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はてなキーワード:残雪とは

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する①

1-01「オン・ザ・ロードジャック・ケルアック青山南訳★★

確かこれが初めて読んだビートニック文学の一つだった。車でアメリカ大陸の各地を巡っては行き当たりばったりの旅をする話で終わりも尻切れトンボ、「なんだこりゃ」とひっくり返りながら読んだ。だが、こいつら一生そのまま放浪するんだろうなという感じがあっていい。ちなみに、これ以降も細部には触れないとはいえネタバレガンガンかましてくので嫌な人は読まないでほしい。あと、この文章は半ばが自分語りというか、酔っ払いが管を巻いているようなものだと思っていただきたい。そもそもこの感想だってほとんどが曖昧記憶と印象を頼りに書いているのであり、いたっていい加減なものだ。そもそも、僕は正規文学教育を受けていない、一介の理系アラフォーおっさん文学少年崩れに過ぎないのである

ところで、これを薦めてくれた友人は「ブローティガンを読むといい」と教えてくれた。文学サークル村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の幻想パートをもとにした小説を書いていた僕に、その元ネタの一つだと言って手渡してくれたのが「西瓜糖の日々」だった。妙な世界なんだけれども向こうは完全に常識だと思っている語りがすごく好きだし、こちらの世界存在する物事がいくつか欠落しているのもなんだかいい。

なお、厳密には池澤夏樹文学全集ではなく文庫版で読んだのだけれど、訳者が同じだったのでここに記載する。そもそも全部順番に読んだわけじゃないしね。

1-02「楽園への道」マリオバルガス=リョサ田村さと子訳★★★

年端もいかない少女同棲したり酒を飲んでだらしない生活をしたりするゴーギャンとその祖母過激派フェミニストの二人を主役に据えたお話。この二人が現実に同じ一族から出ているのがまず面白いのだが、自分が生きたいように生きたというかそういう風にしか生きられなかった点ではよく似ている。型どおりに生きられないのよね。

このゴーギャン祖母フローラトリスタンは、作中ではどこにでも出かけては結婚制度有害さで一席をぶったり、関係ないときにも社会改革の話をしたり、貴族の子弟が幼い少女の性を慰み者にしたと突然告発したりと、かなりアグレッシブな人のようにも書かれているのだが、当時の人権状況はそれ以上にヤバかったってのは頭の中に入れて置かないといけないし、彼女キャラは作中の誇張もあるだろう。余談だけど作中で言及されるフーリエ空想的社会主義って輪廻転生や数万年後の未来史を含んでいて結構オカルトっぽいのね。

1-03「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ 西永良成訳★★★★★

タイトルがまずかっこいい。

プラハの春ソ連侵攻前後チェコ舞台にした四角関係小説なんだけれど、いろんな人の現実に向き合う態度が批評されている。その中で全体主義に埋もれてしま人間の弱点を指摘しているのだけれども、真摯というよりもどこか軽やかというかシニカルだ。ドイツことわざにいわく、「一回やっただけではやったことにならない」。しかし、人生は一度きり。さて、それでは本当に生きることってできるのか? 屁理屈のようだが、深刻な問いだ。

時系列が入り組んでいるし、作者がちょくちょく顔を出してスターリン収容所で死んだ息子とか関係なさそうな話をするもんだからちょっとややこしいんだけれど、浮気者外科医政治の嵐で一介の窓ふき職人として暮らしているっていう設定の恋愛劇、面白そうでしょ?

ちょくちょく出てくる作者の言葉、これは政治批判というよりも、人間の弱さや神の不在に対する諦念に近い。でも、例えば美しい理念に酔って自己満足に浸る「キッチュ」な態度をはじめとして、クンデラ作品でうまく言語化されていることは多い。個人的純文学は基礎研究だと思っていて、みんな知っているけれども名づけていない(しばしば望ましくない)感情名前を与えることがその役割の一つだ(余談だが、僕は政治的にはかなり左寄りなんだが、リベラルの人が正しさ競争というか、自分がどれだけアンテナ意識が高いかを鼻にかけてしまう瞬間に気づくことがあり、そんなときにたいそう居心地が悪いし、無数の人が実際に正しいかどうか自分の中で検討せずに「価値観アップデート」していくのがプロパガンダみたいですごく怖い。まず自分価値観内面をどうするかは完全に個人問題なのに、価値観思想にまで触れてこようとするのが見知らぬ他人ベタベタした手がどこからともなく伸びてくるみたいだし、何も考えずにアップデートした人たちはバックラッシュが起きたときに結局それに流されて、下手すりゃ前よりも悪化してしまうだろう。たぶんリベラリズムが好きでもリベラリストはそうでもないんだ。閑話休題)。

作者の顔が割と見えるというか、虚構虚構であると割り切っているところがあるのがクンデラメタフィクション風の長編なのだけれど、芥川龍之介の「煙草悪魔」を読んで以来、こういう語り口がすごく好きなのだ。そういうわけで、某創作講座でメタフィクションを書いたら「言い訳しながら小説を書くな」「このままでは一生成功はおぼつかない」とボロクソに貶されたことがある。悲しい。

あとは、登場人物普通にモテるので、そういうのが気に食わない人にはあまりおめしない(というか、クンデラ小説キャラってときおり人生における性的快楽の総量を最大化しようと行動している節がある)。僕がテレビドラマを見ないのもそれが理由だ。自分よりも顔のいい男がモテているのを、労働ですり減って帰って来たあとに見る気にはなれないし、ではモテていなければどうなるかと言えば、自分不器用な振る舞いを指差して笑っていると感じるのである笑。

それはさておいてクンデラ面白かったので何冊か買ったし、再読もした。

1-04「太平洋防波堤/愛人ラマン/悲しみよこんにちはマルグリット・デュラス田中倫郎・清水徹訳/フランソワーズ・サガン朝吹登水子訳★★/★★/★★

これは読むタイミングがあまりよくなかったなと感じている。というのも、この本を読んでから数年後に、経済的には困っていないか経済的には困っているのだけれども事態解決しようとしない自堕落貴族金持ちの話を読むのが猛烈に好きになった時期があるのだ。たぶん金に困らない奴がうだうだする話が好きになったのはプルースト失われた時を求めて」以来だ。「人間は暇になると恋愛遊戯に走るか、虚飾にまみれた儀礼を作るか、格付けや番付を作り始める」という趣旨磯田道史「殿さまの通信簿」か何かの記述を思い出す。あらすじを調べると、上の感想とはかなり懸け離れてるのだが、読んだ内容と心に残していくものは若干ずれているものだ。

1-05「巨匠とマルガリータミハイル・ブルガーコフ水野忠夫訳★★★

この話は基本的には悪魔が魔術・幻術で社会をひっかきまわすドタバタなのだが、冒頭の首ちょんぱがお好きならハマる。背景のイエス・キリスト実在とか彼の処刑にかかわったピラトの救済とか(を描いた劇中劇)はわからなくてもいい。勢いがすごい。ブルガーコフはこういうドタバタが多い。強烈なのは犬の心臓」で、これは犬を手術で人間にしたらガラの悪い野郎になって人間権利侵害するようになるんだが、これはどう見ても革命に乗じてやりたい放題やっているならず者風刺である。「運命の卵」は確か放射線かなんかを当てた卵からかえった動物が巨大化して街を襲う怪獣大行進である

自分悪魔の話が好きだ。ゲーテファウスト」のように際限なく願いを叶えるのも好きだし、アシモフ小悪魔アザゼル18の物語」のように、悪魔契約を忠実に守るが穴があり、うまくいか皮肉な結果になったりするのも好きだ。こういうアイロニーというか、破滅運命を避けようとして逆にドツボにハマるのは、ギリシア神話シェイクスピアマクベス」なんかでも見られ、好物だ。

昨今の情勢からロシア文学が好きだとは言いづらいのだが、自分はまちがいなくロシア文学に命を救われている。ドストエフスキーの、激重感情で身が今にもはち切れそうな人々や、自分狂気を強烈な理性で押さえつけてはいものの今にもバランスを崩してしまいそうな人々の存在が、自分のことを受け入れることのできなかった二十代の自分を救ってくれていた。世界平和が訪れたら、サンクトペテルブルク流れる白夜のネヴァ川沿いを歩いてみたい。……とここまで書いて気づいたのだが、ブルガーコフキー出身ゴーゴリと同じくウクライナ文学に分類されるじゃないか! 知識が古いままだとうかつなことが言えない。

1-06「暗夜/戦争の悲しみ」残雪近藤直子訳/バオ・ニン井川一久訳★★★/★★

残雪「暗夜」カフカが好きな僕は楽しんだ。基本的に何かが欠落したよくわからない世界で、よくわからない理由翻弄される人間の話が好きだ。これは偏見だが、共産圏映画を含めてこういう不条理作品がひたすらうまい現実が同じくらい不条理からかもしれない。それが理由で、共産主義時代東欧文学映画にハマった時期がある。当時は自分の周りのあらゆることが不条理に感じられていたのだ。とはいえカフカのところでも述べるが、これだけ人が苦しんだということは胸が痛い。当時の僕は自分の悩みと痛みのことしか考えられず、不条理ものを求めて東欧に接近していたのである

バオ・ニン「戦争の悲しみ」はよくわからなかった。これを読んだのが二十歳を迎えるかどうかの頃で、戦争で傷ついた女性がなぜ相手かまわず性交渉を行うようになるかが作品から読み取れなかった。ただ、自分文学から女性の性について学ぼうとし始めた遠因かもしれない。なんで文学から学ぶんだよというツッコミはしないでほしい。他に学ぶルートが無かった。だから偏ったサンプルばかりで、ある程度バランスの取れた、ハッピーな性生活を送っている人はどうなのかが全然からない。だって極端な人じゃないとフィクションにするのって難しいからね。

続く。

Permalink |記事への反応(6) | 17:15

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2024-12-22

これからずっと雨か雪がふり、ずっとサイクリングできなくて

そのうち旅立つ時がきて、出先ではサイクリング当然できない

年始で、残雪が道にあって、できなさそう

(むかしむかしレンタサイクルしてことある。電動だったような気がする)

飛行機中華つみこんで沖縄行きたい

Permalink |記事への反応(0) | 14:52

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2024-12-21

雨が降って雪になり

道路などにつもって残雪となり

雨雪でなくてもこのせいでできなくなるのか?

うつだわ

Permalink |記事への反応(0) | 15:26

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2024-08-18

anond:20240817211616

お疲れ様自分は、ぎりぎりアルパイン(残雪期の北アとか、軽いバリエーションとか)の登山趣味にしていたので、当時の家族を考えると申し訳なかったな。と思う。膝の無理が効かなくなり登山から引退したが、登山道具は娘が引き継いだので、彼女が山に入る時はせめてAirTagを持たせている。(メジャールートでも山は下界とは違う。皆さんお気をつけて。)

Permalink |記事への反応(0) | 15:42

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2024-05-31

anond:20240507124147

あの時代エモい通信

昭和の古い雑誌の巻末のほうには、しばしばペンフレンドコーナーというのがあった。

ひょうんなきっかけで、クラッシャージョウ特集していた80年代前半のアニメージュをふと手に取ったことがある。あれはたしか震災前の石巻市内の旅館だ。

ペンフレンドコーナーでアニメ愛を語り、連絡くださいと住所連絡先を書いていたあの頃の若者も、今はおじいさんおばあさんなんだろうな。

とにかくお手紙を書く時代だった。日ペンの美子ちゃん黄金時代だ。


話はかわって学生の頃の話。

富良野からほど近い根室本線無人駅列車を待っていた。

「あの、どこの山に登ってきたんですか」

ふいに女の子が俺のリュックサックのぞき込んで尋ねてきた。

1泊2日、残雪単独登山の帰りだった。ほどなくして列車富良野へと向かった。

「へえ、富良野って登山できるんですね。私、今富良野に住んでるんだけど、ほとんど町からたことがなくて。今日、初めて列車富良野から出てみたの」

聞いてみると出身博多だという。看護学校に通うために、春に、富良野までやってきて寮にいるけれど、まだ友達がいないんだと寂しそうにいった。

博多旅行したことがあったので、その話になった。

繁華街?、ああ中州ね」と彼女は笑った。鼻に寄ったしわの可愛さにすっかりやられてしまった。

富良野までの30分、音楽の話や地元の話、いろいろなことをお互いに話した。

やがて富良野が近づくとき彼女は急いでメモ帳の切れ端に住所を書いてくれた。

今まさに一組のカップル誕生しようとしている瞬間、周囲の乗客のくすくす笑いを今でも忘れられない。

それから札幌に戻り、なんどかハガキを往復した。

札幌で楽しそうなイベントがあるときは連絡した。

俺の下宿電話は(呼)だった。大家の部屋で親機で電話をとって、子機の部屋を呼び出す、という意味

昭和くんのところの大家さん怖いよね。なんかかけにくい」

「え、なんで。すごく優しいおじいさんだよ」

わたし、間違えて、呼び出しだって思わないで、もしもし昭和くん?ってかけちゃったの。

そしたら大家さんがね、”ここは昭和さんのお宅ではありません。昭和さんが住んでいるアパートです!”っていってガチャって切られちゃったの。何も切ることないじゃない」

「ああ、それはきっと最近大家さんとこに、そういう電話が多かったかイライラしていたんだと思うよ」


やがて就職し、内線電話を使うようになった。

もしもし札幌商事の・・という者ですが、技術部昭和さん、いらっしゃいますか。お見積りの件でお電話差し上げております

昭和さん、札幌商事から電話です~、と取りついてもらったところ、

はい昭和ですが。いつもお世話になっており、、あ・・・小声で(おい会社にかけるなってあれほどいっただろ!)」

はい見積の件ですね、承知しております20(時)部に変更ですね、例の物件(お店)ですよね。引き続きよろしくお願いいたします。」

などといって、彼女と待ち合わせをしたりした。

昭和さん、お疲れ様、うふふ」といって電話を取り次いだ子が背中をポンと叩いて通り過ぎた。

待ち合わせをするだけのことで、このもどかしさ、このスリル



ポケベルが登場するのはそれから平成に入ってしばらくのことだった。


こと、通信事情においては、昭和のエモさは半端ないものがある。

なのでおっさんたちが懐かしむのはよくわかる。

交通事情で書いたタバコ匂いはとてもひどい時代だったけれど、こんなふうに人と人がつながっていけた社会はもう二度と来ないだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 13:16

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2020-04-23

次のうちメロス激怒した原因となったものを全て答えよ

猫に名前がなかった

エーミールクジャクママユを自慢してきた

久しぶりに会ったルントウに旦那様と呼ばれた

カモメかと思ったらジョナサン・ジョースターだった

ごんだった

残雪が飛び去っていった

青鬼が出ていった

Permalink |記事への反応(0) | 00:32

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2020-04-22

自粛自粛ゥ~

趣味にしていた登山自粛の嵐。

一人で行動できるし、体も動かせて結構ストレスの発散になっていたんだけどね。

まぁ、北アルプス南アルプスみたいな人気の山だとジジババが大挙して三密とは言いにくいんかの。

どちらにしても移動して、あちこち寄るから問題なんだと思うが。

特に高山では残雪を楽しめるし、低山では暑くも寒くもない登山にとっては非常に恵まれ気候

登山趣味人なら行動範囲が広がるときではあるんだけどね。

ま、地元で人気の低山でも運動不足解消で普段見ないような人たちも多いしね。

うっかり登山の様子をSNSにでも上げたら非国民扱いになりそう。

仕方ないので、家の庭で趣味の木工工作に切り替えよう。

え?材料を買うのに外出したんじゃないかって?それは不要不急の外出なのかって?

あちゃ~。

Permalink |記事への反応(0) | 09:03

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2018-05-20

人はなぜ遭難するのか

GW中は遭難ニュースが多かった。未だに見つかっていないものもあったり。五頭連山の親子はどこにいるのだろうか。

私も登山する以上、遭難だけは最も避けたいところ。

でも、整備されてる登山道を歩いている限り、遭難するようなポイントはあまりないんだよな。なのになんで人は遭難するんだろうか。

ということでヤマケイ文庫の『ドキュメント道迷い遭難』を買って読んでみた。すると、遭難の原因は道迷い時に戻らないことだということが分かった。

だいたいの遭難者は道に迷った時に戻らずそのまま進む。

そうするとドンドン間違った道に迷い込む。もう「あんバカァ?」とアスカに言われてもおかしくないくらい戻らず進む。

しか遭難の多くは下山時に起こる。下山時に道迷いを起こして戻るってことは、今来た道を登り返すということになる。下山時なので体力的にも登り返したくないという心理もあり、さらに間違った道を進むから遭難する。

日登った瑞牆山も、下山時の登り返しが1番疲れたとみんな言ってた。やっぱり下山時はみんな登りたくない。

「迷ったら時は絶対沢を降ってはいけない」ってよく聞くけど、そもそも迷ったら進んではいけない。沢を降ったとしてもいずれ滝になって降りれなくなる。

水ってのは下に降りやすいところから流れていくので、どうしても崖目指して進むよね。

「迷ったら登れ」ってのはたぶん正解。正しくは「迷ったら戻れ」なんだろうけど、登れば見晴らしの良いところに出るので位置がわかりやすくなるし捜索しているヘリコプターも見つけやすくなる。

単独登山から遭難やすいかと言えばそういうことでもなさそう。単独だろうがパーティを組んでいようが、道に迷った時に戻らなきゃどちらも遭難する。

新潟の親子はたぶん凍った残雪に滑って落ちて登り返せなくなったとか動けなくなって遭難したんじゃないかなぁ。

道に迷ったらすぐ戻る。そうすれば遭難は防げるような気がする。

もちろん戻れない状況になったら進むしかないわけだが。

Permalink |記事への反応(0) | 06:10

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2010-02-25

あの人との恋愛妄想を繰り広げて早1年

業務終了まで、まだ少しばかり時間が残る午後3時半。眠気の霧が晴れ上がり、また仕事に集中し始める頃合い。

契約職員という立場上、部署で一番下っ端の私には、毎日茶具の後片付けがある。

あわ立ちの悪い洗剤をスポンジにたっぷりと垂らす。カップの底に僅かに残るコーヒーを、蛇口から出るぬるま湯で薄める。

流し台の中で泡塗れになる様々な形のカップと、コドモのような私の手。

家でも職場でも毎日手洗いで食器を洗っているから、油分が失われてかさかさに乾いて、そこだけは大人のように見える。

私にとって、後片付けの時間はとても楽しいものだ。

手馴れたコトは手慣れた身体に任せて、頭で別のことを考えていればいい。

そうすれば、時間は案外早く過ぎ去っていく。


私には好きな人がいる。とても素敵な人のように私の目には映る。

人当たりがよく、部署内での人間関係は良好のようだから、多分他の人からも好かれている人だろうと思う。

趣味が私と似通っているし、実際に世間話をすると楽しい

妙に緊張をすることもなく(好意を自覚してすぐの頃は流石に心臓がいつもより大きく動いていたけど)、自然に会話を交わせる。

好きかもしれない。何となく、何となく、好きかもしれない。

いや違う。

とても好きなんだ。すごく好きなんだ。

この人とお付き合いが出来れば蕩ける様な幸福に包まれるんじゃないかと錯覚するくらいに。

そんなにまで好きならば、告白すればいいじゃん、と思われると思う。自分でだってそう思う。

だけど、4月に入社しこの部署に配属されて、もうすぐ1年、告白などという甘くも苦くもなる言葉は遥か遠くにある。

自分ありのまま感情を打ち明けるのが怖い。正確には、打ち明けた後に拒絶されるのが酷く恐ろしいのだ。

何を子どものようなことを、とは自分自身でも思うが、しかし今まで誰にも告白したことはないし、告白されたこともない。

生まれてきてから今に至るまで、誰かの恋人であった期間は一瞬たりともない。

世の中の恋する女性の行動力には感服するばかりで、自らの気持ちをオブラートに包むことなくそのまま手渡せる行動力が羨ましい。

毎年如月は14日、甘い陰謀の日の有無を言わさぬ流れに乗って、私も思いを打ち明けてみようかと、少し高めのチョコレートを買ってはみたけど、

結局渡せずに私と家族の胃袋の中に消えた。私の気持ちはどこかに行くことはなく、私の中に再び溶け込んでこの日は終わった。

詰まるところ、私はただの臆病者だ。成人して数年経つのに自分の言いたいことが言えない。もどかしい。


私は私の好きな人のことの、どこまで知っているのか分からない。

側面、あるいは切り取られた一部分だけを見て、好きだ好きだと思っているだけなのかもしれない。

とても滑稽なことのようだけど、実際に一部分しか見えていないのだから、仕方ない。

私の更に滑稽なところは、その一部分を妄想の水で膨らませて楽しんでいるところだ。

仕事の日には毎日やってくる、茶具の後片付けの時間

いつもご苦労様ねとか、片付けしてもらって悪いな、とか色んな人から詫びるような言葉を時々頂く。

詫びられることなど何もない。スポンジから生まれる泡と、捻った蛇口から止め処なく流れるぬるま湯

そして沢山のカップと戯れながら、あの人の付き合うことが出来たら、と考える時間はとても楽しい

あの腕に自分の腕を絡ませ、引っ付きながら歩くことが出来たら素敵だろうな、とか、

一緒にご飯をお腹いっぱい食べれたらそれだけで幸せかもな、とか、そういうくだらない妄想を延々と考える時間はひたすらに楽しいのだ。

そこにいる好きな人は、私の想像上の産物であって本物ではない。だからこそ楽しく感じるのかもしれない。

多分付き合うことのない人が、私に優しくしてくれる妄想。都合がいいにも程がある。こういうことも自慰と言えるのだろうか。


私と今いる会社との契約は、更新なしの1年限り。

好きな人とも、あとひと月もすればお別れ。この妄想ともそれくらいでお別れが出来ればいい。

穏やかな春の日差しの中で融けて消える残雪のように、このどうしようもない恋心もなくなってしまえばいい。

だけど最後の日に何かないかと期待するこの心はへたっている。少女漫画の読みすぎだ。

奇跡みたいに都合のいい出来事など起きるわけもなく、そして何もなくこの恋は終わる予定だ。

それでいいのだ、たぶんね。

Permalink |記事への反応(1) | 23:33

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