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はてなキーワード:残酷とは

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2025-10-26

モンペのなり損ない

娘の修学旅行の代金が振り込まれた。

クラスで選ばれる側だった娘は、些細な出来事きっかけに、どこの班にも選ばれることなく、修学旅行を辞退した。

それまで、娘がクラスに馴染めていないことにも気づかず、結局は行くだろうと楽観していた私の予想は打ち砕かれた。

思えば、娘と同じ年の頃の私は、いつも「選ぶ側」にいた。

誰と一緒に行くか、誰を誘うか、当然のように決めていた。

そのとき、誘われなかった誰かの気持ちに思いを馳せたことなど、一度もなかった。

娘の出来事を通して、私は初めて知った。

好きな人どうしで組む」という当たり前の仕組みが、どれほど残酷になり得るのかということを。

ひとつ救いがあるとすれば、卒業までのあと少し、娘が家にいてくれることだ。

その間に、彼女が「帰りたい」と思える場所を、もう一度つくり直したい。

Permalink |記事への反応(0) | 00:29

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2025-10-24

anond:20251024091421

まず自分から与えようとしてないからでは。人を変えようと思うのがまず残酷だし、人を変えようって言うのにまずギブしないであっちが悪いって言うのは多分何も変わらない

Permalink |記事への反応(1) | 09:20

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2025-10-23

婚活をしていると、なかなか結果が出ない時期があります

いい人に出会えなかったり、やりとりが続かなかったり、

気づけば月日ばかりが流れていく。

そんな時、どうしても相手に求める条件ばかりが浮かんでしまます

もっと優しい人がいい、もっと誠実な人がいい、もっと自分を大切にしてくれる人がいい、と。

でも、少しだけ視点を変えてみると、

自分相手に何を与えられるだろう」という問いが見えてきます

恋愛結婚も、もともとは「与え合う関係」です。

支えられたいなら、まず支える気持ちを持つ。

愛されたいなら、まず愛を向ける。

そのバランスが取れている人ほど、やっぱり魅力的に見えるものです。

そして、避けて通れないのが「年齢」という現実です。

これは残酷だけれど、若さには確かな価値があります

健康、柔軟さ、未来への可能性、そして純粋エネルギー

それらはすべて、時間とともに失われていきます

年齢を重ねること自体は悪いことではありません。

でも、それは確実に「市場価値」という面ではマイナスに働く。

ここだけは、どんなに綺麗ごとを言っても変わらない現実です。

からこそ、年を重ねた人ほど「他の魅力」で勝負する必要があります

若さを失っても、経験包容力、思いやりを身につけることで、

人としての深みが出てくる。

その深みを磨かないまま、「相手が悪い」「時代が悪い」と言い続けていると、

婚活はどんどん苦しくなってしまます

「今の自分に何ができるか」

「どんな関係を築けるか」

そこを丁寧に考えていくことで、

出会いの質も少しずつ変わっていく気がします。

婚活競争ではなく、歩み寄りの連続です。

現実を見つめながらも、自分を責めすぎず、諦めずに前を向いていけたら、

きっとあなたの魅力はもっと輝くと思います

Permalink |記事への反応(0) | 15:50

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2025-10-22

フェミ性的表現やめろ!」

漫画配信側「性的表現修正してください」

漫画家「不当です」

フェミ「性被害残酷さを描いた性的表現禁止するな!」

お前らが気分だけを基準にあれもこれも駄目だ検閲させろアドバイザーを雇えと喚いてきた結果がこれです

おめでとう!

こういうことになっても、フェミ絶対規制基準なんて出さないだろうな。まずフェミ内で合意形成不可能からだってそのライン決めちゃったらもうそれに抵触してないのはスルーしなきゃいけなくなって騒げないもんな。問題化できる範囲は広いければ広いほどいい

から今後もフェミ表現規制を叫んで自粛の機運を強化しながら、一方で今回みたいに表現自粛強制に反対もする、そういう支離滅裂な動きを続けていくのは間違いない

Permalink |記事への反応(0) | 13:32

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anond:20251021181436

悪いこと言わんから早目に産んどけ

時間残酷平等だぞ

Permalink |記事への反応(0) | 04:07

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イオンモールしかない」地方東京藝術大学10億円?

ウェブ版『美術手帖』の編集長が「イオンモールしかない地方都市には美術の美もない」というようなことを言って、案の定、少し燃えたのは記憶に新しい。

僕も地方出身から、その言葉にカチンとくる人の気持ちは痛いほどわかる。「どうせ俺たちの日常なんて、文化の欠片もない退屈なものなんだろ」と、見下されたような気分になる。週末に行くイオンが、家族にとっての一大イベントだったりする、そういう暮らし機微全否定されたような気さえする。だってかにないじゃん。

ただ同時に、編集長が言わんとしていることも、なんとなく想像はつく。地方都市の、あの画一的風景。どこまで行っても同じようなチェーン店住宅街が広がり、かつて街の中心だった商店街シャッターを下ろしている。そういう風景を前にして、アートに関わる人間として一種絶望というか、嘆きのようなものを感じてしまう瞬間があるのはよくわかる。それは、地方に対する愛憎半ばする感情なのだろうとも思う。

そんな小さなモヤモヤをずっと抱えていたら、実に興味深いニュースが飛び込んできた。

他ならぬそのウェブ版『美術手帖』が報じた、「東京藝術大学取手キャンパス10億円の寄付」という記事(件の編集長もこの記事へのリンクをリポストしている)。

これは、なかなかに美しい皮肉じゃないか、と苦笑してしまった。

http://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/31541

東京藝術大学といっても、取手市であって上野ではない。東京ではない。茨城県にある。都心から見れば、それは紛れもなく「地方」だろう。

どころか市内に日本最大級イオンモール計画されているという報道もまた、記憶に新しいではないか

しかしその「地方都市日本代表メンバーに選ばれるであろう取手キャンパスに、安田容昌氏という方が10億円もの大金寄付した。

寄付に寄せたコメントがまた素晴らしい。

取手キャンパスには、素晴らしい施設に加え、土の匂いと、川の風と、地域に暮らす人々の息遣いがあります。」

「これまで日本の発展は、とかく都市を中心に語られてきました。しかし、真に新しい価値は、しばしば周縁からまれます。」

芸術に触れる機会が都市部に集中している現状において、この取手キャンパスから日本の新たな文化うねりを起こすことができると信じてやみません。」

地方事業を成し、その恩恵を受けてきた者として、次世代のために文化的な社会資本を築くことこそが、私にできる最後の恩返しです。」

(ちなみに最初の2行は、『美術手帖』の記事ではなぜか省略され、大学公式リリースにだけ載っている)

https://www.geidai.ac.jp/news/20251008152520.html

まり、これは「田舎には美術がない」という嘆きに対する、あまりにも力強いアンチテーゼなのだ。それも、10億円というリアル数字を伴って。

アート都市だけの専有物じゃない。地方にこそ、これからまれるべき豊かな土壌がある。そう高らかに宣言しているように聞こえる。

編集長炎上した発言は、確かに言葉足らずで、多くの人を傷つけたかもしれない。

でも、彼が投げかけた「地方アート」という問いは、奇しくもこの10億円の寄付によって、新たなステージに進んだ気がする。

イオンモールしかない田舎」と切り捨てられた場所で、アートは育つのか。

いや、育つに決まっている。

誰かが「ここには何もない」と嘆いた場所にこそ、新しい価値が生まれる種が蒔かれるのだ。

今回の寄付は、まさにその種だ。この種が、取手の地で、どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのか。

それは、都会のギャラリーに飾られる洗練されたアートとは、全く違う形かもしれない。泥臭くて、生活匂いがして、不格好だけど、力強い何か。

心のどこかで、あの編集長の嘆きにまだ共感している自分もいる。「東京藝大」という権威と「10億円」という資本

結局、そうした巨大な「外部の力」がなければ、地方アート話題にすらならないという現実。それは、彼の「田舎には美術がない」という言葉を、残酷な形で裏付けはいないだろうか。

編集長発言も、10億円の寄付も、「お前のいる場所の『美』とは何か?」と問いかけている。

イオンモールフードコートで談笑する高校生に、夕暮れの田んぼ道に、シャッター街の錆びた看板に、目を凝らせば「美」のかけらは見つかるんだろうか。

今回の出来事は、そんなことを、少しだけ考えさせてくれた。だから、この皮肉な巡り合わせに、僕は少しだけ感謝している。

Permalink |記事への反応(1) | 02:32

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2025-10-21

anond:20251021192947

女の涙というのは、むしろ残酷真実を突きつけられたときに溢れるものであります

Permalink |記事への反応(0) | 19:33

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anond:20251021131137

残酷な言い方になるけど飲み込むしかないな。

お前がもっと善性の低い人間なら「謝ってすむか。別の方法で贖え」でひどい目に合わせることも考慮に入れられるが

そういうタイプじゃないだろうし、っていうかそういうの普通人類には無理だし

相手が謝るっていう許されるための儀式を恙なくこなした以上、こっちは許すという儀式を恙なくこなす必要がある

まぁ心の中は自由から「こいつは謝ったけど私は許さない」でいること自体自由

こうして増田にそのことを書くことでちょっとだけスッキリするのもお前の自由

まぁ、許せない自分が悪いのかなと思う必要はないか

許せんもんは許せんでいい

社会的には許したふりをする必要があるってだけ

Permalink |記事への反応(0) | 13:18

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anond:20251021010954

無職ワイも無職自由で羨ましいという人達残酷やと思うで

Permalink |記事への反応(1) | 01:12

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anond:20251021010844

本人が求めてないことに羨ましいっていうのは残酷

Permalink |記事への反応(1) | 01:09

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2025-10-20

ポーカープロへの道は実力か運か

多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義世界象徴のように見える。

しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷不都合な真実存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。

結論から言おう。現代ポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力である

ポーカートーナメント本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特にチップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤースキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。

ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs50%」の状況、通称コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたハンドAKエースキング)で、相手がQQ(クイーンペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。

さて、もしあなたトーナメントで優勝するために、この50%勝負10連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?

(1/2) の10乗 = 1/1024

そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキル経験も一切関係ない、純粋確率世界だ。コインを振って10連続で表を出すことと何ら変わりはない。

まり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。

「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフ相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」

彼らは、結果から逆算して自分成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続コイントスに勝った後、最後10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディア1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップバイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである

「長期的に見れば、期待値EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラス収束する」

これは、ポーカー科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。

ここで、ポーカー世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャックルーレットバカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである

彼らは、ポーカープレイヤー血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。

しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノ運営において、特定テーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位マイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。

数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。

さて、ここでポーカー世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁アドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。

そんな、カジノハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラス収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリア根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである

ここまで述べたように、トーナメントでの成功天文学的確率産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人スキルなど無力である

では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。

その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。

現代ポーカープロ必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である

ステーキングとは、投資家バッカー)がプレイヤートーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。

これこそが、現代ポーカープロを支える生命なのだ。彼らは自らのスキル商品として投資家プレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。

20連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。

まり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉テーブルなのだいか自分を大きく見せ、いか自分という金融商品投資価値があるかを説得するマーケティング能力交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである

これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから

結論現代ポーカープロの唯一の必須スキル、それは「他人の金でギャンブルする能力

Permalink |記事への反応(0) | 15:57

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anond:20251020100141

残酷で酷くてショッキングなことと、おもろいことを、同じに見てしまクリエイター一派、わいは嫌いやで

 

ショッキングかつおもろいこともあるけど……。そうじゃないことが多いよなあ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:13

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2025-10-19

スタバに入れない人は挙児を諦めたほうが良いと思う

厄介をパージするのが下手な空間は荒れやすいんだわ。

撮り鉄鉄道会社パージできないかあんなことになり、マナーが悪い中国人パージできないかスラダン聖地あんなことになっている。

中国人差別じゃないぞ。インバウンド初期は中国人金持ちのほうが日本人よりも金払いが良い上客だった。

スラダン聖地無料なんだ。そもそも観光地じゃなく住宅地から無料滞在できるのも当たり前ではあるんだが。

それでどうなっているかというと、観光客がそこらに人尿人糞を残していくという事態だ。金払いが良い層ではなく、ケチマナーが極度に悪い層が無料観光地に集まってしまい、糞処理コストだけ生じているのが今だ。

無料」や「コスパが良い」は、広く人を集められるが、悪質な層をパージできないし、悪質な層の割合が高まりすぎて治安崩壊するリスク内包している。

スタバは金払いが悪かったりお呼びでない客をパージする雰囲気作りがうまいスタバ企業価値コーヒー単体ではなくパージ絶妙な上手さなのではないか

コンビニコーヒーは安くてそこそこ美味いのに、なぜコスパ悪いスタバなんかに行くのか?」というのは根本的に分かってない議論だ。

これデートサイゼ問題と同じなんだよ。ラーメン屋牛丼屋には入りやすいが、レストランサイゼまでしか入れない、サイゼ入店できる上限ギリギリだという層がいる。

この層は友人や同僚としては差別されないが、恋愛婚活のような生殖を見据えた場においては非常に差別排除されがちだからマジギレしているんだ。

特性の強さはグラデーションになっている。最も程度がひどく、友人や同僚としても拒絶されうる層が撮り鉄かもしれない。撮り鉄のちょい上くらいにサイゼが上限ギリギリ層、スタバ入れない層がいる。

確実にASD特性と関連があると思う。ASDなかに床屋には入れるが美容室には入れないとか、オシャレな空間にどうしても入れないという特性があるんだよ。

特性からこそ、スタバに入れる側からしたら入れない側のことなど分からない。聴覚過敏でない人に聴覚過敏の人の感覚が分からないのと同じだ。電話普通に取れる人に電話が取れない人の感覚が分からないのと同じだ。

あらゆる障害の話と同じだな。車いすじゃない人間は、車いすだと行きにくい場所について理解できてないよな?

オシャレに何の価値が?金の無駄では?という問いが昔から匿名インターネットでは書かれていた。

残酷なことを言うと、「オシャレな空間に入れない人をパージすることで的確に防げる厄介」があって、そこに価値があるのだと思う。

その厄介の最たるものキセル住居侵入を繰り返す犯罪者である撮り鉄や、スラダン住宅地人糞を残す層の中国人なのだが。

そしてサイゼまでしか入れない男や、スタバに入れない男に口説かれることについて女側が異常なまでに嫌悪感を表明するのは、

パージされる側のDNAを卵巣・子宮レベルで拒絶しているのだと思う。10か月の辛い身重や乳幼児育児の苦労を経てまで、スタバに入れないような男の子供を生みたくないんだ。苦労する甲斐がない、あまりにも報われないんだ。

男にとって閉経後の女を精巣が対象外にするような「最も本能的で抗いがたい無理さ」なんだよ。

男も女も本能で異性を見るのはお互い様であり、片側の性別にだけ本能を禁じるのは性差別からスタバに入れない人は死ぬべきとまでは思わないが挙児を諦めたほうが良いと思う。

君たちは実年齢が大学生だろうが、異性から見れば閉経後の女に近い存在なんだ。死ぬべきとは思わないが性的価値を認められるのは諦めたほうがいい。

Permalink |記事への反応(0) | 09:32

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2025-10-18

  石川貴司は

  訴因変更請求許可したところは別の日に電話した石村智と同じような残酷仕事の仕方で一致している

   すなわち、東大法学部? うるせーこっちはできねえつってんだろ、というと、石村の子供の声になる。

  石川貴司は、訴因変更請求採用しているところはどこの裁判官とも同じで、それ以外は不明

   

Permalink |記事への反応(0) | 17:28

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2025-10-16

「命に別状はない」って残酷だよな

顔面崩壊しててても「命に別状はない」

手足もげてても「命に別状はない」

半身不随になっても「命に別状はない」

Permalink |記事への反応(2) | 17:37

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anond:20251016020906

負け組そもそも遺伝子レベルで淘汰されるらしいか

恋愛支援をしても無駄

Af

@Sz73B

被差別階級人間は妊孕率がそもそも他のグループより低いとか、胎児期や幼少期に飢餓被虐体験を受けると遺伝子エピジェネティックな変化が起こってストレス耐性が極端に下がるなど不利な変化が生涯続くなど残酷事実が次々に明らかにされて負け組セルフ断種するという現実がどうやらあると。

https://x.com/Sz73B/status/1964168689315459333

Permalink |記事への反応(0) | 07:44

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2025-10-15

anond:20251015112650

こういう事言ってる人って、その「社会経験」の皆無さを、個人を見下して済む問題だとでも思っているのかな

氷河期世代で言えば、新卒正社員就職できなかった事によってその後も非正規しか就労できず、

責任のある仕事や他業種との交流といった「社会経験」を詰む機会を奪われたんだよ

もっと下の世代だって、「社会経験」を不当に奪われている人間は多く存在する。

社会構造問題なんだよ。

世界の広さと残酷さとかい曖昧表現じゃなくって。

differential増田に割とよく現れる「少子化を憂うる増田」は幾つかのロジックを持ち出して来るけど、どの増田社会経験が皆無そうな危うさがあって、なんていうか、見かけるたびに世界の広さと残酷さを思う。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4777519558913385281/comment/differential

Permalink |記事への反応(0) | 18:24

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anond:20251015173952

残酷なことに、そこで、見た目、が活きてきちゃうんだよなあ。

 

運動してる女は痩せてる。

動ける男はヒョロガリじゃない。

Permalink |記事への反応(1) | 17:41

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2025-10-14

  おまえのようなオヤジたちが大量にいる環境の中で生活していないと日本語がそこまで包丁のようにならないから無理

   そこから外に出てしまったら残酷日本語にぼかしが入ってこういう認識になるようになっている

Permalink |記事への反応(0) | 11:06

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小泉進次郎人材がハッタリ効かずにすぐカースト最下層に転落する仕事ってどんなのがある?

誰が見てもオスとしてつよつよな精悍な顔つきのスポーツマンイケメン雰囲気は最強だけどポンコツオブポンコツで、論外レベル能力なのが職場ですぐにバレて瞬く間にカースト最下層になってしま


そういう職種って世の中にどんなのがある?


とりあえず書籍編集経理情シスは全く誤魔化しが効かなくて、傑出した容姿スマートな語り口でなんとなく周りを騙せたり周りから許されたりすることが一切ない残酷仕事だということは周りの話で知った

Permalink |記事への反応(0) | 10:00

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anond:20251014040851

あの場合拒否反応は連載の最初から存在したので、劇場版で多少追加されたところで「気にしない」だったのではないだろうか

 

原作者インタビューでよく聞く(いや、平成で「聞いた」かな)ほうのいい反応では

アニメのほうがうまくて(構図がいいとかアクションとか)(声優の演技が異性のキャラを把握してるとか)こうなっていたのかと作者である自分も驚いたので、

相乗効果で結末がちょっと変わった(いい演技をした声優キャラがもうすこし長く活躍するとか)」。

これがコナン声優やら翼の声優やらと結婚する作家が出る結果にも繋がるんじゃないだろうか。

(例示は劇場版ではないし、両方のちに離婚しているが)

 

しかし一方で、最近最初から映画原作のような形で漫画をくみたてる漫画家も増えてきたとおもうので、

それだと「指示書」通りだなと監督のようなことをおもうのではないだろうか。

チェンソーマンとか呪術はすごく映画意識してるからようやくオレも劇場版にたどり着いたなくらいの感じじゃない?

 

さらに、残酷なシーンを含んでR15公開する漫画場合は、非常に繊細な狙いをつけたショックを与えるようにストーリーがくみたてられているので、

劇場版で少しでも手心を加えたりするとR指定と与える感動からズレが発生してしまう。

黎明卿とか猗窩座とかよく動かしたよな。

なので諫山せんせ(巨人モグモグ前提で「自由にやってください」だと?本当に「自由の翼」をやるやつがあるか)は本当に外れ値だとおもう。

 

あとアーシュラルグインは二度とアニメ化を許可しなかったけどそれはそうだろとおもう。

原作と違いすぎるし、宮崎駿原作レ○プの連続からさ……きみたちはどう生きるかっていうタイトル出版社商標権とってなくてよかったね

Permalink |記事への反応(0) | 07:11

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親の喪主になったんだけど

親の略歴も、惜しまれるべき理由も、すべて頭に入っていたのに、全く弔辞を述べることができなかった。

というのも、それ(「以下省略します」)が許される小さな葬式(いわゆる密葬)だったこともある。

○長までつとめたのに小さかったのはなぜかというと、長患いで退職から20年ほど療養していたからだ。

そして、その長い間介護をしていてつかれきったもう一人の親がそこにいて、喪主をしていなかったからだ。

亡くなった方の親は、本当につかれきっていて、人格豹変していた。

生前の病親の前で、葬式が苦労だから相続財産は全部リストアップしておいて、とか

あなたが死んだら○○するつもりとか、

介護しなくていい自分の目からみると少々残酷なことを、

構えることもなく日常の延長で計画していた。

そのくらいに疲れた関係であった親の前で、

病親の在職中や若い時の業績をおもいきり褒め称えることが、どうしても残酷に思えて、できなかった。

 

それで、20年ほどまえの祖父葬式で、何も言えなくなった叔父のことを思い出したのだ。

叔父はただ涙をながしてしばらくして降壇した。

介護をしていた祖母をささえつつ自分医療職として最後までつきあった。

長い長いマラソンのすえ喪主をした末っ子長男

士官学校で~とか、言うはずだったことはたくさんあっただろうに、

母親とともに舌に尽くせない苦労をしたため

そんな弔辞すら言えなかったにちがいない。

  

残った親は、だいぶ人格が柔らかくもどってきたよ。

なんとか弔辞をくれた親友さんはまだ元気にしているよ。

今なら自分ももっとちゃんとした弔辞をいえそうだよ。

(あのときは悔しくて増田に長文をかいたけど)

亡き親に報告したい。

https://anond.hatelabo.jp/20241227030640

Permalink |記事への反応(0) | 03:56

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2025-10-10

サイレンリーつの間にか消えてた

母親父親と会えない子供は仲睦まじい親子を見て、どう思うだろうか。

感じ方は様々だと思うが、片親家庭だった私の経験からすると、

そういったものが目に触れるたび、そこはかとなく寂しさを感じると同時に、がっかりした気持ちになっていた。

当時の私が、仮にそれを毎日、一日の始まりに見せられていたとしたら、かなり残酷仕打ちになっていただろう。

片親もしくは両親がいない子供への配慮は無いのか

そこまでしてでも、流さないといけないものなのか。

つの間にか終わっていたが、もやもやした気持ちがまだ残っている。

Permalink |記事への反応(0) | 19:37

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でもその動画10歳くらいの少女かと思ったらつぼみだったら?

今見たらつぼみもそこそこ歳くった顔してて、人生ってのは残酷で美しいなと思った

Permalink |記事への反応(0) | 10:38

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2025-10-09

anond:20251008174141

女:「じゃあ、あんたがやってみろ」→男「私にはできません。ごめんなさい。女さんが世界一です」

これが正解。これで女も男も幸せになれる。

女:「じゃあ、あんたがやってみろ」→男「俺のほうが上手だよ」

これは不正解残酷事実直視すると、女の自尊心は傷つき、女は絶望し、女も男も不幸になる。女とは、実にめんどくさい存在なのだ

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