
はてなキーワード:求めないとは
おもしろい。
セックスを好まない女性って、普通に男性的な魅力は求めるんですね。
若さや年収、容姿、包容力、気遣いといった、遺伝子を末永く未来へ残すことが出来そうな指標で異性をジャッジする。
それらの指標は現代日本社会における成功に直結しますので、そんなのは間違ってるという話をするつもりはないですし、逆にセックスを求めない男性だって同じようなものだと思います。女性だけを悪しざまに言うつもりはありません。
しかし、ここで一つ大きな問題となるのは、世の男性が年収や容姿、包容力、気遣いといった、女性が求める魅力を磨く動機は、「女にモテたい!」という欲求によるケースが少なくないという事実です。
つまりセックスをする必要がない=「女性にモテなくていいや」と考える男性は、女性の視線を意識して身なりや体型に気を遣う、奢る、紳士的な振る舞いを心掛ける、共感する、金を稼ぐ、女性が嫌いそうな趣味や話題を避けるなどの努力をするモチベーションが、「おれは金と時間を掛けてでも自分に投資して女とセックスしたい!」と願う男性に比べて著しく低いことが予想されます。
それら類の自己研鑽は、少なくない男性にとって、女性にモテるために仕方なく行うものだからです。必要に迫られないのならば全くやりたくない努力なのです。
⤴︎︎︎
というかこの方がアセクシャルだというだけでは?と思ったり。
結婚という制度にこだわらず、一緒に生きていくパートナーが欲しいという感じであれば夫婦ではなく友人と同居……みたいな形に広げて見るのはどうかな。(異性、同性かかわらず)
一生一緒に暮らして生きて……って程の人を探すのも大変かもだけど、性欲のない(あなたに性的接触を求めない)男性の結婚相手を探すのって、それ以上のハードルありそうな気がするなぁ…
私は異性の友人とシェアハウス10年以上してて死ぬまで一緒のつもりだけど、なかなか楽しいですよ。
老子や荘子には、「知識を追い求めすぎることへの疑い」や、「知によって世界をコントロールしようとする態度」への批判が、非常に重要なテーマとして繰り返し現れます。
——
要するに、中途半端に知識を追い求め、振りかざすと、その「反作用」によるデメリットが半端ない(注: はたから見ると)から、そういう無駄はやめましょうってことなんだよね。ただ、老子の場合は「構えなしの構え」で(不完全な知識に基づいた自分の策に溺れる)相手に勝つことを意図しているようにも読める。
ChatGPTに聞いてみました。
🔹 有名な一節(第48章):
学を為すは日に益す
道を為すは日に損す
損之又損して、以って無為に至る
無為にして而も為さざる無し
• 捨てに捨てて、ついには「無為(何もしない自然なあり方)」に至る。
👉 ここでは「知識(学問)を積み重ねること」と、「道に従うこと」が対比されています。
老子は、知識を増やすことによってむしろ自然から離れ、余計なことをしてしまうと考えます。
荘子は老子の思想をさらに発展させ、よりラディカルに知識の相対性や限界を語ります。
🔹 たとえば『荘子・斉物論』より:
夫れ知は之を以て知る可からず。
故に曰く、「これを以て之を知る、是れ未だ之を知らざるなり」と。
意味:
•知識というものは、それ自体によって真に知ることはできない。
• だから、「知識によって何かを知った」と言う人は、本当の意味ではまだ知らないのだ。
•世界(道)は人知を超えており、完全に把握することはできない。
老子や荘子には明確に「知識は足りないままでよい(むしろ減らすべき)」という考えがあります。
それは「無知礼賢(むちれいけん)」でも「無知の称賛」でもなく、知に偏らない、自然に調和した生き方を重視するという立場です。
老子や荘子の思想のキーポイントは、過剰な知識への執着を避け、自然体で生きることです。これを視覚的に表現するために、次のようなイメージを思い浮かべると良いでしょう。
• 水はどんな障害物にも柔軟に対応し、最終的には低い場所へ流れます。水は自分を過信せず、無理に力を使うことなく、自然の流れに従います。
•老子は「無為」や「自然の道」を提唱しましたが、この「水の流れ」のように無駄な力を使わずに、周りの流れに従って生きることが最も賢い生き方だと考えていました。
•視覚的なイメージ: ゆるやかな川の流れ。障害物があっても、水はそこを避けてまた流れていきます。これは「無為自然」の象徴です。
• 竹はしっかりと地面に根を張りつつ、風にしなやかに揺れ動きます。これもまた、荘子が言う「無為自然」の一例です。竹は知識や力に頼りすぎず、環境に合わせて適応し、調和を保っています。
•荘子の思想では、知識や経験に固執せず、状況に応じた柔軟な生き方をすることが理想とされています。
•視覚的なイメージ: 風に揺れる竹。知識や経験が過剰に強くない、柔軟でしなやかな生き方を象徴しています。
• 空はどこまでも広がり、何にも縛られることがありません。この無限の広がりが、荘子が言う「逍遥遊(自由に遊ぶ)」の象徴です。
•荘子は、人が自由であること、何にも縛られずに自然と一体化して生きることが最も幸せだと説いています。
•視覚的なイメージ: 果てしなく広がる青空。空が無限であるように、知識や学びに縛られることなく、自由に生きることを示しています。
•老子や荘子は、「足りていることの美しさ」を大切にしました。木の実が自然に落ちるように、過剰に求めることなく、今のままで満足することが大事です。
•視覚的なイメージ: 落ちた実が地面に転がり、自然に他のものと調和しています。これが「足りていること」であり、満たされた状態です。
直近3回の国政選挙で国民民主党には投票していないけど、その前は投票していた者からすると、今回の騒動は玉木らしいなとしか思わない
政策をどうやって実現、実行させるか、その姿勢を見せないところが玉木らしいと感じています
端的に表現するなら「口だけ」でしょうか
でもそれって今回はじめて明らかになったわけではなく、いつもの玉木らしさでしょう
ただ、現在の国民民主党支持者はこれを望んでいるのかは気になります
国民民主党というか、玉木は基本的に調子いいことを言うタイプで、発言内容自体は真っ当な内容が多いと考えています
(真っ当とは思えない発言もそれなりに多いけれども)
一方で、それをどうやって実現させようと考えているのかは全く見せてくれません
今回もそうだったと思います
自民党の議席が減って自分たちの意見が通りやすくなりますよと言っていたけれど、結果として石破政権には国民民主党の主張はほぼ何も通っていません
実際に玉木も榛葉も石破政権は嘘つきだったと言うくらいで、少数与党に対しても国民民主党は何もできなかった
いつも通りの国民民主党です
いやいやそれは他の野党も一緒じゃないか!と国民民主党支持者は思うかもしれないけど、そんなことはありません
立憲は従来と同程度、維新はかなり石破政権に意見を受け入れさせました
対して国民民主党の成果はどうだったでしょうか?
今回の騒動でも玉木は維新を二枚舌だとか言っているけれど、むしろその逆、玉木は交渉できない、話をまとめることもできないで悪いところばかりが目立っていると思いませんか?
首相指名選挙は俺の名前を書け!と玉木が言えば違ったと思います
だけど言わないし、支持者もそれを求めない
自民党だけでなく国民民主党の支持者ですら言わないのがわかっているから、他の政党からは軽んじられてしまう
玉木が言わなくても、支持者が言えば、玉木に求めれば、自民党や他の野党には脅威に感じたと思います
だけど、支持者ですら玉木は何もしなくていいって言っちゃうから、他の政党は怖さを感じません
成果がなくても支持者は何も言わない、成果を取りに行かなくても支持者は何も言わない、党首は制作実現のため具体的に何をするわけでもなく、支持者はネットでただただ頑張れ頑張れと言うだけ、そんな政党が国会で存在感を出すはずもありません
これからも国政における国民民主党の、玉木の存在感は重みをますことはなく、わーわー言ってるだけになるんじゃないでしょうか
その根本的な原因は政策の内容ではなく、政策を実現しようという姿勢がないこと、支持者がそれを求めないことにあります
強く実現しようという思考を持たない層の支持を集めても意味がない、そんなケーススタディになったのかもしれませんね
Permalink |記事への反応(10) | 21:30
男性向けの創作物は基本これだからそら感覚が狂うし、創作する女も現実離れするわな
女に擦り寄り媚びられる一部の男(低身長男性が大好きなジャニーズなど男性アイドルなど)に女が集中して無数の男が余るのも納得
恋愛主体じゃない話でも登場する女が全て自分の事を好きという恋愛脳故に、全ての女から好感を持たれない、マッチングできない生涯に耐えれない
一挙一動を褒め称えられる、女にアプローチしたら確実にモノにできるというシチュエーションしか受け付けないので、「レイプ被害者よりも、誰からも相手にされない弱者男性の方が辛い」というスタンスだし、初対面の婚活女に交際を断られた、ネットで見知らぬ女が自分の属性は恋愛対象にならないと発言しただけで制裁の対象にする
一方で女は男に奉仕する道具としか認識してないので、加害者も隠蔽協力者も全て男というジャニーズ性加害問題になると一転して「助けなかった女が悪い」と言い出す
一挙一動や趣味や専攻や仕事など自身の全てを褒め称えられるの求める一方で、女の趣味嗜好やキャリアには一切歩み寄らない不均等な関係性を求めるので、木嶋佳苗や細木数子など女の詐欺師や商売は基本的に男を持ち上げ女を劣った存在だとこきおろすスタンスになる
前述のように、主人公というだけで存在する全ての女に好意を持たれて何をしても受け入れられるシチュエーションしか求めないので、女から見た立ち位置や関係性を無視して、「〇〇という肩書やアイテムさえ所持していれば、初対面の女に手当たり次第狼藉を働いても受け入れられる」という設定を現実にもあると主張する
男と女の性欲や孤独耐性の非対称性ゆえに恋愛や結婚は基本男同士の女争奪戦でなおかつ一人でも多くの女と関係したいモテ男による時間差一夫多妻制も存在するので男が余るが、それらの競争相手を存在しないものとする
学年や職場ぐるみの嫌われ者はほぼ全員男であり、女は陰キャや発達障害でも男のように孤立した女は存在しないが、女が集まると弱者男性は陰で笑われる、他の女に見下されたくないから弱者男性とのマッチングより未婚を選ぶ女が発生、調子に乗った男に増長されたりキモメンにつきまとわれたら他の女に言い振られたり助けを呼ばれるなど、非モテ男性から見たら女社会に不都合しかないので、女同士の繋がりを認めず孤立した女を求める
夏の初めくらいから集中的に、他人から絶対に怒らない人、と職場で評判の人たちに話を聞く機会を得た。
絶対に怒らないの基準としては、どんなに理不尽なことを言われても、どんなにイライラする状況に遭遇しても、一度も感情を爆発させたことがない人たち。具体的には、10年以上一緒に働いている同僚でも「あの人が怒っているところを見たことがない」と証言するような人たちといえばいいだろうか。もちろん飛び抜けて温厚な人もいれば、普通に見える人もいるのだけど、だいたい怒らない人は毎日平常心で過ごせるので、私からしてみれば同じだ。
そして、絶対に怒らない人と友達になることで、気づいたことがいろいろある。こういってしまっては何なのだが、絶対に怒らない人たちは非常にワンパターンなのだ。
怒りっぽい人たちは多種多様である。すごくキレやすいやつ、変わったことで怒り出すやつがいたり、最高に理性的に怒るやつから、最低に感情的になるやつまでいろいろいるが、絶対に怒らない人はほとんどパターンがない。もちろんこれは絶対的に怒りっぽい人の数のほうが多いわけで、数が多いから多種多様であるだけなのかもしれないが、それにしても、である。
おそらく、絶対に怒らない人の行動や考え方のパターンが似通っているのは、それなりの合理性があってのことなのだろう。逆に、そのワンパターンの思考を真似すれば、怒らない人になれる可能性があがるのかもしれない。
そこで、私が知った絶対に怒らない人の共通の思考パターンをまとめてみた。何かの参考になればと思う。
絶対に怒らない人は、まず自分自身の考えや思考を「ただの妄想」だと認識することから始める。
怒りの原因である「あいつが悪い」「理不尽だ」「許せない」とかそういうことをすべて単なる自分の妄想だ、と定義してしまうらしい。
ある人が言った言葉が印象的だった。
「最近流行りの生成AIってあるでしょ?人間の頭の中もあれと一緒だと思えばいいんですよ。適当なキーワードを聞くと、適当な理屈が浮かびだして、適当な結論を導き出す。そんなものに本気になる必要はないでしょ?」
絶対に怒らない人は感情に巻き込まれない。感情を第三者の視点で観察する。
これはおそらく、感情は一時的なものであり、それに振り回されることの無駄を知っているのだと思う。とある会社員がやってくれた説明(だいたい5分くらいの説明)で、私は納得し、その後数か月間イライラすることが激減したことがある。数か月間の平穏は短い説明としては悪くない投資である。
「怒りを感じたら、『あ、今自分は怒りを感じているな』と心の中で実況中継するんです。『血圧が上がっているな』『顔が熱くなっているな』って。そうすると不思議と冷静になれる」
絶対に怒らない人は相手の立場を想像する。相手が何を考え、なぜそういう行動を取ったのかを推測しようとする。
これは、相手を理解することで怒りを解消しようとしているのかな、と思ってたのだけど、そこまで高尚ではない。ただ相手にも事情があるという前提で物事を見ているだけのようだ。
「相手も人間なので、何かしら理由があってそういうことをしているはずです。その理由がわからないうちは、怒る材料が不十分だと思うんですよね」
これは、完璧でないことが当たり前だということを受け入れているからかもしれない。
「みんな適当にやってるんですよ。真面目にやってるつもりでも、結局は適当。それがわかれば、期待しすぎることもないし、裏切られたと感じることもない」
絶対に怒らない人は長期的視点を持つ。今起きていることが将来どれほど重要かを考える。
考えてみれば当たり前で、今怒っていることの大部分は1年後には忘れているし、10年後にはどうでもよくなっている。その程度のことに感情を使うメリットより、冷静でいるメリットのほうが大きいわけだ。
「5年後の自分にとって、これは重要なことですか?って自問するんです。たいていの場合、答えはノーです」
絶対に怒らない人は怒ることのコストを知っている。怒ることで失うもの、得られないものを計算している。
怒ると体調を崩すし、人間関係も悪くなるし、判断力も鈍る。一方で怒ることで得られるものはほとんどない。この費用対効果の悪さを理解しているのだろう。
「怒ると血圧上がるし、周りの人も不快になるし、問題解決にもならない。いいことが一つもないんですよね」
絶対に怒らない人は問題解決に集中する。感情的になることよりも、どうすれば状況を改善できるかを考える。
これは、感情と問題解決を切り分けて考えているのだと思う。感情的になっても問題は解決しないが、冷静に対処すれば解決策が見つかる可能性が高くなる。
「怒っても状況は変わらないので、どうすればいいかだけ考えます」
絶対に怒らない人は自分がコントロールできることとできないことを明確に分けている。他人の行動は変えられないが、自分の反応は変えられる。
失敗するリスクの低さと、平穏に過ごすリターンの大きさを知っているのだろう。
「他人は変えられませんが、自分の反応は選べます。それがわかれば、怒る必要がなくなります」
私が知っていることをまとめてみたが、実際にまとめてみると驚くほどシンプルである。だがこれを全部できている人はなかなかいない。
怒りっぽい性格を変えたいと思っている人は、マネしてみるといいことがあるかもしれない。
結局のところ、怒らない人というのは、現実を現実として受け入れ、自分の感情を客観視し、問題解決に集中できる人なのだ。そして何より、「人生に物語は必要ない」という達観を持っている人なのかもしれない。
Permalink |記事への反応(23) | 22:17
十分な基本スペック×求める業務へのスキル適正×汎用性高めの専門技能を持ってて破格の報酬を求めない人がほしいって意味
たとえば遊戯王で「テーマ外からの採用候補に求める条件」として考えるときって下みたいな感じでしょ?
・攻撃力2000以上
・星4以下
・デメリット効果なし(このデッキでは発動しえないものは除く)
・下記のどれかが今組んでいるデッキで無理なく発動できること
まあキツいっちゃキツいけど、「これぐらい出来なきゃ既存カードとの入れ替え候補にはあがらないよね。ゆーて探せばそこそこあるし」ってなるじゃん?
つまる所「たった一人の求人に応募した氷河期人材」みたいなのがどれも「星5 攻撃力1900 特殊効果無し」みたいなカスだったら何百人来ようが全員落とすに決まってるじゃんってことよ。