで神社を開き侵略を進めていたが、ここでもあまりファンタジー的な話はない。
なので結論としては日本ではあやかし(人外)はあっても人が怪異を引き起こすネタはあまり流行らず、
ここ数回の『ブラタモリ』は江戸時代に盛んだった“大山参り”の道のりをたどるという企画で、都内から大山街道を巡り、昨日はいよいよ最終目的地、大山阿夫利神社を目指すという回だった。
江戸時代の浮世絵もみながら、いかに“大山参り”が盛り上がっていたか、なんて話もしながら、大山ケーブルに乗車。
途中、日本のケーブルカーでは唯一という“離合ポイント”(ケーブルの両端で繋がってる2台の車両が丁度すれ違うところ)に駅があるという“大山寺駅”で一旦降車。
車両のすれ違う様子をみたり、急斜面にある駅のベンチにすわってみたりして、そのまますぐまたケーブルカーで移動して、大山阿夫利神社の下社に参拝。
さらに登った山頂にある本社にはさすがにタモリを歩かせるわけにもいかず、スタッフと中継でつないでいた。
さて、なにがスルーされたのか。
タモリ一行が神社に参拝するシーンで、唐突に隅の方にテロップがでた。
日本の歴史ある寺社の多くがそうなのだが、大山というのも江戸時代までは神仏習合の山岳信仰の対象で、大山参りというのも、今でいう“神社にお参りする”という感覚とは少し違った。
現在、大山阿夫利神社の下社がある位置には、「石尊大権現・大山寺」があり、不動明王も祀られていたのである。
大山参りとは、仏教とも結びついた“権現さまとお不動さまへのお参り”だったのである。
だが、そんなことは全く触れないので、なんだか今も昔も神社へのお参りをしてたような印象になっていた。
明治の廃仏毀釈で、大山阿夫利神社と大山寺は完全に分離された。
“幕末の大火と廃仏毀釈により廃寺の危機に陥ります。神道による祭政一致の王政復古を目指す明治新政府にとっては、江戸幕府が保護した仏教寺院は旧体制の象徴にほかなりません”
”廃仏毀釈により数多くの寺宝が失われ、堂塔が破壊される中、ご本尊の鐵不動明王だけは地元住民の篤い信仰に守られ、山外退去を免れて現在地に本堂が再建の後、遷座しました”
と記されている。
タモリが途中下車した“大山寺駅”は、この寺の最寄り駅だったのだが、寺には寄らず。
江戸時代に賑わった大山も、神道を中心にした“祭政一致”を目指した明治政府のせいで、なかなかに激動の一時期があったはずなのだが、そのことはテロップ一行でスルーされたのである。
断片的な記憶だが、以前、高尾山にいったときには、神仏習合の名残が色濃く残る様子をみながら、“ここは廃仏毀釈を免れたんだねえ”なんて話をしてたように思う。
だからタモリも廃仏毀釈とか、そのへんの知識がないわけ無いし、番組としてそのへんの話を絶対にさけるとかいうことではないのだと思うが、ま、今回は案内役が大山阿夫利神社の権禰宜の方だったので、“実は、昔はここは神道の神社じゃなくて不動明王さまが祀ってあったんですよ”なんて話はするわけないか。
明治維新は、日本の伝統をいろいろ破壊したけっこう過激な運動だったはずなのだが、どうもそのへんはあんまり知られてないように思う。
せっかく大山いったんなら、そのへんももう少し突っ込んだ番組にしてほしかったけど、ま、紀行バラエティにそこまで求めるのは無理か。
やはり阿夫利神社の権禰宜の方に出ていただく手前、大山寺の不動明王と、阿夫利神社と、両方お参りするとかは無理?
ところで、さっきwikipediaを見たら、大山阿夫利神社、戦後、神社本庁の傘下(宗教法人法でいうところの被包括宗教団体)にはならず、単立でやってきたのが、今は神社本庁の下にあるという記述があった。
どういう経緯があったのだろう?
そこそこ参拝客いそうだし、単立でもやっていけそうだけど。
Permalink |記事への反応(19) | 15:33
ここで言う社会性というのはコミュ障とかって話ではなく、ニュースでたまに30代40代もしくはそれ以上になってから本当にしょーもないことして捕まってる人とかの話ね。
【判決】千葉県各地に出没“ひょっこり男”に懲役1年の実刑…走行車両の前に自転車で危険な飛び出し繰り返す「強く非難」千葉地裁・松戸支部
https://news.yahoo.co.jp/articles/8434067340a2684f271667623a96546261d50dd3
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20250629/8020023393.html
どっちもやってるのが16歳と言われたらまぁ更生の余地という話も分からんでもないけど、38歳や46歳になってこういうことしてる連中を刑務所に何年かぶっこんだところでなんか変わるのだろうか。まぁ無理でしょ。
でもかといってじゃあどうするのさという話だよね。よほどの凶悪犯でも全然執行されない死刑にするなんて現実的にはありえないし、かといって一生檻の中で生かしておくのだって馬鹿らしい。しかし数年で釈放して娑婆に出したところで社会悪でしかないよね。
こういう明らかに人間社会で生きるための最低限の社会性を身に付けることが出来なかった大人ってどうすれば良いわけ?江戸時代には少額の盗みでも3回で死罪になったそうだけど、現代社会でそうはいくまいし。
現代社会の大きな問題というか矛盾というか・・・こういうとんでもないモンスターに対して真っ当な市民がコストを支払うのが馬鹿らしくて仕方ないけど、良い解決法が思い浮かばない。
愛知県での最大の罵倒後は「たわけ」です。こどもであれば比較的に気軽に使う言葉でありますが、大人がこれを言われた場合の屈辱は言葉にできないものがあります。知能や人間関係や能力や人生やその他いろいろ個人にまつわるものをすべて否定されるぐらいのインパクトがあります。言われたらそれを覆すために人生をかけて反撃する必要があります。ときには殺人事件に発展します。
話は鎌倉時代にさかのぼります。北条家が制定した御成敗式目は平等な相続をするように定めていました。相続者が複数人いる場合は嫡子庶子などを考慮した上での平等な相続が実施されていました。つまり時代が進むと田畑が細分化されることになります。鎌倉時代の末期になると田畑の細分化が極限に達して武士農民が困窮化することになります。愚かなことに。このおろかな事象を愛知県民は「たわけ」というようになります。戦国時代を経て織豊時代には解決できなかったのですが江戸時代に長子相続になり解決されることにあります。
内務省の害悪についてはいろいろありますが「たわけ」の復活が一番大きいものです。内務省の策謀した第一次農地改革によって日本の「たわけ」は成し遂げられ日本は弱体化したのです。「あれ?農地改革ってGHQの指示で日本政府に押し付けられてものでしょ」と言っている人は朝日新聞などがばらまく捏造に騙されています。GHQのような貧弱な組織に農地改革のような大掛かりな作業はできません。これは内務省の社会主義にかぶれた改革派の奴らが戦前に建てられた昭和維新の一見のプランをGHQの虎の威を借りて成し遂げた政策です。これにより農地は日本国開闢以来の細分化することになりました。一見、これは民主化を成し遂げるものになるかと思われましたが経営能力がない零細農家が乱立することになり多くは困窮化することになりました。高度成長による社会構造の変革によりこれらは顕在化しなかったものの農政のいびつさはこのと木に端を発しているのです。
50ha以下の農家なんか成り立つはずがないんよ。50ha以下の農家についてはそれなりに保護しつつ、それ以上の農家が儲かるように政策を変えてく必要があるんだよ。50ha以下の農家は補助金をあたえて黙らせて、大規模農家が国際競争できるように支援するようにするしかない。
鎌倉時代の愛知県民が「たわけ」を最大に侮辱語といってた意味を令和のおれらは重く受け止めなきゃいけないんだ。
#6『すいすいすいようび2:今日も頑張りましょう!』
水乃曜子
https://www.amazon.co.jp/gp/new-releases/digital-text/2292701051
すごい。
#1
女教師と淫鬼 上巻 (HOKUTO BUNKO)
北都凛
#2
女教師と淫鬼 下巻 (HOKUTO BUNKO)
北都凛
#3
永遠者
辻 仁成
#4
#5
新江戸時代:地方分権からはじめる幸福論 (BiSHO BOOKS)
野澤久樹
#6
すいすいすいようび2:今日も頑張りましょう!
水乃曜子
後になって気づいたけど、
収録されている一番最初が「増田プロアカウントの招待状を…」となっていて
エモい。
彼らは不老不死を得た代わりに、永遠の孤独と時代を超えた争いに巻き込まれる運命を背負いました。
念力、身体強化、予知、タイムトラベルといった力が、祝福ではなく呪いとなる場面も多く描かれます。
その中心に立つのは、部族の中でも突出した力を持つカナコとヴァルキュリアの二人。
カナコは部族の予知能力者として未来の災厄を予言し、部族を守ります。
しかし、死なない身体と超常の力を持つ彼女は「呪われた存在」と恐れられ、最終的に追放されます。
一方、同じ実を食べたヴァルキュリアは、身体強化と念力を手に入れ、他の部族との争いでその力を発揮。
戦闘のたびに仲間を救いますが、無双する彼女への恐怖が孤独を生みます。
カナコが未来の隕石落下を予知し、村を救うが、自身の力が「死をもたらす」と誤解され孤立。
ヴァルキュリアが部族間の戦争に介入し、念力で敵軍を壊滅させるも、「怪物」として仲間に恐れられる。
エジプトでは、カナコは神官としてファラオに仕えますが、不老不死の秘密が露見し、「神の怒り」を受けたとして生贄にされそうになります。
メソポタミアでは、ヴァルキュリアが伝説的な女戦士として君臨します。
しかし、不老不死ゆえに仲間がすべて死んでいく姿を見届け続ける苦しみを味わいます。
カナコがナイル川の氾濫を予言するが、それを「災厄を呼ぶ者」と解釈したファラオに追われる。
ヴァルキュリアがウルクの都市で「神の化身」として崇められるが、最終的に人々が彼女を捕縛しようとする。
中世ヨーロッパでは、弱者男性族の能力が「悪魔の力」とされ、多くの者が迫害を受けます。
カナコは魔女狩りの犠牲になりかけますが、予知能力で逃げ延びます。
一方、ヴァルキュリアは十字軍の戦士として活躍しますが、十字軍の敗北により「神を冒涜した不死者」とされ追放されます。
魔女裁判で捕らえられたカナコが、自分を告発した村人たちを救うため自ら犠牲を申し出るが、村は疑念に飲まれ破滅する。
ヴァルキュリアがヨーロッパ各地で孤立し、ある修道院で力を封じる儀式を受けるも失敗。
カナコは織田信長に協力を求められるも、戦の非情さに嫌気が差し山中に隠れます。
ヴァルキュリアは戦国武将の補佐役となりますが、彼女の不死を知った者たちから暗殺未遂を受けます。
信長がカナコを「鬼の力」として利用しようとするが、彼女は拒否し城を去る。
平和な時代になり、弱者男性族は隠れ里で静かに暮らすことを選びます。
しかし、江戸幕府の探索により里の存在が明らかになり、隠れ里は壊滅状態となります。
カナコは仲間を守るため最後の力を使い、幕府の追手を阻みますが、自身は深い眠りにつくことを選びます。
ヴァルキュリアは江戸時代の科学者たちに捕らえられ、不死の研究対象として生体実験を受ける日々を送ります。
産業革命期、弱者男性族の力が「科学の発展の鍵」として狙われます。
カナコは目覚め、人間の欲望と再び向き合うことになりますが、彼女の不老不死は新たな兵器として利用されようとします。
ヴァルキュリアは産業革命の中で一度復活しますが、科学者に追い詰められ、念力で施設を破壊するも、その場で消滅します。
産業革命期、カナコは人類の未来を守るため、自らの力を封じるために宇宙へ飛び立つ装置を動かします。
そのまま地球を離れ、冷たい星の中で孤独に凍結状態となります。
ヴァルキュリアは力を使いすぎた反動で、存在そのものが歴史から消え去ります。
地名の「増田」は、日本各地に存在し、主に「ますだ」と読まれます。宮城県名取市には、増田という地名や町名があり、Wikipediaによると、大字増田や増田一丁目~九丁目があります。また、秋田県横手市にも増田町があり、Wikipediaによると、旧増田町の区域を継承しています。
さらに、「増田」は名字としても一般的で、Yahoo!ニュースによると、「ますだ」と読まれることが多いです。家庭画報によると、この名字は、田んぼを増やしたことに由来し、縁起が良いとされています。
その他、増田新田という地名も存在し、Wikipediaによると、埼玉県さいたま市岩槻区にあります。
佐賀県佐賀市:増田 (ますだ) (北川副町大字光法字増田)
その他:
はてな匿名ダイアリーの通称としても「増田」が使われる
増田(ますだ、英語: Masuda)は、宮城県名取市の多くの小字および増田一丁目から増田九丁目までを擁する町字かつ、名取...
増田町(ますだまち)は、秋田県横手市にある地区(広域地名)。人口は6,309人(2020年(令和2年)10月1日現在、...
とても縁起のいい名字「増田」。山口県や栃木県では「ました」さんと ...
2025/02/21 — そのため、江戸時代には各地で新田を開発して田んぼの面積を増やしました。 こうして増えた田んぼが「増田...
https://www.youtube.com/watch?v=o2oe7xgY7_w
https://www.youtube.com/watch?v=SA6fUs3dsRU
↑こういうのってアジア人を主人公にしても出てくる?特にインタビュー的なのってアングロサクソンとかアフリカンとか中東の人達がメインで学習してると思うんだけど、例えば、三国志をテーマに制作できる?学習データが少なすぎて無理?中国っぽい映像ですら作るの無理だったら、和風はもっと厳しいよね?歴史再現系の映像はヨーロッパやアメリカが舞台のやつ以外は厳しいんだろうか?だったら寂しいね。江戸時代の人々にインタビューとかみてみたいわ 徳川家康のモーニングルーティンとかさ