
はてなキーワード:死刑廃止とは
「社会通念上」とかいう、国によって、というか左と右によって感じ方が違うものを理由に禁止するのが認められるなら、
陣営に都合のいい時だけ「社会通念」を持ち出して禁止ってのができちゃうじゃん。
え?「多くの先進国で」社会通念上認められてないものは日本でも禁止すべきって言ってるだろって?
だったら例えば、多くの先進国で死刑制度は社会通念上廃止するべきって流れだけど、日本で廃止するって言ったら君は賛成するのか?
もし死刑廃止に反対だというなら、やっぱり都合のいい時だけ社会通念を持ち出してるじゃんってことになるし、
一貫性のない俺様理論を振りかざしてるのはむしろ君の方ってことになるよ?
100か国いて100か国とも禁止してるならわかるけど、先進国でも(例えばアメリカとか)禁止されてないぐらいには
刑法175条みたいなアホみたいな法律すら廃止出来ないのにそんな余裕ないと思うんだけど。
元増田はこう書いてるが、時間にしろ命にしろ取り戻せないことに代わりはないのだから改善すべきところがあるとすればそのプロセスなので、そこの話すっとばして死刑廃止かどうかみたいな話をしてるのは俺もズレてるように思える。時間なら命に比べればまだ取り返し付くから冤罪出していいのか、というとそんなわけがないので。
検察・警察の冤罪を生む構造を改善して確実に犯人と言えなければ有罪出来ないようにするという議論の方が遥かに優先度高いように思える。
冤罪だったのに死刑にしたら取り返しがつかないから反対とかいうけど
じゃあ死刑廃止にしたら取り返しがつくのかというと、やっぱり取り返しつかないから変わらないし、
どっちかというと捜査や裁判プロセスの問題やないかいバーカと思うから全然納得できない
仮に死刑が廃止になって、死刑になるはずだったやつ(冤罪)が終身刑になったとして、
もう裁判終わってるからまちがっとったわメンゴメンゴってなる可能性ないんだよなあ
あとで別の事件で立件された真犯人が偶然見つかって〜とかそういう可能性ぐらい?
そんなの100年間裁判やって1件あるかないかぐらいじゃねぇの
死刑廃止論に関して、少なくとも冤罪の可能性があるから〜という理由は俺は全く納得できないし、意味ないと思う
どういう理屈やねん
もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。
この家に育って何が起きたか。
それは認めるし、親としては感謝している。
だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。
少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。
また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。
自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。
私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。
大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。
私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。
食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。
母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。
別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。
こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。
極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。
ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。
私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。
それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。
しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。
母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。
私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。
なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。
そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。
両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。
両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。
だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。
「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。
だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。
そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。
私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。
場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。
SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。
人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
Permalink |記事への反応(33) | 21:59
日本では、殺人犯を射殺しないから死刑廃止したらバランス取れない。
むしろ、フランスとか射殺する必要のないホームレス射殺していて酷い。
シャルル・ド・ゴール空港でのホームレス射殺と死刑制度https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/rikamama/2022/08/post-32.php
人道、人権が大事なら、児童相談所、児童養護施設への予算増額とか、教育無償化、境界知能者へのサポート、ひとり親家庭への補助とか、社会のセーフティネット強化とかの方が優先されるべき。
残念ながら、日本はそうなってない。「犯罪者が発生したことの責任は社会にある」という前提、認識が社会的合意、政府にはない状況では、死刑廃止できない。
犯罪を犯す責任は、家庭、個人の責任という考えだから、個人に責任を取らせるのが、日本の価値観、法律なんだろう。
思考実験として、犯罪者は社会のシステムから産まれた不良品という条件で考えると、教育環境、家庭環境の記録、トレサビリティがあったほうが議論しやすいな。
右翼は性悪説、左翼は性善説 というのが一番しっくり来ると思うけどな
左翼:人間話し合えばわかり合えるんだ、手を取り合おう → 憲法改正反対、防衛費増加反対
右翼:隣の国がいつ攻めてくるかわからないんだから、軍備増強すべきだ → 憲法改正賛成、防衛費増加賛成
左翼:犯罪者は何らかの理由があって犯罪に追い込まれているのであって本来は善人のはずだ、刑務所は更正のため → 犯罪の寛刑化、刑務所の待遇の向上、死刑廃止
右翼:犯罪者は生まれつき犯罪者であって更正は難しい、刑務所は罰を与えるためのもの、凶悪犯は死刑にすべき → 犯罪の厳罰化、死刑賛成
左翼:白人も黒人もアジア人もみな素晴らしい人間である、きっと日本に良い影響をもたらしてくれるはずだ、彼らの良い所を学ぼう → 移民賛成
右翼:白人も黒人もアジア人も悪人ばかりだ、きっと日本に悪い影響をもたらすはずだ、彼らの入国に反対しよう → 移民反対
左翼:彼らが貧乏になったのはきっと彼らにはどうにもならなかった理由があるはずだ、救済が必要である → 再分配強化、社会保障強化、共産主義
右翼:彼らが貧乏になったのは彼ら自身の性質のせいである、必死に頑張っている自分がそんな人間を救う必要はない → 再分配反対、社会保障軽視、資本主義
なぜ低学歴が右翼になるのか → 当然ながら学歴が低い人間の周りにはあまり"良くない"性質の人間が集まる。その結果"人間なんて悪人ばかりだ""カスばかりだ"と思うようになり性悪説(右翼)となる。