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2025-07-27

反体制派の中国人に劉仲敬(リュウ・チュウケイ)は熱狂される理由

劉仲敬(リュウ・チュウケイ)とは?

劉仲敬は中国出身歴史学者思想家作家であり、東アジア歴史民族問題政治思想に関する独自視点で知られています特に中国史の再解釈」や「民族国家のあり方」に関する論考で注目されており、中国体制批判や分裂論、地域主義的な思想を持つことで話題を集めています

基本情報

生年月日:1970年代まれ(詳細は非公開)

出身中国湖北省

専門:歴史学、政治思想民族学、文化人類学視点も持つ

活動拠点:主に海外日本アメリカなど)、インターネット上でも発言多数

言語中国語、英語日本語も堪能

主な思想・特徴

1.中国の「統一神話」への批判

劉仲敬は、中国共産党や中華思想が唱える「中華民族=一体的な統一民族」という見方を強く批判しています。彼は、現代中国の「中華民族」という概念は後付けの政治的神話であり、実際には多民族国家である中国複数の異なる民族文化圏集合体だと考えています

2.地域主義・分裂主義的な見解

中国の広大な領域複数地域に分け、それぞれが独立自治を持つべきだという考え方を支持しています歴史的には、元・明・清などの王朝も「多民族連合体」であり、単一民族国家ではなかったと強調します。

3. 「諸夏(しょか)」論

彼が提唱する「諸夏主義」とは、中国全体を「複数の夏(文明圏文化単位)」の集合体とみなし、これらが連合してきたという概念です。これにより、漢民族中心の大中主義を相対化しています

4.国家観・民族観の独自

国家民族歴史的・文化的に流動的なものであり、固定的・普遍的ものではないと考えます。そのため、現在国境民族単位時代と共に変わっていくものだという視点を持っています

日本人にとって注目される点

日本歴史観との違い

日本歴史教育では、中国は連綿と続く一つの大国というイメージ一般的ですが、劉仲敬はそれを「作られた神話」とみなします。これは、日本歴史認識中国理解を見直すきっかけになるかもしれません。

琉球台湾東トルキスタン新疆)などの地域問題への言及

劉仲敬は、中国の中でも特に少数民族独自文化を持つ地域独立自治問題に関心が深いです。たとえば琉球沖縄)を「独自民族圏」としてとらえ、中華民族範囲に含める中国の主張を批判しています。これにより、日本安全保障地域情勢への示唆を与えています

中国現代政治批判

彼の思想中国共産党の一党支配体制に対する批判も含み、中国未来や分裂可能性についての議論を促しています中国理解の深化に役立つ視点です。

発信方法と影響力

YouTubeSNS書籍での発信

劉仲敬は動画ブログSNSを通じて思想を発信し、特に中国語圏や日本台湾香港知識層に影響を与えています

ネット界隈でのカリスマ存在

学問的には異端ともされますが、彼の自由な発想と大胆な主張は、若い世代ネットユーザーの間で支持を集めています

簡単なまとめ

ポイント 内容

出身・専門中国出身歴史学者思想家

主張中国多民族連合体単一民族国家ではない

諸夏主義中国複数文明圏連合したものと考える

中国共産党批判 一党支配大中主義神話批判

日本との関わり日本台湾香港での思想交流や影響力がある

地域問題への示唆琉球台湾新疆などの民族問題に注目

Permalink |記事への反応(11) | 12:02

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2025-06-11

anond:20250611172822

民族学博物館

Permalink |記事への反応(1) | 17:48

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2024-10-18

anond:20241018121842

オリエンタリズム的な民族学博物学が、ポストコロニアリズム否定された結果、ポストコロニアリズムにより道徳的に悪とされた対象売買春など)に対するオリエンタリズムが再発明された感じ。

未開に対して文明を誇示するのは、まあ気持ちいいだろうからねw

Permalink |記事への反応(0) | 15:46

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2024-06-29

anond:20240627230739

関東民だけど、

万博公園民族学博物館があるのは関西がめちゃくちゃ羨ましい。

Permalink |記事への反応(0) | 10:17

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2024-05-21

anond:20240521142537

魔術(呪術)の研究はあるけど、大体は歴史文化人類学民族学(俗じゃないほう)のジャンルで、心理学におけるフロイト夢占いに近い扱いやぞ。歴史文化を重視するのがメイン。

Permalink |記事への反応(1) | 15:40

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2023-07-31

関西文化追記

anond:20230731103637

こういう棚卸し面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないかエリア京阪神+αで許してや。

1 演劇

あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場京都劇場オリックス劇場あたりかな。

それから、生き残ってる大衆演劇阪神地域が中心なんちゃうかな。

京都学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田ヨーロッパ企画サマータイムマシンブルース西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。

2 美術建築

建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城法隆寺京都奈良百舌鳥古市古墳や。

建物の中にも美術品がたくさんあるから重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。

曜変天目基準やと関西は2点あるから関東より多いで。

伝統建築だけやのうて、近代建築京都大阪神戸の中心地に点在してるな。京都南禅寺水路閣大阪中之島日銀神戸旧居留地増田の好みや。

もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビル原広司代表作やな。

国立美術館博物館やと、京都奈良博物館大阪の国際美術館、それから万博記念公園民族学博物館や。みんぱくはいいぞ

3 メセナ

さすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?

ローム京セラ竹中工務店神戸製鋼あたりが有名なんかな。

4 伝統芸能

落語上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪独自芸能や。歌舞伎南座大阪松竹座で盛んにやっとるで。

能楽明治期に東京に行ったけど、華道茶道はほぼ京都文化ちゃうか?

5 サブカルチャー

関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーお笑いを外すのはありえんな関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。

増田経験から今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋めっちゃあったで。

6 漫画アニメ

出版社テレビ局東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。

同人イベントコミケほどやないけどCOMICCITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。

7 音楽映画

元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。

増田クラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪シンフォニーホールフェスティバルホール西宮兵庫県立芸術文化センター京都京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。

ポピュラーやと大阪ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。

ジャズ神戸かと思ったらなぜか高槻で盛んやな。

映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。

8 食

関西でこれを書かんと片手落ちや。

京都大阪懐石京都精進料理そばラーメン大阪粉もんスパイスカレー神戸鉄板焼き芦屋洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。

追記

トラバブコメのおかげでいろんなこと知れたか増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!

トラバでも書いたけど、ゲーム活動範囲関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてなあかんあかんお茶の一杯も出してから出直しや!

スポーツ野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!

エリア東京と比べるために京阪神+αに絞ったか滋賀和歌山は入れてないし奈良世界遺産しか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエア高野山パンダも大好きや!

猛虎弁みたいな妙な関西弁は書き文字にするとなんかポロッと出てしまうんや!堪忍な!

Permalink |記事への反応(17) | 19:04

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2023-07-18

タブータブーからタブーなので

タブーには特に理由はない、というのは社会学なり民族学なりで割と人口膾炙してると思う

なので、エロがなんでダメなのかに納得いく理由はない

理由がないのを無理に理屈づけして一般論に見せかけるしかないため、規制論者って「論者」な時点で「論」が矛盾するしかない

あとタブーにはタブーを破っていい特権が常に付随する(権力根拠)のでタブー権力は無縁だという主張は成り立たない

ダメものダメ国家権力父権で言い切るしかないので、規制したい人は自由主義を装わず、素直に全体主義者になれば簡単なのになあ、と思う

ところでタブーといえば「さくらむすび」を思い出しま

タブー? お前らが勝手に言ってるだけだろ?」とチャレンジしすぎた内容でソフ倫からダメ出し食らってましたが

タブーとは何かを語る際には記憶にとどめておきたい名作ですね

Permalink |記事への反応(0) | 17:44

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2023-01-14

21世紀初頭がすでに回顧の対象となっている

2000年代日本|HD映像|失われた10年 [ [エモい] ] -YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=msSgxkHA04M

2000年代10年間の日常生活日本のシーンを1080pで。 35mm復元映像:これらのクリップには、実際の日常生活からのものドキュメンタリーからのもの映画からのものがありますが、日本販売代理店パートナー確認しているように、当時の国の現実を示しています

このライセンスプロジェクトは、高解像度復元されたデジタルドキュメントを通じて、過ぎ去った時代郷愁を取り戻すことを目的としていますグローバルな世界のためのデジタル民族学

Permalink |記事への反応(1) | 01:03

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2022-06-27

anond:20220627190317

ムーア人(英: Moors)は、中世マグレブイベリア半島シチリアマルタに住んでいたイスラム教徒のことで、キリスト教徒ヨーロッパ人最初に使った外来語であるムーア人は当初、マグレブ地方先住民であるベルベル人であった。その後、アラブ人アラブ化したイベリア人にも適用されるようになった。

ムーア人は明確な民族でもなければ、自らを定義する民族でもない。1911年ブリタニカ百科事典は、この言葉は「民族学的な価値はない」と述べている。中世から近世にかけてのヨーロッパでは、アラブ人北アフリカベルベル人イスラム教徒ヨーロッパ人に様々な呼び名が使われた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E4%BA%BA

Permalink |記事への反応(0) | 19:09

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2021-12-03

日本同調圧力って『1984年』だよね

日本誤訳をはじめた【1884年】をモデル

世界最悪ディストピア1984年』が書かれた。

日本小説家たちや作家たちは知らないけど、

日本が『1984年』のモデルという前提で

つくられてる有名なゲームや有名なコミックもあるからな?

英語に兄や弟の差別用語はないから、普通Big Brother」をキーワードにしない。

1984年』を持ってる人は巻末のニュースピーク確認するといい。

 

よくある全文字誤訳だけを挙げてみよう。

 

命令」「民主主義」「国民」「市民」「民族学

政府」「政治」「憲法」「象徴」「主権」「権利」「権威

自由」「自然」「空気」「心理学」「物理学」「工学

哲学」「歴史学」「文学」「芸術」「批評批判」「言語学

資本」「社会」「会社」「社長」「経済」「経営」「広告」「契約

理想」「現実」「虚構」「個人」「公共」「警察」「出版

主語」「主観」「客観」「概念」「抽象」「具体」「経験体験」 

義務「教育」教科書」「教師」「教皇」「宗教」「教会」「司教

努力】「問題」「存在「選挙」表現/表情」「交換」「説明

「会話」「感情」「感性」「情緒」「理性」「思考」「論理」「議論

科学」「意識」「啓蒙」「進化」「先進」「観念」「現象

文化」「伝統」「高級」「低級」

 

ほぼすべて造語現代日本語なんて妄想。非現代日本語。やったぜ!

単なる全文字誤訳じゃなくて使い方が最悪で、実害しかない。

これらの誤訳誤用は「ヒト」「クニ」の否定から

「人それぞれ」「国それぞれ」「日本から」は禁止

 

間違ったインプットは間違ったアウトプットを生む。 

間違ったロボットは正しいオピニオンを言われても 

理想ヲ見ルナ」「現実ヲ見ロ」「極端ダナ」

感情的ニナルナ」「科学的ニ考エテ」「個人的ニ言ウト」

論理的ニ言ウト」「具体的ニ言エバ」「努力シロ」

「ワガ国ハ民主主義ダ」「義務教育ダ」「権利ハナイ」

空気読ンデ黙レ」「不自然ダ」「自然ハ美シイ

象徴天皇イカ」「国民性ノ違イ」「民族性ダカラ」

「ニ、ニホンの文化ダシ」「醜…美シイニホンの伝統を守レ」

の非ニホン・プログラムしか動けないよね。

 

そういうとこだぞ (´・∀・`) 

Permalink |記事への反応(1) | 00:56

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2021-09-07

日本同調圧力って『1984年』だよね

日本誤訳をはじめた【1884年】をモデル

世界最悪ディストピア1984年』が書かれた。

日本小説家たちや作家たちは知らないけど、

日本が『1984年』のモデルという前提で

つくられてる有名なゲームや有名なコミックもあるからな?

英語に兄や弟の差別用語はないから、普通Big Brother」をキーワードにしない。

1984年』を持ってる人は巻末のニュースピーク確認するといい。

 

よくある全文字誤訳だけを挙げてみよう。

 

命令」「民主主義」「国民」「市民」「民族学

政府」「政治」「憲法」「象徴」「主権」「権利」「権威

自由」「自然」「空気」「心理学」「物理学」「工学

哲学」「歴史学」「文学」「芸術」「批評批判」「言語学

資本」「社会」「会社」「社長」「経済」「経営」「広告」「契約

理想」「現実」「虚構」「個人」「公共」「警察」「出版

主語」「主観」「客観」「概念」「抽象」「具体」「経験体験」 

義務「教育」教科書」「教師」「教皇」「宗教」「教会」「司教

努力】「問題」「存在「選挙」表現/表情」「交換」「説明

「会話」「感情」「感性」「情緒」「理性」「思考」「論理」「議論

科学」「意識」「啓蒙」「進化」「先進」「観念」「現象

文化」「伝統」「高級」「低級」

 

ほぼすべて造語現代日本語なんて妄想。非現代日本語。やったぜ!

単なる全文字誤訳じゃなくて使い方が最悪で、実害しかない。

これらの誤訳誤用は「ヒト」「クニ」の否定から

「人それぞれ」「国それぞれ」「日本から」は禁止

 

間違ったインプットは間違ったアウトプットを生む。 

間違ったロボットは正しいオピニオンを言われても 

理想ヲ見ルナ」「現実ヲ見ロ」「極端ダナ」

感情的ニナルナ」「科学的ニ考エテ」「個人的ニ言ウト」

論理的ニ言ウト」「具体的ニ言エバ」「努力シロ」

「ワガ国ハ民主主義ダ」「義務教育ダ」「権利ハナイ」

空気読ンデ黙レ」「不自然ダ」「自然ハ美シイ

象徴天皇イカ」「国民性ノ違イ」「民族性ダカラ」

「ニ、ニホンの文化ダシ」「醜…美シイニホンの伝統を守レ」

の非ニホン・プログラムしか動けないよね。

 

そういうとこだぞ (´・∀・`) 

Permalink |記事への反応(0) | 04:03

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2012-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20120727103302

元増田です。

能動ニヒリズムというニーチェ概念をググりました。多分、ニーチェは大いに不満を抱くと思うが、これまでの俺の理解だと、今回の積極的人間不信の考えはある程度能動ニヒリズムに近い考えだなって思った。

時間作って入門書を読みますありがとう

それで、弱者が生きる方法に関する積極的人間不信に基づいた俺の意見を書きます

まず、強さと弱さの基準の定義を話す必要があって、

現時点の環境に順応して生きていける能力の度合いが、強さの話と仮定する。

現代社会は、資本主義ゆえ、腕力でなく金の有無が生きていく能力だと考えてる。

この場合お金は、キャッシュストックフローの両方を含めている。

基本的にはお金がなくては、食べ物が取れなくて死ぬから、その能力の低い人を弱者として定義

ただし、そこには永久的にお金を手に入れられないか、一時的に稼げないかである程度は違いが出る。

永久的とは、お金がない状態がなくなる目処が全くつかず、かつその可能性も低い状態。

人間の行動規準として、苦しみからは逃げるように出来ている。だから死ぬというある程度高いレベルの苦しみから逃れるため、まずは永久的に金を稼げない状態から逃がれようとする。

しかし、それがいよいよ不可能になると、死ぬこと以上に苦しくなるから、命を絶つか、命を懸けるか、死ぬまで待つという行動を取る。

ここまでの結論は、弱者死ぬしかない。

ただし、ここで一つ問題がある。

食うだけの金を得るための、人間としての基礎的な学習能力があるにも関わらず、何らかの理由で一時的に稼げない人間も死んでも良いかというと、それは違う。

人間は「誰でも」突発的に一時的に稼げなくなる事もあり、そこから自分の身を守る行動を取る。

そこで仲間という補完し合う関係が生まれる。一時的に何も出来ない状態でも、死から自分を遠ざける手段。

現代社会においては、国や会社が仲間と言える。結局の所、これはわかりやすい積極的人間不信で、それを金とルール契約を交わすことで、国民や従業員をある程度信頼足る存在にする。

さて、そうした時に一番問題になるのが、一時的と永久的の線引きが人によって曖昧だということ。

職業を例にすると、足がなくなった鳶職の人は金を稼ぐすべを最低でも一時的に失う。人によっては、そこで新しいキャッシュフロー永久に産み出せない。

しかし、プロデイトレーダーはそれでも一般的に羨む額の金額を稼ぎ続ける。

そうなると、何を持って一時的とするか、永久的とするかの線引きが個人で変わってしまう。

誰でも弱者になりうる状態からは誰しも避ける方向に動き出す。

そのため、その線引きは相当低いラインに下げて、基本的には永久的に弱者に近い仲間も補完せざるをえない状況になる。

そこで国家社会権を組み入れ、弱者保護する仕組みを作らざるを得ない。

そして、弱者は生き続ける社会の方向に現代社会は進まざるを得ないと考えます

ここから先の理想の話は、社会学経営論、国家から始まって民族学まで発展するもので、

収拾がつかないと思うので、一旦終わりにしたいと思います

ただ、弱者果たして遺伝子的に最後には淘汰されないのだろうか?

というと、その可能性は強者と比べるとある程度相関関係はあるだろうと思います

そのため、数世代という流れでは、結局社会が変わって行かない限りは死滅すると考えています

積極的人間不信の考えにおいては、とりあえず自分を否定する行動はやめましょう、ということで、

まずは苦しまないように強くなる、程度に生きるようにして、

その後は自分で決めていく(強くなるのも、自由になるのも)のが生きて行く事だろうって思う。

ただ、今の社会は一時的な弱者のラインを上げようとしているように、昨今では感じられます

やっぱこれじゃチラ裏だなー。ブロガーとかはやっぱ凄いな。

Permalink |記事への反応(0) | 23:16

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2011-07-21

Sランは半端ない

Sネットゲームアダルトゲーム同人誌フィギュアSF三国志軍事声優風俗オカルト

Aアイドルアニメサバイバルゲームアマチュア無線鉄道競馬切手腕時計 パチ○コ

B漫画バイクカメラライトノベル特撮民族学自作PC女子アナウンサー麻雀オーディオ機器

C携帯電話ラーメン深夜ラジオ映画サブカル自動車ファッションテレビドラマ熱帯魚釣り

Dビリヤードワイン自転車ダーツテニスサーフィンギター純文学クラシック音楽アウトドア


私女だけど、Bまでなら許す

それより上はさすがに…


2ちゃんのどっかで見かけた男の趣味ランクテンプレだが、このうちどうしても理解できなかったのが、

ネトゲがSランクだったこと。


でも実際ネトゲをやってみて、Sランクものすごく妥当だと思った。

正確にはネトゲ廃人に対する評価として妥当という感じ。

というか男の趣味に貴賎をつけるとしたら、あいつらはエロゲオタを差し置いて

間違いなく最下層と言わざるを得ない。


エロゲについては「童貞去勢するような商売はやめろ」とか

「大っぴらではなく影でこそこそやれ」とは思うけど、個人的には

そんなにキモいと感じない。


その点、ネトゲ廃人はもうこれ以上ないくらいキモい


そもそもネトゲ特にMMOは↓の記事にあるように「自己顕示システム」として強烈な麻薬性がある。


http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=227


廃人はこのシステムに取り憑かれ、自己顕示欲に溺れてしまった人達と言える。

欲望の赴くままに俺TUEEEEE俺SUGEEEEEを貪る。

その姿がどうしようもなく嫌らしく、気持ち悪い。


そして俺TUEEEEE俺SUGEEEEEは他者との関係無しには成り立たない充足感なので、

周りをあまねく不快にさせる。

しかしよく訓練された廃人だと、そうして周りからウザがられても

「なーんかまたザコが負け惜しみ言っちゃってるよーでも実際俺超かっけーから仕方ねーわ、

あー嫉妬されるマジつれーわw」

という感じで快感脳内変換されるらしいので付ける薬はない。

まさしく「ギルド一番の誇り高き戦士」の面目躍如といったところか。

全く自重しない態度に胸熱だ。


特に10からいくつもいろんなネトゲやってるみたいな、MMO経験が長い人ほど要注意だ。

文字通り頭狂ってる奴が結構いる。

もちろん初心者のうちから廃人傾向の言動する奴もいるけど(リア充ダークサイドとも言えるか)。


こういう奴らに比べたら、こんな所でヘイトスピーチまがいのクズ日記書き捨ててる

自分のほうがまだマシだと心底思う。

Permalink |記事への反応(6) | 12:32

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2010-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20100318134723

生物としての」と言っているものに対して、民俗学文化人類学を持ち出すことに違和感を感じなかったのだろうか(自然人類学ならまだわかる)。

じゃあ生物学


wikipedia 配偶システム

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%8D%E5%81%B6%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0

生物がどの配偶システム採用するかは食性や生活環境の影響を受ける。たとえば鳥類のように子が自力でエサをとるのが困難だったり、子育てに長い時間や大きな労力がかかる場合には一夫一妻制が発達しやすい。一夫多妻制と一妻多夫制はオスとメスの潜在的繁殖速度の差によってどちらが性が希少になるか(実効性比)できまるが、実効性比はやはり食性や生態の影響を受ける。

なーんかあなたからはオスは子を沢山ばらまくのが正しく、メスは一つの子を大事に育てるのが正しく、自然一夫多妻制になる、というニュアンスを感じるが、バリエーションが多いから動物一般の性質として一夫多妻制というのは成り立たない(少ないとも思わないけど)。ヒトのように子育てに何年もかかる場合、一夫一妻制になってしまう。

俺の持っていた本は民族学文化人類学だけど、ヒトの始まりの頃についてかなり詳細に論じていたので使ったまでです。そしてそれは生物学整合的だ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:37

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http://anond.hatelabo.jp/20100318132948

じゃあどっか大学民族学とか文化人類学とかの人に聞くとか、何か質問文考えてググるかすればどうでしょ。俺はもうそろそろ飽きた。すまん。

Permalink |記事への反応(1) | 13:36

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http://anond.hatelabo.jp/20100318112718

統合そのものが暴力によって行われていると言っているわけではないよ。暴力に対抗する装置としての機能も含めている。

>まあもともと内部と外部の利害を調整する機能を果たすものを社会と規定し、その調整のための強制力の源泉を暴力定義しているので、ここを広げられても、定義のすり合わせにしかならんと思うぞ。

そういう社会ね。

私は暴力

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B

暴力ぼうりょく、Violence)とは他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待モラルハラスメントなどの精神暴力暴力認知されるようになりつつある。

という定義に従っていて、強制力=権力そのものとは切り離しているけど。

これはとても不思議なんだけど、通常の人間関係社会で、破壊で脅さなければ強制できないという事例ってごくまれだと思うし、それが基本だとはとても信じがたいんだけど、あなたはそう信じているの? 強制力は人間関係の維持や社会の大多数の承認によって生じるもので、それは暴力を基本的に必要としないと思うけど。

でもあなたの定義では元々そこが違って、強制力の源泉は破壊的なものでなくても暴力と言うんだ? そこがよく分からない。

>「最初のスタイル」であることをもって「自然なありよう」と判断するのなら、オスメスのつがいの形をもって「最初のスタイル」とするほうが妥当じゃね?

>単純に腕力によってヒエラルキーが決まる社会もあるでしょうが。

オスメスのつがいの形の最初のスタイルは、男女で分業して、セックスして子供作って、集合離散の結果、離婚する・養子を持つことがありうるというスタイルです。

あと腕力によってヒエラルキーが決まる社会は、人類の始まりから一般的だった訳ではありません。

「違う、夫が妻を財産として扱っているし、腕力でヒエラルキーが決まるのが普通だ」というのは勝手だけど、それは狩猟採集漁労民族では一般的ではなくて、農耕牧畜以降一般化したスタイルだから。嘘だというならそれが人類の始まりから一般的だったという証拠を出してほしいでござる。俺は民族学文化人類学の証拠から論じているぞ。それを信じないのは勝手だが、じゃあ事実にそぐわないね、としか言えない。

Permalink |記事への反応(2) | 12:47

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http://anond.hatelabo.jp/20100318095304

>背景に暴力がない社会は存続できない

その思想はどこから仕入れたものなの? マルクス

単純に言って他者一般程度の社会魚群でもありうるし、これが暴力社会統合しているとは聞いたことがない。高度な家族組織であるアリが暴力社会統合しているという話も聞いたことがない(全くないかどうかは知らない。ハチは女王候補同士で殺し合っていることがあるし、サムライアリは他のアリを奴隷狩りする)。

イヌチンパンジー暴力社会統合しているけど(ちなみにチンパンジーはメスがリーダーであることもしばしばある)、そういうのも一方にあり、一方にはボノボのように性愛社会統合するものもあり、他にも色々多様としか言えない。

ヒトは当初から暴力によらないと社会統合できなかったという証拠がある? 繰り返すけどそれは民族学文化人類学では否定されている。これを権威主義として無視するのは簡単だが、じゃあ他に何かの体系的な事実がなければならない。それが全く示されていないので途方に暮れている。

戦争のために必要? 戦争社会統合か? それに集団的問題解決のためならバンドの集合離散が一般的だったし、集団間の外交関係は婚姻メインだった。


>・狩猟採集漁労はともかく、それを社会という単位で行うことが「人間という生物にとって自然なありよう」なのかどうかという検証がない。

ホモサピエンスが生じて、食をどうするかとなった時に、男女分業や集団行動による狩猟採集漁労が最初のスタイルだったということは、それが人間と言う生物にとって、「環境改変能力がない限りにおいて」自然なありようだということになるが。

男の腕力は狩猟で実現されたけど、狩猟は大して獲れない(けど重要タンパク源なので質的無意味ではない)ので、それなりの意義しかなかった。

それとも、これを否定したくて、いきなり環境改変能力があって、農耕牧畜が最初のスタイルで、男の腕力=生産力が量的にものを言ったというならまた別ですよ。その説を民族学文化人類学学会で発表したらセンセーションを引き起こすかケチョンケチョンに批判されると思うので、やりたかったらどうぞ。


>・富の蓄積以外に社会的ヒエラルキーを決める要素がないのか。

属人的な知識経験人間関係長老になる。これは男でも女でもある。

首長が現れるのは富の集中・再分配が可能になってからで、それは貯蔵技術環境改変技術・農耕牧畜技術が発達して以降の話だが。

Permalink |記事への反応(1) | 10:39

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http://anond.hatelabo.jp/20100318073327

じゃあエルマン・サーヴィス『民族世界』を読んでみな、とは言えないから(そんなに長くないけど三日かかったし)、概ね男女で分業はあっても、権力に差異はなかったということだけ理解してくれ。これは実際そうだったんだよ。

これを違うというなら、印象論だけで、民族学文化人類学研究してきた事実総体を否定することになるけど。

Permalink |記事への反応(1) | 08:37

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2010-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20100115211257

変態趣味ではあるが、やり方によっては民族学的でもあるね。祖母から孫の代までとか、文化史になりそう。しかし残念ながら私は成長後である。

Permalink |記事への反応(0) | 22:33

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2009-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20090130124103

あまり処女厨論議とは関係ないんだが、日本過去は未婚=処女という認識だったというのは嘘だよ。少なくともその認識昭和になってから生まれた歴史の浅いもの。

日本では「夜這い」という習慣が当たり前にあって、未婚の若い女や未亡人のところには、若いものが忍んでいくのが普通だった。そして、子供が出来たりなんかしちゃった時に、女のほうが関係をもった男の中から誰かを指名したりするんだよ。

「村の娘と後家は若衆のもの」という娘の共有意識を示す言葉もあったしね。

民族学者などによって詳しく書かれている。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E9%80%99%E3%81%84%E3%81%AE%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6%E3%83%BB%E5%A4%9C%E9%80%99%E3%81%84%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%84%9B%E8%AB%96-%E8%B5%A4%E6%9D%BE-%E5%95%93%E4%BB%8B/dp/4480088644/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1233288346&sr=8-2

Permalink |記事への反応(2) | 13:07

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2008-08-29

人間は共食をする動物である」

民博石毛直道館長2003年退官講演より

人間は火を使う動物である」、「人間言語使用する動物である」、「人間は道具をつくる動物である」・・・・など、文化をもった動物である人間を他の動物から区別するキャッチフレーズがあります。

もっとも、霊長類学研究の進歩にともない、霊長類人間の行動が文化のあるなしで判然と区別されるものではなく、現在では霊長類にも文化の萌芽状態が存在することが承認されています。

動物と比較して、人間の食の文化を特徴づけることはなにかと考えてたどり着いたのが、人間料理をする動物である」、「人間は共食をする動物である」という二つのテーゼです。共食とは「共に食べる」ということであって、「共食い」と読まれたら困るのですが。

(中略)

さて、「人間は共食する動物である」というテーゼについて考えてみましょう。それは、食料の分配に関わることです。

親鳥が餌をくわえてきてヒナ鳥に食べさせることをします。しかし、ヒナ鳥も成長して巣立ったら、自分で餌を探し、見つけた餌は自分で食べてしまいます。動物は原則として、成長したら、個体が食物を獲得し、それを個体単位に消費してしまいます。

チンパンジーの食物分配について、霊長類学者たちの報告があります。オスのチンパンジーが、狩りをして幼獣をつかまえたとき、おねだりをしたメスなどに、その肉を分配することが観察されているのです。しかし、いつも分配して食べるのが原則というわけではないし、固定した分配相手という関係確立しているわけではありません。

それにたいして、世界中どの社会でも、人間の食事は共食が原則となっています。もちろん、旅先の食事や、単身生活をしていて一人で食べることはいくらでもあります。しかし、食事は一人だけで食べるものではなく、他の人と一緒に食べるものだというのが、世界民族に共通しているのです。その、普遍的な共食集団は家族です。

(中略)

1961年に今西錦司さんが『民族学研究』に発表した[人間家族起源」という論文があります。そこでは、インセストを回避する社会単位であると同時に、食物分配の単位として家族が成立したと論じています。つまり、性と食が人間家族をつくりあげたのです。

人類祖先狩猟をするようになったことに、食物分配と、それにともなう共食がはじまったのだと思われます。狩猟男性仕事とされることは世界民族に共通します。初期の人類狩人になったとき、男性がとった獲物を独り占めにせず、肉を持続的な性関係を結んだ特定の女性と、そのあいだに生まれた子供に分配するようになった、それが家族起源と考えられるのです。

共食のさい、限りある食べ物を共食するとき、強い者が独り占めにしないように、食物を分配するルールができます。この食物分配のルールがもとになって、食事における「ふるまいかた」の規範が成立します。それが発展して食事作法となります。食物分配が食事作法の起源であると、わたしは考えています。

このような家族と食に関する研究としては、民博の共同研究井上忠司さんと編集した報告書、『現代日本における家族と食卓−−銘々膳からチャブ台へ』があります(国立民族学博物館研究報告別冊161991年)。

http://www.minpaku.ac.jp/research/pr/030319_ishige.html

http://anond.hatelabo.jp/20080829053234

Permalink |記事への反応(0) | 15:20

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2008-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20080806174433

その文脈を把握すること無しに変にして解釈されたら恐ろしいことになる、ってことが伝わらなかったりするのは凄くもどかしい。

教育学とか史学とか民族学とか文化人類学とかそれ系」に関して言うと

前提が多いのはかまわないのだが

それ系の論説を読むと

クセジュにまみれて論説ヵ所が埋没していたり

前提と条件の検討がおざなりになって論に整合性がなかったり

話が横道にそれて私的なことが書かれていたり

そもそも主張したい内容が不明であったり、結論がなかったりするのをよく見かける。

そう言うのを見ると残念な気持ちになることはある。

論文無味乾燥に見えることを恐れて脚色しすぎなんじゃないかなと思う

Permalink |記事への反応(0) | 17:58

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http://anond.hatelabo.jp/20080806170916

社会科学系はまだいいんだけどね、普通人文学というと教育学とか史学とか民族学とか文化人類学とかそれ系をイメージする。

そう言ってもらえると多少は救われた気になるけれど、複雑な気分だな(増田は違うみたいだけれども、経済学法学への不信を口にする理系人はやはり少なくないし、後者学問ダメって言われているようなのもちと悲しい)

自然科学入り口程度の知識しかないけれど、それでも自然法則をほんの僅かな式で綺麗に表現する手法は本当に凄いし、物事を明晰に分析してみせる理系の知人のことは尊敬しているよ(だから、文系的センスのみで理系を切って捨てる人間には嫌悪感を感じる)。

そういう文化からすると、人文学の「論」は言葉が多すぎてまず読む気がしないってのはあるんだよね。

文系人間でも確かにそういう感覚は理解できるのだけれど、そのことと価値を混同した話をする理系の人が居て、「勘弁してよ」と思わされることはあるなあ。例えば近代史なんかを語る時、前提として知るべき情報量が多くなるのは仕方がないことだし、その文脈を把握すること無しに変にして解釈されたら恐ろしいことになる、ってことが伝わらなかったりするのは凄くもどかしい。理系の人が文系的分野を「モデル化」するとき、時として演繹的判断が行き過ぎているように見えるのは分かってもらいたいな(もちろん、それは理系の人全てが陥る罠ではないけど)。

文系理系車輪の両輪のようなものだと思っているので、出来ればほんのちょっぴり我慢して、文系世界も理解してもらえたらなあ、といつも思ってる。

Permalink |記事への反応(2) | 17:44

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http://anond.hatelabo.jp/20080806165903

社会科学系はまだいいんだけどね、普通人文学というと教育学とか史学とか民族学とか文化人類学とかそれ系をイメージする。

あなたが自然科学をどの程度ご存知かは知らないけど、自然科学って世間の皆さんが思っている以上にシンプルだったりするのね。

グラフとか図を1枚示すだけで、背景の概念数学モデルの詳細まで説明できちゃったりすることもあるのね。言葉無しでも。

だから理系人間同士の議論でウダウダと言葉で説明しようとすると「いいから絵を見せろ」と言われたりするわけ。

そういう文化からすると、人文学の「論」は言葉が多すぎてまず読む気がしないってのはあるんだよね。

Permalink |記事への反応(1) | 17:09

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2007-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20071004153642

大学以降になるとそれはない。

高校までってのはだいたい民族学で言うところの「真正な社会」(純血、とか地域型、顔と名前と出自が一致する、といったニュアンスおk、かな)だけど、それ以降はいろんなとこから人が来るから、「そういう人もいるよね」という認識。ただ「関西弁をしゃべろうとがんばっちゃってる人」だと「なにいきっとんねん」と思われる可能性も。TVバラエティ関西弁の影響が強いと、さらに倍率ドン。

Permalink |記事への反応(1) | 15:41

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