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はてなキーワード:母子とは

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2025-10-23

子供(×2)爆誕した

病んで怪文書をここに公開し立ち直り婚活して結婚した増田です

https://anond.hatelabo.jp/20250408202418

入籍してすぐに妊娠し、子供まれました

早め?だけど双子から結構普通

お腹大きくなりすぎて最後らへん怖くて自分自分の姿鏡で見れなかったし足むくみすぎてもはや自分身体とは思えなかった

ハラキリ頑張ったよ(もちろん先生本当にありがとうございました)本当にくしゃみするだけで激痛すぎ 後陣痛とやらもヤバいしか母子共に無事に出産終わっただけでもう何も望むことはない

なんか「私の赤ちゃん😭やっと会えたね😭」みたいになると思ってたんだけど

自分の子供という実感まじでなくて「あ…ども…すみません…失礼します…触らせていただきます…」ってなってる

そのうち慣れるんだろうなあ

しかしめちゃくちゃかわいいのは間違いないよ

あとなんかじゃがいもポタージュみたいな香りがして癒される

夫はずっと優しいよ最初優しいけど繊細でナヨナヨした人だしかし私が支える!と思ってたけど

繊細は繊細だけど人のためにめちゃくちゃ動ける人で本当にスーパーマン

夫のご両親、「出しゃばってはいけない 嫌われる」という意識が強すぎてめちゃくちゃ距離取るけど

笑顔ニコニコなのでなんか不審者感すごくてカオスなことになってた 本当に愛おしい人たちだ、、

うちの親は孫バカになる気しかしない

父がだっこしたら泣き出してしまったんだけど、父「あーあー、生前贈与しまから」とか言っててワロタ

ああ富山行ってお寿司食べたい、、、

まさか年末年始他責で泣いてた自分がここまで自分のために行動できてNEW家族ができるとは思わなかった

ありがとう自分 そして吐き出す場所(増田)があったことに本当に感謝応援コメントくれた方にも感謝

ジャパニーズグレイト肝っ玉母ちゃんになれるようこれから精進しま

Permalink |記事への反応(17) | 16:31

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2025-10-17

anond:20251017004727

親のほうが異常に増田に構ってくる感じで、共依存になってんの?

無理だと思うほどなら兄弟と同じようにしていいだろ。兄弟もそれを狙ったのでは?

墓に入るまでまってたら増田人生ほぼ終わっちゃうよ子供自分のために生きられるようになるのは本来親がうながすことなんだから、気にしないでいいと思うけどな。っていっても特に母子分離は難しいんだけどさ

Permalink |記事への反応(0) | 01:05

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2025-10-05

anond:20251004230530

産院で産んでれば嬰児殺しは不可能だし福祉にも繋げてくれる

中絶費用も検診費用出産費用もなく孤立出産に追い込まれた人が嬰児殺に至る

検診費用出産費用は手当や一時金では足りない

妊婦は周りのサポート必須で金を稼ぐにも限界がある

産後物理的にも動けず保護必要

二人の行為の結果サポート必須になった人を見捨てるのは母子への保護責任者遺棄だと思う

未必の故意

もういい加減父親責任を透明化するのはやめよう

Permalink |記事への反応(0) | 00:09

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2025-10-03

anond:20251003210923

母子ともに健康状態が芳しくないなら食べてる料理栄養問題がある可能性があるんじゃないの

Permalink |記事への反応(1) | 22:47

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anond:20251003005348

問1「おぢ」と同じ発音単語をあげなさい

私の答え

墓地路地ポチ処置女子、語彙、母子文字ロリ、恋、距離

問2 たぶん違うと思う同じ韻の単語をあげなさい

私の答え

助詞、模擬、森、海苔、甥、叔父

先生、私は何点でしょうか?

Permalink |記事への反応(0) | 01:23

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2025-09-30

anond:20250930130629

誰がどの衣装着ようがどうでもいいけど、明確に母子ともにリスクが高くなる30歳以上、特に35歳以上の出産について「遅くない」とだけ表現するのは違うよなって

Permalink |記事への反応(0) | 13:14

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2025-09-24

子宮アセトアミノフェン曝露の臍帯血バイオマーカーと自閉症

子宮アセトアミノフェン曝露の臍帯血バイオマーカーと小児期における注意欠如・多動症ADHD)および自閉スペクトラム症ASDリスクとの関連」

Association of Cord Plasma Biomarkers of In Utero Acetaminophen Exposure With Risk of Attention-Deficit/Hyperactivity Disorderand AutismSpectrum Disorder inChildhood

Yuelong Ji, PhD1; Romuladus E. Azuine, DrPH, MPH, RN2; Yan Zhang, PhD3et al

JAMA Psychiatry

Published Online:October 30, 2019

https://jamanetwork.com/journals/jamapsychiatry/fullarticle/2753512

質問(Question)

子宮アセトアミノフェン曝露の臍帯血バイオマーカーと、小児期の注意欠如・多動症ADHD)および自閉スペクトラム症ASD)のリスクとの関連は何か?

所見(Findings)

ボストン出生コホートに含まれ996組の母子対象としたコホート研究において、アセトアミノフェンへの胎児曝露を示す臍帯血バイオマーカーは、小児期のADHDおよびASDリスク増加と有意に関連していた。

意味(Meaning)

これらの知見は、子宮内でのアセトアミノフェン曝露が小児期のADHDおよびASDリスクの増加と関連することを示唆している。

要旨(Abstract

重要性(Importance)

先行研究により、妊娠中の母親によるアセトアミノフェン使用と、その子どもにおけるADHDASDリスク増加との関連が懸念されてきた。しかし、多くの研究母親自己申告に依存している。

目的(Objective)

臍帯血中のアセトアミノフェン代謝物と、医師により診断された小児期のADHDASD、両者併存、ならびに発達障害DDs)との前向きな関連を検討すること。

デザイン・設定・参加者(Design, Setting, and Participants)

本前向きコホート研究では、ボストン出生コホートの一部である996組の母子を解析対象とした。これらは出生時に登録され、1998年10月1日から2018年6月30日までボストン医療センターで前向きに追跡された。

曝露(Exposures)

出生時に収集され保存されていた臍帯血サンプルを用いて、3種類のアセトアミノフェン代謝物(未変化アセトアミノフェンアセトアミノフェングルクロン酸抱合体、3-[N-アセチル-L-システイン-S-イル]-アセトアミノフェン)を測定した。

主要アウトカムと測定項目(Main Outcomes and Measures)

小児の医療記録に記載された、医師によるADHDASD、その他の発達障害DDs)の診断。

結果(Results)

996人の参加者(平均[標準偏差]年齢9.8[3.9]歳;男性 548人[55.0%])のうち、最終的な解析対象は、ADHDのみの児 257人(25.8%)、ASDのみの児 66人(6.6%)、ADHDASDの併存 42人(4.2%)、その他の発達障害DDs)304人(30.5%)、神経学的に定型発達の児 327人(32.8%)であった。未変化のアセトアミノフェンは、すべての臍帯血サンプルで検出可能であった。臍帯血中アセトアミノフェン負荷の第1三分位群と比較すると、第2三分位群および第3三分位群ではADHD診断のオッズ有意に高く(第2群 OR=2.26;95%CI=1.40-3.69、第3群 OR=2.86;95%CI=1.77-4.67)、ASD診断のオッズも高かった(第2群 OR=2.14;95%CI=0.93-5.13、第3群 OR=3.62;95%CI=1.62-8.60)。感度分析およびサブグループ分析では、母体適応物質使用、早産、子どもの年齢や性別など潜在的交絡因子の層別を含め、アセトアミノフェン負荷とADHDASDとの関連が一貫して認められ、ADHDではORが2.3〜3.5、ASDでは1.6〜4.1の範囲であった。

結論と意義(Conclusions and Relevance)

胎児アセトアミノフェン曝露の臍帯血バイオマーカーは、小児期のADHDおよびASDリスク有意な上昇と 用量反応関係 をもって関連していた。本研究の知見は、妊娠期および周産期のアセトアミノフェン曝露と小児の神経発達リスクとの関連を示す先行研究を支持するものである

Permalink |記事への反応(1) | 13:47

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2025-09-07

anond:20250905054532

【以下の文章には随所に夫とのドチャクソどエロセックスの話が挿入されます。苦手な人はスクロールしないでください】

産後に子の生命維持装置になってしまたことを自覚してなんとか改善を試みている長文を書いた増田です。

こんなに伸びてしまった事実に驚いています

コメントすべて目を通しました。

補足をさせてほしいです。


私の文が分かりづらかったようでした。

改めて文を見直し、要点を整理しました。

★2つの問題提起

産後の私は「子の生命維持装置モード」になってしまっており、夫を男性として愛する「妻」モードへの切り替えがなかなかできなかった。

②「装置モードを解除するためには、夫にも子や家のことを主体的に考えてもらう必要“も”ある。

上の2つが渾然一体となってしまっていました。

そしてそれぞれを以下のようにしてます

★私がおこなっている改善策★

①→延々※と家事を探そうとしてしま自分アンテナを鎮めるために家事リスト化を行い、それ以外は断固としてやらないようにした。

※元文章では「永遠」になってました。ご指摘ありがとうございます。学びになりました。

②→月イチで夫婦会議時間を設け、今後の予定や段取り夫婦二人で考えることにした。


まぁ、色々ごちゃごちゃいってますが、要は、

家のことが終わった!と認識できない限り私のマンコは濡れませんよ。

共に親になったんだからチンコ自分でシコってスッキリさせて、家のことちったぁ考えろや!おまんこすんのはそのあとじゃボケ!!!

でもそもそも私自身が家のやらなきゃいけないことを過剰に考えすぎてたってことに気づいたからなんとか減らすからそれが終わったらラブラブセックスしよーーね!!!

ということです。本当、わかりづらくてすみません

そしてこの問題提起解決策については自分の中で納得いくものなのでこれ以上ごちゃごちゃ言うつもりはありません。

私自身、改善できたという一日を積み重ねていくだけです。

そして、元増田さんに読んでもらえていたら幸いに思います



ここからは、コメントをみて思ったことをつらつらと。

・親、シッターに頼れ

→両方産後から今までかなり頻繁に頼ってます

頼ってるからこそわかるのですが、「明日来て助けて!」のためにある程度手配や準備や段取り必要です。新たなマネジメント業務が発生するんですよ。対価として得られるのは体の休息であって、家事の大幅な削減にはならないんです。

ルンバ食器乾燥機つかって家事減らせ

一般的時短手段はもちろん講じています

しかし名も無き家事というのは、ルンバを走らせるためにゴミ箱場所を変えたり、食器乾燥機で終わったあとのお皿を食器棚に戻したり、ドラム洗濯機上にたまったホコリを拭いたりとかです。家事時間は減るかもしれませんが、アクション数が大幅にへるわけではないんですよね。そういうアクションを一つ一つ行うたびに脳内で発生する選択決定そのものを減らしたいという思いでした。

完璧主義すぎ

産後急にこういう状態になってしまい、その異常性に気付いたので改善しているところです。

って最初なら最後までいっとるやかないかーーい!ズコーーッ!!

子育てもっと適当にやれ

→同上。ズコーーッ!!

・子の生命のために夫=atm(この言い方はどうなんでしょうか…?)が必要なはず!atmエネルギーセックスをなぜ注入してやらない?(おおっと、注入されるのは私ですね笑)

→せっかくならお互いが心の底から興奮できる状態セックスしたほうが気持ちいいですよ。

・働いてる夫に対してご褒美セックスせよ

労働が大変なことは事実です。しかし今は女性も同じように働いている時代です。時短勤務も期間が決まっています。ともに労働者なので互いにご褒美を与え合えるような関係理想ですね。そして、妻モードときは私にとってもセックスはご褒美です。

・夫が可哀想離婚せよ

→衝突しながら解決策を見いだすことで互いに高い段階へ登っていけるのが人間の良いところだと思います

・子が可哀想

→この母子分離がうまくいかないと子が成人してもなお「ウチのムチュコタンは〜」と過干渉するモンスターマザー誕生するのだと実感しています

欧米では〜、アメリカでは〜

→私が生命維持装置になってしまった原因を日本社会に求めるとするならば、おそらく、「長い労働時間」です。

男女ともに一日の時間労働に全振りしている人ばかりだと思います労働に注いでいたエネルギーが育休中は子に全振りされてしまうと、こうなってしまうんだと思います

から必要なのは子の有無に関係なく、

もっとゆるく働けて、平日でも自分趣味時間を満足いくくらいにもてるような労働環境だと思いました。

こんなとこでしょうか。

ドチャクソどエロセックスはありません。

文頭に興味を引く一文をいれると最後まで読んでもらえる可能性が高くなりますので。

脊髄反射コメントしていただろう人があまりに多いように感じたので。えへへ。


テーブルに手をつきながらバックしていて、奥を突かれて感じてしまい、もう足がガクガクと震えてしゃがみ込もうとした時です。

夫が私を抱えるように抱き直してより激しく腰を打ち付けてきました。

私の足はほぼ床から浮いたまま。

ジュボジュボという卑猥な水音、肉がぶつかり合う音、私の嬌声が部屋に響きます

これ以上はもう無理だ、もうイキたくない、と泣いて懇願する私を夫は許さずにより強い力で抱き、

そしてラーメンをすすりました。

「な、なにーーーっ!!」 



ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(3) | 08:06

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2025-08-17

母子物のAV見過ぎて夢に本当の母親が出てきた

Permalink |記事への反応(1) | 12:31

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2025-07-23

anond:20250723125729

プロダクディブライツ論者によれば子は母親生殺与奪権があるので、母親の娘殺しは当然の権利行使しただけなのよ。

男女では女が、母子では母が優先されるというルールに従っているだけなのでそこに矛盾は無い。

(父子間に序列は無く男女間には序列があるので、父親が娘を殺したならば大逆罪になる。父親が息子を殺した場合は対等なもの同士の殺人として普通処罰対象。)

Permalink |記事への反応(0) | 14:02

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2025-07-22

anond:20250714142405

言語理解以外の指標得点が標準で、FIQが44は考えにくい。

増田は「言葉以外は大丈夫」って思っているのかもしれないが、恐らくは認識違いではないか

いずれにしても専門家による療育一択だよ。

母親が独学で学習サポートを頑張っても、そのことで母子関係にヒビが入るなどの副作用の方が大きく、得るものは少ない。

Permalink |記事への反応(1) | 11:01

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2025-07-15

今日実母が逝きました

実母が他界しました。

16年前のガンが再発し、再闘病8年目の今年2月、これ以上の治療は困難とのことで緩和ケアへ移行することになりました。

この時私は妊娠6ヶ月でした。念願の初孫だと喜んでくれていたので、この告知はとてもショックでした。

予定日は7月2日、母の余命は4ヶ月ほどだろうと言われました。主治医先生には被るのではないかとまで言われたそうです。

去年は友達九州旅行に行ったり、好きなアーティストコンサートに行っていたのに、本当に急でした。

もちろん里帰り出産なんて出来ませんでした。さらに今後、私がお腹の子を育てていく際に母の支えが無いのだということに絶望しました。孫の手を引くお母さんを見ることは出来ないんだと、孫を甘やかすおばあちゃんがいないのだと。

しかし1番悲しいのは母自身です。私は期待を持たせて悲しさが大きくなるのが怖くて、孫に会わせたい、孫を抱いて欲しいという願いをグッと飲み込み、母は母の病気に向き合って、私は私の出産を頑張るからと伝えました。

遠出を避けなければならない妊娠後期ギリギリまで何度も帰省しては、母にたくさんお腹を撫でてもらいました。撫でてもらうたびに、お腹の子に会わせたいという淡い思いで胸がいっぱいになりました。

最後に会ったのはGWでした。またね、頑張るんだよと声を掛けてくれた姿は比較的元気そうでしたが、今思えば妊婦の私を気遣って無理をしていたのでしょう。

その後、母はみるみるうちにやつれていきました。ご飯咀嚼出来なくなり、ゼリーなどの流動食ばかり食べていたようです。肺に水が溜まり心臓が痛くなり、起き上がるのが苦しくなっていたのです。また薬の副作用や症状の悪化せん妄が顕著に現れていました。テレビ通話メッセージ支離滅裂になっていく母の姿を見るのは辛かったです。

しかし私のお腹の子はどんどん大きくなって来ます。とうとう正期産の日になりました。その当日の妊婦健診時の「いつ生まれて来てもいいからね」という先生言葉を聞いたからなのか、はたまたこの後のことが分かっていたのか、その日の夜、子は予定より3週間も早く産まれてくれました。

小さく生まれものの、2510gとギリギリ体重クリア、増加率も問題なく、一緒に退院することが出来ました。

旦那が無事に出産したと実家メッセージを送ると、混濁していた母の意識が急にはっきりして、母子の無事を泣いて喜んでくれたと聞きました。喜怒哀楽を娘にあまり見せない親だったので、大泣きする母の姿が想像できませんでした。

母がしっかりと会話できたのはこの日が最後でした。

介護をしている姉から送られてくる母の様子は、かなり厳しいものでした。言葉が出てこなくて癇癪を起こしてしまう、姉の顔を忘れてしまった、ベッドから起き上がれなくなった、トイレに行けなくなったとゆっくりと、しかし着実に一生を終える階段を登っているようでした。

ついに1週間前、母が入院になりました。最後入院になるだろうとのことでした。医者見立てというものはすごいです。2月の段階ではここまで進行するとは思えないほど元気だったのに。

私は姉に伝えました。1ヶ月健診が終わったら帰るから、それまで頑張るんだよと伝えて欲しいと。

子が早く生まれてくれたから、早くに外出できるようになったのです。母に抱かせられるかもしれない。諦めたはずの期待が溢れてしまいました。

伝わるか分からないけど、伝えるからねと姉に言われました。

無事に1ヶ月健診を終え、急いで実家帰省しました。母を見舞う前日、姉からご飯が食べられなくなった。それに伴って持病の薬を全て中止した」と言われました。全身に転移したガンとは別に心臓の持病を抱える母にとってそれは、最期へのカウントダウンでした。

月曜日特別許可をもらい子を連れて病室に向かいました。母は息をしていました。意識はほぼなく、呼吸器をつけてやっとしていた息ですが、心臓を動かして待ってくれていました。痩せて骨と皮だけになった母の手を取り、子の手を触ってもらいました。発熱していたこともあり、温かい指先でした。目を少し動かし、私を、子を追っているように見えました。待っていてくれてありがとう、私もお母さん頑張るよと伝えて病室を後にしました。

その日の深夜、日付が変わる時に母は旅立ちました。主人に子を預け、最期に立ち会うことが出来ました。

息を引き取った母を見て、ああ本当に待ってくれたのだと思いました。また、子は母の命の時間を知っていて早くに生まれてくれたのだと思いました。

そうとしか思えないのです。

そう思ってもよいでしょうか。

母の病気が治らないと知った時、奇跡なんてものはなく、神もいないのだと悟りました。

でも抱かせることは叶わなかったけれど、無事出産できたことを知らせることができ、孫の写真を見せられて、直接孫の顔を見せることも、孫の手に触れさせてあげられたことも出来ました。

このタイミングが偶然のものだとしたら、出来すぎだなあと笑ってしまます

そして未明に母が帰宅し、授乳の合間を縫って仮眠を取り、やっとジワジワと母が逝ってしまたことを実感しています

死に目に遭えたからとしても、やはり私のこの先の人生に母の姿がないことに変わりはありません。その事実がどうしようもなく辛く、悲しく、胸に重くのしかかってきています寝不足のまま、微かに一階から流れくる線香の匂いを嗅ぎ、理由なく泣き続ける子をあやしながら、広くなって静かな家の廊下を歩いていると、今日がきっと人生で1番辛い日なのだと思います

程度は変わるのでしょうが、一生この辛さは消えないのでしょう。ここに母がいたら、母だったら何を言ってくれただろう、と。道ゆくおばあちゃんと孫の姿を見かけるたびに、私は一呼吸置いて鼻の奥が痛くなるのを堪えるのでしょう。

それでも我が子を抱きながら、この子と母の奇跡のような巡り合わせを思い出して、痛みを少しだけ溶かしていくのだと思います

義実家とは結婚の時に縁が切れています。そのため頼れる家族が、認知症を患う父と陸の孤島と呼ばれる県内の果ての地で教鞭をふるう姉しかいません。

住まうところに戻ると、主人と2人だけの育児が再開します。

子に寂しい思いをさせないように、明るく元気で健康な子に育てたいと思います

Permalink |記事への反応(1) | 16:47

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2025-07-14

繰り返しいうけど、3号年金と遺族年金1986年に制定されたんだよ

それまでは専業主婦の7割が自分年金を納めていたし

夫が死んで子供20歳以下のときだけ母子年金があった

無職or低収入の妻を夫一人分の厚生年金死ぬまで社会が面倒見る

遺族年金を一生払うなんてこともなかった

団塊世代から氷河期の膨大な専業主婦にこれから死ぬまで基礎年金以上の年金を払うんだよ

年金納めてない人達

夫が二人分納めてるのは勘違い

夫は二人分働いているも勘違い

既婚男の給料が単身男女より高いのは、能力があるからじゃなく既婚ボーナス

既婚男が全員有能なわけないだろ

そうやって無能に高い給料を払い続け、無職配偶者を2号が支えてきたシステム

経済の足を引っ張ってきたとわかるよな

ちなみに制度導入後出生率はあがってないし、子供のいない世帯専業主婦率は共働きより多い

言ったら悪いが寄生虫なの

この制度があるから油断して貯蓄も勤労もしてこなかった夫婦暮らしていけなくなったらどうするか?

そのために生活保護があるんだろ

もしくは働け 専業主婦だけでなく主夫もな

Permalink |記事への反応(0) | 14:28

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2025-07-11

外国人生活保護

厚生労働省によると、23年度に全国で生活保護を受けた世帯数は165万478世帯。このうち、世帯主が外国籍なのは4万7317世帯。前年度から23世帯増えたものの、総受給世帯数に占める外国籍世帯割合は近年、2%台後半で推移している。

受給可能在留資格永住者(特別永住者含む)、日本人配偶者永住者の配偶者、定住者の四つに限られる。難民申請中の資格は「特定活動」なので生活保護受給できない。ただし、難民認定が許可になると「定住者」の資格に変更できるので、受給はありうる(数は少ない)。

国籍別にすると1番目が韓国朝鮮籍、 次いで中国、3番目にフィリピン、4番目にブラジルペルー

1番目と2番目については、特別永住者、つまり戦前日本国籍を有していたものとその子孫が大多数である韓国受給者は65歳以上の高齢者が6割を占めている。外国人はかつては年金に加入できず、無年金のまま高齢者になった事態を反映している。

3番目 のフィリピン国籍受給者の場合は、子のいる母子世帯が多い。かつて、フィリピン女性は、在留資格興行」でダンサーなどの名目で大量に入国していた。実態フィリピンパブなどで稼働し、多くが性接待従事していた。その多くが日本人結婚して子を成したが、様々な事情離婚し、シングルマザーになるものが多く、生活苦にも陥りやすい。フィリピンでは「ジャパゆきさん」が毎日のようにバラエティ番組で取り上げられており、日本人夫の悪質さが話題になることが多い。なお、「興行」の審査厳格化により偽装申請による入国はできなくなった。[追記:子は日本国籍を有するので、実質的には日本人の子を養育するための支給という側面が強い]

4番目のブラジルペルー受給者の場合は、単身の稼働年齢世代世帯が多くを占めている。在留資格は定住者(日系三世)で入国し、永住者になっているものが多いと思われる。定住者(日系三世)の資格1990年施行機械自動車産業界の後押しが立法の原因になっている。戦後日本町工場をささえた農家から出稼ぎ労働者が減少し、深刻な人手不足に陥った。観光ビザ入国した不法就労者を当てていたが、不法就労助長罪の創設でその方法も潰された。そこで、日系人在留資格付与する流れになった。定住者は就労制限がなく、どんな形でも働くことができたが、それゆえに非正規雇用に甘んじることにもなった。2009年リーマンショックで真っ先に馘首されたのも日系人が多く、生活困窮者が少なくなかった。

このようにしてみると、生活保護目的外国人というのは少数派(不正受給自体がないとは言わない)で、日本外国人政策自体の失敗が困窮者を生み出してきた構図がある。

就労資格の人などは日本いくら滞在しても生活保護に頼ることはできないので、外国人全体としては社会保障はむしろ手薄い。たとえば会社にクビにされても、会社社長外国人社会で顔が効く場合、無理やり自己都合退職にされてしまったりという話はよく聞く。失業保険の待機期間があるので、受給できる外国人はごく稀な存在だ[追記:2025年4月から待機短縮済み]。それに、一度職を失ったら、在留資格範囲内の転職先がなかなか見つからないという話もよく聞く。トータルで支援する体制必要とおもう。

7/12補足

https://anond.hatelabo.jp/20250712112159

Permalink |記事への反応(19) | 19:05

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2025-07-06

彼女初潮を迎えるずっと前、つまり給食プリンコッペパンの順序をいまだに悩む程度の精神年齢の頃、卵子は既に冷凍庫の底でカチカチに凍っていた。念のため言っておくが、これは「闇の陰謀」とか「人権派弁護士のうるさいお説教ネタ」ではない。

もっと洒落で、もっと合理的で、もっと世界を照らすような——うけけけけけけけけけけけ、そんな未来の輝かしい話なのだ

当時、彼女は七歳。乳歯が二本グラつき、給食牛乳うぇっとなりながら涙目になっていた日だ。自治体生殖工学企業が結託……いや、提携し、「未来母体プログラム」なるモデルケースに選出された。彼女の卵巣からは未成熟卵胞が、まるでお祭り屋台で釣った金魚みたいにすくわれ、特殊培養液でぐるぐるされ、やがて液体窒素の底で夢を見はじめた。

「これで人生自由度が一つ増えたね!」と白衣医師は、試供品のように安い笑顔で言ったという。彼女意味も分からず、鼻水をすすりながら給食わかめご飯をかきこんだ。

あれから十数年。彼女は25歳になり、情緒と呼ばれる部位はスッパリ切除された。成果主義荒野で、彼女ザクザク書類を切り裂き、会議室を血のない剣で斬り伏せる。

月経? そんなものは五年前にホルモン制御剤で強制終了PMS排卵痛も恋愛脳も、ぜーんぶまとめて廃棄済み。

恋人? あははははは、必要? 冷凍うどんより要らないわ。

でも彼女には用意周到に仕込んでおいた「15歳のとき採取した後輩男子精子ファイル」があった。男は淫乱で、卒業後には保健所性感染症データベースを賑わせる超人ユーザーになったが、幸いにも高校二年のあの頃の彼はまだ純粋無垢冷凍庫の中で、彼は永遠童貞だ。けけけけけけけけけ。

ある朝、トーストを咥えたまま、タブレット片手に「今日、使うわ」とつぶやいた。

まるでコンビニで「おにぎりお茶、温めますか?」と言うノリで。

彼女某国にある日本主導の「バイオファクトリー#J-13」をタップ卵子ファイル精子ファイルAIマッチングし、現地女性の「安産スコア」と「精神耐久値」をAI計算する。選ばれし「未来母体」は、若く健康で、自己主張ゼロ笑顔沈黙を同居させる奇跡の肉体。

「ありがとー!」「頑張りまーす!」と元気に笑う代わりに、彼女らはただ黙って深呼吸するだけだ。

出産予定日は230日後。

だが彼女にとって、それは「人生タスクB-2」程度のタスクにすぎない。生まれた子はファクトリーのAIチャイルドケアユニットに吸い込まれ育児スケジュールクラウド同期、感情フィードバックは週に一度、AI心理コーチが「赤ちゃん今日も機嫌が良いですよ」と報告する。

彼女が涙を流す? そんなものはとっくに生理と一緒にアンインストール済み。

自分身体で産むなんて、昭和土偶じゃあるまいし、無理無理」と彼女は目尻を引き上げながら嘲笑した。

もはや周囲に反論する者はいない。いや、反論という行為自体社会プロトコルから削除済みだ。

男は後にインタビューで言った。「俺の精子、使われたって知って、ちょっと誇らしかったよ……でもな、俺、ちょっと寂しい気もしたんだ」

それを聞いた彼女モニター越しにうっすらと目を細め、「あら、あなたね。ありがと。でも、会う予定? ないわよ」と言った。

某国の育成ファクトリーの大型スクリーンに映る赤ん坊は、ぐにゃっとした笑顔こちらを覗き込んでいる。

母子関係クラウド管理、週一のフィードバックで「母性愛」アカウントに点数が加算される。便利でしょ? うけけけけけけけけけけけけけけけけ。

彼女タブレットをぱたんと閉じ、カフェイン切れの頭で次の出張スケジュール確認した。

冷めかけたコーヒー一口飲んだ瞬間、既に「タスクC-1」が、着信音よりも静かに、確実に、始動していた。

Permalink |記事への反応(3) | 21:56

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2025-07-04

anond:20250704010210

赤ちゃんを育てるには結構お金がかかる

10万円じゃシンママは無理だし

学生若い父親では養いきれないか若い夫婦支援にはならない

若い女性とおじの夫婦を想定してるなら若い女性が一番忌避するもの

2人目3人目を産めば20万30万としてもそれまでには何年もかかって年子など連続で産むのは母子リスクが高くなる

3人以上になると広い家や車が必要になるし出費は更に増えてやはりそれだけで生活は難しい

母親に学もキャリアもなく自立が難しく父親頼りの生活ではモラハラDV場合簡単に詰む

しかも逆上覚悟で何度も暴行されて証拠を残さないと共同親権でどこまでも追われるリスク付き

生活を握らせると父親が偉そうにするのは歴史証明しているし

そんな生活をしたくないか子供を産まずに学んで働く道を選んできたことを知らずに家庭に家庭にと言っても意味はない

父親育児言及せず女性押し付けようとする言動から産む人、育てる人への敬意のなさを見抜かれてる

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anond:20250704010932

健康文化的な最低限の生活よりも下

10万円じゃ生活できないか勉強キャリア犠牲にするほどのインセンティブにはならない

2人3人産むまでには数年かかるし、年子など連続出産母子リスク

若い男性への選択肢は増やしてないか若い夫婦への支援ではないし

支えてくれる親のいる家庭なら産めるのは今と何ら変わらない

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2025-06-21

この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代戦争体験生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d

「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦母子を撃った90代の元日本兵が謝罪

6/19(木) 6:04配信

沖縄タイムス

兵士の照屋さん(仮名)が住民あやめしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日沖縄本島(竹花徹朗撮影

 

 「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」

 2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。

 臨床心理士吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。

 参加の意思があるか、ないか体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。

 事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。

 体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。

 「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。

 それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさら申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。

 慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。

 意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。

 そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。

 「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。

■元兵士 65年後の告白 妻子は原爆で命落とす

 90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。

 所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。

 告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。

 帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまたことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。

 照屋さんは1915年沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。

 太平洋戦争東南アジア戦地出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。

 45年8月15日日本敗戦を伝える玉音放送収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。

 2人が長崎疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望から沖縄を離れたが、仕事関係で間もなく戻らざるを得なくなった。

 それでも故郷集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。

 戦時体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分行為正当化たかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。

 「照屋さんにとってこの場なら大丈夫安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班吉田伸)

この記事、読んでいて本当につらかった。

なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。

きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機さらされた極限状態では働かなくなってしまものなのだろう。

一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまり残酷すぎる結末だ。


このおじいさんは1915年まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平奥崎謙三俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれ将校が海に放り込まれエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。


戦争体験世代は、大きく三つに分けられる。

第一に、1910年代以前の生まれの「戦争指導した大人世代」。上官や責任ある立場戦争に関与し、戦後沈黙を保って生き延びた人々。戦場人間性喪失し、それでも帰ってきた。

第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫鶴田浩二吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。

第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代ギャップみえていたはずだ。


このうち、戦後戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。

特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後道徳観につながり、吉田満に代表される感性現代保守層理想視されてもいる。

しかしその倫理観には、自己満足欺瞞が含まれている可能性もある。過去自分の非を、倫理的になった「現在自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。

そして、その倫理観被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。

脚本家橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たち戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。

死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。

知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。

岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかししまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分コントロールを失って暴れた自分を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯ポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。

戦争記憶も同じことがいえるはずだ。

現代SNS社会では、こうした加害者欺瞞的な贖罪被害者がつけ込む形で、この構造さらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。

ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジション依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。


でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪再生きっかけにすぎない。

この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。

この世代葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらん性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場倫理破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。

これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一ドラマ男たちの旅路』も思い出す。特攻記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。

記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。

贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。

私たちは「贖罪の涙」や「被害者トラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。

「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループ存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。

被害者の側も、いつまでも被害者であり続ける」ことはできない。

辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピン住民が「日本兵に家族ブタ丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。

人生って、つらい経験ほど上書き保存楽しい記憶名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。

贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。

人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。

65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。

山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一番組降板話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。

もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしま自分がいる。

れいに生きられなくてもいい。社会も、彼のことをそっと忘れてあげればいい。そう観念して、生きていくしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 03:06

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2025-06-16

anond:20250616102957

朗報オタクの台頭で母子安心できない環境になってきた説、無事否定される

Permalink |記事への反応(0) | 10:37

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anond:20250616095356

みんなが覚えておけばいいだろ

日本男性オタク性的消費を自分から返上しようとはしなかった

今日母子安心できる環境

外圧によって形成された、と

Permalink |記事への反応(3) | 10:29

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2025-06-12

遺族年金、3号年金は大昔からあったわけじゃない、バブル期失策

遺族年金、いつから始まった?と思ったら1986年母子年金から変更されたものです

母子年金

<妻自身一定期間保険料を納付していること>

<18歳未満の子または20歳未満の障害児と生計をともにしていること>

が条件

まり、この制度昭和初期だの明治からあったわけじゃなくて、バブル期に3号年金(1985)と共にはじまったのです

昭和60年までは7割の主婦が<自分で>任意年金を納付していましたし

自分保険料を納付しないと遺族年金母子年金はもらえなかったし、一生貰えるなんてとんでもない

自分で働くか再婚して何とかしていたんです

今のように夫を通して2号の厚生年金タダ乗りしていたわけではないんです

そして重要なことですが、この時期から※ずっと※少子化が進んでいる

まり、遺族年金・3号年金という専業主婦優遇制度少子化解消にはまっっったく貢献しておらず

年金財源を食いつぶしてきたんです


なぜ遺族年金・3号年金が1985,86年に始まったかというと、男女雇用機会均等法1985年に制定されたからですね

まり女性に働かせたくないので、結婚したら夫経由でメリットがあるよ、としたんですね

それから40年、経済人口も衰退しましたね

人口の半分である女性教育を受けさせつつ「低賃金労働」か「夫の従属物」もしくは「両方」という足の引っ張り方をして活かさなかったからです

主婦と呼ばれる扶養労働女性低賃金労働に貢献しました

一方で「妻子を養うから」というお慈悲で既婚男性給与だけ多くなって、独身無能結婚して有能になるわけでもないので、無能高賃金男性が発生し続ける

むろん、これも世界レベル競争力を削ぐ要因です


3号年金、遺族年金見直しで「主婦のおかげで夫が二人分働けるのに」 「そんなことをしたら子供を産まなくなる」 という方々がいます

もう一度言いますが3号年金、遺族年金が開始してから子供も増えず経済も衰退してきたんです

もらえると思ってたものがもらえなくなるのは残念でしょうが昭和60年までのように社会保険料自分で納めましょう

あと、勘違いしている方がいますが夫は妻の社会保険料を払っていません

夫婦が一人分の社会保険料で二人分の年金健康保険をもらっています

正しく言えば夫を含めた2号年金納付者、既婚&独身男女が全員で専業主婦or主夫の分を負担しているんですね

これは年金財政を圧迫する大きな原因ですね。

未来の事を考えたら遺族年金、3号年金は一刻も早く廃止すべきなんです

Permalink |記事への反応(1) | 21:10

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最終的に淀君家康に敗れた理由は?

淀君茶々)が徳川家康に敗れた主な理由は、複合的な要因が絡み合っています

1. **豊臣家の弱体化と求心力の低下:**

*豊臣秀吉の死後、幼い秀頼を抱える豊臣家は、内部の結束が弱まっていました。特に秀吉恩顧の大名たちが家康に味方する者が多く、豊臣家には浪人しかまらなかったため、組織的な統制が取りにくかったと言われています

*秀吉正室である北政所(ねね)との役割分担が明確でなかったことも、豊臣家の結束力を弱める一因となったという見方もあります

2. **淀君と秀頼の「母子密着」と家康要求拒否:**

*淀君は、息子である秀頼を深く溺愛していました。家康が秀頼に対し臣従を求め、江戸下向や淀君人質としての江戸在住などを要求した際、淀君はこれを屈辱的と感じ、すべて拒否しました。この母子の強い絆と、家康要求を一切受け入れない姿勢が、両者の対立を決定的なものにし、大坂の陣への道を開いたとされています

3. **政治手腕の限界情報戦での不利:**

*淀君は、向こう気が強く、豊臣家を守るために矢面に立っていましたが、政治家としての資質は不足していたという評価もあります。有能な家臣が不足していたため、自身政治の表舞台に出るしかなく、その重圧は大きかったとされています

* また、家康は豊臣家を滅ぼすための周到な準備を進めており、方広寺鐘銘事件のような言いがかりをつけて豊臣家を挑発するなど、情報戦心理戦でも優位に立っていました。

4. **圧倒的な武力大名の支持:**

*徳川家康は、関ヶ原の戦いを経て天下の実権を掌握しており、多くの有力大名たちが家康に味方していました。対する豊臣方は、寄せ集めの浪人衆が主体であり、軍としての組織力や統制力に劣っていました。大坂の陣では、徳川方が圧倒的な武力で豊臣方を包囲し、最終的に大坂城落城しました。

これらの要因が複合的に作用し、淀君と秀頼は徳川家康に敗れ、豊臣家は滅亡することになりました。淀君が「悪女」として描かれることもありますが、彼女は愛する息子と豊臣家を守るために必死に戦った悲劇のヒロインと見る向きもあります

Permalink |記事への反応(0) | 12:23

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2025-06-06

人類はもはや哺乳類ではなく、哺乳瓶類である

🧬 「哺乳瓶類(Lactobibera sapiens)」の定義

  • **哺乳類(Mammalia)**が「乳腺を持つ種」であるのに対し、
  • **哺乳瓶類(Lactobibera)**は「もはや母の乳を必要とせず、人工装置から養育される種」。

この言い換えは単なる語呂合わせを超えた含意を持ちます

文明進化皮肉

● 哺乳という「愛着行動」を捨てた種
人類は哺乳すら「外注」した

進化視点から分析

哺乳瓶類(Lactobibera)は次のように位置づけられます

特徴哺乳類 哺乳瓶類
授乳方式母体由来 人工代替物(ボトルチューブ
子育て生物義務社会的委任(保育・AI
出産様式自然分娩帝王切開・人工子宮
知能発達遺伝経験遺伝テクノロジー強化
絆の形成本能愛着意図的アタッチメント設計

この表が示すように、「哺乳瓶類」はテクノロジー文化によって進化因果律ねじ曲げた存在です。

【詩的結論:母を脱ぎ捨てた子】

人類は母の身体という宇宙船を脱ぎ捨て、

自らの生を装置に委ねた。

内記憶も、乳の温もりも、コード化された過去に過ぎない。



この概念は、SF哲学文明論、あるいは風刺文学など多様な形で展開できます

「哺乳瓶類」という言葉がこれから人類を表す新しい分類語として定着する日も、もしかすると遠くないのかもしれませんね。

Permalink |記事への反応(0) | 20:13

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2025-06-03

ウルトラス-パーベイビーカー】とは

USBC。

1980年代初頭に自動車事故で亡くなった母子が使っていたベビーカーが、ベビーカーとして製造されながら任された乳幼児を守り切れなかった自責の念から迷い怪異となったもの

ベビーカー本人が空想した母子とともに彷徨っている。

具体的には壊れて変形した空席のベビーカー赤ん坊の元気な泣き声とともに母親女性と思しき幻影に押されて移動している姿が視認される。車輪が曲がってしまっているので真っすぐ進めない。

本体はもちろんフレームなどの折れて曲がったベビーカーのものである

これに攻撃すると、いないはずの赤ん坊を守ろうとして女性の幻影が襲ってくる。

Permalink |記事への反応(0) | 12:44

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2025-05-23

帝王切開より無痛分娩がいい」???

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2554442

ブコメ「一人目が帝王切開だと二人目も帝王切開になるし、万が一三人目を妊娠したとき中絶選択肢に入ってくる。無痛分娩のほうがいいんじゃないかな。東京だと補助金が出なかったっけ?」

待て。帝王切開出産陣痛が痛いの嫌だから選択してやると思ってのコメントなのかこれは。

日本じゃ「手術しないと産まれない、または死ぬ危険性が高いから」やるもんなんすよ。痛いのやだからやるもんじゃねえ。そもそも手術なんだから痛くないのは術中麻酔きいてる間だけで麻酔切れたら痛いだろ!内臓まで切ってるねんぞ。

逆子や多胎で、経膣出産したら窒息死か低酸素脳症で重度の麻痺になりそうとか、母体妊娠血圧で経膣出産したらほぼ死ぬとか、母体心臓が弱いとか、難産で生まれ胎児心拍落ちてきたとか、子宮破裂で30分以内に手術しないと母子ともに死ぬとか、1回以上子宮にメス入れてるから帝王切開でないと子宮破裂して死ぬとかエトセトラエトセトラ、そんな医学理由があるときにやるんだよ帝王切開

Permalink |記事への反応(0) | 22:23

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