
はてなキーワード:江戸切子とは
喫茶店の時計が三時を指す瞬間、ドアのベルが鳴る。彼が傘を振り子のように揺らしながら入ってくる。白いブラウスの裾がデニムの上で波打つ。今日も女装だ。
「遅れました?」
声は意図的に高めている。喉仏が上下するたび、戦時中の暗号文を解読するような気分になる。彼の本名を知らない。お互いに必要のない情報だ。
コーヒーカップの縁に口紅が付く度、高校時代の書道部顧問・田村先生を思い出す。あの先生も朱墨で半紙に俳句を書いていた。「男女の別は紅葉の踏み分け道」。今ならその意味がわかる気がする。
地下鉄のホームで別れる時、彼は必ず逆向きのエスカレーターを使う。上昇する階段を下りながら手を振る姿は、古いSF映画の逆再生シーンのようだ。この関係が永遠にループするのか、それとも──。
昨夜妻が風呂場で歌っていた童謡が耳に残る。「ずいずいずっころばし」。メロディーに乗せて「倫理倫理ずっころばし」と脳内で変換していた自分に気付く。湯船の水面がゆれる。
新宿御苑のベンチに置き忘れたパラソルが心配だ。あの柄は江戸切子の紋様に似ていた。次回会う時までに雨が降らなければよいが。いや、むしろ降って欲しい。濡れた黒髪が彼の頬に張り付く様を見たいから。
俺は先日、はじめて知った。
リビングと玄関に飾ったところ、家中に花の香りが漂うようになった。
俺はね、それを「花」の香りだと思っていたんだが、妻は「ユリ」の香りだと言うわけ。
ひとつづつ花の香を嗅いだら、なんとまあ、家に漂う香りが、ユリのそれと一致したのだ。
俺が26年間花のものと認識していた匂いは、ユリのものだったのだ!
俺は感動したね。何故か興奮を覚えたよ。「おまえはユリだったのか!」って。
そうして感動に打ちひしがれている俺を見て、妻は感動してたね。こんなアホが本当にいるのかって。
その日、興奮さめやらぬ内に職場についたもんだから、上司にその話をしたのね。
そうしたところ上司は、やっぱりお前はアホだったのかって言うのね。
余談だが、花が多くて花瓶が足りないって話をしたら、次の日に江戸切子のような柄の花瓶をくれたよ。
アホ扱いされたけど、実質ノーダメージだ。
こんなやりとりの中でふと疑問に思ったのだが、
確かに俺は昔から引きこもりがちだったが、普通に生きていて知ることなんだろうか。
まあ、いずれにせよ、俺はユリの香りを知る側に来てしまったんだ。
新しい人生が始まった気分だよ。
「日本すごい」といった日本礼賛TV番組が揶揄されることがある。
その是非はとりあえず置いておいて、そこで取り上げられるのって、
職人が作った包丁だとか、江戸切子だとか、食品サンプルだとか、
すごいのはわかるけど、みんなが使うものじゃないんだよね。
例えるならイームズの椅子のような、そりゃ好きな人は好きかもしれんが、大抵の人にとって身近なのはニトリなんだよ的な。
白物家電が強かった時代の日本企業の製品ってやはり世界中で知られていて、
トーシバだとかヒタチ、パナソニック、ソニーって企業の名前やブランドは知られている。
翻って現代のコモディティを考えるとハードだとスマホやPC、ソフト(サービス)だとSNS(Facebook,Twitter,instagram)やWebサービス(Google,Amazon),アプリ(Uber,Airbnb...)といった感じで、日本発のものってコモディティ化すらできてないんだよね。
東京以外で生まれたかどうかというのもあるけど、そんなこと言い始めたら体外の文化は海外の文化も受け継いでいるし、完全な日本オリヂナルの文化で一切海外の影響を受けていないものなんて探すほうが難しいだろ。
いい例では江戸切子だけど。きちんと東京風味が加味されて東京の文化になってかつ生き残って洗練されたじゃん。
文化というのはだいたい職人が生み出すもので、いわゆる電通的なものが生み出した流行とは一緒にはできない
流行はパクリかもしれないが、文化はオリジナリティが加味されてる。文化の発信地が必ずしも東京とは限らないが、人口が多い分職人も多いからな。東京発であることも多いだろ。確率論的な問題だ。